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でも、そのときお前の命はもう燃え尽きようとしてた。しばらくするとまた心拍数が小さく弱くなっていく。その都度妹さんが声をかける。あのおとなしい妹さんが大きな声をかけたんやってな。「お兄ちゃん!」って!そのたびにお前は生きようとする。そして心拍数が回復する。そんなことを何回も続けたって妹さんが言うてたわ。・・・お前はアンディ・フグか!・・・それでも病室の誰もが分かっていたんやて。もちろん妹さんもな。妹さんの呼びかけで回復するお前の心電図のグラフの波と音が、回数を重ねる度に弱くなっていくことをな。それでも妹さんはお前を呼び続けた。「お兄ちゃん!」「お兄ちゃん!」「お兄ちゃん!」病室の誰もが無言でその状況を見守った。兄を失いたくない妹と、妹を残して逝きたくない兄、、、、その気持ちが嫌というほど理解できるからや。でも、それでも、勇気を持って、あの人が、決断して、行動に出た。
2017.06.30
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病室ではだれも言葉を発さない状態が続いていた。お前の心拍数を知らせる機械の電子音だけが響いた。主治医も口を閉じたままで、看護師もたまに病室を出たり戻ったりはしていたが無言だった。それはもう手の施しようがないことを意味するんだと妹さんたちは感じていた。やがてお前の心拍数がもう止まらんばかりに小さく弱くなった。そのとき妹さんが声を発した!「お兄ちゃん!」その声を聞いてお前の心拍数は回復する。お前に妹さんの言葉が届いてたんやな。妹さんは嬉しかったって言うてたぞ。そらそやろ。妹さんにとってお前は大好きな大好きなお兄ちゃんやもん。それに反抗期もあったけど、今はお前がこれまでどんな思いで妹を守ってきたかを痛いほど理解してくれてるぞ。言うてたぞ。「お父さんが他界したあとはお父さんに、お母さんが他界したあとはお母さんになってくれたんです。」って、「自分も悲しくって辛いのに、私のことを思っていつも明るく振る舞ってくれた。」って、「そんな気持ちも分からないで、親が死んだのにヘラヘラしているお兄ちゃんにひどいことを言い続けた時期もあったけど、、、それでも私に優しく接してくれたんです。」って、「こんな状態になって意識が無くてもお兄ちゃんは私のことを思っていてくれる。」それが本当に嬉しかったって、・・・言うてたぞ。お前、あの居酒屋で俺に言うたことあんな。「俺は社会人としては三流以下や。」って。それがどうかは俺には分からへんわ。けどな。お前はお兄ちゃんとしては一流やぞ。超一流や!俺が認めるわ。脱帽や!
2017.06.29
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自分の意識がなくなって回復の可能性が無いとき・・・延命措置は取らないで欲しい!お前は常々主治医にお願いしていた。妹さんはそのことを事前に主治医から聞かされていて、家族としての意思の確認を受けていた。そしてお前の意思を尊重する決断をしていた。しかし今目前でお前の心音は確実に弱くなってきている。心音が停止してしまっては、延命措置の有無なんか関係なくお前という大きな存在が、お前と言う家族がこの世からいなくなってしまう。直面したこの残酷な現実の前に、妹さんはお前を手をしっかり握ることしかできない自分の無力さを心底嘆いたっていうてたぞ。でもちゃうよな!ちゃんと言うといたったぞ。それはちゃうねん。お前にとって、そんなときに手を握ってくれる身内がいることがどんなに幸せなことやったか。どんなに嬉しいことやったか。どんなに文字通りの『有り難い』ことやったか。絶対お前はそう思ってたし、そう感じていたって、ちゃんと妹さんに断言しといたぞ!礼には及ばへんで。友達やんけ!気にすな。
2017.06.28
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妹さんは勿論お前のことが心配であったが、疲れから仮眠室で眠りに落ちた。何時間かしてふと目覚めると同時に義弟さんが仮眠室に入ってきた。そしてお前の容態の急変を知らせて妹さんを病室に向かわせ、娘を起こした。妹さんがお前の病室に入ると、機械が知らせる心音が明らかに弱くなっていることにまず気づく。枕元にある椅子に座っていた大家さんが、その席をあけて妹さんを座らせた。妹さんはお前の手を取り、少し苦しそうに呼吸を続けるお前の顔をただ見つめた。妹さんは・・・お前に言いたいことがいっぱいあったそうやで。そやからこのとき無言でそれを懸命にお前に伝えたんやて!それ、伝わったか?伝わったやろ?それにお前のことやから、わざわざ言葉にしてもらわんでも分かってたんやろ?両親を亡くしてから2人で懸命に生きてきたお前ら兄妹やもん。俺らみたいな他人が介入できへん何かがあったはずや!そやから絶対お前には分かってたはずや!そやろ?妹さんに実際に会うて俺もわかったわ。彼女はしっかりとお前の思いを受け止めて背負って生きてるよ。しかもお前はちゃんと彼女の中に生きてるやんか。それもわかったわ。なんぼ俺が間抜けでもそれは分かるわ。そやから。そやからや!彼女の思いはお前の思いであって、お前の思いも彼女の思いなんよ。お前ら兄妹は今もしっかりつながってるわ。ホンマにお前は幸せなやつやで。
2017.06.27
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部屋の扉をノックすると主治医の声が聞こえた。3人が用意された椅子に座ると、「誰か会わせたい人はいませんか?」と問いかけられた。妹さんは首を横に振った。主治医の言葉は続いた。「3日の朝のように何事もなかったかのように回復する可能性は低い。」「とにかく今夜はそばにいてあげてください。」それでも妹さん一家は、朝になるとまたお前が何事もなかったかのように目を覚ますことを祈っていた。このままで最後だったら、お兄ちゃんがかわいそう。何も報われることなく人生を終わらせたくはない。妹さんはそう思ったそうやで!病室に戻ったときの3人の表情を察して大家さんは「何の言わんでもええよ。とにかく交代でこの子のそばにだれかがいるようにしよう。」と提案した。大家さんはまず3人にやすんでもらおうとしたが、妹さんは拒んだ。結果、大家さんと妹さんがお前の病室に残り、義弟さんと姪っ子が仮眠室に向かった。そこで大家さんは、お前と出会ってからの話を妹さんにしてくれたんやて。それで妹さんは、ホンマにお前が大家さんを実の母親と思って慕っていたことを知ったみたいやで。お前がこの地にやってきて一人寂しく生きてきたわけではない事実は妹さんの心を、事ここに至ってではあるけど、明るくしてくれたんや。それで2人はお前の顔を見ながら、お前の歩んできた人生とその生き様について大いに語ったんやて。こんな幸せなことあるか?ないで!お前は幸せ者やで。だれが何と言うても俺が認めたる!!!お前は幸せ者や。悔しいけど、、、正直いうて本気で羨ましいで。そんな時間が3時間ほど続いた頃、義弟さんが仮眠室からやってきた。大家さんはまだ全然眠たくないからと病室に残ったが、妹さんはさすがに限界だったので渋々仮眠室に向かった。
2017.06.26
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妹さん一家が病院に戻ると、お前は病室で口にマスクをつけて心音や血圧なんかを計測する機械につながれていた。「お兄ちゃん、大丈夫?」その妹さんの声に、お前は少し力のない笑顔でこたえた。そしてしばらくするとお前は寝息を立てはじめた。そのタイミングを待っていたかのように病室にいてくれていた看護師さんが妹さんに主治医のところにいくようにと小声で促した。妹さん一家が病室を出て廊下を歩いているときに大家さんも到着した。病院側が連絡をしてくれていたのだ、妹さんがお前の状態と今から主治医の話しを聞きに行くことを伝えると、大家さんは妹さんを抱きしめて、耳元で「何を言われても気を確かに持ってよ!」とささやいたそうやで。そのとき妹さんは「なんで『大丈夫、心配いらない』って言ってくれないのか…」と思ったそうやわ。でも今となっては感謝してるって言うてたで。さすがお前の妹や!そして大家さんはお前の義弟さんと姪っ子に、「病室には私がいてるから、ゆっくり先生とお話を聞いててきたらええわ。」と言ってくれた。そして3人は主治医の待つ部屋へ向かった。
2017.06.24
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一度ホテルに戻り夕食を済ませた妹さん一家は話し合いをした。勿論、議題は如何にお前に静岡行きを了承させるか!であった。予定では翌日の5日夕方に帰ることになっていたので、まだ時間があると言えばある。今度は旦那も娘も同行させて説得しようと妹さんは提案した。2人だってそれを望んでいるのだから、本音で話し合えば分かってもらえると思ったのだ。その話し合いが終わった頃はもう病院の消灯時間が迫っていたので、明日またお前の病室を訪ねることにした。そして妹さんは大家さんにも電話をした。大家さんにも説得に加わってほしかったのだ。大家さんはその申し出をこころよく引き受けた。もし明日説得できなかったら、もう何日か妹さんだけでも残ればいいし、そのときはお前の部屋に宿泊すればいいとも言ってくれた。おそらく大家さんはこの時点でお前が静岡行になかなか同意せぇへんやろうと踏んではったんとちゃうかなぁ?お前もちょっとやそっとで「ほな、それやったら」とは言わんかったやろ?お前の性格やったらそうやと思うわ。その夜だった。妹さん一家がそろそろ寝ようかとしたいたときだった。病院から妹さんの携帯に電話が入った。お前の容態が急変したという知らせだった。
2017.06.23
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15時少し前。妹さん一家がお前の病室に戻ってきた。姪っ子が「みんなでデザートを食べよう!」とコンビニでアイスクリームを買って来てくれていた。「じゃおじさんが一番ね。」と言ってアイスの入った白い袋をお前の前に差し出す。お前は嬉しそうに物色し、カップのアイスを選んだ。そして同じく袋の中にあった昔ながらの平べったい木製のスプーンを手にして「懐かしいわ、このスプーン」と言って笑顔を見せた。そのスプーンをきっかけに、話題はお前と妹さんの子供の頃のものになった。両親と兄と妹・・・ありふれた家族の幸せだった日々がそこにはあった。お前は記憶の限りその過ぎ去りし日々の話をし、妹さんは涙を浮かべながらその話にうなずき、義弟さんは妻の、そして姪は母の少女時代の話に耳を傾けた。そんな4人の時間がゆっくりと流れたが、気付けばいつの間にか窓の外は夕方を通り越して夜景色になりつつあった。のどが渇いたと妹さんがコップに入れてくれた水を1杯飲んだお前は「疲れたから・・・ちょっと休むわ。」と言ってベッドに横たわった。「じゃあ私たちは一度ホテルに戻って晩ごはん済ませたらまたくるね。」と妹さんが言い、「また昔の話を聞かせてくださいね。」と姪っ子が言い、「少し休んだら義兄さんも食事をしてください。欲しいものがあれば携帯電話を鳴らしてもらったら買ってきますよ。」と義弟さんが言った。お前はこれらの言葉に笑顔で答えて、3人に大きく手を振った。「疲れたから・・・ちょっと休むわ。」結局これが妹さん一家が聞くお前の最後の言葉となった。
2017.06.22
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それでも思いを曲げない妹さんの言葉に対して、お前は「ありがたいで。ありがたいけど、そらあかんわ。」を繰り返した。そしてお昼が迫った頃、2人は話を中断した。義弟さんと姪っ子が「お昼に行こう。」と元気よく病室に入ってきたからだ。実は、静岡で一緒に暮らす申し出をお前が素直に受け入れないこと予測していた妹さんが、お昼前になって自分が病室から出て来ない場合にこうするように頼んでいたのだ。「お昼は何にします?」姪っ子のその言葉に少し間を置いた後、お前は「お昼はここでいただくわ。もう外は疲れるし・・・。」と言う。そして「家族水入らずでランチしてこいよ。」と言って3人を病室から送り出した。しばらくして運ばれた食事をお前は1人でちびちびと時間をかけて食した。食後の薬を持ってきてくれた看護師さんに「なんでみんなと一緒にお昼に行かなかったんですか?」と言われて、お前は無言で寂しそうに笑うたそうやな。その時のお前の表情が印象的で、看護師さんが後に妹さんに話してくれたそうやで。そうや。お前はあの居酒屋でもそんな笑顔を見せるときがあったわ。えっ?なんでこの話題で?えっ?なんでこのタイミングで?・・・ってときにあの笑顔を見せるんや。でもだれでも分かるで!人に言えん辛い思いがあるときの顔やな。特にお前はご両親の話をするときにあの顔を見せたな・・・。
2017.06.21
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食事後、お前たちは少し夜の街をうろついた。ゲームセンターに寄って、アイスクリーム屋にも入った。そして病院の消灯時間ギリギリに病室に戻り、お前は就寝。妹さん一家はホテルへと戻った。そして4日の朝、再び妹さん一家がお前の病室を訪れる。そして妹さんに「話がある」と切り出される。彼女はお前に静岡に来てほしいと言った。近くにいれば身の回りのお世話もできる。そして何より一緒に病気に立ち向かえる。今まで自分の面倒を見てくれた兄に、今度は自分が恩返ししたい。主人も娘もそう思っているし、主治医も静岡の病院に紹介状を書いてくれると言っている。だから静岡で一緒に暮らしてほしい。妹さんはお前にそう言うたらしいな。内心は嬉しかったやろ!嬉しかったはずや!でもお前は丁重に断った。そやろな。お前やったらそうやろな。分かるわ。
2017.06.20
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そしてその5月3日のお昼前に妹さん一家がお前の病室に到着する。本来はお前の自宅に来る予定やってんけど、大家さんが病院にくるように連絡したらしい。そこでお前は高校生になったばかりの姪っ子と、妹の主人に久しぶりに会う。入退院を繰り返していたお前は「贅沢やから」といつも入院時の病室は大部屋にしていたが、このときばかりは大家さんの進言と病院側の配慮があって個室におったんやってな。その病室でお前は、大阪出身ではあるが無口な妹と、関東生まれ関東育ちの義弟さんと姪っ子相手に軽快なしゃべくりで爆笑を取っていた。その姿を見れば、誰もがたった1日前に昏睡状態であったなんて夢にも思わなかっただろうと妹さんは言うてたわ。そして3日の夜。まだ少し足元がおぼつかないので車椅子の使用を条件に病院側から許可を得て、お前は妹一家と外食を楽しむことにした。何を食べたいかとお前は姪っ子に聞いたが、彼女は「おじさんが食べたいもの!」と言った。ようできた姪っ子さんやな。それでお前は病院近くのファミリーレストランを希望する。「我々にお気遣いなくもっと別の場所でも構いませんよ。」と義弟さんがいうと、お前は「いや、行ってみたいんや。ああいうとこ。俺みたいなもんがなかなか入り辛いから。名前が『ファミリー』って言うてしもてるもん。家族の無い者には敷居が高う感じるんよ。」と言ったとか・・・。お前らしいな!
2017.06.19
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5月1日の夜。お前は自宅から救急車を呼んだ。サイレンの音に敏感に反応して大家さんもお前の部屋に駆けつけ、そのまま一緒に病院へ付き添った。病院に到着するとすぐに医療スタッフがお前を治療室に運ぶ。それを見届けた大家さんはすぐに妹さんに連絡。妹さんはすぐに静岡を出ようとしたが、夜でありゴールデンウィークということもあり足が確保できない。彼女は車で高速道を使ってと考えたが、旦那さんがそれを止めた。このときの精神状態での長距離の高速道運転は危険だと判断したのだ。なので、妹さん一家は当初の予定通りに3日の朝に着くように家を出ることにした。このときの、すぐにお前に会いにいきたいのに行けない時間を過ごした妹さんの心中は察してあまりあるわ。そして5月2日。お前は昏睡状態に陥る。しかし大家さんはそれを敢えて妹さんには知らせなかった。あんなに大切に思っていた妹さんが来るまでは、お前は絶対に死なないと確信があったそうやで。あの大家さんはつくづくたいしたお人やな。こんな状態でも全く冷静さを失わへんお人や。お前が全幅の信頼をおいてた気持ちもようわかるわ。そして、大家さんのその確信は現実のものとなる。5月3日の朝。お前は何事もなかったように、良く寝て朝に目覚めるように、朝日とともに意識を取り戻す。ほんで看護師さんに言うた言葉が・・・「お腹空いたんですけど・・・。」やて!相変わらず笑わっしょんなぁ。
2017.06.18
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妹さんと過ごした兄妹水入らずの時間はお前に活力を与えた。誰が見ても分かるほど顔色がよくなり、食欲も出てきた。主治医も大家さんも、このままの状態がさらに続くと思った。でもお前は違うたんやな。あとでわかったことやけど、お前はこの時期から私物の処分を完成させにかかったらしいな。それまでもある程度の処分はしてたらしいけど、この時期はホンマに生活する上で必要最小限のものしか残さんと処分してたんやってな。実は4月いっぱいを使って妹さんはお前を静岡に招く準備をしていた。でもこの時点でお前はそれを知らんかったんやろ。そやから、お前はそろそろ最後が近いことを感じてたんとちゃうか?妹さん一家がやってくるのは5月3日から5日までの三日間。お前はその日を楽しみにしながら、笑顔で、ときには大家さんに冗談を飛ばしながらも人の見ていないところで身辺整理をしながら日々を過ごしていた。そしてとうとうやってきた5月。その1日の夜。お前の容体は急変した。
2017.06.17
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妹にだけは迷惑をかけたくない!その思いからお前は自分に起こっていることを妹にだけは伝えないで欲しいと大家さんにお願いしていた。しかし彼女はお前も思いも尊重したいが、知らされなかったと後で知った妹さんの気持ちも考えて、体調を崩していることだけを電話で伝えた。3月になって急に妹さんがお前を訪ねたことで、大家さんがある意味お前に嘘をついたことを知った。勿論それでお前が大家さんを責めることはなかった。そらそや!お前やって本音を言うたら妹さんに会いたかったんやからな。お前の様子を見た妹さんは、その病が危険なものであると察知して主治医とも面談した。病名を聞いた妹さんは文字通り耳を疑ったそうだ。でもその時点でお前は余命1年と宣告されてから3年目を迎えようとしていたし、何より奇跡的な回復ぶりを見せていたので、この状態を維持し続けることも可能だと主治医に言わしめた。その言葉と痩せたとはいえ前向きな気持ちを持ち続けているお前の姿を見たことで少し安心した妹さんは、またゴールデンウィークに旦那と娘を連れて会いに来ると約束をして一度静岡に帰ることにした。
2017.06.16
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俺の涙に気づかいを見せながらも、お前の妹さんの話は続いた。余命宣告を受けて間もなく、お前の異変に気付いた人物がいた。お前のアパートの大家さんだ。戦後の混乱期に戦災孤児として懸命に生きてきた彼女にだけは、さすがのお前も事実を隠しきれなかった。この大家さんの存在は、お前の救いでもあり、大きな誤算でもあったんやな。彼女の意見具申により、お前は余命をのばすようになった。入退院を繰り返し、手術も受けた。仕事もセーブして医師の指示に従った。その甲斐あって、お前は50歳になる年の正月を迎えた。しかしその頃にはお前は薬の使用をやめていた。副作用が辛かったからだ。お前、大家さんに言うたそうやな。「最後の最後は笑って逝きたいんです。薬で訳のわからん状態で逝くのはいやなんです。」って。… お前は、ウィリアム・ウォレスか!!…それからしばらく、お前は平穏な日々を過ごした。そんな日々の続く3月の終わりごろ、お前は大家さんにある約束を破られていたことに気付く。
2017.06.15
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酒を酌み交わしながらいろんな話をした俺たちであったが、お互いに尋ねないことが2つあった。ひとつは名前。そんなものは必要なかった。お互いに「お前」「お前」と呼び合った。もうひとつは、結婚しているか、あるいは彼女はいるか、だった。それも聞く必要は無かった。お互い指輪なんかしていないとこでなく、においというか空気だ。このにおい・空気をまとっている男には女は寄ってこないことを、俺たちは嫌というほど知っていた。だからや。だからこそ、「どうやって死ぬか」は俺らには大事な問題だったんや。嫁も子供もいないのだから、葬式は出せない。兄弟はいるが、お互い自分の死を知られたくない。それが俺らやったな。俺は兄が2人いるが、口ではなんと言おうと結婚して家庭を持つと兄弟といえども他人になることを身に沁みて知らされたばかりやった。お前は大切な妹に厄介をかけたくなかった。だから俺たちは自分の処分を自分でしなければならない。2人でいろいろ考えたが、結論は出えへんかった。しかし、お前は言うてたな。何回も言うてたな。「できれば病気で余命宣告を受けたいわ。それやったら身の回りにある物の処分はできるやん。あとは自分の死体やけど、病気の研究に使ってくれとかなんとか言って病院で処分してもろたらだれにも迷惑かからへんのとちゃうか。」って・・・。分かってるで!あの言葉は強がりでもないし、自暴自棄になってたわけでもあらへんよ。俺たちにとっては、来るべき現実以外の何物でもないねん。そやからこそ真剣に話したよな。そやからこそ知恵を出し合ったよな。それで、お前・・・・ホンマに余命宣告を受けたんやな。それで周りの人らに「大丈夫、大丈夫」言いながら、飄々と生活を送ったんやな。「よかったやん」、と思った瞬間、不覚にも涙が出てしもたわ。
2017.06.14
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何日やったか覚えてへんけど、あの夢は間違いなく去年のゴールデンウィーク中のある日の早朝に見た。お前。もしかしたら、最後の最後に俺に会いにきてくれたんか?そして今年のゴールデンウィークに、お前の妹さんと姪っ子に会った。駅で会ってから俺の車に乗ってもらい、静かに話ができるコーヒー店に向かった。この店は、休日でも大声で騒ぐような馬鹿ガキ共が来ない。なので静かに話ができる。しかも幸運なことに、一番落ち着ける奥の席が空いていた。我々三人はお互いに聞きたいことが山ほどあったが、まずは妹さんがお前の最後の様子を話してくれた。お前は俺と会わなくなってからも変わらぬ生活を送ったが、46歳のときに身体に異変を感じた。それでも自分を騙しだまし日々を過ごしたが、47歳になって耐えきれず病院にいった。そのときすでにお前の身体は病魔に侵されていて、数回にわたる検査の結果余命1年との宣告を受ける。それでも何食わぬ顔をして、「大丈夫、大丈夫」と周囲に言いながら生活をした。余命宣告を受けたことなど誰にも言わずにだ!そこまで話を聞いた俺は不覚にも涙が止まらなくなった。そうや。そうやったな。あの居酒屋で話したよな。何回も話したよな。もうええわ!っちゅうくらい話したよな。いろんな話題を肴に美味い酒を飲んだけど・・・結局最後に俺たちの話題は、「どうやって死ぬか」になったな。まだ30歳になったばかりの男の話題がそれやったもんな・・・。あんときは感じへんかったけど、今思えば哀れなことやな。
2017.06.13
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机の上にある授業用のプリントや資料を見たお前は、「こんなん自分で作ってんのか? あのパソコン音痴のお前がさっさとこんなん作るとはすごいな。」と言った。「さすがにさっさとはできへんわ。今日は昼間の仕事無かったから、朝からこればっかりや。」と返すと、「朝からって・・・何時間やってんねん。授業料なんぼもろてるか知らんけど、授業時間とこんなプリント作る時間考えたら時給いくらになんねん!」とお前。その言葉に笑顔で返すと、お前も「・・・ジョナサンってわけやな!」と言って笑顔を見せた。さすがにこいつは分かってくれるな、と思いながら俺は「酒は無理やからコーヒーでも入れるわ。」といって部屋を出ようとして一瞬お前に背中を向けた。そして部屋を出て廊下を2~3歩進んだとき、「そらそうとあれからどないしててん。」と言って俺が教室にいるお前の方に振り返ったら・・・・もうそこにお前の姿は無かった。あれっ?と思って教室に戻ったけど、机の上に酒とつまみを入れた袋はそのままにやはりお前の姿はない。まあまた来てくれるやろう・・・と思った瞬間、目が覚めた。夢やったんや。なんでもう19年近くも会ってないお前の夢を見たんやろう。と布団の中でしばらく考えてたとき、新聞配達のバイクのエンジン音が聞こえてきた。
2017.06.12
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俺は夜の仕事の準備をしていた。すると誰かが玄関をノックする。作業の手を止めて玄関の前に立ち「どちらさんですか。」と言うと、「お~い、俺や~。入れてくれ~。」とどこかで聞いた声がする。ドアを開けるとお前が立っていた。「おお~~、久しぶりやん!」と言うと、お前は「家探したで。やっと見つけた。」と言いながら両手に持った白いビニール袋を顔の高さまであげた。1つはビールと酎ハイ、もう1つにはつまみがパンパンに詰められていた。「久しぶりに飲まへんか?」とお前が笑顔を見せる。「すまんな。夜は仕事やねん。」と俺が言うと、「お、やってんねんな。学習塾。」と言いながらお前は靴を脱いで家の中に入った。俺は玄関を入ってすぐ右の部屋を教室としている。お前は迷わずその部屋に入って「お~、ここがお前の教室やな。」と言って辺りを見回しながら生徒用の席のひとつに座った。
2017.06.10
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翌日、お前の妹さんからメールの返信がきた。少し長い文面だったが、丁寧でしっかりした文章が綴られていた。しかしそのメールを開いてから全文を読み終わるまでに1時間以上の時間がかかった。俺のメールの返信へのお礼と改めての挨拶の後の1行を目にしたときに時間が止まってしもたんや。その行には、こう書かれてあった。「兄は昨年の5月5日の早朝に、私たち家族に見守られながら永眠致しました。」お前は俺より早生まれやったから、50歳にはなってたはずやな。お前は俺の知らないところで50年の生涯をまっとうしてたんやな。ホンマに、ホンマにおつかれさん。でもな。なんかそんな気がしててん。去年のゴールデンウィークに、俺はお前の夢を見た。何日やったか覚えてへんけど朝早かったことだけは確かや。そやから・・・なんかそんな気がしててん。そやけどな、実際に「永眠」なんて言葉を突きつけられたらな、やっぱりかなんわ。
2017.06.09
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はじめまして。突然のメールで失礼致します。私、〇〇△△と申します。旧姓は◎◎です。◎◎◇◇の妹です。そのメールはこんな文章で始まっていた。正直、新手の迷惑メールかなと思った。だって俺はお前の本名を知らない。しかしその後の文章で、このメールの主がお前の妹であることが分かった。そこには俺たちしか知りえない話題が2つ記載されていたからだ。1つはあの居酒屋のから揚げを『七色の変化球』と呼んだこと。注文する度に揚げ具合が異なり、ベストな状態で出てくるのはだいたい7回に1回だったことから俺が命名した。もう1つはジャベール。『レ・ミゼラブル』の話になったとき、確かに俺はジャン・バルジャンではなくジャベールについて語った。それを知ってるのはお前だけや。つまりメールの主は間違いなくお前の妹さんや!妹さんは、「ゴマ」と呼ばれていた兄の友人を探しているとのことだった。俺は早速自分がその「ゴマ」であることをメールに書いて返信をした。
2017.06.08
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俺はこんな容姿でも一応文学部出身。お前はお父さんの影響で読書をたしなんだ。そして偶然お互いの心に残っている本が一致していた。その中の1冊が『Jonathan Livingtton Seagul』俺は再開した仕事にたいしてジョナザン・リビングストンでありたいと思って日々を過ごした。この狭い県だ。いつかはどこかでお前とばったり会うこともあるやろう。そのときに「あれからこう過ごしてんねん」と胸を張って言えるようにと日々を過ごした。気づけば今の仕事のサイクルを得てから18年が経っていた。いろんなところで卒業生と顔を合わせることもあり「なんでも長く続けていくもんやな」と実感するシーンも多くなってきた。ありがたいことに定期的に顔を合わせて心地よい時間を過ごせてもらえる仲間もできた。あの俺が用もないのに気楽に立ち寄り、サービスのコーヒーを飲んで時間を過ごさせてもらうお店もできた。そんな中で、時折お前の顔がふとよぎることがある。その都度「どうしてんのかな」と思っていた。そして今年になっていきなりお前の妹と名乗る人物からのメールが舞い込んだ。
2017.06.06
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それでも週に一度はあの居酒屋の顔を出したが、いつもお前と会えるとは限らなかった。店の大将に俺が毎日通わなくなるとお前も同じように足を運ぶ機会を減らしたと聞いた。たまにいつものカウンター席で会うことができても、俺たちは「よっ」と声をかけあい、いつもの他愛のない話を楽しんだ。そのうち俺は夜に仕事をするようになり、まったく夜の街に出なくなった。しばらくはあの居酒屋やお前のことが頭をよぎったが、久しぶりの仕事に俺は没頭した。この業界の現場感覚が日に日に戻ってくる感覚が嬉しかった。その数か月後には2つの職をかけもち、数年後には3つの職をかけもつようになった。そのあたりから、全く酒を飲まない生活になっていった。そして仕事に追われる日々の心地よさをさらに満喫するようになった。そんな中でも、お前とのあの会話が頭を離れなかった。ジョナサン・リビングストンの話だ!
2017.06.05
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しかしそんな心地よい日々が2カ月も続いた頃、俺に問題が起きてきた。金銭の問題だ。お前は仕事の帰りにあの居酒屋に寄っていたよな。あの頃の俺は無職のプー太郎。前職の貯えが底をつくペースが想像以上に早かった。それに毎日の酒浸り生活で、元々酒に強かったのが更に強くなり、飲んでも飲んでも酔わへん。それでも酔いたいから酒の量がどんどん増える。そうなればさらに資金の減りが加速する。だからといってまだ仕事を探す気にはなれなかったので、とりあえず居酒屋通いの回数を減らしていった。こうして結果的に俺はお前と会う機会を減らしてしまうようにしてしまった。
2017.06.04
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あまり客に構わないというかほったらかしてくれる店なので、余分な会話をしなくていい。ゆっくり時間をつぶしたい俺には、注文の品が出てくる遅さも心地がよくて、毎日のように足を運ぶようになった。そんな店のカウンター席でお前と出会った。お前が注文した串揚げが俺の席に運ばれたのがきっかけで言葉を交わすようになった。お前の話は心地よかった。常にサイズも適切で、なによりちゃんと「オチ」がある。自慢にもクソにもなっていない自慢話でもないし、酒に任せて偉そうに説教をたれるわけでもないし、ましてや遠回しに俺を非難してくるわけでもない。自虐とまではいかないが、その中にはいつもお前の謙譲があった。毎日のようにその居酒屋のカウンターで顔を合わせるので、お互いの情報が徐々に分かっていった。同い年。お前は大阪で俺は奈良出身。互いに元野球少年で、お前は内野手で俺は外野手。俺たちにとってお互いの情報はこれで十分だった。互いにそれ以上は聞くことも話すこともなかった。しかし話のネタに困ることはなかった。子供の頃に観ていたテレビ番組や流行ったもの。好きな歌。プロ野球。プロレズ。親に買ってもらったプラモデル。映画。本。そんなどうでもいい話をちびちびと酒を煽りながら楽しむ時間が、いつしかあの頃の俺を支えてくれるようになっていた。
2017.06.03
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19年前の6月頃、俺はほぼ毎夜街に繰り出しては酒浸りになっていた。職も全て投げ出して立ち向かった問題が解決して、なんだか脱力してしまっていた。しばらくは何も考えずにゆっくり過ごしたかったのだが、そうはさせてもらえなかった。日頃へらへらと過ごしてきたせいか、俺のまわりには俺を利用して自分が得をしようと思う連中が多かった。「なんでもあのアホにやらせてその成果を自分のものにしよう」と思っている連中だ。あるいは、自分の自慢話を何回でも何時間でも俺に聞かせて自己満足を得たい連中も多かった。そんな連中には俺は日頃よっぽど何も知らずに生きてきたバカに見えているんだろう。とにかく自分の話を聞かせるのだ。聞いてて微塵も実の無い話をだ。家にいれば、そんな連中からの電話が鳴りやまない。電話の線を抜いておけば、家の明かりを見て玄関をノックする。だから夕方になると家を出て街をうろついた。そんなとき偶然に入ったのがあの居酒屋だった。
2017.06.02
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3月だった。私が開設している練習生募集のサイトの問い合わせページからメール1通のが来た。この母親からだった。娘が私のことをネットで探していた時にサイトを見つけて母親に知らせたそうだ。ゴマという呼び名、学習塾の講師、バイク乗り、、、この3点から私ではないかと思って母親がメールをくれたのだ。・・・この6月でお前と出会って19年目になる。光陰矢の如しとはよう言うたもんやなと、つくづく感心する。まさかこんな形でお前の妹さんと姪に会うことになるとは微塵も思ってへんかった。懐かしいなあ。覚えてるか?あの安いだけが売りの暗い薄汚い感じの居酒屋を。もう何年も前に店じまいになったけど、そらそうやろと思うわ。なんの飾り気も看板メニューもない、注文してもなかなか料理も飲み物も出てけぇへん店やもん。でもあの店の雰囲気はホンマに好きやったわ。
2017.06.01
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