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私はこの「なんかタバコくさいな!」を生徒に対してはどんな状況でも言い放ちます。これが私の言う『さじ加減無し』なんです。この一言もこれまでいろんなドラマを生みました(というか問題を引起してしまいましたという方が正確かもしれませんが)。そんな私にいろんな先生が苦言を呈して来ました。「今はいうべきではない」とか、「言われた者がどんな気持ちになるか」とか、「生徒を疑う事にならないか」とか、、、、、。私はそんな言葉に一切耳を貸しません。そんな言葉を吐く奴等に限って、道徳教育ができてないですから!生徒に道徳心を植えつけるよりも、今日一日が平和に過ぎることを望んでいる連中です。お日さん西々先生・親方日の丸先生・公務員先生・保身先生の言葉なんて聞く価値すらないのです。しかし、家庭で!親が!そんな連中と同じことをしていては、道徳心なんて育てることなんてできないのです。
2012.10.31
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また『さじ加減をしない』のは『道徳教育から逃げない』と言いかえることもできるでしょう。これも以前別の話題で申し上げましたが、なんだかんだと言いながら子供達の反道徳的な言動を大人が見過ごしてはいけないのです。それが家庭ならなおさらです。本当に気付かないことは仕方ないですが、すこしでも異変があればすかさず指摘する鋭さはいつも持ち合わせていなければなりません。例えば私はタバコを吸いません!タバコのにおいには敏感です。どのタイミングであっても「なんかタバコ臭いな!」との言葉を発します。勿論におっているときだけですよ。生徒とのすれ違いざまや授業中の机間巡視のときに「なんかタバコ臭いな!」を発すると特に効果があります。
2012.10.30
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さて、この「さじ加減が難しい」と言われている『家庭での道徳教育』!成功している親御さんたちには共通点があります。『さじ加減なんてしない』という点です!!他の話題でもさんざん書きましたが「大人が正論をはき続ける」ことが本当に重要なんです。その正論を子供が受け止めるのが、今日か明日か明後日か、一月後か半年後か、1年後か5年後か10年後が20年後か、、、、そんなことは誰にも分かりません。当の本人の子供にすら分かっていないのですから!親への反抗をやめたその男子生徒も、それまで親御さんが正論をはき続けていたから私なんかとの会話で正しい方向性を自ら選択することができたのだし、正論をはき続けてきたおとうさんが拾ったお金を使ったから疑問を感じることができたのです。そのお父さんが「拾ったお金なんてパクって使うたったらエエねん!」って人間であったら、彼もそのお金を使ったことに何の疑問も感じなかったでしょう。
2012.10.29
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しかし『家庭での道徳教育』はなかなかさじ加減が難しい面も多々ある!との声もよく聞きます。例えば、家庭での道徳教育を熱心にするあまり、逆に子供がそれに反発してしまい、反道徳的な言動を取るようになるパターン、、、、。例えば、親が道徳なんて欠片もない状態なのに、それを見た子供が「ああなってはいけない」と自分自身で道徳心を身につけるパターン(まあこのパターンは『親のしていることはしない』だけで道徳的言動になってしまうのですが)、、、、、。だからといって、さじ加減が難しいからといって、道徳教育から親が大人が逃げてはいけないのです。すでにこの話題は別の話題でもいいましたが、この問題は非常に重大なんです。最近は道徳教育はおろかマナーや躾(しつけ)まで学校に依存しようとする親までいるのが現状です。そんな親は「学校で一体何を教えているのか!」と文句を言ってくるらしいですが、先生方は堂々と「その前に家庭で何を教えているのか!」と問いただすべきなんです。
2012.10.28
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このように家庭での道徳教育がしっかりしている生徒さんは、なにか問題があってもしっかり話し合えば事態が好転させることが比較的簡単なのです。先生側の意見としては、いや最近はいろんな立場の人達が訴えていますが、『果たして道徳教育を学校に任せきるのはいいことなのか?』という問題があります。私の幼少時代を思い起こせば、家庭・地域・学校の大人達が子供達の道徳心を育ててくれました。親に叱られ、先生に叱られ、近所のおっちゃん・おばちゃんに叱られ、全く知らないよそのおっちゃん・おばちゃんに叱られる。そうすることによって、心の何かが育てられ、鍛えられたものでした。しかし、その中心的な人物は親だったと思います。それはどこの家庭でも同じだったような気がします。私も含めた当時の子供は、とにかく親に叱られるのがイヤ!では叱られないようにするにはどうするべきか?ここから道徳心や社会のマナーを自問自答していたのです。
2012.10.27
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私が彼のご両親に言ったのは以下のとおりです。〇私はただ人として普通のことを言っただけ。〇素晴らしいのは、それを正しく勇気を持って受け止めた彼の心である。〇その心を育てたのは、誰でもないご両親である。〇お父さんとお母さんの家庭での道徳教育が彼をそのような子供に育てた。〇お礼を言いたいのはこっちの方!それでもお父さんは、あのとき財布を届けなかったことを悔やんでいて、「私は、その道徳教育というものに失敗したんです。」と言われました。今思うとその言葉はある種の照れ隠しだったのかも知れません。しかしあのときのお父さんとお母さんの安心したような本当に嬉しいような表情は今も私の頭から離れないのです。
2012.10.26
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このようにして、彼の親への反抗は終焉を迎えたのでした。それから更に2~3ヶ月経ったある日、彼のご両親とお話をする機会がありました。まずはお母さんがお礼を言ってくださいました。次にお父さんがあの財布を拾ったときの行動を心から悔いていると話してくださいました。そしてお2人とも、彼が以前の素直な子供に戻ったのは私のおかげだと深々と頭を下げてくれたのでした。でも!でも違うんです。そんな知り合って1年や2年の塾の先生が、中学生の心を大きく変えることなんてできないのです。、、、そう話出した私の言葉にご両親は戸惑った表情を浮かべました。でも違うんですから仕方ありません。
2012.10.25
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話を戻します。「う~ん、、、考えてみるわ。」と彼が言ってから2ヶ月ほど経った頃だと思います。また2人きりで話をする機会がありました。あの後私は彼とこの話をしていなかったのですが、彼の方から話題を持ち出しました。「先生、こないだの話覚えてる?」勿論覚えていることを伝えると、彼は「ここんとこちょっとずつやけど親の言う事聞くようにしてるよ。」と言ってきました。「またどうして?」と問いかけると、「難しいことは上手く説明できないけど、その方がいいと思ったから。」と返事が返ってきました。「上手く説明できんでもエエから聞かせてよ。国語の練習やと思うて!」と促すと、、、確かに自分にも悪いところがあった。それをお父さんにだけ押し付けるのはよくないと思った。お母さんは何の悪い事もしていないのに、申し訳ないと思った。自分も悪いのに、自分には何の罰も受けてないのはおかしい。、、、といった内容を一生懸命説明してくれました。
2012.10.23
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さてここまで話すと、「こいつは生徒にひどいことを言う先生だな!」「そんなこと言われてキレもしないとは素直な生徒だな」とか思人もいるでしょう。「素直な生徒」という感想は正解ですが、こんな話をしてもお互い冷静にいられるには原因があります。まずは、ゴマはそういうことを言う先生!と生徒が思っている、または日ごろ思わせているのがその原因の1つです。教科の授業をしながら生徒の道徳心も鍛えているからこそだと自負しています。本気の道徳を振りかざした意見を聞きたいと思う生徒が、様々な問題を投げかけてきます。先生冥利に尽きる瞬間でもあります。次に考えられるのは、そういう本気の話をしても大丈夫な人間関係を彼と構築できていたことも挙げられます。この話をすると「生徒を見てものを言うのは教師としておかしい」って言ってくる先生が過去に何人かいましたが、違うんですよ。『生徒を見て』ではなく『生徒との人間関係の状態を考慮して』ものを言っているのです!
2012.10.22
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彼は私の話を黙って聞いていました。全てを聞き終えて、しばらく間を置いた後に「僕はどうしたらよかったん?」と問いかけてきました。「『どうしたらよかったか』より『どうしていけばいいか』の方を考えた方がええよ。」「なんで?」「過去はもう変えられんけど、未来は変えられるから!」「過去のことを反省するのはよくないの?」「それも大切やけど、それだけでは意味ないよ。ちゃんとこれからどうするかも考えないといくら反省しても無意味になるで。」「う~ん、、、考えてみるわ」私はまだ言いたいことがありましたが、このときの会話はここまででした。
2012.10.19
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この話をきれいごとで終わらせては彼のためにならないので『本気の道徳』の重要要素の1つである【自らの負の部分に容赦なく目を向ける】ことをさせようと、私が彼に話したポイントが以下の通りです。1:「父が悪い」「父のせいだ」というけれど、ではなぜそのとき「財布を交番に届けよう」と言わなかったのか!小学4年生だったからといってそれくらいの善悪の判断はあったはず。自分のことは棚にあげて、悪いのは父だと言うことで自分を被害者に見立てて正当化しているだけ!父も父なら子も子!その父あってこの子あり!似たもの親子であることを認識せよ!!2:しかもそれを原因に親に反抗していることまで正当化しようとしているが、正当性なんて微塵も無い。3:さらにお母さんの立場はどうなるのか?拾った財布のお金を使ったのは父親とお前!それで父親とお前の関係がどうなろうと2人の勝手。拾った財布のお金を使うような人間2人の関係がどうなろうと知ったことではないが、なぜ全くその件に関係のない母親にまで反抗するのか?これらを淡々と話ました。
2012.10.18
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その件以来、彼は父親の言葉に疑問を抱くようになったのです。「やるべきことはやりなさい。」「人の気持ちを考えられるようになりなさい。」「将来は立派な大人になりなさい」等々、、、。ではお父さんはどうなのか?やるべきことはやっているのか?人の気持ちを考えているのか?立派なのか?そしてやがて父親のことが嫌いになっていったのでした。そこから父親に反発し、母親にも反抗するようになったのです。以上の話を生徒から聞かされたら、、、、、このブログを呼んでいる先生方はどうしますか?彼にどんな話をしますか?この彼の話は当然ながら私の『本気の道徳』魂に火をつけました!
2012.10.16
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当時流行っていて欲しかったプラモデルを買ってもらったときは「本当にラッキー」と思っていた彼でしたが、家に帰ってからはなんとなくそれを作る気になれなくなっていたのです。彼の脳裏に浮かんだのは顔も知らないその財布の持ち主のことでした。その人が財布をなくしたと気付いたときの気持ちはどうだったのだろう。その人はあの三千円で何を買おうとしていたのだろう。その人はあの三千円をどのようにして手に入れたのだろう。働いたのだろうか、それとも自分と同じ子供が親からもらったお小遣いだったのだろうか。その人はあのポイントカードのポイントがたまるのをどれほど心待ちにしていたのだろう。頭の中を駆け巡った思いが、そのプラモデルを組み立てることを良しとしなかったのです。そしてその後には、お金とポイントカードを抜いた財布をゴミ箱に捨てたときのお父さんの姿が何度も何度も頭に浮かんできたそうです。数日後彼はそのプラモデルを作ることなく紙袋に入れて押入れの奥にしまったのでした。
2012.10.15
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彼が言うには、彼の記憶では、、、彼が拾った財布を手にしたお父さんはその中身を確認したところ、千円札3枚と小銭が200円ほどあり、他には数枚のレシートとスーパーのポイントカードが入っていたそうです。そしてお父さんは「得したな。」といって、お金とポイントカードをポケットに入れて空になった財布をそそくさとゴミ箱に入れたのでした。その後彼とお父さんはそのお金で食事をして、さらに余ったお金でお父さんは雑誌を買い彼は当時流行のミニ四駆のプラモデルを買ってもらったとのことでした。
2012.10.14
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彼が驚いた2点目は「正しい行動をした大人がいたこと」だったそうです。1点目と共通しているように思えるかも知れません。私も最初はそう思いましたが、彼の話を聞いて納得しました。彼が小学校4年生の冬休みにお父さんと出かけたときの話をしてくれました。そのとき彼は男子トイレで財布を拾ったらしいのです。で、トイレから出てお父さんに「財布拾った」といって財布を手渡したのです。いつも彼に「そうしなさい。ああしなさい。」と言っていたお父さんの言葉を疑ったことは無かったので、彼は少しワクワクしたそうです。彼の頭の中では、交番に財布を届ける・おまわりさんに感謝される・持ち主が現れる・持ち主にも感謝される、、、、そんなお父さんの姿を想像したそうです。おそらくその頃の彼にとってお父さんは、大きな存在というか正しいおこないの具現者だったのだと思います。
2012.10.13
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その財布の落とし主は彼の家の近所のおばさんで、財布をスーパーに忘れたこと、半分諦めながらお店に戻ったら1円も盗まれることなく届けられていたこと、財布にはお金以外にも大切なものが入っていたので全てが無事に戻ってきて嬉しくて泣いたこと、それらを全て彼のお母さんに話したそうです。それを聞いた彼は、日時・場所・財布の色形が私の話していた内容と一致したことに驚いたとのことでした。そして彼が驚いた理由が2点あったことも教えてくれたのでした。1つは私の話が事実だったこと!小学校の高学年の頃あたりから、彼は「大人なんて自分の都合のいいように平気で作り話をしたり、平気で嘘をつく」と思うようになっていて、私が財布を拾った話を聞いたときも「この大人もまた嘘ついて自分をいい人と思わせようとしている」と思ったらしいのです。だから私の話が事実であったと知ったときに驚いたということでした。
2012.10.12
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それから2ヵ月ほど後だったと思います。「こないだの話やけど、これちゃうかなって思うことを思い出してん。」と彼が話しかけてきました。「先生僕がこの塾に通い出したころ、財布拾った話したことあるやろ。」確かに彼が入塾したころ、その教室の近くのスーパーに昼食のお弁当を買いにいったとき財布を拾ったのでした。私はその財布を店員さんに渡し、店員さんが警察に届けようとしていたところに持ち主が血相を変えてやってきたそうです。そしてその翌日、私は授業の合間にそのエピソードを話していたのでした。
2012.10.11
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そんな彼と知り合って1年が経とうとした頃、2人きりでゆっくり話をする機会がありました。入塾してきた頃の彼と小さな衝突はあったものの、その頃にはもうある程度の人間関係ができていて、ご両親からも「この子は親のいうことは聞きませんが、なぜかゴマ先生の言うことは聞くんです。」なんて言われるようになっていました。「なんで親の言う事を素直に聞かれへんの?」「そんなん分かれへんわ。ただなんとなく聞きとうないんや。」「いや、何か原因あるやろ?」「原因なんかないわ。」「いや絶対あるわ!その証拠にお前最近俺の言う事は聞くやん。俺に無くて親にある『何か』が原因でそうなってんのやろ?」「う~ん、難しいなぁ。」「逆に俺にあって親に無いもんかも知れんで。」「、、、、。」「結構人間って自分のこと知っているようで知らんから、そんなことってあるんよ。自分でよう考えてみ!『言葉がすんなり心に入ってくる大人と、そうでない大人の違いは何か?』を」こんな感じの会話をしたのでした。
2012.10.09
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では、道徳教育から逃げている保護者とは、どんな人達でしょう?結論からいうと、《口では道徳的なことを言っているが『いざ』というときに道徳的行動をしない保護者》であると言えるでしょう。まあ『いざ』とうときでなくても日常から普通に道徳的行動をしないタイプの保護者にも出会ってきましたが、それらは論外として今回は扱いませんが、、、、例えば以前こんな男子生徒に出会いました。ご両親は非常に常識的で感じがいい。なのにこの子供である彼はどことなく反社会的というか反道徳的な言動を見せることがあったのです。特に家では親の言う事は聞かないらしく、ご両親は手を焼いていたとのことでした。しかし、ご両親によく聞いてみたら「小学校5年生くらいから、父親のいうことに反発し出したというか、聞かなくなった」そして「小学校卒業の時期になってきたら母親の言う事にも耳を傾けないことが多くなった」とのことでした。
2012.10.08
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家庭でこの『道徳』の楔を打ち込むことができる保護者にもやはり共通点がありました。それは道徳の授業と同じで『本気である!』ということです。こう言ってしまうと保護者の皆様に「親はいつでも本気で子育てしてる!」とお叱りを受けそうですが、、、、。しかし敢えて言わせてもらいますと、子育てには本気でも道徳に本気かどうかで子供に与える影響は大きく異なるのです。以前別の章でも紹介しましたが、全く教育から逃げている保護者もいます。意図的に逃げている場合と、図らずも結果的に逃げてしまっている場合があるように思います。
2012.10.07
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重要な立場の人達、、、。それはその生徒の両親、または祖父母なのです。確かに学校での本気の道徳教育は必要です。しかし学校云々言う前に、子供達が道徳を学ぶ場、学ばなければならない場があるのです。それが『家庭』なのです!!新米教師時代の私の道徳の授業に成果を生んでくれた大きな要因の1つが、生徒達の両親や祖父母の援護があったことを、私はその地域を離れてすぐに痛感することになったのです。その援護の例を具体的に挙げればキリがないのですが、全てに共通するのは『生徒達がすでに家庭で道徳心の基礎を植え付けられていた』ことだと感じています。当時の私は、子供の心に『道徳』という大きな楔(くさび)を打ち込むことができる保護者達に囲まれていたのです。
2012.10.01
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