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篆刻 無 所 不 為 なさざる所無し 第8回京都国際マンガ展2008年6月1日~7月6日まで開催どうか、壊れてどうしょ~も無い、くっだらん、市役所のゴミ回収車も嫌がるごとき骨董のふりをして、威張り散らかしていた贋作の偽物好きを収集して、ひとり悦にお入りにならせられませる、変態の “魔” “ン” “我” 好きの変人の阿呆う。千円出して粋な晴れ粋な晴れ。世界中から収集車が集めた、誰一人、金出すから売ってくれと、言えない程、チンプンカンプンで独りよがりの自慰をみせびらかす1駒。漫画の世界から鼻つまみにされて久しい1駒。8回も続いていたなんて、僕のマネージャー氏から聞かされてビックリ仰天した。能書きも、あつかましさを突き抜けてしまい、阿呆らしくて笑っちゃった。京都国際まんがミュージアムは、京都市と京都精華大学の共同運営で、いまや、世界から注目されているマンガの、収集、保管、展示およびマンガ文化に関する調査研究、および事業を行う事を目的としています。世界から注目されているマンガは何であるかシットルのか知らんのか。無駄な抵抗と天下りの受け皿の1つなのか?その大学とやらでのたくっておるマンガは世界中から注目されておるのか?それとも否か?只の銭儲けの手段か?本気で世界のマンガを、未来の栄光へと導けると勘違いしているのか?竹宮恵子さんが来てくれるから学生が喜ぶ人寄せパンダ。1コマなんぞヒビの入った骨董品。京都精華大学マンガ学部マンカ学科は、銭儲けの為だけに意義がある事を阿呆学生は知ってるのだろうなぁ。才ある漫画家の卵は一人で巣立つ。まさか、わたしわおやどり、と、居直る度胸が御ありなのか?フェニックスは飛び立ったのかい?京都精華大学の副学長はくだんの教授だった人である。ヨシトミヤスオくん出世なされたものだオメデタイ。*********** No 49 「カトゥーンデェーメルゥンク 前半」 参照そこへ潜り込まんと必死のパッチが、関西支部長不正選挙で成り上がった篠原ユキオ。頑張ってまた、不正工作なんぞなさり、早く人知れず上り詰めなはれ。漫画で食えないやつが大学の教授職に就いて何を伝授出来るものを持ち合わせておるのか。これらの行為は、自己作品製作に対する決別と自殺行為だ、と、僕は確信し、昔大阪芸術大学の招聘を、断じて拒否した事を今も誇りに思っている。*********** No 29 「玉ちゃんデェーメルンク 最終回」 参照 共同経営者は、わんすあぽんな昔々ポーランドの漫画展に、僕のマンガも展示された展覧会へと同行した。宿泊先でこっそりと、本当にこっそりとクズダイヤや宝石をゴッソゴソと買い集め、馬鹿儲けした漫画家?商売ジョーズ!ポーランドは、アフリカの黒人達を泥水の穴掘りに酷使しては微銭を投げ与え、原石を持ち帰り、集積加工販売をひとりじめするユダヤマフィァの国。彼は頭が良い。尊敬に値する。見上げたもんだよ屋根屋の褌。 僕は絶対にしない。牧野圭一くんほど銭も無い。誰に、何を、どう言われてもしない。 なさざる所有り。有所不為という完璧に綺麗な対印も持っているが、今回は逆の遊印を使用する。 篆刻 無 所 不 為1番上に在るのは、人にどう言われようと恐れず、何でもして目的を追行する。この篆刻は、わざと全体、特に右下をユガマセテイルのがお解かりか。印字の斬り方も鋭い! ある人は不実不倫の女性に石を投げつける人々にこう言ったそうである。「汝らの中 罪ひとつだに無き者のみこの女を石もて打ちなはれ」彼も石を投げつけなかったとものの本に書いてはある。ほんとかうそかは解からないが。貴君はどうだ。僕はどうなんだ。自戒だ。だんだん厭になってくる。なってくる。今来たこのみちかえりゃんせ。もう、手遅れだ。1駒は壊滅絶滅の時代である事に眼をつぶろうとしている。未来に対して盲目となる人々は壊滅を余儀なくされるであろう。全て頭脳と才能の無い事を理解したがらない愚漫画家?の責任だ。まんがミュージアムは早晩デェーメルンクしてゆくだろう。その時、15万冊の蔵書の為に、ゴミ収集車は大・変・態となるだろう。無駄に垂れ流す銭は京都市民の為にならない。梅田や日本橋のまんだらけのほうがずいぃ~っと楽しい。まんがは日々刻々とソドムとゴモラへと歩んでいる。まんがは時代と、人々の嗜好と欲望に支配され、へんてこりんではあるがメタモルフォーゼンしてしまった。手塚センセこれみんなあんたのせいでっせ。玉地さん……そぅ かもしれないなぁ。観賞に行ってあげて下さいませんか。お願い申し上げ候にてござるのおケツはマッカッカで御座候。きっと大笑いできると思いますよ。勘違いと5人囃子のマスカキは醜悪かも知れないが、馬鹿の醜態の集体もまた一興かも知れません。本当の本物を御覧五郎次郎。********** No 48 「カトゥーンデェーメルンク 後半」 参照社団法人日本漫画家協会会員・参与 玉地 俊雄デェーメルンクとはドイツ語で、デァェメルンクと発音するのがほぼ正しい。ウムラウトという発音記号は Dammerung の a の上に付いている。 : を横向きにした発音記号である。a は、ドイツでは A.B.C,D.E をア・ベ・ツェ・デ・エと発音し、 a はこのウムラウトのために、アのくちの形にエの音を被せて発音する。慣れるまでは難しい。意味は黄昏、たそがれてゆく、滅び去ってゆくといった意味である。アドルフが最も愛し、自らの行為が完全に悪事であると確信犯と理解して、ユダヤの人々をホロコーストへと送ったのは、 R . Wagnre の楽劇 ” ニーベルンクの指輪 ” 全13時間、4つの楽劇の最終章、 神々の黄昏 による。ゴォェッタァ デァェメルンク と発音する。完全な権力と魔法が世界を独り占めする事と、愛情との矛盾、血の契約と裏切りと屈辱と報復と、浄化の為に必須である死。 滅び、壊れて、浄化と死が、ドイツをして不滅の大帝国とならしめんとした神々の主、ヴォータンとなろう。2つがアドルフの中で融合したのである。アドルフヒットラァーはこの楽劇に涙して決意と行動に出た。彼は人々にこう叫ばせる事を強制した。 ジィクハイル 英雄ジィクフリィト万歳。ジィクフリィトは神々の主ヴォータンが、人間の女性との間にもうけた双生児の子供である。ジィクムントという男性は闘いを生き延び、不遇を耐え忍び、幼き頃生き別れとなった、今はフンディンクという荒くれ者の妻となった妹、ジィークリンデの元へと彷徨い込みたちまち恋に落ちる。「君こそは春」・ヴォータンが2人のためにトネリコの大木に突き刺したまま抜く事の叶わぬ霊剣ノゥートゥング ( 男性 ! ) を引き抜き2人は運命に従って駆け落ちをする。追って来るブンディングを一突きで殺すが、ヴォータンの正妻フリッカは、この2人と胎児を始末せよと激怒する。なにをいまさら。これもまたヴォータンの7人の娘 ( あんたもようやるなぁ ) ヴァルキューレ ( 闘いに死せる英雄の魂を天上の城ヴァルハラの護衛兵として再活用する為に運ぶ乙女達 ) の1人、ブリュンヒルデに、ジィクリンデと胎児ジィクフリィトを殺せと命じる。ジィクムントは霊剣の魔力を奪われヴォータンが始末する。ジィクフリィトとジィクリンデは壊れた霊剣と供に、ブリュンヒルデの庇護の下に逃げ去り、やがて、甥と叔母はローゲという火の神が守る山の上で恋に落ちる。ヴェルズンク族と、神々との、他の血一滴たりとも混ざっていない、純潔の血がドイツ民族の誇りであり、アドルフこそが、ラインの乙女達が守っていたラインゴルトを、妖怪アルベリッヒが奪い去って作った、愛を捨て去る者のみが、覇王となりうれる力と権力のシンボル、ニィベルンクの指輪こそ、アドルフが持つべき神聖なる者、純潔の血、英雄ジィクフリィトこそがアドルフヒットラァーなのだから、ジィクハイルと崇めなさい。英雄ジィクフリィトは、訳ありとは言え叔母との愛を裏切り、復讐の槍でアルベリヒの息子ハーゲンに背中を刺しぬかれて死に、ブリュンヒルデは火葬の炎の中に指輪と供に身を投げ、ラインの乙女達が溢れる激流の中を、指輪となったラインの黄金を奪い返すためにやってくる。ハーゲンが激流の中で叫ぶ ッオォリック フォム リング 指輪より離れよ ! 激流は、燃え盛る火葬の為の炎が天上のヴァルハラを燃え上がらせると供に全てを浄化する。 こういった信念をアドルフに与えた楽劇が、いろいろな事情を認識した上で戦争になった。こうして世界中がデァェメルンク・黄昏と成っていったのである。彼が最も愛したドイツ音楽の、いゃ、これこそが世界最高峰のオペラであると僕も確信しているが、彼ほどの狂人には成れない。昨夜も出稿の後で聴いたが、この楽劇は涙のただ一滴も無く、ただただ恐怖の音楽の凄さが、最期に、英雄ジィクフリィトとブリュンヒルデの愛の動機と、ラインの乙女達の浄化の音楽が流れて終わる。愛と死と浄化だよ、と救いの手を差し出して終わる。しかし、涙は湧いてこない。この楽劇も哲学である。 解からないでしょう。そのほうが良いと思います。
2008.05.31
ワルンカチューのナシゴレンは左上 紫煙のゆらぎ・ナシゴレンとナシチャンプルーが2つ 「人間は食べる葦である」 哲学者タマヂィが言った有名な言葉である。 食・住・衣は人間生活にとって欠かせぬ必須のアイテムである。 食せねば腹が減る。食い過ぎれば体に悪い。 若紫ルナの肌は綺麗だが手だけしかお見せできないのは契約書があるからだ。 ********** No 63 「バリ島ウブド契約書・原本」 参照 若紫が悪用されない為には絶対必要な事であり、その時が来れば公開する。 ワルンカチューは、多分ウブドのナチュラルでオリジナルな食味だと思う。 絶対お勧めの店である。 800円でおつりが来るが、のーばっくとりまかし。 百読は1食にしかず。 食する幸せと本当に美味しいものは、現地の現場でしか味わえないと東大路玉山人も言っていた。 ウブドの達人 玉地 俊雄
2008.05.31
はいせつ・ワルンカチューにて 紫煙のゆらぎ・左手は不浄 「人間は食べる葦である」 哲学者タマヂィが言った有名な言葉である。 食・住・衣は人間生活にとって欠かせぬ必須のアイテムである。 食せねば腹が減る。食い過ぎれば体に悪い。 食すればもよおす。 命を狩る生命の宿命である。 諸君は亜細亜の人々の間では、左手は不浄であると聞かなかったかい? 左の手は不浄である。生まれた時からずっと不浄である。 左の手でオランの首から上など絶対に触れてはならない。 頭部は神聖だから。 右には水桶と柄杓がある。 水を左の手に湿して処理し、再度手を洗い、手動にて排水をする。 川の中で排泄をいたす時は上流にオランがおらんか確認するがよかろう。 流れてくるかもしれない。 中国の農村部へゆけば、田畑のあぜに2枚の板が並べられ、見晴らしの良い後ろ向きでの排泄をなさっていたりする。 昔は日本もそうだったらしい。 社会科の授業ではこれを話してはくれなかった。 連中も教科書を読んでいるだけか、知らなかったかのどちらかだったのだろう。 これは、ウォシュレットという便器に進化して世界中に拡散していった。 百読は1排にしかず。 所変われば仕方も変わる、現地の現場でしか体験できないと東大路玉山人も言っていた。 ウブドの達人 玉地 俊雄
2008.05.31
道端のサテアヤム 2 紫煙のゆらぎ・ 「人間は食べる葦である」 哲学者タマヂィが言った有名な言葉である。 食・住・衣は人間生活にとって欠かせぬ必須のアイテムである。 食せねば腹が減る。食い過ぎれば体に悪い。 彼はユリアティハウスの近く、プラダラムプリの近くでいつも店を開いている。 夢の為ではなく生活のために。 無言でお客にトリマカシとも言わないが、彼は体中に模様をつけていた。だから、あえて許可を求めた。 ティアダフォトOK? と、僕は訊ねた。 「ヤ」 とだけ発音する。 後発のフォトはいいかげんなアングルで適当だが、背を向けた2人と店の2人の男女に夢がある。 でも、主題が散漫なのが解かっていながら、見せるために記録として撮影した。 この伯父さんには強い主張があるので見比べて欲しい。 ここのサテアヤムは辛くて淡白な味がする。 百読は1食にしかず。 食する幸せと本当に美味しいものは、現地の現場でしか味わえないと東大路玉山人も言っていた。 ウブドの達人 玉地 俊雄
2008.05.31
道端の焼き鳥屋。いずれは奥の人たちが集う店を夢見ているのだろうか 紫煙のゆらぎ・道端のサテアヤム 「人間は食べる葦である」哲学者タマヂィが言った有名な言葉である。食・住・衣は人間生活にとって欠かせぬ必須のアイテムである。食せねば腹が減る。食い過ぎれば体に悪い。ラヤ通りには出店が多くある。インドネシア人は家禽、つまり鳥を飼う事が大好きで、鳥インフルエンザを国家的な政策で押さえ込む事が未だに出来ていない。プリサレンアグンのょチョコルダプットラ氏は、白頭ワシを、身動きできない鳥籠で飼っていた事もあったが今はもう居ない。将来的には悲観的な悲劇と成るかも知れないから僕はいろいろ急いでいる。道端で鳥と鳥篭を売っていた人もその場所の近くで店を開いている。露店は夢なのかもしれない。道端のサテアヤムは一軒一軒味もタレも香辛料の混ぜ具合も異なる。ドイツの何千種の味がするビィルのように。一軒一軒微妙に、時にダイナミックに味が違って面白い。1本 Rp 1.000 程で求められる。テガランタン村のばら売り煙草2本分である。1万円が Rp 800.000 だから各自で計算してみればよい。百読は1食にしかず。食する幸せと本当に美味しいものは、現地の現場でしか味わえないと東大路玉山人も言っていた。ウブドの達人 玉地 俊雄
2008.05.30
紫煙のゆらぎ・恐怖と地獄の拷問部屋アトリエ TAMAJI恐怖と地獄の拷問部屋に座っていると気が狂ってしまう。玉地先生だけを見ようとしても、どうしてもぎょうさんの目がこっちを見据えていて怖い。お訪ねするのに ためらわれる。市民・関淳一翁は椅子に座って難曲中の難曲“ トリスタンとイゾルデ ”前奏曲をヴィーナァーフィルハァモニカァーを相手に悠然と指揮棒を振った。******** No 65.66 「関淳一翁トリスタンを指揮する。 前、後編 」 参照当然この時間はトリスタンとイゾルデ全曲が鳴り響いている。造花の束に屹立する40年モノの指揮棒を悠然と振った。「あれはスゴイ音楽やった。良うワカランかったけどスゴイ音楽やった」残してくれた感想文にはこうある。“ 思っていたより見事に整理されていた部屋で、楽しい一刻でした。 ”在大阪インドネシア領事館副領事と領事は、椅子を勧めても一度だに座らず、2時間立ちっぱなしで4面、この3倍の雪崩崩壊落ちんとする作品群に言葉を失っていた。******** No 71 「紫煙のゆらぎ・マスニ領事来訪」 参照こう書き残している。Sungguh pengalaman yana menxenagkan , menyaksikan karya - karya Tamaji - san sekaligus memprlajari FilosoFinya .Osaka , 9 Mai 2008 MASNI ERIZA玉地さんとフィロソフィニャだけは解かるが後は全く読めない。何を恐れる事があるのだ。お世辞かも知れないが彼らは微動だにせず、楽しい時間を過ごし、玉地さんはフィロソフィァアーだと満足したように感じている。ATORIE TAMAJI にはこの倍以上の作品群がいつもゆらぎ逍遥しており、僕を威圧し、励まし、時には忠告とアドバイスを囁きかけてくれたりもする。大切な大切な宝の部屋であり、かけがえの無い僕の宝物たちだ。恐怖と地獄の拷問部屋と感じる人々は真理を理解出来ない人々かも知れない。狂人で無ければ作品なんぞ創れるものではない。ほとんどの人々は絶句して一言も口を開かない。ウロタエ、目前のコーヒーカップや、あたりさわりの無い何かを求めて、とりつくらおうとしているのがハッキリと見て取れる。左端に手作り米国 W . E co, 300B 三極菅パワーアンプ。ハーレムの売春窟から這い上がった稀代のブルースシンガァー、ビリーホリディのCDケース。しかし、響いているのは愛と憎悪の死、トリスタン・ウント・イゾルデ。バリ島ウブドのジャランハヌマンで買った古代イカのオーム貝。昔昔、現在最も信頼する山田博一氏と創ったストレスフィギュア。ひときわ高く立っているフィギュァの下のビンはシルクロード敦煌の砂。その前には大阪大学政治学教授も知らなかったびいどろ・通称ポッペン。横には万華鏡。東京神田の指物師長谷川製作所との運命の出会い4x5の写真箱くん。レンズは米国ゴルツ社のダゴール 210 mm、5~60年モノ。引っ掛かっているのはマスニ領事が僕にくれた紫煙のモトの空箱。ジャンクのスピィカァー。世界一の紫煙、サンポロナマイルドメンソールの空箱。ストロボで真っ白だが北京、夜の紫禁城を舞台にチャンィイモゥが撮ったジャコモブッッィーニの悲痛の絶筆、オペラ“ トゥーランドゥット ”古いサクマ式ドロップスの、別の飴ちゃん入り缶。造花の花華と屹立する2本の指揮棒のメープルの握りはバロック等小品用、コルクの握りは40年モノで、熱狂する偉大な音楽の為に使用する。百均の竹底スリッパは半年テガランタンに置き忘れたら、カビが生えていたが洗って使用している。左の大きな写心 ****** No 109.110 「 噂のナイコン 3 と 4 」参照その右の小さい方 **** No 64 「 内科医ビダニ 」参照中央の錦秋穂高涸沢で僕は写真をやめた。******** No 15 「 みてるんです 」 で写心に目が覚めた。諸君からすればガラクタだが僕の宝物たちだ。どうだ。狂人とはこんなもんだ。おそそれいりやの鬼子母神。僕はぜんぜん平気でなんの問題も無いのに、何故人々は恐怖するのだろう。虫プロダクションの壁に塗り込められ、た巨大でスゴイスピーカーからは、他人迷惑そこのけそこのけ手塚治虫が聴くゾ。フルベンのブラァムスの第1交響曲やムラヴィンスキィのチャイコの悲愴交響曲が鳴っていた。ここは、変にひんまがった真っ白い壁だけだったが。後日電話で話をした時、関さんがこう言った。「天災にはそういう人が多いモンですよ」「いいえ違います。僕は狂人です」変人狂人異常性格者らからうけたまわる。「おまえはオレよりもっと変だ」之は賛辞の言葉と理解する。ATRIE TAMAJI 住人 玉地 俊雄
2008.05.30
庭の手の届く高さにあるジャックフルーツ 紫煙のゆらぎ・ジャックフルーツ 「人間は食べる葦である」 哲学者タマヂィが言った有名な言葉である。 食・住・衣は人間生活にとって欠かせぬ必須のアイテムである。 食せねば腹が減る。食い過ぎれば体に悪い。 ジャックフルーツは果物であり野菜のように食されるがやはりは果物だ。 ほのかに甘い。 庭の手の届く高さにたわわわに実っているが熟すると落ちる。 落ちるまで待て。 大きさは、シルクロードのトルファンにあるハミ瓜の倍以上。 スイカの3倍以上。 ともかく巨大な果物である。 生で食すると、煎餅大の黄色くて、ほのかな甘さがうれしい。 油で揚げるとモット甘くなる。 食しても食しても無くならないほど巨大な果物である。 シィヴァが食して好し。 と、落として下さるまで待つ。 バンジャールという、遠いソサエティまでゆかねば食せぬ美味である。 百読は1食にしかず。 食する幸せと本当に美味しいものは、現地の現場でしか味わえないと東大路玉山人も言っていた。 ウブドの達人 玉地 俊雄
2008.05.30
サテ( 串 )チャンプルー 紫煙のゆらぎ・サテチャンプルー 「人間は食べる葦である」哲学者タマヂィが言った有名な言葉である。食・住・衣は人間生活にとって欠かせぬ必須のアイテムである。食せねば腹が減る。食い過ぎれば体に悪い。ナシチャンプルーの次はやはりサテチャンプルーである。サテとは串焼き。アヤム ( 鶏肉 )バビ ( 豚 )カンビン ( 山羊さん )主だった串焼きはこの3種類である。カンビンはサテカンビンワルンへ足を運ばないと無い。サテアヤムはどこのワルンにもある。最も一般的な串焼きが鶏肉である。日本で食する焼き鳥とは似ずに似つかぬ美味美味、何故こんなに違うのだろう?。比内地鳥の嘘つきや名古屋コーチンや鵜骨鶏とも違うバリのアヤム。プリサレンアグンの前のおんどろどろマーケットにゆくと、5羽ほど足をくくられて逆さ吊りになり、バイクにぶら下がっていたりする。目がとろりと気を失いつつあるニワトリたち。ブロイラーもあるのだが、これ等は高級ホテル専用。つまり、ウブドの小道を親鳥とともにチョコマカとうろついている、放し飼いでありながら、いずれ食されるなどとは思いもよらないノーテンキなニワトリたちなのかも知れない。日本では鶏肉の骨をかじっても簡単に食える。ウブドのニワトリの骨をかじったら歯が欠けた。しかし、鶏肉は適度な硬さと程よい食感で不思議に美味しい。右上のタレは、香辛料の良い香りと不思議な辛味が、カレーの様でカレーでもなく複雑怪奇な美味なのだ。ブリッヂカフェは聞けば方角を教えてくれる。プリサレンアグンを西に徒歩テクのジャランジャラン15分。ヨワナスワラのプラダラムをとおり過ぎる。大きな高っかぁ~い木々のトンネルを抜けるとそこはブリッヂカフェだった。350円ぐらいだったと思う。百読は1食にしかず。食する幸せと本当に美味しいものは、現地の現場でしか味わえないと東大路玉山人も言っていた。ウブドの達人 玉地 俊雄
2008.05.29
紫煙のゆらぎ・差別 僕はサンドリオン・灰かぶり姫、通称シンデレラ姫とか、姫とか殿下とか閣下という言葉が嫌いだ。 シンデレラは、領主からもぎ取られる立場から、略奪できる地位へ女という武器をうまく利用して逆転できる幸運を得た。 だからキライだ。 ひねくれている。 みんなが正しいという事どもを疑い真実を見抜き毒の牙……… これが漫画家である。 農民達は米を作り、年貢米として奪い取られ、どうしようも無くなって苦労する。 お返し。これが地蔵尊となった。 女の子は農業労働に耐えられないという理由で出産直後にお返しされる。 大きくなれた少女は身売りされて男性の愛玩物に耐える。 それでもどうしようもなくなった時、農民一揆が起こり、首謀者は家族共々、獄門、貼り付け、晒し首などという、言語を絶するやりかたで処刑される。 その頂点に姫や殿様やたっときとおときおかたさま達が居た。 農民は逃げ出す。 人別帳という管理簿からなんのなにべえが居なくなる。 逃げ出してもあてがない。 集団を作りカドヅケという物乞いをしたり、死んだ牛馬の解体で革製品なども作った。 農民たちは、行き場のない、武家や領主や姫ぎみに対する苦しみと、怒りと、哀しみを言葉にしてののしり、暴力を振るい、さげすみ、あざわらってひと時の鬱憤を晴らした。 さぁ、楽天がこの差別用語を拒否するか否か。 結果は拒否しなかったネ。 ヨツ。 四足の、牛や馬の死体の皮をはぐキタナイやつら。 エッタ。乞食のような物貰いをしているやつら。 ブラク。 人里はなれたところに集まって部落を作って住んでるやつら。 姫ぎみや殿や武家や町人や江戸やとおとき天上人たち略奪集団は、これら部落民たちを、農民の、より力の弱い者達への攻撃でガス抜き政策とした。 一揆首謀者家族もろとも貼り付けとは衆目目前で強制的に見せ付けられる。 十文字貼り付けられ、天高く立ち上がった彼らの両脇腹から左右の首の横上に槍を突き通す。 幼児とて容赦はしない。 ブラクの突き槍はこれを責務とさせた。 農民達は怒りの矛先を部落民たちに向け、やり場の無い苦しみと哀しみが、彼らを悲惨な状況からもっと悲惨な状況へと追い去り、人別帳から外れるたびに、全国に憎悪と悲惨が拡大していった。 全て、姫と殿と武家と天上人の策謀であった。 被差別部落の発生である。中学高校の歴史の授業はほとんどこれらの実体に蓋をした。最近ちょっと図に乗りすぎてはいるが。 だから僕はシンデレラ姫が大ぃいっキライだ。 へそまがりである。 だから漫画家がまんがを描く。画像の中にある細長くて楕円形の篆刻は僕が作ったものである。 王侯も螻( オケラ )も蟻も同じように尽きる運命なのに何故差別があるのだ。 社団法人日本漫画家協会会員・参与 玉地 俊雄
2008.05.29
篆刻 女淫 女性に固執する。 異性が本質である。 紫煙のゆらぎ・オペラは愛だ オペラは愛だ。AIDA という歌劇。 アイーダと発音する。 小泉。 ん~ 下の名前は思い出せん。 純一郎。 「オペラは愛だ」 一言でくくった。 大怒タワケ者っ! こやつは首相職時「サムソンとデリラ」を観賞して感激した。 サムソンの長い髪の毛は彼の怪力の源だった。 何故切られてしまったのか。 久しぶりに僕は激怒しているが、怒りを静めるほうの安定剤は今は服用しない。 手塚治虫先生が僕に語ってくれた 「皆が正しいという事を疑い、奥に隠れている真実を見抜き、毒の牙をオブラートで包み、玉地さんにしか描けない画風で発表しなさい」 こいつがキングコブラのように、ゆ~っくりと持ち上がって来た。 来ている。 三大歌劇。 カルメン。 ドンホセは、孤児で兄妹のように育ったミカエラの純粋な愛より、ミステリアスで肉惑のカルメンを選び破滅する。その終幕。 「ノン ジェネ テェ~メ プリィ」と突き放す。 「メモァ~ カ~ルメン ジェ テェメ アンコーレ カルメ~ン エッラッ!モァ ジェ タドーレ!」とすがりつく。 てめえになんか、こんな指輪返してやる! 「ティァア」と叫び指輪を投げ捨てる。 「ア! カルメン! マ カルメン アッド~オレ!!」 死体にひざまづくホセの悲痛な叫びで幕が下りる。 オペラは愛だ。 アィーダのえ ちょっと待て。 失礼ながら少し鼻汁を拭かせてくれ。 アィーダのエンディングはイナクエスタトンバ ?! 何故君も僕と同じ地下の墓洞に? 「イル シエル」ひかり と、二人が手を取り合って歌声が小さくなっていく。 アィーダの恋敵のアムネリス皇女が地上で泣いている。 道化師の、愛する娘を権力に奪い去られる屈辱と哀しみは。 トスカの犠牲を強いるカヴァラドッシと其の結末は。 略奪品の生贄として、年老いたマルケ王の下へと使わされたイゾルデ姫は、愛するトリスタンの死体を前に法悦と歓喜のうちに自然死出来るのか。 ニーベルンクの指輪に渦巻く権力と愛の矛盾。 アドルフの愛した神々の黄昏の契約と裏切りと復讐と死。 まだまだまだまだ語り尽くす事もこれら歌劇の本質を聴く事も聴き尽くせない玉手箱である。 モーッァルトでさえ哀しみがちらちらと意地悪く姿をみせる。 伯爵夫人は何故哀しい。 「コォンテッサペルドーノ ペルドォーノペルドォーノ」 なんと美しいメロディだろうか。 ドンジョバンニの復讐と地獄の騎士の手の冷たい事。 これら。 全てを。 簡単に。 1言で。 「オペラは愛だ」 確かに愛は文学音楽芸術の根幹を構成する本質だが簡単に言うべきではない。 ********** No 151 「 紫煙のゆらぎ・芸術か猥褻か 」 参照 理解しての発言なら他にも言い方があるだろう。 軽々しく世界に向かって発言するほどの怒阿呆うかキサマは。 発言が軽すぎる。 桜内のハゲ坊主の 「わしは処女ぢゃ」「アイアムチェリー」 同類項だ。 玉地 俊雄
2008.05.28
紫煙のゆらぎ・ティルタサリのオカダラム アナッ・アグン・グデ・オカダラム。 長いので以降親しみを込めてオカと表記する。 プリ・カレラン北の王宮の王、アナッ・アグン・グデ・バグース・マンダラエラワン氏の弟である。 長いので以降アグン・バグースと親しみを込めて表記する。 バリで山岳信仰の象徴である最高峰はアグン山である。 王族には、大抵このアグンという名が入っている事か多い。 弟はバリ島ウブドではスカである。 長男が王家を継承するから、その他でしかない。 オカは少し高くない階層の王妃から生まれた。 アグン・バグースは幼児期から、色が白い、長男だ、継承するから舞踏も天才だと褒めちぎられて、少しその気になった。 半天才のわがままが妻を困らせた。 オカは彼女と3人の子供達を支え続け、とうとう結婚をしなかった。 ジェロハディ・クンチャナ・ウランダリ・ケイコマンダラさんの言葉を通して、 無神論者タマヂィは神のフィロソフイーをはっきり実声で聞いた。 「オカをホモと言う人が居る」 「違います。オカはあなたたちだけを支える為だけにシィヴアがこの世に使わせた使徒です」この思いもかけない自然体の言葉は、直球で、僕に、「ぢゃあ貴君はバリに何をしたのか」と問いかけました。 オカは、このブログを始めとする、僕の作品群を世界中に開示し全てを捨て去る事を、決意と実行に移させる直撃弾を、至近距離から脳天に撃ち込み、僕を即死させた第2番目の鍵であった。 とこの時はっきりと気付いた。 “ バリの恩返し ” 最初にこのマンダラハウスで出会ったのも運命だったのか。 ウブドの達人 玉地 俊雄 you tube ***** balitamaji ( 日本語版 ) *** sakamotoakane ( English ) http://plaza.rakuten.co.jp/balitama/
2008.05.28
日の煌きに透き通り、輝くバビグリン 紫煙のゆらぎ・バビグリン 1 「人間は食べる葦である」哲学者タマヂィが言った有名な言葉である。食・住・衣は人間生活にとって欠かせぬ必須のアイテムである。食せねば腹が減る。食い過ぎれば体に悪い。さて、すぐ下にあるイブオカのバビグリンの本質である。この食に関する本質は、正体不明のタレのようにかかっているぐちゃぐちゃとナシの間から右中央部に少しだけ見えている黄色い板状の物体である。これこそがバビクリン。豚皮のぱりぱり揚げ。世界に類を見ぬ珍味中の珍味と美味である。食した幸せは食した事に基づくから表現は難しい。硬くあぶらが甘く、ほんでもって辛い不可思議な味である。常に満員の相席で、皆もくもくと食べている。店をたたんで暇の出来た吉兆の女将に食わしてみたいもんだ。日に透かしてみると素晴らしい色彩だ。食べるべし。しかし、毎日食するは体に良くない。野菜をもりもり食べなくてはいけない。死にまっせ。百読は1食にしかず。食する幸せと本当に美味しいものは、現地の現場でしか味わえないと東大路玉山人も言っていた。ウブドの達人 玉地 俊雄
2008.05.27
紫煙のゆらぎ・バビグリン 2「人間は食べる葦である」哲学者タマヂィが言った有名な言葉である。食・住・衣は人間生活にとって欠かせぬ必須のアイテムである。食せねば腹が減る。食い過ぎれば体に悪い。さて、サテカンビンと双璧をなすバビグリン。ウブド王宮プリ・サレン・アグンの西門を出ると、正面にレゴン舞踏の為の雨天劇場がある。その隣である。空たかく、バビ( 豚 )の絵のある看板が立っている。“ BU OKA ” と文字がある。イブオカと呼ぶ。ウブド好きはみんなが知っている。朝11時頃に豚のコゲ焼けたのが1頭、それこそお頭付きで運ばれて来て開店する。売り切りゴメン。昼の3時には誰一人いない無人店舗となる。バビグリンスペッシァルとエステで250円だがむっちゃんこ美味しい。今日はその本体。この上ではバビのグリンとは何かを語ってアル。百読は1食にしかず。食する幸せと本当に美味しいものは、現地の現場でしか味わえないと東大路玉山人も言っていた。 ウブドの達人 玉地 俊雄
2008.05.27
EF プラナァー 80 mm * PENTAX 67 改。1/15 sec 手持ち撮影 著作権所有者 玉地 俊雄 ****「バリ島ウブド契約書・原本」参照 紫煙のゆらぎ・千載一枚 世界のアイドル、グスティ・アユ・スリ・ユリアティが僕の帰国3日後に結婚した。世界のネットも劇場の観客も大騒ぎ。父親のアヂイは彼女が遠く離れた村へ、しかも、下降婚といって、バリヒンドゥーの、ウエシァという下から2番目の階級から、最下級のスゥドラへ落ちる事に激しく苦しんでいた。励ます会を僕のすっぽんさーでやってわいわい騒いだ。********「ユリアティハウス 2」参照この参照の中にあるHPにアクセスすればユリアの披露宴の様子がわかる。アヂイも観念したのだろう。もう、最後になるかもしれないユリアティのチャータァー撮影。自宅にもういない、ビタニの携帯にしか掛かってこない電話。みんなは駆け落ち婚と言っている。ビタニが僕の気持ちを思んばかってユリアティと連絡を取ってくれた。「OKいく」彼女は日本語が堪能だ。「ばっとぎゃらんていーふぃー、しぃくれっととぅゆぁはず」聞き取りには弱いところがかなりあって英語のほうがよい。「OKわかった」彼女はカタコトの日本語は堪能だ。たぶん、之が最期かもしれないと腹をくくった。くだんの彼女は、約束の時間を3時間すっぽかして、未来の意地悪スカタン夫と共にやって来たのが夕日の直前。なにしろ10日後には本式のセレモニィがある。僕のウブド入りの直前にリトルセレモニィがあったという。アヂィは出席したのかい、とは聞かなかった。ハッセルのPiannar.80mmをPENTAX67改の開放。露出計は1/4~1/8秒を示している。手持ちの限界を超えている。アンダー覚悟の1/15秒。しかし、最期のチャンスだ。暗くてピントは不明。色調は無茶苦茶のはずだが、行けっ!奇跡が微笑んだ。千枚に1枚・抽象のバランスと色調が表現されたと自負する。ウブドの達人 玉地 俊雄you tube ***** balitamaji ( 日本語版 ) *** sakamotoakane ( English ) http://plaza.rakuten.co.jp/balitama/
2008.05.27
紫煙のゆらぎ・横綱の品格欧州人が立派に今夏場所を制覇した。讃えられ尊敬される事だ。彼はイケメンでカッコイイ。輝ける星だ。KOTOOHOSHYU---SUPER---STAR !朝青龍悪役 STAR !白鳳 ? う~ん と 横綱カッコイイッ。今や異国人幕内スモウレスラァーは人気者だ。日本人は霞んだ。カスになってしまった。大阪難波の春場所を、京都上七軒「都おどり」歌舞練場のような処で、弁当とお土産をもらい、4人座るには狭すぎる升席で何度も見た事がある。古い話ですると貴乃花弟はいい体格をしていた。若乃花お兄ちゃんはちっぽけだった。あんな小さな体で横綱を続けられるのか?でぶんでぶんの横綱は苦しそうにぐらぐらしていた。本気で勝負したら死んでしまう。1年間のスケジュールはキツイ。本気で勝負し続けれは必ず死人が出る。本気で勝負している力士は2割りだ。哲学者タマヂィ氏もこう言っていた。僕もそう感じた。音楽会と同じように、ヴラヴォーとかウラァーなんてロシア語で絶叫する人。座布団をほかし投げて大喜びする人々。僕は僕なりの音楽観に確信を持っている。こいつらは皆馬鹿だ。理事長に頭を下げて気ォつけしてからもそもそと文句たれる文部大臣。毎日茶飯事八百屋の長兵衛。業界隠語でこれを注射と言う。よってたかってなぶり殺しにされた、逃げ出す少年の、瀕死の体を、事故の処理とした愛知県警察と病院関係者。嘘をついて逃げ回った、名門時津風部屋の当時の親分。部屋は部屋。理事長は責任なんぞ、これっぱかりも無いゾと、開き直りがふんぞりかえった北の x という、いまだにふんぞりコケて知らん顔の、日本相撲協会とその元大横綱理事長。親分の嫁を足で蹴りちらかしてトンズラこいた若い横綱も居た。名跡株を借金のカタにしょうとした元横綱まで居た。国技?横綱の品格?国技館?横綱審議委員会?喉元過ぎれば次の獲物に目を向けさせようと必死のジャーナリズムという名をカタルハイエナ。こやつらは、異口同音に逃げ口上を吐く。「ニュースとはニユー ( 新しい ) の複数形だ」全ぇぇ~ん部糞だ。くたばっちめえ!今こそ ”良識ある確信 ”がネットという力で、覚醒をうながし続けて世界を変えていかねば成らない。ネットには、このエネルギィと可能性が秘められている。キィホードをしばきまわしてくれ。新聞やTVは時代遅れの罅の入った骨董品に成りつつある。いずれ自滅する日が来るだろう。なぶり殺しのリンチ殺人は闇から闇へと過去何百人もあった。必ずあった。あり続けるかもしれない。こっそりと。にぎにぎされ続けている八百屋の長兵衛のように。本気で勝負すれば国技?は無くなる。期待の欧州人横綱候補はつい先だってまであまり強くはみえなかった。スピードもさしてあるようには見えない。しかし、急に強くならされてしまった。悪役亀田も過去の亡霊となった。悪役朝青龍は売り出し中だ。白鳳は分からん。どうせ外国人スモウレスラァーしか居ないのだから。残された道は琴欧州スーパースターしか無いのだ。異邦人に罪と全責任があるとはあえて言わない。僕は京都御所へ行く。尊っとき、御偉き、ミカド行幸時にしか渡ってはならぬと、伝えられらしき橋があるらしい。僕は人目もはばからず何度も御み渡りいたした。なんという事は無い。ただの橋でしかない。提案である。胆力と決意の女性ども集まれ。大相撲千秋楽の儀式である優勝賜杯をばうやうやしく賜わせ賜るこの時。ただ平然と、大人数で東西南北から土俵にあがって歩き抜けるだけだ。途中で何人かが阻止されても、大人数の大人数が歩き抜ければよい。閉鎖と男尊女卑の象徴のような、相撲史と、女性差別の歴史がその時変わる!その時国策国営放送局のTVカメラがどんな行動に出るか。世界中の、虐げられ続ける女性たちの心にどんな勇気と希望を与えるか。世界中の女性解放に志ある女性ども集まれ!皆んなで歩けばちっとも怖くないゾ。僕1人だけでは女性ぢゃ無いのでまったく意味が無い。しかし、これ等女性闘士が望めば先頭でも後塵でも協力協歩する覚悟はアル。と、書いたからには覚悟はアル。参集すれば名乗り出る覚悟もアル。出所進退はこのブログに書かれてある。混乱ではない。伝統など時代が進めば切れかかった電灯だ。時代は進めねばならぬ。混沌と根強い女性蔑視からの開放が目的であり、この行動は手段の1選択枝にすぎない。この 事。欧州ピクニック計画。これは、ベルリン開放の引き金となったヨーロッパピクニック計画で証明済みである。数多くの人々が、自由を求めて国境へ自然発生的に集まり、やがて、兵士は国境を開いた。開放と自由は勝ち取らねば手に入れる琴は絶対に出来ない。ネットの力を信じて世界中に発信しツァーを組め。女性差別からの開放と自由はいつまで待っても与えてなぞくれないから。立ち上がって!歩もう!みんな手をつないで!これこそが、僕が言い続けている ”ネットの力 ”が世界を変えるという事だ。スゥパァデンヂャラスフィロソフィアー 玉地 俊雄篆刻 能 亦 醜 能あるも亦醜し 能力の無い人が、尊大なソ振りで悪態をブチ撒けている。
2008.05.26
エベレストは実物を見たことも無いので、恒ちゃんと運命のガッチンした、北穂の小屋の前に立ちはだかった北穂南峰への最期の登攀路。 NIKON F2 * Nikkor 24 mm. 紫煙のゆらぎ・誰でもエベレスト三浦さんが75才で世界で一番高いお山、エベレストによっこらせと登られて、世界一高いお山に世界一高い年齢で登られた事には敬意を表します。おめでとう御座いました。でも悔しい事に直ぐ後76才のネパール人が登っちゃった。僕も昔昔槍穂高連峰だけに通って、長谷川恒男という人に出会って、人生に大きな足跡を残してくれました。彼とは生前2度しか会えませんでした。北穂高小屋で、モーッァルトの弦楽四重奏曲第14番をきっかけに、恒ちゃんはトミィーガンのように僕を話し込む隙間も無いほど独演会をしてくれました。2度目は恒ちゃんが、涸沢ヒュッテの、あの、いつも頭を打ち付けるトンでもない低い、茶室のにじぐち程を出た処でファンの、若いきゃぴきゃぴ女性達につぎつぎつぎとツーショットを要求されて恥ずかしそうにしてたよネ。僕は片手でちょいと挨拶したら。君は恥ずかしそうにひょいとうなずいたよな。その後もいろいろあったよネ。遠く離れても気持ちのよい友人だったと思う。ウルタル2峰で、奥様をベースキャンプに残して、恒ちゃんはつまらない雪崩で居なくなったよな。僕は恒ちゃんのお葬式には行かなかった。行けなかった。その偉大で、鬼神のような長谷川恒男が、このエベレスト大登山隊のトップリーダーの責を果たすべく、山頂までのルート作りをしていた時、サウスコルで行方不明になってしまった。登山隊長は決断を迫られる。救助隊を出すか、否か。2次遭難の危険と登山隊の士気。長谷川恒男の命。長谷川恒男は撃ち捨てられて、自分が歯車のちっぽけな歯の一つだとのトランシイーバーの声を幸運にも聞き、鬼神となった。この事は今は書かない。エベレストビューホテルという名の、日本人が経営するホテルの直ぐ側に滑走路がある。でも其処からローッエが近づいて来るまでは遠い遠いとおい。三浦さんあなたの年齢であの長谷川恒男が雪洞の中で怒髪天を突き抜いたサウスコルを経由してよく登られた。倒れるなら前へと倒れよう。僕もそう考えて実行に励んでいます。しかし。今やベースキャンプ近くの標高 5.000 m 付近の道端には、粗末ではあるが、何十軒かのお土産のお店も、粗末な道の両側に並んで呼び込みをしている。300万で登らせてくれる全ての設備。フィックスロープ・はしご・テント・食料・サンソボンベなどいろいろとりそろえてごさいます。全部で300万でございます。シャンソンオペラにカンッォーネ3つで500円でございます。こんな流しの悲哀をうたった演歌が昔ありました。エベレストは世界一高いお山です。エベレストは世界一登頂者・サミッタァーの多い 8.000 m を超えるお山になってしまいました。なぁ、恒ちゃん時代は変わったなぁ。最期に君が中国側から此処へ行った時の缶入りの日本酒美味しかったろ。君が僕にくれた篆刻、恒ちゃんが彫ったんとちゃうか?中国人あんなに下手糞とちゃうで。恥ずかして押されへんけど大切に持ってるで。けどな、ほんまにおおきに。阿呆と煙は高っかいトコ昇るっちゅうけどほんまやな。元槍穂高連峰住人 玉地 俊雄
2008.05.26
坂本龍一氏が愛した昔のノーマッド NIKON F2 Nikkor 24 mm 長時間露光 紫煙のゆらぎ・ノーマッドの豚のカクニ?「人間は食べる葦である」哲学者タマヂィが言った有名な言葉である。食・住・衣は人間生活にとって欠かせぬ必須のアイテムである。食せねば腹が減る。食い過ぎれば体に悪い。ラヤ通りのおんどろどろマーケット沿いの道をユリアティの実家ユリアティハウスの方向へ歩く。HP yuliati_house.at.infoseek.co.jp/E-mail yuliati_house-lj@infoseek.jp 4分で悪名高い新築改造中身も味も接客態度も最悪馬鹿者阿呆カス茄子屁となったノーマッドがある。ノーマッドでは無い。トゥルゥリイマッドだ。最低の店だ。坂本龍一氏が愛した頃のノーマッドはいかにも田舎のノーマッドだった。ウェイタァーのおっさんは、屹立男x 器を Kintama.Kintama と主張して、僕の反論に一歩も譲らず大笑いもした。みんなアットホームで、少しハイプライスだが楽しい素敵な処だった。昨年このノーマッドを東大路玉山人先生が立ち寄られたとお聞きしました。「ほう。ウブドにて豚の角煮とはオツぢゃ」と申され取り寄せられた。「料理長がおればワシが話があると伝えたまえ」と静かに申されたとか。東大路玉山人先生のおっしやられた処によると、日本で常識のこの食は、厚みのある一寸長角の暑い脂身と豚肉のじっとりと煮込まれた美味であるが、缶詰のような奇妙キテレツなる、参分角程のツナが弐個と、明らかに豚を炊き上げただけと見える物体が壱個、豪華で巨大なツマらん数茶碗のごとき白い数皿に鎮座して居ったそうである。「料理長これはなんであるか」静かに英語で話された。「バビ」「わかる。でわあとの弐つわ何であるか」「ツナ」吉兆と同類項ぢゃ。馬脚を現しおったのぢや。東大路先生は静かに席を立たれたという。僕は坂本龍一氏の愛したノーマッドを知っている。この、リァリイマッドの角を奥に入ってゆけば、坂を下った左側にデワワルンが僕を歓迎してくれる。百読は1食にしかず。食する幸せと本当に美味しいものは、現地の現場でしか味わえないと東大路玉山人も言っていた。ウブドの達人 玉地 俊雄
2008.05.26
紫煙のゆらぎ・絶景チャンプアンの方角 NIKON F2 Nikkor 24 mmムーニーズワルンへの道は、通称追いはぎロードと呼ばれるラヤ通りの外れ、ヨワナスワラが毎週水曜日の PM 7 : 30 から、ジェゴグ舞踏演奏をしているプラダラムという庶民専用火葬場から少し進めば、大きな木々たちの洞窟状のトンネルを抜け無い。手前を左上に上っていく。民家と民家がいろいろと生活をしている。昇りきると民家がある。崖っぷちの細い道まで行くとこの絶景が見える。左下の進行方向にムーニーズワルンがあり、モット進めばブリツヂカフェがあり、橋を渡って左を登ればウブドのダリがいた。面白い変人だったが、作品にはお互い興味を持ち合えず友人にはならなかった。家庭をほかして現地女性と暮らし、やがていつのまにかプラダラムのお世話になり、彼の愛した眼下のチャンプアン川に遺灰が流されていた。アントォーニョブランコという名の人だった。チャンプアンという名は2つの支流がチャンプルーされて流れていくからだ。僕はチャンプアン川に流されてくれるのだろうか。僕はチャンプアン川に流されるのをあきらめるべきなのだろうか?ウブドの達人 玉地 俊雄今レオンカバッロの歌劇「道化師」の彼が泣いている。僕は彼ほど悲しくは成ってはいないが次第に深遠に向かってゆきつつある。有名な間奏曲も聴こえ始めている。アル・カポネ氏もこの歌劇に涙した。僕はウブドの最初の鍵を突然無くした。この短い歌劇はもうすぐ終幕だ。マリアカラスのスカラ座での全録音集の、次はトスカ第2幕を聴く。「歌に生き恋に生き」は涙溢れる涙の止まらぬ悲痛で美しい曲だ。僕はウブドに残れるのか。僕はカヴァラドッシであろうとの覚悟をしている。悪を 認識して死せるか否か。
2008.05.26
紫煙のゆらぎ・ムーニーズワルンのナシチャンプルー夜7時を過ぎると、このフォトのように真っ暗で蝋燭が燈される。良い雰囲気だ「人間は食べる葦である」哲学者タマヂィが言った有名な言葉である。食・住・衣は人間生活にとって欠かせぬ必須のアイテムである。食せねば腹が減る。食い過ぎれば体に悪い。僕はナシチャンプルーが大好きだ。ミィクワ。ミィとは麺、クワとはアクワつまり水とか汁のことであるから、といっても、ラーメンでありながら実はインスタントラーメンの猛烈に汁ケの無いぐでぐで状態なのでキライだ。ミィゴレン。ゴレンとは炒める、つまり焼きソバであるが、これもここウブドの高いレストランでは、にっしんのUFOと同じものを出して500円もふんだくる了見が解からない。ワルンなら80円ぐらいなのに。ともかく僕はミィ系を食したく無い。従ってナシゴレンは炒めメシであるが、場所場所でいろいろなんやらかんやらと出てくるものは、サフラン付きとか、トンでもなく辛いとか、いまだに常に食したいとは思えないままである。僕は、だからナシチャンプルーが大好きだ。しかし、超堕落したノーマッドやイブライなどのインタァーナショナルテイストには感心しないし、1食分で5回食せるデワワルンの方がありがたい味を提供してくれる。でも、現地の人々は質素というか、お金が乏しいというかなんというか家庭の食事を基本とする。200円あれば家族7人が1日食事を賄う事が出来る。鶏は卵をくれるし、野菜は引っこ抜くし、ナシは日本の 1/30 ぐらいだ。おんどろどろマーケットのお婆ちゃん達は 、RP 3.000 程で黒米と正体不明の惣菜をバナナの皮に包んで地べた販売をしている。高いと思うか安いと考えるか、計算すればするほどあたまがコングラッチレイシゃってしまう。1万円 ニァリィイクォール Rp 800.000 だから計算してごらんなさい。ますますコングラッチレイしゃうから。**********「オンドロドロマーケット 2」参照ムーニーズワルンへは最終日に出かける事が多い。空港へとの日はレゴンを観る時間が無いからだ。むっちりこってりした美食にいてこまされたストマックに、さわやかな癖の無い綺麗なナシチャンプルーをプレゼントする。ナシが円錐形に屹立してるのは値段が高いという威厳である。日が暮れて暗くなってから出かけると良い。チャンプアンの川の流れが聴こえる一番下の階に下りるのが素晴らしいが、水辺なのでモスキートが多いのだけが難点だ。くだんのラヤ通りを西に進む。「プラダラム」と聞けば方向はわかる。ヨワナスワラが毎週水曜日にジェゴグ舞踏を催している場所である。もっともっともっと進むと、木々が覆いつくした、たかいたかい洞窟のような木々の、トンネルを抜けると其処は雪国ではなくて、ブリッヂカフェの在る場所近くで聞く「むーにーずわるん」なんら問題は無い。一食700円は覚悟せよ。百読は1食にしかず。食する幸せと、本当に美味しいものは、現地の現場でしか味わえない、と東大路玉山人も言っていた。ウブドの達人 玉地 俊雄
2008.05.25
紫煙のゆらぎ・マンダラケイコ 土砂降りの雨を避けていたプリアタンのマンダラハウスからプリサレンアグンへとたどり着いてちょつと一休み。<!--[if !supportEmptyParas]--> <!--[endif]-->していると、随分と白の色いお姉さんが眼にとまった。こまった性格で美人にイカれるのは小学校4年生からハッキリと始まっていた。<!--[if !supportEmptyParas]--> <!--[endif]-->つくづく「天女下凡」には敬意と憧れがあって、じわりと僕をがんじがらめにスグしてしまう。<!--[if !supportEmptyParas]--> <!--[endif]-->「ゆーるっくそーほわぃてぃのーらいくばりにーず」怪しすぎる英語である。「あら わたし日本人ですのよ」<!--[if !supportEmptyParas]--> <!--[endif]-->僕は必ずキットこの時点で、この、プリサレンアグンのホテルフロントの前に在る巨木の根元での日本言葉の至近距離からの一撃に即死した。<!--[if !supportEmptyParas]--> <!--[endif]-->「ほしたら姉ちゃんあんたどっから来たん」「あたしゃぁなごゃあからこっち嫁ん来とるでよぅ」「名古屋っちゅうたら婚礼道具大変やなかったん」「ガルゥダァいっちょチャアタァーしてよ、こんの村の上胴体硝子張りにして旋回させたかったんだけんどよぉ」<!--[if !supportEmptyParas]--> <!--[endif]-->美人のくせになんと言うユーモァも理性もある彼女に出会わざれば、3つの鍵の最期の1つを取りこぼす所だった。<!--[if !supportEmptyParas]--> <!--[endif]-->のちに、このジェロ・ウランダリは僕にこう言った。マンダラケイコ。通称マンダラケイコさん。<!--[if !supportEmptyParas]--> <!--[endif]-->「おみゃぁさんとプリ・サレンでおうたんわ まぁ 運命ぢゃと思とるでよ」<!--[if !supportEmptyParas]--> <!--[endif]-->3つめの鍵を握った瞬間だった。<!--[if !supportEmptyParas]--> <!--[endif]-->しかし、ウブドのプリアタンを知る人々の全てがこの王妃の苦難を知っている。僕はそんな事まるっきり知らずどこぞのどっかえ日本くんだりからよう来はったもんやなぁとしか考えない人だった。<!--[if !supportEmptyParas]--> <!--[endif]-->「僕なこっち来てレゴンラッサムの写心撮ってんねん」「あれま うちんとこおやっさん舞踏団3っつ持っとるでよ」<!--[if !supportEmptyParas]--> <!--[endif]-->本当はここで気付くべきだったが、気にしないのが僕のキャラクタァーで、変人のあっかましさが迷惑かけてありがとう。<!--[if !supportEmptyParas]--> <!--[endif]-->「どこで持っとるん」「プリアタンのまんだら」「さっきまで雨宿りしてなんやかんや似顔絵描かされて子供3人も描いたわ」「あらおみやぁさんそりゃあたしの子供んたちだよぉ」<!--[if !supportEmptyParas]--> <!--[endif]-->次第に知らず知らずの玉ちゃんモードに入ってくのが分かる。僕は波長が合えば3分で友達となる。チョコルダ氏もそうだった。<!--[if !supportEmptyParas]--> <!--[endif]-->「プリアタンちゅうたらひよっとして金曜日に観たテイルタ・サリ?」「そう」 「そやったら金曜に赤い服きて踊っとった女の子撮影さしてくれへん?」「いいですよぜんぜんもんでゃーあらせんでだいじょうぶだでよぉ」<!--[if !supportEmptyParas]--> <!--[endif]-->西からのぼったウランダリ( 満月 )、ひがし~いにしいず~ぅむ。これでいいのだ天災バカタマ。マンダラケイコさんとの出会いだった。<!--[if !supportEmptyParas]--> <!--[endif]--><!--[if !supportEmptyParas]--> <!--[endif]-->ウブドの達人 玉地 俊雄<!--[if !supportEmptyParas]--> <!--[endif]-->大阪人と名古屋人が話をすると吹き替えが必須なので、大部分の音声を吹き替えてお届けしておりますが、ウランダリ嬢は日本標準語、僕は大阪弁でした。http://plaza.rakuten.co.jp/balitama/<!--[if !supportEmptyParas]--> <!--[endif]-->you tube ***** balitamaji ( 日本語版 ) *** sakamotoakane ( English ) http://plaza.rakuten.co.jp/balitama/
2008.05.25
紫煙のゆらぎ・サテカンビン 「人間は食べる葦である」 哲学者タマヂィが言った有名な言葉である。 食・住・衣は人間生活にとって欠かせぬ必須のアイテムである。 食せねば腹が減る。食い過ぎれば体に悪い。 さてさて、サテカンビンの第2稿である。場所は第1稿で述べたが念のため **********「カンビンスープ」参照 ラヤ通りを巨大なラーマヤナ像に向かって進む。 「サテカンビンワルン?」 と尋ねるだけでたどりつける。 いちばん上は誰がどこからどう見てもナシ。( 飯 ) 真ん中が、世界に名を轟かせ、世界の糞みたいなカッコだけ高級店の怒天狗っ鼻を、ヒィヒィうたわしまくった幻の、サテ ( 串 ) カンビン ( 山羊さん )。 辛いのだが、微妙に甘くも感じる味噌のようで正体不明のタレが付着している。 少しぐらい硬くっても、この絶妙の味は、サンポロナという紫煙と供に、癖が常習者となって人々をこのサテカンビンワルンへと呼び戻す。 トレビの泉など屁でもない。 もう1軒、王宮プリ・サレン・アグンをジャラン・スゥエタの方向に6分ほど進めば左側にも同様のワルンもあるが、こちらのほうが断然美味しい。 大阪通天閣ぢゃんぢゃん横丁のどてヤキも、3歩下がって直立不動の敬礼をいたすほどの、世界屈指の魔可不可思議の美味と断言してよし。 ここには冷蔵庫はあるのだが、飲み物はエステ ( アイステイー ) を除いて苺スプライトもコーラもビイルも全てぬっるい。氷などは床において叩き割るここウブドではいけませんと言うが、そんな事は運の良し悪しだけの問題である。飲み物とサテカンビンのセットで300円もしないから、ハンパなおつりなどは差し上げようではないか。 百読は1食にしかず。 食する幸せと本当に美味しいものは、現地の現場でしか味わえないと東大路玉山人も言っていた。 ウブドの達人 玉地 俊雄
2008.05.25
ダブルデライトという名の薔薇 ハッセルブラドのゾナー150mm * PENTAX 67マウント改造器 長居植物園の薔薇 紫煙のゆらぎ・あぶすとらくと(芸術か猥褻か)写真の中で、最も表現力が必要で、慎重に自己の限界と力量のバランスと決意を覚悟して望まねばならない被写体は、異性という、永遠の人間と言う生き物の根幹を作る、愛と憎悪の、ぎりぎりの狭間を彷徨い続ける混沌に、真正面から向き合うという、たましいの決断というテーマである。老いた哲学者サルトル氏の老いた妻、ホーボワール女史はこう発言した。「愛には多少外科的なものが必要なことがある」恐怖の真理だと思う。同じく哲学者であった彼女は年老いて、年老いたから、いや、年齢など飛び越えて「外科的」との、謎と、真理に、真正面から答えたと考える。猥褻と感じる人の心にはわいせつが表情にも表にも裏にも見え隠れするはずだ。天地自然の創りたもうたものたちの、いったい何処に猥褻などあろうものか。心が猥褻を、いや、わいせつが心を支配しているからだ。年老いて枯れる。枯れてから理解できる事どもも確かに在る。ボーボワール女史の「外科的」という謎の真理は、この事は生命必須の真理として肝に銘じて作品を創らねばならないと警告をはっした名言だ。当然鑑賞者の真理も問われて当然なのである。覚悟と決意は在るのか。この大切な、真理の真髄が理解出来無い愚者には、この根幹が終生解かるまい。僕の心の師、故手塚治虫先生は僕にこう言った。「玉地さん綺麗に見える華は全て生殖器なんですよ」僕はボーボーワール女史と手塚治虫先生も、当然僕も、昔からこの真理を理解していたからこそ、芸術と思想に参加する資格を持っていると確信している。生命の真理は愛の中にこそ有り、愛は生殖に真理を求め、文学も音楽も芸術の倫理も全て、成り立ちはこの真理に基づく。表現とは何か。自己とは何か。表現する事に覚悟はあるのか。この確信の無い奴は、ただの野獣であることすら自覚できない馬鹿野郎が多くて困った事だ。エロまんがを我が子に堂々と見せられない哀しい漫画屋。殺戮ケームを開発して糊口をしのぐ人々。だから、僕は写心を精神とたましいを濾過させて写心として表現する。かかつてきたまえ。写心家 玉地 俊雄
2008.05.24
紫煙のゆらぎ・マカン サテカンビンスープ 「人間は食べる葦である」 哲学者タマヂィが言った有名な言葉である。 食・住・衣は人間生活にとって欠かせぬ必須のアイテムである。 食せねば腹が減る。食い過ぎれば体に悪い。 さて、ロイヤルビタマハにて下賎なるモノと評された、サテカンビンはバリ島ウブドはおろか、世界中のゲセワなる者どもの食する餌の仲でも、屈指の美食である。 と、東大路玉山人先生は、はっきりと言われて居られた。 「たかが舌の先から喉の奥までの楽しみ」 「北大路とかなんとかぬかしくさったエセがおったが、高ければ良いとか、料理人の魂とか、器が国宝だとかと言っては、舌は靴べらのくせに、いやに銭だけ持ってふんぞりかえっとるヤカラに取り入っておった」 こうも申されているのもお聞きした事がある。 「銭というものは、持てなかった人々のウラミと、無くしてしまった人のノロイがかかっておる。従って、戻しそうになるほど溜め込み、吐き出すのを我慢しておると、そやつの心と体に良くない事が必ずおこるのぢゃ。わははのハ」 聞かせて頂けた私くしはその通りだと感心しました。 「廃業した吉兆とて何処とて言いだせばキリが無いが、全て、こやつらから銭をふんだくろうとか、見栄で高いものを有り難がる、小銭持ちドモの靴べらの舌に解かろうはずはない」「廃業した吉兆は運が悪かったのぢゃ。他の吉兆ども、他山の火事とばれぬよう勤めておる。キリが無いほど、全ての高級料理店が恐れおののいて居るはずぢゃわい。早く忘れてくれるのを待ってのお」 「騙されておるのぢゃ」 「仏蘭西のみしゅらん如きにコビヘツライオって裏工作までしておる代償の星の数が、何の価値も無いことに気付け馬鹿者。仏蘭西人に大阪通天閣のドテやきの美食が分かろうはずもあるまい」「ワシはサンフランシスコから来たシェフとか美食家たちといろいろ食したが、うどんスキが好きと言っておった。砂糖と、食い続けれは死ぬほどのあぶらの甘みがスキなどとヌカス、連中の阿呆さを示しておったわい」 「そのシェフどもにバリ島ゴアラワの浜辺にて創る天然インド洋の塩をばくれてやった。1人のシェフがおいしいと言っておった。当たり前ぢゃ。しかしその後がいかん。先生はこの塩を肉にお使いですかそれともシーフードでしょうか、とワシに聞きおった。市長の宴席の手前もありワシはこらえて、( キサマは馬鹿か、胡椒のために欧州が非道の限りをつくした略奪の大航海時代は、腐った肉の為にあった。天然自然の海から海夫が、古式製塩法にて作りし貴重なこの塩をド腐った肉に使う等、玉山人は許さん。シーフードに使いたまえ。そんな愚問に思いも致せぬ馬鹿かキサマは ) との事を、シーフードである。とだけ答えてやったワイ」 結論として、東大路玉山人先生のおっしゃられた事。 「美食とのカタリはみなエセぢゃ。」 「北大路魯山人君を偶像と傀儡にした、悪徳のタカリとの醜態に気付かず、エセグルメと称するヤカラどもに、騙されても騙されても気付かず、宴席を持ち上げる幇間のごときヨィショに乗せられて、高い銭で正面からはりたおすやつらのおる限り、美食の名が、魯山人君の名で騙し続ける事であろうな」 「今となっては魯山人君がかわいそうに思えてきた」 私くしは先生のお言葉、この時肝に銘じ以後精進しております。 僕はラヤ通りを歩いてユリアティハウスへよく出かける。ユリアティハウスのHP yuliati_house.at.infoseek.co.jp 10分ほど歩くと、プリ・サレン・アグン側のワルンの中で、ひときわヘンテコリンな、山羊の皮を引ん剥いた足がぶら下がっている処が目に飛び込み驚く。 サテ( 串焼き )カンビン ( 山羊さん )の美食である。 そのスープたるや。 現地現場で食するは美食の本質である。 と、東大路玉山人先生の仰られたとおり、本当に美味しい、辛い、濃厚なのにさらりとした味は、味わった事の無い人にいくら文章で書いても嘘になるのがつらい。 百読は1食にしかず。 食する幸せと本当に美味しいものは現地の現場でしか味わえないと東大路玉( gyoku ) 山人先生も言っていた。 ウブドの達人 玉地 俊雄 ひとつだけ。このワルンは回教徒の人だから人を撮影しては絶対にいけません。
2008.05.24
篆刻 掴 雲 心 事 人 不 知 ( だうんのしんじをひとはしらず ) 嗚呼、僕の、雲をも掴み捕らんとするごとき志しを、誰も解かってくれない。 紫煙のゆらぎ・ほんたうにこんな夢をみた( 覚醒後 ) 今、名も知れぬ演奏者の弾くバッハのオルガン全曲集CD20枚のどれかを聴いている。バッハのこの全曲集ほど心と魂を癒す音楽は無い。 ヘルムート・ヴァルヒャである必要すら無い。 此処まで書いて来た事どもが僕を追い詰めているのは解かる。 ブログとは何か。解からない。 日々の日記帳には異質・異常な狂人が紛れ込み発狂しているのだけは自覚している。 果たして、僕の掴雲の心事を人は不知なのだろうか? ここは列車のコンパートメントだろうか。 オリエンタル特急独特のマホガニィをふんだんに使った個室のようだが、マホガニィの茶色のくすんだような色彩が無い。 右側の窓の外には数人の人々が中を覗き込んでいる。 そのギャラリィの手前で若いメガネをかけた女性が誰かに指導を受けている。 見慣れたようなディスプレイとキーボードも見えている。 僕のアトリエかもしれない。 音楽に関して彼女たちは行き詰まっているように感じた。 僕は素手で、ほらこうやって音楽に乗るんだよと、振って指揮法を見せてあげた。 彼女に指揮棒を渡した。 僕は、指揮棒を持って、ゆっくりとした曲調が流れているのにあわせて指揮をしている。 彼女も付いてくる。 簡単だろう。これが音楽の楽しみなのさ。 曲調が激しくスケルッッオに変わってくる。 僕の指揮棒は激しくこの音楽を追い始めた。 はっと気付くと、薄暗い天井に仰向けになって目が覚めている。 朝からリピートをかけて聞き続けていた、カミュ・サンサーンスのオルガン交響曲の第3楽章が鳴っている。 起き上がるにはつらい僕は、空へ向かって素手で指揮を始めた。 やがて来る終楽章の、有名なオルガンとオーケストラの大咆哮が響き始めると体全体が反応を始める。 そのすぐ後には、ピアノとオーケストラの融合した、特徴の在る綺麗な音楽が始まる。 そういえば、三下り半を妻に突きつけられて、年内離婚となるであろう友人A・Hはどうしているのだろう。 ***********「紫煙のゆらぎ・熟年離婚友人A.H」参照 彼はこの交響曲をきいて涙したといっていた。 まさかこの終楽章ではあるまい。 だってこれは大言壮語のコケオドシだもの。 第1楽章の途中で、静かにオルガンがオーケストラに被さって来る処かもしれない。 あの場所にある音楽は確かに素晴らしいが、たかがオルガン交響曲ごときに涙する程の音楽観しか持たぬA・Hにはその美質など解かるまい。 コーダの最終部が終わって僕は起き上がった。 リピートをビリーホリデイに変えて、PCのスイッチを入れて、この原稿を書きはじめている。 ビリーホリディのしわがれたようで美しき歌声が、暖まり切って快調なWE300Bの真空管アンプを通って僕に囁きかける。 快調なテンポで歌われる What a little moonlight が気分を爽快へと導き始めている。 覚醒して少し立ってPCの画面を見ると、変換ミスと、とんでもない怪獣誤字羅のような文と、誤植の団体列車のようになっている。 一旦保存してもう少し休んでから修整しよう。 PCがシャツトダウンすると、リピートの What a little moonlight がリピートして来た。 ほんたうにこんな夢を見た 3 2008年5月24日・午後12時59分をPCの右下は示している。 半覚醒後の 玉地 俊雄だろうか?
2008.05.24
紫煙のゆらぎ・こんな夢を見た オルガン交響曲 これは校正ナシの覚醒直後のボケにボケきった状態の生原稿である。今バッハの名も知れぬ演奏者の弾くオルガン全曲集の中のどれかの1枚が鳴っている。この全集ほど心と魂を癒す音楽は無い。ブログとは何か。解からない。狂人が電脳日記帳に突然乱入して発狂している事だけは理解している。この生原稿はさくらんが乱数表と暗号文に化けたような奇っ怪な文書であるゆえに、あえて、そのままで、諸君に公開しようとしている。狂人とその本質を御笑覧下さい。 ここは列車のコンパートメントだろうか。 オリエンタル特急独特のナホガニィをふんだんに使った個室のようだが、マホガニィの茶色のくすんだような色彩が無い。右側の窓の外には数人の人々が中を覗き込んでいる。そのギャラリィの手前で若いメガネをかけた女性が誰かに指導を受けている。見慣れたようなディスプレイとキーボードも見えている。 ボクノアトリエかもしれない。音楽に関して彼女たちは息綱っているように感じた。僕は素手でほらこうやって音楽に乗るんだよと振って指揮法を見せてあげた。彼女に指揮棒を渡した。僕は指揮棒を持ってゆっくりとした曲調が流れているのにあわせて指揮をしている。彼女も付いてくる。簡単だろう。これが音楽の楽しみなのさ。曲調が激しくスケルッッオに変わってくる。ぼくのも指揮棒は激しくこの音楽を追い始めた。 はっと気付くと薄暗い天井に仰向けになって目が覚めている。 朝からリピートをかけて聞き続けていたカミュサンサーンスのオルガン交響曲の第3各章が鳴っている。 起き上がるにはつらい僕は空へ向かって素手デ式を始めた やがて来るだい4賀正の有名な6おるがんとオーケストラノだいほうこうが響き始めると空だぜ大河反応を始める。 そのすぐ後にはピアノとオーケストラの融合したと朽ちようの在る綺麗な恩各が始まるそういえばみくだりはんをつまにつきつけられて年内離婚のAHはどうしているのだろう。彼はこの交響曲をきいて涙したといっていた。 まさかこの雌雄楽章であるまいたいいちがくしょうの最初に静かに居る菅゛がかぶさってくるところかもしれない。コーダの最終部が終わって僕は起き上がりリピートをビリー彫りデイに変えてPCのスイッチを要れこの原稿を描いている。びりーほりでいのしわがれたようで美しき歌声がテク地下地李にかかり衣moonlightWhat a little moonlight と4亭始めている。 覚醒して少し立つ手PCの画面を見ると変換ミスととんでもない怪獣誤字ラのような文と誤植の団体列車のようになっている。一旦保存してもう少し休んでから修整しよう。 ほんたうにこんな夢を見た。 20085241259をPCの右下は示している。 半覚醒後の玉地俊雄
2008.05.24
紫煙のゆらぎ・アグンマンダラ翁 バリ島も含めインドネシアがオランダの植民地で有った頃、フランスはパリで開催された「植民地博覧会」へとグヌン・サリを、チョコルダ・プットラ大王の父と供に、北の王宮プリ・カレランの王、アグンマンダラ氏が連れて行ったのが、そもそもの芸能・芸術の聖地バリ島ウブドビッグバンの始まりであった。 手塚治虫先生が、大阪まっちゃまちで「新宝島」を発表したのと同じ事だった。 ストラヴィンスキィの Le Sacar de Printemps の衝撃と同じだったろうが、この公演は賛辞の嵐だったのが「春の祭典」初演と違う処だ。 :*********「紫煙のゆらぎ・大骨変人クナと凡凡カラヤン 2」参照 以降民俗学と音楽関係の欧米人が、来るわ来るわで混乱してゆくはめとなる。 元来、レゴン( 舞踏 )は、オダランというバリ島独特のサカ歴という、西暦とも皇紀とも違うカレンダァーによる 210 日ごとにやって来る、各村々の氏神に奉納する神聖な舞踏であった。 特に「サンヒャンドゥダリ」という純白の衣装、チョンドンの深紅と正反対色の衣装で踊られるこの舞踏は、バリの自然と人間を活かせるシイヴァに奉納する為だけに踊られるものだった。 僧侶が鈴を鳴らしつつ隊列を従え、純白の、初潮の無い無垢の少女2人を担ぎいただき、神を讃えて祈る。 聖水ティルタを全てに施し、少女たちに神の冠ゲルンガンを与える。 聖女・巫女はガムランの響きと供に目を閉じたまま舞踏を始める。 ゆっくりとしなやかに神の恵みと慈悲を讃えて。 閉じられた眼は、やがて、神が我が身に降神して下さるのを待っている。 突然 降臨された神の魂が2人の少女の体を稲妻・クピヤールのごとく激しくトランスへと昇華させて舞われ、2人の巫女たちは失神して倒れる。 ゆたりとしたガムランの響きと供に終わる、この舞踏は神への生贄の舞踏であった。 僕はオダランの祭りには幾度か参列させてもらった事がある。 「サンヒャンドゥダリ」は観た事が無い。 選ばれた聖女たちは言う。 「本当に神が降臨してきます」 「本当に気が遠くなります」 僕はこの映像を5回分持っている。 世界に向けて発表発信する為にはチョコルダプツトラ大王の署名が必須である。 観光用ではあるが、パンチャ・アルタのプリ・サレン・アグンでの公演映像は世界的にも貴重な記録として僕のPCの中に在る。 諸君力を貸してくれないだろうか。僕が没すれば全てが無となってしまう。 これら全ての責任は北の王宮の前王、Anak Agung Gde Mandera 氏に在る。手塚治虫先生の「新宝島」と同様に。 ***********「紫煙のゆらぎ・ティルタ・サリ芸能の真髄 1.2.3」参照 バレルンのHP http://www.peliatan.com/balerung/jp/index.html ウブドの達人 玉地 俊雄 舞踏映像があります。この映像にはプリサレンアグンの王チョコルダ氏の言質による放映権の承認が映像ジャーナリスト玉地俊雄に与えられています。http://plaza.rakuten.co.jp/balitama/ の No 126 参照。 you tube ***** balitamaji *** sakamotoakane ** に映像あり。 MIXI 画像は個人的に、または山田企画まで連絡をください。これらの映像の放映権は映像ジャーナリスト玉地俊雄と Yuliati-Bidani との間に肖像権使用許可の直筆契約があります。http://plaza/rakuten.co.jp/balitama/ の No 63 契約書原本参照。
2008.05.24
椰子の実 紫煙のゆらぎ・マカン 3 椰子の実椰子の実はオールマイティである。ナタで切って汁を飲む。飲みきれず、ペットボトルに保存して冷蔵庫に入れた椰子の実ジュースは、めっちゃんこっちゃんに美味しい。こんなに美味しい生ジユースは現地の現場のフレッシュでなければ味わう事が出来ない。「人間は食べる葦である」かの有名な哲学者タマヂィ氏の有名な言葉である。まさにその通りだと僕も同意する。こんなに美味しくて癖の無い、砂糖だらけの日本のジュースごときとは、比べようも無いほど美味しい生ジュースなら、2リッタァーぐらい一気飲みしても良い。この生ジュースからはむっちや美味しい椰子酒が出来る。糖度の強いウマイこの酒は、醗酵を続け、生きているのでたちまち飲んであげねばならない。ペットボトル等で蓋をしようものなら、たちまちのうちに容器が太り始める。たちまち飲んであげねばならない。村で密造?される出来立てのアラックという酒も同じだ。お土産用の、装飾だらけの薦被りの様な、ゲテゲテと飾り立てられたアラックを、アラックだと信じ込んで上司に土産としてうやうやしく渡せば、真実を知る上司が居って運悪く彼に渡せば、沖の鳥島勤務に飛ばされるかも知れないゾ。りぃ~とるえれふぁんとりぃ~とるえれふあんと そぉゆぁろ~んぐのーぉず しゅぅあまいまざぁー のーずろんぐとぅ~たっのしいなったらおっもろいなあちょんわちゃんわちょんわちやんわちょんわ現地の現場にて食すべし。偽物など持ち帰り自慢してはならぬ。本質を侮辱する行為であるぞ!「誰であるかっ? 僕のアラックぅにぃあるこほぉるうを 入れたのはぁ~誰ぇ僕は何処~ぉ?翌朝目覚める。昨夜の放歌高吟は楽しかった。良い時間と良い酒であった。さてさて、椰子の実はこれでは終わりませんよ。ナタで、カラ椰子割りにまっぷたつにして、白い内壁をスプーンでほじくって食べる。これはココナッツパウタァーとなる。荒皮と白い内壁の間を守る堅い内皮は、お椀状の容器なり、みやげ物として加工される。荒皮は燃料として、かまどで燃やされ、酸素とくっついてCO2となる。更に、この椰子汁は煮詰めに煮詰められ椰子糖になり、甘味料やみやげ物となり、そして、紫煙のゆらぎの本体であるサンポロナ・マイルド・メンソールのフィルターに滲みこんで、僕を龍之介「煙草と悪魔」へといざなう。偉大なり椰子の実。「現地の現場にて食すは美食の真実である」美食の哲人、東大路玉山人の言葉である。ウブドの達人 漫画家 玉地俊雄
2008.05.24
椰子の実を落とすナンガ氏は左上で手を振っている。 紫煙のゆらぎ・猿人ナンガ彼はテガランタンの宿から僕をウブドの中心部プリサレンアグンへと送迎してくれる。彼はまた、木登りのオーソリティでもある。猿人ナンガ。素手と裸足でするすると椰子の木に登る。平気でするすると登ってしまう。木登りして、高い細い枝などものともせず、下向きに駆け下りてくる子猫TAMA 同様に、僕のような異邦人にとっては脅威と賞賛に値する荒業である。彼に言わせると、「椰子は男性だ」そういえばそう見える。屹立する椰子の木を背にして座って休憩するのは危険だ。1秒間9800mm の加速度で突然落ちてくるかもしれない椰子の実は危険だ。加速度は秒数ごとに乗倍されるから恐ろしい衝撃となって地上へ落下する。硬い石の道路などに落ちると割れる事もあると聞く。椰子の木には気をつけなさい。庭にはいっぱい椰子の木が生えておりたわわに実がなっている。黄色いのは未熟で少し濃いダークネスになると、リクエストに応じてナンガ氏がやって来る。もぎたての椰子の汁はとっても美味しい。東大路玉山人も絶賛する完熟椰子の実は中を割ればココナッツまで食せる。全てが美味である。ウブドの達人 漫画家 玉地俊雄 you tube ***** balitamaji ( 日本語版 ) *** sakamotoakane ( English ) http://plaza.rakuten.co.jp/balitama/
2008.05.24
チョコルダ大王のロイヤルピタマハホテルのナシチャンプルー 紫煙のゆらぎ・マカン 2「人間は食べる葦である」哲学者タマヂィが言った有名な言葉である。食・住・衣は人間生活にとって欠かせぬ必須のアイテムである。食せねば腹が減る。食い過ぎれば体に悪い。同じナシチャンプルーでも、チョコルダ大王の4つのホテルの中でも、最新のロイヤルピタマハで食するは、流石大ホテルだけの豪華さとインターナショナルテイストで食べるのにはなんら問題は無い。黄色く着色されたストゥーバのように尖がったナシは、ほのかなウコンのような味がして美味しい。市中のワルンとは違ってハイソサエティの味で僕たちを迎えてくれる。付属している鶏肉フライなどは甘いケチャップの味がして、辛いもんギライの人にも大丈夫である。東大路玉山人は、日本人専用のこのホテルにたびたび招待を受けて、日本人専用のチーフマネージャーのジェロ・ウランダリ女史と談笑する時間が楽しくて食するもなかなか良し。と言っていた。ただ、ウブド中心部より少し距離があるのだが、宿泊者の振りをしてプリ・サレン・アグンの雨天劇場前を出発する送迎バスに便乗するか、バイクタクシーで Rp 10.000 で出かけれは10分ぐらいで到着する。景色が驚くほどの絶景で之を楽しみながら、マンダラケイコ話を聞くのも楽しいと玉山人氏は楽しげに語っていた。「サテカンビンなどはござらぬか」「あいにくそのような下賎の食は取り扱い致しおりませんのよ」「それはしたり。残念にこざそうろう」あくまでも、高級ホテルの豪華レストランである事で、値段は、大王及びジェロ・ウランダリのゴチなのでわからまへんのだが、悪名の吉兆ほどはすまいて。百読は1食にしかず。食する幸せと本当に美味しいものは現地の現場でしか味わえないが、たまにはこれも風流ではないかと東大路玉山人氏も言っていた。 ウブドの達人 玉地 俊雄you tube ***** balitamaji ( 日本語版 ) *** sakamotoakane ( English ) http://plaza.rakuten.co.jp/balitama/
2008.05.23
ワルンカチューのナシチャンプルー 紫煙のゆらぎ・マカン 1「人間は食べる葦である」 哲学者タマヂィが言った有名な言葉である。食・住・衣は人間生活にとって欠かせぬ必須のアイテムである。 食せねば腹が減る。食い過ぎれば体に悪い。 ワルンカチューは、ラヤ通りの中央部ジャランハヌマンの奥にあるから聞く。「うぇありずじゃらんはぬまん」 角に小さな古本屋があるからその道を奥へ進む。「うぇありずわるんかちゅー」全然大丈夫必ずたどり着ける。 お勧めは「ナシチャンプルー」沖縄に、いや、日本全国に「ゴーヤチャンプルー」なる食物名がある。ちゃんぷるー、は混ぜる事でナシとは飯の事であり起原は同じかもしれない。 「ちりりとるぷりーず」 このひと言で、とんでもない辛さは避けてくれるのがこのワルンの親切な所だが、やはり辛い事は辛いのは仕方が無い。 右上側のスープは確かに辛い。左下の飯には正体不明の食物が乗っているが、レシピは知らぬが幸せであるから聞かぬほうがよい。ウルタンの製造方法など聞いてはならないが食するブンには不思議にうまい。 もし、小さく刻まれた青色の野菜状の青唐辛子があれば、初心者はこれを避けるべきである。お代は230円ほど。 百読は1食にしかず。食する幸せと、本当に美味しいものは現地の現場でしか味わえない。と、東大路玉山人も言っていた。 ウブドの達人 玉地 俊雄 you tube ***** balitamaji ( 日本語版 ) *** sakamotoakane ( English ) http://plaza.rakuten.co.jp/balitama/
2008.05.23
家族を飲み込もうとするシモ NIKON F2 * NIKKOR 15 mm 紫煙のゆらぎ・老犬シモ シモは老犬だ。年は聞いた事も無い。Tegallantang 在住。シモとの付き合いも長い。 10年ぐらいかな。年はいくつ?英語で聞いても無視するし犬語は解からない。 まぁどうでもいいや。 最初にテガランタンという村で彼に会ったときにはもう既に老犬のようだった。 と言う事は、今ではかなりの老犬であろう。 暑いので、僕の部屋の階段の下に風の通り道があり、 そこで寝っ転がってる事が多い。暑いので、逆に僕が縁側の広いアラバスタァーの床に腹ばいになってると、若紫のルナが、灰色になった彼女の枕を持って走ってくる。 最近やっと歩けるようになった弟のアディティも負けぢと同様の枕を持ってくる。 トリマカシ~イ.ルナ,アディ,トリマカシ~イ.シモも、のたよたと近づいて来てから、ごろりと背を向け添い寝を始めてくれる。背をなでてやるとひょいっと僕を振り返るがすぐ自己の世界へと戻る。彼の毛並みは実に素晴らしい感触で僕の心を和ませる。ルナやアディの親切な枕同様の素晴らしい癒しとなって僕を和ませる。彼女たちの枕は灰色だ。シモの毛並みはガサグシャだ。ゴワゴワを飛び越えて素晴らしい自然犬の感触となって、僕の若紫の無垢の愛情と供に僕の心を癒してくれる。犬独特の臭みなんか全く無い。ホコリの香りがするだけだ。彼も枕も洗われた事など1度だに無いのだろう。素晴らしい生き方だと思う。カザルスの故郷カタルーニャのようだと感じる時も有る。不思議な啼き声の、名も知らぬ小鳥が歌いながら大空を飛んでいる。「 ぴ~す ぴ~す ぴぃ~す 」動物も人間も蛙も虫も鳥も調和して宇宙船地球号の地球家族だから。*****「茶碗1杯のご飯」「命」「子ねずみが三匹」「薔薇」「キリギリス」 参照 そんなこといいな なんでもいいや あんなこと こんなこと できるのい~いな~。 平和がふんぞりかえって昼寝をしているのである。すまん。ふた言だけ。日本は狂って居る。****「楽園バリ島ウブドで本当にあった怖いお話」参照愛玩動物と呼ぶな家族と言いなさい。家族をあなたは鎖で縛りますか?ウブドの達人 玉地 俊雄you tube ***** balitamaji ( 日本語版 ) *** sakamotoakane ( English ) http://plaza.rakuten.co.jp/balitama/
2008.05.23
Anak, Agung, Gde, Oka, Darem. と Tamaji Toshio 紫煙のゆらぎ・BALI-UBUD,Agreement の骨子プリアタンバンジャールのバレルン劇場だけに Tamaji に小さなスペースを提供し、ティルタ・サリ舞踏団等のブロマイドをセット販売する。HP http://www.peliatan.com/balerung/jp/index.html制作原価を除く販売による余剰。この半分をティルタ・サリの芸能継承と発展の為にドネイションする事とする。この半分は玉地俊雄が新作品を提供する為に使用する事とする。玉地俊雄の権利を管理する者は別途定め玉地俊雄の権利の5%を管理委託の労に供する事とする。ウエブサイトに動画見本映像等を公開する事も許可する。グンタ・ブアナ・サリ舞踏団は次回プリアタンへ来たときに撮影し同様にする。同余剰は ティルタ・サリと同等とする。こんな事が言質ではあるが信頼と友好関係の上で合意された。プリサレンアグンの大王チョコルダ・グンデ・プットラ・スカワッティ氏との言質合意同様もう後へは引けない。バレルン劇場ではノーフラッシュにも拘らず、小さいのやら威圧するのやら、撮れば撮るほど馬鹿に落ち込む阿呆カメラで、数多くの、真っ黒の中にほとんど何も記録されていないシマッタちゃんや、センスも、技量も、アングルも、どうしようも無い駄作がウエブに出回ったりするより、この際、ウブドの達人コレクションの公開ついでに、衆人納得の来場記念ブロマイドセットにし販売しよう。*********「噂のナイコン 3 と 4 」 参照僕は許可を貰い節度を保っていた。との、どこかうやむやだが、しかし、ハッキリと、なしくずし的雰囲気の中でこんな話が決まった。ここバリ島ウブドでは契約書より言質のほうが重要である。他人友人何ん人を問わず、大声で罵倒する事。約束を反故にする事。左の手でオランの頭部に触れる事。大酒に飲まれて醜態をさらす事、特に女性は厳禁である事。両家の合意の無い異性に対して礼節を守る事。必ず気を付けて下さい。ウブドの達人 玉地 俊雄you tube ***** balitamaji ( 日本語版 ) *** sakamotoakane ( English ) http://plaza.rakuten.co.jp/balitama/
2008.05.23
息を止めているのを忘れてまで看る至近距離のおかさんの舞踏は超人技である。 HP http://www.peliatan.com/balerung/jp/index.html 紫煙のゆらぎ・ティルタサリのアナツ・アグン・グデ・オカダラムオカダラム氏とは長い付き合いだ。マンダラハウスでの出会い。雨宿りのあいだに描いた似顔絵。わんすあぽんなでい、ふらりとプリアグンへ行くと、汚れた半ズボンとランニングシャツを着て、たった一人でなにやら舞台の飾り物を器用に作っていた。「やあおか、すらまっぱぎ。」上目遣いで、独特の笑顔をしながら無言の挨拶する。「わっつあーゆーどういんぐ?」ほらこれ、と、器用に作っている大きなバナナの皮を丸めた、舞台飾りの端っこを無言で見せてくれる。彼は無口な人である。ダンスの指導時も冷静で無口だ。最初のマンダラハウスでの出会いは、少し日本語男から紹介された言葉。「ダンスする人オカさん」似顔絵を描いているときは恥ずかしそうにしてなかなか上を向かない。嬉しそうに僕の似顔絵を見て握手を求めてきた時も、今無言で笑い顔をみせているのも同じ表情だ。この人は、僕のように激怒を食いしばったり、手塚先生のように怒鳴りわめき散らしたりしないタイプの人だろうか。「わっちゃねーむ」「おかさん」「ののふるねーむ」「おかさん」表情ひとつ変えず、にたりくらりと独特の笑顔は変わらない。正式な名アナッ・アグン・グデ・オカダラム世界に名をとどろかせる脅威のサウンド、炎に立ち昇る金粉の煌くごとき名器、バリのストラディヴァリウスのように、高音域の、人間の耳には聞こえないという嘘を証明できる証拠の、モット高音域に密に集まる巨大な音塊による、独特で世界唯一の響き、ヴアルネリウスのような響きでは絶対に無い、世界最高の美質を聞かせる名器ガムラン・スマル・プグリンガン。終演後僕はこいつをしばきまわして1人悦に入る。当然メロディでもなんでもない嘘の響きだが、欧米人達はヴラヴォーと言ってくれる。たいしたもんだよナリキリ偽物ティルタ・サリ。僕のアトリエにある、同じ楽器工房特注スマルプクリンガンのガンサなどとは別世界の素晴らしい響きを発する。イタリア・クレモナの栄光を30楽器集めてもかなわない音の響きだと思う。そして、ティルタ・サリの演奏会。前奏曲 スカールゲンドット。 あー僕はまたふるさとウブドに帰ってきた。第一舞踏 プスパ・マカァール。 あぱかばーるうんとヴィルコメン散華舞踏。第二舞踏 レゴン・ラッサム 僕が、ビタニとユリアティのライブという至近距離からの直撃弾に即死した事は、まるで、徳沢園脇の登山道から蝶ヶ岳ヒュッテへと辿り付き、常念小屋・西岳ヒュッテ・槍ヶ岳ヒュッテ・南岳避難小屋・北穂高小屋・穂高岳山荘・岳沢ヒュッテ各泊との大縦走を再現するほど数多く諸君に述べ続けた。これは、シィヴアが僕に命じた大切なライフワークとなった。第参舞踏 クビャール・トロンポン ダンスする人はおかさん。このはにかみ笑顔の、汚れた半ズボンとランニングシャツが、ビタニやユリアテイより、もっともっと、もんのすっごく化けて大化けする。呼吸を忘れて苦しくなって、それでも、また呼吸が止まって看続けるおかさんの舞踏は、隣に座った7才児でも、凄いとゆうとったのはホンマの話や。おかさんは、テイルタ・サリのリーダーで、ウブドの達人の古くからの友人である。ウブドの達人 玉地 俊雄you tube ***** balitamaji ( 日本語版 ) *** sakamotoakane ( English ) http://plaza.rakuten.co.jp/balitama/
2008.05.23
篆刻 愛中有真意 紫煙のゆらぎ・女性 天女下凡女性とは受け入れを許す人なのでしょうか。 男性とは奪い取ろうとするだけなのでしょうか。 女性は流されたゆとう人なのでしょうか。 女性とは母性なのでしょうか。 母性こそ愛の中に真理有りだと考えますが違っていますか。 男性の愛の中には違う形の真理が有ると考えますが違っていますか。 煮ても焼いても食えないお肉だよ。 果たしてそうなのでしようか。 女性リュウは架空の理想として男性のサガが作り上げたヒロインです。 男性は「天女下凡」に理想を重ねます。 男性は獣性なのでしょうか。 女性とは気に病むことなく流れてゆく人々なのでしょうか。 お教え頂けないでしょうか。 あなたは前稿のトゥーランドゥットをどう思われますか。 第二幕の冒頭・3人の道化大臣ピン・ポン・パンの歌。 「美しい懐かしいふるさと」 は唯一・一番美しいアリアです。 ふるさとの名を借りた母性にすがっている様にも聴こえます。 男性の僕には本当の母性が解かりません。 無償の愛だけでしょうか。 女性とは慣れて、考えるのを忘れるのですか。 教えて頂けないでしょうか。 考える足玉地俊雄は欺かれ辛抱できなくなって今日 「天女下凡」 を書き直しました。 僕のゆらぎに女性の皆さんはどう思われますか。 日々の生活に流されてどうでもよい、とは違うことは感じませんでしたか。 母性とは命をはぐくむ生き物でしょうか。 ただそれだけですか? 僕は普通の無能の人で考える足ですが、女性の母性と男性の獣性だけでは無い、 愛情と憎悪の融合が芸術・文化・文学の真理を作っている中核だと悩みます。 天然自然はもっと単純な真理に従って文句ひとつ言わず真理へと進みます。 人間だけが、余計な、考える足だという事で、うとましくて苦しいのです。 「天女下凡」の足元にどうしても立ち止まる僕の限界を知りたい。 乗り越えねば次にゆけぬ。 表現とは。?
2008.05.22
天女下凡 “ LEGONG FANTASITIQUE 1 ”この絵は早い段階で仕上げられた作品です。608mm x 500mm と少し変形ですが、作品としてこの大きさでなくてはならない、 と感じて変形は変形として創りました。MO 厚手手漉き和紙・青墨・透明水彩・紅朱・色鉛筆、A1パネル張り額装済。最初ウブドの女性たちの、「天女下凡」に驚いたとき、僕の本職である漫画・イラストで表現して果たして良いのかどうか激しく疑問を感じました。この絵画の次にはファンタスティキュ2も完全額装された作品として保存して在ります。しかし、御見せしたくはありません。マネージャーも周りの人々も良い評価をくれますが、僕にはそう感じられません。僕の、終生心の師と仰いだ故手塚治虫先生による、強烈な癖の抜けきらない画風は、玉地画、として誰が見ても玉地が描いたと1目でわかるキャラクタァーになっています。手塚治虫先生の言われた或る部分。「玉地さんにしか描けない画風」手塚治虫先生という巨人の呪縛から抜け切る事が出来ません。だから、僕は漫画を本格的に描く事をしませんでした。「天女下凡」とは読んで字のとおり、天女のように美しい女性が平凡な世俗に下ってこられたというような意味で使われます。「1見傾城・2見亡国」という言葉もあります。ひとたびまみえば城が傾き、ふたたび看れば国が滅びる。「天女下凡」は「西施」* ( sei-shi )という、世の美質をはるかに飛び去ったような美女の、美女ゆえの激動と薄幸の運命と死の話があります。その最期は、敵国を亡国せしめんと生贄にされた彼女を、役目を終えた後に、自国の亡国を恐れた王妃の手に係り、錘りと供に水底に沈められる、という、あまりの美しさ故の、哀しい結末が彼女に与えられたのでした。イタリアの作曲家ジャコモ・プッッイーニが、キャンサァーに侵され、余命いくばくもナシと決心して、 大衆にこび続けた甘いメロディをほかし投げて、絶筆となった作品を残しました。「トウーランドット」という、中国の「西施」とまではいかないが「北施」ぐらいの、しかし、とんでもない結婚恐怖症候群の、いじわるで、氷のような冷たい心に、分厚い氷河が乗ッ掛かって、その底の底がガチガチになったような、美しいお姫様に一目ボケして、ただ一人の従者で彼を密かに慕うリュウ、との運命のハザマで、栄光と悲劇の死とに分かれ行くオペラがある。静かちゃんが、1・2位のお嬢ちゃんがひっくりこけて棚から金色の鏡餅もらった時のBGM「ネッスンドルマ・誰も眠ってはならない」は好きではない。いかにも、イタリアオペラの聞かせどころが大言壮語をわめき散らしているようで、どちらかと言うとキライだが、その後に続く、「ぉお リュウ なんて可愛そうな」書きたくは無いけれどこれを書いている今も、涙が出てくるほど美しく短い曲を書き終えて彼は亡くなった。初演の指揮者アルトゥール・トスカニーニはここで指揮棒を置いた。補筆完成されていたにもかかわらず指揮棒を置いた。「友人プッッイーニはここまで作曲した」ハッキリ言って静かちゃんのネッスンドルマを聞くたびに嫌な思いがしてつらい。僕はマリアカラスのトゥーランドット姫。エリザベートシュワルッコツブのリュウ、ミラノ・スカラ座のCDを持っている。第3幕は Liu......bont! までを、わざわざコピーして、ここまでで切って、ここで終わる状態にして聴いている。消え入るような哀しい女声合唱で終わる「ぉお リュウ」の後は見ない聴かないスコアもいらないをずっと続けている。W. A. Mozart の K 626 も「涙の日」の「あぁああめえぇ~ん」の後も聴かない。そして、その第一幕で3人の道化大臣ピン・ポン・パンが王子カラフを説得する。「3つの質問に答えられなかった多くの王子たちは皆首を切られたよ」「あんなの裸に剥いたらだだのお肉の塊だよ」「煮ても焼いても食えないお肉だよ」それでも、落ちぶれて国を追われた王子カラフは、ボロボロの父王と彼を密かにしたい続ける唯ひとりの従者可愛そうなリュウを捨てて城の中へと向かう。向かわなければ歌劇にならないのは仕方が無い。3つの謎かけのような質問に全問正解を成し遂げたカラフ王子は、逆に、トゥーランドゥット姫に質問し、その答えを求める。「わたしの名を明日の夜明けまでに答えろ。答えられなければ約束どおりわたしの花嫁となれ」北京の街じゅうにふれがまわされる。明日の夜明けまでに、この異国の男性の名を明らかにせよ。誰も眠ってはならない。兵士は、やがてカラフの父王と従者のリュウをトゥーランドゥット姫の前へと引き連れる。そして、無残にもリュウがカラフの名を絶対に明かす事無く、痛め責め殺されるのを見ているカラフの阿呆も卑怯者の極みだ。カラフなんて二葉亭四迷。( くたばっちめえ )リュウは、カラフと氷のような冷たい心の姫トゥーランドットが結ばれますようにと、最期の叫び声を吐き出すように呻いて絶命する。こんなっ!ヒドイ!このオペラの補筆不完成の終結部を見たいか?聴きたいか?理解したいかぁっ! 僕は最初にトゥーランドット姫を「北施」と書いたが、これは誤りであり訂正する。トゥーランドット姫は「西施」をみなそこに沈めた王妃である。そしてリュウの魂と愛情こそが「天女下凡・西施」に違いない。プッッイーニは、本気でこの終幕。リュウの死によってトゥーランドット姫の心が開き、カラフと幸せになれる。等との世迷いごとのトラウマを本気で書き上げようとしたのか。最後まで見ていない聴いていない僕の勘違いだろうか。僕にとってはいまだ絶対に必ず否である。女と男の愛情とサガ。美しきなにかへの憧れと渇望。女性からみればどう感じるのかがわからない。誰か教えてくださいませんか。でも人前で、僕にこの話をしろというのだけは勘弁してください。 音楽の本という歌劇の本が出ています。誰も誰一人として望めなかった映像が、チャン・ィイモゥの映像と、夜の紫禁城を舞台にしたオペラの実況録画としてあります。あのとんでもない中国軍や、越国・荊棘花( kei-kyoku-ka )とみまごうばかり。武術舞踏の曲芸女性の、血も凍るDVDをお買いなさい。ただひとつ変なのは、このトゥーランドット姫の登場する時のテーマ曲。‘ やぁまのお寺の鐘が鳴ぁ~る ”にとても似たメロディなのが不思議を誘う。僕は昔たぶん8千円ぐらいで手に入れましたが、日本橋の中古屋で3千円しません。音楽の美質プッッィーニの本当に書き残したかった彼の本音が知りたいと思うほとんどいないだろうあなた。その気になったらお買いんなさい。でも、リュウの死の後は封印してください。これが理解出来て仕舞うと、おいそれと、美人画が描けるなどという馬鹿な考えと、自分の画力は何であるのか!という巨大な壁に立ち向かわざるを得なくなり、行き場を失い立ち止まります。冗談だとは思いますが、僕が去年の8月以降に作品開示を始めた事に関して、「遅れてやって来た天災」僕はケネディの情婦ではありません。「天災にはそういう人が多いものですよ」関淳一翁さま、それは違います。僕は狂人です。こんな言葉を言って僕を惑わせる人々が居るのは事実ですが、僕は、ウォーキング・ウイズ巨星・巨人手塚治虫先生。と、いう呪縛からいまだに抜け出せていない。と、思って一生を終わると感じています。「先生と呼ばせるほどの馬鹿なやつ」「先生」という言葉は嫌いなのですが、最近は聞き流すように努めていなす。「先に生まれているだけですから」井手康人とか、オカマの男色不美人のような女しか書けない、おんなじブス専キャラクタァー専門の、崖の上のポニョで大恥こいて、幼児を恐怖のあまり泣かせた、宮崎駿の思い上がりの南極点よりはましだと思っているけれど、世界には絵がうまい人は何万人もいる。だから、ウブドまで出向いて世界のアイドル、ユリアティやビダニや、大王チョコルダ氏に、呼び捨てにしてもらえるのがとても嬉しいのです。手塚治虫先生は僕が大学生のときに描いた駄作を見られてこういいました。「うまいね。だれが書いたのこれ」まんが博のある部屋で怒鳴り倒された後にもこう言われました。「玉地さんは描けるんだから描きなさい」ありがたい師の言葉でしたが、天女下凡という大きな、巨大な美質を前にして、僕は、卑怯にも写真という手段を、写心という技法で表現する途へと逃げ込みました。ある意味で、玉地節を強く醸しすぎる絵という誤解から解き放たれた写心作品群が数多く出来上がったのではないだろうかと感じても居ます。その結果は読者諸君の判断に任せます。この絵画作品は印刷流布されています。無体財産権が玉地俊雄に発生していますので無断使用しないで下さい。社団法人日本漫画家協会会員・参与 玉地 俊雄 この絵画作品は僕の歿後、バリ島ウブドのチョコルダ氏の王立美術館に寄贈される、との言質による約束と取り決めが成立しています。 *********** No 46 *** 参照最終更新日 2008.05.20 07:32:50
2008.05.22
ハッセルブラド500c,プラナァー80mm. 知恩院の老古櫻 紫煙のゆらぎ・あぶすとらくと 具象とバランス 季節外れにもう一枚。ピンクと黒の配置とその量。構図として、必ず中心を外し、空間に向けてテーマの表現位置とその意図を示す方向性を保つ。中心に主題を配置すると、図鑑用には使えるが作品としての価値は無い。左上方向と右下方向の黒の量と、主題を左に見せるために老古櫻の一番目立つ処を何故右上に振ってあるのか。歌舞伎などの舞台の花道は何故左にあるのか。この老古櫻の主題は中心部のわずか左下にある。その全てを三箇所の黒が支えている。ピンクを鮮やかに浮き立たせる為に高速シヤッタアーで撮影されている。始めからセンスが構図を決めていて、無駄の無いフレーム切りの位置まで迷い無く進む。看続けて看続けて看続けた向うに、自然に迷い無く進む事が出来る。それが出来るまでカメラなど持ってはイケない。無駄にシャッタァーを押せば押すほど真理から遠ざかって何も見えなくなって、誤解と傲慢と自慢という鼻持ちならぬ人種に成り下がる。 写心家 玉地 俊雄
2008.05.22
紫煙のゆらぎ・行き止まり僕はこの写真に失望して、バリ島の「天女下凡」に出会うまで4年ほど撮影機材に触ろうともしなかった。******「レゴンがクビヤール 3 付録2 天女下凡」参照どうしても天然自然をありのまま克明に再現する事への頭の未熟さに気付かせてくれたのは、長谷川恒男という男のなかの男の言葉。「山を甘くみるな。自信のある時がいちばん危険だ」偶然・本当に仏がつかわせた偶然の入江泰吉翁の言葉「みてるんです」あまりに唐突で季節外れだけれど、僕の中で疲れがたまりソラナックスを飲み、アトリエの左を見るたびに、警告を発するこのただの写真が僕に語りかける。欝に入ってはいけない。 「オレの言葉を書いて、反省してからちょっと寝なさい」 ”穂高錦秋の涸沢・で記念撮影をする3人 ”20cm x 25cm のリバーサルフイルムから起こした只の絵葉書の巨大版には、中央の白い穴状のガレ場のすぐ下に記念撮影をする3人が映り込んで、左の岩稜に取り付く無数の人々まで映り込んでいる。 ジンマーsの300mmと8x10の描写力は驚異的であるがただそれだけだった。それがどうしたのだ。天に向かって唾するバベルの塔か君は。自己完結とは何か。表現とは何か。自己満足かそれとも何か表現できる本物を知っているのか。こいつはいつも僕に語りかけてくれる在り難い友人の1枚だ。漫画家 玉地 俊雄
2008.05.22
この辺はこの LIKE.A.BALIJIN の中核をなす処である。慎重に御覧くだされ。 紫煙のゆらぎ・白眉のレゴン 1グスティ・アユ・スリ・ビダニに出会えたのはシイヴァのたくらみだった。「天女下凡」「あら。妹のほうが先に来ちゃった」とジェロ・ウランダリ。驚きと美質は、化粧と着付けが終わるころになると、恐怖となって僕を覆いつくし始めていた。立ち止まれ 走り去ってはならない おまえは なんと美しいのだハセミ45FTのピントグラスの彼方には、初見ゆえの少し緊張したビダニが、にこりともせずレンズ目線を外してちょつとぶーたれていた。僕は出来る限り気持ちのゆらぎを悟られまいと、無理やりクシャオニイサンしたり、覚えたての「チャンテイック・かっわゆ~い」を幾度も幾度も、恥ずかしさなんぞほかしたおして空シャツタアーを押し続けていた。Tamaji キヤラクタァーに彼女も少し和んできてからフィルムを装填し始めた。遅れてユリアティも到着していたのだが気が付かなかった。通電後数分は銘球300Bも極端に音が悪いが、10分ほどすると信じられない程綺麗な音楽を聴かせてくれる。暖まって来た僕はガムランのオッサンの主人に注文を付け始めた。「すまん。もっぺんこのフレーズに戻ってゆっくりと叩いて」「もっぺん頼む」「次ここんとこまで叩いていっぺん止めて」「もっぺんおねがい」オッサンの主人はウサン臭そうに、しかし変人玉ちゃんの術中にはまっていく。ビダニも少し打ち解け始めているように見えてきた。それはTamaji のキャラクタァーだから。とみんなが言ってくれる。快心の1ショツトがあってビタニを開放した。ユリアティの恐怖は、ビダニをもっともっと飛び越して、なかなかシャツタァーを押せなかった。なんやかんや撮影してみたが、ビダニの快心の1ショットだけがこの日の収穫だった。この写心は京間の畳ほどの白黒で作られている。毎週金曜日、プリアタンのシンボル巨木ガジュマルの北に建つ、プリアグンの道路沿いに、巨大看板トゥナイトショウ・ティルタ・サリとして今もずっと飾られている。名誉な事だ。みんなで記念集合写真を撮り、こき使ったオッサンの主人と、ジェロ・ウランダリとの三男の記念写真を撮って打ち上げたこの日を境に、僕は奈落の天上へとの途を進む事になる。後日、オッサンの主人は、大酒のみの癇癪もちの怒りんぼで、超気分やの北の王宮の王様。アナッ・アグン・バグース・マンダラエラワン氏と判明して、恐怖となり友人となる。「マンダラケイコさんあんた王妃やったんか」彼女はまんまるいお月様がにこにこしてるような笑顔でうなずいていた。ジェロハディ・クンチャナ・ウランダリ・ケイコマンダラ。外からやって来た、満月のようにきゃっわゆい、マンダラ王家のケイコ。名古屋の旧家名門深窓の御令嬢が、バリくんだりまで来て王妃に耐えていた。偶然などこの世界には無い。偶然とは必然である。必然とは畢竟、運命であり神の啓示であると理解した。無神論者 玉地 俊雄 この頁の Lis も、2頁後の Yulia も母になった。 華は真っ赤に開いた瞬間からしおれて枯れて次の花を残す運命である。ビダニ!あなたは、僕の手のひらに乗っかった、ファンタァージエンの最期のたったひとつの砂粒だ。プリアタンのバレルンで毎週金曜日運がよければビタニとオカダラムの舞踏を観賞する事が出来る。HP http://www.peliatan.com/balerung/jp/index.htmlyou tube ***** balitamaji ( 日本語版 ) *** sakamotoakane ( English ) http://plaza.rakuten.co.jp/balitama/
2008.05.22
「酔生倶楽部の人々」は手塚治虫先生と玉地俊雄の間でのほぼ命令で描いた危険なまんがだった。「正しいと皆がいう事を疑え。真実を見抜き毒の牙を磨け。ユーモァで包み、玉地さんにしか描けぬ画風で発表しなさい」右端がクナ。マスタアがフルベン。拭いてるのは3極菅の女王銘球 W.E 300B. 紫煙のゆらぎ・大骨変人クナと凡凡カラヤン 11984年10月18日、大淀区のザ・シンフォニーホールでのカラヤンは、ボロボロ人生の終末期の悪あがきが居直っていた。当日のプログラムは、モーツァルトのディヴェルティメント15番・R. シュトラウスのドンファン。最後がオットリーノ・レスピーギのローマの松。介添え人が指揮台までびっこをひきつつ出てくるカラヤンに付き添う。当然ひっくりコケないための背もたれパイプもあった。2階席左の中央から少し左のA券はDDの20~16の間で2萬3千円。引越しのときなくしてしまった。この演奏会は多分カラヤンを見るのが最後だろうと思ったからだ。白眉は第2曲目のリヒャルト・シュトラウスのドンファン。よれよれのカラヤンはよれよれのままゆっくりと指揮棒を振り下ろす。ドンフアンの動きではない。ドンファンは最初に弦楽器群が流れるように激しく歌い、ティンパニが激しく吼えるタタタン!金管楽器群が答えておっかぶさってくる。ばんばぱぱんぱぱぱん。こんなに遅いはずは無い。体が駄目で死にそうなのか、それともなにかの間違いか。これは間違いだった。僕なら万一こんな間違いをしても、1秒で反応して左の手が弦楽器群に来い!と指示を出す。カラヤンは見るからにうろたえている。音楽は途中で止まった。こんな演奏会は経験が無かった。2萬3千円もふんだくられたのに。何事も無かったように、激しい?ようなドンフアンが再開された。カラヤンは、大失敗と、体調の苦しげな様子からもうアカンとハッキリと見て取れるほどへろへろだった。ベルリンフィルが勝手に音楽のダイナミズムを引っ張ってカラヤンを看護していた。モーッァルトにはベルリンフィルの音の力に拍手したが、実はカラヤンにはもう指揮する技量が無く、ベルリンフィルが指揮者ナシの音楽を演奏していた、とのネタが割れたのに騙されて腹が立ってきた。以降拍手なんか御免こうむった。でも、フラボーと叫ぶ阿呆が数多くいた。信じられない程の残骸と老獪なのに。でも、「ヴー!」と怒鳴ると殴られられそうなのでそれだけはやめた。後日オフレコでコンマスが「ティルッ !」と叫んだらしいと聞いた。テイルオイレンシュピーゲルの愉快なイタズラは弦楽器の序奏から静かに始まり途中から管楽器の音どもがコケティツシュに変化していく曲である。その振りはティルでっせとコンマスが言ったのだ。僕のような素人のエァーコンダクタァーでも、1秒で間違いに気付いて修整をかけられるのに、カラヤンにはそれすら出来ない程頭の中がヒドかった。カラヤンは完全に“ ボケ ”ていたのだった。大骨変人ハンス・クナッパーツブッシュ。長いので以降クナと表記する。彼も1度演奏会でミスった事がある。と、ものの本に書いてあった。彼は自ら演奏を止めてくるりと向き直り聴衆に謝罪した。「すまん。今間違えたのはわしや」僕が成層圏と泥田んぼとの違いが在ると言うのはこの事なのである。名セリフはまだある。「諸君はこの曲を何度も演奏して居る。わしも知っとる。明日会場で会おう」ぶっ飛んぢゃいます。カラヤンの最大の怒失敗と勘違いは敗戦国ドイツの戦争協力者の生贄にされ2年間の演奏禁止命令を受けたフルベンから、ベルリンフィルを略奪しようとして、ありとあらゆるキタナイ手と策略と中傷の罵倒バトルを両者間で繰り広げ、勝利した事から始まる。嫌戦感と、フルベンの演奏禁止令とフルベンスタイルに飽きた聴衆にカラヤンは、取り入る事に勝利したのだ。フルベンスタイルとは、ゆらぎ・走り。突然立ち止まり・怒鳴り・わめき発狂して音楽の嵐が聴衆をブン殴ってヒィヒィとうたわしまくるスタイルである。音楽の本質はスピリッツである。フルベンはこう確信してブチ切れ続けていたはずだ。でもやっぱりスタジオ録音には感心できないものが多い。演奏禁止令から開放された直後のライブ録音に聴く運命交響曲は。バイロイトでの交響曲第9番合唱と供に僕のベートーベンのメートル原器となった。第5番運命交響曲耳にタコツボ。楽譜の冒頭にはほんの一瞬の休止をせよと書かれてある。ジャジャジャジャーンでは無く ..! ジャジャジャッジャジャーンとフルベンはベルリンフィルに要求しているが、アインザッツがドンピシャで合っていない。久しぶりと、異様な目つきの巨人フルベンの、恐怖の威圧感と、目に物見せてやるぞとの気迫に、ベルリンフィルがヒビっているのが、中学生の僕にもハッキリわかった。後はいつもの振ると面食らうフルベン節の大行進。これも空前絶後の運命交響曲だ。合唱とブラームスについてはまた後日。一方カラヤンは、フルベン色に徹底的に固まったベルリンフィルとの闘いを始めるが、やはりその壁は厚かった。1960年代に残したベートーベンのドイツ盤の全集は何故か3セットも在る。不思議だが音が不思議に綺麗過ぎる。輸入盤はイヤライシほど音が綺麗だ。日本に来るテープは、5番プリントのスカを掴ませいてるのかもしれないと思ったほど音が違う。カラヤンのたくらみである。カラヤンは以降、徹頭徹尾この嵐がブン殴る強靭な音楽の本質を、徹底的に分解・修理・補修と入れ替えだけに集中して、綺麗にハッキリ聞こえて、だれにでも心地よく聞かせ、ガバガハ銭儲けするには、どんなキタナイ手法を使えば早くたどり着けるのだろうか。この1点にのみ集中した。どれでもなんでもこれもそれもゲテでもへちゃでも化粧して、ベルリンフィルの透明で強靭な音響と技術力で、馬鹿な消費者をネジ臥せる事に成功した。だから、僕はカラヤンが大ぃっキライだ。その最後の醜態ドンフアンを見て気持ちよかった。聞いたのではない見たのだ。すまん。いままちがえたハンスクナッパーツブッシュは、リヒャルト・ワーグナァーの楽劇しか振らなかった。このワーグナァーという人は凄い作曲家で人格異常者だった。彼は、ベルリンフィルの創設者、ハンスフォンビューローという指揮者にこう言った。「僕の楽劇の初演指揮者やらしてあげるから君の嫁はん僕にくれ」芸術家はこうでなくてはイケナイのだ。出来ない奴は辞めろ。トリスタンとイゾルデ・ニーベルンクの指輪・パルシフアル。この3曲の楽劇のライブ演奏録音におけるクナの音楽は、文字や言葉で表現するとおかしなモノに変化する。“ 巨龍のたうつ大洪水の激流と深き水底( minasoko ) ”としか僕の筆力では表現出来ない事を告白して謝罪するより無い。フルベンの発狂狂乱とは対極の世界に住んだ大骨変人クナであった。世界で始めて楽劇「ニーベルンクの指輪」全曲がDEECAから発売された。「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジィクフリート」「神々の黄昏」だいたい、13時間に及ぶオペラである。若きゲオルグ・ショルティという指揮者による、大言壮語のこけおどし効果音とびっくり箱のような、いい加減な全曲集だったがこれが僕らの初見だった。しかし、「ニーベルンクの指輪」における僕のメートル原器はクナである。フルベンはイカれ過ぎている。フルベンの「マタイ受難曲」を、アメリカの中古屋から約 $ 200 程で取り寄せたが、あまりの大ハリケーンに耐えられず、高いLPとフルベンなら何でもOKとの友人に、ブレゼントしてと言うよりほかした。僕は「ヴァルキューレの騎行」にまずはイカれた。2年程ワーグナーしか聴かなかった。ひとはこれをR. Wangner シンドロームと呼ぶ。バイエルンの若き国王ルゥードヴィッヒ2世はこれら楽劇にイカれて最期は暗殺され精神科医と供に湖に浮かんでいた。ドイツのロマンチック街道の有名な城は予算不足なのにこの国王の命令で外側だけ超ゴーヂャスに、中は空っぽに作られた。阿呆かこの藤吉郎の書割りみたいな城はと、ドイツ製の登山靴を履いた僕はびっくりした。ノイシュバインシュタイン城は、ノイエ( 新 )シュバン( 白鳥 )シュタイン( 騎士 ) 。その前にシュバンシュタイン城という城を作らせ、地下に水と滝の回廊を作り、白鳥を放して舟遊びに悦に入る国王ル-ドゥィッヒ。ワーグナァの「ロォーエングリーィン」の舞台を地下に無理やり作らせたのだ。嗚呼白鳥の騎士ローエングリン天より舞下りて皇女エルザを救いぬ。気が変になりそうな話だがハマルと気が変になる。当初DEECAはクナに全集を確定依頼していた。クナは録音ギライで渋っていた。ノリが無い。何ヶ月も、下手すりゃ1年がかりですったもんだの録り直しや、テープの切り張りや、喧嘩も有り、罵りあいと、嘘騙しに、わしわ付き合わんぞ。たぶんクナはこう考えたと思うし、言ったかもしれない。「ヴァルキューレ」の第1幕全曲と終幕のヴォータンの告別。ジィクフリィートのラインへの旅と葬送行進曲だけが STEREO で無理やり録音されてクナは没した。もしとか、たらとかは Mozart にもあるが仕方ない。しかし、バイロイト音楽祭の STEREO 録音「パルシファル」と1957 年のモノラル録音「ニーベルンクの指輪」全曲は宝物である。カラヤンは有り余る才能を無駄遣いして無駄な人生を終わらせた。クナとフルベンとでは成層圏と泥田んぼ程の差があるとハッキリ言おう。カラヤン好きは阿呆うで頭と耳と精神が腐っておる。反論をしてみろ。 社団法人日本漫画家協会会員・参与 玉地 俊雄you tube ***** balitamaji ( 日本語版 ) *** sakamotoakane ( English ) http://plaza.rakuten.co.jp/balitama/
2008.05.22
「酔生倶楽部の人々」に逃げ遅れた元関東軍のえらいさん役で、いつも昔を懐かしがる変人呑み助に、ハンス・クナッパーツブッシュという指揮者を、朽名( クナ ) 大五郎の名で出演させた。右端で飲んでる人。左は石井部隊の元助手。マスタアはフルベンで300Bの真空管を持つ。 紫煙のゆらぎ・大骨変人クナと凡凡カラヤン 2ヘルベルト・フオン・カラヤンは好きとキライキライ大嫌いとにハッキリ分かれる指揮者である。長いので以降カラヤンと表記する。ヴィルヘルム・フルトヴェングラァーという巨人がベルリンフィルハァーモニカァーを統率していた。長いので以降フルベン・ベルリンフィルと表記する。フルベンは空襲下で演奏会を開いた。まさかフィルハァモニィーホールは爆撃されるまい。ドイツ音楽界の芯柱であり、変な巨人だった事は折り折りに触れていく。フルベンは戦争協力者として演奏禁止令を拝領する事となった。新星カラヤンはトスカニーニという、正確を本質とする指揮者に師事した非凡であるが、あたりまえの音楽をあたりまえに、踏み外すことなく、歯切れよく何でもかんでも手当たり次第演奏と録音をしていった。特にジュピターの歌で知られるのは、彼の録音したグスタフ・ホルスト作曲、組曲「惑星」の第4曲ジュピターによるのである。そのまんまなのである。僕は45年前この曲の中間部にあるメロディーを聴いて必ず歌になると確信していた。きっとホルストが没して50年経過したのだろう。イーゴリ・ストラヴィンスキィというロシアの作曲家が不協和音の玉手箱のような音楽をフランスで作曲した。“ Le Sacar de Printemps ” ルェ サァカリュ ドゥ プラン~タン。日本名「春の祭典」欧州の特に北の国では、白夜あり、寒っぶい、鉛色の空と冷たい強風に嫌というほど、行った旅行者でさえ、登山靴を履けば良かったのにと後悔する所である。僕はドイツ製のハンスワグナァー社の登山靴で出かける。春は突然訪れ突然夏になってすぐ冬大将軍が百個大隊で攻め込んでくる国々で、春の喜びは日本人の考えるひねもすのらりくらりやなとは全然違う喜びだ。春の訪れに処女の生贄を捧げる祭り、古代宗教の音楽を渇望して当然なのである。音楽は、今までの骨董的な常識から聴けば、ネヴァア!! の響きと、暴力的な嵐と沈黙と突然のガナリたてに支配され、パリのシャンゼリゼホールは、靴と怒号と歓喜の賞賛とが誤茶混ぜになって初演は大混乱であった。支配人はタマラズ舞台の照明を落とせども、P. モントゥーという指揮者は最後まで振り切って芯骨頂を見せつけた。ストラヴィンスキィは満足していた。「今日の初演は素敵だった。僕は音楽を、今日変えちまったんだ」壊れた冷蔵庫ががたがた言ってるみたいだと友人の弟が言っていた。僕は「音楽にギロチン台だと思った」カラヤンはこのギロチンを世界に紹介した功績は讃えられるべきだ。でも、それだけだと僕は感じる。フルベンと並べたら成層圏と泥田んぼほど力の差がある。カラヤンの音は聞きやすいだけで感動の涙も無い。と言って大阪ロータリー倶楽部の事務局長女史と論争になった事がある。「カラヤンの悪口を言う人は許しませんよ」「フルベンのウラニアのエロイカとヌヴーを差し上げるから聴け」彼女には完全に理解できなかったようだった。結論はこうだった。「カラヤンの何処がいいのか」「指揮する姿がすき」なにをか言わんやである。カラヤンは聞きやすいので多く持たざるを得ないが、気合を込めて覚悟の上で聴くフルベンやハンスクナッパーツブッシュの「ニーベルンクの指輪」とは龍とミジンコみたいなものだ。凡人?頑固な変人 玉地 俊雄
2008.05.21
紫煙のゆらぎ・白眉のレゴン 2マンダラ・ケイコさんから迎えの車がやって来た。目的地はプトゥルの別荘。ウブド中心部、プリ・サレン・アグンの王宮前のラヤ通りを、東へ行くとユリアティハウスと、プラ・ダラム・プリ。そして、南へ行くと北の王宮プリ・カレランと、現在新築されて公演を続けるバレルン劇場のあるプリアタンへの道がある。バレルン劇場のHP http://www.peliatan.com/balerung/jp/index.htmlユリアティハウスの電話番号 010 62 361 974044 HP yuliati_house.at.infoseek.co.jp/ たまじセイ,ステイ,ユリアティハウスOK?ピックアプ,ングラライエァポート xxxx オクロック,フライトNo xxx ,マイネームイズ xxxxxxxx,ワヤンカルタピックアプ,プリーズOK?ラーマヤナの巨像のある3支路を北にゆくと、デルタデワタという大きなスーパーマーケツトがあり、さらにその奥へ奥へと進む事10分位でプトゥルの別荘へと付く。アグンバグース現王が、だいぶ飲んでしまって規模が当初の目的より少し離れた、との噂もあったとか無かったかも、で、年をとってそんなに飲めなくなった王の、へたった現在増改築中。完成すれば、僕の玉地コレクション300枚CDによる、飲み食いコンサート開催予定だよネ。ジェロ・ウランダリ王妃Haaaaaaa~n !ともかくなんとかプトゥルの別荘へ着くと、精悍なおっさんがガムランを前に座っていた。カセットでミュージックでも流せばポースに良いのではないかが人間に化けた。「主人です」身内を使こうたらロハやな。お願いしたユリアティは学校からまだ帰っていないとの事でスタンバイ。と、突然見た事も無い少女が石段を駆け下りて来た。ビダニ!グスティ・アュ・スリ・ビダニ !運命の一瞬だった。ウブドの達人 玉地 俊雄舞踏映像があります。この映像にはプリサレンアグンの王チョコルダ氏の言質による放映権の承認が映像ジャーナリスト玉地俊雄に与えられています。http://plaza.rakuten.co.jp/balitama/ の No 126 参照。 you tube ***** balitamaji *** sakamotoakane ** に映像あり。 MIXI 画像は個人的に、または山田企画まで連絡をください。これらの映像の放映権は映像ジャーナリスト玉地俊雄と Yuliati-Bidani との間に肖像権使用許可の直筆契約があります。http://plaza/rakuten.co.jp/balitama/ の No 63 契約書原本参照。
2008.05.21
幻の発狂盤・ウラニアのエロイカの盤面 紫煙のゆらぎ・ウラニアのエロイカ 前編 ウィルヘルム・フルトヴェングラァー というドイツ音楽の巨人が昔昔おった。長いので以後フルベンと表記する。指揮棒を 振るとみんなが面食らう。と、冗談を言われたお爺さんだった。不思議な話だが、フルベンには絶対音感がなかったらしい。彼が生前残したザルツブルグ音楽祭での映像。W. A. Mozart の“ ドン・ジョバンニ ”。登場時の動きも目つきもおかしい。彼の頭の中ではすでに地獄の序曲が鳴りはじめている筈だ。軽く1礼するも、頭の中は序曲が進行しているように、くるりと背を向け、身構えた目は、少し狂人のようにヴィンナァーフィルハーモニカァーを威圧している。長いので以後ウィーンフィルと表記する。独特の長い指揮棒をゆっくりと振り下ろす。ウィーンフィルは、激しく、最初の地獄の騎士の、重く・強く・うねるような音を力いっぱい鳴り響かせる。ゆっくりと指揮棒を振り下ろしているのに。目の動きと流れはやはり狂人のようである。途中まで数分の映像で見る限りスマートとは程遠い、どちらかというと無骨で力まず、ウィーンフィルの音とちょっと違うようにも感じられる指揮棒の動きと怪しげな目つきが次第に音楽を高揚させてくる。白魔法である。僕が目を閉じて指揮棒を振れば、出だしの振りはもっともっと強い。すぐに左の手がもっと、モット音を出せと要求する。フルベンは、目の不思議な威圧で持って嵐がブン殴るような音楽を悠然と、しかし、不思議な指揮棒の動きで引き出している。どちらかと言えば、変な指揮棒の動きをしている目つきのおかしい狂人だ。しかし、出てくる音の塊りは強靭で凄い音楽だ。フルベンが完全にブチ切れた録音はベートーベンに多い。3番5番7番9番と奇数番号の交響曲にに多い。ただしスタジオで慎重に作り上げた録音を僕は好きにはなれない。LIVE で発狂するフルベンが大好きだ。7番の終楽章は、音が強烈に悪くてひどい状態だが、1秒でそんな事どうでもいいやの世界に引きずり込まれてしまう。発狂して狂乱してあたりかまわず怒鳴りまくって……どんな形相で指揮棒をブン回しているのか、想像するだに気が狂いそうになる。眼をつぶって、ヴェルリンフィルハァーモニカァーのライブ演奏にくっついて、成りきりフルベンの指揮棒を振ってみると、脳出血を起こすのではなかろうかとの思いもブッ飛ばすほど、発狂の狂人となってしまう僕は狂人である。長いので以降ベルリンフィルと表記する。果たしてドン・ジョバンニのような振り方では無いように思えるが、この序曲では、あきらかにフルベンの指示とは違う、音の塊と洪水が流れ出しているのが不思議で不思議だ。第7交響曲は、“ 舞踏の昇華 ”と表され、ヂャンジャカジャンXXXXXXが、何回も何回もXXと繰り返す、ダイナミズムの舞踏が跳ね回って飛び上がる。フルベンはどんな形相でどんな動きで指揮棒をブン回していたのか。それとも、ドン・ジョバンニのように、目つきの異常が演奏者をして狂気にさせていたのか。白魔法である事には間違いが無い。そのヴィルヘルムフルトヴェングラァーが、ヴィンナァーフィルハァモニカァーと供に1944年に残した、通称ウラニアのエロイカというLPがあった。らしい。らしい。と言うのはあったにはあったのだが、誰も聴いた事が無く、あるらしいのだが、入手不可能幻のLPだったからだ。それは放送録音用に録音されたが、フルベンが出だしからブチ切れて、興奮狂乱の空前絶後の怒鳴り張り倒しのような英雄交響曲だったらしい。アメリカのウラニア社がフルベンの了解の無いまま発売しようとした。フルベンは裁判を起こして発売を阻止しようとした。成りきりフルベン大好き 玉地 俊雄 http://plaza.rakuten.co.jp/balitama/
2008.05.20
ウラニアのエロイカのジャケット 紫煙のゆらぎ・ウラニアのエロイカ 後篇 その、この、LPレコードの、幻の、入手不可能のLPレコードは、艱難辛苦難産大喧嘩の裁判沙汰のあげくに、フルベンが勝訴して発売は中止されてしまった。アメリカは勝ったモン勝ちで略奪したテープを有効利用したがやむなく結果に従った。こいつはモノがものだけに入所できたごく一部の人々が大喜びした。当然市中に出回ったLPの枚数は藪の中。当時プレミアは日本で10萬と言われていた。当時のLPレコード約80枚ぐらいの値打ちがあったのだ。当時は私立中学の月謝が¥18.000梅田~関大前まで¥60、学食¥130、映画¥350ぐらいだった。コピーされたオープンリールテープも出回ったらしいが、ほんとか嘘か入手できなかった。まさに幻のLPウラニアのエロイカ。僕がこのLPを最初で最後に、大阪梅田の名曲堂で見たのは、今を去る事16年前。堂々とふんぞりひっくりこけて、大阪梅田は名曲堂の神棚みたいな場所に、鎮座ましませておらっしゃられませませたその値段は、金参拾八萬円成りなり成りませたのだ。「ふ~ん。あれが幻のウラニアのエロイカ」アメリカの海賊盤がターンナバウト社から発売された買った聴いた驚いた。変ホ長調ヂャ無い。なんぢゃこれは。何の気違いか間違いかピッチが可笑しいわははのハ。変ホ長調では無かったのである。少しだけ早く終わってしまう。半音ピッチが高くて急いで終わってしまう。変ホで無いのは、¥1.800 もする黒くて重たいWF60043、というエンジェルのLPもそうだった。なにかがおかしい。僕は悩んだ。しかし阿呆か海賊盤。失望のドン底であった。絶対音感のなかったと言われるフルベンには解からなかっただろう。FONTANA のLPがあったのが救いだった。これは変ホ長調でピッチが正確な第三交響曲だった。しかしいったいどれが正確な変ホなのか。変ホに近いのか。LPにはワウフラッタァーという回転ブレも絶対に無い訳ではない。変ホぢゃ無いのだけは判るが変ホのようなものたちはいろいろあって僕は悩む。音源を発売する人たちは果たしてまともな耳を持ち合わせているのだろうか。調律師かオーボエ奏者が立ち会えばいいのに。ところがところがところがである。間違いと Kichigai の再現があったのである。天の恵みかシイヴアの奇跡か天災か、CDが、幻のウラニアのエロイカのCDがっ、大阪梅田阪急東通り商店街の外れにおっ建つ「名曲堂本店」に、3枚もブッ転がっていたのを発見したときは衝撃だった。3枚とも独り占めするほど僕はイジワルでもなければ金ももったいない。フルベンが没して50年経過したのだろうか、なにはともあれウラニアのエロイカを聴いた。LPレコードから、多分この音はDENON-103 の MC カートリッヂで回した音をPCで取り込んだんだろう。スクラッチノイズとビチバチブツブツと、時に音楽より大きいキズ音に悩まされて居るのだが、これは間違いなく変ホ?長調の交響曲第3番・英雄交響曲?。ちょっとおかしい。聴き進めていくと海賊盤と同じような感じになってくる。LPからの復刻は実にクリァーで小さな音のゆらぎやフォルテイッシモも見事に隅々まで聴かせる。しかしスクラッチノイズと回転数が変でホ長調にしか聴こえない。日本フォノグラムのLPより低い音がカットされてクリアーに聞こえる。しかし、半音高い。ノイズはあまり気にならないと言えばかなり苦しいが。フルベンが裁判を起こした訳がはっきりと解かった。発狂狂乱あっちへいったり走り出したり突然止まったり、ともかくまったく、僕のナリキリ指揮棒が うろたえては止まり タイミングを間違えてつんのめり、右往左往して、どうしても付いていけないほどの狂気の演奏であった。この放送用の収録現場で実際に、変ホ長調の英雄交響曲を聴いた人々の中にはきっと失禁した人も居たかもしれない。演奏終了後数秒は虚脱していたに違い無い。きっと1テイクの1発録音だろう。こりゃ裁判沙汰になるのはフルベンの気持ちになればわかるわかる。わかるわ。いゃホンマ。この時ヴィルヘルムフルトヴェングラァーとヴイーナァーフイルハァモニカァーと、録音会場に居合わせた人はブチ切れてブッ飛んでいたはずだ。世界で後にも先にも空前絶後のウラニアのエロイカであったはずだ。恐怖の英雄交響曲であったはずなのに。しかし、海賊盤と同じく変ホではなかった。明らかに♭がひとつおっことされている。変ホ長調では無い。ホ長調の第3交響曲をヴェートォーヴェンは作曲していないのに、ホ長調の音が鳴っている。38万円で買い求め、自慢して、ふんぞり返って、みんなを羨ましがらせるイヂワルな悪趣味の金持ち。ウラニアのエロイカを有難がって信仰の対称にしているロバの耳。世界中の耳と頭と再生装置の悪い人々は恥ずかしいなぁ。わはははのハ。このLP復刻CDを聴く事が出来たショックとピッチの間違いは終生忘れない。昔、カラヤンもベォァームも全ての英雄交響曲は、日本フォノグラムの唯一まともだったLP以外は捨てたのは正解だった。資料として書き残す。ウラニア盤と米国海賊版TURNABOUT CDとFONTANA-fcm 50 ( M )1 Allgro con brio ****14:53 **** 15:312 Marcia Fanebre Adagio assai ****10:37+6:27 **** 10:53+6:423 Scherzo Allgro vIvace **** 6:12 **** 6:254 Final Allegro Molto **** 12:10 **** 12:33ウラニアもターンナバウトも、明らかに半音ピッチが高くて早く演奏が終わってしまう。中学生の頃¥1.800 もしたWF60043の黒くて重たいLPも半音ピッチが高くて変ホ長調ではなかった。中学の音楽の先生は多くを語らなかった。LPの裏に賛辞を書いた評論家氏の耳と頭はどうなっていたのだろうとその時僕は悩んだ。このWF60043は買ったのだが何処へ言ったか判らなくなっている。せこせこせこせこと音楽が走る。みんな気が付かないのか、絶対音感が無いのか、どうでも良いのか。海賊盤は記念に残してある。LPプレイヤァーのピツチを遅くしても、ホ長調はなかなか変ホ長調にならなかった。翌日別のLPを聴いて驚く。D・mollぢゃない。回転を元に戻すのを忘れていたのだ。耳で調整して夜になって回転板で微調整するのは面倒でこまる。海賊盤は以来聴かないままだ。ウラニアのエロイカがメートル原器にならなくてよかった。38万円で買い求めた人は運と趣味の悪い馬鹿野郎だ。ウラニアのエロイカはやはり幻だったのだ。ちょっとショック 玉地 俊雄 you tube ***** balitamaji ( 日本語版 ) *** sakamotoakane ( English ) http://plaza.rakuten.co.jp/balitama/
2008.05.20
篆刻 秋月春風等閑度 秋の月も春の風も等しく閑しく過ぎ去ってしまった。 紫煙のゆらぎ・リーガロイヤル旧知の友人の元上司におだてられて頼まれて、ほいほいと安請け合いをしてしまう、おっちょこちょいの性格はなかなか直らない。初めてお会いするイベント会社との、なんとはなしの久しぶりの漫画家の隠し芸、2分で似顔絵会にリーガロイヤルホテル3Fの大ホールまで出かけた。集合時間は4時半。開始は6時頃。15枚描いてギャランティは5萬。まあ、友達の友達の頼みである。あまりにスタンバイが長いのでふらりぶらりと逍遥しているとピアノが打ち捨てられているのが目についた。中型のグランドピアノだった。まぁ、リーガロイヤルとしてはアップライトは恥ずかしくて置かないだろう。スタインウエイ・アンド・サンズのフルコンサートグランドは4千万はするし、こんなホテルなどには場違いだ。ドイツのヴェーゼンドゥルファーの音質などわかる人は居ないだろう。この中型で十分だ。しかし、彼女は1年以上は打ち捨てられたままで、エスカレーターの脇のせせっこましい処で、淋しそうに、ひっそりとしていた。彼女のかすかな声が聞こえる。「わたしはさびしい。あなたわたしを弾いてくれませんか」僕はいつもこういう呼びかけについついほろりとしてしまう。蓋を開けると真っ白い鍵盤と黒い鍵盤が綺麗だ。しかし、天蓋はホコリだらけだった。蓋にはいっぱい指紋の後が付いている。あなたは長い間、僕がここへ来るのを待っていたのだろうか。うろ覚えの「ヨハン・セバスチャン・バッハ。アリアと30の変奏曲」アリアは静かでとても美しい音楽である。第1ヴァリエーションは突然の大声で叫び始めて近所迷惑なので、アリアだけ弾いてみよう。たんたあんたららら~らららららぁこのアリアはとても美しい。美しさのためについ指の押し込みに感情と、少しアクセントが入る。美しい音がする。調律も正確でくるっていない。天蓋を開ければもっともっと良い音が響くだろうが其れはしてはいけない。何回か繰り返されるこのアリアのさわりだけ弾いていると、その静寂と美質の背後から慇懃無礼な言葉が、この音楽と哀れな楽器の哀切の訴えを壊した。「お客様。このピアノはここに打ち捨て、ほかしたおしてあるのですから、 勝手にお弾きにならないで下さいませんでしょうか」「失礼しました」「でも、一言いいでしょうか?」「リーガロイヤルホテルはこのピアノに対して、また、 楽器に対してもっと礼儀をつくしていただけないでしょうか」「天蓋のホコリを拭いてあげてください」「蓋に付いた指紋も拭いてあげてください、このピアノが可愛そうです」「リーガロイヤルホテルとはそんな“ 大 ”ホテルだったのですね」「お願いします」「これは楽器と音楽を愛する事への侮辱です」「失礼いたしました」慇懃無礼なこの女性には音楽の悦楽は終生わかるまい。なにも答えずぢっと僕の本音とイヤミを聞いているだけだった。帰り際に彼女の淋しそうな姿を見たくてもう一度近寄ってみると、ホコリも指紋もそのままで、椅子の前にだけ立ち入り禁止の縄が張られていた。かわいそうに。どうか、このブログが彼女にとって迫害となりませんように。そして、綺麗に手入れされて美しくなりますように。社団法人日本漫画家協会会員・参与 玉地 俊雄
2008.05.20
真空管の手作りアンプは音が柔らかくて心地よい響きがする。ECC83を使ったマランツ7#のコピーを、12BH7Aと6FQ7の大型真空管に付け替え、銀の裸線やビタQ、B.ゲートの電解コンデンサやA.ブラッドレーの抵抗器等徹底改造プリアンプ。真空管の足等全てハンダ付けの無接点。 紫煙のゆらぎ・坂越し( Sagoshi )の女バリ島ウブドのマンダラケイコさんにはたいへんたいへんなお世話になった。ビダニもユリアティにも、彼女の尽力が無ければ親しくなるきっかけが無かっただろう。付き合いを許されて14年がたった。彼女は毎日毎夜明日も昨日も来週も今日もガムランガムランガムランガムラン無らんでむらむらしてきてたまらない。たまにはクラッシックが聞いてみたい。と、僕に打ち明けた。この薄幸でありながら耐え続け、今は幸せに北の王宮プリ・カレランの王妃として、プリアタンのバレル~ンに親子4人とオカダラムと暮す女性は、大変お世話いただいた恩人の一人である。えぇい。持ってけマンダラケイコ。僕はその時ウブドに持っていったほとんどのDVDとCDを貰ってもらった。* ******「紫煙のゆらぎ・極楽の島。バリ島ウブド」 参照13時間に及ぶオペラ「ニーベルンクの指輪」「魔笛」J.シユトラウスの喜歌劇「こうもり」のDVD。CDはウラニアのエロイカ・ベートーベンの弦楽四重奏曲1~6番・モーッァルトの弦楽四重奏曲14~19番なんやらかんやらほとんど全部。また大阪の中古屋で買えばいいや。とても、言葉にすると嘘になるほど世話になった。彼女にはかれこれどれそれひれもれ、300枚はゆうに超えるCDをバリ島までオーバーウエイト料金を払い、税関でチョコルダ大王とのツーショットを見せたりしながら、アルヴオペルト・現代・古典・グレゴリアンチャント・ショパンとヘートーベンの全集。下妻物語スイングカールズドリフもピンクレディーもバカ殿のDVDまである。おかげで僕の聴き終える事の出来ない、不幸なCDの20%がバリ島で鳴っているかも知れない。別荘の改築が終わったらCDコンサートを開く予定だ。彼女は「玉地さんいつもありがとうごさいます重いのに大変でしょう」としか言わないところが、流石苦労しただけの事はある王妃さんだ。久しぶりに旧知の女性から電話が掛かってきた。無駄に長電話になる人である。彼女は僕にエェディット・ピァッフをイントロデュースしてくれた人である。僕はピァッフの腹違いの妹、シモーヌ・ベルトゥーが残した伝記を読み、感動して涙した事があり、その本は今も大切に書架に置いてある。もう一度読みたい、とはトテモ思えないほど凄い人生を送った事は、このブログにもほんの一部だけ書いてある。彼女はこの伝記を知らなかった。変だな?* *******「紫煙のゆらぎ・音楽」 参照CDの機械が手に入ったとかなんとか、今頃CD機とは不思議な話だったが、あれやこれやとくだんの長話の中から、つい僕の良くない癖が出た。「わかった。ぐだぐだ言うとらんで生のCDを50枚僕のアトリエまで持っといで。 日本橋へ行ったら880円で売ってるから宅急便でもいいから送れ」「そんなんわかれへんわ。日本橋の何処いったらあるの」「ソフマップでもどこでも千円以下で売ってる」堺市に住む彼女は「遠いわ。わからへん」「旦那が車もってるやろ行って買うてきてもらい」何日かたって彼女は旦那と供に車でやって来た。久しぶりの久しぶりはお互い年をとった風情を確認しあっていた。旦那さんも白髪になっていた。僕もそうだが。なんでも玉地さんにおまかせ。でも注文の多い鑑賞者である。中島みゆき・フィール1と2・イマージュ1と2古今のピアノ協奏曲や交響曲、シェヘラザードなどの管弦楽曲とレパアトリィーはおおぶろしきの八畳敷きだ。 なにしろ全部ロハなんだから。彼女はまたベートーベンの月光ソナタのアッダァージョを弾ける、と言っていたが実際に聞かして貰った記憶は無いような気がする。月光ソナタが弾けるのなら、あなたはハンマァークラビアソナタを知ってるかと聞いた。29番の第3楽章は約17分。ベートーベンが、情熱と情念を深く閉じ込めて淡々と語る、静かであるが血の噴出しそうなアッダァージョである。ベートーベンのソナタの中での白眉といえる名曲である。聴いた事が無ければ論より音楽と、僕はハンマァークラビアソナタの第3楽章を、手作り真空管アンプの音で聴かせてあげた。「こんな悲しい曲きいてたら私なみだでてくるわ」「いや、これは悲しい曲ぢゃ無くて、情念の爆発を、 この静かな音の裏に押さえ込み秘め込んでるんや」あまり感じている感じ方が違うのかもしれない。手作り真空管アンプの音を聴きながら、ウラニアのエロイカやヌヴーの協奏曲、綱渡りの曲芸でありながらミスタッチひとつ無いアルゲリッチのチャイコンとか、どちらかと言うとヘヴィな曲とLPも30枚ほど渡して返した。ただ、バッハとモーッァルトは宮廷音楽家だったからキライと言われたことにはとてもとても、とても驚きだった。ほんたうはわかっているのだろうか?バッハとモーッァルトの無い曲集?翌朝くだんの電話がなる。「スラマッパギ玉地です」「ありがとネうれしかったわぁ」「ほやけどきのうもろた曲重すぎてきいてられへん」「…………………………?」「アルゲリッチのチャイコフスキー音悪いネ」「ほんでLP音でえへんようになってたわ」「真空管で聴いたから良かったんや。あの実況録音な、 ホールの響きがこもってるけどうちではええ音してるで」音楽は音が綺麗なのが良いのか、覚悟して聴き込む音楽が真実なのかどっちだろう。彼女はきっと ”ながら ”音楽を欲しがっているのだろう。「わかった。あと30枚宅急便で送ってくれ。LPコンポは日本橋で2万で売ってる」またまた電話が来た。「ありがとネ玉地さん。そやけど私の好きなショパンのコンチェルトはいってへん」「あんた以前僕にもろたカセットあったゆうてゆうてたやろ」僕がカセットテープを整理した時、モーッァルトやベートーベンのピアノ協奏曲全集やもろもろといっしょに、多くの音楽を迷惑をもかまわず送った事が在った。NAKAMICHI # 700 の機械が壊れてしまったからだった。彼女は協奏曲の中の協奏曲、モーツァルトの全集を知人の女性に全部譲ったと言っていた。もったいない事をした人だ。結論として確認できた事はこうだった。“ 価値観の違い ”まったく之は漱石先生随筆集「硝子戸の中」坂越の女でござった。ATRIE TAMAJI という硝子戸の中の住人 玉地 俊雄you tube ***** balitamaji ( 日本語版 ) *** sakamotoakane ( English ) http://plaza.rakuten.co.jp/balitama/
2008.05.20
昨年買い求めた紫陽花の妹の方はやっと花芽を開かせ始めた。幸せそうに見えてうれしい。 紫煙のゆらぎ・あぶすとらくと 紫陽花 やぁ露店 紫陽花のふたつ並びおる ひとつ買われて ひとつ残る 東大路玉山人 作東大路玉山人氏が、捨てられ行くであろう紫陽花の姉を哀れにおもってうたったことばであった。 妹は生き延びて花芽をつけている。 どうか、どこかのいじわるがなんびゃっぽんもなぎたおすようなひどいしうち にあわぬようにとかんがえている。ハッセルブラドの初期EFプラナァー 80mm f 2.8 f 4 半 1 / 500 secPENTAX 67 改 手持ち撮影 写心家 玉地 俊雄
2008.05.19
紫煙のゆらぎ・恐怖の大王さて、前回プリ・サレン・アグンの大王、チョコルダ・グンデ・プットラ・スカワッティ氏の王妃、チャンドラさんの母親の突然の死去にともなう、ユドヨノ大統領の弔問により、イザ鎌倉と、取り決めるべく臨もうとしたBALI映像集世界発信の契約を捕り逃した事の再確認。********「紫煙のゆらぎ・極楽の島バリ島ウブド」 参照ところが今回もまた運悪く、チョコルダ大王の弟アチョ氏がギャニャァール州知事選挙に立候補した為、僕は選挙用のシャツにアチョ氏のバッヂを身にまとい、勝手連の選挙活動に参加するハメになってしまった。みんなが僕を指差して大笑いする。「アチョ.アチョ」「トリマカシ ドゥワ」おおきに2番に投票してくれよ。良いのかなこんなことして?結果は圧勝だったらしい。********「紫煙のゆらぎ・内科医ビダニ」 参照連日ヘリで空飛び回り所在不明の彼が奇跡的に会見に応じてくれ、VIDEO製作と契約に応じるとの言質を得た。UBUDでの利益の半分を王に、半分を次世代の踊り手を育てる為に、Tamaji が新しい作品を制作し、生きている間は死なない死なない間は生きているから、ウブドを世界発信する為の資金の一部とする。また、その半分の5%を Tamaji 次の世代のウブドにおける芸能継承の為に有益に使用するものとする。日本及び世界発売の権利と利益は 別途協議の上Tamaji の管理下に置く物とする。「わかった。Tamaji は狂人だが了解しよう。」と言ったように感じた。「日曜日に子供たちがプリサレンアグンに集まってダンスの練習をしている」「私の持っている4つのホテルの紹介と供にサンプル映像を持っておいで」「両者納得OKならサインしよう」恐怖の瞬間だった。大王は、最初僕のノートPCのいい加減でおおざっぱな権利継承英文を見て激怒していたように見えた。マンダラケイコさんが必死になって助け船を出してくれていた。これはまだ完全なアグリイメントとして両者間の合意であるかどうかは、まったくはたしてよく解からないが、ともかく半歩前へと踏み出したと思う。のかな?サンプル映像が出来なければ大変な事になる。Tamaji のキャラクタァーだけでは絶対通用する筈が無い。 ぱっぱらはぁでは済まされなくなってしまった事にもまちがいが無い。だから僕が過労で1日の内に3度倒れて眠り込んで、「父へ」との手紙を貰ったりするのかもしれない。いや。そのとおりだ。このブログを公開すれば完全にフォーカストのノゥウエィアウトであるのだっ。その映像は今、許可を得て発表されている。この映像にはプリサレンアグンの王チョコルダ氏の言質による放映権の承認が映像ジャーナリスト玉地俊雄に与えられています。http://plaza.rakuten.co.jp/balitama/ の No 126 参照。 you tube ***** balitamaji *** sakamotoakane ** に映像あり。 MIXI 画像は個人的に、または山田企画まで連絡をください。Request Image journalist Tosio TamajiI have permission of BALI, Legon Lasem dance and other image by kingTjokrda Gde Putra Sukawati and Ir A.A.Gde Oka Dalem and Yuliati AndBidani. Yuliati and Bidani’s effigy use agreement, I have alredy.King Mr. Tjokorda and Tirta Sari Mr. Oka Dalem get verbal promise.I wish sell worldwide the environment bali Legongdance and Gmelan fantasitque beautifully sound so many.King Mr.Tjokorda say good DVD make Tamaji signature the environment sell legong DVD.I need fund and cooperator.Please call bali-tamaji@titan.ocn.ne.jp Sincerely ウブドの達人 玉地 俊雄you tube ***** balitamaji ( 日本語版 ) *** sakamotoakane ( English ) http://plaza.rakuten.co.jp/balitama/ Tamaji と KING. Tjokorda Gde Putra Skawati氏
2008.05.19
紫煙のゆらぎ・白眉のレゴン 3妖艶妖美のグスティ・アユ・スリ・ユリアテイを、始めて初めてプラ・ダラム・プリの劇場で、北穂高岳ほど駄菓子を抱えて看た時は本当に絶句してしまった。こんな少女が。何故。妖艶妖魔のような、大人の女性では絶対にない色気を醸し出せるのか。この少女にどんな悪魔の魅了が潜んでいるのか。僕は、世界中のいろいろな舞台。大衆演劇のちびたまや、オペラ、バレエ、フラメンコ、民族独特の舞踏の中に見た感動とはまったく異質の悪魔をここに看た。まるで、世界の美質に飽き足らず、捜し求めて彷徨う精神だけに、宇宙船地球号が僕だけにソッと見せてくれた、密やかにひらくヒマールの蒼き芥子。W. A. Mozart のラァウダァ~テ・ドゥミヌゥムのようだった。僕の後半生をここにぶち込まねばならないと決心した瞬間の映像であった。惜しむらくは、不調のストロボフラッシュと 35mm の Nikon しか持って居なかった事である。5頁後のマンダラケイコ、ジェロハデイ・クンチャナ・ウランダリ・ケイコ・マンダラお姉さまとお会いできなかったら、僕は挫折していただろう。********「紫煙のゆらぎ・天女下凡」白眉のレゴンの3つ上参照 「あなたとプリサレンでお会いしたのも運命だと思っていますから」この、パールバティ( 大神シイヴァの妃 )の言葉こそまさに運命だった。考え方によるとちよっと面倒な、「おみゃあさんに合うてまったのも仕方の無にゃあ運命だモンで諦めにゃいかんでかんわ」とハッキリ聴いて取れもする。ほんでもって彼女は、名古屋の名門の深窓の御令嬢だったでよぅ。マンダラケイコ。ユリアティ。二人の女性と少女との出会い。 ウブドの達人 玉地 俊雄 ユリアティは遠くの村へと嫁いだ。ハヴァ,グッドハピィライフ,エンド,ベイビイ,バァイ.でもバレルン劇場は不滅です。おせんにキャラメルの売り子が居ないのは淋しいけれど毎週2回公演しています。URL http://www.peliatan.com/balerung/jp/index.html ユリアティハウスにはもういない。 ユリアティさようなら。 you tube ***** balitamaji ( 日本語版 ) *** sakamotoakane ( English ) http://plaza.rakuten.co.jp/balitama/
2008.05.19
紫煙のゆらぎ・牡丹参態之内 参 抽象へのステツプを1つ登る何故ハッセルブラドのゾナー 250mm という ピントの無い収差の大きい長球をあえて開放 f 5.6 で使用するのか。しかも、ハッセルブラッドのレンズ専用にマウント改造を施した PENTAX 67 という重い機材を手持ちで使用するのか。もともと PENTAX 専用に用意されたレンズを何故使用しないのか。ペンタのレンズよりプラナーやゾナーのほうがはるかに優れていて大好きだからだ。僕は専用レンズの1本だに使わない覚悟でマウント改造を施した。30萬ぐらいかかった。本体価格より高い。僕はこの 6x7 ボディだけ買い求め、フアインダァースクリーンが暗いので、アメリカのインテンスクリーン社から、カード決済による直接取引きで、明るいビンとグラスを取り寄せて自分でピント調整をした。だって、ハッセル用に改造した PNTAX のスクリーンが暗いからと、旭光学社の精密光学器によるピント調整など頼めない。自分の目と勘でゾナーの 250mm を使って調整した。僕はハッセルブラッド500Cという超古式ハッセルを使用していた。このレンズを 6x7 で使ってみたい。ハッセルの倍以上の重さはあるが、機動性はライカ版のようにもっとフリーで使用できる。写真に興味のある人は考えてください。ハッセルにはハッセルのスクゥエァ 6 x 6 の良さがあり、6 x 7 には別の創作意図が在るからなのです。解からないでしょう。それは、僕の作品を1目見れば解かるはずです。PENTAX のレンズ群より、ゲルマニィの職人が作った、銀胴筒の初期のハッセルブラドのレンズの、強烈な収差によるボケと、色調における独特の個性は、日本のレンズにも、今シンガポールやカナダで委託生産されているハッセルのレンズにもありません。でも、太切な事に留意してください。道具は作品の為に在り、センスが作品を創ります。どんな素晴らしい機材もただの道具に過ぎません。シューティングチャンスは、相手の都合と、自らのセンスがマッチングした時だけの1瞬間しかありません。写心に興味のある数少ない人だけ考えてください。実行は要求しません。あぶすとらくとへの第1段を登れるかも知れません。デジタルカメラのほうが正確で確実だと思われる愚民はおひきとりください。もう一度申し上げます。作品の評価は諸君の元にあって僕の領域ではありません。1秒の良しか、それとも否かです。写心家 玉地 俊雄 「牡丹の家族たち」強風曇天の奈良當麻寺牡丹園 これはまだあぶすとらくとではありません。 ハッセルのゾナー250mm・ PENTAX 67 改 手持ち撮影 1 / 30 sec
2008.05.19
「牡丹と雨蛙」奈良當麻寺の牡丹園グラフレツクスのプラナァー 80mm f 2.8 を f 16 1 / 8 sec 三脚使用。長谷川製作所ハセミ 45FT・ 6 x 9 木製ロールスライダァー。 紫煙のゆらぎ・牡丹参態之内 弐 主題と添え物の関係ただ牡丹だけなら「牡丹四姉妹」のように配列とバランスが、あたかも日本画のように、構図さえしっかりと仕上がっていれば誰にでも撮影出来る。ここには小さな雨蛙が居座っていて動か無かった。主題はこの小さな雨蛙であるがタイトルは「牡丹と雨蛙」とした。気をつけて画面を見つめ、初めて雨蛙を見つけた驚きと、その背後に隠された微笑ましきユゥモァこそがこの作品を支配している。つまり、漫画家の持つ見せ方の手法の1つである。これは、本当はしてはいけない事であるが、具象と抽象の間に、何を超えなければ到達できないのか、という真実の説明理解の為、あえて行う愚行である事を解かって欲しい。これは具象と主題の為の「弐」である。作品として1秒の判断と評価は僕の問題では無い。僕は写心を、心の赴くまま、センスとレンズとシューティングチャンスが、花華と雨蛙が無言をして、心に呼びかけてくれるその時を、フラットな心で彷徨っているだけである。しかし、グラフレは絞るとゴルツのダコールのようになってくる。ダゴールはもっともっと冷たいが、プラナーはそうではない。写心家 漫画家 玉地 俊雄
2008.05.19
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