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2020年02月09日

チャペクの小説2(二月六日)



 SF的な『山椒魚戦争』に続いて、日本に翻訳紹介されたチャペクの小説は、推理小説的な『Povídky z jedné kapsy』である。この作品は、チェコ、いやチェコスロバキアでは、対をなす『Povídky z druhé kapsy』とともに同時に刊行されたようだが、日本では前者の翻訳が圧倒的に早かった。ただし、どちらも短編集なので収録された短編の翻訳年を基準にすれば、それほど大きな違いはない。
 どちらも、全訳を刊行した訳者は二人だけである。まずは『Povídky z jedné kapsy』から。

?@ 栗栖継訳『ひとつのポケットから出た話』(至誠堂、1960)
 この初版よりも、後に1976年に晶文社から「文学のおくりもの」シリーズで刊行された版のほうがよく知られている。1997年には同社から「ベスト版」なるものも刊行されているが、収録された短編の数が変わっているようには見えず、何が「ベスト」なのかわからない。装丁がよくなったりしたのだろうか。古本屋で手に入れて実際に読んだのは、このベスト版だったと思う。
 この本の存在はチェコ語の勉強を始める前から知っていたのだが、中学か、高校の図書館に入っていたはずだし、当時は亡くなった作家の本は原則として読まないという謎のルールで自らを縛って本を探していたこともあって、手に取るにいたらなかったのである。このルールも読んでからすでに亡くなったことを知ったりとか穴だらけのルールだったのだが、チャペクは引っかかってしまった。児童書扱いされていたのも、手を出さなかった理由になっているかもしれない。背伸びしたいお年頃だったのだ。

ひとつのポケットから出た話 (ベスト版 文学のおくりもの)






?A 栗栖茜訳『ひとつのポケットからでた話』(東京、海山社、2011)
 栗栖家の親子で同じ作品を訳した例は多いが、これもその一つ。題名の違いは感じが一つひらかれているだけ。個々の短編の題名の比較まではする気になれなかった。

ひとつのポケットからでた話





 個々の短編の発表は、栗栖継のものが一番多いのだが、至誠堂版の『ひとつのポケットから出た話』の刊行以後のものばかりなので、本から切り出す形でアンソロジーに採用されたものだろう。この訳者のことだから、改訳したり注を増やしたりしている可能性もあるけど。

 栗栖継訳で個別に発表されたのは以下の作品。
 「青い菊の花」(『ヨーロッパ短篇名作集』、学生社、1961)
 「最後の審判」(『 全集・現代世界文学の発見』第12巻、学芸書林、1970)
 「足あと」(『奇妙なはなし』、文春文庫、1993)
 「セルヴィン事件」(『新・ちくま文学の森』4、筑摩書房、1994)

 意外なのは千野栄一の翻訳が一篇しか活字になっていないことである。名著とされる『ポケットのなかのチャペック』の著者なのだから、「ポケットの中からでてきた」物語は、この人の翻訳ですべて読めるものと思っていた。それとも『ポケットの中のチャペック』に収録されているのだろうか。チェコにいると図書館にいけないから確認できない。とまれ、確実に千野訳で読めるのは「足跡」だけで、白水社刊の『現代東欧幻想小説』(1971)に収録されている。

 もう一人、英文学者で詩の翻訳で知られる田中清太郎が「盗まれた機密文書」を筑摩書房の『世界ユーモア文学全集』第11巻(1961)に寄せている。この全集に田中訳のチャペクの短編は全部で5篇収録されているが、そのうち4篇は、二つ目のポケットから出た短編集のものである。
 戦前の工藤訳については『山椒魚戦争』で取り上げたので繰り返さない。


 それで、二冊目の『Povídky z druhé kapsy』の全訳は以下の二つ。
?@田才益夫 訳『ポケットから出てきたミステリー』(東京、晶文社、2001)
?A栗栖茜訳『もうひとつのポケットからでた話』(東京、海山社、2011)
 どちらも日本を離れた後の刊行なので、読んでも購入してもいないと思うのだが、もしかしたら田才訳は一時帰国した際に読んだかもしれない。

ポケットから出てきたミステリー




もうひとつのポケットからでた話





 個々の短編の訳では、上にも書いたように『世界ユーモア文学全集』に収録された田中清太郎訳が4篇存在する。このうち「盗まれた殺人事件」「オーケストラ指揮者の話」「結婚詐欺師の失敗」は、原典の同定に苦労しなかったのだが、「じゅうたん愛好家の悩み」は大変だった。いろいろ調べて、結局、チェコ語の内容説明から「?intamani a ptáci」だろうと推定した。ただ、この話、日本語で読んだことがあるような気もするのである。問題はどの本で読んだかで、田才訳を読んだのか、子供向けの童話に再話されたのを読んだのか、これまでに読んできた大量の本の海に沈んでまったく判然としない。読書日記なり、記録なりつけていればよかったのだろうが、そんな暇があったら次の本を読みたがるガキだったからなあ。
 栗栖継訳も4篇、「金庫破りと放火犯の話」と「なくした足の話」は、筑摩書房の『世界文学大系第』第93巻(1965)に、「盗まれたサボテン」と「切手収集」は学習研究社の『世界文学全集』第34巻(1978)に収録されている。このうち「切手収集」には、クンデラの『冗談』の訳者として知られる関根日出男訳(『世界短編名作選 東欧編』、新日本出版社、1979)が、「金庫破りと放火犯の話」には、栗栖茜訳(『ちくま文学の森』7、筑摩書房、2011)が存在する。

 こうして見ると、このちょっと推理っぽい作風は筑摩書房の好みに合ったのか、筑摩の全集やアンソロジーに収録されたものが多い印象である。
2020年2月7日16時。










2020年02月08日

プシェロフ行き二度(二月五日)



 一月の始めに、長期滞在許可の新しいカードの申請をしにプシェロフに行ったのだが、ビオメトリカ(生体認証用のデータ取り)と受け取りとで、さらに二回行かなければならなかった。二回とも、午前中のあまり早くない時間ということで、11時を予約しておいたのだが、うちに帰って時刻表を調べて失敗したことに気づいた。プシェロフの駅に10時半ごろに到着する電車が一本もなかったのである。10時50分過ぎにつくのはあるけど、予約の時間に遅れるのは避けたい。

 ということで先週の月曜日、9時半過ぎにオロモウツを出る各駅停車に乗った。今回はオロモウツのチェコ鉄道の窓口で、急行に乗るのか普通に乗るのかを聞かれ、普通に乗ると言ったら、オロモウツ地方の時間決めのチケットを売ってくれた。この時間帯、急行の3分後に各駅停車が発車するので確認の必要があったのだろう。前回は窓口の人が慣れていなかったか、こんなチケットがあるという周知が徹底していなかったかのどちらかだろう。
 駅に入ったところのホールの反対側に、オロモウツ市の交通局のチケット販売の窓口があって、オロモウツ地方交通機関連合のマークも張り出されているので、そこでも買えないか聞いてみたのだが、ゾーン70と71、つまりオロモウツ市内とその周辺のチケットしか扱っていないという答えが返ってきた。チケットの販売がちゃんとなされていれば、自宅から駅までのバスもこの地方の時間決めチケットで乗れるはずなのだけど……。

 プシェロフには時間通り10時前に到着した。普通に歩くと30分以内で到着するので、ちょっと遠回りをして内務省の事務所の入った警察署に向かう。途中で大きなショッピングセンターがあったので、トイレを借りてどんなお店が入っているのかを確認。電器屋のダタルト、ポーランドの靴屋のCCCとか、服屋のH&Mとか、大抵のショッピングセンターに入っている店ばかりで目新しさは全くない。ただし、ダタルトが入っていたのが、次への伏線となる。
 それで、時間つぶしをあきらめて警察へ向かった。時間より前についたらすぐに呼んでもらえるかもしれないという期待がなかったわけではない。当然その期待は裏切られ、こちらが必要とする生体認証のための部屋には、11時になって初めて担当者が入って行った。その後すぐに呼び出されたから、待ち時間は20分ほどだった。次は街でもうちょっと時間つぶしをして来ようと決めた。

 カードに使う顔写真と、指紋を取られたのだが、二年前一枚目のカードをもらったときとは違って、右手と左手の人差し指だけだった。確認のためにそれぞれ二回、指紋読み取り用の機械に指を載せて、何枚か書類にサインをしておしまい。何か説明の書類をもらったけど、前回のと同じっぽいし、読むことはないだろう。って前回も読んでないけど。コンピューターの導入が進んだ結果、紙の使用量が増えたんじゃないかと思う場面の一つである。
 手続きにかかった時間は、10分ほど。待ち時間を合わせても30分で終わってしまった。駅に向かってオロモウツ行きの電車を待つ時間も30分ほど。プシェロフ発の電車なので、特に待つこともなく乗り込めるからいいのだけど。この日は、前半分はすでにオロモウツ-プシェロフの表示に変わっていたが、後半の車両はフセティーン−プシェロフのままだった。当然前半の車両に乗り込んだ。

 そして、今日、カードの受け取りのために再度プシェロフに向かった。同じ時間の電車で同じ時間に到着したので、時間つぶしのためにショッピングセンターのダタルトで、セット・トップ・ボックスというのを眺めていた。近々オロモウツ地方でも古いタイプの電波での放送が終了するので、新しいのを受信できる機械が必要なのだ。テレビはまだまだ問題なく使えているので、セット・トップ・ボックスで十分である。
 見ていたら、お店の人があれこれ説明してくれて、ついついってわけでもないけど、勧めてくれたものを買ってしまった。特別な機能はいらないので、一番安いやつである。買ってから、故障したらどうしようなんて気づいたけど、ダタルトはオロモウツにも何軒もあるから、修理なんかの対応はしてくれるだろう。意外と小さくて余裕でカバンに入ったのがありがたい。

 欲を言えばもう少し時間をつぶしたかったけど、そこは旧市街の外側を歩くことにして警察に向かった。気温はそれほど低くなかったのだが、風が強くて寒かった。雪もちらついていたような気がする。増水したベチバ川に架かる橋を渡るときには、帽子が風で吹き飛ばされないように押さえていなければならないほどだった。
 警察署に着いたのは10時40分過ぎ、トイレを借りてから番号札を取った。そのとき、カードの受け取りという項目がなくて困ったのだが、試しにビオメトリカを選んだらちゃんと名前があった。慌てていたので本当に自分の名前だったかなと不安になったのだが、番号札にちゃんと名前が印刷されていて、一安心。なんで受け取りじゃないんだろうという疑問は受け取りの際に解消されることになる。

 この日は、10分ほど待って、11時になる前に呼び出された。担当の人は、申請書を提出したときの担当者だった。回収される古いカードを渡すと、もう一度両手の人差し指を読み取りの機械に載せるように求められた。改めて本人の確認をする必要があるのだろう。だから、予約も受け取りではなくビオメトリカになっていたのだ。予想外のことだったので、一瞬右と左がわからなくなるというよくやる失態をやらかして笑われたけど、サインをいくつかして、全部で5分ぐらいで終わってしまった。
 別れの挨拶として、また二年後にパスポートが新しくなるから来ますねと言ったら、楽しみにしてるよという返事が返ってきた。こういうやり取りができるから、年に一回ぐらいだったら来てもいいなあと思うのである。もちろん待ち時間が短ければという条件は付くけど。

 警察の建物を出たのは、11時5分にもなっていなかった。吹き荒れていた風がやみ、日が照り始めていた。午後は暖かくなると喜んだのに、すでに駅に向かう途中で、もとのどんよりした天気と冷たい風が戻ってきた。天気というのはままならないものである。
2020年2月6日15時。











posted by olomou?an at 07:51| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2020年02月07日

再帰代名詞の使い方最終回(二月四日)



 延々と再帰代名詞の話を続けるわけにもいかないので、最後に、それぞれの格の使い方、特に全市とともに使うことが多いのだけど、その例を挙げながら説明しておく。


2格
 再帰代名詞の2格を単独で使う例は思いつかない。よく使う前置詞との組み合わせとしては、「u sebe」がある。「Jsem u sebe」「Budu u sebe」で「自分自身のところにいる」ということから、会社なんかだと自分の席、大学の先生だと自分の研究室にいることをあらわす。もちろん、質問するときには2人称にして、「Zítra budete u sebe?」と聞くことになる。

 それから、「od sebe」という表現も忘れてはいけない。ドアにこう書いてある場合には、自分のほうから離れる方向を表すので、「押す」を意味するというのはすでにどこかに書いた。最近は「od sebe」「k sob?」ではなく、「tam」「sem」で「押す」と「引く」を示すところも増えているけれども。また「お互いに離れる方向に」という意味で、二つの並んでいるもの、並んでいる人の間を広げるときにも使われる。「nohy od sebe」とかね。
 並び方も、横に並んでいるときには「vedle sebe」、前後は「p?ed sebou」、上下は「nad sebou」という表現を使う。もちろん「sebou」は7格である。


3格
 3格は、単独の場合原則として短形「si」を使うので、これも前置詞と組み合わせた形を紹介する。一つ目は2格のところにも書いた「k sob?」だが、お互いにという意味で使うこともある。よく使うのは、「Pat?í k sob?」だろうか。「互いに相手に属し合う」ということで、言い組み合わせであること、お似合いであることを表現することができる。
 反対に「proti sob?」になると、「互いに反対し合う」なので、「kamarádi proti sob?」で、「友人同士の対決」という意味になる。ただし、単に場所的に「反対側」という意味でも使われるので、レストランや電車の座席なんかで、「proti sob?」だと向き合って座り、「vedle sebe」だと横に並んで座ることになる。


4格
 4格を取る前置詞は、場所と方向の両方を表し、方向の場合だけ4格を取るというものが多いので、めちゃくちゃ厄介である。4格を取るかどうかは、動詞によって決まるのだが、いつまでたっても区別できず、6格や7格を使って違うと言われてしまう。ただ、動詞なしで使う場合には4格は使わないことが多いので、その手の前置詞と再帰代名詞の組み合わせはほぼ無視していいと断言しておく。
 ということでいろいろな動詞と組み合わせることのできるのは「pro sebe」である。意味は「自分のために」なので、3格の「si」と似ているのだが、強調したいときには、こちらを使うし、外国人には「si」が使えるのかどうかわからない場合も多いので、そんな場合にも「pro sebe」なら安心して使える。


6格
 6格はそもそも前置詞なしでは使えない格である。その割には6格を取る前置詞の数は多くない。しかも「o sob?(自分について)」以外は使いにくいとくる。一応、「v sob?」「na sob?」なんてのもあるのだけど、「v」と「na」の使い分けからして難解で、しかも場所じゃなくて方向の可能性もあるし、ということで、適当に使うことはあるけど、正しく使えている自信は全くない。


7格
 7格の「sebou」は単独で使うことがある。「být sám sebou」で「自分自身である」ことを意味する。使う機会は限定されているので、自分では使ったことはないと思うが、インタビュー記事などではしばしば見かける表現である。モットーや成功の秘訣なんかを聞かれたときに、こんな答え方をするのは、ちょっと賢く見えるのかもしれない。
 前後に並ぶことを示す「p?ed sebou」だが、自分の目の前にあることを表現するのにも使える。目の前なので、「p?ed o?ima」と言いたくなるところだけど、「Mám ho p?ed sebou」のほうがよく使われているような気がする。場所的な「目の前」だけでなく、時間的な「目前」にも使えるので、試験や何かのイベントが目前に迫っているような時にも使える。終わった後は、「自分の後ろ」になるので、「Mám ho za sebou」である。スポーツなんかだと残り時間を「p?ed sebou」、経過した時間を「za sebou」で表すこともある。

 それから、もう一つ忘れてはいけないのが「s sebou」である。チェコ語の本来のルールにのっとれば「se sebou」となるはずなのだが、「s sebou」で発音も「sebou」と全く同じである。チェコ語を勉強して、最初に習うのは、動詞の「vzít」とともに、「vzít si s sebou」という形で使う例だろうか。例えば朝、「傘を持って行け」というような場合に、「Vezmi si s sebou deštník」なんて言い方をするわけである。
 もう少し慣れてくると、街中のファーストフードのお店なんかで、食べ物や飲み物を買ったときに、店内で食べるか、持ち帰りにするかを聞かれるのに使われるのに気づくだろう。中にはすでに聞かれる前に「s sebou」と言うことで、持ち帰り用の袋に入れてもらうなんて人もいるはずだ。さらにチェコになじむと、日本人同士のやり取りでも「セボウ」とか「セボウする」なんて言うようになる。「昨日の晩飯はあそこの中華屋でセボウしたんだよ」とかさ。
 ということで、チェコ語起源の外来語として「セボウする」を日本語に導入しよう。なんてことを機会あるごとにあちこちでわめいているのだけど、道はなお遠しである。
2020年2月5日24時。









タグ: 前置詞 代名詞

2020年02月06日

チェコの疫病対策(二月三日)



 一月下旬の時点では、チェコでは新型ウイルスに感染したことが確認された例はまだ出ていなかったが、二月に入ってもその点では状況は変わらない。ただ、中国国内の感染地域が拡大しつつあるのと、ヨーロッパでも感染者が確認され始め、各国で中国発着の航空便の規制などの対策が取られ始めたこともあって、チェコでも具体的な対策がとられ始めている。

 その一つが、週に何便か飛んでいるプラハ発の中国便の停止である。ただし、停止が始まるのは即刻ではなく、2月9日の日曜日からということになっている。イギリスが即刻の停止をしたのにチェコはどうしてという疑問には、現在中国に150人弱のチェコ人が滞在しており、そのうちの100人ほどが帰国を希望していることを理由に挙げた。つまり、今週末までは、現時点でプラハと直行便のある町ではそれほど感染者が出ていないこともあるので、民間の飛行機で帰って来いということのようだ。
 直行便の運行が停止になった後は、必要があれば政府の特別機を中国に飛ばすと言っている。というのもチェコ人の中には、感染者のほとんどいない町で用心して生活しているほうが、感染者が乗っているかもしれない飛行機に乗るよりも、リスクが小さいと判断して、中国に残ることを選択した人もかなりの数いるのだ。事態の進行如何によっては、そんな人たちを政府の特別機で救出に向かう必要が出るということのようだ。

 それから、今回の感染症の中心地である武漢に滞在していた5人のチェコ人が帰国した。これは、外務大臣が交渉して、フランスが自国民を武漢から帰国させるために出した特別便に同乗させてもらったのである。フランスのマルセイユ近くの空港に降りて、ベルギー人の乗客もいたのか、ブリュッセルが終着点となっていた。そこからチェコの空軍が運用する政府特別機に乗り換え、プラハの近くの軍用の空港に到着した。武漢からプラハまで関係者以外との接触をほぼ完全に絶つ形で移動したようである。
 そこから救急車でプラハ市内の病院に運ばれ、検査を受けた上で14日間隔離されることになっている。検査の結果は全員陰性だったようだが、念には念を入れて潜伏期間とされる14日間は隔離され外部との接触は最小限に限るのだという。隔離期間が過ぎた後も、検査を受けて陰性が確認されてからの解放ということになるようだ。

 厳しすぎるという意見もないわけではないが、感染のリスクの最も高い地域からの帰国であること、飛行機の同乗者に感染者がいた可能性が高いことを考えると、これぐらいの処置を取るのは当然なのだろう。5人の人が14日間隔離され不自由を感じるのと、感染症が国内に持ち込まれるリスクを比較すれば、文句を言うほうが間違っている。5人とも事前に説明を受けて納得していたのか、特に文句を言うこともなく隔離されたようだ。
 ちなみに同じ飛行機でスロバキア人二人もチェコに到着しており、軍用の空港から救急車に載せられて、バンスカー・ビストリツァの病院に運ばれて、こちらも隔離されたようだ。武漢、マルセイユ、ブリュッセル、プラハの飛行機での移動だけでも大変だったろうに、さらに中部スロバキアまで車で移動というのは、体力を失わせることだろう。この人たちが病気にかからないように祈っておこう。

 翻って、日本政府の対応を見るに、どうしてあんなに中途半端なことをするのだろうと疑問を感じてしまう。武漢の日本人を特別機で日本に帰国させたのは、日本人を守るためであろう。それなのに病院に隔離しないのでは、高々数百人を守るために、一億人以上の人を危険にさらすことになる。政府の特別機で帰国させてもらっていながら、隔離どころか検査すら拒否するというのは、何を考えていたのか。これはもうれっきとした犯罪である。民間の空港じゃなくてどこかの自衛隊基地に下ろして機関銃持った自衛隊員に警備させていれば、こんなバカも出なかったんじゃなかろうか。そのまま基地の施設に隔離してしまえばよかったのに。
 政府の対応が中途半端なのもいけないのだろうけど、こういうときの対応には、チェコって意外とまともだよなあと思ってしまう。今でも厚生大臣が、新型ウイルスに頭を悩ませるよりも、流行しているインフルエンザ対策をしっかりしてほしいと繰り返している。インフルエンザ対策が、新型ウイルス対策にもなるわけだし、他にできることはない。その一方で、流行の真っ只中から帰って来た人たちは問答無用で隔離するのだから、日本にも見習ってほしいところである。
 大学の中にはパニック起して、武漢に限らず中国からの留学生の受け入れを停止したとか、東アジアへの留学を禁止するとか言い出したところもあるみたいだけど、ちょっと心配になる。
2020年2月4日24時。










タグ: 疫病 ウイルス

2020年02月05日

カレルチャペクの小説1(二月二日)



 頑張って続ける。カレル・チャペクの小説の中で、戦前日本語に翻訳されたものは、短編が一つ二つあるだけである。一つ目は、近代社が刊行していた『世界短篇小説大系』(1925)の「小国現代短篇集」に収録された「足跡」である。この本の特徴は国名が「チェッコスロワキァ」となっていることで、当時まだカタカナ表記に揺れがあったことが見て取れる。訳者は工藤信となっている。
 同じ作品が翌年、新潮社が刊行した『世界小説集』(1926)にも収録されているが、国会図書館の目録には訳者の表記がない。この書物が「年刊」で「1926年版」と銘打たれているところを見ると、前年に発表された翻訳小説を集成したものとも考えられるので、こちらも工藤信の訳である可能性もある。国名表記はさらに迷走して、「チェック・スロワ゛キア」。
 問題は、この作品が何の翻訳なのかだが、1929年に発表された『Povídky z jedné kapsy』に収録されている「Šlép?je」のようである。ただし、1917年発表の『Bo?í muka』の一篇「Šlép?j」の可能性もある。本全体の翻訳出版は、前者は戦後、後者はビロード革命後を待たなければならないのだが、短編がすでに1920年代の半ばに日本語に翻訳されていたことは、注目に値する。

 もう一つ、国会図書館の目録で確認できる戦前の翻訳は、なぜか俳句雑誌に載っている。俳誌「層雲」といえば、自由律俳句の立役者であった荻原井泉水の主催した雑誌であるが、この雑誌の昭和25年5月に発売された30巻1号に「影」という作品がチャペクのものとして収録されている。翻訳者は??山郊汀となっている。俳人だと思われるが、詳細は不明。不明といえばこの作品の原典もよくわからない。俳誌だから小説ではなく随筆だろうか。

 ということで、原典がはっきりしている小説の翻訳は、『Válka s mloky』(1937)が最初ということになる。『R.U.R.』と同様に、人間に奉仕させられていた存在が、人間に対して反乱をおこし人間を滅亡に追い込むというモチーフは、SF的に高く評価されたのか、SF関係の出版社からの刊行が目立つ。


?樹下節訳『山椒魚戦争』(世界文化社、1956)
 最初の翻訳は、SFではなく、左翼系の文化人によるものとなっている。ソ連、東欧圏の文学の紹介者の例にもれず樹下節も共産党関係者である。チェコ語ではなく、ロシア語版からの翻訳と思われる。その後、1956年に左翼系の三一書房から三一新書の一冊として刊行され、1966年には、角川文庫にも収録されている。






?A松谷健二訳『山椒魚戦争』(創元推理文庫、東京創元新社、1968)
 SFの世界では、「ペリー・ローダン」シリーズの翻訳者として、学問の世界では北欧文学の研究者として知られる松谷健二がチャペクの作品を訳していたのは知らなかった。おそらくドイツ語からの翻訳であろう。プラハの春に関係する本の翻訳もしているから意外というほどでもないのかな。松谷健二は、何人もの作家が共同で執筆している「ペリー・ローダン」の翻訳を一人で担当して二ヶ月に一冊以上のペースで刊行し続けたことかもわかるとおり、翻訳のスピードがとんでもなかったらしい。「ペリー・ローダン」シリーズをつまみ読みしたときに「ヴルチェク」という明らかにチェコ系の名字の作家を発見して喜んでしまったことがある。


?栗栖継訳「山椒魚戦争」(『世界SF全集』第9巻、 早川書房、1970)
 この栗栖訳が日本語で一番長く、そしてたくさん読まれた『山椒魚戦争』ということになるのだろう。『世界SF全集』では、ソ連の作家エレンブルグとともに収録されていたが、1974年にはハヤカワSFシリーズの一冊として単行本化された。その後、1978年には岩波文庫に収録、ビロード革命後の1992年の岩波文庫の新版を経て、1998年に早川に戻ってハヤカワ文庫に収められた。訳者の後書きなどによると、新しい版が出るたびに翻訳に手を加えていたという。買って読んだのは最後のハヤカワ文庫版だったろうか。チェコ語の勉強を始めた90年代の後半には岩波文庫版はすでに書店から姿を消していたと思う。最近重版されたようだけど。






?C栗栖茜訳『サンショウウオ戦争』(海山社、2017)
 最新の翻訳ということになるが、表記をカタカナにしたのはなぜだろう。子供も読めるようにという配慮なのだろうか。カタカナにすると学名っぽくなってちょっと違和感があるかな。







 以上が全訳なのだが、抄訳や、再話と思われるものも存在している。

?D小林恭二・大森望訳『山椒魚戦争』(地球人ライブラリー、小学館、1994)
 いや、漫画や学習書の出版が中心だった小学館が、突如この翻訳を中心とした「地球人ライブラリー」を刊行し始めたときには驚いたし、その一冊としてチャペクの『山椒魚戦争』が刊行されることを知ったときには大いに期待したのである。初めてのチェコから戻って一年ぐらい後だったし。ただ出版されたものを手に取って、それが全訳でなく、しかも訳者が……ということで、買うのはやめた。小林恭二は俳句短歌関係の仕事は悪くないと思うのだけど……。大森望が絶賛している本で面白いと思った本は少ないし……。まあ、そういうことである。

 子供向けの再話だと思われるのが、『少年少女世界の名作』32(小学館、1973)に収められた「さんしょう魚戦争」である。森いたるという人が文章を担当しているが詳細はわからない。

 この『山椒魚戦争』は、児童書を除けば一番読まれたチャペク作品ということになりそうである。
2020年2月3日20時。











2020年02月04日

カレル・チャペクの戯曲残り(二月朔日)



 戦前に日本語に翻訳された三つ目のカレル・チャペックの戯曲は、『V?c Makropulos』である。これは、不老不死をテーマにした作品で、レオシュ・ヤナーチェクがオペラに仕立てたことでも知られる。日本ではオペラ作品の方が有名だったかもしれない。
 ロボット、もしくは人造人間同様、不老不死というのもSF的ではよく取り上げられるテーマの一つだが、この作品が戦後のSFブームの中で日本語に翻訳され出版されることはなかった。それはともかく、日本で刊行されて国会図書館に所蔵されているのは以下のものである。


?@ 北村喜八訳「マクロポウロス家の秘術」(『世界戯曲全集』第22巻、近代社、1927年)
?A 鈴木善太郎訳「マクロポウロス家の秘法」(『近代劇全集』38巻、第一書房、1927年)
 同じ年に同じ作家の同じ作品が別の訳者によって翻訳され別々の全集に収録されたという珍しい例になっている。『虫の生活』も両方の全集に入っているが、あれは北村訳が最初に単行本として刊行されたものが収録されたという点で違う。とまれ、同時期に同じような戯曲の全集が刊行されたということは、当時の日本社会において、特に文学の世界において戯曲、演劇というものが果たしていた役割の大きさを示しているのだろう。


?B 田才益夫 訳『マクロプロス事件』(世界文学叢書1、八月舎、八月舎、1998年)
 三番目の翻訳は、ビロード革命後、1990年代の終わりまで待たなければならなかった。英語からの重訳と思われる前の二つの翻訳が「マクロポウロス」という表記を採用しているのに対して、「マクロプロス」となっているのは、チェコ語の読みにあわせたものか。「V?c」をどう訳すかというのも問題になるのだが、どの訳がいいのかはなんともいえない。直訳すると「物」とか「こと」となる。
 この本は、チェコに来る直前の出版で、当時はチェコ関係の本は買いあさっていたから手に入れて読んだ。終わり方に釈然としないものを感じて、これではSFの枠では評価しにくいんじゃないかと思った記憶がある。問題は、同時期にヤナーチェクのオペラの対訳も読んでいることで、どちらを読んでの感想だったのか判然としない。
 その後、当然といえば当然だが、田才益夫訳『チャペック戯曲全集』(八月舎、2006年)にも収録されている。
 また、海山社のHPによれば、栗栖茜訳の「マクロプロスの秘密」が、「白い病気」とともに『カレル・チャペック戯曲集』IIとして刊行準備中だという。 


 ビロード革命後に最初に翻訳されたのは、『Bílá nemoc』(1937)で、チェコ国内では、発表の同年にフゴ・ハースによって映画化されている。ハースは、戦前のチェコスロバキアを代表する俳優兼映画監督の一人だが、ユダヤ系だったために、ミュンヘン協定後にアメリカに亡命し、アメリカでも俳優や監督として活躍した人物である。
 現在までに出版された日本語訳は以下の二つ。

?@ 栗栖継訳「白疫病」(『カレル・チャペック戯曲集』1、十月社、1992年)
?A田才益夫 訳「白い病気」(『チャペック戯曲全集』、八月舎、2006年)
 翻訳とは直接関係しないが、十月と八月という二つの出版社の間に、何か関係があるのだろうか。チェコとのつながりで言うなら、十月はチェコスロバキアの独立した月で、八月はプラハの春の民主化運動がソ連などの軍隊の侵攻によって弾圧された月ということになる。考えすぎだろうか。海山社から栗栖茜訳の刊行準備中なのは上記の通り。

 田才益夫訳『チャペック戯曲全集』にはさらに二つの作品が収録され、『Loupe?ník』(1920)は、ちょっとひねって「愛の盗賊」、『Matka』(1937)はそのまま「母」と題されている。「母」のほうは、ドイツにおけるナチスの台頭を背景にした、反戦、反ファシズムの作品だというのだけど、内容は想像もつかない。
2020年2月2日23時30分。


















2020年02月03日

チャペク兄弟の戯曲(正月卅一日)



 せっかく始めたので、最初ぐらいは何度か連続で書いておくべきだろう。ということで昨日までに引き続いて、チェコ文学の日本語への翻訳の紹介である。カレル・チャペクの作品として日本語に翻訳され刊行された二つ目は、兄ヨゼフとの競作の『Ze ?ivota hmyzu』(1921)である。


?@北村喜八訳『 虫の生活 』(原始社、1925年)
 宇賀訳によって『R.U.R.』が刊行されてから二年後の出版。表紙と奥付は『虫の生活』だけだが、扉には「昆虫喜劇」という副題が記される。訳者の北村喜八は、大正末から昭和の初めにかけて日本の演劇を主導した築地小劇場の関係者。この劇場はプロレタリア系の劇団が活動の場としていたから、チャペクの作品も左翼的な文脈で受容されたのかもしれない。
 北村訳は、宇賀訳の『人造人間』とともに、『世界戯曲全集』第22巻(近代社、1927年)にも収録されており、確か築地小劇場での公演の際の写真が付されていたと思う。舞台装置の担当は村山知義だったかな。昔神田の古書市で発見して購入したのだが、戯曲の壁の高さに読まないままにしてしまっている。その結果、この作品の内容については触れようもないのである。


?A鈴木善太郎訳「虫の生活」(『近代劇全集』第38巻(第一書房、1927年)
 訳者の鈴木善太郎は、単行本となったのは『ロボット』だけだが、戦前に翻訳されたチャペクの戯曲三作をすべて翻訳し出版した唯一の人物である。『近代劇全集』は、第一書房が1927年から刊行を開始したもので、第38巻は「中欧篇」と題されすべての作品を鈴木善太郎が訳している。


?B新居格訳「虫の生活」(『世界文学全集』第38巻、新潮社、1929年)
 訳者の新居格は、大学卒業後新聞社を経て大正の終わりから昭和の前半にかけて左翼系の評論家として活躍した人物。翻訳者としても活躍しておりその業績のひとつがこの作品の翻訳である。『世界文学全集』は新潮社から1927年に刊行が開始されたもので、第38巻は最終巻にあたる。「新興文学集」と題されているが、第一次世界大戦後に独立した国の文学ということだろうか。新潮社では戦後も1960年から『世界文学全集』を刊行しているが、こちらには『虫の生活』を含めチャペクの作品は収録されていない。


?C田才益夫 訳「虫の生活から」(『チャペック戯曲全集』、八月舎、2006年)
?D栗栖茜訳「虫の生活より」(『カレル・チャペック戯曲集』1、海山社、2012年)
 戦後、SFの世界で再評価が行なわれ新訳が出版された『 R.U.R. 』と違って、『 Ze ?ivota hmyzu 』の新訳が登場するのは2000年代に入ってからになる。どちらもチェコ語から翻訳されただけのことはあって、題名の「ze」がしっかり訳されている。ただ演劇の題名としてあったほうがいいのかは、また別問題のような気もする。意外なのは栗栖継の翻訳がないことだが、十月社から刊行していた『カレル・チャペック戯曲集』が二冊目の刊行を見ることなく終わってしまったせいであろうか。






 チャペク兄弟の合作した戯曲はさらに二つ存在しており、どちらも田才益夫 訳『チャペック戯曲全集』(八月舎、2006年)に収録されている。『Lásky hra ostudná』(1910)は「愛・運命の戯れ」、『Adam stvo?itel』(1927)は「創造者アダム」と題されている。これが日本にいるときに出版されていたら、迷わず購入していたんだろうけど……。
2020年2月1日16時。















2020年02月02日

戦後の『ロボット』(正月卅日)



?深町真理子訳「RUR」(「SFマガジン」1964年9月号。早川書房)
 戦後最初の『R. U. R. 』の翻訳は、何と「SFマガジン」に掲載されている。意外と言うほどのことはないのかもしれないが、訳者の名前を見たときに驚いた。ハヤカワ文庫で海外のSFやら推理小説やらを読み漁っていたころよく目にした名前で、こんな人がチェコのチャペクを訳していたとは思いもしなかった。雑誌上では「クラシックSF」と銘打たれている。この深町訳は早川からは刊行されておらず、それがSFファンだった我が目に入ってこなかった理由であろう。
 その後、早川書房と喧嘩別れしたらしい、「SFマガジン」初代編集長の福島正実が講談社から刊行していた「海外SF傑作選」のうちの一冊、『華麗なる幻想』(1997年)に「RUR-ロッサム万能ロボット会社」と改題して収録されている。問題はチェコ語版の「Rossum」を「ロッサム」と読むのか、「ロッスム」と読むのかだけど、どっちなんだろう。


?C栗栖継訳「ロボット」(『世界文学全集』34、学習研究社、1978年)
 4つ目の翻訳にして、初めてチェコ語からの翻訳と言いたいところだが、訳者の栗栖継は、初期にはエスペラント語版からの翻訳もしているため、この翻訳がチェコ語からの翻訳かどうかは不明。学習研究社、略して学研が『世界文学全集』なんてものに手を染めていたとは知らなかった。全部で50巻刊行したらしい。80年代ぐらいまでは「学習」と「科学」を出しているだけだと思っていた。
 その後、栗栖訳は、金沢の十月社から刊行された『カレル・チャペック戯曲集』1(1992年)にも収録されているが、同じ本でも版を重ねるたびに改定の手を入れたらしい訳者のことなので、大きく改訳されていると思われる。こちらの訳は当然チェコ語版に基づいたものになっているはずである。


?D千野栄一訳『ロボット 〈R. U. R. 〉』(岩波書店、1989年)
 言わずと知れたチェコ文学? チェコ語学の大家の翻訳だが、今回確認して意外と刊行が遅いことに驚いた。すでにいくつかの翻訳が刊行されていたことが理由だろうか。岩波文庫の一冊として刊行され、薄い本の多い岩波文庫の中でも薄く、買うのをためらった記憶がある。前回と今回紹介した翻訳の中で、唯一、実際に手に取って購入して読んだことがあるものである。感想は、戯曲読むのはつらいわということしか覚えていない。
 岩波書店は、書籍の再販制度に加わらない特殊な販売形式をとる出版社で、市場に飢餓感を出すために、「品切れ、重版未定」の状態で放置された本が多いことで悪名高いのだが(特に文庫の黄帯の古典文学なんかふざけんなと言いたくなる)、この千野訳は現在でも問題なく入手できるようである。税込みで726円、チェココルナにすると200行かないぐらいかあ。文庫だと考えると、チェコ的な金銭感覚では高いよなあ。チェコは文庫版がないから本はそれなりに高いんだけどね。でも再販制もないから、意外と安く変えることもある。







?E田才益夫訳「RUR」(『チャペック戯曲全集』、八月舎、2006年)
 訳者は確か演劇関係からチェコ語、チェコ文学の世界に入った方で、エッセー集などの翻訳、出版を精力的に進めている。この辺まで来ると、こちらが日本を離れてからの刊行なので、書くこともあまりない。この『戯曲全集』には、兄ヨゼフ・チャペクとの共作も含めて、多くの作品が収録されており、そのうちのいくつかはこれまで日本語に翻訳されたことのない作品である。詳しくはその作品の紹介の際に。そこまで続くかどうかはわからないけど。






?F栗栖茜訳「ロボット」(『カレル・チャペック戯曲集』1、海山社、2012年)
 訳者は、すでに登場した栗栖継の息子で、本業は医師。出版者の海山者は訳者の個人出版社のようなものらしい。気になるのは、父親の訳とどの程度差があるのかだけど、誰か確認してくれんかな。






 全訳されたものは以上だが、戦前同様、抄訳なのか翻案なのか、抜粋なのかよくわからない形で発表されたものがある。一つ目は平凡社が刊行していた『現代人の思想』第22巻(1968年)に収録された「戯曲『ロボット製造会社R・U・R』」。訳者の表記は「鎮目恭夫編訳」となっているので、単なる全訳ではなさそうである。また、主婦の友社の『いのちを感じる心が育つおはなし』(2012年)にもチャペクの作品として「ロボット」が収録されているようだが、ページ数から考えても抜粋としか思えない。
2020年1月31日24時。










2020年02月01日

戦前の『ロボット』(正月廿九日)



 チェコ語起源の外来語というのは日本語にはほとんど存在しないが、そのうちの一つである「ロボット」が完全に日本語に定着し、日常的に使用されていることを否定する人はいるまい。そのロボットという言葉を世に送り出したのが、チェコスロバキア第一共和国の誇る作家カレル・チャペクの戯曲「R.U.R」である。「ロボット」という言葉自体は、カレル本人の発案ではなく、兄ヨゼフのアイデアだったなんて話もあるようである。
 この作品でのロボットは、現在一般的になっている機械的なロボットではなく、人間の体の組織を別々に培養し、それを組み立てて生産するという、よく考えると恐ろしいものなのだが、人間が作り出した人間と同じように動き、人間のために働くものという点では機械的なロボットと同じである。その本来自我を持たなかったロボットたちが、人間に対して反乱を起こすというあたりが極めてSF的で、チェコとは何の関係もないSF関係者の間でもよく知られた作品だったようだ。

 では、日本での受容がどうだったのだろうかということで、国会図書館のオンライン目録を使って調べてみた。うまく行ったら、これも定期的なシリーズにしようなんてことを考えつつ、あれこれ検索をかけて、わかったのは作者名としては、出版物における表記がどうであれ原則として「チャペック」で登録されているということ。ただし一部の作品だけは「チャペク」になっているのもあって完全に統一はされていなかった。
 チェコスロバキアで、この作品が刊行されたのは独立後間もない1920年のことだったが、日本語訳が最初に出版されたのは1923年である。当然、当時はチェコ語からの翻訳者など存在しておらず、英語かドイツ語に翻訳されたものからの重訳であったことを考えると、かなり早いといってよさそうだ。


?@宇賀伊都緒訳『 人造人間 』(春秋社、1923年7月)
 これが国会図書館に所蔵される最初の日本語訳である。現在の「ロボット」という言葉にまとわりつく機械的なイメージを考えると、この『人造人間』のほうが、内容に即した題名と言えるかもしれない。一方、作者名のカタカナ表記が「カアレル・カペツク」になっており、チェコ人の人名について知識がなかったであろう時代をしのばせる。英語からの重訳であろうか。ちなみに、国会図書館のデジタルライブラリーで確認したところ、扉の作者名表記は「カペック」と促音が小さく「ッ」で表記されているように見える。春秋社は現存する出版社で、作家の直木三十五が創設にかかわったという話である。
 また、宇賀伊都緒の訳は、近代社が刊行した『世界戯曲全集』第22巻(1927年)にも収録されているが、高橋邦太郎も訳者として名前が上げられている。宇賀の訳を高橋が改訳したのか、共同で改訳したのかは不明。作者名表記は、姓しか確認できないが、「チヤペク」。拗音が直音で表記されていた時代なので、これで「チャペク」と読ませていたと考えてもいいか。国名表記は「チエコ・スロワキア」で、「ヴァ」の音を「ワ」で代表する表記がすでに登場している。


?A鈴木善太郎訳『 ロボツト 』(金星堂、1924年5月)
 金星堂から「先駆芸術叢書」の第二編として刊行されている。この叢書は、「ゲエリング」の『海戦』を第一編として刊行が開始され、国会図書館のデジタルライブラリーでは第十二編までの刊行が確認できる。作者名表記が、表紙と扉では「カーレル・チャペック」と今日につながる拗音と促音の表記がなされているところには、宇賀訳の翌年の刊行であることを考えても驚きを隠せない。ただし、奥付の表記は「チヤペツク」である。これには翻訳者の鈴木善太郎が新聞社の出身であることが影響しているかもしれない。新聞社であれば世界中に特派員を派遣していただろうから、チェコ語の人名についてもある程度の情報があったと考えられる。左翼が強かった当時の演劇関係者のソ連人脈からの情報ということもありえるのかな。
 ちなみに表紙にはなぜか国名が入っていて、「チエツク」となっている。これは当時行なわれていた「チェックスロヴァック」という表記の略なのか、チェコとスロバキアは別の民族だという知識に基づくものなのか。「緒言」に「ボヘミア語」なんて表記があるところを見ると前者だろうか。
 また、鈴木訳は平凡社が刊行した「新興文学全集」第20巻(1930年)にも、「ドイツ篇」の末尾に付される形で収録されている。こちらでの国名表記は「チエツコ」。この全集は当時平凡社が続々と刊行していた左翼系の全集シリーズの一つで、当時の様子、いかに平凡社が全集で儲け、いかに左翼系の文化人に食い物にされていたかは、荒俣弘の『プロレタリア文学はものすごい』(平凡社新書、2000年)に詳しい。

 戦前に刊行された『R.U.R.』の日本語訳は以上の二つなのだが、雑誌「婦人之友」の大正十四年七月号(1925年)に「近代劇物語 人造人間」と題した作品が掲載されている。作者は「カール・チヤペツク」で訳者は前田晁となっているが、これが全訳なのか抄訳なのかは、デジタルライブラリーでは見られないので確認できない。
 それから、桜井学堂が1929年に刊行した『未来科学の進化』(日本学士院出版部)に「人類に奉仕する十億人の機械奴隷」と「地球を占領した人造人間」という二つの文章がチャペクのものとして掲載されている。どちらも「ロボット」を思わせる題名なのだが、『R.U.R.』との関連も訳者も不明。

 以下いつになるかわからんけど次号。新たにチェコ文学のカテゴリーを立てるけど、文学云々の話にならないのはいつものことである。
2020年1月30日9時。









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