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随分長く咲いているクリスマスローズ(白い方は暮れから咲いている)本日朝は日曜日楽しみのサンデーモーニングを観た。スポーツは高見盛がゲストで会話は切れ味悪くもたもたしていたが味があって良かった。その後韮崎のトヨペットに行って車の12ヶ月点検とタイヤの交換をしてきた。午後1時頃、息子が出張を兼ねて滋賀県から孫二人連れてはるばる車でやってきた。昼食後山梨県立図書館が昨年秋に新築オープンしたので孫達と行ってきた。すごい広さで自由に使えるパソコンもあちこちに置いてあり、至れりつくせりですごい設備だと思った。自分の著書も置いてあり嬉しかった。孫たちが本を借りて機械の上に置いたら5冊と表示され直ちに5冊の本名が印字されたレシートが出てきたのには驚いてしまった。本の向きはばらばらでただその台の上に積んだだけで全てが把握されるとはすごいことだと思った。図書館から帰ってきたのは5時過ぎだったがそれから息子とゴルフ練習場に行った。私はこの頃勤めの帰りに毎日のように練習場に言っているが息子はたまにしか行かないというのに、飛距離が全然違った。タイヤ交換してきたタイアを物置に入れる時、息子が手伝ってくれたが、私はタイヤをキャリアに乗せてやっとこ運んだが、息子は難なく手で持ち運び、力の差は歴然だったので飛距離の差は仕方ないかなと思った。帰ってきて着替えをして居間に戻ったら息子が家内に「お父さんあれでは飛ばないよ」と動作で説明していた。「手打ちで体をねじっていない」と言っていた。自分は充分体をねじっていたつもりだったが、外から見たら全く体をねじらないで手だけで打っていたと言うのである。自分ではそうしているつもりでも実際は全くそうなっていないことがあるものだなと思った。明日また帰りに練習場に寄って体で打つことを実践してこようと思った。
2013.03.31
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つばき純と愛が終わろうとしている。例のごとく今までの出演者が最後だからと多数集まってきてフィナーレをしようとしている。ストーリーがイマイチだったのでこの人たちが気の毒に思えた。ドラマは原作者がいてシナリオライターがいて現場監督がいて、役者がいて成り立っている。NHKの朝ドラは約2000万人が観る国民的な番組である。従ってどのドラマを選定するかは選定委員会があり複数の専門家が協議して選定される。ドラマのよし悪しは原作とシナリオで決まる。純と愛はスタート当初は激しい展開でその話の広がりに期待が持たれたが結局尻すぼみでいたずらに登場人物を死なせたり病気にさせたりして希望も何もないまま終末を迎えようとしている。それが厳しい現実ですと言いたいのかもしれないが人の死やホテルの倒産や火事などをあまりに安易に扱っている。主人公純の父親は認知症の母親が海に落ちたのを助けようとして死亡、夫愛(いとし)は念願のホテル開業目前で脳腫瘍で倒れて手術前は意識があったが手術後意識が亡くなって植物人間状態。その妹が兄を助けるために医学部受験するという。しらしらしいというかバカバカしいというか呆れた。選定委員はストーリーの最後まで審査して決めているのだろうか?恐らく自薦、他薦で莫大の候補作が寄せられた中から選ばれたものだと思うが、年によってあまりに低レベルのものが選ばれることがある。出演者は皆一生懸命やっていただけに、残念だった。
2013.03.28
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咲きはじめのチューリップ昨日の日本とヨルダンのサッカーの試合で観客が光線ビームで遠藤のフリーキックやキーパー川島のキャッチング時に邪魔をしたと報じられている。遠藤や川島はそのことを言ったら自分の技術や集中力が欠けていた事を人のせいにする言い訳と受け取られかねないので何もコメントしていないが、それが本当なら由々しき問題である。自分の贔屓チームを勝たせるためには、どんなことをしてもいいと思っていた人達がいたのだと思う。冷静に判断して悪い心であり、悪い行いは明白である。県内で発砲事件があり、暴力員が逮捕された。暴力団に入って人々を苦しめたり社会問題を起こしたりするのも悪い心である。強盗殺人事件もあった。理由はなんであれ人を殺したり盗んだりするのは悪い心である。自分が儲けさえすればいいと悪い商品を売ったり、宣伝したり、買わせたりするのも悪い心である。前回のブログでは美しい心の女性について書いたが、美しい心の人々がいる一方で悪い心の人々がいることも現実である。美しい心は生まれつき、親の育て方、教育などによって生まれるのだと思うが、醜い心もまた同じ原因によって生まれるのだと思う。光線ビームで敵方チームを混乱させようとする考えは我々日本人にはとても考え及ばない。文化の低い国々の信じられない行動は、ヨルダンに限らず、中国、韓国、北朝鮮などにも見られる。過日婦女子に対する集団暴行事件に対してインドで大規模のデモが行われたが、インドの男どもの下劣さ醜さは想像を絶するものがる。国家としての低劣さ醜さだけでなく、我が国内での個人の醜さにも目を向ける必要がある。自分の利益のため、自分が楽をしたいために行動している人はいないだろうか?人間は聖人君子ではなく、神々の集団でもない。でも神を求める神に近い存在として造られたものだと私は思っている。それはいい心、悪い心を選別する力が人間にはあるからである。今回のヨルダンのことは他国のことで我々の力の及ばないことだが、少なくとも自分の行動についてはいい悪いを峻別して行動することはできる。問題は自分の身の回りの人達の行動である。間違っているからやめろと言ったらすぐやめてくれればいいが、反対に「何を!!」と暴力を振るわれたり殺されたりするかもしれない。今私に考えられる対策はまず各人が自分が正しく振舞うことだと思う。その人の近くの人が次第にそれに近づいていく。その輪をだんだん大きくして、終いにはヨルダンなど外国にまで広げるようにすることだと思っている。
2013.03.27
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春になって咲きそろったヒアシンス今回も小説、ジェーン・エアから。屋敷の主人でお金持ちの40歳位のロチェスターから求婚されれた19歳のジェーン・エアは夢のような結婚式を迎えた当日、ロチェスターには狂人の奥さんがいることが発覚し、彼女は夜が明けないうちに着の身着のままでその屋敷を出て、一銭も持たずにあてもなくさすらい、倒れる寸前にある一件の家の中に入れてもらえてそこでしばらくお世話になった。その家は2人の姉妹と30歳位の牧師の男性が住んでいたが、その男性がジェーン・エアに村の学校の先生の仕事を探してくれた。その学校のオーナーの娘は飛び抜けて美人だが、それを鼻にかけることはなかった。お金持ちだがそれにスポイルされていなかった。コケティシュだが、薄情ではなかった。几帳面だが意味もなく利己的ではなかった。明るくて賢くて思いやりがあって、女性であるジェーン・エアから冷静にみても素晴らしくチャーミングだったが自分はそれに全く気づいていなかった。その女性がジェーン・エアを家に入れてくれた男性を好きみたいで自分の家に遊びに来てくれなどとさそうが、彼氏はつれない態度をして、全く関心がないように振舞っている。ジェーン・エアの観察では彼氏も彼女を好きだが、それを表現することが恥ずかしくてぎこちなくなっているみたいだと見ていた。果たしてこの二人の行く末がどうなるかはまだ分からない。美人薄命と言われるがそんな綺麗な人が美男子でもなんでもない男性に恋をして、その男性からは冷たくされて果たして今後幸せになれるだろうかと心配している。7歳で亡くなった私の長姉のことを以前このブログで書いたが、母から聞いた話だとその長姉は上記の女性に近かったのではないかと思われる。母は姉妹中で一番器量が悪くて自分は不美人ということをずっと気にして生きてきた。ところがその母から生まれたその子は目はぱっちりして人並み外れて可愛くて算数やあいうえおも近所の子供よりずば抜けてよくできてしかも思いやりがあった。病気(肺炎)で重症になり、母が心配して声をかけると「おかあちゃんこそ頑張って」と熱で真っ赤な顔をしながら自分を気遣ってくれたとのことで、母はその話をするたびに涙を流していた。そのあと生まれた子は皆その子とは比べ物にならない凡庸な子供だったがその子達が生き残って賢くて可愛かったその長女は死んでしまった。母にとってはどれだけ無念だったかと思う。ジェーン・エアの小説に出てくるその美少女の将来はまだ分からないが、私の長姉は7歳で亡くなってしまったので、そのように稀有な人はやはり早く死んでしまうのではないかと想像している。本当に素晴らしい人は世の中にはそんなにいないのではないかと思う。でも長姉も生きていれば素晴らしい女性になったかもしれず、どこかに素晴らしい人はきっと生き残っているだろうと思った。
2013.03.25
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日曜日は至福の曜日だ。朝は楽しみにしているサンデーモーニングを観た。韓国がサイバー攻撃されてテレビ局や銀行がストップしてしまったという。犯人はどこの国なのか誰なのかは分からないが、この方法だとどんな小さな国でも大国を倒すことが出来るし、個人でも超大国を壊滅させることもできる。今回はテレビや銀行だが、やろうと思えばミサイル発射系や軍事飛行機管制塔、原爆のスイッチなど思うがままだ。サイバーを牛耳ったものが天下を取ることになる。今回の犯人として北朝鮮が推測されているが、もしそうなら、軍事力ではアメリカと比べたら比較にならないとみなされていたが、サイバー攻撃力では負けていないとなれば、優位性が逆転する可能性もある。スポーツコーナーでは張本がWBC日本チームに3つの喝を入れた。内川の暴走では首脳陣のサインが1番ダメ、2番目は井端が走るふりをして戻ってしまったこと、3番目が井端が戻ったことを見ないで走ってしまった内川で、内川より、1番、2番の責任のほうがずっと重いと話していた。悔しくてイライラして興奮して観ていたとのことで、張本氏は興奮しやすくて熱血の人だなと思った。サンデーモーニングを見終わったらリハ病院に姉のお見舞いに行った。座って右手で食事をしており話も普通にできるようになり、発作食後の2-3週間は危ないと思われていただけに素晴らしい回復ぶりでご主人も嬉しそうだった。その次に義兄を見舞ったがこの頃は飲み込みもかなりできるようになって元気になり、二人共快方に向かっていて嬉しかった、その後帰り道でスポーツショップに寄って電動ウオーカーをみて、電気屋さんの方が品が多いからそちらも見てから買うことになり、電気屋さんの方が少し高かったがそちらの方を買って車に積んで帰ってきた。帰ってきたらお相撲をしていたのでお相撲を見ながらウオーキングしたが、足のふくらはぎが痛くなってきたので15分位で止めた。これから野球シーズンが始まるのでそれを観ながらウオーキングしようと思う。今日は有意義な一日であった。
2013.03.24
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庭先のスノーフレーク武田通りの桜、山梨大裏の桜とほぼ満開になった。我が家の庭にも春がきて沢山の花が咲き始めた。すずらんに似た花スノーフレークの写真を撮ったが実物よりかなり悪い。風も吹いていたのでボケてしまった。撮り直そうにも今は真っ暗な夜なので明日の朝撮って差し替えようと思う。朝撮り直したので差し替えました。今日は土曜日で勤め帰りにゴルフ練習場で200球位打ってきた。先日新しいドライバーを買ったら随分遠くまでボールを飛ばせるようになった。「弘法筆を選ばず」というが、やはり道具によって全然違うと思った。先日ゴルフ5というところに行って実際に何本か打ってみて一番飛ぶと思われるのを買ってきたので良かったのだと思う。今までは、人がいらないと言うものをもらって使ったり、高い金を出して買う時も、人がこれがいいよと勧めてくれたものをそのまま買ったりしていたのでダメだったと思う。でも自分の技術も少し進歩したのかもしれない。今までは人からもらったのでも買ったのでも殆ど違いがなかったので、そういうレベルだったのだと思う。少し上達してきたので違いが分かるようになったのかもしれない。
2013.03.23
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高校や大学の入試、入社試験の合格発表が行われている。必死で勉強し、試験後は合格を願って必死で祈ったけれど結果は不合格で涙にくれている人もいるだろう。いくつも受けたけどどこの会社からも合格通知が来なくて失意にくれている人もいると思う。婚活で何人かに申し込んだけどどこからも色よい返事がもらえない人、愛する人の病気が治るようにと願いに願い、祈りに祈ってきたけれど結局死なれてしまったケース、語学やスポーツをマスターしようと必死で練習し祈ってきたけど結局少しも進歩しなくて破れかぶれになっている人もいるかもしれない。皆合格を願い、病気が治ることを願い、学問や芸能、スポーツの上達を願って努力するが結果は報われないことが多い。神仏に願いをかけて必死で祈る人もいる。その願いが叶った場合は神仏のおかげと感謝するが、叶わなかった時には神も仏もないと自暴自棄になり反社会的事件を起こしたり自殺する人もいる。星に祈りを捧げたり、ご先祖様に祈りを捧げたりすることもあるが、祈りはかなわないことが多い。合格、成就のみを願って必死で祈ってきたのにその願いがかなわない。失望、落胆しどうしていいかわからなくなる。神仏に祈ってきたが願いを叶えてくれなかった場合は、バカバカしいことをしてきたと反宗教的な行動に出る人もいる。願いが叶わなかった時にはどうしたらいいのか私にもわからない。あきらめろという人がいるが、どこの会社にも入れないまま諦めてルンペンになれというのか?諦めきれない。でも次から次に落とされる。ある会社の試験担当者がここを受けに来たのは何社めですか?と聞いたら受験生は、平均21社も不合格でこの会社を受けに来たとのことだった。その会社の合格者数は数人だから残りの人たちは22社受からないことになり、23社目、24社目と受けても受かるという保証はない。これからどうなって行くのだろうかと不安に駆られて道に迷う。その時どうしたらいいのか?私はそれでも努力して下さいという。23、24、・・・50社目、60社目と応募を続けてもらいたい。人間いつかは死ぬ動物である。死ぬまでは人間でいたい。諦めてしまったら人間はおしまいだと思う。断られても、断られても、挑戦を続けることが人間の証だと思う。神仏に願ったが願いを叶えてくれなかったので神などくそくらえだと思っている人もいると思うが、願いきる過程で自分の心が澄んできて人間性が成長できたなら、それはある意味で願いが叶ったことになると思う。神仏に祈る、祈らないは別にして、とにかく振られても、振られても死ぬまで挑戦していくのが人間の人間たる所以だと思うので、最後まで人間を貫こうと思っている。
2013.03.22
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庭の木蓮が満開になった。今日はお彼岸でお墓参りに行って午後2時からは今度山梨県の介護認定審査委員に就任したのでその勉強会に参加して午後5時に終了した。木蓮は私が大学卒業後15年目で医学博士号を取得した記念に植えたものである。それから28年が経過した。毎年、春を最初に告げてくれてそれから桜が咲き始める。お墓参りではこの頃自分もそれに近づきつつあるので亡くなった人達の年齢が否応なく目に入ってきた。私と同じくらい又は、それより2~3歳上で亡くなった人もいた。6つ上の姉も1昨年亡くなった。その姉の上に長女がいて7歳で亡くなった。その子は賢くて気立てがよく、自分たちの子供とはとても思えない子で母親はその子を尊敬し可愛くてたまらなかった。ところが小学校に上がる直前、肺炎で亡くなってしまった。その悲しみは何にも例えようがなく、言葉にも言い表せない辛さだったとよく私たちにも話してくれた。その時妊娠中で3ヶ月後私のすぐ上の姉が生まれた。その姉は昨年脳梗塞を起こし入院中だが、様々なことで辛い人生だったろうなと思う。まだお腹の中にいた時、母親が例えようもない深い悲しみに襲われた。生まれてからも長女とその子を比べてしまい、その子をみても長女が生きていたらとの思いにかられることが多かったのではないかと思う。そしてその子が2歳になった時、今度は私が生まれてしまった。当時は男の子願望が強く、女ばかりが生まれて5番目にしてやっと生まれた男の子で可愛くてたまらなかった。母親は世間で子供を差別して育てている話を聞くと自分は全く平等に育てたといつも言っていたが、実際意識的には差別心は全くなく平等の心で育てたと思う。しかし現実には潜在意識の中で亡くなった長女や、待ちに待って生まれた男の子の方に意識が行っていたと思う。姉は自分が疎外されているのではないかという思いに敏感に育った。反対に私は家でも学校でも贔屓されているように感じて育った。後年その姉が、年老いた母のためにと思って配慮したことに対して母は「そんなことはしなくていい」と怒ったような口調で断った。それに対して姉は怒ってしまい、母と絶交し、数年間母のところに会いにこない状態が続いた。母は「なぜあの子はあんなだろう?」と悲しく嘆いていたが、母は意識していなかったがその子の生後数年間のさみしかった思いがそのようなかたちで現れたのではないかと思っている。人の運命はわからない。生まれる前後の状況によってもその人の運命は違ってくる。姉がまだ2才の時、待ちに待たれていた自分が生まれてしまい、姉には申し訳なかったと思っている。その姉は今は脳梗塞も少しずつ良くなり、言葉や食事などのリハビリも進んでいる。母も、そしてその上の姉達も亡くなってしまった今、この姉にはうんと幸せになってもらいたいと願っている。
2013.03.20
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WBCが終わった。日本は準決勝でプエルトリコに敗れて決勝に進めず敗退した。8回裏の日本の攻撃で1点入ってさらにワンアウト1塁、2塁で、バッター阿部。3対1だがここから逆転勝利出来るかもしれないと誰もが思った。ところが1塁ランナーの内川が2塁にランナーがいるのに盗塁しようとしてアウトになってしまい反撃の芽を潰してしまった。ニュースで内川が泣いている姿が映った。自分の走塁ミスで日本が負けてしまった責任を感じていたたまれない気持ちなのだと思った。確かに内川が走塁ミスしなければ逆転勝利出来たかもしれないが、走塁ミスしなくても結局その後点が入らなかったかも知れない。それで負けた訳ではない。いつまでもくよくよしたり泣いたりしなくてよいと思う。それよりもこの大会で素晴らしいことがあったことを忘れてはならない。それは東京ドームでの日本と台湾戦でのことだ。その試合は球史に残る名勝負で最後には日本が勝った素晴らしい試合だったが、ここで取り上げるのはその試合後のことである。これ以後の話は自分がテレビで見たわけではなく家内から聞いた話である。試合終了後台湾チームはドーム中央に集まり周囲の観客に向かって深々とお辞儀をしたとのことである。それは日本人の誰かが試合前にツイッターで台湾は今度の大地震に際し、いち早く数百億円の義援金を送ってくれて救護隊も即座に送ってくれた。お礼をしようと呼びかけた。それに応じて球場内のあちこちに台湾ありがとうのプラカードが立ち並んだ。それを台湾のテレビが報じてそれを試合後選手たちが知って球場の中心に集まって日本人の観客に頭を下げたというのである。家内の話を聞いて泣けてしまった。今これを書いていても涙が出てきた。スポーツは勝ち負けが大事である。でもそれ以上に大切で感動することがある。日本人が台湾に感謝の気持ちを示したこととそれを知って台湾チームがお礼の挨拶をしたことは勝ち負けよりも何倍も心を動かす出来事だった。今回プエルトリコに勝って決勝でも勝って優勝したとしても台湾との話と比べたら比べ物にならない。勝負は時の運でどうにでもなる。勝って天狗になってどうするというのだ。負けたっていいのだ。一生懸命がんばったなら何もいうことはない。内川泣くな!!、そんな走塁ミスなんてゴミみたいなものだ。それよりずっと素晴らしいことが予選の試合を通じて起こっていたのだ。内川選手始め選手の皆様お疲れ様でした。心よりねぎらいの言葉を述べさせて頂きます。
2013.03.18
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本日は身体障害者に診断書を書いて等級を決める講習会が午前10時から甲府市のアイメッセで開催されたので時々患者さんから診断書を書いてくれと頼まれるので勉強しておいた方がよいと思って参加してきた。午前9時頃家を出て車で会場に向かう途中カーラジオを聞いていた。子供の電話相談の番組で小学校6年の男子生徒が相談していた。最初はふざけ合いのような感じだったが今は数人に毎日いじめられており、顔を殴られたり、お腹を蹴られたりすることもある。お母さんはフィリッピン人だが、いじめの相談をしたくてもそれに近い話をしただけですごく悲しそうな顔をするので、いじめられていることを話してお母さんをそれ以上悲しませたくないので相談できない。お父さんにも言い出しづらくて相談していない。30~40歳位の担任の男性教師に相談したら、いじめられるお前が悪いような事を言われた。それでも再々のいじめに耐え切れずこんなに酷いことをされたと担任の先生のところに言っていったが前と同じように相手にしてもらえなかった。相談する友達が誰もいなくて本当に苦しいという内容だった。小学生にしては非常にしっかりした話ぶりで、唯一の見方だと思っていた同級生も実はいじめ仲間の一員だったと知った時には死にたい気持ちを通り越した絶望状態になってしまった。裏切りのその子が私立中学に行くと言っているのでそれを妨害して復讐してやりたいとも話していた。前の校長先生は話しやすくて色々話したことがあったがその先生は転校してしまって今は全く相談できる人がいなくて電話相談したとのことだった。いじめ、自殺などの報道を時々記事として目にするが、いじめられている子の生の声を聞いたのは初めてでかわいそうで涙が出た。特にお母さんを悲しませてはいけないから打ち明けられなかったと聞いた時は母親思いの優しい子がなぜこんな目に遭わなければならないのかと世の不条理を思った。この電話相談を聞いていて重要なポイントは学校の先生だと思った。その担任の先生にも言い分はあると思うが、2度もその子が相談に行っているのに親身に相談に乗ってくれなかった。学校の先生も大変だとは思うが、児童生徒の相談には真剣に対応してもらいたいと思う。相談に来る子はまだいい方で相談に来れない子もいるかもしれないのである。今いじめや暴力がこんなに話題なっているのにそれに真剣に向き合っていない先生がいるのだなと思った。学校の先生だけでなくすべての職業人はその義務と責任を果たしているはずである。職業人は誰もプロフェッショナルでなければならないが、中でも学校の先生は児童生徒の生長や将来に関わる重要な仕事なので、人一倍心を澄ませて情熱あふれる仕事をしてもらいたいと願うものである。
2013.03.17
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今朝の新聞で、韓国人に対して憎しみや侮蔑、暴力的な言辞を書いたプラカードをもってデモ行進しているグループがあることを報じていました。やめた方がいいのではないかとの忠告に対して「韓国や中国では国中と言ってもいいくらいに日本人に対して許すことができないようなひどい言葉を浴びせてきている。日本人だって反撃する権利がある」と反論していたとのことでした。確かに韓国や中国は日本人が黙っているのをいいことにしてあることないことを言ったり大使館や日本企業に対して酷いことをしたりしています。外交上のミスもあった結果かもしれませんが、あまりにひどくて日本人も気分のいいことではありません。しかし、それでも日本人は相手方に対して同じような暴言や卑劣な言葉は浴びせてきませんでした。文化程度が違うという矜持があったからだと思います。たしかに言われっぱなしはストレスもたまりますし、精神衛生上もスッキリしませんが、だからと言って相手と同じことをしようと言う日本人は少ないと思います。今度のデモ隊も極めて小規模なものとのことで、溜まったうっぷんを一部の人たちが発散したということだと思います。日本人は自分たちを野蛮人と思っている人はいないと思います。聞くに耐えないようなことを言われても自分達は、それより高い次元にあることを自覚していますので、批難の応酬にならず、一方的に日本が言われている状況になっていますが、それは文化的成熟度が違うからです。反攻デモをしたい気持もわかりますが、日本人としての誇りがあるなら、自重していただきたいと思います。
2013.03.16
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今夜は山梨消化管研究会で自分も発表するので会場の山梨県厚生連健康管理センターに7時前に到着して出番を待っていた。その会の前座として製薬会社の人が自社製品を紹介するのが慣例だったが今回はヘリコバクターピロリ感染胃炎の診断、治療も2月22日に保険適応になったのを受けて、北大のピロリ菌研究の中心者浅香先生の解説ビデオを見せてくれた。分かりやすく解説してくれてためになった。慢性胃炎が保険適応になったのでピロリ菌除菌が進み胃がんも減っていくだろうとのことだった。但し20歳、30歳代の若い人ならピロリ菌除菌によって90%以上胃がんにかからなくなるが、60歳以上だと除菌しても胃がんにかからなくなる割合はぐっと下がって50%前後になってしまうので若いうちの除菌が重要であると話していた。胃がん検診にも言及し、従来は住民の殆どに集団胃集検が行われ、莫大な金が使われてその割には胃がん発見率は低く、効率の良い検診とは言えなかった。ピロリ菌胃炎が保険適応になったことから今後はバリウムを飲む胃集団検診はなくなっていくだろうと述べていた。今後の検診は尿なり、血液なり、呼気などでピロリ菌検査をして、ピロリ菌陽生者には胃カメラをして、除菌する。全員が胃のレントゲンを撮るのと全員がピロリ菌の検査をするのでは受診者の精神的負担や費用効率から後者の方がずっと安価で、しかも精度がはるかに良いとなると浅香先生のいう通り、今後はバリウムをのむ胃検診はなくなっていくだろうとの推測は正しいと思われた。
2013.03.14
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前回「念ずれば咲く」に関連して願いを叶えるための祈りについて書いた。祈れば願いが必ず叶う訳ではないが、祈らないよりは叶うような気がする。祈るだけでは物足りなくて「断ちもの」をする人もいる。願いを叶えるために酒やタバコやまんじゅう、ケーキなど自分が一番好きなものを絶って願うのである。東日本大震災後その鎮魂と復興を願って大好きなお酒を絶っている人の話を聞いた。タバコを絶っている人もいるかもしれない。孫の合格を願って酒を絶ったり、夕食を絶ったりしている人もいる。嫁さんのお父さんの病気が治るようにと真冬に毎朝5時に起きて雪が降ろうが猛吹雪になろうが1日も欠かさず神社に願かけていた人もいた(これは私の父のことです)。断ちものやお百度参り(神社や寺に毎日お願いに参る)すれば願いが必ず叶うと思っているわけでもないと思うが、そうしないではいられない人間の弱さがあるのだと思う。全ての人は願いを持っている。結婚の願いだったり、子宝の願いだったり、病気治癒の願いだったり、子供や孫の入学や入社試験の合格だったり、お金持ちのなりたい願望だったり、自分が作った製品や書いた本が売れる願いなど、口には出さなくても心の底から願っていることがあると思う。そして祈り、それでは物足りなくて断ちものをしたり、お百度まいりしたりするのが人間の性だと思う。しかしそれらをすれば必ず願いが叶う訳ではない。そこで絶対願いが叶いますよという宗教が登場する。その宗教に入っても叶う願いとかなわない願いがあるのだと思うが、絶対願いが叶うと言われるとやってみようかと思う。全ての宗教は願いが叶いますよというところから出発している。病気を治してもらいたい、金持ちになりたい、出世したい、幸福になりたい、それらの願いを叶える受け皿として宗教が存在するのだと思うが、いくら宗教と言えども願いを全て叶えてくれるものではない。結局最後は、努力を積み重ねることと、冷静な判断と冷静な処置、根気強い根回しが大願成就への最有効手段であることに気づかされるのではなかろうか。
2013.03.12
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今日は入院している姉をお見舞いし、義兄をお見舞いし、その後絵手紙教室の発表会を覗いてきました。絵手紙とは花や野菜や人物等を描いてそれに筆で文章を添える芸術で最近すごく人気が高まっているとのことです。15人の方の作品を見てきましたがほのぼのとした絵にそれなりの文章が添えられており、中々見ごたえがありました。その中につぼみがまさに咲かんとしている絵に「念ずれば花が咲く」という文章が添えられている絵手紙がありました。本当かなと思いました。花が咲くのは念じたからではなく大自然の不思議な生命の流れに沿って咲くのではないかと思いました。でも祈れば咲きそうもない花でも咲いてくれるような気もしました。今入学試験の真っ最中で、すでに合否が分かっている場合もありますが、まだ分かっていない人もいると思います。祈るしかありません。何卒合格しますようにと必死で祈っていると思いますが、その祈りで点数的には不合格だが合格になるということはまずないと思いますが、面接試験等があったとすれば、合否スレスレの場合は微妙に合格の方に傾いてくれるかもしれません。でもそれが合否に影響する力は不確かなので、その結果は保証されません。病気が治りますように、恋人が見つかりますように、結婚できますように、志望の会社に就職できますように、英会話がマスターできますように、子供が授かりますように、応募した原稿が採用になりますように、課長になれますように、給料が上がりますように、もっと美人になりますようになど様々な願いがあると思います。なにも努力しないで念じてばかりいても結果はでないと思いますが、それなりの努力をして手回しをした後は運を天に任せるしかありません。そのようなときには必死に祈り、念じていると思いますがそれで結果が出るとは限りませんので辛いところです。念じなくても花は咲きます。でも咲きそうもない花には咲け!、咲いてください!と念じます。結果は咲くこともあるし、咲かないこともあります。咲いた時には念じたからだと感じます。念ずることによる結果は不確かですが、心の安定のためや微妙な判定に対しては効果があると思いますのでいまはそれしかないので必死で願い、祈って下さい。
2013.03.10
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以前にも第2内科のことはここで取り上げさせていただいたが今回もありがたかったのでここに紹介させて頂く。昨日の外来、65歳位の女性。初診の方で1時間位待たせてしまった。1週間くらい前から吐き気がして気持ち悪くて食欲がないという。いま流行のノロウイルスかと思ったが下痢はしていないという。血圧を測ってみたら上が60位しかない。胸部レントゲンを撮ってみたら心臓がすごく大きく腫大している。これは大変だと思った。拡張型心筋症ではないかと思った。山梨大第2内科では、緊急時ホットラインの電話番号を公開していて夜間でも何時でも対応してくれる医師がいて、必要なら受け入れてくれる。ドキドキする気持ちで電話したら今すぐ送って下さいとのご返事で本当に助かった。早速本日その診療結果をファクスで送ってくださり、心臓カテーテル検査を行い心筋梗塞との診断だった。私どもも病院ではある。しかし循環器の専門医や専門設備はないので入院させてもどうすることもできない。そのような時に第2内科のようなところがあると本当に助かる。それには第2内科スタッフの気持が一丸になっていることと救急用にベット1個か2個空けておける政治力が必要になる。生半可な気持ちでは何時でも受け入れるなどということはできない。教授以下スタッフの皆様の熱いお心に心より感謝申し上げる。
2013.03.09
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今日自分で自分の鼻から胃カメラを入れて検査した。胃カメラは苦しいと言われるが鼻からだと少しも苦しくなくてもう何回も自分で行ってきたので今日も楽勝気分だった。ところが今日から内視鏡室に新人看護師がきて、その人が鼻の麻酔をしてくれた。鼻の入り口にそっと散布してくれただけなので麻酔が効いていなくて今までとは打って変わって大変苦しかった。「鼻からは少しも苦しくないですよ。自分は口からは苦しくて七転八倒しますが鼻からは楽で自分で自分の胃カメラをしています」と言っていたが今日の状態では決して楽ではなかった。鼻なのに苦しそうな受診者がいると、鼻は楽なのになんで苦しそうにするのか不思議だったが、麻酔が効いていなければ鼻でも苦しいことを身をもって体験した。鼻への噴霧の仕方を注意深くチェックしていこうと思った。鼻は楽といっても油断しないようにしていかなくてはと思った。
2013.03.07
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先ほど「ためしてガッテン」で夜間頻尿は心臓が悪いこともあるし、睡眠時無呼吸症候群のこともあると話していた。前立腺肥大や過活動性膀胱のこともあるとのことで自分に当てはめてみた。夜間頻尿は今は少しよくなったが多い時は4~5回1時間半間隔位で起きていた。足のむくみはかなりある。夜いびきをかき時々呼吸が止まると家内に言われる。みんな当てはまってしまうと思った。でも元気だ。あすの外来、今日のテレビをみたという患者さんが押しかけてくると思う。参考にするのはいいが、あまり深刻に考えないで下さいと言おうと思う。本題に入ろう。ラブラブ思考と言うのは自分をとことん大事にして、それと同じように他人も大事にするという思考法だ。私は今病院に勤めている。病院には事務員、看護師、クラーク、臨床検査技師、放射線技師、薬剤師、掃除係、整備修繕係、薬剤師、栄養士、調理士、医師、メディカルソーシャルワーカー等様々な職種の人達が働いている。そして外来受診したり、入院したりしている患者さん達がいる。廊下を歩いているとそのうちのどなたかにお会いする。ラブラブ思考でないと患者さんと自分は違うと思ったり、掃除係の人と自分は違うと思ったりする。でもラブラブ思考なら自分と他人は全く同じである。自分は夜間頻尿でいびきをかき、体のあちこちが痒いので皮膚は掻き傷で赤くなったり黒くなったりのシミができている。お腹がでていて少し醜い。でもそんな自分をとことん愛するのだ。それと同じように体中湿疹がでている人も、心臓病の人も自分と同じように愛するのだ。そんなことができるわけがない、偽善だという人がいた。できなくてもいいのだ。そうしていこうとの気持ちが大事なのだ。だから私は、職場の中で全ての人と同じだという気持ちを持っている。働いている人全てがラブラブ思考で振舞ってくれればいいと願っている。
2013.03.06
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本日分のブログを殆ど書き上げ、最後の文字の変換でエンターを押したら全てが一瞬のうちに消えてしまい、ゴミ箱の中、最近使った項目、「下書き」のなか等あちこち探しましたが見つからずまた始めから書き始めました。今回も小説ジェーン・エアからのお話です。ロチェスターは必死でジェーン・エアを引き止めますが、彼女の出ていく決心は変わらず、まだ夜も開けぬうちにこっそり門戸を開けてお屋敷を抜け出しました。あてがないのでしばらく歩いたあと乗合馬車に乗せてもらいますがお金の持ち合わせがなく、持ち金全部渡しましたがここまでですよと見知らぬ土地で下ろされてしまいます。周りは葦が一面に生えているところで行くあてもなく葦の中で一泊しました。その後歩いて村にたどり着きました。パン屋さんがあり、お屋敷を出てから何も食べていなかったので、死ぬほどパンを食べたいと思いましたがそれを買うお金はありません。ハンカチと手袋を持っていたのでそれと交換してくれるだろうかと思い一軒のパン屋さんに入りましたが中々切り出せず、「この辺で人を雇ってくれるところはないか」と聞いてみましたが「知らないね」と言われてそれまでで、空腹を抱えたままさらにあてのない旅を続けました。今度は別のお店に入って勇気を出して「ハンカチ、手袋とパンと交換して下さいませんか」と申し出ましたがそんなものもらっても売れないしダメですと断られてしまいます。その後も困難が続きパン一切れを得るのが如何に大変かを思い知らされました。見知らぬところで一銭もなく一人ぼっちだったらどうするだろうかと想像してみました。人々は簡単には恵んでくれません。そこで泥棒したり、強盗する人も出てくるかもしれません。人間全て兄弟、全ての人を自分以上に愛する「ラブラブ思考」を実践している人なら見知らぬ人だって同じ人間です。ラブラブの心で相手を見れば相手もラブラブの心で対応してくれます。ブッ倒れそうにお腹がすいている事情を話せば必ず何らかの手を差し伸べてくれると思います。見知らぬところで一銭もなくてもラブラブ思考の実践者なら、きっと一切れのパンを得ることが出来ると確信しています。
2013.03.04
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今午前2時を過ぎた。少し患者さんが途絶えた。でもいつ電話がくるかもしれないので寝てはいられないのでパソコンに向かった。午前中通常外来で午後1時から当直帯にはいった。76歳のひとり暮らしの人がお風呂でなくなっていて近所の人が見つけて警察が搬送してきて検死を行った。機械に右手を挟まれて中指が座滅した人も来た。シャッターで額を3センチ切った人も来た。東京からの旅行者で今夜ホテルについて入浴したあと右上腕を骨折した人も来た。インフルエンザも次から次に来た。ノロウイルスの人が嘔吐しようとして転倒し脳出血を起こした人も来た。次から次で大変だったが午前2時を過ぎたら少し静かになった。でもまた何時に来るか分からない。それまで少しでも仮眠ができるといいのだが頭が興奮していると眠れるものではない。明日、日曜なのであせることなく,なるようにしようと思う。今午前4時半だが少し前に75歳男性が頭が痛いと来院。頭部CT検査をオーダーしてその結果が出るのを待ってる時間を利用して2時過ぎに書いたブログに追加記載させていただいた。CTを撮ってくれている放射線技師、ずっと患者さんについてくれている看護師、受付事務をしてくださった事務員の方お疲れ様です。いまCT検査が終わったと連絡くれた。皆さんのお力がなければこのような仕事はできない。皆さんに心より感謝申し上げる。
2013.03.02
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いま受験シーズンたけなわでもう受験を終えて発表を待つだけの人もいると思う。その中には医学部を受験した人もいるが、数日後合格か不合格に分かれる。不合格の人は来年再度挑戦するかもしれないので、ここでは合否にかかわらず医学部を志した全ての受験生に一先輩の言葉を捧げたい。入学定員が1.5倍に増え門戸が格段に広くなったが逆に難しくなったと言われている。昔は医者の子弟か変わり者が医師を目指したので元々志望者は少なく他の学部に比べてそれほど倍率は高くなかった。しかし近年の就職難で確実に就職できる職業として医師の人気が高まり、テレビドラマやドキュメンタリーなどでかっこいい医師像等の紹介もあり、志望者が増え今や最難関の学部となってしまった。志望者が増えることはそれだけ優秀な人が選抜される可能性があり、いいことには違いないが医師にふさわしくない人まで志望するようになった結果、受験倍率を高めてしまっている傾向がある。今夜、新潟大学医学部を卒業して医師になったが、ケニアで保育園を開いて子供たちの教育に当っている男性のことをテレビで見た。動機はアフリカの子供が飢餓でやせ細った姿の写真をみて何か自分にできることはないかとアフリカにきたことがきっかけだったとのことだが、様々な生き方があるものだと思った。医学部を卒業しても臨床医になる場合、ノーベル賞の山中先生のような研究者になる場合、予防医学で公衆衛生的仕事をする場合など、様々である。臨床医でも教授、准教授等の道を歩む人と町医者になる場合と様々だ。諸君は今医学部という漠然としたものを目指しているが、その中でも何をやりたいかを明確にしたほうがいいと思う。もし山中先生のようになりたいと思ったら必ずしも医学部でなくても薬学部や、理学部でもいい。もし医学部に落ちても、それらの学部でも本人次第で同じような研究はできる。天皇陛下の手術をした天野先生のようになるのだと思ったら、きめ細かな技術を磨かなければならない。手が器用でどこまでも諦めないで向上目指していける人間か自らに問いかけてもらいたい。そしてなにより苦しんでいる人のために、命懸けで尽くし、頑張る気持ちを持っているか自問してもらいたい。臨床医になるにも研究者になるにも、教育者になるにもそれが原点である。その点を自問して、自分にはそれがあると思えたら一層邁進してもらいたい。でもそれらがないと思えたら自分に向いた別の道に進まれた方がいいと思う。
2013.03.01
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