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そのときの算数のテストは割り算のひっ算で、割り切れたり余りが出たりする問題が混在していた。確か25問ほどだったと思うので、1問4点だったはず。あのテストから、いやあの単元の勉強から私は算数にそれまでなかった違和感を感じていたのをはっきり思い出した。それまでの算数はリズミカルに答えが出せた。5+5=1012-3=96×3=18・・・といった具合に!でも割り算のひっ算からは、考えるという過程が加わったからリズミカルに答えが出せなくなった・・・皆さんもそんな感覚を味わったことはないですか?あるとすれば、私と同様に数学が苦手な部類の同志であるはずです。しかしご安心あれ!ここに数学苦手を克服するヒントがあるのです。
2021.02.28
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で、その夏休みをどう過ごしたかというと、答えが分かっている問題を解く作業を続けた。そしてその答えにたどり着いた者がその過程をみんなに説明する・・・これを繰り返す。すると夏休みが明けるころには私も含めてみんなが何となく数学がある程度できるようになってきたのだ。今から考えるとこれが『数学』だったのですよ!いわば、答えが「仮定」あるいは「仮説」で、考えて誰かに説明するのが『証明』となった。もちろん結果論ですがね。それが身につけば数学は結構楽しいものになるのです。勉強というよりか、パズルというか、クイズというか、頭脳ゲームというか・・・。そして2学期から我が教室の初年度生たちはあまり数学に苦しまなくなったのです。そこでよくよく考えてみると、私が数学につまづいた原因が納得いくようになったのですよ。私は中学入学時にはすでに数学の落ちこぼれだった。その理由は簡単!すでにその前段階の算数につまづいたままだったのです。厳密にどこからすつまづいたかも明確です。小学3年生の算数のテストで人生はじめての0点をとったあの日からであります。
2021.02.27
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我が教室の初年度に集まった生徒諸君は私に数学を教えてほしいと言い出した。数学はしない!と言っていた私であったが、彼らはそれでも教員採用試験を突破した人間なのだから少しはできるだろう・・・と思っていたようだ。あまい!私は数学の問題にはほぼ手を付けなかった。いやつけられなかったのだ。わけれへんもん。で、どうしたかというと、みんなで考える・・・という授業をするしかなかった。とにかくみんなで考えた。ときには生徒のだれかがホワイトボードの前に立って説明をした。いや、授業をした。説明をする人間が行き詰ったら、その都度みんなで考えた。考えても結論が出ない場合、みんながそれぞれ学校の数学の先生に質問をしてきて、それをまたみんなで発表し合った。もちろん私も私なりにいろいろと調べて勉強をして発表をした。4月からそんなことを続けた我々に最初に立ちはだかった壁は思いもがけないものだった。それは、夏休みだった。そう!学校が休みだから数学の先生に質問できないのだ。
2021.02.26
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中3しか教えないなまけた塾!と皆さんにご愛顧いただいております当教室。中3の一年間でなんとか受験体制に持っていける自信があったので、最初の10年ほどは言葉通りにやっていました。ところが5年ほど前より中2生の授業も始めるようになりました。原因はひとつ!数学が苦手だという生徒さんたちの苦手度が信じられないくらい加速していったからです。開塾当初は「数学は教えられません!」と豪語していた私が、その禁断の数学に手を染めることになってしまったのは当教室第一期生の皆さんのおかげなのです。彼らのおかげで数学の入り口が見えたような気がしたのです。それは言葉を換えれば算数と数学の大きな違いに気付くことができたとも言えます。今回はそれを紹介したいと思います。数学が苦手だ、数学が嫌いだ、という学生諸君に何らかのヒントになればと思います。
2021.02.25
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それからというもの、できるだけ11時台前半にそのうどん屋に行ってとりあえず駐車場の車の中で待機。そのOLの姿がなければそのまま昼食を済ませて帰り、姿があればその後を追って列に並んだ。ここまできてしまえばもう私の行動はほとんどストーカーのそれだ。でもそんなことは知ったこっちゃない。問題は満塁の豆腐を無傷で入手する技術を身につけることなのだ。待機状態に入って一回目の遭遇のとき・・・OLはおでん器に手をのばさなかった。二回目の遭遇のとき・・・やはりおでん器には目もくれなかった。そして三回目の遭遇ののき・・・OLはおたまを手にした。そしておでん器の方向に体を向けた。「よっしゃ!こっからはまばたき禁止や!!」自分にそう言い聞かせて彼女のおたま使いに集中する。しかもこの時は彼女からひとりお客を挟んだ位置に私はいた。遠すぎず近すぎない絶好のポジションだ。私は豆腐の神に感謝した。でも天は仰がない!!目線は彼女が操るおたまだ。次の瞬間、とうとうおたまがおでん器に延びた。そして滑らかな動きでスッとすくい取ったのは・・・大根だった。「豆腐ちゃうんか~~い!!」・・・声に出せない声で思いっきりツッコむしか術のない私がそこにいた。
2021.02.24
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その日から私はできるだけ11時台前半にそのうどん屋に行くようにした。今度はそのOLがどのように満塁の豆腐を無傷で取り出すのかを観察してその技を盗もうと思ったからだ。どう考えても物理的に不可能なのだ。豆腐は長方形で構成される直方体。その底面は正方形に近いがやはり長方形だ。おたまの直径は豆腐の底面の長い辺より当然長い。だから絶対に狙った豆腐の両端の豆腐に触れてしまう。それを嫌っておたまを入れるとどうしても自分の狙った豆腐を崩してしまうしか方法はない。なのにあのOLの女性は全ての豆腐を傷つけずに1つだけおたまで取り出したのだ。一度見ただけでその技を完全に盗むことは不可能だとは思う。しかし何らかのヒントは得られるのでは・・・その思いが私の足をそのうどん屋に向けた。だが当然ではあるがあのOLが毎日そのうどん屋にくるとは限らない。遭遇率はかなり低い。それでも私がいかなければ遭遇率はゼロになるわけだから、行くしかなかった。
2021.02.23
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2020年も師走の足音が聞こえてきたある日、私はいつものうどん屋に足を運んだ。時間は12時少し前。列に並んでいるときにおでん器を見ると、豆腐は満塁だった。この日はまだ誰も豆腐に手を伸ばしていないのだ。またおたまで豆腐を崩してしまうのだろう・・・と自分の技量の無さに悲嘆していると、私の3人前に並んでいるOLの女性がおたまを手に取ったと思ったら、迷いもなく豆腐のエリアを目指した。スッと彼女が皿に入れた豆腐を見てみる。どうせグシャグシャだろう・・・と高をくくっていると、その豆腐は全くの無傷であった。目を疑った。「え?」っと思い今度はおでん器の中を確認する。満塁状態だと思っていたのが勘違いかもしれない可能性を疑ったからだ。しかし豆腐は1箇所だけ無くなっている。つまりあのOLは満塁状態の豆腐を1個おたまで取り出したのだ。無傷で、形を崩すことなく!!ってことは周りの豆腐を犠牲にしたのか・・・と一瞬思ったが、おでん器に近づいたときに観察すると、残っている豆腐の全てが無傷だった。「こんなことが可能なんか!!!」私は驚愕した。
2021.02.22
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そうこうしているうちに世の中はコロナ騒ぎに陥った。その影響で私の仕事のリズムにも若干の変化が加わり、11時台前半にうどん屋に行く機会が増えた。その都度満塁の豆腐におたまで挑んだが惨敗が続いた。それを繰り返している割には満塁状態の豆腐を無傷で取り皿に移動させる技術に進展は無かった。ときには私の前に並んでいるお客が満塁の豆腐におたまを投入する姿を見るが、皆が惨敗する。でもその最初のひとりの惨敗が次の挑戦者の成功率を上げるのだ。一番手より二番手、二番手より三番手、、、徐々に完全な形の豆腐を手にすることができる。名も知らぬ誰かの失敗の積み重ねが、顔も知らぬ誰かの成功を生む。それはどことなく我々人間というか人類の営みに酷似しているような気さえする。もちろんいつも通りに遅い昼食となったときは、先駆者たちがあけてくれたスペースに感謝をしながら無傷の豆腐をいただいた。先人たちに感謝・感謝である。・・・ときに豆腐が1つも残っていないときは、心の中で文句を言うこともあったが・・・
2021.02.21
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狙った豆腐は真ん中の下段。おたまを入れると当然のように両隣の豆腐にキズを入れてしまう。こらアカンと一度おたまを引き抜いて、今度は狙った豆腐を上から崩すように数回に分けて取り皿に入れた。皿の中の豆腐ほどではないが、両端の豆腐もボロボロになってしまった。そして自分の取った豆腐の下の方はもうあきらめた。それらを取ろうとすると、さらに両隣の豆腐をボロボロにしてしまうからだ。そしてこのときはじめて理解できた。いつも私が気になっている豆腐のかけらたちはこうやっておでん器の底に沈んでいたのだ。そんなことも知らずに心の中で「なんで豆腐ぐらいちゃんと皿に入れられんヤツがおんねん!」とか思ってしまっていた自分の愚かさに気付かされた。あの豆腐のかけらは先駆者たちの闘争の足跡、、、あるいは兵(つわのも)どもの夢の跡だったのだ。
2021.02.20
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その店のおでん器は横長の長方形で、その中は金属製の仕切り板で6区画に区切られている。手前と奥の2列がそれぞれ3カ所に区切られていて計6か所だ。だいたい左手前が蒟蒻で左奥が筋肉、真ん中手前が大根で真ん中奥がたまご、そして右側は手前も奥も豆腐となっている。その豆腐の1区画には半丁の豆腐がきっちり9つ入るスペースだ。なので入れようと思えば豆腐は軽18個入る。しかしいつも手前も奥も豆腐が5つか6つしか入っていない。それはおたまで豆腐をすくうためのスペースを確保してくれているからだ・・・と勝手に思っていた。しかし・・・この日は満塁だった!!おでん器の中に豆腐が18個入っているではないか。それらは用意された区画の中に隙間なく入れられているので、もうおたまが入る余地がないではないのだ。それでも豆腐を食べたい私は取り皿とおたまを手にする。どうやって豆腐を皿に入れたらいいのか・・・一瞬躊躇したが悩んでいる暇はない。私の後ろにはもう10人くらいのお客さんが並んでいる。彼ら彼女らを無駄に待たせるわけにはいかない。私は意を決しておたまをおでん器の中に入れた。
2021.02.19
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平べったいお皿ではなく、少し深い取り皿の場合は都合がよい。豆腐と共に出汁も入れて、その中に豆腐のかけらを投入して味噌で隠すともう完璧だ!日本の伝統と職人の技の結晶たる豆腐を無駄にせずに済む。しかしまた問題が出てくる。味噌ダレで隠しきれないほどの大きさの豆腐の切れ端と出会ったときだった。なんでこんなにちゃんと豆腐をとれない人がいるのだろう・・・そう思った。もちろん切れ端に出会うのは毎回ではない。出会う方が珍しいくらいの頻度だ。それにしてもたまに大きな切れ端と出会うとそう思わざるを得なかった。ところがである。ある日驚くべき光景が私の目に飛び込んできた。それはいつもと異なる早い時間に昼食をすませになじみのうどん屋に足を運んだときだった。私の昼食はいつも遅い。2時を過ぎてからがその時間だ。しかしその日は珍しく空き時間ができたので11時過ぎに店に入った。そしていつものように豆腐を確保するためにおでん器の前に立った時だった。なな、、、なんと!豆腐が、、、満塁ではないか!!
2021.02.18
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知らない人が取り損じた豆腐のかけらなんて気にしなければいいだけの話である。しかし・・・豆腐作りの苦労や、豆腐職人の誇りを知っている私としては無駄にできない。知らぬ顔で自分の豆腐のさらにそのかけらを乗せればいい。確かにそこまでは問題はないのだが、問題はここからだ。わが県のうどん屋のほとんどがセルフ式で最後にレジで精算をしてから食すのだ。そのときレジの人に「あ、こいつセコイことしてる!」と思われるのがどうしても我慢ならない。セコイことをしたいわけではない。豆腐を無駄にしたくないのだ。でもそれがすでにセコイ考えなのかもしれない・・・。この苦悩を繰り返すこと数か月・・・とうとう対処法の構築に成功した。名付けて・・・『味噌隠しの術』!!!そう。その名の通り、豆腐のかけらを味噌ダレで隠すのだ!!!!!自分でいうのも何だが、やはりセコイ。セコイがやめられない。
2021.02.17
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うどん屋の豆腐はだいたいおでん定番の銀色の金属製の保温機の中の出汁の中に入っている。それをセルフで同じく金属製のおたまですくい取る。で!毎回ではないがよく見るとその出汁の底に豆腐の切れ端が沈んでいるのだ。小さいものなら気にならないが、結構な大きさのものが沈んでいる。その原因は一目でわかる。豆腐をおたまですくいとるときにおたまがあたってしまって切れてしまうのだ。それはそれで仕方ないことであるが、ここで問題なのは切れてしまう豆腐が自分が狙っている豆腐ではないことが多いという事実でなはい。問題は・・・その切れて沈んでいる豆腐をどうするのか!!!である。
2021.02.16
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そんなに数は多くはないが、とりあえずよく行くうどん屋の豆腐を食することから始めた。たかが豆腐だがされど豆腐だ!店それぞれに味が異なる。まずは豆腐自体というよりも、出汁の味だ。次はダレだ。大きく分けて味噌ダレとからし系タレに分かれる。どちらも美味しいが、私はまずはそれらがかかっていない部分を食して豆腐自体の味を確認する。どの店も、食した瞬間に鼻から抜ける大豆とにがりの風味がたまらない。顔も知らない豆腐職人たちに感謝する。その次に少量のタレを絡めて食す。これがまたたまらない。そして豆腐を完食した後にうどんに箸をのばす。それを数回繰り返したとき、あることに気付く。それは豆腐を取り皿に乗せるときだった。
2021.02.15
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料理長の指示通りの作業とはいえ、半年も繰り返していれば何となく豆腐というものが見えてくる。お客さんたちは喜んでくれているが、私としてはちょっとどこか違う豆腐が出来上がっていた。そこで私は思いきって料理長に聞いてみた。普段私が食べている豆腐と、我々が提供している豆腐の違いについてだ。料理長から返ってきた返答は2点だった。ひとつは我々の豆腐は湯葉を楽しんでもらうもので、市販の豆腐とは少し製造工程が異なること。そしてもうひとつは、我々の豆腐は他にいろいろ料理を作っている中のひとつにすぎないので、それ一本に人生をかけている人たちのものと同等の豆腐は作れないという点だった。納得だった。つまりは我々が普段何の苦労もなく安価に購入できる豆腐がいかに有難いものでり、職人技術の結晶であるのかを思い知ることができたのだ。あれから二十数年・・・私の人生にまた豆腐ブームがやってきてくれたのだ。ここはどっぷり深みにはまりたいところなのだ。
2021.02.14
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このときW君から豆腐販売の苦労話と共に豆腐の作り方についてもいろいろ聞くことができた。でも私が豆腐を作ることなんてないだろう・・・と思っていたが、その数年後にチャンスが突然やってきた。ちょうど定職から離れていた頃に、「収入面が心配だろう」と学生時代にお世話になっていたあるホテルの料理長が私をアルバイトとして雇ってくれた。その料理長は季節によっていろいろなイベントを企画されたのだが、そのなかのひとつとして「手作り豆腐鍋で湯葉を楽しむ」というのがあった。なんと小さな鍋でお客さんに豆腐を作ってもらおうというのだ。それを聞いた時には「めちゃくちゃ大変やん!」と思ってのだが、大変なのは我々スタッフだった。だれが作っても失敗しないようにこちらがセッチングを完璧にしておくのだ。お客さんは事前に用意された豆乳の入った鍋に火をつけて、スタッフの指示したタイミングで完璧に計量された[にがり]を入れるだけ・・・というものだった。そしてやがて豆乳の表面にうっすらと現れる湯葉を味わう!!!これが大好評で、この企画は当初3か月の予定であったが延長が繰り返され結局半年間続くことになった。
2021.02.13
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彼の家の豆腐は近くのスーパーで購入できた。安価で美味しいので私はよく購入した。冬はひとり用の小さな土鍋で湯豆腐を、夏は冷ややっこで食した。金欠のときは三食オール豆腐というときもあった。しかしスーパーに製品を置いてもらうのはかなり過酷な条件が付きものだったらしい。まずは普段からこれでもかと値切られる。さらにスーパーのポイントアップセールや割引セールなんかがあるときは、なんとその差額を補填するために納品業者にその分の値段を値引きさせるらしいのだ。ただでさえ薄利の豆腐である。そんなことをされるときは、納品をして赤字が出ていたそうだ。彼は両親が精魂込めて作る豆腐にプライドを持っていた。なのでそのスーパーとの契約を打ち切って、自力で販売する道を選んだのだ。そして彼の奮闘努力の甲斐があって、やがて毎日完売できるようになったと聞いた時は私も本当に嬉しかった。
2021.02.12
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私の豆腐の知識を与えてくれたのは学生時代に知り合った当時高校球児のW君だった。彼の家は豆腐屋で、毎日両親が豆腐を作っていた。早朝からの重労働によって豆腐ができていることを彼から聞いてはじめて知ったときは衝撃だった。なのにあの安さだ!この世にこんなに割に合わない職業はないのではないかとも思った。なのになぜその仕事を続けているのかと私は彼に問いかけたことがあった。その問いに彼は間髪を入れずに「食文化と技術の維持と継承です。」と答えた。彼はその言葉を幼少の頃から両親に聞かされて育っていたのだ。そして彼は高校を卒業し、家業を継いだ。1年後・・・私は彼が車で豆腐を手売りしている場面を偶然目にした。声をかけると彼はいつもの笑顔を見せてくれた。しかしよく話を聞くと、彼がさらなる豆腐業界の過酷さと戦っている最中であることを知る。
2021.02.11
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50歳を過ぎた最近は、もっぱら私のうどんのお供は豆腐が定番となってきた。わが県のうどん屋にはほぼ間違えなくおでんが置いてある。中にはおでんというよりは、大阪近辺でいう関東炊きだったり一般にいう田楽だったりするが、いずれにせよ豆腐が含まれている。それをお供に食すうどんの美味さに目覚めたのだ!しかもうどんを口にする前に豆腐を完食しておくのがお勧めだ。そうすると必要以上にお腹が膨れ上がらない。これが実に中年を過ぎようとしている私にはしっくりくるのだ。なのでこれまで足を運んできた各うどん屋の豆腐を楽しむのが最近の私の密かなブームだ。そして私は少々豆腐にはうるさいというか、ちょいと一家言を持っているのでそのブームの深みに沈んでいくことは必定だ。
2021.02.10
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もう人生の半分以上をうどん県で過ごしている私はやはりよくうどん屋へ行く。私は20歳のときにこの県に移り住んですぐに宅浪(自宅浪人)をはじめた。その1年前に両親が転勤でこの県にきていたので、その家に置いてもらって勉強に専念することにした。知人もお金もなく、毎日市立図書館に原付きバイクで通った。その1年間私は朝食と夕食は自宅で親に食べさてもらったが、昼食だけは自腹だった。使えるお金は基本的に1日200円だった。最近は原料の値上がりや消費税の関係で当時に比べて値段は上がっているが、あの頃は200円あればお腹いっぱいうどんを食べることができた。かけうどん(大)が100円、天ぷらが70円、、、それで満腹になった。おつり30円で2日に一回、図書館内にある自販機で60円のコーヒーを味わうことも楽しみのひとつだった。
2021.02.09
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『李下の冠、瓜田の履』「りかのかんむり、りでんのくつ」と読む。[李(すもも)の木の下で冠を被り直せば李を盗られると疑われ、瓜(うり)の畑の中で靴を履き直すとい瓜を盗られると疑われる]という意味で中国の故事に由来している。その真意は「人に疑われるようなことはするな。」である。気心知れた仲間や付き合いの古い人ならそれなりに信頼関係もあり、多少のことであれば問題はないだろう。しかしそうでない人達にそれは通用しない。中には自分を疑う人が悪いという論調の人もいるが、それもお門違いだ。原因は常に自分にある。厳しい現実であるがその通りだ。最近この故事を知らない日本人が多くなってきたように思ってしまうのは私だけだろうか?
2021.02.08
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この緩急の差が最大になるポイントを『オチ』ということもある。私にいわせれば緩急の差からうまれる『落差』だ。笑いをとるということはある意味相手が感じ取れる落差をいかにこちらが演出して用意するかにかかっている。またこの落差の演出には様々な要素を用いることができる。話の内容、話す表情、声のトーン、間合いなど挙げるとキリがない。さらに上級者になると、その落差までの話の中に様々な伏線を用意しておいて笑いの中にも心地よさを用意するなんて手法を自然に用いることも可能となる。こんな基本も理解しないでかかってこられても相手になるわけがない。私に「冗談が通じない」という皆さんに言っておく。そう!通じてないのだ。こちらが冗談と認定していないから素で応じている。冗談と受け取ってほしいのなら、もっとスキルを磨いて出直してきなさい。
2021.02.07
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そんな心地の良いラリーのできない人の最大の特徴は、自分が面白いと思うことを自分が話したいように話すことだ。1人称目線のみで、2人称のそれが欠如している。厄介なのはこればかりは指摘されて分かることでも、教えられて分かることでもないという点だ。人を笑わせる、人に笑ってもらうという手段も様々あるが、今回は『冗談/ジョーク』に焦点を絞る。結論からいうと、冗談は相手に伝わらなければもう冗談ではない。それが分からない人たちの常套文句が「あの人は冗談が通じない。」だ。原因が自分にあるとは微塵も思っていない。そしてまた通じない冗談にも共通点がある。それは「緩急」だ。この緩急が笑いを誘う!
2021.02.06
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振り返ると今まで数人の知人から「冗談が通じない人」と言われたことがある。言っておくが私は素人なりに『笑い』には厳しい!これは関西出身というプライドのなせる業とも言える。時と場合にはよるが、人前で話をするときは基本笑いを取ることを旨とし、大体は思惑通りの笑いを取る。とある高校で非常勤講師をしていたときに、クラスの爆笑を取り過ぎて隣のクラスで授業をしていた先生たちから苦情が出て職員会議の議題に上がったことや、ある知人の結婚式で任された乾杯の挨拶で大爆笑を取り過ぎて出席者の多くがグラスの飲み物を床にこぼしてしまい顰蹙(ひんしゅく)を買ったことなどは私の勲章である。 そんな私に笑いでかかってこようとする人が稀にいる。かかってこようとする時点でもうその人は面白くない。本当に面白い人はかかってくるのではなく、笑いを共有することかできるから楽しい時間を過ごさせてもらうことができる。言葉を変えていうなら、笑いのラリーを心地よく続けることだできるのだ。
2021.02.05
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様々問題点が指摘されたが、本年から大学入試共通テストが採用実施された。センター試験とあまり変わりなにのでは・・・という人もいるが、現時点ではそう思われても仕方ないところはある。しかしこの新しい試験は年々徐々にその姿を変えていくことになると思う。いや、そうでないと意味がないのだ。最終的にこれからの学びに求められる要素は、今ある多くの知識から新たな何かを導き出す能力となっていく。私は宇宙と三平方の定理の知識から人類の英知の起源に迫ろうとした。そこにはさらに歴史・説話の知識も自然と加わっている。さらにもっと多くの知識が加わると、もっと真実に近づくことができるだろう。皆さんも頭の中にある知識をただの知識しとて眠らせ続けるのではなく、一度それらを用いて何か新たなことにアプローチしてみてはどうだろう!それこそが勉強の醍醐味だ。
2021.02.04
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検定に合格する教科書は文部科学省目線=日本国政府目線だ。この国が若者たちに学ばせたい歴史が書かれている。一方検定不合格教科書は、著者が若者たちに学ばせたい歴史が書かれている。前者は皆さんがよくご存じの内容。そして後者は少し違う。例えば『古事記』『日本書記』の内容に触れながら、日本人の精神的起源について述べていたり・・・日本が太平洋戦争に突入した経緯について日本目線で描かれていたり・・・戦後の日本、特に沖縄で何が起きていたのかに触れていたり・・・中華民国と中華人民共和国の違いについて数ページをつかって記述していたり・・・戦後世界でどれだけの社会主義・共産主義国家と資本主義国家間での戦争が起こり、戦場となった場所の住民・国民がそうなったかについて書いていたり・・・要約すれば、第二次世界大戦の戦勝国たちの正当性を大きく揺るがす事実についてを学ぶことができる内容になっているのだ。
2021.02.03
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ある会社あるいは個人が教科書を作って文部科学省に提出する。文部科学省が検定する。合格がでたら教科書として採用された本のひとつとなる。その後、地方自治体の教育委員会に採用される。学校で教科書として使われる。教科書はだいたいこのような流れで、児童・生徒諸君の手に渡る。もちろん検定に不合格となるモノもある。最近はそれが書籍として本屋で出版されているのだ。私も数冊購入したが、その内容は・・・わざと検定に不合格になる内容に仕上げているような気がしてならない。もちろんウソは書いていない。しかし目線が異なる。この異なる目線というのが本当に重要なのだ。
2021.02.02
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我々が子供のころから義務教育として学んできた知識は、この世の中の知識のほんの一部だ。一部だけではあるが、基本でもある。その知識の多くはおそらく現時点では間違いではない可能性の方が高いが、間違いなく言えるのは『誰かが用意した知識』であり、『誰かが我々に学ばせたい知識』でもある。その『誰か』の思惑通りに世界を動かしていいのだろうか?でもよく周りを見てほしい。それらにあがなっているものがあるではないか!本だ!本だけはいまだに多種多様だ。それがいい。一時期はそれをインターネットに期待もしたが、現時点では期待通りの機能は果たしていない。残念ながら学校教育の知識と同じく『誰かが用意した知識』『誰かが我々に学ばせたい知識』が垂れ流されている。それらにあがなうことも可能なのに、多くの人々は自分の知りたい知識だけを得るツールにしか使えていない。例えば諸君は【検定不合格教科書】なるものが販売されいることを知っているだろうか。
2021.02.01
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