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2016年04月30日
チェルノブイリ(四月廿七日)
以前の映像のうち捨てられた廃墟が、福島の原子力発電所、あるいは廃炉が決定して解体されないまま放置される可能性のある日本のほかの原子力発電所の未来の姿に見えて、暗澹たる気分になってしまったのだが、チェルノブイリですらこうして忘れられずに、新たな対策がとられているということは、日本の原子力発電所の廃炉後の未来も真っ暗ではないと考えていいのだろうか。
数年前の原子力発電所とその周囲の映像を見たときには、芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」「無残やな甲のしたのきりぎりす」なんて句が頭に思い浮かんでならなかった。放射能の影響で人間の住めない土地になってしまってからも、植物はたくましく生育していたし、原子炉は石棺とかいう建物の下に隠されているらしいし。まあ無駄に文学的な人間の感傷に過ぎないといわれればそれまでなのだけど。
では、お前は原子力発電を続けていくべきだと思うのかと問われたら、信頼できる情報が不足している以上、保留としか答えられない。仮に本当に安全性が確保されるのであれば、少なくとも廃炉にしてしまった後の処理の仕方が決定するまでは、稼動させるのが建設してしまった国の責任であろうとは思う。もちろん逆に十分な安全が確保されないのなら、稼動させずに廃炉にするべきだとは思うが、その場合には早急に廃炉後の処理についての決定が必要である。最悪なのは現状を放置してしまうことである。しかし、現在の議論のかみ合わなさを見る限り、大半の原子炉は何も決まらないまましばらく放置されることになりそうだ。
チェコ、当時のチェコスロバキアでは、ソ連の影響下にあったので、最初はまったく情報が入ってこなかったらしい。西側のメディアがチェルノブイリの爆発の疑いを報道し始めてから、ソ連の国営メディアが小出しに情報を出していくのに合わせて、チェコでも少しずつ報道がなされたようである。ただしもちろん正確な事実が報道されたわけではなかった。今回ニュースで引用された当時のニュースのアナウンサーが、具体的な内容は聞き取れなかったが、「西側ではこのようなことが言われているけれども、ソ連が発表したように、それはまったく真実ではない」というようなことをコメントしていた。
チェルノブイリの爆発で大気中に飛び出した放射性物質が、西に向かって流されてチェコのほうに飛んできて降り注いでいた時期にも、チェコ人は何も知らされないままに、外で動き回っていたんだなんてことを言って当時の政権を批判する人たちもいる。問題は、当時のチェコスロバキア政府にソ連から正確な情報が入ってきていたのかどうかである。
チェルノブイリの事故が起こったのと同じ四月廿六日のニュースでは、チェコに二つある原子力発電所のうち、新しくて大きいほうのテメリン原子力発電所の安全対策についても報道された。原子力の専門家の女性が出てきて、チェルノブイリの安全対策(放射能漏れを防ぐための最低限の壁すらなかったようなことを言っていた)との違い、福島の事故以後に追加された安全対策(停電時に備えて、確か十二系統の独立した電源設備があるのだとか)などを、わかりやすく説明してくれた。地震のない地盤の安定したチェコでここまでやれば安全だろうと安心する一方で、それでも一抹の不安をぬぐいきれないような気がするのは、広島、長崎の記憶を受け継ぐ日本の人間だからだろうか。
いずれにしても、日本でも福島以前に、チェルノブイリの事故の際に、あるいはその前のスリーマイル島の事故の際に、原子力発電の危険性に気づいて、やめるという選択肢はあったはずなのだ。そのときやめなかった以上、原子力発電は日本人全体が将来にわたって背負い続けていかなければならない重荷なのだ。それが、他の誰でもない我々日本人自身の責任である。
チェルノブイリの現実ではない側面に目を向けると、犠牲者には申し訳ないが、さまざまなフィクションに登場して楽しませてくれた。事故の原因は原子炉内でダイヤモンドを生成させようとした実験が失敗に終わった結果だったとか、チェルノブイリの事故で放射能に汚染されたヨーロッパを壊滅させるために、テロリストたちが核廃棄物を盗み出しそれを季節風に乗せてヨーロッパ中に拡散させる計画を立てるとか、八十年代後半の日本のフィクションの中で情報のなさを逆用するような形で、さまざまな話が作り上げられていた。中には噴飯物もあったのだろうけど、くだらない話を読んでぼろくそにけなすのも読書の楽しみではあるのだ。
4月28日22時。
タグ: 原子力発電