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2021.06.06
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​​笠井潔「吉本隆明と連合赤軍事件」(吉本隆明全集24月報25・晶文社) ​​
​​ 市民図書館の新入荷の棚に発見して、 「オオー24巻まで来ましたか!」 という気分で手に取った 「吉本隆明全集24」(晶文社) の月報に作家の 笠井潔 が書いている文章が、67歳の誕生日にふさわしい衝撃でした。​​
 この投稿を読んでくれる人たちの多くには、たぶん、理解不能な感慨だと思います。でも、まあ、今日が経なので書きます。
​​ 笠井潔は、「八・一五に際してゲリラ的に徹底抗戦することも、敗戦革命に立つこともない日本人について」、「千数百年前の日本民衆の『総敗北』と、その後のグラフト国家について」、「六〇年安保で街頭にあふれ出した膨大な大衆を戦後社会が鬱積させた疎外感の流出としてとらえたことについて」の、三点において、自らは 吉本隆明 の発想を後継するものだと前置きしたうえで、 吉本隆明 「連合赤軍事件」 に対してとった態度をこんなふうに総括し、以下のように論を結んでいます。​​
連合赤軍の弱さと愚かさを高みから非難し愚弄すればするほど、それは生き延びた戦中派の一員に他ならないおのれに戻ってくる。だから吉本氏の無意識は連合赤軍を 「否認」 した、するしかなかったのではないか。
 おまえたちのようような愚劣な結末を迎える以外にないから、戦中派は戦いを途中でやめることにした。われわれは恥辱に耐え、おまえたちを平和と繁栄のなかで育てようとした。それなのに、なんということか・・・・・。
 外来勢力への日本民衆の 「総敗北」 は1945年にも反復され、75年もの長きにわたってアメリカが、 「グラフト」 の存在を塗り隠した超越的支配者として日本列島に君臨し続けてきた。
 たとえアメリカの属国であるとしても、若い高卒女子労働者が「アン・アン」を手本にファションを愉しめる豊かな日本であれば肯定できる、肯定しなければならないと吉本氏は、進歩派として発言する 埴谷雄高 に語った。それから40年が経過し、日本の若者は1960年代の学生が求めた本来性の感覚も、80年代の高卒女子労働者が享受した豊かさ生活も失い、しかも「疎外感」を街頭蜂起として流出させるためのノウハウさえも奪われている。21世紀の時代性はどうやら、吉本氏からの三つの引用を原点とした思考では及ばない地点まで達しているようだ。( 笠井潔「吉本隆明と連合赤軍事件」)
​  ​​​ちょっと注釈的に言いますが、論の中で使われている 「否認」 という用語は、 フロイト が、たとえば幼児が叱られるのを怖がって、濡れたパンツのまま、「お漏らしをしていない」と主張し、そのことを信じ込むというような、心性をいいますが、 吉本隆明 の戦後社会論が、最初に遭遇した落とし穴として出会った事件という、 笠井潔 の判断が書かれていると思います。それは 笠井自身 吉本隆明 を揶揄しているというような話ではありません。彼自身とっても大事件であったことは 「テロルの現象学」(ちくま学芸文庫) という評論に如実だと思いますが、ぼくの衝撃は、そこではありませんでした。​​​
 二つ目の注釈です。本文中の 埴谷・吉本論争 というのは、連合赤軍事件が露呈した「戦後」という社会の終焉から、ほぼ10年後、 コム・デ・ギャルソン 川久保玲 の服を着て写真に写って雑誌に登場した 吉本隆明 「死霊」 の作家、 埴谷雄高 が批判したことから始まった事件です。
 三つ目、 「グラフト」 というのは 「接ぎ木」 のことですね。たとえば、日本の古代に「倭国」から「大和」と変化する呼び名、大和朝廷とそれ以前の群小国家群との関係で用いられる用語に 「グラフト国家」 という語があります。マア、そういう意味合いで使われていると思います。
​ 引用文は、大雑把に言えば、吉本隆明の思想の射程が述べられているわけですが、で、 笠井潔 はこう結んでいます。​
​ それから40年後の現在、吉本氏からの三つの引用を原点とした思考では及ばない地点まで達しているようだ。​
​​​ 20代に出会い、以来、一つの指標として 「吉本隆明」 を読み続けてきて、67歳の誕生日を迎えた日にウロウロ図書館にやってきた人間が、ここにいます。その男の 「時間」 と、偶然、手に取った本の 「月報」 で一人の作家が指摘する40年という 「時間」 は、ぴたりと重なります。ぼくが衝撃を受けたのはこのことでした。
 年を取れば、やがて、わかるようになると思って本を読んできました。その思想家を知って半世紀、後生大事に読み続けてきました。で、その思想家の終焉が語られてる文章に、偶然とはいえ、誕生日に出会ったのです。語っている人が、どうでもいい人ならいいんです。でも、 笠井潔 でしょう。​​​

 こんなふうに、ある時代の終わりについて、のんびりと語っている ​笠井潔​ という人が、ぼくにとって、どういう書き手であるのかというのは、ぼく自身の思い込みかもしれません。
​​ が、たとえば 「哲学者の密室」 の作家であり、 「テロルの現象学」 の評論家であるというだけでも、ぼくにとっては、まあ、大したことなのです。​​
 よりによって、今日、こういう文章に出会うとはねえ。しかし、まあ、本を読むということは、そういうことなんでしょうね。



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最終更新日  2023.05.19 01:22:02
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