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「ああ、オヤジもおふくろも、そういう時代を生きてたんだ。」 とハッとするような印象を受けた記憶があります。
「斎藤真理子が引用していたよな。」という 記憶 だけはしっかりあるわけです。最近、そういう状態になるのに100日もかからないことに 「漠然とした不安」 を感じたりもする日々なのですが、とりあえず 「案内」 です。
あとがき あとがきからの引用ですが、やっぱり、その世代の実感が穏やかにですが、きっぱりと描かれていて、読みでのあるエッセイ集です。
ハングルを学んで十年を経た。
(中略)
隣国語の魅力、おもしろさに、いろんな角度から光をあてて、日本人、特に若い人たちに「私もやってみようかな」と、ふと心の動くような、いわば誘惑の書を書きたかったのである。
(中略)
私自身たのしみながらと始めたのだが、実際は苦渋に満ちた仕事になった。過去の歴史―日本側の一方的な非が重たくのしかかってきて、言葉だけに限ろうとしても、そうはいかないものがあった。(P258)
パリロ 引用個所は、本書の最終章 「Ⅴ こちら側と向こう側」 に収められた 「パロリ」 という文章の冒頭ですが、 「わたしが一番きれいだった」 頃の苛烈な思い出に始まり、 「六二五」(ユギオ)、「三八線」(サンパルソン) を経て、
パリロ
パリロって何のこと?辞書にも出ていないし、初めはさっぱりわからなかった。
パリロとは、八一五という数字の読みで、八(パル)一(イル)五(ゴ)が連音してパリロとなるのだった。
つまり一九四五年八月十五日のことを指していて、八月十五日の「月と日」を略した言いかたである。
同じようにサミルと言えば、一九一九年三月一日、日本からの解放を目ざし独立宣言文を読みあげ、全国に波及した独立運動記念日を指す。これも月日は略して、三一(サミル)(節ジョル)となる。
八月十五日は、日本では終戦記念日と言いならわしているが、終戦という合意の上、おだやかに戦争終結したようだが、実際には「参った!」の降伏だったのだから、言葉のごまかしである。「はっきり敗戦記念日というべきですよ、あなた、終戦記念日なんて言っちゃいけない」と教えてくれた人がいて、まったくその通りで、以来私は終戦記念日とは言わないようにしている。
かたやパロり(八一五)は、光復節(クヮンボクジョル)とも言い、光ふたたびよみがえる、解放記念日でもある。
明暗分けた記念日が、光復⇔降伏、漢字を日本読みすれば、音はまったく同じ。なんとも言えない皮肉である。
「今は、パルパル・オリンピックに向けて総力結集だが、未来のいずれの日にか、たとえばシビル(十・一)チルチル(七・七)とか名づけられる統一記念日が、来てほしいものだ。(P228) で結ばれています。
「ああ、そうか!」 の連続です。
わたしが一番きれいだったとき
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのようにね
追記
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