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高橋源一郎
の 「日本文学盛衰史」(講談社文庫)
という作品を読んでいると、作中の 石川啄木
の短歌というのが出てきますが、実際の 啄木の短歌
ではありません。偽作ですね。小説の登場人物としての 石川啄木
の作品として作られた短歌なのですが、作中の作品を「偽作」したのが現代歌人の 穂村弘
だと、註に書かれているのですが、そうなると興味は移りますよね。
終バスに二人は眠る紫の〈降りますランプ〉にとりかこまれて 開巻、第1首がこの歌です。山田航の文章は、まず、この歌が相聞歌であることを指摘し、 〈降りますランプ〉 という造語に対する批評があって、歌を包む「色」についてこんな指摘が加えられています。
(歌集「シンジケート」)
「紫の」にはおそらくこの万葉集のイメージが書けてある。 なるほど、そういうイメージの広がりで読むのかと感心しながらページを繰ると、 穂村弘 自身の解説があります。
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る 額田王
この歌は 「降りますランプ」 っていう造語がポイントになっているんですが、 山田さん が書いていらっしゃる通り、本当は 「止まりますボタン」 ますボタンなんですよね、現実のバスでは。本来は不自然な造語なんです。引用が長くなりましたが(改行とゴチックは引用者によるものです)、作者自身の解説ですね。こういう調子で、 穂村弘 の、現在のところの代表歌でしょうね、50首の歌をめぐって二人のやりとりが交互に載せられています。
でも、歌を読む人には、これで瞬間的にわかる。あまり違和感を持たない。作者としては、 「止まりますボタン」 では字余りになるという音数の問題と、何よりも取り囲まれている光に注目したい、ということで 「降りますランプ」 という言葉を取り込んでいます。
あとから見直すと、この歌は MとRの音 の組み合わせが多くて、 「ムル」「ムラ」「リマ」「ラン」「マレ」 と五回出てくるとインターネットで指摘されました。
作ったときは作者も無意識なんですが、長く記憶に残る歌には、内容以上にそういう音の側面に理由がある場合が多い、と 高野公彦さん がよくおっしゃっています。たぶん読む人は、本当は 「止まります」 だよ、と意識しないように、 MとRの音 が多いな、なんて意識しないわけだけれど、意識下で、この響きを感じているらしい。
歌というのは、他の文芸ジャンルに比べて、この意識下で感じている領域に依存度が高いんですね。歌は調べ、っていうくらいですから。
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