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夏休みも最終週になったので、暑いけれど頑張って天体観測会を開きました。今時のマンションは閉鎖的で、御近所同士のお付き合いが無いし、昔と違って、近所には遊べる空き地も無いので、ちょっとかわいそうだなと思ったのと、幸いにして玄関前にちょっとした広場が有るので、この広場を使って、何か子供達が集まるイベントができないかなと思ったからです。8月27日が土星の衝(もっとも明るく見える日)だったので、当初は27日にと思ったのですが、台風が来そうなのと26日(土)が花火大会なので、それを避けて8月25日(金)に土星を見ることにしました。今の教育制度のせいで、昔のような熱心な先生が少なく、勤務時間外の活動は昔に比べて相当にすくなくなっているので、恐らく小学生や中学生の子供達は天体望遠鏡を触ったことが有る子は少ないと思いますし、いや大人だって、実際に土星を見たことがある人は半分もいないと思います。人生楽しいことはいっぱいあるはずなのに、それに接する機会が少ないのは残念なので、まぁ星を見ることが好きな僕が、何か役にたてればうれしいなと思ったからです。最初は金曜日の夜なので参加者は少ないかなと思っていたら、若いお父さんやお母さんが、(子供の保護者として)来てくれて、そのせいで子供と大人がたくさん集まって、にぎやかで良かったです。僕の望遠鏡は150mmの反射望遠鏡なので、性能的にはいまいちなのですが、土星を眼視するくらいならば大丈夫です。こんな感じで子供達も見てくらました。写真はボケていますが、参加した別の方が忙しい僕に代わって撮ってくれました。そう、僕は子供達が2~3人見るごとに調整しなければいけないので忙しかったのです。土星を見るくらいの倍率になると、目で見て分かるくらいの速さで土星は動きます。2分もすると望遠鏡のレンズの見える範囲から出てしまうのです。そのせいで僕は付きっきりで調整せざるをえないのです。地球の自転ってすごいです。(土星そのものが動くのではなく地球の自転により見かけ上、土星が動くように見える。)なお望遠鏡は、子供達が見やすいように最低高さに調整しています。なので調整はひざをついて調整するので、お風呂で見たら膝小僧が傷だらけだった。多分子供達が見た土星はこんな感じです。子供達が見ている時には写真は撮れないので、昨日(28日)撮影しました。機材にお金をかければもっといいのが撮れるのですが、なんせ年金暮らしなのでこれがせいいっぱいです。天体望遠鏡だって、ヤフオクで5000円で買ったものに、3000円のアイピース(接眼レンズ)。写真撮影用のアダプター類が全部で3000程度なので、全部合わせても1万円強。なので、仕方ありません。天体望遠鏡にカメラを取り付けるのは、アダプター類を組み合わせるので結構複雑です。そして、何よりも昼間のうちにセッティングをすることが大事です。いくら赤道儀だからと言っても方位と緯度調整は必須ですし、(赤道儀とは望遠鏡を載せる三脚台のことで、 望遠鏡の回転軸を北極星に合わせる(方位を北に、緯度を北極星に合わせる)だけで、 一度合わせたら、あとは回転ネジを回すだけで、 天体が北極星を中心に回転するように望遠鏡の焦点が目的の星を追っかけられる装置です。)何よりもファインダー(望遠鏡本体に付いている小さな望遠鏡)の十字点と、本体の望遠鏡の中心点を昼間のうちに合わせておかないと、暗くなってからでは星を見つけるのは驚異的に難しいからです。昼間のうちにファインダーの十字点と本体の望遠鏡を合わせて置けば、たとえ星を見失ったとしても倍率の低いファインダーならば簡単に目的の星を見つけられるので、本体の望遠鏡のレンズの範囲の中に星を導入できます。だから昼間の調整が大事なのです。僕は昼間の調整は近くのマンションの屋上のDOCOMOのアンテナ線を使います。ちょっとボケていますが、アンテナから出ている同軸ケーブルがはっきり見えればOK。左の写真で約80倍くらいだと思いますが、木星や土星を見るならば140~150倍は必要。なので、眼視ならばバローレンズ程度で十分ですが、写真に撮る場合は延長筒の中に高倍率のレンズを入れて、Tリングを付けて、それにカメラを接続して撮影します。僕の場合、予算の関係でアイピースがあまり倍率が高くなく、望遠鏡も150mm程度なので、土星の環や木製の4つの衛星や縞は見えますが、はっきりとは見えません。と言うか光害の多い横浜なので、雲やほこりの多い中ではたとえ立派な望遠鏡でも難しい?高価な望遠鏡は持ってないので分かりませんが、この付近では無理ではないかと思います。昔、オーストラリアに行って南十字星を見た時には肉眼でも多くの星が見え、横浜では見えない天の川もくっきりと見えました。だから望遠鏡などの機材よりも撮影場所の方が大事なのかなぁ?
August 29, 2023
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邪馬台国畿内説論者と九州北部説論者はよく三角縁神獣鏡論争をする。でも三角縁神獣鏡は邪馬台国の位置に関係あるのだろうか?YOU TUBEを見ていてそう思った。個人情報的な関係で詳しくは書けないが、このユーチューバーはものすごく勉強していて、その知識を元に「三角縁神獣鏡の工人」の物語を動画にしている。彼の説では卑弥呼に与えられた鏡を造った工人は「陳是」と言い、その技術力を認められて邪馬台国に招かれて、そこで鏡造りをし、また彼が連れて来た弟子たちと倭国の工人の卵達が技術を受け継ぎ、その後の国産鏡を造ったので、中国の紀年としてはあり得ない「景初4年の鏡」と「正始元年の鏡」が同時に存在し、卑弥呼の没後100年近く経った古墳から三角縁神獣鏡が多数出土する理由を考えて、それを詳しく説明する動画を作ったのである。面白いし説得力が有るのでお勧めである。三角縁神獣鏡は近畿説の論者が力説するように近畿に多い。その次は北部九州である。しかし「卑弥呼の鏡」にしては意外なことに4世紀に造られた古墳からの出土が多い。卑弥呼の時代から100年を経た後世のものである。同じ近畿でも3世紀は「画文帯神獣鏡」が多い。三角縁神獣鏡を有名にした「黒塚古墳」では、「画文帯神獣鏡」が被葬者の枕元に置かれ、三角縁神獣鏡はあたり一面にばらまかれ、どう考えても大事なのは「画文帯神獣鏡」で、三角縁神獣鏡の扱いは粗末である。魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の鏡は100枚なのにすでに600枚以上も見つかっている。なおかつ中国からは1枚も出ていない。(韓国は有り)北部九州説の論者が笑う所以である。そこで近畿説論者は「同笵鏡論」と「伝世鏡論」と言う理論でこれを解決しようとした。同笵鏡とは狭義には同じ鋳型を用いて鋳造した鏡、広義には同一文様の複製鏡を含む鏡で、伝世鏡とは製作年代から副葬年代まで大きな差がある鏡である。同笵鏡は100枚に対する出土数の多さを説明しようと言うものだが、これを言い出した瞬間に「卑弥呼の鏡」理論は消える。つまり極端な言い方をすれば、鋳型さえあればどこで作っても、誰が誰の為に造っても、同じ鏡ができるからである。魏の皇帝が卑弥呼の為に造った鏡と同じ物が複数出てくるならば、それをコピーした鏡を公孫氏が出雲や尾張に配ったとしてもおかしくは無い。「魏がくれた鏡と同じだぞ」と言えば邪馬台国に対抗する国は高値で買うだろう。つまり北部九州で出てくる三角縁神獣鏡が魏の鏡で、近畿で出てくる三角縁神獣鏡が公孫氏や韓国の闇ブローカーの鏡かもしれないし、あるいはその逆で、近畿で出土する三角縁神獣鏡の一部が卑弥呼の鏡で、残りは後年近畿の工房で造られたコピーと北部九州で造られたコピーなのかもしれない。つまり三角縁神獣鏡は同笵鏡議論が出た瞬間に、製造場所、製造者及び造られた目的が様々なパターンが考えられるようになり、邪馬台国論争の証拠にはなりえなくなるのである。伝世鏡も同じで、この理論を唱えた瞬間に「卑弥呼の鏡」の証拠では無くなる。一番わかりやすいのは「もらった人と被葬者が同じ人間ではなくてよい」と言うことである。極端な話、もらったのは邪馬台国傘下の国々の王達だが、戦争で負けて恭順の証拠として差し出した鏡を、邪馬台国の敵方が戦利品として手に入れ、勝った邪馬台国の敵方の子孫が、先祖から伝わった鏡を自分の墓に埋めたと言う考え方である。邪馬台国後しばらくは歴史から姿を消す倭の国々だが、この間戦争が続いていたならば、卑弥呼の時代ではなく4世紀の古墳から出土するのは、邪馬台国を滅ぼした敵方の王の子孫が自分の墓に埋めたなら100年と言う時間はちょうど良い。いや滅ぼしたなら鏡を割るはずと言う人もいるだろうが、その考え方もある。現に伊都国だったと言われる福岡県糸島の古墳では出土した鏡は割られている。もし邪馬台国が負けたのであれば、邪馬台国に従属する伊都国の鏡が割られるのは当然で、だから負けた邪馬台国は九州で、勝った国(狗奴国の属する大きな国)が近畿に有ったと言う話になると思うが、実はこの場合も元々近畿に邪馬台国が有った場合と、九州に有った邪馬台国が近畿まで進出し、そこに鏡を持って行った場合も両方あり得る。鏡を割る祭祀の意味が色々と有るからである。鏡を宝物として扱う場合は、負けると鏡は宝物なので奪われる。この場合は割らない。鏡を象徴として扱う場合は、負けると見せしめとして割られる。鏡をまじないとして使う場合は、例えば鏡に映った人の魂は割った瞬間に鏡の中に囚われるので、戦いの際に鏡を割るのは鏡の所持者の方である。同じまじないでも鏡を「はね返すもの」として扱う場合は割らずにお棺の周りにばらまく。つまり割るあるいは割らないと言う行為が色々なパターンが想定されて、割れた鏡の所有者が両方考えられるので、邪馬台国の所在の証拠になりえないのである。全てが仮定の連続では証拠にはならない。つまり「同笵鏡論」と「伝世鏡論」理論が出た瞬間に、製造場所、製造者及び造られた目的が様々なパターンが考えられるようになり、これだけでは邪馬台国論争の証拠にはなりえなくなるのである。そもそもこの議論は三角縁神獣鏡が「卑弥呼の鏡」だと言う「仮定」に基づいているが、「卑弥呼の鏡」だと言う「仮定」が正しいとしても邪馬台国論争の証拠にはならないのだから、仮定が正しくないのなら根底から崩れてしまう。例えばよく言われるのは中国の年号としてあり得ない「景初4年の鏡」と、その同じ年の紀年の入った「正始元年の鏡」である。景初3年1月に明帝が亡くなったので景初4年は無い。正しくは景初4年ではなく正始元年である。そこで「景初4年の鏡」は中国から渡って来て明帝が亡くなったことを知らない魏の工人が、日本で作ったのだと言う考えがあるのである。つまり日本で造ったのだから魏志倭人伝に書かれた卑弥呼に与えられた鏡では無いのだ。逆に明帝が亡くなったことを悟られないように工人には知らせなかったので、製造されたのは中国なんだけど「景初4年の鏡」ができてしまったと言う説もある。ただ、僕はこれは「文官」と言う公務員の性質を知らない人間の誤りだと思う。いやしくも魏の皇帝が命じて作らせる場合、工人に直接命じたりはしない。間に数人の文官が入る。逆に言えば製造の過程(銘文案の作成、材料の調達、鋳造、研磨等)それぞれの段階でチェックが入る。つまり製造期間は鋳造だけではなく長期間になる。例えば日本の紙幣は2023年に新しくなるが、もう数年前から図案はみんな知っているし、7月から使われる予定なのに製造は3月までに終わる。つまり今日命令して明日にはできるものではない。どの段階で明帝が亡くなったかによるが、少なくとも鋳造前に「明帝死亡の報」解禁が行われれば新しい紀年に修正できるし、鋳造が「明帝死亡の報」解禁前で判断に迷う場合ならば、頭の良い文官(公務員)なら紀年を外させる。どうせ中国ではない倭国で使うのだから紀年は無くても良いのである。もっと現実的に言えば「鏡は帯方郡に預けるので後日受け取るように」と言えば済むのである。新しい紀年で造っておいて、渡すのは「明帝死亡の報」解禁後に渡せば良いのである。つまりこの理論は文官の性質を考えれば無い。従って「景初4年の鏡」は倭国で造られた、ものだと思う。ただそれが「卑弥呼の鏡」どうかは別の話である。魏志倭人伝に書かれた卑弥呼に与えられた鏡ではないかもしれないが、それを気に入った(あるいはその政治的価値に気がついた)卑弥呼が、魏から工人を招いて造らせた「卑弥呼の鏡」かもしれないからである。この場合は工人は明帝の死を知らず「景初4年の鏡」を造り、そのすぐ後に明帝の死を知って「正始元年の鏡」を造っただろう。工人の立場からすれば、ここは倭であって魏ではないので両方正しい場合があるのである。この工人は陳是と言い、三角縁神獣鏡の銘文の中に名前が残っている。偉い人ではないので、史書等文献には名前は見えないが、鏡の銘文により名前が残っている。神戸埋蔵文化センターの「西求女塚古墳」の陳是作の三角縁神獣鏡を載せる。僕は陳是のことは知らなかったので、すごく興味を持った。しかも出土地が神戸である。奈良でも福岡でもない。出土地と製造場所と所持者及び製造を依頼した人間は別の話なのである。<後日追記>公的な機関の資料なので、タイトルから何の疑いも無く「陳是」作と解釈してしまったけれど、これって本当は「陳」是作なんじゃないだろうか?「陳」是(これ)を作るである。中国なので「陳」さんはありふれた名前だから、そのような気がする。いや、この資料を書いた人もそのつもりで書いたんだよと言うならば、ちょっとひどいと思う。この手の資料を読むのはたいていアマチュアなので、誤解を与える書き方をしてはいけない。現に僕だけでなく冒頭で紹介したユーチューバーの方もそう(陳是と言う名前と)解釈している。専門家がアマチュアも読むような資料でこれをやってはいけないと思う。いや、「陳是」で良いんですよというのなら正しいが本当だろうか?実は僕も迷った。鏡を造る工人は陳氏や張氏及び杜氏等が知られており、銘文には「○氏作」と言う書き方が多い。つまり陳氏の場合「陳氏作」と書くらしいのである。すると「陳是作」は陳是さん作で正しいのかもしれない。単なる陳だと何人もいるから、陳の中でも自分の名前を主張したかった場合である。うーん本当はどうなんだろう?色々と調べてみると、「是」と言うのは上古音で「氏」と同じ発音で、学者先生達の解釈によると「陳是作鏡」と言うのは「陳氏作鏡」と同じ意味なのらしい。景初3年(卑弥呼が魏に使者を送ったとされる年)銘で有名な、島根県加茂町の神原古墳の報告書を見ると、 「陳是 (氏)」 という同一工人ないしは同一工房の製作 と推測される景初三年銘画紋帯神獣鏡と書いている。ただ、続く全国の陳是作鏡の比較文が手前味噌な感じなので、いまいち信用できない感じはある。続く全国の陳是作鏡の比較文とは、A=大阪府和泉黄金塚古墳の景初三年銘画紋帯神獣鏡、B=大阪府安満宮山古墳の 5号鏡で紀年はないが半円方形帯同向式神獣鏡C=神原古墳の景初三年銘画紋帯神獣鏡D=群馬県蟹沢古墳の正始元年銘三角縁神獣鏡E=京都府広峯15号墳 と辰馬考古資料館 (伝宮崎県持田古墳群)の同型鏡で景初四年銘盤龍鏡と言う陳是作鏡を比較して、C鏡→A→D→Eという系列関係で理解することが可能とするのだが、単純に地理的な条件を無視しており、自分の町の鏡がオリジナル的な発想(加茂町教育委員会に気をつかっただけ?)が危ないと思う。もし三角縁神獣鏡がヤマト王権の政治的な手段(従属する国の王に与える)に使われたものならば、遠い群馬や宮崎がたった1年しか違わず、かつ紀年を間違えていることを考えれば、群馬や宮崎の鏡の方が先に造られたもので、陳是が明帝が死んだことを知らない時に造った鏡で、その後明帝の親だ事を知って、正しい紀年で神原遺跡の鏡が造られたと考える方が妥当だと思う。神原古墳の出雲はともかく、(早い段階で従ったかもしれない)群馬や宮崎はもし近畿が日本の中心だったとしたら、ヤマト王権に従ったのは景初4年どころか景行天皇(またはヤマトタケル)以降では?ならば三角縁神獣鏡の紀年は信頼性が無いのだと思う。そう考えると「是」=「氏」も怪しいなと思った。次に「景初4年の鏡」である。三角縁神獣鏡ではないが、陳是の作。こうしてみると、陳是は明帝の死を知らなかったようなので、近畿説の言う魏からもらった鏡と言うのは明らかに間違いで、陳是は日本に居たことが明らかだが、陳是が邪馬台国に居て卑弥呼に頼まれて鏡を作ったかもしれないと言う理論は残り、逆に卑弥呼の敵方の王が陳是に鏡を造らせたと言う理論も成立するので、結局、三角縁神獣鏡を含めた鏡は邪馬台国の位置を証明する物証にはなりえない。なお、写真に付随する説明文は、引用元(なので字の大きさが違う)の方の書かれた文で、この方は盤龍鏡を三角縁神獣鏡と同様とみなしているが、三角縁神獣鏡の定義は学者毎に違い、その学者同士が議論している最中なので念の為。ちなみに僕はその辺の細かな議論には関心が無い。むしろその違いの原因に興味が有り、盤龍鏡は中国で考案された鏡で三角縁神獣鏡の原点であり、三角縁神獣鏡は陳是が日本に来てから考案したもので、そのせいで中国からは一枚も出土していないのだと思っている。多分それが真実だろう。景初4年の鏡に対する「正始元年の鏡」はこれ。これって近畿でも九州でもない。群馬じゃん!文を読むと陳是作と書いてあるなぁ。(拡大して見たい時には写真を右クリックして別タブで開いて拡大すれば大きな字で読めます。)陳是は三角縁神獣鏡だけでなく色々な形の鏡を作っているし、景初4年の鏡も正始元年の鏡も両方作っている。やっぱり日本に居たんだなぁ。そしてしばらくして明帝の死の知らせが届いたんだ。え?陳是が造った三角縁神獣鏡は1枚だけ?ほかに無いの?と言われそうなので、平塚市の「真土大塚山古墳」の三角縁神獣鏡。え?平塚?近畿でも九州でもない。関東じゃん!これを見ると三角縁神獣鏡が威信材として配られていたことが良くわかる。なので、邪馬台国の位置を議論する証拠には使えないが、ヤマト王権が勢力を広げて行く上で重要な物だったんだなと言うのはよく分かる。前方後円墳と同じだなと思う。邪馬台国論争と無理やり結びつけようとするから変な話になるけれど、ヤマト王権の広がって行く過程における重要な証拠としては大事だな。
August 12, 2023
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横浜市金沢区わの会8月3日は座学でブログに書いても面白くないので、先週行った国会議事堂の見学を書く。当日は夏休みと言うこともあり、小中学生が大勢見学に来ていた。見学はまずホールに集合し、説明を聞くことから始まる。ホールの様子。ホールには、国会(参議院)とは何か、何をやっているか、どのような仕組みか、と言う日本国民にとってとても大事な基本的事項をパネルや模型で説明している。まずは国会議事堂全景の模型。後ろの方に議員会館もある。議員会館は衆議院と参議院で1棟づつかと思っていたら、議員定数が衆議院465名参議院248名と、衆議院が2倍くらい多いので、衆議院2棟(左側2棟)と参議院1棟の合計3棟になっている。ただその他はほぼ左右対称になっている。ホールには議会の仕組み等も分かる面白い展示物が有る。まずは投票器。議題により「無名投票器」と「記名投票器」がある。時代遅れだなとも思ったが、デジタルだとインチキの恐れがあるので、このようなアナログで、みんなの目が集中する方が良いのかもしれない。参議院は開会式等、天皇陛下も御出席になるので、陛下の椅子もある。いよいよ出発だと言うことで、最初は階段をたくさん登って議場(傍聴席)に行く。3枚の写真を合成したので若干ゆがんでいるが、議場は広い。天井は明るいが、これはお日様の光を取り込んでいる「自然光」である。上の議事堂の模型の写真を見ると、衆議院及び参議院の屋上に三角形の部分がある。ここがガラス張りで、その下に議場が有るのである。え?でも国会のテレビを見ると夜もやっているじゃん?そう思うと思う。そう、夜間も国会は開かれる。その時には天空の光を取り入れる三角形のガラスとこの天井の間に敷き詰めた蛍光灯が点灯する。いや、これだけ広い天井だとものすごい量の蛍光灯があるのだろうな。切れたらどうやって交換するのだろう?写真の天井の上に「キャットウオーク」があるのかな?でもあぶなそう。落ちたら死ぬよ。国会議事堂の電気屋さんは大変だな。そうそう、電気屋さんは大変だと言えば、今は国会はテレビ中継される。この時に演説している偉い議員さんや総理のお顔がうす暗かったり、不自然な色で中継されたら、せっかくのおめかしが台無しである。その為に上の写真で言えば右端(残念ながら広角でも写らなかった)や左端に、LEDのスポットライトが有る。今回これを撮影できた。世の中進歩しているなぁ。国会議事堂本体は石(桜みかげと言う広島県産の花崗岩)なんだけど、カーテンやじゅうたん、木製の椅子や机など可燃物でいっぱいである。タバコを吸う議員が多いので火事になったら大変だと思う。そう思ったら、実は議場の裏の客だまりに答えが有った。喫煙室があるのである。多分、これと同じような喫煙室がいくつかあるのだろう。喫煙室の上部を見るとダクトと排煙機が有る。議事堂も新しい設備を充実しているのだな。では、トイレはどんなふうになっているのだろう?さすがに中に入っておしっこをすると怒られるかもと思って入口だけしか写していない。でも結構きれいだなと思う。高級ホテル並みだな。エアータオルまで有る。僕等はくたくたになりながら階段を昇って来たが、最近は障害を乗り越えて議員になられた方も多いので、そのあたりはどうなっている?そう思ったら、心配は無用だった。銀座の三越と同じようなエレベーターだから、相当に昔から有ったのだろう。と言うか周囲は石造りなので、もしかしたら建設当初から有ったのかもしれない。アメリカ等では明治後期には既にエレベーターが有ったらしいからなぁ。日本最高議決機関である国会議事堂に有ってもおかしくはないな。議場を後にすると、(中には入れないが上のバルコニー?から)中央広間が見られる。左右に板垣退助公と大隈重信公の銅像が有る。下に降りないと見えないのだが左後ろには伊藤博文公の像もあるらしい。そして有名なのが右後ろの誰も乗っていない台座である。4人目が誰になるのかが常に話題になるのだが、今に至るまで決まっていない。あの吉田茂でさえも台座には乗れなかったのだから、よほどの人じゃないと無理だろう。ここの上は国会議事堂の中央部分で一番高い(9階有るらしい)部分であり、上を見上げるとものすごく天井が高い。周囲のガラスは国会議事堂の中央部の柱が並ぶあの部分である。最後にぐるぐると回ったのでどのあたりなのか僕も分からなくなったのだが、多分真ん中で議場に上る部分なんだと思うのだけど、中央階段がこれ。一度はここを歩いてみたい階段である。衆議院と参議院の違いはあるが、よく内閣改造後にみんなで写真を撮るのは、衆議院側のこの階段ではないだろうか?(ぐるぐる回ったので位置が分からなくなったので定かではないが、 もしかしたら衆議院とか参議院とかではなくて、 両院の真ん中の本当の中央階段かもしれない。もう迷子になりそう)また、地下階なのか1階なのか(ぐるぐる回っているうちに分からないなったのだけど)下の方に食堂が有る。中庭の池の下だと言う話なので、恐らく地下だと思うのだけど、食堂の写真。(但しここは見学ルートではなく、こっそりと見に行ったので秘密。ぐるぐる回って迷子になった)上の議事堂の模型の中で四角く囲まれた中庭に池が有り、そこから外気を取り入れているそうなので多分地下だろう。その中庭はこんな感じ。見学はこの中庭を中心にぐるーっと回る感じ。左下に「参観通路」と言う看板があるが、ここが見学の最終地点で、ここから国会前庭に出て、正門から出て見学は終わる。この池の鯉は昔からいるのだが、朝日新聞の記事を読むと、今の鯉は2021年10月下旬に全日本錦鯉振興会から寄贈された「2代目」で、当時の衆議院の細田議長と与党議員が1匹づつ池に放したものだそうだ。ちなみに新潟産。でもこれは衆議院の記事なので参議院は違うのかな?中庭見学中に、他の人は無関心だけど、僕には大事な物を写真に撮った。こんなのを写真に撮るのは僕くらいだろうな。景観の関係から避雷針を立てるわけにはいかないので、銅の帯状の導体が張り巡らせてある。その導体から地面の中の接地極に雷が落ちた時の電流を流す引き下げ導体である。ものすごい電流が流れるので、「おにより線」と呼ばれる直径2mmの銅線を19本よりあわせた電線が使われる。おにより線を裸のままにすると危ないので、周囲をビニール製の配管で覆っている。ちなみに普通の電線は電線管と呼ぶ金属製の配管だが、雷のような大電流は、電流は流れると磁力が発生し金属を引き付けて変形したり、その金属配管を電流が流れて危ないし、また大電流が流れるとジュール熱が発生し(電気ヒーターと同じ。ただ強力すぎ)、周囲が滅茶滅茶になるので、ビニール製の配管で覆っているのである。これを見たかったのは訳が有り、下の鹿島建設のホームページの記事が参考になる。昔は国会周辺には高い建物が無く、一番高い議事堂は雷が落ちやすかったのである。(今は高い建物がたくさん建っている)2003年9月3日に東京都内には1万2千以上の雷が発生し、議事堂にも落ちた。え?石造りの議事堂に何で雷が落ちる?こう考える人はこの議事堂の設計者と同じ過ちを犯している。なるほど石は電気を通しにくいが、石の表面は濡れると汚れ等電気を通す物を含む水で覆われ、(特に塩分が雨水に混ざるととたんに電気が流れやすくなる。また溝が有るとゴミがたまりやすく 電流が流れやすい。)右側の写真で分かるように表面を電気が走る。ここを設計した人はあまり雷の知識がなかったようで、見ると避雷導体が景観を重視したせいか細く、僕の感覚では直撃雷には不十分だと思う。導体は雷の電流が流れると5000Aから100000A(最悪200000Aサイズと電圧による)流れ、(普通の家庭のブレーカーは50Aだから恐ろしい電流)流れる時間は短いので普通は大丈夫なんだけど、電流が流れると高温が発生するので、(熱膨張に耐えられず)石は割れるのである。この時には議事堂の一番高い所に落雷し、石が割れて、衆議院側の中庭に落ちている。新聞記事を読むと中庭下の食堂の天井ガラスが割れて、食堂内にちらばったらしい。当日は休会中だったので事なきを得たが、議員の先生がおられたら大変だったと思う。最後に国会を出て門まで歩く。途中に伊藤博文公の像がある。誰も気づかずに通り過ぎるが、僕はちゃんと写真を撮る。ここと正門の間には各県の花や木が植えてある。参議院は「選挙区(地方区)」があり、衆議院とは違い、各県(地域)の代表がいるからである。僕は福岡県出身なので、福岡県を見てみた。手入れは大変だろうなと思う。枯れたら大変!最後に国会全景を写真に撮った。日本の誇りだと思う。
August 3, 2023
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