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久しぶりに陰謀論の話を紹介するのも、面白いサイトに遭遇したこともある。その前に、最近の韓国の船について、お馴染みのサイトから抜粋紹介する。 ★ ★ ★ セウォル号乗員の全員逮捕と船尾と船底の傷 http://d.hatena.ne.jp/rebel00/20140429/1398740197 セウォル号の乗員が全員逮捕拘束されたそうです。 セウォル号沈没 残りの乗組員4人を逮捕 韓国で旅客船が沈没した事故で、捜査当局は乗組員4人を新たに逮捕した。これで船の運航にかかわった15人全員が逮捕されたことになる。 捜査当局は26日夜、セウォル号の乗組員4人を、乗客を救助しなかった疑いなどで逮捕した。 逮捕された乗組員「責任を果たせなかったことを遺族の皆さまにおわび申し上げる」 セウォル号の沈没をめぐっては船長など11人がすでに逮捕されており、これで船の運航にかかわった15人全員が逮捕されたことになる。一方、潮の流れが速まっていることなどから、26日の行方不明者の捜索は4時間余りしか行えなかった。 捜索関係者は、障害物に遮られているため船を引き揚げない限り、捜索が困難な区画もあると話している。 < 2014年4月27日 7:57 > http://www.freezepage.com/1398731277DCRGHOPUCJ 先日、セウォル号は、どうやら後ろからユダヤ米国の原子力潜水艦に突っ込まれて舵が壊れてしまったのでは? という記事を投稿しました。 ▼イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相が来日予定 http://d.hatena.ne.jp/rebel00/20140426/1398474623 船尾の舵の近くが見事に大破してますよね? 舵を切り過ぎて。バランスを崩したぐらいで、どうして船尾が大破してしまうのでしょうか? さらに、なんと今度は! 船底に傷跡が付いている画像が、ネット上に流出しています。 ▼韓国船沈没事件:今度は船底に傷が見つかったという新情報です。 http://richardkoshimizu.at.webry.info/201404/article_275.html 乗客や乗員が聞いた「ドーン!」という音、どう考えても、海底の障害物に衝突した音ですよね? しかも! 韓国と日本のメディアに緘口令を敷く力がある障害物って・・・??? やっぱり、ユダヤ米国の潜水艦しかないですよね? って事で、ユダ金ちゃん、乗員全員の口を塞ごうと必死のご様子。 この動きに、日韓マスコミや韓国の大統領も一生懸命ご協力! といった感じでしょうか? ★ ★ ★ 続いて、陰謀論のまとめ的な話を、あるサイトから紹介。 ★ ★ ★ 陰謀論とは何か/副島隆彦 http://donhenley.blog.so-net.ne.jp/2012-11-20 【陰謀論とは何か/副島隆彦/12年9月初版】 ここ数年本屋で日常的に売れてる陰謀論者は、ベンジャミンフルフォードと副島隆彦です。 なかでも副島氏はいろんな分野の知識が深く、とくにマクロ経済に関する諸説は説得力があります。よく近所の本屋のビジネス本ランキングで1位になったりしています。 この分野の第一人者の副島氏が、陰謀論についてわかりやすく解説した一冊。陰謀論に興味のあるお方は、とても楽しめる本です。 以下に主な陰謀論と、副島氏の評価・判定を <ユダヤ陰謀論> あると考える。ものすごく大きなテーマなので他の項目で判別する。そもそもユダヤ人が人種であるかどうかさえわからない。ジュダイズムはユダヤ教と訳しても、ユダヤ思想と訳してもいい。陰謀論といえばユダヤ人問題ともいえる。 <新世界秩序陰謀論> ビルダーバーグ会議や日米欧三極委員会などの4つの会議の主催者は、デヴィッドロックフェラー。フリーメーソン陰謀論やイルミナティ陰謀論も含まれる。ジョンコールマンの提唱する「300人委員会」は根拠が薄い。ただ歴史的に有名な「33階位」の表のイルミナティ=フリーメーソンの階層秩序は有ると考える。一番下から四つ目までの職工長・親方階級は、日本にもあるロータリークラブやライオンズクラブ。 <財閥陰謀論、王室陰謀論> ロスチャイルドやロックフェラーなどの巨大財閥が、世界の政治、経済・金融を上から操ってきたことは肯定する。欧米の首相、大統領も実質的には彼らが指名している。すなわち先進国のデモクラシーは実質的に死んでいる。この現状に怒り激しく告発する人は、陰謀論者の汚名を着せられる。 <地震兵器> 認めない。現在の技術力では無理。 <中央銀行陰謀論> FRBの存在そのものがコンスピラシー(権力者共同謀議)であると断定し、FRB廃止運動を強く支持する。 <ノーベル賞陰謀論> ノーベル賞そのものがコンスピラシーだという説を認めない。ウィキに副島の名前が書かれて いることの根拠もわからない。副島はこれまでノーベル賞のことを書いたことがない。欧州 貴族たちの決めることに、アメリカ支配層は反発する。 <冷戦やらせ論> 認める。1917年のロシア革命を謀略で起させたのは米ロックフェラー財閥であると言う説を肯定する。スターリン・ブレジネフがロックフェラーに背後から操られたと言う説は、説得力がある。今の日本の指導者(政治家)たちの、アメリカからの露骨な操られ方を見ていると、さらに信念を深める。 <日露戦争陰謀論> こんなものは陰謀説でもない。日露戦争の資金は米国のヤコブシフが出した。ロスチャイルド家はカスピ海油田を開発していて、ロシア皇帝ににらまれたくなかったので、代わりに子会社のクーンロブ商会のヤコブシフに日本の支援をさせた。イギリス海軍の大佐たちが、観戦将校として東郷平八郎らを実際上指揮していたことは事実である。 <ホロコースト捏造陰謀説> 300万人から600万人とかの膨大なユダヤ人が収容所で死んだという事実はない。強制収容所で死んだユダヤ人は7万5000人である。はじめに大きな数字を発表したため、その後引っ込みがつかなくなった。 収容所で毒ガスで殺されたというのもウソである。栄養失調と伝染病(腸チフス)で死んでいった。ただし合計で600万人ぐらいのヨーロッパ全体にいたユダヤ人たちが、ナチスドイツと各国の傀儡政府にひどく迫害された事実はある。 <真珠湾攻撃についての陰謀説> 米国政府は日本海軍の攻撃を事前に知っていた。 <イラク戦争陰謀説> 肯定する。ブッシュ政権が自国の経済・財政の苦況から脱出するために自分で仕組んで、実行した国家犯罪である。 <ジョンケネディ暗殺についての陰謀説> ロックフェラー家を筆頭とする財界と、CIAの凶暴な部分と、サムジアンカーナらマフィアなどの連合した意思による暗殺である。2039年には米政府はすべての資料をすべて公開することが決まっている。 <ダイアナ妃暗殺疑惑> 肯定する。再婚相手のエジプト人富豪ドディの子供をすでに身ごもっていた。そうなると将来のイギリス国王に腹違いの弟がいて、イギリス王国の権威が傷つくと考えたものがいる。エジプトはイギリスの植民地だった国であり、そこにイギリス王家の血が分かれて存在することを、ひどく嫌った旧弊なイギリス貴族たちがいた。 <エイズウイルス陰謀説> 肯定する。製造したのはロバートギャロという医師。1983年にエイズウイルスを発見してノーベル賞を受賞したモンターニュ博士は、ロバートギャロの所業をよく知っていたので、静かな抗議をして、ストックホルムの授賞式には行かなかった。 <SARS,鳥インフルエンザ陰謀説>これらも人工で、狂牛病も同様である。斉藤綱男という日本人医学者がこの件に関連して自宅前で、お嬢様と共に惨殺されている。 日本国内で新型インフルエンザと呼ばれたスワイン(豚)インフルエンザも人工である。サールという製薬会社が人造ウイルスを開発製造した。このワクチン薬を大量に販売して世界各国で金儲けをしている。 <アポロ計画陰謀論> 1969年の人類の月面着陸はなかった。特撮スタジオで撮影されたもの。疑い始めてる人は世界中で増えている。月面の石はアリゾナあたりの石ころ。本当に月面の石なら放射線の小さな穴があいてるはず。だが無い。月面着陸を43年前にやって、そのあと何もしないということを素朴に疑えばいい。 ★ ★ ★ 陰謀論の利点は全体像がみえてくることにある。
2014年04月30日
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前回の続き。 ★ ★ ★ ツラン民族その6 ゾロアスターの教えを守るペルシア(イラン)人は、次のように語っていた。 「見渡す限り至る所に神霊から生じた世界が広がっている。世界は高次の存在からまるでまったく堕落してしまったかのように現われている。我々を取りまく動物、植物、鉱物界全ては、かつてはもっと高次の存在だった。今、頽廃してしまったが、人間は、それらを再び高めようとする希望を抱いている。」 このペルシア(イラン)人の感情の中に生きていた理念を、動物を例にあげて、今日の表現に置きかえてみる。教師が学校で、生徒に語る様な表現では、次のようになる。 「周囲にあるものを見てごらん。それらは、昔はもっと精神的な存在だった。今は堕落し、頽廃してしまっている。 では、狼を見てみよう。五感を通して見る狼という動物は、堕落し、頽廃している。昔の狼には悪しき特性などなかった。しかし、いまから君たちが、自分の良き特性や精神力を結集させ、今のこの狼を飼育できる。 この動物に君たち自身の特性を付与して、狼を、君たちに仕える犬にできる。狼と犬は、いわば精神の堕落と向上という2つの世界の流れをそれぞれ特徴づける存在なのだよ!」 精神力をフルに動員して、環境に手を加える人間たちは、動物を飼育して、動物を高次の段階へと引き上げることができた。 対照的に、動物等のために、自分の力を行使しなかった別の人間たちは、動物をありのままに放置してきたので、動物は益々堕落していかざるを得なくなった。上記の2つは異なる力の働きを現わしている。 上記の2つの異なる二元性をもつ対極的な力をまとめると、次のようなイメージが浮かび上がる。 「もし自然をあるがままに放置するなら、自然は益々深みに沈み、全てが野生化してしまう。しかし、私が自身の信奉する善意の方向へと精神の目を向けることができれば、その善意が、私を助けて、深みに沈んでいく存在を、再び上方へと導くことができる。私が尊敬する、この善意は、更なる進化への希望を私に与えてくれる。」 ペルシア(イラン)人にとって、この善意の力こそアフラ・マズダに他ならなかった。ペルシア(イラン)人は、次のように考えた。 「自然の働きを、高貴に導く力は、人間が、アフラ・マズダ、つまり上方へと向かうオルムズドの力と結びついたときはじめて達成される。しかし自然を、あるがままに放置しておくなら、全てが野生化してしまう。 この野生化は、アーリマン(アンリ・マンユ)により生じる。」 更に、古代ペルシア(イラン)の地域には、次のような考え方が広まった。 「北の地方にも、多くの人間が徘徊しているが、北の人々は、アーリマンの手先である。アーリマンの僕の人間たちである。アーリマンの手下は、ただ世界を歩き廻って、自然が提供するものを受けとるばかりである。自然を再び精神化するために働こうとしない。 しかし、我々はオルムズドの力であるアフラ・マズダと同盟している。」 ゾロアスターの教えを守るペルシア(イラン)人は、自分たちが感じた善意を、法律の中にも表現した。つまり外(物質)的な律法の中に、上方への意識を表現することで、生活を整備しようとした。 これがゾロアスター主義の外(物質界)に現れた結果だった。ペルシア(イラン)とツラン(トゥーラーン)の対立を、上記のように見るべきである。 秘教学史の多くを、正確に報告する、アルジャスブとグシュタスブの間の戦争、つまり、ツラン(トゥーラーン)人の王と、ゾロアスターの守護者との間の闘い、そして北と南の対立でもある、この戦争が、ペルシア(イラン)でもツラン(トゥーラーン)でも、その両地域の気分として継続していった事実を知る必要がある。 この闘争が理解できれば、魂の働きが、ゾロアスターから、全人類にまで、どのように流れ、広がっていったのか、を知ることができる。 (日本の皇室にも南北朝の対立があるのは非常に興味深い。) (人智学通信 1990年5・6月 第24号より) ★ ★ ★ 以上の話から、ツラン民族の以下の性質が特徴的である。 「この民族は強力な霊である神霊たちが物質の背後にいる事実を知っていたので、神霊たちと親しくし、あまり労働しなくても、自分たちが置かれた環境のなかで細々と暮していけるように、神霊たちに配慮してくれるように要求できた。」 つまり、特定のコネや賄賂に頼ろうとする性質である。特に現代の日本の官僚の特徴といえる。「神霊」を「権力者」に置き換えれば、日本人の癒着体質そのものともいえる。 例えば、祈祷や祈願などは、日本人のこの癒着体質そのものともいえる。墓に入れば成仏できるなどという日本の仏教特有の考えもこの類。そもそも成仏とは生きながら仏になることだから、死を克服しないといけないので、死ぬことが前提になるはずがない。 ツラン民族の特質が日本人にも見受けられるのは非常に興味深く、また、ペルシャ民族の特性が、物質的になって、西欧の資本主義に浸透していることがよくわかる。ペルシャ民族の特質が古代ギリシアの精神性向上として受け継がれていたときはまだ霊能力があったのでよかったが、古代ローマになって、霊能力が失われていき、権力と癒着するにつれ、物質化していき、現在の米国の金儲けしか頭にない資本主義を生み出した。 日米の外交問題をみていると、自分たちこそ正義だとして疑わない米国と、米国の権力に取り入りなんとか細々とやっていこうという日本の対立が、かつてのイランとツランの対立として現れていることがわかる。
2014年04月25日
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前回の続き。 ★ ★ ★ ツラン(トゥーラーン)民族その4 カスピ海の東側と南側で生じた出来事を完全に(外的にも)理解したいなら、それよりも北側で生じた出来事、すなわち今日(1910年頃)のシベリアまでに至るロシアと境を接する様々な東側の国や地域の出来事と、ヨーロッパにまで拡がる南側の様々な国や地域で生じた出来事とを比較する必要がある。 当時、カスピ海の東側と南側に居住していた民族は、太古の霊能力を高度に保持していた。その民族では、太古の霊能力と、新しい外に対する感覚や悟性的な思考との釣り合いがとれていた。 その民族の大半はまだ霊界をみることができたが、この民族の一部の集団では霊視力が既に低次な段階に堕落し、「低次のアストラル界の霊視力」となっていたが、この低次の霊視力の特徴を考察すれば人類の進化にとっても無視できない結果が生じている事実に気がつく。 (アストラル界は、高次と低次に分かれる。) この低次の霊視力を備えた民族は全く特別な人間になった。その民族は特別な性格を身につけた。この特別な性格は、この低次の霊視力をもっていた民族集団の場合に特に顕著に現れた。 そのような民族は本質的に生きるために必要なものを周囲の自然環境に求めるような意志をもっていた。そして、必要なものを自然から奪い取る以外に何もしなかった。 当時の人間は、現代人が自然のなかの植物や動物などを感覚的に熟知しているのと同じような認識力で、植物や動物など全ての中に神霊たちがいることを熟知していた。というのは霊視により神霊たちを直接みれたからである。 (日本人の「雷様」とか、自然の擬人化に表れている。) また、この民族は強力な霊である神霊たちが物質の背後にいる事実を知っていたので、神霊たちと親しくし、あまり労働しなくても、自分たちが置かれた環境のなかで細々と暮していけるように、神霊たちに配慮してくれるように要求できた。 (このような祈願が、日本人の祭や参拝などに表れている。その祈願の代表者が天皇であろう。) この低次のアストラル的な見霊能力をもった民族の気持ちや考え方については様々な特質を話せるが、いまは以上の特質だけを述べるにとどめる。 いま考察している時代では半ば堕落しつつある見霊能力を備えた上述の民族集団は全て遊牧民族だった。定住せずに遊牧民として放浪し、どんな場所にも特別の愛情を寄せることなく、大地が提供するものを特に大切にもせずに、生活するために必要ならば周囲の破壊も厭わなかった。 この民族は、文化の水準を向上させるために地球環境を作り変えようとする気などなかった。 (この遊牧民の末裔であると考えられる民族を載せてみた。 マッサゲタイ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%B5%E3%82%B2%E3%82%BF%E3%82%A4 月氏 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E6%B0%8F ダアイ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A2%E3%82%A4 スキタイ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%82%BF%E3%82%A4 以上、モンゴル系といわれる民族で、日本人も含まれる。) 上記の民族的な基本的性格の違いから、ポスト(後)アトランティス時代の歴史にとって最重要な出来事の1つとなる深刻な対立が生じた。 北方の様々な民族、つまりペルシア人、メディア人、バクトリア人と、上記の遊牧民との間に大きな対立が生じた。 ペルシア人の場合は定住して周囲の出来事にも関心を向け、集団としての課題を労働により達成し、精神力により自然を作り変える意識を渇望していた。この意識が、この北方の地域においては最大の関心事だった。 ペルシア人の居住地域のさらに北側には、直接、境を接して霊界を霊視できた上記の遊牧民族(ツラン)がいた。その遊牧民族は上述したように神霊たちと親密な関係にありながら、働くことを好まず、定住もせず、物質界で文化的作業を前向きに行うことに何の関心ももたない民族だった。 ペルシア人と遊牧民の最大の対立は、外面的にはポスト(後)アトランティス時代の歴史の中で生じた対立であり、霊的には魂が様々に進化した結果として生じた対立だった。 外面的な歴史においては、「イランとツラン(トゥーラーン)の対立」として知られた一大対立であった。 北方領域にはシベリアに至るまで、ツラン(トゥーラーン)民族がいた。この民族は、いわば混成体で、上述したような低次のアストラルの見霊能力を高度に備えていた。 霊界での生活が豊かであった為に、外(物質)的文化を創造しようとする傾向や感覚をもたず、ツランの人たちは、受身な態度を保ち、民族の祭司たちは低次の魔術師だったので、霊的な事象に際し、低次の魔術、時には黒魔術さえも行使した。 その南方の古代ペルシアでは、それより前から、周囲の感覚世界を、人間自身の精神力で作り変えようとする意志が働いていた。そして、その結果、外(物質)的な文化を生み出した。 この相違が、古代ペルシアとツラン(トゥーラーン)の大きな対立となった。 (人智学通信 1990年1・2月 第22号より) ツラン(トゥーラーン)民族その5 外的な物質文化の方向で最も進歩を遂げた民族が北からペルシア(イラン)地域まで南下してきたという事実は神話や伝説の中にも美しく表現されている。 様々な北方の民族を率いて、ペルシア(イラン)ヘと下りてきた伝説の王ジャムシードをめぐって、次のような物語が伝わっている。 ジャムシード http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%A0%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%89 王は地上での使命の実現のため、アフラ・マズダ(太陽)神から黄金の短剣を受け取り、ツラン(トゥーラーン)人という怠惰な大衆の中から、黄金の短剣の力で叡智に従って体力を発揮できるように、自分に従う様々な民族をつくり上げた。 (日本の神話のスサノオの草薙の剣との類似もみられる。オカルトでは、剣とは神経や脊柱のことで、通称、蛇ともいう。) それまでの人間の体力はいわば頽廃していたが、体力を再び蘇らせ、この世のために精髄を発揮できるようにした。黄金の短剣は犂となって大地を耕地に変え、様々な人類の最初の器具の発明を可能にしたが、その後も力を発揮して、今日に至るまで、人類が誇りとする様々な文化に成果を導き、影響を与え続けている。 プラウ(犂) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A6 ツラン(トゥーラーン)からペルシア(イラン)まで移動してきたジェムシッド王が、アフラ・マズダから、この短剣を受けたという事実には、非常に大きな意味がある。この短剣こそが人間に外なる感覚界を作り変える力を授けたからである。 この黄金の短剣を授けた神(アフラ・マズダ)はツァラトゥストラ、もしくはゾロアスターと呼ばれるペルシア人の指導者に霊感を与えた偉大な神でもあった。 ゾロアスターは太古の時代(アトランティス没落直後)に、聖なる秘儀参入による叡智により、人間の精神力から、物質文化を発展させようとする意志をもったペルシア民族を指導した。 ゾロアスターは霊界に参入できる古代アトランティスの霊能力を失っていた様々な民族に、霊界への参入についての新たな展望や、新たな希望を与える使命をもっていた。そのような意味で、ゾロアスターは人智学徒がしばしば語ってきた秘儀参入の「道(方法)」を開いた。 それは人間の小さなオーラとは対照的に、「大きなオーラ」、つまり「アフラ・マズダ」と呼ばれた高次の霊的存在の体が、太陽光という体をもつという真実を、様々な民族に感得(霊視)させる方法である。 上記の真実に関連して、ゾロアスターが教えたことは、当時の人類には遥かに遠い、この霊的な存在がいつか地上に降りてきて、人類史のなかで自らの実体を地球に結びつけ、そして人類のために、その後も影響を与え続ける、という事実だった。 つまりゾロアスターは、後にキリストとして歴史上を生きる存在を、当時の人々に示そう(預言しよう)とした。 ここで強調すべきことは、今述べたゾロアスターは既に古代ギリシア人たちによりトロイア戦争(紀元前1000年頃と考えられている)よりも5000年も前の時代の存在と考えられていた。この太古のゾロアスターには後にグシュタスブ(?)と呼ばれた後継者がいた。 トロイア戦争 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%A2%E6%88%A6%E4%BA%89 (このグシュタスブ「?」の名前は色々調べても残念ながら出てきません。) ゾロアスターは偉大な祭司として、当時の人々を外なる物質界から再び霊界へと導く太陽神アフラ・マズダの存在を教えたが、グシュタスブはこの教えを普及させるのに尽力した王だった。 古代ペルシア(イラン)では、ゾロアスターやグシュタスブが与えた霊感や意図は、この古代ペルシア地域の北に隣接する北方の民族(ツラン)と衝突する要因になった。 古代ペルシア(イラン)民族とツラン民族の衝突から、地上で最大の戦争が生じた。一般には、この太古の歴史的事実があまり知られていないのは、あまりにも古い時代(紀元前5000年あたりか)のことだったからである。 ペルシア(イラン)とツラン(トゥーラーン)との間に、凄まじい衝突が生じた。数10年どころか、数100年にも及ぶ、この戦争から一種の緊張感が生じ、その気分はアジア内陸部にその後長らく続いた。 (人智学通信 1990年3・4月 第23号より) ★ ★ ★ 次回に続く。
2014年04月25日
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前回の続き。 ★ ★ ★ 「ツラン(トゥーラーン)民族その2 高橋 巖:訳」の改変 さて、古代アトランティス大陸没落後に東へと渡っていった民族は様々な進化の過程を辿った。進化の過程を辿れば東へ向かう程、道徳的になり高次の霊性を獲得した。そして、外にある世界は新しい世界として次第にはっきりと眼前に現れてきた。 外なる新しい世界は次第に偉大な壮麗な存在として人間に働きかけるようになった。この傾向は東へ移動する程、益々強くなった。 特に、上記のような傾向を強くもっていた民族は、例えば今日(1910年)のインドよりも北方のカスピ海やオクソス川、ヤクサルテス川に至るまでの地域に居住していた民族だった。 アムダリア川(オクソス川) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%A4%E5%B7%9D シルダリア川(ヤクサルテス川) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%A4%E5%B7%9D このアジア中央部には、後に様々な方向へと移住していった民族の源流となる集団が居住していた。その民族集団は、人智学者がしばしば霊認識に基づいて語ってきた古代インド民族の源流でもあった。 このアジア中央部の民族集団の一部の民族では、古代アトランティス大陸の没落後まもなく没落の過程で既に外なる現実(物質)界に対する感覚が非常に強度に発達していた。しかし、この民族のなかの、この地域に生まれた人の心にも、かつて古代アトランティス世界で体験してきた前世の思い出が一種の記憶として認識されていた。 後にインドヘと下りていった民族の一部の集団には上記の魂の傾向が特に顕著に現れていた。この民族集団は外界の魅力(誘惑)を非常によく理解し、外界に対する知覚にかけては最も進歩していたが、同時に古代アトランティス時代の霊的な知覚も前世の思い出として強く残っていた。 従って、この民族には前世として思い出せる霊界への憧れが強くあった。霊界への参入が容易な一方で、外界に対する感覚からくる存在はマーヤ(幻)であり、幻想である、という感情を合わせもっていた。 従って、外界を特別観察するのではなく、古代アトランティス時代に霊界から直接得た前世の記憶に到達するために、ヨーガという人工的な霊界参入方法(瞑想)などを駆使した。 以上のような、外界をマーヤ、もしくは幻想と観じ、代わりに霊的な存在にまで到ろうとする意識だけを発達させる特質は、古代インドより北方の地域に移住する民族の場合にはそれ程顕著ではなかった。その北方民族は悲劇的な状況下にあった民族の集団で、歴史上は狭義のアーリア人と呼ばれるペルシア人、メディア人、バクトリア人などの様々な民族のことである。 アーリア人 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A2%E4%BA%BA ペルシア人 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A2%E4%BA%BA メディア王国 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E7%8E%8B%E5%9B%BD バクトリア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2(人智学通信 1989年9・10月 第20号より) ツラン(トゥーラーン)民族その3 ペルシア人、メディア人、バクトリア人などは外(物質)的な直観と外(物質)的な知性の能力を非常に発達させていたが、古代アトランティス人が生まれつき持っていた霊能力を、(古代インド人のように)一種のヨーガのような内的修行によって獲得しようとする意識はそれほど強くなかった。 これらの北方民族には前世の思い出のような記憶力があまりなかったので、外界の幻想を内的な認識により克服し、太古の前世を思い出すための修行などは行わなかった。 これらの北方民族には古代インド人のような魂の傾向をもたなかった。これらペルシア人、メディア人、バクトリア人等の北方民族に見られる魂の傾向は、今日の言葉をかりれば、次のような感覚だった。 「かつて人間は霊界の中で霊や魂の存在を直観し体験していたが、今は人間は物質界の中に移され、物質界を眼で見、脳と結びつく知性で理解しなければいけない理由は、何も人間の内部だけにあるのではない。人間の内部だけでは物質対象を克服できない。人間の内部だけで物質対象を克服しようとしても、何も特別なことは起こらない。」 また、古代ペルシア人は、次のように考えた。 「人間が地上に降下したときの変化は人間だけに生じたのではない。自然を含む地上全てが変化した。人間が周囲の事物をそのままに放置すれば、地上全てが幻想でマーヤ(幻)なのだから、人間だけが霊界に上るのを願うだけでは不十分である。確かに、人間の内部を変えれば、人間は変わるが、周囲の世界全体が変わるわけではない。」 従って、古代インド人のように「外にはマーヤ(幻)が拡がっている。自分は、このマーヤを乗り超えて、霊界に到達する」とは、古代ペルシア人は考えなかった。 「人間は周囲の世界と結びついている。人間は周囲の世界の一分岐である。高次の神界から下りてきた人間のなかの魂を神的に変えるなら、人間のなかだけを元の状態に変えるだけではすまない。周囲の世界も元の状態に変えなければならない。」 上記の考えが、北方の民族(古代ペルシア人)に、世界を作り変える意志として力強く働いた。 古代インド人は、「世界は堕落した。今、(周囲の)世界が示しているのはマーヤ(幻)である」と考えた。 北方の民族(古代ペルシア人)は、「確かに世界は堕落したが、人間が世界を変化させて、再び霊的な状態にまで高めなければならない」と考えた。 認識自体を考察することが、古代インド民族の基本的性格だった。感覚的な知覚の内容を、幻想、もしくはマーヤ(幻)と呼んだら、もう十分だった。 自然のなかの外的な状態を作り変えようとする意志や行動力や、外に対するエネルギーが、古代ペルシア他の北方民族の基本的な性格となった。 「周囲の事物は神的な存在から下降してきたが、人間は、それらを再び神的存在に導き、戻す使命を受けている。」と北方民族は考えた。 基本的には、古代ペルシア(北方)民族の中に既にある上記の性格が、秘儀を伝授された霊的な指導者たちの場合には、最高に高められ、最大のエネルギーで充ち溢れていた。 (人智学通信 1989年11・12月 第21号より) ★ ★ ★ 次回に続く。
2014年04月24日
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毎度訪問させていただいている「播州武侯祠遍照院」さまのブログに面白い話が載っていたので抜粋紹介する。 ★ ★ ★ 播州武侯祠遍照院 http://tyuubukou.blog.shinobi.jp/ 新井信介 「京の風」 http://www.k2o.co.jp/blog2/2014/04/post-1140.php 靖国神社に拘る限り、日本人は世界の指導的立場になれない。 靖国神社は、日本の明治維新のときにできた、極めて政治性の強い神社です。 すでに、何回も指摘してきましたが、長州藩の東征でイノチを落とした人間を、神として扱うのが始まりでした。 そして、戊辰戦争のあと、中央集権の近代国家「日本」ができたのですが、このとき、国家の中心に、あらためて、バージョンアップした「天皇」を据えました。日本の霊性の体現者という側面ではなく、日本国家権力の枠組みの中心存在として、絶対権力の立場を作ったのです。 明治天皇は、二人いました。 孝明天皇の実子、睦仁 と、 伊藤博文の弟分、大室寅之祐。 問題は、こうした体制を構想し、実現できるように、影で根回ししていた集団がいたことです。 彼らが、「ええじゃないか」運動を起こし、また、勝海舟にアメリカに行かせ、万世一系の「天皇家」を創作します。 皇室典範を作らせたのも、彼らです。 中央銀行をつくるアイデアは、ロスチャイルドからのもので、明治維新そのものが、金融資本の動きと一体なのです。 そのとき、もっとも活躍した財閥が、三菱、三井、住友です。 国家の経営資源を中央に集中させ、殖産興業、富国強兵です。 幕末まで、掲げられた「尊皇攘夷」が、いつの間にか、「尊皇開国」になり、本来、あったはずの、「攘夷」のエネルギーは、東アジアへの、領土拡張=帝国主義になります。 このとき、「インフラ整備」「国民教育」など、イギリスやアメリカとは、異なって、単に、自分の犬になるエリートを育てるだけでなく、現地住民の民生の向上にも努めました。そして、日本の領土に入ったものは、天皇の赤子の流れを汲む、帝国皇民として、日本人と同じ扱いをするという方針でした。 この中に、進んで、入り込んだアジアの人もいれば、それを嫌がった人もいます。 私たちは、アジアをみるときには、この部分、戦前の日本の「皇民化」政策に対し、歓迎と拒否という二種類の人間がいた事実を、まず、きちんと認識しておきましょう。(戦前を美化しているようでは、ここは見えません)。 前者は、まだ、王権が、確立していなかった地域に多いです。ポリネシアの島嶼地域、モンゴル、台湾です。 一方、始皇帝以来の中華皇帝の権威を引き継ぐ中国人、そして、その臣下の立場をつづけた朝鮮半島の人たちには、明治にできた日本の近代国家の権威そのものを嫌う人間が多くいました。 倭人の国。 「日本」は、 中華皇帝の権威にあって、卑弥呼時代に、正式に、「冊封」をうけて成立したもの、というのが、3世紀から、19世紀までの、彼らの理解だったのです。 日本の明治維新では、孝明天皇が「攘夷」を棄て「開国」を意識したときは、実は、西欧列強に負けず、しかも、東アジア全体から信頼される国をつくるためでした。 このことを、海外華僑も、ブルネイにあった明の亡命政権も期待したのです。だから、元号では、「明(みん)が治める」だったのです。 そのなかで、18世紀末から日本から流出した金塊が、日本で使われるようになりました。 このときの日本の名義人(代表者)は、もちろん、大室寅之祐ではありません。 今の、安倍政権の人間は、こうした事実をきちんと知っているのでしょうか? 京都に隠れていた本物の明治天皇、睦仁さんの心をです。 日本に「天皇」が誕生したのは、7世紀です。 これは、天武の時代です。そのあとに、皇祖神「アマテラス」が不比等と、持統によって、創られました。 691年から3年間に、持統が吉野に31回も通ってる中で作られた「政治概念」です。 これが、明治になると、「アラヒトカミ」になりました。この神の変革には、光圀以来の水戸藩が、重要な働きをしました。 そして幕末期に参考にしたのは、495年にバチカンが成立した時の知恵です。ローマ法王が、「神の代理人」になったときの知恵です(実際は、勝手にいいだしたものですが)。 このとき以来、日本の皇室は、実は、バチカン、なかでも、イエズス会とは、極めて親しいのです。これは、「政治的に創られた神を、どう育て、使うか」という視点での話でした。 明治維新は、明らかな日本版「文化大革命」でした。しかし、その中に、伊勢を参拝する「天皇」の「創出」、「大宝律令」以来の神聖さの継続性があります。 ここまでは、だれでも、わかります。 問題は、そのなかに、縄文以来の日本としての独自性が、どのように吸収・継承されてきたかです。 そして、アレクサンダーのとき以来、海外の「文明」を日本列島が、吸収するときに、中国と、朝鮮半島とは、どのような関係があったのかです。天皇ができるまでの、日本列島での王権の発生や、日本での神格の問題です。 「うちの先祖が、天皇を創った」という「奥の院」のかたは、「日本国は、半島、なかでも、北朝鮮に対し、負い目がある」とも、話していました。 さて、それは何なのか? 天皇を最初に名乗り、国名を「日本」とし、「太一」を、祭ったのは、天武でした。 この人間に、多くの秘密が、凝縮されています。 この辺、私のこれまでの講演会でも、話してきましたが、それと、いまの、国際情勢が絡みます。 靖国神社は、もう、役割が終わってます。 横田めぐみさんが、世に出るときが、東アジアに、紛争がなくなるときです。今、そこへの最後の「動き」のなかにあるといえます。 しかし、明治にできた日本国家の「枠組み」は、国民のイノチを大切にしません。マネーのために、美しい山河を平気で、破壊します。ここには、縄文の感性はありません。 この部分は、「奥の院」のなかでも、ニギハヤヒ直系の方たちが強く危惧していますが、私たち日本国民が、マネーと国家をどう見るか、主体的に考え、未来を真剣に作り出すと決意しない限り、主導権を回復できません。 希望をすてず、使命感をもって、毎日、まずは、自分と家族・友人・仲間のイノチを支えあうことから、「いい今」を創りましょう。カネは、そのために使いましょう。 試練は、続きますが、これが、羽化の苦しみです。 (いろいろあるけど、今日はここまで) ★ ★ ★ というように、日本史をみていると、日本の源流が、ツラン(トゥーラーン)民族にあるような気がしてならないので、ツランについてのシュタイナーの話を再掲する。 ★ ★ ★ 「ツラン(トゥーラーン)民族その1 高橋 巖:訳」の改変 ヘブライ民族の使命を理解するには、人類の進化を一層深く霊視する必要がある。著書『神秘学概論』や人智学の連続講義のなかで素描した事象を更に詳しく述べないといけない。 古代アトランティス時代の破局(大洪水)の顛末を、少なくとも簡単にでも取り上げなければ人類の進化についてのヘブライ民族の関与を正しく理解できない。 古代アトランティス時代の破局が、後に地上に変化をもたらすようになったとき、当時の古代アトランティス大陸に居住していた人々は西から東へと移っていった。この移動には本質的に2つの大きな流れがあり、それは北方の移動と、南方の移動である。 古代アトランティス居住民による大きな民族移動の1つは、北方のヨーロッパを通りアジアまで渡って行った。カスピ海周辺の地域を探索すると、この古代アトランティス居住民による民族移動がほぼ理解できる。 一方、別の南方の移動は今日のアフリカを横断した。そして、アジアで、この北方と南方の2つの移動がまるで2つの水流が衝突し合い渦となるように移動の合流が生じた。 その際特に注目すべき事柄は、古代アトランティスから東方へと移動していった様々な民族のうち、少なくともその主要な民族に相当する人たちの魂の全体(集合)像がどのようなものだったか、ということである。 実際、ポスト(後)アトランティス時代初期の民族の魂の全体(集合)像は、その後の民族、特に今日とは全く異なっていた。移動した全ての民族にはまだ環境を霊的に知覚する能力をもっていた。当時の人は、霊的な存在を、ある程度見ることができ、現代人が物質として見ている存在を霊的な形で見ていた。 従って、当時の人々は見霊的な生活様式や見霊的な魂をもっていた。 しかし、特に重要なのはポストアトランティス時代の根源的な民族の見霊能力が古代アトランティス時代の最盛期の民族の見霊能力とは異なっていた、ということにある。 古代アトランティス時代の最盛期の民族がもっていた高度の見霊能力は、霊界を純粋な形で(直接)知覚していたので、霊界の啓示そのものが人間の魂に善意を生じさせていた。当時、霊界に深く参入できた人は、それだけ善意を深く得ていた。 霊界を深く知覚できるほど高次の善意を獲得していた。 しかし、古代アトランティス時代の大体3分の2が過ぎた頃、特にその後のポストアトランティス時代になると、古代の見霊能力の善の側面は次第に消えていった。 秘儀参入の場で特別の修行をした人たち(秘儀参入者)だけが、古代アトランティス的な見霊能力の善なる側面を保持していた。 対照的に、自然(遺伝的)な形で古代アトランティスの見霊能力を受け継いだ民族には、悪の誘惑と遭遇するようになった。ポストアトランティス時代の人間の見霊能力は、高次の善なる力だけを得るのに十分な力強さ(忍耐力)を保てなくなった。 そして、次第に人間は悪しき存在、すなわち誘惑する存在だけを知覚するようになっていった。ポストアトランティス時代の特定の居住地域には善から全く離れた見霊法が普及するようになった。見霊能力そのものが一種の誘惑者になった。 今日の人間が通常もつような感覚的な知覚能力は、古代の見霊能力の衰退と結びつき次第に発達してきた。 ポストアトランティス時代初期の人間が見ていた事物は、今日の現代人の眼に映る事物のようには誘惑的ではなかった。なぜなら、誘惑されるような傾向がまだ当時の魂にはなかったからである。 今日の現代人なら欲しくてたまらなくなるような外(物質)的な事物があっても、当時のポストアトランティス人はそれほど惑わされなかった。 古代とは劣る見霊能力が覚醒したとき、当時の人間の心は激しく揺さぶられた。霊界の善なる側面をほとんど知覚できなくなり、その際、ルシファー的、アーリマン的な悪霊が強い力で働きかけた。 従って、当時の人間は見霊能力により、誘惑者、欺瞞者となり得るような働きだけを体験した。 連続講義『マタイ福音書』“Das Matthaus-Evangelium”第一講(1910年9月1日)より(人智学通信 1989年7・8月 第19号より) ★ ★ ★ 次回に続く。
2014年04月24日
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前回は、人体の恒常性と重要なバランスの話を紹介したが、精神が、肉体のバランスを司っていることがわかる。 精神のバランスが崩れると、肉体のバランスの破れとして現れる。だから古代ギリシアでは「健全な精神に健全な肉体が宿る」といわれていた。この格言をローマ時代になると人は馬鹿になって、「健全な精神は健全な肉体に宿る」と曲解したようである。 ではそもそもこの恒常性は何に由来するのだろうか? それはおそらく物質界と霊界との陰陽の鏡の関係にあると考えられる。つまり輪廻転生の法則である。 輪廻転生の法則とは逆転の法則でもある。例えば、男に生まれた次は女に生まれるというのもその一つである。 だから逆転しても変わらないものをみつけることが重要といえる。古代医術では、この逆転しても変わらない生命の法則をどうやらホムンクルスと呼んだようである。そこでそのシュタイナーの話を再掲する。 ★ ★ ★ これまでの内容から宇宙全体の環境のなかで人間がどのように継続的に存立しているがわかる。人間が自然のなかに存立する意味を見つけるには自然のなかの地の力(例えば重力)に対して、植物のような形で直接抵抗する力と、人間を成立させている構造との関係を調べてみればよい。 植物は地の力に対して直接抵抗している。植物は花や種子を形成するために、地の力に対して抵抗することで、地球外からの力を受け確保する。食用の植物の基礎をなす力は特定の地の力に抵抗することに基づいている。 植物は地の力への抵抗を確保する代償として地球外(天体)の力に曝されることで最終的に種子や果実を形成する。次いで植物は上方にいる高次の存在たちが世界を見渡すように世界を見渡したい、と思うような境地に達する。 つまり、植物は知覚を求める。ただし植物は知覚器官を持たないので植物のままで人間の眼のような感覚器官を発達させようとするが、植物は眼のようなものを発達させることができない。植物は人間もしくは動物の体をもたず、植物の体しかないからである。 上述した植物などは、例えば、ベラドンナ、アトロパ・ベラドンナのような植物である。このベラドンナのような植物が形成する過程(プロセス)を、以前、大まかに描写した。 ベラドンナ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%8A ベラドンナのような植物は最終的に黒い液果としての果実を実らせるように導く力が根のなかに存在するようになり、この植物は人体の次のような作用と親和性をもつ。 「本来感覚(アストラル)領域で働く機能が物質的な形態形成で働くようになり、つまり感覚(アストラル)の領域から人体の組織化の領域に意識を浸透させる」作用と親和性をもつ。 人体内で希釈され極微量となるようにベラドンナを服用する場合に生じる作用は非常に興味深く、夢から覚める(潜在意識から覚醒意識への移行)過程に非常によく似ている。夢から覚める過程はベラドンナによる作用が正常化された形で起こる。 目覚めてすぐのときはまだあまり外界への知覚が行われず、夢を見ている内的な(潜在)意識を外界への知覚に浸透させる特性は、このようなベラドンナの作用の一つである。従って、ベラドンナによる中毒というのは、通常の寝起き時のまだ夢をみているのと同じ状態が、ベラドンナの毒により引き起こされ、その同じ状態が継続し、外界への知覚による(覚醒)意識を受け取ることなく、夢をみている(潜在意識)状態が持続する。 中毒を引き起こすような作用でも、適切な形で人体内に引き起こされるなら、人体機能の一部となることがわかるのは非常に興味深い。 以前特徴を述べたように、ベラドンナのような植物化は、植物の気違いじみた人間化への努力ともいえる。だから、人間は、寝起きの際に、自らのなかにもつベラドンナの特性を発揮するが、ただし、この特性が和らげられ、節度ある形で起こり、しかも寝起きの瞬間だけに限定されている。 従って、人体内でアルブミン化の作用が過度に強く生じているなら、それを軽減するために、物質的な作用を霊魂(精神)的な作用へと誘導したいなら、人体内で希釈され、上部組織へと浸透するようにベラドンナを与えればよい。 ベラドンナを服用することで人体からアルブミン(タンパク質)化のような物質的な負荷を除き、霊魂(精神)を優位にできる。このようなベラドンナの働きは、現代人には確かに混乱や幻影を生じさせるが、以前述べたように通常の肉眼でも確認できる作用である。 寝ている人を小突いて起こそうとしても、起きずに覚醒状態へと移行せず、夢をみている潜在意識のままにとどまれば、その人は肉体から外界の情報を得ることができずに死んでしまう。 だから、人間は常に寝起きの際に生命の危険に曝されている。ただ、この生命の危険を克服するように、夢をみているだけの状態が継続しないように、素早く夢から覚め、起きているだけなのである。このような潜在意識から覚醒意識への移行が、適度に、瞬時に起これば正常に、限界を超えれば異常となる、というような興味深い関係がある。 この興味深い関係から生じる寝起き時の意識の移行は、古代の医師たちが継続的に探求していた主題である。だから、古代の医師たちが、ホムンクルスの製造法について語るのは、根本的に言って、まだ残っていた霊視力で、アンチモンから生じるファントム(幽体)を見ていた、ということなのである。 ホムンクルス http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%82%B9 古代の医師たちが、実験室で外(物質)的に実行していた生命の製造法とは、アンチモンが、その霊力を展開する間に、自分の思考を、その霊力に投射し、アルブミン化の物質力として現わすことで、このアンチモンの霊力に対抗し、アンチモンによる霊力とアルブミン化による物質力に均衡を与える方法のことである。 アンチモンが様々な霊的な形態をとっていく間に、まだ残っていた霊視力から思考を投影することで、アルブミン化の力との均衡の基に現われてくるホムンクルス(霊力)を古代の医師たちはみた。この均衡において出現する霊(再生)力を、古代の医師たちはホムンクルスと呼んだのである。 ★ ★ ★ 非常にオカルト的内容なので、理解できない人が大半だろうが、まぁ、ホメオスタシス(恒常性)のことである。
2014年04月22日
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前回の続き。 ★ ★ ★ 客観的にみて、自分以外の日本人は、少なくとも世界水準からみれば「不幸」じゃないような気がします。 でも、自分自身はそんなに幸福じゃない。 いま必要なのは「これが自分にとっての幸福なのだ」と決めて、それを目指す「覚悟」なのかな、と考えています。 私にはTwitterやブログの「お問い合わせ」から、失業している人や、就職活動がうまくいっていない学生さんから、毎日さまざまな相談が寄せられます。「仕事がない」「今の生活が嫌だ」「結婚したいができない」「残業が多い」「英語ができない」「夫がどうしようもない」等です。 それに対して私が「ではこうしたらどうですか?」というと、以下のような答えが返って来ます。 「いや、それは無理だ。政府が悪い」 「英語ができないのは学校が悪い。すなわち先生の教え方と文科省が悪い」 「残業が減らないのは会社が悪い」 「夫が働かないのは夫に原因があり私は悲劇のヒロインである」 「アラフォーの私が結婚できないのは男性が私を選ばないからである」 「僕が就職できないのは時代は悪いから」 皆さん知的な人達ですから、問いかけに対して「何々だからできない」という「言い訳」を書くことが大変上手です。理屈も通っています。しかし、どの回答にも共通点があります。それは、自分の今の環境に関して「誰かが悪い」と人のせいにしていることです。 「こういう問題がありますが、僕はこうしたら良いと思う。どう思いますか?」「こうやってみたけど失敗しました。でも次はこれをやろうと思います」 という「自発的」で「前向き」な「提案」がありません。提案ができる人というのは、自分で考えています。問題に真剣に向き合い、それを分析し、どうしたらできるか、と考えているのです。自分で考える代わりに、見ず知らずの私にTwitterで自分の悩み(大概はたいした悩みではないのです)を送って来て「解決して欲しい」「答えをください」と言っているようなのです。 この本には「これでもかっ!」とばかり、日本の「貧しさの具体例」が描かれています。 先ほどの電車が遅れたときの話とか、日本の学校の「学級会」の異常性とか、家族の病気でも働くことが賞賛されることとか。 でも、いちばん大事なことは、「そんな日本が悪い」と嘆くことではなく、「じゃあ、どこにいまの日本に生きる自分たち、そして、これから日本で生きていくであろう子どもたちの幸せがあるのか?」と考えることのはずです。 日本は1億をこえる人口を抱えており、島国であることから、比較的「独立採算」で存立していくことができた国でした。 しかしながら、これからの超高齢者社会で、若者の割合が減っていけば、「高齢者を見捨てる」か「移民を積極的に受け入れていく」しかなくなっていくはずです。 「それが日本のやりかただ」と文句ばかり言う国に、わざわざ働きに来てくれる外国人は、あんまりいないですよね。 賃金のわりに、サービスの要求水準は高いし。 このままでは、日本はさらに「じり貧」になっていく一方です。 いやほんと、考えないといけないし、考えるだけではなく、やるしかない。 著者の考え方に全面的に賛同するわけではありませんが(僕は「ちゃんと学校で子どもに掃除をさせること」って、けっこう大事だと思いますし)、とにかく、「誰かのせいにするだけ、誰かが変えてくれるのを待っているだけ」では、何も変わらないのは確かです。 そんな、考える、やってみるきっかけを与えてくれる本だと思います。 「地鎮祭に驚く外国人」とか、「『スター・ウォーズ』に影響を与えた日本」なんていう話も面白くて、「海外から日本はどう見えているのか」を知るためだけにでも、読む価値はある一冊だと思います。 ★ ★ ★ というように、「幸福を求める」ということは現状の否定につながることを理解していない人が多いです。現状の延長上に未来があるのだから、現状の肯定からはじまらないといけないわけです。つまり、いま成立していないことを求めるのはないものねだりです。そういう無いものねだりは結局無意味な徒労に終わるわけで、将来成長しそうな種を現状にみつけるか、蒔くしかないわけです。 幸福の種を蒔くことです。 これは一例ですが、例えば、シュタイナーが言っているように、治療法がみつかっていない、つまり治療に結びつかない診断や病名をつけるのはかえって混乱を生む素となるでしょう。そういうわけで、シュタイナーの話を紹介する。 ★ ★ ★ 花粉症‐枯草熱(改変) 花粉症は、環境中を飛んでいる花粉よりも季節に関係した病気なのである。人間が花粉症になるのは、なによりもアストラル体の分泌活動が正常でないからである。アストラル体が、外(物質界)に向けた活動を正しくおこなっていないからである。春が近づくと、全生命は水のなかで繁殖しはじめる。人体内の液体のなかに、繁殖に関係する物質が溶けると、人体内の液体は敏感になりはじめる。 (この現象は、液性免疫と細胞性免疫のバランスに関わるヘルパーT細胞のTh1とTh2の違いから説明されている。液性免疫が過剰になり、均衡が破れ、自己免疫反応を起こしてしまう。) 春になると花粉症になりやすい人の場合、体内の水が少し薄まる(希釈される)。花粉症にかかりやすい人の体内の水分の量が少し増加するので、繁殖に関係する物質が溶けていく。そうして、春に現れる物質全般に対して敏感になる。とくに、花粉に対して敏感になり、花粉の刺激を特別強く受ける。 (花粉に対して過剰な抗体をつくりだしてしまう。液性免疫を司っているTh2の過剰性に対して再度均衡を保つために、細胞性免疫のTh1を誘導してやる理論的な治療法が提案されている。) 花粉以外にも、多くのものが鼻に入ってきて、花粉症を引き起こす。花粉症にかかると、花粉に耐えるのが困難になるからである。花粉が花粉症の原因なのではなく、花粉はただ花粉症を刺激するにすぎない。(P49-P50) ★ ★ ★ とどのつまり、Th1とTh2の細胞性免疫と液性免疫の均衡が破れるのが問題である。人体の微妙な恒常性やバランスが環境の刺激により破れるのが問題なのである。事象は一部を取り出してきて物証しても意味はなく、包括的に観察しないといけない。幸福というのも同じように均衡なのである。 人体も社会もバランスがとれていて安定する。人体のバランスの大切さをパラケルススはホムンクルスで示した。
2014年04月21日
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最近忙しく、日本の研究がいかに官僚に牛耳られているかがわかるどうでもいい日本の研究者のレベルの低さを露呈したSTAP細胞騒動程度しか触れられずにいるが、世界を不幸に貶めるユダ金と庶民から暴利を貪る日本の官僚が人々の不幸をつくっている元凶であることが薄々ネットから明らかになりつつある。 私も数年細胞実験をしたことがあるのでわかるが、STAP細胞騒動の根本の問題は、発表者と実験者が異なるという点にあるように思われる。だから、画像をコピペしてしまうのである。実験というのははっきりいえば肉体労働なので、その成果を鵜飼の鵜のように発表者に使われ吸い上げられては実験者は使い捨てのようなものでたまったものではなく、労働環境も決して良いとは言えないのが実態である。 大体、発表者は、必ずしも実験を全て自分でやっているわけではないので、実験者がもつ技術の微妙なさじ加減などわかるわけがない。実験者はある意味、発表者を内心小馬鹿にしている。それに実験者は発表者のための実験というよりは自分の好みの実験をやりたいと思っているものである。 つまり研究室にもヒエラルキーみたいなものがどうしてもあり、他研究室とはしばしば犬猿の仲であり、塩化ナトリウムの貸し借りで大きなトラブルを生んだ話も聞いたことがある。研究室のほとんどが秘密主義なので、その研究室のボスの匙加減で人事が決まるから、パワハラネタやセクハラネタには尽きないともいえる。今回このような騒動が勃発したのは研究環境の見直しにつなげるべきであると思う。 ともかくも、本来、自由を尊ぶ科学研究に入る余地のないヒエラルキーのような日本社会のムラ的体質が予算獲得とともに入り込んでしまう弊害がある。そこへいくとカネのかかる実験がない理論や数学研究、もしくは人文系の研究には、金儲けさえ考えなければ、ヒエラルキーの入り込む余地は少ない。 学問を金儲けの道具や出世に利用しようとする輩がいなくならない限り、このような問題は解決できないだろう。 さて、以前、『日本が世界一「貧しい」国である件』という本を紹介したが、ユダ金と、官僚ほど自浄能力のない無責任な人種はいないのではないかと思わせられる内容であった。そこで改めて日本の貧しさ、つまり貧しい差別的な考えを明らかにしていくために、再度、紹介する。 ★ ★ ★ 2013-04-01 【読書感想】日本が世界一「貧しい」国である件について http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20130401 著者が言う日本の「貧しさ」というのは、日本という国が「物質的には恵まれているはずなのに、みんなが幸せを感じられていないという『もどかしさ』」ではないかと僕はこの本を読みながら考えていたのです。 ネットで「不幸だ」って言っている人たちは、ネットが自由に使える環境にあるというだけでも、生きるのに困窮しているという意味での「どん底」でしょうし。 自分の生活をよりよくしたければ、まず自分の問題を分析し、「どうしたら良いのか?」と自分の頭で考えることから始めないといけないのではないでしょうか。しかし、残念ながら、日本の人には、「自分の頭で考えなければいけないんだ」という必要性すら、理解している人が多くはないようです。Twitterのようなソーシャルメディアを使いこなす人々は、比較的若く、ネットやコンピューターの使い方をよくわかっている「教育を受けている人々」のはずです。その「教育を受けているはずの人々」が、この調子なわけです。 日本は中国やアラブ諸国のように政治的発言が制限されているわけでもなく、表現の自由があります。もちろん、多少制限されているとは言っても、世界の多くの国とは比較にならない自由さがあり、裁判を起こすのにも、警察に犯罪の対応を頼むのにも、賄賂やコネはいらないのです。通信回線は世界最高レベルなのでネットも電話も使い放題で、先進国基準でも激安です。 多くの国では電話回線を引くだけでも大変で、ネットの接続料は高く、接続品質は不安定です。例えばイタリアなんて電話回線を引くのに半年かかりますし、イギリスなんて長期休暇の時期には、自宅のインターネット接続がいきなり二週間ぐらい落ちてしまうことがあるんです。 本屋はいたる所にあり、労働法でもプログラミング言語でも学び放題、テレビだって衛星放送をはじめさまざまなチャンネルがあります。外国に行くことだって自由です。日本のパスポートほど自由に世界各国へ入国できるパスポートというのはないんです。出国する時だって、旧ソ連の国みたいに、出国許可や役人への賄賂はいらないんです。 このように、自分で考えたり行動するための「道具」や「材料」は十分すぎるほどそろっているのに、今の日本の人の多くは、そのような「道具」や「材料」があることのありがたさが全くわかっていないようなのです。このように恵まれた環境にある、ということがわかっていないことが、日本の人達の最大の不幸かもしれません。 この本を読みながら、僕は自分の仕事のことを考えていました。 日勤~当直~翌日も朝から通常業務なんてことが「当たり前」、病気で具合が悪くても、よほどのことでなければ「代わりの人を探して頼むより、痛み止めを飲んで自分で仕事をしたほうが(気分的にも)ラク」というような日々の連続。 もちろん、こういう労働環境は、医療の世界だけのことではありません。 「こっちは客なんだからな!」と「過剰なサービス」を求められて疲労困憊している人が、自分が客側になってみると、同じように値段以上のサービスを要求し、店員に横柄な態度をとる。 電車が遅れるのは目の前の駅員のせいじゃないのに、「仕事に遅刻するだろ!」と怒りをぶちまける。 そして、駅員もそんな「お客様」に平謝り。 うーん、やっぱり「過剰」というか「異常」ですよね、日本。 客側としてはありがたいところもたくさんあるのだけれども、サービス提供側になったときの負担が、あまりに大きすぎる気がします。 しかし、そんな「ハイレベルなサービス」を要求される国であるにもかかわらず(むしろ、それだから、なのだろうか)、バブル崩壊以降、この国の成長は止まってしまっているのです。 こんなに頑張っているのに、報われない。 著者は「誰かが声をあげるべき」だし、「おかしな労働条件なら、訴えれば良いではないか」と読者に語りかけています。 「誰かがやってくれるんじゃないか」「自分が訴訟なんて起こしたら、みんなに『裏切り者』だと思われるんじゃないか」 結局、そうやってみんなが躊躇しているばかりでは状況は何も変わらない。 ああ、でも僕自身も「誰かひとりの命で世界を救えるとして、誰かが名乗り出るのを待っているだけの男」なんだよなあ。 (by Mr.Children『HERO』) 著者は、イギリスで電車が遅れたときの風景を、こんなふうに描写しています。 ちなみに、イギリス人も最初からやる気がありませんので、電車が遅れると、「あ~皆さん、紳士淑女の皆様、あ~現在、あ~、運転手を捜しております」 「あ~紳士淑女の皆さん、運転手が今こちらへ歩いております。もう少々お待ちください。今日は運転手が足りません」 「あ~あ~紳士淑女の皆さん、幸運なことに運転手が到着しました。ちなみに電車が遅れた理由は、信号機の故障であります。ハバナイスデー、グッバイ」 というような説明が入ります。寝坊して遅れたとか、人が足りないとか、身もフタもなく言ってしまうわけです。 遅れて激怒しているのは大抵アメリカ人なのですが、「おいおい、いい加減にしなさいよ」と周囲に揶揄されるのは鉄道会社ではなく、そのアメリカ人なのです。そもそも、誰も命に関わるような仕事をしているわけではないので「まあ、遅刻は当たり前のことだ」と少々の遅れは気にしないわけです。取引先や会社の上司もこのようにのんびりした調子なので、遅刻したからといって怒ることはありません。少々の遅れで業務に支障が出るようであれば、それは仕事のやり方がおかしい、というわけです。ちょっと目から鱗が落ちるような考え方です。余裕を持たせない仕事の計画が悪い、というわけです。 これ、今の日本では、このままコントのネタとして使えそうなんですが…… まあ、どちらが生きている側からすると「気楽」かというと、イギリスのほうですよね…… とはいえ、いまの日本で生活している僕には、「電車が遅れたっていいや」と急に割り切れるようにもなれないでしょうね…… 僕は最近、「ワークライフバランス」について考えることが多くなりました。 でも、「家族と一緒に過ごす時間を増やしたい、もっと子供と居たい」と思うのと同時に「仕事を早めに切り上げて、家にいることが、本当に自分や家族の『幸せ』なのだろうか?」とも思うのです。 家にいたって、特別なことが毎日できるわけじゃないし。 いや、「特別なことをやる必要」なんてないし、家族というのは、みんなが一緒にいることそのものに意味があるのかもしれない。 とはいえ、「家族のため」と言って、家でゴロゴロしていたり、趣味に没頭していたり、家族に過剰に干渉してくるような夫や父親は、はたして「正しい」のだろうか? 「家事をバリバリやって、家族のために尽くせばいい」のかもしれないけれど…… 「元気で留守のほうが良いのかも」なんて、ついつい考えてしまったりもするんですよね。 「身を削って仕事を頑張っている親のほうが、家族にとっては『誇らしい』のでは?」とか。 そんな日本人は、僕だけでしょうか? もしかしたら、いまの日本が「貧しい」のは、みんなが「これが自分にとっての『豊かさ』『幸福』なのだ」という定義を確立できないまま、ゴールを持たないまま、とりあえずレールから外れないように生きているから、なのかもしれません。 ★ ★ ★ 次回に続く。
2014年04月21日
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最近忙しくなかなか書きこみできない状況ですが、久しぶりに書きたいと思います。といってもほとんどが引用ですが、STAP細胞騒動はどうやらおさまりつつあるが、細胞レベルでああだこうだいっても、所詮、物質論を捏ね繰り回すだけで、精神が、物質をどうとらえ、どう影響を与えるか、がわからない限り、堂々巡りをするだけなのである。 それよりも細胞を動かす精神はあるのか、細胞の機能を統御しているプログラムの本体は何なのか? 環境からどういう情報を取得しているのか?など、益々唯物論では解決できない疑問は尽きない。 そういうことはやはり霊魂の存在にまで、果ては輪廻転生の法則にまで言及しなければならず、細胞を捏ね繰り回しているだけでは、人間が病気に罹り、果ては死を迎える理由は不明なままにとどまるだけである。 例えば、名選手が、最新の道具を手に入れても、やはり使いこなすには時間がかかるように、使い慣れた道具というものが優先されるように、肉体を新しくしたとしても、それを制御できる経験やノウハウがない限りは、猫に小判というわけなのである。 そういう視点から、シュタイナーは、キリストもいっているが、医師などは、輪廻転生の法則を知らなければ、お話にならないわけなのである。というわけで、これまで通りのシュタイナーの話を続ける。 ★ ★ ★ オカルト生理学 魂の営みと生理との対応(改変) オカルティズムの立場に立つなら、地上界での魂の営み、いわゆる思考、感情、意志などにより、それが生物的営みか無生物的営みかは別として、人体内に物質的な働きがつくり出される、という事実に矛盾を感じたりはしない。どんな魂の営みにも、それに対応する物質的な働きが人体内に見つけられる。 この事実は最高に興味深い。というのも、現代のこれからの数十年の間に今日の科学の中にも見られる唯物的な知識の方向性からも、魂の営みと生理との対応を人体内に見つけるようになるからである。そしてオカルティズムによって獲得された霊的な知見により確認できるようになるだろう。 どんな思考の営みにも人体内の機能が対応している。どんな感情の営みにも、どんな意志の活動にも同じことが言える。この事実を次のように言い換えることもできる。 魂の営みから1つの波が生じ、その波が人体の物質部分にまで影響を及ぼす。 ではまず思考を取り上げる。思考のなかでも純粋数学のような客観的な思考、つまり感情や意志の影響を受けない客観的な思考を取り上げるのが一番良い。つまりいわば「純粋培養された」思考を取り上げる。 このような思考が魂の内部に生じるとき、人体内にはどんな物質的な働きが生じるのか? このような思考をする度に、人体内では或る物質的な働きが生じる。この事は事実であり、単なる比喩ではない。例えば、塩を溶かした熱湯を冷やし、溶けた塩が析出する現象と似ている。 つまり思考により溶解とは逆の析出が生じる。塩が完全に溶けていれば、水は透明だが、塩水が冷やされると、再び塩が結晶として現れ、水の中に塩の沈殿が生じる。透明な水の中から塩が結晶として現れるのを見れば、液体から固体が生じる過程が経験できる。固体が現れ沈殿し、塩の沈殿物が析出する。 さて、先程も述べたように、このいわばオカルト的な知見をいきなり披露すると、物質科学が取り上げる事象を杓子定規にしかみようとしない人は、ショックを受けるだろう。この塩の析出と全く同一の過程が、思考によっても人体内に生じる。 思考と塩の沈殿は対応している。この対応が血液に作用し、更に神経系にも反作用を及ぼす。思考は血液と神経系の境界で生じる。塩水から塩の生成を観察するように、思索する人間の人体内には、超感覚(霊)的にみると、塩の結晶化と同様の過程が霊視できる。これが思考と物質的な働きとの関係なのである。 では感情が与える人体内での物質的な働きとは何なのか? 感情の場合、思考のように、溶解とは逆の塩の結晶化のような事象は生じない代わりに、液体と固体の中間的な微細な半物質の状態が人体内に生じる。液体が半分固まったような半熟卵の白身のような状態に凝結する。いわゆる液体の固形化といえる。 思考により人体内で液体から塩(固体)が沈殿する一方で、感情により液体と固体の中間的な状態へ移行する。 感情により中間状態へと移行する場合、液体の成分が凝縮した状態に変化する。霊眼には、小さな薄片が数多く形成されるのがみえる。それはまるでコップの中の液体から薄片が数多く析出するかのようにみえる。いわば心の内の液体が数多い凝集した薄片を形成するようにみえる。 更に魂の中での「意志の活動」を取り上げるとなると、その肉体上の対応はもっと異なってくるが、この対応物を見つけるのは比較的容易である。その対応物は現象としてはっきりと現れるからである。つまり一種の発熱が意志の活動の人体内での対応物だからである。この発熱は勿論体温を上昇させ、人体を熱くする。体温の上昇は血流、つまり脈拍とも関係する。 意志の活動が人体を発熱させることから、血液の熱の上昇と意志の活動が関係することがよくわかる。意志の活動により発熱することが人体だけでなく、動物の生体にも見られることが比較的努力を要せず観察できる。 このような形で魂の営みと人体との対応を或る程度説明できるが、今特徴づけた事例は即座にわかるほど目立ったものではなく、非常に微々たるものである。この微々たる違い全般は日常の物質現象と較べても比較にならないほど微小である。 とはいえ、魂の営みから人体が全力をあげて、自我が活動しているときには血液という道具の助けもかりて遂行している相応の働きなのである。それは思考による塩の沈殿から、感情による凝縮や意志の活動による発熱にまで及ぶ。 そして或るときには人体全体が、この相応の働きに捉えられ、また別のときには例えば思考のように主として人体の一部の脳または脊髄が捉えられる。この上なく多様な形で、人体内の相応の働きは魂の作用を受けている。もしこの事実を認めるなら、思考も感情も人体内に作用を与える現実の力であることを認識するだろう。 思考も感情も人体に働きかける力なのである。上述のようなオカルト的観察から人体に影響を及ぼす魂の現実の力に言及する必要がある。そして人体の微小な対応物における、この現実的な力の存在は、次第に将来の科学によって数十年の内には明らかにされるだろう。 というのも、この現実的な力は、進化した科学の精密な測定法などにより物質(外)的に探求することが可能だからである。そのときはオカルティズムに対する、これまでのような反対は自ずと消えてしまうだろう。今日では依然として、科学の本当の成果からではなく、偏見だらけの理屈によって、オカルト的な認識に非難が加えられている。(P146-P150) ★ ★ ★ その立場に立たない者が非難するのは簡単である。実験したことがないのに、実験に口を出す愚か者が多い。
2014年04月15日
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前回は巷のSTAP細胞騒ぎにかこつけてオカルト医学を少し紹介した。しかし世間の騒動は相変わらず続いているようである。バッシングしているのは原発推進派という説があるのも、科学技術予算獲得の大部分をなすのが今回特殊法人化した経産省の産業技術研究所がその代表の原発関係であることから十分根拠がある話でもある。 STAP細胞騒ぎの問題点は、「多能性」という言葉が独り歩きしているところにある。つまり「多能性」の定義が曖昧なところにある。 例えば、従来、酷く酸性で生息が不可能といわれた胃のなかにもヘリコバクターピロリ菌がいたように、どうやら酸や酸化がカギのように思えてくる。 そこで、面白い話があるので、以下に紹介する。それはガン細胞が酸化を免れ増殖するという話である。 ★ ★ ★ ガン細胞が酸性条件でも増殖を続ける仕組みを解明 www.u-tokyo.ac.jp/public/pdf/220924_01.pdf 2.発表概要: 一般に細胞が急激に増殖すると酸素欠乏となり、細胞周囲が酸性となり、細胞の増殖 を抑制する自然の防御機構がある。しかし、ガン細胞はこの様な酸性条件でも増殖を 続けるが、このメカニズムは不明だった。今回、清水教授らはTDAG8(注1)という 特殊な分子が細胞膜表面に現れ、これがプロトンを感受し、細胞増殖にプラスに働くことを明らかにした。実際、この遺伝子を発現する細胞をマウスに注入するとガンが 大きくなり、かつマウスの死亡率が高くなった。本遺伝子を阻害することで、新たなガン治療の方法の開発が期待される。 (注1)TDAG8 Tリンパ球をステロイドホルモン処理などで自然死させるときに、発現する遺伝子の一つで8番目に見つかったので、T-cell death-associated gene 8 と いう名前が付いた。細胞膜を7回貫通するGタンパク共役型受容体の一つ。 ★ ★ ★ 上記の話は増殖であり、分化ではないので、増殖と分化のつながりを解き明かさないとダメではあるが、増殖と分化を再生力という観点から同じように考えれば興味深い話になる。そこで再生力とは何かをオカルトで考えてみるためにシュタイナーの話を再掲する。 ★ ★ ★ さて、人間では「下等生物のような再生はあり得ない」という思いを抱くだろう。実際、指や腕が切断されても、下等生物のように補充できたなら、とても素晴らしいだろうが、人間では不可能である。 そこで、次のような疑問が生じる。 「下等生物の成長を促し、損傷を受けたときに顕著に現れる、下等生物の再生力は、人体では一体どうなってしまったのか? この再生力は、人間では失われてしまったのか? そもそも人間には全く存在していないのか?」 という疑問である。 人間における精神と物質との関係について、事実に即した見解に到達するには、本質的に、霊的な法則(輪廻転生)に通じて行くしかないことがわかる。 つまり、上述した「再生力」というか、そのような生命の創造として遭遇する力、言い換えれば秩序的(規則的)な霊力から、直接、形態(物質)を創出する力は、人間では、様々な器官や組織からすっかり取り出され、霊魂のなかにだけ存在している。 (下等生物の場合、器官そのものがいわば「思考し、感じている」と考えられる。) すなわち、人間の再生力は、霊魂のなかにある。 この再生力が、様々な器官や組織から取り出され、もはや器官や組織の再生力でなくなったことで、人間は、この力を特別な形で所有している。人間は、この力を、自らの霊魂のなかの能力としてもっている。 だから、人間は、下等動物や植物界において造形的に働く再生力と同じ力で、考え、感じる。 人間が、物質から引き出した再生力を使い、思い、感じ、意志できなければ、人間は知性をもてなかっただろう。 従って下等生物を眺めれば、次のような答えを得る。 「この下等生物の内部に潜んでいる再生(造形)力と同じ力を人間ももっている。けれども、人間は、この力を、器官組織から取り出し、霊魂の能力として所有している。だから、人間は、外界の下等生物の世界では造形的に働く再生力を用いて、思考し、感じ、意志する。」 今日のように、意味不明な言葉(用語)で心理学をつくるのではなく、人間の霊魂の能力で、つくるなら、思考、感情、意志を、次のように本質的に追求しなくてはならない。 「下等生物では、形態(造形)のなかに現れている力を、人間では、霊魂のなかの能力として、思考、感情、意志のなかに明確に見つける必要がある。もはや人体ではできないことを、人間は、魂の能力のなかで遂行していることを少しでも考えてみるとよい。」 例えば、人間は、忘れてしまった一連の思考を、他の媒体などから補充(再生)できる。記憶の補充(再生)方法は、以前、下等生物の再生について、傷口に直接隣接した部位ではなく、外界とは離れた生体の内側の奥から現れると説明した事実と酷似している。 魂のなかでの体験(能力)と、外界で形成される自然の様々な力や原理との間には、完全な平衡状態が成立している。 内的な魂と外界の自然との間には、完全な平衡状態が成立している。 この霊魂と自然との平衡状態に注目すべきである。そして、外界での根本的な治癒の原理としてある再生(自然治癒)力は、人間が霊魂の能力として、自身の人体から既に完全に取り出したもので、その結果、その再生力は、人体においてはもはや物質や物質を構成する素粒子の基礎にはなっていない、という事実を示すべきである。 (人間は、自然の再生「治癒」力を、思考力として取り出した。) とはいえ、人間は、再生力を、人体全てから、同じ割合で取り出したわけではなく、取り出しかたはそれぞれ異なっている。いままで展開してきたような予備知識を、いわば身に備えている場合にのみ、人体に相応しい方法でアプローチできる。 とはいえ、神経系を構成する組織全般を観察すれば、次のような特徴に気づく。 通常、神経組織(Nervengewebe)と呼ばれる場所にある神経細胞などは、原始的な形態をもち、比較的初期の進化段階にとどまり、それほど進化した細胞ではない。従って、このような原始の、いわゆる神経細胞は、原始的な細胞の初期の特徴を示すことが期待できる。 けれどもまた別の観点からみれば、この視点は全く異なる。というのも、例えば、神経細胞は増殖力を持たないからである。神経細胞は、血液細胞と同じく、形成された(分化した)時点で分割不能で、増殖できない。 つまり、人間の神経細胞では、下等生物の細胞がもつ再生力が、比較的、初期に奪われ、取り去られている。だから、神経細胞は、初期の進化段階にとどまり、初期の進化段階でいわば麻痺(凍結)させられている。 神経細胞のなかで麻痺(凍結)させられた再生力は、霊魂の能力として分離された結果、実際に、人間はかつてもっていた器官の再生力を、自らの霊魂の能力のなかにみつけられるが、この霊魂の能力を獲得できたのは、初期段階で殺した、少なくとも麻痺(凍結)した神経細胞の性質の御蔭である。 (原始の細胞のなかで、再生力を殺し、麻痺させ、神経細胞として所持し、組織化したことから、人間の霊魂の能力が生まれた。聖書の記述だと、智恵の実を食べたことに相当する。) 以上のような事実から、神経の本質にアプローチできる。 (神経細胞は、初期の形態で麻痺させられ、原始細胞の形態をとりながらも、その再生能を、霊魂として抽出した。) 以上の事実から、この神経細胞が、一面では、かなり原始的な形態に類似し、発達(分化)した段階でさえも、原始的な形態をとどめているにも関わらず、人間では、通常、最高とされる精神活動に奉仕する、という特性を備える理由がわかる。 以下は、ちょっとした挿話で、考察の本筋ではないが、表面的に、人間の頭部を観察するだけでも、つまり、人間は、頭のなかに様々な神経細胞をもち、この細胞群が、頭蓋骨という、いわば固い装甲のようなもので覆われているわけだが、この構造は、高度に進化した生物よりもむしろ下等生物を思い起こさせる。 (例えば昆虫など) 人間の頭部は、言うなれば有史以前の生物を想起させる。人間の頭部は、原始生物を少し変形させたようにみえる。下等生物の特徴について語るとき、現代では、通常、次のように述べる。 「下等生物は外骨格をもち、高等生物や人間は内骨格を有する。」 けれども、最高度に発達している人間の頭部だけは(下等生物と似た)外骨格をもっている。この事実は、少なくとも先に述べた最も原始的な形態が、最高度に進化した(精神の)活動に奉仕する、というような特性についての一種の基本原則となり得る。 さて、少し考えれば、上述のように、人体から奪われてしまった再生力を、病気と称されるような状態を通じて(後に詳しく述べるが)、人体に再び補給するように働きかけるなら、つまり、外界の自然のなかに存在し、人間は霊魂の能力として使うため、人体からは奪われてしまった再生力を、植物などを薬として用いることで、人体に補給するなら、人体から奪われてしまった再生力を、再び喚起させることができる。 人間になったことで、霊魂として、人体から取り去られた再生力を、自然から、再度、人体に付与することで、人体の再生を支援できる。 以上の話から、さしあたり根治と呼べる治癒の原理が仄かに見えてくることがわかるだろう。つまり、治癒とは、人間が通常もたない外の自然のなかにある様々な再生力を、人体の支援に利用することであり、人体内の再生力を通常よりも強めることである。 (自然のなかにある再生力を、薬として利用し、人体内の再生力を高めることが治療である。) ここで、多少とも具体的な話をするために、とはいっても、ただ例として挙げるだけだが、人間の器官、例えば肺を取りあげてみる。 肺のような器官にも、霊魂の能力のために、再生力が取り除かれた形跡が判明する。肺から取り除かれた再生力を探求すると、植物界にみられる成長力へと辿り着き、肺に何らかの障害がある人に、植物界から、この成長力を付与すれば、肺の再生力や働きを助けることできる。 ★ ★ ★ 細胞レベルであれこれいっていても進展はみられないだろう。
2014年04月11日
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ここ最近鬼のような忙しさでブログを休止してましたが、少し余裕ができたので、久しぶりに書き込みします。さて、巷では相変わらずSTAP細胞騒動で大騒ぎだが、物質科学というよりも、もはや宗教化しているので、改めて理論物理の面から考証してみたい。 もし仮にSTAP細胞なるものがあり得るとするなら、理論的には、あくまでも素粒子レベルでの話だが、「対称性の自発的破れ」といわれる非線形の現象と数理的にはフラクタルと呼ばれる自己相似化、もしくは自己組織化の理論を用いて記述できる可能性が挙げられるが、あくまでも素粒子レベルの話なので、細胞のような大きなレベルでの話ではない。 以前、STAP騒動は、常温核融合の騒動に似ているということを述べたが、その騒動の前後に、高温超電導というセラミックを用いた超電導現象が話題になったことがある。 超電導理論は、通称BCS理論と呼ばれ、極低温で「対称性の自発的破れ」が起こり、電子がクーパー対をつくり、通常の素粒子レベルの量子化が、メゾスコーピックと呼ばれるやや広めの領域にまで量子干渉として拡がるマイスナー効果から超電動現象を説明する理論である。 ちなみにヒッグス粒子で話題になったヒッグス機構もこの「対称性の自発的破れ」を根拠にしている。 この現象を細胞レベルにまで無理矢理拡大解釈すると、量子論の確率観測論を適応できるので、細胞の分化という秩序性が破れると考えれば、STAP細胞の理論をつくることは可能ではあるが、素粒子レベルから、細胞レベルにまでつなぐ理論が不明である。 素粒子から細胞がどうやってつくられるのか、という疑問が新たに生まれてしまうわけである。 シュタイナーの話では、液滴から細胞が形成される理論はかつてあったそうである。しかし、その理論が完成できたとしても、もし仮にSTAP細胞のような簡便な幹細胞があるとするのなら、なぜ人体は、その簡便な方法を用いて、単純生物やトカゲの尻尾のように再生しないのだろうか?という大きな疑問にいきつく。 シュタイナーは、それはエーテル体の違いにあるというだろうが、それを言ったら、現代の物質科学は益々悲鳴を上げて抵抗するだろう。 いずれにしろ、福島原発が暴走した後に、理研が予算獲得のために暴走しているとはいえる。 現代医学が、唯物的原子論のように、唯物的細胞論を基本にしている限り、STAP細胞はあり得ない話であろう。そのことがわかるシュタイナーの話を以前「人智学的医術」として紹介したが、以下に再掲する。 ★ ★ ★ さて今度は、ロキタンスキーの『病理解剖学綱要』出版後の20年間に、原子論的で、唯物論的な考察が、現代医学の本質的な基礎となった点に注目してみる。奇妙なことに、太古の(霊的な)見解が、なおも19世紀前半に形成された医学的描像の中に入りこんでいる。 従って、例えば、植物細胞の発見者であるシュワンは、細胞形成の根底に、細胞としてはまだ形成されていない胚胞のようにみなせる液滴の形成がある、という見解を持っていたが、この液滴の形成が硬化して、細胞の核が生じ、細胞の原形質としてその周囲に分化する、という見解のなかに、太古の(霊的な)見解の残滓が読み取れるのは非常に興味深い。 シュワン http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%AA%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AF%E3%83%B3 なおも、シュワンは細胞の分化へと進む特性を、核に内在する液滴の形成に依拠している。更に興味を惹くのは、「人体は細胞から構成される」という言葉で総括できる後の代表的な見解が次第に形成されていく様子がシュワンの見解の後から追跡できる点である。 「細胞は生命体の基本であり、人体は細胞から構成されている」という見解は、実際今日では当たり前になっている見解である。 さて、シュワンがなおも、本人の言葉の行間に、いや行間以上にもっていた見解は、つまるところ太古の医学の本質のうちの最後の残滓なのである。 なぜなら、この見解は、原子論には見当たらず、この見解は、原子論から現われた細胞質を厳密に観察しても、決して観察できない液滴から生じる、というもので、この液滴が、生命(天体)力を内在し、この生命(天体)力自らが、原子論的な細胞へと分化していく、という見解だからである。 しかし、19世紀の40年代と50年代の20年間に、普遍的であった古代の見解は終焉へと向かい、原子論的な医学的見解が黎明を迎える。1858年にウィルヒョーの『細胞病理学』が出版されたのがまさしく黎明に相応しい時だった。 ウィルヒョー http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%92%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%92%E3%83%A7%E3%83%BC 実際、上述した2つの著作、つまり1842年のロキタンスキーによる『病理解剖学綱要』と、1858年のウィルヒョーの『細胞病理学』の間に、近代の医学的思考における大きな飛躍的転回が発見できる。この細胞病理学により根本的に、人間に現れてくる病態全般は、細胞の変化から推論されるようになった。 (天動説から地動説への医学的な転回といえる。天動説から、細胞動説である。) 公式的な見解に従って、肉体上の徴候全てを細胞の変化に基づいて構築することが理想とみなされた。ある器官の細胞の変化を研究し、この細胞の変化から病気を理解することが理想と見なされた。 実際、このような原子論的な観察は容易である。原子論的な観察は、自明の理とも言えるような見解なので、あらゆる見解を容易に構築できる。原子論的な見解から、近代科学はあらゆる進歩を遂げた、とはいえ、このような唯物論的な科学は相変わらず、全てを単純化して、安易に理解することを目指し、自然や宇宙の本質が実は究めて複雑である事実など考えもしない。 さて、原子論的な観察は、簡単に実験で確かめられる。例えばアメーバは水中で、その形状を変化させ、腕のような突起を伸縮する。アメーバが泳いでいる水を温めると、ある特定の温度になるまで、突起の伸縮が次第に活発になるのがわかる。 特定の温度を超えた後、アメーバは収縮してしまい、もはや周囲で起こる変化について行けなくなる。また、水中のなかに流れをつくると、アメーバは球状になり、流れを過度に強くすると、最後には破裂してしまう。 以上のように、環境の影響による個々の細胞の変化を研究し、その研究から、細胞の変化に応じて、次第に病気を構築する理論が形成できる。 では一体、上記のような見解、つまり、19世紀の40~50年代の20年間に起こった転換により到来した学説の本質とは何なのか? この時期に生まれた見解は、今日でも広く公認された医学のなかに浸透し、現代の医学の中にも実際生き続けている。この時期に生まれた見解のなかにある本質とは、まさしく唯物論的な時代に形成された、原子論的に世界を捉える傾向に他ならない。 ★ ★ ★ 原子=細胞としている限りは、STAP細胞の実体は謎のままだろう。
2014年04月10日
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「ネット情報の活用法」というタイトルで、シュタイナーの話を続けることが困難になってきたので、代わりに、ドリールの聖書の真義を改変して紹介する。 ☆ ☆ ☆ マタイ伝 第25章 天国(神的合一)は、十人の乙女(自我)が各々の明かり(意識)を手にして、花婿(完全な覚醒意識)を迎えに出て行くのに似ている。 その中の五人は思慮の浅い女たち(愚者)で、五人は思慮深い女たち(賢者)であった。 愚者たちは、あかり(意識)は持っていたが、油(愛=意識を灯す犠牲の意識)を用意していなかった。 しかし、賢者たちは、自分たちのあかり(自我)と一緒に、入れものの中に油(愛)を用意していた。 花婿(完全な覚醒意識)の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠り(物質欲)をして、寝て(心の目「相手の気持ち」がみえなくなって)しまった。 夜中(地上の人生)に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。 そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかり(意識)を整えた。 ところが、愚者たちが、賢者たちに言った、 『あなたがたの油をわたしたちにわけてください。わたしたちのあかりが消えかかっていますから』。 すると、賢者たちは答えて言った、 『わたしたちとあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。店に行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』。 彼らが買いに出ているうちに、花婿が着いた。そこで、用意のできていた女(賢者)たちは、花婿(完全な覚醒意識)と一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた。 そのあとで、ほかのおとめ(愚者)たちもきて、『ご主人様、ご主人様、どうぞ、あけてください』と言った。 しかし彼(完全な覚醒意識)は答えて、『はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない』と言った。 だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。 花婿を迎えに行く五人の賢い乙女と五人の愚かな乙女の譬えは、教会の説教によく使われる題材である。この譬えは、花婿として象徴化されている魂のなかの光り輝く覚醒(太陽)意識について、準備が出来ている人と出来ていない人のことを象徴化した教訓なのである。 賢者は完全な覚醒(太陽)意識を受け取るのに相応しいように日頃から自分自身(自己意識)を準備する人であり、愚者はそのような意識も知らずに一生をぶらぶら(我儘に)過ごす人である。 日頃から努力し、受け取る準備をしていた賢者に、完全な覚醒意識が訪れたとき、愚者は、その分け前に与ろうと望むが、完全な覚醒(太陽)意識とは、個人の意識上の働きと犠牲的な愛の精神によって得られるものなので、愚者は完全な覚醒(太陽)意識側から拒絶される。 完全な覚醒意識はいつ訪れるか誰にもわからないから、不断の努力を行い、準備しなければならない。 また天国(神的合一)は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産(意識)を預けるようなものである。 すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には五タラント、ある者には二タラント、ある者には一タラントを与えて、旅に出た。 五タラントを渡された者は、すぐに行って、それで商売をして、ほかに五タラントをもうけた。 二タラントの者も同様にして、ほかに二タラントをもうけた。 しかし、一タラントを渡された者は、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた。 だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算をしはじめた。 すると五タラントを渡された者が進み出て、ほかの五タラントをさし出して言った、 『ご主人様、あなたはわたしに五タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに五タラントをもうけました』。 主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなもの(能力)に忠実であったから、多くのもの(能力)を管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。 二タラントの者も進み出て言った、『ご主人様、あなたはわたしに二タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに二タラントをもうけました』。 主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなもの(能力)に忠実であったから、多くのもの(能力)を管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。 一タラントを渡された者も進み出て言った、『ご主人様、わたしはあなたが、まかない所(金持ち)から刈り、散らさない所(貧乏人)から集める酷な人であることを承知していました。 そこで恐ろしさのあまり、行って、あなたのタラントを地(物質)の中に隠しておきました。ごらんください。ここにあなたのお金がございます』。 すると、主人は彼に答えて言った、 『悪い怠惰な僕よ、あなたはわたしが、まかない所(金持ち)から刈り、散らさない所(貧乏人)から集めることを知っているのか。 それなら、わたしの金を銀行(天国)に預けておくべきであった。そうしたら、わたしは帰ってきて、利子(叡智)と一緒にわたしの金(能力)を返してもらえたであろうに。 さあ、そのタラントをこの者から取りあげて、十タラントを持っている者にやりなさい。 おおよそ、(能力を)持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、(能力を)持っていない人は、持っているもの(能力)までも取り上げられるであろう。 この役に立たない僕を外の暗い所(物質界=地獄)に追い出すがよい。彼は、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。 人の子(太陽意識)が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。 そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、 羊を右に、やぎを左におくであろう。 そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、 『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。 あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、 裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。 そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、 『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。 いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。 また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。 すると、王は答えて言うであろう、 『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとり(意識)にしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。 それから、左にいる人々にも言うであろう、 『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。 あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせず、かわいていたときに飲ませず、 旅人であったときに宿を貸さず、裸であったときに着せず、また病気のときや、獄にいたときに、わたしを尋ねてくれなかったからである』。 そのとき、彼らもまた答えて言うであろう、 『主よ、いつ、あなたが空腹であり、かわいておられ、旅人であり、裸であり、病気であり、獄におられたのを見て、わたしたちはお世話をしませんでしたか』。 そのとき、彼は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである』。 そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」。 このタラントでの譬えは、神の完全な覚醒意識の分け前を人間の意識として与え、物質界への旅を象徴化した教訓である。一人一人の人間は、物質界での人生の旅で成し遂げるべき任務(能力開発)を負っている。 重要なことは、人間が成すべきことは物質の質や量などではなく、自己の意識から精神として何をなしたかにある。 1タラント(知識)しかもたない者でも、一生懸命に他者を喜ばせ、もう1タラント(知識)を増やせば、宇宙からみれば、5タラントが10タラントに増えるのと同じである。しかし、自分がもつ能力を少しも他者のために活用しない(役立てない)者は宇宙全体の神の進化計画からみれば、独占し、隠すことになるので、ついには、その能力さえも失ってしまう。 人の子(太陽意識)が栄光の中にすべての御使たち(輪廻転生)を従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。 そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、 羊を右(善人)に、やぎを左(悪人)におくであろう。 とあるように、人間の完全な覚醒(太陽)意識は、宇宙の全法則(道徳=輪廻転生の法則)に則って、自由に使いこなせることができるようになってはじめて神的合一に到達できる。 要するに、輪廻転生の法を知り、囚われなくなること。どんな存在とも仲良くやっていけること。 人間の現在の覚醒意識は未完成で、俗にネガティヴ(陰性)な利己性を負っている。自分の周囲の人々に仕え、その人たちの魂を進化(自力本願)させるように助け導ければ、完全な覚醒意識に目覚め、神的合一にまで進化するようになるので、天(宇宙)から祝福される。 この真実を利己的な目的から否定する者は、ただ自分と物質のみの王にすぎなく、精神性の否定や神的合一の否認となる。 どんな存在とも仲良くやっていける者は、次の進化段階に進めるが、自分が王でないとダメな者は、せっかく与えられた人生の落伍者となり、天国から捨てられ、地獄に自ら落ちる落第者となる。 戦や闘争を好み、自己を宣伝し、自己を崇めさせるものは堕天使悪魔となることを心せよ! キリスト意識が語ることに偽りはない!!
2014年04月02日
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