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今回の郵政民営化反対勢力が自民党復帰した問題、「恥を忍んで土下座して謝って白旗あげているんだから、もう許してやれ」って、それは学校での仲直りのやり方の一つなんじゃないの? 国の運営を左右する大きな問題で、いろんなしがらみがあったにせよ、自分の考えと相容れないということから一大決心して自民党を出た(あるいは出ざるを得なかった)議員に対してそんな簡単に復帰を許せるものなの? 昨年の選挙の時に刺客候補を送ってまで反対勢力を追い込んでおいて、今さら「昨日の敵は今日の友」ってな感じで復帰だなんて、自民党って「仲良しクラブ」なんだね。 忘れてほしくないのは反対勢力はもちろんのこと、いわゆるコイズミチルドレンとよばれる83会の議員にしても、どちらも「有権者の投票によって選ばれている」っていうことなんだけどね。「我々は選ばれし者だから、選ばれた後はこっちの勝手」とでも思っているんじゃないの? こいつら、完全に忘れているけどね。 コイズミに至っては、「君たち(コイズミチルドレン)が生き残るには、復党した人たちをどれだけ味方に付けられるかだ。それで(支持者の)ウイングが広がるという考え方をした方がいい」って、自分で混乱の原因作っておいて、コイズミチルドレンを誕生させておいてこの変わり身はいったい何? もしかしたら、元々からこうなることを狙っていた? ホント、「あの大騒ぎはなんだったんだ、このやろ~!!」(by魔邪)っていいたくなるよね。 反対勢力を受け入れた自民党執行部もそうだけど、白旗上げて自民党への復帰を果たす見込みの反対勢力、どっちも有権者への説明責任果たせよって思います。 あっ、先日も書いたけど、これも私個人的な意見だからね。
2006年11月30日
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先日、59回目の献血に行ってきました。献血手帳が献血カードに変わって初めての献血です。 献血カードを提出して依頼書?に必要事項を記入するのは今までどおりなんですが、その後にテンキーにより「暗証番号」を押します。しばらくすると、いつものマークシートが手渡される・・・というパターンでした。 それから献血前の検査では、5本ほど検査用の血液を採取していましたが、献血のベットにあがってから採血する直前に採取することになっていました。どんな感じかというと、採血するチューブから分岐して検査用の血液を採取するようになっていました。そして、献血の機械を動作する前に検査用の血液を採取していました。 今回も成分献血でしたが、今回も血管が浮かずに苦労されていました。若干痛かった・・・。 さて、本日その結果が送られて来ました。前回までとの結果と比較すると、総蛋白(TP)が7.7と過去4回と比較すると一番高く、コレステロールも205とこれも高いのです。徐々に高くなっているのではなく、上がったり下がったりなんですが、高いのは気になります。 次回は12月3日以降ということなので、またがんばって行きたいと思います。次は60回目です。
2006年11月29日
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郵政民営化に反対した議員の自民党復帰や東京都知事の「息子ながら立派な芸術家」という親バカ発言など、桜塚やっくんじゃないけど、がっかりだよ!っていう状況です。 まず、郵政民営化に反対した議員の自民党復帰。あれだけ大騒ぎして、自身の信念に合わない郵政民営化に反対し、素人のような刺客候補を送られたことによって自民離党を余儀なくされたものの、その信念を応援した有権者の支持を反故にしてでも自民党に戻った議員達。 なんで今なんだ? やはり、政党助成金が欲しかった? それとも、自民党の金看板と代紋がないと政治活動ができないの? 年末年始にかけて、政治屋って地元へもどって有権者へ国政報告をするんでしょうけど、その時に有権者へきちんと説明すべきでしょう。「すんまへん、やっぱり政治活動には自民党の代紋がいりまんねん」ってね。 それをせずに、結果的には事後報告になるんでしょ。私なら「どの面さげて、そんなこと言っとんねん!!」って思うけど。 それから、このブログでもとりあげた東京都知事にあっては、公費で欧州出張したことなどについて「知事による私物化」との批判にさらされているけど、それに対する説明はなんだか白々しく聞こえる内容だし。あげくのはてに、「息子は立派な芸術家」と親バカな反論でしょ。いつものえらっそうな態度は相変わらずだけどね。 それにしても政治屋って「他人には厳しく、自分(と身内)には超甘く」なんだね、今に始まった話しじゃないけど。 こんなヤツら、次の選挙で落ちろって思うけど、組織票が横行するわが国では落ちないのよねー なんだか、有権者がバカにされ続ける世の中は永遠に続きそうですね・・・。 というわけで、がっかりな政治屋について文字通り「つぶやいて」みました。これに対する「あなたは間違ってる」っていう批判は不要です。
2006年11月28日
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列車での旅行の楽しみの一つといえば、駅で売っている駅弁があります。最近は列車の窓が開くものが少なくなったことと、停車時間がわずかになってしまったのでゆっくりとホームで駅弁を買い求めることはなかなかできなくなってしまいました。 私が学生の頃は、まだギリギリそのようなのんびりした光景をみることができました。首から駅弁の入った箱をさげて売りに来たり手押し車に駅弁を乗せて売りに来るなど駅によってはいろんな売り方をしていました。今では新幹線の駅で見かけるようなキオスクと同じく完全なお店スタイルで売っている駅弁が多いですね。まぁ、共通していえるのは、貧乏学生に駅弁は高嶺の花だった、ということでしょうか。 勤めるようになってからは、出張先などで駅弁を口にすることが多くなりました。まぁ、これも駅弁の値段と小遣い見合いになるんですけどね。駅弁があっても高かったり内容的に購入気分にならない場合には、おにぎりなどになってしまいますので、その辺は学生の時と変わりませんね。 前置きが長くなりましたが、今日は今月初めに東京へ行く時に購入した駅弁についてです。 大阪から日本海ルートで北陸本線を北上して行って、夕方に直江津駅に着きました。直江津からは普通列車で長岡へ向かったのですが、列車待ちの間にその日の夕食として駅弁を買うこととしました。直江津駅構内には数人の売り子がいて弁当の種類もいくつかあったのですが、その中で目に止まったのが表題の「鱈めし」です。鱈の身って鍋もいいけど身を甘辛く煮てあるヤツって好きですね。それも入っているそうだし、直江津駅の駅弁の中では一押しとのことだったので、それにしてみました。 実際に食せたのは長岡からの上越新幹線の車内ですが、中はこのようになっていました。 予想通りの鱈の身とタラコが入っていて、お腹もすいていたこともあってペロリと食べてしまいました。もう少し量があればいいんだけどね、これは駅弁共通としていえることなんだけど。 ただね、一緒に入っていたわさび漬け、これは私にとっては苦手なんです。ビールと一緒だとなんとかいけるんですが、まさか入っているとは思わなかったからビールは買わなかったんです。以前、浜松か静岡で買ったうなぎ弁当にもわさび漬けが入っていて、泣きそうになりながら食べました。 列車での移動が早くなったのはとておもいいことなんですが、駅弁を食べながら移り変わる車窓をみてのんびりするという旅行は、今ではとてもぜいたくなことになったのかもしれませんね。
2006年11月27日
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みなさんはどんなアーティストの曲を聞くことが多いですか? 私は80年代や90年代の懐かしい洋楽が多くて、車の中にはCDを何枚も積んでいます。そのほとんどがレンタルしてきたものをCD-Rなどにコピーしたものなんですが、今年には購入することが多いかな。今回は洋楽以外ではお気に入りのアーティストであるZARDのアルバムを購入しました。 ZARDの曲はCMや番組のオープニング、エンディングに使われることが多くて、一度は聞いたことのある曲が多いと思います。「負けないで」とか「揺れる想い」なんて今から10年前に発売された曲ですが、今でも色あせませんものね。私もそうですが、私の子どもたちにとっては「名探偵コナン」の曲としておなじみです。 ZARDの魅力って、ボーカルの坂井泉水さんの透明感のあるボーカルが魅力的で、初めて聞いてもすんなりと耳になじむのがいいなーと思います。 今回購入したCDは表題の通り、「Golden Best 15th Anniversary」でデビュー以来のベスト曲を2枚組みCDに収録されておりまして、ハードカバー付のちょっと贅沢なものになっています。その中に、15年間の軌跡を振りかえったコメントをまとめた小冊子も入っていました。 ちなみに車で聴いていますが、子どもたちにとっては「スラムダンク」のエンディングで使われていた「マイ フレンド」という曲がお気に入りらしく、「もう一回聴きたい」「もう一度!」とヘビーローテーションでかけていました・・・。
2006年11月26日
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私が96年に結婚して99年まで甲子園球場近くの団地に住んでいた話しは、時々ブログで取り上げていますが、今日久しぶりに家族で行ってみました。当時住んでいた団地は既になく、上の子どもを連れて散歩に行った阪神パークはラ・ラポート甲子園というショッピングセンターになっていたり、すっかり様変わりしていました。それでも、一番最初に住んでいたところなので、思いいれが大きいのです。そこで、甲子園周辺でうろついてみました。【お昼は中華料理屋さんへ・・・】 以前、ブログでもとりあげた甲子園球場近くの「百楽」で昼食にしました。お気に入りのマーボー丼の他、皿うどんや焼き飯など炭水化物のオンパレード(妻の話し)でしたが、がっつり食べることができて満足でした。【鳴尾浜公園や甲子園浜で遊ぶ・・・】 鳴尾浜公園や甲子園浜は上の子どもの散歩道でした。ホント、近い所にこんないいところがあったんですよ。ちなみに、甲子園に住んでいた時は下の子どもはまだ産まれておりませんでしたが、産まれてから何度も来ているので下の子どもにとってもなじみのところなんです。 鳴尾浜公園ではかくれんぼしたり滑り台で遊んだりしていましたし、甲子園浜では砂浜で遊んだりしていました。風がちょっと冷たかったんですけど、子どもたちはよく遊んでいました。 ↑ 甲子園浜の様子です 水鳥がやってきて曇り空、冬の情景ですね【ラ・ラポート甲子園へ・・・】 ラ・ラポート甲子園は広い敷地だった阪神パーク跡地なので、ゆったりとしたつくりになっています。食べ物屋さんが多くて、妻は「今でもこの近くに住んでいたら、毎日ここにいてるやろね」っていうくらいです。子どもたちにとっても、ディズニーストアがあるのがうれしいらしく、「また来たい」って話していました。【七五三の写真・・・】 今月の七五三に写真を撮っていなかったので、ここに住んでいるときに行ったことのある写真屋さんで写真を撮ってもらいました。対象は下の子どもだけだったのですが、衣装も貸してもらえるのがうれしいですね。ただ、衣装を着てカメラの前に立つと全く固まってしまって会心の写真にはなりませんでした。 甲子園に住んでいたのは3年足らずなんですけど、やはり思いいれのある土地なのでなんだか懐かしくも感じるし、事情により引っ越したけど引っ越さずにムリしてでもこの近くに家を買えばよかったかなって思います。 今でも甲子園から遠くに引っ越したのを後悔することもありますが、まぁこれもタイミングですからね。
2006年11月25日
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おいおい、どうなっとんねん、 カウンタが38628から一気に116減って、38512になったぞ、まじかよー ってぼやいてみましたが、なんで?
2006年11月24日
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「事故に遭遇!」っていっても、私が加害者でも被害者でもないですよ。今朝の出勤の時にいつも下の子どもを送って通る国道で事故がありました。原付バイクと自転車が衝突したようで、自転車に乗っていたおばさんが倒れていて動いておらず、原付バイクの男性も頭から血を流しているという、事故直後の状況でした。朝の交通量の多い時間帯でしたので、国道はたちまち大渋滞! その現場というのが私の一台前に車があってそのさらに前という状況、どうすることもできません。 現場へ行ってみると、携帯電話で救急車の要請をする人や状況を見守る人が数人いました。私はその倒れているおばさんに「大丈夫か、しっかりしぃや」と声をかけながら手を握っていました。おばさんは手に擦り傷を負っていまして頭には傷はなさそうでしたけど、頭を打っている可能性があるからヘタに動かせないので声をかけるくらいしかできませんでした。 そうこうするうちに救急車が来て男性に応急処置するとともに、おばさんも救急車へ収容されました。おばさんの容態が気になりますが大丈夫だったのかな? この事故で気になったのが、「こういう交通に支障のあるときは、警察が来る前でも動かしていいねん」っていう人によって事故車両を移動させてしまいましたが、これってホンマによかったの? っていうこと。 事故によって、車の列はどんどん伸びていくし救急車もパトカーも来ない状況だったらいらついてくるもんだけどどうしようもないでしょ。しかも、事故の検分もしないといけないだろうし。なんだか気になる事件でした。
2006年11月24日
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今日は午前2時から4時まで京セラドーム大阪(以下、大阪ドーム)で紅白戦をしました。大阪ドームではここ数年、必ず1回は野球の試合をしています。プロ野球で使うグラウンドで行う試合、しかもドーム球場ですから雨が降ろうが槍が降ろうが中止にならないのがいいですね。 ガゼルスでは年に一回のお楽しみということで大阪ドームで試合をしています。深夜といってもなかなか予約を取るのが難しいのですが、よくとれたものです。ただ、個人的にはせっかくの大阪ドームでの試合の時は入れ込みすぎてお腹を壊すことがあったんですけど、今回は年に数回発症する突発性の頭痛に見舞われました。もう痛くて痛くて一時は行くのを諦めようかと思ったんですが、薬を飲んで行くだけ行こうということで行ってみました。現着してみれば薬が効いて来たのかマシになったので、予定どおり参加しました。 今回は紅白戦ということでしたが、人数が足りなかったのでいつもリーグ戦で対戦するチームの有志の人にも来てもらいましたが、それでも16人しか集まりませんでした。そこで、守るときには1名を攻撃側から供出するということで対応しました。 私は紅組で6番キャッチャーでした。頭痛は心配でしたけど、気合入れてがんばりました。投手はいつもバッテリーを組むH12さんだったのでやりやすかったです。相手チームっていっても、勝手知ったる身内同士だから打ち取りやすかったです。 試合の方はH12さんのピッチングが冴えてピンチにもきっちりと抑え、頭痛が心配だった私の守備も後逸しそうなボールを思わず出した右手に当てて後逸を防ぐという珍プレーもあったりして、深夜にもかかわらず面白かったです。 最終的には序盤に先制して、中盤に追加点、終盤にも着実に追加点を奪う効果的な攻めをみせた我が紅組が10-5で勝ちました。 終わってから24時間営業のファミレスで朝まで反省会をして帰りました。頭痛の方はすっかりと治っていました。 ちなみに、「プロフィール」のところの写真を今日の試合で勤めていたキャッチャーの写真に差し替えてみました。顔はNGなので後姿ですが・・・。
2006年11月23日
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昨日の日刊スポーツに載っていた記事です。阪神の元監督の星野仙一さんなどが同期であるオリックスバファローズの水谷宏打撃投手が還暦を期に引退することになったとのことです。日頃は日の当たらない縁の下の力持ちの役割なんですが、こういう投手にも目を向けてくれたのはうれしいです。 打撃投手って、プロ野球ファンならご存じかと思いますが、簡単に言えば、試合前の練習において打者が打撃練習するときに投げてくれる投手なんです。打撃投手といえば、志高くプロ入りしたもののなかなか戦力になれずにその志半ばで引退を余儀なくされた投手の第二の人生ってなっていることが多く、プロ野球選手の名鑑をみると一度は聞いたことのある名前がある場合もあります。 この水谷投手も1968年のドラフト2位で近鉄バファローズに入団したものの、5勝しかあげられず1978年には戦力外となってしまいましたが、当時の阪急ブレーブスの山田、足立、日本ハムファイタースの高橋といったパ・リーグを代表するサイドハンド投手やアンダーハンド投手対策として、かの名将西本監督から要請されて打撃投手として第二の野球人生を始めたとのこと。それ以来ずっと投げ続けて28年、一日約150球、年間約4万球も投げていたそうです。 普通の投手なら「打たせてたまるか!」で投げるものですが、打撃投手は「打者に気持ちよく打ってもらう」ことが仕事ですから、そのギャップは大きいですね。打者との相性もあるらしく、○○選手専用の打撃投手という方もおられるとか。そこまでいけば、打撃投手だけでなくて打撃コーチも兼ねているような感じですね。 ここまで続けることが出来たのは、もちろんご本人の節制や体調管理のよさが大きいと思うのですが、それ以上に「野球が好き」なんですね。ご本人にとっては、最初のうちは志高くプロ入りしたのになんで今さら裏方の仕事だって思ったかもしれませんけど、「野球が好きだから」ということで続けられていたのかもしれません。 ところで、私もおかげさまで職場の野球部では三塁のポジションをとっていますが、これは決して「競争に勝ち取った」のではなく、それまで守っていた選手が辞めたから回ってきただけなんです。だから、私よりももっと若くて力のある選手がやってきたら、私の年齢を考えてもポジションを譲らざるを得ないでしょう。それでも私は「ポジション取られたから、もうやめるわ」なんて思いません。逆に再度奪い取ることもできませんが、その他のことで野球部の力になれればって思っています。だって、私も「野球が好き」ですから。 最後に、水谷投手、長い間お疲れさまでした。
2006年11月22日
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今日は子どもたちを連れてインフルエンザの予防注射へ行って来ました。今日は平日なので学校や保育所があるんですけど、1時間ほど休んでもらいました。もちろん、私も午前中は仕事を休みました。 ところで、みなさんは予防注射に関する思い出ってありますか? 私は今でこそ「献血野郎」ですが、子どものころは大の注射嫌い(好きなヤツはいないけど)で、注射の時は逃げ回っていました。また、学校の時ってクラス毎に出席番号順に注射されていたと思うんですが、私の場合はほとんど全て「1番!」でしたから一番最初に痛い目にあっていました・・・。 さて、うちの子どもたちはどうかというと、上の子どもは1歳くらいまでに2度死にかけていて、そのたびに点滴を打たれたりしていますので注射は平気みたいですし、下の子どもも男の子ですからね。そんなのはへっちゃらみたいです。注射の時に逃げ回っていた親を持つ子どもたち、たくましいです。 今日の注射はいつもお世話になっている小児科で接種してもらいました。子どもは二回に分けて接種するのですが、今日が二回目です。前回も怖がらなかったそうなので安心して立ち会うことができました。 最初は下の子ども、さすが男の子です。「僕が最初にする!」って言って先生の前のところに座りました。先生が「がんばろな」って声をかけてくれて、あっという間に終了。 次は上の子どもはいつもの元気のよさはどこへやら、「ちょっと怖い」って言っていましたが、ピッと終了しました。 料金は医療機関や地方によって違うのかもしれませんが、一人2100円でした。 ちなみに、私も今日の夕方、職場で接種してきました。こんなに痛かったかなって思うくらい痛かったです。針刺して、「それじゃ行きますよ」っていう先生。おいおい、一気にするんとちゃうんかい! 一度で二度痛かった!! この注射でインフルエンザにかからなかったらいいな、って思います。痛い目したんだからね。
2006年11月21日
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先日の高知出張の際にレンタカーを借りて沈下橋をみてきたことを触れましたが、今日はその沈下橋について報告します。 沈下橋とは、『橋の上に欄干が無く(あってもかなり低い)、水面からの高さが高くないことが特徴である。これは、増水時に、橋が水面下に没するようになっており、流木や土砂が橋桁に引っかかり橋が破壊されたり、川の水が塞止められ洪水になることを防ぐためである。また、壊れても再建が簡単で費用が安いという利点もある。』(Wikipediaから引用)とのことで、普段見かける橋とは全く異なる形状をしています。 また、沈下橋は四万十川流域には支流も含めて47もある(Wikipediaから引用)とのことですが、今回はレンタカーの発着である中村駅から半日で往復可能な岩間、口屋内、勝間、高瀬、深木、佐田の6つの沈下橋を巡ることにしました。【岩間沈下橋】 今回の6つの沈下橋の中では一番遠くに位置するのがこの橋です。ゆったりと流れる四万十川にかかるこの橋の幅は2mちょっとで、重量制限4tの標識もありました。この橋は観光用の橋ではなく生活道路としての橋ですから、行ったこのときにも宅配便のトラックや小型のタンクローリーも走っていました。 私も車で渡ってみました。普段あるべき欄干がないとやっぱり不安ですね。ちょうど渡っていると、観光客の集団がこの橋を一望できる丘の上から注目して見ていました。 ↑幅は2m少しです ↑ おそるおそる車で渡ります・・・【口屋内沈下橋】 これら6つの沈下橋は四万十川にかかっているのですが、その四万十川に沿って走っているのが国道441号線。狭隘区間が続くこの道は拡幅されているところもありますが、そのほとんどが狭いまま。だからこそ、これだけの自然が残っているんでしょうね。 さて、岩間沈下橋から中村方面へ戻ると見えてくるのがこの口屋内沈下橋です。この日は風が強くて寒く、カヌーをしている人も皆無でした。だから、せっかく行ったのに寂しかったです。↑川はちょっと水深がありそうです↑橋が長かったので、一枚で収まりませんでした・・・【勝間沈下橋】 口屋内沈下橋から7kmほど戻ったところにあるのがこの勝間沈下橋です。中村方面から来ると案内看板で分かりやすいのですが、逆方向体とちょっとわかりづらい。これは他の橋も同じような感じでした。 この勝間沈下橋は映画「釣りバカ日誌」のロケ地になったところだそうです。そういえば、先日TVでやってたっけかな。 なお、今回の沈下橋を巡る小旅行では、「全ての沈下橋を車と徒歩で渡る」と決めていまして、全ての橋でそれを行いました。↑「釣りバカ日誌」で西田敏行さんと間寛平さんが出会う場所だったと思います。【高瀬沈下橋】 勝間沈下橋から少し戻ったところにあるのが高瀬沈下橋です。周りは岩間沈下橋同様にとても静かなところでした。風が強くて冷たいので早々に退散しましたが、時間があればゆっくりしてみたかったところです。 ちょうどお腹もすいてきたので、この近くで四万十川の天然うなぎを使ったうな丼が食べたいなーって思っていたんですけど、定休日なのかお店はやっていませんでした・・・。 ところで、この高瀬沈下橋や前出の勝間沈下橋、この後で紹介する深木、佐田の沈下橋周辺では屋形船でのんびりと四万十川を遊覧することもできるようです。今度利用してみようかな。↑橋の下には天然うなぎを捕獲するためらしい「仕掛け」がありました↑橋の中央付近にはすれ違いできるように橋の幅が広くなっています。↑これです。こんなところで対向したくないです、夜はね。【深木沈下橋】 この沈下橋と次に紹介する佐田沈下橋は当初の予定に入れていなかったんですが、昼食を諦めて行ってみることにしました。道は国道441号線から分かれて県道340号線です。事前に同僚からもらった地図にあったとおり、急カーブが多くて崖っぷちの道路でした。 さて、この深木沈下橋まで来ると、川の流れはさらにゆったりしていました。前出の屋形船の乗客が川原を散策していました。また、旭川ナンバーの車でやってきた老夫婦も沈下橋を見物していました。↑近くに採石場があって、風情の点ではちょっと劣りますが・・・【佐田沈下橋】 沈下橋を巡る小旅行の最後は中村駅から15分足らずで行くことができる佐田沈下橋です。川幅が広いために橋の長さも今までの橋の中では一番長いのです。車で走るのはもちろん、長さが長いから歩き応えのある橋でした。(なぜか歩いているときのBGMは、京都殺人案内のエンディングテーマだった・・・)↑最も距離の長かった佐田沈下橋。学生5人組がはしゃいでいました 時間の都合と意外と寒くてゆっくりできませんでしたが、珍しい橋を見ることができたし、ゆったりと流れる四万十川に癒されたような気がしました。川もきれいだし、キャンプ可能なところもあったりしてまた行ってみたいと思いますが、関西からだとかなり遠いんですよ。でも、遠いからこそ行ってみたくなるところです。
2006年11月20日
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先日来、和歌山や宮崎などで知事がいろいろと問題となっていますね。いくら「改革派」っていっても、所詮は政治屋ですからね。やってることは変わりませんね。 そういえば、先日のネットニュースで見つけたのですが、発言がいろいろと物議を醸す東京都知事に関しても無駄遣いの疑いが発覚しました。この知事って、ディーゼル規制などいろいろと影響のある発言をしていますが、個人的に「大嫌い」なんです。人をバカにしたような発言が勘に障るんですよ。(逆にとても大好きな方、すみません) まぁその分、いろんな面でしっかりとしているんならいいんですけど、こういった疑惑が上がれば「なんや、えらそうに言ってもやっぱりそうなんかい!」って思ってしまいます。 こんな知事なら、いくら事務局が贅沢三昧な旅行計画を建ててきても、「バカ野郎、こんなんで都民に説明できるのか!!」って一喝するくらいならわかるんだけど、結果的にはそれに乗っかっているんだからね、どういうこと? それが『知らないよ、私は。そういうことは事務局に言ってくれ。何も豪勢な旅行しようと思って行っているわけじゃない。直すところがあったら直したらいいじゃないですか』だって、まるで他人事やん。 この記事自体の信憑性もあるけど、なんだかうんざりするようなニュースでした。
2006年11月19日
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今月6~10日の東京出張の際にはその前日の5日に移動したのですが、私の場合は東海道新幹線で楽々っていうことよりも、費用はかかりますがせっかくの機会なのでそれ以外のルートで東京へ向かいます。今回は前のブログでも触れましたが、大阪から北陸方面を経由して長岡から上越新幹線を利用するルートで向かいました。 大阪からは特急雷鳥9号に乗車、この列車は今や貴重となった国鉄メイクの車両(485系)でして、私の年代より上の方には懐かしいカラーですよね。この車両も近々引退するって聞いているんですけどどうなんでしょうね。乗ったのは元グリーン車のサロ481改造のサハ481-503で、グリーン車当時の窓割のままで普通車用のシートをいれているので窓割とシートがあっていないんですよ。幸い、私の座ったところは違和感なかったですけど。 ↑ 大阪駅に入線する特急雷鳥9号 ↑ 一番後ろはパノラマタイプのグリーン車です ↑ サハ481-503(金サワ) 列車は武生で途中下車、私のお気に入りのおそば屋さんの「たかせや」でおろしそばを食べました。辛味が脳天まで突き抜ける味は久しぶりだったのでおいしくいただきました。 ↑ たかせやのおろしそば おいしかった♪ 武生駅構内にはこの日まで紫式部公園で開催されていた「たけふ菊人形」の飾りもありました。数年前に見に行ったことがあるんですけどきれいでしたよ。大阪では昨年までひらかた大菊人形があったんですけど、菊の世話をされる方の高齢化で中止になってしまいましたが、武生の方は引き続き開催されるのはいいですね。 ↑ 武生駅構内の菊人形のモニュメント さて、武生を1157に発車する特急雷鳥13号に乗車、小松で普通列車に乗り換えました。今回は基本的には普通列車を利用しようというものなんですが、ちょっともったいなかったかな。途中の加賀温泉駅から見えた金色の観音様、ちょっと違和感がありました・・・。 ↑ ちょっと見えにくいけど、金色の観音様です ↑ 松任駅に停車中の普通金沢行き(クモハ413-6 金サワ) 普通列車は金沢で降りて、特急北越5号で富山へ。3連休の最終日ということもあって満席でした。富山からは再び普通列車で糸魚川へ。列車は3両編成で途中までは混んでいましたが、ほどなく座れました。天気は今一つだったんですが、途中から日本海が見えてきて普通列車ということもあってのんびりと眺めることができました。 ↑ 富山から糸魚川まで乗車した普通列車(糸魚川駅にて) 富山から約1時間半かけて糸魚川に到着、すっかり日が傾いてきました。普通に新幹線で行けば、とっくに東京についているんですけどね。糸魚川にはレンガ作りの車庫やこれまた懐かしい国鉄メイクの急行形ディーゼルカーのキハ58系が留置されていました。懐かしい光景にやはりこっちへ回ってよかったって思いました。 ↑ 懐かしい光景のレンガ車庫とキハ58系2連(糸魚川駅にて) 糸魚川からは超満員の特急はくたか15号で直江津へ、直江津から再び普通列車で長岡へ行って長岡から上越新幹線で東京へ向かいました。 ↑ 直江津駅で見かけた北越急行線の普通列車
2006年11月18日
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出張先の高知の四万十市から帰って来ました。列車で往復しましたので時間がかかったけど、やはり日本って広いって再認識できました。 今回の出張では少し休みをいただいて、四万十川にかかる「沈下橋」に行ってきました。その話しは後日にアップするとして、今日はその時に借りたレンタカーについてです。私の場合はだいたい自分で目的地まで運転して行くので、レンタカーを借りることはあまりないのですけどね。 今回は四万十川へ何度も行ったこともある同僚に道幅が狭いとの道路情報を聞いていたので、レンタカーは軽自動車にすることにしました。また、「レール&レンタカーきっぷ」を使えば、JR運賃が2割引、特急料金などは1割引、レンタカー料金も軽自動車なら一日5770円(保険含む)とお得なんです。ただし、車はAT車なんですけどね・・・。 さて、レンタカーを借りる土佐くろしお鉄道の中村駅近くにあるニッポンレンタカーの事務所へ行くと、今回借りる車が待機していました。車はスズキのワゴンR、高知県で借りる車なのになぜかナンバープレートは香川ナンバーでした。手続きをして出発、四万十川に沿っている国道441号線を走って行きました。久しぶりのAT車と初体験のカーナビのおかげでかなり楽した運転でした。 今回の借りたワゴンRとカーナビについての感想です。 ワゴンRはご存知のように今やスズキを代表する車種となりましたが、やはりそれだけのことはあるなぁというよくできた内容です。室内が広いのは他のライバル車と同じなんですが、それ以外にインパネは見やすいし、今回は使いませんでしたが標準のオーディオもスタイリッシュで使い勝手もよさそうでした。 また、走りもわたし一人しか乗っていないこともありますがきびきび走るし運転しやすかったです。後ろのドアも90度に近いくらい開くのも使い勝手がよさそうです。 それからカーナビについてです。カーナビは私の持っている2台の車(デリカSW、サンバークラシック)には、カーナビはありませんので使い方もよくわかりませんでしたが、目的地を入力すれば音声案内で知らせてくれるんですね。まぁ当たり前ですけど。今まで一度も行ったことのない場所なら、かなり有効なアイテムだと感じました。 もっとも、この車のカーナビには沈下橋の情報までは入っていなかったので、その情報は手持ちの地図が頼りでしたが。 不満な点と言えば、やはりAT車ということでしょうか。四万十は知らない土地だしかなり狭い道もあったりしたので、運転に専念できるという点ではいいのかもしれませんが、MTの方がよかったかなーと思いました。 トータルで感じたのは、「たまにはレンタカーもいいなぁ」と思ったことです。自分の車ではないけど、気分を変えて走ることができるのは楽しかったです。
2006年11月17日
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今月15日は七五三ですね。もうすでにお参りされた方も多いかと思われますが、私のところは先月末に行ってきました。奈良には橿原神宮や大神神社など有名な神社がありますが、私は実家のある大阪・堺市の大鳥大社へ行ってきました。 ところで、七五三では女の子はきれいな着物で着飾って華やかなんですが、うちはそこまでしませんでした。男の子っていうのもあるんだけどね。また、10月にお参りするとまだまだ七五三のにぎやかさはなくて、神事を待っている人はなくてすぐに御祓いをしてもらいました。ちなみに、神事って身が引き締まる思いでしたが、子どもたちはどうだったのかな? 写真は子どもがいただいたものです。千歳飴がないって思われるかもしれませんが、この写真を撮る前に食べられてしまいました・・・。PS.今夜と明日の更新は行いません。17日にがんばって更新いたします。
2006年11月15日
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この間の日曜日に神戸へ行ったことは先日のブログでも書きましたが、神戸へ行くとほぼ必ず行くお店の一つに老祥記という豚まん屋さんがあります。「老祥記の豚まん」って行ってピンと来る方、なかなかよくご存知です。老祥記は神戸・元町の南京町にあって「南京町広場」の前にある小さな豚まん屋さんです。この豚まんを目当てに来られたお客さんがずらりと並んでいる光景を見られた方も多いかと思われます。 このお店の豚まんは蓬莱の豚まんと比べると大きさは1/4程度だし、コンビニで購入可能な豚まんと比べても1/3程度です。如何に小ささがよくお分かりいただけるかと思います。しかも、一つ70円というリーズナブルな価格。確実に5個は食べられる大きさはうれしいです。食べる時はそのままでもおいしいし、私は辛子醤油で食べるのが好きです。 ちなみに、南京町広場の前にあるお店の他にも元町商店街の中にもお店がありまして、私はいつもそこで食べます。南京町広場のお店でも食べることはできますがそこは持ち帰り客が多いので、ゆっくり食べるなら元町商店街の方のお店の方が落ち着いて食べられます。もちろん、元町商店街の方でも持ち帰りは可能です。 なお、お店で食べるのは一皿(3つ入り)が最低個数となっていますので、「豚まん1つ」というのは不可能です。 神戸へ行かれる機会がありましたら、「南京町の雰囲気とあわせて並んで買う派」は南京町へ、「ゆっくり食べたい派」は元町商店街の方へ行ってみてください。
2006年11月14日
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いつも「あけやんの徒然日記」をいただきまして、ありがとうございます。 今日はこれから出張に行きますので、今夜の更新は行わない予定です。 明日はがんばって更新したいと思いますので、よろしければご覧下さい。
2006年11月13日
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今日は昼過ぎから家族で神戸へ行きました。年賀状用の写真を撮ろうということとあわせて、久しぶりに神戸の雰囲気を味わおうというものです。 神戸へ行くと必ず行くところがあって、元町商店街の中にあるフルーツショップと元町中華街にある豚まんで有名な老祥記の支店です。この辺は別の機会に書こうと思いますが、それらを経由してハーバーランドまで歩いて行きます。元町商店街のアーケードが途切れる辺りから南へいけば、ハーバーランドはもうすぐなんです。 元町商店街の中もそうでしたが、クリスマスの飾り付けをしているお店が多くみかけることができまして、目的地のハーバーランドも同じでした。中でも、気に行ったのが上の写真のサンタクロースをイメージしたものです。写真が小さくて申し訳ないのですが、なんとなくお分かりいただけるかと思います。 ハーバーランドには去年も見ることができましたが、青色に輝くクリスマスツリーがあって格好の記念撮影ポイントとなっておりました。ここで子どもたちの写真をとることができました。 ところで、夕食はこの青色のクリスマスツリーのすぐ近くにあるバイキングのお店へ行きました。子どもたちが「カニ食べたい!」というのでね。お店の中は広いのですが、すぐに家族連れやカップルでいっぱいになりました。タイミングよく入ることができたので待つことはなかったし、お腹いっぱい食べることができました。 ちなみに、今回は列車で奈良から神戸へ行ったのですが、帰りは列車の接続が悪くて時間がかかりました。やはり車の方が時間的には早かったかな。それと、往復は阪神電車を利用したのですが、6年前まで住んでいた甲子園をとおりましたので、特に帰りなんか「あーあ、甲子園に住んでいたら、もう家について風呂まで入っているだろうな」なんていいながら帰りました。
2006年11月12日
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本日の朝、東京からの夜行列車で帰って来ました。長いようで短かった一週間でしたが、業務に直結する内容を勉強することができてよかったです。 元々、昨日の夜に幼なじみのN君と会う予定だったので、東京からの帰りは夜行列車にしていました。だからいくら遅くなっても大丈夫なようにしていたんですけど、N君の仕事の関係で会うことはできずまた昨日は金曜日、新幹線への変更しようにもなかなか席がとれなかったこともあったし、よくよく考えると大阪へ着く時間が遅くなるし、家に着くのはもっと遅くなるから変更するのはやめました。 ところで、みなさんは夜行列車って乗ったことがありますか? 最近は夜行バスに押されて廃止されるケースが多くなってきています。夜行列車にはいわゆる「ブルートレイン」といわれる寝台列車と、「ムーンライトながら」などに代表される座席車のみの列車の二種類があります。夜行バスがここまで普及する前は数多くの夜行列車が運行されていて、私もよく利用しました。もっともわたしがよく利用した頃って、学生の時ですからお金もないですから寝台列車は高くて乗れませんので専ら座席車でした。しかも、直角椅子でしたので如何にうまく寝るかというのが難しかったですよ。 今回利用した東京を2300に出発する寝台急行「銀河」は私にとってもなじみの夜行列車の一つです。大阪到着が翌朝717と便利なのと、料金的にも東京でもう一泊して新幹線で帰るよりも寝ているうちに大阪へ着くというのに魅力を感じています。 ちなみに、料金は運賃が8510円、急行料金1260円、寝台料金(B寝台の場合)6300円の合計16070円。東京でもう一泊して新幹線よりは安いでしょ。 ただ、「夜行列車って眠れるの?」という疑問もあろうかと思います。これははっきりいって好みの問題かもしれませんね。例えば、夜行バスなら座席に座って寝ます。今のバスは足元のサポートやリクライニング角度もよくなって快適になっています。 寝台の場合はどうかというと、「銀河」に使われているJRの24系25形客車を例に取れば幅70cm×長さ195cm×高さ111cm(下段の場合。上段は高さが95cmで幅及び長さは同じ)という寸法で、上下2段の寝台が向かい合わせに配置されています。 これだけのスペースがありますから、体を伸ばして寝ることができるのでとりあえずは寝返りは打てます。これも東京から出雲市や高松を結んでいる「サンライズ出雲・瀬戸」に使われている最新の車両(285系)なんかは個室があるなどもっとゆったりできる仕様になっています。 この「銀河」って利用されたことのある方はよくご存知かと思うのですが、オール寝台車で1両のA寝台車(寝台のスペースは下段幅93cm×長さ193cm×高さ113cm、上段はそれぞれ88×185×92)と5両のB寝台車の6両編成で、この日はB寝台車2両増結の8両編成でした。食堂車の連結はなく、また自動販売機も車内にないので乗車前に飲み物の確保は必須です。 さて、昨日乗車してみると、金曜日ということもあって土日を京都や大阪方面へ出かけようとする人たちが多いのかほぼ満席に状況でした。夜行列車が廃止されている流れの中で利用率が高いのはうれしいですね。平日は少ないのかもしれませんが。 列車のリジミカルなジョイント音を子守唄代わりに寝ていました。私にとっては慣れ親しんだ車両の揺れですので、熟睡できたかっていわれると私は熟睡できた方なんですが、使われている24系25形は製造後25年以上経過している古い車両ですから一般的には「よく揺れるし、眠れない」って思われていたかもしれませんね。 久しぶりに乗った夜行列車、次はどのタイミングで乗ることができるかわかりませんが、また乗ってみたいなって思いました。 ↑ この日「銀河」を牽引して来たEF65 1112〔田〕
2006年11月11日
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昨日は研修内出張で品川のほうへ行きましたが、終わってから帰り道に有志で飲みにいきました。 一軒目、餃子とビールで乾杯! いやぁ、しんどかったからビールがうまい!! 二軒目、久しぶりにカラオケ! いやぁ、久しぶりに歌ったよ!最近はめったにいかないからね。 三軒目、別の店で二次会! いやぁ、楽しかった。たくさん飲んだし! 今回の研修では若い人も多かったけど、業務の話や職場の話、他愛もない話などに華を咲かせてもどってからも深夜遅くまでいろいろ話していました。 普段は各地に職場があるのでなかなか会えない同じ仕事の仲間同士、楽しい時間をすごすことができました。 来週からは現実に引き戻されて普段どおりの仕事です。っていうか、来週も出張の連続です。 しんどいけど、がんばりたいと思います。 それでは、これから奈良へ帰ります。
2006年11月10日
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研修中はなかなか世の中の動きがわからないのですが、このニュースをきいてびっくりしました。ジャイアンツでは力も実績もあるだろうけれど、出場機会に恵まれなかった(というより首脳陣によって干された?)仁志選手が若手成長株の一人の小田嶋選手とのトレードでベイスターズにやってくることになりました。おいおい、どうなっとんねん。 仁志選手といえば、あえて説明する必要もないくらい有名ですよね。ジャイアンツの主力選手としてチームを引っ張り、勝負強いいやらしいバッティングをする選手です。 ところで、よくジャイアンツにいた選手って、「ジャイアンツの○○で終わりたい」とか「ジャイアンツ以外のユニフォーム姿は考えられない」とかいってトレードを拒否、そのまま引退っていう選手がいましたね、プロ野球ファンならそれぞれ誰だかわかるかと思いますが。仁志選手もひょっとしたらそう思っていたかもしれませんが、そこはやはり「試合に出たい!」という希望を持ってジャイアンツを出たんでしょうね。その意気込み、高く評価したいです。 でも、気になるのがベイスターズの球団としての姿勢です。仁志選手はジャイアンツの若手切り替えにともなって放出ってことになったみたいですが、ベテラン選手をとってどうするだろうって思います。ベイスターズにもベテランの生え抜き選手として石井(琢)選手や佐伯選手、鈴木(尚)選手もいるのにね。成長途上のチームだから、若手選手は仁志選手のようなベテラン選手を「生きた教材」としてもっと勉強しろっていうことなのかな? しかも、仁志選手の年棒は1億2千万円といわれていますがそれだけ払うのか? もっと切り下げるのか? 今年のジャイアンツでの成績を元に年棒を決めるなら切り下げると思いますが、そのまま1億2千万円も払うなら、FA宣言して球団と決別する意向と言われる門倉投手のことをもっと評価したれよって思いますけどね。 前にも書きましたが、TBSがオーナーになってからこの辺の選手補強が場当たり的に近いんじゃないかって思っています。佐々木投手のベイスターズ復帰も話題性先行でとったものの、ほとんど機能しなかったことが記憶に新しいところですが、今度はベイスターズが優勝したときのメンバーの駒田選手のようにジャイアンツからとった選手で上位進出を目論んでいる、なんて深読みしすぎかな? そんな勘ぐりもしたくなるような補強です。 決して仁志選手の活躍を期待していないわけではない(でもなぁ、仁志選手ってビックマウスって呼ばれていなかったっけ?)のですが、オーナーの方針には納得できない出来事です。
2006年11月08日
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今日は研修内出張で川崎のほうへ行きました。研修場所が西武新宿線沿線なので、高田馬場で山手線に乗り換えました。高田馬場駅ではJRへの連絡改札がありますが、改札口のところに「Suicaを利用の方は先に西武線のきっぷを入れてSuicaをタッチしてください」というような書き方になっていましたので、ICOCAでも使えるものと思ってタッチしてみました。 ピンポンピンポン あれ? あかんのか? 他の改札機でやってもまた同じ。 おいおい、急いでいるのに・・・。 駅員に聞くと、乗り換え改札の改札機はSuicaのみに対応しているとのこと。なんじゃそりゃ。 仕方なく精算機で精算しましたが、大変手間がかかりました。 ICOCAとSuicaは相互で使えるってきいていたんですけど、このような乗り換え改札機では対応していなかったんですね。 帰りは乗り換え改札は使わずに通常の改札口を使いましたので、JRではICOCAを、西武線はきっぷを買ったのでトラブルはありませんでした。 あともう一回、研修内出張があるので、今度は間違えないようにしたいと思います。
2006年11月07日
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10日まで休止するつもりだったんですけど、やっぱり書き込みます。今回も東京郊外へ研修出張です。今日は移動日だったので、お金もかかりますが日本海側経由で東京へ移動しました。 行程は次のとおりです。 大阪~武生(途中下車してお気に入りの蕎麦屋さんでおろしそばを食べる)~ ~小松松~金沢~富山~糸魚川~直江津~長岡~大宮~国分寺 武生以外は途中下車していないのですけどね。 時間の関係で特急や新幹線に乗った区間もありますが、できる限り各駅停車を使って移動しました。なかでも、信越本線の各駅停車に乗った直江津~長岡間でみた日本海とまん丸お月さんは特急では味わえないくらいじっくりとみることができました。 所要時間もとんでもないくらいかかりましたが、「日本って広い」って改めて思いました。 明日からまた研修です。しっかりとがんばろうと思います。
2006年11月05日
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いつも「あけやんの徒然日記」をごらんいただきまして、ありがとうございます。 明日から出張ででかけますので、更新を休止いたします。(時間ができたら更新するかも) 11日にはがんばって更新しますので、よろしければご覧下さい。
2006年11月04日
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昨日、和歌山にある私の祖父母の墓参りに行ってきました。お盆にもお彼岸にもお参りしていなかったし、今月以降出張などで忙しくなるのでますます墓参りに行けなくなると思って、子どもたちと両親を連れて行ってきました。 ところで、和歌山を代表する果物といえばみかんを想像します。でも、マイナーな果物になっているかもしれませんが実は柿も有名で、昨年度の収穫量は全国一(wikipediaから引用)なんです。そして、母親の実家はその柿畑の多い美里町(現:紀美野町)で、家の裏には柿の老木があってこの時期には長い竹の木を切って柿の枝に引っ掛けて取っていました。私にとってはみかんはもちろん、この時期以降に収穫される柿が大好きでした。 ただ、その老木ゆえに年々柿の実をつけるのが少なくなってしまって、とうとう実をつけなくなってしまったのは残念で、今ではその柿の木自体を見ることができません。 その老木が実をつけなくなった頃、母の実家のある集落のずっと下手の方にある集落に、やはり老木ながら大粒でとても甘い実のなる柿の木があることをきいて行ってみました。その実は噂どおりの大粒で大味ではなかったのです。その柿の木の持ち主とは知り合いではなく、よく地方に行けば見かける「無人販売」にて販売されていましたので、置かれてあれば必ず買っていました。 しかし、その柿の木も実をつけなくなったのか、10年近く前から無人販売されなくなりました。 さて、前置きがかなり長かったのですが、今回買った柿は写真の柿です。大きさは市場で見かけるものよりやや大きめで、お世辞にもきれいとは言えません。きれいな柿はきちんと箱詰めされて出荷されているんでしょうね。でも、きれいじゃなくても、甘いのは甘いんです。 ちなみに柿にもいろんな種類がありますが、ヒラタネとか富有とかきいたことあるかと思います。この柿は富有柿で、大きな種が入っています。猿蟹合戦の話しに出てくる柿の種はこの種だったのかもしれませんね。 柿は前出のとおり、果物の中でもあまりメジャーな果物とはいえないかもしれません。でも、ビタミンCが豊富だったり、他にもビタミンK、B1、B2、カロチン、タンニン(渋味の原因)、ミネラルなどを多く含んでいるため、「柿が赤くなれば、医者が青くなる」という言葉があるほど、柿の栄養価は高いのです。また、「二日酔いには柿」といわれている訳は、ビタミンCとタンニンが血液中のアルコール分を体外へ排出してくれるなど、柿のパワーは実はすごいんですね。 これからの季節、マイナーな柿にも目を向けてあげてください。
2006年11月04日
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1984年に始まった閣僚資産公開に関して、否定的な考えを持つ閣僚もおられるようですね。「ばかばかしい制度」(溝手国家公安委員長)、「人の財布をのぞきたいという趣味に合致した制度はどうかな」(久間防衛庁長官)と、かなり否定的ですね。 この制度は、『ロッキード事件で田中角栄元首相が有罪判決を受けたのをきっかけに、首相や閣僚の不正蓄財を監視するため1984年、第2次中曽根内閣で閣議申し合わせにより導入された。2001年1月の省庁再編スタートに合わせて閣議決定された「大臣規範」には、閣僚、副大臣、政務官は配偶者と扶養する子の資産も含めて、就任時と退任時に公開することが明記された。株式については商法改正で01年10月から額面株式が廃止され、銘柄、株数だけの公開となっている。 』(以上西日本新聞から引用)とのことで、元はといえば政治屋自身の問題から始まっているわけやん。 国会議員といえば、清廉潔白である「はず」のもの。そうでなければ国政の運営なんかできないと思っているんですが、実際は「カネのあるところに政治屋あり」といわれるくらい、必ず汚職事件や各種疑惑に名の通った政治屋の名前が出てきています。 だから「国会議員が自ら襟を正して、国民に説明責任を果たす」という理念があったはずの閣僚資産公開。でも、実際にはこんな否定的な考えの政治屋もいる。よっぱど痛くもない腹を探られるのが嫌みたいですね。嫌やったら辞めたらええねん、国会議員をな。 もっとも、私はこの制度で公開されている内容が100%合っているとは思っていません。この制度に肯定的なコメントを出している閣僚も本心かどうかわからないし、ひょっとしたら前出の2人の閣僚と同じことを思っているかもしれません。 企業も不祥事や事件に対して説明責任を果たしているのに、国会議員だけがそれを果たさないなんて道理があいません。っていうか、きちんと説明責任果たしたら済む話しやん。 もっとしっかりしろ、国会議員!(っていっても、しっかりするわけないか・・・)
2006年11月03日
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いつもコメントを下さるいぶかずひでさんのところから拾ってきました。 ★ルール★ 見たらやる。 タイトルを「彼氏or彼女できました」に設定する。 地雷バトンです。(地雷かよ!)▼見たらスグやるバトン▼↑これ重要! ※見た人は、必ずやること。今すぐやること。★好きなタイプを外見で答えよう!★☆顔☆かわいい☆体型☆ぽっちゃり☆身長☆普通かな☆服装☆派手派手でなければOK☆性格☆やさしい人☆髪型☆これも派手でなければ★年上が好き?★どっちもOK★財布はどんなもの使ってますか?★妻と子どもたちの選んだものです。★携帯電話はどんなものを使ってますか?★au W43T★携帯ストラップは??★ICOCAと小樽のガラス屋さんで作った手作りストラップ★手帳って持っていますか?★はい、これも妻と子どもたちの選んだものです。★バッグはどんなものを使っていますか?★いわゆる「オッサンバッグ」これも妻と子どもたちの選んだものです。★[バッグ]の主な中身は??★筆箱 財布 手帳 印鑑★今はいてるパンツの色は?★コメントせなあかん? ★星に何を願う?★プリーズ、カネ~!★もしクレヨンに生まれ変わったら、何色が良い?★スカイブルー★好きなスポーツは?★もちろん、野球★好きな日はどんな日? ★休みの日!!★最後に見た映画は?★名探偵コナンこれだけは毎年子どもと一緒に見に行ってます。★怒ってる時にどうする?★大阪弁でまくし立てる! ちょっと迫力ありますよ★夏か冬どっち?★ぜったい、夏!★最近泣いたのはいつ?なぜ?★義父さんが亡くなったときかな・・・。★ベッドの下に何がある?★空間だけ★昨日何した?★仕事★好きな車は?★もちろん、今の自分の車のデリカSWとサンバークラシック。今まで乗った車なら、ギャラン(E35)やブルーバードも好きでした。乗ったことない車なら、例えばセドリック(グロリア)とかスカイライン(いずれもセダンに限る)は免許取る前から好きでしたね。★好きな花は?★さくらの花長い質問だ~スルーOKですよ、お時間のある方、チャレンジしてみてください。
2006年11月02日
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大阪と神戸、京都を結ぶ阪急電鉄。関西の大手私鉄の一つで、大阪・神戸間なら一番の山手を走っているのでその車体色と相まって、落ち着いた感じのイメージです。 そんな阪急にも支線がいくつかありまして、この写真の列車が発着している西宮北口駅と阪神電鉄の今津駅を結んでいる今津南線もその一つです。今津南線って書いていますが、阪急電鉄のHPにもありますとおり正しくは「今津線」なんです。それではなぜ、今津南線と書いているか。実はこの今津線が直通運転しておらず、この西宮北口駅で分断されてしまっているのです。 かつては、今津~宝塚間を直通運転していまして、この西宮北口駅で大阪・神戸間を結ぶ神戸線と今津・宝塚間を結ぶ今津線が平面クロス、すなわち道路の交叉点のように交わっているという状況でした。路面電車なら見かけることがありますが、普通の電車が走る路線では非常に珍しい光景だったのです。それも西宮北口駅の改築工事により南北を走る今津線が分断されて今に至っている、というのが現状です。 今津南線の沿線は住宅や工場が混在する地域で、古くからの住宅地ですのでいつも混雑しているという感じではなく、3両編成の車両が寂しいくらいの時があります。そんなこともあってワンマン運転となっていますが、かつての直通運転の名残か複線の線路はそのまま活用されていますので、「反対列車の行き違い」というようなことはありません。 さて、写真をみていただくと電車が停車しております。写真の向こう側が今津方面、写真の手前側が宝塚方面となります。もちろん、宝塚方面には線路はないので、今津方面から来たお客さんはここで階段を登って広い西宮北口駅構内を歩いて今津北線のホームへ向かいます。ちょっと不便ですが、構内には本屋などいくつかお店があって、にぎやかなんですよ。その分、人も多いですが。 それから、電車の右側にもう一つ線路があって、すごい角度でカーブしているのがお分かりいただけるかと思います。これは電車を回送するための引込み線なんですが、同じものが今津北線にもあります。 ところで、西宮北口駅というと、かつてのプロ野球阪急ブレーブスの本拠地だった西宮球場があったところです。写真でいえば、左の方向に白い壁の西宮球場がありました。就職した当時、入場券をもらって(生命保険のお姉ちゃんからもらった)阪急の試合を何度か見に行きましたよ。球団としてはオリックスに身売りする前でしたが、福本、山田といったベテランはもちろん、豪快なブーマー、渋い活躍をする弓岡とか熊野など上田監督の下で地味だったけど実力のあるチームでした。 そんな西宮北口駅周辺も震災で様変わりし、阪急ブレーブスはオリックスになって神戸へ移転、西宮球場も閉鎖、取り壊されてしまいました。 車窓からみえる光景はすっかりと変わってしまいましたが、今津南線の列車は今日も変わらず走っています。
2006年11月01日
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