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文芸批評家の 加藤典洋さん
が亡くなりました。訃報を作家の 高橋源一郎さん
のツイッターで知ったぼくが 「 加藤典洋
が死んじゃったよ。」
と口にすると、同居人の チッチキ夫人
が 「これ、ほら。」
と言って数冊の 「図書」
の 「大きな文字で書くこと」
というコラムのページを開いて渡してくれました。
2019年2月号
から 「私のこと」
と題して子供の頃の思い出が書きはじめられている記事を 4月号
まで読んで、涙が止まらなくなりました。
周囲の人やブログを読んでくれている人に、どうしても読んでほしい。そう思う気持ちが抑えられないので、ここに引用します。
「私のこと その3 勇気について」 ぼくにとっての 加藤典洋 という人は、その著書と出会っただけの人であって、本人を知っているわけではありません。
新庄でしばらくすると、引っ込み思案同士の友達ができたが、やがてもう一人を加えたやはり転校組の三人が、二、三人の手下を従えたいじめっ子に、執拗にいじめられることになった。
イジメは一年半から二年くらい続いただろうか。
ある時、私が建物の裏で、そのいじめっ子になぶられているのを見た兄が、家で、そのことを話した。しかし私は、そのことを何でもないことだといって否定した。
私はこのときのことがあり、長い間、自分には勇気がないのだと考えてきた。今もそう思っている。
ここで相手を殴り返そうと、思う。夢にまで見る。しかしそれができないまま、ある日、雨が降っているとき、それは私たち転校組が、また、転校していなくなる少し前のことだったが、私より少しだけ早く、同じいじめられっ子仲間のO君がかさを投げ出しかと思うと、グイっと、いじめっ子の襟首をつかみ、相手をなぎ倒した。
それで、イジメは終わった。
この同じ新庄という場所で、もうだいぶ経ってから、一九九三年、転校してきた子が、集団でイジメに遭い、死亡するという「山形マット死」事件が起きた。いじめっ子らは、罪を認めたが、その後、七人中六人までが申し合わせたように供述を翻し、彼らの家族もこれを後押しし、人権派弁護士たちが自白偏重を批判するなどして、介入した。そのため、この新庄氏のイジメ致死事件は、死亡した子の両親を原告に、刑事裁判に続き、民事裁判を争われることになった。二〇〇五年、最高裁で元生徒七人全員の関与が認められたが、今も全員の損害賠償金の支払いは、なされていない。
事件の翌年、私は、山形県教育センターの雑誌「山型教育」に寄稿を頼まれた際、この事件が、似た経験をしたものとしてかなり悪質な出来事であると思えると書いたが、この原稿は、裁判係争中を理由に、掲載されなかった。勤務していた大学に雑誌の関係者が二人菓子折りをもってやってきて、この原稿を取り下げてもらいたいと言ってきた。没にするなら、自分で没にされたという事実とともに別の媒体に発表すると、返答し、私はそうした。
自分には勇気がないと、私は心から思っている。勇気のある人間になりたい。それが今も変わらぬ私の願いなのだ。 (「図書」岩波書店2019年4月号所収)
「晩年のスタイルは、いま自分のありかを発見したところである。えもいわれぬ肯定感はそこからくる。」 と言い切って称えているのを読んで、
さすが加藤典洋! と納得したりしていたのです。しかし、その言葉が、今となっては、 大江健三郎 の作品に対する、彼の最後のことばになってしまったのだと思うと、何の関係もないのですが、なんだか感無量になってしまうのです。
「今日」 のこの出来事に、 彼 がなんと言っているのか? さがしても見つけることは、もう、できないのです。

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