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尊敬している人で60歳代の若さで亡くなった人が数人いた。今や男の平均寿命79歳、女性は86歳でそれ以上長生きしてる人もいっぱいいる時代に60歳代で亡くなった人は不幸ではないかという疑問があったので、東京中野区上高田の下宿で浪人時代に知り合って以来の友人に君はどのように考えるかと質問してみたら、即座に次のような返信をくれた。「人の幸せはどういう境涯で死を迎えるかということです。年齢は全く関係ないですね。生き恥をさらしながら長生きしている人もいます。そういう人は何の価値も有りませんね。お気の毒な人生ですね。自分が悔いなく生きるというのが最も大切な事です。人の幸せを年齢で評価するのは愚論です。お話にならない物差しですね。今日をいかに生きるかです、悔いなく生きていればいつ死が来ても悔いは無いではないですか。死がくれば喜んで有難う御座いましたと言いきれる人でありたいと願っています。延命装置までつけてどうして生き延びるのですか。生き延びて何をするのですか。そんな状態では何もできないではないですか?したい事が有るなら元気な今悔いなくやる事ですね。」明快な死生観だと思った。私たち医療職は認知症であれ、がんの末期であれ一分一秒でも長生きしてもらうように全神経、全精力を注いできた。しかし上記の明快な死生観からすると一分一秒も大切だがQOL(生活の質)の確保の方が大切ではないかと思えた。例えば認知症状のある患者さんは転落防止のために体幹抑制されてベッドに縛りつけられることがある。これは患者さんが最も嫌がり、元気をなくしていく原因にもなっている。でもそれをしなくてベッドから転落して骨を折ったり命を落としたりすると家族から訴えられることがある。やむなく縛っているが私は心の中で縛るのを止めて欲しいと願ってきた。でも社会通念が、万一転落してもそれは仕方ない。縛って苦痛を与えるよりも自由にしてやって骨を折っても命を落としてもいいではないかというような考えにならない限り体幹抑制は無くならないと思う。一分一秒でも長生きしてもらいたいか、一分一秒でも自由でのびのびした生活をしてもらいたいか考える時代にきたのではないかと思っている。
2013.06.30
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切っても切っても毎年咲くランタナ今日の朝日朝刊に歌手田原俊彦のことが載っていた。今から19年前の1994年2月田原俊彦32歳、長女誕生の命名会見を行った。当時田原の人気は絶頂で主演ドラマは視聴率30%を超え、主題歌は大ヒットしていた。色男だったので浮名も流し、芸能リポーターなどに追い回され、意に反する記事も書かれていた田原は、子供が生まれたので今度は身を固める。追い回してきたリポーター達に嫌味のひとつも言ってやりたかった。そしてあの「何事も隠密にやりたかったんだけど、僕ぐらいビッグになっちゃうと、そうはいきませんけどもね」と発言した。その後思いもかけない展開になった。その発言をテレビのワイドショーや週刊誌が取り上げ、「思い上がるな!」の声が湧き起り、よもやの大スターがテレビに出れなくなり、以来ずっと地下に閉じこもるような人生になってしまった。最近10何年ぶりで時々テレビに出るようになったが、絶頂から地獄への転落人生は我々に教訓を与えてくれた。人気絶頂でも不用意な一言によって奈落に落ちることがあるということだ。頂点に昇りつめるまでは運もあったかもしれないが様々な努力を積み重ねて得た栄光だが、それが一言で無に帰してしまうことがあるとは田原にも信じられないことだったと思う。人気のある政治家にも同じようなことが起こる可能性がある。我々一般人でも、一言によって今まで築いてきた全てを一瞬に失うことがあることを教えて頂いた。人生もうこれでいいという時はない。リポーター等の周りにおもねる必要は全くないが、誰に対しても常に誠実に対していく姿勢は失ってはならないと思った。
2013.06.29
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昔は精神分裂病と呼ばれ、差別的扱いを受けることが多かった病気ですが、呼び名が変わったのを契機に最近人々の中にかなり溶け込んできた病気なのでその概説をしたいと思います。有病率は1000人に7人位でそれほど珍しい病気ではありません。精神疾患で最も多いのがうつ病ですが、その次が統合失調症で最近急増していると言われる認知症よりも多い数です。好発年齢のピークは10代後半から20歳代前半です。原因は病気にかかりやすい脆弱性(脳の神経伝達系の障害)が生じているところにその人が対処できる範囲を超えた、心理、社会的ストレスが加わってそれに耐えきれなくて発症すると考えられています。症状はケースによって異なりますが、典型例ではイライラ、眠れないなどの前触れがあり、その後の急性期には、幻聴、妄想、考えがまとまらないなどの症状が平均6ヶ月くらい続きます。その後意欲の低下、社会生活に支障を生ずるなどが多くのケースで起こります。最初の精神症状発現から診断治療までの期間は患者さんによって1週間から2年以上と幅があり、この期間が長いとその後の予後が悪いとされていますので、早期発見、早期治療が必要とされています。治療は内服薬やカウンセリングが中心になりますが、急性期後にある程度の障害が残ったり、再発と寛解を繰り返したりします。完全に良くなって治療を必要としなくなる人はまだそれほど多くありませんが、治療を継続しながら社会生活を送っているケースは確実に増えています。精神科の専門医に紹介して診療していただくことになりますが、それ以外の科の医師もこの疾患をよく理解して患者さんと心をふれあいながら診療していくことが必要だと思います。精神科病院で治療を受けながら、肝炎や胃腸障害などで私の外来を受診している人もいますので、精神科のこともよく勉強しながら治療させて頂いています。
2013.06.28
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テレビで「さすけ」という番組を観た。過酷な試練を時間内にクリアして次のステップに進むゲームだが、一つ一つの試練が半端でなく気が遠くなるようなハードで難しい設定なのに驚いた。その難しい試練に多くの若者が挑戦し、殆どは途中で玉砕していたが、中には第3ステージまで進んだ人もいた。私はそのうちのどのステップもクリアどころか、挑戦すらできない現状だったが、彼らの困難への勇気ある挑戦に励まされた。自分には体力はないが、挑戦の精神は同じなので自分に挑戦できることには彼らと同じ気持ちで挑戦していこうと思った。
2013.06.27
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岩手県の県会議員が、県立中央病院で名前でなく番号で呼ばれたことに腹を立てて病院に抗議の電話をしたり、お金を払わないで帰ってきたことなどをブログに書いたら批判の電話やメールが殺到し、東京のフジテレビまでもが取材に駆けつけるという大騒ぎになった。そしてその方が本日車の中で遺体となって発見された。ブログは本来日記という意味で、日記はその日の出来事や感じたことを書くもので、自分の本心や、秘密を書く事が多く、その日に頭にきたことなどは真っ先に書くことになる。復興庁の参事官が「左翼の犬どもが騒いで哀れに思った」なども最も日記に書きたい内容である。Web上でなく昔ながらのノートに書いた日記ならなんら問題はなかったが、web上に書いたために一人の方はお亡くなりになり、もうひとりは左遷された。ブログやツイッターをこっそり書いていた日記と同じようなものとどこかで思っていたことが今回の大事件に発展してしまった原因の一つだと思う。またブログやツイッターを書く時、ブログ読者は自分の味方、自分のフアンと錯覚してしまう怖さがある。実際にはただ読んでくれるというだけでフアンでも何でもないのである。変なことが書いてあれば一斉に批判の嵐が巻き起こるのである。それと各人の社会的立場がある。「番号で呼ばれて頭にきた」と一般の人が書いたら誰も反応しないだろうし問題にもならない。県会議員や復興庁の参事官という社会的に重要な立場の人のブログやツイッターということで騒ぎが大きくなったのだと思う。公な立場にある人はブログの内容や表現に気をつける必要があると思う。一般人は何を書いても咎められないと書いたが、基本ルールは同じだと思う。秘密のことや頭にきたことなどは今までとおり大学ノートに書いて引き出しの奥の方に隠しておくべきだと思う。公開されるのだから、引き出しに隠している日記とは違うことを肝に銘じて、自分のことばかり書くのはほどほどにした方がいいと思う。ほんの少しでも社会のお役にたてたら、という気持ちが根底になかったら、ブログを書く資格はないのではないかと思っている。
2013.06.25
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本日健診受信者の診察をした。65歳くらいの男性で既往歴に前立腺がんと書いてある方がいた。詳しく聞いてみたら10年くらい前に前立腺がんと診断されたが、組織学的に高分化型で進行の遅いものと思われるので経過観察でいいでしょうと言われて半年に1回診察を受けているとのことだった。低分化型はたちが悪くて進行が早いので直ぐ治療する必要があるが、あなたの場合は経過観察でいいと言われて、今のところ別段変わったことはないとのことだった。前立腺がんは高齢男性に多く、近年、罹患率も死亡率も上昇している。その治療法はがんの組織型や、進行度などによって手術療法、放射線療法、薬物療法、何もしない経過観察療法、などが選択されているが、経過がゆっくりのものはいいが、急激に進行して骨やリンパ節に転移するものもあり、注意が寛容である。経過観察療法でよく10年間頑張ってきたなと思った。一般的にはがんと聞くと「すぐ切ってくれ」、「薬をくれと」いう方が多い。がんを持っていると、「いつ大きくなって転移するかもわからない」ので、とにかく速く治療してくれというのが患者さん心理だと思う。治療もしないで経過観察なんて不安この上ないと思うが、この方はよくこの方法を選んだと感心した。
2013.06.25
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昨日床屋で頭の後ろ側に手鏡を当てて写してくれた時、てっぺんには殆ど髪の毛がないのを見て愕然とした。もう少しあるのかと思っていたら殆ど無かった。後ろに鏡を当てることは滅多にないので仕方ないかもしれないが、少なくとも自分の容姿については前後左右については把握しておくべきだと思った。感ちがいしていると恥ずかしいからだ。これは容姿だが寝姿やいびきなども自分では分からない。ボイスレコーダーなどで把握しておくことも必要だと思う。性格についてはどうか?自分はすごくいい性格だと思っている人でも他からみると鼻持ちならなくてあまりよくない性格ということがある。これも自分では分からない。こうして見てみると、結構自分では分かっていないことが多いことに気がついた。見えるところだけ見て自分はこのような人間だと思っていたが、実際には容姿にしても性格にしてもかなり分かっていない、もしくは過大評価、過小評価していることがあるのだなと思った。しかし男の中の男を目指す人間が、てっぺんが禿げているかどうかを気にしたり、自分の性格の中に悪い性格があるかどうかなどを気にしながら生きて良いものだろうか?ある女性にきいたことがあるが、禿げているかいないかより、その人全体の印象が重要で、禿げていることはそれほど気にならないと言っていた。中にはハゲは嫌だ。ふさふさがいい。どんなに性格がよくてお金持ちでもハゲならダメだ。という女性もいるかもしれない。それは自分のことが全く分かっていない女性で、男性から好かれる女性かどうか分からない。自分自身のことで、知らないことは沢山あるかもしれないが、男一匹そのようなことを気にして生きるのはみみっちい。そのようなことはあまり気にしないで、人生の目的目指して堂々と、まっしぐらに進むのが男の生きる道だと思う。
2013.06.23
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健康食品や健康器具がよく売れているらしい。試供品等が送られてくることがあるが、まず継続して服用したことはない。根っからの面倒くさがり屋で、痛いところがあるわけでもないので、1-2回服用してそのまま引き出しなどに入ったままになっている。先日足裏シートなるものが目について注文してみた。足の裏に貼って寝るだけで体調が良くなるとのことで、1昨日と昨日使用してみた。家内は鼻アレルギーでいつも鼻水がぽたぽたたれて大変困っていたがそれがぴたりと止まった。効能書きにそのような効果は書いてなかったのでたまたまかもしれないが昨日今日と鼻水は出ていない。私は朝起きたとき腰痛があるので貼ってみたら痛みが完全にはよくならなかったが少し軽快した。夜間尿量が多くなり、朝体重が1Kg位減っていて、お腹も少し凹んだように感じられた。恐らくむくみがとれたのだと思う。お腹ポッコリに効くとは書いてなかったのでこれもたまたまの現象かもしれない。普通なら1回か2回して止めてしまうことが多いが今夜3回目も使用してみようと思っており、もしかしたら継続使用するかもしれない。踏み竹法とか足裏指圧などがあり、足の裏に何らかの刺激を加えると血流がよくなるのかもしれない。家内の鼻水が治ったのも私のむくみが取れたのも血流が良くなったためかもしれない。むくみは利尿剤を服用すれば治すことができるが、それは腎臓の尿細管等に作用して無理して尿を沢山出すように働くが、足裏シートの場合は腎臓の特殊な場所に働きかけるのではなく、血流をよくしてむくみを取るのでこちらのほうが体のためにはいいかなと思えた。まだ使用して2日なので本当に効果があるのかどうか未知数だが、しばらく使用してみて効果を試してみようと思っている。
2013.06.22
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キキョウ願いごとのない人はいないと思う。その願い事が深ければ深いほど叶わないときの失望は大きい。軽く願っているような場合には叶わなくても大きなダメージは受けない。願い事は病気が治る願いや恋が成就する願いなどの個人的なものから、戦争がなくなりますようにとか、清き国になりますようにとか、いじめがなくなりますようになどの社会的なものなど様々である。病気が治り、恋が成就すれば大願成就で、天にも昇る気持ちだが、叶わないこともある。非難中傷や罪のなすり合い、ごまかしや詐欺、暴力や殺しのない清き国になりますようにと真剣に祈りに祈っているのに、あちらで振り込め詐欺があり、こちらで残酷な殺人があり、少しも清き国の願いは叶わない。真剣に祈っている人はこんなに祈っているのにまた殺人事件があったと絶望する。清き国になったらいいなあと漠然と願っていた人にとっては殺人はいやなことだが絶望するところまでは行かない。願いをかけてもそれが叶わない事の方が圧倒的に多く、絶望して落ち込んでしまうことが多い。そして常に絶望しながら生きて行かなければならず惨めである。そこで知恵を働かせて絶望を希望に変えて生きようではないかというのが本日のテーマである。願いをかけても次から次に裏切られて絶望の淵に沈んできたのが従来の知恵を働かせなかった状態だが、知恵を働かせて「願いというものはかなわないもの」と決めてしまったらどうであろうか?。願いは叶わないものと決めてしまうとは、結論を先延ばしすることである。病気が治らないと嘆くが、一生かけて願えば死ぬまで可能性のある希望の人生に変わる。清き国に少しもならないと絶望するが、一生かけて願っていればその間は希望の人生である。要するに短い期間で結果を得ようとしないで一生かけて願って行くのである。そうすれば、絶望はなくなり、希望のみである。絶望に生きるか?希望に生きるか?知恵を働かせて死ぬまで希望の日々で生きようではないか!!
2013.06.21
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大腸がん検診は便潜血検査で行われる。陽性の場合は精密検査を勧められるがその精密検査を受ける機会がなく経過し、翌年の検診で再度陽性になってようやく病院を受診する人もいる。48歳男性のAさんもその一人で仕事が忙しくて昨年はとうとう精密検査を受けることができなかったが、今回は社長さんから「放っておいて手遅れになった人もいるから行って来い」と言われて来院して一昨日検査を受けた。結果はS状結腸にくるみ大のポリープがあり、大腸の管空を殆ど塞ぎかけていた。社長さんが言ってくれなくて今年もパスしていたとすれば手遅れになっていた可能性があり、社長さんは命の恩人ですねとの話をした。男女とも大腸がんが増えており、それで命を落とす人も多い。知らないうちに進行して肝臓などに転移して亡くなることが多い。直腸やS状結腸にできたがんは血流の関係で転移しやすく要注意である。便潜血テスト陽性の場合は、精密検査を受けてがんがあった場合には早期治療すれば治すことができるが、ほんの数ヵ月遅れたために既に転移があれば、人生が180度ちがってしまうので、便潜血テストの結果を自己判断で軽く考えないでもらいたいと思う。
2013.06.20
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ベルガモット今、朝ドラ「あまちゃん」でユイとアキがスカウトされて東京のタレント事務所に行く寸前まで話が進んでいる。東北の田舎町でのお座敷列車などでの活躍が認められてのことだが、現実にはこのようなことはまずない。世の中スターやアイドルになりたい人は一杯いる。子供が少なくなってスターのように大事に育てられることが多くなったことにもよるがスターを夢見る少年少女は多い。しかし実際には殆どその可能性はない。AKB48よりずっと歌が上手いと思ったり、ずっと可愛いと思って上京しても採用してくれる音楽事務所はまずない。なぜ自分よりずっと下手でかわいくない人たちが採用されて自分は見向きもされないのかと悔しく思ってもどうすることもできない。その違いはどこにあるのだろうか。実力的には大差ないのだと思う。必死で採用を願っているところも同じだと思う。違うのは運であり、時流にマッチしているか、強力なコネがあるかないかだと思う。何万分の1~何十万分の一の確率で採用される人というのは強力な運を持っている人たちではないかと思っている。スターを夢見ている皆さんは、必死で練習し、コネを探して飛び回り、必死で願っていることと思う。しかし実際に選ばれるのは何万人に一人である。殆どの人は落選である。落選した時の気持ちは、これだけ練習し、能力もあるのにどうして!?と悔し涙にくれるがどうすることもできない。「くじけないで再度挑戦してみたら?」と慰めても、再挑戦して採用される可能性は殆どゼロである。実際にずっと挑戦し続けて年取ってしまった人もいる。才能があると思ってのことだと思うがこの世界は才能があるなしで決まる世界ではないと思う。落ち続けると悔しいが、宝くじより当たる可能性は低いのだ。現実をじっと見直してもらいたい。ドラマのユイはアイドルになることしか考えていないが、アイドル以外にも人生はあるのである。何回も落ちたら、アイドル以外の生きる道について真剣に考えてみるべきだと思う。
2013.06.19
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今年に入って風疹が大流行している。その風疹患者の90%は20~40歳代の成人男性である。皮疹ができてもすぐ良くなってしまうので、大した病気ではないが、これほど大騒ぎされるのには理由がある。今回の流行では女性患者は少ないが、今男性間で大流行している風疹が妊娠5ヶ月(20週)頃までの妊婦が感染すると新生児に先天性風疹症候群という障害が残るリスクが高まるからだ。その障害とは心臓病、難聴、白内障の三大障害があり、ほかにも紫斑や肝臓や脾臓の腫大、発達遅滞などを起こすこともある。それゆえ皆流行に敏感になっているのである。今の流行はほとんどが男性なので問題ないと思う方もいるかもしれないが、共同生活の中でいつ女性に感染させるかわからないからである。風疹もしくは風疹疑いの患者さんは、ウイルス排泄の可能性がなくなるまでは外出を控える必要がある。風疹の症状はどのようなものだろうか?発熱と皮疹、リンパ節の腫脹が特徴である。後頸部、耳介の後ろや後頭部のリンパ節が腫れていたら、あやしいと思い、外出を控えてもらいたい。皮疹は顔から始まって首、体幹部、四肢遠位へと1~2日かけて広がっていく。また目が発赤していることもある。いずれにしても自分にとっては大した病気ではないが、ウイルス排出の危険性がなくなる、熱、皮疹、リンパ節腫脹がなくなるまでは、自宅で静養してもらいたいと思う。また今は市町村によっては風疹ワクチンに補助金を出してくれるところもあるので、心配の人は風疹のワクチンを打っておくこともひとつの対処法である。もし抗体があってもワクチンを打って害にならないので抗体があるかないか分からない人は打ってもらうのがよいと思う。
2013.06.18
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車を運転していたらジャパネットたかたがボイスレコーダーの宣伝をしていた。家族から大きないびきをかいていたとしばしば言われるが、自分には全く聞こえないので納得できなかった。それをうまく録音できるものがあればいいと考えていたので、これならいびきを録音できるのではないかと思い早速注文した。昨日それが到着した。15時間録音できて声がでていない時はストップしてくれるので、いびきのない時間帯をずっと長い間我慢して聞いていなくて良いので便利なものだと思った。昨夜早速録音してみた。朝再生してみたら本当にグースー、グースーと結構長時間いびきをかいていた。自分では全くわからないのにこんなことってあるのかと愕然とし、その対策を立てなくてはいけないと思った。酒を飲まないで枕を低くして横向きに寝れば少しは軽減されるとのことなのでやってみようと思うが、レーザーで喉の奥の狭くなっているところを焼き切る手術もあるとのことである。それは東京まで行かないと無理らしいが、あんな大きな音でずっとガーガーしていたら大変なまわり迷惑なので東京まで行って手術を受けてこようと思う。
2013.06.17
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玄関脇のレンガ脇に咲く姫扇子宮頚がんワクチンについて書いたブログにコメント下さった方にご返事を書きながらこれは皆さんにも知っていただきたい内容だと思い、本ブログでもほぼ同じ内容に加筆して書かせて頂くことにしました。癌の原因はいろいろ言われて来ました。うさぎの耳にコールタールを塗り続けたらガンができたり、煙突掃除の人が煤(スス)を陰部に受け続けた結果、同部のガンになったりすることから刺激説が有力でしたが、その後放射線、細菌、ウイルス、遺伝子、食生活などが言われるようになりました。今回の子宮頸がんはセックスなどで感染するパピローマウイルスの中のある遺伝子型のウイルスが子宮頸がんに関係するとの学術研究が基になり、ワクチンを打って抗体をつくればパピローマウイルスに感染しづらくなるのではないか?そうすれば子宮頸がんも予防できるのではないかとの考えに基づいています。しかしそのワクチンの副作用について十分検討されてこなかったというのが今回の問題だと思います。胃がんについてはピロリ菌感染がほぼ胃がんの原因とされ、ピロリ菌を退治すればほぼ胃がんにはかからないと言われるほどになりました。この退治法は7日間薬を飲むだけですが、その副作用はペニシリンアレルギーの人は蕁麻疹が出たり下痢したり血便が出たりすることがあります。それはその薬の服用をやめたり、抗アレルギー剤の注射や内服で収まるもので今回のワクチンのような深刻なものではありません。ところで以前は食塩を取りすぎるから胃がんに罹り易いのだの説がありましたが、食生活との関係はどうなっているのでしょうか?ピロリ菌さえ退治すれば食生活も放射線も、ウイルスも関係ないのでしょうか?私はそうは思いません。主な原因はピロリ菌かもしれませんが食生活その他の原因も加わっているのだと思っています。乳がんや大腸がん、すい臓がんは遺伝子との関係が深いと言われており、最近アメリカでその遺伝子を持つ女優さんが予防のために乳房を切除したことが話題になりましたが、遺伝子だけでなく脂肪を多く食べる食生活も関係していると思います。医学が進歩してがんの原因もかなり明らかにされて来ました。その予防のためには何をしたらいいか自分で選択できる時代になりつつあると思います。しかしそれによる副作用についても十分情報を流したり受け入れる姿勢も大切だと思います。
2013.06.16
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相次ぐ副作用報告を受けて厚労省は推奨しないとの結論をだした。但し希望者には「推奨しませんよ」と通告した上で無料で接種できるとした。子宮頸がんワクチンについては日本に先駆けて導入した国での副作用報告があり、効果についてもメリット、デメリットを考えると導入すべきではないとする意見もかなりあった。それなのに相次いで自治体が助成を決め、2010年には国の助成がはじまり、本年4月からは定期接種になった。副作用について十分検討されたのであろうか?接種を受けた女児に全身疼痛などの激しい副作用が生じて今も苦しんでいる女児が数多くいることより今回の決定になったが、導入を決めた市町村や国の責任は重い。接種した医師たちの苦しみいかばかりか想像する。彼らにも当然責任がある。安全が確認されるまでは接種すべきではない。推奨しないが希望者には打つというのは責任逃れの卑怯な態度である。もし副作用が出ても「私は推奨しないと言いましたからね」と言い訳しようとしているのだ。即刻中止して、副作用の原因、対策、治療法を研究し、ワクチンを打った場合に本当に効果あるのかの検証など、ワクチンの安全性とその効果が完全に確立されてから実施すべきである。
2013.06.15
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民主党の野田総理がTPP参加を政策に掲げて選挙で惨敗した。その時自民党は反対を表明して選挙に勝った。所が選挙で勝った自民党は安倍政権で一転して賛成にまわり、今交渉に参加している。国民の世論調査ではTPP参加賛成の方が多い。国民も安倍氏もTPPの本質をよく知らないのだと思う。参加の条件が交渉過程では国民に知らせるなとなっており、知らせれば暴動になる内容なのである。最近のアメリカの世論調査でTPP反対が66%にのぼっているとのことだ。アメリカの1%のお金持ちのための協定で一般国民のためにならないし他国のためにもならないと考えているからである。我が国について考えるなら日米安保条約の枠組みの中でアメリカのたっての要請に対して財界を中心にした勢力が参加したほうが無難で自分たちも儲かると考えてのことだが、大変な売国行為である。関税撤廃と言ってもアメリカは自動車に関しては日本からの輸入車には数十年間猶予として関税をかけ続けるとの条件を提示している。日本は猶予として数年間の農産物の関税継続、もしくは除外品目にしてくれと要請しているが本来の目的がアメリカの農産物、畜産物を日本に売るための協定なので日本の思惑どうりになるわけがない。日本国民の多くは安い食料品がどんどん入ってくるならそのほうがよい。それによって農業が潰れたとしてもやむおえないのではないかと思ってる人が多いからTPP賛成派が多くなったのかもしれないが、とんでもない間違いの道に突き進もうとしていることに気づいていない。沖縄はその昔日本一の長命県であった。ところが米軍基地ができアメリカ化された食生活が敷衍する中で今や日本国内有数の短命県になってしまった。パン食、肉食、牛乳食の欧米食は伝統的な日本食に比べて短命である。アメリカでも日本食を取り入れていくべきであるとはアメリカでまとめられたマクガバン報告に明確に記載されている。安い食料品がどっと入ってくるということは日本の欧米食化が一層進むということである。アメリカの1%の金持ち(アメリカの40%以上のお金を握っている)が考えた彼らが儲かるための協定に乗るべきではない。一旦協定に加わると言った国は脱退することはできないとの決まりはないが、相当大きな締めつけはある。しかし、国民の生活や健康を守るためにはズルズルと流されることなく、毅然とした脱退の道を選ぶべきである。
2013.06.13
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紫陽花、昨年母の日に滋賀県に住む息子の嫁が送ってくれたものを、今年私も手伝って植え替えたものである。頂いた時はピンクだったが今は少し紫がかっている。ラジオで土がアルカリ性だと赤、酸性だと青と言っていたので植え替えた土が少し酸性だったのかもしれない。左下一番奥の歯が割れてしまったので抜いてしまった。するとその部が欠けているので噛みづらかったのでインプラントを入れようかと思った。インプラントというのは歯が抜けた顎に木ネジをねじりこんで、その上に歯をかぶせるもので、もともとの自分の歯と同じように噛めるようになるとして近年急速に普及してきている治療法である。木ネジの上に金属をかぶせるので虫歯にはならないが、歯槽膿漏にはなるとのことで、歯磨き評価が何回か行われた。85点以上ないとダメということで磨き残しが厳しくチェックされて過去2回は81点、80点で不合格だったが今回90点だったので、インプラントを入れてもいいことになり今度手術日や費用を決めることになっている。でも月日の経過とともに、次第に慣れてきて今のままでも結構噛めるようになり、インプラントを入れる必要があるだろうかと思えてきた。木ネジをねじ込んでから半年近く木ネジが骨に馴染むか様子を見てから歯型をかぶせるので、すぐ噛めるようになるわけではないことも迷わせる一因である。医学の最新進歩の治療法を試して見たい気持ちもある。迷っている。インプラント治療を受けた人、治療を受けようとしたが止めた人、最初からそのような治療法は考えなかった人など様々だと思うが、ご意見聞かせて頂ければ幸甚である。
2013.06.12
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今日は84歳で亡くなった母の月命日である。命日は平成4年5月11日なので先月11日にはお墓参りに行ってきた。腎臓を悪くして血液透析をしていたが、死因はベッドから落ちたために突然亡くなってしまったみたいだ。病院の落ち度として大騒ぎする家族もいるが、自分も医師なので何も言わないでお世話になりましたとお礼を言って引き取ってきた。とやかく言ってもどうしょうもないことだったかもしれないが、不憫な母のことより、病院や医師がさぞかし困っているだろうとそちらのことの方を先に考えて母にすまなかったと思っている。妻は私の両親を自分の親のように大事にしてくれて感謝しているが、自分はといえばそのことだけでなく他のことでもあまり親を思いやってこなかったと後悔している。一緒に住み、妻といつも和やかに暮らしていたのでその時はさほど思わなかったが、亡くなってしまった後は自分は仕事のことばかり考えていてあまり親孝行してこなかったと悔やんだ。今ご高齢の患者さん達に尽くしている気持ちの何分の一でも自分の親に尽くせたらなと思うが過ぎてしまったことでどうすることもできない。私が35歳の時、国立病院に勤めていたが、もっと勉強したい、博士号も取りたいと甲府から相模原にある大学病院に転勤することになった。その頃はまだ両親は田舎で暮らしていたが、よく電車に乗って相模原まで泊まりに来てくれた。その頃大学を卒業したての研修医は大体25~6歳で、自分は少し年取っていて、引け目を感じていた。そのことをちらっと漏らしたら「母がそんなことはすっかまちょし!」と言ってくれた。それがすごく力強く感じられ年齢のことなど気にしないで研修できたように思う。その後博士号ももらえて両親が喜んでくれたがあれがせめてもの親孝行だったかなと思っている。毎月11日が廻ってくる。生前孝行できなかったのでせめて月命日に心からの追善供養しようと思っている。
2013.06.11
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本年4月より市の介護保険審査委員になり、月に1~2回夜7時半から9時頃まで介護申請されたケースを適切な介護度に振り分ける審査を行っており、本日もその審査会から今帰ってきたところである。介護認定は調査員が患者さんを直接審査して介護度1とか2とかあらかじめの介護度を示してくれてそれと主治医が書いた主治医意見書を合わせて評価するが、委員は5人おり、各自各ケースに自分の意見を言って最終介護度が決められる。等級は要支援1、要支援2、要介護1、要介護2、要介護3、要介護4、要介護5まであり、等級が上がるにつれて受けられる介護サービスの種類や量が決まってくるので厳格な判定を下さなければならない。申請書をみると80歳、90歳の高齢者が多く、ひとり暮らしの人もいる。手足が不自由な人もいれば認知症が高度の人もいる。障害の程度と認知症の程度を細かく分類評価して各委員が意見を言って最終等級が決められる。毎回30人位を審査するが、いくらお元気の方でも人生の終末に近づくと何らかの介護サービスのお世話になるのだろうなと思った。
2013.06.10
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青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。バラの面差し、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、たくましい意志、豊かな想像力、燃える情熱を指す。青春とは人生の中で深い清らかな泉が湧き出ていることを言う。Youth is not a time of life, it is a state of mind, it is not a matter of rosy cheeks, red lips and supple knees,it is a matter of the will,a quality of the imagination,a vigor of the emotions,it is the freshness of the deep springs of life.もう何年前になるか分からない。大学受験の時に宿舎が一緒になって私は合格したが彼は不合格になったが以来親友として付き合っている友人から面白いから読んでみたらと「青春という名の詩」という本を送られた。発行が昭和61年となっているので、26年くらい前のことだったと思う。その時はパラパラとみてあまり詳しく読まなかったと思うが、先日ふっと何十年ぶりかで手にとってみた。冒頭に上記で始まるサムエル・ウルマンの詩があった。その節の続きに、青春とは臆病を退ける勇気、安楽に安住するのを振り捨てる冒険心を意味する。時には20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけでは人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。まったくそのとおりだと思った。世の中には老若男女様々な人がおり、総じて高齢者の方は老いている人が多いが、20~30歳台の若者でも老人がいると思った。この詩の最後は「希望に生きれば80歳でも青春を謳歌しながら死んでいける」To catch the waves of optimism, there is hope you may die young at eighty.と結ばれている。人は生まれてから次第に老いてやがて死んでいくと信じられてきたが、この詩を読んで、必ずしもそうとは言えないと思えてきた。生まれてからずっと老いないで死んで行く人もいれば、若さを経験しないで老いのままで死んでいく人もいるのだなと思った。
2013.06.09
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アメリカの詩人サムエル・ウルマンが100年くらい前に書いた「青春」という詩があるが、その最後の一節が以下のように書かれていた。In the center of your heart and my heart there is a wireless station, so long as it receives messages of beauty, hope, cheer, courage and power from men and from the Infinite, so long are you young.When the aerials are down,and your spirit is covered with snows of cynicism and the ice of pessimism, then you are grown old,even at twenty,but as long as your aerials are up, to catch the waves of optimism, there is hope you may die young at eighty. 「日本語訳」君にも私にもその心の中心に、無線センターがあり、美や、希望、喜び、勇気、そしてパワーを人や神から受け取る限り、君は若い。もしアンテナが倒れて君の精神が皮肉の雪や悲観の氷で覆われるなら、たとえ20歳でも君は年取ってしまうだろう。しかし君がアンテナを立て直し、楽天的な電波をキャッチするなら、たとえ80歳でも若く、希望の内に死を迎えることができるだろう。100年前と言えばまだインターネットはなかった。しかし上の詩を読むとインターネット時代を先取りしていたように思えた。今はどんな情報でもインターネットから受け取ることができる。from men and from the Infinite、「人や神から」と表現されているが、インターネットの情報は当に神からと思われるくらいあらゆる情報が網羅されている。載っていない情報はないと思われるくらい詰め込まれている。しかしその情報は美も醜も、善も悪も、有用無用、全ての情報を含んでいる。その中から美、希望、喜び、勇気、力を受け取るなら君は若い。しかしその中から悲観的な情報ばかりキャッチしていたら君は年取ってしまう。当にインターネット時代にぴったりの詩だと思った。無尽蔵と言われるインターネット情報の中から何を吸収するかによって人は若くも年寄りにもなる。若い、年寄りは暦年齢によるのではなく、インターネットからどのような情報を引き出しているかによって決まるのである。
2013.06.07
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Youth by Samuel UllmanYouth is not a time of life, it is a state of mind, it is not a matter of rosy cheeks, red lips and supple knees,it is a matter of the will,a quality of the imagination,a vigor of the emotions,it is the freshness of the deep springs of life.Youth means a temperamental predominance of courage over timidity of the appetite,for adventure over the love of ease.This often exists in a man of sixty more than a boy of twenty. Nobody grows old merely by a number of years. We grow old by deserting our ideals.Years may wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, fear, self-distrust bows the heart and turns the spirit back to dust.Whether sixty or sixteen,there is in every human being's heart the lure of wonder, the unfailing child-like appetite of what's next, and the joy of the game of living. In the center of your heart and my heart there is a wireless station, so long as it receives messages of beauty, hope, cheer, courage and power from men and from the Infinite, so long are you young.When the aerials are down,and your spirit is covered with snows of cynicism and the ice of pessimism, then you are grown old,even at twenty,but as long as your aerials are up, to catch the waves of optimism, there is hope you may die young at eighty.
2013.06.07
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ラムズイア(羊の耳)世の中には様々の人がいる。人は皆全く平等だが中には自分は人より偉いと思ったり、差別したり、人を見下す態度を示す人もいる。どの職業の中にもそう言う人はいるが、医師や教官、スポーツの指導者、マスコミ関係者、金持ちなどの中にそう言う人が多い。人より努力してその地位を掴んだとして優越感や差別感を持ってしまったのかも知れない。医師の中には患者さんより少しばかり医学知識があるからと威張った態度をとる人がいる。その知識を使って少しでも患者さんのお役にたちたいと懸命に努力している人が大半だが、中にはどうしたことか俺は偉いと思ってつんとしている人もいる。金持ちの中には貧乏人より自分は偉いと思っている人がいる。努力して金を貯めたのだ。貧乏人は虫けらだ。悔しかったらお前らも努力して金持ちになれと思っている人もいる。マスコミ関係の人の中には「おれがどのように報道するかであんたがたの人生はどうにでもなる。社会から葬りさることだってできるのだぞ」と内心思っている人もいる。その職業の人が全てそうというわけではないが、中にはそのように差別して人を見る人がいる。一方貧乏人の中には自分を卑下している人もいれば、金持ちは悪い連中だ。悪いことをして金を貯めたのだと逆差別感を持っている人もいる。いずれも人は本質的に全く平等で尊い存在であるという認識に欠けている人たちだと思う。全ての人はどのような立場にいようとも、原点に帰り、人は平等、どの人も最高に尊いのだとの認識を失ってはならない。
2013.06.06
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昨日のサッカーW・Cup予選で本田がPKを決めた時にはあまり感情を表に出さないザッケローニ監督が満面をクシャクシャにして喜んでいた。日本代表監督になった時の目標がW・Cup出場だったのでそれが果たせた喜びが爆発したのだと思った。2010年10月8日の中田英寿氏との対談で、「日本に来ることにしたのは日本にいいイメージを持っていたからだ。だから国によっては断った。過去に外国の強豪クラブや代表チームからオファーをもらったこともあるが行く気にはなれなかった」「日本は自分たちの特徴に合わせたサッカーをすべきだと思う。つまり今のテクニカルなサッカーをスピードに乗せてやることだ。確実に言えることは私は日本の伝統を変えていくつもりはない。その伝統の中に入っていくのはこの私であって日本人が私に合わせるのではない」と語った。 2011年2月5日、チェゼナーティコで市民表彰を受けた際の記者会見で日本について、「教育、しつけ、清潔さ、すべてが素晴らしい。物価は2倍だが、お金を払うのも気持ちいいぐらい」「私は半分日本人だと思っている。日本に恋している」「大変感謝している。君が代を歌えるように努力したい」と語った。 5回連続でW.Cup出場を果たした日本代表選手達の活躍は素晴らしかったが、それと同等もしくはそれ以上に采配を振るった監督の手腕を称えたいと思う。上記で見る限り日本を本当に愛してくれている。変人・奇人と言われていた人らしいが素晴らしい監督のもとでプレーできる選手は幸せだし、代表チーム監督をお願いしている我々日本人も幸せである。益々の幸運と活躍を祈っている。
2013.06.05
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大和ハウス会長の樋口武男さんのインタビュー記事を読んだ。昭和30年に大和ハウスを創業した石橋信夫さんを人生の師として石橋さんに命じられるままに、業績の悪い支店に配属されて次々にその支店を黒字に転換させていった。秘策は何かと聞かれると、特別なことをしたのではなく、明るい挨拶や整理整頓、約束を守るなど当たり前のことをしただけとのことだった。何か問題があり業績の悪い部所は大抵当たり前のことができていないものである。と語っていた。ある時、創業者からグループ会社である「大和団地」の社長になるように頼まれた。その会社は1418億円の負債を抱える倒産寸前の会社だった。考えた末引き受けたが、就任3ヶ月後連帯保証していた病院が倒産して、68億円の負債が降りかかってきた。困り果てて少しは本社の援助を頂けるかとかと創業者に相談したら「それを解決するのが社長やないか!」と怒鳴られた。流石に頭に来て「もう結構です!」と言って部屋を飛び出したが、いくら頭に来ても、ずっと尊敬し、従ってきた師にあの態度はなかったなと反省して翌日謝りに行った。謝っても援助はもらえず、困り果てて眠れない日が続いていたが、4日目頃、父親が枕元に立って「こら武雄、お前の悩みなんか宇宙からみたら塵みたいなもんや。余計なことは考えないでガツンといかんかい!」と怒鳴られた。それを契機に大和団地に腹を据えて取り組み、2年で黒字に転換させ、7年後には売上倍増して業績不振で無配当だったのに再度配当を復活させることができた。その直後、創業者から今度は本社の社長に任命されて経営が低迷していた本社を奇跡的にV字回復させた。樋口さんは、創業者石橋さんを師と仰ぎ、無理難題を与えられてもそれに応えるべく必死の努力をして結果を出してきた。若者に対するメッセージをとの要望に対して「人間何を心の支えにしているかが問題で、世のため、人のために自分が正しい行いをしているかを絶えず確認しながら行動することが大切である。創業者は「運のいい人と付き合って運のいい人間になれ」と言っていたが運のいい人間とは、人の道を全うしている人だと思う。人を騙したり、裏切ったりする人からは絶対運が、逃げる。人の悪口を言う人、俺が俺がという人、人の足を引っ張る人も同じである。因果応報で、人の道をきちんと歩む人に果報が現れるものです」と語っていた。
2013.06.04
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朝ドラ「あまちゃん」でアキが思いを寄せる種市先輩の言葉である。種市先輩はアキの親友ユイを好きなので、アキがいくら頑張って試験に受かってもデートは出来ないと伝える言葉だった。確かに好き嫌いの感情は頑張ればいいというものではない。私を含め世の中には頑張れば何事も成就する、成功すると思っている人がいるが、それは無理で、恋愛だけでなく、ゴルフや語学の習得などについても言えると思う。私は語学の習得にビデオやテープを一杯買い、テレビ講座も何年も見続け、映画のDVDも買って随分映画も見てきて、語学習得に随分がんばった。でもあまり上達していない。種市先輩の言葉が身にしみた。トロイ遺跡の発掘で有名なシュリーマンは語学の天才で22カ国語を話せたという。先月滋賀県の息子の家に行き、孫の小学生向きの伝記本を開いたらシュリーマンのことが書いてあり、彼は語学の勉強に意味はわからなくていいからただ音読していたとのことである。私の場合は聞くだけ、読むだけが多く、意味がわからないと聞くのも読むのもやめてしまっていたが、その児童書を読んだ後、最近、シュリーマンの真似をして意味はわからなくても外国人が喋っているのをそのまま真似して喋ってみた。外国語は早いのでついていけないがお構いなしで、真似してみた。そしたら格段の進歩が感じられた。見たり聴いたりするだけでなく口を動かさなければ絶対だめだということがよくわかった。努力したり、頑張ったりしている人は大勢いる。でも成果を上げている人はほんのひとにぎりだと思う。その人たちは正しい努力をしてきた人達だと思う。語学について言えば外国語をわかってもわからんくてもいいから兎に角真似して喋ってみること。これをしてきた人達がペラペラになったのだと思う。
2013.06.03
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今日勤め先のゴルフコンペがあった。この日のために練習場に何回も行ったし、実際にコースに出て練習もした。結果は散々で泣きたくなった。練習場ではほぼ真っ直ぐ飛ぶようになっていたのに、本番ではチョロしたり、曲がったりした。体が思うように動いてくれなかった。ゴルフ以外の他のことも思った。みんなダメ、ひとつもうまくいっているものはない。ほとほと自分はだめだと思った。だけどどうしたらいいのだろうか?みんなダメ、失望して死にたい気持ちだ。それらのことを全て止めてしまえば気が楽になるかも知れないとも思った。でも止めればいいというものではないことを自分が一番よく知っている。止めて気が楽になり人生が楽しくなることは絶対にないことを知っている。それなら苦しいし、辛いし、落ち込んでいるが続けるしかない。寝て起きれば気分も変わっていると思う。明日を信じてがんばろうと思う。
2013.06.02
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私の外来に通う76歳の女性がいる。肝硬変で時々意識が朦朧となるがアミノレバンという点滴をすると意識がしゃきっとして普通の生活ができる。「入院して点滴しますか」といったら入院だと自由がきかないから週に2回くらい通って点滴してもらいに来るという。通院するのにタクシーを利用しなければならないが、医師の許可があれば生活保護でタクシー代も見てくれるとのことで、病院のメディカル・ソーシャル・ワーカーの人が役場の担当者と連絡をとってくれてそれがOKになった。患者さんにとってありがたいことだなと思った。日本国憲法第25条に「誰人も健康で文化的な最低限度の生活を営むことを保証する」があり、それに基づいて仕事がなかったり病気で働けない人々の最低限度の生活を保証するために制定された法律が生活保護法である。現在235万人(山梨県の人口80万人の約3倍)が生活保護を受給しており、その8割は高齢者と障害者と病人で、残りの2割はひとり親世帯、母子家庭、失業した人たちである。仕事があって、給料を貰っていても、もし突然事故や病気で仕事ができなくなって、身よりもなかったらどうして生活していったらいいだろう。そのような時にはこの生活保護が生活を支えてくれるので本当にありがたい制度だと思う。問題は財産があったり、働けたり、ある程度の収入がある親族がいるのに不正に受給している人達がいることだと思う。今年度の生活保護費は3兆7000億円に上ると予想されているが、お金は無尽蔵にあるわけではない。誰でも何時失業したり、病気になったりして生活に困る状態にならないとも限らない。そのような時に本当に必要な人が確実に受給してもらえるようにするためには不正受給者を排除していく必要がある。誰人も最低生活を保証してもらえるように、制度の適切・厳重な運営と受給者に対する周りの暖かい理解と支援を望むものである。
2013.06.01
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