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売る側にしてみれば、原価や様々な手数料そして利益を求めるのは当然だ。価格を下げるという事は、それらのどれかに反映される。原料の原価を下げるために品質を落としたり、、、手数料を下げるために仕事量はそのままで人員を削減したり、、、利益自体を下げたりしなければならない。そこかしこでこんな事態が起こってしまえば、その市場は衰退していくしかないのだ。なので自分の経済力と相談しながら、適正な価格で適正な取引をみんなが行う社会の実現が今求められている。数か月前、テレビで家電に詳しい芸能人たちがいろいろ話をしていた。その中で興味深かったのは「我々買う側が家電を育てている!」という言葉だった。
2023.07.31
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なので、安売りのモノや割引品を購入することは往々にしてある。しかしながら明らかに足元を見られている場合は例外だが、いわゆる値切る行為はしない。いや、していた時もあるにはあるが、なかり子供の頃の話だ。社会に出てからは、値段が高いと思うモノは購入しないことにしている。値段というものは生産者を含めた売る側が設定したそのモノに対する価値なのだ。例えば千円の品物があるとする。私がそれを高いと思ったとすれば、その品物の価値を理解できなかったのだと思って購入しない。ただそれだけだ。それを自分が思った値段に下げさせるという行為が、ある意味恥ずかしいことではないかと感じるのだ。
2023.07.30
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中学校の公民の教科書には、お金の役割について[交換]と[価値基準]といった内容を記述している。サービスを含めた「モノ」と交換する役割を果たしているのがお金であり、その際の価値基準が交換を決定するときの大きな判断材料となる。ここまでは何も問題は感じないのだが、私が違和感を覚えるのはこの後だ!「安けりゃいいのか!?」問題だ。もちろん私もお金持ちではない。どちらかというと貧乏っダレだ。仕事も自営業なので収入は不安定中の不安定。ときには缶コーヒーを買うのも我慢しなければならなない月のある。不安定という意味ではかなり安定している。なので同じモノを買うなら、もちろん少しでも安い方が助かる。これは本音だ。
2023.07.29
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お金というものは不思議なものだと最近この歳になってつくづく思う。お金はときにその価値が大きく変わる。お金自体が変わるのではなく、それを手にする人間の心が変えるのだ。そしてときにはお金がその人間の本性をくれでもかというくらいにえぐり出すことさえある。お金はないよりあったほうがいい、、、しかしそれを手にするとき、あるいは使うときに、我々は今一度お金というものの正体を知っておく必要があるのではないかと感じる。
2023.07.27
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そんなことも忘れかけた頃、知り合いとの会話の中で10円パンについての話題が飛び出てきた!詳しく聞くと・・・値段が10円のパンではなく、10円玉のデザインをモチーフにしたパンということだった。表面には精巧な宇治平等院鳳凰堂の姿まで再現されているらしい!!まだまだ学ぶべきことは多い・・・と実感する今日この頃だ。
2023.07.26
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そんなある日のお昼どきだった。とあるお店で昼食をとっていたら、2個向こうのテーブルにいる女子高校生たちの話声が耳に入って来た。試験も終わり夏休み前という事であろうか、彼女たちの声は少し大きかった。しばらくすると彼女たちの話題はあの10円パンのことになっていった。他の人たちの話声やその他の音をかき分けて聞き耳を立てる。断片的に入って来た情報によると・・・思っていたよりも結構大きいということ、中にチーズが入っているということ、そして、、、、値段は一個500円、、、ということだった。? と思った。そしてその話を聞いた彼女たちに誰かが、なぜ10円パンが500円するのかと問いただすことを期待したのだが、私の期待はむなしく終わった。
2023.07.24
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よく通る道沿いに、小さな建物で営業しているたこ焼き屋さんがある。こういったたこ焼き屋さんは短命であることが多いが、ここはもう何年も営業している。ここ数ヶ月の間にこの店の前に新しいのぼりがお目見えした。そこには『10円パン』と大きく書かれている。このご時世にパンを10円で販売するとは・・・一瞬興味を持った。しかしながらその道を通るとき、私は常に急いでいる。なので購入する機会もなく現在に至っている。
2023.07.22
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自衛隊の発砲事件の内容を報道等で知る限り、訓練生の一人が教官の指示に反発してその教官を排除しようとしたらしい。それを聞いて私は「素人の思い上がり」が原因であると直感的に思った。あの警察車両の運転訓練のように、自衛隊の実弾訓練も楽しくおかしく和気あいあいとした雰囲気の中で行われていたとすれば・・・十二分に起こり得る話だ。褒められて当然の環境で育ってきたゆとり世代から、自由自由と自由の本当の意味も教わることなく生きてきたZ世代の人たちに、それ以前の人間である我々はもっともっと毅然とした態度で臨むべきところは臨んでいかねばならない。その世界の内情も知らない人間たちの目なんてもう気にしないで、正々堂々と正論を主張すべき時代にすでの我々は突入しているのだ。
2023.07.21
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ところがここ数年でその雰囲気は一変した。和気あいあい。そしてほとんど走行しない。ましてやペナルティの腕立て伏せなんかは皆無だ。昔と違って新人警察官の人数も少なくなってきているから、1人の人材を大切に育てようとする意味もあるのかと思うし、納得もする。しかし大きな懸念がある。それは前述したとおり、素人の思い上がりに瞬時にストップを入れられるか否かだ。そんな矢先に先日大きな事件が起こった。自衛隊員の実弾射撃訓練で、訓練生が教官を射殺したのだ。本人はどうやら殺意は否定しているようだが、意図的にその人たちに銃口を向けて引き金を引いたのであるから本当に殺意が無かったのかどうかは限りなく疑わしい。どう譲歩して考えても『未必の故意』が存在したことは否定できない。
2023.07.20
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その教官の返答はこうだった。「確かにおっしゃるとおりです。しかしながら私たちが彼らに伝えるべきことは他にもあるのです。それは我々の全ては県民の皆さんの税金で賄われているということなんです。バイクだって、ヘルメットだって、ガソリン代から何から全てそうなんです。だから一瞬の甘えも許されないんです。それを身をもってしってもらうためでもあるんです。我々だって先輩からそうして育てて頂いたので、それを後輩にも伝える義務があるんです。だから厳しさも必要なんです。」その言葉は私を納得させるのに十分すぎるものだった。自分も公務員だったときのことを思いだした。そうだった。四六時中、県民・住民の目が我々に向けられているのだ。それで当然なのだ。
2023.07.19
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30年ほど前のそれは本当に厳しいものであった。いわゆる「地獄」である。はたから見ていても気の毒になるくらいの過酷さだった。30人ほどで一斉に訓練に入る。1人でもミスがあれば全員で腕たせ伏せ20回。それも1人でも教官の号令に間に合わなかったら最初からやり直し・・・延々と続く・・・。教官の言葉も厳しい。少しでも指示通りのことができないと叱責が飛ぶ。涙を流す訓練生もいる。それでも容赦はない。「泣くくらいなら帰れ」といわれておしまいだ。それでも帰る訓練生は1人もおわず、全員文字通り汗と涙にまみれて訓練を行う。はたから見ていた私は一度教官の一人に言ったことがある。教え方や説明の仕方に改善の余地があるのではないかと。訓練生がこちらの要求通りにできないのは、教える側に問題があるのではないかと。
2023.07.17
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その場面の例として挙げられるのは、その行為がどれだけしてはいけないことなにかを伝えるときだ。やんわりと優しく伝えてしまっては、誤解されるかもしれない。そのときは語気を荒げてもしっかり伝えるのだ。その人のことを思えばこそだ。しかしそれがハラスメントと捉えられてしまう昨今、さまざまな指導の現場に変革が要求されてきた。私がよく目にするのは、警察車両の訓練の様子だ。
2023.07.16
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あの場面は私の母にとっては「パワーハラスメント」に該当するものであり、同じように感じた人も少なくなかったようにも思う。ここからは誤解を恐れずに述べさせていただく。教える側の人間として時折感じるもののひとつに『素人の思い上がり』というのがある。端的に言うと専門家よりも素人の自分の方が上だと勘違いしている言動に接することがあるのだ。私に言わせれば、玄人と素人の大きな相違点は[視野の広さと知識の深さ]だ。狭い視野と浅い知識で語る範囲であれば素人さんの方が正論だったりすることも勿論ある!その範囲で語っているのだから、素人さんは玄人を「こいつたいしたことないやん!」と思っている。素人さんがそう思っていることなんて、玄人のこちら側は百も承知だ。しかし玄人はその素人さんの意見や考え方をほとんどの場合は否定はしない。私の場合その理由はただ面倒くさいからだ。それが違っているということを理解してもらうにはどこから説明するべきか・・・を考えると気が遠くなる。そして自分が正しいと思い込んでいる人の考えを覆すことが困難であることも知っている。だから私はほとんどの場合はそれを否定はしないで、いつか気付いてくれる日がくることを願うのみだ。しかしそうもいっていられない場合だって稀にある!
2023.07.15
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そのシーンを私は年老いた母と見ていた。母は「あんなキツイ言い方せんでもええのに!」を不快感を口にした。それを聞いた私は、自分もバイクのことを知らなかったら同じように感じただろうな・・・と思った。しかし二輪の知識を少しなりともかじっている者には、あの男性隊員の気持ちが分かる。女性隊員は前ブレーキを使ってはいけない場面で使っていた。たまにいる!自分は前ブレーキでできるから大丈夫と過信している人が。それは本当に微妙なコントロールができれば可能なのであるが、反対に本当に微妙な状況の変化で不可能になってしまう。不可能になったった場合、多くが肩から地面に落ちて腕、肩、あるいは鎖骨を折る。稀に顎から地面に堕ちたり、胸をハンドルやメーターパネルに打ち付けて胸骨が肺に突き刺さるなんてことにもなりかねない。男性隊員はそれを知っていて、厳しく指導をしたのだ。その厳しい口調によってそれがどれだけしてはいけないことなのかを知ってもらいたかったのだ。もちろん決して彼女が憎いわけでも、彼女を怖がらせたいわけでも、彼女が嫌いなわけでもない。彼女のことを大切に思えばこその厳しさなのだ。
2023.07.14
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そして昨今の世の中は、さまざまなハラスメントを無くしていく方向に向いてきている。これはある意味良いことだと思うし、多くの場合功を奏しているような気がしている。しかし・・・それはどないやねん!と思ってしまう場面と出くわすことも度々ある。その場面のひとつの例として、「危険を伴う場合」がある。例えば以前テレビでみた内容だ。番組は最近よく放送されている警察に密着する系だった。白バイ隊員の訓練の様子が放送されていた。その一場面で指導する立場にある中堅男性隊員が、訓練生の若手女性隊員にかなり厳しい口調で叱責しているシーンがあった。
2023.07.13
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日本で『ハラスメント』という言葉を耳にし出したのはいつからだろうと最近ふと思うことがある。私が高校を卒業して社会に出たときにはまだそんな言葉は存在しなかった。しかしその後、大学を卒業して教壇に立つことになったときにはもう『セクシャルハラスメント』という言葉が市民権を得ていて、初任者研修でも話題に上がった。その当時、言葉として存在していたのは『セクシャルハラスメント』だけだった。あれから約30年を経た今、『ハラスメント』は多岐にわたってきている。『パワーハラスメント』『セカンドハラスメント』『モラルハラスメント』『リモートハラスメント』『ジェンダーハラスメント』『アルコールハラスメント』『スモークハラスメント』『マタニティハラスメント』『テクノロジーハラスメント』『スメルハラスメント』『リストラハラスメント』等々である。随分以前にこの話題にふれたとき、そのうち『ハラスメントハラスメント』=『ハラハラ』なんて言い出すのではないか?なんて文章を締めたこともあった。
2023.07.10
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なので最近は私の方が意識を変えるようにした。身障者用駐車スペースはいつも空いていないと思うのだ。空いている方がラッキーと考える。世の中に甘えない!!そうなのだ。介護に甘えは許されない。休息も許されない。1日24時間、1年365日永遠に続くのだ。行政も病院も土日祝日は休むが、我々には休みがない。それをだれも分かってくれない。しかし、稀に身障者用駐車スペースを空けてくれている人たちがいたなら、それに感謝したい。ありがたいことだ。文字通り『有難い』のだ。ダントツで世界一の高さを誇る高齢化率をたたき出しているわが国である。その国民のモラルが問われている。高齢化率とモラルの高さは反比例している。こんなことでわが国は将来存続していけるのだろうか・・・その展望の先行きは真っ暗闇だ。
2023.07.09
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あれほどの確信犯はおそらくないであろうと思うほど、連中は故意的におこなっている。本気でやめてほしい!私自身を振り返ると、身障者用駐車スペースを使ったことは一度もない。それが普通だし常識だと思っているし、思ってきた。しかしそうでない人間がこんなに多いとは思ってもみなかった。よく観察すると、連中は悪びれることも、申し訳なさそうにすることもなく、当然かのように身障者用駐車スペースに車を停める。あたかも自分のために他の人たちがその場所を空けてくれていたかのように停める。平然と、堂々と停める。ああいう輩を何とかして排除できないかとも考えるが、おそらくは無理だ。なぜなら、その割合があまりにも多すぎる。そして連中には微塵の罪の意識もない。そんな人間に何を言ってもおそらく言葉は通じないだろう。
2023.07.08
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このような立場になってはじめて気づいたことがある。それは案外身障者用駐車スペースが空いていないことだ。まあ当然と言えば当然かもしれない。我が国の世界一の高齢化率を考えるとさもあらん・・・と思う。そしてあのスペースを使いたい人は何も高齢者とは限らない。身障者の人たちも必要としているからだ。そして一時的にではあれ、ケガをしている人や妊婦さんたちも使用するべきスペースなので、節度を持って譲り合って使うべきだと思う。しかし・・・である。身障者用駐車スペースが空いていないとき、その多くの場合は健常者が占領しているのだ。
2023.07.07
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車いすにはサスペンションがない!思った以上に路面のギャップを拾ってしまうのだ。一見平たんにみえてもアスファルトの表面は細かい凹凸がある。それが車いすに伝える振動が母の腰には辛いのだ。だから、なるべく駐車場内を移動する距離を短くしたい。できれば通りたくない。ほとんどの場合どの施設も身障者用駐車スペースを利用することができれば、その距離を短くすることが可能だ。だから我々にとってそのスペースは非常に重要な意味を持っている。
2023.07.06
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雨の日はこれを自分は濡れながら、片手で傘をもって母を濡れないようにしながらの作業となるのでかなり大変だ!またそれ以上に問題となるのは、駐車場から建物までの距離である。これは車いすを購入してはじめて気づかされた。
2023.07.05
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今度は駐車場の問題だ!私の車は普通の乗用車だ。母の車いすは横に縮めて後部スペースに収納している。建物の中に母を連れていくときは、まず車を停めて後部扉を開き車いすを下ろして広げる。それを母が座っている助手席後部の座席横に運んでその扉を開ける。次は助手席の扉を開けて踏み台を出して母の足元に置く。母をそれを使ってゆっくり車から降ろす。しばらく母に自力で立っててもらって、その踏み台をしまって、車いすを母が座りやすい位置に動かす。母がゆっくり座ったのを確認して、車いすの足置きをセットする。そのうえ昨年から母が常時つけている酸素吸入器のボンベを車から出して、車いす後部にセットする。母を車から降ろすには毎回この一連の作業が必要なのだ。
2023.07.04
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普通に車を運転しながら病院に来て、駐車場から普通に歩いて病院入り口まできて、病院の建物の中に入ると足が不自由になって車いすに乗る人を何回かみかけた。それを一家4人総出で実行している人たちもいた。または幼い兄弟2人が車いすで遊んでいることもあった。親はというと注意もせずに素スマホに夢中・・・こっちは母が歩けずに本気で困っているのだから、本当にやめてほしい。しかしそんな連中にいちいち注意していく時間も無い!なので車いすの購入を決意したのだ。本当に購入してよかったと思う。母も私も身体的に楽だし、何より変な車いすの使い方をしている連中を気にしないでよくなったことが心を楽にさせてくれた。そう思っていたのもつかの間・・・また別のことが気になり始めた!
2023.07.03
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しかしいざ自分の母に車いすが必要となってから分かったことがある。それは、案外どの病院も車いすが足りていないという現実だ。大きな病院ではほとんどないが、中規模や小規模の病院では3回に1回程度の割合で空いている車いすがない。「空くまでまてばいい」とも思うが、そんな余裕がないときだってある。また得てしてそんなときにこそ空いていないことが多い。それでも最初は仕方ない・・・と思っていたのだが、よくよく見ているとそうは思わなくなってきた。誰も口にしないことだと思うが、私はそこを敢えて言葉にする!「あなたは必要ではないのでは?」と思える人が車いすを使っていることがあるのだ。もちろんそう頻繁ではないにせよ、納得がいかないことがある!
2023.07.01
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