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塚本晋也監督の映画「野火」
を見て、いろいろ心騒ぐ印象を受けました。映画を見終えて、大阪の九条の商店街を歩きながら、まず
「原作、大岡昇平さんの『野火』と違うな」 と思いました。
「田村一等兵は人肉を食ったのかどうか?」 ということでした。彼の左手が、右手がすることを制止したのかしなかったのか、それが記憶の山場でした。ところが小説を読みなおしながら、もう一つ思い浮かんできました。
「 え?池部良をご存知ない?」 うーん、簡単にいえば 「昭和」 の 二枚目 。 今井正監督 の 「青い山脈」 で 原節子 の相手役。 「昭和残侠伝シリーズ」 では 高倉健のダチ で、必ず死ぬ人。 晩年 は エッセイスト 。
「本物のヤクザ」 に一番近い 「目」 をしているというのがあっって、エラク納得したことがある人。でも、これも、かなり遠い記憶。
僕が、北支那・保定予備役士官学校を卒業し、初めて士官として勤務に就いた隊の名称は、第三十二師団衛生隊・輜重(輸送)第二中隊。北支・山東省嶧県が隊の所在地。昭和 19 年・冬のこと。気温・零下五度。 これが書き出しです。彼は 1918 年生まれ だそうですから、 26 歳 で中隊の見習士官として入隊したわけです。中隊に赴任して、中隊長からこんな話があります。
なんかとんでもない話ですが、ともかくも、こうやって始まった 北支での衛生隊勤務 は、ベテラン下士官にいじめられ、30歳を過ぎた初年兵に気を使い、酷寒の地の冬を、ただ、ただ忍耐で過ごします。「僕も君も、大学を出た幹部候補生上がりです。山下准尉とか、ほかの下士官の人たちからみると、大学での将校って、不愉快なんじゃないでしょうか。彼らは長い間、軍隊にいて、たたき上げてきたベテランなのに、たった二年在隊したぐらいで、将校になって。そんな奴に命令されるのが嫌なんでしょうな。
その気持ち、わかりますけどね。制度なんだから仕方がないでしょう。きみはどうかしりませんが、ぼくはすきこのんでぐんたいにはいったんじゃありません。」
僕だって、首根っこ、押さえられて、いやいやで軍隊に入れられたんです、と抗議しようとしたら、「でも、事情はともあれ、将校になってしまったんですから、なんとか職責を果たさなければ、まずいでしょう。軍人としても社会人としても責任を感じないわけにはいきません。ということですけど、 池部君、君に中隊を任せます 」と言われた。
「二中隊、池部少尉です」と床の奥に声をかけたら、一〇燭の裸電球に、黄色く浮き出た顔が「俺、本部の主計中尉だ。上がれや」と言う。這い上がって彼の横に寝た。座っても頭が天井に支えるから、寝そべる以外に手がない。「ここにな。三〇万の包みがある。何かあって、お前、拾ったら、お前にやるよ。陸軍のものだといったって証拠がにゃあもんな。」と主計中尉はいった。
そのときだった。激烈な爆発音。弾かれるほどの震動。耳の穴に鉄棒を叩きこまれ、額を天井の鉄板にたたきつけられて、気を失った。
輸送船は魚雷命中で、沈没。370ページの本編の220ページまで読み進んできて、初めて池辺地少尉が敵と遭遇した場面にたどり着きました。
ハルマヘラ島
にたどり着き、今度は米軍の空襲にさらされ、食料を失い、武器は役に立たず、マラリヤにうなされ、餓死の一歩手前で敗戦の詔勅を聞きます。
池部良 の従軍回想記は最後に、次の一行を記して、ここで終ります。某日、砲兵隊から下士官が兵を三名連れてやって来た。久しぶりの他隊の兵だ。
「明日、十時、池部中尉殿は、砲兵隊本部に出頭して戴きたくあります」 という。
「出頭?何の用だ?」
「はい、実は、畏くも天皇陛下の詔勅が下りまして、戦争が終わった、とのことです。その伝達だと思います。」 と言って戻って行った。驚天動地。目に映るものが、みんな乳白色になって困った。もし、本当に戦争が終えられたとしたら、もう、死をも、部下の命をも考えなくても済むと思ったら、胸のつかえが消えた、と同時に、乳白色の森や兵の姿に紅色が滲んで来るのを覚えた。
その次の瞬間、 こんな、南のジャングルにまで、俺は、何をしにやって来たんだ 、の思いが込み上げた。
復員船が来たのはそれから十か月後である。 大岡昇平 は 「俘虜記」 と題して、復員後すぐに戦場体験を書くことで、戦後文学のスターになりました。 池部良 は戦後の映画界で、 屈指の二枚目スター として、50年の歳月をすごしたのちに、 「愚かで無能な見習い将校姿」 を、 「戦場の自画像」 として描きました。
三十歳を過ぎた復員兵の演技 であったことは忘れられています。
「本当のことば」 を、なんとしても書き残したかったに違いない気迫が、ニヒルなユーモアの中に木霊している、希代の演技者の自画像であり、ここにも、戦争の、愚かな真実が、くっきりと書き残されているとぼくは思いました。乞うご一読。
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