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2019年02月20日

覆面作家としゃべくり探偵(二月十八日)




 だから、という接続詞が適切かどうかはわからないが、推理小説を評価するのは、推理とは直接関係のない、ストーリーの展開だったり、キャラクタノーの設定だったり、人間関係の描き出し方だったりすることが多い。少説の読者としては真っ当な読み方だと思うが、推理小説の読者としては、どうなんだろうと思わなくもない。
 推理小説にはつき物のトリックについても、特にこだわりはない。ただ、ちょっとそれはないだろうと思ったのが、所謂叙述トリックというやつで、クリスティの『アクロイド殺し』も、筒井康隆の『ロートレック荘事件』も、世評の高さにひかれて読んでみたけど、買ってまで読むほどのことはなかったと後悔することになった。推理小説の叙述の叙述の仕掛けという点で感動を覚えたのは、むしろ叙述のあり方が謎解きとはまったく関係のない二つの作品、いやシリーズだった。

 一つは、覆面作家としてデビューした北村薫の「覆面作家」シリーズである。このシリーズは角川書店から、1991年に『覆面作家は二人いる』、1995年に『覆面作家の愛の家』、1997年に『覆面作家と夢の家』の三冊が刊行され、それぞれ三篇の中篇が収められている。実際に読んだのは単行本ではなく、文庫本だったけど。




 新人作家の新妻千秋が探偵役で、編集者の岡部が謎を持ち込む役なのだが、正直、どんな事件が起こったかという部分はどうでもいい。この作品が視点人物の編集者岡部の一人称で語られる一人称小説だというのは、読めばわかるはずである。それにもかかわらず、地の文に「私」「俺」などの一人称の人称代名詞は出てこないのである。そして、何より凄いのは一人称の人称代名詞を使わない一人称小説だというのに、ほぼ全編違和感なく読めてしまうところである。チェコ語に訳すのに「já」になりそうな言葉は、「こちら」ぐらいしか出てこないという徹底振りだった(と思う)。
 この小説を読んだのは、どこかで北村薫が森雅裕の小説をほめていたという話を読んで、これは読まずばなるまいと思ったからだった。同じ理由で松浦理英子にまで手を出してしまったのはできれば忘れたい過去である。とまれ、「覆面作家」シリーズは気に入って何度も再読したけれども、他にはあまり食指の動く作品はなく、北村薫といえば「覆面作家」なのである。

 もう一つは、黒崎緑の「しゃべくり探偵」シリーズである。こちらは東京創元社から二冊刊行されている。1991年に「創元クライム・クラブ」の一冊として刊行された『しゃべくり探偵』には、「ボケ・ホームズとツッコミ・ワトソンの冒険」という副題がつけられているように、全編漫才のような関西弁のやり取りに満ちている。しかし、一番凄いのは、厳密な意味での地の文が存在しないところである。



 第一章は保住と和戸の会話文だけで成り立っており、第二章は手紙でのやり取りと、その中に入れられた日記、第三章はファックスと電話でのやり取り、第四章では最初から最後まで保住が謎解きのために喋り続ける。いや、途中で関係者の証言も入ったかな。でもその状況を説明する地の文は存在しないのである。

 二冊目の『しゃべくり探偵の四季』が同じシリーズから刊行されたのは4年後の1995年のことで、こちらも様々な語りの手法を用いた短編が収められている。個人的に一番気に入ったのは、床屋のおっちゃんが、刑事の髪を切りながら、殺人事件についての保住の推理を脱線しながら話して聞かせるという体裁の「注文の多い理髪店」かな。




 二冊目の刊行時点で、単行本に収録されなかった、雑誌に発表された短編があるという話だったから、三冊目の刊行も近いと期待したのだが、あれから二十年以上の月日を経た現在まで刊行されていない。こういう凝りに凝った語り方を採用した作品を書くのは、普通の作品の何倍も労力を要するのだろうなあ。

 どちらのシリーズも、森雅裕の新作ほどではないけれども、次の作品の刊行を首を長くして待っている。その希望はかなえられそうもない。ちなみにこのテーマで文章を書いた理由は、昨日取り上げた『推理小説常習犯』に、北村薫を指すものかどうかはわからないが「覆面作家」が登場したことによる。忘れないうちに書いてしまえと思ったのである。
2019年2月19日23時50分。







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