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はじめて出合ったのは小学校5年生のときだったと思う。その衝撃は凄まじいものだった。一瞬にして私を虜にしてしまった。それは・・・コーンポタージュ!それまで家や給食でコーンスープは飲んだことがあった。大好きだった。元々トウモロコシが好きなのだから仕方がない。ただでさえ美味しいコーンスープをこれでもかというほど濃厚にしたあの反則と言われても言い訳のしようがない口当たりと味はこの世のものとは思えなかった。それが給食で出たのだ!家に帰って母に作ってほしいと願い出たが簡単に却下された。「ポタージュ?・・・どこの星の食べ物や」と一刀両断だった。それ以来私は毎月末に配布される来月の給食献立表をつぶさに見るようになった。そしてその中にコーンポタージュの表記を見つけると、その日に向かってがぜん生きる活力が湧き出て来るのを感じたものだった。
2019.02.28
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我々人間はいずれかのグループや団体に所属して生きていく、またはある意味完全に1人では生きていけないことから社会的存在だと言われる。そうである限りは完璧ではないにせよ、これらの届かぬ声に耳を傾ける能力や感受性が不可欠だ。そのように努めていても感じ取れないことだってある。そこをそっとフォローし合うのが友たちであり家族なのだ。それがたとえ人生で一瞬だけすれ違った人であっても同じことをすることで社会の平和が保たれる。昔の日本人はそれを嫌というほど知っていた。しかし現在はどうだろう。それを思うと、この国の未来は明るいものだとは言えないような気がする。
2019.02.27
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族やヤンキーの類はこの届かぬ声の存在に気付くことは無い。それは自己中心であればなにでもいいという偏った慢心が他人の気持ちを推し量る想像力を殺してしまった結果だ。しかしながらそんな連中と一線を画す我々はどうだろう。たとえば私だ。かく言う私だって完全無欠とは程遠い存在である。族やヤンキー程ではない(厳密にはないと思いたい)にせよ周りの人たちに迷惑をかけながらものうのうと生きている。それでも自分なりに届かぬ声に耳を傾けながら生きているつもりではある。それはほとんどの人も同様だと思う。なぜなら完全無欠の人間なんていない。釈迦やキリストのようには生きられない。というか、よく調べたら釈迦やキリストだって完全無欠であったわけではない。
2019.02.26
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そんなヤンキーにクラスの誰かが、または教師が声を届けない理由ははやり2つ。1つはそんなことをすれば何をし出すか、またはされるか分からない。「触らぬ神に祟りなし」である。もう1つは声を届けずに機嫌よく泳がせておいて平和を保つためである。もちろんその平和はクラスの多くのメンバーによる我慢の上になり立っている。だからこそそのヤンキーが休んでいるときの授業は雰囲気が良いのだ。我慢の必要も無く、日頃我慢している同士がその日々の労苦から解放される春を思いっきり満喫できるからだ。「言わぬが花」である。日頃わがまま放題の言動をして自分がクラスの中心者だと思っているヤンキーは、幸か不幸かこの事実を知らないままでクラス替えや卒業までの時間を過ごす。「知らぬが仏」である。
2019.02.25
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辛酸をなめ続けて戦で大きな戦果もあげることは無かったが何とか戦後期時代を生き抜いた武将は、戦無き世を望んで親交のあった武将に「戦いの無い世を作りるには我慢が必要だ。それができないで戦を起こして死ぬのがいいのか、それをしてでもみんなで天寿を全うするのではどちらがいいかを考えるべきではないか。」との手紙を送ったとの話を聞いたことがある。我慢をするということは、言葉を変えれば「声を届けない」と言える。どこの学校でもよくある光景だが、クラスのヤンキーが休んでいる日のそのクラスの楽しい雰囲気がそれこそ半端ないことが往々にしてある。でもそのヤンキーは学校に来ると機嫌よく自分の思い通りの言動ばかりをする。なぜならそいつは自分がいないときのそのクラスの雰囲気や空気感を知らないのだ。
2019.02.24
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その母娘にしても御夫婦にしても私にしても騒音やバイクに不快を感じたのだが、その根源を確かめようと向けた目線が勘違いを生んだ。これはこの場合のみならず、おそらく街中に騒音を轟かせていい気になっている連中やそれに類似した一般社会に迷惑をかけている連中にも同じ現象が起きているのだ。我々な何も連中に羨望の眼差しを向けている訳ではない。むしろ対極のものだ。我々の声は連中には届かない。まあ正確にいうと届ける気はない。届けたところで連中が改心するわけでもなく、それどころかややこしくて面倒臭いいざこざに巻き込まれるのがオチであることを知っているからだ。
2019.02.22
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自分の車に近づきながら、私は店を出るときにすれ違った4人の会話を回想していた。OL風のお母さんにまず小さな娘が言った。「お母さん、うるさい音がしてる。耳が痛い。」その言葉を聞いたお母さんは振り返ってその騒音の根源を確認した。つられて娘も振り返る。2人とも1秒も目視せずに目線を新方向に戻したが、そのとき2人ともが眉間にしわを寄せていた。母は「迷惑やね。でも店に入ったら聞こえないから大丈夫やで。」と娘に声をかけた。それど同時進行で母娘の後方を歩いていた老夫婦も苦虫を噛み潰したような顔をしていた。そしてはやり一瞬後ろを振り返った後、お互い眉間にしわを寄せながら互いの顔を覗き込んで「やかましいなあ。」「迷惑やのう。」と言葉を交わした。
2019.02.21
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自販機でコーヒーを買ってまた引き返すときに駐輪場の近くを通った。そのときはもう騒音バイクの主はヘルメットを取っていた。どこにでもいる普通のおじさん(といっても同年代)だった。そしてスマホでだれかと話をしていた。すれ違いざまにその声が聞こえてしまった。「やっぱりな、このバイクな、注目の的だわ!」その言葉が耳に入った私は心の中で「はぁぁぁ~~~????」と思いながらふと彼に目線を向けた。すると彼も私の方を見ていた。その表情をみた私は「しまった!」と思った。その表情は「あんたもさっきからこのバイクばっかり見てるよな!羨ましいか?」と言わんばかりだった。「そういう意味で見とったんちゃうねん!」と思ったが、それを言葉にするのもなんだかややこしいので何も言わずに自分の車の方に歩いて行った。
2019.02.20
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駐輪場のライトに照らされたそのバイクの姿はかなり中途半端・・・まずはおおよそ暴走族(以下「族」)がチョイスしないタイプのバイク。そして改造具合も族なのか走り屋なのかわからない。かといってそれなりにまとまりがある訳でもオシャレでもある訳でもない。乗り手の姿も同様に中途半端。何の作業に使っていたのか分からないボロボロの布つなぎに貼りまくっているワッペンの統一性の無さ。一見ブーツと見せかけて釣り用の長靴。クローブはホームセンターなんかで300円前後で売っている刃物も通さないとかいう作業用の手袋。しかしながらヘルメットはトップメーカーのセカンドベストランクの高価なフルフェイスに綺麗なオリジナルペイントがなされている。とにかく、興味の無い人には分からないと思うが、知っている人にはえもすれば自分が恥ずかしくなるくらいのルックスだった。
2019.02.19
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この日は冷え込んでいて帰りの車内で熱いコーヒーを飲もうと決めていた私はそのまま自販機のある方向に歩を進めた。自販機にたどり着くまでに駐輪場があったが仕方ない。その駐輪場にあの騒音バイクと運転手がいるが仕方ない。騒音バイクの主はあれだけ騒音を出して世間に迷惑をかけて社会への反発をアピールしていたにも関わらず、ちゃんと駐輪場にバイクを停めた。近づくにつれてそのバイクと運転手の姿が明確に目に入ってきた。
2019.02.17
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先日の夜、普段はめったに行かないスーパーに寄って夕食の食材を買い出しにいったときの帰りだった。ものすごい騒音を立ててスーパーの駐輪場に入ってくる1台のバイクがあった。店から出ようとしていた私の視界には嫌でもそのバイクが入ってきた。私と入れ違う形で店に入ろうとしていたOLのお母さんと小さな娘さん、そして御年配の夫婦が背後から迫ってくる騒音の正体を知りたくて振り返った。バイクの運転手は明らかに自分の姿を振り返って確認した4人の方をヘルメット越しに確認をした。
2019.02.16
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目的をはき違えては手段が微妙に異なる。その微妙な差が実は大きな差となる。まだ幼いときは目的をはき違えても誰かがたしなめ、あるいは叱って方向を修正してくれた。それは親であったり先生だったり、あるいは近所のおじさんおばさんだったり見知らぬ大人だったりした。しかし18歳を過ぎてしまうともうだれも方向を修正してくれる人はほとんどいなくなる。そうなれば自らが自らに問いかけなければならない。目的を間違えていないか。手段は適正か。どの世界でもそれができる人が一流と成り得る。
2019.02.14
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このように同じ看護師としての資格を取得し現場に立ったとしても、その目的が異なれば手段も異なる。中にはその立場になったとしても、目的を間違えていれば淘汰される職業や立場もある。しかし反対に一度その立場になれば、たとえ目的を間違えていたとしても淘汰されない職業や立場の方が多いような気がする。だれにも教えないと約束をした上で親から虐待を受けている子供に書かせたアンケートを、名誉棄損で訴えると詰め寄った親に見せる児童相談所の職員がいる。だれのための児童相談所であり、何のために仕事をしているのかをはき違えていることが原因だ。子供のSOSより自分の立場が大切なのだ。だから訴えると言われるとたじろぐのだ。子供を守るために仕事をしているとの自覚があれば、裁判を起こされても受けて立つのが当然の行動だ。というか、そんなことで裁判を起こせるのかどうかすら考えることもしないで自分の立場と安全を守る・・・まさに保身公務員の鏡である!!おそらくあの人(たち)は公務員になることが目的だったのだ。もっと厳密に言うと、安定した生活をすることが目的なのだ。安定した収入を得たいから公務員になったのだ。だから子供を犠牲にしても自分の立場を優先でいたわけだ。
2019.02.14
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このように同じ看護師としての資格を取得し現場に立ったとしても、その目的が異なれば手段も異なる。中にはその立場になったとしても、目的を間違えていれば淘汰される職業や立場もある。しかし反対に一度その立場になれば、たとえ目的を間違えていたとしても淘汰されない職業や立場の方が多いような気がする。だれにも教えないと約束をした上で親から虐待を受けている子供に書かせたアンケートを、名誉棄損で訴えると詰め寄った親に見せる児童相談所の職員がいる。だれのための児童相談所であり、何のために仕事をしているのかをはき違えていることが原因だ。子供のSOSより自分の立場が大切なのだ。だから訴えると言われるとたじろぐのだ。子供を守るために仕事をしているとの自覚があれば、裁判を起こされても受けて立つのが当然の行動だ。というか、そんなことで裁判を起こせるのかどうかすら考えることもしないで自分の立場と安全を守る・・・まさに保身公務員の鏡である!!おそらくあの人(たち)は公務員になることが目的だったのだ。もっと厳密に言うと、安定した生活をすることが目的なのだ。安定した収入を得たいから公務員になったのだ。だから子供を犠牲にしても自分の立場を優先でいたわけだ。
2019.02.13
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このように同じ看護師としての資格を取得し現場に立ったとしても、その目的が異なれば手段も異なる。中にはその立場になったとしても、目的を間違えていれば淘汰される職業や立場もある。しかし反対に一度その立場になれば、たとえ目的を間違えていたとしても淘汰されない職業や立場の方が多いような気がする。だれにも教えないと約束をした上で親から虐待を受けている子供に書かせたアンケートを、名誉棄損で訴えると詰め寄った親に見せる児童相談所の職員がいる。だれのための児童相談所であり、何のために仕事をしているのかをはき違えていることが原因だ。子供のSOSより自分の立場が大切なのだ。だから訴えると言われるとたじろぐのだ。子供を守るために仕事をしているとの自覚があれば、裁判を起こされても受けて立つのが当然の行動だ。というか、そんなことで裁判を起こせるのかどうかすら考えることもしないで自分の立場と安全を守る・・・まさに保身公務員の鏡である!!おそらくあの人(たち)は公務員になることが目的だったのだ。もっと厳密に言うと、安定した生活をすることが目的なのだ。安定した収入を得たいから公務員になったのだ。だから子供を犠牲にしても自分の立場を優先でいたわけだ。
2019.02.13
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このように同じ看護師としての資格を取得し現場に立ったとしても、その目的が異なれば手段も異なる。中にはその立場になったとしても、目的を間違えていれば淘汰される職業や立場もある。しかし反対に一度その立場になれば、たとえ目的を間違えていたとしても淘汰されない職業や立場の方が多いような気がする。だれにも教えないと約束をした上で親から虐待を受けている子供に書かせたアンケートを、名誉棄損で訴えると詰め寄った親に見せる児童相談所の職員がいる。だれのための児童相談所であり、何のために仕事をしているのかをはき違えていることが原因だ。子供のSOSより自分の立場が大切なのだ。だから訴えると言われるとたじろぐのだ。子供を守るために仕事をしているとの自覚があれば、裁判を起こされても受けて立つのが当然の行動だ。というか、そんなことで裁判を起こせるのかどうかすら考えることもしないで自分の立場と安全を守る・・・まさに保身公務員の鏡である!!おそらくあの人(たち)は公務員になることが目的だったのだ。もっと厳密に言うと、安定した生活をすることが目的なのだ。安定した収入を得たいから公務員になったのだ。だから子供を犠牲にしても自分の立場を優先でいたわけだ。
2019.02.12
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しかしながら多くの看護師さん達は、患者のために仕事をしている。そんな人たちはそれぞれ独自にひとりひとりの患者さんに気配りをしてくれている。同じ薬を渡すにしても、封を切って飲みやすいようにして、飲むべき順番に並べる人。トイレの近い患者さんには特に頻繁に声をかける人。体調の悪さから常に機嫌の悪い患者をたとえ一瞬でも笑顔にしようと冗談だけを言いに来る人。言い出せばきりがない!母がお世話になっている看護師さんのひとりは各患者の私物を全て把握して、その用途に適した使い方ができるように配慮をしてくれる。たとえば母は病室に魔法瓶を持ち込んでいる。食後に熱いお茶を飲みたいからだ。その看護師さんは、食事の直前にいつもそのお湯を新しいものに変えてくれる。少しでも熱いお茶が飲めるようにだ。それは彼女の仕事では無い。しなくても何ら問題は生じない。でも彼女はいちいち、どんなに忙しいときでも、ときには勤務時間が終わって帰宅準備を整えて私服姿になっているときでもこっそり熱いお湯を入れてくれる。その有難さたるものや、もう言葉では言い表せないレベルである。
2019.02.09
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母が言うにはそんな看護師は3人いるらしい。とにかく仕事をしたくないものだからやることなすこと雑!母は食後に飲む薬が数種類ある。しかしその3人は薬を持ってこないことが圧倒的に多い。医師からは食後30分以内に服用するように言われている。食後25分が経過しても持ってこないのでナースコールをする。15分後にやってくる。そして「こんな薬なんか多少遅れても死なへん!」と言ったらしい。母の隣に入院している女性は1人で食事ができない。その3人が夜間看護担当日は、食事を目の前に置くだけで朝までそのまま。結局その夜は食事抜きにされる。しかし報告は「本人が食べなかった」となる。そして何よりその3人は患者の下の世話を絶対にしない。自力でトイレに行けない患者たちは紙オムツをしているとはいえ、排泄をした状態で朝まで過ごさざるをえない。もちろん寝られない。翌日病室の患者たちが疲弊したり、機嫌が明らかに悪かったりするのも納得できる。
2019.02.08
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おそらく彼女たちは幾多の研修や苦難を乗り越えて看護師になった。そこまでは同じなのだが、その目的が異なる。「だれのため」「何のため」である。看護師になることが目的だった人は、「自分のため」なのだ。目的がそうだから、手段もまさにそれに則しているわけだ。自分の手間が省ければいい。自分の負担が少なければいい。それで同じ給料をもわえるのなら楽な方がいい。だからこそ患者の要望に応えることを拒むことができる。夜勤の自分が帰ったあとの患者たちの様子なんてどうでもいい。いや、患者のことなんかどうでもいい訳だ。だから病室の空気が重いのだ。
2019.02.02
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その日は病室に入った瞬間に分かる。4人相部屋の2人は疲弊しきっていて、2人は明らかに苛立っている。母に聞くとその原因は夜勤の看護師が原因だった。その看護師は他の看護師と違って、患者の意見を聞かない。自分の意見を通す。その意見の共通点は1つだけ!極力手間がかからないことに終始する。そこには思いやりとか優しさとかは微塵も存在しない。
2019.02.01
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