ホームページ を覗いてみた。しかし、二十六人の聖人の中にメンチンスキの名前は見当たらない。二十六聖人が長崎の西坂で死んだのは、江戸時代が始まる前、豊臣秀吉が政権を握っていた時代の1597年のことのようだから、メンチンスキ神父の生まれる前の出来事だということになる。
それで、あれこれ探したら、「 西坂で殉教したキリシタン一覧 」という名簿が出てきて、その一番末尾に、他の四人の神父とともに「アルベルト・メチンスキ」という名前が出てきた。ポーランド語で、Mの後ろに来ている文字は、eの下に毛が生えているような文字で、「エン」に近い発音をするようだが、英語表記ではただのeになってしまうので、メチンスキとカタカナで表記されたのだと推測できる。
この名簿は次代順に並んでおり、メンチンスキ神父らの死が末尾にあるということは、西坂における最後のキリシタンの死であったということなのだろう。イエズス会の所属であったことは記されるが、出身国は書かれていないため、このページからはポーランド人であることはわからない。特に注記がないので、福者にも聖人にも列されてはいないようである。
考えてみれば、メンチンスキ神父が日本に不法に潜入した1642年というのは、キリスト教への信仰をよりどころにして1637年末から翌年にかけて起こった島原の乱の余韻も冷めないころである。乱の後にはポルトガル人の追放、来航禁止も行われており、日本に行けばこういう結末を迎えることは明白だったろうに……。幕府としても、この時代、他にやりようはなかったのだろうし。
とまれ、このメチンスキ/メンチンスキ神父がどのぐらい日本で知られているのだろうかと調べてみることにした。
まず、長崎の日本二十六聖人記念館の表記である「メチンスキ」で検索をかけてみると、記念館以外には、カトリック関係、イエズス会関係のページで使われているが、数が非常に少なかった。姓がメチンスキとなっている場合には、名前はアルベルトが使われていた。
特に記事の本文は読めなかったが、見出し項目だけ見ることができた研究社の『新カトリック大辞典』で「メチンスキ」で立項され、「 Meczinski, Albert 」と名前まで記されていたのは注目に値する。
また、日本のイエズス会が作成したと思しき「 西坂で殉教したイエズス会員 」の名簿にも、「アルベルト・メチンスキ神父」と表記されている。
一方、「メンチンスキ」で検索をしてみたら、『世界大百科事典』第二版に項目が立てられていた。百科事典に載るぐらいだから日本でもある程度は一般の人の中にも知られているのだろうと思いながら記事を読みはじめたら、まず、名前が違った。「Albert」ではなく、「Wojciech」になっている。生没年も、没年は1643年で同じだが、生年が1598年になっている。
名字の同じ別人のことかと読み進めると、「ポーランドのイエズス会神父。長崎で殉教した」と始まる。同じ名字のポーランド人が、同じ長崎で同じ年に殉教したなどという偶然が起こっていれば、もっと話題になってよさそうである。
末尾には、「7ヵ月の拷問ののち、43年3月25日絶命」とあり、どう読んでもうちのがクラクフで手に入れてきたパンフレットに登場する「アルベルト・メチンスキ」と同じ人物の業績が書かれているとしか思えない。
他にもポーランド大使館や、ポーランドの歴史を紹介するページなどで、日本との関係を示す際に必ずのように、最初に日本にやってきたポーランド人として、「ヴォイチェフ(ボイチェフ)・メンチンスキ」の名前が挙がっている。
どちらも貴族出身とされているし、貴族の場合には、名前が三つも四つも付けられている人がいるから、カトリックの世界で使用される名前と、歴史学で使用される名前が違うということも考えられる。いやボイチェフが世俗の貴族としての名前で、アルベルトというのは、イエズス会士としての洗礼名だという可能性もあるのか。
名前の問題はそれで解決できるにしても、生年に三年のずれがあるのが解決できない。あれこれ調べたら、「西坂で殉教したポーランド人/メンチンスキ神父」と題されたパンフレットは、日本二十六聖人記念館が、1981年にポーランド出身のローマ法王ヨハネ・パウロ二世が来日した際に、作成したものだという情報が出てきた。それを「34年ぶりにリプリントした」というから、2015年のことか。1601年が生年だという記念館の記述が間違いである可能性もなくはないのか。
いずれにしても、おそらく同じ人物なのだから、百科事典や歴史関係のページのほうに、アルベルトの名でも知られるという注記を付けておいてほしかった。そうすれば、こんなことで頭を悩ませる必要もなかったのに。ポーランドとの国境近く出身の知り合いならポーランド語ができるはずだから、ちょっと調べてみてもらおうかな。
5月1日14時。
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名前の「ポーランド人のアルベルト」とは、この記事の冒頭にロマンス諸語を話す人間たちから、そう呼ばれていたと書かれています。
https://adeste.org/z-lubelszczyzny-do-nagasaki/