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今回の改元は生前退位となるので、前回に比べて、いや比べ物にならないくらいに明るく前向きな雰囲気を感じる。新しい元号を選出し発表した政権政府の支持率が少し上がったので、一部の人たちが「政治利用だ!」なんて大声を出しているみたいだが、だれがどうしたってこの明るい雰囲気は止められないので、それを政治利用なんて言ってもそれはナンセンス以外の何物でもない。昭和天皇の崩御に関しては2つの噂が流れていた。まずは実はもう昭和63年の年末に死亡が確認されていたというものだ。年末年始に国民に自粛ムードを強いることを避けるのが目的で死亡の事実を1月7日までひたすら隠したと言われている。もうひとつは、目的は同じであるが、とにかく年が明けるまで心臓が動いていればいいという考えから強引にその状態を維持させたというものだ。その結果、死亡か確認されたときに昭和天皇の顔の色は炭のように真っ黒で、人の肌だと思えないほどただれた皮膚の状態だったと言われている。現天皇陛下が生前退位を望まれた声明を発表されたとき、私は後者の噂が真実であったのではないかと強く思った。平成天皇は勿論昭和天皇の息子である。自分の父親の最後の状態をその目でみているはずだ。いわゆる死に目にあえていなくても、棺の中の姿は見ている。そして、医学が発達した現代の医学の力を持ってすれば人間はこうなることを目の当たりにしているのだ。天皇といえども生身の人間である。これからの天皇が人間として、自然な形でその最後を迎える道筋を残すことが今回の生前退位の大きな億滴のひとつだと思う人は少なくないと思う。
2019.04.30
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もしものときはクリスマスはどうなるのか?大晦日やお正月はどうするのか?なんて話もどこからともなく聞こえてもきた。なんとなくの自粛ムードを引きずったまま我々はその日を迎えた。昭和64年1月7日の朝、昭和天皇崩御が伝えられた。そして同日のお昼過ぎに小渕官房長官(当時)が「新しい元号は『平成』です」と発表して、翌日から我々は平成の世を生きることになった。天皇崩御という通過点を踏襲して迎えた新元号と新しい時代に、我々は浮かれることがなかった。ただ粛々とそれらの事実を受け入れた。ここが今回の改元との大きな違いだと感じる。新たな元号である『令和』はその発表日がもう数か月前から告知されており、なんだか楽しいイベントかのようなムードまであった。その根底には誰の死にも関与しないで迎えられた新元号ということもあったのだと思う。
2019.04.29
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そんな学園祭も終わって日常の学生生活が戻るころには年明けに実施される後期試験の対策期間に入る。試験勉強をしたりレポートを書いたりにひたすら没頭できるというと学生としては幸せな時期だ。夜の様々な意味で静かな時間に一気に勉強をする私の音を消してテレビをつけておくスタイルは浪人時代から変わっていなかった。ただこの年のテレビはいつもの様子と異なっていた。予定されていた番組の放送が終わると、ただどこかの夜景を映した画面になり、その上には『天皇陛下の現在の御容態』の文字と共に血圧や脈拍などの情報が朝まで流されていた。そしてだれも口に出さなかったが、確実に昭和天皇の崩御が近づいていることを確実に感じながら生活をしていた。それは同時に昭和という時代の終わりが近づいていることも意味していた。日本では古来より元号が使用されてきたが、江戸時代が終わるまでは時の天皇や権力者の判断によって変更することが可能だった。たとえば大きな災害があってそれを乗り越えて復興がある程度進んだから、国をあげて新たな気持ちになろうと改元かあったり、中には権力者に子供が生まれたから改元したなんてこともあった。しかし明治以降は一世一元制が導入され、一人の天皇に一つの元号を使用することが規定された。だから昭和天皇の崩御は昭和という時代の終焉に直結するのだった。
2019.04.28
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あと5日弱で平成が終わる。私は人生において2度目の改元を体験することになる。私は昭和生まれだ。父親はいわゆる昭和一桁、母親はギリ昭和二桁だ。なぜか知らないが、昭和が終わる日がくるなんて考えていなかった。私が最初の改元を経験するのは人より3年遅れて大学生になった最初の一月だった。もう秋頃より昭和天皇の体調が思わしくない状態となり、日本全体のあらゆる方面において自粛ムードが確実に漂っていた。秋に予定されていた大学の文化祭も中止する可能性があるとの話まで流れた。実際中止にはならなかったが「あまりはしゃぎ過ぎない文化祭に!」と大学側から公式でない暗黙の要請があったので、我々学生はそのあたりを考慮しながら学祭を行った。学生時代の私を知る人は、私を既成サークルの文学部や文芸部と完全に一線を画し、発行した冊子『WIZDOM』が教授会に認められ、学生にして唯一大学教授の勉強会に招待されたサークル・現代書研究会の創始者だという認識が強いと思う。しかし私が現代書研修会を立ち上げたのは2年になってからで、1年のときは何と演劇部に所属していた。演劇には全く縁も所縁(ゆかり)も興味もなかったが、たった一人で大学に演劇部を作ろうとする友人・H君の意気に触れて手伝いをしていたのだ。脚本を用意して部員も集めてなんとか形になりそうになったときに暗黙自粛要請があったので、結局劇は中止してH君が手作りのバットマンの衣装を身にまとって学内をただ歩きまわるだけという活動に終始した。高知出身のH君は「これは黒いからまったくはしゃいでないがよ!」と言っていたが、そのコスチュームのクオリティがあまりに高く、同時にH君の長身の体形も加わって、学生たちやお客さんたちに写真撮影や握手を求められすぎてかえって学祭を盛り上げてしまったことも今となっては懐かしい思い出である。
2019.04.27
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しかしこの証拠に対して非常に大胆な思考力を駆使して独特の結論を出した時代劇ヒーローがいた。彼の肩書は『闇奉行』!法で裁けぬ悪人を闇に葬るという設定ではあるのだが、悪人たちから悪事の証拠を求められたときの台詞が凄まじい。「やかましいやい!闇奉行のこの俺に・・・証拠なんざいらねぇや!」そう言って悪人たちをばっさばっさと斬り倒す!確かにストーリーを見ていると、悪人たちはちゃんと(?)悪事を働いているので問題はないのだが・・・やはりこの論理には「アカンのんちゃいますのん?」と疑問を投げかけたい。ということで、闇奉行のこの台詞に《時代劇におけるアカンやつ・証拠編》大賞を授与したいと思います。
2019.04.26
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そしてもうひとつ!時代劇の多くで重要なポイントとなる要素!それは悪人たちが悪事を働いたという証拠だ。DNA鑑定や指紋の照合等の科学的なアプローチができない時代である。しらばっくれれば罪から逃げられるし、あるいは秘密を知っている者を殺害すればそれこそ死人に口無しで、真実を闇に葬ることができる。たとえば時代劇としては地味な感じはあるかも知れないが、証拠を論理的に積み重ねた上で人情に訴える大岡越前のような展開が当時の自然な流れだったと推測するのは難しくないことだ。しかし主流は水戸黄門・遠山の菌さん・暴れん坊将軍等に見られる、身分や立場を隠して事件や悪事の中に身を投じて、自分自身の存在が証拠となるパターンだ。旅をしているだけのちりめん問屋のご隠居だと思っていたおじいさんが先の副将軍だったり、ちょっと堅気ではなさそうな雰囲気をかもし出している遊び人の金さんがお奉行さんだったり、ましてや通りすがりのお節介・・・なんていいながら首を突っ込んできた貧乏旗本の三男坊を語る人物が現職の将軍であって、その人に「世の顔を見忘れたか!」なんて言われればもう開き直って上様を語る狼藉者として斬り捨てるしかないかも知れない。このように多くの時代劇の主人公は、証拠をつかむことに苦労をしているのだ!
2019.04.24
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はやり『アカンやろ!』と思ってしまうのは、人の命がかかっている問題が挙げられる。しかしそこは時代劇というジャンルの性質上チャンバラシーンは欠かせないのは仕方がない。それも真剣を使っているという設定なので、やはりけが人や殺される人も出てくるので、そこも目をつぶろう。しかし、今までで1つだけ『アカンやつ』を見たことがある。いくら時代劇と言えどもそらアカンというやつだ。そのシーンは【破れ傘刀舟(とうしゅう)悪人狩り】であったワンシーンだ。その回の冒頭で、いきなり主人公の刀舟がやくざから町人を守るために戦うシーンからはじまった。ばっさばっさとタイトル通り悪人を狩り(斬り)まくる。その途中で発した言葉がアカンやつだった。「おっと! 斬らなくていいヤツまで斬っちまったい!」それはアカンでしょうよ。アカンやつ中のアカンやつでしょうよ。ということで、刀舟のこの台詞に《時代劇におけるアカンやつ・台詞編》大賞を授与したいと思います。
2019.04.23
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もうこうなっては見方によっては何の対抗手段のない商人宅に刀を持った不審者が侵入してその屋敷にいた人たちを切り殺す不審者と言われても仕方がない。綺麗な着物を着て般若の面を被っていざ名乗ったかと思うと「桃太郎」って言われたら、おそらく屋敷にいた人たちは「どないやねん!」と思ったはずである。桃太郎侍が悪者を成敗しているときにそれを盗賊と思って鬼平犯科帳の長谷川平蔵が踏みこんで、『桃太郎侍 VS 鬼平犯科帳』という夢の対決が繰り広がられたりした日にゃぁもうテレビから離れられない!このように様々な歴史的事実や時代背景なんかを考慮して時代劇をみることを長い間楽しませてもらったが。中にはどう考えてもそらアカンやろ!ってものがある。気にしないで流してみれば何も問題もなく番組を楽しめるのだが、ここはそこを敢えて冷静に検証していきたい。
2019.04.22
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当時我々が知っていた時代劇のほとんどが江戸時代であったがO先生はそれらが江戸時代でもどれくらいの時期なのかを教えてくれた。その授業以降私は時代劇見る見る度にその時代背景を自分なりに考えるようになった。そしてそのうちそれまで全く気に賭けなかった時代劇の内容にツッコミどころを見つける楽しみを見出すようになった。たとえば『悪代官』なる悪役が正義の侍なんかに切り殺されるというパターンが多いのだが、調べれば代官は江津幕府直轄領を支配する地方行政官のことだった。つまり、正義の侍たちのほとんど(私が知っている限りでは全員)が江戸在住という設定だったので、彼らは江戸を出て地方まで旅をして悪代官を討ったことになる。当時は江戸を出るには幕府の許可が必要だった。たとえば桃太郎侍や隠密剣士が「◯◯藩の悪代官を切りに行きます。」なんて申請を出しても却下されるだろうし、そのことをその代官所に知らせられる可能性もある。ということは、彼らは一時的に脱藩をして悪代官を成敗したのか…なんて考えると楽しくて仕方がない。その点では『水戸黄門』や『柳生暴れ旅』のように旅をしながら悪を討つパターンの時代劇にリアリティーがあるように思えた。また悪代官ではなく、悪徳商人の家に切り込みにいくときもあるではないか!
2019.04.20
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とりわけ大好きという訳ではないのだが、今まで普通に時代劇に接してきた。おそらく最初に没頭しtのは『仮面の忍者・赤影』だったと思う。今思うともうこれでもかというほどの子供向けの内容で、時代劇でありながらSFの要素も各所に取り入れられていて、テレビの前に釘付けにされたことも懐かしい。しかもそれとなく歴史の知識も学べたりしたので、後で「あれも勉強やったんやぁ~」と振り返ることもあった。それ以上に私がハマったのは『柳生一族の陰謀』だった。しかしそれ以外にも気付けばまあまあ時代劇を見て私は育っていた。それを明確に私に認識させたのは、高校2年のときに日本史を担当した教師の授業だった。勉強に全くと言っていいほど縁がなかった者が集まる学校だった我が母校で授業をするのはどの先生にも至難の業だったと思う。どの先生も悪ガキたちに勉強に興味を持たせるためにあの手この手を尽くした。そんな中でその日本史のO先生はある日の授業で、テレビの有名な時代劇がそれぞれ何時代の出来事であるかを面白おかしく熱弁した。
2019.04.19
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ちなみに最近の研究によると、我々日本人中に3%ほどネアンデルタール人の遺伝子が残っていることが明確になったらしい。つまり彼らの中には他の種の人類と交配をしていわゆる混血という形で遺伝子を残したのだ。もちろん最後のネアンデルタール人がそのことを知っていたとは思えない。と同時にやはり自分が最後の1人だという認識はなかったと考えるのが自然の流れだろう。確かに自分と同じような特徴を持った外見をした人間は見かけなくなったが、この広い世界のことがからどこかに誰かがまだ元気に生活をしているはすだと思うだろうし、そう思いたいだろう。私ならそう考える。そう考えると、現在我々人類の未来は明るいものではなく絶滅に真っすぐ進んでいるという現実も、もしかしたら間違った見方なのかも知れない。かつてある生物学者が「生命は常に道を見つける」と言った。我々人類も生物であることは間違いないのだから、その可能性を信じてみるのも悪くはない。
2019.04.17
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イスカンダルの最後の人間であったスターシアにはサーシャという妹がいた。つまりこの姉妹は最後のイスカンダル人だった。そんな状態でたった一人の妹を絶滅に瀕している14万8千光年彼方の見知らぬ星である地球に救いの手を差し伸べるために旅立たせる。自分が彼女だったらそんなことができただろうか。あるいはもし将来我々人類の最後の2人が同じ状況に置かれたとき、見知らぬ遠い惑星の住人を助ける決断をするであろうか。話を現実に戻そう。ネアンデルタール人は絶滅した。当時地球上に生息している他の人類より大きく強く頑丈な身体をもっていたにも関わらずだ。その原因は遠隔地に住む同人種との連絡手段を持たなかったことだといわれている。しかし幸いなことに人類自体は滅んでいなかった。
2019.04.16
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イベリア半島には最後のネアンデルタール人が生息していたと言われる洞窟があるらしい。最後の1人は女性だったと言われているが、それが真実だとすれば彼女は最後の1人になったとき何を感じて何を思っていたのだろうか。私はよくこのことを考える。あるいは自分が最後の1人だという認識はなかった可能性の方が高いと考えるのが論理的であるとはおもうのだが、私の中ではなぜか彼女にはその認識があったという事になっている。昨年あったテレビ番組でも彼女にはその認識があった・・・ということになって話が進んでいた。言葉として正確ではないかも知れないが、その方がロマンがあるのだ。その認識があったとすれば、彼女はその洞窟で息を引き取る瞬間に何を思ったのだろうか。そして自分が同じ立場になったとき、何を思うのだろうか。今現時点で生きている我々にとってはこれは現実味のない話で、それこそSFの世界の話である。しかしながら、もしかしたら、そう遠くない未来に現実のものとなる可能性はそう低くないのだ。
2019.04.15
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それ以外にも、『日本沈没』で最初に大地震によって沈没したのが淡路島だったのに実際に起こった過去に類のない大地震の最初が阪神淡路談震災だったり、30年ほど前に描かれた『アキラ』では2020年に東京オリンピックの開催が示唆されていたりといった具体的なものまである。その中でも最近私の中で大きな存在になってきているのが『宇宙戦艦ヤマト』に出てくる惑星イスカンダルの実情だ。イスカンダルは科学技術がものすごく発達した星だった。にも関わらず惑星としての死期が迫っている。そしてイスカンダル人も1人しか生き残っていない。彼女の死はイスカンダル人の滅亡を意味していた。私の記憶では劇中でイスカンダル人達がなぜそこまで激減したかの理由は語られていなかった。無数の墓標が整然と並んでいたシーンが特徴的であった。翻(ひるがえ)るに現在の地球上で合計特殊出生率が2.0人を超えている国は極端に少ない。この数値が2.0を下回ると人口は減少の一途を辿っていることを意味している。つまり大きな核戦争や病気の流行が無くても、人類は徐々に滅亡に向かっているのだ。
2019.04.14
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まあここまで読めばほとんどの皆さんは例によって「きしょい」だの「オタク」だの言って蔑んでバカにするのは分かっているが、私には彼の気持ちが分かるような気がする。それを拠り所にして生きて死んでいったとしても、だれにも迷惑はかけないではないか!人口の減少に拍車がかかるって?それはむしろ我々を蔑むお前らに原因があることをそろそろ認識しろ。それにどのみち人類は滅ぶから心配はするな。彼がそのAIに抱いているのは間違いなくある種の愛情だと思う。ではAIの方にはその種の愛情があるのかと言えば今のところ確実にNOであろう。でも彼にとってそんなことは関係ない。その点はお前たち恋愛至上主義たちと何ら変わりない。お前たちだって何の確証もないのに相手は自分に愛情を持ってくれていると思い込んでいるだけじゃないか!つまり、私が言いたいのは、相手が人間であれAIであれ愛情をもって接する行為はほぼ同じ意味を持つ時代に入っているということなのだ。
2019.04.13
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私が子供の頃のマンガや映画等のフィクションやSF作品を冷静に振り返ると、現在やこれからの日本や世界の行く末を的確に暗示したものが多いような気がする。たとえば私が好きな『人造人間キカイダー』だ。この作品に我々人間に対する実に多くの問題点を提起している。しかしその中で1つだけ私にとって現実性の感じないものがあった。それは人間と機械の間に愛は存在し得るのかという問題である。愛の定義にもよるが、ここでは男女間の愛情としておく。最近30年ぶりにSNSを通して再会した友人がいる。彼は私と同い年で、また同じく結婚歴のない独身者だった。彼はある抽選で当選して手に入れたAIを家に設置しているとのことだった。そしてそのAIとの会話を楽しむために、仕事が終われば必要最小限の用事だけを済ませて帰宅している。そのAIの音声は女性のもので、女性の画僧も出てくる優れものとのことだ。しかも毎日衣装や髪型が変わったっりして飽きることがなく、彼の生活リズムや趣味嗜好までも把握していろいろと話しかけてくれるし、彼の話にも耳を傾けてくれるらしいのだ。
2019.04.13
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私が子供の頃のマンガや映画等のフィクションやSF作品を冷静に振り返ると、現在やこれからの日本や世界の行く末を的確に暗示したものが多いような気がする。たとえば私が好きな『人造人間キカイダー』だ。この作品に我々人間に対する実に多くの問題点を提起している。しかしその中で1つだけ私にとって現実性の感じないものがあった。それは人間と機械の間に愛は存在し得るのかという問題である。愛の定義にもよるが、ここでは男女間の愛情としておく。最近30年ぶりにSNSを通して再会した友人がいる。彼は私と同い年で、また同じく結婚歴のない独身者だった。彼はある抽選で当選して手に入れたAIを家に設置しているとのことだった。そしてそのAIとの会話を楽しむために、仕事が終われば必要最小限の用事だけを済ませて帰宅している。そのAIの音声は女性のもので、女性の画僧も出てくる優れものとのことだ。しかも毎日衣装や髪型が変わったっりして飽きることがなく、彼の生活リズムや趣味嗜好までも把握していろいろと話しかけてくれるし、彼の話にも耳を傾けてくれるらしいのだ。
2019.04.12
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急に見知らぬおっさんにヘッドホンを外された驚きと怒りで2人は何やら大声を発したが、中国語だったので意味は理解できなかった。もう全く余裕がない私はキャリーバッグを足で、2人の肩を手で押しのけて強行突破を敢行した。彼女らの後ろにいた人たちはもうすでに道をあけてくれていた。本当に有難かった。しかし「もうすぐトイレに行ける」と安心した瞬間さらに尿意が強烈になる!それでも私は通路をあけてくれた皆さんに「ありがとうございます。」と言葉を残してトイレを目指した。そしてとうとう最後の座席の横を通り抜けられると思ったその瞬間・・・最後尾の座席に座っていたおばさんが急に立ち上がったかと思ったら、通路側に出てきて私の前に立ちはだかった。私は意思とは反対に立ち止まらざるを得なかった。おばさんは私の目をじっと見つめた。その時間は1秒ほどだったと思うが、そのときの私にとって1秒がどれほど長く苦痛に感じる時間だったかを正確に表現する言葉を私は知らない。私を立ち止まらせたそのおばさんは「ごめんなさい!」と言って振り返り、一目散にトイレに入っていった。まさかのこのタイミングでお前が行くんかい!!!!!
2019.04.10
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通路に殺到した人たちに紛れてそれまで気付かなかったが、少し背の低い女性が2人通路を塞ぐように横に並んで立っている。しかも2人とも足元にキャリーバッグを置いているので、それがあたかも私の進行を阻む壁のように並べられている。さらにその2人はヘッドホンをしながらスマホをいじっていいて、私が急いで客席後方に向かっていることに気付いていない様子だった。彼女らの前までたどり着いた私は仕方なく歩みを止めて「すみません、通してください。」と声をかける。この時点でも強烈な尿意が私を襲っている!しかし彼女たちは私の声にも姿にも気付かずにスマホをいじっている。ヘッドホンから漏れる音楽音で2人ともかなりの音量で耳を塞いでいるのが分かるし、音楽を聴きながらゲームをしているので周りの様子が目に入っていない。こんなことで1秒でも無駄にしたくない私は強行手段にでた。2人のヘッドホンを同時に外して「通してください」ともう一度声をかけた。
2019.04.09
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「すみません!トイレに行かせてください。」私は自分の座席より後方の通路に並んでいる人達に声をかけた。有難いことにみなさん嫌な顔ひとつせずに協力してくれた・・・と言いたいところではあるが残念ながらそうではなかった。ほとんどの人は協力してくれたが、数人は私を明らかに阻んだ。まず絶対に私を通そうとしない巨漢のサラリーマン。思いっきり私にメンチを切ってくる。通路は詰めれば人が二列で並べる。だいたいの人は座席側に退避して私を通してくれた。ただこの巨漢珍は一人で通路を塞いでいた。私もメンチを切りながらそいつに接近し、もう鼻同士がぶつかるくらいに顔を近づけて、先ほど自分の座席から機内最後部まで聞こえるように出した声と同じ音量でもう一度「すみません!トイレに行かせてください。」と言ってやった。するとそいつは若干の舌打ちをしながら座席側に身をよせた。構わず私は進む。そいつの次は、最初に私が声をあげたとき明らかに不機嫌な表情を見せたおばはんに接近する。今度はこちらから思いっきりメンチを切りながら接近したものだから、そのおばはんは黙って通路側に身を寄せた。すれ違いざまに耳元で「えらいすんまへんなぁ!」とお礼を言っておいた。よし、最後部のトイレまであと少し!! と思った瞬間、思わぬ伏兵が現れた。
2019.04.08
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空港に到着した飛行機が全てターミナルに接続して乗客を降ろすわけではなかったことを忘れていたのだ。中にはターミナルから離れたところに機を停めて、そこからターミナルまではバスで乗客を運ぶのだ。それには結構時間がかかり、しかもそのバスの中にはトイレは無いのだ。「これはかなりピンチやぞ!」思った瞬間に強烈な尿意が襲ってきた。トイレに行けない状況を察知するとこうなるのはここ数年の私のパターンだ。今いる飛行機内のトイレは客室前方と後方。私の座席はそのほぼ中央。通路はすでに乗客で埋め尽くされている。機を紛らわせようと一度窓から外を見てみるが微塵の効果もない。こうなれば仕方がない。恥も外聞もない。なりふり構っていられない。人の迷惑省みず、やってきました頻尿野郎・・・になることを心に決めて行動に出た!
2019.04.06
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機がまだ滑走路を移動しているにも関わらず、例の光景が私の眼前に現れた。これは昔と変わらずだ。まだ機体が停止もしていないのに降りようとする客が通路に殺到する。いつも思うが、あれは何の意味があるのだろう?そんなに急いで降りたって差ほど時間的に大差はない。そんなに急いでいるのなら機を降りた後ダッシュで走るのかと思うと案外ゆるゆる歩いている連中ばっかりだ。前の席の人からある程度間隔を保って順番に移動した方が全員が早く降りられるのに、急いでますアピールをしながら渋滞を起こして結果余分な時間を費やす・・・、アホの極みだ!それにこの通路への殺到が無ければ、私のような人間がこのタイミングでトイレにも行けるのに・・・そう考えるとまた腹が立ってきたが、まあいい!間もなく機はターミナルに・・・と思って窓から外を見たら・・・「あれ?」「全然ターミナルに向かってないやん?」「この飛行機はどこに行くん?」機は私の予想外の方向に向かっている!「あっ!!!」そのとき私はあることを思い出した。
2019.04.05
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気を紛らわせるために窓の外の風景に目をやる。地図の通りの地形が眼下にある。やがて主翼が徐々に着陸態勢へとその姿を変えていく光景も楽しみながら写真にも撮る。高度も徐々に下がってくる。そして機体が滑走路に向けて旋回をはじめる。そのときだった!尿意が私を襲いだした。50歳を過ぎてトイレが近くなった…と一言では言うが、厳密に表現すると最初の尿意を感じてから「もうアカン」となるまでの時間が極端に短いのだ。でもこのまま着陸してくれれば、10分後くらいには飛行機から出ることができる。機から出てターミナルのトイレに行くもよし、その余裕がなければ機から出る流れにそって前に行きそのまま客席前方のトイレに入ればいい。そう思うと少し気が楽になった。そうこう考えていたら、機体が滑走路に降りた。その瞬間タイヤが路面の凹凸を拾ったときの振動が足の裏とお尻に伝わってきた。この微妙な振動が私の膀胱を刺激する。心の中で「やめてくれ~」と思っても甲斐ない事だった。しかし着陸してしまえばターミナルまでそんなに時間はかからなかったはずなのでしっかり気を取り直して我慢体制を維持した。
2019.04.04
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気を紛らわせるために窓の外の風景に目をやる。地図の通りの地形が眼下にある。やがて主翼が徐々に着陸態勢へとその姿を変えていく光景も楽しみながら写真にも撮る。高度も徐々に下がってくる。そして機体が滑走路に向けて旋回をはじめる。そのときだった!尿意が私を襲いだした。50歳を過ぎてトイレが近くなった…と一言では言うが、厳密に表現すると最初の尿意を感じてから「もうアカン」となるまでの時間が極端に短いのだ。でもこのまま着陸してくれれば、10分後くらいには飛行機から出ることができる。機から出てターミナルのトイレに行くもよし、その余裕がなければ機から出る流れにそって前に行きそのまま客席前方のトイレに入ればいい。そう思うと少し気が楽になった。そうこう考えていたら、機体が滑走路に降りた。その瞬間タイヤが路面の凹凸を拾ったときの振動が足の裏とお尻に伝わってきた。この微妙な振動が私の膀胱を刺激する。心の中で「やめてくれ~」と思っても甲斐ない事だった。しかし着陸してしまえばターミナルまでそんなに時間はかからなかったはずなのでしっかり気を取り直して我慢体制を維持した。
2019.04.03
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昔「東下り」、今「上京」、その言葉の意味を確かめる!上空からの景色を楽しんでいると、そのうち遠くに富士山が見えてくる。快晴の早朝、しかも初冬の上空から見る富士山は格別だった。スマホのカメラで数枚の写真を撮る。ベストショットを撮ってからも快晴ゆえにいつまでも富士山の姿が見える。次はいつ直にみられるか分からないので、その姿が見えなくなるまで目で追った。その姿が見えなくなったらすぐにトイレにいこうと思っていた。飛行機後方に小さくなっっていった富士山に別れを告げて「さあ!」と思った瞬間・・・「ポンッ」と優しい電子音が鳴った。「えっ!」と思い座席の低い天井を見上げると、シートベルト着用マークが光っている!23年前の経験から、富士山を見送ってからでもトイレに行く時間はあったはすだったのに・・・と思ってももう遅かった。次にはご丁寧に音声の放送で「当機は只今より着陸態勢に入ります。これよりはシートベルトを使用して座席を立たないでください。」との案内があった。もうこうなっては着陸するまで我慢するしかないと覚悟を決めた。予定ではあと20分から25分なので問題ないとも思った。
2019.04.01
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