全10件 (10件中 1-10件目)
1
本当は何故「古事記」と「日本書紀」があるのか?とは関係が無いのだけれども、歴史学者の罪深さと言う意味では、おおいに関連があるのでここに書くことにした。歴史学者の罪が大きいのは、彼らの研究体制と考え方が間違っているからである。彼等は史実あるいは事実を研究するのではなく、暗記するのに重きを置き過ぎる。彼等の本を読んでみれば分かる。本の中で重きを置いているのは、「何年に誰がそう言った」と言うことで、その内容には触れていない場合がほとんどである。例えば古事記や日本書紀であれば、下手をすると「本居宣長がそう言った」と言う感じである。確かに古事記は本居宣長のお陰で注目を浴び、大事にされてきたので、本居宣長の貢献度は高いのであるが、もう江戸時代の人のなので、情報量や知識に関しても、一人の人間のこととしては限界がある。正しい事も多いが、当然誤りもある。歴史学者の悪いことは、内容ではなく本居宣長がそう言ったと言う権威に拠りどころを求める所である。なので立派な歴史学者はそう言うことは少ないのだが、世の中に占める割合の多い「ただ暗記するだけ」の歴史学者は、下手をすると「小説の類」と「史実」さえ混同してしまう。良い例が「源平の戦いで平氏がほろんだ」と言う学者である。平氏は滅んではいないし、そもそも「源平の戦い」ではない。壇の浦で滅んだのは「平家」であって「平氏」ではない。平家は平氏のうち、平清盛を頭領とする、平氏の中のごく一部の一党である。例えば平家を除く平氏には坂東八平氏がいるが、北条氏や三浦氏をはじめこちらの方が多い。そして平家を壇の浦で滅ぼしたのは、確かに源義経が有名ではあるが、人数的には圧倒的に北条氏や三浦氏そして畠山・梶原と言った平氏が多い。つまりあれは、平家と平家を除いた他の平氏の戦いだったと言う側面が大きいのである。つまり平・平の戦い。同様に源氏方も、源頼朝と源(木曽)義仲が戦って、義仲は滅び、義経は(北条氏や三浦氏に操られた)頼朝によって滅び、その頼朝自身は北条氏に暗殺され(吾妻鏡はそのせいで頼朝の死前後3年間が空白)、頼朝の子の頼家は伊豆でお風呂に入っている所を北条に殺され、頼家の弟の実朝は頼家の子の公暁に殺されて、公暁も北条氏に殺されて源氏は滅びる。つまり源氏同士が殺しあったのである。源・源の戦いと言えるだろう。これを見ると、源平の戦いと言うだけでなく、平・平の戦い、源・源の戦いが有るのである。「源平の戦い」だけクローズアップされたのは、源義経のキャラクターと悲劇性が、物語的に面白くて、売れたからにすぎず、史実及び事実としては、ごく一部だけをクローズアップしたもので、歴史的には間違い。日本人は勧善懲悪の物語が好きなので、悲劇の主人公「源義経」と悪党の平清盛を使って、物語を盛り上げただけである。分かりやすい例をあげれば、有名な「ひよどりごえ」が有る。鹿さえも避けて通る急峻ながけを馬で駆け降りた場面である。いくら優秀な指揮官の義経がはっぱをかけても、家来たちが怖気づいては話にならない。義経の指示を最初に実行し、馬をかついで駆け降りた「畠山重忠」がいたから、他の家来達も俺も俺もと一の谷のひよどりごえを駆け降りたのである。畠山重忠も坂東平氏で、後に同じ平氏の北条義時に滅ぼされる。でも末端の「暗記するだけ」の歴史学者にとっては、暗記するだけなので、史実と物語の区別がついていないから、「平氏が滅びた」などと言うのである。平氏は「鎌倉幕府を開く」のを助けて、後に実質的に天下を取っている。「源平の戦い」と呼ぶその戦いだって、それの発端になった、「保元の乱」では源氏と平氏はそれぞれ敵味方に分かれて戦っている。源義朝(頼朝のお父さん)に対し源為義(頼朝のお祖父さん)及び源為朝が戦っている。親子で戦ったんだなぁ。また平清盛に対し平忠正(清盛のおじさん)が戦っている。元々「源平の戦い」ではない。ただ保元の乱に続いて起こった「平治の乱」で平清盛が源義朝を滅ぼし、その子の頼朝と義経が生き延びて、清盛の死後に清盛の子達を滅ぼしたのである。だから、源氏と平氏の戦いではなく、個人的な戦いにすぎない。この誤解を解くためには歴史学者の先生方は、平家と平氏の違いを説くべきだろうし、それは「氏(うじ)」と「苗字(みょうじ)」の違いを説明する方が良いと思う。つまり田中角栄の田中と平清盛の平は別物だと言うことである。例えば北条政子は文書によっては「平政子」と書かれており、北条政子と言う呼び名は現代のものであって、平政子から北条政子に名前を変えたわけではない。北条時政も平時政である。天皇から賜った姓(かばね)が「平朝臣(たいらのあっそん)」だったら平氏、「源朝臣(みなもとのあっそん)」だったら源氏ということである。織田信長は「平朝臣、織田上総介、三郎、信長」と呼ばれていた。「平朝臣」が本姓、氏素性で、織田が苗字、上総介が官職、通称が三郎、信長が忌み名である。これは源氏方も同じで、有名な武田信玄も「源朝臣」だし、徳川家康も「源朝臣」である。直接の関係は無いけれど、ついでに面白いのでいうと、実は家康は松平から徳川に改姓したと言うのは半分は本当で半分は誤り。家康の「松平」から「徳川」への改姓は、永禄9年(1566)12月3日付近衛前久書状に事情が書かれている(「近衛家文書」)。実は家康が「徳川」に改姓するまで、書状などに「徳川」と署名した文書はない。改正以後もわずか2通の書状を除き、自ら「徳川」と署名した文書もない。「松平」のままでは従五位下・三河守への叙位任官が困難だったので、家康が「徳川」に改姓することで認めてもらうよう画策したのではないかと指摘されている。この件に関しては、実は家康は公式には「源朝臣」ではなく「藤原朝臣」として認められている。正親町天皇は家康を公家として処遇したかったが、家康の家系の徳川では先例がなかった。ところが、徳川の源氏には2つの系統があり、惣領の系統が藤原氏になった例が報告された。この情報を知らせたのは、吉田兼右だった。そこで、家康の本姓を「源」から「藤原」に変更することで、従五位下・三河守の叙位任官が叶ったのである。当時は先例を重んじる気風があったので、こうした「裏技」を使ったのである。つまり、これらは全て現代人が姓(かばね)と苗字を混同していることから発生している。なので、歴史学者の先生は、そこのところを上手く説明した方が良いのじゃないかなと思う。
July 19, 2025
コメント(2)

いよいよこのツアーも最終日。今日は飛行機に乗る時間まで、ボスフォラス海峡クルーズ船に乗ってイスタンブールを海から眺める。船はガラタ橋傍の船着き場から出向する。おおよそ下の地図のようなルートで、ボスフォラス橋まで行って折り返す。我々は一昨日、地図右端の高速道路を通ってブルサからイスタンブールに入り、ボスフォラス橋を渡って左折し、チュラーン宮殿やドルマバフチェ宮殿の傍を通る道を通って、地図の左端下のガラタ橋を渡ってイスタンブール旧市街に入ってトプカプ宮殿に来たのだが、船からはそれらがすべて見える。ガラタ橋傍の船着き場に停泊したクルーズ船からトプカプ宮殿などの有る旧市街を眺めてみた。昨日はあの辺を歩き、そして一人でトラムでエジプシャンバザールまで歩いたなと思うと感慨深い。出港後最初に左手に見える目立つ建物はシャングリラホテル。そのすぐ先にカッコいい宮殿を見つけた。イスタンブールに入った一昨日7月7日にあそこの裏口を通ったんだな。時計台も有ったし。さらに進むとチュラーン宮殿がある。この宮殿は中の大広間が有名。今回のツアーには含まれていないので、写真はネットからお借りした。本当に綺麗。でも電気代が大変だろうな。さらに進んでボスフォラス橋のたもとには、オルタキョイモスクがある。このモスクを見たら、ボスフォラス橋の手前で折り返す。ボスポラス海峡への架橋は、1957年に当時のアドナン・メンデレス首相によって決定された。完成は1973年10月30日、トルコ共和国建国50周年記念日の翌日のことである。2016年7月15日に軍の一部が起こしたクーデター未遂事件では兵士が橋を封鎖し、これに抵抗した市民が犠牲になるなど象徴的な場所となった。7月25日ビナリ・ユルドゥルム首相によりこの橋は「7月15日殉教者の橋」と言う名前に変わった。全長は1510mもある。建設当時は世界でも有数の橋だったんだろうなぁ。ちなみに日本の関門大橋は同じ1973年に完成し全長1068mである。また、瀬戸大橋は1988年に供用開始されて、北備讃瀬戸大橋部分が1611m、南備讃瀬戸大橋部分が1723m合わせて3334mである。つまりトルコって結構すごかったんだな。Uターンして次の見どころは乙女の塔。灯台である。ところでこの写真だがスマホで撮った。使っていたカメラは既に荷造りして旅行鞄の中にしまっているから。なので、よくこんなに綺麗に撮れたなと感心してしまった。Uターン後は比較的旧市街側に近い部分を通ったので、ギュルハネ公園が近くに見えた。するとそこに軍艦を発見!最初、トルコの軍艦かと思ってネットで調べたら、なんとアルジェリアの軍艦だった。あの機関砲は50mm位かな?こうして僕のギリシャ・トルコ旅行は終わった。11日間は長かった。飛行機に乗っている時間とバスに乗っている時間そしてクルーズ船の中が長くて、実際に観光している時間は7日間も無かったけれども。意外に充実していたなと思う。特にエフェスと、イスタンブールの一人旅部分は充実していた。アヤソフィアの壁画は見る価値が有ったし、地下宮殿が良かった。もう年齢的に長い時間飛行機に乗るのが厳しくなってしまったけれど、またどこかに行きたいな。そうそう、大事な発見が有った。通常ツアー等で利用する飛行機では、旅行会社が飛行機代を安くたたいているのでマイルがつかないが、実は国際線ではない国内線の部分ではマイルがつくみたい。今回トルコの国内線部分だけマイルが登録された。知らない人がいると可哀そうなので、一応書きました。参考に。
July 9, 2025
コメント(2)

いよいよ本ツアーの最高潮であるイスタンブールのアヤソフィアへ行く日が来た。でも、当日になって気がついたんだよね。旅のしおり(ツアーの日程表)を見たら、アヤソフィアは下車と書いてある。えー!中には入らないの?何の為にトルコに来たのか分からないじゃん!ものすごく不満に思ったんだけれども、実はそれ以外に世界遺産に登録されている地下宮殿にも行かないことが分かっていたんで、あらかじめ添乗員さんとガイドさんには説明して、離脱申請書(自己責任でツアーから離れて別行動する場合の書類)を出せば、離れて勝手に見に行っていいと言われていたので、そのついでに行くことにした。その結果も書きますので参考に。朝、まず行ったのはヒッポドローム。ヒッポドロームはブルーモスクの西隣にあり、ビザンティン帝国時代に競馬や戦車競走が行われた競技場でした。競技場の広さは長さ450m、幅130m。12の門があり、10万人の観客を収容できたといいます。で、この地域にはアヤソフィアやヒッポドローム、ブルーモスク及び地下宮殿など、旧市街の有名観光場所が集まっているのでヒッポドロームの写真の前にこの付近の地図を載せる。分かりやすいようにgoogleMapで作ってみた。例えば左上にヒッポドロームがあるが、四角い競馬場のトラックの中に蛇の柱や2つのオベリスクとドイツの泉が小さく見えるので、映画のベンハーの戦車競走の競技場のような形状が分かりやすいと思う。ヒッポドロームの端の切石積みのオベリスクからスタート。地図の左端。うーんまさに切石積み。コンスタンティヌス7世が建てたのだそうだ。向こう側にブルーモスクの2本の尖塔が見える。ここからヒッポドロームは全体が見通せる。望遠で写しているのですぐ近くに見えるが、実際はドイツの泉までは結構歩く。まずは右手の手前に見える蛇の柱。2匹の蛇が絡まりあって柱になっている。蛇の柱はデルフィの三脚(イラニ・ストゥン)としても知られ、紀元前479年にプラタイアの戦いで侵入してきたペルシア軍に対して、31のギリシア都市国家が勝利したことを記念するブロンズ彫刻である。円柱はペルシャの武器を溶かして3つの絡み合う蛇にした。それは、デルフォイの神アポロ神殿に置かれていた生贄の黄金の三脚と釜を含む、より大きな「記念碑」の一部であった。しかし、三脚と釜は時が経つにつれ、なぜか行方不明になってしまった。その後、 324年 にコンスタンティヌス帝はヒッポドロームを飾るために、新しい首都コンスタンティノープルに蛇の柱を持ち込んだ。現存する円柱は、8メートルの長さがあった当初のものの一部のみである。えー!そんなに歴史があるの?元々は上の先端に頭が有ったらしいのだが、失われ一部はイスタンブールの博物館にあるらしい。次はテオドシウス1世のオベリスクの基壇部分。ヒッポドローム全景の写真では分かりづらいが、近くに行くとこの基壇部分の彫刻が面白い。テオドシウス1世のオベリスクは、紀元390年にローマ皇帝テオドシウス1世によってコンスタンティノープルに移設されました。高さ約25.6メートル、重さ約300トンの花崗岩で作られ、元々はエジプトのカルナック神殿に建てられていました。オベリスクのエジプト風のデザインとローマのレリーフが融合したスタイルは、後世のモニュメントや建築物にインスピレーションを与えました。特にこの基壇部分の彫刻は、王を称えるエジプトのそれとは違い、人々が集まるキローマのキリスト教的な図柄で、エジプト的なオベリスクとの融合が面白い。ドイツの泉は1901年にドイツ皇帝から寄贈された。現在でも、トルコとドイツは親交がとても深い国のようである。ヒッポドロームの見学を終えると、すぐ隣のブルーモスクに入る。ブルーモスクは現在でも使われているので信者たちも多く、入る前に服装をあらためて靴を脱ぐ。おぉー!天井が高くてきれい。でもブルーモスクの名前の由来となったのは、美しい壁の壁画と何よりもステンドグラス。天井も綺麗。これを見るだけでも、イスタンブールに来て良かったなと思った。ところで、ブルサのウルモスクでも書いたけれども、モスクでは1日5回の礼拝の時間を知らせる為の高い尖塔が2本建てられている。ミナレットと言う。日本で言えばお寺の鐘みたいなものかな?で、実はなんとみんなとはここでお別れ。みんなはこの暑いのに歩いてエジプシャンバザールに行くみたい。エジプシャンバザールは単なる香料なんかを売るお店の市場。僕には何の興味もない。時間の無駄。何よりもせっかくイスタンブールに来たのに、アヤソフィアと地下宮殿に入らないなんて変。仕方ないので、みんなとは別れてすぐそばのアヤソフィアに入る。で、切符売り場に来てなんでガイドさんが入場してくれないのか分かった。外国人観光客の入場料は1人25ユーロ。1ユーロ173円なので4325円。ツアー全員だと32人X4325円=138400円。高い。まぁ、でももう一回トルコに来る飛行機代のことを考えると微々たるもの。なので頑張って一人でアヤソフィアと地下宮殿に行くことにした。アヤソフィアは入場料が高いせいなのか、全く並ばなかった。ぐるーっと回る通路を登ると真ん中の広場を見下ろす絶好の場所に出た。撮影OKなのか心配だったけれども、みんな写真を撮っているので僕も撮る。おぉー!ブルーモスクのようなステンドグラスは無いが、独特な雰囲気。ブルーモスクや他のモスクの照明に比べて可愛い。天井ドームはこんな感じ。柱飾りが素晴らしい。正面はこんな感じ。柱の上のあれって羽根が生えているから天使なのかなぁ?アヤソフィアは、元々は東ローマ帝国(ビザンツ帝国、ビザンティン帝国)時代に首都コンスタンティノープルで建てられたキリスト教正教会の大聖堂を起源とし、帝国第一の格式を誇る教会、コンスタンティノープル総主教座の所在地であったが、1204年から1261年まではラテン帝国支配下においてローマカトリックの教徒大聖堂とされていた。その後オスマン帝国によるコンスタンティノープルの陥落が起きた。1453年5月29日から1931年までの長期間にわたりイスラム教モスクとして改築を繰り返し使用されて現在の特徴的な姿となった。なのでアヤソフィア内部にはキリスト教時代の壁画が混在する。とても有名な壁画で、今回のツアーに参加したのはこれを見るのが目的だったのに、「下車」のみで「入場無し」だったのである。でもツアーから離れて一人だけで不安だけれども見られて良かった。まずはこのモザイク画。このモザイク画は「聖母子と皇帝ヨハネス2世コムネノス、皇后イリニ」が描かれている。中央が聖母子、左が皇帝で右が皇后。次はこのモザイク画で、「キリストと皇帝コンスタンティヌス9世、皇后ゾエ」。中央にキリストを配し、左手に皇帝で右手に皇后は上のモザイク画と同じ構図。そして、「ディシス」。下の写真は説明板に載っていた絵で、上のモザイク画の元の絵らしい。壁画だけではなく、漆喰を塗った上から塗装された壁や天井も綺麗。脇の通路。最後に出口の上部にも見事なモザイク画が有った。「聖母子、ユスティニアヌス1世とコンスタンティヌス1世」。確かに25ユーロは高いと思うけれど、その価値は有ったと思う。アヤソフィアの見学を終えると急いで地下宮殿に向かう。地下宮殿は交差点の斜め向かい。ただ、入口が分かりにくいので注意。僕の場合は観光客がたくさん並んでいたので分かった。ここの入場料は1500TL(トルコリラ)。注意が必要なのは、何故かここはユーロが使えずTL(トルコリラ)だった。手持ちのTLが1300TLしか無かったので、あわてて近所の両替店に交換に行った。切符売り場のお兄さんが意地が悪くて、ユーロを見せても対応してくれなかったから。中に入る時に階段から眺めるのが良い。奥行きが長い通路と言うか廊下が幻想的。フラッシュがたけないので、遠景を撮ろうとするとボケてしまう。地下宮殿は、観光客が勝手に地下宮殿と呼んでいるけれど本来はビザンツ帝国時代の貯水施設。なので、このように水をたたえている。近くには他にもいくつか地下貯水池が有り、1987年に公開されるまでは土に埋まっていたらしい。375年にローマ皇帝ヴァレンス帝によって造られたヴァレンス水道橋(ボズドアン水道橋)を通じ、水をコンスタンティノープル市内へ送り貯水をする目的に地下宮殿は建設されたのだそうで、オスマン帝国時代にも各地の地下貯水池はイスタンブールを支えていたらしい。なので、本来は単なる貯水池で珍しくも無かったのだが、ここが有名になったのは柱の下に「メドウッサ」の彫刻が見つかったから。「メドウッサ」の彫刻は2か所あり、横顔と逆さ顔になっている。真っすぐじゃないのは「メドウッサ」の彫刻であることを考えると、何か意味が有るのかもしれない。まずは横顔。おぉ!すごい!半分埋もれている。次は逆さ顔。こちらはくっきりとしている。お金がたくさん沈んでいるなぁ。この先に有名な涙の柱がある。通称は涙の柱だが、僕は水の流れを表しているのだと思った。渓流が石の周りで分かれて、また合流する様子に似ているから。地下宮殿内にはこれらの過去の遺跡以外に現代の人が造ったアートもある。うーん、クラゲかな。写真で見るとそうでもないけれど、現地で見ると幻想的でいい。ツアーでもここに来ると、みんな感激するんじゃないかなと思った。でもガイドさんや添乗員さんが大変かな?<後日追記>今日思い出したけれども、ここはトム・ハンクスの映画「インフェルノ」で、全世界にウイルスがばらまかれる寸前に出てくる舞台で、映画では中でコンサートが開かれている場面。僕が行った時も日にちは違うけれど、コンサートは開かれていたらしい。インフェルノの一場面を参考に。こりゃすごいや。地下宮殿を後にして、みんなと合流する為にトラムに乗る。トラムは路面電車。駅は「スルタンアフメット」がすぐそばにある。駅の写真の左手の小さな屋根の所が自動改札。その向こう側に自動切符販売機がある。日本語も使えるが、最初は分かりにくい。駅員の若いお姉さんが手伝ってくれた。お姉さんも日本語は話せないのだけれども、今はトルコでもスマホが使える。お姉さんはさっそく翻訳アプリを使ってスマホの日本語画面を使って説明してくれた。なお、よく分からないのだけれども1回だけの切符を買うことができなかった。(本当は1回券もあるはず。1回券と言うかジエトン=トークン=コイン型チケット)頑張れば方法があるのかもしれないが、時間が無い。日本のスイカみたいなイスタンブールカードを買ってチャージするか、3回使用可能な回数券(カード)を買う画面しかでてこなかったので、まぁ記念に買おうかと思って3回回数券を買った。110TLなのでたいしたことはない。美人のお姉さんと遊べたことの方が大きい。お姉さんが一緒に写真を撮っても良いですかと聞いたのでOKした。多分「ちゃんと仕事をした=観光客の手助けをした」証拠写真になるのだろう。なお、上の写真のT1と言う路線がほぼ観光地を巡るので、これを覚えていれば大丈夫。トラムは路面電車なので、当然人や車と同じ道を走るのだが、なんせ観光地なので、商店街みたいな所の真ん中を走るので危ない。日本の路面電車のように広い道を走るのではない。もう、子供達なんか大丈夫だろうか?トラムを2駅乗ると、みんながいるはずのエジプシャンバザールに近いエミノニュ駅で降りる。駅前には大きなモスクがある。本当は迂回した方が良いのかもしれないけれど、時間が無いので中を突っ切る。(と言いながらしっかりと写真を撮っている。)出て露店のおじさんに集合場所のエジプシャンバザールについて聞いていたら、たまたま近くで買い物をしていたツアーのメンバーの方に出会った。神様っているんだなと思った。助かった。エジプシャンバザール内部はこんな感じ。簡単に言えば香料などを売るお店が集まった市場である。こうしてみんなに無事に出会えたので、一緒に夕食を食べてホテルに帰った。明日はいよいよ最後の日。ボスフォラス海峡クルース船で観光して飛行機に乗って日本に帰る。
July 8, 2025
コメント(0)

エフェスを見学した夜はブルサに泊まりました。ホテルはヒルトンです。このツアーは各見学地で最高級のホテルに泊まります。カッパドキアでは洞窟ホテル。パムッカレではコロッセア、地中海では豪華クルーズ船ジェミニ号。そしてイスタンブールではシェラトンです。ブルサに泊まったのは位置的にエフェスとイスタンブールの間に位置するからでしょう。余談ですが、エフェスからブルサに向かう途中にイズミルが有るのですが、ここ数日間イズミルでは山火事が続いていたので、心配しましたが、影響は有りませんでした。ブルサではウルモスクを見学します。大きなモスクです。モスクに入る際は、どのモスクでも服装に注意が必要です。半ズボンは禁止で、女性はスカーフを付け、靴は脱がなくてはいけないので靴入れの袋が必要。高い尖塔にはよく見るとスピーカーがついていたりします。1日5回のお祈りの時間を知らせる為です。信者の場合は入る前に身を清めます。日本でも神社に参る際には手を洗いうがいをしますが、同じですね。イスラム教は偶像崇拝を禁止しているので、仏教やキリスト教のような像は有りません。ただ、お祈りをする(メッカの)方向が決まっているので、その方向が分かるように礼拝スペースがあります。あくまでもスペースでアラーの神の像があるわけではありません。このモスクのキブラ壁(カアバの方向を示す礼拝堂内部正面の壁)に設置された窪み状の設備スペースを「ミフラーブ」と言い、三日月と並んでイスラム教の象徴です。但し、雑念が湧いたりすると困るので、偉い人や身分の高い人は専用の場所があります。他人にジロジロ見られないように部屋になっています。それにしても壁には何か字が書いてあるのだが、全く読めない。もはや絵柄にしか見えません。神聖ではあるのだが、僕にとっては単なるイスラム教の教会なので見学はすぐに終わりました。次は「美しい村ジュマルクズク」。何も無い。僕にとっては単なる昼食場所。そしていよいよイスタンブールに向かう。ボスフォラス海峡には大きな橋が架かっており、この橋がヨーロッパとアジアをつないでいる。このボスフォラス橋を渡ってイスタンブールの新市街に入るのだが、ガイドさんの説明がよく聞こえなくて、たまたまバスの車内から適当に撮影した写真の中にいくつか見たいと思った場所が写っていた。ドルマバフチェ宮殿である。そばには時計塔もある。両方ともバスの窓越しに移したんだけれども、良く撮れたと思う。ちなみにここは裏口で、正面はボスフォラス海峡に面している。7月9日にはボスフォラス海峡のクルーズ船に乗るので、その日に写真を撮ったので見ると奇麗。新市街からガラタ橋を通って旧市街に入る。この写真の位置はガラタ橋の上である。橋の上をマルマライ(日本で言えば東海道線かなぁ。アジアとヨーロッパを結ぶ鉄道)が走る。正面は有名なYeniモスクである。でかい。そしていよいよこのツアーのメイン、イスタンブールの見学が始まる。最初の今日はトプカプ宮殿。トプカプ宮殿とはトルコで「大砲の門の宮殿」と言う意味らしい。物騒な名前だが、15世紀から19世紀までのオスマントルコの皇帝が住んだ宮殿である。さっそく中に入る。まずは皇帝の門。但し通り過ぎてから撮影したので、宮殿内側から写した写真。この写真で言えば右手、皇帝の門から出たすぐならば左手にはアギア・イリニ聖堂がある。アギア・イリニ聖堂は最古の聖堂で、ビザンチウム時代には既に有ったらしい。アヤ・イリニ聖堂と読む人もいる。アギアあるいはアヤとは「聖なる」と言う意味である。写真が小さいのでよく見えないが、中央のドームの上の金色の尖塔の先端には三日月がついているらしい。ここはモスクではないのについている。(三日月はイスラム教の象徴なので、通常モスクには三日月がついているそうだ。)ここをすぎて中へ進むと表敬の門がある。よくトプカプ宮殿入口と言う写真が有ればたいていはこれである。この門は天井が綺麗。お金がかかってるなぁ。中庭に入ると左手奥には「ハーレム」の入口がある。男の憧れのハーレムである。でもここに来て説明を聞いてえー!っと思った。皇帝も可愛そうなものである。ハーレムの最初の部分は「母后の間」つまり皇帝のお母さんのへや。皇帝が自由にお姉ちゃんとイチャイチャできないじゃん。母后の間そのものは写真に撮り忘れたので、暖炉のみ。調べたら暖炉じゃなかった。これはミフラーベと言ってイスラム教でお祈りをする聖なる場所らしい。調べてみて良かった。まぁでも皇帝も自分の部屋に来れば大丈夫。日本でも中国でもそうだけれども、偉い人は一段高い所にいるのね。でも意外にシンプルだと思う。もっとチャラチャラしているかと思ってた。そして皇帝の寝るベッド。ただ、ここが寝室だと説明をされたけれどもベッドらしくない。調べてみたら、中央右の窪みは「ミフラーベ」かもしれない。やっぱりちゃんと調べてから見に行かないとダメだなぁ。もしかして後から見たこっちがベッドかなぁ。たぶんこっちじゃないだろうか?なお写真の中に「暖炉だと思う」と書いたのは怪しい。ミフラーベかもしれない。ただ、ハーレムと言っても女だけじゃなく、宦官達も居たらしい。奴隷長の人形が有った。ガイドさんの話によると、渋滞するのでガイドさんは途中では説明できないそうで、部屋の中の色々は中庭に出てからしか説明できないのだそうだけど、中庭に出てからだと説明を聞いても分からないと思う。ハーレムを出て宝物館的な部分に行く。ここには僕の大好きな宝石がたくさん有る。まずは86カラットのダイヤモンド。最初は撮影禁止なのかと思っていたんだけれども、外人さん達はみんな写している。だったら僕も大丈夫そう思って撮影することにした。このダイヤモンドはイスタンブールの海岸で漁師さんが見つけたんだそうだ。ところが漁師さんはその価値が分からず、宝石店の店主にだまされて3本のスプーンと交換した。(店主もそれが本物のダイヤとは知らなかったのでだましたのではないとも言われている)なので、このダイヤは「スプーンダイヤモンド」と呼ばれている。いくらくらいの価値が有るんだろう?次に欲しかったのは巨大なエメラルドがはめられた宝刀。このエメラルドは世界一のエメラルドだそうだ。皇帝はエメラルドが好きだったようで、(ルビーなどもあるけれど)エメラルドが多い。この箱は何を入れていたのかは分からないけれど、大きくて美しい。欲しい。宝石以外にも武器類が飾られていた。西洋は「剣」しかないけれど、トルコには日本と同様に「刀」がある。これもエフェスの「卍」と同様に何かトルコと日本の密接な関係を匂わせる。この手の「刀」は馬に乗った場合に威力を発揮するので、日本の刀は、日本に馬が入って来た時に一緒に伝わって、日本独自に発展したのかもしれない。ふとそう思った。騎馬民族と言えば、何故かトルコの衣装はモンゴルの衣装に似ている。宝物館の次は衣装館が有った。トルコ人は黄色人種じゃないんだけれども、日本人や中国・モンゴル人と共通点が多いなぁ。衣装館を出ると中庭。左手に厨房棟が見える、煙突がすごい。ここの棟の裏側に回ると厨房の様子が分かる人形が有る。あまり衛生的ではない。その傍に面白い物が有った。宮殿の柱頭かなぁ?ちょっとギリシャの柱頭に似ている。そして、何回も日本とトルコには共通の文化が有ると主張したが、中庭に決定的な壺が有る。日本の縄文時代から弥生時代の壺そっくりだと思う。絶対に古代日本と古代トルコには交流が有ったのだと思う。遠いし海を越えないといけないので、大規模な交流は無かったと思うけれど共通点が多い。そう言えば、日本の正倉院の宝物には西アジアのガラスの器などこの辺の物が結構あったなぁ。この茶碗は(トルコから日本に来るまでかかる時間を考えると)古墳時代の物だと思う。古代の日本とトルコには絶対に何かあると思う。明日はいよいよアヤソフィア。
July 8, 2025
コメント(0)

クシャダスには朝食時に着いた。そう言う意味ではギリシャをクルーズ船で廻るのは効率は良い。寝ている間に移動できる。クシャダスからバスでエフェソスに向かう。いや、今はエフェスと言うのか。どちらでも間違いではないが、現代トルコではエフェスと言う。ここはガイドさんにくっついて行ったのでいまいち方角や距離が把握できていないが、googleEarthで地図をつくると分かりやすい。一番右端でバスを降りて、左に向かって歩き、左端の駐車場で再度バスに乗る経路。最初は右端の公共浴場。左手にアゴラが有り、人々は議論や買い物をした後に御風呂に入ったのだろう。そのアゴラの前にはプリタネウムが有る。お役所である。その左手には政治のアゴラとブルテリオンが有る。ブルテリオンは野外劇場だと思っていたら、確かに野外劇場としても使われたらしいのだが、他に評議会の会場としても使われたらしい。アゴラとはギリシャ時代の「広場」であり、人々はここに集まって議論したり、商売をしたらしい。つまりここは日本で言えば「東京都千代田区」なんだと思う。ブルテリオンが国会で、その横にプリタネウムつまり霞ヶ関のお役所が有り、その前のアゴラが銀座である。分かりやすい。政治のアゴラをあとにして次に向かう。事前に知識が無かったので中途半端な写真になってしまったが、ドミティアヌス神殿である。ここには立派な噴水が有ったらしい。古代に噴水はどうやって水を噴き上げていたんだろう?中世のドイツやフランスではサイホンの原理によって高い所の水を噴水に導き、圧力差を利用して噴水にしていたらしいが、ここも同じなんだろうか?次はニケのレリーフ。そう、靴のナイキ(NIKE)はこの女神さまが由来である。ニケは勝利の女神である。すぐそばにはメミウスの碑もある。メミウスはポントゥスからエフェスを兌換したローマのスッラの孫である。その先に進んで振り返るとヘラクレスの門がある。この道をクレテス通りと言い、目的地のケルスス図書館まで続いている。クレテス通りは別名クレオパトラの道とも呼ばれて、大理石なので滑りやすい。少し進むとトラヤヌス帝の噴水が有る。もちろん現在は水は無い。その下にはハドリアヌス神殿が有る。時間が無いので写真を撮って前を通るだけ。ただ、ガイドさんが気を使って面白いものを見せてくれた。トルコにも卍模様が有るんだ!中国からトルコに伝わったのか、逆にトルコから中国に伝わったのか、それとも両方独自に発生したのか興味はつきない。そしてここだったのか、場所が思い出せないんだけれども、この街には公衆トイレが有ったらしい。衛生管理がしっかりしている。古代なのにたいしたもの。では水を流すのにはどうしたんだろうと思ったら、同じ場所ではないが、別の場所に答えが有った。これって石製の土管?あるいは水道管?ものすごくきれいにくり抜いている。日本でも金沢城なんかに石製の水道管が残っているけれども、江戸の町の場合は木製だったんだよな。ここの人達は経済力が有ったんだろうなと思った。傍にはテラスハウスがあったらしいんだけれども。時間がなくて見られなかった。そして次は一番見たかったケルスス図書館。宮殿じゃなくて図書館だからね。ガイドさんの説明によると熱による変質を防ぐ為に地下通路や書庫を工夫していたらしい。その右手は南門。ここで一応街は終わり、ここから港と大円形競技場まではアルカディアネ通りが延びている。最後はものすごく大きな円形競技場。ただ、工事中で中には入れなかった。トルコの遺跡はどこも工事中だな。こんな感じでエフェスの遺跡はちゃんと廻れて満足した。
July 6, 2025
コメント(0)

朝起きるとクルーズ船はサントリーニ島に着いていた。と言うか僕は寝坊助なので、普通の人は朝食時に島に着くところをみたかもしれない。サントリーニ島は「アトランティスの伝説」のある島である。アトランティス(古代ギリシア語: Ατλαντίς)は、古代ギリシアの哲学者プラトンの著書「ティマイオス」及び「クリティアス」の中で記述された伝説上の広大な大陸、及びそこに繁栄したとされる帝国である。プラトンの時代の9000年前に海中に没したと記述されている。著書の中では、ジブラルタル海峡のすぐ外側、大西洋に巨大なアトランティス島があった。資源の宝庫で、そこにある帝国は豊かであり、強い軍事力を持ち、大西洋を中心に地中海西部を含んだ広大な領土を支配していたと書かれている。16-17世紀の西洋世界では、南北アメリカ大陸というキリスト教の世界観に収まらない新天地の発見により、その先住民の起源と大陸が生まれた経緯を説明するためにさまざまな理論が考案され、アトランティスもその説明に用いられた。つまり当時発見されたアメリカこそ、伝説のアトランティスのことだとされていたのである。その候補と言えるインカやマヤ等の祖先のアンデス文明は紀元前7500年頃に始まったとされるが、彼等は現在「プーナ」と呼ばれているペルーの高原地方を根拠に遊牧民族として暮らしていたと思われており、プラトンの著書に描かれた世界とはかけ離れている。なので、プラトンの著書に描かれたように、ギリシャの勢力(伝説ではあるがゼウス達)が戦ったとすれば、ここサントリーニ島のように、比較的ギリシャに近く、大陸ではなく島ではあるが、火山島で歴史の中で火山の噴火により津波が発生したり、島ができたりした記録の有る、ここサントリーニ島が候補に挙がっているのである。プラトンの著書に描かれた伝説の元はエジプトの神官によりもたらされたようであるが、そのことを考えてもエジプトやギリシャに近いこの島が怪しいのである。(ちなみにモーゼの海を割って対岸に渡った伝説や、ノアの箱舟、そしてギルガメシュ伝説等 この辺は津波と思われる伝説が非常に多い。)サントリーニ島が火山島で、過去に噴火により島ができたりした様子は下の地図を見ると分かる。サントリーニ島は九州の阿蘇山や箱根山のようにカルデラなのである。火山湖とカルデラ湖はよく混同されるが、箱根山の芦ノ湖はカルデラ湖であって火山湖ではない。芦ノ湖は時々火口湖と紹介されることがある。火口湖はマグマの噴出した穴、つまり火口に水がたまって生じた湖をさす。カルデラは火山に生じた穴であるが、火山体が陥没、大爆発、侵食などで消失して生じた大型鍋状の凹地を指す。芦ノ湖は環状断層によって陥没したカルデラ内に、神山の蒸気爆発の山崩れ堆積物で生じた堰止め湖である。したがってカルデラ湖であって火口湖ではない。このサントリーニ島は同様に陥没したカルデラ内に海水が侵入して上のような形状になったもので、島全体がカルデラなのである。つまり逆に言えば、陥没したカルデラに海水が侵入する際の様子は、まさに伝説のアトランティスやノアの洪水のような様子だったと思われるのである。面白いのでWindowsのCopilotに絵を描かせてみた。最近のAI技術は本当にすごいと思う。また面白い。まぁ妄想(真実かも?)はそのくらいにして、クルーズ船は大きくて港には入れないので、テンダーボート(小型船)に乗り換えてサントリーニ島に上陸する。まずは港からバスでイアに行く。イアはサントリーニ島の北の方にある古い町。駐車場で降りてトイレに寄って「広場のある教会」まで歩く。そうそう、ギリシャで気を付けなければいけないのはトイレのこと。ヨーロッパのトイレはたいてい有料なのだが、トルコの場合はTL(トルコリラ)が安いので心配ないのだけれども、ギリシャはユーロである。と言うことは最低の1ユーロでも173円。トイレに行くだけで173円とられるのである。ユーロにも補助貨幣(ユーロの下の値段のお金)はあるのだが、観光客はまず持っていないので、地元の人もそれをいいことに何でも最低1ユーロなんである。仕方ない。で、広場のある教会の前で軽く説明を聞く。正式な名前は「パナギア教会」と言うらしいのだけれども、通称は広場のある教会。付近には大きな広場が他に無いので、だいたいここが集合場所になる。ここからイア一番の名所 に行く。イアと言う地名を知らなくても、この青いドームの教会は絵葉書等で知っていると思う。この付近は地中海でも最も美しい所である。青い海に白い建物が立ち並び、その中に青いドームが有って目立つ。確かに綺麗だと思う。青いドームの教会にも入って見たかったが、時間も無かったし観光客が多くて無理だった。また、もう少し先に行くと「イア要塞」があってその付近に風車が3つあるらしいのだが、そこまで行くと集合時間に遅れそうだったので諦めた。バスに戻って、次はフィラの街に行く。フィラは島の中心地ティアのそばで、一番古い町。ここもイア同様に綺麗な所。女性の方なら喜ぶだろうと思う。駐車場から最初に向かったのは、フィラの大聖堂。ギリシャ正教の寺院で真っ白。フィラの街も海の青を意識してか、あるいは暑い日差しを避ける為か建物はみんな真っ白。フィラの大聖堂の前からサントリーニ島全体を見渡せる。確かに島はカルデラだなぁと思った。丸く海を囲っている。そして中心にパレア・カメニ島が見える。九州の阿蘇山で言えば阿蘇中岳。フィラの街を歩いてみる。狭い街なのですぐにまわれるのだが道が狭く迷いやすい。歩いていると偶然島の中で一番高いセントジョン・バプテスト教会についた。日本人にとってはみんなキリスト教だけれども、キリスト教には沢山の宗派が有る。フィラで最初に見たギリシャ正教会の大聖堂と、バプテスト教会は考え方が全く違う。キリスト教はローマが東西に分かれた時に、同時に東方教会と西方教会に分かれたが、ギリシャ正教会は東方教会の一派。西方教会はカトリックとプロテスタントに分かれたが、バプテストはプロテスタントの一派。一番急進的なプロテスタントである。(もっと激しいプロテスタントの一派もあるけれど略)他の宗派と違い、赤ん坊の洗礼を否定する。赤ん坊はまだ自覚がなく信仰告白ができないから。またギリシャ正教会やカトリックのように「司祭」や「司教」等のような地位を認めない。神のもとで人間は皆平等だから「牧師」と呼んで、一般の人と同列である。なので、バプテスト教会はアメリカに信者が多い。自由と平等の国だから。カトリックやギリシャ正教会が「偉い人」の下に職階が有るのと大違いである。まぁ、元々がローマの国教だったのだから、位が発生する=王様に都合が良いのは仕方ない。フィラの街を見学したら港から船に乗ってクルーズ船に帰るのだが、ケーブルカーに乗る。いや別に階段を降りても良いのだが、険しくて700段も有るらしい。スキーで滑降する時もそうだけれども、下から見るとたいしたことが無くても上から見ると絶壁である。サントリーニ島はカルデラ(陥没した地形)なので絶壁が多い。クルーズ船に戻ると、船はミコノス島に向かって出港する。ミコノス島までは約6時間かかり、日没時に到着する。ミコノス島は日没時が一番きれいだからである。日が完全に落ちる前にカミトリの風車を目指す。途中にはリトルベニスが有る。リトルベニスは簡単に一言でいうと、海辺の飲み屋街である。もう上の写真のようなお店が延々と続き、その中を歩いて遠方に見える風車まで行く。遠方に見える風車がカミトリの風車。昼間に見るよりも絶対にこの時間に見た方が良い。昼間に見たら単なるみすぼらしいガタガタの風車。でもこの時間に見るとロマンチックな風車。お客さん達はみんな満足して写真を撮っている。多分、女性にはうけると思う。地元の小学生がアコーデオンを弾いていたので、おじーちゃんの僕はうれしくなってお小遣いをあげた。お母さんには内緒だよと日本語で言った。きっとお母さんに取られるんだろうなぁ。帰り道で旅行ガイドブックに無い遺跡を見つけた。(しっかりとしたガイドブックには有る?)前に有るのはミコノス教会で、この遺跡は古い教会の一部なのかもしれない。教会の上にお月様が見えて神秘的だった。また、ここからリトルベニスに向かう途中にはマント・マヴロジェナスの碑が有った。彼女(最初は男だと思っていた)はミコノス島のジャンヌダルクのような人だったらしい。1822年10月、オスマントルコ軍がミコノス島に上陸して攻撃した際、財力が有った(貴族の娘だったらしい)彼女が尽力してミコノスを救ったそう。なので、その前の広場はマント広場と言うそうだ。こうしてギリシャの島巡りクルーズは終了して、トルコに向かう。目的地はまたクシャダス。
July 5, 2025
コメント(0)

夕方にトルコのクシャダスを出港したクルーズ船は翌朝ギリシャのアテネに着く。この辺は合理的だなと思う。クルーズ船は食事がバイキング形式で食べ放題だし、劇場みたいなホールが有って夜は無料でお姉さん達のショーが見られる。ただ、飲み物なんかは有料で結構高い。注意が必要である。アテネ市街はバスでアクロポリスの丘まで行く。僕が今回のツアーを選んだのは、アクロポリスの丘に入場するからと言うのが大きい。ギリシャ旅行でもパルテノン神殿は眺めるだけと言うツアーが結構多いのである。中に入れないと何のために大金を払ってギリシャまで来たんだと言う感じになる。なので、ツアーを選ぶ際は「入場」と「下車」と「車窓」をきちんと調べた方が良い。バスはアクロポリスの前に「第一回オリンピック」の会場になったパナティナイコ競技場に行く。分かりやすいようにアテネの地図を載せる。オリンピック会場は近代的。けっこうカッコいい。でも中に入らないので、それ以上の感情は無い。ここを出ていよいよアクロポリスに向かう。アクロポリスは漠然と回ると何が何やら分からないで、重要な所を見られないので、あらかじめ調べた。アクロポリス周辺の地図。左側に「出口」と書いているが、入口はそのすぐ隣。ここから、アクロポリスの「丘」なので頂上のパルテノン神殿まで延々と上り坂である。途中にニケ(NIKE)の神殿が有る。本当は中に入りたかったけれども時間が無いので、下から眺めるだけ。ガイドさんの説明は無かったので、誰も気づいていないと思う。途中にはイロド・アティゴス音楽堂も有る。結構な坂だと思う。この辺からは遠くにフィロパポスの丘が見える。フィロパポスの丘から見るアクロポリスの丘とパルテノン神殿が一番きれいに見えるらしい。そして有名な入口、プロピュライアの門に着く。(プロピレアと言う人もいる。)左手にはアグリッパの記念碑が有り、その横は絵画館。ここは登りは良いのだけれども帰りは怖い。大理石なので階段が滑るのである。いよいよ頂上はパルテノン神殿だ!もう今回の旅行はこれが見たいがために大金を払って、疲れた身体に鞭打ってきたようなもの。できれば5時間くらいゆっくりと調査したいのだけれども、実際は30分が良い所。さっそく調査開始!パルテノン宮殿はその柱が特に有名である。日本の法隆寺の回廊の柱は「エンタシス」と言って、まっすぐではなく中央が少し膨らんだ形状になっている。これは人間は目の錯覚により、その方が真っすぐに(美しく)見えるからで、パルテノン宮殿の柱もエンタシスになっている。柱や梁には出っ張りと窪みが開いていて、ピタッとはまるようになっている。エジプトの建物の場合はここまではっきりとは穴や出っ張りがないが、多分ギリシャやトルコは地震が多いのでずれないように工夫したのだと思う。破風にはゼウスが寝転んでいる。その頭からアテネは生まれたので、アテネは賢く「知恵の女神」と呼ばれている。梁の部分は四角い「メトープ」と呼ばれる飾り形状になっていて、色々と彫刻されている。建築をやっている人は何時間見ても飽きないだろうなと思う。でもツアーなので時間がない。反対側に有るエレクティオンに行く。エレクティオンは少女の玄関で有名。6体の少女像からなる「カリアティッドの玄関柱」として有名である。拡大してみる。エレクティオンの柱飾りはパルテノン神殿と少し違っている。パルテノン神殿の柱頭はシンプルで何の飾りも無いが、エレクティオンの柱頭には渦巻の飾りがついている。これは時代と国により「ドーリア式」、「イオニア式」及び「コリント式」に分かれ、下の図のような特徴が有る。アルカンサス(アカンサス)とは葉薊(はあざみ)のことで、地中海沿岸に多い植物。まだ色々と見たかったのだけれども時間なので集合場所(パルテノン神殿の脇)に集まった。そこで面白い物を発見。多分ギリシャとオスマントルコが戦った時代の物だと思う。写真には「オスマントルコがアテネを攻めた時に使った」と書いているが逆かもしれない。ここはアテネの中で一番高い所のアクロポリスである。つまり攻防の一番大事な所。ここに置いた大砲ならばアテネのどこでも攻撃できると同時に守れる。なので、これはアテネのギリシャ軍の大砲で、ここからオスマントルコ軍を狙い撃ちし、その進入を防いだモノ化もしれない。こんなものがその辺に置いてあるのが面白い。この集合場所から下を見るとディオニュソス劇場が見えた。やっぱりアクロポリスの丘は高いや。集合場所からは来た道を帰る。そして昼食に向かう。行きのプロピラィアの門の説明でも書いたけれども、大理石の階段は滑る。ブーレの門の辺りは結構危ないなと感じた。結構、急だもんな。アクロポリスの丘の出口から昼食会場への途中で色々と見られた。ガイドさんが気を使ってくれたのか、偶然なのかは分からないが、見たいなと思っていたのが見られた。古代のアゴラやヘーパイストス神殿である。アゴラとはトルコのヒエラポリスにもあったけれども、人の集まる「広場」である。ヒエラポリスの場合は市役所の前にあって政治的なアゴラと呼ばれていたが、人が集まるので商取引の場としても使われ、市場的な側面も有ったらしい。この風景はアクロポリスの出口から昼食会場までの道すがらに見えた。他にも途中にギリシャ正教会の建物とそれに伴う古代の遺跡が有った。そして重要なのはギリシャよりも後の時代のアゴラ、ローマンアゴラと風の塔が見えた。ガイドさんは説明してくれなかったので、ツアーのお客さんは気がつかなかったと思うけれども、見られて良かった。また、昼食後に腹ごなしにあちこち歩いたので、実は昼食会場はアクロポリスの丘の裏の出入り口の傍だと分かった。入場門にたどり着いたから。まだ早いと思ったけれども、船が出るので仕方ない。明日はサントリーニ島とミコノス島に行くのだけれども、船だと時間がかかるからなぁ。
July 4, 2025
コメント(0)

昨日のバス移動にはちょっと疲れたけれど、今日はパムッカレのヒエラポリスに向かう。ただ、このツアーの中で今日だけはちょっと不満だった。だって重要な遺跡は全く入れず、遠くから眺めるだけなんだもの。パムッカレは石灰岩の台地に築かれた古代の温泉保養地で、伝説ではクレオパトラも来たらしい。実際は無理だと思うけれど。そして観光的には有名な「石灰棚」が有る。日本の山口県の秋芳洞のような石灰岩の洞窟の中にできる水をたたえた積み重なった棚上の地形。ただ、見る場所を間違えると「期待はずれ」になるので見学ルートには注意が必要。念の為にルート(簡易な地図)を載せる。緑色が見学したルート。石灰棚には奥まで行ったのだけれども、肝心のクレオパトラのプールや円形競技場には行かなかった。何のためにトルコまで来たんだと思ったけれど、まぁ30人も客がいれば無理なのかなぁとも思う。駐車場でバスを降りると真ん前の山が面白かった。山の上に削り取って使おうとしている石がゴロゴロ転がっている。古代から今まで、あちこちに石を供給する石切り場だったのではないだろうか?石灰岩は変性して大理石になる。ギリシャもトルコもローマもエジプトも、古代の文明は全て大理石からできているから、こういう石の産地は貴重だったんだろうなと思う。ここを左手に行くと南門が有る。うーん、アーチのマネをしているけれどアーチには荷重がかかっていないし、何よりも門自体は四角でアーチじゃない。変なの。南門を入ると左手に古代の体育館跡が有る。うーん、何も残っておらず柱だけなんだけれども、体育館跡と言うからには何か見つかったんだろう。古代だから武器類なのかな?ずーっと進んで行くと考古学博物館が有る。ものすごく入りたかったんだけれども、素通りした。まぁ30人もいれば博物館に入れば(説明なんかも必要だし)時間が足らないから仕方ない。この先を右に行くと「クレオパトラのプール」が有り、その先にはアポロンの神殿と有名な円形劇場が有る。クレオパトラのプールは現在工事中で入れないので、これは仕方ない。ネットからお借りして写真だけでも載せる。温度は35度とぬるめだが、料金を払えば中に入って泳げるらしい。温泉プールの中に古代遺跡が有るのは世界でもここだけなんじゃないかと思う。まぁ今は工事中なので無理なんだけれど。円形劇場もせっかくだからネットからお借りして写真だけでも載せる。絶対に見たいよなと思う。でも写真でも分かるように遠い。中央上の茶色の建物が考古学博物館。まぁ見学時間を含めて往復1時間はかかるので、ツアーでは無理なのかもしれない。残念。仕方ないので石灰棚に向かう。売店の横辺りから石灰棚に入って行くんだけれども、実は石灰棚に流れている温水は人工的に制御している。なので、よく「パムッカレにはがっかりした」と言う話があるのは、温水が少ない時に来たからじゃないかと思う。確かにこの温水を流していない時には空になっているかも。そしてこの温水の流れる水路は「足湯」として使われている。ただ、ガイドさんが注意して教えてくれたのだけれども、座る際には注意が必要。水の中に「こけ?」が生えていて滑る。なので、足を先に着けて腰を下ろそうとすると転ぶ。腰を下ろして座ってから足を降ろす方が安全である。僕はまだまだ元気なので石灰棚の最奥まで行った。横を見ると石灰棚がきれいな「だんだん」になっているのが分かる。そして最奥に行くお客さんは少ないのだけれども、ここでたむろしていたら、綺麗なお姉さんが写真を撮ってくれと声をかけて来た。もうおじーちゃん大喜び。で、おじーちゃんは彼女にお嬢さんも撮ってもいいですかと聞いたら快くOKをくれた。お姉さんは日本人ではなく、多分中国のお嬢さんだと思う。下の方の風景も含めて綺麗だなと思った。ところがこれが良くなかった。神様と言うか、日本で留守番をしてくれている奥さんが怒ったみたい。奥さんは心臓が悪いので飛行機に乗れないから、日本でお留守番をしているのだが、恐ろしいもので、僕がトルコでお姉さんに声をかけたのが聞こえたらしい。バチが当たって、帰り道で転んだ。幸いにしてガケの方ではなく水たまりの方に転んだので、下まで落ちて人生の終わりと言うことにはならなかったが、あちこちすりむいて、ズボンはびしょぬれになってしまった。仕方ないので添乗員の方に傷テープをもらって応急処置をした。でも、それでもめげないのが僕の良い所。そのまま続けて観光した。石灰棚を見る所の左手にヒエラポリス城壁と言うのが有る。ここを先に進んだところがヒエラポリスの石灰棚の一番のビューポイントである。水が青くてきれいだし、眺めが良い。でもお姉さんにはかなわないかな?「パムッカレに来てがっかりした」と言う人はここには来ていないんだと思う。ここは本当に綺麗な所。僕はここから集合場所には素直には戻らずにちょっと寄り道した。(怪我しているのに)フリュギア遺跡である。フリュギア人は謎の人達で、歴史の中に埋もれた人達である。でも、ギリシャ神話(ホメーロス神話)等に出てくるので居たのは確実である。特に有名なのは「ミダス王」。童話「王様の耳はロバの耳」で、耳がロバになってしまった王様としてものすごく有名。あるいは触る物が全て金になってしまうことでも有名かもしれない。まぁそんな感じなので、見に来た。集合したら、来た道をそのまま帰るんだけれども、なんか恨めしかった。せっかくトルコに来たのに。今日は事前の研究ができていなかったので諦めたけれども、明日からの行程では、すきを見て抜け出して行きたい所には行くぞと心に誓った。で、帰り道に行けなかった場所を写真に撮りながら帰った。やっぱり遠いなぁ。時間的に無理なのかなぁ。パムッカレを後にしてバスはクシャダスに向かった。クシャダスからはエーゲ海クルーズである。クシャダス港。クルーズ船は豪華である。8階建て。ちょっとしたビルよりも大きい。さぁギリシャに向けて出発だ。
July 3, 2025
コメント(0)

うーん「大周遊」なのは間違いないけれど、周遊じゃなくていいから飛行機で移動したかったかなと言うのが今日。カッパドキアから次の目的地のパムッカレまで移動するのだけれども、バスなので延々と6時間もバスに乗る。およそ620kmなので、おおよそ東京-神戸間(640km)位の距離である。時速100kmで走っても6時間半。途中休憩を30分X4回取ると8時間半。でも理性の僕は「仕方ない」と分かっている。(わがままな僕は納得していないけれど)移動そのものは飛行機で可能だけれども、見学にはバスが必要なのである。ホテルから飛行場にもバスが必要。東京や大阪のような都市ならば地下鉄も使えるけれど、カッパドキアやパムッカレにはそんなものは無い。だからツアーではバスしか無いのである。なので我慢してバスに乗り、2時間おきのトイレ休憩には必ずトイレに行った。途中、昼食とトルコの伝統工芸「じゅうたん工場」に寄った。近代的。近くにはセラミック工場=陶芸工場も有った。入口を入ると最初は「じゅうたんの織り方」の説明が有った。おぉー!でっかい織機。うーん、糸は白いじゃん。うん?上の方に色の付いた毛糸?絨毯の織り方には色々と有って、有名なのは「ペルシャ織」とここトルコの「トルコ織」。その違いを説明してくれたのだけれども、僕は耳が聞こえないので分からず、日本に帰ってから調べてみた。上の方が「トルコ織」で、下の方が「ペルシャ織」である。「WARP」は縦糸のこと。「WOOL PILE」は毛糸、「THICK WEFT]は厚い横糸である。両方とも縦糸は白い細い糸なんだけれども、横糸つまりじゅうたんのメインの織り方が違う。トルコ織が1段なのに対してペルシャ織は2段。どちらが良いと言うのは好みの問題なので何とも言えないが、確かに違う。その織り方について、お姉さんが小さな織機で実演して見せてくれた。ちゃんと設計図?を見ながら、横糸の数を数えている。こうして色々な色の糸を編み込んで絵柄を作っていくのだな。そしてまた面白い物を見つけた。なんとこれは専用のはさみである。表面を平にする為に、はみ出た糸を切る特殊なはさみのようだ。面白い。ここでの説明が終わると次は蚕の繭から絹糸を作る機械を見せてくれた。普通の人は気がつかないと思うのだけれども、お湯で緩めた繭からどうやって糸を作るか?それがノウハウである。そもそも繭から糸を取り出すのにはどうするか?実は右側の刷毛が重要なノウハウである。お湯につかってゆるんだ繭をこの刷毛でつっつく。すると刷毛の先端に繭の細い糸が絡んで、糸の端緒ができる。それを上の横棒に絡めると扇状に糸が集まる。その集まった糸が撚って1本の糸になるのである。1本の糸は十数本の繭から出た細い糸からできるので、強くて細い糸ができるのである。最初にこれを思いついた人はすごいと思う。繭が細い糸からできているのは誰でも分かる。でもそれをどうやって集めて1本の糸にするか。捩って集めて強い糸にするか。簡単に思いつくものではない。バスの時間は眠かったけれども、このノウハウを見て目が覚めたな。壁にはお蚕様とその繭の写真が有った。うーん。日本のお蚕様と同じだ。実は僕は小学校の時に学校でお蚕様を飼って、繭まで育てたことが有る。授業の一環なので、もちろん一人ではなくクラス全員で育てたのだが、お蚕様が大きくなって繭を造り始めた時には感動したのを覚えている。今の学校ではウサギやチョウや朝顔を育てる学校が減ったらしいけれど、そう言うのが大事なんじゃないかなと思う。その後にじゅうたんの即売会が有った。僕は買う予定が全くないので、無駄な時間と思ったらそうではなかった。社長が説明してくれたのだが、良いじゅうたんは機械織のじゅうたんとは違い、見る角度によって色が変わるらしい。本当かよと思ったら本当だった。写真では色と言うよりも「濃さ」が違うように見えるが、現地で見ると色が変わって見える。多分補色のせいだと思う。(違っていたらごめんなさい)光りの三原色を見た場合、補色と言うのは色相環においてお互いに対極にある色である。赤の補色は緑、青の補色は橙になる。補色同士を混ぜると灰色になる。赤い色を見つめた後に、急に白い紙を見ると補色の青緑が見える。(心理的補色で写真には撮れない)でもよく考えると写真に撮れている。と言うことは補色ではない。なので、これは毛先の方向によるものだと思う。つまり毛先に直角な方向から見る場合と、毛先に沿った方向から見る場合で違う色に見えるのだと思う。WindowsのCopilotに図解を描かせてみた。AI技術ってすごいなぁ。僕のなんとなくそうじゃないかな?がちゃんと絵になる。もうあと少ししたら人間を追い越すかも?なんかじゅうたんの販売そのものはどうでも良かったが、そんな原理を考えると面白かった。そんなこんなで飽きずにバス旅ができたので良かったのかな?
July 2, 2025
コメント(2)

13時間半かかってようやくイスタンブールの空港に着いたら、ターキッシュエアラインズのトルコ国内線に乗ってカイセル空港行の飛行機に乗り換える。1時間半かかる。つまり乗り換えの時間を加えると現地に着くまで17時間近くかかる。日本からの時差-6時間を加えるとホテルに着くのは翌日の夜。大変である。ホテルはなんと洞窟ホテル。流石に純粋に自然の洞窟ではなく、人工的な手が加わっているが、基本は穴。でも穴なので外界の温度の影響が少なく比較的過ごしやすい。何よりも(夜に着いたせいも有るが)ホビットの家みたいに横穴に部屋があるので、おとぎ話の世界みたい。女性ならば喜ぶと思う。こんな感じ。でも今は7月1日だから良いのであって、8月になったら暑くて違うんだろうなぁ。まぁでもエアコン完備なので心配はない。ちゃんとメンテナンスしていれば。海外ではここが心配な所である。海外のホテルは排水や温水そして電気系統の不備はざらにある。ここもテレビが映らなかった。いやテレビはどっちみち日本語じゃないから良いだろうと言う人もいるけれど、僕は現代っ子のおじいちゃんなのでテレビが点いていないと寂しい。僕は電気屋さんなので自分で調べてみた。壁のテレビの出力端子に何もつながってないじゃん!そう、テレビは新しいカッコいいのが有って電源は入るのだが、同軸ケーブルが無い!旅先で無く日本ならばヤマダ電機に行って同軸ケーブルを買ってきてつなげば解決するのだけれど、ここはトルコ。しかも日本で言えば北海道の山の中。あきらめるしかない。でも部屋自体は良かった。と言うかもうホテルと言うよりはマンション。玄関ホールだけでも4.5畳くらいはありそう。ちなみに左側の浴室の扉からバスタブが見えているが、シャワールームとバスタブが独立してあるので10畳くらいの大きな浴室。寝室は12畳くらいある。でも写真で見えている寝室の鏡の横の電気は壊れていた。多分、文化の違いなんだと思う。外国人は見た目重視で機能は二の次なので、綺麗な部屋であればテレビや照明はどうでも良いのだと思う。ちなみにコンセントはCタイプ220Vなんだけれども注意が必要である。コンセントが奥に深い(引っ込んでいる)ので、百均の万能タイプのアダプターは使えない。注意が必要である。朝は清々しくて良い。昨日は夜に着いたのであらためてホテルの外観を見るとこんな感じ。女性の観光客は喜ぶと思う。僕は別の面で喜んだ。廊下に面白い物が飾ってあった。え?弥生式土器?いやもちろん違うのだけれども、ルーツは同じなのかも?弥生式土器は日本で独自に発生したのではなく、中国から韓国経由で渡って来たのだと思う。そしてそれはシルクロードがどのくらい昔から有るのかは分からないが、トルコにも渡って行ったのではないだろうか?伝搬する過程で少しは変化したかもしれないけれど基本は同じ。だからトルコにも弥生式土器とよく似た土器が有る?そう思った。さぁいよいよトルコの国を探検だ。行くぞ!カッパドキア。最初はギョレメ野外博物館に行った。文字通り「野外博物館」で、ギョレメの山の中に造られた洞窟教会を見るところ。いきなりこの穴だらけの岩山を見てびっくりする。トルコ語で「ギョレメ」とは「見てはいけない物」の意味で、ここはイスラム教徒の迫害から逃れる為にやってきたキリスト教徒が造った横穴式住居が有る。教会も岩穴の中に有り、上の写真はその教会である。ただ、ここは岩がもろくて壊れやすく危険なので、今は中に入れず外部から眺めるだけ。右手に広場が有り、現地ガイドさんがそこにある「教会の中に有る壁画」の説明板を見ながら、ここのキリスト教の歴史を説明してくれた。キリストの生誕の予言から、磔での死、そして復活までを15枚の壁画に書いてあるらしい。洞窟内は写真撮影OKの所と禁止のところがあり、全部は撮影できなかったので、また、中には入れなかった場所も有ったので、ネットからお借りして写真を載せるとこんな感じ。ここはカランルク・キリセと言う「暗闇の境界」で有名な場所らしい。でも僕らのツアーではここは通らなかったような気がする。せっかくだから、僕らの通らなかった他の教会の壁画もネットからお借りして集めてみた。トカル・キリセ(ブローチの教会)綺麗なのは洞窟の中で、温度環境が良く、光が入らなかったせいらしい。エルマル・キリセ(林檎の教会)ここは中に入った。面白いのは奥の壁画。そう、僕が面白いと思ったのは奥の「にわとり」の絵。えー?何でにわとり?どうもトルコは(キリストには関係なく)ニワトリがもてはやされているようで、例えば後日行く予定のデニズリの街のシンボルはニワトリ。そして冒頭でも書いたけれども、このニワトリは日本との共通点でもある。そう古事記の神話の中に出てくる「長鳴鳥」はトルコの「デニズリ鳥」だと言う説があるらしい。本当かな?ここは眺めも良い。270度/360度をパノラマにしてみた。上の写真のままだと小さくて分かりづらいが、写真を右クリックして出てくるメニューから「新しいタブで画像を開く」を選択すると、別タブで大きな写真が見れるし、拡大できる。まぁそれはそれとして、ギョレメはこのくらいにして、次は有名なパシャバーに行った。ここはカッパドキアの成り立ちが分かる有名な場所。上の写真のように拡大すると層順(地層の重なり)がはっきりと分かる。これらの奇妙な岩は、「妖精の煙突」とか「きのこ岩」と呼ばれているが、ここが火山国で有ると言うことと、風雨が激しいことにより、もろくて弱い火山灰からできた凝灰岩の地層が削られ、溶岩からできた固い玄武岩が残ったせいでできた地形である。(帽子部分が玄武岩)WindowsのCopilotに「カッパドキアの成因」を絵にするようにと命令したらこんな図ができた。いや本当にAI技術は進歩したと思う。こんな絵をパソコンが自分で描くなんてすごい。まぁそれはそれとして、昼食後にはまたバスで「らくだ岩」に行った。見苦しいおじいさんですみません。ちなみに首に下げているのは補聴器と言うか集音器。これが無いと僕は何もできません。次は三姉妹の岩。写真に書き込んだように王女と羊飼いと2人の子だと言う伝説が有るようですが、見た目から「三姉妹の岩」と呼ばれているようです。次はウチヒザール城。ここも岩山に開けられた洞窟を使った住居や教会が有るのですが、「ウチヒザール」とはトルコ語で「尖った岩」のことだそうですが、高い場所なので、ここからカッパドキア全体を俯瞰できる名所だそうです。かってはその高さと位置からカッパドキアの要塞の一つとして使われたそうですが、今はホテルや住宅になっています。時間が無くて上には登らず、麓しか行きませんでしたが、代わりに住居の中に入りました。住居は岩をくり抜いて作られているので、天井は低く、床は岩が丸出しでは使いにくいのでじゅうたんが敷き詰められています。しかも洞窟内は温度変化が少ないとは言っても冬場は寒いようで煙突が有ります。奥さんはじゅうたん織の名手だそうです。ここで面白い物を見つけました。チャイダンルックです。トルコの紅茶である「チャイ」(インドでもチャイと言いますが)をいれるやかんです。2段になっていて、下に水上に茶葉をいれて、茶葉を蒸していれます。日本でも売っていますが、珍しい。こうしてカッパドキアの名所を巡って2日目は終わりました。明日は移動日。パムッカレまで延々とバスに乗る予定。
July 1, 2025
コメント(0)
全10件 (10件中 1-10件目)
1