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「キドーって、なんやねん?」 まあ、そういう興味で見ました。 ザラ・ドビンガー とかいう、 オランダ だかの 若い監督 の 「KIDOOキドー」 です。
「あんたのママになりたかった。」 という、ちょっとアブナイ雰囲気の 母親 が
「ずっとママが恋しかった」 という、ナカナカよくできた 娘 を
「人生は0か100かよ、キドー!」 という、叫びのような 誘拐宣言 で連れ去ることで始まる ロード・ムービー でした。
「キドー!」 でした。どうも、大人が、親しい子供に呼び掛ける 「あんた!」 とか、 「お嬢ちゃん!」 とかいう呼びかけ語のようですが、いい響きでしたよ。
「ポーランドのおばあちゃんのところへ行く!」という言葉通り、 オランダ から ドイツ を越えて ポーランド まで 少女と二人 で行って帰ってくるお話で、そこがチラシの暗示する アメリカン・ニューシネマ の味わいと決定的に違う、今の映画だと思いました。
「この娘も、おかーちゃんも、大丈夫!」 と、胸をなでおろす老人でしたが、映画は 母と娘の再会 、 ためらい、確執 、そして、ともに声を張り上げて 叫ぶことができる和解 、 指切りのいらない別れ を描いた、とても納得のいく作品でした。
「カーちゃん、やっぱり消えっちゃったね、キドー!」 と呼びかけずにはいられませんでしたね。 拍手!

ヘビ嫌いなんです(笑)。 ああ、それから、上の チラシ の、やたら大声で 絶叫するシーン ですが、先ごろ見た 「年少日記」 という作品でも、そっくりなシーンがありました。一人一人の人間が 「ことば」 にならない塊を胸の奥に抱えて生きているということが、世の中では、 何とか障害 とか、 何とか失調 とか、ホントは何もわかっていなのに、わかったような 用語 に置き換えてわかっているかのように扱われちゃうんですよね。
「ママになりたかったカリーナ」 なぜ、 彼女 はママになれなかったのか、なぜ、 ルー を誘拐しないと一緒に旅ができないのか、結局、ラストシーンでどこに消えてしまったのか、そこを 100の今を生きる絶叫 で描こうとしているところに共感しました。
「カリーナ、それで、いいのだ!キドー!」 ですね(笑)。
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