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もちろんのことですが、親としての立ち位置をしっかり守っている人たちも多くいます!なかには凄まじい親もおられます。例えば『親』であり『師』である保護者の方がおられます。それがスポーツでも芸術でも、その世界で一流であった親が、子供をその世界での一流の人材に育てているという話を聞くことがあるでしょ👆確かに親の遺伝子を継いだ!といえばそれまでかもしれませんが・・・ただそれがけでしょうか?私はそれだけとは思いません。だって、どの世界であっても、遺伝子だけで一流になれるとは思わないのです。一度、遺伝子の専門の先生にお会いする機会があれば聞いてみたいのですが・・・今の時点では、やはり私は思いません。
2016.03.31
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結局、『親』ではなく『単なる便利な大人』は、子供の機嫌を取ることだけしかしません。例えば携帯電話! 買ってやるといえば、その発言から実際に購入してからしばらくの間だけ子供の機嫌をとることができるわけです。 その後のことなんて関係ありません。携帯電話を手にした子供は何をするか? 決まってます。勉強もせずにそれで遊びまくるのです。ネットをして、ゲームをして、音楽を聞いて、友達と意味のないおしゃべりの通信を深夜まで続けて・・・。そのうち携帯電話に友達からのお誘いを受けて、深夜に外出する。もちろん、金ズルの便利なだけの大人は、それらの行動にストップをかけることはできません。子供を信じているとか、子供の自主性に任せていますとかなんとか、どっかで聞いたような教育放棄発言を、あたかも「私は子供を理解している親です。」と言わんばかりに言い放つ・・・。これが便利な大人の1例です。すでに『親』としての立ち位置を見失っているから、【子供の傲慢】と対峙できないのです。
2016.03.30
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多くの保護者も読んでくれているのに、こんなことを書いて大丈夫?・・・と心配してくれている人はご安心ください。私は、親として日々格闘している人、親として当たり前のことを自然にこなしている人の味方ではあります。しかしながら、親の立場を放棄している連中には徹底的に対峙するのが私の立ち位置です!では、親としての立ち位置を確立できていない実例を挙げます👆もちろん、先に述べた「挨拶ができない」「お礼を言えない」「お箸を正確に使えない」「鉛筆の持ち方を知らない」・・・こんな子供を持っている人は、親ではありません。あとは、夜10時以降に遊び歩いている子供、勉強を全くせずに部活部活と言っている子供、校則を守れない子供、社会のルール・マナーを知らない子供、目上の人間に敬語を使えない子供・・・こんな子供の親はもう親ではありません。では親でなければ何なんでしょう!ズバリ言いますよ。『ただただ便利な大人』なんです。だってそうでしょうよ。何もしていない自分の生活の面倒を見てくれる、単なる金ズルです。しかも何の文句も苦言も言わない。こんな便利な金ズルがありますか?今までに私に「あなたは親でなく、単なる金ズルですわ。」と言われてキレた人! それは自覚があるから、あるいは痛いところを突かれたからキレたんでしょうよ!
2016.03.29
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例えば、『親』としての明確な立ち位置・ポジションを確立できていない、あるいは誤った位置に立っているひとの子供は、もう『子供』ではありません。生物学的に『子供』であっても、社会的存在である人間としての『子供』とは言えないのです。この話をすると、「お前は子供をもったことがないからそんなことを言う。」「一度親の立場になってみたらそんな事は言えないぞ!」なんていう人もおられますが・・・いつものように言わせてもらいますよ!「親とちゃうから言えるんやっちゅうねん!」「親がそんなに大変なんやったら、はじめからなるなっちゅうねん! もともとお前は親の器とちゃうかったっちゅうだけやんけ!」「それに、大変やけどちゃんと親をしている人やってぎょうさんいてはるぞ! なんでお前にはできへんねん。 言い訳ばっかりして甘えとったらアカンで。」はい、では話を戻します。親が『親』としての立ち位置を確立できていない人の子供がどうなるかの実例を紹介しましょう。
2016.03.28
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この「身を隠す」というのはいろんなパターンがあります。身を隠さないといけなくなる場合もあります。よくあるのは教育委員会あたりが問題を起こしたと思われる先生を、現場から遠ざけるパターンです。まあこれは学校勤務という勤め人の立場ではあがなうことはできまんせん。しかし、自ら身を隠すというのは避けるべきですよ。その時はそれでいいかもしれませんが、後々分かります。それは自らが立てるポジションを自らの手で減らしていくことなんです。ただし!心身に支障が出てしまう場合は仕方ないですよ。即刻離脱です。さっさと身を隠してしまってください。そこを踏ん張ってしまった結果、深刻なうつ病になったり、自殺してしまったりする先生だってたくさんいますからね。学生諸君が思っているよりかなり多いですよ。でもそうでもないのに、さっさと自分のポジションを放棄する先生に、生徒たちは容赦しませんよ。どんどんどんどん傲慢さを増長させていきます。もちろんクラスや学校の全生徒ではありませんが、その中の1割の生徒が傲慢さを出してしまえば、そのクラスや学校はもう完全に崩壊してしまっています。
2016.03.27
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さて!「生徒の傲慢と対峙する」という話題からズレてしまっている・・・とお思いの方も多いところでしょう。しかし、実はズレてはおりません。教える側が自分の立ち位置をしっかり認識して足元をしっかり固めておかないと、生徒の傲慢と対峙できないのです。元々立ち位置を決めないで、生徒の傲慢から逃げている先生はまだましかもしれません。ある意味では・・・。立ち位置を固めていないこと自体に気付かず、生徒の傲慢に対峙しているつもりがしっかりスルーしてしまっている先生の方が危険なこともあるのです。そんな先生は自分が一生懸命生徒と対峙している気でいるのです。ところがいつもスルーばかりしている。そんな状況が続けば、いつかは自らの教える側としても力量を疑わざるを得ない事態に直面してしまいます。で! その事実に対処しきれずに、身を隠してしまうんですね。
2016.03.26
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それと!公務員になりたいから教職・・・なんて考えている人は甘いよ👆何度も言いますが、先生は1年365日ず~っと24時間営業です。「今日はオフですから」とか「今は昼休みですから」等々の言い訳は通用しないですよ。なんか最近20歳代~30歳代の教員が、クラブ活動の顧問を命じられるのは不当労働だとか言っているグループがあるらしいですが・・・「アホか」の一言ですわ!おそらく教員採用試験には愛かったのでしょうが、ただ机上の勉強に強かったか、あるいは強烈なコネがあっただけの話でしょう。現実世界への想像力が欠如しています。職業に対する使命感も欠如しています。「義務」を行使する前に、「権利」ばかりを主張する!その辺のヤンキー・チンピラ中学生と何も変わらへん!話を戻します。このあたりもSWではしっかり描かれています。劇中では「想像力」ではなく「洞察力」という言葉を使っています。ジェダイに必要な資質の1つだと表現されています。
2016.03.25
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特に近年の先生には威厳がありません。威厳を無くしたのは、文部科学省・一部の保護者・一部の先生が原因! そして一部の生徒たちはその尻馬に乗ってしまっているのが教育の現場。ならば、先生は打たれ強くないと生きていけませんよ。たくさんいる中の1人の生徒が脱落したからといって、いちいち責任を感じてルークのように身を隠してしまうのは卑怯としかいいようがありません。そんな弱い奴が先生になってはアカンのです。でもなってしますのはなぜか?このような現状を言葉にする人間がおらんからです。いいですか!教職を目指す学生諸君よ。打たれても打たれても立ち上がり、反撃にでるくらいの覚悟をもって教壇を目指しなさい。
2016.03.24
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何か少し失敗があれば、ただただ落ち込んだり、必要以上に反省をしたり、「それは反省せんでええやろ!」ってポイントを反省したり、、それがエスカレートして心身を病んだり、現場を放棄したり、、、。一言でいうと「ガキか!」と言わざるを得ない先生が多いですよ!先生という立場は、決して正義の味方でも善の具現者でもないのです。ましてや完全無欠な先生なんて存在しません。そこをしっかり認識しながら生徒の前に立たないと、打たれ弱い先生になってしまします。ましてや教育の現場は、テレビドラマや映画のような作者のテーマに沿った台本があるわけでもないのです。理想を追うのはある程度構いませんけど、大切なのは千変万化する現場にいかに瞬時に対応できるかなんですよ。時にはその対応の範囲において、率先して汚れ役にもならないといけないときだって、結果としてヒールになるときだってあるんです。それに、ある1時点では失敗だと思われることも、後に成功に転じることができるのも教育の現場の現実なんです。
2016.03.23
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さて、昨年末に公開されたSWエピソード7!私も観にいきましたが、「とうとうそこを描いたか!」あるいは「やっぱりルークはそうなったか!」と思いましたね。もうそろそろこの内容に触れてもいいかな・・・と思いますので、触れさせてもらいます。しかしまだエピソード7を観ていない人で、内容を知らされたくないという人はここからは読まない方がいいかもしれません。ストーリーに触れちゃいますから。 私から見れば、ルークは十分な訓練や修行を積まずにジェダイになったと言えます。そのルークがエピソード6以降にジェダイマスターとして後継者の育成を始めたという設定になっています。その育成を受けた人間の中から、またフォースの暗黒面に落ちた者が出てしまったのです。そこでルークはどうしたか?責任を感じて身を隠してしまうのです。銀河で唯一のジェダイである彼がいなくなったわけですから、再び銀河を悪の組織が支配し始めるのです。そしてそのせいで、多くの命が失われてしまいます。教える側が、教えることに失敗したからといって、身を隠してどないすんねん!っちゅう話です。これが映画のストーリーなんで、まだ許せるのですが、これと同様の行動をする先生も近年多いような気がします。
2016.03.22
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先生が先生のポジションに、親が親のポジションに立たないから、子供たちも子供・生徒のポジションに立たないのです。先にも述べましたが、その結果の1つがSWに描かれているわけです。生徒がいちいち先生に意見をし、くってかかり、あたかも自分の方が優秀であるかのような言動とふるまいをするのです。おそらくそこが原因ではないかとも思いますよ!学級崩壊とか多動症などの発達障害を生み出すのは。学級崩壊はその原因を追求するよりどのように対処するかに注目がいき過ぎですし、多動症等の発達障害も原因はないのでどう対処するかが重要なんて風潮が流布されていますが、原因を叩き潰さないと問題解決にはならないですよ。それらの原因が解明されないからこそ収益を得る機関まで存在するのは、忌々しき問題です👆
2016.03.21
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何年か前にボーっとテレビを見ていたら、生物学者の先生が言っていました。「親が子供の面倒を見る割合が一番高いのが哺乳類、次が鳥類・・・一番低いのが昆虫だと思います。」と。つまり今回、【昆虫レベルの親】といったのは、子供の面倒を見ていないという意味です。もっといえば、人間としての『しつけ』ができていない親という意味ですよ。だって、挨拶できない、お礼を言えない、正しく橋や鉛筆を持てない・・・この状態で『しつけ』ができているとは間違っても言えません!過去にこれをいうと「私がこの子をどんな思いで育ててきたかも知らないくせに!」と喰ってかかってくる昆虫保護者が何人かいましたが、そのときも言いましたし、今も言いますよ。「そんなん知ったこっちゃないわ! まずは、挨拶できる、お礼を言える、橋と鉛筆を正しく使えるように『しつけ』をしてからモノ言えや!」と。『しつけ』って漢字でかけますか?『躾』と書きますよ。『身』が『美しい』と書きます。それは外見のことではありません。立ち居振る舞いのことを言うのです。挨拶しない、お礼を言えない、日本人として橋を正しく持てない、鉛筆を正しく使えない・・・これらの状況が『美しい』といえますでしょうかね? 言えるわけがおまへんわ!
2016.03.20
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そうそう、大事なことを1つ言い忘れていました。先生が親のポジションに立とうとするのは間違いだ!と述べてきましたが、これもはやり「逆も然り」なんです。つまり、親が先生の位置に立とうとするのも危険ですよ。中には本当に上手く、親と先生の立ち位置を微調整して子育てをしておられる保護者の方々もおられます。しかしほとんどは大失敗をかましてますよ。まあ中にはそんな立ち位置も意識せずに大失敗している保護者が多いように感じますけどね・・・これを見極めるのは非常に簡単です。子供が「できて当然」のことをちゃんとできているか!で簡単に識別できます。例えば、挨拶・人に何かをもらったらお礼を言う・箸の持ち方・鉛筆の持ち方、で分かります。この4つのうち1つでもできていない子供の親は、私に言わせれば親ではありません。もっと厳密にいうと、人間の親ではありません。ただただ、生物として子作りをし、子供を生んだというだけの話です。レベルとしては昆虫レベルです。まあこういってしまえば昆虫たちに失礼だとは分かりつつも、この言葉を使わせてもらいます。すまない!偉大なる昆虫たちよ!m(__)m
2016.03.19
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話をSW(スターウォーズ)に戻します。弟子としてアナキンを導く立場になったオビ=ワンでしたが、自らの先生・師匠としての立ち位置を間違えた結果が、エピソード3のラストシーンに至ってしまうのです。そのシーンの結果を断ち切るために、エピソード4~7の戦いが必要となり、数えきれないほどの命が失われる結果となってしうわけです。アナキンだって、エピソード2と3で、その葛藤を台詞に表わしています。オビ=ワンを家族と思い、父とも思っていると言う反面、ときには怒りや憎悪を口にすることもあります。そらそうでしょう。アナキンは他のジェダイと違って、母だけとはいえ、家族を知っています。そしてオビ=ワンの気持ちも分かっています。だからその気持ちにこたえようとして、彼を家族と、父と思おうとしていたのでしょう。でも違うんです。オビ=ワンは彼にとって家族ではないのです。確かに、他のジェダイ・マスターとは違うポジションを取ろうとした・・・ともいえるかもしれませんが、アカンのです。家族の位置にポジションを取ってはアカンのです。先生であり師匠なんですから!
2016.03.18
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では多くの先生たちは、なぜ同じ方向にポジショニングをするのでしょう。理由の1つは簡単です。文部科学省が「そうせなアカンで~」と言っているからです。2つ目は、真面目な性格からくる使命感のような気がします。「先生はこうでないといけない」というステレオタイプが頭の中にあって、それを本気で忠実に具現化しようとするあまり・・・というパターンが多いように感じます。あとは、職場で出会った尊敬に値する先輩先生のマネをする。マネをするあまり、その先生の背中を追いかけるあまり、その先生の直後にポジションを取ってしまうのです。3つ目は、そのポジションが楽だから・・・です。野球で言うなら、1列で守備をしていれば、打球が飛んできても、捕るのは先頭にいる先生です。エラーがあってもその先頭の先生のせいにできます。しかも自分は何もしなくても給料をもらえる。それで定年退職まで勤められればオッケーという、事なかれ公務員先生が快適に過ごすことができる場所になっちゃっているんです。
2016.03.17
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例えば最近発覚した中学生の自殺問題です。報道によれば…の範疇で言いますと、その学生さんは3年生で、1年の頃にあった万引き事件が原因で進学の推薦を得られなかったそうです。しかし彼は万引きをしておらず、別の生徒と間違えられてそのままパソコン上の記録に名前を記されたらしいのです。ではなぜ彼は真実を先生に伝えなかったのか・・・「だれに言っても同じ。信じてもらえない。」と考えたかららしいのです。つまり私の言葉で言い換えれば、先生たちは同じ方向ばかりを守っていたのです。1人でも違う方向にポジションを取っていたら、あるいは「あの先生にだけは真実を話してみようかな…」と思えたかもしれないのです。そうなれば、あるいは自殺という手段を選択しなくてよかったかもしれない可能性が少しでも生じたのでは・・・と思います。まあ結果論だけでこんなことを言うのも卑怯かもしれませんが、1つの考え方として、また教訓として、これから教職を目指す人たちのために、あえて文章化させていただきました。
2016.03.16
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もちろん基本的には「私の立ち位置はここ!」「私のポジションはここ!」と決めて教壇に立ち、先生でいることは大切なことです。それが揺るいでしまうと、何のために先生でいるのかという根本問題が揺るいでしまうことを意味します。しかし、その立ち位置やポジションを時と状況によって微調整するべきなんです。ちなみに私の場合の生徒との距離は、超接近戦のイメージです。その姿を見て多くの先生は「ゴマは生徒の中にどっぷり入り切るタイプ」と評してくれます。どっぷり入り切りながらも、明確な先生・生徒のラインは明確に保ちます。そして超接近戦ではありますが、普段は真正面のポジションは取りません。こちらからは近く生徒からはちょっと遠い位置にいるようにしています。まあここは教職を目指す皆さんが、実際に教壇に立った時に分かると思いますよ。最近の先生は、生徒と距離を取り過ぎなのに真正面のポジションにいたがります。また皆が皆その立ち位置にいようとするから、様々な問題が起きても誰も対処できない事態が起こるのです。野球に例えるなら、9人の選手(先生)が守備につくのに、9人ともが打者(生徒)の真正面を守ろうとしているのです。9人がピッチャーから外野のセンターまで1列に並んでいるようなものです。そんな守備をしていれば、たとえバッターがボテボテのサードゴロを打ったとしても、誰もその打球を追いかけられずにヒットどころか2ベース、3ベースヒットにしてしまうのです。雁首揃えた教員達が、そんな守備位置にいるから【教育エラー】が起こるのです。
2016.03.15
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先生というのはあくまで先生なのです。どこまでいっても何をしても先生なのです。親でもなければ、兄弟でもないし、近所のおじさん・おばさん・にいちゃん・ねえちゃんでもない、、、ましてや事なかれ主義の親方日の丸公務員でもないのです。先生なのです。つまり、先生は生徒たちにとってそのほかの大人たちとは異なったポジション・立ち位置にいなければならない存在なんです!どうも最近この辺が分かっていない先生が多い、、、多すぎるような気がします。もっといえば、先生の中でもポジション・立ち位置を微妙に変えないといけなかったりもします。職員室にいる先生全員が全く同じポジション・立ち位置であってもいけません。野球で例えるなら、ランナーを3塁に背負えばポジションはバックホーム体制だし、長距離バッターが打席に立てば外野のポジションはフェンス寄りにバックしたり、その状況によってポジション・守備位置が微妙に変化します。これらは野球を知らない人には変わり難いですが、知っている人には定石です!生徒と先生の関係も、まさにこのポジション・立ち位置を重視しなければなりません。生徒や保護者には分からなくでも、その状況に応じて微妙にポジション・立ち位置を変化させるべきなんです。オビ=ワンはここを完全に失敗していたのです。だから You were my brother,Anakin. なんて言葉を、弟子に言ってしまうのです。
2016.03.13
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先生に「弟だと思っていた。」とか「妹だと思っていた。」とか・・・あるいは「息子だと思っていた。」とか「娘だと思っていた。」とか・・・そんなふうに言われたら「え?」って思うでしょう?それが違和感ですよ。おかしいでしょ!先生はあくまでも先生で、親子でも兄弟でもないのです。もし先生が生徒に対してそんな感覚や思いで接していたら、そこに甘えというか死角が生まれてしまいます。その甘えや死角が【生徒の傲慢】を誘発してしまうのです。誤解が生じるといけないのでいっておきますが、親に甘えや死角があると言っているわけではありませんよ!ほとんどの親は真剣で必死です。私が言いたいのは、先生が親気分、兄弟気分で生徒に接している場合のことを言っているのです。ましてや友達気分なんてのは、もう最悪です!
2016.03.11
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You were my brother,Anakin. お前は私の弟だった(そう思っていた)。I loved you. お前を愛していた。まあ、英語圏では家族や親族にも I love you. を使いますから、ここを気持ち悪いとは思わないでください。しかしこの I loved you. の台詞から、オビ=ワンがアナキンを本当に家族だと思っていたことが読み取れます。ここでまだこの台詞の違和感に気付かない人は、目線を変えてみてはいかがでしょう👆先生として生徒に言う・・・という状況ではなく、生徒の立場であったと想定したときに先生に言われたとすればどうですか?ちょっと違和感を感じませんか?
2016.03.10
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師でるオビ=ワンが弟子のアナキンの中に【傲慢】を生んでしまった理由・・・それはエピソード3の最後の2人が戦ったシーンの終わりに台詞としてあらわれています。手足を切り落とされ、戦闘不能にされたアナキンにYou were my brother,Anakin. I loved you.との台詞を残して立ち去るオビ=ワンなのですが、その台詞に原因が示唆されているんですね。皆さん、分かりますか?特に教師を目指している皆さん!分かりますか? あるいは違和感を感じませんか?
2016.03.09
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最後の授業が終わり、受験生を送り出した後・・・ほっと一息つきながら・・・な~んか忘れてへんか? と自問自答すると・・・「あ!確定申告( ゚Д゚)」となります。今年も例外ではありませんでした。明日税務署に行って参ります(-_-)
2016.03.08
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本年度生最後の授業が終わりました。1年間いろいろありましたが、今年も受験生たちとお別れです。あとは明後日の入試本番での健闘を祈るのみです。ともかく今夜はゆっくりさせていただきます。明日からまた書き込みの続きを再開します!
2016.03.06
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