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まだこの話題が終わりそうにない。今度は大学の運動部での暴力行為が発覚した。学長が記者会見を行った。それを見たコメンテイターが「会見の内容が皆無だった」なんて平然と語っている。もうこんなこともやめにしないか?イジメや暴力行為のほとんどが責任者の目の無い場所で起こるのだ。そんな行為をする連中は計算ずくだ。学長が詳細なんて分かるはずがない。だれにも詳細なんて分からない。詳細を知っているのは当事者たちだけなのだから!しかし当事者が起こったことの全てを正しく話すこともない。自分が少しでも有利になるようにウソをつく!!全容なんて明解にならない。だからだ!加害者を徹底的に吊るし上げるしかないのだ。加害者の人権なんて考える必要があるのか?ないぞ!加害者は被害者の人権なんて考えなかったのだから。それでも人権、人権という連中は日本国憲法第14条をしっかり読め!あるいは中学校の公民の教科書を取り寄せて熟読しろ!いいか!人権というのは制限されるのだ。『公共の福祉』に違反した場合は制限されるのだ。部活で後輩に暴力をふるう行為は確実に『公共の福祉』に違反している。ならば加害者の人権は大いに制限されてりかるべきだ。顔も実名も明らかにして存分に社会的制裁を加えればいいのだ!何をためらう?なぜためらう?君たちがためらうことをも計算に入れて連中は暴力を振るっているのだぞ!!
2023.09.30
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しかし繰り返しておくが、人に「辛さ」を与える人間に優しさは必要ないぞ!!そいつらは徹刑的に糾弾しておくのだ!!絶対にその責任から逃げさせてはいけない。そこを糾弾できないのが今の世の中の脆弱さだ。今日もニュースでやっていた。どこぞの県の中学校の運動部で、上級生が下級生を鎖で縛って暴行したらしい。おそらくマスコミなんかは、学校側に責任がある!、教育委員会に責任がある!と声を高らかにしているだろう。申し訳ないがその学校の保護者のみなさんはどうだろうか?ちゃんと糾弾できるだろうか?暴行を加えた上級生の責任を!!!マスコミはちゃんと行くのか?加害生徒の保護者に!!!お決まりの「今の心境を一言!」を聞きくためのマイクを向けに!!!
2023.09.28
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この問いに対して今までに様々な人たちがそれぞれの答えを出してきた。人として生まれたことを「幸」と感じ、また再び人間として生まれて来たいと願った人もいる。そして反対に人として生まれたことを「不幸」または「業」「宿業」と感じて二度と人間として生まれて来たくないと願った人もいた。前者の多くはまわりの人たちから多くの「優しさ」をもらって生きてきたのに対し、後者は「辛さ」のみを背負わされて生きてきた人たちだ。つまり「優しさ」を与えるのも人間であれば、「辛さ」を与えるのも人間なのだ。ならば「優しさ」を与えられる側の人間でありたいとみんなが思うべきではないだろうか。もちろん歯の浮くようなきれいごとを並べている自覚はある!きれいごとだと目を背けるのはいとも簡単なことだ。反対にきれいごとを貫くことは膨大な精神力と忍耐力を要する。もう我々はそろそろそこから逃げない道を選んでいくときがきているぞ。数多の先人が成し得なかったことを、これからの若者である君たちに成し得てほしい。
2023.09.27
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かつて釈迦が弟子に言ったそうだ。人間として生まれる確率の話だ。「世界中の砂浜にある砂粒の数を考えてみなさい。ある人がその中のどこかひとつの砂浜を訪れて、片手にひとつかみの砂を取る。そしてその砂をもう片方の手の親指の爪の上に落とす。するとほんの少しだけ爪の上に砂が残る・・・世界中の砂浜にある砂粒の数が生き物の数でこれを分母とする。ある人の爪の上に残っ砂粒の数が人間として生まれる者の数でこれを分子をする。これが生命が人間として生まれる確率なのだ。」つまり我々が人間としてこの世に生まれる確率は、天文学的な高倍率なのだ。そしてさらに釈迦は問いかける。「そのようにして人間として生まれることは、はたして【幸】なのか【不幸】なのか?」と・・・
2023.09.24
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かつて読んだある漫画があった。格闘系の漫画だ。格闘系といってもスポーツ的なものではない。いわば命の奪い合いだ。その第一部の最終回・・・主人公と宿敵の一騎打ちが描かれる。一進一退の攻防の末、主人公がわずかに優勢になる。そして宿敵に言う。「悲しみを知らぬ者に勝利はないのだ。」と、、、。しかし宿敵も同じ悲しみを背負って生きていていた。なのに敗北する。宿敵は悲しみから回避するために圧倒的な力で周りの人間を、そして世界を支配しようとしてきた。主人公は悲しみを優しさに変えて、人々を愛しながら生きてきた。ここが2人の命運を分けたのだ。
2023.09.22
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皆さんもよくよくご存じの通り私は人間ができてない!!だから敢えて言う。もうそろそろ綺麗ごとはやめにしないといけない。人に平気で「辛さ」を与える者、または与えてきた者にまで人権は必要ない。人権というものは、他人の人権を尊重する姿勢のある者にだけ認めて、そうでない者には認めてはいけない。もうもう問答無用で認めない世界にした方がいい。建物の入り口でガソリンに火を付けて36人もの人達を殺害し、33人もの人たちの心身にキズをつけた人間に言い訳なんてさせるな!!!36人もの人たちの命を平気で奪った者の人権っていったい何なのだ?私には分からないし理解でいない。アイツが受けている治療や食べている食事にも我々の税金が使われている。私はそんなことに使うために税金を納めているわけでは決してない!!!
2023.09.21
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その辛さを優しさに変えて、同じ辛さを今感じている人に優しく接していきたい!もちろん自分に辛い思いをさせて人間に対しても優しさで接するかどうかは、そのときどきのその人の判断に委ねればいい。いとも簡単に人を傷つける連中なんて完膚なきまでに叩き潰すのもひとつの有効な手段だ。しかし、、、ただただ辛い思いをしている人には優しさで接しよう。そして!!!人に優しい人にも、優しさで接していこう。最近ことに気になるのが、人を励まし続けてきた人の自殺だ。これこそ早急に何とかしないといけない課題の一つだ。人に優しいからといって、人をいつも励ましているからといって、決してその人が強い人とは限らない。心に深いキズや悲しみがあるからこそ、人に優しく接し、人を励ましていることを忘れてはいけない。
2023.09.20
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皆さんのまわりにもいるだろう。日頃も他人を平気で思う存分傷つけておいて、自分がほんのスズメの涙ほどのダメージを被ったら大騒ぎをするヤツ!もうそんな奴はこちらから迫害してやればいい!迫害するのもイヤとか、そんなことに時間を使ってられないと言う人は、そいつから距離を置こう。そんなやつらは君の人生に何のプラスももたらさない。人生って永遠じゃないぞ!特に若い時期の時間は貴重だ。その後の人生に大きな影響を与える。そして是非君たちが受けてきた辛い思いを優しさに変えていってほしい。もちろん分かっている。私だって分かっている。それがそんなに簡単ではないことなんて分かっている。私にだって人生をかけて許せない人間はたくさんいる!!しかし・・・だ。だからこそ・・・なのだ。
2023.09.19
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犯人が裁判で語ったことがもうひとつあったらしい。「こんなに人が死ぬとは思わなかった。」・・・ビルの狭い入り口にガソリンまいて火をつけて、どういう結果になるかわからなかったとは言わせない!往々にしてある話だという事は経験で理解している。犯人の目的は「火を放つこと」だったのだ。つまりは「相手を困らせて自分の主張を強引に通したかった」のだ。目的だけにしか考えが及ばずその延長線上にあるモノが見えない人間が少なからず存在する。顕著な例が政治家だ!政治家になることが目的なのだ。選挙に当選することが目的なのだ。その目的の延長線上にある「国民のため」「住民のため」「有権者のため」という使命には目も向けず考えも及ばない。そんな連中も何かの間違いで当選してしまうことが多々ある。で、当選した後に連中がする行動は2つしかない。「甘い汁を吸う」ことと「次の選挙に当選するための行動をする」のみだ。そこには「国民のため」「住民のため」「有権者のため」という使命は微塵も存在しない。(ちなみにこれらの政治家には共通点がある。常に「多忙」と「規則にない/前例がない」を言い訳にして住民や有権者からの要請から逃げるという点だ!)しかし私はそれを許さない。私だけではない。この世の中はそれを許してはいけないのだ。
2023.09.18
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何やら犯人は子供の頃から父親に虐待されていて、中学校のときに柔道で県準優勝したときに受け取った賞状や楯を父親に見せたところ「燃やせ」といわれてひとりで燃やした・・・といった話を弁護人が裁判で語ったらしい。「だからどないしてん!」である。「だから36人もの人をガソリンで焼き殺してしまったけど仕方ありませんよね。」ってことなのか!そんなもん言い訳にも何にもなってない!!!人を激しく傷つけて平気な連中はだいたいこうだ。こんなことを平気で口にする。断じて許しがたいことだ。
2023.09.17
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最近でいうなら2019年に起きた京都アニメーション放火殺人事件の犯人だ。犯人自体もひどいやけどを負っていたが、4年経ってやっと裁判ができる状態に回復したからといって裁判が始まった。死者36人、負傷者33人を出した明治時代以降の放火事件(戦時中の空襲を除く)における最多の犠牲者を出した。36人!36人もの人たちが命を奪われた。そして33人!33人もの人が人生を大きく変えられてしまった。で、でだ!裁判で何が語られたかというと・・・犯人のこれまでの生い立ち・・・だという。そんなもんどうでもええわ!!!!
2023.09.16
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こんな経験をした私もまた、自分より力や立場の弱い人間の入試の前日に暴力をふるおうとは思わない。された者の気持ちが分かるからだ!!私はそれどころか、その経験が大きな原因のひとつとなり学校の先生を辞めた。学校の先生は生徒の家庭に首を突っ込むことに限度がある。入試の前日に暴力を振るわれて家を追い出される、または顔中キズとアザだらけにされる生徒がいても「家庭内の問題ですから口を出すな!」と言われば、当時は何もできなかった。だから塾をはじめた。しかしこの業界に身を置いてかれこれ30年になろうとするが、入試前日に家族から暴力を振るわれた生徒に会ったことがない。話を戻そう!これらの例からも分かるように、虐待や暴力を受けた人間が、それを理由に他の誰かに虐待や暴力を用いていいなんて理論は絶対に通らないのだ。なのにこの世の中はそれを容認しようとする風潮がいまだに残っている。残念を通り越して腹立たしい!!
2023.09.14
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その約一か月後の公立高校入試の前日。私は午前中のみの授業で帰宅し、次男も公立高校に通っていたので午後からは帰宅してきた。また「あちょぼう、あちょぼう(遊ぼう、遊ぼう)」と言ってきた。やはり明日が入試なので勉強をすると言った。ここまでは私立入試の前日と同じだったが、私はだから家にいると付け加えた。それが次男の怒りに火を付けた。無視して机に向かおうとした私に、次男は部屋にあったこたつを投げつけてきた。もろに喰らった私はこたつの下敷きになって倒れ込む。そのこたつの枠組みの上に飛び乗った次男は全体重をかけて私を押しつぶそうとしながら、枠組の下にある私の顔に何十発も渾身の力でパンチを浴びせる。身動きの取れない私はそれを喰らい続ける。次男は自分が息切れを起こし、殴る手が居痛くなって、はじめて攻撃をやめた。痛めつけ方に満足したのだろう。翌日、私はキズとアザだらけで、左目を大きく腫らした顔で入試に向かった。面接では顔のことばかり聞かれた。私は自転車で転んだと何度も言った。10日後・・・結果は不合格だった。不合格の知らせを持って帰宅した日、次男はこの上なく幸せそうな笑顔を一日中たたえて機嫌よく過ごしていた。
2023.09.13
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私には2人の兄がいた。次男は幼少の頃から私をいかに痛めつけるか、または殺害するかに異常に固執していた。理由は1つ。私が次男より小さいからだ。小さい=弱い=生きる価値がない・・・これが彼の論理だ。かといって彼は学校などの公の場でもその巨体を活かして強かったわけでは無い。公の場ではただの弱虫だった。私がはっきり記憶している範囲で言えば、小学2年の夏休みまでに3回殺害されかけた。3回とも奇跡的に命だけは助かった。彼にとって弟の殺害は遊びの範疇だった。私の私立高校入試の前日、次男は「あちょぼう、あちょぼう(遊ぼう、遊ぼう)」といって私を家の外に出そうとした。明日は入試だから家で勉強したいというと、「弱いくせに!ウジ虫のくせに!」と言って暴れ出した。私は室内着のまま奈良盆地の一番冷え込む2月の寒空の中、身を守るために家をでた。自転車で30分ほどの場所にショッピングセンターがあった。ポケットには100円玉が3枚あった。本屋で高校入試用の漢字の本を290円で購入して、屋上のベンチで親が帰宅するでろう夜まで勉強をした。ただただ寒かった。身体も心もただただ寒かった。
2023.09.11
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彼女は母親として本当に優しく子供たちに接し続けた。もちろん反抗期で喧嘩をしたこともあり、反論することはあっても決して暴言は吐かなかったし失言もしなかった。ましてや暴力なんかはふるったことなんかない。それは彼女自身がひどい暴言といわれのない暴力を親から受け続けてきたからだ。それをされると子供の心がどれほど傷を受けるかを身をもって嫌というほど知っているからだ。だから子供に優しかったのだ。私だってそうだ!なぜ学校の先生をやめて塾をはじめたのか・・・その理由が私自身の高校入試の前日の出来事に起因している。
2023.09.09
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他人をたやすく非難・中傷・攻撃することを心底楽しんでいるくせに、自分がほんの少しでも同じことをされたらこれでもかというくらい大騒ぎをして傷ついただのいじめられただの嫌われただの言って保身を図る人間・・・そう、今君が思い浮かべたその人間だ!!そいつらの理屈はいつもこうだ。自分はかわいそうな境遇だから、またはだったから仕方ない。このバカげた理屈にはもううんざりだ。私の幼少期からの知り合いで、母親から激しい虐待を受けてきた女性がいる。大人になってから知ったのだが、それはもう壮絶な虐待だったようだ。その彼女は今母親になっている。皆さんは、その彼女が自分の子供たちにどう接していると思うだろうか?
2023.09.08
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「辛い思いを人ほど、他の人に優しい」・・・よく聞く言葉だ。そうあってほしいものだとつくづく思う。ただ現実はそんなに甘いものではないと明言しておく。正確には「この上なくつらい思いをした人は、他の人にやさしい。」だ。中途半端な辛い思いをした人間は、他の人をたやすく攻撃して傷つける。その行為を心底楽しむ。そしてその行為を咎められると、「自分はつらい思いをしたから仕方ない」とか「自分はかわいそうだから仕方ない」とかの言い訳や逃げ口実にその辛い思いを利用する。いろんな人間を見てきたが、これほどクズな人間はいないだろう。思い起こしてほしい!いるだろう!!君のまわりにもそんな人間が!!
2023.09.07
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さあ!次の時代を担う若者たちよ。しっかり記憶しておいてほしい。無駄な時間はただただ無駄な時間に過ぎないことを!「今からこの話を聞かなければならないの?」と少しでも嫌な気分にさせられる話は無駄な話だ。そしてそれらに費やす時間は無駄な時間だ。酔っぱらいの自慢話。先輩や上司の上から目線のマウントを取ることだけが目的の無駄話。「お前のためを思って」といいながら、ただただ自分が気持ちよくなるためだけに延々と続く説教話。もう全部無駄だ!!!我々の世代はそんな無駄な時間をこれでもかというくらい過ごしてきた。もうそんなことは終わりにしていい。若者たちよ!命の無駄使いをするな!自分目線でしかものごとを見られない連中に時間を奪われたりするな!人生には限りがある。命は無限ではない。これをしっかり記憶にとどめて人生を送られんことを切望する。
2023.09.06
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よくよく思い返せば、これまでの人生でこういった連中と関わってきた時間は無駄であったと心底思う。ずっと思って過ごしてきた。それでも何か学ぶことがあるだろうとか、、、それでも後々何か役に立つことがあるだろうとか、、、しかしどう記憶を呼び起こしても、そのようなことは微塵も見当たらないのだ!!
2023.09.05
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一番呆れ果てるのは、その出来事を覚えている側を激しく非難する連中だ。連中は口を揃えていう!「根に持っている。」と。こっちはただ覚えていただけなのに、それを非難してこちらが悪で自分は正義である(またはわかいそう)と訴えてくる。まあ正直言ってこれは私の家族に非常に多い。情けないが事実だ。でも連中は本気で覚えている方が悪いと言い放つ!もう話にならない。だから相手にしない。実際に根に持って覚えていたとしても、覚えていた者が悪いなんて論理は成立しない。根に持たれるような言動をした人間に原因があるのは明らかだ。
2023.09.04
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小学生の頃、再放送で見たとき「この宇宙人の服装や!」と思ったのがウルトラセブン第3話だった。本で調べるとこの第3話は1967(昭和42)年10月15日に放送されていたことを確認した。やはり私が1歳半になる少し前だった。だからといって2歳頃の全ての記憶があるわけではもちろんない。かなりの幼少期からの断片的な記憶が残っているのだ。この私の妙な記憶力はあることを如実に私に教えてくれるので、今まで何度も助けられたことがある。それはその人の人間性だ。何かの話の流れで「昔こんなことがあったよな・・・」って感じの話をするときだ。楽しい記憶や、笑える記憶、またはとりとめもない記憶について語るときは何も問題はない。しかしながら、その人にとって嫌であろう内容の思い出を語ったときにその人間の本性がでる。
2023.09.03
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更に古い記憶はこれより2か月さかのぼる。私は2歳のときに、生まれた豊岡から長野県に越した。父の転勤だった。長野で最初に住んだ家の近所に一人暮らしのおばあさんがいた。家の前を通る度に彼女は母に連れられた私に声をかけてくれた。ときにはお菓子をくれたりした。彼女の家の庭は緑で囲まれていて、特に真っ赤なバラが印象的だった。優しくしてもらっていたのだが、幼い私は彼女が怖かった。なぜならテレビで見た宇宙人とよく似た服装をしていたので、心のどこかで宇宙人ではないだろうかと思っていたのだ。
2023.09.02
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特に幼少期のそれはなかなかのものらしい。皆さんはどうだろうか?もっとも古い記憶というのは何歳頃のものだろうか?私の最も古い記憶は一歳半くらいの頃のものだ。2つの記憶がある。ひとつは映画だ。ゴジラとミニラ、そして帽子を被った少年の姿を母に抱かれながら薄暗い場所で見た記憶がある。私は1966年5月生まれで、その映画は1967年12月に公開されている。当時母は兄2人を連れて映画館に足を運んだらしい。子供用の観賞券を2枚知り合いからいただいたそうだ。しかしそこは当時の話・・・幼い子供だけで映画を見せるのはいかがなものかと映画館入り口の係り員に言ったところ、母は無料で入れてくれたらしいのだ。しかも1歳半の私をおんぶしながら・・・そして私が小学校2年か3年生のとき、その映画がテレビで放映された。見ていた私は「これ見たことあるわ!」と言って母を驚かせた。
2023.09.01
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