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ヤクルトは今夜も4回まで8対1で勝っていたが8回に6点入れられ小川の勝ち投手の権利も吹っ飛び結局12対9で負けた。何点リードしていても勝つことができないヤクルトは打つ手がない重病である。女子バレーはフルセットの末中国に敗れた。でも敗れはしたが大接戦でよく頑張ったと思うので納得出来る。ヤクルトの場合は、昨年まで抑えのエースだったバーネットが今年は調子が悪くて、彼を出すと必ず大量点を取られて大敗するのに本日も同じ轍を踏んでいる。彼を起用する監督、コーチはどうなっているのかと思う。フアンとしては納得できない。プロスポーツは勝負の世界である。シーズンが終わった後新しいシーズンに向けてキャンプを張り、優勝を目指してトレーニングを重ねて新年度のレースに臨む。レースでは当然、調子のいい時もあるし悪い時もある。しかし調子の悪い時にどうするかで選手個人としてもチームとしても評価されると思う。プロスポーツには必ずフアンがいる。フアンは勝ってもらいたいと思うが負けてもあれだけ頑張ったのだからと思える時はそれほど悔しくない。今のヤクルトの場合は頑張って負けたという印象がない。手抜きして負けている印象だ。負けた原因を反省しないで同じことを繰り返して負けている。フアンがいるプロスポーツ選手としての自覚を全く失ってしまった姿といえよう。勝つか負けるかは時の運もあり微妙なこともあるが、これほど無気力ではっきり負けるチームは珍しい。負けったっていいと思う。全力を出し、全知全能を振り絞って戦ってもらいたいと思う。
2013.08.31
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今夜は私が前に働いていた健康管理センターと今働いている病院との交流懇親会があった。会場は甲府市の春日モールの「ふじいけ」というお店だった。看板が小さくてやっと見つけて中に入った。昨日高校の同級会があり、5時開会だった。私の病院の終業時間は5時半だが、木曜日は外来担当なのでとてもその時間に終わるわけがなく、息せき切って駆けつけたが1時間15分位の遅刻でしばらくしたら終了になり今度は2次会に駆り出された。いずれも多忙の中で義務感で参加させて頂いたみたいで疲れたという実感だけだった。昨日の今日で、また飲み会に参加しなくてはならないという引いた気持ちが少しあった。でもこちらは開始が7時だったのでその分余裕が持てた。そして昔私が勤めていた時の仲間なので話が弾んだ。しかも小さな看板でどこにあるのか分からにようなお店なのに「ふじいけ」から出てくる料理は格別に美味しかった。ワインで育てた豚肉のしゃぶしゃぶも美味しかったが、なんといっても北朝鮮産の松茸が入った土瓶蒸しは最高に美味しく絶品だった。そこのマスターが言うには松茸は北朝鮮産が最高とのことだった。会話は楽しく料理は美味しくて最高に楽しかった。昨日も飲み会だったが幹事にには申し訳ないが開始時間の設定などで充分楽しむことができなかった。また日常業務も厳しく、楽しい思いはめったにない。プロ野球ヤクルトのフアンだが、ピッチャーも打者もまったくだらしなく最下位を独走しており、その負けっぷりも10点勝っていても簡単に逆転される展開にイライラを通り越して悲痛な思いで暮らしてきた。でも今夜は楽しかった。ヤクルトがなんだ!!、最下位がなんだ!!クソピッチャーがなんだ!という気分いになった。たまにはこういう楽しい思いをしなければ生きていけないと思った。
2013.08.30
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世の中にはうどん屋やラーメン屋、ホテル業、デパートや小売業など人を相手の商売は多い。そこではもてなしの心と笑顔が必要である。私も人を相手の仕事をしており、いつも挨拶や笑顔を心がけている。時には疲れている時や前夜の勤務で眠い時などはイライラしたり惰性で仕事している時もあるが、通常は全ての人にもてなしの心と笑顔で接している。ところが家に帰ってくると、家内が話しかけてきても面倒くさそうに正面も向かないで適当な返事をしている。こちらから話しかけることもないし笑顔もない。職場では当然やるべきことをしなくてはならないが家ではいい加減でもいいと思っていたのだと思う。この頃感ずるところあって家でも勤めの時のような笑顔ともてなしの心を心がけている。もとより勤めは本番で家は練習みたいなものなので勤めのようにはいかないが話しかけられたらそちらを向いて話を聞いているふりをしている。外ずらは良くして内ずらはどっちでもいいと思っていた人間の典型だと思うが、内ずらを悪くしなければならない理由はどこにもない。よそ行きと普段の区別をつけたかっただけだと思う。内ずらも良くしようと心がけだしたら家内の対応も少しずつ変わってきた。家に帰るのが楽しみになってきた。世の職業人の皆様、外ずらと内ずらを区別なさっている方がおられましたら、よく考えれば区別する理由はどこにもないので、区別をとっぱらってみてください。人生2倍楽しくなりますのでお試し下さい。
2013.08.28
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今シリアでは化学兵器(毒ガス)による死者や負傷者が多数生じており、その救援に多くの医療団が当っているが、その一つに国境なき医師団がある。国境なき医師団は1971年にフランス人医師たちによって設立され1992年に日本支部も結成された。NPO法人であり、ボランテア活動によって支えられている。2011年3月11日に起きた東北大震災の時も翌12日には現地入りして救援活動を行っている。その活動資金は人々の寄付金で賄われている。活動メンバーは志願者によって構成されているが、医師、看護師、検査技師等医療関係者が60%位で設営や運搬、交渉等を行う非医療職の人達が40%位である。応募資格は医療職の場合は経験が必要だが非医療職は経験は必要なく奉仕の心さえあればいい。どこに派遣されるかわからないので健康が要求されるが年齢制限はない。自国内のこともあるが外国に行くことが多いのでそこで仕事がスムーズに行われるために臨機応変力、環境への適応能力、語学力などが要求される。期間は6ヶ月だが根底の奉仕精神があやふやだとノイローゼになって途中で帰還する人もいる。ノーベル平和賞を受賞して有名になったが一般民衆からの寄付によって成り立っており、規模はそれほど大きいものではなく、活動範囲は全世界に広かっているが、ボランテアによってほそぼそと運営されているというのが実情だと思う。現地では診療所開設、設営、運搬など非医療職の活動が不可欠だ。志のある若者が数多く参加してくれることが望まれている。
2013.08.26
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昨夜は病院の当直で、本日の朝9時までが任務である。円安になったからか外国人旅行者が増えたようだ。昨夜台湾からの旅行者で39.5度に発熱した36歳男性と富士登山して下るとき足をひねった48歳女性が救急外来受診した。ガイドさんが日本語をしゃべるので診察は普通に行えた。足をひねった女性は左足腓骨の下端を骨折していた。日本では通常は手術だが中国ではどのような治療をするのか分からない。26日に帰国するという。ギブスで固定して松葉杖を貸与して帰した。日本人の場合は松葉杖は返してもらうので貸与料をいただくが返せないとのことで、4000円保証代を頂いたとのことだった。治療代は健康保険が使えないのでどのくらいかかったのか気になっていたので朝事務の人に聞いてみた。2万円頂いたとのことで、少し安心した。外国に行って病気になったり怪我をした場合は大変である。今は中国は景気が良くなったので2万円位大丈夫だと思うが、一昔前の中国と日本では2万円といえば中国の月給の4倍、日本円にすれば120万円位に相当するので気絶したかもしれない。日本人がアメリカに行って病気になっても何百万も請求されるらしい。今では外国旅行者健康保険があるようなので万一に備えてそれには必ず入って旅行してもらいたいと思った。
2013.08.25
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今朝出勤時のラジオでパキスタンの少女が国連演説した時のニュースを再放送していたので聞いた。既に何回か聞いたニュースだが重要なことなので本欄で取り上げることにした。ニュースの大要は以下の通りである。「差別されている女子への教育を訴え、タリバンに頭を銃撃されたパキスタンの10代の少女マララ・ユスフザイさんが、けがと闘って健康を取り戻した。彼女は全ての子供は教育を受ける権利があるという信念を持ち続け、今や、そのメッセージを国連に伝えるという形でテロリストに挑んでいる。16歳の誕生日に国連での演説に立ったマララ・ユスフザイさんは「彼らは銃弾で私たちを沈黙させようとしましたが、それは失敗しました。弱さや恐怖や絶望は死に、強さと力と勇気が生まれたのです」と述べ、(世界の)指導者たちに女性と子供の権利を擁護するよう求めた。そして女の子にも男の子にも学校へ行く機会を均等に与えてほしいと強く訴えた。」日本では男女平等、機会均等で、男も女も同じように教育を受ける権利がありますが、パキスタンでは女子は学校へ行くことさえできません。マララ・ユスフザイさんはその不合理をブログに書いて訴えました。それを知ったタリバンに銃撃されましたが奇跡的に助かって国連演説するまでになりましたが、その演説には鮮烈な信念が貫かれていると思いました。女の子には教育を受けさせないとはとんでもないことです。男も女も貧乏人も金持ちも、全ての人は教育を受ける権利があり、それは誰人も妨げることはできないと思います。日本にいるとそれは当たり前のことですが、世界にはパキスタンだけでなく、多くの国で子供たちが均等に教育を受ける機会を奪われています。マララ・ユスフザイさんの勇気ある発言に感動し、世界中の子供たちが平等に教育を受けられるように努力し、応援していかなくてはと思いました。ところで教育は重要だと言いますが、ただそれを受ければいいというものではなく、その内容こそ重要だと思います。教育には国語、社会、算数などの教科教育もありますが、それ以上に重要なのが人生の指針教育だと思います。自分や家族、生まれた国を愛し、尊び、守ることは重要ですが、それと同じ位に周りの全ての他人、全ての国の人達を大事に思い尊重することが大切です。地域性や主義主張、宗教などにとらわれないで何が最も大切かという教育を世界中で行ってもらいたいと思っています。私は「自分と他人」「ラブラブ思考で世界は変る」という本を書きましたが、自分と同じように他人や他国人を心の底から大事にする思想、これが最も大切だと思っています。教育の最重要目標はそこになければならないと思っています。
2013.08.24
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老人ホームにいた85歳女性、何も食べなくなったといって、当院を受診して入院になった。熱中症などからくる脱水でも何も食べなくなるが、点滴をすると活気がもどり、食事を食べてくれるものだが、この患者さんは違った。いくら点滴しても何も食べようとしない。糖尿病があるが、インスリンを使って血糖のコントロールをしており、糖尿病だから食べられないわけではない。胃腸が悪くても食べられないことがあるので、胃カメラ検査をしてみたが、異常はなかった。熱があったが、抗生物質で治療して平熱になっても何も食べようとしない。右肺に肺がんはあるが、それが全肺を占めているわけではなく、肺がんがあることは食事が食べられないこととは関係ない。恐らく頭の中の食欲中枢が壊れてしまったのだと思う。私の父も発熱後、寝たきりになって、食事が食べられなくなり、家内に介護してもらって自宅で亡くなったが、食べられなくなったということは寿命がきたということだと思う。でも近年はそのような状況になっても胃瘻を作ったり、鼻から管を入れて栄養を保たせて生命を永らえさせる処置を行うことが多い。この患者さんの家族にも胃瘻の話をしたが、キーパーソンが姪御さんで、胃瘻を作ってまで面倒みていく自信がないからと、胃瘻の造設は望みませんとのご返事を頂いた。現在点滴だけで命をつないでいるが栄養が十分でなく、これからは衰弱していくのみで心苦しい。胃瘻を造ればずっと管理しやすくなるし長生きもできる。周りも安心する。でも胃瘻を作って長く生きることは必ずしもその患者さんの望むこととは限らない。本人の意志に反して鼻管を入れたり、胃瘻を造っていると思われるケースも多い。人の命は何者にも変え難く、最も尊いものである。しかし本人の意志に反して家族や医療側の心情で人工的に延命していくことは、必ずしもその人の命を最高に尊重していることにはならない場合もあることを銘記していきたいと思っている。
2013.08.22
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98歳女性、高血圧などで甲府から私の石和にある病院に通っている方である。昨日の朝、畳の上で転んで、左大腿骨を骨折して起き上がれなくなってしまったと家が近所なので私の家に相談に来た。出勤前で自宅にいたので、「近くの県立中央病院か国立甲府病院に救急車で運んでもらうのがよいと思いますよ」とお答えした。でも本人が遠くてもいいから私の病院にかかりたいとのことで救急車で当院に運ばれてきた。整形外科の先生が診察してくれて左大腿骨頸部骨折とのことで、昨日の午後5時から手術してくれることになった。ペースメーカーを入れているので電気メスを使ったりする時止まってしまっては困るので業者にも来ていただいて無事手術が終了した。術前「年も年だし、ペースメーカーもいれているので、万一のこともあるかもしれませんがその覚悟もしておいて下さい」と話したら整形外科の先生からも言われたとのことだった。無事手術が成功して一安心したが、昔なら考えられないことだと思った。「年も年だし、ペースメーカーも入れているので手術はできないので、保存的に治療します」となっていたと思う。お年寄りはちょっと転んでも大腿骨頚部等を骨折することが多く、それが基で寝たきりになり、認知症が進んで死亡していくケースが多かった。でも今は違う。年齢が90歳を超えていても積極的に手術する。そして翌日からリハビリを開始して2週間後にはリハビリ専門病院に転院する。1日たりとも寝たきりにさせないのだ。医学は進んだと思う。もう骨折は怖くない。ペースメーカーを入れていても業者に来てもらえば手術はできる。骨折→寝たきり→認知症の鎖は断ち切れたと今回のことで思った。
2013.08.21
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残酷な集団婦女暴行事件が頻発していることで世界の注目を集めたインド、今朝の朝刊には「捨てられる老母」と題してインドの高齢者のことが掲載されていた。インド北部のブリンダバンには夫に先立たれた年老いた女性が各地から身を寄せている。ヒンズー教社会では夫を亡くした女性は不吉な存在とみなす考えが根強く残っており、粗末な食事しか与えられず地味な白いサリーしか着られない。ノミタさん(95歳)は6年前息子夫婦に追い出されこの地にたどり着いた。政府の支援施設もあり、街の人口約6万人に対してノミタさんのような寡婦が1万5千人暮らしている。日本でも昔「楢山節考」にみられたように姥捨てがあった。稼がない人は捨てるしかないという現実があった。それが今は介護保険や老人保健施設などで2重、3重に守られている。このように変わってきた原因はどこにあるのか?日本の国民一人あたりの所得は470万円に対してインドは15万円しかない(2012年国連推計)。日本は豊かになってきたからだと思う。宗教や政治、社会通念などの違いもあるかもしれないが、日本とインドの高齢者に対する待遇の違いの最大の要因はお金だと思う。失業者があふれお金を稼ぐあてのない人も多い。「お年寄りが老後を豊かに暮らすにはどうしたらいいか」という考えそのものが浮かばないのがインドだと思う。私はシュバイツアーの伝記を読んで、彼と同じように恵まれないアフリカの人達のお役にたちたいと思って医師になった。今も語学を必死で勉強しているのはその志を捨てていないからだが、この記事を読むとアフリカよりインドの方が恵まれていないのではないかと思えた。その国の人達のお役に立つには医療だけではない。政治、経済、思想の方がもっと比重が大きいように思えるが、それらに役立つ力すべてを私はそなえていない。とりあえず医療を通じて何らかのお役に立ちたい。私は恵まれない人達のために何らかのお役にたちたいと勉強してきたが、この恵まれた日本で暮らしていたのでは何もお役に立てないのではないかと思えた。ではどうしたらいいのか?数年前国境なき医師団に加わってアフリカに行こうと決意して応募したが様々な事情で挫折している。インドの記事を読み、この恵まれた日本でのほほんと暮らしていて良いのか?という考えがまた強くなった。
2013.08.19
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私は消化器内視鏡を専門とする医師である。今年の2月ピロリ菌陽性胃炎の治療が保険適応されたことに伴い、多くの人がその検査や治療に来院している。今までの研究からピロリ菌を除菌(退治)すると胃がんに罹る割合が半分以下になることが分かっており、胃がん予防のために治療を希望してくる人が多い。ピロリ菌が胃がんの基を作り、長年かかって胃がんを顕在化させると考えられており、高齢になってからだと顕在化していなくても既に胃がんの準備がかなり進んでいることがあり、除菌してもその効果は少ないかもしれないが、除菌しないよりは胃がん発生率は少ない。タレントの逸見政孝さんが胃がんでなくなったが、その方の胃がんは未分化がんと言われる極めて進行の早いがんで、上述したゆっくり進行する胃がんとは別物と考えられている。ピロリ菌が長年月かけて胃がんを作っているとすれば、この進行の早いがんはピロリ菌と関係ないのではないかと思われてきた。しかし近年の疫学研究によると、この進行の早い胃がんもピロリ菌と関係があり、ピロリ菌を退治することによってこのタイプのがんも予防できるのではないかと期待が持たれている。もしそれが実証されれば大変な光明で、若いうちにピロリ菌を退治してしまえばどのタイプの胃がんも防げることになる。肝臓がんの原因もC型肝炎ウイルスやB型肝炎ウイルスと言われている。そこで肝癌予防のためにインターフェロンやリバブリンなどを使ってそのウイルスの退治が行われている。ピロリ菌やC型肝炎ウイルスなどが発見されていなかった頃は、がんの原因は様々に言われてきたが、これまでの研究によって、細菌やウイルスが発がんに大きく関与していたことが分かってきた。乳がんや大腸がん、すい臓がん等では遺伝子変異の有無も大きな要因と考えられているが、胃がん研究でここまでわかってきたので、他のがんについても次第にもっと明らかにされていくのではないかと考えている。
2013.08.18
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12年前トヨタのマーク2を購入し、長年乗ってきたが、故障もなく外観も新品同様でこのままずっと乗っていてもいいように思っていたが、税金のことや燃費のこと、タイミングベルトの交換など面倒なことも多いので新車を買うことにして4月に申し込んで今月11日に納車された。人気車とのことでもっと遅くなるかとも思ったが、盆前に納入されて滋賀県からきた長男にも見てもらってよかった。説明を受けたが機能がありすぎて未だに100分の1も分かっていないかもしれないが、運転は出来るようになり、勤めにも通っている。この車のキャッチフレーズは数メートル先の人間でもキャッチして自動的に止まるようになっていたり、万一人を引っ掛けたらフロントガラスの前面にエアバックが開いて歩行者がフロントガラスに頭を直接打ち付けないようになっていることである。また縦列駐車する時ボタンを押せば自動的に駐車位置に入れてくれたり、燃料節約のためブレーキを踏んで駐車している時にはエンジンが止まる装置もついている。セキュリティも厳重で誰かがいたずらしようと車に近づくと大きな警報も鳴らすらしい。しかし、いくら様々な機能がついていてもその活用法を知らなければ豚に真珠で、猫に小判である。少しずつ勉強していこうと思っている。スエーデン製でその基本制作理念は運転者の安全と歩行者や他車の安全である。ドアは日本車の3倍くらい厚くてボデイもすごく厚い。恐らく他車と衝突しても他車はぺしゃんこになってもこちらはなんともなっていないだろう。それだけに責任が思い。安全運転を心がけていこうと思う。
2013.08.17
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楽天田中投手が日本新記録の21連勝をマークした。ボールに威力があって相手打者を押さえ込むだけでなく味方が点を取ってくれなければ勝利投手にはなれないので、運が良かったのだと巷では言われている。勿論ボールに力がなくてへなちょこ球では早々にノックアウトされてしまうので、球に力があることは間違いないが、彼と同等もしくはそれ以上のボールを投げる投手でも中々勝ち投手にはなれない。前半は素晴らしいピッチングをしていても、勝利投手のかかる5回に入ると突然崩れる投手は多い。田中投手はその5回を切り抜ける術を持ち、襲い来る大きなピンチをも切り抜ける術を持っており、白星を積み重ねてきた。幸運が重ならなければとても掴むことのできない記録だが、運だけではないと思う。ピンチになっても動じない心、味方打線を活性化させる投球リズム、チーム内での信頼、これらがなければ1勝だっておぼつかなかったと思う。体力、技術、精神力、運の結果だと思うが、最初の3つが運を引き寄せているようにも見える。このような大記録は運がなければ達成できないが、それを引き寄せた技術力、忍耐力、たゆまぬ努力、不屈の精神力に心からの敬意を表する。
2013.08.16
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本日の朝刊に昨年2月92歳で亡くなった矢野正美さんの記事があった。1941年20歳で陸軍に入隊して満州、フィリッピンで戦い終戦後25歳で復員して、砂利運搬業などで懸命に働いて財をなした人である。その人が戦地で体験してきたことを克明に記録し、本にしたり講演なども行ってきた。戦時であり、上官の命令であったとしても実行したのは自分であり、ずっと自責の念に駆られてきた。不戦の像を立てたり平和活動団体に寄付をしたり、身内などに戦争の悲惨さを語り継いできた。強盗、殺人、婦女暴行などありとあらゆることをしたし、食べ物に飢えていた時、敗走していた日本兵を殺してその肉も食べたとのことである。20歳から25歳までの5年間の体験だがそのあまりの酷さに思い出すたびに戦慄していたのではないかと思う。戦争には綺麗な戦争はない。領地を広げて自国を豊かにするために戦いなさいと戦地に送り出されるがそこで繰り広げられることは正に地獄である。これは矢野さんだけの体験ではない。世界中のすべての戦争参加者は大なり小なり体験していることと思う。戦争に勝った方は、それらを明らかにしないで負けた方にはこんなひどいことをしたと戦争犯罪者に仕立てあげているが実際は勝った方も負けた方も全く同じである。矢野さんの思いや叫びを無駄にしてはならないと思う。戦争とはこんなにも残酷なことなのだと教えて下さった意義は大きい。国のために自らの命を捧げることはかっこよいと思われ、当時の若者の多くは特攻隊に志願した。しかしその裏では目を覆うばかりの悪事が行われていたのである。今でも世界の各地で内戦を含めて様々な戦争が行なわれている。どんな戦争にも正義も人権も慈悲もない。これは正しい戦争だ、正義のために戦うのだと戦争はひこ起こされてきたが、そのような戦争があるわけがない。どのような戦争も絶対避けるように為政者は命を賭けて活動してもらいたいと思う。
2013.08.15
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かって英会話教室に通っていた頃、受講生に飛び抜けて美人の婦人警官がいた。彼女はミヤンマーに魅せられて何度もミャンマーに行き、村人達と交流を深めていて、多くの写真を見せてくれた。世界一貧しい国と言われているが、人々の心は世界一美しい。日本にいてもミヤンマーのことを思えば懐かしさで心がいっぱいになり、又行きたくなるというほど惚れ込んでいた。そのミヤンマーで、今仏教僧が立ち上がり、イスラムとの争いが各地で起こっているという。上述した、ミヤンンマー大好きの美人婦警の話ではミヤンマーには争いもその火種も全く感じられなかったとのことだが、国内事情としては大きな問題があったようだ。ミヤンマーは仏教国である。しかし近隣諸国同様イスラム勢力に次第に占領されてきて、仏教徒たちが虐げられてきている現状があり、仏教僧が立ち上がり、イスラムに席巻されるなと説教したり活動を開始したのが原因らしい。争いを好まない仏教僧としては極めて異例のことである。インドネシア、パキスタン、バングラデッシュ、インド、とイスラム化の波は止まらない。かっての仏教国はことごとくイスラム優勢国になってしまった。仏教僧達にはミヤンマーもその轍を踏むのではないかとの不安がある。イスラムは一夫多妻も許されており、人口はどんどん増加している。しかも布教活動は活発で場合によっては他宗を攻撃したり武力を用いたりして勢力を増やしてきた。対する仏教は悟りが根本で、禁欲を説くこともあり、他宗や他人と争うことは好まず、積極的な布教活動は行ってこなかった。その結果、世界でイスラム勢力は急増しており、仏教勢力は衰退している。布教活動が活発か否かによって現在の勢力地図は出来上がったものと思われる。ミヤンマーのイスラム化をせき止めて、仏教を護って行こうとする彼らの活動に声援を送りたい。
2013.08.14
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今日はお盆さんなので午後だけ半日分休暇をもらって息子たち家族と一緒にお墓参りに行って帰りにお寿司屋さんでお寿司を食べて帰ってきて、迎え火を焚いて、今、家に入ってきたところである。父母始めご先祖さんがお盆の間だけ我が家にいてくれると思うと何となく緊張する。今日の午前中に2人退院した。一人は急性肝炎の患者さんで、GOT,GPTも全く正常化して治癒しての退院なのでお互いに感謝と喜びの中の退院であった。もうひとりは60歳女性、食道がんの患者さんである。喉がつかえるような感じがするとのことで内視鏡検査をして、中部食道に食道がんが発見された。医大に紹介して精査を受けたら咽頭の近くにもがんがあり、入院治療の予定になっていたがベッドがなくて、自宅待機していた時に食事をのどに詰まらせて救急車で来院して私が受け持ちになった患者さんである。放っておけば完全に塞がってしまい、何も食べられない状況になってしまうので何らかの治療をしなければならない。抗がん剤、放射線、手術療法があり、病期に応じて使い分けられたり併用されたりしている。医大では手術となると喉頭、食道全摘手術で声は出せなくなるし、気管切開して喉から呼吸をしなければならないので抗がん剤か放射線治療を勧められたようだが、本人が手術を希望して本日当院を退院して医大の外科に転院して行った。人はいつどのような病気になるかわからない。私は患者さんを診る時、自分がその病気だったらどうだろうかと思うことが多い。自分が声を無くし、気管切開しなければ生きていけないとなると辛くてどうしょうもない。患者さんもきっと様々なことを考えた上で手術を選択したのだと思うが、その辛さは想像に余りある。私は外科医ではないので、腫瘍を取り除いたり、細く詰まったところを広げたりはしてやれない。せめて励ましてやれるくらいだ。朝のお別れ時でも「医大に移ってよく診てもらって下さい。手術についても最初抗がん剤を使って小さくしてから手術の予定とのことですので、その効果の状況をみて手術しないで済むこともあるので、焦らないで、先方にお任せしたらよいと思いますよ」とお話しするのが精一杯だった。今後の予後はわからない。奇跡的に回復する人もいれば不幸の転帰をとる人もいる。私に出来ることはひたすら少しでも機能回復して快方に向かうことを祈るだけである。引き受けて下さった医大の先生方よろしくお願い申し上げます。
2013.08.13
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最近辛いことが多すぎた。人生を悲観的に考えることもあった。でも今日は楽しかったし、久しぶりに心が晴れた。ひとつは滋賀県に住む息子一家が滋賀県から朝4時起きでこちら甲府まで来てくれたことである。二つ目は4月に注文した新車ボルボが本日納車されたことである。説明を聞いたら気が遠くなるような機能があり、使いこなせるかどうか全く自信がないが、13年ぶりに新車を買った気分は格別だし、やっとその車が本日配車されてきて嬉しかった。3つ目はゴルフである。練習場へはよく行くが、本コースへ出るといつもからっきし下手くそで、がっくり落ち込むのが今までの常だった。最初にドラーバーという長いクラブで球を打つがそれが練習場では距離はでなくてもある程度真っ直ぐ飛んでくれるのに、本コースでは真っ直ぐ飛ばないだけでなく、球に当たらなかったり、かすって目の前数メートルまでしか飛ばなくて泣きたくなることばかりであった。家内からは「そんなに落ち込んで嫌な思いをするならゴルフなんかやめなさい。もともと運動神経が鈍いのだから無理ですよ」と最近よく言われるようになった。自分も実際やめようかなと思うこともあった。でも諦めきれずに勤めの帰りに練習場に寄って暗い気持ちながら練習はしていた。この練習は役に立たないという虚しさを心に抱えての練習であった。ところが本日の本コースは違った。パターが悪くてスコアはそれほど良くなかったが、ドラーバーショットや途中のショットでの失敗が少なく、同行の仲間から、「今までと全然違う」「力が入っていなくて素晴らしいスイングだ」と口々に褒められた。自分でも力んでいなことがわかったし、何となく真っ直ぐ飛ばせるこつを掴んだというか自信も湧いてきた。ゴルフに行く度に落ち込んで帰って来るので家内から「もうやめなさい」と言われていたが、そんな言葉も消し飛んでしまった。世の中悪いことばかりは続かない。いいこともあると思った。ゴルフについて言えば、落ち込み泣きべそをかきながらも続けてきた甲斐があったと思った。努力の積み重ねが本日の喜びをもたらしてくれたのだと思う。打ちのめされ泣きたくなっても続けていればいつかはきっといいこともあると思うので皆様も耐えて下さい。
2013.08.11
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様式便器で排便後水を流しても便の付着がとれないことがあり、便器が古くなりコーティングが落ちてしまったからと考えてコーティング剤を買って、先日下と2階の2箇所のトイレと3箇所の洗面台のコーティングを行った。様式トイレではコーティングするのにまず便器の下に溜まっている水を抜かなくてはならない。ペットポトルを半分に切ってそれを水汲みコップとして使用して水を汲みだした。完全になくすことは出来なかったが水面は下がり、コーティングすることはできた。家内が事前に洗っておいてくれたので私は液をぬるコーティングだけだったが2階と下を排水した水を運んだり液を塗った後、再度磨いたりと汗びっしょりになって働いた。結果はどうか?洗面台はパーフェクトだった。買った時と同じように輝き、コーティング効果100点だと思った。これなら便器の方もきっと期待通りだろうと思ったが、だめだった。便器そのものは新品のようにピカピカ輝いていたが、便の付着は相変わらずで骨を折った割には効果は半分位であった。
2013.08.09
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40歳位の男性が2-3日前から手のひらと足の裏が赤くなってしびれていて歩けないと外来にきた。見ると足の裏が真っ赤である。手のひらも赤い。一見大したこともない軽い症状のように見えるが足裏と手の平だけが赤くて痛いので肢端紅痛症と名付けられている難病である。その部分だけの毛細血管が拡張して血流が増加して赤くなって痛くなるのだと思うが原因不明で、治療法も定まっていない。点滴して痛み止めを処方したが、良くならないようなら大学病院のような大きな病院で見てもらうようにお話した。
2013.08.08
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前立腺がんと甲状腺がんはおとなしいがんが多く、その病気で死んだのではなく他の病気で死んだ人を解剖してみたらそれらのがんがあったというケースがあり、直接死につながらないがんが多いと言われてきた。しかし近年死亡例も数多く報告されるようになり、中でも前立腺がんによる死亡例は長寿化とも関連して急増している。そこで早期発見のために血液によるPSA検査が行われ数値が4.0以上の場合は精密検査や治療が行われている。しかし発見された前立腺がんの60%以上は悪性度が低く、経過観察でよいと思われるが手術や放射線治療が行われている場合もある。がんと聞くと放っておいてよいのかという受診者側の不安も働くし、医師側もがんでも良性のがんですよと自信をもっていえないところもあった。この度英国がん研究所腫瘍遺伝学のRosalind教授らはBRCA2遺伝子に変異のある前立腺がんは生存期間が短く、転移率が高いと発表し、この遺伝子を持つ人は手術などの積極的治療を行った方がよいと提言した。先には乳がんになりやすい遺伝子を持つ女性が乳がんになる前に両乳房摘出手術を受けて話題になったが、BRCA2遺伝子変異を有する男性は前立腺がんに罹り易いことが分かっており、さらに転移率も高いとなるとその遺伝子を有する人は事前に手術を希望する人もでてくれかも知れない。
2013.08.07
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何をしても絶対に疲れを知らないスーパーマンみたいな人は別として、一般に仕事をすると疲れる。その時の体調によって疲れの度合いは異なるが、仕事がうまくいかない場合などには余計に疲れる。そのような時には売店に行ってリポビタンのようなものを買って飲むことがある。栄養剤と言われるドリンクは大体カフェインが入っているので、それを飲むと多少元気になったような気がする。でも一番疲れを癒すのは笑顔だと思う。同僚の笑顔だったり、お客さんの笑顔だったり、通りすがりの人が振り向けてくれる笑顔もある。奥さんの笑顔もある。同僚の笑顔についてはお互い疲れているので笑顔どころではないという人もいるかもしれない。同僚がしかめつらをしていると自分も益々疲れてくる。それでも中には笑顔を忘れない人がいる。そのような笑顔に触れるといっぺんに疲れが消し飛んでしまう。ドリンク剤など問題にならない。私もどんなときにも笑顔を忘れない人間になりたいと思う。
2013.08.06
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人間誰しも調子の波はあるものだ。土曜日の当直の時、「明日は日曜日だから土曜日の夜どんなに患者さんが押し寄せてきても翌日は休みなので気楽なものだ」と書いたが、実際大勢押しかけてきて朝9時の交代時間まできりきり舞いしてきた。10時半頃家に帰ったが何も手につかなかった。翌日が休みだから気楽なものだと思ったがやろうとすることが手につかない、マイナス思考が湧いてきたりして最悪の精神状態になってしまった。希望も失いかけて、調子は最低だと思った。明日からどうなるだろうか?とも思った。どうせ何もやる気が起こらないのだからと破れかぶれで午後から畳の上に寝てみた。そしたらぐっすり眠れて気がついたら夜11時を過ぎていた。それから夕飯を食べて風呂に入って寝たらやはり朝まで眠れた。そして今日の月曜日の調子、最高である。昨日つまり日曜日の調子は最低であった。世の中がどんよりとしており明日以後の先も見えない状況であった。ところが今日月曜日はどうだ。輝くばかりで希望もばっちり湧いてきた。昨日の昼から今日の朝までぐっすり寝たからではないかと思った。勿論調子を決めるのは睡眠だけではないが、昨日今日の調子の違いをみたら睡眠の影響は大きいと思った。
2013.08.05
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今日は病院の当直である。今月は今日の土曜日と24日の土曜日の2回当直である。土曜日の当直はいい。いくら忙しくて眠れなくても翌日が日曜日なので気楽なものである。通常深夜忙しくることが多く、今頃の午後3時半頃は時々医局に戻ることができる。そのような時には医局のパソコンに向かってみるがこれがたいそうの品物で、まず最初は動いてくれない。クリーナーをかけると動いてくれることがあるので、クリーナーをクリックしてもそれが中々起動してくれない。数十分後やっとクリーナーが動いてくれてそのおかげでパソコンが使えるようになったのでいまこれを書き始めた。でも救急で呼ばれて席を離れると数分後にはまた止まってしまって最初からクリーナーをかけなくてはならない。パソコンが止まらない今のうちに今日の本題を書こうと思う。仕事についてである。仕事はできる人とできない人がいる。定年退職で年金暮らしの人や、重度の障害者などは仕事をしたくてもできない。若者でも仕事をしたいのだが失業していて仕事ができない人たちもいる。私も普通ならとっくに定年で、仕事したくても仕事させてもらえない階層である。たまたま職業的に需要があり、未だに仕事をさせてもらっており、当直までさせてもらっている。幸い、目も耳もいいし、気力もあるし、向学心もあり、若い同業者に負けているとは思わない。むしろ気力や責任感では優っているようにも思う。でもこのような人は世間にはゴロゴロいる。でも年齢の関係で後継に譲らなければならず、仕事をさせてもらえないのが普通だ。自分だけこの歳になっても仕事をさせてもらえることを申し訳なく思う。だがよく考えてみたい。中には仕事したくない人もいるかもしれないが99%は仕事したい人達だと思う。でも年齢や、体の障害、自分に適した仕事がない等で仕事していない人は半数近くいるのではないかと思う。でも病院に行ったり買い物に行ったり、旅行したりするのは仕事に近いことではないかと思っている。買い物や旅行したりして金を使うことによって社会は動くからである。障害者が、病院やリハビリに通うのも病院で働く人の給料を生み出しているのである。目に見えるような仕事をしていなくても、社会の中で他の人に給料をもたらすようなことをしている人は立派な仕事をしているのではないかと私は思う。仕事とは給料をもらえる目に見えるような行動だけでなく、他人に給料を生み出すような行動も立派な仕事の部類に入るのではないかと思う。入院患者さんを見ていると彼等は肉体労働はしていないが、彼らがいなければ病院で働く人達の給料はでない。だから彼らは健康回復を目指してひたすら療養することが立派な仕事なのだと思う。私もいつかは仕事現場からはなれることになる。そして認知症になって入院したり、訪問介護を受けたりするようになるかもしれない。そんな病気の私でも立派な仕事をしているのではないかと思う。
2013.08.03
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麻生副総理のワイマール憲法をナチス政権は大騒ぎしないで気づかれないうちに変えてしまった。日本もそれを見習って大騒ぎしないで憲法を変えたらいいとの発言は極めて国民を馬鹿にした発言である。憲法は国にとって最も大切、基本的なもので、それを変えるのにナチスのように絶対多数をとった自民党は大騒ぎしないでこっそり変えてしまえばいいというもので、一国の副総理ともあろう者がこのようなことを言うとは信じられないことで、即座に辞任すべきだと思う。副総理だけでなく国会議員としても資格はないと思われ、議員も辞職すべきである。
2013.08.01
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庭の朝顔私は高校3年くらいからよく日記を書いてきた。大学ノートの一ページを使ってその日に自分が感じたことやダメだったことなどを書いてきた。でも8年前の2005年11月からブログを書き始めたので以来その紙日記は一度も書かれれず、白紙のままだった。久しぶりに取り出して書いてみたが机の上にはパソコンが載っていて、大学ノートを開くスペースがなく、膝の上に大学ノートをおいて書いた。同じ日記でもブログは公開されるので個人的なことはなるべく避けて、日々の事件や政治的動向等に対する自分の感想を述べることが多いが、紙日記では自分だけのものなので自分の内面的なことや「こんなことではだめだ」と自分を鼓舞する内容が多くなる。8年前の紙日記を読んでみたら今のブログの内容よりスケールが小さかったように思えた。確かに紙日記とブログの役割は異なり、ブログを書くから紙日記はいらないということにはならないと思うが、ブログも日記であり、ある程度は代用できて、紙日記より優れた面があると思えた。そのひとつは文章力である。紙日記なら誤字があっても文章表現が曖昧でもどうせ誰かに見せるものではないのだからと雑のままにしておくことが多いが、ブログだと何回も読み直し、何回も書き変える。従って紙日記よりブログの文章の方が洗練されて読みやすい。紙日記を書いたことがないで人もブログを書いている人はいる。ブログは紙日記の代用になるし紙日記にはない文章を洗練させる側面も持っており、皆さん大いに活用したらいいと思う。
2013.08.01
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