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そろそろ秋の手入れの適期を迎えます。休眠中のもの数点は既に処理を終えてしまいましたが、残りは数10点、長い秋になりそうです。この内、何点かは草丈が現状に鉢にそぐわない程度に成長してしまいました。という訳で、一回り大きな陶鉢を探しに信楽に足を伸ばしました。残念なことにお気に入りの仕様のものは既に生産終了となっていて、手に入れることができませんでした。画像は代替品として調達して来たもので、3.5号と5号サイズのものです。 信楽に出掛けると必ず立ち寄りたくなるのが山野草店でして、フラッと店に入ったのが運の尽き、今回も衝動的に苗3点を連れ帰ってしまいました。合計1890円也。この中には秋咲きの品種も含んでいるので、後日紹介できるかと思います。
2012年09月30日
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”猫のヒタイ”ほどの花壇で大暴れしていたカラスビシャク(烏柄杓)にも実りの季節がやって来ました。大量に芽を出した仏炎苞が、ここに来て黄変し始めましたが、お腹に大切に包み込んでいた種子は大きく膨らんで、今にもこぼれ落ちそうな勢いです。 このカラスビシャク、こうした種子とムカゴの両方で増えるため、増殖のペースは半端ではありません。この仏炎苞の親に当る株から2個のムカゴ(株元と葉の付け根)が付き、1個から1芽ほぼ確実に発芽します。加えて、この種子です。発芽率を7割と仮定して、13株ほど増えることになります。1株が1年で15株+自身で、都合16倍に増える勘定になってしまいます。この分なら農業ができそうです ^^;
2012年09月29日
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マルバルコウ(丸葉縷紅)が開花しました。昨年と比べて1ヶ月ほど遅れての1番花です。ヒルガオの仲間で、北米からの帰化植物とのことで、農業関係の方々には大変嫌われているようです。規制する法律もあるようですが、直径2cmにも満たない漏斗型の花は可憐で、観賞用としては惹かれるところがあります。 昨年採取した種子は行方不明になってしまい、この個体は芝生にこぼれた種から1株だけ発芽したものです。梅雨が明けた頃、本葉が2-3枚出た時点で発見したのですが、芝刈りを行った際うっかり刈り取ってしまいました。これで我が家のマルバルコウは絶滅か・・・と思っていたのですが、どっこい雑草の生命力の恐ろしさ、とでもいうのでしょうか、1節だけ残っていた葉っぱの付け根から脇芽が伸びて、草丈は20cmほどしかありませんが、一丁前に花を咲かせるまでになりました。この先2-3輪は咲かせようとする意気込みでツボミを準備しています。今年は、採取した種子は保存せずに、その場で採り播きにしようと思います。
2012年09月28日
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昨日槍ヶ岳から帰ってみると、リコリス1番手が開花していました。動き始めた時点では黄花かピンク花か判定に迷ったものですが、結果はご覧の通りピンク花の「さつま美人」でした。 それにしても花芽が地上に現れてから、こうして開花するまで11日もかかったことなります。これまでの経験的に導き出した日数、6~7日を大きく上回りました。7日遅れて始動した2番手の方は、既に赤花であることが透けて見え始めており、間もなく開花しそうな勢いです。都合よくことが運べば、両者を並べて眺めることができるかもしれません。
2012年09月27日
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先般の西穂縦走から下山の際、大阪から来たという20歳代半ばと思しき若い夫婦に遭いました。その日、2人は新穂高温泉から槍ヶ岳まで日帰り登山を敢行したそうです。その話を聞いて、私の”やる気スイッチ”がONになってしまいました。 そんな経緯があって、天気が好転するのをジッと覗っていたのですが、昨日25日、やるならこの日だ!ということになって前日から出掛けました。この日の行程は標高差2100m、距離13.4kmほどを往復する長丁場です。早朝4:05に新穂高登山指導センターを出発、当然真っ暗でヘッドランプを点けての歩きになりましたが、林道の終点、白出(しらだし)沢出合付近でランプは要らない明るさになりました。ここから山道になる訳ですが、滝谷避難小屋までは、緩やかとは言えないものの比較的楽な勾配です。槍平小屋から勾配はガクンときつくなり、更に千条分岐からは「これでもかっ」と言わんばかりの急勾配が迎え撃ちます。が、この日のワタクシ、こうした条件はすっかり頭に入れており、対策として荷物は極限まで削って、7kgほどしかありません(通常は12~13kg)。心臓破りの急勾配も無難にこなして山頂には12:30に到着しました。山頂に祭られた祠は、5年前に登った時のもの(円内)とは形も色も全く異なるものに変わっていました。 先を急ぐ旅(?)だったことや、山頂が大勢の客で混んで来たことから、滞在は6分で切り上げ下山にかかりました。同じコースを逆に辿って新穂高温泉を目指します。穂高平避難小屋を通過した頃に日没となり、再びランプに登場願う運びとなりましたが、18:35に無事に下山を果たしました。 帰路、夕食をとった後猛烈な眠気に襲われ、車中で仮眠を取ったのですが、目覚めたのは8時間後になっていました。長い眠りのせいで”弾丸ツアー”は不成立でしたが、槍ヶ岳日帰り登山は”大願成就”です。
2012年09月26日
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この春花を付けなかった日本サクラソウ「鞍馬」の手入れです。春先には綺麗な表土でしたが、今ではゼニゴケに侵食されてかなり重篤な状況です。この仲間は、夏は地上部は休眠して枯野状態ですが、地中では活発に動いて株別れしているらしく、1年手入れを怠ると翌春にはとんでもない場所から新芽が出て来たりします。で今回は、(1)新芽が端に寄っている場合は中心寄りに植え替え、(2)用土が疲労している場合は総入れ替えを行うことにします。 表土を覆ってしまったゼニゴケは、表土ごと1~1.5cmゴソッと剥がしてしまいます。これだけ表土を剥がすとサクラソウの根は露出してしまいます。左の白い方が今年発生した新株の根、やや赤みを帯びている方がこの春芽を出していたものです。偶然ですが、新株が広く空いていた方に発生したため、新旧合わせ技でちょうどバランスのいい配置になっていました。用土についても、赤玉土の微塵化が少し認められますが、まだまだ使えそうです。ということで、減ってしまった表土の分だけ新しい用土を補充して、本品の今年の手入れは完了・・・ということにしました。
2012年09月24日
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リコリス(彼岸花)の2番手が動きを始めました。先般紹介した1番手は花色はちょっと特殊でしたが、こちらはフツウの赤い花である確率がかなり高そうです。 このプランタには合計16個の球根を植え付けています。うち3-4個は白花なのですが、昨年末から今年春に分球したものなので、甚だしい未成熟球だったことから、今年、このプランタでは白花への期待は放棄しました。但し、別のプランタで「真夏のクリスマス」や「アルビフローラ」が大玉になっていたので、白花に関してはそちらに希望をつなぐことにしました。 ところで1週間前に紹介した1番手の方は?・・ というと、予想外に開花に手間取っています。花に回す栄養を花茎が横取りした、ということではないと思いますが、茎の方は呆れるほどの伸び様で、とうとう50cmを越えてしまいました。
2012年09月23日
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フヨウ(芙蓉)が最盛期を迎えました。ここ数日は毎日30輪ほどが開花しています。画像の色が濃くて萎びたものは昨日咲いたもので、3日目を迎えると花びらはポロっと落ちてしまいます。現在は種子を結ばせないように、開花2日目か3日目には萼弁から先は切り取っています。理由は発芽率の高いこの品種をこれ以上増殖させないためです。 昨年の初冬、幹を1本だけ残して刈り払ったのですが、この春株元から芽を出した”ひこ生え”があっという間に成木化して、3mを越えるような枝振りになってしまいました。こんなことを繰り返していると、やがては隣家にも迷惑が及びそうで、今年の花期が終った時点で完全に伐採することにしました。今年限り・・・と思うと、寂しさがないではありませんが、ジャングル化を避ける意味でも中止はできません。
2012年09月22日
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奥穂高岳から穂高岳山荘までは標高差200mの下り、距離は600mほどで特段の危険箇所はありません。この区間を30分弱で通過し、13:28に山荘に到着しました。西穂山荘を3:53に出たので、この区間を9時間25分で通過したことになります。前回は12時間を要したので、かなりの進歩の跡が認められる・・と、ま~この部分は自画自賛です^^; ここの休憩コーナーで昨夜相部屋になり、朝は一緒に出発したものの脚力差が出て置いて行かれた2人組に再会しました。話を聞くと20分ほど先に到着したとのこと。早々と缶ビールを横にくつろいでいました。彼らは今夜はここに泊まるらしいのですが、私は予定よりかなり早く着いてしまったので新穂高温泉まで下ることにしました。20分ほど彼らと雑談した後、お世話になったお礼を言って、13:50山荘を後にしました。 山荘の敷地を1歩踏み出すと、すぐに下画像のような累々と岩石が積み重なった悪路が始まります。ここが白出(しらだし)沢で、画像は下手を見下ろした状態です。積み重なった岩石は、大は軽自動車サイズから、小は砂粒サイズまで雑多ですが、全て落石が溜まったものの様です。こうした落石銀座が標高差800m、距離にして1.6kmほど続きます。以前ここを登ったことがありますが、岸壁からの落石の音が両岸にこだまして、どこから落ちて来るのか場所を特定できず、怖い思いをしたことがありました。幸いなことに、今回はそうしたスリリングな場面は一度もありませんでした。 この落石銀座を通過すると、森に入ります。ここから下は特段緊張を強いられることはありません。4:22に重太郎橋に到着しましたが、ここで雨が降り始めてしまいました。やむを得ず合羽を着用しましたが、その結果の暑かったこと・・・。雨は結構な勢いで降り続け、頭上の木の葉に打ち付ける雨音で、すぐ下を流れる沢の音がかき消されるほどでした。この雨は新穂高温泉に着くまで降り続けましたが、歩行の障害になるようなことはなく、18:58に登山指導センターに到着して、今回のツアーを締めくくりました。 ≪前の記事
2012年09月21日
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天狗岳に到着したのは8:39でしたが、朝食が早かったこともあり、ここで軽く腹ごしらえを済ませました。さて、スリルとサスペンスのクライマックスを過ぎても、コースが安穏なものに変わる訳ではありません。天狗ノ頭を過ぎると一旦50mほど降りますが、ここも”A級”の難所です。これを降り切った鞍部が「天狗のコル」で、ここから先に興味がない人や、崖道歩行を継続することが困難になった人は、岳沢を経由して上高地に降ることもできます。という話は脇に置いて、次のターゲットのジャンダルムに向かいます。 天狗のコルからジャンダルムへは標高差300mをこなさなくてはなりません。ここでも上-左画像のような壁をよじ登らなくてはいけないし、それが終っても上-右のような急勾配に耐えなくてはいけません。いくつもの難所で緊張を強いられたこともあって脚の疲労感は強く、ここの急勾配は応えましたが、2時間がかりでこれを乗り切り、ジャンダルムの基部に到着しました。ここにザックを置いて、空荷で頂上に向かいます。岐阜県側に巻きながら高度を稼ぎ、何回かジグザグにコースを取って上を目指しますが、この区間は浮き石が多く気が抜けません。それでも10分少々で頂上部に到着しました。前回のアタックでは濃霧に邪魔されて、頂上に寄らずに通過してしまいましたが、何とか雪辱は果たせたと言えそうです。但し、この日もガスに包まれて、奥穂高岳は勿論、眼前の難所「ロバの耳」も「馬の背」も視界に捕らえることはできませんでした。 ジャンダルム滞在は8分ほどで切り上げ、荷物を置いた基部まで戻りました。ジャンの岩峰の長野県側の巻き道を、鎖にしがみ付きながら通過しますが、この日は濃霧が幸いして恐怖感は薄めで済んだようです。ロバの耳をやり過ごし、初っ端にご覧戴いた馬の背を通過すれば、これで”A級”の難所は完食です。後は♪ラッタッタと鼻歌がもれそうな達成感・・・というか、何とか命を落さずに完歩できた安堵感を味わいながら、眼前の奥穂高岳(3190m 下画像)に向かいます。山頂のモニュメントには大勢の順番待ちの登山者が控えていたことと、既に4回目と言うこともあって、5分ほど過ごしただけで通過してしまいました。≪前の記事 次の記事≫
2012年09月20日
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間ノ岳の険しい崖(上-左画像)を降り、次の天狗ノ頭との鞍部・”間天のコル”に降り立ちます。ここから天狗ノ頭へのルート(上-右画像)の取っ掛かり部分が”逆層スラブ”と呼ばれるデンジャラスなスポットで、登りには脚力もさることながら、それ以上に腕力がモノをいう現場です。鞍部からピークまでの高低差は70~80mあります。実際に歩くコースを白線で示していますが、いくらか誤差はあるかもしれません。また、こうした崖道にしがみ付いている間は、カメラを取り出す余裕はないので、鞍部やピークの平らな場所に着いた時点で撮影することになり、撮影アングルは限られたものになってしまいますが、その辺はどうか大目に見て戴きます様に・・・ 下-左画像は逆層スラブを登って行く様子ですが、ここでは崖に設置された鎖なしでは、登ることも降ることもできません。画像はほぼ真上に向けて撮影していますが、カメラに正面を向いている岩石の面は、家屋でいえば軒下に当り、垂直に降る雨がかかることはなさそうです。万一、ここで手や足を滑らせるなどすれば、運が悪ければ数100m下まで転落しかねない地形です。 上-右画像のコース線が垂直になっている部分、逆層スラブを通過できさえすれば、後のジグザグ部分は四足歩行は避けられないものの、恐怖感はなしで歩けるようになります。そのピーク点には下-右画像のような、案内板を兼ねた標柱が立っています。≪前の記事 次の記事≫
2012年09月19日
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西穂独標を過ぎるとコースは”崖道”の様相を帯び始めます。二足歩行では安全は確保しにくく、両手両足総動員での歩行が次第に増えて来ますが、それでも危険度のクラスはまだ「B級」でしかありません。上画像はそうした歩行を1時間ほど続けて、いくつかのピークを登り下りして西穂高岳直下まで辿り着き、この日歩いて来たコースを振り返った様子です。画像の日当りと日陰の境界を辿って来たことになります。出発時点で上空を覆っていた薄雲は、この時点ではすっかり晴れて、遠く乗鞍岳や御嶽山まで見えるようになっていました。この後10分ほどで西穂高岳(2909m)に到着(6:25)しました。ここまで歩いて来て、一緒に出発した5人の脚力の差が現れ、内2人は先に進んで行きました。残った3人(私を含む)もペースにバラツキが出ていて、いずれはバラバラになるのは避けられそうにありません。 これから向かう先に目をやると、名だたる難所がオブラートのような朝もやに包まれて、モノトーンんに輝いています。西穂で15分ほど休憩後、次に向けて出発しましたが、いよいよここから危険度は「A級」になります。西穂を下り切って、次のピーク・赤石岳との鞍部から来し方を振り返ると、頂上では窺い知れなかった鋭い切れ込み様ですが、コースはそれを上手に避けて設えられています。 ある時は絶壁のコブや割れ目にしがみつき、またある時は鎖の助けを借りながら(下画像)進むことになり、移動速度はガクンと落ちます。また普通の山道では歩行を強力にアシストしてくれるステッキは、このような環境ではむしろ邪魔になるため、ザックに収容してしまいました。こうした断崖絶壁を何度か登り降りして、スリルとサスペンスのクライマックスの始まり、間ノ岳(まのだけ)に到着したのは7:50になっていました。ここには山頂を示す標柱はなく、岩石にペンキで山名らしきものが手書きされていましたが、消えかかっていて判読はできませんでした。西穂からの所要時間は、それまでの同じ距離に対する所要時間と比べて、1.6倍から2倍かかったことになりますが、そんなことより、いよいよ「超A級」の難所に突入する訳で、緊張感は益々高まります。≪前の記事 次の記事≫
2012年09月18日
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今回の山行の”キモ”は、西穂高岳と奥穂高岳の間の岩峰歩きなので、いつものように登山口から登山口まで、全て”my脚&足”だけで踏破する行動スタイルは放棄しました。で、新穂高温泉からの入山の取っ掛かりはロープウエーを使って、一気に標高2160mの西穂高口駅まで掛け上がります。ここまで来ると、天気さえ良ければ樹間に山荘を望むことができます。ここから先は登山装備なしの客は侵入禁止というアナウンスが流されています。稜線上の山荘までは、前半は穏やかな起伏の山道ですが、後半は一気に勾配も急になります。高度差200mに所要時間1時間余りかかって、1日目宿泊先の西穂山荘(上画像=標高2366m)に着きました。 山荘で宿泊手続きを済ませ通された部屋は8畳の部屋で、混雑時には18名収容という部屋に、この日は5人の客が割り当てられました。山荘の計らいか、相部屋となった5人は全員同じ縦走を目指す客でした。その日は、互いの山の経験などの話で盛り上がりましたが、翌朝は3時頃起床、4時頃出発ということでタイミングを合わせて、8時には眠りにつきました。 さて、本番の朝です。3時少し前に誰かがトイレに立ったのを契機に、全員起き上がって準備に取り掛かりました。寝具を片付け部屋を出て、素泊まり客の自炊のために解放されたレストランで軽く朝食を済ませて、相部屋となった5人揃って3:53に出発しました。上空には高層の薄い雲がかかっていて星は僅かしか見えませんが、この手の雲は日中には消えるものです。 真っ暗な中での出発なので、全員ヘッドランプを点けての”ちょうちん行列”になります。のっけから急勾配のコースですが、それでも二足歩行が可能な勾配です。前方にも後方にも、別のパーティのライトが点々と続いて、季節外れのホタルの行列のような眺めです。呼吸は乱れますが、5人が塊りになって歩くこと1時間余りで、最初のチェックポイント・西穂独標(下画像)に着きました。この頃、空は僅かに白み始めていましたが、まだランプなしで歩ける状況ではありません。それでも目を凝らせば進行方向右手に奥穂高岳や前穂高岳、左前方に笠ヶ岳のシルエットが確認できます。≪前の記事 次の記事≫
2012年09月17日
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西穂に出掛けていた2日間に草花が動きを始めていました。その一つがこのリコリス(ヒガンバナ)。出掛ける前に水遣りの際確認した時には、全く変化はなかったのですが、帰宅後確認するとこんなに伸び上がっていました。混植したプランタで、境界付近で立ち上がってきたものなので、どちらとも言いがたいのですが、黄花の「山の根ゴールド」か、ピンク花の「さつま美人」のいずれかです。結果は3-4日で判明します。欲を言えば後10日ほど遅れて始動してくれたら、日本の在来種と開花時期が揃ってベストだったのですが、その辺はいやはや何とも御し難い相手ではあります。 もう1つはツリガネニンジンで、薄紫の小さなベルが風に揺れています。今開花しているのはポットに植えているものですが、もう一方の露地に直接植え付けた方は、ショウリョウバッタに食い散らかされて悲惨なことになってしまいました。今は葉っぱも花芽も皆無で、まるで立ち枯れた白骨林のような眺めです。
2012年09月16日
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行って来ました、西穂縦走弾丸ツアー。結果はVサイン!でした。西穂山荘から穂高岳山荘までの今回の所要時間は9時間35分(休憩込み)、前回と比べて20%短縮できました。登山マップによると、コースタイムは10時間(休憩抜き)なので、平均以上の”歩き込み”ができたということになります。予定を上回って早く穂高岳山荘に到着したので、ここでの宿泊はヤメにして、そのまま白出(しらだし)沢を通って下山してしまいました。そんな訳で、朝4時から夕方7時までほぼ歩き詰めだったため、いつもは直帰できるところを、途中で3時間ほど仮眠をとったため、帰宅は朝6時になってしまいました。 画像は縦走路の最終局面、奥穂高岳直下の”馬の背”と呼ばれる難所で幅50cmほどの岩石の上を辿るところです。足の下は左右とも200~300mほどの絶壁で、こんな天空の細道(?)が50mほど続きます。晴れていれば極限の高度感を味わえるスポットなのですが、生憎この日はガスに巻かれて10m前後までしか見通せず、恐怖感は全くありませんでした。≪前の記事 次の記事≫
2012年09月15日
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3年前アタックして、手荒い(?)洗礼を受けた西穂縦走にもう一度トライすることにしました。画像はその時の様子で、私とは逆に進むパーティが天狗岳の壁を下降する様子を写したものです。画像中央部の岩場が「逆層スラブ」と呼ばれている難所で、オーバーハングになった岩場に設えられた鎖に掴まって、腕力頼りで登ったり下ったりしなくてはいけません。 その時は直線距離で僅か4kmの西穂山荘と穂高岳山荘の間を通り抜けるのに、12時間もの時間を費やしてしまいました。今回は、何とか10%程度短縮して、10時間台で通り抜けたいと思っているのですが、さて、どんな結果になりますやら・・・ それでは今から行って来ます。 次の記事≫
2012年09月13日
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こちらは4月に休眠に入って以降、一般の夏草と違い葉っぱや茎の様子から、コンディションや生死を確かめることのできなかった福寿草の「花園」です。今年は水切れなどのアクシデントは起こさなかったことだし、「多分生きているだろう」、「生きていて欲しいな」という風に、期待や願望を込めて見守って来たですが、少し早めの秋の手入れを兼ねて、生死を確かめることにしました。 結果は”Vサイン”で、健康的な褐色のヒゲ根が確認できました。用土は赤玉土は幾分砕けて微細化していますが、まだ”微塵”というほどまでは劣化してはいません。ということで、もう1年このまま我慢して貰うことにして、今回は用土総入替えは見送ることとしました。若干の化成肥料を施して、そっと埋め戻し作業を終えました。5ヵ月後、無事に顔合わせできますように・・・
2012年09月12日
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・・・エラいことが起きてしまいました ・・・・ というフレーズはちょうど3週間前、時期外れのアツモリソウの芽出しが始まって、泡を喰ってこの場に書き込んだものです。その”エラいこと”がまたまた起きてしまいました。 こんどはクロユリ(黒百合)です。普通なら鱗片に包まれてカメのように首を引っ込めている筈の春用の新芽が、表土を押しのけてノコノコと顔を出してしまいました。暑さにも寒さにも弱いこの品種が、このまま開花まで無事に漕ぎ着けるとは考えられず、この子もまた哀れな末路を辿ることになりそうです。 因みに、3週間前のアツモリソウの方は、まだ枯れてはいませんが、草丈は当時と比べて2cmほど伸びただけで、春の場合と比べて全く勢いがありません。草臥れて地に伏すのもそう遠くないと思うと不憫でなりません。
2012年09月11日
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1ヶ月余り前、何を寝ぼけたのか突然芽を出して保護者を慌てさせた福寿草でしたが、当然の結果としてこの暑さには耐え切れず、1週間余りであえなく姿を消してしまいました。問題は、こうした時期外れの芽出しは、株全体の地力を消耗させてしまい、枯死する例が少なくないことです。 で、この固体についても、その後休眠中の塊根はどうなったか診断することにしました。結論は、塊根の詳細は確認できませんでしたが、そこから伸びるヒゲ根(と言っても太さは1mmほどあります)はまだ生きてはいるものの、かなり深刻です。健康な褐色の肌のものは少数派に転落して、枯れたり病み込んだ黒いものが多数派を占めています。この分では、無事に春を迎えられるかどうか、甚だ心もとない状態です。といって、手助けできる事柄でもないので、このまま様子を見ながら春を待つ以外に手立てはありません。南無・・・
2012年09月10日
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こちらは強風に吹き千切られるなどで、1枚、また1枚と葉っぱを失い、最終的には7月早々に完全に地上部が姿を消してしまったシライトソウ(白糸草)です。この状態が、地上部が姿を消しただけなのか、それとも地下の塊根まで枯死したものなのか・・という点の判定は手付かずのままでした。そろそろ秋の手入れの時期でもあり、処置を決めることにしました。 結論を先にいうと、塊根は生きていました。用土を2cmほど取り除くいたところに、太さは単3電池を折り曲げたような白い塊根が現れました。多数の白いヒゲ根も確認でき、生死については疑う余地はなさそうです。ただ、多くの宿根草で見られる次の春の芽出しに備える越冬芽のようなものは、どこにも認められませんでした。この点は不安のタネですが、これ以上の確認の手法は持ち合わせていないので、若干の肥料を施した上で埋め戻し、来春の変化を見守ることにしました。
2012年09月09日
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定着に失敗したか・・・と、半ば諦めかけていたスギゴケ(多分・・・^^)が、復活の兆しを見せ始めました。8月中旬に連れ帰って植え付けたものですが、あれよあれよという間に黄変して、枯野の風情を漂わせていました。それでも根気を失わずに水遣りを続けていたのが功を奏したようで、ここに来て緑の新芽が一つ、また一つという風に顔を出し始めました。まだ安心できる段階ではありませんが、4号陶鉢が緑に覆われることを祈りつつ、見守ることにします。
2012年09月08日
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こちらは瀕死の重症ながら、細々と・・・ではありますが命をつないでいるシラネアオイ(白根葵)です。7月には葉の先端が黄変し始め、今では1枚しか発生しなかった本葉の全身に広がる勢いです。ま~、時期的には主要な季節を生き抜いた、と言っても大きな間違いはないのですが、何ぶんにも葉っぱがこんな様子ですから、光合成も十分にはできなかったに違いありません。根に蓄える筈の栄養も足りたかどうか、という点も気になるところです。 で、少しだけ株元を掘ってみると、小さいながら一応来春に備えて越冬芽が用意されていました(円内)。元気そうな白い根も伸びているので、この冬の面倒見に大きなチョンボがなければ、春の芽出しは普通に迎えられそうです。
2012年09月07日
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大輪トキ草・ピンク花、これも枯れてしまいました。過去にも同様に夏場の暑さに耐えられず葉っぱから枯れてしまったことがあります。主産地は台湾や中国東部とされていますが、意外に暑さには弱いようです。といってもダメになったのは葉っぱだけで、バルブは生きています。普通の草花と異なり、この品種はバルブは上半身(?)を地上に出して生長します。一見してバルブは青々として生きていることが確認できるので、生死に関して心配するところはありませんが、深刻さは別のところにあります。 この春の花後、画像のように2芽の葉っぱが立ち上がってきました。1個の母体が2芽の子供を育て抜くのは荷が重すぎたようで、2芽とも甚だ生育が遅れてしまいました。バルブの太さは単3電池の断面(1.4cm)ほどしかありません。葉を失ったことで、バルブの成長はここまで・・ということになり、来春はここからリスタートということになります。開花には少なくとも単2電池(2.5cm)の断面程度の太さが必要で、次の開花は早くとも再来年の春・・・ということになりそうです。
2012年09月06日
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本来ならまだ青々と葉を茂らせている筈のタッタソウ(立田草)が、この暑さのさ中、葉を落として姿を消してしまいました。種蒔きから始めて5年ほど、まだ一度も花を付けていないというのに、とうとう枯れたか?・・と、一時は少なからず気落ちしたものです。しかし、気を取り直して本当に枯れたか、それとも葉を落としただけか、せめて確認だけでもしておこう、ということで、足元を少々掘り返してみました。すると、表土を軽く一掻き、二掻きしただけで健康そうな白いヒゲ根が現れました。どうやら地上部は維持が困難なストレスを受けて姿を消したものの、株としては何とか命をつないだようです。 時期的にはやや早いのですが、足元を掘り返してしまったついでに、この際植替えてしまえ、ということになりました。これまでは6号の素焼き鉢(画像)に植付けていたのですが、鉢自体が水分を蒸発させてしまい、用土の水分維持に骨が折れるという欠点がありました。この際、透水性のない5号陶鉢に植え替えて、来春の芽出しを待つことにしました。
2012年09月05日
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農業回帰というほどのものではありませんが、自家消費するネギは何とか自分の手で・・・ということで、この度ワケギを植付けてみました。タネ玉を植付けて3日目、もうこんなに芽が伸びて来ました。確かに包装の説明書には、「20日ワケギ」、「植付け後3週間で収穫」などという文言が踊っていましたが、丸々信じるでもなく購入してしまいました。この様子なら、説明書通り秋分の日頃には食卓に登場させられるかもしれません。いささか愚痴めいた発想になりますが、7年がかりでやっと初花が見られるかどうか・・・という草花と比べると、世界観が変わってしまいそうです。
2012年09月04日
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カラスビシャク(烏柄杓)の花が最盛期を迎えたようです。といってもハシリの開花は5月上旬で、その後クライマックスのないドラマのようにダラダラと少数が咲き続けていました。同時にムカゴを実らせ、ばら撒いたムカゴからも発芽して、小さな花壇はカラズビシャクだらけ、といった様相です。ここに来て10数本が一斉に顔を見せて、遅れ馳せながら・・の山場に差し掛かったような眺めです。 お気楽に”花”だの”開花”だのと表現してしまいましたが、正しくはマムシグサやミズバショウと同じ”仏炎苞”と呼ぶのが正しい表現です。仏炎苞の大きさは、太さ0.5~1cm、長さ4~8cmぐらいで、実際の花はこの仏炎苞の下部に厳重に(?)包まれています。上部の開口部から長さ5~8cmのヒモ状のものが伸び出していますが、この様子がミニサイズのウラシマソウのような形をしているところが気に入って、我が家に連れ帰りました。この草の塊根(芋)は漢方薬の「半夏」として利用されるそうですが、我が家ではそのような利用計画はありません。
2012年09月03日
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今回は南御室小屋に泊めて戴いたのですが、稜線付近ではこの他に薬師岳小屋も利用可能です。南御室を選択した理由は、豊富な水が利用できることにあります。しかもこの水が実に冷たいのです。この日はザックの中にビール500ミリ缶を忍ばせていたのですが、取り出した時には生暖かかったものが、30分ほどで飲み頃になっていました。一時期、気温や水温が計れるデジタル温度計を持参していろいろ遊んでいたものですが、今回は忘れてしまい測定はできませんでした。体感的には6~8℃ではないかと感じました。 山行2日目は特にすることもないので朝はゆっくり起き出し、6時を過ぎて小屋を出ました。地蔵岳で出会った同年代の登山者と行動を共にすることになりました。夜叉神峠を目指してひたすら下りのコースを辿るのですが、急ぐ理由もないので通常よりもかなり多めに休憩をとりつつ歩を進め、10:35に夜叉神峠登山口に辿り着きました。 さて、山といえば高山植物が重要なターゲットなのですが、8月も終盤になると2500mを越える高山帯はすっかり秋の顔ぶれに置き換わっていました。上の画像はホウオウシャジン(鳳凰沙参)で、岩石の隙間の僅かな砂礫に根付いていました。下の画像はタカネビランジ(高嶺びらんじ)で、花崗岩が風化した砂礫地でたくさん見られました。花色は濃いピンクから淡いピンクの他、純白のものも見られます。出会える花の種類は、2週間前と比べても激減していますが、もう少し経つと紅葉も参戦して、鮮やかな景色が迎えてくれることになるに違いありません。 ≪前の記事
2012年09月02日
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”赤抜沢ノ頭”に戻って、デポしていたザックを回収して次の観音岳に向かいます。この区間は大雑把に言って高度差100mほど下り、その後200mほど登り返すことになります。コースは花崗岩が風化で粉砕された砂地が大部分を占めます。歩いていて足裏への衝撃は少なくて楽チンなのですが、下り坂で迂闊に砂粒を踏むと足払いを食うことになります。慎重に足を運んでこの区間のアップダウウンを乗り切り、観音岳(2840m 上画像)到着したのは15:30頃でした。標柱は頂から2mほど下がったところに立てられています。背後の岩石の裏側がその位置で、三角点の標識は2個並べて岩石に立て掛けてありました。折り重なる岩場では、穴を掘って並べる訳にもいかなかったのでしょうが、基準点が動くような事態は起きないのでしょうか。 この観音岳が今回の縦走の最高点になるので、後は小さなアップダウウンはあっても、足腰を拷問するようなところはありません。最後の薬師岳へのコースはダラダラと100mほど下って、同じくダラダラと40mほど登るというのどかな丘陵散策です。この頃になるとガスは少し薄まって、眼下には北杜市辺りと思われる町並みや釜無川、中央高速が見渡せるようになっていました。ただ3000m付近は、この時点でも厚いガスに覆われて、北岳や甲斐駒ヶ岳などの雄姿は見られないままでした。 下りも登りも足腰にはそれと分らないような丘陵コースを辿って、この日4つ目のピーク・薬師岳(下画像)に到着。山頂部は緩やかな3つの丘から成り立っており、標柱はその内の1つに立てられていますが、最高点(2780m)は100mほど離れた別の丘にあります。そちらに移動してGPSで測定すると地図上の山頂▲マークとピッタリ一致しました。ならば三角点があるだろう・・と、ピークから半径10mほどの範囲を探し回ってみたのですが、見つけることはできませんでした。これで今回の目標4座は全て巡ったことになります。この後、距離にして2km弱、標高差350mほどをダラダラと下って、この日の宿泊予定の南御室小屋に入り、5:15に1日目の行動にピリオドを打ちました。≪前の記事 次の記事≫
2012年09月01日
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