全25件 (25件中 1-25件目)
1
まずは生徒達から文部省が自分たちに伝えたい事への不満が聞こえてきます。「そんなこと分かってる」「生徒をバカにしてる」「大人の考える事はこの程度」等々の内容です。その不満をある程度聞いた後で、「ではみんなはこの(今日の)道徳の本の内容についてどう考える?」と問いかけます。もちろんこの問いかけに対しても様々な意見が出てきます。ただある程度の意見が出ると、クラスに独特な雰囲気が流れます!生徒達は自然に気付いてくれたのです。『発言には責任が伴う』ということを!何かを発言したときに「では今までのお前はどうだったんだ?」とクラス全員に思われることに気がついたのです。すると何かを発言したときに「では今までの自分はどうだったんだ?」と自分自身に問いかけるようになったのです。これが『発言に対する責任』なのです。
2012.07.31
コメント(0)
それからの道徳の授業の流れはこうなりました。まずはその時間の題材になる文章をみんなで読み合わせる。教師用の手引書に書いてある内容を私が生徒達に紹介する。「どう思う?」と私が生徒達に疑問を投げかける。生徒達の意見を聞く。頃合をみて私も意見を述べる。、、、、するとやはり文部省(当時/現・文部科学省)の考える『道徳』とはいかに的を得ていないか!いかに上辺とたてまえだけの『道徳』であり人間としての成長を促さないか!があらわになってくるのでした。しかし、それらをあらわにすることは、我々にとっても両刃の剣であることに生徒達も気付きはじめるのです。もちろんそれは私もある程度は予想していたことですが、まさかこれほど我々の心をえぐるものとは想像していませんでした。
2012.07.30
コメント(0)
そんな不満の残る道徳の授業を何回か打ってしまっても、週1回の道徳の時間は容赦なくやってきます。そんなある日の道徳の授業で、もう何かが吹っ切れたというか、どうでもよくなったというか、私自身も予期しない言葉が口をついて出てきました。「なあ、みんなさあ。道徳の授業って面白くないやろ?」生徒の半分はきょとんとしていましたが、残りの半分は大きくうなずいていました。「俺はやってて全然面白うないで!だって言うことしょーもないもん!!みんなもそう思わん?」そして「もう文部省の求めてる道徳の授業はせん!今日からは本気で道徳の話するぞ!!」と言って、もう行き当たりばったりではあるけど『本気の道徳の授業』に突入するのでした。
2012.07.28
コメント(0)
そこで当時の私はまず道徳の授業の教材研究に没頭しました。しかし没頭すればするほどある疑問が浮かんでくるのでした。その疑問は私の道徳の授業が終ったときの私自身も含めたクラスの雰囲気に顕著に反映されていたのでした。授業の終わりの「起立」の号令がかかるときのあの独特の雰囲気、、、、。言葉にすれば、「はい、はい!」というか「ちゃん、ちゃん!」というか、、、、。あの私も含めたしらけた雰囲気、、、、。それを数回味わって私は「学習指導要領通りの道徳の授業では生徒の心を打つことはできない」という結論に辿りつきました。大人が子供に伝えたいある意味上辺だけの道徳心を訴えても、子供達の心に響くものはないのです。
2012.07.27
コメント(0)
とは言うものの、、、、今ではこんな偉そうなブログを書いている私ですが、当時はズブの新米教師!自分が担任をしている1年生のクラスの道徳の授業で生徒に『何』を『どう』教えて、いや伝えていいか分かりませんでした。もちろん自分が担任でない3年生の英語の授業で、生徒たちに何を伝えていいかなんて分かる訳がありません。それもそのはず、私は英語の教員免許を取得するためのカリキュラムは経てきましたが、道徳の授業をする訓練や研修なんて受けたことが無かったのです。これは私以外の先生も全員そうなんです。それが今の学校教育の現状なのです。しかももっと正直に言うと、そのクラスの担任が自分の担当教科の授業やそれ以外の業務をこなした【片手間】に実施しているのが『道徳』の授業なのです。もちろん中には『道徳』の授業に前神経を注いでいる先生もいるでしょうが、何千人、いや何万人に1人いるかいないかでしょう。
2012.07.25
コメント(0)
まずは1つめの疑問に関して更に詳しく述べさせてもらいますと、、、、。1年生の担任がどうやって3年生に道徳の授業をしたのか?現役の先生達はその答えが浮かびますか?かなり以前にも話しましたが、英語の授業で道徳を教えるのです!でも実施しているのは英語の授業ですよ。私がいつも言っている『英語で何を教えるのか!』の原点がここにあります。『英語を教える』のも勿論当然ですが、『英語で何を教えるのか!』が重要になります。先生方!たとえば中学校なら、数学の先生は数学で何を教えていますか?国語の先生は国語で何を教えていますか?社会の先生は社会で何を教えていますか?理科の先生は理科で何を教えていますか?音楽の先生は音楽で何を教えていますか?美術の先生は美術で何を教えていますか?技術の先生は技術で何を教えていますか?家庭科の先生は家庭科で何を教えていますか?私と同じく英語の先生は英語で何を教えていますか?最後になりましたが、保健体育の先生は保健体育で何を教えていますか?これを見据えて授業をする先生とそうでない先生の授業では、生徒に与える影響に本当に大きな差を生んでしまうのです。
2012.07.23
コメント(0)
ここまで読んでいただいた皆様には2つの疑問が浮かんでいると思います。1つは、ボールをぶつけたのは3年生。ゴマは1年生の担任。とうやってゴマが3年生に道徳を教えるのか?2つめは、「道徳の授業なんてどの学校でもやっている」、または先生方は「私も道徳の授業くらいやっている」、のに今更何を語ろうというのか?、、、ですよね!もう少しこの話題にお付き合いいただきたいのですが、その質問に端的に答えると、、、1つめの質問は、『本当はいつ道徳の授業をするべきなのか?』を考えてもらえればクリアできます。2つめの質問には、『本当の意味での道徳の授業は学校では実施されていない!』ということをこの章で訴えたいのです。、、、となりますね。
2012.07.22
コメント(0)
「お前やろ」「お前だろ」と言えない理由、、、、それは、言われた生徒の人権!・言われた生徒の気持ち!を考慮しなければならないからです。それは文部科学省が《ゆとり教育》を推進するために、全国の先生方に「そうしろ!」と言っているからです。本当にバカバカしい話です。そこで当時の私はどうしたか!生徒達の道徳心に訴えることにしたのです。しかしいくら教壇に立ったばかりの新米教師の私でも、たった一言の魔法の言葉で生徒達の道徳心に訴えることができるとは思っていませんでした。
2012.07.21
コメント(0)
もう1つは「彼です」というと、自分が不利益を被る恐れがある場合です。例えばその『彼』から「なんでチクったんや」といって自分が仕返しされる。あるいは次は自分がイジメの対象になってしまう。またはその『彼』の腰ギンチャクのような生徒から「なんでチクったんや」と攻撃され、挙句自分がイジメの対象になってしまう。、、、そんな不利益を被る危険性があるから「彼です」とは言えないのです。そこから考えると『犯人』は自然と特定されます。みんなでしらばっくれたら先生なんて騙せる!なんて思っているのは生徒だけです。先生には分かっているんです!!分かっていても、今の先生達は「お前やろ」とは言えないのです。
2012.07.20
コメント(0)
全員が全員「見てない」「知らない」とう!なぜか?「彼です」とは言えないからです。その理由は2つ考えられます。1つは、その人間をみんなが暗黙の了解で守るべきだと感じている場合。この場合その人物は生徒達から信頼を得ているある程度の人格者であることが考えられます。しかしこの場合は当てはまりません!なぜならそんなにみんなから信頼のある人格者であるなら、そもそも下級生にボールをぶつけることはありません。またそんなに信頼のある人格者なら、万一自分が最初に投げつけたのなら、自分が至近距離から投げつけたのなら、それは自分であると申告するでしょう。なぜならそうしないと自分以外の誰かが疑われるからです。ではもう1つの理由は何でしょう?
2012.07.19
コメント(0)
事件当時体育館には20名前後の生徒がいました。その全員が「最初にボールを1年生に投げつけた人間を見ていない」と言います。では最初のボールを投げた人間以外はみんな目をつむっていたのでしょうか?また投げた本人はなぜ覚えていない?そのときの記憶だけをなくしたのか?その全員が「至近距離でボールを投げつけた人間を見ていない」と言います。やはり、その人間が至近距離からボールを投げたときは全員が目を閉じていたのでしょうか?投げた本人は? 記憶を失ってのか?そんなことがあるわけなんてないのです。みんな最初に投げた人物と至近距離から投げた人物を明確に知っているのです。勿論最初に投げた本人も、至近距離から投げた本人も、それが自分である事なんて百も承知なわけです!
2012.07.18
コメント(0)
その場にいた3年生全員の答えはこうでした。1:なぜボールぶつけが始まったのか? ⇒ふざけて誰かが1年生にぶつけた。 それが面白そうに思えた。2:だれが最初に投げ出したのか? ⇒分からない。3:至近距離から投げたのはだれか? ⇒分からない。被害者の1年生に答えはこうでした。1:なぜボールぶつけが始まったのか? ⇒多分3年生が遊んでいる体育館に1年生の自分が入っていったから。2:だれが最初に投げ出したのか? ⇒分からない。見ていない。3:至近距離から投げたのはだれか? ⇒分からない。見ていない。もうこの時点で少なくとも至近距離でボールを投げた人物が特定できます。しかし名指しで「お前やろ!」なんて言うと「先生が自分を疑った」とか「疑われた生徒の人権が、、、云々」などと言われてしまい、問題点がすりかえられてしまう危険性が大きいのです。
2012.07.17
コメント(0)
私がはじめて学校の先生になってすぐに中学校1年生のクラスの担任となりました。バタバタと2ヶ月ほどが過ぎた6月中旬のある雨の日に、いじめ事件が起きたのです。昼休みに体育館でバスケをしていた中3生男子達が、そこを通りかかった私のクラスに1年生男子1人にいきなり集中してバスケットボールをぶつけだしたのです。そして中3生の誰かが至近距離から投じたボールが1年生のこめかみ部分を直撃し、一時的ではありましたが視力が低下する状況になってしまいました。私は生徒指導の先生と2人で、ボールを投げつけたとされる3年生男子数名を呼び出して事情を聞きました。私が明確にしたかったのは、1:なぜボールぶつけが始まったのか?2:だれが最初に投げ出したのか?3:至近距離から投げたのはだれか?の3点でした。
2012.07.16
コメント(0)
『道徳』の授業が上手くいっていれば、クラスや学校で[問題]や[事件]が起きないのです。もちろん[いじめ]なんかも起きる道理がないのです。なのになんでこんなに多いのでしょうか?例えば校則を守らない生徒!例えば真面目に勉強に取り組まず、「勉強は嫌いだからしません」なんて平気で言う生徒!例えばいじめを平気でする生徒!『道徳心』が欠如しているからです!!私が学校の先生になりたての頃ある先輩教師から「ゴマ先生、ある意味道徳の授業って英語や数学より大事だと思わないかい?」と言われたことがあります。その頃の私は学校の先生としておこなう全てのことが初めてのことだったので、その言葉の意味がよく分かりませんでした。しかしたった2ヶ月ほどでその言葉の意味が分かりかけました。
2012.07.15
コメント(0)
例えば私の携帯電話の辞書機能で『道徳』の意味を調べてみると、『社会生活を営むうえで、人として守るべき行動の基準』とあります。ということは、道徳の時間に教師は生徒達に、『社会生活を営むうえで、人として守るべき行動の基準』を教える、または示さなければならないのです!これは大変なことですよ!!!以前にも申し上げた通り、教える側が普段から、『社会生活を営むうえで、人として守るべき行動の基準』を守っている、または守ろうとしている姿勢や事実がない限り、何を言っても説得力がないのです。しかし、これも以前申し上げましたが、教師も聖人君子ではありません。ただの未完成な人間なのです。だからこそ『道徳とは何か!』を模索し続けなければならないのです。それがあってはじめてその教師がおこなう道徳の授業が成り立つのです。
2012.07.14
コメント(0)
『道徳』って言葉を皆さんご存知ですよね。道徳の授業というのもあります。私も小学生・中学生のときはその授業を受けました。正直言って他の教科の授業とは何か異なった空気があって、私は道徳の授業が好きでした。しかし教壇に立つ立場になって自分が道徳の授業をする側になって、「これでええんか?」と疑問を抱き、その疑問は年々大きなものになってしまいました。その疑問を端的に言葉にすると、、、、英語の授業は英語の教員資格を取得した者が担当する。数学の授業は数学の教員資格を取得した者が担当する。ならば、道徳は道徳を教える資格を持った者が担当すべきではないか!ということなんです。その証拠に「道徳って何?」と質問されて、即答できる人が少ないのです。それは『道徳とは何か!』を知っている人間が教えていないことが原因だと思うのです。
2012.07.11
コメント(0)
先日とある県で、、、、午前3時頃団地内の屋外で話をしていた未成年者の2人組に40歳台前後の男が近づき刃物で16歳の少年の頬を刺し重傷を負わせた事件が起きました。で、本日近所に住んでいる男性が警察に出頭!言った台詞が「お酒を飲んでいてよく覚えていませんが、犯人は自分かも知れない」、、、。って、こんな無責任なことってあります。その人物が犯人だったとしたら、こんな迷惑な話はないですよ!酒に酔って記憶をなくしておいて犯罪をするなんて、、、、、こんな奴こそ【酒を飲む資格がない】んですわ。あるいはその人物が犯人ではなかったとしたら、、、、真犯人は今だにのうのうと街中に存在しているんですよ!もし次の犯罪を起したら、その人物はどう責任を取るんですかね。敢えて言いますが、本当にクズです!しかし、、、、、この事件は未成年の2人組にも問題がありますわ。なんで未成年者が午前3時に屋外で話をしているんや!!!まあ本人たちはただのバカなガキだったとしても、保護者は、親は一体何をしてるねん!!!本当に情けない限りの事件です。
2012.07.10
コメント(0)
という風にそのお店には我々を入れて15人ほどのお客さんがいて、お酒を飲んでいないのは我々2人と老夫婦の奥さんの3人だけ!しかし店内の雰囲気は、まるでお酒なんか出していないような平穏で楽しいものでした。『そのお店の客層が元々そんな感じだっただけ』という人もいるかと思いますが、これがごくごく当たり前の公共の場としてのお店なんです。全く《お酒の飲み方を知らない酔っ払い》と《どこでも大声出して走り回っていいと思い込んでいるガキ》がいる場所には1分もいたくないものです!!何度も言いますが、『お酒の飲み方を知らない酔っ払いお断り』とか『どこでも大声出して走り回っていいと思い込んでいるガキお断り』って看板が出ているお店はないものでしょうかね!絶対繁盛すると思いますよ!!
2012.07.09
コメント(0)
さらにこのおっちゃん達!お酒を飲むときの話の内容がいい!!ざっくり言うと【自慢話がない】のです。本当に耳に入ってくる話は、楽しそうな雑談、たまに入る冗談にもバカ笑いはしない。まあ人生で無駄だと思う時間の第一位は、私の中では【意味の無い自慢話を聞かされる時間】なんです。みなさんもそうでしょ?まずよくあるのは《バブルおやじのバブル自慢》!「昔はこれだけの従業員がいた」とか「昔はこれだけの巨額な資金をやりくりしていた」等々、、、、「それは当時バカでも間抜けでも銀行がガンガンお金を融資してただけですやん!」とか「そんな優秀なあなたの会社がなんで今は存在しないの?」の一言を言われれば終ってしまう話なんですが、「それを言ってはかわいそう」という同情心からくる忍耐力でみんな聞いているだけなのにね。あとは《テレビや雑誌でかじった薄い知識を振りかざして、知識人ぶる奴等の話》ね、、、。最後には「俺の連れが、、、」「うちの息子が、、、、」と《自分以外の人物の自慢》が始まればもう最悪です。あ!まだあります。《他人の批判ばかりする》ってな奴。これの方が最悪ですかね。人を批判すれれば自分がスゴイと思われる、、、と勘違いしてるんですね。こういった話を持ち出す連中は「お前もいうほど変わらへんぞ!」ってレベルの人間が多いです。ある意味それが分かっているから「自分は違う」ってことを一生懸命言葉でアピールするんでしょうね。まあ言い出せばキリが無いですが、お酒の場での話題のチョイスも大切なスパイスなんですね(これはお酒の場以外でもそうですが、、、)。
2012.07.07
コメント(0)
さらにこのおちゃん達!お酒が入っているからその利尿作用でお手洗いが近くなっていました。皆さん結構シャキシャキ歩いておられたのですが、その中のお1人が少し千鳥足になっていました。するとご本人が「あ、いかん。飲みすぎや」と一言。そしてお手洗いから出て席につくとお店の大将に「すみません。お水をもらえんですか」と言って、しばらくお酒を口にするのをやめました。そうなんです。しばらくインターバルを置いたのです。勿論一緒に飲んでいる人たちも「付き合いが悪い」なんて冗談でも言うことなく、何事も無かったかのように楽しそうなトークを再開するのでした。これなんですよ!これが普通なんですよ!!これが【お酒の飲み方を知っている】ってことなんですよ!!!《周りへの気配り》と《自分の身体への気配り》ができているんですよ!!!!
2012.07.06
コメント(0)
さあ、そのお店で昼間からお酒を飲んでいる人たち!一瞬「げ!」と思った私でしたが、ほどなく「これは大丈夫かな」と思わせてくれることが多いのに気付きました。まずは、昼間からお酒を飲んでいる人たちですでに出来上がっている(結構酔っ払っている)人も多い中、彼らの声の大きさが適切であることでした。私たちが(もちろん店にいるみんなも)普通の大きさの声で話ができる点でした。もう酒場で大声で騒ぐバカなグループがいると、そのお店の中はいること自体が苦痛になります。大騒ぎバカグループの声で話ができなくなり、他のグループも声が大きくなる。そうするとさらに大騒ぎバカグループの声が大きくなり、他のグループの声も大きくなる。そのうちそのお店の中では、隣の友人に話しかけるにも大声で叫ばないと伝わらない修羅場と化します。【周囲への気配りも忘れない】これも【お酒の飲み方】のひとつ、、、、というか、お酒を飲む飲まないに関係ない話なんですがね!このお店のお酒飲を飲んでいるお客さんたちは、みんながそれを心得てくれていたのでした。
2012.07.05
コメント(0)
飲酒ではないですが、、、、とある市の教育委員会が会見でやってくれました。昨年10月に自殺した当時中2の男子について、その学校の生徒にアンケート調査をしてたらしいのです。日常的ないじめや恐喝があった事実は公表していたのですが、何と!何とです!!『自殺の練習をさせられていた』と15人の生徒が告白しているのに、「無記名だった」「事実確認ができていなかった」を理由にその教育委員会は公表していなかったんですって。これ大問題ですよ!!しかも15名もの生徒が証言しているのになにの調査もしなかった。みなさん、こういうのを【保身】っていうのです。学校では教えてくれませんよ。自分の果たすべき責任より、人の命よりも、自分の立場を第一に守ろうとする考えや行為のことです。「学校は何をしてた!」「教育委員会は何をしてた!」と責任を追及されたくないんですね。責任を取りたくないんですね。で、『去るもの日々に疎し』で、当事者達やご遺族の方々や世間がこの自殺のことを忘れる日がくるのをひたすら待つ。そのためにはまた自殺が起きても構わない。大事なのは自分。守るべきは自分の立場。生徒や保護者にどんな辛い思いをさせても自分が安泰ならそれでいい。何の責任感も向上心もなくただただ教育を食い物にして自分だけが安心して暮らしていければいい。これが【保身】です。こんな【保身】連中でも今月も給料が我々の税金から普通に出て、しかも今月はそれプラス賞与(ボーナス)が出るんですよ!我々の税金から。この国家の財政難のときにですよ!!!!これについてもまた詳しくやりますね。情けないですが、、、、。
2012.07.04
コメント(0)
飲酒状態で起した不祥事に関して謝罪会見をしていました。その芸能人は56歳にもなってお酒に酔って元マネージャーに、自分の背後に暴力団がいることをほのめかせてお金を要求したということです。で、その謝罪が「酔っていたからといって、社会に反する暴言を言ってしまい申し訳ありません。」といった内容だったらしいです。「酔っていたからといって」との台詞は必要だったんでしょうかね?つまり『酔っていたこと』を言い訳にしているのです!!!または『お酒のせい』にいているのです。こういう人にはもうお酒を飲む資格がないのです。報道では元マネージャーはその芸能人が不利になる行為や発言を先に繰り返していたとのことですが、ではなぜお酒を飲まないで正々堂々社会人として大人の行動をとらなかったのでしょうかね、、、、、。私はこの芸能人にも何の恨みもありません。しかし、若い世代の人たちのために敢えて苦言を呈しておきます。
2012.07.03
コメント(0)
「平日の昼間から酒かいな!」思わずそう心で言ってしまいました。1組はどう見ても私と同年代の2人組。おそらく2人は同じ職場の同僚で、その日は仕事がおやすみなのでしょう。何やら仕事の話をしている様子でした。あとの3組は、おそらくもう定年された年代の友人同士のような雰囲気。残りの1組は老夫婦。その5組のテーブルやカウンターにはお酒やビールがあり、もうすでに出来上がった感じの人達もいました。しかし、この皆さん!みんながお酒の飲み方を知っている人たちだったので、私は気持ち良い(まあ普通といえば普通なんですが嫌な予感を裏切ってもらった分気持ちよかったのです)ランチタイムを過ごすことができました。
2012.07.02
コメント(0)
いい大人が起すお酒の不祥事が多すぎることに端を発したこの話題!この際だからまだ続けます。今度はお酒の飲み方を知っている人たちの話です。お酒を飲む全ての人間がこうあれば何の問題もないのですが、、、、。さて今度はつい最近私が出会った【お酒の飲み方を知っているおっちゃん達】の様子を紹介したいと思います。実は先日ひょんなことから昼間から居酒屋にいきました。そこの居酒屋の出しているランチが美味しいからと知人に連れて行ってもらった(半ば強制的に連れて行かれた)のです。いってみるとそこは昼間からお酒も出しているのです。居酒屋だから当然と言えば当然なんでしょうが、、、、、。私が店内に入ったときにはすでに5組ほどの2~3人のおじさんのグループがお酒を飲んでいました。正直嫌な予感がしたのです、、、、。
2012.07.01
コメント(0)
全25件 (25件中 1-25件目)
1

![]()
![]()