全30件 (30件中 1-30件目)
1
コロナの影響が我々の生活を覆って1年半が経つ。昨年の完全自粛の雰囲気とは異なり、今年はウイルス拡散に気をつけながらも少しどこか過ごしやすくなった側面もあるように感じられる。その空気を作っている原因のひとつはスポーツの再開であろう。阪神タイガースファンの私としては、やはり阪神の試合があってくれた方が生活にハリがでる。でもここで私の長年の疑問にひとつの答えが出ようとしている。それはスポーツの応援に関する疑問だ。皆さんは思ったことはないだろうか?観戦している者の沈黙を必要とするスポーツとそうでないスポーツがあるのはなぜだろうか・・・と。それらを必要としないスポーツをしてきた私には大いに不可解なのだ。
2021.05.31
コメント(0)
先日の内容・・・「Yせつ」とか「S行為」とか、何か変だったでしょ?もちろん「Y」=「わい」であり、「S」=「性」なんですよ。でもあかんのですよ。それをそのまま書き込むと『不適切な表現があります。』とかの表示が出て文章をアップできないのですよ。何じゃそれ!です。世の中では不適切な行為が行われているのに、それを糾弾する単語を書き込むのはアカンってどういうこと?こんなことしてるから、アホな事件が後を絶たたんのやで。なんでもかんでもひた隠しに隠して、世の中をきれいごとばかりで飾りたいにんげんがおるからこの世から犯罪や紛争・戦争がなくならんのや。それらの悲惨をちゃんと伝えて、防衛策を模索せなアカンのがなんで分からんのやろか・・・人間はそんなにアホなんかな・・・私が「Y」や「S」でごまかさざるを得なかった言葉はダメで「死ね」や「殺すぞ」は書き込めるのはなんでや?その言葉で人が実際に命を絶ってるんやぞ!ITに携わる人間たちよ。もっと賢くなれ!!
2021.05.30
コメント(0)
文部科学省は本年5月26日、『懲戒免職等により教員免許が失効したことを官報に掲載する際、その失効した教員の指名と共に、処分理由が子供へのYせつ行為・S行為であったかどうかを明確にする省令を交付した。』と発表した。つまり、教員の懲戒免職の理由は今まで問われていなかったのだ。また、教員免許は失効から3年経過して本人が申請すれば再取得が可能だ。ということは結局、3年経過すればYせつ行為・S犯罪教員がまたホイホイと現場に復帰できるというシステムなのだ。で、同じく発表されたのは、『今後子供へのYせつ行為・S犯罪行為をして懲戒免職・教員免許失効をした教員が3年後免許の再取得申請をした場合、各地方自治体の教育委員会はそれを拒否することができる。』という内容だった。驚くでしょ?ショックのパ~でしょ?教育委員会が再取得を拒否しなかったら現場への再復帰が可能なのだ。ここでもやはり公務員天国は健在だ!この国の、Yせつ行為・S犯罪教員撲滅への本気度がゼロとはいわない。0.3%くらいはある。しかし、1より小さな数はかけ合わせればかけ合わせるほど、元の数値は小さくなっていくことをこの国の教育のトップはそろそろ知るべきだ。教育を司る・教育のトップの機関にいる連中に一番養育が必要なのだ。
2021.05.29
コメント(0)
今日昼食をとろうと寄ったとあるショッピングモール。ふと通りかかったガチャガチャのコーナーで私の目にとまったのは『ミニチュア顕微鏡マスコット2(全5種)』!!ずいぶん前にこの第一弾が発売されており、何度も購入した。理科の授業で顕微鏡の扱い方にふれるときに、生徒に1つずつ渡して実際に操作してもらう。小さなものなので本当に何かが見えるわけでは無いが、それでも実際にやってみることがかなり重要だ。学校では1つの班に1個の顕微鏡が割り当てられているので、全くそれに触れずに授業を終えてしまう生徒もいるからだ。そしてそれを生徒にプレゼントする。これが結構好評なのだ。今回の第2弾は前回のものと比べ物にならないくらい精巧にできている。すごいぜガチャ!!私は迷わず紙幣を両替してガチャに挑んだ。1回300円(税込)を10回まわした。とりあえず10個ゲットした。が、しかし・・・ガチャにはレシートが出ない。領収書ももらえない。絶対このガチャは経費なのに・・・メーカーさんよ。領収書の出るガチャマシーンを開発してもらえまへんやろか・・・あ、いや、領収書のガチャを出してくれって言っているのではありませんよ!前向きなご検討をよろしくお願い致します。
2021.05.28
コメント(0)
本年より大きく内容が変更された(といわれている)教科書を用いた初めての定期試験が実施された。その科目も『考える力を育てる!』を大きな目標としている。で!1学期の中間試験が実施された。どの学校もどれほど『考える力を試す!』内容の試験問題になっているのかと興味津々だった。が!私が見る限り・・・その内容に大きな変更があった学校は無かった。よくある話だ。『考える力を育てる!』という目的を掲げたのは文部科学省であり、その方針を決定したのは国会だ。どちらも現場のことなんかまったく知らない連中だ。目的だけを掲げて教科書の内容を改定して・・・あとは現場の先生に丸投げだ。それでもやはり考える力を養うことは本当に重要だ!まずはこの国の教育をダメにして、教育を喰いものにしている連中はだれなのか?我が教室ではこれを考える力を養う授業を進めることにする。もちろん次の段階は、その連中の駆逐の仕方を考えてもらう。そして最終段階は、それをいかに実行するかだ!ワクワクする。
2021.05.27
コメント(0)
昨年末に東京都知事が「東京都内で2030年までに四輪車、2035年までに二輪車のガソリンエンジン車(電気と併用は除く)の新車販売を禁止する。」と発表した。この発言に対しては各業界や世論が猛反発していると聞くが、おそらく今の世の中の風潮を考えると早かれ遅かれ知事の発表通りになるような気がする。ただし、新車の販売が無くなるだけで、ガソリンエンジン車が消滅してしまうわけではない。乗りたい人は乗り続ければいいのだ。私がバイクに乗り始めた頃には国内4メーカーが2スト車の販売を中止する時代がくるなんて微塵も思っていなかった。しかし実際には1999年から各メーカーは主力製品と言っても過言ではない2スト車をきっぱりと生産しなくなったのだ。なのでガソリン車の製造の中止されることも全く考えられないことではない。そうなれば・・・私はどうするだろうか?完全電動バイクにまたがって「やっとモーターのコイルが温まってきたところだぜ!」と言ってみたい気もあるし、近所の人から「あそこのじいさんはいまだにガソリンバイクに乗ってる変わり者・・・」なんて陰口を叩かれたいような気もする。今、私の心は揺れている。
2021.05.26
コメント(0)
ときとして私の人生において不思議時空が発生することがしばしばある。不思議時空とは「宇宙刑事シャイダー」に出てくる。宇宙犯罪組織フーマが地球を侵略するときそれを阻む宇宙刑事シャイダーに対抗すべく送り込む不思議獣がピンチに陥ったときに発生させる空間で、不思議獣のパワーが一気に4倍に跳ね上がる性質をもつ空間がそれである。その番組の影響を大きく受けていた高校時代の我らが同志たちの間で「これ何の時間やねん!」と思わずツッコミたくなる時間をいつしか不思議時空と呼ぶようになった。それ以来私はときとして突然不思議時空に放り込まれることがある。・・・先日外国人女性に二輪指導をしていた。彼女はあまり日本語に慣れておらず、旦那さんが通訳としてきてくれていた。練習中にすこし休憩をしていたときである。2人が突然母国語で口論し始めた。休憩は3分と言っていたのだが、あと1分というところで口論がはじまった。口論は10分ほど続いた。2人ともかなりエキサイトしていた。私はその時間が過ぎるのをじっと待った。あのとき、間違いなく私は2人が発生させた不思議時空に放り込まれていた。ってことは・・・あの2人のパワーは4倍に跳ね上がっていたのだろう。おそるべし、不思議時空!!
2021.05.25
コメント(0)
先日中学校時代の友人とのメールでまだ私が技術の授業で作ったチリトリや本棚そして文鎮などを今も使っているというとかなり驚かれた。いまだに小学校の図工の時間に作った作品を部屋に飾っていたりもする。私にとってモノはただの物体ではなく命や心のある友人だ。小学校入学と同時に家庭の事情でかぎっ子となった。学校から帰って兄たちが帰宅するまでの時間をひとりで過ごした。兄たちは家に親がいないので部活なんかに参加してわざと遅くまで家に帰らない。幼少時期の孤独な時間は気が遠くなるくらいの長さに感じる。そんな時間を私と一緒に過ごしてくれるモノは友人以外の何物でもなかった。ここ数年で断捨離という言葉は我々の生活に定着した。元々この断捨離はヨガの用語からできた造語である。「断」「捨」「離」・・・よくこの言葉を並べたものだと感心はするが共感はしない。したい人はすればいいが、中にはそれを他人に強要する者がいるが、それはおかしい。「離」はものの執着から離れるという意味がある。他人に強要するのは執着のひとつだ。その傲慢さはなぜ断捨離できないのか。自己満足の断捨離、他人にアピールするための断捨離はもうすでに断捨離ではない。さて、もちろん命には終わりがある。私が大切にしてきているモノたちも例外ではない。ふと彼らの命の期限について考えることがある。彼らの価値は私にしか分からない。つまり私がいなくなれば彼らはただのゴミとなるだろう。彼らと私の寿命は連動している。中には私より先にその命を全うするモノもあるだろう。しかしそうでないモノたちは、私が私自身を断捨離するときにその役目を終わるのだろう。その日まで目いっぱいつきあっていこうと思う。
2021.05.24
コメント(0)
CMですわ。テレビCMですわ。ちなみにCMは「コマーシャル・メッセージ」ですわ。冷凍のヒレカツかなにかのCMですわ。お客さんがお店でヒレカツを注文するんですわ。ほなその注文を聞いたある女優さん扮する店員さんが言うんですわ。人差し指立てて言うんですわ。「揚げません。うちではもう揚げません。」ですわ。なんか揚げんでも食べられるヒレカツのCMみたいなんですわ。それはそれでええんですわ。ただ・・・ですわ。お客さんはヒレカツを注文しているのであって調理方法に関しては言及してないんですわ。揚げんでもできるんやったらそれはそれでええんですわ。揚げてくてとは一言も言うてないんですわ。せやのに「揚げません。」ですわ。納得できませんですわ。でも女優さんが悪いわけではないんですわ。彼女のプロなんで「はあ?」と思っとっても台本通り演じきるんですわ。やっぱりアホなんは企業ちゃいまんのん?かつてある学者が言うてはったんですわ。テレビCMを見ればその国の人たちの知的レベルが分かるって・・・しっかりしてほしいですわ。
2021.05.23
コメント(0)
ここ数回、原稿用紙1枚強分字数の1回読み切りの内容を書き込んだ。するとまた1日の閲覧数がグッと上昇した!別に閲覧数を上げたいとは思ってはいないが、ブログ管理画面にグラフが出るのでどうしても目に留まる。しかし、、、いくらここ数日の閲覧数が急上昇したとはいえ、あの話題に触れたときのそれにはまだまだ及ばない。おそるべし、セーラー服パワー!!!
2021.05.22
コメント(0)
何やら有名歌手と女優さんが結婚をしたらしく、今日はテレビもインターネットもその話題ばかりだった。もちろん私にはそんな情報は必要ない。「あっしにゃぁ関わりあいのねぇこってござんす。」だからだ。常日頃から自らの彼女いない歴を誇示している私である。いままで何人の失恋で失意のどん底にいる生徒たちが私の「俺を見てみい!彼氏・彼女なんかいてへんでも人間は生きていけるんや!彼氏・彼女がおるヤツで俺より生き生きしている人間がおるか!よう考えろ!!!」の言葉で雄々しく立ち上がってきたことか・・・しかしながら、今日は皆さんに報告しなければならない事実ができてしまった。心より遺憾ではあるが、私の彼女いない歴54年は昨日で終わってしまった。・・・・・本日・・・55回目の誕生日を迎えた!そう。私は彼女いない歴54年に別れを告げて、本日55年目に突入したのだ!!!私の快進撃はまだまだ続くだろう。さあ、若き同志たちよ!苦しいときは私の背中だけを見て追いかけてくるがいい!!♪俺はここだぜ一足お先、光の速さで明日へ・・・・ダッシュさ~~~♪ である。
2021.05.21
コメント(0)
先日部屋で探し物をしていたら、古いカセットテープが7個でてきた。1個は中でテープ自体が劣化していたが、あとの6個は何とか聞くことができた。中には当時私が好きだった歌謡曲がたくさん入っていた。「昔の曲はええなあ~」と聞き入った。しかしその中の何曲かはここ数年の間にテレビなんかでその歌手が歌っているのを聞いたことがあったのに、そのときは「ええなあ~」とは思わなかった。何が違うのか・・・と考えたときその答えがすぐに出てきた。往年のヒット曲を最近になって歌う歌手は、一番有名なメロディラインにアレンジを加えているのだ。それがどうにも私にはしっくりこない。中には曲そのものをリニューアルして昔以上の名曲として世に出るものもある。「亜麻色の髪の乙女」や「Good-by my love」なんかはその最たるものだろう。ただ部分的なアレンジはない方がいい。まさに原点は頂点なのだ。
2021.05.20
コメント(0)
昨年から外国の人たちにバイクの指導をする機会が急激に増加した。コロナの影響だ。母国に帰れなくて旅費がういた分の資金を利用して取得する人もいれば、通勤や通学の電車やバスの交通費を考えれば長期的にはバイク通勤や通学の方が安上がりになるからという人もいる。今日も2人組のペルー国籍の人たちにバイクの指導をしていた。そこに別グループがやってきた。外国人の3人組だった。知り合いではなかったのだが彼らもペルーの人たちらしく、5人はすぐに仲良くなってバイクの練習の合間の休憩時間に母国語で楽しそうに話をしていた。後で話を聞くと、ペルーでは公用語が3つあって全員が全部を話せるわけではないとのこと・・・彼らは偶然同じ言語を母国語としていたので、会話が弾んだらしいのだ。考えてみればそうだろう。せっかく同じ国の出身者と外国で出会っても言葉が通じなければどうしようもない。彼ら5人が話をしている時間・・・あの時、あの場所では、私が外国人であった。
2021.05.19
コメント(2)
そう思わなくなれば、高齢者から老後の資金を奪い取ろうとする特殊詐欺をしようとは思わないはずだし、天下りを繰り返してたいした仕事もしていないのに住民や国民の血税で大いに私腹を肥やすような発想にもつながらない。なぜならお金というものは、その人が限りある命を使うことで稼いだものなので、その人の命の一部なのだ。例えば1時間千円の時給で誰かが稼いだお金は、その人が日本人の平均寿命85歳まで生きたと仮定すれば24時間×365日×85年で74万4千600(時間)分の1の命の対価なのだ。それを騙し取ろうとか、それで私腹を肥やそうとは思わないはずだ。また死者数もただの数字ではなく、その数の分だけそれぞれの人生があり、その数以上にその人を亡くして心から悲しむ人たちがいることもわれわれはもっともっと意識しなければならない。それを・・・学校の算数や数学の授業で養う術を、教える側も教わる側も模索する時期がまさに今だ。それこそ今年から始まった「自分で考える能力を養う教育」という目的の到達点のひとつでなないだろうか。
2021.05.18
コメント(0)
ただの数字を示す数字もあれば、人の命を示す数字もある。それらを意識して扱う数字とそうでない数字とでは大きく意味合いが変わる!それを意識できれば、年間交通事故死亡者数が4000人台に減ったからと誰かを表彰しようとか誰かが表彰されたりなんかしない。それをするときは年間交通事故死亡者数がゼロになったときだ。だってそらそうやろ!その年に不幸にも交通事故で大切な人を亡くした人たちがその表彰をどう思うのか・・・ここに思いを馳せることなできたなら表彰なんてことは考えられないはずだ。それを考えられないから、死者数をただの数字だとしか感じられないから、5000人台が4000人台に減ったからおめでと~~~となるのだ。同じくそれを意識できれば、お金をただの数字とも思わなくなることができる。
2021.05.17
コメント(0)
どこかの学校の先生が算数のテストで死者数を計算する文章問題を出題したことが問題になった。学校側は謝罪をして、その先生も処分を受けたと報道されていた。確かにそれが適切か不適切かと言われれば不適切なのだろう。しかしその先生がその問題を出題した意図が大切だ。何も考えずにただそんな問題を出題したというのであれば現時点では不適切だ。ただそこに深い思慮があったのなら一概に糾弾できないような気がする。計算問題であれば、そこに並んでいる数字は単に数字として扱うしか術はない。でもそれが文章題になるのであれば話は変わってくるべきなのではないかと思う。文章題の目的は文章を読み取ってそれをもとに数式を立てて答えを求めることが目的だと言われている。それは否定しないが文章を用いるのであれば、数字の意味をも考えさせるような教育が必要な時代にすでに入っている。
2021.05.16
コメント(0)
数字に感情を持ち込むと数字それ自体の存在意義が薄れていくことも分かるが、それを逆手にとってことの重要性を見失うことはやはり危険だと思う。しかし現実にはそんな甘いことも言っていられないようだ。そこで重要になるのはその数字を見る人間の感性や想像力となってくる。人間ある程度年齢を重ねると自然とそれが可能になるが、残念ながらそうでない人もいるだろう。それをできれば学生の頃にしっかり身につけるべきだ。一度はその数字が意味する重みを考えてもらう時間を設けるのだ。それを授業中に自然に行うのがベストだ。私がいつもいうところの「勉強で何を学ぶのか?」だ。「算数で何を学ぶのか?」「数学で何を学ぶのか?」である。数年前にある教師が作った試験問題が不適切だと大きな物議となった。みなさんは覚えておられるだろうか。
2021.05.15
コメント(0)
もちろん数学というのは我々にとって大切な学問であり、数字というのも重要だ。ただ数字にすると場合によってはことの真相を曖昧にしてしまうことがあるような気がするのだ。例えば昨日の日本国内でのコロナウイルス感染による死亡者数は103人だと発表されている。そしてよくその人数が多いとか少ないとかの論議がなされる。数日前にある学者が日本の感染者数は諸外国に比べてかなり少ないので、オリンピックを中止するなんて言っているのには笑ってしまう・・・といった内容の文章をSNSに掲載して物議をかもし出している。103というものをただの数字と捉えるとその論議もいいだろうと思う。しかしこの103をそれぞれひとりひとりの人間であると考えると意味合いが変わってくる。交通事故だってそうだ。ある年に交通事故により死者数が減ったからといって警察のエライさんが表彰を受けたことがあった。確かにそれなりの創意工夫があったとは思うが、減ったとはいえその年の死者数は4000人台なのだ。何がめでたいねん・・・と思ってしまう。
2021.05.14
コメント(0)
学習塾をさせてもらっているので学生さんたちと数学を勉強する機会が定期的にある。私は自他共に認めるところの文系人間であり数学苦手人間である。先日中2生と勉強していたのは、「奇数と奇数の和が偶数になることを証明せよ」といった問題だった。・・・文字式を利用して証明する。奇数の定義はこうだから・・・文字式ではこう表すことができる。それの2数の和を求める。出た解が偶数であることを確認する。・・・それは分かる。しかし未だにどこか納得がいかないというか、しっくりこない。この感覚が文系人間たる所以かもしれないし、数学が苦手な原因かもしれない。特にここ1年は、それを通り越して恐ろしさを感じる。
2021.05.13
コメント(0)
生徒に「考える力」をつけさせようと改訂された教科書の内容でのはじめての中間テストがはじまろうとしている。文部科学省の方針を現場の学校の先生たちがとう捉えているのかを知るには、今回の中間テストの問題を見れば一目瞭然だ。といってもほとんどの先生が早くて3月に新しい教科書の詳細を知ったはずだ。どれだけ対応できているのかを拝見しようと楽しみにしている。定期試験の延長上にあるのは当然入試だ。もし・・・万一であるが、定期試験の内容にも入試問題にも大きな変更や工夫が見られない場合、今回の教科書改訂も失敗するだろう。今回の教科書は、何よりも教員側の力量が試されることになりそうだ。学校の先生たちにエールを!!
2021.05.12
コメント(0)
今日、病院の待合室で・・・あるお二人のおじいさんの会話が耳に届いてきた。どうやらアメリカ大統領の話をされているようだった。しかしその内容が全く腑に落ちない。土地がどうこうとか、管理がどうこうとか・・・よく効いたら太陽光発電での売電の話のようだった・・・「売電」を大統領の「バイデン」のイントネーションで言うのはやめてくれ~~~。ややこしい~~~~。
2021.05.11
コメント(0)
学習塾で5教科を教えだしてから思うのは「ようあの程度の内容改訂ごときで、大変です!大変です!って言えるなあ。」に尽きます。おそらく連中は分かっていて言うとりまっせ!教員の働き方改革が必要だとかいわれはじめてもう何年も経っておりますよね。これに関しては様々と述べてきましたが、ここにもそのヒントがあります。仕事量を均等に分担することだけでかなりの働き方改革が完成します。かなりどころか完全に解消する可能性も低くはありませんぜ。英語の先生で担任をもって部活動の顧問もして生徒会とか生徒指導とかも担当している人と、それ以外の教科の先生で担任も顧問も持たずに仕事量が無いに等しい校務分掌を割り当てられている人では仕事量は天地の差です。まずそこからですわ。その次は、月曜日の朝礼でしょ~~~もない話するだけしか仕事がない校長をどう料理するか・・・に着手するべきですかね。ともかく!仕事を極力しないで、一人前以上の給料をもらえるなんて思っている連中を撲滅することが大切ですね。
2021.05.10
コメント(0)
では、数学や理科はと言いますと・・・ラーメンというカテゴリーはもちろん変わりません。ラーメンも醤油ラーメンのまんまで、味を変えたり麺を変えたりもしません。そのまんまです。変わるのは上に乗せるトッピングの種類です。5種類ほど乗っていた中の2つから3つが変わるくらいです。それも自家製の食材ではなく、出来合いのものを買ってきてポンと乗せる程度です。あと・・・あるとすれば作る順番が少し変わるくらいですね。どんぶりを用意してから麺を茹でていたのが、麺を茹でだしてからどんぶりを用意するくらいの感じです。社会も同じ感じですかね。それにたま~~~にどんぶりを新しいのに変えるのが加わる感じです。国語はそれらに、スープの出汁の具材を1つ変えたり程度が加わる場合と、昔使っていたトッピングを復活させるくらいです。まあ、教科書の出版社が変わったら、麺かスープを新しく作り直すくらいの労力はかかります。しかし醤油ラーメンであることは変化なしです。
2021.05.09
コメント(0)
国語は教科書の出版社が変わっていなかった場合はこれもほとんど無変化です。前の教科書になかった作品が入っていても、実は前々回の教科書に掲載されていたものが復活しただけなので全く新しいってことではありません。まあ国語に関しては教科書の出版社が変われば英語の変化量に少し近づきますが、それでもまだまだです。さてこれらの度合いをラーメンに例えて話ましょう。英語の場合、教科書が変わればラーメンというカテゴリーだけ変化がありません。これは文法のことだと思ってください。今回は中学生に仮定法を教えるという新しい変化が加わりましたけどね。これはトッピングの具がひとつ加わった・・・って感じです。で、何が変わるかというと何ラーメンかが変化する感じです。たとえば今まで醤油ラーメンだったものが、今年からとんこつラーメンにする!と言われたようなものです。そうなればスープの出汁の取り方から変わってきます。用意する食材も当然変化します。そしてその変化に対応するべく数々の試行錯誤が不可欠となります。もちろんトッピングの具も醤油スープではなくとんこつスープに合うものや合う味に変えないといけませんよ。もうそれこそ大忙しです!
2021.05.08
コメント(0)
昨日、とある中学校で英語を教えている先生に「今年、教科書が全面改訂となったけど・・・英語以外の教科ってやっぱり大きく内容が変わってるの?」と聞かれました。そう!教科書の内容が改訂されたとき、どの教科の先生も「教科書が変わったから大変ですわ~~~。」って言いますよね。だから担任から外してほしいとか、校務分掌(授業以外で負担する仕事)を軽くしてほしいとか言いますよね。あれ!全部ウソですよ。5教科全部教えている私がいうのだから間違いありませんわ。教科書内容の全面改訂になって本気で忙しいのは英語の先生だけですよ。確かに英語でも文法内容はそんなに変わらないけど、本文(教科書内につかわれる文章)が全く変わりますからね。他の教科はといえば・・・数学・理科に関してはほとんど変化ありません。あったとしてもほんのほんのほんのちょっとです。教える順番が変わることがあるだけで、英語のそれに比べれば無変化といっていいです。社会も変更する場合がありますが、これもほんの一部です。英語のそれに比べればスズメの涙ほどです。
2021.05.07
コメント(0)
もちろん酔っぱらいの戯言を聞くのが好きだという人はそれでいい。こんな私にだって気持ちよくお酒を酌み交わして心地よい時間を過ごさせてくれる仲間もいてくれる。でも、あまり好きでないものに無理に付き合うことはない。それが義務であれば仕方ないが、そうでない場合は堂々と背を向けよう。それで離れていく人は元々友達でも仲間でもないのだ。人間歳をとればとるほど友達や仲間には量より質を求められるべきである。その第一歩があまり好きでないことはしない勇気を持つことだ。そのかわり・・・ではないが、その分の時間をしたいことやしてみたいことに費やしてみよう。人生は長いようで短い。お互い今日をしっかり生きようではないか!
2021.05.05
コメント(0)
マスターは店に入ってカウンターに座るまでの私のしぐさから左利きだと判断して、カップの持ち手を左側にしたと教えてくれた。それに驚いていると、実はアメリカ式とイギリス式ではカップの持ち手の位置が異なることと、マスターは独自の判断でそれを決めていると教えてくれた。静かな声で、手短かにだ。私はそこから多くを学んだ。あのコーヒー店は一流だった。それは金額とは関係なかった。「我以外皆我師」という言葉がある。文豪・吉川英治氏の言葉である。吉川氏の作品といえば『宮本武蔵』を挙げるひとも多い。実は武蔵はその著書『五輪書』の中で「万事において我に師匠なし」と記している。全く反対の言葉であることに驚いてしまう。私もどちらかといえば、吉川氏の言葉寄りの考えをもっている。しかし私にとっては酔っぱらいだけは例外だ。また酔っぱらいを相手に接客をする人たちの多くも例外だ。学ぶことはほとんど皆無だ。
2021.05.04
コメント(0)
そしてしばらく私は「一流のお店」=「お金がかかるお店」だと思っていたが、それも違うことを知った。20歳のときだった。東京のあるコーヒーの専門店に高校時代の後輩に連れられて入ったときだった。私はそれまでコーヒーが苦手だった。味と言うかあのにおいが嫌だった。高校を出てすぐに働いた職場での私の朝一の仕事は大量のコーヒー豆を挽くことだった。毎朝えずきながら業務をこなした。そんな私に本当に美味しいコーヒーを飲ませるべく後輩が連れていってくれたのがあの店だった。後輩が勧めるままに注文したコーヒーを、マスターがカウンター越しに私たちの前に置いてくれた。そのときコーヒーカップの持ち手の方向が後輩のものと私とでは違っていた。後輩のは右に、私のは左に向いていた。私はそのわけをマスターに聞いた。
2021.05.03
コメント(0)
だいたいがそんな店だ。だから接待を伴う飲み屋はあまり好きではない。しかし例外の店にも2件ほど出会ったこともある。最初の店は高校卒業後すぐに働いた会社の社長に一度だけ連れていっていただいた。いわゆる高級クラブだ。ママと呼ばれていた女性はペーペーだった私にもわかるほどの高級な着物で身を固めておられた。他の女性は露出度の多い洋服を着ながらも微塵もいやらしさを感じさせない着こなしと振る舞いで見事としか言えない人たちだった。そして彼女たちは絶対に人の話を遮ることはしない。最後まで話を聞く耳を持っていた。私は社長と彼女たちのやりとりに見入っていた。彼女たちは、経済・政治・歴史など様々な分野の知識を幅広く持っていた。それは社長の難しい話に対する短い相槌で如実に理解できた。また社長の話をただ聞くだけでなく、否定するところは否定し、意見を述べるところはしっかり述べる。どうやら社長は彼女たちの意見を聞くために店に足を運んだようであった。そして私にもやがて話題が振られる。それも若造でも話やすい内容だ。一流のお店とはこんな場所のことなんだな・・・と思った。
2021.05.02
コメント(0)
こんなことがあった。ある旧友の結婚式に出た帰りだった。同じテーブルについた旧友たちとバーに入った。次にいつ会えるか分からないメンバーだったのでゆっくりといろいろ話がしたかった。私の帰りの新幹線の時間があったので、そのバーにいるのは1時間半が限界だった。3人でカウンターに座り飲み物をオーダーしてしばらくは昔話にひたっていた・・・するとカウンターにいた店長と呼ばれているバーテンダーが我々の会話に入ってきた。で、自分の昔話を延々と聞かせるのだ。30分くらいは聞いていた。他の2人もその話に「へ~」「そうですか」「なるほど」「確かに」と相槌を入れ続けている。35分を過ぎようとしたとき、私はその男の話を遮って「場所を変えよう!」と言って店を出た。三流の店ほど店員が客に自分の話を聞かせるといういい例だ!もちろん話も内容もしょうもないし、飲み物もお金を払って飲むレベルのものでは無かった。
2021.05.01
コメント(0)
全30件 (30件中 1-30件目)
1
![]()
![]()
![]()