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死のなかに 黒田三郎 海軍大佐の息子として 1912年、大正8年 、広島の呉で生まれ、鹿児島で育ち、東京帝国大学を出たエリートが、赴任先の ジャワ で現地招集され入営、3年の従軍ののち敗戦。なんとか生き延びて帰国したものの、結核で倒れ、ようやく NHK で働き始めた 30代半ばの男 がいます。彼は 「荒地」 という名の詩人グループに参加し、詩を書きはじめています。 昭和20年代の半ば、1950年ころ の 東京 でのことです。まだ結婚もしていませんし、もちろん 「ユリ」 と名付けられることになる娘もいません。
死のなかにいると
僕等は数でしかなかった
臭いであり
場所ふさぎであった
死はどこにでもいた
死があちこちにいるなかで
僕等は水を飲み
カードをめくり
えりの汚れたシャツを着て
笑い声を立てたりしていた
死は異様なお客ではなく
仲のよい友人のように
無遠慮に食堂や寝室にやって来た
床には
ときに
食べ散らした魚の骨の散っていることがあった
月の夜に
あしびの花の匂いのすることもあった
戦争が終ったとき
パパイアの木の上には
白い小さい雲が浮いていた
戦いに負けた人間であるという点で
僕等はお互いを軽蔑しきっていた
それでも
戦いに負けた人間であるという点で
僕等はちょっぴりお互いを哀れんでいた
酔漢やペテン師
百姓や錠前屋
偽善者や銀行員
大食いや楽天家
いたわりあったり
いがみあったりして
僕等は故国へ送り返される運命をともにした
引揚船が着いたところで
僕等は
めいめいに切り放された運命を
帽子のようにかるがると振って別れた
あいつはペテン師
あいつは百姓
あいつは銀行員
一年はどのようにたったであろうか
そして
二年
ひとりは
昔の仲間を欺いて金を儲けたあげく
酔っぱらって
運河に落ちて
死んだ
ひとりは
乏しいサラリーで妻子を養いながら
五年前の他愛もない傷がもとで
死にかかっている
ひとりは
その
ひとりである僕は
東京の町に生きていて
電車のつり皮にぶら下っている
すべてのつり皮に
僕の知らない男や女がぶら下っている
僕のお袋である元大佐夫人は
故郷で
栄養失調で死にかかっていて
死をなだめすかすためには
僕の二九二〇円では
どうにも足りぬのである
死 死 死
死は金のかかる出来事である
僕の知らない男や女がつり皮にぶら下っているなかで
僕もつり皮にぶら下り
魚の骨の散っている床や
あしびの花の匂いのする夜を思い出すのである
そして
さらに不機嫌になってつり皮にぶら下っているのを
だれも知りはしないのである
紙風船 黒田三郎
落ちてきたら
今度は
もっと高く
もっともっと高く
何度でも打ち上げよう
美しい
願いごとのように
ボクは、この詩の 「美しい願いごと」
の向うに、 「死のなかに」
の詩人が、電車のつり革につかまりながら立っていることを思い浮かべるのですが、教科書で出逢って、詩を口ずさむことを覚えた子供たちにそのことを伝えるのは余計なことなのでしょうか。
追記2023・10・01
ボクが 黒田三郎
の 「死のなかに」
という詩に出あったのは 国文社
の 「荒地詩集1951」
です。今回、 詩の森文庫
の 「戦後代表詩選」
をパラパラ読んでいて、なんか変だと感じて、出あった方の本を引っ張り出してきてわかりました。ちょっと写してみますね。
旧仮名遣い で、 旧漢字 が使われているのですが、そのことよりも、全体が 散文詩風に書き連ねられていて 、分かち書きされていません。多分、この表記の仕方で、印象が変わったのでしょうね。何がどうっだといわれてもわかりませんが、ボクはこの詩を、とても散文的な印象で記憶(してませんけど)していたんでしょうね。 死のなかに 黒田三郎
死のなかにゐると僕等は数でしかなかった 臭ひであり場所ふさぎであった 死はどこにでもゐた 死があちこちにゐる中で 僕等は水を飲み カアドをめくり 襟の汚れたシャツを着て 笑ひ声を立てたりしてゐた 死は異様なお客ではなく 仲のよい友人のやうに 無遠慮に食堂や寝室にやって来た 床には 時に 喰べ散らした魚の骨の散れてゐることがあった 月の夜に 馬酔木の花の匂ひのすることもあった
戦争が終ったとき パパイアの木の上には 白い小さい雲が浮いてゐた 戦ひに負けた人間であるという點で 僕等はお互ひを軽蔑し切ってゐた それでも 戦ひに負けた人間であるという點で 僕等はちよつぴりお互ひを哀れんでゐた 醉漢やペテン師 百姓や錠前屋 偽善者や銀行員 大喰ひや楽天家 いたわり 合つたり いがみ合つたりして 僕等は故國へ送り返へされる運命をともにした 引揚船が着いた所で 僕等は めいめいに切り放された運命を 帽子のやうにかるがると振って別れた あいつはペテン師 あいつは百姓 あいつは銀行員
一年はどのように經つたであろうか そして 二年 ひとりは 昔の仲間を欺いて金を儲けたあげく 醉つぱらつて運河に落ちて死んだ ひとりは 乏しいサラリイで妻子を養ひながら 五年前の他愛もない傷がもとで 死にかかってゐる ひとりは・・・・・
その ひとりである僕は 東京の町に生きてゐて 電車の吊皮にぶら下つてゐる すべての吊皮に 僕の知らない男や女がぶら下つてゐる 僕のお袋である元大佐夫人は 故郷で 栄養失調で死にかかってゐて 死をなだめすかすためには 僕の二九二〇圓では どうにも足りぬのである
死 死 死
死は金のかかる出来事である 僕の知らない男や女が吊皮にぶら下つてゐる中で 僕も吊皮にぶら下り 魚の骨の散れてゐる床や 馬酔木の花の匂ひのする夜を思ひ出すのである そして 更に不機嫌になつて吊皮にぶら下つてゐるのを 誰も知りはしないのである
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