全16件 (16件中 1-16件目)
1
『 来 / に / け / らし 』文の成分で分割するとこのようになります。学生諸君!できましたか?さて、もちろんそれぞれの分析に入ります。まず『来』・・・これは先にも説明しましたが、言わずと知れた【動詞】ですね。しかもこの語幹は唯一の【カ行変格活用動詞】です。そして次は『らし』です。まずはこのふたつを攻略しないとどうしようもありません。またちゃんと高校生として古文の授業を受けているなら、攻略できないといけません。古文の基本中の基本ですからね!
2021.10.31
コメント(0)
こういう真面目な話題になると一挙に1日に閲覧数が激減してしまっておりますが、気にせずに続けます。さあ、この和歌の意味の解釈のキーを握るのは、はやり助動詞ですわね!助動詞を制する者は受験古文を制するとまで言わしめている助動詞様です。しっかり分析しますで~~~。もちろん助動詞を含む部分は『来にけらし』です。文の成分的に分割してみてください!そう、学生諸君ですよ。君や君!昨日の夕方FクランM亀店の本屋でマンガを物色しているときに私と遭遇して驚いていた君や!
2021.10.30
コメント(0)
『天の香具山』は、そのまま『あまのかぐやま』と読みます。たまに間違って『天の』を『てんの』と読んだり、『香具山』を『かぐさん』と読んだりする人もいますが、このあたりはまあ笑ってごまかしていいレベルです。つまり、『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山』は、『はるすぎて なつきにけらし しろたへ(え)の ころもほすちょう あまのがくやま』と音読します。頑張らなくても10回ほど音読すれば、なんとなく覚えられるかもしれません。それはこの歌の音の流れの自然さというか綺麗さがなせる業だともいわれています。・・・『夏過ぎて 冬来にけらし』と思うほどの季節感の変化があった、、、という話題で始まった今回のトピックですが、この11月が目前となった時期になんと台風20号が接近しているらしいです。また夏に戻るんかいな、と思ってしましますわ。・・・では古文の話に戻ります!もちろん次は意味の解釈ですよ。
2021.10.28
コメント(0)
そして『衣干すてふ』の『てふ』ですね!古文の世界では『てふ』と文字表記して「ちょう」と読むのです。古文(あるいは文語文)においては定番中の定番で、テッパン中のテッパンです。これを言うと「じゃあ、古文では虫の『蝶々』は『てふてふ』って書くんかい!」なんてツッコむ中学生なんかがたまにいますが・・・その通りですよ。『てふてふ』と文字表記して『ちょうちょう』と発音します!ちなみに同じくらい定番中の定番でテッパン中のテッパンなのは、『けふ』と文字表記して『きょう』と発音します。『今日』や『京』に『けふ』とふり仮名がふってある教科書も少なくありません。ふりがながないと『今日』は『きょう』、『京』も『きょう』と普通に発音してしまうので、『けふ』が身につかないことを懸念した配慮なんですよ。
2021.10.27
コメント(0)
分析の結果はどうなりましたか?現代文でも古文でも活用形の識別は、まず「終止形」「命令形」、つぎに「未然形」「連体形」「仮定形(古文では已然形)」、の順番で分析して、上記のいずれにも該当しないときは「連用形」で答えるのが定石ですね。今回は「連用形」となるので、「来」のよみかたは「き」と判断できます。お次は漢字ですね。『白妙』をどう読むか・・・です。『白』は「はく」か「しろ」ですね。問題は『妙』です。「みょう」はいけると思いますが、もうひとつの読み方があります。「たえ」です。たとえば私には何人か《妙子》さんという女性の知り合いがいます。《たえこ》さんです。今回の和歌の『白妙』は古文では「しろたへ」と表記して、「しろたえ」と読みますよ。
2021.10.24
コメント(0)
『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山』『春過ぎて』は音読するのに問題ないと思います。『夏来にけらし』がまずは問題となるかもしれません。『来る』は現代文でも古文でも唯一の【カ行変格活用】動詞です。高校古文では特にその読み方が問題をして出題されることが多い動詞ですね。【カ行変格活用】は古文(文語)では、「こ・き・ く ・くる・くれ・こ(こよ)」と活用します。ちなみに現代国語(口語)では、、、、「こ・き・くる・くる・くれ・こい」です。この和歌はもちろん古文なので、「こ・き・ く ・くる・くれ・こ(こよ)」です。では次に考えなければならないのは、この歌の「来」の活用形です。学生諸君!早速分析してみてくださいな。ちょちょいとね。
2021.10.21
コメント(0)
さて、高校生諸君に向けての古文の話なので親分の話はしません・・・と、しょ~もないボケを入れながら話を進めます。古文も英語も、もちろん国語もですが、いつも私が言っているのは「語学は音声から入る!」ことが重要です。まずは今回取り上げた和歌を、しっかり音読してください。古文や英語は特に正確でなくても、間違いがあっても気にしない!とにかく音読します。それをしないと、脳が文章に反応しないのです。反応しないどころか「閉店ガラガラ・・・」とシャッターを閉めちゃいますよ。さあ!読んでみましょう!しっかり声を出して!意識的に口角をあげて!できる人や知っている人は腹式呼吸で!『春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山』10回は繰り返しましょう!!!
2021.10.20
コメント(0)
『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山』万葉集におさめられた持統天皇のあまりに有名な和歌だ。小倉百人一首にも登場するこの歌は、多くの中学校や高校の教科書にも出てきているので、知っている人も少なくないことと思う。・・・今朝の冷え込みにふと私はこの歌が頭によぎった・・・今朝はまるで『夏過ぎて 冬来にけらし』の様相だった。我が教室では昨夜はまだ冷房をかけながら授業をした。ところが今夜の授業では暖房をかけた。秋は一体どこにいってしまったのか・・・と思わず嘆いてしまった。
2021.10.18
コメント(0)
疲れることが多いわ・・・
2021.10.17
コメント(0)
論理的思考に基づく論理的な結論を導き出す。そしてそれを論理的に説明してより多くの人たちに理解して納得してもらう。現在の世の中では残念ながらこれがなかなか行われていない。なのでもめごとが多い。論理的思考に基づく対話の目指すところは合意である。合意点を見出すために対話があり、それをスムーズに進めるために必要なのが論理性だ。それがもっと世界に広がれば、さまざまなトラブルを解消できるだろう。たとえば親子喧嘩だ。学生諸君は親と対立することがあるだろう。対立はいいのだが、喧嘩はいけない。それはどちらかが論理性を欠いていることが原因であり、多くの場合は感情的な言動が倫理性を押し殺している。数学を通して、そしてその理解力を活かしながら国語を通して、論理性を身につけて、よりよい世の中を創っていってほしいと切に願うところである。申し訳ないが、我々の世代ではそれはできなかったから、今世の中はこの体たらくだ。未来を担う若者諸君に大いに期待する!
2021.10.15
コメント(0)
と・・・相変わらずいろいろと述べさせていただきましたが、5科目の授業をさせていただいている身としてはやはり『論理的思考』を手っ取り早く身につけるには数学が一番だと思う。数学が得意な人も、そうでない人も、論理的思考を養っていることを自覚しながら接していくことが大切だ。正解を導き出すことを目的とせず「あ~だ」「こ~だ」と考えることを目的としてほしい。たとえ数学の試験の点数がふるわなくとも、日常生活で誰かに何かを順序立てて説明することができればそれは論理的思考が身についていると言える。逆に数学の点数が良くても、日常生活で自分の考えをだれかに説明して納得してもらえなけば論理的思考はみについていないと自覚するべきだ。数学なんて生きていく上で必要ないなんて言っている人はこれが分かっていない。
2021.10.14
コメント(0)
さて、こうなればやはり問題になってくるのは先生側のスキルだ。ここが大問題になってくる。そして次の問題は、どうやって採点するか!だろう。ある意味採点する先生側の主観に頼らざるを得なくなる。そうなれば先生の好みに合った問題を生徒側が探ることが必要となる。それでは本当の意味での『論理的思考を養う』という目的からはズレてしまう。そこをAIに頼ったとしても、結局はAIが高得点をはじき出す問題をつくるにはどうすればいいのかというスキルだけが上がってしまい、これもまた『論理的思考を養う』という目的からはズレてしまう。こう考えると・・・もしかすると若い世代の人たちの『論理的思考を養う』という目的に、最もブレーキをかけているのは、現在の学校の教育体制であり試験制度だと言えるのかも知れない。
2021.10.13
コメント(0)
もうひとつ、つまり1位は・・・ズバリ、自分で問題を作ってみることだ!もちろん解答も作らないと意味がない。これをすることで、数学の論理性に気付くことができる。今まで見てきたようなものを真似ることから入ればいい。あるいは教科書や問題集、または試験に出た問題を改造してみるのも面白い。これを私は「問題をイジる!」と言っている。慣れてくれば「イジり倒す!」ことだってできる。専門家や先生と呼ばれる人たちが作った問題より、面白いものができることだってある。これは数学以外の教科でもかなり有効だ。今回の教科書から、自ら考えることを学校教育の大きな目的のひとつと位置付けたこの国だ。私が思うにその最終形態は、試験では先生の作った問題を生徒が解くのではなく、生徒が作った問題を先生が解いてその問題内容を評価するものになる。または論文形態でもいいだろう。たとえば中学2年生に『1次関数』を題材に論文を書いてもらうのだ。この場合は小論文でもいいし研究論文でもいいと思う。
2021.10.12
コメント(0)
数学で『論理的思考を養う』のにお勧めな方法がある!今回は2つ紹介する。第2位は・・・模範解答以外の方法で正解を導き出してみる!!これだ。大事なのは「導き出してみる」ことであり、「やってみる」ことだ。たとえ導き出せなくともいい。「あ~だ」「こ~だ」と、「あ~でもない」「こ~でもない」と考えてみることだ。たとえ自分の考えが行き詰っても、行き詰った原因が明確になればそれでいい。これは何も文章問題に限らない。計算問題だっていい題材だ!そしてもしこの試みに成功した場合は次の段階が待っている。それは、模範解答がなぜその方法を選択したのかを考えてみるのだ。これも先ほどと同様に「考えてみること」だ大切だ。もしその模範解答が学校や塾の先生が用意したものであればしめたものだ。自分の方法ではなく、なぜこちらの方法を用いたのか・・・とその理由を聞いてみればいい。
2021.10.08
コメント(0)
同じ【論理的思考を養う】ことを目的としていても、数学と国語では全く別物なので同じ土俵で顔を突き合わせることは無い・・・と思われていたし、私も思ってきた。しかしながら、どうやら今後はこれらの融合が実現するかもしれないという様相を呈しはじめてきている。それが今年からの新しい教科書がそのカギを握っている。その内容と目的に即した定期テストの変化がさらにそれを加速させる。先日中学校の2学期中間テストが終わった。今日その問題の一部を見せてみらったが、なかなかいいテイストの内容だった。問題を解く生徒諸君には「かんべんしてよ~」となることをあるとは思うがこれは今後の期待が膨らむ!
2021.10.05
コメント(0)
数学と国語ではどちらが『論理的』か・・・これを論じると国語に軍配が上がった!が、これは私が論じたからだ。文系脳の私が論じたからだ。別の人にかかればもちろん数学に軍配が上がることだってある。国語と数学はときとして相反する存在だったり、対極に位置する関係と思われることが多い。現実問題としてほとんどの高校に進学すると2年時から、文系と理系にクラスを分けられる。これもその大きな原因だと考えられる。しかし論理的思考を養うことを目的とするという点においては、国語と数学は案外相反する存在でも対極の関係でもなく似通った分野の学問と言える。
2021.10.01
コメント(0)
全16件 (16件中 1-16件目)
1
![]()
![]()
