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江田島から送り出され池袋でテキ屋の手先に こういう書き出しです。ここからの、いわば、疾風怒濤の暮らしぶりについては 「闇屋になりそこねた哲学者」(ちくま学芸文庫) という回想記に詳しいのですが、この本では、読んだ本を焦点化して、読んだ作品をたどっていて、 漱石 に始まり、 龍之介 、そこから 芭蕉 、江戸の俳文、あれこれあって、 小林秀雄 です。
昭和二十年の第二次大戦敗戦の日を、私は広島県の江田島にあった海軍士官養成機関の海軍兵学校で迎えた。八月六日に広島の原爆投下を間近で目撃し、十五日に敗戦の玉音放送なるものを聴かされて、一週間ほど放心の日を過ごしたあと、その江田島から送り出された。むろん学校が閉校になったのだ。そのとき私は、きれいさっぱり一冊の本ももっていなかった。
幼少期を過ごした満州の新京(長春)から、その年の三月末に、物ごころついてからはじめて海を渡って日本にやってきて、海軍兵学校に入学したのである。子どものころ読んでいた本はすべて新京に置いてきたし、満州からの旅の途中で読んできた本も、入学のときすべて放棄させらたので、在学中は無愛想な教科書以外なにも読まなかった。さぁ、戦争に負けたから家に帰ってよろしいと言われても、海を渡って満州に帰るわけにはいかない。近い親戚はみな満州に集っていたし、日本にいる遠い親戚のことは何も知らなかった。(P14)
「ああ、そうだった!」と、自分自身の体験を思い出しながら読んだのは 第十一章「モオツァルト」 でした。 誰もが引用するところなので気が引けるが と断りながら K516 の、あの旋律について 小林秀雄 が語っている部分の引用が、まずあります。
確かにモオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。空の青さや海の匂いの様に,「万葉」の歌人が、その使用法をよく知っていた、「かなし」という言葉の様にかなしい。(小林秀雄「モオツァルト」) もう、 「ああー!」 でした。青年 木田元 が。そこからモオツァルト信者になっていく話が、前後で語られているのですが、 ボク 自身が高校時代、世界史の先生だった M先生 の導きで、 江藤淳 から 小林秀雄 を読み、独身だった先生のアパートにお邪魔して モーツアルトのレコード を聴かせていただいた50年以上昔の記憶が蘇ってきたのですね。
目次 週刊 読書案内 2022-no80-no786
敗戦直後
俳文学遍歴
父の帰国
読書三昧
小林秀雄との出会い
ドストエフスキー耽溺
さまざまなドストエフスキー論
ドストエフスキーとキルケゴール
哲学へ
芸術と哲学
『モオツァルト』
言葉について
追記
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