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2018年07月27日
二日目、あるいはすばらしきお祖母ちゃん〈LŠSS2018〉(七月廿四日)
お金を払おうとしたところ、後からおはようと声をかけられた。振り返ると同級生のドイツ人が座っていた。持ち帰りだけでなく、テーブルがいくつか置いてあってその場で食べられるようにもなっているのだ。眠そうな顔でコーヒーを手にしている子の名前はアンナだったか、アナだったか。チェコ語だとアナになるはずだけど、ドイツ語だとアンナかな。恐らくこの名前のせいで、イタリア人のジョバンナが初日の授業でアンナと呼んでねといったのに、なかったことにされているし。
ちなみに、ホウスカは、チェコではロフリークに次いで一般的で値段も安いパンである。生地は同じで形が違うだけかもしれない。とあるオーストリアのドラマの主人公の警察犬の好物が「サラミを挟んだホウスカ」と訳されていたのだけど、オーストリアのホウスカが円形に近いのに対して、チェコのホウスカはいびつなでこぼこした形をしている。
授業は復習から始まった。ラテン語起源の「-um」「-a」で終わる中性名詞、「-us」で終わる男性名詞不活動体の格変化の特に複数形の練習問題をいくつかやった。その前に、シュクボレツキーの短編小説の一部分を基に、格変化させたり類義語を探したりする宿題の答え合わせもあったんだった。少年時代を回想しようとして思い出しきれないという感じの内容の小説は、授業で宿題にはなかった最後の部分を読んだのだけど何とも中途半端な終わり方をしていた。小説じゃなくてエッセイだったのかな。この感じは昔村上春樹の短編を読んだときに感じた消化不良感に似ているような気がした。
シュクボレツキーは、カナダに亡命してトロントでチェコ語のチェコスロバキアでは出版できなかった本を刊行する出版社を設立したことで知られる作家だけれども、作家としてはどのように評価されているのだろうか。日本でもよく知られるクンデラの作品についてはニュースなんかで話題になることがあるけれども、作家としてのシュクボレツキーについてはあまり聴いた記憶がない。ビロード革命から程ない時期に制作された映画「タンコビー・プラポル」の原作者というイメージが強すぎて他の作品に目が向きにくいのかもしれない。
この「タンコビー・プラポル」と同じころに撮影された「チェルニー・バロニ」という、同じく共産主義時代の軍を舞台にした映画もあって、どちらがどっちだったかわからなくなることがある。今回も先生に聞いて「タンコビー・プラポル」がシュクボレツキーの原作だということを確認した上で書いている。でも、ことあるごとに「テラスキ・ソム・マヨロム・ヤー」とのたまう将校が出てくるのはどっちだっけ。これってスロバキア語のはずなんだけど、スロバキア人に知っているスロバキア語として言ってみてもなんか反応が薄いんだよなあ。何でだろ。
次は、それぞれという意味の「ka?dý」の複数形。新聞などの複数でしか使わない名詞の前では、「ka?dý」を複数で使うこともあるだろうけれども、普通は全部という意味の「všechen」の複数形を「ka?dý」の複数として使う。「všechen」を単数で使う機会としては、「To je o je všechno(これで全部です)」のように述語として使うときぐらいだろうか。この「ka?dý」の単数と「všechen」の複数が組み合わせで使われるというのはすでにべんきょすでに勉強したことではあるのだが、ついつい忘れてしまうから、改めて指摘されて認識を新たにすることは大切である。おもわず「あはあ」と言ってしまったし。
それはともかく、本日の授業のハイライトは、最後にやったロールプレーだろう。参加者たちの姿勢によっては時間の無駄に終わることも多いレールプレーだけど今年はみんな積極的に、男性が女性の役になったりその反対だったりで、男性形と女性形を間違えて苦労したりなんてことはあったけれども、異常なほどに盛り上がった。
結婚式について話し合って決めるというもので、登場人物は花嫁二人、花婿二人、これがそれぞれ姉妹、兄弟という設定で、それにそれぞれの両親、何にでも口を挟まないと気がすまないお祖母ちゃん、アメリカ在住の成金のおじちゃんで、全部で十人。特にとにかく大きな結婚式にしたがるお祖母ちゃんと、金持ちだけど金を出したがらないおじちゃんの活躍で、どんな結婚式になるのか合意に達することはなかった。合意に達するよりも、活発に議論することのほうが重要なのでこれでいいのだ。正直、終わってしまうのが惜しいと思うぐらいの時間だった。
スロバキア系アメリカ人のおじちゃんのけちけちぶりも見事だったけど、最高だったのはウクライナ系モラビア人のお祖母ちゃんだった。「何でそんな子というのよ」とか「お金はどうするのよ」とか、田舎の口うるさいお祖母ちゃんになりきっていた。普段は大学でチェコ語を教えているという。語学の先生が生徒になると、自分のクラスにいてほしい学生になろうとするから、授業が盛り上がる傾向があるのだ。この先生と同じクラスになれた幸運に感謝しよう。そういえば以前のサマースクールでクラスの活性化に活躍していたイタリア人のアレッサンドロも、チェコ語ではないけどイタリア語を教える先生だったなあ。
2018年7月25日18時30分