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ある日本人SF作家がかつて言った。『正義ほどこわいものはない。なぜなら自分は間違ってないと思っているから歯止めがきかないからだ。悪には罪悪感という歯止めがある。』まあ最近の悪にも歯止めはないが、正義にそれがないことも明らかだ。たとえばウルトラマンだ。あれは地球人の目線から見ると[人類の味方]だ。つまり[人類=正義]なのだ。しかも無償で戦ってくれるのだからこんな都合のいいものはない。ところがこれを地球を侵略する宇宙人の目線から見ればたまったものではない。科学力が劣る、あるいは宇宙の害になる生物がいる星を侵略することが常識である宇宙人が何の疑問もなく地球を侵略しようとした。もちろん地球人のことはリサーチ済みだ。そしていざ侵略となった段階で、全く関係のない星の人間が現れる。「あらら!どちらさん?」と思っていたら、何の言葉も交わすことなくいきなり殴る蹴るの暴行を加えてきて、挙句の果てにスペシウム光線とか撃ってくるのだ。ウルトラセブンにいたっては、最後にアイスラッガーとかいって大きな刃物を投げつけてくる。こんな危険な連中おるか?ほんで「正義」や言いよんねん・・・どこがやねん!・・・となる。ほんまに正義って恐ろしい。
2019.12.31
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おそらく間違いなく私側にいる人は非常に少なく、反対側にいる人の方が圧倒的に多いはずだ。これまでの人生でそれは十分に把握している。だからといって多数派が正しいと言い切れるとは限らない。もちろん多数の中にいる安心はあるだろう。この世の中は民主主義が多用され、多数派の意見が重視され、少数派は黙殺される。『少数意見の尊重』なんて言葉に何の意味も効力もない。それも仕方のないことだとは分かる。しかし一寸の虫にも五分の魂があることは忘れないでほしい。たとえば多数派から見れば我々少数派は深海魚だ。太陽の光も届かない漆黒の闇の中で生きている生物だ。中にはもう目すら退化して持ち合わせない者もいる。ただそっとしておいてくれればいい。ほとんどの多数派の人たちはそうしてくれている。でもときとして『健やかなる』『光に満ちた』人たちは、我々を海面上に引き上がる。急に水圧の低い部分に引きずり出された我々は、目が飛び出して口から内臓を吐き出している。それを見て、やれ気持ち悪いだのグロテスクだの言って楽しむのが『健やかなる』『光に満ちた』人たちだ。それを何の疑問もなく楽しめるのは、そこに正義があるからだ。多数派の『健やかなる』『光に満ちた』人たちは、疑いなく自分たちが常に正しいと思っている。実はそこに大きな落とし穴がある。
2019.12.30
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よく考えれば現時点でこのブログに『病み』や『闇』を感じている人間とそうでない人間の比率は3:1だ。もっと多くの読者の皆さんにリサーチをかければ、その比率は変化するのではないか・・・と一瞬思ったが、現実はそうではないことがほとんどだ。おそらくこの比の値は変化しない。変化があるとすれば、前者の数値が上がることだけだろう。それは正直に認めざるを得ない。こうなれば腹をくくるしかない!このように自覚症状が全くないのに他覚症状が激しい場合の対処法は限られている。全く気にせずに生きていくか、徹底的に受け入れて生きていくかが。中途半端は後々大怪我をする可能性が高い。まずは私の生き方や考えを変えることはできない。それはつまり読者の皆さんにはこの『病み』や『闇』にとことんつき合ってもらわなければならない。そでが嫌だという場合は読んでいただかなくとも結構だ。しかしこうなるとひとつの問題が出てくる。果たして私の『病み』や『闇』が、本当に『病み』であり『闇』であることを証明できるか否かという問題である。
2019.12.27
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かつて古畑任三郎が言った!「偶然が重なっていいのは2度まで」と。「三顧の礼」や「三たび諫めて聴かざれば即ちこれを逃る」の故事もある。三回重なったということは少し真剣に向き合わなければならない。『病み』と『闇』・・・どこ?どの話題のとき?どの文章?どこが病んでてどこが闇なん?自分では全く分からない。仮に病んでて闇があったとしても何か問題あるの?・・・そんなことを言っててはいけない。まずは分析だ。このブログに『病み』や『闇』があると仮定して・・・彼らはなぜ「病んでいる」「闇が深い」と思ったことを直接的にせよ間接的にせよ私に伝えたのであろう。ひとつはそれを楽しんでいて、このまま続けてほしいという要望だと考えられる。この場合はそれこそ何も問題もない。ただもうひとつの場合は問題だ。『病み』や『闇』をやめてくれ!という要求だったとすれば・・・これには私は何の対処方法も持ち合わせていない。なぜなら前述したように、どこに『病み』や『闇』が存在しているのかが分からないのだ。分からないものに修正をかけることはできない。
2019.12.20
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月曜日の夜だった。授業の10分ほど前に携帯電話が鳴った。数年前に我が教室を卒業したHちゃんのお母さんだった。知り合いの中1の女の子が勉強で困っているから話を聞いてやってほしいとのことだった。それを承諾して電話を切る際にお母さんが「娘が先生のブログを読んでいるんですけど、娘は『先生病んでるわ!』って言っているんですが、何を書いているんですか。」と言った。私は「思いついたことを書いているだけですよ。」と返したが、「またか」と思った。私のブログが病んでいるはずがない。これを書いているとき、私の心の中ではヘイリー・ウェステンラの『Amazing Grace』やルイ・アームストロングの『What a Wonderful World』、そして小椋佳の『この空の青さ』が流れているかのような穏やかさだ。そこには闇なんてものもない。あるのは希望に満ちた光だけだ。しかしながら偶然とはいえ、O君、K君、Hちゃんのお母さんの3人から同じような言葉が寄せられるとは・・・と思った瞬間「はっ!!」と思った。
2019.12.19
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先日の土曜日、バイク仲間の忘年会があった。このメンバーで集まるときはいつも心地よい時間を過ごすことができる。先日も例外ではなかった。そのときの会話の中で、このブログを読んでくれているO君が「ブログ、病んでますね。」と言った。まあこんなときはそう言った方が盛り上がるし気にせずに話を続けてもらおうとしたが、他のメンバーから「いつから書いているのか」とか「どれくらい頻繁に書いているのか」という話題をふられたので、内容の話の続きには至らなかった。その翌日の日曜日の朝、近所に実家のある我が教室の卒業生K君に会った。他県で大学生をしている彼はもう冬休みで帰省していたのだ。6年ぶりくらいに会った彼はすっかり大人の顔になっていた。おそらく彼から挨拶をしてくれないと私が彼に気付いたかどうか自身がない。お互い短い近況報告をした別れ際にK君が「先生、ブログ読んでますよ。闇が深いですねぇ。」と言った。O君の「病んでいる」とK君の「闇が深い」・・・「病み」と「闇」は同音異義語であるが、ある意味同音異字同義語ではないかと考えた。2人の言わんとすることは偶然一緒なのだ。それにしても、私のこのブログが「病んでいる」わけがなく、「闇が深い」ことはない。しかしそんなふうに形容してくれる彼らのユーモアにどこか嬉しさを感じる私だった。
2019.12.17
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全ての菌がニオイを放つわけではもちろんないが、菌と共に生きている以上はそれらと許される範囲で上手く付き合っていかねばならない。なのに世間の風潮や企業の営利目的の宣伝に騙されて、何も考えずに一色に染まろうとする我々人類は、すでにもう絶滅へと真っすぐ歩んでいる。何も考えず、みんなと一緒のニオイをつけて安心する。そんな連中に限って「個性」「個性」と口にする。画一化することが個性につながると本気で思っているのだろうか。まさに世も末で、人類も落ちぶれたものだ。今年の日本の新生児数はたった87万人らしい。この数値はどんどん下がり続けるようだ。勿論その背景には経済的理由や人の生き方の多様化もある。しかし「この人と結婚したい」「この人の遺伝子を残したい」と思える相手がいなくなってきたことも大きな理由だ。みんなが不自然なニオイの香水をつけていたのではさもありなんである。
2019.12.13
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ところで皆さんは体毛の存在目的を御存知だろうか。身体の保護や保温の効果は周知のことと思う。それ以外の目的があるのを御存知だろうか。それはニオイを拡散することだ。そしてそれはそのまま個々の識別や異性に自分をアピールすることにつながる。つまりそれらが拡散するニオイには明確な意味だあるのだ。ではそのニオイはどのように発生するのかという問題にも触れておこう。もちろん原因は菌だ。体温が上がると菌が活発に動き、汗などの水分や湿気を養分として細胞分裂をする。その分裂の瞬間にニオイが出てくるのだ。当然清潔にすつことでその菌の数を減らすことはできる。しかし完全にゼロにすることは不可能だ。潔癖症とかいって自分に酔っている馬鹿者共がいまだに多く存在するが、人間は菌を全くなくすることはできない。なぜなら我々生き物は菌と共に生きているし、地球上の食物連鎖にも菌は必要不可欠な存在だからだ。
2019.12.12
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彼らはさらにどの石鹸を使えば自分の体臭がどのように変化し、それにどの香水をつければどんな香りになるかを研究し尽くしている。つまり彼らにとっての体臭は、イコール個性という意味合いがある。これは生物学的にも正しいようだ。簡単な例は犬や猫であろう。犬は挨拶代わりにお互いのお尻のにおいをかぐ。彼らは顔ではなくニオイで相手を識別している。猫も同様だが、彼らは基本的に犬ほどあまりお尻のにおいをかがない。この理由は驚くことに、猫の嗅覚は犬よりかなり優れているからのようだ。いちいち鼻を近づけなくとも覚えられるのだ。どちらにせよ、この例が如実に語っているように動物にとってニオイは個体を識別するための最も有効な手段である。ある意味西欧の人たちはそれを独自にコントロールして個性を引き立てる、さらには異性に自らの魅力をアピールする手段として用いる知識と技術を確立しているのだ。たとえば自分にしか作れない異性を惹きつける香りの調合に成功した人は、モテ続けるのだ。しかもそのニオイと同じニオイを持ち合わせる人がいないとなれば、そのニオイにハマってしまった異性は二度とその人から離れられなくなるわけだ。ニオイの調合に成功した結果として性交に至る・・・なんて下ネタは敢えて言わないでおくことにする。
2019.12.11
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昔の映画なんかで皆さんも見たことがあるだろう。西洋人が泡だらけのバスタブで入浴しているシーンを。あれは撮影用に、出演者の裸体を隠すために大げさに泡を作っているわけではない。あれが普通なのだ。あの泡だらけのバスタブに入りたいと専用石鹸を購入してもあんなに泡だらけにならないという人がいる。それは正しい方法を守っていないの理由だ。ほとんどの日本人は、お湯をいれたバスタブにあの粉石けんを入れると思っているがそれではダメである。あれはまず粉石けんを入れて、その上からお湯を入れるのだ。するとビックリするほど泡が立つ。その泡でバスタブが一杯になったところでお湯を止める。その中に入ると分かるが、バスタブ内の半分ほどが泡となっている。つまりあれはお湯で温まるというより、泡ににおいを吸い取らせることを目的としたいるのだ。
2019.12.09
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そうなのだ。そもそもにおいというものには個々を特定する役割がある。人間以外の哺乳類のほとんどはにおいの機能を活用している。においで個人を識別しなくなった人間にはそれはある程度必要なくなった。そしてそれは時として人間に不利益を与えるものとなった。東洋人と違ってかなり体臭のきつい西洋人は、写真なんかがなかった当時はにおいで個人を特定されて、ときには暗殺されるようなことがあった。そこで個人を特定されないように香水が開発される。しかしそんな歴史を知らない東洋人、特に日本人はその使い方を誤る。実は香水は、そのにおいで自分のにおいを隠すために使うものではない。正しくは香水と体臭を混ぜたときに出来上がるにおいを計算して使うものなのだ。間違えても自分が気に入ったにおいをつけるために用いるものではない。そして西洋人は入浴方法にもにおいへの対策に重きを置いてきた。
2019.12.08
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日本語で「におい」と言っても漢字で表記すると「匂い」と「臭い」になる。意味は語るまでもないだろう。本人が「匂い」だと思っていても、他人には「臭い」だったりするし、逆の現象が起きることもある。知人の奥さんは自称「においフェチ」で、旦那のにおいをかぎまくる。旦那がいないときは彼の洗濯前の衣服や下着のにおいをかぎまくるらしい。彼女は漢字でいうと「臭いフェチ」だと自分で言い切ってケタケタと笑う。彼女にとって旦那の「臭い」は「匂い」なのだ。また少し前にあるテレビ番組で、若くして他界した父親のにおいを復活させてほしいと香水の会社に依頼してそのにおいの香水を作ってもらうという話があった。完成した香水のにおいをかいで、子供たちと奥さんが「お父さんや!お父さんや!」と言って号泣した場面でその番組は終わる。つまりにおいがその人を示す目印だったりするのだ。
2019.12.07
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おそらくどの学校のサッカー部の部室も、あるいは侍ジャパンとか言われている日本代表のサッカーチームのロッカールームも、香水のニオイで充満しているのだろう。気色悪い話である。サッカー選手で、男子で、カチューシャしてるヤツおるでしょ!はじめて見たときひっくり返りそうになったわ。かかかかか・・・カチューシャ!!??男が? スポーツの試合で?そんなに髪の毛気になるんやったら丸坊主にしとかんかい!ちゅう話ですわ。まあカチューシャの話は横に置いておくとして、男の、スポーツ選手の香水の話題に戻そう。彼らはそれを匂いだと思っているのだが、私には臭いだ。香水自体もそれをつけている男も臭っている。
2019.12.06
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5年ほど前からだ。我が教室に通う生徒にキツイいニオイをつけてくる生徒が出始めた。それが100%男子で、100%サッカー部だ。その正体は何やらスポーツタイプの香水のようなものらしい。テレビでも宣伝でいているらしい。運動部員の中学生くらいの男子がコンビニに入る。まわりの人たちがその汗臭いニオイに嫌な顔をする。そしてその製品を使用する。するとその男子とすれ違うちょっと美人の同世代女子がその男子を振り返って笑顔でみる・・・って内容らしい。ここ数日はその社会人バージョンのテレビCMまで流されている。元サッカー少年の社会人や、大人になってもサッカーをしている社会人が買うのだろう。ホンマにサッカーしてる男ってキライである。見た目だけを気にする性質は前々から感じていたが、最近はニオイまで気にする。いやいやいや!みんなお前らが思ってるほどお前らに注目してへんで!!とひとりひとりに言うてやりたいけど、実際問題そうもいなかい。汗臭いのが嫌やったらスポーツすな!ちゅう話だ。スポーツが目立つためやモテるための道具にすぎないヤツは何をしても何を言っても情けないの極致だ。
2019.12.05
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最後に2つふれておかねばならないことがある。1つはすでに数名の人から個人的にマールをいただいている件だ。そう、これがエッセイのカテゴリーに入るかどうか・・・とい問題だ。正直に言おう!私自身 Existence 3 あたりから「あれ?」と思っていた。しかし走り出したらもうだれも止められない王蟲のような私の文章である。段落構成を考えずにただつらつら書いていたことこそこれがエッセイである拠り所だ!そしてもい1つは、今日届いた我が教室の卒業生のKちゃんからのメールだ。「ゴマ先生も自身の生命のワンダーを信じて婚活をはじめてみては」との提案をいただいた。Kちゃんよ。ここは冷静に考えようぜ。恐竜が生き残っている可能性とゴマのお嫁さんになろうとする酔狂な女性が出現する可能性はどっちが高いと思う?そう、圧倒的に前者や。前者に期待しようぜ。
2019.12.04
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我々人類は自分たちが思っているほど優秀ではないかもしれない。たとえば命をつなぐための捕食や自分の命を守るため以外に同種の命を奪う動物は人間だけだ。細菌類を除くと人間の命を奪っている動物は断トツ人間なのだ。同様に我々人類は最高の知識を持っていると思っているがそれも私に言わせれば眉唾だ。なので「ああだ」「こうだ」と言い切るのではなく、あらゆる可能性を模索することが重要だと思う。生物や生命の可能性は無限大だ。我々人間もその可能性の中でこの地球上に生まれてきた。その可能性を信じて、その可能性に夢を託して、未確認生物の存在に期待しようではないか!その方が人生がすこしわくわくしたものになる、、、つまりそこにはワンダーがあるのだ。そもそも生命そのものがワンダーなのだから、ワンダーをもって接していきたいものだ。
2019.12.03
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我々人間が地球上のあらゆる事象を把握していると思うのはあまりに愚かだ。我々人間は自分たちの身体のことですらまだ30%も分かっていないと言い切る学者もいる。ましてや人間以外の生物のことなんてもっと分かっていない。学校の理科で習う生物の分類だって必ず例外が存在する。なのであの分類は完全でないのだ。我々人類が知らない新種の生物は毎年1万種ほど発見されている。前述したが絶滅したといわれたシーラカンスが発見された例もある。さかなクンこと宮澤正之氏が絶滅したと思われていたクニマスという魚を富士五湖の1つの西湖で発見した例だってある。これに関しては映画『恐竜・怪鳥の伝説』で地下で眠っていたプレシオサウルスと翼竜・ランホリンクスが目を覚まして出現する舞台も西湖だったので、これははたして偶然なのか・・・と盛り上がったのは私だけではないはずだ。
2019.12.02
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そうこう言っているうちにネス湖のDNA調査の結果が発表された。魚類11種、両生類3種、鳥類22種、ほ乳類19種のDNAが確認され、特にウナギのものが多く検出されたらしい。まずは未知の生物のものは発見されなかったようだ。我々が持ち合わせている生物学の知識の範疇では、ネッシーの正体は大型化したウナギの可能性がかなり大きくなったようだ。他にも天敵がなく大型化するまでその命をつなぐことができる生物がいたとすればまた別の可能性が浮上してくることも心の片隅に置いておかねばならないだろう。しかしながらDNA鑑定といっても鵜呑みに信じるのはいかがなものかと思う。今から30年ほど前までは、人間のDNA鑑定では30~50人分ほどしか識別できなかった。我々はそれを知らずにDNA鑑定は間違いないものだと信じ込まされていた。1966年に起こった殺人事件の犯人が捕まった。決め手はDNA鑑定だった。しかし当時の鑑定可能な識別人数は30人ほどだったそうだ。つまりは容疑者が60人いれば2人、300人いれば10人の犯人が逮捕される計算になる。そのとき逮捕され有罪判決が出て死刑が宣告された人物は事件に関与していないのに2018年まで投獄さてていた。2014年にやっと再審請求が認められ、現在の精度でおこなったDNA鑑定で無罪とされたのだ。ちなみに現在のDNA鑑定は世界中の人々の中から1人を特定できる精度らしい。この鑑定精度は人間を対象にした場合だ。他の動物を対象とした場合の精度に関しては不明な部分が多い。つまり現時点では湖水のDNA調査の結果はひとつの参考資料にすぎない可能性も多分にあるのだ。
2019.12.01
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