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実は当時は(今もそうかもしれませんが)同じ作品でもテレビ番組版とコミック(単行本版)ではストーリー構成等が異なるものが多かったのです。もちろんテレビ版のほうが多くの子供の目に触れることが考えられるため、内容がソフトだったりするのです。一方コミック(単行本)版は、テレビ版に比べて一歩も二歩も突っ込んだ内容だったり、かなり過激な内容だったりします。勿論【人造人間キカイダー】もまさにそうでした。「キカイダーは知っているよ」という方!そのテレビ版の最終回を覚えていますか?そのコミック版の最終回を知っていますか?【送料無料】人造人間キカイダー(1) [ 石ノ森章太郎 ]価格:610円(税込、送料別)
2012.11.30
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以前にも申し上げたかと思いますが、私たちの世代は子供のとき本は勿論のことテレビやマンガやアニメを通して知らず知らずのうちに『道徳とは何ぞや!』を学んできました。その中でも私の心にに大きく何かを語りかけてくれたのは『人間になりたい』と望む登場人物の姿でした。『人間になる』とかどういうことか、、、、『人間』とはどういうものか、、、、、幼少の頃にそれを考える機会を得られたことは、私の人生の大きな宝であったのではないかと今になってつくづく感じます。その中の1つが今回紹介する【人造人間キカイダー】です。最初は無邪気にヒーロー物のテレビ番組として子供目線で楽しんで見ていました。しかしそのうち子供ながらにそのストーリーの中に見え隠れするテーマに知らず知らずのうちにのめりこんでいったように思います。そして決定的だったのは、今は亡き祖父に買ってもらった同名の単行本の内容でした。人造人間キカイダー (1-6巻全巻)漫画全巻セット【中古本】【中古】 afb価格:1,790円(税込、送料別)
2012.11.29
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もちろんテレビでやっているのはそんな番組だけではないと思います。いい番組やいいドラマなんかもあります。だたそんな変な番組や変な場面に出会ってしまったときでお子さんと一緒に見ているときには、「あれはダメ!」としっかり言ってあげなくてはなりません。『家庭での道徳教育』やそれ以前の『躾』や『お行儀教育』は日常のそんな些細な場面の有効に活用するべきなのです。そろそろ街中はクリスマスムードになってきています。気がつけば冬休み期間に入って『無道徳』『無躾』『無お行儀教育』の子供達を目にするんでしょうかね、、、、。あと、、、、同様に『お酒を飲む資格の無い大人達』も増殖するのでしょうね、、、、、。毎年ながら憂鬱な時期です。
2012.11.28
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あの番組のあの犬を「かわいい」とか言いながらみている大人達がいるとしたら、やはり同じように公共の場でキーキー声を出して走り回っている子供をみて「かわいい」とか言うのでしょうか?ああいった番組があること自体、この国の大人の質が情けないほど低下している証拠だといえるでしょう?もしくは小学校低学年あたりの道徳の授業であの番組を見せて「躾されていない悪い犬の例」「躾ができない悪い大人の例」として見せるためのものであれば納得できるのですが、どうやらそうではないみたいです。私も小学校1年から中学校2年まで犬を飼いましたが、世話と躾に追われました!それができないと飼う資格がない!と親にきつく言われたからでした。当時はそれが普通だと思っていましたし、今も思っています!なのにあの番組は何なのでしょうか?
2012.11.27
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まあ四六時中テレビを見ているわけではありませんが、最近何回か目にした番組があります。芸能人(おそらく)の男性が1匹の犬を連れていろんな街にいく番組なのですが、、、、まあその犬の躾ができていないことできていないこと!!例えば『待て』はできないで食べ物を見ると大暴れ状態!!!!それを突然訪れたお店やお宅でするのです。でナレーションが入って「僕にも早く食べさせてよ」とかの台詞が流れる。例えば訪問したお宅に犬がいて自分より体格が小さい犬だった場合の大暴れ状態!!!!でかなりの高い確率でその小さい犬ののどや首に噛み付く始末!!でナレーションが入って「初めて会った気がしないよ~」とかの台詞が流れる。私がその店の店主や家の住人や小さい犬の飼い主なら、あのバカ犬を蹴り倒してますよ。あの飼い主たちも心の中では気分はよくないわけですよ。で、その光景を見てその大暴れ犬を連れている芸能人は何というか?「うわ~じゃれてるじゃれてる」とか「うわ~喜んでる喜んでる」と遠まわしに自己弁護をするのです。もうそんな場面をテレビで流さないでもらいたいのですよ!子供が「犬の飼い方ってあれでいいんだ」と思っても責任を取れないでしょ!!あのバカ犬に赤いバンダナを付けさせる暇があれば、しっかり躾をしろよ!!!!!!!
2012.11.26
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それとさらに言わせてもらえば、最近なにかにつけて『躾をしない』『お行儀を教えない』ことが許されている風潮があるように感じています。『子供はかわいいからO.K.』という風潮です!確かに子供たちはかわいい存在であり、大切にしていかなければならない存在です。だからと言って『教育をしない』『躾をしない』『お行儀を教えない』ことが許される訳は絶対にないのです。最近は私が子供の時代よりペットをかわいがる人も多くなってきています。しかしペットにも『躾』や『お行儀』を身につけさせることができていない飼い主も非常に多いです。やはり『ペットはかわいいからOK』という風潮さえ感じられます。ペットを取り上げたテレビ番組も多いですが、腹立たしいのを通り越して情けないものも少なくないとみなさん思いませんか?
2012.11.25
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あの「子供を叱るのは3歳を過ぎてから」から始まる「子供を叱らない主義」は気をつけておかないと、ず~~~~っと続きますよ!3歳過ぎたら「悪い叱り方をするなら叱らない方がいい」とか「子供の気持ちになっていないから叱ってしまう」とか言ってきます。そして小学生になったら「子供の自主性に任せて」と言いだし、中学生になって大人の言う事を聞かなくなったら「反抗期だから仕方ない」「そういう時期はだれにでもあるから心配ない」とかいって結局親から教育の機会を奪ってしまうのです。それで子供が非行や犯罪に走っても、そんなことを言ってきた連中は何の責任も取りませんよ!年々こういった悪しき「子供至上主義」が急加速で蔓延してきています。「子供だから何しても許す」ってことを言う人にその理由を聞くと、突き詰めればみんな「子供は無邪気だから」といった論理をぶつけてくるのですが、、、、。その考えこそ子供を見くびっています。あるいは子供のことを分かっていません。幼年期ほど人間の観察力に長けている時期はないのです。「この大人はちょろいから、言う事を聞かなくても平気」「この大人は厳しいかた、言う事を聞いておいたほうが無難」、、、これくらいの判断は子供たちには簡単にできます。その子供の身の回りに「ちょろい大人」が多ければ多いほど「お行儀」や「躾」なんて身につくわけがないのです。また幼児期にそんな育ち方をしていた子供が、小学生になり中学生になってから「道徳心」を身につける可能性なんて皆無に等しいのです。
2012.11.20
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もう1カ月もすればまたやってきます!嫌な嫌な冬休み期間が、、、、、。公の場が『道徳』はおろか『躾』や『行儀』を教育されていないガキ共・またそれらの教育をできないバカ親達のステージになってしまう時期です。それらの教育を受けてきた子供達・またそれらの教育をしてきた親達が、公の場でいやなものを見なければならない忍耐の時期でもあります。この時期いつも同じようなことを言いますが、本当に目に付いて醜いんですわ!赤ちゃんがぐずって泣くのは仕方ありません。ただ、3歳過ぎたらもう『お行儀』を身につけていなければおかしいです。なにやら巷では「子供を叱るのは3歳を過ぎてから」などという、教育放棄の基礎を築かせようとする悪の幼児教育論が蔓延しているらしいですが!騙されてはいけませんよ。あんなことを言う連中は幼児教育のプロかもしれませんが、「幼児期だけを平和に暮らせればそれでいい」くらいにしか思っていないのです。幼児期の教育や育児をしている親御さんに耳障りのよい言葉だけを投げかけて、それを聞きたい、読みたいと思わせて生活費を稼いでいるのです。ああいった連中は、子供が小学生や中学生になったときのことなんて考えてはいませんよ!ああいった連中は教育界の詐欺師なんです。
2012.11.17
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『道徳教育』をする前に『躾』が必要!『躾』もされていない人間に『道徳』なんで理解できないのです。例えば例の大津市のいじめ事件、、、、自殺した生徒をいじめていた生徒の写真を皆さん見ました?この情報社会、ネット社会です。見たくなくとも見てしまった人も多いかと思います。私もその1人です。中学生なのに茶髪でピアス!正常な感覚の親ならその時点で『道徳教育』をしなければならなかったのです。もしあの子供が『道徳教育』を受けるというレベルの人間でないのなら『躾』をしなければならなかったのです。しかしその『躾』以前に親がしておかなければならないこと!それは幼少期の『お行儀教育』なのです。あの茶髪ピアスの殺人ガキに『お行儀教育』がなされていたとは思えないですよ!あいつだけではなく最近は本当に『行儀』ができていないガキ共が多すぎます!言葉を返せば『お行儀教育』ができていないバカ親共が多い証拠です。いつからこの国はこんな情け無い状況になったんでしょうかね?
2012.11.16
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さて!ここまで『家庭での道徳教育』について述べてきました。すこし話題を変えるようですが、、、、、みなさん『躾』という漢字を読めますか?『身』に『美しい』と書いて『躾(しつけ)』です。最近は『道徳』云々言う前に『躾』ができていない親も多いです。『躾』ができない親に『道徳教育』なんてできないのですよ。そんな親に限って自分ができない『躾』を学校に任せ切るのです。「アホ親」といか言いようがありません。例えばこんなアホ親がいます。学校に電話して「うちの子供の箸の持ち方がおかしい!最近の学校では箸の持ち方も教えないのか!」と文句を言うような親です。まず親として自分が箸の持ち方を教えなければならなかった、、、、と思えないんですね。私に言わせれば「親」以前に「人間」として失格です。あと最近思いません?「ありがとう」を言えないガキ共の多いこと多いこと!「すみません」を言えないガキ共の多いこと多いこと!『躾』がなってない何よりの証拠です。
2012.11.15
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また少し実例が長くなりましたが、このように何点か「これは絶対だめ」という項目を設けておいて、その他のことに関しては寛大な姿勢でいることがポイントかと思います。もちろん学校でも道徳教育は実施しています。その授業の質はともかく一応やっています。でも本当に「一応」やっているだけの可能性が高いです。仮に本気で道徳の授業をする先生にめぐり会えても、家庭で道徳の「ど」の字もないような生活をしていたならその効力は大幅に失われます。つまりどう考えてもやはり道徳教育の根源は家庭にあるのです!家で親が道徳教育をしない、またはできない。学校でもしっかりした道徳教育ができない。これで子供が立派に育つ訳がありません!!子供に道徳心を植え付けるには、ときには子供と対峙しなければなりません。『仲良し親子』も結構ですが、必要なときに対峙できる親でなければそれはすでに子供にとって「親」ではなく「生活をさせてくれる便利な人」でしかありません。ちなみにときとして生徒と対峙できない教師は生徒にとって「学校で好き勝手にさせてくれる無能な大人」でしかありません。
2012.11.14
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で!生徒達と「残す」「残すな」でしばらく問答をしていたら1人の女子生徒が、「先生いつも『クラスの最終責任者は俺や!』って言ってますよね!」と発言。その1分後には、私の皿に24個の玉子焼き(生徒23人分+私の1個)の塔が聳え立っていました。しかもそのほとんどに一口だけかじった跡が残っていました。生徒達はそこで私が信念を曲げて残すと思ったのでしょうが「ここが勝負時」と感じ、生徒の前で完食して見せたのでした!!最後の1つを食べ終わったときのクラスの歓声はもう怒涛の如く校舎に鳴り響きました。実はそれまでは「クラスで残飯は出さない」という私の姿勢に「なんでなん?」といった冷めた態度を見せていた生徒もいたのですが、その《しいたけ玉子焼き》の一件以来クラスが更に一丸となって給食に臨むことができるようになったのでした。
2012.11.12
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設定したルールを守るということは、ときには大変な試練を人に課することがあります。『給食を残さない』ルールのときは、年に数回出る《しいたけ入り玉子焼き》がその試練を私に与えました。その玉子焼きは申し訳ないが本当に耐え難い味でした。初めてその玉子焼きが給食にでたとき、、、、例によって日直の「いただきます」の号令がかかると間もなくクラスのある男子生徒が「何やこの玉子焼き味!」と声を上げました。その声を聞いた生徒達は玉子焼きを1口食べては「うわ!」「これはキツイ」等、様々な感想を口にしたのですが、その中の1人が「先生、、、、やっぱり残したらイカンの?」と私に問いかたのでした。「勿論例外は無い!」と言い放った私の言葉に、クラス全員が一斉に「え~っ!!」を叫び声を上げたのです。本心をいうと私にも彼らの気持ちがよく分かっていたのですが、、、、ここで1歩引く訳には絶対にいかないのです!!
2012.11.11
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では『さじ加減をしない』で『道徳道徳ばかり言わない』ことが可能なのでしょうか?それを両立させている親御さんたちもたくさんおられます。もちろん先生でもいます。方法は簡単です。「これだけは許さない」という項目を作っておくのです。もっと正確に言うと「作る」のではなく、自分が人間とて許せないことを明言しておくのです。例えば私が先生になって初めて「これだけは許せない」と公言したのは「クラスで給食を残すこと」でした。その根底には「食べ物を粗末にしない」「食べ物自体に感謝する」「食べ物を与えてくれた人に・作ってくれた人に感謝する」という気持ちを生徒達に伝えたいという気持ちがあったからです。生徒の中には苦手な食べ物に挑戦する者、また友達が苦手とする食べ物を自分が代わりに食べることを提案する者、、、、それぞれいろいろ工夫をした結果、私のクラスからはご飯粒一粒の残飯も出したことはありませんでした。
2012.11.10
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しかし「道徳、道徳、道徳」ばかりでは上手くいかないのも事実です。言う側も疲れてきます。言う側が疲れるってことは、聞かされる側は心底うんざりしていると考えるべきでしょう。かの大漫画家・手塚治虫氏の「ブッダ」を読んだことがありますか?主人公のブッダはお釈迦様です。悟りを開くまでは本当に面白いですが、悟りを開いて以降はある意味面白くなくなるという人がいます。私もある意味同感です。驚くことに後年になって作者の手塚氏自身が「書いていて面白くなくなってきました。」と語っているくらいです。なぜか?なぜ読んでいて、書いていて、面白くないのか?それは正論ばかり語るからなのです。そうなってくると、ブッダのまわりの心に闇をかかえる人物の方に読者の興味が向けられるのです。私も全くそうでした。また悟りを開いても尚ブッダ自身が悩み苦しむシーンに見入ってしまうものです。
2012.11.02
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