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上昇体勢から水平歩行に移ったらすぐに旋回に入る。このとき私の座席側の窓からは、以前2年間住んでいた瀬戸内海の小さな島が見えるはずだった。この日は快晴で視界も良好だったので、思惑通り島の全景がしっかりはっきり見えた。しっかりスマホで撮影する。その後しばらくすると飲み物が配布される。本来ならブラックコーヒーを飲みたいところだが、利尿作用のキツさを考慮して温かい日本茶をいただいた。それでも途中でお手洗いにいくつもりなので、そんなに心配はしていないが万全を期した。そしてこちら側の座席を確保したもうひとつの目的は・・・富士山だ!久しぶりに富士山を直接見たい。しかもこの快晴の朝である。綺麗に見えるはずだ。私の期待を乗せた機体はどんどん東に向かう。古文で言う『東(あづま)下り』という言葉が頭を過る。
2019.03.31
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昨年秋に23年ぶりに東京に行くことになった。新幹線の旅も大好きだが、様々な面を考慮して飛行機で行くことにした。前回に比べて異なっているのは私の年齢だ。とくにトイレが近くなっていることには最新の注意を払った。搭乗ゲートが開いてからトイレにいって、すぐに乗り込んだ。機内にいるのは約1時間半。飛行機好きの私は主翼の動きも観察したくて、主翼の付け根中央の窓側の座席を予約してあった。でも一応安全策で通路側の座席にいる人には申し訳ないが、フライトが始まって着陸体勢に入るまでに一度トイレにいっておくことにした。やがて飛行機はゆっくりと動き出し、メイン滑走路に向かう。スタートポイントに到着すると一度停止をする。そしてエンジンの回転数が徐々に上がっていく。主翼も完全に離陸フォームになっている。そして機は滑走路を走り出す。多少の振動が身体に伝わってくる。その振動が徐々に小刻みになっていったかと思うと、一瞬にしてウソのようにその振動が無くなる。機種がグッと上がるのを感じる。離陸したのだ!窓に付着していた朝露の流れる角度が変化していく。それは機種が上がる角度を示してくれている。この瞬間が飛行機に乗る醍醐味だ。
2019.03.30
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このお母さんのように、親のモチベーションは枯渇しない。時間も費用も許される限り存分に使い使わせる。そしてそれは苦ではなく、それどころか喜びなのだ。我々人間は誰かと連携して生きていく生物だ。それは言葉を換えれば誰かの角砂糖を蝕んで生きていく生物であるとも言える。そしてまた同様に誰かに蝕まれながら生きていくとも言える。だからこそ、なんでもかんでも蝕ばみ、だれにでもかれにでもに蝕まれてはいけない。その角砂糖の根源をしっかり見抜かないといけないのだ。その根源が正しくないのに蝕ばみ蝕まれていった結果が今のこの世の中に成り下がった。政治も経済も宗教ですら当初の目的を見失い行き詰っている。そしてそれをひた隠しにするので必死だ。情けなさの極致である。我々は夏の日陰に置かれた角砂糖に群がるアリたちとは一線を画さないといけないことを今一度肝に銘じなければならない時期に足を踏み入れている!
2019.03.29
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たとえば多くの親がそうだ。子供に対して本当の意味の『愛』で接する。かつてあるお母さんは学校に馴染めなかった娘のために同じ学校の生徒が通わない遠方の塾をさがした結果、車で片道約1時間かかる道のりを週三回私の教室に通ってきた。1回の授業は2時間。娘を送った後一度家に帰ってもまたすぐに迎えに出発しなければならないので、暑い日も寒い日も近くのコンビニやスーパーの駐車場でひたすら時間が過ぎるのを待った。ガソリン代がもったいないからと夏も冬も待機時間に車のエアコンは使わなかった。そのお母さんは送迎と待機時間に1年間で約600時間を費やした。そのご家庭は共働きでお母さん自身にも仕事があったのにも関わらずだ。授業が終わったとき私は必ずお迎えにきた保護者の皆さんと言葉を交わす。もちろんそのお母さんとも言葉を交わした。彼女は1年間、一度も、一瞬も疲れたような表情をしたことがなかった。いつも満面の笑みを浮かべて幸せオーラをこれでもかというほどまとっていた。その笑顔とオーラは私の疲れをも癒してくれた。
2019.03.28
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この本当の意味での愛がベースにある場合のみその人の角砂糖が枯渇することはない。それは遠い昔から現在に至るまで名作と呼ばれた文学作品も如実に物語っている。たとえば《ノートラダムの鐘》のカジモドだ。この物語はかなり美化されたバージョンも多いので是非とも原文和訳の小説を手に取ってほしい。彼が最後の最後にどのような行動に出たのか。もちろんその最後に至るプロセスも大切だ。小説の世界だから、、、物語の世界だから、、、と卑怯に割り切ることなく読んでほしい。あの無尽蔵とも思える行動の根源は何だったか。なぜ彼はくじけることも諦めることも無かったのか。これを考えると答えは簡単に見つかるはずだ。そしてよく周りの人たちにも目を向けてほしい。同じような人がいるはずだ。
2019.03.27
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ひとつの作品やひとつの大きな成果や結果をこの世に残す仕事をした人はそれなりに立派だと言える。それだけでも才能がありある意味天才だ。しかしその次、またその次、と才能やモチベーションを枯渇させないで生涯持続させる人もいる!それを枯渇させないで持続させ続ける原動力の正体を考えるとき、そこには『愛』という言葉が浮かび上がる。「え?」と思う人も少なくないだろう。私の口から『愛』なんてワードが出てくるなんて…安心して下さい!ここで私が用いる『愛』は、この腐れ切って行き詰った世の中を構成し、自分の生きる価値も目的も見出せない連中がいとも簡単にすがって、それが最高だと、それが生まれてきた意味だと思い込んで現実逃避するための口実に用いる『愛』では決してない。元々『愛』という概念は西洋から入ってきた。まずは古代ギリシャのエロスに始まり、キリスト教のアガペーへと移行し、『愛』の最高到達点を【自己犠牲】と定義づけた。ほとんどのバカ共はエロスの入り口だけを全てと思い込み、それを愛だと思い込んで生きて、そのまま死んでいく。文字通り一生やっとけ!だ。ちなみにこの本当の意味の『愛』を仏教の世界では『慈悲』といい、儒教では『仁』という。『仁』の方が親しみやすいとう人もいるだろう。「医は仁術」という言葉があるし、「南総里見八犬伝」で八犬士が持つ八つの玉も「仁・義・礼・智・忠・信・考・悌」と「仁」からはじまっているからだ。
2019.03.26
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我々人間の中にあるこの角砂糖…もちろん枯渇する場合がある。そのとき我々に様々な悲劇が起こってきた。ときに他人を傷つけたり殺めたり、ときに自分を傷つけたり殺めたり、ときに犯罪に走り、ときに違法薬物に依存して自我を保ったり、ときにアルコール等に依存して現実逃避を常とする人間も出てくる。しかしながらそれを喰い物にして枯渇させた連中はほくそ笑みながら何もなかったかのように生活をし、また別の人間に群がってその角砂糖を蝕む。でもよくよく思い浮かべると、この角砂糖を枯渇させない人も存在している。それはもう才能と呼ぶしかないのかもしれない。それをかつて『天才の証』だと表現した偉人がいた。彼は生涯にわたって偉大な作品を残し続けた。我々は彼の新たな作品をいつも待った。いや、厳密に言うと待たずとも彼は神がかったスピードで実に多岐に及ぶ作品を世に送り出し続けたので、いつも彼の新作が我々の身近に転がってた。彼の晩年に彼の作品を凌いだと評された若手の作家がそれまでに無い作品を世に出して『天才』と称された。その作家に彼は言葉を送った。「この作品は本当に素晴らしい。認めざるを得ない。しかし大切なのは次の作品だ。この作品を超える作品を創り出さなければならない。それを繰り返して繰り返して50歳を過ぎてもなおそのペースを維持できたなら、私はあなたを天才と認めよう。」
2019.03.25
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このアリの大群ように、ときとして人は他人の何かを奪い去っていくことがある。それは才能であったり精神力であったり、あるいは時間であったり経済力であったりする。そしてそれらは広義で言ってしまえば、その人の命であったりもする。たとえば「あの人は誰にでも気づかいのできる本当に優しい人だ」なんて周りから言われて、その期待に応えようとする人がいたとする。そうすると、自分もその恩恵を得たいと思う人間や、その人の性格や性質がそれで当たり前だと思う人間が出てくる。そんな人間たちはその恩恵を少しだけ自分のものにして当然のような気でいるし、実際少しの場合が多い。しかしそんな人間は例外なく群れをなす。自覚の有無は問題ではない。ともかく群れをなす。それで一度や二度の恩恵にあずかればヨシとする人間の中に、次はもっと、次はもっと、とその要求をエスカレートさせる人間が混じり出すこともある。そんな人間たちの大群に、日々取りつかれた人はその内にある何かを削り取られて枯渇させてしまう。まさにアリにたかられた角砂糖のようにだ。
2019.03.24
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私は中2の夏休みの自由研究に角砂糖を使った実験をした。家のほんの狭い庭に1日中ほぼ直射日光の当たらない場所があった。朝そこに角砂糖を1つ置く。それがどうなるかを観察した。たった3日しかない貴重な部活のお盆休みを費やした。そして15分もしたら1匹目のアリが角砂糖をかじりだす。間もなく数匹のアリが同じように集まる。その数は徐々に多くなっていく。最初のグループがくわえた砂糖の欠片を巣に持ち帰ってしばらくすると、一列で仲間の大群が押し寄せてあっという間に角砂糖は姿を消す。しかしアリの大群はまだそこに角砂糖があるかの如くその場所に群がり続ける。
2019.03.23
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そして違法薬物に手を出すもうひとつのパターンは自分を枯渇させた場合だ。枯渇させてしまうのは才能であったり精神力であったりする。ある作家がかつて名言した。「本当の天才は生涯にわたって脳内にドーパミンを大量供給させ続けることができる者だ。凡人が天才だと勘違いされることがときにあるのでドーパミンが無くなってしまいその代わりに麻薬に手を出す。」と。また、「自分が凡人だと分かっている者が天才と勘違いされたとき、偉大な凡才は自分の身の引き際を知っている。」とも言っている。それでも天才または才能がある人間だと思われたくて違法屋宇物に手を出す輩を擁護する気も私には皆無だ。ただ一度考えておかねばならぬことは、その『枯渇のさせ方』にある。
2019.03.18
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違法薬物に手を染める人間は2つのタイプに分類されるような気がする。ひとつはそういうものへの憧れではないかと思う。数年前に逮捕された元プロスポーツ選手はまさにそうだ。後から「現役でなくなった虚無感」「離婚の寂しさ」なんかを理由に手を染めたと言っていたが、ウソだ。彼は引退後に全身に刺青をいれた。刺青を入れて違法薬物を楽しむ!俺はそういうことができる人間だと周りの人達にアピールする、もっと正確に言えば周りの人たちを威嚇するのが目的だ。そんな自分に酔っていただけだ。ちなみに私は以前刺青師をしている人と知り合った。彼は自分にも刺青を入れていて、普通に衣服を着用していても、首・手首・足首にそれらが明確に見えていた。彼は刺青を完全にアートとして受け入れていて、しかも世界各国様々な地域の人々にとっての刺青の意味を熟知していた。そして彼は人一倍、いやそれ以上の常識人として社会への連携や貢献も自然に行っていた。礼儀も正しいし、言葉遣い(特に敬語)もほぼ完璧だった。私自身カナダにいたときにネイティブ・カナディアンの人たちに彼らが刺青をする意義を教えていただいたこともある。だから刺青自体を否定している訳でもない。
2019.03.17
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また芸能人が違法薬物で捕まった事件が連日報道されている。この「また」は「芸能人」にを修飾したわけでなく、「違法薬物で捕まった」にかけている。なぜなら芸能人以外でも捕まっているのだが一般人ではあんなに報道されないからだ。芸能人という道を選んだのだからそれは仕方ないことであり覚悟のことであったはずだからそれに言及するつもりもない。もちろん違法薬物に手を染めることを擁護する気も皆無だ。当然だ!何年か前にもてはやされた夜回り先生とかいわれた人物が「薬物が悪い」「薬物が憎い」と本を出して大売れして講演でも引っ張りダコになった。あれに賛同する人間がいることはいまだに信じられない。再三言っているが悪いのは薬物ではなくそれに手を染める人間、あるいはそれを製造販売して私服を肥やす人間なのだ。だから私は違法薬物に手を染める人間を擁護する気持ちは微塵も無い!それを明確に前置きさせてもらい今回の話を進めさせていただく。
2019.03.16
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なんでもかんでも『コーンポタージュ味』であれば無条件に買うようなヤツがいるから、それが数値となって企業を惑わせた結果があのヨーグルトをこの世に生み出した・・・その元凶・・・それは私自身だ!猛反省をしている今日この頃であります。
2019.03.09
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おそらく、コーンポタージュ味と銘打てば売れる。そんな統計が業界で実(まこと)しやかにささやかれているのだ。そのデータソースはお菓子だろう。事実お菓子にはハズレがなかった・・・もちろん私の知る限りではあるが・・・自販機の缶飲料に至っては本当にコーンポタージュなのでもこれはもうハズすハズさないの次元で語ることはできない。しかしそれもデータソースに含まれているとすれば、それはかなり高い数値に達しているはずだ。それを元に開発されたのがカップラーメン!しかし売れないので店頭叩き売り状態になった。美味しくはなかったし、また食べようとも思わないが、「あげる」と言われれば食べることはできるレベルだった。でもハズしてはいる。そして次に開発されたのが飲むヨーグルト!これに至っては再び口にすることはお金を払っても回避したいレベルだった。では、そのデータの数値を上げさせた元凶はだれなんや!
2019.03.08
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その味は・・・想像をはるかに超越した・・・不味さだった。甘めのヨーグルトにコーン味の粉末を混ぜただけ。しかもよく振ってもそれらが融和することはなく全く別々のものとして口の中に入ってくる。今まで無かった味の飲むヨーグルトを開発しようとおそらくこの会社で会議なんかがあったのだろう。そこで誰かがコーンポタージュ味を提案したのだ。責任者はなんで止めへんかってん!あるいは唯一無二の味を開発できる方に賭けたのか?そうだったとしてもだ。試作品なんかでこれがでてきたときになんで止めへんかってん!本当に味も口当たりもこの上なく悪い。なんでこんな大きな企業がこんな製品を世に出したのか・・・それを考えるともう世も末だとしか言葉が出ない。それでもその原因を考えてみたとき、私なりのひとつの結論が出た。
2019.03.07
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そうこうしていたら母が入院することになった。栄養の補給と荒れた胃を整えることを目的に毎朝飲むタイプのヨーグルトが出された。しかしそれを飲むと胃が冷えるからと母は2日目から飲まなかった。そしてそれは毎日病室を訪れる私に手渡されることとなった。白桃味、ブドウ味、マスカット味、バナナ味と多彩なバリエーションを楽しんだ。ある日コーヒー味なるものが私に回ってきた。「コーヒー味のヨーグルト?」どう想像しても嫌な予感がした。飲んでみると・・・期待を裏切らない不味さだった。その数日後、信じられないものが私に持たらされた。目を疑ったがどう読んでも『コーンポタージュ味』と書かれていた。確認したがその上には更に大きな字で『飲むヨーグルト』としっかり表記されている。コーヒー味があんなことになっていたのだから、これに関してはかなり危険な予感がした。しかしながら私の中のもう一人の私が「いや、これはチャンスや!こないだのカップラーメンの失敗を帳消しにするくらいの美味しさかも知れへんぞ。コーンポタージュ味のカップラーメンは美味しいと思って食べてみて残念な結果やった。でも今回美味しくないと思って食してみて美味しかったとしたら、それはもう大逆転や。また今日この時点よりコーンポタージュ味に外れなしの法則が自分の中でよみがえるで!!!」その声を聞いてしまったら、もう飲まずにはいられなかった。「よく振ってお飲みください」との表記に従い、しっかり振って付属のストローを飲み口に刺した。その瞬間美味しそうなコーンポタージュの香りが漂った!「これは!!やはり大逆転現象の兆候や!!」そう思って口に運んでその味を確認した。
2019.03.06
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人生ではじめてコーンポタージュ味のハズレを引いてしまったショックは大きかった。それでも完食して席を立った私は「あ!」っと思った。山積み安売りの理由は・・・売れないから・・・ではないのかと。そして帰りにコーンポタージュ味のお菓子を購入して車の中で食べてみた。やっぱり美味しい!同じくコーンポタージュの缶飲料を購入した。やっぱり美味しい!あるいは、、、コーンポタージュ味製品のハズレを引くことはレアなケースで、それに遭遇する確率は宝くじの一等を引くより確率が低く、今日はある意味ラッキーな日であったのではないか、、、なんて考えるようにもなってしまった。そして次に出会うコーンポタージュ味製品に期待をすることにして自分を納得させた。
2019.03.04
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カップに表記された指定時間をじっと待ち、時間が来たのでフタをあける。さらにコーンポタージュのいい香りに包まれる。お菓子系とは違い、液体系の場合はよくかき混ぜるのがコーンポタージュ味の食品を食す場合の鉄則だ。しっかり箸でかき回す。案の定カップの底から濃い黄色の部分が現れる。それをしっかりスープに溶かし込みながら麺を混ぜる。スープの濃さが均一になったところでまず飲んでみる。・・・ん?・・・薄い!混ぜが足りなかった? ともう一度しっかりかき混ぜる。スープを飲んでみる。・・・ん?・・・やっぱり薄い!紙製のフタとカップサイドの表記を確認する。『コーンポタージュ味』と書いてある。においは間違いない。見た目も間違いない。しっかりコーンも入っている。味のみがおかしい!何も知らされないでこのスープを飲んだら、私は間違いなく「薄~~い塩ラーメンにちょっと多めのバターとコーンが入ったもの」と判断しただろう。ともかく!コーンポタージュとは程遠いものであった。
2019.03.03
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コーンポタージュ味と記載された食品を目にしたときは必ず購入して、どれも期待を裏切らない美味しさであることを密かに喜みながら人生を歩んできた。もうこの法則は間違えないことが私の中で確定して、それに微塵の疑いを持たずに50歳を2年過ぎたある日だった。仕事の合間に昼食によく訪れるショッピングセンターの食料品売り場・・・遅い昼食を取るときはほとんどそこに足を向ける。お弁当が半額になっていて、レジを通した後温めて食べるスペースも用意されているからだ。その日、食料品売り場の入り口にカップラーメンが山積みにされていた。価格は88円(税抜き)、しかもこの日は冷え込んでいて温かいものを食べたい気持ちだった。で、そのカップラーメンを見ると『コーンポタージュ味』との記載が!もうこれはハズレであるわけがないと迷わず購入。それだけでは寂しいので小さい八宝菜弁当(280円の半額/税抜き)も購入。レジを通して割り箸もいただき、座席を確保して弁当は電子レンジに入れて温めている時間を利用してカップラーメンにお湯を入れる。もうその時点でコーンポタージュの美味しい匂いが食欲をかき立てる。
2019.03.02
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やがて中学生になり「生き地獄」との異名を持つ野球部に入り、その名の通りの地獄を1年間生き残って2年生になったとき再びコーンポタージュとの出会いが私を待っていてくれた。プライベートで野球部員とつるむことがあまりなかった私は、他の運動部員に誘われて開店したばかりの穴場的な駄菓子屋に行った。本当に知らない人間にはたどり着けないような場所にその店はあった。そこで久しぶりに駄菓子を口にすることになったが、小学生のときには無かった品物もちらほらあった。その中にあったのが『うまい棒』という10円のお菓子!なんとその中にコーンポタージュ味というのがあった。数年前のあの感動をもう一度と思いながら購入!その味は・・・私の期待を裏切らないレベルだった。それからというもの【コーンポタージュ味と書かれた食品にハズレ無しの法則】に則った人生を私は歩んできた。それは人様に恥ずべきことの多い私の人生において数少ない誇れることになった。
2019.03.01
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