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2020年02月23日
上院議長選出(二月廿日)
オンブズマンの話には続きがあって、選出されたクシェチェク氏は、昨日就任の儀式として、宣誓式を行った。そんな大仰な式が行われるのは、大統領の許でだろうと思ったのだが、役職に推薦した人物の許で宣誓するというのもなんか変である。実際には、下院の議長ではなく、副議長の許で行われたようだ。
下院には、数人の副議長がいて議席を持つ政党が役職を分け合っているのだが、今回は第一副議長が担当になっていた。それが、第一副議長の職務なのか、議長不在の代理だったのかはわからない。問題はその第一副議長が共産党の党首だったことで、人権を抑圧してきたチェコスロバキア共産党の成れの果てに、人権を守るのが職務のオンブズマンが職務を全うすることを宣誓するの言うのはなかなかに皮肉である。
しかし皮肉はこれだけでは終わらなかった。共産党所属の副議長が、宣誓式が行なわれる前に心臓発作で倒れて病院に運ばれてしまうのである。その結果、内裏が必要となり、代理を務めたのが副議長の一人、SPDの党首オカムラ氏だった。これは偶然の産物なのだろうけど、ゼマン大統領に推薦されて、極右と極左の手によって任命されたオンブズマン。この組み合わせに、思わずチェコ語で「kombinace jako prase」と言ってしまった。
実際には、他の政党に所属する副議長が担当していたとしても、オンブズマンの仕事が変わるわkではないし大差ないのだけど、こういう役職にはイメージというのが大切だと考えると、オンブズマンの将来を暗示しているような気もしてくる。上院以上に目立たない役所ではあるけれども、重要な役所なんだけどね。
さて、この日はもう一つ重要な役職が決まった。先月急死した上院議長のヤロスラフ・クベラ氏の公認を決める選挙が上院で行われたのだ。候補者として名を挙げたのは、二人。クベラ氏が所属していた市民民主党の候補と、上院の最大会派である市長連合とTOP09が立てた候補者である。こういう議会の役職が、個々の議員の選択ではなく、党利党略、もしくは政党間の事前の談合によって決まるというのはチェコも日本も変わりない。だから、クベラ氏のような特別な個性を持つ人でない限り、誰が議長になったかはあまり意味を持たない。重要なのはどの党から議長が出るかである。
政党間の談合では、上院の第一党から議長を選出することになっているようだ。これに関しては異論をはさむ政党はなかった。問題は、どの時点の第一党かというところにある。前回の上院の選挙が行われ、クベラ氏が選ばれた時点では、市民民主党が第一党だった。その後バーツラフ・クラウス若など3人の議員が党を除名された結果、市長連合とTOP09の統一会派が第一党になったのである。
上院の議席は、2年に1回、3分の1づつ改選さる。そのたびに新しい議長を選出するので、上院議長の任期は2年である。つまりクベラ氏の後任は、今年の秋の上院議員の選挙まで半年ちょっとの任期しかないわけだ。それで、今回の選挙に際しては、議長は改選時に第一党だった市民民主党の権利として認めるべきだという政党が多く、市民民主党の候補者が下馬評通り選出された。
負けた市民連合の候補者は、負けたことは予想通りだったけれども、これほど大きな差がつくとは思わなかったと語っていたが、市民民主党の候補者の半分以下の票しか獲得できていなかったから当然の感想である。市民民主党が支持を集めたというよりも、市民連合とTOP09に対する反発もあったのだろう。例のオンブズマン選出にかんしてデモを行うと主張している団体と一番近いと思われているのがTOP09なのである。市民民主党の政治家でさえやりすぎだという感想を漏らしたデモ団体に対する政治家の反発が、TOP09への反対につながったと考えるのである。
新しい議長は動詞の過去形を名字とする人で、クベラ氏が台湾訪問を計画したことに関して、中国からチェコ政府に脅迫文書が届いたことを受けて、台湾訪問については慎重に検討するとか言っていたかな。中国政府がチェコに対して、いわゆる「一つの中国」に反することはしないように脅迫するということは、日本など他の国に対してもやっているはずである。脅迫文書には「上院議長の台湾訪問が実現したら、中国で活動しているチェコ人、チェコ企業にどんなことが起こっても責任は持てない」なんてことが書かれていたらしい。こんなの外交的にありなのか?
平気でこんな内政干渉をしてくる国に対しては、あれこれ配慮する必要はなく、とっとと断交するのが一番だと思うのだけど、世界には金のことしか考えない政治家が多くて……。トランプ大統領を支持する理由があるとすれば、それは中国に対して強硬な政策を取り続けているところである。今の中華帝国の再現を目指す共産中国を野放しにしては、世界が悲劇に巻き込まれると思うのだけどなあ。
2020年2月20日24時。
2020年02月22日
オンブズマン選出(二月十九日)
以前もちょっと話題にしたが、任期がそろそろ切れるオンブズマンの後任が国会議員の投票で決まった。数日前のことになるだろうか。選ばれた後任の名前自体は意外でもなんでもなかったのだが、一回目の審議で選出されたのはマスコミの事前の予想に反していた。オンブズマンの選出の手続きの詳しいことは知らないのだが、ニュースでは、その日の審議における投票では当選者が出ず、後日再審議、投票になるものと予想されていたと語っていた。
オンブズマンという言葉を始めて聞いたのは、1980年代、小学校の高学年か中学生のときのことである。当時は正直何をするものかはよくわからなかったし、日本では一時は何かと使われていたが、一時の流行に終わって忘れられた存在になった印象もある。そもそも日本に公的機関としてのオンブズマンが存在するのかどうかするよくわからない。まあ日本だとあったとしても、政治家たちによって骨抜きにされて形だけのものになっているだろうけど。
チェコでは市民の人権を守る国の役所として、2000年に設立された。行政の判断、決定によって不当な不利益を被ったと考える国民が、オンブズマンに提訴し、オンブズマンは提訴を却下したり、当該の官庁に改善や審査のやり直しなどの指示をを出すことになっているようだ。このオンブズマン制度の導入は、時期から考えてもEU加盟のための制度の整備の一環として行なわれたもののようにも思われる。
こういう新制度は、一般に最初に人を得られるかどうかに、成否がかかっているが、チェコの場合には幸い適任者が存在した。初代のオンブズマンに選ばれたのはオタカル・モテイル氏で、10年にわたってこの役職を務め、在任中に亡くなった。オンブズマンの任期は6年だから、2期目の途中でなくなったことになる。2003年だったか、2008年だったかの大統領選挙に際しては、立候補はしなかったものの、どこかの党の候補者に擬されたこともあるはずだ。
モテイル氏は、法学部卒業後の1950年代の半ばから弁護士として活躍したあと、当時のチェコスロバキアの法務省に入り、プラハの春の1968年からは最高裁判所の裁判官を2年ほど務めている。その後弁護士に戻り、共産党政権によって政治犯として弾圧された人々の弁護に当たっていた。買われてビロード革命の後には、最後のチェコスロバキア最高裁判所長官を務め、1993年からは初代チェコ最高裁判所長官に就任し98年まで務めている。98年からはミロシュ・ゼマン内閣で法務大臣を務めているけれども。社会民主党の党員ではなかったようだ。
このような経歴を買われて、2000年末に新たに設置された人権を守るための役所の長に就任したわけだ。そしてモテイル氏がオンブズマンの存在をいい意味で有名にするような活動をしたおかげで、オンブズマンの存在がよく知られたものになったと言っていい。正直モテイル氏以後のオンブズマンの名前は知らない。知らないけれどもオンブズマンというものが存在していて、ちゃんと機能しているということが知られているのが大切なのである。
だから、今回選出されたオンブズマンも、それが誰なのかというのはあまり重要ではない。モテイル氏に続くような仕事をしてくれればそれでいい。重要なのは、新しいオンブズマンがゼマン大統領の推薦によって候補者となったことである。先日過去に関する批判を受けて推薦を辞退したバールコバー氏の代理と言ってもいい。
他にも上院議員たちが推薦した候補者が二人いて、合わせて三人の候補者による選挙となったのだが、事前の予想では、今日3回の投票が行われても、誰一人所定の票数を獲得できずに、後日再選挙となる可能性が高いと見られていた。1回の投票ごとに選出の条件が変わるという、よくわからないルールがチェコの国会にはあるのだ。
それがフタをあけてみたら、1回目の投票では決まらなかったものの、2回目の投票で出席議員の過半数という選出の条件を満たした候補者が出た。ニュースではこの予想外の結果の原因について、昨年来、反バビシュ、反ゼマンのデモを繰り返し主宰してきた団体が、ゼマン大統領の推薦した候補がオンブズマンに選出されたら、抗議のデモを行うと発表したことだと言っていた。それに反発した一部の、ゼマン大統領の候補を今回の投票で支持すべきかどうか迷っていた議員たちが、軒並み支持に回ったために選出が確定したということのようだ。
本来なら、いわゆる政治的な駆け引きもあって、後任の確定が無駄に引き伸ばされるところだろうけど、そうならなかったのはデモの効用の一つと言っていいのかな。デモの主催者たちの意向ではなさそうだけどさ。
2020年2月19日20時。
2020年02月06日
チェコの疫病対策(二月三日)
一月下旬の時点では、チェコでは新型ウイルスに感染したことが確認された例はまだ出ていなかったが、二月に入ってもその点では状況は変わらない。ただ、中国国内の感染地域が拡大しつつあるのと、ヨーロッパでも感染者が確認され始め、各国で中国発着の航空便の規制などの対策が取られ始めたこともあって、チェコでも具体的な対策がとられ始めている。
その一つが、週に何便か飛んでいるプラハ発の中国便の停止である。ただし、停止が始まるのは即刻ではなく、2月9日の日曜日からということになっている。イギリスが即刻の停止をしたのにチェコはどうしてという疑問には、現在中国に150人弱のチェコ人が滞在しており、そのうちの100人ほどが帰国を希望していることを理由に挙げた。つまり、今週末までは、現時点でプラハと直行便のある町ではそれほど感染者が出ていないこともあるので、民間の飛行機で帰って来いということのようだ。
直行便の運行が停止になった後は、必要があれば政府の特別機を中国に飛ばすと言っている。というのもチェコ人の中には、感染者のほとんどいない町で用心して生活しているほうが、感染者が乗っているかもしれない飛行機に乗るよりも、リスクが小さいと判断して、中国に残ることを選択した人もかなりの数いるのだ。事態の進行如何によっては、そんな人たちを政府の特別機で救出に向かう必要が出るということのようだ。
それから、今回の感染症の中心地である武漢に滞在していた5人のチェコ人が帰国した。これは、外務大臣が交渉して、フランスが自国民を武漢から帰国させるために出した特別便に同乗させてもらったのである。フランスのマルセイユ近くの空港に降りて、ベルギー人の乗客もいたのか、ブリュッセルが終着点となっていた。そこからチェコの空軍が運用する政府特別機に乗り換え、プラハの近くの軍用の空港に到着した。武漢からプラハまで関係者以外との接触をほぼ完全に絶つ形で移動したようである。
そこから救急車でプラハ市内の病院に運ばれ、検査を受けた上で14日間隔離されることになっている。検査の結果は全員陰性だったようだが、念には念を入れて潜伏期間とされる14日間は隔離され外部との接触は最小限に限るのだという。隔離期間が過ぎた後も、検査を受けて陰性が確認されてからの解放ということになるようだ。
厳しすぎるという意見もないわけではないが、感染のリスクの最も高い地域からの帰国であること、飛行機の同乗者に感染者がいた可能性が高いことを考えると、これぐらいの処置を取るのは当然なのだろう。5人の人が14日間隔離され不自由を感じるのと、感染症が国内に持ち込まれるリスクを比較すれば、文句を言うほうが間違っている。5人とも事前に説明を受けて納得していたのか、特に文句を言うこともなく隔離されたようだ。
ちなみに同じ飛行機でスロバキア人二人もチェコに到着しており、軍用の空港から救急車に載せられて、バンスカー・ビストリツァの病院に運ばれて、こちらも隔離されたようだ。武漢、マルセイユ、ブリュッセル、プラハの飛行機での移動だけでも大変だったろうに、さらに中部スロバキアまで車で移動というのは、体力を失わせることだろう。この人たちが病気にかからないように祈っておこう。
翻って、日本政府の対応を見るに、どうしてあんなに中途半端なことをするのだろうと疑問を感じてしまう。武漢の日本人を特別機で日本に帰国させたのは、日本人を守るためであろう。それなのに病院に隔離しないのでは、高々数百人を守るために、一億人以上の人を危険にさらすことになる。政府の特別機で帰国させてもらっていながら、隔離どころか検査すら拒否するというのは、何を考えていたのか。これはもうれっきとした犯罪である。民間の空港じゃなくてどこかの自衛隊基地に下ろして機関銃持った自衛隊員に警備させていれば、こんなバカも出なかったんじゃなかろうか。そのまま基地の施設に隔離してしまえばよかったのに。
政府の対応が中途半端なのもいけないのだろうけど、こういうときの対応には、チェコって意外とまともだよなあと思ってしまう。今でも厚生大臣が、新型ウイルスに頭を悩ませるよりも、流行しているインフルエンザ対策をしっかりしてほしいと繰り返している。インフルエンザ対策が、新型ウイルス対策にもなるわけだし、他にできることはない。その一方で、流行の真っ只中から帰って来た人たちは問答無用で隔離するのだから、日本にも見習ってほしいところである。
大学の中にはパニック起して、武漢に限らず中国からの留学生の受け入れを停止したとか、東アジアへの留学を禁止するとか言い出したところもあるみたいだけど、ちょっと心配になる。
2020年2月4日24時。
2020年01月24日
上院議長没す(正月廿日)
元日にはテレビで念頭演説を行い、最近は台湾を 訪問を計画 して中国政府だけでなく、中国に媚を売るゼマン大統領を初めとする親中派にも批判されるなど、活発な政治活動を続けていた上院議長のヤロスラフ・クベラ氏が亡くなった。享年72歳。上院の自らの執務室で突然倒れ、病院に運ばれたもののそのまま帰らぬ人になったらしい。
チェコの上院も、日本の参議院と同様にしばしば不要論が起こるのだが、議員の存在感もほとんどなく、明確に上院議員としてチェコ中の人に認識されている人としては、長らく議長を務めていたピットハルト氏とこのクベラ氏が双璧だと言っていい。ビットハルト氏はビロード革命の際の市民フォーラムの立役者の一人で、キリスト教民主同盟から上院議員に選出され、長らく議長を務めた。2004年の大統領選挙に立候補している。
クベラ氏が上院議員に最初に選出されたのは、2000年のことで、以後2006年、2012年、2018年と4回連続テプリツェ選挙区で当選している。2018年の選挙のあとに、所属する市民民主党が上院の第一党になったこともあり、議長に選出された。それ以前から辛辣な、それでいてユーモアあふれる議会での発言で話題になることも多く、知名度は高かった。
クベラ氏は、典型的な地方政界から中央政界に進出した政治家の一人で、政治家としての職務をいくつも兼任していた。1994年から上院議長に選出された2018年までは長期にわたってテプリツェ市の市長を勤め、2016年からはテプリツェのあるウースティー地方議会の議員も務めていた。テプリツェでは、市長を退いた後も市会議員は続けていたので、2016年からは3職兼務状態だったわけだ。日本的な常識ではありえないと思うのだが、こちらではこれが普通である。最近は批判を浴びて兼職を避けるように指導する政党も出てきてはいるけれども、それを拒否する人もまだ存在する。
クベラ氏が市長になった当時のテプリツェは、旧東ドイツとの国境地帯にあることもあってひどい大気汚染に悩まされ、温泉街を徘徊する街娼の存在もあってあまりよくない意味で有名だった。クベラ氏はその状態の改善に力を注ぎ、大きな成果を挙げたことで、テプリツェをプラハに次ぐ、場合によってはプラハ以上の市民民主党の牙城に作り上げた。ただし、テプリツェで市民民主党を支持している人は、党ではなくクベラ氏を支持しているのだとも言われる。
このクベラ氏にとって最大の価値を持つのは個人の自由で、個人の自由を制限するような法律には徹底的に反対することで知られている。上院議員になった一期目のEU加盟を巡る議論が盛んだったころには、EUに規制が多すぎることを強烈に批判していた。特に今日のニュースでも流されていたけれども、「日曜日にセックスをすると月曜日の仕事の能率が落ちるから、このままいくとEUが禁止するに違いない」なんてことを上院の会議の場で発言したのは語り草になっている。
近年は特に禁煙ファッショに強硬に反対しており、レストランなど飲食店での全面禁煙にありとあらゆる手段で抵抗していた。これは、もちろん本人が救いがたいほどのヘビースモーカで、どこでもここでも煙草を吸わないではいられないというのも理由だろうが、禁煙にするか喫煙にするかを決めるのは飲食店の経営者の自由とするべきであって、禁煙を法律で一方的に強制するのは許されないという主張には一定の説得力はあった。
2018年だったと思うが、大統領選挙に際して市民民主党の推薦する候補者に擬されたことがある。そのときは、ユーモアも交えながら、「煙草を吸う連中が全員、煙草を吸うという理由で支持してくれて、クベラ支持者がクベラだという理由で支持してくれれば勝てるかもしれない」なんてことを言っていたのだが、最終的には推薦を辞退して出馬しなかった。大統領を務めるには健康に問題があると思っていたのかもしれない。
ただ、今思い返せば、大統領選挙で勝つためにはゼマン支持者を切り崩す必要があったことを考えると、決選投票の場合はドラホシュ氏よりも、クベラ氏のほうが勝ち目があったのではないかとも思う。ドラホシュ氏は、政治的に大きな声で発言する学歴が高いエリート層の支持は熱狂的に集めることに成功したが、比較的低学歴の人の多いゼマン支持層には全くと言っていいほど声が届いていなかった。
クベラ氏は過去に、共産党に入党しているが、それは1967年の「プラハの春」の民主化運動の展開の中でのことであり、民主化運動が暴力的に押しつぶされた翌1968年には党を離れている。自ら離党したのか、言動を問題視されて除名されたのかはわからないが、上に登場したピトハルト氏も含めて、プラハの春の後に共産主義に絶望して共産党を離れた人は多く、後に、それらの人たちがビロード革命と社会の民主化の中心を担うことになる。クベラ氏もそのうちの一人で、特に当初は地方の政治の民主化に貢献したのである。
チェコのマスコミは、日本の下衆マスコミと違って死者や遺族を鞭打つようなことは避けるので、クベラ氏の死因は報道されなかった。おそらく遺族が公表を避けたのだろう。あれだけ煙草を吸っていながら、定期的に病院で検診を受けるなんてこともしていなかったらしいし、本人にとっては煙草が原因で亡くなるのは本望というところなのだろうから、以て瞑すべしである。
これで、また一人、共産党政権の時代を生き抜いたたくましい政治家が姿を消した。世代交代が進むと言えば聞こえはいいけど、その結果、既存の政党は官僚的で優等生的な政治家ばかりになって、バビシュ氏やオカムラ氏のさらなる跳梁を許すことになるのではないかと不安になってしまう。
2020年1月20日24時。
2020年01月22日
運輸大臣解任(正月廿一日)
名目上の日付がおかしいと思った方、その印象は正しい。本来であればここに投稿するのは、正月十九日付けのもののはずなのだが、すでに書き上げた十九日、廿日の文の文章の保存されたUSBメモリーを職場のPCにさしっぱなしにするという失態を、久しぶりにやらかしたのである。PC本体の電源がなかなか切れず、待っている間に他のことをしていたらすっかり忘れてしまった。最近もあったよなあと思って確認したら、去年の十二月初めのことだった。最近ボケが進んでいる証拠かなあ。前回は日付を与えずに、その場ででっち上げた記事を投稿したのだが、今回は今日の日付(チェコ時間)で、明日になってから投稿しよう。
さて、去年の四月に前任のテョク氏が辞任し、新たにクレムリーク氏が就任したばかりの運輸大臣だが、バビシュ首相がゼマン大統領に解任を求め即座に解任されることが決まった。文化大臣のときの大騒ぎとは大違いである。また一人、政権交代もないのに運輸大臣が内閣を去ることになった。クレムリーク氏は、1993年以来28年目で18人目の運輸大臣だから、この大臣は内閣の中でも重要なポストでありながら入れ替わりが異常なまでにひんぱんなのだ。
前任のテョク氏は、ソボトカ内閣の前任者の後を受けて就任し、下院の総選挙を経てバビシュ政権が誕生してからも運輸大臣を務め、任期は合計で四年半ほどになる。この数字はチェコ共和国が成立して以来最長のもので、クレムリーク氏が九ヶ月ほどで解任されたのと比べると対象的である。ただ、このクレムリーク氏以外にも、内閣が倒れ新たな内閣が組織できなかったときに大統領の指名で成立する暫定内閣の大臣を除いても、何人か一年未満で退任した運輸大臣は存在するようだ。
このクレムリーク氏は、去年カレル・ゴットが亡くなったときのファンとのお別れ会に大臣の公用車で乗り付けて行列に横入りして献花したことでバビシュ首相からも批判されていたが、それだけで解任されたわけではない。チェコでは来年度から高速道路の通行券の電子化が決まっているのだが、その通行券販売用のEショップの立ち上げと運営を業者に発注する祭に、入札を行わなかったこと、その受注価格が四億コルナと、通行券以外の商品があるとも思えないEショップを立ち上げるには過大な価格だったことで批判を集めていた。
先週、この件が明らかになったときにはバビシュ首相も苦言を呈していたのだが、一気に解任に踏み切るような様子は見られなかったのだが、週明けの月曜日20日に解任したことを発表した。うちのはこれについて、IT技術者たちが、Eショップぐらい片手間にできるからボランティアで作成するなんてことを言い出したのが原因じゃないかと言っていた。これは準備したのはテョク氏の時代だけれども、ダイヤ改正で新たに運行を担当し始めた私鉄が問題を起こし続けていたのに対して、反応が遅かったのも評価を下げたのかもしれない。
とまれ、2018年にバビシュ政権が発足して以来、すでに10人近い閣僚がその座を去っている。バビシュ首相はしばしば自らの内閣のことを自画自賛するのだが、そこまで称揚されるべき内閣なら、その閣僚達も賞賛されるべき業績を上げているはずだから、解任されることはないと思うのだけど。手前味噌、自画自賛、自分のことは棚に上げるというのが政治家にとっては不可欠な資質であるのはチェコも日本と変わらない。
クレムリーク氏の後任には、最近産業大臣に就任したばかりのハブリーチェク市が兼任でつくことになった。暫定や臨時ではなく、二つの大臣を正式に兼ねるようだ。それが可能なのがチェコだと言えばそれまでだが、バビシュ首相はこれを奇禍に二つの省を合弁することを考えていると言う。ハブリーチェク氏に兼任させる理由と同様、二つの省は管轄する分野が隣接していて一部重なっているのが合併して経済省を設置しようという理由になっている。
当然、この考えには野党だけでなく連立与党の社会民主党も反対の声を上げている。重要で職掌も大きく官僚の数も多い、この二つの省を合併するのも、一人の大臣が担当するのも無理だというのだが、これも額面どおりには受け取れない。大臣のポストが一つ減るのが、政治家にとって最大の問題であるのは間違いない。ただでさえANOの登場で非政治家の大臣の数が増えているのである。
誰が運輸大臣になろうと、1990年代以来続いた市民民主党と社会民主党を中心とした政治のクライアント主義によって作り出された運輸省の利権を解体するのは至難の業に違いない。高速道路の建設費用を1キロあたりの平均値にすると、ドイツよりもはるかに高くつくなんてことは普通に考えたらありえないと思うのだけど、変わらない現実である。
2020年1月21日24時。
2020年01月16日
変えられない過去(正月十三日)
バビシュ首相のEU助成金詐取疑惑がどうなるか見通しの立たないチェコの政界に、ゼマン大統領がまた一石を投じて波紋を起した。もうすぐ任期が切れるオンブズマンの後任として推薦した人物の共産党員時代の過去が暴かれ、こんな人物は人権を守る最後の砦であるオンブズマンにふさわしくないと批判を浴びているのである。批判されているのは、ゼマン大統領ではなく推薦されたヘレナ・バールコバー氏なので、ゼマン大統領が悪いとは言えないのだけど、ゼマン大統領が推薦していなかったら、この人の過去が暴かれることもなかったはずである。
このバールコバー氏は、2013年の下院の総選挙の際に、無所属ながらバビシュ党のANOから出馬し当選した。その後、ソボトカ内閣が成立するのだが、ANOのノミネートで法務大臣に就任する。しかし、1年ほどで、期待されたほどの成果を挙げていないという理由で解任され、ペリカーン氏が後任となった。今から思い返せば、ANOとバビシュ氏がペリカーン氏を口説き落とすまでのつなぎとして選ばれたのがこのバールコバー氏だったのではないかとも思える。
法務大臣を解任された後のバールコバー氏は、ANOに入党し、2017年の総選挙でもANOから当選して二期目の下院議員を務めている。最近は、確か政府の人権委員会のようなものでも要職を務めているようで、それが同じ人権擁護の役職であるオンブズマンへの推薦につながったものと考えられる。ゼマン大統領とバビシュ首相はつながっているので、推薦にはバビシュ首相の意向も入っていたはずだ。
このオンブズマンへの推薦が明らかになったことで、バールコバー氏の過去の業績が問題とされるようになった。ビロード革命以前に共産党員だったことについては本人もすでに明らかにしており、他の多くの共産党員の過去を持つ人々と同様にキャリアのために入党したのだと言い訳していた。実際大学に入るためだけに共産党への入党を求められたという話もあるし、共産党員歴を持つ人を完全に排除してしまったら、社会が立ち行かないというところもあるのである。
だから、この件に関してはそれほど大きな問題にはなっていないのだが、バールコバー氏が、いわゆる正常化の時代に、法学の専門誌に発表した論文が発見されて、その内容が問題となっている。正常化の時代に制定され、ハベル大統領などの反体制派の人々を監視し、場合によっては収監するために悪用された法律についての論文なのだが、その名前だけは「保護法」となっている法律の意義を擁護していることが問題にされている。本人の言い訳は、この法律が悪用されていたことは知らなかったというもの。
もう一つ、強く批判されているのは、論文の共著者が、1948年に共産党がクーデターで政権を獲得した後に、政敵を敗処するために起したでっち上げの政治裁判にかかわった人物だったことだ。特に、当時国会議員を務めていた法律家のミラダ・ホラーコバー氏を偽りの自供に追い込み、死刑の判決が下された裁判の中心人物だったことで批判されている。この件についても、バールコバー氏は、共著者が政治裁判にかかわっていたことは知らなかったと言い訳している。
問題は、当時は若手だったとはいえ、大学の法学部を出た法律の専門家が、この手のことを知らなかったというのがありえるのかということと、仮に知らなかったというのが本当だったとしたら、それは法律の専門家としての能力の不足を意味しているのではないかということだ。結局、バールコバー氏は、自らの共産党員としての過去を理由にして、推薦を辞退することを発表した。批判された論文に関しては誤りだったと認めることも、撤回することもしないようである。
このバールコバー氏、コウノトリの巣事件などバビシュ首相の疑惑に関して、法律の専門家としてコメントを求められた場合も、バビシュ首相に都合のいい形での法律の解釈をして、法律上何の問題もないと答えることが多い。結局、政治体制がどうあっても、体制に都合のいい法律の解釈をする、体制に寄生するタイプの法律家なのだろう。この人が、政府に対して反対することも求められるオンブズマンにならなかったことは、幸いだったといえるだろう。
実は、このバールコバー氏が政治の世界に登場したときには、2000年代初頭に活躍して政治の世界から姿を消していたハナ・マルバノバー氏をスタッフとして採用していたこともあって、ちょっと期待していたのだけど、完全な期待はずれに終わった。マルバノバー氏にとっても期待はずれだったのか、すでに協力関係は解消されているようである。
2020年1月14日24時。
2019年12月20日
中国のプロパガンダ(十二月十七日)
ホームクレジットという会社がある。銀行ではない金融業者だというから、日本で言うところのサラ金みたいな会社と考えていいのだろうか。サラ金じゃなくて消費者金融というのが正しいんだったかな。とまれ、日本の野村證券や、アメリカのGEの金融部門が展開していたGEマネーバンクまで、銀行扱いするチェコで、非合法な高利貸しを除いて、銀行扱いされない金融機関があるというのは意外だった。
この金融機関は、1997年にチェコで設立された後、順調に業績を伸ばし、スロバキアをかわぎりに東方へと進出し、ロシアやカザフスタンを経て、現在ではインドやベトナムなどのアジアにまで活動範囲を広げているらしい。当然世界最大の人口を誇る中国には早々に進出し、現在では重要な拠点となっている。中国でこの手の商売をするということは、共産党政権との良好な関係を築かなければならないと言うわけで……。
以前カレル大学の学長が、中国と関係の深い企業からの寄付を受け入れようとして批判されているという話を書いた記憶があるが、その会社がこのホームクレジット社だったのである。あのときは、カレル大学に資金を投入することで、現在の中国政府に都合の悪い研究結果の発表をさせないように圧力をかけるとか、逆に都合のいい研究をさせようとしているとか、憶測が飛んでいた。
ニュースに登場して中国政府のやり口の危険性を説明していたカレル大学の中国研究者も、実はあれこれ評判の宜しくない人物で、どこまで信じていいのか悩ましいところではある。それに大学に資金を提供することで研究の内容を左右しようとしていると非難するということは、逆に言えばチェコでは、いやカレル大学ではそれが可能だということを示してはいまいかなんて皮肉なことを考えてしまった。
カレル大学の件は、批判が強まったことでホームクレジット社が寄付をやめることを決めて一件落着だったのだが、海賊党がホームクレジット社が、チェコ国内で中国のイメージを高めるためのプロパガンダを行なっている、もしくはプロパガンダに協力しているのではないかとして、国会の場で調査することを主張し始めた。具体的なプロパガンダにつながるイベントなんかも挙げられているのかもしれないが、そこまでは確認していない。
中国政府なら、中国での営業を認めたり、営業に便宜を図ったりするのと引き換えに、自国で中国のイメージを高めるのに協力するように求めるなんてことをしても全く不思議はない、というか当然やっているだろうと思うのだけど、それがチェコの法律上何かの問題になるのだろうか。共産党の宣伝をしてはいけないなんて法律があったかなあ。あれば共産党は選挙活動もできないはずだよなあ。
しかし、チェコで中国のイメージを一番高めているといえば、中国資本に買収されて以来、好成績を挙げ続けているスラビア・プラハが一番である。最初は胡散臭そうにしていたファン達も完全に中国傘下であることを受けいているようだし、それを中国のプロパガンダだと批判する人はいるまい。アラブの王族にスラビアを売却するなんて話も出ているけど、スラビアを使った中国のイメージ向上作戦はすでに成功したということかもしれない。
それに中国のプロパガンダといえば、ゼマン大統領以上に貢献している人も、組織も存在しない。バビシュ内閣も、その前のソボトカ内閣も中国との関係を過度に重視して、中国に対してものすごく配慮してきたけれども、ゼマン大統領の親中ぶりにはかなわない。ゼマン大統領とバビシュ首相には反発する人たちも多いので、この二人が親中派であることで、逆に中国のイメージが悪化している面もあるかもしれない。
今でこそ中国との関係を見直すことを主張している市民民主党も、TOP09も、政権与党だったときには、中国からの投資に惹かれて、ゼマン大統領や社会民主党ほどではないにしても、中国に対してあれこれ配慮したり譲歩したりしていたわけだから、今回の提案は海賊党にしかできなかったわけだ。国会での調査の結果をうけてチェコが反中に舵を切るとは思えないけど。
ちなみにホームクレジット社は、チェコ最大の富豪であるケルネル氏の率いるPPFという投資会社の傘下に入っている。PPF社は、90年代の国営企業の民営化をうまく利用して成長した会社のようだ。つまりは、市民民主党と社会民主党が主導したクライアント主義の恩恵を受けて大企業に成長したのである。今でも既存の政党との結びつきは消えていないはずだから、これもまた海賊党にしかできない理由となっている。ANOもやろうと思えば、やれるだろうけど、中国との関係を損ないかねない政策は、政権与党のANOにはできそうもない。
中国があれこれお金を使って、他所の国の世論を操作しようとしているのは事実だろう。中国だけでなく、アメリカやロシアなど、ほかの国もやっているだろうし。問題は操作されている国がそれを認識しているかどうかである。そうなるとチェコより日本の方が心配だな。
2019年12月17日24時。
タグ: 中国
2019年12月16日
コウノトリの巣事件終わらず(十二月十三日)
イギリスの臨時総選挙で、ブレグジットを実行することを主張する保守党が大勝した。その理由として、イギリス人たちのブレグジット疲れと言うものを挙げている記事があったが、わかる気がする。EUの反対側のチェコに住んでいても、いい加減どっちかに決めてくれという雰囲気がEU側にもあるのを感じる。これで現在のEUにおける最大の問題の一つが片付くことを期待しよう。イギリスの国会で議論が紛糾する可能性はまだ残っているのだろうけど、今回の有権者が示したとっととけりをつけろという意志は無視できまい。
ブレグジット問題で夏時間の問題が先送りされたことに対する不満はすでにぶちまけたわけだけれども、チェコでもそろそろどっちでもいいからけりをつけてほしいと思われている問題がある。それが、バビシュ首相がEUの助成金を詐取したとされるコウノトリの巣事件である。バビシュ首相も、EUの助成金のルールである5年を過ぎたところで、急いでアグロフェルト社のものにしないで、コウノトリの巣社を維持しておけばここまで問題にされることもなかったのだろうけど、俺のものだと自慢する自己顕示欲にか勝てなかったのかねえ。
それはともかく、この問題は検察の担当者が、関係する書類を精査した上で起訴手続きを停止するという、予想外の決定をしたことで、少なくともチェコの法律上は一件落着になったものと思っていた。その後、検察の長官が再度チェックした上で最終的な決定なるという話は聞いていたが、部下の決定を簡単にはひっくり返すまいと予想していたのだ。
しかし、予想に反して、もしくは野党やマスコミの予想通りゼマン長官は、部下の決定を分析が不十分だとして差し戻す決定をした。これでバビシュ氏が起訴されるということではなく、コウノトリの巣事件が起訴に値するかどうかを再度検討することになるようだ。つまりこれからまたしばらくは、この問題でああでもないこうでもないと言う議論というか、喚き合いが続くことになる。正直、起訴でも不起訴でもどっちでもいいからとっとと決めてくれと思っているチェコ人は多いはずだ。
今のバビシュ首相の支持者が、起訴されたからと言って支持をやめるとは思えないから、起訴となっても、デモの数や辞任を求める声は高まるかもしれないけど、選挙の結果にはあまり影響はなさそうである。今年の夏辺りから、ビロード革命以来30年ぶりという規模で反政府デモが繰り返されているけれども、そのデモの高まりが、バビシュ氏のANOの支持率の低下にはほとんどつながっていないというのが現実である。
日本も有権者が、野党とマスコミが延々と繰り広げる安部批判劇場にうんざりしているようだけど、チェコの場合にも同じような傾向が見える。この手の疑惑というのは、表面にでたときが一番のたたき時なのだから、そこで辞任に追い込めなかった以上、同じ疑惑を執拗に追及しても、よほどの真実でも出てこない限り、目的を達成するのはなかなか難しいだろう。むしろ有権者に瑣末なことにこだわりすぎているという印象を与えかねない。
ところで、チェコの検察の組織というのは、いまいちよくわからない。ゼマン氏が検察の長、いわば検察庁長官なのは間違いないのだが、それとは別に、プラハとオロモウツに高等検察のようなものがあって、その長である二人も重要な役割を果たしているようで、しばしばニュースに登場するような決定を下している。検察に三人の長がいて、それぞれがバラバラに仕事をしているような印象を与える。
これまで何度か繰り返されてきた反政府デモの理由のひとつが、政府による検察人事への介入を防ぐというもので、バビシュ首相が法務大臣を通じてゼマン氏を解任するのを防ごうとしているようだ。ベネショバー氏を法務大臣に任命したこと自体も批判の対象になっているのだが、現時点ではバビシュ政権は、検察の人事への介入はしていない。むしろ現在のゼマン長官が就任したときに、政治的な理由による長官の交代だと批判されていたはずだ。あれは誰が首相のときだったか。
ベネショバー氏は、政治家による検察の長の首のすげ替えができないように、長官たちの任期を決めてその期間は原則として解任できないという法律を準備しているようだ。それによってゼマン氏を解任する気はないことを証明しようとしているのだろうが、反対派を説得することはできていない。こういうのは、坊主憎けりゃ袈裟までにくいになりやすいからなあ。
検察だけの話ではないのだが、チェコの最大の問題の一つは、政と官が密接に結びつきすぎていることにある。日本の場合には官僚が結びつくのは原則として自民党で、出世争いに負けたりスキャンダルで解任されたりした連中が野党につくというのが基本的な構図だけど、チェコの場合には、各政党が党員を官僚として省庁に送り込んだり、官僚が政党に入党したりしている。特に社会民主党や市民民主党の既存の政党に多い話だが、公務員の不党不偏なんてのは存在しないのである。
警察や検察でも、いくつかの政党と結びつく勢力があって、それぞれに手柄争いをしているのが、チェコで政治家の汚職がひんぱんに摘発される理由のひとつになっているらしい。火のないところに煙は立たずで、でっちあげでの摘発はないようだが、味方の問題は見逃して敵対勢力の汚職は機を見て摘発しているのだとか。警察組織の改組がしばしば行なわれるのも、政党との結びつきを断ち切ることを目的にしているという話もある。
それはともかく、この件についてもとっととけりをつけて、刑事裁判の被告兼首相という前代未聞の存在を作り出してほしいと思う。今の状態には心底うんざりなので、せめて笑い話になる結末を求めたい。EUの議長国の首相が刑事裁判の被告、もしくは檻の中というのも乙な話じゃないかい?
2019年12月14日21時。
タグ: バビシュ首相
2019年11月23日
ロビイストという名の詐欺師(十一月廿一日)
ロビイストというものの存在については、すでに1980年代に、アメリカの政治と日本の政治を比較する新聞記事かなんかで読んだ記憶がある。その記事は、アメリカの政治を称揚して、日本の政治はこのままではいけないと主張していたのだが、どう読んでもロビイストという存在が政治家に寄生する寄生虫のようにしか理解できず、日本のほうがマシじゃないかと思ったんじゃなかったか。いくつかの記事を読んだときの記憶がごちゃ混ぜになっているかもしれないけど。
そのときは、ロビイストというものの存在を知っただけで、具体的にどんなことをしている、どんな連中なのかというところまでは知らなかった。そしてチェコに来て、ロビイストというものの実態を知ることになるのだが、文字通り政治家に寄生する詐欺師だった。これがアメリカと同じだというつもりはないが、同様の傾向はあるはずである。こんなのを日本にも持ち込もうなんて主張していたやつらは頭がおかしいとしか思えない。
政治家の側も、ロビイストの存在を悪用して、自らの汚職の罪を他人に擦り付けたり、汚職自体が成立しないようにしたりしているから、合法的に汚職をするためのシステムだという印象も持ってしまう。日本の場合には、例の「秘書が……」という言い訳が出てくるわけだけど、議員と秘書に間には密接な関係がある。それに対してロビイストの場合には、表面上は直接の関係がない。だから発覚しにくいという面がある。日本で政治家の汚職の発覚が多いのはロビイストがいないおかげだと、独断と偏見をもとに断言しておく。
さて、チェコのロビイストというと、二人の大物の名前が挙がる。プラハの市政、とくに交通局を食い物にしていたイボ・リティク氏と、ロビイストとしての活動よりも、ベトナム人の女性を車で跳ね飛ばして逃走し、政治的な影響力を駆使してなかったことにしようとしたことで知られているロマン・ヤノウシェク氏である。どちらも市民民主党、とくにプラハ市長で疑惑のデパートともいうべきだったパベル・ベーム氏との関係の近い人物である。市民民主党は、この手の過去を何らかの形で清算し限り、バビシュ氏を追い落とすのは難しいだろう。
同じ市民民主党でも、元首相のトポラーネク氏の側近として活動していたのが、マレク・ダリーク氏である。最初に話題になったのは、トポラーネク氏が、いろいろと疑惑のある実業家の金で、イタリアのどこかにバカンスにでかけたときに同行していたというニュースだったかな。このときはそれほど大きな問題にはなっていなかった。
次にニュースになったのは、当時アメリカ資本の傘下にあったトラックメーカのタトラに対して、軍用車両を軍で採用するように首相に話を付けてやるから、金を出さないかという交渉を持ちかけたというニュースだった。アメリカの経営陣がこれをばらしたんだったかな。最初は首相の代わりに賄賂を要求したと大騒ぎになったが、トポラーネク氏が関与を否定し、それが認められた結果、どういう経緯で認められたのかは不明だが、詐欺罪で裁判を受けることになった。
この手のロビイスト、政治家もそうだけど、の特徴として、あれこれ理由を付けて裁判を長引かせ、判決が出てからも、あれこれ理由を付けて収監されるの延期しようとするのだが、このダリーク氏は比較的素直に、裁判を受け収監された印象がある。ひどかったのはヤノウシェク氏で知り合いの医者に診断書を書かせて、何度も収監を延期したり、病気療養名目の仮釈放を求めたりしていた。
とまれ、ダリーク氏は、2017年に懲役4年か5年の判決を受けて、ズノイモの刑務所に収監された。それが最近、模範囚だということで、刑期の短縮が認められ、半分の2年か2年半で釈放されることになった。刑務所内での行動が模範的で他の囚人たちにいい影響を与えたのなら、釈放に反対する理由はない。おそらく保釈ということで、残りの刑期中に犯罪を犯したら問答無用で再収監ということになるはずだし。
とここまでは、元犯罪者が見事に更正して社会復帰が認められたいい話だったのだが、それに水を差すような疑惑が漏れてきた。本来チェコの刑務所に収監された人たちは刑務所内で労役にたずさわる。ただ、模範囚など一部の囚人は、刑務所と協力関係にある工場など、刑務所外で労役をすることが認められている。ダリーク氏もこの例外にあたり、ズノイモ市内のペンションで仕事をしていたというのである。
そのペンションではこれまでも何人かの囚人を受け入れており、そこで労役を果たしたこと自体は大きな問題ではない。問題は、その刑務所外での労役が、ダリーク氏の場合には収監直後から始まっていることと、刑務所の職員の監視がなされていなかったことである。ペンション内ではオーナーが監督の義務を負うという契約になっていたようだが、四六時中監視することができるわけもなく、ダリーク氏がその気になれば、本来は禁止されている電話などを使っての縁者や関係者との連絡も取れたのである。
さらに問題なのは、刑務所からペンションまで、ダリーク氏は一人で歩いて通勤しており、電話どころか直接の接触も可能だったことである。これはダリーク氏自身が直接的に悪いことをしたというわけではないが、ロビイストとしての影響力を駆使して、自分の労役がザル監視の下で行われるようにしたという疑惑は消せない。一番の問題は刑務所は何を考えてこんなことをしたのかということだけど。
この疑惑のせいで、ダリーク氏の釈放が撤回されることはないという。ただ法務省ではダリーク氏に刑務所外での労役を許可した経緯などを詳しく調査して、問題がある場合には担当者を処罰し、このような問題が二度と起こらないようにすると言っていた。実効性はあまりないだろうけどさ。
ちなみに、服役中に刑務所外で労役を務める例は多く、元政治家がサッカーのスタジアムで仕事をしていたり、元サッカー選手がパン屋でパンを焼いていたりする例があるようである。
2019年11月22日17時。
ちょっと修正(2021年1月1日)
2019年11月20日
昨日のできごと(十月十八日)
昨日、「今日のできごと」として書いたことの中に、書き落としたことがたくさんあるので、いくつかを落穂ひろい的に取り上げることにする。11月17日はチェコ、スロバキアにとって重要な日だけあって、しかも30周年の日なので、あれこれ起こったのである。
トリコロールというと、日本ではフランスの国旗をさすことが多いようだが、本来は三色旗のことなので、チェコの国旗もトリコロールである。日本人には赤、白、青の三色が並んでいればそれでいいような気がするが、国旗にトリコロールを使っている国の人たちにとっては、縦横、色の順番などは、ものすごく重要であるようだ。日本人も日の丸の色が逆になっていたら大騒ぎをするだろうと考えると、同じと言えば同じか。
こんな話をするのは、このトリコロールでバビシュ首相が失敗をやらかしたらしいからである。首相として朝からテレビに映り続けていたバビシュ氏は、朝のうちはトリコロールのあしらわれたネクタイを締めていた。しかし、午後になるとそのネクタイを外してしまう。ちゃんと確認したわけではないが、そのトリコロールが、チェコのではなく、ロシア、もしくはスロバキアのものであることを指摘されて外すことになったという。
チェコの三色旗は、白と赤の間に青が三角形で突き刺さるような形をしている。だから、横長のリボンなんかにあしらうときにも、上から白青赤の順番になるのかと思ったら、そうではなく、白赤青の順番が正しいのだという。それに対して、ロシアとスロバキアの国旗は、上から順番に白青赤である。バビシュ氏のネクタイもこの順番になっていたようだ。バビシュ氏はもともとスロバキアの人だから、スロバキアの三色旗でもおかしくない気はするし、この日確かブラチスラバでの記念式典にも出席しているから、言い訳のしようはあったと思うのだけどね。
先日も、サッカーのロシア代用が、ユニフォームを提供する会社の製作した新しいユニフォームの袖の部分のトリコロールの順番が違っているといって着用を拒否したなんてニュースもあったしデリケートな問題ではあるのだろう。トリコロールの本場のフランスでは、シロが真ん中に来ないと許されないのだろうし。
そんなチェコにとっては誇りであるはずのトリコロールに関して、批判にさらされているのが、サッカーの代表のアウェー用ユニフォームである。一体にチームスポーツのチェコ代表のユニフォームは、青赤白のうちの一色、もしくは二色を使用している。赤+青と白一色というパターンが多いかな。本来個人スポーツであるテニスでも、デビス・カップ、フェドカップのときだけは、代表に選ばれた選手たちは、チェコの国旗に使用されている色をあしらったテニスウェアを身につけている。シュテパーネクなど、国旗と同じデザインのものを着ていたこともあるくらいだ。
だからというわけでもないのだろうけど、シュテパーネクが最初に、SNSで世界的なデザイナーのデザインと、民族の魂によるデザインの違いを七つ挙げろなんていう皮肉な投稿をしたらしい。それに続いてベルディフが、なんでこんな色にしたんだ、民族のほこりはどこに行ったんだなんてことをコメントしたのかな。テニス選手は、サッカーの選手よりもはるかに代表として活動する機会が少ないから、その分思い入れも大きいのだろうか。
そのトリコロールを捨てたアウェーユニフォームで、ブルガリアまで遠征したチェコ代表は、あっさり0−1で負けた。勝ち抜けも決まっていたし、イングランドとの直接対決の得失点差で、グループ2位も確定していたから、モチベーションのあげにくい試合ではあった。それでもこのチームの、できのいい日と悪い日の差の大きさは、本大会に向けて大きな問題になりそうだ。現状を考えると出場できただけで御の字というところはあるのだけど、出場するからには上位進出を望みたくなるのがファン心理である。
試合よりも語るべきはこの試合の観客席の奇妙さだった。イングランドとの試合で人種差別的な言葉が飛んだということで、無観客試合という罰が与えられたのだが、完全に観客ゼロではなかった。最近導入された、無観客試合でも14歳以下の子供たちと引率者だけは入場させてもいいという規定にも度づいて子供たちが招待されていた。ただ、その数が200人ほどというあまりにも少ない数だった。
チェコテレビのアナウンサーの話によると、現在のブルガリアのサッカーを取り巻く環境は最悪で、試合に関する関心がそれほど高くなく、また大々的に募集をかける余裕もなかったので、使用したスタジアムを本拠地とするチームの子供たちだけが招待されたのだとか。協会長が辞任したとか、監督が解任されたとか、いろいろあったんだったなあ。そんな状況にあるチームに負けてしまったのである。
それから、チェコ人の観客が数十人いた。一応代表チームに公式に招待された人たちということで入場が許可されていたらしい。よくわからないけどチーム関係者扱いになったのだろうか。とまれブルガリアの子供たちがおとなしかったこともあって、観客席のチェコ語の言葉が中継でも聞くことができたのはなんだか不思議な感じであった。
最後にもう一つトリコロールに関する話をしておけば、問題発言を連発して市民民主党を追放されたクラウス大統領の息子が、手下達とともに結成した新政党の名前がトリコロールというのだった。世論調査によれば、現時点では国会に議席を確保するのは難しそうだが、何をやっても父親の七光りの域を出ないこんな人物の率いる政党が国会の選挙で全国5パーセントの壁を越えて議席を確保するようだと、チェコの民主主義いよいよ危ういということになる。
2019年11月19日23時。