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カズオ・イシグロ
です。いわずと知れた ノーベル文学賞作家
ですが、ぼくはこの人の、あまりよい読者とは言えません。我が家にはこの作家にはまっていた人がいたので、受賞以前の作品がそろっていることもあって、なんとなくそう思います。
受賞後の 「忘れられた巨人」(ハヤカワ文庫)
と、人造人間というテーマがセンセーショナルだった 「わたしを離さないで」(ハヤカワ文庫)
を読んだ記憶はありますが、後は憶えがありません。
今回、 青來有一
の 「爆心」(文春文庫)
という作品を読んで、 長崎の作家
つながりというか、 陣野俊史
という批評家が、その 「爆心」
の 文庫解説
だったか 『戦争へ、文学へ「その後」の戦争小説論』(集英社)
という評論集の中だったか、よく覚えていないのですが、 「ポスト原爆文学」
というくくりでこの作品をあげていたのに惹かれて読みました。まあ、大した意味はありません。
読んだのは 「遠い山なみの光」(ハヤカワ文庫)
という作品で、 小野寺健
という人の 訳
です。 2001年
に 初版
が出た本ですが、実は 「女たちの遠い夏」
という題で 1994年
に ちくま文庫
になっている作品の、 同じ訳者
による 改訳
だそうです。
題名が変えられた経緯が、ちょっと気になりますが、 カズオ・イシグロ
が ノーベル賞
を受賞したのは 2017年
ですから、受賞とは関係なさそうです。 出版社
が変わったこともあるのかもしれませんが、もともとの題名は 「A Pale View of Hills」
です。直訳すれば 「山々の淡い光景」
でしょうか。
読み終えてみると 「青白い」
と訳したい気もしますが、 小野寺さん
が最初の題から 「女たちの」
を削除されていることに、訳者自身の 「読み」の変化
を感じて納得しました。
ああ、それから、まあ、余計なことかもしれませんが、 ノーベル賞騒ぎ
の中で、彼を 日本文学
の作家として持ち上げる雰囲気があるように思いますが、 カズオ・イシグロ
が 英語圏の作家
だということは忘れない方がいいと思います。ぼくらのような読者には 翻訳
がないと読めない人なのです。
で、小説はこんなふうに書きだされています。
ニキ、さいごにきまった下の娘の名はべつに愛称ではない。これは、私と彼女の父親との妥協の産物だった。話は逆のようだが、日本名をつけたがったのは夫のほうで、わたしは過去を思い出したくないという身勝手な気持ちがあったのか、あくまでも英国名に固執したのである。夫はニキという名にどことなく東洋的なひびきがあると思って、さいごには賛成したのだった。(P7) 語り手は 悦子 という名の、おそらく中年の女性ですが、彼女が敗戦直後の 長崎 で成長し、少なくとも二度結婚し、それぞれの夫との間に一人づつの子どもを生み、この小説を語っている現在は イギリス に居住しています。
今ここであまり景子のことを書こうとは思わない。そんなことをしても何の慰めにもなりはしないから。彼女の話を持ち出したのは、ニキがこの四月に来た事情を明らかにするためと、彼女が滞在しているあいだに、これだけ年月がたった今になって、また佐知子のことを思い出したからである。私には、ついに佐知子がよくわからなかった。というより、わたしたちのつきあいは、もう遠い昔になったある夏の、せいぜい数週間のことにすぎなかったのだ。(P10) ここから、 二人の娘 がまだこの世にいない頃の遠い記憶として語られるのは、一度目の結婚をした当時の 悦子 が、 夫 と 長崎市 の東部の原爆のために焦土と化していた土地に建てられたコンクリート製のアパートで暮らしていたころ、近所の人として出会った 佐知子と万里子 という親子連れの話です。
佐知子が現われたときの騒ぎを考えると、この家をよく眺めていたのは、わたし一人ではなかったのだ。ある日この家で男が二人仕事をしているのが見えると、あれは市がよこした作業員ではないのかという噂がたって、わたしも何度か、その二人が水溜まりだらけの空地を歩いてゆく姿を見かけた。 荒れるままに放置されていた誰も住まない一軒家に 母と幼い娘の親子連れ が 越してきます。新婚で妊娠したばかりの主婦だった 悦子 の興味がその二人の様子に惹きつけられていきます。 時 は 1950年代 の後半、 季節 は 夏の始め で、 場所 は 長崎 の市街を外れた爆心地のあたりです。
そろそろ夏になる頃だった―そのころわたしは妊娠三ヵ月か四ヵ月だった―わたしはその白塗りで傷だらけの大きなアメリカ車が大きく揺れながら、川に向かって空地を走ってゆくのをはじめて見たのだった。もう日が暮れるころで、その家の向こうにしずみかけている夕日があたると、一瞬キラリと車体が光った。(P12)
記憶というのは、たしかに当てにならないものだ。思い出すときの事情しだいで、ひどく彩りが変わってしまうことはめずらしくなくて、わたしが語ってきた思い出の中にも、そういうところがあるにちがいない。たとえば、あの日心にうかんだやりきれないイメージが、果てしなくつづく空白な時間にわたしの心を去来していた無数の白日夢よりもはるかに鮮烈なまったく別のものになったのは、あの日の午後に虫が知らせたせいだと考えたくなる。 どう考えても、あれはそれほどのことではなかった。木からぶらさげられていた小さな女の子の悲劇、これはそれまでの連続幼児殺害事件以上に悲惨なもので、近所の人びともショックを忘れられずにいたのだから、あの夏、こういうイメージに悩まされたのはわたし一人のはずはなかった。(P221~P222) 日記の終盤です。 佐知子 と 万里子 のことを思い出していた記憶の中に 木からぶらさげられていた小さな女の子 のイメージが呼び起こされています。前後に、こういう出来事があったという記述はありません。ぼくが詠み損じているのでなければ、このイメージの記述は唐突です。
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