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オカルトでは、5月と11月のはじめは悪魔の活動が活発になる時期といわれている。いまでいうメーデーとハロウインの季節である。以前、このブログでも紹介したが、5月は魔女で有名で、11月は恐らく魔王で有名な季節なんだろう。 いずれにしろ、人間のなかにもある闇が深まる季節なんである。だからこそ、叡智の光が必要で、蝋燭の火などは、叡智の象徴なんである。だから魔界にすむ悪魔の生態を解明するには絶好の時期ともいえる。 いつも訪問させていただいている播州武侯祠遍照院さまのブログでもハロウインについて紹介しているが、ドルイド僧は古代の秘儀参入者で霊能力者なんで多くの迷信はドルイド教に端を発していると思われる。 だからといってドルイド僧が悪魔を崇拝していたわけではなく、後世の唯物論に染まりつつあった連中が後からこじつけたものだとシュタイナーは述べている。 ドルイド僧たちは、将来キリストが人類を救いにくるために一人の人間イエスに受肉することを秘密糧に伝達していただけであるという。その伝達を地上の支配者の悪魔たちに利用されたのだというから、現代の偽ユダヤ悪魔のダマスゴミと構図は同じで、悪魔崇拝に利用されたわけである。 さて「悪魔崇拝」や「偶像崇拝」といわれてもピンとこない人が多いから、「悪魔崇拝」や「偶像崇拝」なんて難しい言葉を使わずに、「良心に従え」といった方がわかりやすい。 人間は何度も生まれては体験し、死んできたなかで、変わらぬ不変の法則というものがあり、それが良心となっていることを無意識のなかで理解しているはずだからである。 中心とはどこからみても同じものであるから不変なんである。この不変の法則がカルマの法則であることは何度も紹介してきた。 よくカルマを「罰」と勘違いしている人が多いのだが、まぁ罰当たりのことばかりしている人にはカルマは罰とみえるのは当然なのだが、本当の意味では、カルマとは因果のことで、仏教では因縁のことである。 因果を意味するときは、現世での要因と結果であり、因縁を意味するときは、前世での要因と、現世での結果を縁というわけである。だから簡単にいえば、現世でのカルマの法則は因果、前世も考えるなら因縁となるわけである。 だから、よくカルマを避けるなんていう罰の意味で使う人は本来の意味を間違って使っているわけで、本当はカルマを避けることなど不可能なんである。そもそもカルマという言葉の意味は、「業」で「行い」なのだから、現代の物理学に喩えれば、「運動」のことである。だからエネルギー保存則のことである。 だからもし、「カルマを避ける」なんて字句通りに考えるなら、エネルギーが保存しないわけで、エネルギーがもらえないので、死んでしまうわけです。消滅ですよ。用語を使うにはその実体を正確に理解しないと意味がありません。唯物論に染まると、字句通りにしか考えられないから訳がわからなくなり、独善的に使用して、そのうち精神分裂病になるわけです。 カルマが不変なのは、ヤハウエ神が「我は我に帰するものなり」とモーゼに言ったように、カルマの因果が因が果に帰する唯一の存在という意味で、因=果の因を果に足らしめる唯一の存在だからで、神がカルマの法則そのものであることを意味している。だから、悪魔も神がつくったものなので、いずれ悪魔も同じ神の子の人間を通じて神に返るわけである。 さて、悪魔崇拝のメーソンでよく知られたピラミッドの頂上にある目は、悪魔の目とも言われているが、本当は、万物を見通す目のことで、オカルトでは、人間の自我のことである。 自我は中心となるべき無次元の点なので、どこからみても同じものでなければならないが、ではなぜ悪魔の目と呼ばれるようになったのだろうか? 前回、シュタイナーの笑いと涙の話を紹介したなかで、人間にとって、笑いや涙の感情を発することは正しく、救いだが、それらの感情に依存してしまうのは間違いで、救いようがないことを述べた。 つまり、簡単にいえば、自力はよいが、他力はダメということなんである。だから、神を崇拝するのはダメで、自分のなかに神をみつけるのは良いのである。 ピラミッドの目の象徴図を崇拝するのはダメで、その象徴図を基に自分のなかに神をみつけるのは良いということなんである。 キリストがいったように、「天は自ら救う者を救う」ということなんである。救いを他に求めるのではなく、自分が救うのである。救いの力は人間のなかに眠っているわけで、自然治癒力なんかがわかりやすい。 だから宗教を学んだら、それを自分に適用するのはよいけど、教団や教師になって他を利用しようとするのはダメでニセモノというわけなんである。 正しいと思ったら、まず自分がやって見本を示せ、ということなんである。他を道具として利用しようとするな、ということである。人間の誰にもそういう神のごとき力を授かっているのだから、使いなさい、というわけである。 しかしまぁ、開発するのが難儀なんで仕方ないんですけどね。 さて、シュタイナーの笑いと涙の話の紹介を続ける。 ★ ★ ★ 人間は徐々に自我の進化を導く指導者になるべきである。 笑いや涙を理解できれば、それらが、自我である精神の現われと捉えられるはずである。というのも、笑うことで、人間の精神が解放され、涙を流すことで、精神の喪失感を埋め合わせ、慰められ、元気になるからである。 そもそも、笑いとは何なのか? という疑問は次のように答えられる。 笑いとは、自分に当てはめたくないものに巻き込まれることなく、その虜にされたくないものから逃げ、超越(脱出)するために、自由な解放に向け苦闘する際の精神の表現である。 同様に、涙は、外界との結びつきを失ったとき、それに代わる同様の結びつきを求め苦闘する際の精神の表現で、涙を流すことで自我を強めるとき、実際、自分に次のように言い聞かしている。 「私のためにこの世はあると同時にこの世は私を必要としている。というのも、この世とのつながりを失うことに私がこんなにも耐えられないのだから。」 さて最後に、笑いによる自我の解放の代表例について述べる。 つまり、この世のあらゆる下劣で邪悪なものからのゾロアスター(ツァラトゥストラ)の自我の超越が、その微笑みを見た地上の生命体全てが狂喜し、また邪悪な存在が逃げ出したという「ゾロアスター(ツァラトゥストラ)スマイル」のなかに表現されたことがわかる。 このゾロアスター(ツァラトゥストラ)の微笑みは、邪悪な存在を窒息死させるかのような自我の超越を、世界史のなかに象徴的に表現する。 そしてまた、「私は、この世の存在に値しない。もうこの世とは関わりたくない」というような絶望の場面に自我がぶち当たった後、「私のためにこの世はあり、この世は私を必要とする。」という事実を肯定させるような力が魂の中に沸き起こって来るなら、このような感情は「涙が溢れて、地球が再び我を抱く。」というゲーテの言葉に癒される。 この言葉は次のような確信を認めたものである。 「人間は地球から締め出されるようなことはない、涙の中にさえ、この世との密接な結びつきを、この結びつきを失ったように見える瞬間こそ、この結びつきが大切であることを主張する。」 この主張の正当性はこの世の深い秘密の中に隠されている。顔を流れる涙から、この世との結びつきを知り、また顔に浮かぶ微笑みから、下劣な存在からの解放を知る。 ★ ★ ★ 笑いと涙により人間の自我は進化し、地球との絆を深め、悪魔をも愛することで神にかえる力とすることができる。 人間が笑う時それは同時に神が笑う時で、人間が泣く時それは同時に神が泣く時で、人間と共に神がある証拠である。
2014年10月31日
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前回の続き。日本人が過労死も厭わずに奴隷の如く働かされてきた勤勉性のために、この国の戸籍に載らない実質の権力者が巨万の富を得ていたという話を紹介したが、その続きである。 ★ ★ ★ 日本は世界一の金貸し国家。長引く円安で日本政府と日銀が密かにボロ儲けしています http://rapt.sub.jp/?p=16760 (上のリンクの続き。) そもそも、「日銀」は公的機関に見せかけていながら、その実、ジャスダック上場の株式会社であり、国債、手形、貸出金、外貨資産などから生じる利息収入で儲けている会社です。(以下のリンク参照) ○日本銀行のビジネスと儲けの源泉とは? | web R25 何かしら嫌な予感がしますよね。この記事の中にも、日銀が一年で6507億円もの利益を出したとか……。日本企業の中ではトップクラスの利益です。 一体、この儲けは誰の懐に入っていくんでしょうか。一応、日銀総裁っていうのがいますが、この人はただの雇われ人で、年収も決まっています。となると、この莫大な利益はやはり株主のところに行くことになるのでしょうか。 では、ここで問題です。果たして「日銀」の株主とは誰なのでしょう。 「日銀」の出資金は1億円です。そのうちの55%は政府が出資していて、残りの45%は個人が出資しているということになっています。 ○日本銀行の出資証券とは何ですか? :日本銀行 Bank of Japan しかし、その個人の名前は非公開とされていて、誰なのかは分かりません。 一応、戦前には天皇がこの日銀株をたくさん持っていました(20万8000株・額面で2080万円分)が、もし天皇が未だにこの日銀株を手放さずに持っているならば、天皇こそがこの世で最大の債権者ということになります。金融ユダヤの遙かに上をいく金貸しということになります。 だからこそ、オバマはここまで天皇の前で礼を尽くすのではありませんか。「いつも沢山のお金を貸してくださり、ありがとうございます」と言って。 私たちはこれまでずっと騙されていたのかも知れません。本当の敵はアメリカではなく、実はこの国の中に潜んでいるかも知れないのです。 日本政府がこれだけ外国債という名のギャンブルでボロ儲けしていながら、マスコミはただひたすら日本が借金大国だと報道しています。 世界一の金貸しが、とてつもない貧乏国だと報道されています。そうやって、私たち国民を騙し、安い賃金で働かされても仕方がないと思わせようとしているのでしょうか。 ★ ★ ★ この話から、ドル体制を崩壊させたくない悪魔たちの正体がわかる。米国の影の支配者の英王室とバチカンと、そしてIMFの偽ユダヤ金満悪魔たちである。 ドル体制で権力の基盤、つまりドルのピラミッドをつくってきたわけだから当然といえば当然だが、IMFという頭でっかちが生まれてしまっては、後は崩れる他ないでしょうね。 米国が戦争により貧困をつくり出し、貧困者をターゲットにしてIMFがカネを貸して搾り取り巨万の富をつくるという悪魔の構図がみえみえになってきました。 この悪魔たちが、次にアジア混乱を狙っている話を以下に紹介しておきます。 ★ ★ ★ アメリカの日本収奪計画(21) http://ameblo.jp/cpa-togo/entry-11946236759.html (21)孤立に追い込まれる日本! 安倍首相の極右的な発言が海外メディアから非難され、各国指導者の間でも安倍バッシングの状況が見受けられる。顕著になったのは、2013年6月のビルダーバーグ会議あたりからである。ビルダーバーグ会議とは1954年から毎年、欧米各国で影響力を持つ王室や政財界の有力者たちが極秘裏に行う非公開の秘密会議である。 例年、アメリカも50人近い要人が参加していたのだが、この年(2013年)の参加者は30人程度で、現政権の要人の姿は見えなかったのである。これは、同時期に習近平と米中首脳会談が行われていたという背景がある。即ち、米国債を買い支えてくれる金づるとしてオバマ政権が中国に擦り寄ろうとしている意思が垣間見える。つまり、中国への「へつらい」の意を示したのである。 何しろ、今のアメリカに巣食うサバタイ派マフィアは、中国マネーに依存しまくっており、それが途切れればアメリカは確実に破綻してしまうからである。ヨーロッパとアメリカ、中国の三つ巴の状況の中、すっかり蚊帳の外に置かれたのが安倍政権である。この時期に、フランスのオランド大統領が来日したのだが、オランド大統領は日本と中国を取り違えてスピーチしたのである。 オランド大統領も中国のことが気がかりで「心ここに非ず」だったのである。さらに、象徴的だったのは2014年4月のオバマ大統領の来日である。米国大統領としては18年ぶりの国賓待遇として最上級の歓迎態勢で望んだ安倍首相だったが、ミシェル夫人の姿が無かったのである。これは、日本の国賓待遇は受け入れつつも、夫人を欠席させることで中国側のメンツを立てるべく配慮したということである。 訪日に先立つこと1か月前の訪中時には、ミシェル夫人は娘2人も連れて、訪中していたのである。また、2014年1月のダボス会議における安倍首相の発言に孤立化加速に利用された。第1次世界大戦前の英独関係に日中関係を喩えた発言である。確かにデリケートな内容にもかかわらず無神経な発言だった。その結果、日本の極右化を印象付けることになった。 同時にダボスの地で、CNNは安倍首相の単独会見を放映したが、その席でも「日の丸」を背景に構図が作られ、イルカ漁擁護発言など世界の世論に意固地で閉鎖的な日本を印象付ける操作が行われていたのである。避けるべき発言を重ねてしまった安倍首相は、闇の支配者側のメディアの誘導に乗ってしまったか、あるいは闇の支配者側からの指示があったのかは定かではない。それにより、日中対立どころか世界的な孤立を招いてしまったのは間違いない。 欧州メディアの安倍バッシングは露骨である。2014年の5月に安倍首相が訪独を果たしたが、共同記者会見の後日独の国旗の前に並ぶ安倍・メルケル両首相の映像が、ドイツのテレビにはほとんど登場しなかったのである。韓国の朴大統領や中国の習近平の訪問時にはドイツのメディアも大きく報道したのに、首脳会談翌日が休刊日だったこともあり、大きく報じることはなかったのである。 さらにいえば、2013年12月のASEAN首脳会議でも日本が提案した対中包囲網が拒否されたのである。つまり、中国の経済力は無視できず、自国の経済発展を求めるならば、付き合っていくしかないというのがASEAN諸国の考え方である。フルフォード氏は日本を孤立に追い込む周到なシナリオがあったと主張している。 実際の所、安倍首相に靖国参拝を命じたのはサバタイ派マフィアの連中だという情報が入っている。彼らは、特に中国を刺激する靖国参拝を安倍首相に行わせることで、中国側からの「安倍をどうにかしてくれ」という要望を引き出すことに成功している。安倍首相の靖国参拝後、闇の支配者の子飼いであるメディアが一斉に靖国参拝を非難し始めたのは「どうにかした」ことを示す行為だったのである。 日本を孤立させ追い込むことでどうなるのか、闇の支配者たちはよく知っているのである。第2次世界大戦前に、人種差別撤廃要求を巡り英米と対立し孤立化し追い込まれた日本が戦争と言う引き金を引くことが判っているからである。→闇の支配者は再び日中戦争へと持って行こうとしているのである。 ★ ★ ★ アホを動かすことで、金儲けしようという魂胆みえみえの腐った脳みそしかないのが偽ユダヤの現在の末路ですね。
2014年10月31日
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オカルトから考えると、人がこの世に生まれてくる目的は、自由を得ることと、自らがもつカルマの成就である。つまり自由なやり方でカルマを成就することになる。しかし難儀なのは大半の人は自らがもつカルマがわからず、またその成就の仕方もわからないことである。 なにしろ、自分のカルマを知るにはある程度の霊能力を必要とするからである。霊能力は予知能力に近い、「自分がこうすればああなる」という想像力、つまり予想が現実に近いものになるほど予知能力となり、自分の行為だけでなく、社会全般の予知能力、更には物質界全体の予知能力を超えると霊能力になるからである。 しかし霊能力を獲得しなくても次の原則を知っていればある程度対処できる。 一般的に、出来事が起こるのは均衡が破られるからである。 シュタイナーの笑いと涙の話からもわかるように、陰と陽の均衡が破られ、どちらかに負荷がかかると、その負荷を除去しようとして、再び新たなる均衡が図られる。 シュタイナーは、この常に均衡が図られる働きをキリスト原理と呼んでいるが、負荷を「悪」、均衡を図る働きを「善」と考えると、カルマの法則がわかりやすくなる。 つまり、独善は悪といわれるが、悪とは、善が局所化したものである。善が一部に集中すると、悪という負荷になる。だから、富も人類全体に行き渡れば善だが、一部に集中すると悪になる。 だから、経済も一極集中は悪で、全体に万遍なく流通すれば善になる。つまり、このキリスト原理を人類の経済にどうあてはめていくかが、人類の次の課題なんである。 要するに、お金を貧困をなくすために使うということである。 面白いことに、そのことに気づかせてくれる話をお馴染みの播州武侯祠遍照院さまのブログで知ったので、以下に紹介する。 一極に集中した富を貧困を救うためにどう使うかがいま人類に問われている。貧困を一気になくすほどの天文学的資産を人類は所有しているのである。この事実は、いまは悪だが、善に転じえる充分な余地があるのが唯一の救いなんである。 人類はいま目覚めるべきときにきている。 ★ ★ ★ 日本は世界一の金貸し国家。長引く円安で日本政府と日銀が密かにボロ儲けしています http://rapt.sub.jp/?p=16760 ここのところ、ずっと宗教的な観点から天皇のインチキさについて語ってきましたが、今日はちょっと視点を変えて、政治と経済の観点から天皇のインチキさについて語っていきたいと思います。 私たちはこれまでずっとニュースなどで、日本は大不況で、とてつもない借金を背負っており、大変な状況にあると聞かされてきました。そのため、安倍晋三はずっと経済対策のためといって円安政策を強行してきたわけですが、その効果はなく、相変わらず経済不況が続いています。 にもかかわらず、日本は未だにアメリカ様の言いなりになって、次から次へとアメリカにお金を貢いであげている……。 ということになっていますが、ちょっと待ってください。 本当にこの国はアメリカから次から次へと搾取されている隷属国家なのでしょうか。アメリカの言いなりになって、返してくれる見込みもないのに、アメリカに莫大なお金を貸してあげている身分の低い奴隷国家なのでしょうか。 ここ最近、私はこの点について真剣に考えるようになりました。天皇に何か裏があるという疑いが出てきたからです。 ○天皇がどこからどう見ても悪魔崇拝者であるという証拠。 ○古代エジプトの太陽信仰=悪魔崇拝が、現在の日本の天皇家へと流れ着き、天皇家を最大級の財閥にするまで。 で、よくよく丹念に調べてみると、この日本はそんなひ弱な国ではないことが分かってきました。実は世界一の大金持ちであり、一番大きな力を持った強大国だったのです。 日本のマスコミがその事実をきちんと報じず、毎日のように日本経済がヤバイヤバイと連呼し、実際、私たちの生活もどんどん苦しくなっているので、私たちはその実態を全く掴むことができませんでした。完全に洗脳されていたのです。 先ず、日本が抱えるアメリカの国債についてのお話をしましょう。これ一つをとってみても、私たちがいかに騙されてきたかがよく分かります。 日本政府はこれまで金融ユダヤの言いなりになって、次から次へとアメリカにお金を貸してあげてきました。アメリカには返すあてもないのに、日本はなぜかアメリカの債権を次から次へと買いとってきたのです。 私たちはその有様を見て、そんなにアメリカにお金を貢いでどうする気だ、もしアメリカが破産したら日本も共倒れになってしまうではないかと危機感を煽られてきました。 そうして、私たちの怒りの矛先はどんどんアメリカに向けられるようになった。最初のうちは、私たち陰謀論者の間で怒りの火がつき、今では世間一般の人たちも少しずつそのような認識を持ちはじめています。 アメリカが今にもデフォルト宣言をしてしまいそうだ。そうすると、日本まで破産してしまう。取り付け騒ぎが起きる。そんな話を私たちは今まで何度聞かされてきたでしょう。それこそ耳にタコができるぐらい聞かされてきましたよね。 しかし、アメリカはこれまで一度もデフォルト宣言したことがない。何事もなかったように、今もずっと平常通りの毎日が続いています。 私はこの状況を見ながら、何かおかしいとずっと思ってきました。どうして世の中にはこんなインチキな情報ばかり流れるのだろう、と。 しかも、そんなデマが流れる度に、円安はどんどん進行していきました。当然です。アメリカの国債を最も数多く持っているのが日本であり、その債券すぺてが紙くずになれば、日本までアメリカとともに破産してしまうかも知れないからです。 ですから、投資家たちは日本円を買わなくなり、むしろ円を売ります。円安がますます進行してしまうわけです。 しかし、よくよく考えみてください。円安が進行するということは、日本政府が持っている米国債の価値もそれだけ吊り上がっているということですよね。政府は外国債はすべてドル建てで保有しているはずですから。 したがって、円安が進めば進むほど、日本政府はそれまでより資産を増やしているということになります。円を円として持っていても、こんなことにはなりません。 日本政府は、ここ最近ずっと円安政策を強行してきました。経団連が悲鳴をあげるぐらいにまで、円安政策をやたらめったら続けてきました。 そして、私たちはそれをずっとアメリカのためだとばかり思っていました。アメリカ様のために、日本政府がわざと円の価値を引き下げ、ドルの価値を上げているのだと。 しかし、ドルの価値が上がれば、当然、日本政府が抱えている米国債の価値もつり上がります。日本政府がどんどんお金持ちになっていくのです。 いいや。米国債など危なくて誰も買ってくれないし、アメリカだって借金を返すつもりはないのだから、米国債など持っていても損するだけだ、何の得にもならない。そう思われるかも知れません。 しかし、それは全くのデタラメです。 実はこの米国債を今すぐにでもお金に換えられる方法があるのです。しかも、日本政府にしかできない素晴らしい方法が。 実はこの米国債。日本政府がその気になったら、いつでもIMFに融資することができることになっているのです。この米国債を使って、IMFにお金を貸してあげることができるのです。2009年のG7で、そのような取り決めができてしまいました。詳しくは以下のリンクをご覧ください。 ○失脚した中川昭一とストロス・カーンは米国債を流通させようとしていた – NAVER まとめ なんかややこしい話ですよね。債券でお金を融資するなんて……こんなことありなんですかって思ってしまいますよね。 日本政府はこのG7の取り決めによって、紙切れ同然となりそうだった大量の米国債を手ばなすことができました。円安になったところで米国債を手放したわけですから、日本政府はこのとき大儲けしたということになります。アメリカからお金を返してもらえなくても、大儲けできる仕組みがここで誕生したわけです。 しかも、この日本からIMFへの融資は、貧しい国々の財政再建のためという名目で行われたので、当然、世界のありとあらゆる国が日本に頭を下げてくれるようになります。まさに日本様々という感じでしょう。 さらにこの後、債務国から多くの利子をつけてお金を返してもらえるわけですから、日本政府はボロ儲けです。 しかも、日本がIMFに米国債で融資したとたん、日本の円はあっという間に跳ね上がった。当たり前です。危険な米国債が日本から消えてなくなったわけですから、誰もが円を買おうとします。 そうすると、日本はまたしても格安で米国債を買うことができます。 そうすると、またしても円の信用が下がり、円安となるわけですが、これに反比例して、日本政府のもつ米国債は値上がりします。紙切れ同然になるかも知れないと思われている米国債ですが、日本があれこれと理由をこじつけてIMFに融資すれば、日本政府はまたしてもボロ儲けできるのです。 しかも、日本はアメリカ以外にも沢山の国にお金を貸してあげています。日本は世界で一番の金貸し大国なのです。その額なんと300兆越え。 ○日本、23年連続で世界一の債権国 中国との差は縮小 – Japan Real Time – WSJ アメリカと違って、他の国はいずれきちんと借金を返してくれます。しかもたっぷりと利子をつけて。 ですから、本来なら日本は世界一の債権国と呼ばれて、円の値打ちはどんどん高くなっていくはずなのですが、日本政府がアメリカの国債をたくさん買っているため、円の値打ちは上がるどころか下がるばかり。 しかも、安倍晋三がどんどん円安政策をして、さらにアメリカがデフォルトになりそうだとのデマが流れれば、円安はますます加速。日本政府は外国からの借金の返済によって、為替幅と利子によって大儲け。何しろ、日本はすべての外国の債券をドル建てで保有していますから。 もちろん、日本国内にある外国債のすべてが日本政府の手の中にあるわけではないでしょう。どこかの企業や個人も持っていると思います。しかし、一番たくさん持っているのは、やはり日本政府でしょうし、米国債を使ってIMFに融資、なんてインチキができるのも日本政府のみ。一般庶民や企業にはそんなことはできません。 したがって、円安になればなるほど、ドルが高くなればなるほど、日本政府のみがボロ儲けできるというわけなのです。 しかも、日本政府がこうして儲けたお金はすべて「日銀」が管理します。国家のお金はすべて「日銀」が管理することになっているからです。 ということは、「日銀」も陰でひそかに肥え太っているということになりそうですが……。もしやこの外国債を使ったギャンブルは、「日銀」の金儲けの一端なのではありませんか。 (字数制限を超えるので、次回に続く。) ★ ★ ★ 日銀を利息で稼がずに恵まれない貧困者だけに融資するイスラムのような銀行にすればいい。
2014年10月31日
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この国は悪魔を研究する題材には事欠かない。悪魔の手口は、脅して偶像崇拝に持ち込むもので、ヤクザがよく使う手口である。 悪魔は偶像崇拝させるために脅すわけである。脅かされても偶像崇拝しなければいいのだが、この国の住人が滑稽なのはなんら疑問をもたずに自ら進んで偶像崇拝することにある。だから、カルト教信者も非常に多い。 どの宗教の教典も偶像崇拝を禁止しているはずである。主なる神は人間の精神のなかの自我に宿っているのだから、自分を自分で拝むことはできないから、どんな崇拝も偶像崇拝にならざるを得ない。 それでも拝みたければ、自我が従うカルマの法則を拝むしかないだろう。 カルマの法則とは何度も紹介したが、簡単にいえば、他の誰かにした自分の行為が自分に返ってくるという法則である。自業自得のことで、わざわざカルマの法則を拝む拝まないで変わるわけがなく、不変の法則なので、公正で公平だから手心が加えられるわけがない。変えたいのなら、自分の行為そのものを変えるしかない。 そもそも崇拝することで利益が還元されるというのも怪しい考えで、それでは不公平や不公正を奨励するようなもんである。神様がそのような利己主義的なことをするわけがない。仮に神様が利己主義で崇拝しない人に罰を与えるのなら、はじめから崇拝行為そのものや崇拝しない人をつくらなければいいだけである。 第一、特定の人に利益を誘導してしまえば、法則自体が不変でなくなってしまうわけで、船や飛行機をみてもわかるように、一部に負荷がかかりすぎると、全体が傾いて沈没や墜落という失態を招いてしまうわけである。メーソンで有名なピラミッドだって頭でっかちになれば、ダルマ落としのように潰れてしまうわけである。 要するに一部を依怙贔屓すると全体のバランスが崩れるのである。 つまり全ての構造物には均衡点が必要なんである。宇宙の均衡点をつくっているのが宇宙の中心のカルマの法則である。それは人間が日常で振る舞う笑いと涙からわかることである。 というわけで、シュタイナーの笑いと涙の話の紹介を続ける。 ★ ★ ★ 人智学にとっては、古代の宗教的な文献は不可欠ではない。大災害などによって、これら全ての記録が紛失しても、人智学の探求から、全ての記録の根本に横たわるアカシャ年代記を自分で発見する方法がわかっている。 しかし、アカシャ年代記から事実を確認した後で、紛れもなく同じ事実を、古代の文献などに描かれた象徴的な絵画や言葉などで描写されているのを発見したとき、その記録に対する理解が大いに深まる。その記録は、後に人智学の探求者により発見されることを想定した預言者に端を発しているようにみえる。 つまり、当時の精神の探求者が、現代の精神の探求者と何千年のときを超えて出会うことになる。 このような人智学の知識から、これらの記録に対する真実の探究の姿勢が獲得できる。人智学から、どのようにして神が人間に生命の息を吹き込んだか、またこの神の御業によって人間が自分のなかに住む自我(神)を将来見つけられるようにしたのか、などがわかるとき、旧約聖書などに記録された出来事が人間の本性についての真実であることを、笑いや涙の理解を基準にして探求できる。 あまり手を拡げないようにして、簡単にもう一点触れておきたい。笑いについて次のような反論があるかもしれない。 「笑いは、アストラル体の膨張といったが、それは間違いで、例えば、くすぐられる、などの外からの行為からも笑いが起こる。その行為に付随して、笑いの精神的な要因が生じるのではないのか? この例と、あなた(シュタイナー)の想像性豊かなアストラル体の膨張との整合性をどう図るのか?」 この反論への応えは次のようなものである。 「くすぐられる場合にもアストラル体の膨張が起こるが、ただし、物質との接触という低レベルで起こる。例えば、自分で足の裏をくすぐっても、予め、その行為がわかっているので、笑うことはない。しかし、他人にくすぐられれば、その行為が未知なため、人体への侵入として捉え、理性では理解できないので、拒絶するはずである。 その侵入から、自我は自分を解放し自由にするために、アストラル体を膨張させ、超越しようとするだろう。くすぐるというような不適切な接触から自我を自由にするために、アストラル体は膨張し笑いを表現する。 だから、笑いは、くすぐられるという攻撃から、自我を基本的なレベルで救出していることになる。 冗談や滑稽な事象に対する笑いも同じである。冗談を聞いて笑うのは、笑うことで不適切な接触から解放し、自我に自由をもたらすからである。コツコツと地道に暮らす生活では、冗談は天と地のように離れたもの同士を結びつける。もし、天と地のように異なる関係を論理的に把握できたなら、滑稽ではなくなってしまう。 冗談は論理的には理解できないもので、精神の単なる混乱状態ではなく、遊びの類で、自由に関係を打ち立てるものである。冗談を言うことで、即座に、その遊びの主導権を握ることが実感でき、自我を自由にし、その冗談の的となっている対象から超越できる。 この解放、すなわち外界の対象から自我を超越させることは、笑いでは常に発見できることである。 しかし、笑いで生じる外界に対する自我の超越が、外界との関係を正しくする場合もあれば、間違う場合もある。いずれにしろ、人間は笑いを通して自我を解放しようとする。だから、また自我の超越が間違いである場合、笑いは、対象を理解したくないか、理解できないために生じる。 そのとき、笑いは、対象から生じるのではなく、自我の理解の限界から生じていることになる。このような笑いは、理解が未発達な人間が、未知の存在を理解できないために生じる。 例えば、もし、自我の理解が未発達な故に、他人のなかに、自分と似た見慣れた通俗的な性質を見つけられないとき、恐らく、その他人を理解しようと思わないので、笑うことで、自我を自由に解放し、それが容易に習慣となってしまう。 このような人々にとっては、実際に、出会う事象全てが笑いや愚痴をこぼす対象となり、自分から歩み寄らずに、とにかく何も理解しないのが当然の習慣となってしまう。そのような人々は絶えずフワフワとアストラル体を膨らませ、笑い続けるのを習慣とする。 このような人々には、日常的な考えから外れたものは理解する努力に価しないという態度が流行りとなってしまう。だから、日頃出会う様々な対象に対して優越感を感じ、見下し蔑んだ薄ら笑いを浮かべるようになる。 (例えば、昔の公家の風習が残る京都人などの下品に対する見下した笑いなど。ジャパニーズスマイルもこの類。) この間違った笑いをする人々からわかるように、笑いが自由の感情をいつも正しく表現しているわけではなく、間違うこともある。しかし、その間違いが笑いの根底にある事実を揺るがすわけではない。 また笑いが、対象を理解しようとしない表現であるという事実を意図的に利用することもできる。例えば、話し手が話す言葉の内容を、聞き手が賛同するかどうかに関わらず、聞き手が理解したくない形で話すことで笑いをとることができる。 つまり、聞き手の魂には見馴れないように、聞き手のレベルに比べて、あまりに低レベルな形で(下品に)話すことで笑いをとれる。実際、笑わせることで、核心に触れずに、話題の周辺の取るに足らない部分を話すことで、聞き手が話題の核心から逸れるのを手助けすることになる。 このようにいつも笑いをとることを考えている話し手がいる。彼らの次のような発言が印象的である。 「議論に勝つには、笑いをとり、笑った人たちを味方につける必要がある。というのも、笑った人たちを味方にすれば、議論に勝つのが容易になるからだ!」 実は、このような話し手の内面は、不誠実さからなっている。というのも、笑いをとろうとする人は、話の内容を理解させることよりも、話の内容に触れずに聞き手の自我を満足させるのを意図して話すからで、詐欺師だからである。 つまり、なんらかの問題を提示するに際し、その問題の核心に触れずに、その周辺の取るに足らない低レベルな話に引き下げ、聞き手が理解したがらずに、笑いをとる形で問題を提示するなら、聞き手が問題の核心に触れることなく、聞き手の虚栄心を満足させることに成功する。 だから、このような笑いをとるのに夢中な話し手は、不誠実で嘘つきで、詐欺師の可能性が高い。 笑いと同様に、涙に結びついた慰めや癒しの感情を誘発することで、涙を流した人を味方につけることもできる。例えば、想像のなかで生じる喪失感を利用する場合などである。 大切な経験や思い出から喪失感が生じるとき(あの時は良かったという思い出など)、それらをもはや取り戻せないのを知りつつも、その渇望に耽ることがあるが、このとき、アストラル体を収縮させることで、自我を強めるのを感じる。この種の感情への依存は実際には利己主義を促進させる。 この種の感情への依存は酷く乱用される可能性がある。というのも、笑いや涙に伴う苦しみや悲しみ、嘲笑や蔑みなどの全てが自我の解放や強化に関係するからである。だから、このような感情への依存が生じると、利己主義の促進が目的となり、利己主義を促進することで、人と人との結びつきが破壊されがちになる。 (感情への依存はよくないが、無感情はもっと悪い。) 別の連続講義の中で、自我が感覚魂、悟性魂、そして意識魂に働きかけるだけでなく、その働きを通して自我を益々強化し、成就(霊我の獲得)に近づくことを見てきた。このことから、笑いや涙が自我の教育と力を強化する手段であることが容易にわかる。 だから、笑いや涙などの魂の表現力を刺激する演劇などの創作が人間を進化させる教育の1つであることは確かである。 実際に悲劇的なドラマなどに共感すると、アストラル体を収縮させ、自我を強化するために、魂のなかにある愛の経験を高めるような影響が及ぼされる。また喜劇をみて笑うと、アストラル体を膨張させ、喜劇のなかの愚行や滑稽さから自我を自由に超越(避難)させる。 以上から、演劇などの芸術作品を通して、人間の魂の体験として与えられる悲劇や喜劇が人間の進化に結びついていることがわかる。 人間の本性を笑いや涙のような喜怒哀楽の細部にまで観察できれば、毎日の経験が、(神の意識を基にした)自我の振る舞いから生まれる、という偉大な事実の理解へと導くことがわかる。例えば、芸術的な作品は、人生とは笑いと涙の間を行き来するシーソー(振り子)のゲームのようなものであることを教えてくれる。 自我はこのような喜怒哀楽の中でのみ進化できる。もしこのシーソー(振り子)が完全に止まってしまったら、自我は自分を強化できずに、魂も発達できず、感情を失い、魂は死んでしまうだろう。人間が進化する上で、自我が笑いを通して自由になり、また涙を通して自らの愛を追求できるのは正しいことで、救いなのである。 確かに、笑いと涙という2つの極の間にバランスを見つけないといけない。それは自我がこのバランスの上でのみ安定を得るからで、狂喜と絶望の間を行き来しているなかでは不安定だからである(情緒不安定)。 つまり自我は、一方の極と同じく他方の極へも振れる可能性をもちながら、その均衡点でのみ安定をみつける。 (シュタイナーは自我が安定する均衡点をキリスト原理と呼んでいる。つまり自我がカルマの法則と一致する宇宙の中心点である。) ★ ★ ★ 偶像崇拝は人間から喜怒哀楽を奪い、畏れしかあたえない。畏れとは人を奴隷化し、感情を無くさせ、魂を殺すものである。偶像崇拝は人間を神から切り離させる行為なんである。内なる神(良心)を殺してはいけない。 人間の内の中心点に神がいるのだから!
2014年10月30日
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嘆かわしいことに巷には様々な宗教が蔓延っているのに、そのどれもこれもが悪魔崇拝の金儲け教であり、無神論者が多いことである。どれもこれもニセモノで、ニセモノが多すぎるということである。 人間は神の子であるとキリストは2千年前にいった。その意味は、人間には自我があり、その自我にはカルマの法則という神の意識が宿っているということである。 だから、人間には良心というものがある。自分の行為がどこからみても公平で公正でカルマの法則を体現していれば、その良心に採用されるので気持ちがいい。正々堂々と行うことができる。 そうやって、人生から経験を経て学び、自分の自我をカルマの法則を体現する霊我に近付けていくわけである。このカルマの法則こそ永遠の生命なんである。つまり、カルマの法則を体現すれば人間は永遠に生きられるはずなんである。 しかし、この永遠の生命をつくるのは非常に難儀なんである。というのも、一からつくるのは難儀で、他から奪うことは容易だからである。一からつくるには様々な経験を必要とするわけで、血反吐を吐くような体験や地獄の苦しみも経験しないといけない。そのために神は悪魔をつくったわけである。 悪魔はなんでも楽に手に入れようとするので、カルマの法則から、かえって苦しみ失ってしまうわけである。楽あれば苦ありというわけである。 楽して生きようとすれば、死後にカルマの法則である神様が現れて、「多くの人々が苦しんでいるときに、見て見ぬふりをして、お前だけは楽をしたね。だから今度は見て見ぬふりをしないように多くの人々の苦しみを知るためにちゃんと苦しまないといけないよ!」と苦痛の人生を背負わせるわけなんである。 そういう良心という裁判官を人間の誰もが精神の中心に抱えている。お馬鹿さんは死んで裸になってみないとわからない。他から奪った物質を全て失ってみないとわからないほど馬鹿だからで、だから、馬鹿は死ななきゃわからないわけだ。 物質に安楽を求めてもカルマの法則により失うだけなんである。だから金儲けで楽してもそれは束の間の出来事で、自分の魂を物質で拘束し後で失い苦しむだけである。それよりも、身近な人に愛情を注ぐほうが遥かに賢明で、永遠の生命を手に入れる能力を身に着ける。 本当に現代人は馬鹿になってしまった。宗教家を名乗る奴は多いが馬鹿ばかりである。いますぐ宗教で飯を食うのをやめなんらかの仕事につくほうが賢明である。というのも悪魔崇拝教ばかりだからである。自分の良心に厳格に従うべきである。 そういうお馬鹿さんにならないために、反面教師とするために、お馴染みの播州武侯祠遍照院さまのサイトから悪魔崇拝の話を紹介する。ピラミッドはこの世のものでなく、あの世のもので、この世のピラミッドは壊すべきだろう。 中世時代の悪魔ピラミッド構造は各個人の自我に委ねられ、破壊されることになるだろう。 大体、同じ人間同士で上下関係をつくるほど愚かなことはない。 圧政脅迫体制下の平和など地獄のもので、自由体制下の平和こそ本当の平和である。核抑止力など必要としない平和をつくらないと意味がなかろう。人間は動物ではないのである。将来の自由な人間社会の在り方を考えていくべきである。 この国の獣ような醜悪な姿の地獄行きの馬鹿政治家らをみているとこの国が地獄の真っ只中にいるようにみえる。真事に見苦しいもんである。だから生まれてきた子には大人がモンスターにみえ、モンスターばかりの国になるのである。 ★ ★ ★ 播州武侯祠遍照院 http://tyuubukou.blog.shinobi.jp/ RAPT より http://rapt.sub.jp/?page_id=1815上記文抜粋・・・・・・・ カトリックがその典型です。カトリックがローマ帝国で大きく普及したとき、悪魔崇拝者たちは次々とカトリックの中に入り込み、敬虔なクリスチャンの振りを装いながら指導者となり、キリスト教の教理を内部から破壊していきました。 こうして「バチカン」なる悪魔教団を設立し、相変わらず敬虔なクリスチャンを装いつつ、今でも全世界のキリスト教徒たちを治めているわけです。 自分たちだけ楽をして贅沢に暮らすために、民衆にはひたすら貧しい暮らしをさせ、国が傾いているからもっと働かなければならないと嘘をつき、奴隷のように働かせ、次々とぼったくるという体制を作り上げていったわけですね。 それと全く同じことが古代の日本でも行われていたわけです。悪魔崇拝者のやり口はいつの時代も同じなのです。 しかし、やがて戦国時代が始まり、戦国武将が天皇よりも強い権力を持つようになりました。江戸時代になってからは、もはや天皇の権力などなきに等しいものとなってしまった。彼らのプライドはこれにてズタズタとなってしまいました。 そこで、彼らは南朝系の皇族たちの集まりである「田布施町」人脈を掻き集め、日本にクーデターを起こし、天皇の権力を再び復権させようと画策しました。これがいわゆる「田布施システム」と呼ばれるものの始まりです。 しかし、この計画を実行するためには、金も人脈も必要。とのことで、海外からやってきた金融ユダヤたちと合流し、人脈と資金とを提供してもらった。つまりは、「田布施人脈」もまた確信犯かも知れないというわけです。彼らは単に金融ユダヤに唆されたわけではないのかも知れません。 実際、坂本龍馬なる日本人もフリーメーソンだったわけですから、「田布施」人脈の多くもまたフリーメーソンだった、という可能性は捨てきれません。 あるいは、「大室寅之祐」こそ最上級のフリーメーソンだったとか。だからこそ、彼が「天皇」として立てられたのではないか。でなければ、他の人たちだって、彼を一番の権力者に仕立てることを納得できなかったのではないかという気がします。 これについては、昨日と一昨日の記事を読んでいただけば、さらに詳しくこの時代の背景をご理解いただけると思います。 ○日本が朝鮮人に支配されているという証拠。「田布施システム」こそが朝鮮人と金融ユダヤによる日本支配の始まり。 ○天皇がどこからどう見ても悪魔崇拝者であるという証拠。 こうして天皇の権力はものの見事に復活し、天皇の鶴の一声によってすべての国民が動かせるようになった。これによって、悪魔崇拝者の権力がこの日本の中で復活したわけです。 しかし日本国民は、まさかそんな陰謀が密かに行われているとは思わない。むしろ、西洋の珍しい文化やモノがどんどん入ってくるし、生活も豊かになっていくしで、自分たちがまさか悪魔の奴隷になっているとは思いもしない。 その後、日清戦争、日露戦争、第二次大戦と、天皇のせいで多くの日本人が殺されたにもかかわらず、日本人は相変わらず天皇を神として崇めつづけました。本当にお人好しです。 もっとも、第二次大戦後は天皇みずから「人間宣言」をし、その権力はやや地に落ちた感がありますが、実際のところ、私はこれを天皇の権力が落ちたわけではなく、天皇の権力がむしろ上がったのではないかと見ています。 日本国民の皆さんはほとんど誰も知らないでしょうが、実のところ、天皇はこの日本の中で一番の大金持ちです。そのため「天皇」は日本を治める(振りをする)という面倒なことをやめて、単に上から民衆を見下ろして贅沢三昧をする、という地位に徹することにしたのではないかという気がするのです。 戦前の日本には「三井」「三菱」「住友」「安田」の4大財閥があり、彼らを中心に日本経済が発展していったわけですが、実は天皇はこの4大財閥の10倍もの財産を持っていたと言われています。 これを一般に「天皇財閥」といい、天皇家がその「財閥家族」にあたります。この天皇家の配下には職員6000名をかかえた宮内省があり、彼らは今でもみんな天皇に従順に仕えています。 また、天皇家がかつて保有していた株式は「日本銀行」「横浜正金銀行」「朝鮮銀行」「台湾銀行」「南満州鉄道」「日本郵船」「東京電燈」「帝国ホテル」などがあり、さらに国から与えられる収入を「株式」や「国債」に投資することで資産を増やしました。 台湾、朝鮮、満州などで植民地化をすすめていったのも、実は天皇が海外事業を展開するため。大東亜戦争なるものを仕掛けたのも天皇の儲けのためでした。 こうして、彼らは日本最大の金融王となり、大地主となりました。この構図はまさしく金融ユダヤそのものです。まさにロスチャイルド、ロックフェラーに匹敵します。何せ、国民にばれないように人知れず戦争で大儲けしていたわけですから。 江戸時代には、天皇家の財産と言っても大したことはなく、公家の取り分を入れても10万石ほどと言われています。なのに、明治以降には日本最大の資産家になりました。これだけ見てみても、明治天皇のすり替え説にはかなりの信憑性があります。 一応、第二次大戦の敗戦によって天皇の資産はほとんど没収されたことになっていますが、それはあくまで表向きの話。実際のところ、日銀には天皇の地下金庫があり、その金庫から多くの金塊や貴金属が密かに日本郵船によって運び出され、アルゼンチンの銀行、スイス銀行などへ移されたとの噂があります。 確かにそうでもなければ、政財界の大物たちが次々と天皇家や宮家と政略結婚したり、世界の大物たちがわざわざ日本にまで天皇詣でに来たりはしないでしょうね。詳しくは以下のリンクをご覧ください。 ○天皇家という闇。日本赤十字社という闇。田布施システムという闇。悪魔崇拝者という闇。 このように天皇についてあれこれと調べてみた結果、私はふとあることに気付いたのです。 もしや天皇家はロックフェラーやロスチャイルドとほぼ同等の存在、あるいは彼らよりもさらに上の存在なのではないかと。実は、天皇こそがこの世を裏で操っている最大の黒幕なのではないかと。 実際、天皇は英訳するとエンペラー。エンペラーとはつまり「皇帝」ですね。で、世界一般の認識としては「皇帝」は誰よりも高い位にあります。 皇帝(emperor)≧法王(Pope)>王様(king)> 大統領(president)>首相(premier) かの悪魔崇拝者エリザベス女王より、ローマ法王より天皇の方が上だということです。果たしてこれは形式の上での最上級なのでしょうか。それとも、悪魔崇拝者の世界の中では、実質的に天皇こそが最上級なのでしょうか。 もしかして、私たちはこの最も肝心なところに気付かなかったのではないか。だから、いくら「陰謀論」についてあれこれ調べてみても、いつも最後の肝心なところで何かしら納得のできない「しこり」のようなものが残っていたのではないか……。 これから本当の覚醒が始まります。・・・・・・・・・・・抜粋終わり 上記文の「悪魔教」ってところは、載せませんでした。かの文章通りとすると、私も悪魔教徒でしょうかね。あと私とは「悪魔教」の解釈も違うし。 そうそう「天皇財閥」って本があります。 こちらも参考に http://matome.naver.jp/odai/2140436353168944501 今上さんは、天皇史上最高度の賢人と思いますが、そもそも明治帝国=田布施朝廷の前提が、あまりに悪すぎる。腐った肉では料理できない。腐った木では彫刻できない。 「落日の名君」って今上さんは言われるでしょう・・・。 易にいう「君子は、始めのあやまりから、終わりが悪いのを理解する」 ★ ★ ★ 悪い親から生まれても子が良ければ良いのである。悪魔崇拝に気づいてやめればいい。気づいていながら隠したり、誤魔化すことが悪なんである。気づくこと改めることが重要である。貯めこんだカネを貧困をなくすために使ったらいい。
2014年10月29日
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この国では喜怒哀楽を表情に出さないことが美徳という勘違いが蔓延っている。確かに他人にも強制するような喜怒哀楽で他者を巻き込んで迷惑をかけるのはよくないが、自我の自由な表現からすれば喜怒哀楽をわざわざ押し殺すのは間違いであろう。 海外では日本人は無感情のように思われている。 恐らく日本人が無表情に徹するのは心の内や手の内を読み取られたくないためで、それだけこの国では内乱が多かったせいと考えられる。あるいは律令カースト制度での奴隷化政策が巧くいったせいなのかも。また、喜怒哀楽は自我の表現でもあるから、日本人の自我が無個性なためとも考えられる。 つまり、日本人の自我にはまだまだ古代の集合自我の名残りが残っているようである。偽ユダヤ悪魔などは日本人を家畜とでも思っているのか、エコノミックアニマルなどとかつて呼んでいたし、原爆を落としてもいまだに謝罪すらなく、原発推進だから正真正銘の悪魔である。 日本人はほとんどが大陸からの渡来者で構成されるのにも関わらず、外国をどこか畏れているところがある。そのくせ、一部の利権者のいいなりで、日本人全体でまとまろうとはしない。どこか歪な感性をもつため、建前と本音という文化をもつといって誤魔化している。 しかし、この世に生まれてきて、ほとんどがサラリーマンだが、ただ奴隷のように働かされて死んでいくことに意味があるのだろうか? 人間ではなく社畜として死んでいくことに反省はないのだろうか? 進む方向が明らかに間違っているのに、一部の利権者のために、地球全体を破壊し、人類を滅ぼすという方向にこのまま進んでよいのだろうか? 必要以上にカネを稼いでも最後は全て失って裸で死んでいくのである。カネに安楽を求めても死ぬだけなのだ! カネを求めれば求めるほど、この世に残りたいという執着を生むだけで、不自由になるだけである。自由に安楽を求めなければ意味がない。不自由な物質世界に安住を求めても、砂上の楼閣で、この世を地獄化するだけである。 というわけで、シュタイナーの笑いと涙の話の紹介を続ける。 ★ ★ ★ 自我は生まれたての乳児のなかでも活動的だが、この活動が魂や肉体を変化させ始めるのにはいくらか時間がかかる。だから誕生後まもなくは親から遺伝された特徴のみを示す。 その間に、自我は、前世から携えてきた霊的な性質を、魂や肉体に次第に刻印できるようになり、曖昧で不確かな表情が次第に明確なものに変化していく一方で、日毎に、年毎に肉体が成長するのを待ちながら、前世からの霊的な性質を時期が到来するまで深く隠したまま保管する。 自我に属する個人的な性格を肉体に浸透させるまでは、外界との関係を笑いや涙を通して表現できない。というのも、笑いや涙を表現するには、外界との調和関係をもとうとする自我が必須となるからである。 自我のみが笑いと涙の中に自分を表現できる。だから、笑いと涙の考察は、人間の精神の最奥の中心(神)を扱うことになる。 人間と、動物との違いを否定する人たちは、笑いと涙に似た表現を動物にも見つけようとするだろう。しかし、笑いと涙を正しく理解する人は、「動物はせいぜい吠える程度で、涙を流すことはなく、歯を見せることはあっても、微笑むことはない」、と述べたドイツの詩人に同意するだろう。 (いまだにげっ歯類の鼠の実験データを人間にあてはめようとするのも滑稽である。人間と鼠の違いを考察するのが先であろう。人間を鼠のように考えるのは、人間を鼠化することになる。厳密にいえば人権侵害である。) 笑いと涙には深い真実があり、人智学では、「動物は、人間がもつ個人的な自我へと、個体を上昇させることはない」、という言葉で表現している。 動物も、人間の自我が属する(カルマの)法則に似たような法則によって支配されているが、その法則はあくまで、あの世(霊界)にあり、動物には、その生涯を通して、あの世から支配される。人間と動物との、この本質的な差異については既に触れた。 つまり、人間がこの世で知ることになるのは、動物が属する種という集合体、つまり動物の群れの性質である。例えば、ライオンの親と仔には、人間の親と子とにみられるような大きな差異はない。動物の主な特徴とは、群れや種の特徴である。 人間は、各個人が個性からなる、いわゆる自分史といわれる経験を持ち、この経験が他の人々の関心となるが、動物ではそれが種の歴史となる。犬や猫の飼い主の中には確かに、ペットの伝記を書けると豪語する人もいるだろう。 また、例えば、私(シュタイナー)はかつて生徒たちに一本のペンの伝記を定期的に書かせていた校長を知っているが、個性的な伝記が書けるからといって、動物やモノにも個性的な自我があるとはいえない。問題は、人間の自我である個性が、どんな存在や事柄の本質にも浸透でき、理解できる、ということにある。 人間にとっては個人の伝記が重要だが、動物にとってはそうではない。何故なら、人間の本質である自我は、生から生へと転生を通じて生き続け、個人として発展し進化するが、動物で生き続け、進化するのは種という集合体だからである。 人智学では、動物の種の情報を継続的に伝達する媒体のことを動物の集合魂、もしくは集合自我と呼び、あの世の存在とみなしている。人智学では、霊視により、動物は、その自我を、あの世(霊界)にもっていることがわかっている。 動物の自我を否定するわけではなく、この世の外から方向づける動物の集合自我を知っているのである。 対照的に、人間は、精神の最奥にある自我から、周囲の存在たちへと浸透し、個人的な関係を築く形で、精神の内側から方向づけする個人の経験を語ることができる。 動物が、あの世の集合自我の指導を通して確立する関係は種全体の性格をもつ。動物が好んだり、嫌ったり、恐れたりするものは、その動物種に特有のもので、人間に飼い馴らされた家畜なども、わずかに修正されているに過ぎない。 しかし、人間が周囲の環境との関係から、愛や憎しみ、恐れ、共感もしくは反感として感じるものは、個人的な自我の経験からきている。だから、人間が環境からくる特殊な関係から自分を解放するために笑い、もしくは逆に、環境のなかに失った関係を、自我のなかに求め慰めるのに涙を流すのは、人間しかできずに、人間がこの世に自我をもつからこそである。 (人間の自我のみが自由を与えられている。動物は集合自我と呼ばれる司令塔に拘束され、不自由である。動物は特殊能力、例えば、馬は速く走れるという能力をもつが、走る以外の選択肢は限られている。) 人間の自我が、乳幼児期、いわゆる動物と同じ段階を越え、自らがもつ前世から携えてきた性質を明らかにすればするほど、それを笑いや涙などの喜怒哀楽の中に示すようになる。 (経験が多いほど、よく笑い、よく泣くといえる。喜怒哀楽をより表すようになる。) もし生命の真実を獲得したいのなら、人体と動物との骨や筋肉他の器官との類似性を根拠にする粗雑な物質的事実を重要視すべきではない。人間が地上の存在の中で最高位を占める証として、人間のもつ本質的な特徴が隠されている内面のなかに追求すべきである。 人間と動物の違いを明らかにする上で、笑いや涙のような重要な事実を理解できなければ、人間を精神から理解するのに最重要な課題となる高次の世界へと上昇できずに、そのような人は救い難い存在となる。 (高次の世界にはアカシャ年代記という宇宙総ての記録書があるという。その記録書にアクセスできない。神という真実を知ろうとしない人は堕落し、人間でなくなるから、救いがたい。) 今、人智学の叡智のもとに考察している事実は、科学的なある発見を照らし出すこともできるが、但し、それは、いま考えているその事実を人智学的な観点からわかる大いなる宇宙の全体性の中に置き換えて考察したときに限る。例えば、笑っている人や泣いている人を細かく観察するなら、その人の呼吸に変化が生じているのに気づくはずである。 悲しみが涙となるまで深まり、アストラル体の収縮を導くとき、同時に肉体も収縮するが、吸気が次第に短くなると同時に呼気が次第に長くなっていく。 笑いでは、これと反対のことが起こる。つまり、吸気が長く、呼気が短くなる。笑っている人のアストラル体が緩み膨張し、同時に肉体の柔軟部を緩ませると、その中の空気がポンプで排出され、空になった空間の中に直ちに外気が流れ込むのによく似たようになる。 笑いでは、外界からの解放が生じるが、そのとき長く息を吸い込む。泣くときには正反対のことが起こる。アストラル体を押し縮めると共に肉体を押し縮め、その収縮が一回の呼気を長く続くようにさせる。 これもまた自我により魂の経験が物質と関係づけられ、肉体にまでもたらされる一例である。 以上の生理学的な事実を取り上げるなら、太古の人類の宗教的な文献の中に象徴的に記録されている出来事に素晴らしい形で光を当てることになる。それはヤハウエもしくはエホバが生命の息を人間に吹き込むことで、人間に生命の魂を授け、地上の最高位に引け上げたのを告白する旧約聖書の一節を彷彿とさせる。 それは人間の意識に自我の誕生が刻印された瞬間でもある。 このように、旧約聖書では、呼吸は、真の自我の表現として示され、人間の魂(意識)のなかの性質(経験)に、関係をもたらすものとされている。笑いと涙が自我特有の表現であることを知れば、呼吸と魂の性質(経験)との密接な関係も同時に理解できる。 (自我が呼吸により魂の経験を、図書館の本のように取り出している。) 謙遜の気持ちをもって、このような深い真実の理解が人類に浸透すれば、太古の宗教的な文献を、このような知識の光の下で眺められるようになる。 ★ ★ ★ 日本人はどこか無表情といわれるのは古代アトランティス時代の名残りとも思われる。だから、自分が喜怒哀楽を表すよりも仏像や神社をつくって代わりに偶像崇拝して喜怒哀楽を封印してしまうのだろう。これは古来の集合魂への畏敬であり、悪魔崇拝につながるので、早くやめるべきである。 日本人の魂はいま変わるべきときにきている。脱皮のときである。
2014年10月27日
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お笑いブームといわれる位、いまこの国は笑いに飢えている。というのも日々の生活、つまり現実が苦悩だらけなんで、非現実世界に逃避したいせいであろう。 しかし、苦悩に囚われるのは人間に欲があり、執着心があるから、といったのは御釈迦さんである。つまり欲も執着もなければ苦悩もないはずである。 一般的に老や死は苦悩であるが、それはいつまでも若くありたいし、生き続けたいという欲や執着があるからにすぎない、と看破したわけである。 では、若いとか生き続けるというのはどういうことなのか? 若いとは柔軟であり、よく変化できるということで、生き続けるとは、変化のなかで変わらない不変なものをみつけだすことである。環境によく適応できる、ということになる。 流石に人間の肉体は物質でできているから、歳とともに変化できなくなり、環境にも適応できなくなるが、代わりに知恵と呼ばれる経験量からくる問題解決のノウハウは増えてくる。 つまり単純にいえば、物質の衰退とともに精神が充実してくるはずである。物質的不自由を精神の自由で解決できるように経験から学ぶはずである。つまり、経験から学べば、歳と共に肉体的に生きられなくなるが、精神的に生きるようになってくる。 問題は肉体と精神のつながり(絆)は現実として現れる外見ではわからないということにある。人は見かけによらないということである。肉体は子供でも精神は大人という人や、逆に肉体は大人でも精神は子供という人がいる。政治家などはほとんどが後者である。 つまり現実だけでは人はわからない。振る舞いから多少はわかるが、本心を聞くことはできない。肉体は現実世界を生きているようでも、精神は非現実世界に生きている。例えば、睡眠中は現実世界を逃避している。 つまり、生きるとは、非現実世界から、現実世界を選択していることなんである。 笑いは現実世界がいかに愚かであるかを思い知らせてくれる。 笑いにより、確かに一時的に現実逃避できるが、この世で生きる以上は現実に戻ってこなければならない。 つまり笑いだけでは片手落ちなんである。笑いは非現実世界に飛躍させてくれるが、その反対の涙は、現実世界に戻してくれる。笑いに続いて、シュタイナーの涙の話を紹介する。 ではシュタイナーの笑いと涙の話の紹介を続ける。 ★ ★ ★ 笑いと涙 その3 ところが、対象との関係を拒む「笑い」とは逆に、魂がもっていた対象との関係を、自我が失う場合がある。 この場合を考察するために、例えば、日常生活での親密な関係だけでなく、長い間、愛してきた恋人と別れる場合を仮定する。 恋人の喪失と共に、恋人との経験が魂から奪われる。つまり、恋人との絆が断ち切られ、恋人との関係により長い間に培われてきた魂の経験のために、この絆が断ち切られたことで苦しむ。 自我から何かが奪われ、その影響が、アストラル体に移行する。この場合、アストラル体は、その喪失の為に収縮する。或いは、もっと正確にいえば、自我がアストラル体を圧縮する。 この自我の喪失感は、超感覚的観察(霊視)では、アストラル体に苦しみや悲しみを与える。アストラル体の膨張が緊張を解き、肉体に「笑い」や「微笑」をもたらすように、その逆のアストラル体の収縮は、肉体の中に深く浸透し、肉体を圧縮する。この収縮の肉体表現が、「涙を流す」ことなのである。 アストラル体の膨張→肉体の笑い アストラル体の収縮→肉体の涙 自我の喪失感が、アストラル体に残されたため、空隙(喪失)を収縮することで埋め合わせようとするが、その際にアストラル体は周囲にある物質を利用するため、肉(物質)体を収縮させるので、収縮した物質を涙の形で絞り出す。 では、涙とは何なのか? 自我は悲しみと喪失の中で貧弱になり、自らを通常よりも弱く感じるために、その弱さは、周囲の対象を愛した経験と関係するので、愛した経験を再び呼び起こし、蘇らせようとする。 人は、愛を与えるだけでなく、愛することで愛の経験を蓄積し、魂を豊かにする。 恋人との経験を奪われ、アストラル体が収縮するのは、自我の喪失感を埋め合わせるために、アストラル体が収縮し、自我がもっていた愛の経験を拡大させ、蘇らせるためである。自我が貧弱になったと感じるために、アストラル体は収縮することで、相対的に再び自我を強化しようする。 (「心の貧しい人は幸いなり、天はその人のためにある。」とキリストが教えたのは、「自我の貧しい人は幸いなり、愛はその人のためにある」という意味にも置き換えられる。シュタイナーは、この教えの意味を、「乞食のように霊を求める人々、霊を求めてやまない人々は、自分の中に天の国を見出す。」と解釈しているようである。 「霊」を「愛する」に置き換えれば、「愛する」のを求めてやまない人々は、自分のなかに「愛する国=神」をみつけるともなる。) だから、涙は単に流れ出るだけでなく、打撃を受けた自我に対する一種の慰め(補償)となる。自我は、喪失を被る前は、外界の対象を愛することで魂が豊かになったと感じていたが、喪失を被った後は涙を流すことで愛した経験から魂がより豊かになるのを感じる。 自我の衰弱に苦しむなら、涙を流すような愛の行為へと自分を誘導し、その衰弱を補完すべきである。涙は自我に無意識的な愛の感情を与えるが、この感情により一定のバランスが取り戻される。 (だからあまり愛したことのない人は自我が弱くなっても回復できない。) 人間は誰でも、悲しみや苦しみのなかにあるときには、涙に一種の補償や慰めの効果があることを知っている。だから泣くことができない人々にとっては、悲しみと苦しみが遥かに耐え難いものとなる。 もし自我が外界と満足のいく関係をつくれない場合には、「笑い」を通じて、自我を自由へと引き上げ、もしくは、外界との満足な関係を剥奪された場合には、再び愛の力を獲得するために、自我がもつ愛の力で自分を癒すために愛の経験の中に沈み込み「涙」を流す。 笑うことと泣くことで自分を表現するのは自我、すなわち人間の中心点であることを見てきた。このことからわかるように、ある意味、自我が笑いと涙に必要な前提条件であることが理解できる。 実際に、新生児をみれば、生まれてからの何日間かは心から笑うことも泣くこともできないことがわかる。本当に心から笑ったり泣いたりするのは36日、もしくは40日程度経ってからである。それは、前世の経験をもつ自我が、新生児の中に生きているにしても、外界との関係をすぐには持とうとはしない理由による。 人間は、物質と精神という2つの面からつくられ、この世に生まれる。父、母、祖父の家系から遺伝により獲得される肉体の物質的な性質や能力を引き継ぐ。遺伝的に獲得された物質的な形質全ては、その肉体に受肉する魂の精神的な個性を担い、転生を重ねる自我の精神的な影響を受ける。 この世に生まれるために自我が魂と共に肉体の中に入っていくとき、最初は肉体の物質的な性質に馴染まないために、不確かで曖昧な表情しか現われない、肉体の成長と共に後になって現れてくる才能や能力、特殊な性格などはもっと不確かで曖昧である。 しかし、やがて自我が前世から携えてきた力で、幼児期の人体に働きかけ、遺伝された物質的要素を作り替える様子がやがて観察できるようになる。遺伝された性質は、このように受肉から別の受肉へと移っていく霊的な性質と混ぜ合わされる。 ★ ★ ★ 現実世界に行き詰ったら非現実世界に旅立とう! 笑いと涙が解決してくれる。喜怒哀楽を表に出さないのは悪魔崇拝といえる。
2014年10月27日
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以前、笑いが知性を必要とすることを紹介した。シュタイナーによると、「笑い」とは、調和的な正しい関係をつくるのが困難なものと遭遇するときに、そのものとの交際を避け、自由になるときに生じるものだという。 つまり、簡単にいえば現実逃避である。理解し得ないものに遭遇すると人間は笑ってその場を誤魔化し取り繕うしかない。日本人は特に、場の雰囲気がよくない、空気が重いときなどに、笑いを持ち出す。この笑いはジャパニーズスマイルとして習慣化されている。 では、シュタイナーの笑いの話の紹介を続ける。 ★ ★ ★ 笑いと涙 その2 自我は、環境との間に調和、もしくはある一定の関係を求めることから、何らかの結果がもたらされる。自我と外界の対象との間に高度な調和を保てた場合、正しい関係が打ち立てられたと感じる。 たとえ、その対象に恐れを抱く理由があっても、自我が、その対象と調和的関係にあれば、正しい関係(後に明らかになるが)にあると感じる。自我が外界の何かを理解しようとして、最終的に成功するなら、その対象と特に正しい調和の中にあると感じる。 そのとき、自我は、あたかも自分が抜け出して、その対象の中に浸っているかのような、その対象との一体性を感じ、その対象と正しい関係ができたと感じる。 言い換えれば、自我は、対象を含む他の存在との愛情に満ちた関係の中に生き、周囲との調和の中で、幸せや満足を感じる。このような満足の感情は、次いでアストラル体、そしてエーテル体に移行する。 しかしながら、自我が、この調和の確立に失敗し、「健常」とでも呼べる状態に達しないと、自分が困難な状況にあることを感じる。 そのとき、自我は、対象を、理解できないでいる。つまり、自我は、その対象と正しい関係をつくろうと努力するが、うまく行かず、それでも、ある程度はっきりとした態度を取らなければならない状態にある。 例えば、自我が、外界のある対象の中に浸透するほどの価値を見いだせず、理解したいとは思わない場合、つまり、その対象の本性に浸透すると、余分な知識などの多くを無駄に消費させるような感じを与える場合を仮定する。 (一見して、理解困難な対象に遭遇する場合) そのような場合、その対象から、自分を自由にするために、その対象に対して一種の障壁を打ち立てる必要性が生じる。その対象への関心を逸らすことで、その対象を意識する一方、自意識を高める。 そうすると、自我には、解放の感情が起こる。 この解放の感情を、超感覚的な観察(霊視)でみると、対象が与える印象などから、自我がアストラル体を撤退させる光景が見える。勿論、その印象は、目を閉じたり耳を塞いだりしない限りは、肉体に刻印される。 アストラル体に比べ、肉体は自我の制御下にあることが少ないために、自我はアストラル体を肉体から撤退させ、外界からくる印象に曝されないようにする。肉体に関わり、そのエネルギーを消耗するアストラル体を撤退させることは、超感覚的観察(霊視)には、アストラル体が膨張するようにみえる。 すなわち、アストラル体は、解放を感じた瞬間に膨張する。 自我は、自分を、外界のある対象よりも上位に引き上げるとき、アストラル体をゴムまり(弾性体)のように膨張させ、緊張を緩める。そうする事で、顔を背けたい対象との関係から、自分を自由にする。 いわば自我は自らの中に引き籠り、外界の全体状況から、自らを超越させる。アストラル体の中で生じたことは肉体で表現されるが、このアストラル体の膨張の肉体での表現が「笑い」や「微笑み」となる。 従って、この「笑い」や「微笑み」は、周囲で生起する事象から、自我自らが超越していることを示すが、そうする理由は、自分の知性を、その対象に用いたくないからで、自我の立場からみるとそれが自由で正しい態度にみえるからである。 なので、自我は、関係をもちたくない(正しい関係を築くのに困難な)対象に出くわすと、アストラル体を膨張させ、「笑い」や「微笑み」を生じさせるわけである。 (笑いは現実逃避を生じさせる。一種の幽体離脱である。) 風刺漫画が、著名人を巨大な頭をもつ小さな体でよく描写するが、この表現は著名人をグロテスクに表現している。この表現に意味を求めるのは無駄である。何故なら、巨大な頭をもつ小さな体に意味などないからである。 (著名人をコミカルに描くことで、著名人を迷惑な存在とし、交際を拒否しているのである。それが笑いとなる。) そのような対象に理性を用いるのは、時間の無駄であることを表現している。 自我にとって「笑い」とは、対象が肉体に与える印象を超えて、自分を上位に引き上げることで、アストラル体を膨張させ、周囲の外界から自由になるという満足感を与えるものである。自我の経験は、はじめにアストラル体に手渡されるが、アストラル体が自我の防波堤となって膨張し、自我を自由にする表現が「笑い」なのである。 (ダビンチのモナリザが笑ってみえるのは、モナリザが理解しがたい存在だからであろう。) ★ ★ ★ この話からわかるのは、ジャパニーズスマイルとは、交際の断念、絶交を意味するものなんである。外国人がジャパニーズスマイルを不気味に思うのは交流を拒否されたことがなんとなく伝わり、外国人の自己主張が拒絶されたのに、日本人が笑っているからである。つまり見下されたと感じるからである。
2014年10月23日
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紛争や戦争をなくすには、資源や資産の所有をなくし、公共の福祉に還元させることが次の人類の課題であることは明白である。つまり、資源や資産の価値を公共の福祉へと変換する流通システムと貨幣金融体制をつくりあげる必要がある。 例えば公共の福祉に使われた時点で貨幣価値などが上がり、その実績に見合う分の資源や資産の流通権が与えられるなどである。 そもそも、資源や資産は限られたものなのに、それらを独占するのは仲間意識に乏しい人類の裏切者で背徳者である。このようなアホバカをなんとか改心させないと、そのアホバカのために多数が迷惑し、かつての古代アトランティス文明のように現代の物質文明が破綻するのは目にみえている。 そのための第一ステップとして、これまでの資源や資産獲得のための紛争や戦争に対する裁きが行われる必要がある。 このような犯罪を偽ユダヤ金融悪魔がどのように犯してきたかがよくわかる話をかいつまんで紹介する。 ★ ★ ★ RAPTさまのブログ エボラ熱騒ぎの最大の目的は、ロスチャイルドが西アフリカにあるダイヤモンド原石を独占すること http://rapt.sub.jp/?p=16492 お馴染みのニュースの真相から エボラ出血熱によるパニック醸成と金融恐慌詐欺 http://d.hatena.ne.jp/rebel00/20141020/1413775929#seeall エボラ出血熱と人類の戦いは、あと60日が勝負だそうです! なんでも、エボラを止められなかったら、世界は未曾有の事態になるんだとか。 エボラ出血熱「あと60日が勝負。負ければ人類が敗北」 国連が悲壮な訴え 国連のエボラ出血熱対策チーフ、アンソニー・バンバリー氏が14日、NYであった国連安全保障理事会に西アフリカからテレビ中継で参加し、「エボラ出血熱を今止められなかったら、世界は完全に未曽有の事態になる」と警告しました。 「レース」の先を行くエボラ エボラとの闘いをレースに例え、「(エボラは)我々より先を行き優勢だ」とし、12月までの60日間が闘いになると語りました。この60日間は、感染者の70%を療養施設に収容し、死亡者の70%を二次感染なく埋葬しなければ、感染拡大は止まらないとしています。 このため西アフリカなどの現場では複雑なオペレーション(対策)が必要とされており、「そのうち一つにでも失敗すれば、我々は敗北する」と強調しました。 死者数4493人に 世界保健機関(WHO)は15日、西アフリカで、疑い例を含む感染者数が8997人、死者数が4493人に達したと発表。医療従事者の感染者数は427人で、236人が死亡したといいます。エボラ出血熱の感染率は下がってきており、一部地域では拡散が抑止できているものの、米では医療関係者で2人目の感染が確認されるなど予断を許さない状態が続いています。 withnews 10月17日(金)12時47分配信 http://www.freezepage.com/1413770960YRDMZYCVEA ▼エボラ「あと60日が勝負。負ければ人類が敗北」 国連が悲壮な訴え http://richardkoshimizu.at.webry.info/201410/article_141.html このところ、日本のマスコミでも、アメリカやスペインにエボラが広がってしまっただとか、感染してしまった元看護士の悲壮感漂う映像が流されたり・・・ 物々しい防護服で、何だかゴチャゴチャやってたりと、エボラ出血熱って、本当に怖い感染症なんでしょうね?w ところが、先日ネット上で、こんな画像が話題に! およよー? 防護服来てない人が居るじゃん(笑) ▼エボラ出血熱の患者搬送中に防護服ナシの「クリップボードマン」が出現 http://gigazine.net/news/20141017-clipboard-man-ebola/ さてさて、このブログをお読みの皆さんなら既にご存知かと思いますが、 エボラ出血熱は、いつものように米国ユダヤ金融勢力のバイオテロです! 目的は、またまたいつものように 「ライバル国を攻撃して、略奪を仕掛ける」とか 「ライバル国の足を引っ張って、ドル体制を防衛する」とか 結局バカのひとつ覚えの訳ですが(笑) 今回の場合だったら、ロシアや中国が地下資源を握っている地域で、エボラ出血熱をばら撒いて、露中の妨害工作を図りながら、上手く行けば、地下資源を奪取ですか? で、世界中のマスコミやらWHOやら、お抱えのパニック醸成部隊を使って、騒ぎを大きくする。 さらに、ロシア、中国、ベネズエラ、マレーシア、ブラジル、インドあたりの反ユダ金国家や、ユダ金と距離を置き始めてる国々にでバラ撒いて、妨害工作やパニック醸成をさらに加速! ▼マレーシア、エボラ出血熱感染の疑いある患者が報告 http://richardkoshimizu.at.webry.info/201410/article_128.html 世界中が「ひゃー、怖い!」「マジでヤバイ!」なーんて、エボラパニックで盛り上がったところに、ドーンッと金融恐慌&デノミor新通貨切り替え? そんな「一文無しになったけど、生きてるだけで幸せ詐欺」をユダ金ちゃん達は目論んでいる訳ですね? で、今回流出してしまった、防護服のクリップボードマンですが、要は、マスコミ部隊がパニック煽り用のニュースを撮影していたのですが・・・ 実際には、ソコに居る医者も患者も役者さんで、いつものように、やらせ映像を撮影していた! もしくは、米軍が開発したエボラ出血熱自体、実際はそんなに感染力がない! この2つのうち、どちらかという事なんでしょうね?w ★ ★ ★ 日本のダマスゴミが騒ぎ出したら、嘘八百の出鱈目ということは確かでしょうね。
2014年10月23日
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巷はカネに目が眩み自ら死ぬために生きる腐った魂の持ち主だらけで嫌気がさすので、一服の清涼剤というか、しばらくぶりにくだけた話題をしてみたい。ドラマはあまりみない方だが、久しぶりに面白いドラマをみたからでもある。 それは「素敵な選TAXI」というドラマである。脚本はバカリズム(敬称略)で、ドラマをあまりみないワラシでも、「世にも奇妙な物語」はよくみるので、「来世不動産」というドラマの脚本から一視聴者として密かに注目していた。 三谷幸喜(敬称略)のドラマを超える面白さを久しぶりに味わった! 一応、ワラシの好きなドラマを挙げると、まず松田優作(敬称略)の「探偵物語」(ドラマの方で映画ではない)がダントツで、ついで「王様のレストラン」で、その次に「トリック」である。「電車男」もなかなか面白かった。最近ではやはり「半沢直樹」で、その前は「結婚できない男」が面白かった。 ここらへんはレジェンドというべきだろう。その時代の、この国の大衆の心を巧く代弁している。 つい最近の「HERO」は北川景子(敬称略)、「リーガルハイ」はガッキー(敬称略)がよかったがドラマという点ではレジェンドには及ばない。いかにも虚構の世界でエンターテイメントが前面にある。広告主に買ってくださいというようなもんである。「ガリレオ」は刑事をただ物理学者に置き換えただけでドラマよりも映画でエンタメの典型。 エンタメのドラマは既に商品として定型化しており、主人公を誰にするかで既に決まってしまい、せいぜい脇役の個性が見どころで、作品としては新しい試みや表現という実験(研究)的価値に乏しい。 ドラマは基本的に喜劇(コメディ)しかみない。いかに現実逃避ができるかで、だからこそ、非現実世界から現実を改めて見直すことができる。つまり、聖書の創世記風にいえば、月~土まで現実の生産活動に勤しみ、日曜日にその現実から解放されて、外側から現実を見直すような感じである。 「笑い」というのは非現実面に出て、現実を見直す機会を与えるもので、救いなんである。つまり現実から抜け出て、非現実から、現実を評価する遊び心なんである。 お笑い芸人の志村けん(敬称略)が「芸人は常識通でないとダメ」というようなことを述べていたそうである。つまり、常識は現実に通じていることだから、現実逃避できるわけである。現実を外から眺めることから遊びが生まれる。 この遊び心は知性をもたない存在にはできない。休日がないからである。他の動物には休日がない。休日を与えても、遊ぶことはない。寝るだけである。 つまり人間以外の他の動物が笑わないのは、非現実の世界に出る能力がないからである。非現実の世界を構築する知性がなく、思考力がないためである。 いま人工知能が話題だが、人工知能が行き詰まるのは目にみえている。というのは、人工知能に休日はなく、だから遊ぶことができず、非現実の世界を自ら作り出すことができないからである。というか人工知能自体が非現実の世界でもある。 人工知能が人間にむかって「人間であることを証明してください」と要求したシーンをある番組でみたが、人工知能の世界からすれば、人間という対象が非現実なんで、人間の世界の物証が、非現実の世界で有効であることをまず人工知能が証明しないと意味がない。 つまり、人間が人間である証拠を提示しても、人工知能はその証拠を認知できるのか? という質問を返されるのがオチである。 しかも人工知能の質問は人間が与えたもので、自らで考えたものでなく、というか、人工知能に知性を与えることで、人間も知性を深めるので、人工知能に知性を与えれば与えるほど人間は賢くなり、しかも人工知能には再生力がないから、人間の知性を上回ることはない。 しかし、人間が知性を学ぶのに人工知能は十分な教育的な意味を与えるだろう。 だから、「素敵な選TAXI」というドラマは人類の最高の遊びという知性を発揮した作品で教育でもある。このようなタイムスリップものは、これまで無数につくられてきた。現実逃避に手っ取り早く、かつ現実回帰に利用しやすい題材だからである。 現実を軌道修正させる役割を果たせるからである。ファンタジーの現実版である。 このような面白いドラマもあれば、ワラシが全く評価しないドラマもあり、それが大河である。出鱈目の日本史を押し付けるので、問題だからである。内容よりも、大河に出ること自体が作品の目的で、視聴者を置き去りにして洗脳する宣伝媒体と化しているからだ! しかも犬HKと巷でいわれている洗脳して監視するマーキングという権力の犬がする電信柱のしょんべんだからでもある。 大河をやるくらいなら、八切止夫氏の作品をやるほうが遥かにマシだ! 織田有楽を主人公にした作品などはドラマにすれば当時の人たちの気持ちがよくわかるように思える。 さて、笑いについてシュタイナーがどう考えていたか、以前紹介したが、再掲する。 ★ ★ ★ 笑いと涙 その1 人智学に関する連続講義の中でも、今回のテーマはあまり重要でないように見えるかもしれないが、神々の高次の世界へと導く考察のなかで、生活の細事や毎日の身近な現実を切り捨てることは大きな間違いとなる。 永遠の生命や魂がもつ最高の性質、或いは宇宙や人間の進化についての大いなる疑問を講義で取り上げると、大抵の人々は満足し、喜んで、これから述べる世俗的で陳腐な事柄を放っておく傾向に甘んじるが、高次の世界に到達するために、これから述べる真実に従うなら、既知の事項を基にして、未知の事項へと一歩一歩前進でき、それが健全な道であることを確信するだろう。 実際、古代の賢者たちが、「笑いと涙」を陳腐なものと見なさず、重要に考えてきたことを示す多くの例を挙げることができる。 いずれにしても、東洋文化にとって非常に重要で偉大なゾロアスターで有名な、「ゾロアスタースマイル(微笑)」を人類に与えた意識、すなわち偉大な伝説と伝統に描かれた人類が到達すべき意識(個人の意識よりも遥かに賢い)、つまり、この偉大なる意識(精神)が「微笑」みながら、物質界にやって来たことは特に意義深い。 世界史の真相を描いた伝説から、この「微笑」により、宇宙の全生物が狂喜する一方で、地上全ての邪悪な精神の持ち主と、ゾロアスターの敵対者たちは、この「微笑」から逃げ出したことがわかる。 このような古代の伝説や伝統から、一人の偉大な天才ゲーテの成果に目を転じれば、ゲーテが多くの感情と考えを注ぎ込んだファウストという人物像が思い浮かぶ。 あらゆる存在に絶望したファウストが今にも(悪霊の罠に嵌り)自殺しようとするとき、イースターの鐘の音が響き、「涙がわき出て、再び地球が我を抱く。」という叫びが聞こえた。ゲーテは、この涙を、ファウストが最も苦しい絶望を経験した後、再び、この世に戻る道を見つけるのを可能にする魂のある状態の象徴(キリストの救済)として描いた。 このように、「絶望の淵で涙に出会う」事を考えてみるだけで、「笑いと涙」が大いなる存在に関係することを理解するだろう。精神(霊)の本性について色々考えてみる方が、周囲の身近な物質界に現れる精神(霊)を追求するより容易だが、その端的な方法は他でもなく人間が「笑いと涙」と呼ぶ、魂の振る舞いの中にある。 (絶望の淵に神「笑いと涙」が現れる。) それらの振る舞いは、人間のなかの内なる神の表現と見なさなければ理解できない。しかし、その振る舞いをするには、人間を、精神(魂)の存在とみなすだけでなく、人間を精神(魂)の存在として理解する必要がある。 これまでの人智学の講義は、人間が霊魂の存在であることの理解のために費やされた。なので、今回は、人智学から見た人間ついて、大まかに見るだけにするが、これは「笑いと涙」の理解を築く上での基礎となる。 人間を、宇宙全体から観察すれば、肉体は鉱物と共有し、エーテル体もしくは生命体は植物と共有し、アストラル体は動物と共有していることがわかる。アストラル体は楽と苦、喜びと悲しみ、恐れと驚きなどの、人間が起きてから寝るまでの間に、魂の中に流れ込み、流れ出る、あらゆる考えや想いを担っている。 肉体、エーテル体、アストラル体は人間の永遠の生命を覆う三つの鞘であり、その中心に、最高の創造である自我が生きている。自我は、魂の中で、その三つの構成体の一部の感覚魂、悟性魂、意識魂に働きかける。人智学徒は、いかに自我が、人間を一歩一歩、神(霊我)の成就へと近づけるために働いているかを理解してきた。 では、人間の魂のなかの自我の活動の基礎とは何なのか? それが自我の活動にどのように作用するのか、幾つかの例を見てみる。 自我、すなわち人間の精神の最深にある中心が、外界で、何らかの対象に出会うことを想定する。自我は、その対象に対し、無関心でいられない。自我は、その出会いが、自分を喜ばすか、或いは不機嫌にするかによって何らかの反応を示し、内(精神)的に何かを体験する。 遭遇する出来事に狂喜するか、もしくは深い悲しみへと落ち込むかも知れない。恐怖で尻込みするか、もしくは愛情をもって接し、抱きしめるかもしれない。自我は遭遇する事象を理解するか、もしくは理解しないという経験をもつようになる。 起きてから寝るまでの間の自我の活動についての観察から、自我が人間を外界との調和へともたらそうとしていることがわかる。もし、外界の何かが、人を喜ばし、温かみを感じさせるなら、その人は、その対象と絆を織りなし、その人のなかの何かがその対象と結びつく。 人類が、地球環境全体に対して行うのは、以上のような精神(魂)の振る舞いである。起きている時間全体を通じ、人間の内にある魂は、自我と、外界との間に調和を創り出そうとする。 外界の対象を通じて、人間へとやって来る経験は魂の中に反映されるが、自我の住居である魂だけでなく、アストラル体、エーテル体、そして肉体にも働きかける。 自我と対象との間で確立された関係が、アストラル体の感情を掻き立て、エーテル体の流れや運動に働きかけるだけでなく、肉体にも影響を及ぼすことについては既に幾つか例を挙げた。 例えば、恐ろしいものが近づいて来るとき、人は青くなる、などである。 これは自我との間に確立された「恐怖を催す」関係が、肉体にも影響し、血流が青くなることを意味する。 また、その逆の影響、つまり「恥ずかしさで顔が赤くなる」についても触れた。周囲の対象と自我との間にできた関係から、その対象から自我がしばらく身を隠したいと感じるとき、血が顔へと上っていく。 これら2つの例から、自我と外界との一定の関係による影響が、血(血流)に生じることが分かる。自我がアストラル体、エーテル体、肉体の中で、いかに自分を表現するかについて、他にも多くの例を挙げることができる。 ★ ★ ★ 人間の本性である自我は周囲と協調関係、調和関係を求めている。そこにドラマがつくられる。
2014年10月22日
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ダマスゴミの媒体紙は日刊ゲンダイしかみないが、そのゲンダイに載っていた、「ダマスゴミの洗脳の告白」というか、言い訳めいた記事をみて、この国の人々の魂の腐敗度がかなり進んでいることがわかった。 要約すれば、「金儲けのために読者を騙すのは仕方がない」というのである。 呆れ果てて馬鹿につける薬はないというか、もはや悪魔の奴隷に成り下がっている人間失格の連中なんである。「社員の生活を守るため」という洗脳文句が体よく使われるが、自分の腐敗堕落した贅沢な暮らしやアホアホさを守るためだろうが。権力者や金持ちの言いなりになって自己保身しか頭にない癖によくいうよと思うわけである。 社員の生活を守る手段などいくらでもある。「社員の生活を守るため」といいながら、読者を騙すのでは、読者の生活を破壊していることになるのに気づいていないからアホアホなんである。自分たちの贅沢な生活を守るためなら、他の多数の生活や生命を危険に曝してもいいといっているのだからダマスゴミは人間失格なんである。 ダマスゴミのような連中は、血をカネに変え、悪魔に魂を売ってしまったので、物質のように滅び、死ぬ運命にあるのだ! 永遠の生命を手にいれようとなど思いもしないアホバカなんである。真実を追求する姿勢が永遠の生命を形作ることに気づいていないアホバカなんである。 性根が腐ってしまったアホバカに何を言っても無駄だろう。死んでいくしかない。死が最後の救済となるしかない。 ダマスゴミは洗脳によって多数の生活を奪い、生命を危険に曝した過去があり、いまも金儲けのために続けている。こんな連中は百害あって一利なしなんでいっそ潰れたほうが世のため人のためなんである。 こういう、人を騙すことを商売にし、自分たちのことしか頭にない連中は人類失格なんで、犬にでもなるしかなかろう。しかし来世、犬に生まれ変わることはないが、もはや犬のような生活をしているから始末に負えない。 さてさて、毎度訪問させていただいている播州武侯祠遍照院さまのブログに、ダマスゴミと同類のアホバカの話が載っていたので、紹介する。 常識を忘れてしまったアホバカである。お金は信用貨幣といわれるくらいだから、信用とは切っても切り離せない関係で全く当たり前のことである。この常識がいつ通用しなくなったのかを考えるべきである。ダマスゴミの洗脳と同じである。 信用を洗脳によりつくり出し、信用に錯誤が混じり、信用が真実から切り離されたために、お金が虚像となってしまったのである。 本来お金は信用の基につくられ、その信用を真実が保障するから、信用が信用を生み、マナス(霊我)を語源にするマネーとなるわけである。 信用を保障するのが真実である。真実を失えば崩壊し死を迎えるしかない。 なぜなら真実こそが永遠の生命だからである。 自分という1つの真実が自分という存在をつくり、その信用のもとに、この物質界を体験し、真実を求めていく、真実を求める行為が愛なんである。 このような当たり前のことが通用しなくなったのは、なぜなのか、人類が悪魔に誑かされ、アホバカになったせいである。あまり説教をしていても埒が明かないのでやめるが、アホバカを反面教師にして学ぶために、「お金は『信用』を数値化したもの」という話を以下に紹介する。 ★ ★ ★ ちょっと面白い話。 渾沌堂 http://tyuubukou.blog.shinobi.jp/ Electronic Journal より 上記文抜粋・・・・・・ ●「お金は『信用』を数値化したもの」(EJ第3899号) 中本哲史なる謎の人物が作りあげたとされるビットコイン・システム──2009年1月3日にその中本哲史氏自身によるマイニングによって最初のビットコインが生成されましたが、それからの数ヶ月間は単なるゲームのなかの通貨に過ぎず、ビットコイン自体には何の価値もなかったのです。 そういうビットコインにどのようにして値がつけられたのでしょうか。 2009年10月5日のことです。「ニュー・リバティ・スタンダード」なるサイトが次の値をつけたのです。このサイトは現在もあるので、URLを示しておきます。――――――――――――――――――――――――――――― New Liberty Standerd 1BTC=0.00076 ドル http://bit.ly/1FkxsG8――――――――――――――――――――――――――――― それでは、このサイトは何を基準として最初の値づけを行ったのでしょうか。それは、次の3つの要素をベースとして、算出したものなのです。――――――――――――――――――――――――――――― ≪第1要素≫ 高性能なCPUを積んだPCを1年間動かすのに必要な電力量 ≪第2要素≫ アメリカ家計の平均的な電気料金 ≪第3要素≫ 30日間で採掘できたビットコインの量――――――――――――――――――――――――――――― 「0.00076 ドル」は、ニュー・リバティ・スタンダードの運営者が、30日間のビットコインのマイニングに要した電気料金だったのです。つまり、30日間に要した電気料金をその期間中に獲得したビットコインの量で割った数値なのです。このはじめての値づけ以後、ビットコインは需要と供給の関係によって値が上下するようになったのです。 ここで通貨、すなわちお金とは何かについてその原点から考えてみる必要があります。これについては、堀江貴文氏が自著で次のように書いています。なぜ、堀江貴文氏なのかといえば、堀江氏こそ中本哲史氏ではないかと巷間話題になったことがあったからです。もちろん、本人は否定しています。――――――――――――――――――――――――――――― そもそもお金とは何なのか? この問いに対して、僕はいつも次のように答えている。「お金とは『信用』を数値化したものである」。抽象的でわかりにくい言葉だろう。簡単に説明していきたい。 たとえば、あなたの財布に入っている一万円札。これは日本銀行が国の中央銀行として発行する「日本銀行券」だ。もちろん印刷物としての原価から考えると、この紙切れにはとても一万円分の価値はない。せいぜい数十円程度だろう。それではなぜ、福沢諭吉の肖像画の入った紙切れが一万円分の価値を持つものとして成り立っているのだろうか。これはひとえに、国や日本銀行への「信用」のおかげなのである。国が定めた法定通貨だから間違いない、日本銀行が発行しているのだから間違いない、まさか日本国や日本銀行が潰れることはないだろう、という「信用」だ。つまり、「お金=通貨」とは、価値なきものに信用(クレジット)を付与した「しるし」に過ぎないのである。もちろん日本国や日本銀行への信用が失われたら、一万円札の価値は紙切れ同然になる。 ──堀江貴文著 『ゼロ/なにもない自分に小さなイチを足していく』 ダイヤモンド社刊――――――――――――――――――――――――――――― 堀江氏は重要なことをいっています。「お金とは価値なきものに信用を付与した『しるし』に過ぎない」と。ビットコイン・システムは、その全体のシステムを完全に理解するのは、かなり困難なことです。経済学者でビットコインに詳しい野口悠紀雄氏はビットコインの理解について次のように述べています。――――――――――――――――――――――――――――― ビットコインを理解するのは容易ではない。その基礎になっている暗号理論やコンピュータ・サイエンス上の知見は1970年以降に発展したもので、まだ一般に馴染みがないからだ。──野口悠紀雄著/ダイヤモンド社刊 「仮想通貨革命/ビットコインは始まりにすぎない」――――――――――――――――――――――――――――― ビットコイン・システムは、野口氏のいうように理解するのは困難ですが、システムが緻密に組み立てられており、そこで不正を働くことが非常に困難なことがわかってくると、ビットコイン・システムに関して信用が付与されてきます。そうすると、そこに自然に価値が生まれてくるのです。 堀江氏の話を紹介したので、同氏の信用にかかわる興味あることばをご紹介します。――――――――――――――――――――――――――――― 10の信用があれば、100のお金を集めることができる。けれども、100のお金を使って10の信用を買うことばできない。特にソーシャルメディアの誕生によって、この流れは一気に加速している。 以前、「評価経済社会」を唱える評論家の岡田斗司夫さんとイベントで対談させていただいたとき、岡田さんはこんなたとえ話をされていた。 ツイッターで100万人のフォロワーがいる人にとって、1億円の資金を集めることはなんらむずかしい話ではない。しかし、どこかの誰かが1億円の資金を投じても、決して100万人のフォロワーをつくることはできない、と。 お金よりも「信用」が価値を持つ時代は、すでにはじまっているのだ。 ──堀江貴文著の前掲書より――――――――――――――――――――――――――――― ──── [ビットコインについて考える/34] ≪画像および関連情報≫ ●「お金とは何か」/中務たずみ氏 ――――――――――――――――――――――――――― 「お金とは何か」私はこの問いかけを読んだとき、なぜかはっと思った。お金とは何だろうか。私は少しの間、深く考えこんでしまった。 (中略) なぜ、紙切れでしかないのに、信用されてお金として流通するのだろうか。それは、かつて日本が金本位制を採用していたからなのです。金本位制とは、一定量の金を貨幣一単位とする貨幣制度で、発行される通貨は、金との兌換が約束された兌換紙幣であるため、通貨の発行量は金の保有量によって決められていました。しかし1931年の金輸出再禁止によって、金本位制から離脱した日本は、今日まで続いている管理通貨制度を採用しました。金との兌換が約束された兌換紙幣でなくなり、信用の根拠がなくなっている今、紙幣がお金としての役割を果たしているのはお金を発行している政府などを信用しているから・・と言われている。 http://bit.ly/11PBp6r ―――――――――――――――――――――――――――・・・・・・・・・・・・抜粋終わり>「お金とは価値なきものに信用を付与した『しるし』に過ぎない」 そりゃそうだ。 方便にすぎないのですよな。 国家ってだけ信じれない。民間でも信じれるものは信じれる。 信たらざれば、信じられない。by老子。 なかなかに革命的核心的な発想に思う。 お読みくださりありがとうございます。 ★ ★ ★ お金が、この物質界に砂上の楼閣を築く手段に使われるのなら、赤字を生むものにしかならない。物質を奪う手段にしかならないからである。 しかし、お金が真実の追求のために使われ、その報酬への感謝の代弁として使われるなら、永遠の生命をつくる手段にもなり得る。 アホバカと鋏は使いようである。真実を体得した精神の持ち主はどんなものにも愛情を注ぐことができる。宇宙には無駄なものがない。
2014年10月22日
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前回の続き。 ★ ★ ★ (前回の紹介の最後) 聖書の中にははっきりと偶像を作って拝むなと書かれてあるのに、カトリックの教会に行けば、必ずイエスやマリアの像があって、それを拝むようになっている。 あんな像をわざわざ造る方が大変だと思うのですが、わざわざそれを作って拝ませるというのは実におかしな話で、私はずっとカトリックは変だな、と大きな疑念を抱いていたのですが、バチカンに多くの悪魔崇拝者が集い、悪魔を拝んでいると知って、「やはりそうか」と思わず納得してしまいました。 聖書にもはっきりとそう書かれてあります。 (以下、旧約聖書エゼキエル書18章より転載) 主の言葉が私に臨んだ、「あなたがたがイスラエルの地について、このことわざを用い、『父たちが、酢いぶどうを食べたので子供たちの歯がうく』というのはどんなわけか。 主なる神は言われる、わたしは生きている、あなたがたは再びイスラエルでこのことわざを用いることはない。見よ、すべての魂はわたしのものである。父の魂も子の魂もわたしのものである。罪を犯した魂は必ず死ぬ。 人がもし正しくあって、公道と正義とを行い、 山の上で食事をせず、また目をあげてイスラエルの家の偶像を仰がず、隣り人の妻を犯さず、汚れの時にある女に近づかず、 だれをもしえたげず、質物を返し、決して奪わず、食物を飢えた者に与え、裸の者に衣服を着せ、 利息や高利をとって貸さず、手をひいて悪を行わず、人と人との間に真実のさばきを行い、 わたしの定めに歩み、わたしのおきてを忠実に守るならば、彼は正しい人である。彼は必ず生きることができると、主なる神は言われる。 しかし彼が子を生み、その子が荒い者で、人の血を流し、これらの義務の一つをも行わず、かえって山の上で食事をし、隣り人の妻を犯し、乏しい者や貧しい者をしえたげ、物を奪い、質物を返さず、目をあげて偶像を仰ぎ、憎むべき事をおこない、利息や高利をとって貸すならば、その子は生きるであろうか。彼は生きることはできない。彼はこれらの憎むべき事をしたので、必ず死に、その血は彼自身に帰する。 しかし彼が子を生み、その子が父の行ったすべての罪を見て、恐れ、そのようなことを行わず、 山の上で食事せず、目をあげてイスラエルの家の偶像を仰がず、隣り人の妻を犯さず、 だれをもしえたげず、質物をひき留めず、物を奪わず、かえって自分の食物を飢えた者に与え、裸の者に衣服を着せ、その手をひいて悪を行わず、利息や高利をとらず、わたしのおきてを行い、わたしの定めに歩むならば、彼はその父の悪のために死なず、必ず生きる。 しかしその父は人をかすめ、その兄弟の物を奪い、その民の中で良くない事を行ったゆえ、見よ、彼はその悪のために死ぬ。 しかしあなたがたは、『なぜ、子は父の悪を負わないのか』と言う。子は公道と正義とを行い、わたしのすべての定めを守っておこなったので、必ず生きるのである。罪を犯す魂は死ぬ。子は父の悪を負わない。父は子の悪を負わない。義人の義はその人に帰し、悪人の悪はその人に帰する。 しかし、悪人がもしその行ったもろもろの罪を離れ、わたしのすべての定めを守り、公道と正義とを行うならば、彼は必ず生きる。死ぬことはない。その犯したもろもろのとがは、彼に対して覚えられない。彼はそのなした正しい事のために生きる。主なる神は言われる、わたしは悪人の死を好むであろうか。むしろ彼がそのおこないを離れて生きることを好んでいるではないか。しかし義人がもしその義を離れて悪を行い、悪人のなすもろもろの憎むべき事を行うならば、生きるであろうか。彼が行ったもろもろの正しい事は覚えられない。彼はその犯したとがと、その犯した罪とのために死ぬ。 (転載ここまで) この文章を書いたのはエゼキエルという預言者です。彼は「バビロン捕囚」の時代に現れました。そして、先ほども書いた通り、この時代には父親が子供を食べたり、子供が父親を食べたり、といったとてつもない悪事が平気で行われていました。 このエゼキエル書にもそういったことが詳しく書かれてあります。それだけイスラエル民族に悪魔崇拝者たちが混じっていたという証拠です。 にもかかわらず、神様はエゼキエルを通してこう言ったわけです。「子供が正しいことを行うなら、父の悪行の責任は問われない」と。つまり、人間の値打ちは父親(先祖)がどんな人間だったかで決まるわけではないということです。ただ本人がどんな行いをするかで本人の値打ちが決まるのです。 したがって、「日ユ同祖論」が本当であれ嘘であれ、そんなことは我々には全く何の関係もないことです。 ちなみに、お隣の韓国ではバビロン捕囚よりもずっと前の時代(サムソンという人が現れた時代)に「ダン」という一部族がイスラエルから朝鮮半島にまで渡ってきたという説もあるようです。聖書学的に見ると、この説の信憑性もかなり高そうです。というのも、この「ダン」という部族は、聖書から途中で全く登場しなくなってしまうからです。日本ではこの説は余り話題にされていないようですが……。 しかし、もしこの「ダン」が日本にまで渡ってきたというのなら、日本人にもきわめて純粋なユダヤの血が流れているということになります。 しかし、もし仮にこの説が本当だったとしても、そんなことは私たちにとって何の関係もないことです。先祖がどんな偉人だったとしても、我々自身が悪いことばかりするなら、これまた何の意味もないことだからです。 あくまで先祖は先祖。自分は自分なのです。 ★ ★ ★ 日本人といっても、八切史観からわかるように、多民族なんで、日本のなかに、ユダヤ、つまりアブラハムを先祖にもつ末裔もいるというだけにすぎない。だからといってその一部の人たちが優れているわけでもない。 それにキリストが2000年前にきて、人類の血を悪魔たちに抵抗できるように、白紙(免疫化)したわけで、聖書が物質的意味を述べているのではないことは明らかである。 だから、遺伝子がどうの、家系がどうのというのは全く無意味なもはや形骸化したガラクタの議論なんである。血というのは、神との契約のことで、それは神がみえる。つまり霊視能力のことである。つまり、古代では、どの神がみえるかで、霊能力のレベルを判断していたわけである。 霊能力を遺伝的に子供に継がせたいので、霊能力の高い同族と結婚させたわけなんで、同族婚が原則だったわけである。つまり、古代の秘儀参入者の家系と結婚すれば、霊能力を遺伝的に継承できるわけである。神がみえる霊能力を獲得するということは、神に選ばれた民ということになる。 しかし、人類が闘争や競争の挙句の戦争などで、異民族と異族婚をするにつれ、だんだんと霊能力を失っていったから、つまり悪魔の誘惑に負けたので、もはや神をみることができなくなった。悪魔の支配下に拘束されるようになっていって、神をみれずに、霊界を知らず、あの世の記憶を含む過去の記憶を失うようになり、「死ぬ」という現象が生じるようになったわけである。 「死ぬ」ということは物質は必ず滅ぶという意味でもある。 だから、人間が死ぬということは、もはや神の選民でなくなったことを意味するから、神に救いを求めても無意味になるわけである。 つまり、人間からみれば「神は死んだ」ことになる。 だから、太陽霊キリストがやってきて、再び人間のなかに神性を植え付けて、自分で自分を救うことができるように、つまり、再び霊能力を自分で獲得できるように、死を乗り越えることができるように、イエスに受肉し、3年間の教え、つまり霊能力の再獲得の方法を教えたのである。 だからモーゼの説いた十戒を守らないユダヤ人など存在しないし、キリストの説いた教えを実践しないキリスト教徒などは存在しない。ましてや無神論者などは人間として存在しないはずである。 誤った教えを説く者は必ず死に地獄に堕ちるので覚悟するがいい。神がみれないからである。神がみれないから、神を語るのである。 エゼキエル書の説く「子供が正しいことを行うなら、父の悪行の責任は問われない」は、父が神を見失い、霊能力を失っても、子供が再び獲得し、神とつながればよい、という意味をもつ。 だから宗教とは神とのつながりをみつける方法なんである。そのために、この世のあらゆる神の創造を経験しないといけない。あらゆる艱難辛苦を味わい、創造の痛みを知らないといけない。 この物質界に快適に安住しようとするほど、全てを失い、死ぬことになるのだ! それがエゼキエル書の説く「血」の意味である。悪魔の誘惑に負け、「血」を物質化する者は、その「血」と共に滅ぶということである。
2014年10月21日
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前回の続き。 ★ ★ ★ この数日、ある方からいただいた質問に続けてお答えしていますが、今日は二つ目の質問にお答えします。「第二次大戦のサンフランシスコ講話条約で、日本の賠償責任が免除されましたが、日本はアメリカ(金融ユダヤ)のお陰で助かったということにはなりませんか」 ★ ★ ★ この疑問についての回答は以前紹介した。 http://plaza.rakuten.co.jp/5dolphin/diary/201410200000/ また、三つ目の質問についても上記に紹介したが一応要点を紹介する。 ★ ★ ★ で、これと大いに関連のある話なので、続けて三番目の質問にも答えます。「金融ユダヤが日本に色々と投資をしてくれたお陰で、今日の日本の繁栄があると思いますが、それでも金融ユダヤは悪いと思いますか」 先ほども言いましたが、この日本はもはや金融ユダヤのものです。金融ユダヤの私物になっていると言っても過言ではありません。 ★ ★ ★ そして、最後の質問についての回答を以下に紹介する。 ★ ★ ★ 「日ユ同祖論」は疑うまでもない事実です。だからといって、日本人が偉いとも悪いとも言えません http://rapt.sub.jp/?p=16401 この数日間ずっとある方からいただいた質問にお答えしていますが、今日は最後の四つ目の質問にお答えします。「日ユ同祖論はかなり信憑性が高いと思いますが、もし私たち日本人の先祖がユダヤ人であったとしても、あなたは今のようにユダヤ人を責めることができますか」 私はかつて「日ユ同祖論」に随分とハマった時期がありました。今からもう十年以上も前のことです。 当時はまだネットも余り普及していませんでしたから、ちょくちょく本屋に足を運んで「日ユ同祖論」関連の本を読みあさっていました。ですから、この「日ユ同祖論」は私にとって一つの十八番(おはこ)です。 しかし、そうやって沢山の「日ユ同祖論」の本を読んで私が出した結論は、「十分にあり得ることじゃないか」ということでした。 今の時代は国家という概念がきちんと出来上がり、それぞれの国境線もきちんと引かれています。だから、パスポートなしではどの国にも入ることができません。しかし、紀元前の時代には国境もなくパスポートもありませんから、一つの民族がイスラエルから日本まで渡り歩いてきたとしても何ら不思議ではありません。 もちろん、車も飛行機もない時代にあれだけの長い距離を移動するのは大変だったでしょうが、別に一代であれだけの距離を移動したわけではなく、いくつもの世代を経ながら少しずつ移動していったわけでしょう。 それで、より理想的な地を探し求めているうちに、朝鮮半島に辿り着き、その一部が海を渡って日本までやってきた、というわけです。 イスラエルから直接、海を渡って日本までやってきたという説を唱える人もいるようですが、まあ、その話にはちょっと無理があるかな、という気もします。 韓国や中国の嫌いな日本人が、日本人と朝鮮人・中国人の先祖が同じと考えたくないばかりに、無理やりそんな説を唱えているのではないかという気がしないでもありません。 もっとも、絶対にその説があり得ないとは言いきれません。海流にきちんとのりさえすれば、一応、イスラエルから日本に航海してくることも可能ではないみたいですから……。 でも、きちんとした航海図もないのに海に出て行って、遠くの土地まで行ってみよう、なんてことを紀元前の人たちが考えつくかどうか疑問です。例え考えついたとしても、そんなに長い時間をかけて海を渡れるような技術があったとも思えません。なので、大陸移動説の方がより強い信憑性があるように感じます。 ということで、私も一応は「日ユ同祖論」を信じています。というか、これはどこからどう考えても本当でしょう。沢山の本を読みあさりましたが、読めば読むほど信憑性を強く感じました。「日ユ同祖論」については、以下のリンクをご参照ください。ほとんど全ての説が簡単に分かりやすく網羅されていて面白いです。 ○【都市伝説】日本人ユダヤ同祖論【ルーツ】 – NAVER まとめ http://matome.naver.jp/odai/2138120755601476901 じゃあ、日本人にはユダヤ人の血が流れていると認めるのか、というと、別に認めてもいいと思います。しかし、だからといって、日本人に金融ユダヤと同じ血が流れているかどうかとなると、これはやや微妙なところです。 もっとも、日本人には金融ユダヤと全く違う血が流れているとはっきりと断言することはできません。客観的に考えると、その可能性も捨てきれないと思うからです。非常に悲しいことではありますが……。 これについて少し詳しく説明しましょう。 ユダヤ人というのはどこか一つの民族のことを指して言う言葉ではありません。ユダヤ民族という民族はこの世のどこにも存在しません。ユダヤ人とはつまりユダヤ教を信じる人のことで、ユダヤ教徒のことを言います。民族として彼らを区分する場合には、イスラエル民族と呼ばなければなりません。 しかし、金融ユダヤはユダヤ教など信じてはいませんし、本物のイスラエル民族でもありません。ユダヤ教はヤハウェという神を信じる宗教ですが、金融ユダヤは神様ヤハウェではなく、悪魔ルシファーを拝んでいます。ですから、彼らはユダヤ教徒を騙る「悪魔崇拝者」なのです。 ですから、金融ユダヤは本物のユダヤ人ではありません。偽物のユダヤ人です。しかし、本物のユダヤ人の中にはたくさんの悪魔崇拝者たちが混じって生活してしまいました。これもまた確かな事実です。 したがって、もし私たちに本当にユダヤ人の血が流れているとしたら、純粋なユダヤ教徒の血が流れているのか、悪魔崇拝者の血が流れているのかはっきりと区別することはできません。となると、我々日本人にも金融ユダヤと同じ血が流れている可能性はなきにしもあらずなのです。何しろ、金融ユダヤには悪魔崇拝者の血が色濃く流れているわけですから。 では、いつの時代にユダヤ教徒の中に悪魔崇拝者の血がそんなに混じってしまったのか。私個人としては、古代エジプト王朝の時代に最も混血が進んだのではないかと推測しています。 実はイスラエル民族は、この古代エジプト王朝で400年もの間、奴隷としてこき使われていた時期がありました。 古代エジプト王朝は、巨大なピラミッドをいくつも建造しましたが、ピラミッドがフリーメーソンの象徴であることは皆さんもご存知の通りです。で、三角ピラミッドに一つ目のマークですが、これは正確に言うとフリーメーソンのマークではなく、悪魔崇拝のマークです。詳しくは以下のリンクをご覧ください。 ○フリーメーソンのマークは1万年以上も前から存在した。「ホルスの目」に隠された悪魔の真相。 http://rapt.sub.jp/?p=11809 この悪魔のシンボルであるピラミッドをあれだけ壮大にいくつも作り上げた古代エジプト王朝は、まさに悪魔崇拝が最も大きく栄えた時代だったと考えて間違いありません。エジプトで流行った宗教は「太陽信仰」ですが、この「太陽信仰」はすなわち「悪魔崇拝」のことを意味します。 で、この古代エジプト王朝の時代、イスラエル民族は400年という長い間、奴隷としてこき使われていたわけですが、その間に悪魔崇拝者とイスラエル民族の血が混じっていった可能性が高いです。 しかし、イスラエル民族はエジプトでの奴隷生活があまりに苦しかったために、いつも神様に助けてくださいと呼び求めていました。その結果、神様が彼らの祈りを聞き入れ、モーセを遣わして彼らをエジプトから脱出させることにしたわけですが、これがかの有名な「出エジプト」です。 ところが、モーセが必死の思いでイスラエル民族を救おうとしたにもかかわらず、イスラエル民族はエジプトから脱出したとたん、ぶつぶつとモーセに文句ばかりを言いました。挙げ句の果てには、神様の掟を破って、淫行にふけったり偶像崇拝にふけったりもしました。モーセの律法では、淫行や偶像崇拝は最も大きな罪とされています。 さらには、モーセの兄であったアロンまでもが、イスラエル民族に命じて金の子牛の象を作り、それを皆に拝ませたりもしました。わざわざ金を鋳造して子牛の象を作るなんて、相当な手間だったと思いますが、なぜそこまでして神様の掟を破る必要があったのか……。 やはりこのとき既に大量の悪魔崇拝者たちの血がイスラエル民族の血の中に混じっていたということです。血も混じると同時に、思想や考え方も混じっていたのでしょう。でなければ、イスラエル民族があれほど神様にあからさまに反逆するとは思えません。 しかも、このイスラエル民族はその後もずっと神様に逆らってばかりでした。何か事ある毎に偶像を作って拝み、神様を激怒させたのです。まさに今のカトリックと同じですね。 聖書の中にははっきりと偶像を作って拝むなと書かれてあるのに、カトリックの教会に行けば、必ずイエスやマリアの像があって、それを拝むようになっている。 あんな像をわざわざ造る方が大変だと思うのですが、わざわざそれを作って拝ませるというのは実におかしな話で、私はずっとカトリックは変だな、と大きな疑念を抱いていたのですが、バチカンに多くの悪魔崇拝者が集い、悪魔を拝んでいると知って、「やはりそうか」と思わず納得してしまいました。 一応、ダビデとソロモンがイスラエルの王様になった時代だけは、すべての偶像を排斥し、神様ヤハウェを拝み、イスラエル民族は大いに神様からの祝福を受けて繁栄しましたが、そのソロモンですら、最終的には神様を拝むのをやめ、異邦の女たちをめとり、その女たちの拝む神々を拝むようになりました。例のごとく偶像を作りまくったわけです。 恐らくこの異邦の女たちも、悪魔崇拝者の手先だったのでしょう。ソロモンを誘惑して罠にはめ、イスラエルを堕落させようとしたわけです。この影響で、ソロモンはその後、悪魔崇拝の象徴みたいな存在と言われるようになったのかも知れません。 で、神様がこの有様を見て激怒し、イスラエルを二つの国(北イスラエルと南ユダ)に分断してしまいました。しかし、その後も、北イスラエルでは王様が代々に渡って偶像ばかりを拝み、神様がこれを見て激怒。アッシリアを送って北イスラエルを徹底的に討ち滅ぼしました。 一方、南ユダでは比較的、神様に従順な王様が次々と現れましたが、結局、最終的にはとんでもない悪い王様が現れて、神様の心を逆なでし、バビロンという大国に民族ごと捕囚されてしまいます。これが有名な「バビロン捕囚」ですね。 で、このアッシリアやバビロンにイスラエル民族が徹底的に叩きのめされたときに、イスラエル民族のうちの何人かが難を逃れようと、イスラエルから別の地へと旅立ち、やがて日本に流れ着いた……というのが「日ユ同祖論」の始まりなのですが……。 ★ ★ ★ 次に続く。
2014年10月20日
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八切史観が真相に近い日本史と思われるので、度々紹介してきたが、これと同じように真相に近い世界史をネットで見つけたので、その話を紹介する。近代の話である。 ★ ★ ★ 日露戦争で日本が勝てたのはロスチャイルドのお陰。でも、この戦争で一番得したのはロスチャイルドですけど、何か? http://rapt.sub.jp/?p=16345 前回は、ある方のコメントのお陰で、金融ユダヤのクリーンエネルギー投資というものがいかにインチキなものであるかが分かりました。 ○金融ユダヤのクリーンエネルギー投資のデタラメの一端が見えてきました。政府主導の「イーター計画」に注意。 「核分裂」でなく「核融合」だから安心安全、という言葉には絶対に騙されてはいけません。「核融合」といっても色々とあります。 恐らく今後、金融ユダヤはその言葉を使って我々を騙してくることでしょう。そうやって耳障りのいいことを言って、本当に安全な「核融合」技術を叩きつぶし、危険な「核融合」技術のみ普及させるつもりなのです。詳しくは上のリンク記事をご覧ください。 ということで、今回は前回に引き続き、このコメントを下さった方の質問に答えていきたいと思います。一応、ユダヤ陰謀論初心者の方、または懐疑派の方が知っておいて損はないことだと思うからです。 ——————————— 今日の日本の繁栄も実際はユダヤ資本のおかげの面もありますが、どう考えていますか。たとえば日露戦争でユダヤ資本にお金を提供してもらった(ただし、借金返済に80年かかったとも)第二次世界大戦サンフランシスコ講和条約で賠償免除(冷戦のおかげ)ただしユダヤ資本には利子を払い続けますが、確かに対ソ連の盾としての金づるとしても使いまわされていますが、一方で経済成長も日本は手にしました。よくユダヤ人の悪は金利を発明し、人を支配したと言うのも頷けますが。 わたしは、日ユ同祖論にとても関心があります。色々論議はありますが、簡単に言うと日本人のルーツはユダヤ人というものです。 たとえば、アークと日本の神輿の容や、神社の鳥居、山伏の衣装とユダヤの衣装、相撲のはっきょいのこった[八家良い残った]、や古代の神の名や天皇の名前をユダヤ語[古代ヘブライ語=アラム語]で読むと意味が分かるなどなど挙げれば切りがないです。サイト運営者の方は率直にどう思いでしょうか? 私はサラリーマンになったときに先輩に聞いて旧約聖書を読むきっかけになりました。(といっても恥ずかしながら全部を読んでいませんが) ——————————— この方の質問は大きく分けて四つありますね。 先ず一つ目は、日露戦争の問題。「ロスチャイルドの代理人と呼ばれるジェイコブ・シフという男が日露戦争の際、日本に資金提供して、そのお陰で日本は戦争に勝てたわけですが、それでも金融ユダヤのことを悪いと思いますか」という質問です。 二つ目は「第二次大戦のサンフランシスコ講話条約で、日本の賠償責任が免除されましたが、日本はアメリカ(金融ユダヤ)のお陰で助かったということにはなりませんか」 三つ目は「金融ユダヤが日本に色々と投資をしてくれたお陰で、今日の日本の繁栄があると思いますが、それでも金融ユダヤは悪いと思いますか」 四つ目は「日ユ同祖論はかなり信憑性が高いと思いますが、もし私たち日本人の先祖がユダヤ人であったとしても、あなたは今のようにユダヤ人を責めることができますか」 これらの質問は、ユダヤ陰謀論初心者の方、または懐疑派の方からよく受ける質問ですね。生半可にユダヤ陰謀論を囓っていると、こういう疑問が湧いてくるということなのでしょう。 あるいは、ユダヤ陰謀論を火消ししたいと思っている連中が、こういう疑問を投げかけてきて、金融ユダヤは悪者ではないというプロパガンダをどこかで流しているのかも知れません。 その可能性もなきにしもあらずなので、一度、このブログでもこのような質問にきちんと答えておいた方がいいだろうと私は考えました。今後、こういう質問を受けたときに、この記事にリンクを貼って見せればそれで済みますから。 ということで、先ずは一つ目の質問にお答えします。「ロスチャイルドの代理人と呼ばれるジェイコブ・シフという男が日露戦争の際、日本に資金提供して、そのお陰で日本は戦争に勝てたわけですが、それでも金融ユダヤのことを悪いと思いますか」 はい。思います。 先ず、日本がなぜ日露戦争をしなければならなかったかを考えてみてください。ロシアがシベリア鉄道を作って南下政策をとり、朝鮮半島の方まで下ってきたせいですね。 日本はこのロシアの動きを見て焦りまくった。このままでは日本もロシアに攻め込まれてしまうかも知れない。日本はそんな危機感に煽られ、なんとかロシアの南下を防ごうとしました。しかし、ロシアはロシアで、朝鮮半島を自分たちのものにしたかったので、日本と対立することになってしまった。 というのが、日露戦争のそもそもの開戦のきっかけです。しかし、このシベリア鉄道。この建設のために資金を出したのが、これまたロスチャイルドでした。つまり、ロスチャイルドが資金を提供しなければ、ロシアがシベリア鉄道を作ることもできず、南下政策をとることもなく、日本とぶつかることもなかったというわけです。 なんか怪しいですね。一応、ロシアの南下政策はロシアの皇帝ニコライ2世の意図だったと言われてはいますが、例えそれが本当だったとしても、ロスチャイルドが単なる人助けのために資金を援助するわけがない。 ロシア国内でユダヤ人への迫害が激しくなったため、ロスチャイルドがその迫害を止めてもらうため、ニコライ2世に資金を提供したとの噂もありますが、これまたちょっと怪しいですね。 なぜなら、ロスチャイルドは別に本物のユダヤ人ではないわけですし、ロスチャイルドが人助けのために資金を出すかどうかも怪しい。 ロスチャイルドはこの後、自分の傀儡であるレーニンやらスターリンやらを送り込んでロシア革命を起こし、ニコライ2世を打倒し、ロシアを完全に自分の傀儡国家にしてしまうわけですが、このときのためにニコライ2世にシベリア鉄道を作らせ、ロシアの支配体制を強化する布石を打っておいた、という可能性もなきにしもあらずです。少なくとも私はそう推測しています。 で、日露戦争はこのニコライ2世を倒すための一つの踏み石だった。そう考えられなくもありません。だからこそ、ロスチャイルドは日本に多額の資金を出して、日本にロシアと戦争をさせたわけです。つまり、この戦争はロスチャイルドに操られて起きた戦争だったということです。少なくともその可能性は捨てきれません。 [ニコライ二世が、黒海の油田開発やイルミの世界統一政府=人類家畜化計画に反対していたことがわかっている。] しかも、この戦争で日本はなぜか次から次へと大勝利を収めていった。この当時、日本みたいなアジアの小国が、ロシアのようなヨーロッパの大国に勝てるわけがないと誰もが思っていました。 それでも、日本が勝てたのは、もちろんロスチャイルドの資金提供のお陰です。ロスチャイルドからしてみれば、日本には絶対に買ってもらわなければならなかった。ニコライ2世に大打撃を与えてもらわなければならなかった。なので、湯水のように日本に資金を援助し、日本が勝てるように仕向けていったわけです。 しかも、ここに一つのカラクリがあります。ロスチャイルドがここでいくら日本に資金を提供しても、ロスチャイルドにとっては痛くも痒くもなかった。なぜなら、日本はそのロスチャイルドからもらったお金で、同じくロスチャイルドから大量の武器を買っていたからです。 そうとも知らない日本人は、ロスチャイルドに感謝し、戦争に勝利した後、多額の利子をつけてそのお金をロスチャイルドに返済していきました。ロスチャイルドはこれにて自分たちのお金を倍以上に増やすことができた、というわけです。 これこそまさに金融ユダヤの真骨頂。さすがお金儲けの頭だけは発達しています。だから、ロスチャイルドのお陰で日露戦争に勝てた、といってロスチャイルドに感謝するのは筋違いの話なのです。 とにかくこの日露戦争のあった当時は、現代のようにネットもテレビもなくて、国民の誰も正しい情報を知ることができなかった。だから、ロスチャイルドが「ロシアが攻めてくる、日本が危ない」といって大量のプロパガンダを流せば、日本人の多くがその言葉をそのまま信じ込んでしまったのでしょう。 その一方でロスチャイルドは、ロシアでも「朝鮮を乗っ取ってしまえ、日本を乗っ取ってしまえ」と煽り立て、次々と資金援助してシベリア鉄道を作らせ、ロシアの南下政策を進めさせていったわけです。 そうすることで、両方に資金を援助し、両方に恩を売っていると見せかけ、戦争経済で大儲け。とにかく戦争をして得するのはロスチャイルドのみ。双方の国では多くの死傷者や物的損傷が出て、大きな痛手を負うだけ……という構図なわけです。 ですから、日露戦争で勝ったからといってロスチャイルドに感謝してはいけません。ロスチャイルドのせいで無理やり多くの日本人が戦争に引きずり込まれ、多くの日本人が犠牲になった、と考えるべきなのです。 現在でも私たちは、金融ユダヤの傀儡である安倍晋三が戦争をしようとしていることに大反対していますが、現在のこの有様を見ながら、過去の歴史をもう一度最初から検証しなおしてみる必要があるように感じます。 ということで、今回はここで終わりにして、二つ目以降の質問にはまた次回の記事でお答えしたいと思います。 ★ ★ ★ 次回に続く。
2014年10月20日
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前回の続き。 ★ ★ ★ ———————————— FRBは設立が1913年で2012年が100年目にあたります。そのことに最近気がついて、2011年7月に発表されたGAOのFRB監査リポートは、ひょっとすると100周年と関係ありかな?と思うようになりました。 GAO(政府監査院)は検索すればわかりますが、米国の監査を担当する組織です。 U.S. Government Accountability Office (GAO) 膨大な量のリポートがアップされています。 GAOが2011年7月、なんとFRBの監査報告書を発表しています。 GAO番号:GAO-11-696 監査期間は2007年12月1日~2010年7月21日。金融危機の始まりから終わりまでの期間です。驚くべきことにネットにアップされて誰でも(今でも)閲覧ダウンロード可能です。 http://www.gao.gov/new.items/d11696.pdf しかしリポートは英文で266ページもあり、金融の知識がないととても読み切れません。驚くべき内容なのですが、マスコミは一切報道しませんでしたし、当時ネットでもそれほど騷がれませんでした。 何がすごいのか? 一部のブロガー、たとえば「もうすぐ北風が強くなる」様のこんな記事『16兆1千億ドルを金融資本に融資したFRB』で概要がつかめますので、リンクを貼っておきます。 http://bator.blog14.fc2.com/blog-entry-628.html この英文リポートに取り組んで私なりに調査したのですが、進捗していません。銀行別融資残高をEXCELファイルに書き出してみたものを参考に添付します。総額16兆ドル(ドル100円換算で、1,612兆円)もの巨額マネーが世界の大手銀行に融資されている実体を明らかにしています。 また、額は少ない(他に比べて)ながら農林中金に150億ドル=1兆5,000億円と書いてあります。農林中金のこの時期の決済報告書もネットで閲覧可能ですが、もちろんそんな金額は計上されていません。 マスコミでえらそうにしゃべっているエコノミストたちは一体何なんでしょうか。このファイルは出し忘れた宿題のようにわたしのPCに残っています。誰か読み解いてもらえませんかね。 (ダウンロードはリンク先を参照のこと。) ————————————- 日本でもバブルが弾けて、「りそな銀行」などに巨額の国家予算がばらまかれ、その裏でインチキなインサイダー取引が行われました。それで金融ユダヤはボロ儲けしたわけですが、このようにバブルが弾けると、それを口実に金融ユダヤは多くの富を毟り取ることができます。我々一般人には想像もできないようなことがいつも裏でコソコソと行われているのです。 金融ユダヤはこのように今でも不景気を装いながら、日本のお金を着々と自分たちの懐の中に詰め込んでいます。今や私たちは彼らに屠られ、食べられようとしている段階にあるも同然なのです。いえ、もうその時は既に始まっていると言っていいでしょう。 日本のすべてが彼らに食べ尽くされてしまう前に、早く何とか手を打たなければなりません。私がこんなブログを書きはじめたのもそのためです。経済の問題だけではなく、金融ユダヤのあらゆる悪巧みによって破壊された全てを回復したいというのが私の強い願いです。 ちなみに、上のエクセル資料を完成できる方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報ください。このメールの送り主もとても喜ばれると思います。・・・・・・・・・・・・・抜粋終わりお読みくださりありがとうございます。 ★ ★ ★ 以上の話から、日銀が金融ユダヤの悪の元凶であることがわかる。続いて、悪の日銀について、お馴染みのサイトから面白い話を紹介する。 ★ ★ ★ アメリカの日本収奪計画(5) http://ameblo.jp/cpa-togo/entry-11939308061.html (5)郵政民営化と言う名の日本人の資産収奪計画 リーマン・ショックに先立つこと10年。アジア通貨危機で成長著しかった東南アジア諸国を壊滅的状態に陥れ、一方でBIS規制によって日本の金融機関を骨抜きにしていた闇の勢力と、アメリカに巣食うブッシュ親子やロックフェラー一族といった闇の支配者内の一大勢力は、日本の郵政を解体し、そこに眠る日本人の金融資産350兆円に狙いを定めていた。がん保険は、結局、アフラックが簡保との業務提携を勝ち取った。ジャパンマネーを狙う本当のアメリカの狙いは、簡保保険である。 そもそも、郵政の国営化は自由主義・市場主義に反すると言うが、実際のところ、アメリカ自体も郵便事業は公社として維持し続けている。日本に押し付けて自分たちは公営を維持するとは虫がいい話である。アメリカはどのように日本の郵政を狙っていったのか? これはアメリカの「年次改革要望書」に端を発する。2003年に郵貯・簡保の委託運営先がゴールドマン・サックスなどの国際金融資本に決定されていた。それに飽きたらず、完全に食い物にすべきアメリカが国を挙げて脅してきたのが「年次改革要望書」である。それには次のように書かれている。 「本年の米国の提言の柱は、日本郵政公社の民営化が日本経済に最大限の経済的利益をもたらすためには、意欲的かつ市場原理に基づいて行われるべきである。・・・・米国は、日本郵政公社と成田国際空港、日本道路公団等の他の組織の民営化が成功することを期待している。・・・・本年の民営化にかかわる提言の重要項目は下記の通りである。・・・・日本郵政公社に付与されている民間競合社と比べた優遇面を全面的に撤廃する。・・・日本郵政公社の保険および貯金事業においては、真に同一の競争条件が整うまで、新規または変更された商品及びサービスの導入を停止する。・・・・」 郵政民営化の本丸は、「保険と銀行」であり、宅配事業は問題外なのである。すなわち、簡保と郵貯が抱えている日本人の個人資産なのである。これを随所でお題目のように繰り返される「市場原理」に基づき「公正な競争」を要求しているのである。 「年次改革要望書」とは、1993年、当時の宮沢喜一首相と、ビル・クリントン大統領の会談で定めたものである。日米双方がお互いの経済発展のために障害になるような問題点や課題、改善点を指摘し合うための文書を作成しようという目的で定められた。誰が読んでも分かるように、アメリカからの「51番目の州」である日本に対する「命令書」と言うのが本当の内容である。日本は「アメリカからの命令」を実現していった。ちなみに、日本からアメリカ側に要求したことは、「BSE(牛海綿状脳症)に関する全頭検査などが挙げられるが、完全に無視されている。何ともバカにした話である。 アメリカの意向を通すべく、小泉・竹中と言うラインがアメリカの全面的なバックアップを受けて郵政民営化がなされたのである。この要望書に背いた場合、どうなるか? 民主党の鳩山由紀夫首相は「年次改革要望書」を廃止してしまった。そのため、アメリカの怒りをかい失脚に追い込まれた。日本に出された「命令」を忠実に履行し、自分たちだけが見返りを持って行った日本人が存在する。小泉純一郎と竹中平蔵である。 本丸である郵貯と簡保については、小泉政権移行の麻生太郎政権などで郵政民営化見直しの声が高まり、そして、政権交代後の民主党鳩山政権で凍結された。そうなると、アメリカ側も黙ってはいない。窮地に追い込まれた闇の支配者内での米ドル利権派、すなわちアメリカ内部に食い込んで米連銀を牛耳るサバタイ派マフィアどもが「最終防衛線」として、日本の資産収奪を本格化してきたのである。言葉は悪いが、何度殴っても金をせびっていたヒモが、金づるの女から有り金すべてをむしり取ろうと画策し出したのである。その合図になったのが、「アベノミクス」である。 そもそも安倍政権の成り立ちの裏にはゴールドマン・サックスの影がちらついていた。ゴールドマン・サックスやその背後にいるロックフェラー派閥が都合の良いように操るために安倍に勝利のお膳立てをした可能性が高い。「アベノミクス」の正体は、日本国民のお金を出来るだけ多くの外国勢に横流しするためのペテンである。 つまり、外国人が相当数の株式を保有している民間企業の日本銀行が、円を刷って米連銀か株主に渡しているに過ぎないのである。日本銀行とは、ジャスダックに上場している半官半民の特殊組織である。政府の出資が55%で残りの45%が民間資本なのである。ところが、特別決議の拒否権を持つ33・4%を超える35・9%の株式を所有する個人の出資者がベールに包まれたままである。 つまり、日銀の株主にはロックフェラーやロスチャイルドが食い込んでいたのである。日銀が円を刷れば刷るほどロックフェラーやロスチャイルドの米連銀の株主達に貢がせているのである。一部の限られた人間だけが、非公開のまま「日本銀行」と言う超優良企業の株式を大株主として所有する匿名の個人がいるのは事実である。ただ、こうした状況を危惧する勢力もいる。 彼らは、優秀な官僚幹部を臨時の総理大臣にしようと動いている。永田町にいる政治家の8割が外国勢からの賄賂と脅しで動いている役者に過ぎない。純粋な日本の権力として持ち堪えていつ一部の官僚らによって臨時政府をつくるのが最も望ましいと考えている。彼らが目指しているのは「日銀の国有化」である。 つまり、残り45%に食い込む闇の支配者を完全に削ぎ、政府紙幣を発行することを目指しているのである。カナダは1938年から1973年まで中央銀行を国有化し、政府紙幣を発行した。それにより、無借金で大量の軍備を整えて戦後は国民健康保険や大学の授業料を無料にした。さらに適切な公共事業を行い、国内のインフラを整えつつも増税なしで成り遂げたのである。私はこの日銀の国有化は大賛成である。 ★ ★ ★ 以上の話から、なぜアホが総理なのかの意味がわかる。大衆を洗脳し騙すためである。日本人の一部が偽ユダヤ悪魔と一緒に金儲けを続ける限り、この国と民族は滅んでいくだろう。
2014年10月20日
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謀略論の総まとめともいうべき話をネットでお馴染みの播州武侯祠遍照院さまのサイトでみつけたので紹介する。 ★ ★ ★ 愚かだと、食い物にされる。それをわきまえるべき。 渾沌堂 http://tyuubukou.blog.shinobi.jp/Page/3/ RAPT より http://rapt.sub.jp/?p=16375 上記文抜粋 ・・・・・・ この日本は金融ユダヤのばらまくエサを食べて太った豚みたいなものです。後は屠って食べられるのを待つばかりです。 この数日、ある方からいただいた質問に続けてお答えしていますが、今日は二つ目の質問にお答えします。「第二次大戦のサンフランシスコ講話条約で、日本の賠償責任が免除されましたが、日本はアメリカ(金融ユダヤ)のお陰で助かったということにはなりませんか」 (一つ目の質問とその答えは以下のリンク記事になります。) ○日露戦争で日本が勝てたのはロスチャイルドのお陰。でも、この戦争で一番得したのはロスチャイルドですけど、何か? 答えです。「なりません」 これまた、日露戦争と同じく日本は金融ユダヤによって太平洋戦争に引きずり込まれました。この戦争は日本人の意志によって引き起こされたものではありません。歴史の教科書に書かれてあることは全て嘘です。日本はアメリカの勝手な都合によって、戦争に無理やり参加させられたのです。 これはユダヤ陰謀論では初歩の初歩の話ですね。太平洋戦争のきっかけとなった真珠枠攻撃を指揮したのは山本五十六で、この山本五十六がフリーメーソンリーだったことは有名な話です。 で、この山本五十六は金融ユダヤからの命令を受けて真珠湾攻撃を指揮しました。 この当時のアメリカは経済恐慌のまっただ中で、その恐慌から抜け出すためにはどうしても戦争をしなければならなかった。大きな戦争を起こして全ての借金をチャラにしなければならなかった。 そのため、アメリカも本当は第二次大戦に参加したかったのですが、この当時の大統領ルーズベルトは、アメリカは絶対に戦争しないと国民にずっと約束していました。そんな口約束をした上で大統領に当選させてもらったのです。 なので、戦争をしたくても戦争することができなかった。しかし、このまま戦争をしないでいたら国家が破綻してしまう……。ということで、戦争する口実をでっち上げるため、日本軍にわざと真珠湾を攻撃してもらうことにしたのです。そうすれば、さすがのアメリカ国民も怒り狂って、「日本をやっつけろ」と叫び出すでしょうから。 で、金融ユダヤの傀儡である山本五十六がその計画に手を貸し、宣戦布告もしないで真珠湾を攻撃した。わざとアメリカ人を怒らせるように攻撃したわけです。で、ルーズベルトは真珠湾攻撃に怒った振りをして日本に宣戦布告。アメリカ国民はまんまと騙されて、金融ユダヤの思惑通り、「日本をやっつけろ」と怒り狂いました。 この戦争のお陰でアメリカは大恐慌から救われた。だから、アメリカ(金融ユダヤ)は日本から攻められたことを怒ってなどいません。むしろ日本から多大な恩恵を受けたため、日本に賠償金を支払ってもらう必要もありませんでした。 というか、ここで私たちは一つ考え方を変えなければいけません。この時点で、日本はもう既に金融ユダヤの属国になりきっていました。したがって、日本のお金はもう日本人のお金ではなかったのです。すべては金融ユダヤのお金になっていたのです。 「日銀」はどうも怪しいと私にメールやコメントをくださる方がいらっしゃいます。その疑いはごもっともです。「日銀」は金融ユダヤの配下にあり、「日銀」で刷られているお金もまた金融ユダヤの手の中にあります。ある意味、「日銀」こそ「金融ユダヤそのもの」と考えていいのではないかとさえ私は思います。 したがって、日本が賠償金を払うということは、つまり金融ユダヤのお金を世界各国にばらまくということに他ならず、ケチな金融ユダヤはそんな無駄な金はびた一文も払いたくはなかった。だから、戦後賠償を免除したわけです。これで得したのは日本ではなく、実は金融ユダヤなのです。そういう視点で日本経済の動きを見る必要があると思います。 もっとも、これまで日本は色んな口実でアメリカから大量のお金を巻き上げられてきましたし、現在でも、支援金などという名目で世界のあらゆる国に沢山のお金をばらまいています。したがって、国民の中には、戦後賠償は免除されていないという人も大勢います。実際、日本が戦後賠償を全くしてこなかったかというと、これは大きな間違いです。日本は多くの国と二国間協定を結び、多額の賠償金を支払ってきました。詳しくは以下のリンクをご覧ください。 ○日本の戦後賠償 ただし、ここにも一つのカラクリがあります。こうして日本が賠償金を支払った国は、何かしら金融ユダヤと関係があると考えた方がいいからです。日本がどこかの国にお金をばらまくのは、やはりその裏に何かがあるからです。そのお金のほとんど全てが金融ユダヤか、金融ユダヤの傀儡の懐に入る仕組みになっていると考えて間違いないでしょう。 実際、イスラム国への空爆支援も、エボラ熱対策への支援も、すべては金融ユダヤの懐を太らせるためでした。金融ユダヤは、自分たちとは何の関係もない国には日本のお金をびた一文もばらまきたくないのです。 もっとも、日本が賠償金を支払った国のすべてが金融ユダヤの傀儡だとは思いませんが、その多くが彼らの傀儡であることは間違いないと思います。ですから、日本からどこかの国にお金が流れていった際には、その背後に金融ユダヤがいるのではないか、と考えた方がいいでしょう。 今のところ、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ共和国)以外の国は、ほとんどその中枢に金融ユダヤの傀儡がいると考えていいと思います。あと、アメリカが敵対しているシリアなども例外と言っていいでしょうね。 で、これと大いに関連のある話なので、続けて三番目の質問にも答えます。「金融ユダヤが日本に色々と投資をしてくれたお陰で、今日の日本の繁栄があると思いますが、それでも金融ユダヤは悪いと思いますか」 先ほども言いましたが、この日本はもはや金融ユダヤのものです。金融ユダヤの私物になっていると言っても過言ではありません。 もちろん、私たち日本人はそうは思っていませんが、金融ユダヤはそう思っています。ですから、彼らもこの日本にはできるだけ繁栄してもらいたいと思っています。でないと、彼ら自身もまた美味しい思いができないからです。 豚を屠って食べるためには、まず多くのエサをやって肥え太らせなければなりません。これまで日本が繁栄してこれたのは、金融ユダヤがこの日本という豚(家畜)に大量のエサをばらまいてくれていたからです。私たちはそのエサによって無理やり肥え太らされていたのです。 日本のバブルが、金融ユダヤによってわざと引き起こされたというのは有名な話ですね。日本の市場に大量のお金をばらまき、多くの国民が借金してでも何かモノを買う、という風潮を生み出してしまえば、バブル景気は自然と生まれます。で、「日銀」がこの風潮を作れる立場にいるわけですが、先ほども言いましたようにこの「日銀」は「金融ユダヤそのもの」です。 私たち日本人は、こうして金融ユダヤのばらまいたエサのお陰で経済的な繁栄を味わうことができたわけですが、だからといって、金融ユダヤに感謝すべき、というのは大間違いです。 豚が肥え太った後は、人間様から屠って食べられる運命にあるからです。そして実際、我々は今では金融ユダヤによって次々と富を収奪され、息の根を止められようとしています。これは今になって金融ユダヤが急にそう計画したことではありません。最初から彼らはこのときのために我々にエサをずっと与えてくれていたのです。 で、今になってようやく国民の多くが何かおかしいと気付きはじめた。だから、私みたいな陰謀論ブログにも多くの方々が足を運んでくださっているわけですが、昔ならユダヤ陰謀論についてあれこれ書いても、「こいつはただの気違いか」と言って終わりになっていたことでしょう。 しかし、今では多くの日本人がどんどん生活に苦しみはじめている。だから、一体これはどういうことだろう、と誰もが疑問に思い、ネットで色々と調べはじめる。そうしているうちに、私のブログなどに出会い、やっぱり金融ユダヤみたいな巨大な黒幕が背後にいるのだなと知るに至るわけです。 この日本を覆っている不景気は、もはや天災などではありません。これは人為的に引き起こされたものです。人災に他なりません。これはこれまで何度も書いてきたことで、正直、余りに書きすぎたせいで、今ではもう書くのも嫌になってしまったぐらいです。(例えば以下のリンクをご参照ください。) ○カルト化する日本。「全体主義」から脱却し、「個人」を優先する国家へ。 ○安倍首相がウォールストリートジャーナルに寄稿。その内容に一部インチキがありましたので、私の方で訂正させていただきました。 私たち一般人すらすると、バブルが弾けた後は、お金がなくなり、生活が貧しくなります。しかし、金融ユダヤからすれば、日本がバブルであろうとなかろうと、その手の中にあるお金の量に大した違いはありません。 むしろ、バブルが弾けて不景気にしておいた方が、我々に大量のお金をばらまいておく必要もないので、好きなだけそのお金を毟り取れます。ですから、私たちが不景気に苦しめば苦しむほど、金融ユダヤが潤っていると考えても間違いはないでしょう。 ただし、今では彼らの悪事がことごとくばれて、彼らも以前のように好きなだけ悪事が働けないようになっています。特にバチカンやヨーロッパなどでは、次々と悪魔崇拝者たちの犯罪が暴かれ、厳しく処罰されたり、規制をかけられたりしています。なので、金融ユダヤたちにもお金が流れにくくなっており、一部の金融ユダヤが倒れたり、怒り狂って内輪もめしたりしています。 ○悪魔崇拝組織から裏切り者が続出している? だとしたら、今後は猟奇的殺人が急増するでしょう。 ○ベネッセ、ホームデポ、JAL、ヤマト、ドコモ……次々と起きる個人情報漏洩事件。確実に裏で何か起きていますね。 ○国連人権理事会が「ハゲタカファンド」に初の非難決議。欲張りすぎた金融ユダヤに世界がついに背を向けはじめました。 しかし、基本的にはこの日本の不景気によって、金融ユダヤの多くが肥え太っていると考えて間違いないでしょう。日本郵政の動きを見れば、それがすぐに分かります。詳しくは以下のリンク記事に書いてあります。 ○国民の知らない間に、日本郵政が金融ユダヤによって私物化され、儲けの種に使われています。 このバブル崩壊について、実に興味深いメールをくださった方がいらっしゃいます。日本のバブル崩壊ではなく、アメリカのリーマンショックに関するメールですが、このときアメリカでどのようなことがあったのか、その内幕が書かれてあります。 リーマンショックによってアメリカの金融機関が次々と大きな打撃を受けましたが、結局、それによって金融ユダヤがどれほど肥え太ったかが、これを読めばよく分かります。金融機関にお勤めの方でしたら、特に興味深い内容ではないかと思います。 ★ ★ ★ 次回に続く。
2014年10月20日
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大人と子供の試合のようなサッカーのブラジル戦をみて、この国の教育の弊害が、暗記一点張りの奴隷教育にあることがわかった。ブラジル戦から、ブラジル選手は運動量では日本選手より少ないが遥かに得点能力が高いことがわかった。つまり効率よく得点をとっているのである。 これはどういうことかといえば、得点に絡まない無駄な動きが少ないことになる。それには無駄かどうかを考えてプレーしなければならない。考えてプレーするようになるから思考力がつく。 外国の一流選手からよく指摘されるのは、「日本の選手は無駄な動きが多い」である。そして結論として、経験の少なさを指摘される。 つまり、海外の人がよくいう「日本人は無駄な仕事が多い。非効率である」と被るのである。 だから、日本のコーチは、考えながらプレーしろ、とよくいうのだが、前回紹介したシュタイナーの話からもわかるように「考えながらプレーする」のは非現実的である。つまり、プレー中に考えるのは困難なんで、プレーしていないときに考えないといけないわけである。 だから、日本人選手はボールをもたないときに考えてないのである。ボールをもっているのは1人だから、現場では10人の他の選手が考えていないことになる。ブラジル選手はボールをもたなくても、考えているわけである。 勿論、考えた通りにいかないことが多いが、少なくとも自分が行ったプレーが良かったのかどうかを吟味できる。 日本と海外の大きな違いは休息の取り方にある。海外は休息中に自分のプレーや仕事を客観的に考える。仕事やプレーに夢中になっている日本人にはこの発想が欠けている。休息を粗末に扱っている。だからまた、海外では、自分で納得しない仕事はしないのが基本であるし、評価されないと転職も厭わない。 日本という狭い社会では、がむしゃらに働けばそれなりの地位につけるかもしれないが、海外では、ただがむしゃらに働くのは奴隷と同じとみなされるだけである。それに日本には依怙贔屓の癒着や権力の太鼓持ちなどの不正行為でそれなりの地位につくアホバカもいるので、このがむしゃら馬鹿の一つ覚えの奴隷突撃行為が奨励されてしまう。過労死するのはほぼ日本人だけである。 だから海外では効率のよい練習法が求められるし、日本のように非効率な方法は不自由を強いる点からも却下される。効率を求める思考力を中心に行動が求められる。だから、得点につながらない行動は評価されない。 そのため、海外の選手は、例えば、得点圏内に侵入したのに、パスをくれないとボールをもつ選手に「俺の動きを無駄にしやがって!」と文句をいうのである。日本の選手は正確でなくても、ボールをもつ選手が自分の方にパスをくれたことに満足する。 海外の選手はボールをもつもたないに関係なく平等で、日本はボールをもつ選手が権利を握っている。つまり海外ではボールに囚われず自由に動け、日本ではボールに囚われ不自由になっている。だから日本はボールの支配率は高くても、得点効率が悪いのでゲームには勝てない。ボールを持っている時間が長ければいいと思い込んでいる。 このような思考力よりも暗記や自殺行為の馬鹿の一つ覚えというのを重視するのが日本の奴隷教育の特徴である。 つまり思考力に重点を置いた教育が皆無で、だから自由な行為や発想が出てこない。だから学校で教育を受けなかった人の方がむしろ自由で、柔軟で、個性的なんである。 一般的に高校の教育までは日本人は国際的に優秀といわれる。しかし単純にいって、高校までに習うものは誰かが発見したものや方法で、つまりそれらを覚え真似るだけの、換言すれば、暗記だけで済むのである。 高校から先の大学になると、応用力がある程度必要になるので、暗記だけで解決してきた問題以外に遭遇するため、頭打ちになる。しかも日本の大学は入ったらおしまいのエスカレータ式で、研究意欲に極めて乏しいレベルにある。いまだに入学時の偏差値でランキングしている位である。 つまり教科書馬鹿を養成しているだけなんである。ただ暗記するだけで、自分の頭で考えようとしないから、どれもこれも論語読みの論語知らずとなる。これは学生や生徒だけの問題でなく、教え方にも問題がある。 教科書を書き換えるのには勿論、教科書を覚えることを否定するわけではない。しかし、ただ覚えただけではダメで、覚えた内容がどういう意味をもつのかを考えないと何もはじまらないというわけである。 そのような教科書馬鹿、教科書を沢山覚えた自慢アホバカにならないために、シュタイナーの自由の哲学の紹介を続ける。 ★ ★ ★ 前回に続き、「思考」の重要性についての基礎を述べるので、少し難しいところもあるが、少し詳しく見ていく。 まず、思考から概念が生じることについて述べる。 概念や理念は思考からはじめて獲得される。それらは思考を前提にしている。従って、思考は自身を基礎にし、他の何者からも規定されない本質をもつので、思考を概念に当てはまることはできない。(P74) 例えば、木を観察する。思考が、木という観察の対象に、観念上の対応物を結びつける。思考の後で、その対象が目の前から消えても、その観念上の対応物は残る。それが、対象の「概念」である。 もちろん、そうした「概念」は、その他諸々の「概念」と「法則的な形で全体のなかに互いに関係づけられる」。しかし、そうした概念は思考からはじめて獲得される。 また、次のことも重要である。 概念を観察の中から取り出すことはできない。(P74) いくら観察を積み重ねても、それだけでは概念をとりだせない。例えば、何か物音を聞いても、その物音を、何かの結果として捉え、その原因を探すために、物音を聞いた知覚を、結果と原因という因果の概念に結びつける思考が必要となる。 そうした「思考」と「観察」を結びつけるのは、人間の「意識」という場である。 概念と観察とが出会い、互いに結び合うのは人間の意識という舞台である。人間の意識を特徴づけるには、次のように考えるとよい。 「意識とは、思考と観察の仲介者である。」 対象を観察するだけなら、対象は外から人間にただ与えられたものとして現われるが、その対象を思考する場合、人間は、その対象を内に取り込み、自分を能動的な存在にする。対象を客観化し、自分を主観化する。 つまり、思考を観察の対象に向け、対象に意識を向ける一方で、思考を自分にも向け、自分についての意識も持つ。つまり対象についての意識と同時に自己の意識を持つようになる。 人間の意識は思考する意識なので、必然的に自己の意識にもなる。なぜなら思考を自身の活動に向けるとき、思考は自らの固有の本性である主観を、客観として扱うからである。しかも、人間は、思考の助けをかりて自分を主観に設定し、自分と対象とを対置する。 だから単純に思考を主観の働きと解するのは間違いである。思考は主観と客観の彼方にあり、この二つの概念を他の全ての概念と同じように作り上げる存在である。(P76-77) 思考は、主観と客観という両概念を超えるものである。 思考が外の対象に向けられれば「客観」と呼ばれ、内の自分の意識に向けられれば「主観」と呼ばれる。思考により、人間の「二重の本性」が生まれる。これについては、後に詳細に見ていく。このような視点から「思考」を検討していくことで、最初の疑問の一つである「認識の限界」の問題に迫っていく。 人間の二重の本性は次の点に基づいている。第一に思考により自分と外界を包摂する。第二に思考により自分を外界の事物と向き合う個体にする。(P77) そこで次のような疑問が生じる。 「では一体、思考により意識のなかに持ち込まれた、これまで観察の対象と名付けてきたものは、どのような形で意識のなかに入ってきたのか?」 この疑問に答えるには、観察のなかから思考により意識のなかに持ち込まれたもの全てを取り除く必要がある。というのも、その時々に意識のなかに持ち込まれたものが、多様極まりない形で概念と絡み合っているからである。 そこで次のような光景を描いてみる。完璧な知性をもつ人間が、無から生じて、いきなり今、外界と向き合う光景を考察する。そのような人間が、思考する前に行うものが、純粋な観察であろう。 その純粋な観察から、外界は、この人間に対して、色、音、圧力、熱、味、匂い等が互いに関連を持たない、単なるガラクタの寄せ集めでしかない知覚しか与えないだろう。それに対して、快、不快の感情も働くかもしれない。 このようなガラクタの寄せ集めが、何の思考も得ない純粋な観察の内容である。このような観察の内容に対して、思考は、はじめる切欠を見つけ次第、活動を開始しようと待ちかまえている。そして、その切欠の見つけ方を経験が教えてくれる。 思考はある観察の対象から別の観察の対象へと糸を張り巡らす。そして観察の対象に対応する概念を結びつけ、それらをある関係下におく。(P77-78) そこで、これから私(シュタイナー)は1つの言葉を用いるが、この言葉は色々な意味に使われているので、読者との合意を得ておくのがよいだろう。上述の、思考を得ずに、直接知覚した対象を「知覚内容」と名づける。 これは意識のなかの主観が、観察を通して、対象についての情報を得るときの言葉である。従って、観察の対象に対して名づけるものである。(P78-79) ★ ★ ★ というように、非常に難解な話である。簡単にいえば、人間が見る景色はその人の思考に依存する、ということなのだろう。思考が不自由ならば、景色もどこか不自由にしかみえないわけで、行動の選択肢も限られてしまう。 例えば、ボールをもっている選手しかみていなければ、ボールに囚われた動きしかできなくなる。攻めの形や守りの形をつくってから、ボールを回すということができないのである。俊敏に体制をつくってから、正確にボールを回すという自由な発想もなく、行き当たりばったり、ボールに向かって突進するだけになる。 ボールのない場所での動き、傍からみれば休んでいるようにみえて、実は頭のなかではあらゆる可能な想定を考え、何倍も働いているのが一流選手というわけなんである。ボールに向かってただ突進するのでは展開を予測するのが苦手になってしまう。 例えば、学校で演劇をやるのに、主人公ばかりを演じたがる小学生や幼稚園児を生み出すのも暗記教育の愚かさにある。演劇では確かに主人公は設定されているが、現実の社会では誰もが主人公で、シナリオは決まっていない。決められた主人公になって何が面白いのだろうか、親馬鹿である。 決められたレールを歩くのはレールの奴隷でしかない。小さいうちからレールを歩かせるのは自由を奪う愚の骨頂である。親が子どもの人生を決めるのでは親の奴隷である。日本では人間をペットにする教育が平然と行われているのが現実である。
2014年10月16日
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日本人が没個性なのは古くから植民地の奴隷社会で、自由に乏しいことに要因があることを八切史観から何度となく紹介してきたが、そのような過去を恨んでいても前に進むことはできないし、かえって利権をもつ輩や差別主義者をノスタルジーに浸らせるだけである。 古き良きニッポンなんて幻想にいつまでも囚われているから益々アホバカで、不自由になるのである。アホアホ総理はその典型であろう。アホアホ総理のようなノスタルジーに浸る統合失調症を克服することが現在のこの国の課題なんである。 日本人に自由が乏しい要因の一つは休息の少なさにあると思われる。西欧と日本の大きな違いは働くことについての価値観であり、西欧は懲罰的な意味合いが大きく、どちらかというと悪徳で、日本では奴隷制のためか美徳とされている違いにある。 勿論、西欧にも「働かざる者食うべからず」という諺があるが、それは適度な労働であって、全く働かない者に対する苦言である。逆説的にいえば、仙人のように何も食わなければ働かなくてもよいわけである。 日本にきた外国人の多くが「日本人の働き方には無駄が多い」と指摘するように、日本人の多くが意識して働いているようにはみえない。まるで機械のような流れ作業を無意識にこなしているようにみえる。だからどこかマシンのようで没個性にみえるのだろう。日本人のこの没個性で権威に弱い点をつかれ偽ユダヤ悪魔の手先などにされてしまう。 つまり多くの日本人は自分の働きや仕事が社会にとって、会社にとってどのような意味あいをもつのかなどほとんど考えずにいる。はっきりいえば、極端な場合、社会では悪とみなされることでも、会社の上司から命じられれば無責任にも行ってしまう傾向にある。ダマスゴミなどがその典型で金儲けのために出鱈目ばかり宣伝する。 そして、後で悪や嘘が発覚すると、「上にいわれたから」、「他もやっているから」といった自分の判断力を放棄してしまう羽目に陥る。トップは責任逃れに終始する。これではこの民族が救われるわけがない。 日本人の多くが後先考えずに無意識に働いているので、エコノミックアニマルとか、働きアリに喩えられてしまう。人間とは思われない。 自分の判断力を放棄する、ということは人間でなくなる、ということなんである。自由をつくることが人類の使命なのに逆に自由を放棄しているわけである。自分から悪魔の僕に成り下がっているのである。 このようなアホバカにならないために、シュタイナーの自由の哲学の紹介を続ける。 ★ ★ ★ 今回は、「思考」について検討する。少し難しいところもあるが、非常に重要で、また出発点でもあるので少し詳しく見ていく。 まず、「観察」と「思考」について。 観察と思考は、意識されたものである限り、あらゆる精神の行為の出発点となる。日常の常識的な判断から特別な高度の科学研究までも、この2つの柱に支えられている。 哲学者はこれまで様々な基本的な対立から論議をはじめてきた。観念と現実、主観と客観、現象と物質、自我と非我、概念と物質、力と素材、意識と無意識などである。けれどもこれら全ての対立に観察と思考の対立が先行し、それが最重要な対立であることは容易に理解できる。(P51-52) 「精神のあらゆる行為」の出発点には、「観察」と「思考」がある。 時間の流れからいえば、観察は思考に先立つ。なぜなら観察を通して思考も生じるからである。・・・人間の体験は、まず観察を通して認められる。感覚、知覚、直観、感情、意志、夢や空想、表象、概念や理念、幻想や幻覚などの全ては、観察を通して与えられる。 ただ思考だけは、観察対象としては、他の全てから本質的に区別される。・・・対象を観察し、思考するのは、どんな生活にも見られる日常的な行為である。しかし思考を観察するには、例外的な立場を必要とする。・・・思考を観察するには、他の対象を観察する立場では無理がある。それは思考があくまでも観察する側にあり、それをはっきりと認識する必要がある。(P52-53) 体験は全て「観察」を通じて与えられる。「観察」されないものは体験できない。しかし、「思考」だけは、通常の意味での「観察」の対象とはなりえない。思考は、観察する側にあるからで、「観察」されたものが「思考」という形に変換される。 思考に夢中な人は、今自分が思考していることさえも忘れている。このことが思考の特徴をよく示している。思考に夢中な人が心を向けてるのは思考ではなく、自分が観察している対象なのである。 従って思考を観察してまず気づくのは、日常生活の中では観察の対象になっていないことにある。・・・思考する人は、自分の思考ではなく、思考の対象に眼を向けている。 更にいえば、例外的な立場を設定して、自分の思考そのものを考察の対象にする場合でさえ、同じことがいえる。つまり自分の現在の思考をそのまま観察できず、ある程度、時間がたってから過去の自分の思考についての経験を後から考察の対象にできるだけなのである。(P55-56) 「思考」が「観察」の対象となるのは、自分の「思考」を後から対象とするときだけである。今まさに行なっている「思考」そのものを「観察」の対象にはできない。 創造的な活動と、それを同時に観察の対象にすることは両立しない。このことは旧約聖書の創世記で述べられている。6柱の神が宇宙を創造する。宇宙を創造した後ではじめて、第7番目の神が、それを観察できる。 「そして神は創造されたすべてを見、そしてそれが満足すべきものであると思われた。」 このことは人間の思考にもあてはまる。それを観察するなら、創造を一旦やめないといけない。 (この聖書の創世記から、休息である日曜日が設けられたとされているが、つまり、その意味とは、創造活動をやめて、これまで行ってきた創造活動が正しかったかどうかの確認をしなさい、ということなんである。 だから、休息というのは非常に重要な意味をもつ。オカルト的にいうなら、審判の日を設けなさいというわけである。休みをあまりとらない人は善悪の判断がつかないというわけである。) いま考えている思考をそのまま観察できないのは、思考が他のいかなる働きよりも直接認識できるからである。思考は自分が生み出すものである。だからこそ、その特徴を知り、その働きを理解する必要がある。他の一切の観察においては、間接的な形でしか、事実関係などを知ることはできない。けれども思考だけは、直接、事実関係などを知ることができる。(P57) 上述のように聖書の創世記の興味深い例を挙げたが、自らの思考を(外から)観察するには、まず思考を生み出さねばならない。そして、「思考を生み出す」のは、自分自身で、その思考は直接知ることができる。「思考」の重要性がここにある。 思考を生み出しさえすれば、どんな人でも思考を観察できるようになれるが、生み出した思考の観察は最重要な観察となる。というのも自分が生み出した思考を観察するわけで、自分の活動に直接向き合うからである。自分の観察対象がどのように生じるのかがわかるし、状況や関係も見通せる。そして何より、他の全ての現象の解明を期待できるような確実な土台(道具)を獲得できる。(P59) 自然には不可能な、いわば観察前の創造行為を、人間は思考で行なっている。観察の前に思考という創造行為を控えるなら、いつまでたっても思考の観察に辿りつくことはない。ともかく思考を生み出すことが先決である。そうすれば後で、自分の行為を観察し、思考を認識できるようになる。 思考を観察対象にする場合、対象である思考をまず生み出す。思考以外の他の対象は、自分の手から離れたところに既に存在している。(P63) (思考のみが人間が生み出せる唯一の創造活動である。) 思考こそが、宇宙の秘密の一端を掴むことができるものである。思考から何かが生まれるとき、必ずそれに立ち会っている。まさにこのことが大切なのである。 なぜ自然の事物が、人間には謎めいて現われてくるのか? その理由はその事物の成立過程に人間が立ち会わなかったからである。人間は自然という既に出来上がった事物を眼前に抱えている。けれども思考だけは、どのようにして出来たのかを人間は知っている。人間は思考の創造者だからである。だから宇宙の出来事を考察するとき、思考以上に根源的な出発点はどこにも存在しない。(P63-64) 「思考」だけは、どのように生み出されてきたかを人間自らで辿ることができる。そうした意味で、「根源的な出発点」としての「思考」の重要性を認識する必要がある。 まず思考を全くの中立の状態にする必要がある。つまり思考を主観や、対象にも関係させずに思考しなければならない。というのも主観には、あらかじめ思考により生み出された概念が含まれているからである。 どんな存在を考えるにも、まず思考の形をとらなければならない。 この事実を否定する人は、人間が宇宙の創造の最初に属しているのではなく、最後に属していることを忘れている。従って、宇宙を概念から認識するなら、宇宙の創造の最初期からではなく、人間に最も身近な最も親しみのある「現在」から出発しなければならない。 タイムマシンのようなもので、ひと飛びで宇宙創成の初期に行き、そこから考察することはできない。現在の瞬間から出発し、後から生まれたものから前に生まれたものへと遡っていかねばならない。 例えば、地質学は現在の地形を説明するために、突発的な天変地異を過去のどこかに想定する限り、闇の中を手探りで進むしかない。今現在どんな形成が地球で演じられているのか、の探求から始め、そこから過去へと遡っていくときにだけ、確かな地質学の基盤がはじめて獲得できる。 哲学や科学が、原子、運動、物質、意志、無意識のような類の原理を前提にする限り、その哲学は宙に浮いたものになる。哲学や科学が、身近な親しみのある最後に生まれた、現在にあるものを出発点とするときにだけ、目標に到達できる。そして宇宙の進化がもたらした最後のものこそ、思考に他ならない。(P567-68) 「思考」は「二元論」を克服する重要な鍵になる。「思考」の考察は、自らが創造したものを考察することであり、その意味で二元論の前に立ち戻ることができる。 ★ ★ ★ 日本をみていると、思考については著しく西欧に遅れていることがわかる。東洋全般にもいえることだが、思考については遅れている分、差別も多く、自由に乏しく、没個性に陥りやすい。 理由や根拠もなく、ただ鵜呑みにし無意識に行動する人が多い。特に日本人に顕著にみられるので、ダマスゴミなどに簡単に洗脳され、騙されやすく詐欺が蔓延るわけである。外国では騙される方も悪いという価値観があるが、日本では騙す方が悪いという価値観しかないが、かといって騙す奴を改心させることもできない。 騙す奴を罰せない限り意味のない価値観であり、騙す奴が権威などを逆手にとると、見逃すのだから、始末に負えない。つまり自浄能力に乏しい国民性をもつといわねばならない。奴隷根性とセットでなくさないといけない悪徳である。
2014年10月14日
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人体の背後にある活動を、今度は、広義の意味での外界の環境、つまり気象的な影響[das Meteorologische](周囲の環境)と関係づけてみる。 従って、治療に際し、患部に対する薬物の影響だけでなく、全体の治癒の経過を追求し、広義の意味で気象的な(周囲の環境からの)影響との間に成立する関係にも注意すべきである。 人体の背後には、天体の影響から潜在的に組み込まれる活動と、気象的な(周囲の環境からの)影響から潜在的に組み込まれる活動があり、区別できる。とはいっても、正確な観察法が必要である。 上記のような区別を聞くと、はじめはショッキングに聞こえるが、治療の基礎的な最良の指針になることが、次第にわかるはずである。 天体の影響に属する霊的な器官と同様に、気象的な(周囲の環境からの)影響についても、人体背後の活動に注目すべきで、気象的な影響を背後にもつ器官は、特に肝臓や小嚢状器官の代表である膀胱であり、膀胱は、病理学的意味でも重要である。 奇妙に思えるかもしれないが、病理学では、膀胱は最重要な器官である。 更に、肺に注目すべきである。肺は呼吸を司ることで、外界に対して開いている。更に、外界の気象(環境)などに対して開いている器官は、これまでの観察から述べてきた事実を正しく受け取れば、ある意味、全身を外界に開いている器官として、心臓が挙げられる。 以上の器官は、実際、特定の気象(環境)との関係から人体に組み込まれた経緯をもつ。このような器官と気象との関係とその意味を研究するには、周囲の世界との関係全般、特に周囲の環境と人間の活動の関係に迫っていく必要がある。 例えば、心臓の障害に関する疾患全般の病因を徹底的に調査すれば、周囲の環境のなかでの人間の活動の障害や妨害に帰せられることが指摘できる。 例えば、畑を耕す農夫の日常の活動とほとんど変わらない生活と、例えば職業上、頻繁に自動車に乗ったり、頻繁に鉄道旅行をする生活を調査すれば、心臓の働きが異なってくることがわかる。 上記の点などについて一度徹底的に調査すれば、極めて興味深い結果が得られる。というのも、心疾患への傾向は、要するに、自動車や列車などの外的な手段により移動している間、そのなかで自分が座ったまま運動せずに移動させられることに依拠する事実などがわかるからである。 (エコノミー症候群や、心筋梗塞等の発生などで明らかになっている。) 上記のように、自動車や列車などの受動的な運動に身を委ねることは、心臓のなかで滞留する外界の活動(熱運動)と人体内の活動(熱運動)を変形させてしまう。 さて、以上のような人体内の活動全般は、人体内を温める活動と関係している。以上の事実から、心臓の働きと、外界の熱の流れとの親和性に気づくはずである。 以上の事実から、活動により人間が十分な熱を発生させると、この発生熱のうちの、一定の割合の熱が、同時に、心臓の健康を保つことがわかる。従って、心疾患に対して必ず注意すべき事実とは、自身で運動を体験し、熱を発生させることにある。 (人体の発熱活動を奪われることで、血栓などができやすくなり、心筋梗塞や脳梗塞を誘発する。運動不足が悪玉コレステロールを増やしたりすることでもわかる。) これから15年ほど経てば、上記のような事柄について、現在(1920年)よりも冷静に考えられるようになり、次のような発言も出てくるだろう。 「不思議だ、オイリュトミーで心臓の働きが良くなるなんて!」 オイリュトミー(シュタイナーの考案したダンスのような体操)は、魂を通じて、自身の(熱)運動を、規則的に調整するからである。 「不規則な心臓の機能といった問題は、オイリュトミーなどから得られる運動や、人智学的な観点から言及すべきである。」 (エコノミー症候群には、オイリュトミーではないが、規則的な運動が予防策として現に考案されている。) ★ ★ ★ 昨今のヨガブームなども頻繁に移動を繰り返す現代人には健康を保つ有効な手段とも考えられる。外界の熱と人体の熱の均衡をとるのが心臓であり、運動でつくりだす熱が少なすぎると外界の熱に曝され過ぎるので、相対的に人体が冷え、風邪などに罹る。 葛根湯が風邪気味のときに効くのは、人体の発熱を強制的に高めるからである。風邪をひいた後に熱発するのは外界の熱とともにやってくるウイルスを追い出すためである。現代科学では「ウイルスを死滅させるため」と言っているが、生命体の活動には適度な熱が必要なので、侵入した生命体の熱循環を崩すためである。 人体は常に発熱していないと健康を保てないことは体温からも明らかである。だから体温を常に測るのは健康を保つのに理に叶っている。 霊魂を人体に馴染ませるには運動が不可欠で発熱すれば霊魂も浸透しやすいことがわかる。逆に運動不足だと人体に霊魂が馴染まずに夢遊病に近くなり抵抗力に乏しく、風邪などに罹りやすい体質となる。 このことから邪霊に憑依されやすいのは運動不足で肥満体質なこともわかる。デブの霊能者のほとんどがニセモノであることがわかる。だから仏教などでは断食や修行という運動をして摂生しているわけである。 大仏がデブという反論があるかもしれないが、あれは宇宙そのもののイメージであり、霊体での表現である。その証拠に額には白毫(チャクラ)があり、頭はパンチパーマのようにみえるが、螺髪と呼ばれる生命の息吹である叡智が渦のように出ている表現である。 白毫も螺髪の髪の毛も光を表現したものである。右巻き螺旋状なのは、DNAや天体の軌道と同じで、光の波動を表す。光で輝いている表現を物質化してああなった。仏像や仏典が身近にありながら何もその意味を知らないというのは論語読みの論語知らずであるから全く情けない話である。知らずに地獄に行くだけだ!
2014年10月14日
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生命を虐げ、貧困をつくり出すのが経済でないことは明らかだが、現代の経済学者はアホバカばかりで、その逆をやり単なる金儲けしか考えられない、お粗末さなんである。 国民を(精神的な)豊かさに導くのが政府なのに逆に搾取し虐げているのだから国家消滅も時間の問題と言わざるを得ない。 究極の経済とはかつての楽園を取り戻す方法であり、富とは、経験の豊富さであるから、物質に縛られず、逆に不自由な物質界から解放するように経験を用いることなんである。 不自由から自由を学ぶはずが、かえって不自由に拘束されるのは本末転倒である。欲望の虜となった不自由な存在は次第に自身を拘束していく。闇を誤魔化すには闇で隠すしかないから益々闇が深くなる。 略奪者は終いには奪うものがなくなって自らの自由を奪っていく。略奪自体が不自由をつくり出すから当たり前の自業自得なんである。 さて、そのような略奪者の顛末がわかる面白い話をネットでみつけたので紹介するが、このサイトの誰々が菩薩だのなんだのといった、いかにも如何わしさを漂わせるオカルトのガラクタな話の部分は無視してほしい。本当の菩薩は自分を菩薩などというわけがないからである。 ★ ★ ★ アメリカの日本収奪計画(3) http://ameblo.jp/cpa-togo/entry-11938351885.html (3)BIS規制によって日本は明確にターゲットにされた! 戦後において、アメリカに巣食う闇の支配者たちによって日本は支配されてきた。現在、窮地に陥っている彼らが、最終防衛線として自らの保身のために収奪の限りを尽くす「2020年2000兆円収奪計画」が始動し始めている。彼らにとって、日本は都合のいい「飼い犬」であり、「打ち出の小槌」なのである。 アメリカが日本に収奪を始めたのは1980年代に入ってからである。驚異的な戦後復興を経て、経済大国になった日本にアメリカは脅威を覚えるとともに、日本に「格の違い」を分からせることから始まった。その第1弾が1985年のプラザ合意である。ニューヨークのプラザホテルで開かれたG5(先進5カ国財務省・中央銀行総裁会議)における合意のことである。 1980年代、アメリカのレーガン政権は、金融引き締めによるインフレ抑制策を敷いていた。その結果、世界中のお金がアメリカに集中し、ドル高となり、輸出減少と輸入拡大となった。この結果、膨大な貿易赤字と財政赤字を生み出すことになった。 インフレが沈静化した為、金融緩和を行うとドルは次第に不安定になっていく。これを安定させるために、最大の貿易国である日本が標的となった。つまり、大幅な円高誘導を決定したのである。中曽根政権も大幅な円高誘導を飲むはずがなかった。 抵抗する(?)中曽根政権もJAL123便がCIAによって追撃されるという恫喝に屈してしまい、プラザ合意が成立してしまったのである。→日航ジャンボ123便の撃墜について、飛鳥昭雄氏は自衛隊の誤爆であるとしているが、やはり、アメリカの恫喝であるとする説の方が説得力がある。 (中曽根が抵抗したとは思えないが…) プラザ合意の後、235円だったが150円台へ大幅な円高となった。この結果、日本の輸出企業は大打撃を受け「円高不況」になると思われた。しかし、日本企業はよく耐えた。生産拠点を海外に移し、コスト競争力をつけた。さらに、金利引き下げの影響から、逆にバブル景気と呼ばれる好景気へと突入していく。そんな日本に、再び、欧米の闇の支配者が罠を仕掛けた。それが「BIS規制」である。 BIS規制とは、国際業務を行う銀行が、国際統一基準によって定められた自己資本比率を満たせない場合は、国際業務を出来なくするという規制である。基準となる自己資本比率とは8%である。この数字は何の根拠もない数字である。アメリカとイギリスにとって都合の良い数字だからである。つまり、BIS規制とは日本の銀行を封じ込めるための数字で設定されていたのである。この罠には2つの狙いがあった。(1)アメリカ市場を席巻するジャパンマネーを封じ込めるためであった。(2)BIS規制の自己資本比率は含み益も「8%枠」に入っていることである。 つまり、含み益が「8%枠」に含まれるようになると、BIS自己資本比率は為替レートや資産価格の変動で容易に変化するものになってしまったのである。1988年と言えば、まだバブル経済により、地価が無限に上昇するのではないかと思えた時期である。地価が上がれば自己資本も当然上がる。 1992年のBIS規制適用を控えていたとしても、問題なく土地を担保に与信していた。しかし、実際に起ったのはバブル崩壊だった。バブルが弾けると同時に株価は下落し、地価も暴落した。 (確か土地が値上がりすぎという世論を喚起し日銀が金利を操作したことからバブル崩壊が始まった記憶がある。) 8%基準をクリアできなくなった金融機関は破綻を免れず、クリアした金融機関も自己資本比率が減少したことにより、銀行貸し出しを抑制せざるを得なくなり、「貸し渋り」や「貸し剥がし」が続発し、中小企業も破壊的ダメージを受けたのである。ジャパンマネーも撤退せざるを得なくなった。こうして東南アジアや破綻した金融機関や有望中小企業が禿鷹の餌食となったのである。 アメリカが何故日本を標的にしたのか? アメリカは製造業をすでに放棄した国であった。その結果が、巨額の貿易赤字であった。その貿易赤字を埋め合わせるために使われたのが米国債である。これを日本や中国に売りつけて生きながらえていた。プラザ合意以降、ドル安政策をとるようになるとドルの下落が米国債の価値も暴落してしまう。 紙くず同然の米国債など誰も買わなくなってしまうのは当然である。これではアメリカの粉飾決算が出来なくなってしまう。アメリカは世界中から金をふんだくるために悪魔的な世紀の大ペテンを編み出したのである。それがデリバティブであった。アメリカの金融機関が売ったデリバティブは15京ドルとも言われている。 (なぜか知らぬが、天皇の隠し資金も15京といわれている。ドルではなく円だが…) ありとあらゆるものを証券化し、レバレッジをかけて実際にあるものの数倍の規模で動かし、金にする。まさしく錬金術であった。この証券化された金融商品CDO(債務担保証券)を国外に売りまくった。この金融商品は日本や欧米によく売れた。無から金を生み出し、ウォール街から世界の市場を支配する国際金融資本の連中はわが世の春を謳歌した。しかし、落とし穴があった。 証券化するCDOの中にごみ屑同然のハイリスクな信用度の低い低所得者向けの住宅ローンが組み込まれていたのである。「サブプライムローン」が何故腐っていたのか? それは強欲な連中が貧乏人を標的に金を吸い上げようという目的でつくられたからである。 極端な話、年収100万程度のメキシコ不法入国民でも7500万円のローンが組めると飛びついたのである。これが「サブプライムローン」の本質である。考えてみれば、焦げ付くのは確実なのは経済に詳しくない人でも分かる仕組みである。ゴールドマン・サックスなどは、顧客にCDOを売りまくると同時に、空売りをしていた。 (そもそも貧困者を犠牲にした本末転倒なやり方に問題がある。経済に詳しいと称される連中が投機を煽っていた。) 2007年に住宅バブル崩壊をきっかけに、翌年にはリーマン・ブラザーズ証券が連邦破産法大11条適用を申請した。リーマン・ショックと言われる世界同時株安に突入した。日本の金融機関はCDOを引き受けていた金融機関は少なかった。 そのため、世界経済の失速により、日本製品への需要も下がるとの見方が市場に広がり、日本売りと言う影響となって現れた。株価の下落と共に、深刻な輸出不振を引き起こし、間接的に大きなダメージを受けたのである。アメリカの失速で日本の中で対中貿易の重要度が増してきたのもこの時期である。 アメリカがでっち上げたCDOと言うデリバティブがきっかけとなったリーマン・ショックは闇の支配者が自らの悪魔的頭脳におぼれた結果の失策であり、内部的な結束を崩壊させるきっかけにもなった事件である。この失策によって、闇の支配者は人目も気にせず生き残りをかけて日本を収奪すべく動きを始めることになったのである。 ★ ★ ★ 続いて、どんどん不自由になっていくこの国の顛末を表現する話をお馴染みのサイトから紹介する。 ★ ★ ★ 特定秘密保護法は「不正運用できない」と安倍不正首相が強調? http://d.hatena.ne.jp/rebel00/ みなさんも、とっくにご存知かと思いますが、12月10日から、特定秘密保護法が施行されます。 この法律について「不正運用できない」と選挙不正で政権の座についた安部首相が強調したそうです! 特定秘密保護法「不正運用できない」…首相強調 安倍首相は6日午前の衆院予算委員会で、12月に施行される特定秘密保護法について「二重三重の仕組みによって、恣意しい的な、不正な運用はできないということになっている」と述べた。 政府が不都合な情報を隠蔽することはできないようになっているとして、意図的な情報隠蔽が行われるという懸念は当てはまらないとの考えをあらためて強調したもの。 衆院の定数削減については「議員を減らすのは、行政の立場から言えば、チェックされずに済むということだが、そうであってはならないという良識がある。国会でしっかり議論して決めてほしい」と語った。維新の党が、使途を明らかにするために領収書の公開を求めている国会議員の文書通信交通滞在費(月100万円)については「議員活動に関わることなので、各党各会派で議論してほしい」と述べた。 2014年10月06日 15時24分 Copyright c The Yomiuri Shimbun http://www.freezepage.com/1412728725NXHVTTUMHK なんと! 安倍不正首相によると、特定秘密保護法で「政府が不都合な情報を隠蔽することはできない」んだとか。 って事は、この法律が施行された暁には・・・ 自民党や公明党の後ろには、統一教会や創価学会がいて、そして、その統一・創価の後ろで、ユダヤ米国CIAが日本を統制しているなんて事実や そういう本当の事を言ってしまう奴らの口を塞いだり、もっと合法的に、ユダ金が日本でやりたい放題するために特定秘密保護法を施行した! なーんて事実も明かされるって事?w っという事で、虚言癖&妄言癖のある不正首相の発言を、ユダヤCIA付属読売ポダム新聞が報じたというニュースでした! ▼安倍晋三と岸信介と統一教会 http://d.hatena.ne.jp/rebel00/20120927/1348754351 ▼TPP参加表明の強行と田布施人脈と明治維新の真実 http://d.hatena.ne.jp/rebel00/20130315/1363316406 ▼四大新聞社の裏側と実態!(まとめ) http://d.hatena.ne.jp/rebel00/20120117/1326761770 ▼電通の正体とマスコミ支配の実態 http://d.hatena.ne.jp/rebel00/20120201/1328055834 ★ ★ ★ 嘘つき取締り法案を成立すべきなのに、嘘つき擁護法案が成立してしまうのだから、世の中真っ暗闇じゃござんせんかね。悪に阿って地獄へ真っ先に突撃したいようです。アホバカにつける薬なしです。不正の権化ですな!
2014年10月14日
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連休中は「ワンピース」というアニメに夢中になっていた。ワンピースの世界は虚構だが、心を通じて現代を描いているように思えてならない。 ルフィ―という主人公は自由を求めて海賊王になろうと決心する。ワンピースの描く世界は天竜人といわれる輩が世界を奴隷支配し君臨し、正義の名の下に階級社会を権力と武力で押し付けていく最強の海軍を随えている。不自由で息苦しい理不尽な世界である。 ワンピースが描く世界は、偽善者ばかりの世界である。ルフィーは素朴な人間らしい心をもった青年で悪魔たちの奴隷になっている人間たちを解放していく。肩書きやレッテルに囚われない海賊に憧れ、本当の心の勝負を挑み探求していく。 自由とは何か、不自由な世界でこそ描ける課題にみえる。アニメの世界は虚構だが、だからこそ現実の世界を裏側から描けるようにみえる。 連休中はワンピース教の信者になってしまったが、現実といわれる、先入観、洗脳だらけのこの世の出鱈目の宗教よりは遥かに自由でマシである。 昨今の宗教の偽善ぶりが目に余るからである。教義の意味も知らずに自分の頭で理解することなく、教義を守るのは奴隷でしかない。 思想の奴隷をつくるような宗教は悪魔のものである。 例えば、悪魔が語るような「真実は一つ」という錯覚である。馬鹿いってはいけない。真実が一つといつ決めたのだろうか? 勝手に思い込んでいるだけである。 真実は一つどころか無数にある。何をもって一つというのだろうか? 確かに一人の人間には一つの真実さえみつけられず、みつけても、せいぜい一つしかもしれないが、だからといって一つであるはずがない。それではその一つを所有した者の奴隷ではないか? 真実と同じように宗教だって一つではない。無数にあってよいはずだ! なぜ一つしか信じられないのか? このような先入観、洗脳こそ問題である。信仰だって他から強制されたものでしかない。自分の頭で理解せずに、他から強制されたものを信仰するのはニセモノの信仰である。ニセモノ学者のいうことを鵜呑みにしてはいけない。信仰が権威主義に置き換わり、その奴隷となるだけである。 信仰心は自分の心のなかからみつけないと意味がない。信仰の奴隷になってしまう。 例えば、宗教というとすぐに神の存在を持ち出すアホバカが多いが、他の誰かが見つけ定義した神が、自分の神なのだろうか?という疑問すらもたないアホバカが多いから呆れてしまう。 他の誰かの神を信じるのではその他の誰かの思想の奴隷になってしまうではないか? 信教の自由すら理解できないアホバカが多い。信仰心というのは命懸けなんだから、自分でみつけなくて誰がみつけてくれるのだろうか? それとも、人間には思考能力がないというのだろうか? 頭がないというのだろうか? アホバカには頭がないのかもしれない。頭は脳科学者の言うなりになって、奴隷になっているのだろう。宗教教団などつくって、わざわざ神をつくって崇めるのを強要し、神を私物化するのは全く余計なお世話で、悪魔がする地獄行きの手口である。 大体、神さまが自分を崇めよ、というだろうか? そんなチンケな小器量の持ち主だろうか? 崇める人間と崇めない人間を差別するだろうか? 少し考えればそんな神は悪魔であることがわかる。そもそも神の存在を知るには神と同程度の知性を必要とすると思わないのだろうか? 人間が天国に入るにはまだまだ沢山の経験を必要とする。 そもそも人間に神の存在が知れるのだろうか? 人間には神を知ることができないし、だからこそ悪魔との区別もできない。本当の自由を手に入れてはじめて神と悪魔の違いがわかり、神を知れる。 さて、まだまだ信仰の意味がわからないアホバカが多いので、シュタイナーの自由の哲学の紹介を続ける。 ★ ★ ★ 前回は、「自由」な行為の前提としての「思考」について述べたが、今回は、その「思考」の重要性を認識する前提となる観点、つまり二元論と一元論の問題について検討する。 二元論は人間の意識によって生み出された世界と自我の対立だけに眼を向ける。二元論の考え方全ては、精神対物質、主観対客観もしくは思考対現実という対立を宥和させようとする無駄な努力なのである。二元論は二つの世界に橋を架けねばならないという感情を持ってはいるが、そのような橋を見つけられないでいる。(P42) 主観-客観をはじめとした二元論では、その二つの世界に橋を架けることはできない。「私」と「この世」はどこまでも平行線を辿らざるをえない。いわゆる「物と心」といったテーマも全く同じである。 一元論もまた、今日に到るまで、事情は大して変わらない。これまで一元論は三つの方法で救済策を講じてきた。第一に精神を否定して唯物論になった。第二に物質を否定して唯心論に救済を求めた。そして第三に宇宙のどんな単純な存在にも、物質と精神は分かち難く結びついており、従って人間の中でこの二つが分けられずに現われても驚くには当たらない、というのである。(P43) その分裂を避けるために、唯物論や唯心論、観念論などが提示されたわけだが、唯物論は、例えば「心」の働き全てを物質に還元してとらえようとし、反対に唯心論は、全てを心に還元しようとし、協調策として物質と精神は分離できないという論法で解決を図ろうとした。 唯物論といえば、説明するまでもなく、現代に支配的な世界観で、唯心論といえば、たとえば仏教などの唯識などが挙げられる。 以上述べた3つ全ての立場を考えると、基本となる根源的な対立が、まず人間自身の意識の中に現われてくる、という点をはっきりさせておく必要がある。人間を自然という母体から引き離し、「自我」と成し、そして、それをまた自然という「世界」に向き合わせるようにしたのは、人間自身なのである。 (中略) 人間が自然から分離しているのは事実だが、同じように自然の中で、自然の一部を成している、と感じるのも事実である。人間の中に生きているのは、自然そのものの働きなのである。(P46-47) だから、人間は再び自然に帰る道を見つけねばならない。 この道が一体どこにあるのかを、一つの単純な考え方が教えてくれる。確かに人間は自然から切り離されてしまった。しかしまた自然から何かを内なる自然として自分の本質の中に持ち込んでいる。この内なる自然を見つけねばならない。それができれば、自然との関係が再び見つかるだろう。 この探求を二元論はやろうとしない。人間の内面を自然とは異なる精神の存在と見なし、この存在と自然とをつなぎあわせようとするが、その連結部が見つけられないのは当然である。人間が自然を自分の内面に認めなければ、外に見つけることもできない。 人間の内面にあって、自然と同じ働きをするものが導き手となってくれる筈である。この人間の内面にある自然の働きという真相が、この道の行く手を指し示す。精神と自然との相互作用について物質的にあれこれ考えても無駄である。 人間という存在の土台へと降りていく必要がある。そしてかつて人間の精神が、自然から分離した時に、自然から持ち出してきた要素を、今、この精神の根底の中に見つけださねばならない。 人間自身の本質を探究することこそが、宇宙の謎を解く鍵を提供してくれるはずである。人間はもはや単なる「自我」の存在ではなく、「自我」以上の存在とでも言えるような進化段階にまで到達できなければならない。 (P47-48) 根本的な対立を解決できない二元論や単なる還元論としての一元論を克服するには、「人間という存在の土台にまで降りて」いく必要がある。 人間の内面を自然と異なるものとみなすのではなく、また人間の内面にあるものを自然の存在に還元できるものとみなすでもなく、「人間の内面にあって、自然と同じ働きをするもの」を「導師」としなければならない。 人間の内と外をつなげる導師について、「思考」の重要性を認識しなければならない。次回は「宇宙の認識を支える思考」について考察したい。 ★ ★ ★ 人と、もしくは自然とつながりたいのなら、それを外に求めるのではなく、内に求めるべきである。かつて外と内は一つだった。その存在が神である。自分の中に神がいる。神をみつけ、人と自然とがどうやってつながるのか、の探求法が宗教(re「再び」-ligion「つながる」)なんである。 だから、外側に神を求めるのは、それも物質的に求めるのはほとんどがニセモノなんである。神とは永遠のもので、不変のものだから、変わってはいけない。物質は絶えず変化してしまうのだからあり得ないし、そこに求めても無駄である。 人間のなかで変わらぬもの、何万何千回と輪廻転生してきても変わらない性質こそが神である。だから人間は神を土台にして一緒に旅を続けているのだ! 光と共に闇の大海を旅しているのである。光を見失わないように注意しないといけない。
2014年10月14日
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先日フットブレインという番組をみた。簡単にいえば、サッカーを理論的に考える番組である。この番組で脳科学からサッカーを考えていた。私は霊魂信者なんで、脳科学は信じないのだが、霊魂が脳をつくっているので一応参考にはしている。 興味深いことにその番組で、日本人のサッカーが世界的にはイマイチなのを脳科学から捉えると、セロトニントランス―ポーターの関係から心配性で、直観よりも論理や計算を好むので正確だが判断が遅い、そしてドーパーミン受容体の関係からすぐに満足しやすく、失敗を恐れ、チャレンジ精神に乏しい性質をもつことが明らかになる、というのである。 まとめると、1.心配性。 2.判断が鈍い。 3.挑戦しない。となる。 つまり、この3点は、日本人の奴隷根性そのものであることに気づいたのである。どうも、日本は古くから植民地であったために自由に乏しく奴隷根性が蔓延っているように思える。それが日本のサッカーにも現れているようにみえる。つまり自主性に乏しい選手が多く、監督や主力選手の奴隷になっているような気もする。 サッカーに限らず、日本のスポーツ全般にみられるのが、正確ではあるが、型にはまったプレーをするところにある。簡単にいえば、型の奴隷になっている。だから奇想天外な型破りのプレーがなかなか出てこない傾向にある。他の誰かの物真似であることが多い。 反面、型にはまった機械体操は得意で、物真似も得意だが、創作ダンスや自由を表現するものには弱い。 対照的に例えば、南米にはサッカー強豪国が多いが、上記の3の挑戦しないと気が済まない性格をもつという。アフリカも欧州もアジアよりは挑戦欲旺盛で、日本が一番この意欲に乏しいという。かつ南米は正確ではないが直観を重視し、心配性でもないので、全く日本と逆の性格をもち、この性格がサッカーの個性的なプレーに出ているようである。 評価の仕方も日本では減点法が主流だが、海外ではプラス法というか加点法が主流のようである。海外では、失敗しないことや正確さよりも、挑戦や大胆さを重視する傾向にある。つまりマイナスがあってもそれを上回るプラスがあればいいという発想である。そのほうが自由の観点に近い。 日本ではこの自由の観点に乏しく、マイナスを極力なくそうという評価が蔓延っている。お互いに監視しあい欠点をあげつらっている傾向にある。出る杭があると打たれる。 おもしろいことに、この傾向は、日本の電車ダイヤの正確さに現れているそうだが、それは人間というよりも機械の性格といった方がいいようにみえる。奴隷の精神である。電車が正確にくることは人間社会にとってそれほど大事なことなのだろうか? 正確さが当たり前になると、正確でないことにストレスを感じてしまうのではないだろうか? 正確でないと正確さを要求するようになり、クレーマーやモンスターを生んでしまうのではなかろうか? なんだか、社会がギスギスしてこないだろうか? 海外の人が日本にくると正確さに馴れていないので、ストレスを感じるというよりも、なんでそんなに正確なのか不思議で、人間らしさというよりも、何か別の存在の逆に脅威と映るようである。 不思議な国ニッポンといわれてしまうようである。だからその現実とのギャップがアニメのキャラクターなどに人間性を感じ、感情移入してしまうのではなかろうか? 日本人よ! 19世紀、20世紀の物質世界は終焉を迎えているのだ! 21世紀から自由の世界がはじまるのだよ。そのために、シュタイナーの自由の哲学を紹介する。 ★ ★ ★ はじめに、自由な行為のための意識には、「思考」が重要な役割を果たしている、ということを述べる。 どんな行為も、その行為者の自覚がなければ、自由な行為になり得ないのは全く自明である。では一体、自覚がある行為と、ない行為にはどんな違いがあるのか。 この違いを知りたいなら、思考とその意味を改めて問題にしなければならない。というのも、魂の働きである思考を行わずに何かを理解することは不可能で、それ故、人間の行為に自覚があるかどうかの意味を理解するのも不可能だからである。 一般に思考の意味がわかれば、人間の行為に対して思考がどんな役割を演じるのかも明らかになる。ヘーゲルも「動物にも備わっている魂を精神へと作り変えるのは思考の働きである」と述べているが、この主張は正しい。そのような意味で、思考こそが人間の行為に人間らしさの特徴を与えている。(P36-37) 自分でも訳がわからずに行なってしまう行為を「自由な行為」とは誰も認めない。少なくとも、ある行為を自由なものにするには、その行為を意識的に、自覚あるものにしなければならないのは当然である。 では、意識のあるなしの違いは何なのか、を考えてみると、「思考」が重要になってくることがわかる。「なぜ自分はこの行為をしているのか」という理由を自分で把握するには、その理由を考える「思考」が不可欠だからである。 さて、人間を猿の延長上の動物とし捉えるのが近年の流行だが、自らの行為を意識できるのは人間特有のものである。 行動全てが冷静な判断から生まれるべきなどと主張するつもりは全くない。抽象的な判断に基づいた行動だけが最高の意味で人間の行動になると考えるのとは全く無縁の立場をとる。とはいえ、動物のような単なる欲望の充足から、人間の行動が一歩でも先へと進めれば、直ちにその動機が思考と結びつくことがわかる。 愛、同情、愛国心などは、冷静な判断力の範囲内にはおさまりきれないような行動の動機である。心情がそのような行動を惹き起こす、と言われている。確かにそう言えるが、心情が行動の動機を直接作り出すのではない。心情は行動の動機をふまえ、自らの領域内に取り込んでいる。 例えば、同情に値する人物のイメージが意識のなかに現われたときに、心の中に同情が現われるわけで、心情へと到る経路は頭を通っている。 愛もまた例外ではない。愛は単なる性欲の現われでなく、愛は愛する対象のイメージに基づく。そして、そのイメージが理想的である程、愛は心情を充たしてくれる。思考内容(イメージ)こそが心情の父なのである。愛は愛の対象の弱点を見えなくすると言われる。 しかしこの命題を逆転させることもできる。すなわち愛は愛の対象の長所に対して目を開かせる。無数の人たちが愛を感じることなく、長所の傍らを素通りしていくが、その中の1人がその長所に眼をとめる。そして正にそれ故に、愛が魂の中で目覚める。 そのような場合、その人に何が起こったのか。多くの人たちが持たなかったイメージを、その人だけが持った。他の人たちにはそのイメージが欠けていたので、愛を持たなかったのである。(P37-38) いわゆる動物と同じレベルの生理的欲求については思考は関わらないが、例えば、愛、同情、愛国心といったことには思考が関わってくる。 それらには心情が深く関わるのは確かだが、その行動を引き起こした動機には思考が関わっている。ある事柄について特定の心情を持つには、その事柄についての思考が必要だからこそ動機になり得るのである。 そして、愛、同情、愛国心といった動機から意識的に行うかどうかによって、「自由」な行為かどうかが決まる。 そのような「自由」は幻想で、意識的に自分が行っていると思っていても、実際は、無(潜在)意識のなかに原因が隠されている、というような反論もできるが、そのような反論は、自分の行為に対する原因を自分以外のところに求め、抽象化してしまっていることになる。 「自分のやっていることは所詮深いところでは自分にわからない」と言っていることになる。実際、そのように言うことで、「人間に自由はない」と言っているに等しい。 実際、そのような反論は、自分の行為の原因を自分に求めるのではなく、「あの人がこう言ったから」とか、「そうするものだから」とかいう風に責任転嫁する傾向をもつが、それ故、自由への道を自ら閉ざしていることが明らかとなる。 (日本人はこのような理由を持ち出す事が多い。対照的に、海外の人は大抵自分がしたかったからという理由をもつ。) さて、この「自由の哲学」は「自由」の可能性についての高らかな凱歌であり、それも人間であるための大いなる可能性についての人間賛歌で、「自由」の獲得こそが「人間学」の根本になければならない、ということを詳細に検討する書物である。その意味で、「教育の基礎としての一般人間学」の大前提ともいえる。 ★ ★ ★ 日本人はもっと自由をつくろうとすべきである。心配しても仕方ない。直観を大切にする。挑戦する。この3点を肝に銘じて自由な行動をするように考えるべきである。 それには減点法よりも加点法が必要で長所を愛で捉えるべきである。お互い認め合うことである。日本人の心配性は安全をつくるうえでプラスであるし、計算、論理を好む点で便利なサービスをつくる面でプラスであるし、挑戦しないということで、保守的で秩序を保ち安定をつくるうえでプラスである。 しかし、サッカーでシュートしたとき、なぜシュートするのかと聞かれたら、日本人は「入ると思ったから」、もしくは「パスされたから」というように応えるだろうが、海外の人ははっきりと「シュートしたかったから」と応えるに違いない。どちらが、自由であろうか。自ずと明らかであろう。 日本人は海外に自由をアピールしないといけない。
2014年10月09日
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また再びシュタイナーの人智学的医術の紹介を続ける。 ★ ★ ★ 前回の議論は、人体から外の自然へのアプローチだった。また、嗅覚、味覚という2つの感覚に働く影響を通じて、人体が、外の自然の活動と密接な関係を持つことがわかった。 前回のように、外の自然との関係を探求する理由は、人智学では、病気の治療には、人体が外の自然の活動と密接に関係している、という事実が重要と考えているからである。 外界に潜む化学的、物理的、生理(精神)的な影響のいずれかが人体に与えられるが、治療の本質とは、その影響を示す人体の活動のなか、もしくは、健康なら遂行され、病気では遂行できない経過のなかに、治癒への糸口を見つけることにある。 つまり、外界の活動と、人体の活動とを同時に考察できなくてはならない。 さて、この人体の外と内の活動が直接接するのは、嗅覚や味覚である。他の感覚では、この外と内の活動は互いに遠く隔たっている。例えば、視覚と消化では、外と内の活動はかなり隔たっている。 現在理解されている狭義の意味での消化は、食物を噛む口のなかでの活動と、腸腺などによる加工などの活動である。この狭義の意味をいま消化とみなしたい。一方、一見、消化にみえるような他の活動は、排出(空にすること[Entleerung])とみなす。 外界への排出[Ausscheidung]はもとより、栄養の吸収時に不要となる人体内での排出についても、排泄とみなす。従って、様々な腺による消化とは全く逆の活動を排泄と呼びたい。 さて、いま視覚に注目すれば、外界の物体は、嗅覚と味覚から明らかとなる物質の特性を、物体内に閉じこめ、表面だけを曝している。視覚では、嗅覚で知覚できるような、自然のなかに多く潜む特性が、物体内に隠れたままになる。 つまり視覚では、外界の自然の物体内に、特性は閉じこめられて見えるわけで、物体表面の可視的特徴を見ることで、外界の創造原理を知覚する。これに対し、嗅覚では、物体内の特性として現われる創造原理を知覚できる。 嗅覚で知覚する物体の特性を、植物、鉱物にまで追求すれば、嗅覚で知覚できる創造原理が、外界でもそのまま現れていることがわかる。 以上のような創造原理の反対(対極)の活動は、他ならぬ消化活動である。消化は、いわば味覚で知覚する物体内の特性を吸収(獲得)する。消化は、味覚で知覚する創造原理を、人体上部(脳)に知らせずに、逆に隠すことになる。 だから、外の自然の創造原理は、人間の無意識(潜在意識)のなかにしか記述できない、という指摘は重要である。というのも、宇宙全体の創造原理は、人間のなかにも存在しているからである。 人間の内部には、土星や木星等の天体も組み込まれているが、天体との帰属関係は、人体の極めて深い場所に隠され、現代の表現でいうなら、天体の影響力は、無(潜在)意識下に眠り、ほとんどが人体背後の活動となっている。 さて、人間は、この人体背後の活動を、ある種の方法で、再び活性化できる様々な霊的な器官(チャクラ)も持っている。この人体背後の活動を再び活性化できる霊的器官は、地球の周囲を巡る天体(土星、太陽、月、火星、水星、木星、金星)と関係づけられる。 (人間の意識が自由へと高まることで、これらの霊的な器官も地上からくる束縛から解放され、活力を高める。その方法がヨーガである。)
2014年10月09日
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人類の課題の1つは所有欲をなくすことにあると思われる。貧困の問題は1%の所有欲旺盛な輩が99%の他の人々を犠牲にしていることにあるからだ。 つまり、1%の連中の所有欲のために他の99%の人々が犠牲を強いられ迷惑していることに問題がある。だから、この1%の連中の所有欲をなんとか制限する方法をみつけないといけないわけである。 簡単にいえば資源や資本独占禁止法を考えないといけない。でないと地球環境の破壊も益々進んでしまうからである。福島事故後の日本の原発行政をみればこれは明らかである。東電に丸投げし東電のいいなりでほとんど放置といわざるを得ない。つまり原発利権者の所有欲のために他の国民が犠牲になっている。不正を解明せずにひた隠しにしようとするのでは人類の背徳者とならざるを得ない。 また紛争や戦争はその利権の所有を巡って起こっている点も見過ごしにできない。 そもそも政府とは社会福祉を国民に公正に提供する組織であるはずだが、日本政府の現状は格差を誘発している元凶といわざるを得ない。政府が貧困を誘発しているのだから、貧困がなくなるわけがない。 ましてやアホノミクスは多くの人々を貧困に追いやっているので、人為的な経済破壊で天災といわざるをえない。かつてのコネズミ改革なるものも一部の所有欲旺盛な連中への利益誘導であり、地方の経済破壊をもたらしたわけで、一種の経済的な震災に相当する。 本来、経済とは貧困の撲滅のためにあったはずだが、逆に貧困を誘発しているというのは人類が悪魔の誘惑に負け、悪に支配され、馬鹿になっている証拠でもある。悪と戦い善導のノウハウを身に着けるために生まれてきたのに、悪に媚びてしまうのなら、人間失格というしかない。 そもそも人間は皆死に、この世界とはいずれ誰もがおさらばしなければならないのに、この世では永遠の生命も所有できないのに所有しようというのは単なる傲慢で無駄な努力を続けるアホバカなんである。 だから、資源や資本の独占所有を禁止し人類共有のものにしないといけない。奪い取る態度を改め、分け与える態度に変えないといけない。そのためには資源や資本を水の如く底辺の貧困者までスムーズに流れていく必要がある。資源や資本を水のように流動させねばならないから、大河ドラマの黒田如水にちなんで資源資本如水政策をアホノミクスに代わり行うべきである。 アクエリアス時代というのは、資源や資本、つまり貨幣などが水の如く流動する時代の到来を意味するのではないかと思う。 資源や資本を流動化させ水のようにすることで今度はその浄化が必要になる。この世から所有欲をなくすために浄化が必要となる。それには宗教改革が必要に思われる。だから宗教教団という所有をなくさないといけない。 神は信仰するが、無宗教であるべきだ。どの宗教のどの教えにも通じればいいのである。特定の宗教を選択しないということの自由を考えないといけない。神の教えを所有してはいけないからである。 まとめると、1に資源や資本の独占の禁止、2にそれらの水のような流動化、3に流動化した資源や資本の浄化である。 さて、最後の所有欲の浄化については、シュタイナーの自由の哲学の話が重要なので紹介を続ける。 ★ ★ ★ 人間の魂は2つの根本的な問題を抱えている。これから扱う全ては、この2つの問題との関連を論じることになる。 2つの問題のうちの1つは、人間の本性を考察するのに、この世での体験や学問をいくら深めていっても、それだけでは十分に解明できない、この世(物質界)を超えた領域へと到達するが、そのような領域にも有効な考察法がこの世に存在するのか、という問題である。懐疑論や批判主義はこの問題を解決不可能な領域へと追いやっている。 もう1つは次のような問題である。意志をもつ人間は自分を自由と見なせるのか、それとも自由があるようにみえるのは、自然現象だけでなく、人間の意志も支配する必然の糸を人間が見落としているからなのか、自由とは幻想なのか。この問題は、決して遊び半分に頭のなかで考え出された観念の産物ではない。 この問題は魂の中で、ごく自然に現われてくる。意志には自由があるのか、それとも意志には必然しかないのか、できる限りの真剣さで、この問題の解決を求め努力しなければ、魂のどこかに欠陥があると感じるはずである。 この2つ目の問題を通じてどのような体験をもつかは、1つ目の問題の対処法により定まる。このことを後に示す。人間の本性を考える上で、他の認識の支えになってくれる基本となるような観点が存在することを証明しようと思う。 この観点を持てれば、意志の自由を完全に是認できる。しかしそのためには、はじめに意志が自由になる魂の領域をみつけないといけない。(「1918年の新版のためのまえがき」より/シュタイナー「自由の哲学」イザラ書房) カントは、物そのもの(中身)を人間は認識できない、と認識の限界を設定したが、「自由の哲学」は認識そのものにメスを入れることから始まる。近代的な認識のパラダイムでは、主体と客体の分離と、認識の限界をはじめから認める枠組みが成立しているが、シュタイナーが「自由の哲学」で提示する「一元論」は主客の分離を超え、認識の限界を超える視点を与えてくれる。 総ての認識の根本には、上述の2つの問題があり、それに偏見なく取り組むことがなによりも重要になる。そうすることで、霊的な体験を持つ前でも、「人間が実は霊界の中にも生きていると悟れるようになる」。そこに「いかにして超感覚的世界の認識を得るか」と共通しながらも別の観点からシュタイナーが述べている霊的認識の可能性が開かれる。 その可能性はそのまま、自由を自分の中に育てていく可能性でもある。シュタイナー教育は、「自由への教育」であり、その可能性を育てるためにも、「自由」というテーマを根底から考えていくことが重要である。 最後に「自由の哲学」に関連したシュタイナーの重要な発言を紹介する。これは自由の哲学の邦訳の「訳者あとがき」に紹介されている1920年6月15日の「魂と生活の問題(改変)」からのものである。 今回は、まず次のような問題から始める。 -現代人の生活をどのように魂の進化に一致させ、調和すべきか-という問題である。 1880年代末から1890年代の初めに構想を錬り、1894年に出版した『自由の哲学』の執筆中にも、この問題は頭から消えることはなかった。実際、この『自由の哲学』は今日この問題解決の出発点として取り上げた人類の宿命(責務)という命題に答えるために書いた。 ……換言すれば、現代人は現代の大きな社会的要求に直面し、自由への希求という近代社会における最重要な社会的要求に、どのように応えるべきだろうか。その際考えるべきなのは、自由の理念とその意識の正しさを追求するこれまでのやり方は全て失敗だったということである。 これまでは『人間は生まれつき自由なのか』と問うてきた。この問いは現在ではもはや陳腐になってしまった。今日ではむしろ次のように問うべきである。 『人間は子どもの時から大人になるまでの間に、自由であると実感できるような社会秩序を建設できるのか。』 人間が生まれつき自由なのかどうか、を問うのではなく、自由を、自己の奥深くに微睡む潜在意識の底から表層の覚醒意識の明るみへと引き出すことで、自分の中で育て上げられるかどうか、を問うべきである。 特に教育は、はじめから子供たちが自由であると規定することから始めるのではなく、自らで自由を育てるためにあるべきである。子どもが自らで自由を育てられるようにサポートできるような教えを模索していくことが根本になくてはならない。 「過去の自由からの教育」ではなく「未来の自由への教育」とすべきである。 そして、問題とすべきものは、ともすれば我儘と混同しかねないような「過去の自由」という発想ではなく、自らをどのように自由へと成長させられるか、またそのためにはどうすべきか、という「未来の自由」を模索すべきである。 ★ ★ ★ この自由については、日本人の霊性(霊魂の進化)は著しく遅れている(退化している)。日本人の集団主義や群れる特徴。ムラ社会や村八分などは差別問題と絡んでいる。また日本人が突出した独自性を忌むことなどによく表れている。出る杭は打たれるという諺もあるくらいである。 どうも日本人は悪や不正と徹底的に戦うというよりも、長いものに巻かれろ、というように、強い者や権威に平伏すのを得意としているために、個人主義や自由が育たないようにみえる。この特徴は日本が古くから植民地であったことや現代の米国に対する土下座外交にも現れている。 シュタイナーは、日本や中国の、この自由に対する意識の低さ、悪や権威に容易に屈してしまう弱点は、古代アトランティス時代の先例主義の名残りで、現在の汚職や利権などの特権意識にも反映し、次の進化段階に進むのが相当困難な民族の性質とも語っているそうである。この発言からシュタイナーを敵視する日本の偏屈者も多い。
2014年10月08日
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競争主義者は、食物連鎖や自然淘汰を近視眼的に考えるあまり、競争を正当化する理由に「弱肉強食」を安易に持ち出すが、これこそ現代人の頭の悪い証拠の一つである。 その簡単な例を一つ挙げるがこれはシュタイナーがよく使う譬えである。 食物連鎖の底辺とされる、植物や小魚の種子や卵が多繁殖で多産な理由として、現代の唯物論では、他の生物に食べられても残るように子孫を残すためという近視眼的な観点がよく持ち出されている。これは大きな間違いである。 シュタイナーがいうには、これらの生物は、子孫を反映させるだけが本来の目的ではなく、他の生物を支えるのが本来の目的だという。つまり、自分の子孫だけでなく、他の生命体に食べられることで、生命の養分である愛を与えるためだというのである。 だから、霊界では植物や小魚の霊魂の方が、食物連鎖の頂点にある生物よりも上位に君臨するというのである。この世とはアベコベで、というのも、霊界ではどれだけ他の生物に愛を与えたかで序列が決まるからである。多繁殖多産なのは、より多くの生物の栄養となる愛を与えるためで、だから、それだけ愛が大きい。 だから、キリストの霊魂は、魚の象徴として表されてきたそうである。キリストの象徴の「子羊」も、よく食べられ、他の生命の犠牲になる意味をもつことがわかる。 このような上位が下位を支える構造、つまりキリスト(上位)が弟子たち(下位)の足を洗うという逸話から宇宙の構図がわかるが、現代人の愚かしき痴性はこのような真相には全く無関心でオカルトとして遠ざけてしまう。自己都合や、自分のことしか考えられないから、自分さえよければいい、勝てば官軍といって他生物を犠牲にし自然破壊を行っているのが現状である。 富める者が貧しき者に与えれば貧困はなくなるはずである。地球はそのようにできているはずである。一部の者が独占しようとするから貧困が生まれる。 そして、食物連鎖の頂点に君臨するといって胡坐をかいて、子孫を残しても、その子孫を全生命体への貢献に寄与するように自然への信仰心を教育することもできずに、ただ自分さえよければいいというような天狗ぶりには呆れ果てて天変地異も頻発するわけなんである。 しかも、性懲りもなく、同じ人類なのに助け合わずに他を選別し差別し続けるなどは、もはや誰も救わない救えないアホバカを増やすだけなんである。 頂点に君臨する者が、底辺を支えなければ、崩壊するだけである。自分勝手に進んでいくアホバカトップに誰がついていくだろうか? このようなアホバカトップについていけば命がいくつあっても足りない。 他の生物を犠牲にし殺めるような輩を生む位なら、子孫を残さずに、他の生命体を支える方が遥かにマシである。だから、仏教などは子孫よりも他の生命体を支えることを主眼にしているために妻帯禁止なんである。 なにしろ、霊格からいえば、植物や小魚の霊魂の方が上位にあり、修行者は霊視できるから神界にある植物と小魚の霊魂がみえるので、そのため植物の霊や、小魚の霊などを神として感謝し、祀ってきたわけである。このように自然と感謝が沸いてくるので「仏(沸)心、もしくは仏性」としている。 霊視できれば、この世の下位にあるものがあの世では上位に君臨することがわかるはずである。だからこの世の下位にあるものを粗末にできない仏心が生まれてくる。 人類の繁栄も大事だが、人類だけが繁栄することはできない。まず底辺の繁栄こそが人類の繁栄につながるのだから、大自然の繁栄を願うのが出家した修行者が考えることなんである。昨今の糞坊主は金儲けしか頭にないから地獄に堕ちるしかなかろう。 どんな宗教でも自分の生命を支えてもらっている神々に感謝するのが基本なんである。これをアミニズムだと馬鹿にするから、愚かな痴性の持ち主に没落してしまうのである。感謝なきものには有り難さもない。 一人一人の人間が人類全体を支えているわけで、人類だけでなく他の生命や地球全体を支えるのが本来の人類の使命なんである。 生命体が地球全体を支え合う構造を理解すれば、地球のどの生命体が欠けてもいけないことがわかるはずである。どの生命体にも他を支える能力を生まれつきもっているのであり、植物の種子や小魚の卵にだって食べられることで他の生命を支えていることに気づくはずである。どんなものにも仏が宿る。 食糧危機を叫ぶアホバカはその元凶をつくった自然破壊を行ってきた地獄堕ちの輩で、人類に目隠しさせているだけである。 本来は、地球全体のためにあった生命を人類の身勝手な唯物的史観から私服化して奴隷にしてしまったためである。 このようなアホバカの痴性をなくさない限りは人類のアホバカ痴性とともに地球もどんどん小さくなりなくなっていくだけである。太陽よりも遥かに小さい地球が、太陽エネルギーの欠乏に陥るはずがない。陥るとするのなら、人類の背徳者が独占し、他を欺いているためである。わずか1%のアホバカのために、残りの99%が犠牲にされているだけである。 太陽には地球よりも遥かに大きな叡智が宿っているのだ! わずか1%のために全てを台無しにするアホバカぶりを人類は卒業しないといけない。 一刻も早く、この地球のアホバカ1%を改心させるために、シュタイナーの自由の哲学の話の紹介をはじめる。 ★ ★ ★ では、「自由の哲学」の紹介をはじめるにあたり、シュタイナーの「自由」についての重要な観点を少し長くなるが紹介する。 私(シュタイナー)は自由を、宇宙の進化を表す概念として論じようとした。人間のなかには、地上からくる物質力だけでなく、偉大な宇宙からくる力も働いている。この(自由な)力を感じとれる人だけが、自由を理解でき、自由を正しく感じとれる。 宇宙の進化が人間のなかに取り入れられ、人間のなかで生きるときにのみ、そして人間の内の最奥にあるものを宇宙のものと感じるときにのみ、自由の哲学(獲得方法)へと到達できる。近代の自然科学の教えに従い、自分の思考を外からの明確な(物質的)基準によって推し量ろうとすれば、自由の哲学には到達できない。 どんな大学でも、外からの基準に頼って思考するように教育されている、ということは、現代のまさに悲劇と言わざるを得ない。そのような教育により、倫理、社会、政治全般の問題において、多かれ少なかれ、どうしていいかわからずに迷走するようになる。 というのも外からの明確な基準を頼りに思考すれば、思考が表面(皮相)的になり、自分を『直観(霊視)』という内的な自由にまで高めることができないからである。だから、この外界に依存した思考により、霊界にある自由の意識は現代人から排除されてしまった(霊能力をなくした)。 唯物的な自然法則や社会的な因襲の制約から脱して、自由な精神に到達することが人類の究極の倫理目標である。 人間の行為全般がはじめから自由の性格を帯びているのではない。細部にわたるまで自己認識が行き届いた行為のみが、自由な行為なのである。徹底した自己認識が個別の自我を普遍的存在にまで高めるので、自由な行為は自我の源泉である唯一神から流れ出る行為である。 人間の意志は自由なのか、あるいは、一般的な法則のように変更できない必然性の下に置かれているのか、という古くからの問いは、正しい問いではない。人間個人の物質的な行為は自由ではない。人間の霊的な再生力による行為(思考)は自由である(人間の行為は自由ではなく、思考が自由なのである)。人間は一般的にいって自由なのか、不自由なのかが問題ではない。 つまり、人間は(思考の上では)自由でも、(行為は)不自由でもある。 (中略) 不自由な行為を自由な意志へと変化させるのが、人間個人の上昇、進化である。自らの行動原理を自我の自由な意志として体現した者は、この行動原理の強要と不自由を克服できる。人間に自由は最初からあるのではなく、自由は生きていくことで獲得できる目標なのである。 自由な行為によって、人間はこの世と自分との間の矛盾を解決する。人間の自由な行為は唯一神の行為と重なる。 そのとき、人間は自分が全ての自我を統合している唯一神と完全に調和しているのを感じる。自分と他者との間に不調和があれば、それはまだ完全に目覚めていない自分のせい、つまり自己認識の甘さにあるものと感じる。 全体と離れることによって全体へのつながりを見つけることができる、というのが、自己に定まった宿命なのである。自我として他者と分離される必要があり、人間は完全ではない。しかし、また分離された自我として、自我を統合する全体の自我(唯一神)へと拡張していかなければ、最高の意味において完全な人間にはなれないだろう。 自分の中にある矛盾を根本的に克服するのが、人間の本性なのである。 また自由を獲得する方法については、霊視的な意味で「神秘学概論」のなかに次のような記述があるので、長くなるが、ついでに紹介する。 人智学の教えを通じて、通常の感覚を超えて自由な思考へと到達する方法が明らかになる。他にも確かで、なにより正確な方法があるが、その方法は多くの人にとって困難である。その方法は『ゲーテ的世界観の認識論要綱』と『自由の哲学』に述べた方法である。 上記の本では、外界の物質-感覚界の印象に思考を没入させるのではなく、思考自身に自由に思考を没入させるときに、人間の思考が獲得できる霊的な内容を述べている。通常の感覚から生じる思い出などに耽るのではなく、生命のように思考を純粋に活動させることが重要である。 これらの著作には、人智学による教えは何も含んでいない。思考を自らのなかで純粋に活動させれば、この世と人生と人間について解明可能な内容を述べている。これらの著作は、感覚界の認識と霊界の認識の中間段階にある非常に重要な認識について述べたものである。 感覚界の観察を超えていきながらも、まだ霊界への探求へと入っていかないときに、思考が提供できるものを述べている。これらの書物を、魂全体に作用させる者は、既に霊界のなかに立っている。物質界ではただ霊界が思考の世界として現われていることがわかる。 このような中間段階に到達した者は、霊界に達する確実な道を歩んでいる。そして、この確かな道を歩むことで、高次の世界に対する感情を獲得できる。その感情は、獲得以後も永遠に素晴らしい叡智をもたらす。 (シュタイナー「神秘学概論」イザラ書房/P322-323) ★ ★ ★ 自由の獲得こそが生きる意味であるという。カルマの法則も自由の獲得のためのレッスンなんである。要するに人類全体のバランスと大自然のバランスをとるように行動しなさいということなんである。 宇宙という大海の流れ(唯一神)に沿って進めばそれだけ自由度が高くなるということである。大海の流れとは、より多くの生命を育み、その繁栄を願う流れなので、その流れに逆らうのは不自由になるだけでアホバカというわけである。
2014年10月07日
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「自由」ほど取扱いが困難なものはない。「自由」といいながらエゴや我儘であることの方が巷には多い。例えば、「言論の自由」などである。言論の自由といいながら、批判意見を弾圧し、他者を中傷していることがよくある。 ダマスゴミのは言論の自由という名の洗脳であることが多い。消費税増税に賛成しておきながら、自分たちだけは増税からお目こぼししてもらおうというような卑怯なことは言論の自由とはいわず、横暴なんである。なにもダマスゴミだけに言論の自由があるのではない。 重要なのは、自分の自由が他者の自由を制限しないことや、自由だからといって間違いを犯していいというわけではないことである。 確かに間違いを犯す自由もあるが、間違いは間違いで改めないといけない自由もある。この線引きが非常に難しい。自由とは感覚的にいうならば、決して停滞しないこと、というべきかもしれない。常に真実へと挑戦していく態度というべきかもしれない。だから、権威とは反対側にあるものといえる。冒険心やチャレンジ精神なのではなかろうか? 昨日競馬の世界一決定戦とも称される凱旋門賞に日本の現時点での最強馬三頭が挑戦しその期待とは裏腹にあっけなく惨敗を喫した。正直、近年の日本馬の海外での活躍から、海外戦未経験な騎手なのと欧州の洋芝への適性がイマイチという不安もあったが、今年こそ悲願が達成されるものと思っていたが、やはり凱旋門賞だけは甘くはなかった。 敗因を挙げればキリがないが、まとめると、精神が脆いというか、サッカーのワールドカップとも共通するが、やはり経験不足が本番になって出てしまったというのが大きい。天災が多く四季が顕著な環境に暮らしていながら、総じて日本人は環境の変化に脆い面がある。自由に馴れていないというか、内弁慶な面がみられる。俗にいわれる村社会的な馴れ合い体質で駆け引きができない面が出たようにみえる。 この性格は、海外では個性がなく、ナイーヴといわれてしまう気質である。 それは日本人が悪や間違いを隠そうとする習性にあるのではないかと思われる。悪や間違いと正々堂々と戦おうとする気概に乏しいようにみえ、悪や間違いであっても何か権威にすがって長い者に巻かれろという奴隷根性が宿っているようにみえるのである。こういう精神は海外に出てみてはじめて表面化する。 だから、日本人や日本馬の海外挑戦は日本人を変えるのに、特に日本に自由をもたらすのに格好の機会である。凱旋門やワールドカップは、日本人の奴隷根性を表出化させてくれる。国内では通用していることが海外では通用しないことを明らかにしてくれる。 例えば、国内では金銭で解決できる問題が海外ではできない。また国内だけで通用する権威も海外では単なるコンプレックスととられることもある。アホ総理などは祖父に対するコンプレックスと思われている。 海外では日本人のイメージは悪くはないが、犯罪の被害に遇いやすいのもまた日本人なのは、それは、ある意味、海外では個性が成熟した大人とはみなされていない証拠でもある。日本人が海外でどう思われているかということを気にするのも日本人である。自分の意志に反し、この体裁を保とうとする意識が幼稚とみなされやすい。海外では自己主張しないと相手にされないからである。 というのも海外では十人十色の主張が普通で良くも悪くも半々なんで、それは当人の関心や立場によるからである。それだけ個性的で千差万別というわけだが、日本ではどこか他者と意見を同じにしないといけないような空気がある。多数派に所属しないといけない雰囲気がある。この束縛感が日本人の自由を奪っている。 海外では日本人は金太郎飴のようにみえるだろう。しかし、実際の日本人は単一民族などではなく、多民族で、古くからのカースト律令制度が暗黙糧に精神を束縛している状態にある。 このような束縛感から日本人が自由になるには、日本人が挑戦するために海外に出るのは大歓迎だが、集団で出ると日本のムラ社会を外に持ち出し、かえって歪で不調和で馬鹿にされるのがオチなんで個別に出ていくべきである。自衛隊のようなのが一番危ない。実際イラク派兵でも精神障害に陥って多くの自殺者を輩出した。 海外挑戦は単独ではどんどんやるべきだが、大掛かりな集団などで出ていくのは恥を曝すのでやめるべきである。生命を危険に曝すだけである。それよりも、米国などの言いなりになるのではなく、もっと自由に反論すべきである。 大体、対日要求は、米国の憲法に違反しているものばかりなのだから、自由の観点からも批判すべきである。米国人も様々な批判から偽ユダヤ悪魔に支配されている実態がわかれば、共通の視点を持ち得るはずである。 さて、真の自由を獲得するために、「カルマの開示」についての最後のシュタイナーの話を紹介する。 ★ ★ ★ 地球紀での自我の課題を自らで克服しなければ、自由には到達できない。地球紀の進化が終わり、人間の課題全てが成就されたときの人間の自我にはもはや不自由はない。地球紀全ての経験を人間の自我の中に流し込むことが、神々により予め本当の自我(霊我)として定められているからである。 人間は、誤謬をも犯せる覚醒意識時の自我を、本当の自我(霊我)に結びつけたときにのみ自由になれる。この誤謬をも犯せる自由な自我は、善から悪へ、悪から善へと繰り返し左右に振れながら、地球紀の進化がもたらす全ての自由への課題に向かって努力できる自我なのである。 この「低次の自我」がルシファーにより人間に賦与されたのは、高次の自我へ向けて努力を重ねる行為こそが、人間の本質的な行為であるべきだからである。でなければ、人間の「自由な意志」はあり得ない。自由な意志はそのように、人間自らで少しずつ獲得すべきものなのである。 この世に生まれたときは、「自由な意志」をもっていない。自由な意志に近づけるのは、ルシファーとアーリマンの影響を自らで克服できたときなのである。しかしルシファーとアーリマンの影響を克服できるのは、唯一、認識による。それにはまず自己の認識により、思考・感情・意志という魂の三つの状態の中の自己の弱点を知らなければならない。 認識を通してどんな幻想にも陥らないように努めるなら、自我の中にルシファーの影響から自由になれる力が育っていく。実際、この自由の力を得ると、これまで少しずつ獲得してきた経験がどんなときに有効に活用できるか、自ら判断できるようになる。 勿論、自己の認識とともに外界の認識も必要となる。この二つは互いに結びついていなければならない。自己の認識と外界の認識を自分という存在に結びつけるときにはじめて、ルシファーに対して影響を受けず、均衡を保てるようになる。(P229-231) 以上の「認識」が重要で、まさにこれが「人智学」の最重要の課題でもある。 認識を最高度に高めると「自由な意志」にとってカルマは問題でなくなる。そもそも「自由な意志」という言葉が間違っている。というのも、人間は認識を深め、霊界に参入することによってのみ、本当に自由になるからである。認識を深めるほど、認識内容は霊界で満たされ、霊的な認識になるからである。 (ルシファーなどが支配する物質界に束縛されなくなる。) 霊の認識が高まるほど意志を自分で自由に規定するようになり、意志が自由になる(放縦する)のではなく、人間が自分で自由に意志を決めるようになる。そして、このことは人間が個人を超えて、宇宙に働く霊的なカルマの法則を身につけたときにのみ可能となる。(P235) 自分の頭で思考しないのはルシファーとアーリマンの影響を克服するどころか、その影響を無意識のうちに肯定してしまうことにもなる。極端に左右に振り子を振るように、自分の内から燃え上がる渇愛や、物質の本質を思考により捉えることができないために、唯物論のなかで翻弄されてしまうのである。 そういう意味でも、「自己と外界の認識を、自身の存在に結びつけるときはじめて、ルシファーに対して正しい対応ができる」といえる。 そうした自己の認識と外界の認識によってこそ、個人のカルマをルシファーやアーリマンのカルマに積極的に関わらせることができるようになる。 ルシファーやアーリマンの本質が理解できれば、この霊たちと新しい関係を結び、この霊たちが既に成し遂げた果実を受け取り、この霊たちの代わりに仕事を引き受けられるようになる。そして、ルシファーが幻滅せざるをえなかった様々な行為を、人間が行なうことで、反対の善に転化させなければならない。 これまでのルシファーの行為は、欲望を刺激し、人間を悪へと誘う行為だった。人類がこのルシファーの行為を引き受けることでルシファーに働きかけ、いつか未来にルシファーの改心のために働くことができれば、そのとき人類がルシファーの行為に代わって為し得るのは愛の行為でしかありえないことがわかる。(P235-236) 人智学による認識は、人間の行為に、ルシファーやアーリマンが、どの程度、その傾向や情念として影響しているかの特徴を明示することなのである。ルシファーやアーリマンの力は、多様極まりない形で、人間の生活に働きかけている。この連続講義の中で、まさにこのことを明らかに示そうとした。 ルシファーやアーリマンの力を明るみに出すことは、まさに現代だからこそ可能なのである。地上の人間が最高の目標、つまり自由の獲得に到達するには、まずこの悪魔の力をはっきりと認識しなければならない。(P231) ★ ★ ★ 悪や不正や間違いから目を逸らすのではなく、それらを改善していくことで自我の独立と何者にも拘束されない自由を獲得できる。とにかく経験をしなければはじまらない。それも自分とは全く違う個性の持ち主との経験である。 日本人は悪に対する免疫が少なく、すぐにルシファー特有の自惚れに嵌ってしまい、実際にアーリマンという物質的な現実に痛い目に遇わされてしまう。「自分の〇〇ができれば勝てる」という思い込みに自惚れがみられる。 海外の人は、「自分の〇〇をするにはどうしたらいいか?」があり、日本人のように思い込みが少ないようにみえる。海外の人は、自分が良いと思えば、他がどう思おうが関係ないところがある。つまり日本人は他人の目を気にし過ぎる。これは自信がなく、経験不足の裏返しなんである。 つまり自分の弱点が克服できていない証拠なんである。弱点を隠そうとしているから、大舞台でその弱点が露わになるのである。
2014年10月06日
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近代日本史の真実を知ると、悪魔は差別を利用して人類を分断し奴隷化し統治してきたことがわかる。特にその矛先がアジアへと向けられてきた。 つまり逆説的にいえば、アジアから差別をなくさない限り、悪魔に支配されることになる。そういう意味で、この日本という国は古来から他国の植民地となってきた経緯があり、表にはならない根深い差別問題が残っている。 例えば、前回紹介した話のなかにもあったように、英国人がインド社会をカーストと呼び、内政にみられる差別を利用して、外圧をかけ、植民地化していく悪魔の手口がわかる。 そのような手口を伺わせる面白い話をネットにみつけたので、以下に紹介する。 ★ ★ ★ (ヤフージャパンの知恵袋から) 真珠湾攻撃について 真珠湾攻撃の際、日本の外務省がアメリカが休日だからと宣戦布告の文書を出すのを遅らせたという失態について当然、その担当者は処分されたのでしょうか? そのアホな外務省の担当者の名前も教えてください。 (その回答の一つ) 当時一等書記官の奥村勝蔵なら その後 出世して 天皇とマッカーサーの会談の通訳をやり、元外交官の吉田茂内閣で外務事務次官になっています。井口貞夫も後の外務事務次官。バックにいたのは吉田茂。 http://sun.ap.teacup.com/souun/177.html 外務省や海軍を中心とした軍幹部は、ジャーディンマセソンの三井、グラバー商会の三菱を通じて米国から賄賂をもらっており、米国ルーズベルトの指示で、参戦反対だった米国民(参戦しないというのがルーズベルトの公約)に参戦の口実を作り、日本を叩くために米国と日本の外務省・軍がグルで始めた戦争だから。 三菱や海軍中島飛行機がゼロ戦で儲けたり。 ジャーディン支店長の養子の吉田茂が日本人大量殺害計画の日本側窓口で、平和主義を装って戦後 首相に指名されて都合の悪い資料を米国と一緒に隠滅して、学者・作家を動員して海軍善玉論とかの嘘の歴史を作る係でした。もちろん布告の経緯に関する外務省の説明も多くが嘘。天皇とマッカーサーの会談で天皇から都合の悪い質問が出たらごまかす必要があるし。 駐米大使 野村吉三郎が元海軍大将というのも当然のこと。 515事件以後 賄賂公務員の巣窟である海軍がすべてを仕切っています。例えば海軍中曽根が吉田の子分ですね。 1994年 村山内閣で出てきた調査報告 Wiki より この調査などに基づく通説では、6日夜に 大使館員が南米へ転勤する 寺崎英成の送別会を メイフ ラワー・ホテルの中国料理店で行っていたこと、奥村 が送別会後も大使館に戻って浄書を行わず知人の家にトランプをしに行っていたこと、奥村の英訳親書の 浄書・タイプが遅れたこと、14分割目に「大至急」の 指示が付されておらず覚書本文の続きであることがわからなかったことなどが原因であるとされている 三井・三菱と組んだ軍幹部の賄賂戦争の意図に気づいた陸軍の一部が226事件で三井・三菱・海軍の515事件斎藤を襲ったのはそのためです。 参戦の口実作り・日本人大量殺害に協力した奥村が吉田内閣で出世するのは当然の結果。 白洲次郎についても素敵な話が http://blog.livedoor.jp/k_guncontrol/archives/50282676.html 騙されてた側の岸信介たちも結局こんなになってるし、漫才師の国。 http://plaza.rakuten.co.jp/lalameans/diary/201306180007/ ★ ★ ★ 続いて、興味深い話も紹介します。 ★ ★ ★ (ヤフージャパンの知恵袋から) 最近、思ったのですけど、どうして在日韓国人は日本で成功できたのですか? だって日本の0.5%ぐらいしかいないのにやたら韓国人社長の名前とかがたくさんあるように思えます。 マルハンの社長って密入国者ですよね。 どうして日本で生活できているのですか? (その回答の一つ) 戦後、日本支配のためにロックフェラーと統一教会とA級戦犯が組んだから。 GHQや米国の正体を知らないと謎が解けません。 まず、米国は東インド会社という当時の大資本(ロスチャイルド)が作ったもの。 インド・インドネシアのアジア利権をすべて持ち、世界の半分を支配していました。 米国ハドソン川では毛皮作りを始めて、米国を作りました。 ヘンリーハドソンは東インド会社が雇ってた探検家。 米国国旗は元は東インド会社の旗。 1ドル札にフリーメイソンのピラミッドが印刷してあるのはこのため (現1ドル札はルーズベルトが副大統領にデザインさせた) East India Company http://en.wikipedia.org/wiki/East_India_Company 下部に旗の変遷。 東インド会社・ロスチャイルドは、清を滅ぼし、日本ではジャーディンマセソンが明治政府を作りました。 世界の半分以上を支配し続けています。 ロスチャイルドの子分のひとつで、米国を担当してきたのがロックフェラー。 GHQ幹部はロスチャイルドの子分フリーメイソンだけで構成されていました。 主体はマッカーサー・ケーディスでしたが、参謀2部担当のロックフェラーが文鮮明と組み(朝鮮人に日本を支配させるという条件で)、昭和電工事件でウィロビーが主導権をとり、東京裁判で死刑になりかけてた戦犯を統一教会工作員として釈放。 他方で、多数の朝鮮人がGHQにサポートされて、死んだ日本人家族の名前を名乗り日本人になりすまします。 釈放された統一教会工作員岸信介がなりすまし朝鮮人を集めたのが自民党清和会。 元警察官僚の正力松太郎が民団町井のパチンコ利権を作り、岸の親戚の平沢勝栄が警察官僚になって警察内部情報を清和会に流し、清和会が警察パチンコ人事をコントロール。 後にこれら政界工作がばれるのを防ぐため町井・児玉がプロレス協会を作りロックフェラーの外人レスラーを呼んで正力の日テレが放送。 ロッテ他、隠れ朝鮮人企業グリコ・森永にロックフェラーが安価砂糖を供給して岸が国内分配を管理。ロッテは元々GHQ米軍から特別に稀少物資をもらって闇市でボロ儲けしたのが始まり。 岸が知り合いの満州鉄道関係者と統一教会関係者を集めて電通として、ロックフェラーCIA KCIAが支援。稲川会児玉が軍事兵器ロッキード代理人で、子分の政界利権分配役がハマコー 岸の弟の佐藤栄作が日韓地位協定で在日特権を作りました。 自民党議員の秘書は統一教会であり、秘書が議員の弱味を握ってコントロール。 逆らうと橋下のようにスキャンダルが出てきます。 ロスチャイルドに工作がばれないように自民党政権を維持するため、貧乏人の票をコントロールするのが創価。創価に入れば生活保護・公営住宅入居というご利益貧乏利権。 ソフトバンク孫のバックにいたのはロックフェラーのロバートルービン。孫に利権を与えないと CIAフェルドマンから脅し。 右翼・保守を名乗る者が実は全員 統一教会の工作員で、ロスチャイルドにばれないように巧妙に工作してたので、普通の者にはなかなか見抜けませんでした。 貴方の知らない日本 http://50064686.at.webry.info/201204/article_26.html 何故、日本でこれだけ多くの朝鮮人が偉そうにパチンコ屋を経営しているのか? それはアメリカの日本の戦後占領政策の「遺物」なのです。 GHQは戦後占領政策で、日本国内の諜報活動に在日朝鮮人の一部を利用した経緯がある。 「第三国人」でありながら日本国内の社会情勢を既によく知る彼らをGHQが諜報活動の手足に使う事はごく自然な事でした。そして、在日朝鮮人への報酬の一部として当時、配給統制品であった煙草を定期的に与える事をGHQは決定した。 配給統制品であった煙草をパチンコの景品にし、遊技場として在日朝鮮人どもは日本各地に「パチンコ屋」を続々と開業していった(名古屋が発祥と言われている)。この稀少品を目当てにした客が次々にパチンコ店にやって来た時代があり、これにより在日朝鮮人どもは商業的な基盤を得る事になる。そしてそのパチンコ屋の流れは現在に至る。 そもそもロックフェラーとは、ロスチャイルドの子分に過ぎないのですが。ロスチャイルドにばれないように文鮮明の統一教会と組んで朝鮮人を使い、日本を支配して勢力を拡大するというのがロックフェラーの戦略でした。 ロスチャイルドというのは明治維新をおこしたジャーディンマセソン商会であり、明治天皇や明治政府はそもそもロスチャイルドの子分でした。その後、軍部が暴走しますが再度ロスチャイルドがGHQとして乗り込んできました。 マッカーサーはロスチャイルドの下部組織のフリーメイソン。 ロスチャイルドGHQの下で、GHQ参謀2部を担当してたのがロックフェラー。 昭和電工事件を仕掛けて、参謀2部のウィロビーがGHQの主導権を握り、戦犯として死刑になる予定だった、岸信介・児玉誉士夫・笹川良一・正力松太郎を工作員として釈放する。 昭和電工事件からGHQの動きが完全に変わった。 そして釈放された元右翼の中心人物たちは全員、在日朝鮮人による日本支配の為に工作員になっていた。 (ホンモノは死刑として殺されていたかもしれないが) 文鮮明の仲間である多くの朝鮮人がGHQの支援の下、死んだ日本人の名前を名乗って日本人にすり替わりました。安倍晋三、福田康夫等の現在の清和会の政治家はこのすり替わり朝鮮人の子孫である。 日本人にすり替わりきれなかったその他の朝鮮勢力の力を付けさせる為の工作がパチンコ利権である。児玉誉士夫の監視役で民団創設者の町井久之「本名は鄭建永(チョン・ゴニョン、정건영)」がパチンコ利権の中心人物。 その後、岸信介の親戚の平沢勝栄が警察官僚になり、警察内部情報を政治家にあげて、政治家が警察人事をコントロールし、パチンコ利権を守った。正力松太郎は元警察官僚で、岸内閣国家公安委員長として、朝鮮ヤクザ組織東声会「町井久之」のパチンコ利権を作った。 正力松太郎の日テレがプロレスを放送し、児玉誉士夫と町井久之がプロレス協会幹部という関係。外国人レスラーはロックフェラーCIAのコネで来日した。現在でもプロレスラーや格闘家に在日朝鮮人が多いのも分かる気がしますね。 元プロレスリング・ノア取締役副社長で、テレビ解説も務めていた百田光雄は力道山「北朝鮮国籍」の次男であり、百田義浩の実弟。 読売・日テレはロックフェラーが支援したもので、日本人を野球やプロレスに熱中させて、これらの政界工作がばれないようにする為のものでした。 ロスチャイルドにばれないように勢力拡大する必要があったため、パチンコや朝鮮人右翼とか複雑な工作が必要だった。ロックフェラーにとって邪魔だったのが「中国」との友好を進めるニクソンと田中角栄。理由はロックフェラーの軍事兵器ビジネスの邪魔だったから。 そこでロックフェラーのロッキード社代理人の児玉誉士夫を使って、検察と組み、ロッキード事件を仕掛けた。この裏を知ったのが田中角栄の子分「小沢一郎」である。それが現在の小沢裁判の状況にも繋がっている。 自称保守の人達は在日朝鮮人を叩き出せと言ってるが、根本的な実態を何も知らずにただ叩き出せと言ってる人が多い。 日本社会を裏で操り牛耳っているのは米CIAであり、日本最大の反日勢力、敵国とは中国・南北朝鮮ではなくアメリカである。マスコミを牛耳ってる電通はCIAの手先と言われている。戦後の流れから現在まで、政界、メディア、芸能界、企業を裏で操り、支配してきたのは紛れも無いアメリカである。 ★ ★ ★ 鬼畜米英と叫んで戦場で殺されていった日本人の怨霊を誤魔化すために、日本の仮想敵国の共産主義のコミンテルンをつくったのもロックフェラーであることは以前紹介した通りである。反米を親米にするために、反共組織をつくり支援したのである。
2014年10月03日
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いま日本では「駄目よ!駄目駄目!」ブームである。それもこれも常識で考えればわかるようなことを「ねぇ、いいじゃないのよ」と強引にやろうとしているからである。 消費税10%に上げるのに血眼なアホ総理や、厳粛な場を乱す赤いマフラーのようなもんを着用しケバケバルックスで「お前は共産党員か!仮面ライダーのショッカーか!」とツッコミたくなる国会規定も知らないアホ法務大臣に、ダメ出ししたい心境に巷は満ち溢れている。 最終的には偽ユダヤ悪魔に「駄目よ駄目駄目!」しないと日本や地球は「駄目よ駄目駄目!」になってしまうという神の警告なんではないだろうか? 偽ユダヤ悪魔が裏で暗躍した見え見えの香港の民主化運動をロシアが見破ったら、偽ユダヤ傀儡の米国は「陰謀論」とのたまわったらしいが、「陰謀論」という根拠は何一つ示していないので、「陰謀論」と決めつけること自体が「陰謀論」である。 「陰謀論」というレッテル貼り自体が陰謀論なんである。「私が命令しました!」といっているようなもんである。 どうして米国が国外の内政問題に口を挟むのか? 昔からその根拠が曖昧で、米国憲法では他国の内政干渉を禁止にしているはずなんである。要するに戦争屋が戦争で金儲けするための糸口を探しているようにしかみえない。 この際、世界が米国の戦争ばかり起こしてきた政治のやり方に口を挟むべきで、チャイナタウンのあるカルフォルニアなどは貧富の差が大きく財政がほとんど破綻しているので、アラブの裕福な国か、もしくはロシアなどが買い上げて米国から独立すべきではないだろうか? ついでにハワイも独立すべきである。 戦争屋を解体しない限りは戦争はなくならない。一区域の貧富の差も解消できないのに、統治区域を拡げても貧富の差は拡大するだけである。だから独立しよう! そもそも「陰謀論」と叫ぶ輩こそ迷惑なんで、そいつに「陰謀論」の判定を誰も頼んだ覚えもないのに、しかも姑息にも、このような輩こそが、「陰謀論」を巧妙に利用して洗脳工作をしているから気をつけないといけない。 この洗脳工作はみえみえなんで、その手口を大まかに示す。話の前半は真実の裏ネタを交えて暴露し撒き餌とし、ほぼ事実通りの展開をみせるが、途中で、巧妙に嘘へと誘導し、途中で飛躍し、後半では出鱈目な結論へと洗脳誘導する手口なんである。 そのために絶好な話をお馴染みの播州武侯祠遍照院さまのブログより紹介する。 ★ ★ ★ 「大日本カースト帝国」にさらば!「大日本アホ帝国」よ滅べ! 渾沌堂 http://tyuubukou.blog.shinobi.jp/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%90%91%E3%81%91/%E3%80%8C%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%80%8D%E3%81%AB%E3%81%95%E3%82%89%E3%81%B0%EF%BC%81%E3%80%8C%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%A2%E3%83%9B%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%80%8D%E3%82%88#comment 高度自給自足時代の夜明け 【先進国の未来像】上記文抜粋・・・・・・・・・ 【万世一系 大日本カースト帝国を認識する】 (まず前半) こんにちは、今回は、実は、世界の多くの国はベルベットで覆い隠されたカースト制度なのだと言うことを書きます。 私たちは、そんな事も分からずに、私たちはロイヤルファミリーを無条件で受け入れています。 日本の皇室もそうです。 天皇すり替わり、胤無し天皇、皇室乗っ取り、これが歴史上、何度も起きたことは事実です。 彼らは、本当はとっくの昔に途絶えている嘘の血縁で揺るぎない地位を確保し、何千年も安定しているのですから。 まず、私たち日本人は大日本カースト帝国の国民であることを認識しましょう。 日本カースト制度 (図省略;転載元を参照してください) 上の図では、天皇の位置がうまく表現出来ませんが、まあ、支配者は支配者なんですが、実際は◎元奉行衆が最高権力者で、天皇は飾りみたいなポジションと言いたい訳です。 その下にも細かい序列はありますが、大雑把にまとめてみました(笑)。 私は一番下の階層だと思いましたが、社会保障を受けているだけまだマシで、私よりもひどい状況にある、例えば、非正規社員の方や、ホームレスの方もいますが、私も事故や病気で働けなくなれば同じですから、一番下の階層であることに変わりは有りません。 (中略) (前半は全く正しいようにみえる。) (中盤) さて、ここ20年間、日本は良い事が無いですよね? 仕事は厳しくなるばかりです。 消費税=上納金は吊り上がるばかり。 仕事で稼いだお金で買い物したら消費税=上納金を取られる・・・なんでやねん!! 給与明細の厚生年金、健康保険、所得税等の合計を見て、大きすぎると思いませんか? 消費税だけでなく所得税・住民税・固定資産税などを含んで平均したのが下記のデータ。 (データ省略;転載元を参照してください。) 日本は日本は税負担率49.7%で調査対象国144カ国中114位となっています。 世界で30番目に重税をかけている国が日本。 病院に行けば、3割負担だし・・・ 30年前は一割負担だった。 昭和59年(1984)までは自己負担率1割 平成9年(1997)に2割になり 平成15年(2003)に3割となったんですね・・・ 国民の経済状況が悪化してるのに、社会福祉を下げている。 そして、年金機構から送られてくる、想定年金支給額は十分だと思いますか? こんなに払っているのに、見返りが少なすぎるのが今の日本。 (ここまでは正しいが、次になぜか、北欧のデンマークに話が飛んでいく。) デンマークをはじめ、北欧の社会福祉が行き届いているのは事実らしいですが、現実は順番待ちでまともに取り合ってくれないとかで、外国で治療する人が多いらしいです。 あこがれの北欧の社会制度も、現実はそう甘くないという事です。 デンマークの王家にはヘッセンが激しく入り込んでいます。 デンマーク君主一覧 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF%E5%90%9B%E4%B8%BB%E4%B8%80%E8%A6%A7 日本の王様=3トップ(◎衛、◎条、◎条)には、さすがにヘッセン家はいませんが・・・ 要は、日本の王様=3トップは段階的に国民に負担を背負わせているということです。 自分達がベルファシに毒されているから、充分な国際資金が歳入されないだけなのにです。 これを正さない限り、日本人の生活は良くなりません。 (デンマークと比較した意味も不明ですが、その結論もおかしい。そして次になぜかフィリピンに話題が移る。) しかし、もっとひどい国がごろごろしてるんですよ。 (中略) (日本の話からデンマークに飛躍し、比較する理由を挙げることなく、次にフィリピンと展開されていきます。最終的にはモナコの王族を挙げ、マフィアに言及しています。そして後半です。要するに著者は、王族が貧富の差の元凶であるということをいいたいようですが、その主張はなんとなくわかりますが、論点が曖昧なままです。) さて、私たちはどうしたら良いのでしょうか? (中略) その為に、まずは世界の歴史と構造を正しく理解する事を今、やっている訳です。 これ無しに、ナイーブに「高度自給自足時代の夜明け」なんて夢を見ても仕方が無いのです。 まして、ネットの嘘情報に振り回され、アセンションとか、オカルト、日本ひな形論に走ることほど、愚かな事は無い訳です。 読者の方から、いろいろな情報をいただけるのもこのブログをやっていて良かったと思うところです。 世の中は金=ゴールドをどれだけ持っているかで決まる。 世界史とはゴールド争奪戦の歴史です。 金(ゴールド)がこの世界のすべてであるなら、それを一番多く所有しているのはどこなのか? 国という単位で考えれば、アメリカです。 (この怪しげな結論がおかしいですね。アメリカの金保有の統計は嘘であることがネットでは既に明らかになっています。そもそも金を大量に保有しているのなら、金本位制度をやめるわけがなく米国債を発行する必要がないはずです。つまりアメリカの金保有は数値目標を掲げているだけにすぎません。) ですから、アメリカが破綻する事など有り得ない。 (これは完全な嘘ですね。アメロを導入しようとした事例など数限りありますし、破綻寸前に陥ったことは事実です。ただし、戦争を起こせば軍産複合体が少しは生きながらえるが、貧富の差がまた拡がるだけということです。) (ゴールド保有国データは省略;転載元を参照してください。) 変動相場制移行後も、通貨発行をする各国中央銀行は、それに見合う金塊を保有しなければならない原則があるのは以前書きました。 アメリカの保有量が他国と比較になりませんね? 外貨準備に占める金保有の割合もメチャクチャ高い。 我が日本はたったの3.1%、中国なんて1.6%です。 次の覇権国は中国だ!!(爆) ブブー!! 一番強いのは、ゴールドを保証にキャッシュを発行し、世界経済を回している存在という事になります。 それは国では有りません。 もう、おわかりだとは思いますが、それはヘッセン、ロスチャイルドといったベルファシではない訳です。 彼らはブローカーで、その資金を受け取りたくて、あの手この手で言い寄って来る連中です。 ベルファシとは、それを世界経済の為では無く、我田引水しようとする勢力なのです。 んで、もちろん、そんな連中に資金は出ませんよね? 先生の世界では「日本なんか助ける必要無いだろ・・・」って言われてるんですよ。 大きな赤字を出した企業が何をするかというと、リストラばかり。 これでは資金を出して救済しても国民経済はいっこうに良くなりません。 デビアス、ロイズの記事に書いたように、日立なんか、ベルファシに乗っ取られる危険性があるわけです。 それでも、技術的に第3次産業革命が始まるのは、おそらく日本・アメリカ・ヨーロッパからなんですけどね・・・ 日本なんか助ける必要は無いと言われてる・・・ これは、なにも政治家、金融関係だけを指しているのではありません。 最も悪質なのは、日本人の顔をした反日勢力による日本崩壊工作。 メディアによる国民の愚民化、いじめの問題、格差の問題、様々な日本没落政策、等々・・・ 日教組、創価学会、北朝鮮とのパイプ役をしている国士舘大学といった連中をのさばらせておくような日本、そして、それに気が付かない日本人を救う事はないということと考えています。 ですから、この大日本カースト帝国をぶち壊すには、私たち一人一人の知識を高め、覚醒することが第一歩だと考えるわけです。 ★ ★ ★ 前半の日本のカースト制度打倒の話が米国賛美の結論に置き換わっていました。ネットの情報では、いまの日本のカースト制度をつくっているのは米国で、その証拠がTPPなどの対日要求であることは常識ですよね。その背後に偽ユダヤの世界統一人類家畜化計画があることもわかっています。 明らかなことをなんとか誤魔化そうとしている話にみえますね。最近、この手の話が多いので、前半だけ読んで、後半の出鱈目はほとんど無視するのがよいでしょう。だから私は今回を除き、ほぼ前半だけしか転載しませんし、嘘っぽい話はスルーしています。
2014年10月03日
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ネットから偽ユダヤ悪魔たちの改心が地球の命運を握っていることが明らかになってきている。まずはその悪魔たちを冗長させている取り巻きたちを悪魔たちから切り離し、悪魔を孤立させるのが先決である。悪魔の使う魔術を見破ることが肝要である そして悪魔が使う「分離して統治する」のをそのまま使うのである。 悪魔というのはお互いエゴの強い者同士で、エゴを抑えることができないから、自然に分離していくはずである。早い話、悪魔の共通の悪という目的をなくさせることである。例えば、詐欺師は金銭を略奪することは得意だが、その金銭を有効に使うことには素人同然である。 だから、略奪対象者がいなくなると能力を失う。詐欺師は自分が盗んだ金銭を詐欺することはできないからである。この点をみてもわかるが、悪というのは創造性に欠けているので、孤立化すると脆い。ヤクザの親分が孤独を畏れるのは悪が創造性に欠けるからである。だから群れようとする。 悪の特性が群れることにあるので、群れさせないこと、悪を孤立化させるのがよい。それには悪という共通の目的を失わせることにある。 昨今、生命よりも金儲けを優先したブラッグで有名になった牛丼屋のアルバイトが連帯を組んで辞めてしまった例などが記憶に新しい。金儲けという悪の共通の目的よりも自分の生命を優先するのは当然である。 単なる金儲けが悪なのは、使い方により金銭の価値が決まるからである。使い方が悪い者に金銭を使わせるのは悪である。だから単なる金持ちは地獄に行くわけで、その金銭で何人の貧困者を救えるのか考えるべきだろう。 悪魔は奪うことはできるが、造り出すことはできない。つまりウイルスのような寄生した生き方しかできない。悪魔は人類に寄生することでしか生きられないからである。知識にしても、暗記は得意だが、知識そのものを造り出すことはできない馬鹿なんである。この寄生の習性を利用することである。 さてそのような悪魔の正体を知るのに面白い話をお馴染みの播州武侯祠遍照院さまのブログより紹介する。偽ユダヤ悪魔たちは、自分たちが人間として無能であることを押し隠すために「セレブ」という言葉でそれを誤魔化していることがわかる話である。 ★ ★ ★ 「恥知らず」と書いて「セレブ」と読む日本。 渾沌堂 http://tyuubukou.blog.shinobi.jp/ RAPT より 上記文抜粋・・・・・・・ (文字数制約のため省略) 中国が日本の歴史認識問題を言いたてるのに、中国がもっとも悲惨な目にあわされた「アヘン戦争」に言及しないのはなぜだろう、という疑問があります。 清王朝を食い物にしたアヘン戦争から日清戦争・日中戦争・満洲建国→中華人民共和国の建国と激動する政治体制にもかかわらずアヘン戦争のためにできた金融機関である香港上海銀行(HSBC)がいまも中国で大きな力を持っているのはなぜだろう。 中国の通貨人民元は香港ドルをつうじて米ドルにペッグされています。 香港ドルはHSBC、スタンダード・チャータード銀行(SCB)、中国銀行香港支店の3行が発行しています。HSBCとSCBはいうまでもなくロスチャイルドの銀行です。 HSBCはわが明治維新のプレイヤーたちを操った金融勢力であり、日本の代理人はトーマス・グラバーという若造でした。 明治初年には日銀が創設され、通貨を発行し始めますが、通貨発行権にからむ言及はいっさいしないまま、日銀の独立性などという煙幕でその実体を隠しています。 しかしほんとうの日本の支配者は日銀かもしれず、このあたりの研究をもっとすべきだろうと考えています。 同様に、先の戦争で日本のアジア侵略を非難することはあっても、その「侵略」が欧の植民地支配からの解放を意味したことは明らかであるのに、言及されません。 また旧日本軍は中国において戦費獲得のために秘密機関をもちいて麻薬取引をして莫大な利益をあげ、それが戦後にまで繋がっていることは事実ですが、当然言及されることはありません。 私たちは政治を通じて日本や世界の動きをみるように条件付けられています。大きな改革が実行されるときは政治家の発言に注目し、戦争をみるときには、政治家や軍人の行動や発言に注目します。しかしそれが全てでしょうか。 最近TPP絡みではかつての「構造改革」が取り上げられ、新自由主義やら民営化なるスローガンにより日本の富が収奪され続けてきた憂慮すべき事態を論じていますが、日本を売り物にすることはずっと前から準備されいたわけで、小泉・竹中のコンビはその成果を刈り取る役割を果たしたにすぎません。 橋本政権は1997年に大蔵省を解体し日銀の独立性(=政府の干渉なしにロスチャイルドが中央銀行を操れるということ)のための法整備(改正日銀法)を実行しました。 さらに遡って日銀法が改正される前でも、日銀は金利を過度に引き下げたうえに、大蔵省をつんぼ桟敷においたまま、『窓口指導』という非公式施策により民間銀行への貸出拡大圧力を10年以上かけ続けて、日本をバブルに導き、派手に弾けさせた澄田智日銀総裁は退任(1989年)後、ご褒美にロスチャイルドの投資銀行の仏ラザールフレール顧問に就任、そのあと日本ユニセフ会長…あからさますぎてすごいです。 任期中にプラザ合意(1985年)もありました。 その父の澄田睞四郎(らいしろう)は旧帝国陸軍中将で、日本が敗戦した後も自分の部下2,600名の将兵を残留させて(自分はさっさと帰国)国民党軍に編入し、3年半以上にわたって中国内戦を戦わせたというとんでもないヒトです。 昭和の初期、睞四郎はフランス陸軍大学校に留学したときから、そういう役目を仰せつかっていたのでしょう。 中国もすくなくとも胡錦濤まではHSBCの意のままに動いていたようですが、習近平のさいきんの動きは「本気」なのかどうか。本気かもしれませんね。(腐敗への取り組みやグラクソ・スミスクライン(GSK)への罰金制裁)… 傑作なのは、サブプライムローン問題・リーマンショックですが、全員が損したの大合唱で…大体博打でスッテンテンになるということは、その分を誰かが巻き上げているわけです。 そんなのアホでもわかることなのに、めでたく全員が損したそうで、だれも異を唱えないのはアタマがおかしいというべきで、あのバクチの天文学的な掛け金はすべてロスチャイルドが取り込んだとみるのが、まっとうな見方だろうと思います。しかも損した分を税金で補填するという念の入れようです。 ロスチャイルドはナポレオンの昔から、ワーテルローの戦いの結果をいち早く知っていて、ロンドン中に嘘の情報を流し、株や国債を大暴落させ、破産して途方にくれる貴族たちを援助するふりをしながら、アホな貴族の株券や債券をタダ同然の底値で買い占めて巨万の富を得たのは有名なハナシで、連中の相場というのはインチキ・インサイダーなので、儲かるように相場をいじるのですから、損するわけがありません。 日露戦争をさせるために日本に高利貸しをして儲けたクーン・ローブ商会>リーマンブラザーズ>ゴールドマン・サックス=ロスチャイルド。ロスチャイルドに戦費の高利貸しをお願いに行ったのが高橋是清で、だからすぐに日銀総裁、やがて総理大臣にしてもらいました。 日露戦争の戦時国債の償還が終わったのは1986年だそうで、その間も鬼畜米英などと叫びながら借金だけは払い続けていたというのも、なさけないやらおかしいやら…(編年別返済実績をEXCELの表で見てみたいものです) 司馬遼太郎先生の日露戦争における秋山真之や東郷平八郎の勇ましいお話はけっこうなことですが、その金はどう使ったんかね? その借金の後始末は誰がどのようにしたのかね? というようなハナシにはだんまりを決め込みます。 「オレオレ詐欺」に騙される老人が今でも多いというニュースを見て、あんなのに引っかかるのはボケ老人くらいに普通の人は思っていますが、ほんとうにそうでしょうか? 「オレ、オレだよ、日露戦争だよ」「オレ、オレだよ地球温暖化だよ」「オレ、オレだよグローバルだよ」「オレ、オレだよ☆☆(はやりの言葉を入れて遊びましょうww)」・・・ボケ老人と同じです。 米国政府の主要ポストは企業や団体のヒモ付きが多く、それを『回転ドア』というそうです。 ロバート・ルービン(第70代財務長官1995~99年)はゴールドマン・サックスからの回転ドア1号で、ゴールドマン・サックスのヘッジファンド部門サーベラスの会長ジョン・スノーはブッシュ政権の第73代財務長官(2003~06年)、ゴールドマン・サックス現会長のヘンリー・ポールソンもブッシュ政権時の第74代財務長官(2006~09年)です。 第75代財務長官(2009~13年)のT・F・ガイトナーというイケメンはルービンの秘蔵っ子でしたが、さいきん名前をききませんね。 ゴールドマン・サックスは先の金融危機時もっとも損害が少なかったそうです。きっとユダヤ人特有のスーパー予知能力でしょう。また欧州中央銀行ECB総裁のマリオ・ドラギもゴールドマン・サックス出身なんですね。 ゴールドマン・サックスのロバート・ルービンはソ連の崩壊(1991年)後、エリツィン大統領時代にロシア経済顧問となって民営化事業を手がけています。ゴールドマン・サックスと新興財閥オルガリヒとの強固なつながりはこのときから始まったとみるべきで、というよりゴールドマン・サックスのユダヤ・コネクションによりオルガリヒをつくり出しロシア国民の富を強奪したのです。 その後もゴールドマン・サックスはロシアへの接近を図っています。プーチンのロシアはいまも堅牢な一枚岩とは言いがたく、ちょっとした隙間に入り込んで、あわよくばと狙っているに違いありません。 中国や他のBRICs国も同様です。真っ正面から戦わずに、寄生虫のようにこっそり侵入して栄養分を奪い乗っ取るやり方は何千年もかけて磨き抜いた「匠のワザ」ですから。 JPモルガンは資産高世界最大の銀行。発足はもともとロスチャイルドの系列ですが、やがて名実ともにロックフェラーの銀行になりました。JPモルガンはあきらかに反BRICsの立場です。 この巨大銀行同士の戦いがあります。 検索するといろいろヒットしますが「ROCKWAY EXPRESS」の記事「巨大銀行間の戦い:JPモルガンVSゴールドマンサックス」を参照ください。 この戦いをどうみるか、仲間割れなのかどうか。ふつうに考えるとそのユダヤ勢力同士は反目している筈と考えます。 私も複数のユダヤ勢力を想定していますが、違う見方です。平和が続けばどこかで混乱や戦争が起こり、健康な人に病原菌が感染し、コンピュータにはウイルスが入り込みということなんですが…これらは自然の働きではありません。 コンピュータウイルスなるものを大抵の人は誤解しています。どっかの偏執狂のハッカーが夜なよなPCの前でカチャカチャやってつくっているって…インベーダーゲームみたいなチンケなものではありません。資金を持った大きな組織が関与しています。まあ、作る側と防ぐ側が同じというマッチポンプのわかりやすい例ですね。 平和が続くのは儲からないから困りものです。混乱がないなら作ればいいのです。病気にならないなら病気にすればいいだけの話。そういう図式でわたしは見ています。 (文字数制約のため省略) ★ ★ ★ こういう偽ユダヤ悪魔たちは何のために生きてるんだか、まぁ無神論者だろうから、いずれ地獄に堕ちて気が付くんでしょうけど。もう二度と人間には戻れないってことなんだろうけどね。せっかくの修行を無駄にするわけですからね。このような馬鹿を改心させるのは大変ですな!
2014年10月02日
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