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そしてまたその民族意識・国民意識・宗教観の根底には共通して、『怨恨』つまり『恨み』が存在している。それを継承させていくことで、戦争の火種を消さないことが可能になる。戦争で収益をあげる連中にとって、これほど便利なものはたいだろう。『恨み』は放っておいても勝手に継承される。連中が継承されるように費用をかけて手段を講じなくてもだ。継承すればするほど、世代を重ねれば重ねるほど、月日が経てば経つほど、増幅されながら継承される。しかしあまり増幅されてしまうと爆発したときに収拾がつかなくなる恐れがあるので、折を見てときどき争いを勃発させる。それが内戦だ。で、それらの戦いは、できるだけ長引かせるパターンと、頃合いをみつけて戦闘を停止させるパターンが主に用いられてきた。
2023.11.30
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しかしだからといって、「戦争だ!戦ってこい!」と命令されて喜んで出向く人間の割合は非常に低い。誰もが死にたくないし、殺したくない。そこで必要となるものが大義名分だ!戦闘やその延長上にある殺人に正当性を持たさなければならない。そのために用いられるのが、民族意識・国民意識・そして宗教観だったりする。これらを周到に利用する。一見平和に思えていても、これらの火種は消さずに温存しておくのだ。
2023.11.29
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次に世界に目を向けてみる!やはり我々人類が断ち切れないものの一つが戦争の連鎖だ。その原因は突き詰めれば「戦争は儲かる」からである。もっと厳密に言えば「戦争で儲かる連中が戦争の火種を作る」からなのだ。フランスの社会学者であり人類学者のロジェ・カイヨワはその著書『戦争論』の中でこう語っている。「経済活動は生産と消費によって支えられている。ときとしてその消費は破壊を伴うこともあり、戦争における破壊はその後の経済活動を活性化させることも事実だ。」と・・・そしてそれはまた兵器を売買して収益をあげる者たちにとってはなくなてならない連鎖なのだ。
2023.11.28
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この長年に及ぶ連鎖の大きな要因を作っているのはまざに教育だ。いかに「言われたことを言われたようにできるか!」を競うのが今の学校教育だ。言われたことを言われたように頭に入れた量を競うのがテストであり成績である。提出物もしかりだ。その結果言われたことをなんだかんだと言いながら受け入れる国民が量産されるから、増税に継ぐ増税にもおとなしく従う国民となるのだ。それでいい思いをするのは政府や一部の権力者や超富裕層だ。今の我が国の教育の究極の目的は、そんな連中に都合のいい国民を大量生産することとしか思えないし、事実その通りだと言わざるを得ない。
2023.11.27
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この連鎖はわが国でいつから続いているのかというと、もう明治時代からだ。幕府が無くなってから約125年間断ち切れないで我々は生きてきている。あるいはこの連鎖の中にいることすら気づいていない人も少なくないだろう。
2023.11.26
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そうやって毎日毎日、日々の生活を支えるためにヘトヘトになって働くものだから、政治に関心を持っている暇も気力もない。同様に選挙に行く暇も気力もない。自然に投票率は下がる。その低い投票率に支えられている政党が議席を増やす。その結果生活苦にあえぐ人たちの目線をもった政治が行われない。ますます格差社会に拍車がかかる・・・こんな連鎖がうまれてくるのだ!
2023.11.23
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このように諸外国でも日本でも何千年にもわたりほんの一部の権力者や富裕層による多くの人々への締め付けや差別または搾取が続いていたのだ。ではなぜその連鎖を大勢の人たちが断ち切れなかったのか?原因は様々考えられるが、その大きな要因の一つは教育にあると思われる。教育を受けないから独自の思考力が乏しい。また思考力があってもそれを伝えたり表現したりする手段を持ち合わせない。極端な例が、読み書きを教えないというのがある。本を読むこともできず、言葉や文字で意思を伝えることもできない。つまりは権力者や富裕層に従順であり続ける存在にしかなれないのだ。そこにもうひとつの要因が必ず重複する。それは貧困だ。貧しいゆえにろくに食べることもできない。でも食べなければ生きていけない。だから来る日も来る日も身を粉にして命を削って労働しなければならない。それで得られるのはほんのわずかな収入であるが、それでも無いよりはましなのだ。
2023.11.22
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縄文時代までの日本は基本的に平等だったようだ。狩猟生活をしていたので、その日の収穫を集団内で均等に分けていた。ケガや病気または老いが原因で食料を調達できなかった者にも食料は均等に分け与えれれていた。まさに社会主義の形がそこにあった。しかも政府なるものは存在しない。共産主義が目指そうとしていた形がそこにあった。もちろん集団によっては貧富の差があったとは思う。自然の実り多き土地を住居とする集団とそうでない集団では同じようにはいかない。しかし集団内では平等だった。そんな日本に大陸から稲作が伝わると、その生活状況は一変する。米を多く生産できる者とそうでない者の間に貧富の差が生れる。富める者には権力が生じて身分差が生れる。このようにして日本も諸外国とおなじく一部の富める者と権力を有する者が、その他多くの富も力も乏しい人たちを支配し搾取する連鎖を断ち切ることができぬまま何千年ものときを重ねることになる。
2023.11.20
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1642年のピューリタン革命からの流れで起こった名誉革命がおそらく歴史の教科書における『人権思想』のはじまりとされる。今となっては『人権』なんて聞きなれた言葉になったが(守られているかどうかは別として・・・)それまでには無かった考えだった。それまではというと、一部の権力者や富裕層だけが良い思いをする社会で、その他大勢の人間の命なんてどうでもいい時代が何千年も続いてきた。そんな連鎖を断ち切ることができなかった。日本はというと、実は縄文時代までは平等な社会生活を営んでいたとされる。私の言葉で表現させてもらえば、本当の社会主義・本当の共産主義がそこにあったのだ。
2023.11.18
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私ももう少しで還暦を迎える歳となった。つまりは半世紀以上生き永らえさせてもらってきた。そんな人生の中で様々感じてきた連鎖があったし今もある。その連鎖は時と場合によってさまざまな呼ばれ方をしていたり、さまざまな考え方で肯定されたりしている。[伝統]だとか[暗黙の了解]とか[しきたり]とかという言葉を用いたり、[昔からこういうもの]とか[この業界ではこういう風潮]とか考えられて、何十年も、中には何百年も続いているものだってある。その一例が『人権』だ。中学校の歴史の教科書で『人権』という言葉が出てくるのは西暦何年くらいのことか・・・学生諸君は分かるだろうか?
2023.11.16
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次の話題・・・決めました!最近あるアニメの最終回を見て考えさせられたことと、今日ニュースで見たある事件がきっかけです。そして今の政界情勢や社会情勢を考えると・・・触れておきたいんですわ。またぱぁ~っと明るい話題ではないですが、大切なことです。申し訳ありませんが、しばしお付き合いくださいm(_ _)m。
2023.11.15
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また面白くもない暗い話題になってしまい申し訳ないです。なんかねぇ~子供の頃は世の中もっとちゃんとしていると思ってたんですよ。正確に言えば、大人はちゃんとしていると思ってたんですね。騙されとりましたわ・・・もちろんちゃんとした大人もいますよ。でも世の中基本狂ってますね。戦争も止められない我々はどうしようもない生物なんでしょうなぁ~・・・次から話題変えますね!変えたいですわ!ぱぁ~と明るい話題に!!!・・・できるやろか・・・(-_-;
2023.11.14
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ともかくだ!見て見ぬふりをする連中よ。せめてその責任を背負え。簡単だ。「そうそう、我々が見て見ぬふりをしてたからあいつらはあんなことになったんだ。ざまぁみろ!」くらい言えばいいのだ。そして最低限度もうやめろ!「なぜそんなことがおきたのか?」とか、「原因の真相を究明する!」とか言うのはやめろ!おまえたちのその態度が原因でだれかの命が失われたときは、潔く責任を取れ。「そんなつもりではなかった」なんて言い訳もするなよ!ハラスメントをする奴らも同じだ。逃げ隠れするなよ!言い逃れをするなよ!そしてちゃんと言え。「はい、私が殺してやりました。ただ直接手は下してないですよ。」くらい言え!そして責任を取れ!失われた命の責任をお前たちがどうとるのかしっかりと見といてやる。これからも後を絶たないだろう。様々な見て見ぬふりの結果誰かの命が失われるような事件が。ハラスメントが原因のときもあるだろう・・・介護疲れが原因のときもあるだろう・・・つまり、見て見ぬふりを連中はこれからも続けるということだ。いつか思い知れ!自分が見て見ぬふりをされる側になったときの絶望感を。ざまぁみろだ。
2023.11.13
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今朝も今朝でテレビでやっていた。元ジャニーズの性加害問題の検証とかなんとかいう番組だ!散々見て見ぬふりをしてきた連中が何の検証をしていたのか大いに疑問だ。しかも朝日放送ときているものだから呆れて笑うしかない。この国はいつから見て見ぬふりをする人間の責任を問わなくなってしまったのだろう・・・問うこともあるにはある。たとえば学校でのいじめ問題のときだ。いじめを見て見ぬふりをすることもいじめのひとつだ!!なんてロジックを展開している。しかしながらそれは先生を含めた大人がいじめをしている連中の言動を見て見ぬふりをするための隠れ蓑としてのみ有効性を発揮しているのが現実だ。こちらもクズの論理である。
2023.11.12
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娘さんが自殺に至った状況に見て見ぬふりをしてきた劇団や上級生に対して、その責任を認めて謝罪することをご両親は要求された・・・どの世界でもいるのだ。見て見ぬふりをする連中が!そしてその共通点は、その責任を認めないで逃げ切れると思い込んでいることだ!!もちろんそんな連中が責任を認めたところで失われた命は返ってこないし、犠牲にした人生も戻ってこない。しかしあまりに考え方、もしくは生き方のレベルの低い連中に対して我々は「まず責任を認めろ」というしか方法がないのだ。本当に情けなさの極みだ。
2023.11.11
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皆さんは見ただろうか?聞いただろうか?本日公開された、自殺した宝塚歌劇団員の遺族のコメントを!!!新聞でもネットでも構わないので、一度目を通してほしい。一度耳を傾けてほしい。
2023.11.10
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そんな我々のような人間を見て見ぬふりをしていること自体までも見て見ぬふりをするな!ちゃんと自覚して明確に言葉に出せ!そしていざとなったときには潔く見て見ぬふりを決め込んできた責任を取れ!!!芸能界をとり巻くマスコミみたいに堕落するな。何十年も性加害問題を見て見ぬふりをしてきたあの連中はどうだ?その問題が明るみに出てしまったとたん、その責任を追及する側にいけしゃあしゃあと回れるあの恥知らずな生きざまを、厚顔無恥の面の皮を!!!見て見ぬふりをする側には見て見ぬふりをする正義や矜持があるのだろうよ!せめてその正義や矜持を貫けよ。それならまだ我々も見殺しにされて甲斐がほんの少しはあると感じることもできるだろう。その正義と矜持を貫くためにまずは言葉に出せ!!!
2023.11.09
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だからと言って我々は誰かからの手助けを求めているわけではない。自覚はあるのだ!世間から見放されていることの自覚だ!!もう本当に笑ってしまうくらい綺麗に見事に見放されている。その一点においてはこの世の中・世間ってものは潔い。盲目の居合抜きの達人・座頭市とある侍の会話にこんなのがあった。侍:「我々人間っていう生き物は自分に都合の悪いもの、自分にふりかかってきてほしくない災難には見て見ぬふりをするのだ。」市:「旦那、、、そりゃ贅沢ってもんでさぁ。こっちは見えてねぇのに見えているふりをしてるっていうのに、、、。」世間よ!世間の皆様よ!せめて、せめて、見て見ぬふりをしているという自覚だけでも持ってはくれまいか?あの侍のように最低限度自覚だけは持っていてくれ!世の中にはいるのだ。我々のように日々容赦なく広く深くなっていく暗闇のなかで必死にあがいて生きている人間が!!
2023.11.08
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何年もの長い期間誰かの面倒を見ながら生きてきた人はその大変さや過酷さ、またいかに報われることがないのかを嫌というほど知っている。なので同じ思いを他の誰かにさせることを良しとしない。だから自らの始末をしようと考える。その考えの行き着く先はまず自殺。次に行方不明だ。これは何もどこかで密やかに生き永らえようとしているのではない。自分の死体の処理で誰かに迷惑をかけたくないのだ。ただ自殺をしてもその死体の第一発見者にかなりの迷惑がかかる。またそれを処理する警察官や救急隊にも申し訳ない。そんな暇があるのなら他に助けを求めている人のところに行ってほしい。だから自分の死の痕跡さえも残さなかった結果の行方不明だ。これが誰の助けも支援も受けることなく高齢家族や認知症家族の面倒を単身でみている人間の実情だ。悲しい話でもないし、自暴自棄になっているわけでもない!ただ目の前の現実を語っているだけだ。
2023.11.07
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そしてまだある。第三のパターンだ。誰の手助けも気遣いも得られず単身で家族の老後の介護をしてきた者がたどり着く先の第三のパターンだ。何とか家族に手をかけることもなく・・・何とか先立った家族の葬儀を済ませて・・・その後の生活ができなくなった者がたどり着くのは・・・もうこの世を去ることだ。昨年の自殺者21881人の中に、そんな人たちがどれくらいいるのかを考えるといたたまれない。最後の最後の瞬間に、何を思ったのだろう・・・どんな風景が頭を過ったのだろう・・・決して他人事ではない。またその中には誰かの迷惑になりたくないと強く思った人もいるのだろう。
2023.11.05
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そのとき父がどうなったかというと、奥さんの悲鳴を聞いて駆け付けた隣のご主人が父のことを知っていて以前の住人であることを説明し、我が家に連絡をくれた。母はその家の近くに住んでいる知人に連絡して、車で連れて帰ってもらった。しかしもし隣のご主人が来てくれなかったとしても、その家の奥さんは警察に連絡をして身柄を保護する流れになっていたことは間違いない。つまりは、認知症の高齢者が迷っていれば、ほとんどの場合は行方不明なんかにならない。不幸にも何らかの理由で死亡してしまったとしても、意図的に自らが隠さない限りは遺体が発見されるはずだ。なのに昨年は18709人が行方不明になっている。この2つの話を総合すると簡単なことだ。おそらくほとんどの人が予想するよりもかなり高い割合で、家族が高齢者の死を隠していると私は確信する。
2023.11.04
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そんな中での高齢者の行方不明者が25792人だ。もちろん中には本人の意思で行方知れずになっている場合もあるだろう。何らかの口実を作って知人宅にいたり、身分を偽って住み込みで働いたり、あるいは路上生活をしていたりと様々なことが考えられる。ただ、その中の認知症者18709人となれば話は変わる!もちろん認知症の程度にもよるが、重度の認知症者の場合は明らかに言動がおかしいので、だれかが気付くはずだ。9年前に他界した私の父は、認知症になる前に記憶喪失になった。何度となく家族の目を盗んで家からいなくなった。しかしその度に誰かが警察に通報してしてくれて身柄を確保してもらった。昔住んでいた家に入り込んで、ご丁寧に洗濯物まで取り込んで、リビングに座っていたこともあった。帰宅したその家の奥さんは大きな悲鳴をあげたらしい。そらそうだ!見知らぬ男が洗濯物を取り得れて平気な顔をしてリビングに座っているのだからそうなるのが自然だ。
2023.11.03
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我々に残されるのは無限の絶望のみ!ただそれだけ。考えてもみて下さいよ。単身で親の介護をしている人間の置かれている状況を!考えてこともないはずだ。心の奥底でそんな連中は人生の落後者であり奇人・変人であり社会生活不適格者くらいにしか思っていないから考えたこともないのだ。・・・介護を終えた我々はもう自分自身が高齢者だ。家族もいない。いたとしてもすでに見放されて縁を切られているか、そうでないにしても切られているに同等の扱いを受けている。今更就職先なんてないし、介護のために断ち切ったキャリアを復活させることなんてほぼ不可能だ。収入なんてないし蓄えもない。ならば・・・せめて親の年金を継続してもらいたい・・・と思っても何ら不思議ではない。おそらく我々のような立場の人間は少なからずその考えが脳裏をよぎるのだ。もうそれほど自分の生活を立て直すことが困難なのだ。我々のような人間に世の中は優しくないどころか、無限に冷徹であることを我々は嫌というほど知らされてきているからこそそれが分かる。
2023.11.02
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ちなみに私の場合、現在はまだなんとか細々とではあるが有難いことに仕事がある。同年代の人たちの年収に比べればかなりの貧乏ったれではあるが、貯蓄はできないが生活はなんとかできる。しかしもし私が会社員や公務員を続けていたら・・・と思うとゾッとする。会社員や公務員をしながら今の介護生活は完全に不可能だ。つまりは退職してからの介護になる。退職金もあるとは思うが、途中退職だ。そんなに多くはない。それを食いつぶしながら介護をしても、何年ともちはしない。となると頼りは親の年金となる。年金だってよっぽどのことがない限りぎりぎり生活できる程度しか支給されない。ましてや昨今は年々支給額は減らされている。苦しい生活は必至だ。そんな生活を何年も続けていて、夢や希望なんてもてるはずもない。毎日が命を削りながらの消耗戦だ。ただただ時間・財産・精神力を消耗させ続ける日々が際限なく襲ってくるのだ。明日の事なんて考えられない。そんな余裕もないし、余裕があったとしても考えるのが恐ろしいから考えないことにする。今、このとき、この一瞬を切り抜けるのになりふり構わず必死にならればならないのが介護なのだ。そんな生活を何年もひたすらに続けてきた私たちが、突然介護をしていた親の死に直面した場合・・・みなさん!介護をしてきた私たちに残されるのは、何だと思いますか?
2023.11.01
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