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日本郵政の保養・宿泊施設「かんぽの宿」の売却計画が、暗礁に乗り上げた。 郵政民営化に伴い、かんぽの宿は二〇一二年九月末までに譲渡・廃止することが決まっている。 日本郵政は入札を行い、一番高い価格を提示した「オリックス不動産」に七十施設を一括譲渡することを決めた。 ところが、処分についての許認可権をもつ鳩山総務相が異議を唱えた。 「地元資本に個別に買ってもらうのが望ましい」「売却価格が安すぎる」などの理由だ。 日本郵政の西川社長は「疑いをもたれることは全くない」と反論しながらも、一昨日になって、契約を一時凍結し、譲渡方法の検証を表明した。 ルールに沿った入札の結果に大臣が口をはさむことには強い違和感を覚えるが、それぞれの主張の「根拠」がはっきりせず、疑問が膨らんでいるのも事実だ。 もっと丁寧な説明が欲しい。 総務相は落札額に疑問を投げかける。 七十施設の土地や建物の取得には、二千四百億円もの巨額の資金が投じられた。 それを十分の一以下の百九億円で売却する。 当初の資産査定は正しかったかという指摘だ。 さらに総務相は、譲渡先の親会社が「オリックス」という点を問題視する。 トップの宮内義彦氏がかつて、政府の規制改革会議の議長を務め、国の政策形成にかかわった経歴を持っているからだ。 しかし、入札を「出来レース」などの激しい口調で批判するのなら、しっかりした根拠を示す必要がある。 一方の日本郵政は「公明正大な手続き」に基づく入札の結果だと反論する。 入札の結果、一番高値をつけた企業が落札するのは当然のルールだ。 ただし、景気悪化で入札価格が伸び悩んだため、一時は売却を見送るべきだとの意見があったという。 かんぽの宿は赤字体質で、できるだけ早く売却して身軽になりたいという思惑が先に立たなかったか。 そんな疑問がぬぐえない。 資産査定をやり直せば、もっと高い値段がつくという意見もある。 日本郵政は、こうした声にもきちんと答えるべきだろう。 西川社長は「原点から再度検討する」と述べ、弁護士らの外部専門家による検討委員会を設置するという。 簡易保険加入者の福祉増進施設としてつくられた、いわば「国民の財産」だ。 疑問や不透明さを残さない決着をお願いしたい。
Jan 31, 2009
時間がたって記憶が多少薄れようと、根深い不安や不信は消えないものだ。 中国製冷凍ギョーザによる中毒事件が発覚して、きょうで一年となる。 殺虫剤のメタミドホスが、なぜ商品に入っていたのか、いまだに分からない。 これでは不信感が少しも解消されないし、いらだたしさばかりが募ってしまう。 これまでの捜査結果をみれば、中国国内での混入としか考えようがない。 日中の捜査当局、特に中国の警察には、一日も早い真相究明を求めたい。 食にとどまらず、この事件が中国製品全般への信頼を損ねたことを、あらためて肝に銘じてもらいたい。 二〇〇七年暮れから〇八年初めにかけ、問題の冷凍ギョーザを食べた高砂市と千葉市の住民計十人が中毒症状を起こしたのが、事件の発端だった。 兵庫、千葉両県警が概要を公表し、輸入元が自主回収に乗り出したのが、ちょうど一年前である。 その後しばらく、中国の捜査当局は自国での混入を否定していた。 しかし、同じ製造工場でつくられたギョーザが中国国内でも中毒事件を起こしていたと分かり、中国で混入された可能性が高まった。 内部犯行とすれば解決は早いのではないか。 そう思った人は多いだろう。 殺虫剤を入れられる立場の従業員は限られるからだが、期待は裏切られた。 容疑者を絞りきれないまま、手詰まり状態が続く。 中国では昨年、有害物質入りの粉ミルクが社会問題になった。 健康被害は約三十万人に及び、六人が死亡した。 最も大きな被害を起こしたメーカーが、ギョーザ製造元と同じ河北省にあり、警察は捜査の手をとられたという事情もあるようだ。 しかし、だからといって、ギョーザ事件が後回しになっては困る。 中国での混入を否定し続けたことが、初動捜査の遅れを招いたのではないかとも考えてしまう。 日本とすれば、中国側へ全容解明をさらに働きかけながら、この事件で明らかになった国内の問題解決を急ぎたい。 事件は日本の食卓が輸入品頼りになっていることをあらためて見せつけた。 企業や公的機関が輸入食品をチェックし、安全を確保する体制を強化したか。 今回のような中毒情報を速やかに共有し、再発を防ぐ危機管理はどこまで進んだのか。 輸入食品に頼らず、地元の食材をもっと使う地産地消に弾みはついているか。 食にまつわる問題点はたくさんある。 取り組みをいっそう強めて欲しい。
Jan 30, 2009
政府は、近く決定する今後4年間の国家公務員制度改革の工程表に、「天下りの根絶」を明記する方針だ。 退職した官僚など国家公務員の天下りには、多くの弊害が指摘され、国民の批判も強い。 長い間、問題となってきた天下りについて、政府がここにきて根絶を明記する理由は推測できる。 今年秋までには必ず総選挙がある。 与党と政権を争う民主党は天下り根絶を政治目標にしている。 国民の関心が高い問題で、民主党に後れを取るわけにはいかない。 この際、天下り根絶を明確に打ち出し、改革姿勢をアピールしよう。 こんな思惑がうかがえる。 しかし、たとえ国民受けを狙ったとしても、遅きに失した感があるとしても、天下りの廃止を目指すことは歓迎したい。 天下り批判にも理由がある。 国家公務員の退職者はこれまで、省庁のあっせんにより公益法人や関係する民間企業に天下りしてきた。 その省庁あっせんが、役所の権限や予算を背景にした押しつけになり、受け入れ企業も許認可や公共工事の受注などで見返りが期待できた。 これから、天下りは官民癒着や官製談合の温床との批判が強かった。 さらに、縦割り行政の温床との指摘も絶えない。 採用から昇進、天下り先まで面倒をみてもらうことで、出身省庁への帰属意識が強まり、国益よりも省益優先主義に陥りがちになるからだ。 政府は昨年末、再就職先のあっせんを一元化する「官民人材交流センター」を発足させた。 同時に設置した再就職を監視・承認する「再就職等監視委員会」が認めた場合に限り、3年間だけ省庁あっせんを認める仕組みに変えた。 政府は、これで3年後には省庁あっせんは禁止され、天下りによる弊害は取り除けるとの認識のようだ。 しかし、ことはそれほど単純ではない。 政府は昨年末、監視委の人事が野党の反対で否決された事態を受け、首相自らが天下りのあっせんを承認する政令を決めた。 これには、高額の退職金を受け取りながら天下りを繰り返す「渡り」を容認する内容まで潜り込ませたため、野党だけでなく、与党からも反対論が噴き出す騒ぎになったことが象徴的だ。 政府は「渡り」の全面禁止でけじめをつけねば話にならない。 そのうえで、天下りを根絶できる仕組みを構築せねば、掛け声倒れに終わってしまう。 まず、問題の根っこにあるキャリア制度や、事務次官が決まると同期の官僚を肩たたきする早期退職慣行を廃止することが必要だ。 これを担保する定年まで働ける制度や定年後の再任用制、総人件費を抑制するための役職定年制、高齢職員の給与引き下げなども不可欠である。 工程表にもこうした対応策は盛り込まれるが、言うはやすしだ。 しかし、この実現なくして天下りの根絶はできない。 政府は本気で取り組んでもらいたい。
Jan 29, 2009
「鉄腕」という言葉は、人間の限界をはるかに超えて相手に立ち向かい、見る人に体が震えだすような感動を与えた投手にしか用いられない、特別な表現ではないだろうか。 1958年のプロ野球日本シリーズ・西鉄ライオンズ対読売ジャイアンツ戦で、3連敗後の4連勝で西鉄が優勝したときの稲尾和久投手が、誰よりもこの形容にふさわしかった。 その稲尾さんが2007年11月に亡くなって約9カ月後の昨夏、鉄腕とたたえられる女性が現れた。 北京五輪のソフトボールで413球を投げ抜き、日本チームが悲願の金メダルを獲得する原動力となった福岡市出身の上野由岐子投手(ルネサス高崎)だ。 第54回西日本スポーツ賞の贈呈式が、きょう行われた。 昨年の特別賞は亡くなった稲尾さんに贈られ、今年は同じ特別賞を上野投手が受賞した。 上野投手に鉄腕という言葉を冠することに少しも違和感がなかったのは、力投に力投を重ねる姿から私たちが受けた感動が、半世紀前に稲尾さんから受けたものと同質だったからである。 西日本スポーツ賞の受賞者は今回、上野投手をはじめ、3個人2団体だ。 北京五輪で柔道男子66キロ級を制し、日本人選手金メダル第1号となった熊本県合志市出身の内柴正人選手(旭化成)は、アテネ五輪に続き日本柔道史上4人目の五輪連覇を果たした。 家族の強いきずなを「勝つ理由、物語」にしてアテネ後のスランプとけがを克服したという。 昨春の選抜高校野球大会で優勝した沖縄尚学高校野球部にも、9年越しの「物語」がある。 1999年の選抜大会で、同校チームが春夏の甲子園を通じて沖縄県勢として初優勝したときにエースだった比嘉公也監督が率いての、二度目の優勝だったからだ。 プロ関係では、プロ野球パ・リーグ最多の213奪三振をマークした福岡ソフトバンクホークスの福岡県大野城市出身、杉内俊哉投手と、サッカーJリーグで昨年秋、ヤマザキナビスコ・カップを初制覇した大分トリニータに贈られる。 杉内選手は、自身で初の2年連続2ケタ勝利も、ものにした。 ホークスは最下位に沈んだが、秋山幸二新監督の下で今年も主力投手の1人であり続ける。 トリニータは、J1最小クラスの経営規模の地方クラブだけに、その活躍に胸のすく思いがした。 長丁場のリーグ戦でも暫定トップに立ったことがある。 若手を育てる力の優れたクラブだ。 プロとアマとを問わず、もしも世の中にスポーツの感動がなければ、どんなに味気ない日々になるだろう。 全力で目標に向かっていくアスリート(競技者)たちの姿に、私たちは勇気づけられる。 郷土に根を下ろした、あるいは縁の深い選手の活躍であれば、その喜びはさらに大きく、美酒のように心を酔わせる。 今年もいろいろなドラマが生まれると思うが、心に残るプレーを期待したい。
Jan 28, 2009
時速五百キロで走るリニア中央新幹線について、JR東海が二〇一四年度の着工を目指していることが明らかになった。 二五年に東京-名古屋間を開業させる方針で、超高速鉄道の夢が実現へ一歩進んだ。 中央新幹線は、一九七三年に東京-大阪間の基本計画路線が決まった。 磁気浮上式リニアモーターカーを走らせ、この区間を約一時間で結ぶ構想だ。 技術的なめどは立っていたものの、バブル経済崩壊後は財源確保などで足踏みしていた。 しかし、JR東海は先行的に首都圏-中京圏の営業運転を目指すとした上で、建設費約五兆一千億円を全額自己負担すると表明し、一挙に計画が前進した。 東京-名古屋間は四十分程度で結ばれ、現在の新幹線のぞみの一時間四十分余りより大幅に短縮される。 将来は大阪まで延伸の予定だ。 航空機とほぼ同じ時間で首都圏と関西を結ぶ新たな動脈が生まれることになり、期待は大きい。 経済効果に加え、鉄道が二酸化炭素排出量の少ない交通機関である点も実現への追い風といえるだろう。 JR東海は、東海道新幹線の輸送力が限界に近づいていることや、大災害時にはリニア新幹線がその代替になることなども整備の必要性として挙げている。しかし、課題はたくさんある。 ルートをめぐって、JR東海と沿線の長野県などとの意見は分かれる。 技術的に可能な三ルートのうち、JR東海は南アルプスをトンネルで抜ける直線ルートが運行時間の短縮や建設費の点から「理想」とする。 これに対し長野県など地元自治体は、地域振興のため多くの地域を経由する南アルプス迂回(うかい)ルートを主張する。 駅の建設費問題もある。 JR東海は始発と終着の駅は自前で造り、中間の駅は「地元負担をお願いしたい」とする。 沿線の神奈川、山梨、長野、岐阜の各県はリニアによる活性化を期待しているが、一駅当たり数百億円とされる建設費の負担は受け入れにくいだろう。 約五兆一千億円を見込む建設費の見通しは甘くないか。 第一、人口減が予測される中でどこまで需要があるのか。 そんな指摘もあり、着工に向けてのハードルは多い。 地元との調整にはかなり時間がかかると予想されるが、十分な協議が必要ではないだろうか。 JR東海の事業とはいえ、公共性は極めて高い。 国民が納得できる形で実現への道筋を描くことが求められると思う。
Jan 27, 2009
官僚OBが公益法人などで再就職を繰り返す、いわゆる「渡り」。 その都度、高額の退職金を手にするわけで、国民の批判にさらされるのは当然だ。 ところが、政府は昨年末、首相の承認があれば再就職のあっせんを可能にする政令を閣議決定していた。 この政令への風当たりが強まったのも当然の成り行きで、政府は先日、事実上「渡り」を禁止する方針を固めた。 といっても、問題の政令はなくさない。 麻生首相が国会答弁などで「任期中にあっせんはしない」と表明し、運用面で対応する案が有力だ。 これでは不十分だろう。 経過措置としてあっせんを容認する改正国家公務員法、さらに問題の政令の見直しや撤廃で、名実ともに「渡り」を禁止するのが筋だ。 国会公務員制度改革で「天下り根絶」を掲げながら、一方で「渡り」を容認する政令を残すようでは、天下りへの姿勢そのものが疑わしくなる。 渡辺元行革担当相が離党した理由の一つは、「渡り」についての政府との考えの違いだった。 野党だけでなく与党から強い疑問や批判が起きたのが、今回の特徴だ。 政令は「必要不可欠と認められる場合」に限って「渡り」を認めている。 麻生首相は衆院の予算委員会で、「認められるのは極めて例外的」と説明し、「国際機関での勤務経験が豊富」などを例に挙げた。 これに対して、与党内から「必要不可欠の解釈次第で、対象者はいくらでも増える」との疑問が出た。 法案と違って与党の事前審査を経ずに閣議決定されたことも、政令への反発を招いたようだ。 自民党の公務員制度改革委員会は政令の見直しを強く求め、行政改革推進本部も党内ではあっせん禁止を求める声が多いと、首相に直接伝えた。 公明党の太田代表も「全面禁止」を申し入れている。 天下りへの世間の目は厳しい。 「渡り」の問題で消極的な姿勢をとることが国民の目にどう映るか。 場合によっては近づく総選挙にも影響するとの思惑が、与党内で働いたのだろう。 首相はとかく、「霞が関寄り」と指摘されてきた。 法律や政令はそのままにして運用で苦境をしのごうとするのは、官僚との溝を深めたくないからとも読める。 消費税増税を掲げるなら、むだを省く公務員改革の推進が欠かせない。 「渡り」は改革への首相の決意を測るリトマス紙だ。
Jan 26, 2009

姫路市も「産業ツーリズム」に力を入れ始めた。 モニターツアーを開催し、観光関係者に募集を呼びかけ、実際に工場などを見学して宿泊需要を生み出したいと考えている。 しかし、課題も少なくはない。 営利目的としたツアーはお断り、企業秘密のため写真撮影拒否、安全のため見学前の飲酒は厳禁。 観光客の気分をなえさせる厳しい条件が多く、そもそも大人数の見学に応じる企業自体が少ない。 これから姫路城も大修理に入るので、もっと視野を広げてアピールしなければいけないと思う。 私もこのツアーに参加させていただき、読売新聞に載せて頂いてとても感謝感激しています。 ちなみに中央でカメラ目線で写っているのが私ですヽ(°▽、°)ノエヘヘ 姫路に訪れる観光のお客様に「また来たい、来て良かった」と感動を与えられるような姫路にしたい、そういう思いでいっぱいです。この写真は、かまぼこのハトヤさんで実際にかまぼこを作っているところですヽ(°▽、°)ノエヘヘヘヘこの写真は姫路名物「御座候」を作っているところです。凄く香ばしくてとっても美味しいです。次は「灘菊酒造」を見学しました。皆さん、熱心に話しを聞いていますね(*^_^*)これは杉玉で、新酒がとれた時に新しいものと取り替えるという。酒蔵を改良して、昼食会場にしています。オカワリは何杯でもOK!凄く美味しかった!\(~o~)/後継者で色々気苦労があるみたいですが、元気に頑張っている姿が見る人に感動を与えていくものだと思います。負けずに明るい笑顔で応対している姿が印象的だった。姫路城だけではない、こういう素晴らしい魅力満点の施設もあるのだというところをもっともっと見て欲しい。そして、人と人の輪を広げて心の豊かさを広めることが出来たら素晴らしい姫路になると思います。いやなって欲しい。
Jan 25, 2009
古代の淡路は、一大鉄器生産の島だった-。 こんな結論も導けそうな考古学上の大きな発見があった。 淡路市の垣内(かいと)遺跡で、弥生時代後期(二-三世紀)の鉄器工房跡が十棟も見つかった。 鉄の矢尻、鉄片なども数十点が出土している。 日本での製鉄が始まる前で、大陸からの鉄素材を加工して武器などの鉄製品を作っていたとみられる。 弥生期の鉄器工房は、西日本を中心に数十カ所見つかっているが、一カ所で十棟の確認は最多であり、最大規模の工房群が存在したと思われる。 専門家は「鉄器を加工する工業団地のようなもの」と説明する。 このころは、古代史上の最大の謎とされる邪馬台国の成立前で、各地の小勢力が争っていた。 当時のハイテク素材といえる鉄を大量に手にした勢力が中心となり、統一国家の邪馬台国誕生につながったといわれる。 淡路が鉄器生産の一大拠点だったとすれば、邪馬台国の成立にも大きな影響を及ぼしていたかもしれない。 こう考えれば、考古ファンならずとも、胸が高鳴るニュースである。 邪馬台国の所在をめぐっては、畿内説と九州説が江戸時代から対立し、近代以降の研究や発掘にもかかわらず、決着していない。 今回の鉄器工房群は畿内説を補強する発見なのだろうか。 地元とすれば、心情的にはそうあってほしいと願うところだが、専門家の見方は分かれるようだ。 ただ、淡路が鉄器の一大生産拠点であり、少なくともどこかへ供給していたことはほぼ間違いないということだ。 当時はすでに稲作の時代だったが、淡路の農耕生産はまだ乏しかった。 にもかかわらず、島人口が急増したことが分かっており、理由は謎だった。 今回の発見で、人口を支えたのは「工業生産」だったとする専門家の指摘もある。 弥生期の淡路が透けて見えてくる。 さらに知りたいのは、なぜ淡路に大規模生産拠点ができたのかだ。 大陸からの鉄は、弥生中期に九州へ伝わった。 その後、山陰経由で近畿に入ったルートと、もう一つは瀬戸内から四国止まりだったとされる。 その四国ルートが淡路まで伸びた結果なのだろうか。 また、淡路で加工された鉄製品は畿内への供給だけだったのか。 謎が深まり、想像は膨らむばかりだ。 こうした疑問を解くために、さらなる発掘や今後の研究に期待したい。
Jan 25, 2009
宇宙開発の新しい一歩となるかもしれない。 そんな期待を抱かせるH2Aロケットが、きのう打ち上げに成功した。 温室効果ガスを観測する国の主衛星「いぶき」などのほか、企業や大学などが開発した小型衛星が、いちどに六個も相乗りしたのは初めてである。 国主導の開発から、官と民が競い合ってさまざまなアイデアを集め、宇宙に新しい可能性を求める時代になった。 とりわけ今回は、小型衛星に個性的な顔ぶれがそろう。 なかでも注目を集めるのは東大阪市の町工場が中心となって開発した「まいど1号」だ。 五十センチ四方の立方体で、重さも五十キロ。 雷予報の実現に向けデータを集めることを目的にしている。 親しみやすい名前もさることながら、町工場のおやじさんたちの心意気がいっぱい詰まっている。 衛星を、中小企業が多く集まる東大阪の活性化に役立てようと、二〇〇二年に組合を設立。 市内や大阪府内の九社が協同で研究、開発を進めてきた。 「中小企業の町に若者を集めたかった。やってみると、これほど面白いものづくりはない」と、初代理事長の青木豊彦さんは話している。 成功を弾みに第二、第三の小型衛星の開発を計画している。 宇宙開発には人と資金を投入した壮大な計画も必要である。 一方で、こうした市民感覚にあふれ、若者たちがものづくりの魅力に吸い寄せられ、実際に夢を実現できる場がもっとあっていいと思う。 今回、そんな一つに挙げられるのが二十歳前後の若者たちが作った都立産業技術高等専門学校の衛星だ。 一辺十五センチと、六個の中では最小。 火薬エンジンや市販モーターによる姿勢制御など、独創的なアイデアが詰まっている。 大気圏の発光現象の観測に挑む東北大の観測衛星も、世界初の成果が期待できるかもしれない。楽しみは尽きない。 昨年八月に宇宙基本法が施行され、それに基づき今年から新しい宇宙政策が始まった。 衛星の民間利用拡大も柱の一つだ。 停滞する宇宙産業の国際競争力を強める狙いがある。 五月には宇宙ステーションの日本実験棟「きぼう」も完成し、宇宙に本格的な足場を持つことになる。 民間の活力を引き出す取り組みは、今後いっそう重要になる。 あくまで非軍事を基本にして、平和利用の青写真をしっかりと描いておく必要があるのも心に刻んで欲しい。
Jan 24, 2009
髪の毛の五千分の一ほどの微細な繊維。 口から吸い込むと、肺の組織に突き刺さり、数十年後に中皮腫などを引き起こす。 アスベスト(石綿)が「静かな時限爆弾」といわれるゆえんだ。 日本では今後四十年間で十万人が死亡するとの予測もある。 阪神・淡路大震災から十四年たった被災地を、漠然とした不安で包むのが、この石綿被害である。 あの日を思いだしてみよう。 すさまじい揺れが襲い、多くの住宅やビルが壊れた。 被災地の空は、どことなくほこりっぽかった。 がれきの撤去や建物の解体が始まると、あちこちで粉じんが舞い、道を歩くのにもマスクが離せなかった。 この中に、どれほどの石綿が混じっていたのか。 知りたいのは、それだ。 しかし、大混乱の中で、正確なデータがないという。 兵庫県は「健康影響が直ちに問題になるレベルではなかった」という。 根拠は環境省がビル解体現場周辺など約八十カ所で定点観測した結果だ。 空気一リットル中の石綿繊維量は多いときで平均三-五・四本。 大気汚染防止法の基準(十本)に満たない。 一方、気になるデータもある。 民間研究機関の調査によると、ビルの解体現場付近で一リットル中に百六十-二百五十本が検出された。 これだと基準値をはるかに上回る。 「石綿除去が施されないまま、解体されたビルは多くあった」との証言もあるが、倒壊ビルの中に吹きつけアスベストの建物がどれだけあったか把握できていない。 戦後、重厚長大産業で発展した兵庫の臨海部には石綿を使う企業が多く、従業員や住民らの被害につながっている。 そんな背景があれば、震災による吸引を心配する声が出るのも当然だ。 県や被災自治体は、そうした不安に向き合うべきである。 いまやるべきことは、官民による測定結果の隔たりばかりにとらわれず、具体的な対策を取ることである。 被災地に本格的な被害が出るとすればこれからであり、行政は最悪の事態を想定して、早急に打つべき手を示さなくてはならないのではないだろうか。 早期発見を促すため、まず検診体制を充実させて欲しい。 希望者にはより詳しい検査や定期診断を受けてもらう。 倒壊した建物が多い地域を選び、疫学調査する方法もある。 データを分析していけば、被害の実相に迫ることは可能だろう。 大震災を経験した兵庫は、石綿対策の先進地になるぐらいの覚悟で動いていかなければならないと思う。
Jan 23, 2009
今年もインフルエンザが流行している。 東京の認知症治療の専門病院では職員と患者の百人以上が集団感染し、高齢の患者三人が死亡した。 予防をしっかり心掛けたい。 国立感染症研究所(東京)のまとめでは、五日から十一日までの一週間に、全国の指定医療機関から報告があった患者数の平均が一一・九四人だった。 前週より六・五人も増えている。 学校の冬休みが終わり、今後、患者数の増加が心配される。 インフルエンザは風邪と混同されがちだが、風邪とは別のウイルス感染症だ。 二日前後の潜伏期を経て、高熱や筋肉痛、全身のだるさなどの症状が出る。 重症化すると生命に危険が及ぶこともある。 二〇〇七年も全国で約七百人が亡くなっている。 インフルエンザを軽く見てはいけない。 予防の基本は外出後のうがいと手洗いだ。 のどの粘膜や手などに付着したウイルスの除去に効果がある。 ぜひ励行してほしい。 室内の湿度を十分に保つことも大事だろう。 空気が乾燥すると、のどの粘膜の防御機能が低下する。 とくに道内は冬期間、暖房が欠かせないうえ、最近の住宅は気密性が高く、乾燥しがちだ。 加湿器が有効だが、加湿器がなくてもマスクをかけていれば、のどに十分な湿度を与えることができる。 マスクは周囲の人にインフルエンザをうつさないためにも有効だ。 厚生労働省が「咳(せき)エチケット」として着用を呼びかけている。 感染した場合、「タミフル」「リレンザ」といった治療薬があるが、必ずしも万能ではない。 今シーズンになって、Aソ連型のインフルエンザで、タミフルが効かないケースが各地で報告されている。 それだけに予防が大事になるだろう。 とりわけ中学、高校生はこれから受験シーズンに入る。 予防策を怠らないようにしたい。 インフルエンザはこれまで数十年おきに、世界的に大流行してきた。 一九一八年のスペイン風邪では世界で二千万-四千万人が、五七年のアジア風邪でも二百万人が死亡した。 近年、懸念されているのが鳥インフルエンザウイルスの突然変異による新型インフルエンザの出現だ。 スペイン風邪など過去の新型と同様に、人類は免疫を持たないため、いったん発生すると、大きな被害が予想される。 流行の拡大を防ぐため、関係機関も対策に万全を期してほしいものだ。
Jan 22, 2009
東京都町田市のサナトリウム病院で、入院患者と職員がインフルエンザに集団感染し、三人が亡くなった。 今月三日に病院職員の女性が最初に発症して以来、内科・療養病棟などに次々に広がり、二十日までに患者、職員の合わせて百十人余りが発症している。 亡くなったのは、百歳-七十七歳のいずれも女性の入院患者だった。 昨年末から全国的にインフルエンザの流行がいわれており、施設側も警戒していたはずなのに、なぜ防げなかったのか。 いちばんの予防はワクチンである。 効果があるのは接種の二週間後から約五カ月間とされ、一、二月の流行をにらんで前年の十二月中に済ませるのが普通だ。 ところが、この病院では十二月中に予防接種を済ませた人はいなかったというではないか。 もう一つ重要なことは外部からウイルスを持ち込ませないことだが、その点でも備えは十分ではなかった。 病院側もそれを認める。 年末年始に患者や職員の外泊、患者への面会が多かったことを反省点に挙げている。 冬はウイルスの動きが活発になる。 空気が乾燥しやすいうえ、暖房が効いた室内は閉め切られ、病棟自体が温室のようになる。 そんな中にウイルスが持ち込まれると、人を介してあっという間にまん延する。 高齢者や慢性疾患の人は抵抗力が弱いので、とりわけ用心しなければならない。 高齢の二人は発熱からわずか二日後に亡くなっており、いかに急だったかがわかる。 東京都の調査で、院内の加湿が不十分だった可能性も指摘されている。 通常は湿度を50%以上に保つが、それ以下だった可能性が高いという。 こうしてみると、起こるべくして起きた集団感染ということになるのだ。 厚生労働省の事前予測では、今冬はAソ連型が主流といわれた。 しかし、サナトリウム病院のウイルスはA香港型だった。 注意したいのはAソ連型は治療薬タミフルへの耐性が強まり、薬が効きにくくなっていることだ。 A香港型にはその報告はないものの、先のことは分からない。 ウイルスの薬剤耐性は厄介な問題で、治療薬に安心して頼れなくなる。 そうなると、なおのこと予防が大切になる。 各地で学級閉鎖が相次ぐなど、さらに流行しそうな気配だ。 特に高齢者や慢性疾患の患者をもつ施設では、これから春先にかけて細心の注意をはらってほしいものだ。
Jan 21, 2009
阪神・淡路大震災による最大の復興事業となった土地区画整理の終わりが、ようやく見えてきた。 残る二地区のうち淡路市富島地区は今年中に、神戸市の新長田駅北地区は来春までに完了の予定だ。 壊滅的被害を受けた地区のまちづくりは大きな区切りを迎える。 各地区は事業によって広い道路や公園などが整備され、せせらぎが流れるところもある。 街並みは確かにきれいになった。 しかし、区画整理は、地域に建築制限がかかり、道路整備などのために私有地を提供する「減歩」がある。 時間がかかり、住民に負担を強いる事業だ。 復興の区画整理は被災地全体で十八地区が対象になり、総面積は約二百五十四ヘクタール、甲子園球場六十個分を超えた。 まだ混乱のさなかにあった震災から二カ月後に都市計画決定され、事業の実施が決まった。 当時、住民からは「性急すぎる」と反発の声が上がった。 このため、兵庫県は計画の骨格だけを決め、詳細な事業内容などは住民の意見を反映させながら詰めるという「二段階方式」を採用した。 減歩の割合を通常の事業に比べて低くするなどの配慮もみせた。 それでも痛みの伴う事業であることは変わりない。 借地・借家人の多くは権利が限定的なため、地域を離れざるを得ない。 土地所有者も、事業が長期間に及ぶことなどで移転する人が少なくない。 特に下町の場合は、街並みが整っても震災前のコミュニティーを取り戻すのは困難だ。 まちづくりは本来、住民主体で進めるべきものだ。 防災面などの必要性があっても行政の押しつけは避けたいものだ。 現行のように大規模改造にこだわるのではなく、修復型にするなどの工夫も要る。 復興事業を通じ、地域の事情に合った柔軟な制度とすることが今後の課題として浮かび上がった。 一方、震災復興の区画整理では、各地区にまちづくり協議会が設けられた。 行政の決めた枠組みを前提にしていたとはいえ、「わがまち」をめぐって真剣に意見を交わしたことの意味は大きい。 住民参加の形はさらに前進させる必要がある。 まちの将来をどう描くか-は平時から考えておくべきだと思う。 地域の課題について日ごろから議論をすることが災害後のまちづくりでも生きる。 復興区画整理は区切りを迎えるが、地域を見つめ直す取り組みは続けていって欲しい。
Jan 20, 2009
一億六千万人-。 一年間に世界で自然災害に見舞われる人数である。 過去三十年間を振り返ると、被災者の九割、経済損失の額でみれば半分以上が、アジア地域に集中する。 昨年をみても、中国の四川大地震は九万人、ミャンマーを襲ったサイクロンでは十数万人の死者・行方不明者が出た。 とりわけ途上国では、災害が暮らしや経済を直撃し、立ち直りに時間がかかる。 阪神・淡路大震災では、被災者は延べ百万人を超える全国からのボランティアに支えられた。 十四年前の経験と知恵を、こうした海外の被災者支援に生かす。 そんな活動が被災地を中心に育ってきている。 神戸を拠点に活動する民間非営利団体(NPO)のCODE海外災害援助市民センターも、その一つだ。 二〇〇二年に設立され、被災地の復興を支援し、そのための人材を育ててきた。 〇五年秋に大地震に襲われたパキスタンでは、女性のための職業訓練センターをつくった。 伝統工芸であるカシミール刺しゅうの技術を広げ、自立を促す。 戦争とテロで混乱するアフガニスタンでも四百五十戸のブドウ農家を支援する。 農家や非政府組織(NGO)を日本に招いて研修も行う。 CODEのこうした復興事業は、七年間で十六件を数える。 国などの支援網から漏れる被災者は、必ずいる。 公の救援の手が届かない「最後の一人まで支える」。 これがボランティアやNGOの役割と、事務局長の村井雅清さんは語る。 この十四年間で、海外の被災者支援に取り組む市民グループは被災地だけで十団体ほど生まれた。 いずれも市民からの募金が活動の基盤だ。 国際救援への理解や共感をもっと広げ、安定的な財源や人材を確保することが、息の長い活動への課題になるだろう。 神戸東部新都心には、防災や国際援助にかかわる行政・国際機関が集まる。 兵庫県と国際協力機構(JICA)が協力し、途上国で防災に携わる人材を育てる拠点もできた。 官民の連携を強めることも、これから一層大切になっていく。 人を救うのは人しかいない。 震災時によく耳にしたこの言葉をもう一度、かみしめたい。 防災と災害復興のために、世界の人々と支え合う。 そんな絆(きずな)づくりの大切さを、肌で感じながら言い続けていきたい。
Jan 19, 2009
困っている人を思いやる心は、阪神・淡路大震災で一層、膨らんだ。 例えば神戸市では、市民救命士は三十五万人を数える。 多くの市民ががれきの下から被災者を救い出した経験を持ち、その意味や重要性を肌で感じている。 だから災害が起きれば、すぐに救援物資が集まり、ボランティアが駆けつける。 震災以降、災害や事件・事故を経て、救急医療の重要な手順として定着したのが「トリアージ」だ。 治療や搬送の優先順位を判断するための負傷者選別のことである。 しかし、被災地での「思いやる心」から見れば、どうだろう。 災害現場でルール化が強まるあまり、かえって臨機応変の対応を妨げている。 医療現場からそんな疑問が出ていることに注目したい。 トリアージはテレビドラマにもなる。 助かる見込みのない負傷者を後回しにした医師の判断を、肯定する場面があった。 実際の現場では、心肺停止の被害者が人目につく路上に放置されたり、トリアージを経ずに病院へ搬送されたことがルール違反として問題になったことがある。 どうもトリアージに振り回されていないか。 兵庫医大の丸川征四郎教授(救急・災害医学)は、そんな指摘をする。 四年前の尼崎JR脱線事故で、兵庫医大は百十三人もの負傷者を受け入れた。 教授はそのとき、テレビが映し出す現場の状況から負傷者は数百人に上ると判断。 どんな負傷者でも受け入れると決め、発生から約三十分で、緊急の診療態勢を確立した。 脱線現場でのトリアージをあてにせず、大学内ですべての患者を振り分けた。 病院の能力の限界まで負傷者を受け入れる発想は、震災当時、十分な医療を提供できなかった悔しさからきている。 「大切なのは他人を思いやる心」と言う。 トリアージは戦地の発想で、限られた医療資源を有効に使う考え方が基本にある。 よほどのへき地ならともかく、医療資源が整う都市部で常に選別する必要があるだろうか。 トリアージのためのトリアージになってはならないと、丸川教授は考える。 この考えは少数派だが、医療が見落としているものはないか、もう一度振り返る上で大切にしたい視点だ。 災害などに駆けつける医療チーム(DMAT)の整備が全国で進む。 震災が生んだ財産だ。 それだけに、現場が混乱していても患者を慈しむ心を忘れてはならないと思う。
Jan 18, 2009
阪神・淡路大震災の被災地に「1・17」が巡ってきた。 記憶と重ね合わせ、深い感慨を覚える人は多いだろう。 たしかに傷跡は見えにくくなった。 しかし、課題が消えることはない。 世界経済危機が被災地にも影を落とし、社会の仕組みが揺らぐ今、震災を根本から見つめ直してみるときではないだろうか。 未来に語り継ぐためには、さまざまな視点で問い続けることが不可欠だ。 震災十四年を前にした寒い日、それでもJR鷹取駅の近くにある大国公園には、お年寄りの姿が絶えなかった。 まちには新しい三階建ての家が目立つ。 公園の東側は、復興土地区画整理事業が行われた地区。 西側の路地には「さるびあ通り」や「オリーブ通り」などの名が付く。 ここを訪れて被災直後の惨状を聞いても、にわかには信じられないだろう。 住民の数はほぼ元に戻り、三分の一は新しい人たちだ。 古くからの住民は、若い世代が増えたことがうれしいと話す。 家並みと共に人と人のつながりがよみがえり、広がっていってこそ、まちの復興といえる。そのための努力が続く。 区画整理は復興事業の柱である。 神戸市内で最後に残る新長田駅北地区も、来年度中には事業が終わる見通しだ。 戻れない人はいる。 今後、各地区でコミュニティーづくりの真価も問われる。 被災地全体を見ても、なお自立への支援が要る高齢者らがいる。 「最後の一人まで」という願いが果たされたとはいえない。 それでも、この十四年間で多くの課題が乗り越えられてきた。 区画整理の完了は一つの証しだろう。 それとともに強まってきたのは「風化」への懸念である。 体験を次世代に伝える責任が、ますます重くなっている。 そのためにも、問うべきときどきの課題を忘れてはならない。 「何を得て、何をなくしてきたのか。身の回りから振り返りたい」 今あるものを、もう一段深く掘り下げて問い直す。 この機会に、同じ視線で震災を振り返ってみてはどうだろう。 見落としたり、片づいたはずが実は終わっていなかったりする問題が見えてくるかもしれない。 震災が明らかにした社会の弱点として、住宅の安全性がある。 身を守るはずの家が逆に「凶器」になった。 家づくりで一番大切にすべき人間へのまなざしが十分ではなかった。 痛恨の犠牲から得た教訓である。 住まいの安全性向上が焦点となり、耐震補強の制度も生まれた。 歩みは遅いが、経験を無にしない取り組みは進んできた。 問題は、根幹に据えるべき「いのち」の重みが、仕組みや意識にどこまで浸透してきたかである。 耳を疑った先の耐震偽装事件は一つの答えだろう。 形を整えるだけでは、教訓が生きたとは言えない。 十四年前の朝を思い出してみたい。 目を覆う被害のなかでも、横倒しになった高速道路はとりわけ衝撃的だった。 今、あの光景に「効率優先」の言葉が重ならないか。 液状化した人工島の記憶の前では「自然との共生」という、全国の開発現場で飛び交うかけ声が遠いものに聞こえないか。 これでよかったのか。多くがそう感じながら、目の前の生活再建や復旧・復興に追われた。 十分に問われないまま、やがて薄れていった疑問もあるに違いない。 これもまた、長い復興の過程で積み残してきた重い宿題というべきだろう。 高齢化した都市部を直撃した阪神・淡路大震災は、戦後システムがもつ問題点を突きつけた。 都市づくりのあり方から被災者の支援まで、多岐にわたる。 列島が「地震多発時代」に入ったとされる今、十四年で得た成果や残る課題を広く発信したい。 私たちの務めである。 きょう一日、被災地は追悼の祈りに包まれ、小学生たちによる「しあわせ運べるように」の歌声が流れるだろう。 神戸の復興を願う歌が震災を知らない子どもたちに歌い継がれる。 他の災害被災地にも伝えられ、人々を勇気づける。 世代や地域を超えた支え合いや経験、教訓の共有を確かなものにするために、問い続ける姿勢を確認する日としたい。
Jan 17, 2009
ほとんどの小中学生が阪神・淡路大震災後の生まれとなった。 体験のない世代に「震災」はどこまで伝わっているだろうか。 神戸市内の小学六年生約千人を対象に共同通信が行った最新の調査で、ほぼ全員が「震災を知っている」と回答した。 家庭や学校で教わった子どもがほとんどだ。 災害時の避難場所や連絡法について「家族と話していない」児童が六割にのぼり、災害への対応ではまだ課題が残る。 しかし、少なくとも震災を伝えるという教育は根づいているといえるのではないだろうか。 「震災の経験と教訓を生かす」。 これは神戸市が掲げる防災教育の理念である。 どの被災地にも通じる考え方だろう。 神戸市では震災の年から、副読本「しあわせ はこぼう」をすべての市立学校に配布してきた。 震災の実態や助け合う姿などが収録されている。 近年の改訂では、小学生版、中学生版とも動画が採り入れられ、本年度は一般用も作られた。 各学校では、これらの副教材をもとに、独自の工夫を凝らしながら防災教育を行ってきた。 当初は心の傷を抱える子どもが多く、使い方も難しかった。 今ではその心配は薄れたが、別の課題も出ている。 訓練がマンネリ化したり、教師の指導に身が入らなかったりするケースも出てきたのだ。 震災経験がなく、防災について教える力を十分に持てない教師もいる。 子どもへの教育と併せて、教師への研修がより必要な時代になった。 兵庫県教委も、防災教育の専門推進員を学校へ派遣し、震災を知らない教員への指導やモデル授業を行っている。 防災教育の大切さは、だれにも異論のないところだ。 子どもへ体験を伝えることは「未来の防災」にほかならない。 表面的な授業に流れず、実のあるものにするには連携が不可欠だ。 点から線、面へとつなぎ、網の目状にする必要がある。 昨年、県教委と神戸市教委、神戸学院大、県立舞子高校、人と防災未来センターの五機関が「防災教育開発機構」を設立した。 文部科学省が新たに進める「防災教育支援モデル地域事業」にもなっている。 連携して新たな教材を開発し、学校での実践を通じて指導法の確立を目指す。 さらに、それを全国へ発信していくという。 震災の経験に根ざした防災教育は被災地の使命である。 常にこの原点に立ち返って進めていって欲しい。
Jan 16, 2009
プロ野球の選手、監督として活躍した留萌市出身の若松勉氏が、道産子で初めて野球殿堂入りした。 プロ入り後、三十八年間でたどり着いた野球人としての頂点だ。 心から祝福してあげたい。 いくつもの記録で球史に名を刻み、球界に貢献した活躍ぶりを振り返れば、この栄誉も当然だろう。 身長一六八センチの若松氏は、現役時代に「小さな大打者」と言われた。 通算打率三割一分九厘は、球界二番目の記録として今も輝く。 絶妙のバットさばきで、名選手の証しとされる二千安打も達成、まさに打撃職人の名にふさわしい。 五十年前、若松氏が子どものころ、北海道は雪国の「野球後進地」と見られていた。 そこからプロに入り、球界屈指の打者となった。 その歩みぶりが、多くの道民に感動を与え、今も子どもたちに野球への夢を届けていると言っていい。 ただ、それは人知れず努力を積み重ねてきた結果だということを覚えておきたい。 現役引退後、若松氏はインタビューにこう答えている。 「わたしの技術は、体で覚えたもの。バットを振って振って振りまくる練習しかなかった」 体が小さいことでプロへの自信を持てなかった若松氏は、プロ野球からの誘いを最初は断ったという。 プロ選手としては不利な条件を、人に倍する練習で克服してきた。 北海道で野球を続ける後輩への助言として、若松氏は「『も』ではなく『しか』と言い続ける人間になってほしい」と強調している。 本塁打を「何本も打った」と言うのでなく、「何本しか打っていない」と考える厳しさだ。 芯の強さがほしいということだろう。 北海道関係者の殿堂入りは、函館太洋倶楽部の名捕手久慈次郎、旭川育ちで巨人のエース、ビクトル・スタルヒンらに続く。 若松氏にとどまらず、こうした名前と肩を並べる選手が北海道からもっと出てきてほしい。 若松氏は、三十年前に知人から贈られた言葉「万球一会(ばんきゅういちえ)」を座右の銘にしている。 「何万もの球を打ち返して今のわたしがある」と。 一球ずつ集中して、ひたすら繰り返した練習が、大きな成果につながったとの思いだ。 努力すれば夢はかなえられる。 若松氏の誇りとする「道産子の粘り強さ」が役立つところだ。 日本ハムファイターズの北海道移転を実現させ、ファン優先を貫いた日ハム初代オーナーの故大社義規(おおこそよしのり)氏も殿堂入りが決まった。 二人の殿堂入りを、北海道の野球を飛躍させる契機にしていただきたい。
Jan 15, 2009
総額二兆円の定額給付金を盛り込んだ二〇〇八年度第二次補正予算案と関連法案が、与党の賛成多数で衆院を通過した。 与党内の造反は、渡辺喜美元行革担当相の自民党離党など限定的だった。 とはいえ、麻生政権を取り巻く荒波は鎮まりそうにない。 なにより、国民の信頼が急速に失われている。 共同通信の全国世論調査で、麻生内閣の支持率が20%を割り、危機的な様相がさらに強まった。 「生活支援」から「景気刺激策」へと趣旨の変わった定額給付金について、「評価しない」が70・5%に達し、昨年十一月の調査から12・4ポイント増加した。 報道各社の調査はほぼ似通った結果だ。 定額給付金をめぐる迷走ぶりを見れば当然だろう。 首相は昨年末まで高額所得者が受け取るのは「さもしい」とまで言っておきながら、年明けには景気刺激のため「盛大に消費するのが正しい」と転じた。 それでいて、自らの受給は明言を避けている。 景気低迷や雇用危機に直面した生活を守るため、一人当たり一万二千円の給付金を待ち望む人も少なからずいるだろう。 としても、七割もの国民が「ノー」を突きつけた意味を、首相をはじめ政府、与党は重く受け止めるべきだ。 世論調査は二兆円の使い道も尋ねた。 財政難の中からひねり出す貴重な財源であり、「年金・医療など社会保障」に使ってほしいという意見が42%で最も多かった。 雇用対策、減税、少子化対策が続く。 国民は目先のばらまきより、困っている人への集中的な支援や、将来の安心につながる政策を求めている。 ひとごとでない生活不安の裏返しだろう。 「盛大に使ってほしい」という首相の発言や、与党内の「支給されれば支持率は上向く」といった楽観論は、国民が抱く危機感と大きくずれたものだ。 〇九年度予算の年度内成立を確実にしたい思惑とはいえ、政府、与党は強行採決を重ねる構えのようだ。 あくまで数の力で無理を通そうとすれば、野党が多数を占める参院の攻防は激化し、早期成立はいよいよ難しい。 予算案審議の空転による国民生活への影響は、ガソリン税の暫定税率をめぐる昨年の混迷とは比べものにならない。 定額給付金をいったん白紙に戻し、二兆円の有効な使い道を考えて欲しい。 修正協議の場として参院審議に臨んで欲しい。 そういう形で世論に耳を傾けるチャンスはまだ残っていると思う。
Jan 14, 2009
昨年末、アイスホッケーの西武や、アメリカンフットボールのオンワードが相次いで廃部を決めた。 女子サッカーでは、神戸の田崎真珠が幕を閉じた。 さらにモータースポーツ界でも、ホンダのF1選手権からの撤退やスズキの世界ラリー選手権参加の休止などが続いた。 競技団体やファンにとっては大きな衝撃だし、寂しい。 いずれも各競技の中軸といえるチームであり、競技運営にも深刻な影響が出るかもしれない。 撤退の理由は、所属する企業の経営環境の悪化に尽きる。 米国の金融危機に端を発した世界同時不況が追い打ちを掛け、さらに影響が広がらないか心配だ。 こうした休廃部の続出は、今に始まったことではない。 一九九〇年代のバブル崩壊に伴い、十年ほどの間に約二百もの企業スポーツチームがなくなった。 スポーツが企業に依存する以上は致し方ない面はある。 しかし、景気の浮き沈みのたびに同じことを繰り返していては、スポーツ振興の点で大きなマイナスになる。 企業がプロやアマチュア競技のチームを丸抱えするのは、日本独特の形とされる。 スポーツ振興に一役買うことは社会貢献になり、社のイメージアップにつながる。 社員の一体感を高める効果もある。 しかし、この形も経済成長期は大きな問題にならないが、不況や低成長期に入ると途端にほころびが出る。 そうであるなら、企業スポーツのあり方を、そろそろ一から考え直す時期ではないだろうか。 注目すべきは、一企業に頼らず、複数の企業などによる所有や支援、地域密着によるクラブ運営といった形が増えていることである。 このような形態で成功したのはサッカーJリーグだ。 地域密着を核として、複数の企業・自治体や市民らから支援を受けている。 プロ野球は親会社が単独所有するが、最近は地域密着へとかじを切り始めた。 一般の競技は、これら人気スポーツと同じようにはいかないだろうが、方向としては大きな選択肢に違いない。 すでにアイスホッケーやバレーボールなどでは企業所有から地域密着のクラブチームに転換しつつあり、その傾向は一段と強まるだろう。 しかし、こうした取り組みも決して楽な道ではない。 要はチーム任せにはしないことだ。 競技団体が軸となって、あり方そのものから再考し、その競技の実情や将来性に合った方策を模索すべきではないだろうか。
Jan 13, 2009
きょうは「成人の日」。 すでに式典を終えた市町もあるが、各地の成人式会場は華やかな装いと笑顔で埋まることだろう。 それぞれの家庭や職場からも、成人を祝う温かい拍手が聞こえてきそうだ。 兵庫県内で成人式を迎えるのは六万人余り。 過去三十年間で最も少なく、ピークだった一九九四年の六割程度という。 全国で昨年中に二十歳となったのは百三十三万人。 こちらも二年連続で過去最少である。 新成人は今後も減り続ける見込みだ。 笑顔の数が減っていく一方と思うと、祝福の日もちょっぴり寂しい気もする。 とりわけ今年は、急激な景気悪化が笑顔に落ちる影を濃くしている。 全国の新成人約八百三十人を対象にした結婚情報サービス会社「オーネット」(東京)のアンケートが気になる。 「これからの世の中は悪くなる」と悲観的な若者が50%を占めたのだ。 具体的な不安を複数回答で挙げてもらうと、「今後の進路」が69%もあり、「職に就けるか」が56%、「非正規就労への不安」が36%。 回答者の87%が学生で、アンケートは昨年十二月十二-十五日にとっている。 この時期はちょうど、非正規労働者の大量解雇が社会問題化し、ソニーが正規社員を含む一万六千人削減計画を明らかにしたころだ。 大学生の内定取り消しが相次いだこともあって、新成人が不安に身を固くするのは当然だろう。 就労の門戸を閉ざさず、不安の解消に努めるのは、若者を受け入れる側の責任だ。 例年以上に、そんな責務の重さを痛感する成人の日となった。 新成人の側も、不安にとらわれてばかりではなく、進むべき道をじっくり考える好機と受け止めてほしい。 不況下でも人材を求める業種は少なくない。 米国の名コラムニスト、ラッセル・ベイカーは、大学を卒業する人たちに対し、社会で役立つ十項目を贈った(草思社「これから社会に出るきみへ」)。 例えば、「時には腰をかがめて花の香りをかぐ」「ひと月に一度か二度はテレビのスイッチを切って本を開く」、そして「ほほえむ」。 現状がどれほど厳しくとも気持ちに少しのゆとりを、ということだろう。 おとなの仲間入りをしたみなさんと一緒に、社会をより良くしていきたい。 咲く花があれば、香りをしばし楽しみながら。
Jan 12, 2009
経済危機の嵐に見舞われ、関西経済が急激に落ち込んでいる。 生産、消費、雇用など、あらゆる分野で悪化が目立つ。 なかでも深刻なのは輸出型産業だ。 自動車のウエートの大きい東海地区ほどではないが、関西でも輸出急減の影響は大きい。 危機の実相は、まだ見えない。 ただ言えるのは、この不況は単なる景気循環ではないということである。 世界経済の需要増に寄りかかっていた一つの時代が、確実に曲がり角を迎えようとしている。 関西経済にとっても大きな転換点である。 「量」を争う外需依存から「質」を求める内需型へ、どう切り替えるか。 環境関連や生活文化産業の蓄積の分厚い関西から、新しい内需モデルを発信して欲しい。 二〇〇九年度の関西経済はマイナス成長になる可能性が高い。 日本総合研究所は実質経済成長率をマイナス0・8%、三菱東京UFJ銀行は同1%と予測する。 企業の資金繰りは相当厳しい。 破たんも続出している。 雇用情勢は悪化し、やせ細った家計はとっくに生活防衛に入った。 これでは個人消費は伸びるはずがない。 「市場サイズが半分の『ハーフ・エコノミー』になる」。 東京からそんな悲観論が聞こえてくる。 しかし、関西からは「ピンチをチャンスに」との提言が続く。 神戸商工会議所の家次恒副会頭は「内需を膨らませる好機。 医療や福祉、ヘルスケアの分野でイノベーション(技術革新)を起こしていこう」と呼びかける。 関西経済連合会の奥田務副会長の意見も同じだ。 「自動車依存の輸出型が弱いことがはっきりした。 医療、福祉、農業などで新しい成長モデルを作るべきだ」。 二人に共通するのは、外需依存のままでは苦境を克服できないという認識だ。 輸出型のもろさを浮き彫りにしたのは、自動車産業が集積する東海地区である。 つい数カ月前まで好況に沸き、全国一の有効求人倍率を誇った。 それが経済危機を迎えた途端、雇用は急速に悪化した。 「減産したらすぐに首を切るのは短兵急過ぎる。 競争力の源泉は現場のチームワークや技能だ」。 関経連の下妻博会長が指摘する通り、安定雇用があってこそ強みが発揮できる。 それが家計を安定させ、内需につながる。 この循環が大切だと思う。 関西は地盤沈下が指摘されて久しいが、ここへきてベイエリアに集積が進んだ電機関連の新工場群のおかげで、鉄鋼や機械、化学、食品、医薬などとあわせ、バランスのいい産業構造になってきた。 新たな成長モデルの種は事欠かない。 尼崎や姫路、堺市ではパネル工場の建設が進む。 経済危機で薄型テレビ需要が落ち込む懸念があり、パナソニックは設備投資の削減を明らかにした。 当面、地域への影響は避けられないだろう。 しかし、ほかにも電池産業という期待の分野がある。 関西はもともと「電池王国」と言われてきた。 近年、ハイブリッド車用などのリチウムイオン電池の需要が拡大し、設備増強に乗り出す企業が増えた。 三洋電機は淡路島や大阪・貝塚で工場を増設する。 パナソニックも大阪市で新工場を、シャープは堺市で太陽電池工場を-といった具合だ。 こうした動きを受け、神戸、尼崎、姫路、大阪、堺の五つの商議所は、ベイエリアを「エコ・エネルギー特区」とすることを国に求めた。 産業と環境の共生を狙う。 内需主導の経済成長が望ましいと、かねて指摘されてきた。 しかし、成熟型経済に移行した日本で、高度成長期のような旺盛な内需は期待できない。 どうしても新たな分野の開拓が必要だが、大きな可能性を秘めるのが「環境」である。 電池産業は、その中核となりうる。 食品産業の集積にも期待したい。 中国製冷凍ギョーザ事件や原料の高騰で、昨年来、食の「家庭回帰」が進んだ。 外食を控え、自宅で調理する動きである。 そこで伸びたのが総菜だ。 その市場規模はざっと八兆円。 神戸のロック・フィールドなどが売り上げを伸ばしている。 農業が盛んな後背地を持つのも強みだ。 新鮮な食材がすぐに手に入る。 観光産業と組めば魅力はさらに高まる。 農業を成長産業にする戦略は関西では描きやすい。 世界経済のバブルがはじけた。 日本の目指す道は、少子高齢時代を踏まえた新しい「豊かさ」の体現ではないか。 多様性のある関西は、新しい内需を切り開く底力を秘める。 不況を逆手にとって知恵を絞り、行動して道を切り開きたい。
Jan 11, 2009
授業中、携帯電話でメール交換に夢中になる。 ときにはいじめの道具にもなる。 児童、生徒の携帯電話の使い方をめぐり、学校の悩みは深くなる一方だ。 大阪府の橋下徹知事が、公立の小中高校では携帯電話を原則禁止とする方針を打ち出し、波紋を広げている。 府教委も知事の意向を受けて、小中学校では持ち込み、高校では使用を禁じることを決めた。 学校での携帯については、一部の自治体が一律に禁止している。 しかし、多くの自治体は学校の判断に任せており、学校側では原則禁止とするところがほとんどだ。 府教委の調査でも、小中学校の九割前後がすでに禁じている。 今回注目を集めたのは「知事の禁止令」だったことに加え、形だけの禁止となっている実態が浮き彫りになったからだ。 知事としては、通達で徹底を図ろうとしたのだろう。 内閣府などの調査によれば、小中高校生の携帯電話所持率はおおむね三割、六割、九割という。 また、府教委の調査では、一日に三時間以上使う中学生は二割近く、高校生では三割を超える。 確かに、携帯漬けといってよい実態がうかがえる。 文部科学省は昨年、携帯を使ったいじめや犯罪に子どもが相次いで巻き込まれたことから、全国の小中学校に「原則禁止」のルールを策定するように通達した。 さらに、政府の教育再生懇談会が先ごろ、小中学校での携帯の持ち込みや使用を禁止する方針を打ち出した。 流れは「学校内の禁止」である。 携帯が、いじめや犯罪にかかわりがなくても、使用のあり方や依存の度合いなど、問題が小さくないことは明らかだ。 しかし、子どもたちから取り上げるのは現実には難しいし、放置もできないのが実情だ。 禁止するにしても、子どもとの連絡用など安全確保のための使用には配慮が必要だろう。 保護者の協力も欠かせない。 一方で、「学校内で禁止しても校外での使用が増えるだけ」という指摘もある。 確かに、禁止するだけでは携帯にまつわるさまざまな問題の解決にはつながらない。 なにより、携帯使用の基本ルールについての教育が要る。 さまざまなメディアを介して入ってくる情報に、子どもたちがきちんと向き合い、判断できるようにする「情報教育」こそが大切だ。 問題は、こうした情報教育を進める学校側の体制が十分といえないことだ。 あらためて見直す契機としなければならないのではないだろうか。
Jan 10, 2009
エチオピアで人道支援活動中に誘拐された医師の赤羽桂子さんが、三カ月半ぶりに無事解放された。 面会した日本大使によると、目立った外傷はなく、元気そうな様子だという。 安否が気遣われただけに、無事で本当によかった。 事件が起きたのは昨年九月下旬。 赤羽さんは、一緒に医療活動していたオランダ人看護師とともにエチオピア東部のオガデン地方で誘拐され、隣国ソマリアへ連れ去られた後、国内を転々としていたようだ。 エチオピアやソマリアは、民族対立や国内の紛争で混乱状態にあり、干ばつが加わって治安は最悪といわれる。 そのため、誘拐、殺人などの犯罪が多発している。 誘拐は、ソマリア人武装組織による犯行とみられる。 日本のメディアなどの取材に応じ、エチオピアで拘束されている囚人の釈放や、多額の身代金を要求していることを明らかにしていた。 先月半ばになって、犯行グループは事件の解決をほのめかしていたという。 解放されるまでの経緯や事件の背景など詳しいことはわかっていない。 日本政府は現地の当局を通じて事件の把握を急ぎ、これからの邦人対策に生かしてほしい。 赤羽さんが加わる「世界の医療団」はフランスの非政府組織(NGO)で、約五十カ国に医療や保健衛生分野のボランティアを派遣している。 エチオピアでは二十年前から医療活動に取り組んできた。 アフリカなどには紛争や貧困のため、医療や教育が行き届かない国々がたくさんある。 そんななかで、NGOによる人道支援の役割は極めて重要になっている。 ところが、残念なことにアフリカや中東、南アジアなどでは近年、援助関係者らを標的にする事件が相次いでいる。 昨年夏には、アフガニスタンで農業支援をしていた日本人男性が拉致、殺害される事件もあった。 その結果、援助活動が鈍ることになれば、当該国の復興にもマイナスだ。 エチオピアは、人口の一割以上が緊急援助の必要な状態にある。 オガデン地方のソマリア人らが独立を求め政府と対立していることも、混乱を大きくしている。 無政府状態のソマリア沖では、海賊行為の多発が国際問題になっている。 貧困と治安悪化の連鎖を断ち切らない限り、今回のような犯罪の根絶は難しい。 人々の自立を促す国づくりへの支援は重要だが、危険と隣り合わせだ。 今回の事件から、そのことを再認識したい。
Jan 9, 2009
学校への子供たちの携帯電話持ち込みを禁止する動きが強まっている。 大阪府の橋下徹知事が公立小中高校での校内持ち込み、使用禁止を打ち出したのをきっかけに議論が高まり、政府の教育再生懇談会も小中学校への原則持ち込み禁止を盛り込んだ報告書の素案をまとめた。 児童生徒の携帯電話使用をめぐっては、陰湿なネットいじめや出会い系サイトをきっかけにした性犯罪など深刻な問題も発生している。 対策は急務だ。校内への持ち込み禁止も手段の一つだろう。 しかし、携帯電話が子供の生活に浸透した中で、頭ごなしに禁止しても、隠れて持ち込むなど問題が潜在化するだけではないか。 携帯電話というコミュニケーションの道具をどう使いこなすのか。 子供たちだけではなく、大人も一緒に学び、考える機会を持ちたい。 総務省の調査では二〇〇七年度に携帯電話からの総通話時間が初めて固定電話を抜いた。 すでに通信手段の主役になっているといえよう。 内閣府の調査によると、国内では小学生の三割、中学生の六割、高校生は九割以上が携帯電話を利用しているという。 携帯電話は「ケータイ」と表現されるように、もはや通話にとどまらず、メール交換やインターネット接続をするために使われている。 お年玉で、新しく携帯電話を持つようになった子供もいるだろう。 どんな目的で、どれだけの時間使用するのか。 まず家庭でしっかり話し合うことが必要だ。 携帯電話会社では、有害サイトに接続できないようにするフィルタリング(閲覧制限)サービスを行っている。 子供に携帯を与える際には、この活用も有効だろう。 学級や学校全体で、ときには保護者も加わって、携帯との望ましいつきあい方を十分に話し合ってみてははどうだろう。 その中で児童生徒が自発的にルールをつくる環境を整えたい。 子供に「なぜ携帯を持ち込んではいけないのか」と問われたとき、「国や知事がそう言っているから」と説明するのでは情けない。 道教委の調査によると、札幌市を除く道内の公立小中高校と特別支援学校の六割以上が、すでに校内への持ち込みを禁止するなど独自の対策を行っている。 北見柏陽高校では、生徒会が登校時に携帯電話を専用箱で預かり、下校時に返す運動をしているという。参考にしたい実例だ。 道教委や市町村教委には、専門家の派遣など各校のルールづくりをサポートする態勢も整えて欲しい。
Jan 8, 2009
イスラエル軍が、パレスチナ自治区ガザへの大規模な空爆に続き、地上部隊による侵攻を始めた。 ガザを支配するイスラム原理主義組織ハマスの掃討を狙っており、長期戦も辞さない構えだ。 これに対し、ハマス側も徹底抗戦の姿勢をみせている。 昨年末の空爆開始から約十日間で、パレスチナ人死者はすでに五百人を超えた。 犠牲者の少なくとも二割以上が女性や子どもと伝えられる。 国連の潘基文(バンキムン)事務総長が、イスラエルに対し「強い失望」を表明したのは当然だろう。 双方の即時停戦とイスラエル軍の撤退を、あらためて強く求めたい。 国際社会が収拾に有効な手を打てないまま、事態が泥沼化しないか憂慮される。 アラブ連盟は、首脳会議の開催を探ったが、うまくいかなかった。 ハマスを支持する強硬派の国と、パレスチナ自治政府を握るファタハを支持する穏健派の国との間に温度差があり、強い力にならない。 足並みの乱れは、国連安保理も同じである。 リビアが即時停戦を求める議長声明案を提示したのに、米国の反対で協議は決裂した。 ハマスが長期停戦に応じておらず、声明を出しても守られないとの懸念を反対の理由にしているが、結果的にガザ侵攻を黙認することになる。 米国がこうした姿勢を取る限り、事態を混乱させるだけでなく、「テロとの戦い」にも悪影響を及ぼすだろう。 米国は一昨年秋、イスラエルとパレスチナ自治政府との和平仲介に乗り出した。 ブッシュ政権が中東和平へ前向きだったのは、イスラム原理主義がテロの温床になったからだ。 イラクやアフガニスタンで「テロとの戦い」を続ける米国にとって、イスラム諸国との協調は欠かせない。 特にパレスチナ問題解決のために尽力することは、地域の安定やテロ抑止につながる。それを忘れてはならない。 ここへきてフランスのサルコジ大統領や欧州連合(EU)代表団が中東入りするなど、調停の動きも出てきた。 しかし、イスラエルに強い影響力を持つ米国こそ、停戦実現の鍵を握るという自覚を求めたい。 イスラエルは圧倒的な軍事力を持つが、戦闘が長期化すれば、国民の支持離れが進むことも覚悟すべきだろう。 武力の行使は和平を遠ざけ、報復の連鎖を招くだけである。 誰よりもイスラエルとハマスが、過去の教訓に学ぶべきだと思う。
Jan 6, 2009
四百年前に築城された篠山城の跡を核に、篠山には武家町や商家町の町割りが残る。 「三点セットで残っているのは全国でも珍しい」(兵庫県教委)という。 二〇〇四年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれた。 民家など約二百五十件が保存対象で、昔ながらの外観を生かした形で修理し、町並みを整備していく。 具体的には、地域のまちづくり保存会のメンバーが住民の相談に乗り、地元の建築士が日常生活に支障のない修理法を考える。 行政からの補助金に加え、そんな仕組みが町並み保存を後押しする。 修理のペースは予想以上に順調だそうだ。 景観を守る取り組みは、地域を深く見つめることにつながった。 まちを元気にしようとの住民の気持ちも強くなった。 篠山を訪れる観光客が増え、年間三百万人を超えるまでになった。 落ち着いた町並みや特産物が人々を引きつける。 中心部には土産物屋も多いが、観光地にありがちな品は少ない。 地域で大切に育ててきた特産品で勝負する正攻法の店頭に、住民らの矜持(きょうじ)がうかがえる。 篠山に限らない。 地域の景観を守ろうという取り組みが、県内各地で目立つ。 神戸市は海側から六甲山の眺めが遮られないよう規制する。 山の稜線(りょうせん)を超える高層建物を制限し、神戸らしい眺望景観を守るためだ。 元町付近から見上げて、山腹の錨(いかり)のマークが見える高さに制限するほか、中心部のビルに新たに設置される看板広告の色や形態も規制する。 芦屋市は落ち着いた町並みを守ろうと、市域全体を景観法に基づく景観地区に指定し、新築建物の色彩やデザインを制限する。 人口が急増する西宮市は、戸数を増やすために増えた横長マンションを規制する。 いずれも今年の実施を目指している。 町並みを大切にする動きは以前からあった。 それに弾みをつけ、うねりにも近い動きをもたらしたのは、画一的な都市計画への反省だろう。 効率性を重視したまちづくりで、似通った都市があちこちにできた。 しかしビルの高さや色彩などはばらばらで、建築の「野放し状態」といわれてきた。 自治体の財政事情が厳しくなると、費用のかからない景観などへの施策に光が当たるとの指摘もある。 確かに、景観施策への取り組みが目立ち始めたのは石油ショック後の一九七〇年代である。 画一化からの脱皮 財政の厳しさは同じだが、右肩上がりを期待し、つくることだけを重視する時代ではなくなったとの認識はより深まったと思われる。 安田丑作・神戸大名誉教授はこう話す。 「都市がどうやって生き延びるか。企業誘致といったこれまでの地域振興策はもう限界だ。今は景観などの地域資源をどう伸ばすかに向かっている」 「東京」を追いかけるようなまちづくりから早く脱皮しなければいけない。 まちを見つめ直し、それぞれの歴史がはぐくんだ風景を取り戻す。 もう一度、住民と地域の結びつきを強めることで、誇りがはぐくまれる。 ひいては、地域力を築き直すことにつながっていく。 丹波での地道な試みが、そう語っている。
Jan 5, 2009
富山県の入善町に神戸の米穀卸「神明」が、社運をかけた新工場を建設している。 無菌のパックごはんをつくる工場で、三月から生産を始める。 米穀卸では国内トップに成長した神明が、消費者により近い食品メーカーへの脱皮をねらう。 「日本のコメは世界に誇れるおいしさだ。条件さえそろえば、パンに負けない」 これが藤尾益雄社長の読みである。 気候が稲作に適している。 なにより水がすばらしい。 減反の対象となる水田を使ってコシヒカリなどを育てるので、「村も元気になる」とにらむ。 パンのように手軽に、そして安く。 そうすればコメの消費はもっと伸びるはずと、藤尾さんは考えている。 神明は同時に、日本のコメを七日から豪州へ輸出する。 すしなどの日本食ブームという豪州では、コメの需要が伸びながら、大干ばつで生産量が激減した。 アジアなどの主要輸出国の輸出規制もあって国際価格は高値圏にある。 円高の足かせもあるが、日本米で勝負できると踏んだらしい。 コメこそが日本の食卓を守るという使命感。 このままではコメ業界が先細りになるという危機感。 切実な思いが二つの計画を後押しした。 背景には、日本の食の現状がある。 中国製冷凍ギョーザ事件や汚染米事件で食への信頼は揺らいだ。 安全性すら保てない。危機意識は国民全体に共通する。 日本は食料の六割を外国に依存する。 その中で、唯一自給できる主要農作物がコメ。 最後の食のセーフティーネットだ。 しかし、一人一人の食べる量は年々減ってきた。 いまでは年間で六十キロほどで、四十年前のほぼ半分しかない。 食生活の欧米化が原因とされる。 政府も消費が減るのに合わせて生産を調整してきた。 いわゆる「減反政策」である。 水田も人手もあるのに、休耕や転作に応じた農家に補助金を出すという施策だが、農業で働く人の六割が六十五歳以上である。 労働の担い手がいなくなれば、コメづくりは立ちゆかなくなる。 最後の頼みの綱が切れかねない。 都市住民には、農業が直面する危うさが実感しにくい。 スーパーは豊かな食品であふれているからだ。 しかし、それは輸入品あってのこと。 日本農業を取り巻く環境は極めて厳しい。 一方で、世界の食料情勢が緊迫してきた。 中国、インドなどの人口増や生活水準の向上で、穀物需要は増え続ける。 ところが、干ばつなどで収穫量は増えない。 米国ではバイオ燃料への転用が拡大し、トウモロコシの価格が上昇した。 穀物の生産大国が輸出を規制すれば、日本はたちどころに困る。 内と外で不透明感が高まる。 コメを筆頭に、地域にある食材へもう一度目を向けるときだ。 希薄になってきた農業と日本人の関係を考え直すことにつながる。 減反政策をやめて自給率が高まれば、食糧の安全保障や地方の立て直しに結びつく。 「まずは食べるシステムをしっかりさせたい」と話すのは、食と農の実情に詳しい保田茂・神戸大名誉教授だ。 「そうすると、つくるシステムが安定する。安全でおいしいものが欲しいと気づいた人から変わっていけば、最後には大きな流れになる。ゆっくり確実にやればいい」 たとえば保田さんが注目するのは、芦屋市立浜風小学校の給食である。 「学校給食は生きた教材」を合言葉に、コメはもとより旬の野菜や国産の食材にこだわり、手作りで本物の味を目指す。「小さな一歩」から 子どもたちに考える機会を与えるのが特徴だ。 調理の手伝いはもちろん、三十種類ものメニューから栄養バランスを考えて、自分で選ぶ「マイ給食」という取り組みはユニークだ。 「子どもたちにたくさんおいしい体験をさせながら、農の営みの大切さを伝えたい」と栄養教諭の奥瑞恵さんが語る。 農林水産省は十年後に自給率を50%へ引き上げようとしている。 今や差し迫った課題だが、一気に上がるわけではない。 生産、流通、消費のそれぞれの現場で、少しずつ足元の資源や可能性を大事にする一歩を踏み出さねばならない。 とりわけカギを握るのは消費者だ。 その厳しい目が日本の食を変え、ひいては日本の農を変える。 そんな認識を共有していきたいと考える。
Jan 4, 2009
タンポポの種は、空中をふわふわと漂って新天地で新しい花を開かせる。 「県立柏原病院の小児科を守る会」は丹波市の野に咲いたタンポポである。 医師がいなくなり、病院の小児科がなくなるかもしれない。 小児科休止の危機に直面した若い母親たちが、守る会を立ち上げたのは二〇〇七年四月のことだった。 「安心して子育てできない町は将来に希望が持てない」。 活動は報道やインターネットを通じて全国に知れ渡り、芽が各地でふき始めている。 その活動は医師を勇気づけ、自ら手を挙げて柏原病院に来た医師もいる。 発足一年あまりで小児科の医師数は充足し、ひとまず休止の危機は免れた。 これに注目したのは厚生労働省だ。 昨年夏には舛添要一大臣自ら丹波を訪れ、女性たちに「知恵を授けて」と頼んだ。 医療の混乱は、それほど深刻である。 小児科だけではない。 安心してお産できる病院も以前に比べて減った。 夜間の救急患者をなかなか受け付けてもらえない現状もある。 特に地方の公立病院に医師が集まらないという問題も起きている。 国民皆保険の下でいのちと健康を守ってきた体制が崩れ、各地で「医療崩壊」といわれる事態に立ち至った。 なぜ、こんなことになったのか。 雨粒が岩をうがつように、徐々に制度疲労を起こした面は否定できない。 しかし、今の多くの問題は、さかのぼると小泉政権による社会保障抑制策に突き当たる。 その転機になったのが、〇二年度の「骨太の方針」だ。 政府は医療費抑制のため診療報酬の引き下げを図るとともに、大胆な医療の構造改革へと踏み出した。 代表格が病院の再編淘汰(とうた)である。 病院をタイプ別に分類し、患者が一つの病院に長くいると診療報酬が下がる仕組みだ。 その結果、手術を終えた患者は、速やかに退院させられる。 次の段階の病院にいた患者は玉突きではじき出される。 療養病床まで削減する計画を打ち出したため、多くの患者が行き場を失った。 その上、リハビリ制限も加わった。 脳梗塞(こうそく)による後遺症と闘う免疫学者の多田富雄さんは「リハビリ中止は死の宣告」と訴えた。 しかし、国は方針を変えない。 こうした中、大事な三つが失われた。 まず信頼の喪失。 医療がぎすぎすしたものになった。 患者の容体の変化や精神面の不安をサポートする医療の体制がおろそかにされたままでは、相互不信が深まる。 医療訴訟が急増したことにも示されている。 ゆとりも失われた。 医師の不足や偏在が顕著になったことが、公立病院の赤字体質をますます深刻にした。 そして、医師らの過重労働が一段と厳しくなった。 月八十時間の時間外労働が過労死ラインといわれる。 ところが、ある基幹病院の医師は、倍の百六十時間を数える。 休むこともなく、一日の半分以上を病院で過ごしていることになる。 何より、当事者である医療の側から困難を乗り越えようという強い意志が伝わってこない。 責任主体の喪失である。 中核であるはずの日本医師会の存在感が乏しい。 開業医、勤務医合わせ、十六万人。 医療崩壊という公益の危機に、この巨大な公益法人は何を考え、どんな改革のビジョンを持っているかが見えてこない。 医療は、医師と患者の間に信頼関係がなければ成り立たない。 まず、その点から今の医療を立て直して欲しい。 そうした意味でも守る会の活動は示唆に富んでいる。 守る会は、住民と医療の橋渡し役を任ずる。 ○コンビニ受診を控えよう。 ○かかりつけ医を持とう。 ○お医者さんに感謝しよう-と訴える。 この三つを欠くため、医師に過剰な負担を強い、医師と患者の相互不信を強める原因にもなっていると考えられる。 発足当初の目的は、小児科を守ることだった。 しかし、運動の過程で医師の悩みを聞き、医療の実情を知れば知るほど、患者の問題でもあるとわかってきた。 それは病院や行政側にもいえる。 それぞれの考えや悩みを市民=患者に伝えてきたか。 理解を求める努力をはらってきただろうか。 多忙を理由に白衣に収まり、病院の殻に閉じこもってこなかったか。 まず、お互いに現状をさらけ出すことだ。 各地にタンポポの花が咲けば、医療の姿は少しずつ変わっていくだろう。
Jan 3, 2009

大晦日の夜は同僚と一緒に食事をした後、カラオケに行って2時間半歌いまくって一年分のストレスを発散しました。 その時の写真です。ヽ(°▽、°)ノエヘヘヘヘ(〃▽〃)キャッ これは同僚です。良い笑顔です。今乗りに乗って歌っています。 これが私です。 二人とも時間が経つのも忘れ歌いましたが、気分は爽快そのもので一年の締めくくりとしては良かったと思っています。 歌ってからは姫路の書写山円教寺へ初詣に行きました。 駅前からバスに乗って書写山ロープウェイで山頂を目指します。 ロープウェイを降りてから本殿までが600メートルらしいのですが、アップダウンが激しく思ったよりも距離があったことです。 山道と夜で気をつけないと転びそうで、大変でした。 ロープウェイを降りたところで杖の貸し出しがあったので、とりあえず借りることにしたら、これが凄い良かった。 杖がないと疲れるところだった( ゚д゚)ビンゴー こういう苦労して何とか除夜の鐘をつく所までたどり着きましたが、もうすでに鐘をつこうと凄い行列ができていました。 私たちは先にお参りをして、たこ焼きを食べ、甘酒を飲み余韻に浸り、除夜の鐘のところまで行くと、大樹孝啓(おおきこうけい)住職が新年への夢や希望を託して漢字一文字をしたためる行事が初めて催されると聞いて、これは絶対に見逃せられないと思って人ごみに混じってシャッターチャンスを狙ったのがこの写真です。 今の社会は暗い出来事ばかり、この時、明るく、生き生きとさせる文字は?と考えたときに「燦」が浮かんだそうです。 仏様の慈悲の光りが燦燦と降り注ぐ事を願う心が現れたと思ったそうです。 比叡山延暦寺には、千二百年前に伝教大師が灯された「不滅の法灯」があって、今も根本中堂で明々と輝き続けています。 この円教寺にも、その分灯されたものが、魔尼殿、開山堂で燃え続けています。 これは、仏の教えが絶えることなく続いて、一人でも多くの人が幸せになることを念じて灯されたものです。 今年はこの輝きがもっと燦々と光り輝き、我々にそそがれることを祈ってやみません。 仏の基本は、一、悪いことをしない。一、良いことをしよう。一、人の為に役立とう。と云う事で、これは人間としての基本条件でもあります。 昨今はこの条件を守れない人が多くなったのだと思います。 中でも、社会でのリーダー的立場の人、政治家、企業家などに一番に考え直して欲しいことだと思います。 消費者を騙して、金儲けに走り、悪いと云うことを知りつつ売りさばくなどという事件が絶えません。 私たちは皆、仏になれる種を持って生まれてきています。 自分の中にあるその芽に気づき、育てていかなければなりません。 私たち一人一人、大きな使命を持って生まれてきました。 この大いなる自然を前にして、人の一生で、成し遂げられるものはしれています。 しかし、私たちはこの命を受け継いで、生死を繰り返し、引き継いでいくのです。 そういう意味で、あなたも私も、みんな光り輝いているのです。 まずそれを信じることが大切です。 そして社会のリーダー的な立場の人が、国民、庶民を思いやる慈悲の心が光り輝き、我々に希望を持たせ、生き甲斐を与えるように願いたいものです。 この一年、このような願いをもって生活しようではありませんか。 書写山円教寺第百四十世長吏巳講大僧正 大樹孝啓 いかがですか? 私ももう一度、初心に返って思いやりの心を持ち続けて、この一年を充実した一年にしたいと思っています。 その後、姫路城に行って撮ったのが上の写真です。 工事に入ると見られなくなるので、せめて初日の出は姫路城から見たいと思い、朝6時頃から並んでいました。 姫路城本丸から見た初日の出。お(・∀・)め(・∀・)で(・∀・)と(・∀・)う! 新年の姫路城。
Jan 2, 2009
年があらたまるとき、三好達治の詩のこんな一節が頭に浮かぶ。 ひととせふれば年はあけ また新年となりました 一年が過ぎ、次の一年が始まる。歳月の流れは変わることがない。 そのたびに新鮮で、前向きな気分にさせられるお正月だが、ことしは少し様子が違う。 この先、待ち受ける厳しさに、多くの人が身を硬くしているかのようだ。 無理もないだろう。 世界同時不況が現実味を帯び、あれだけの収益をあげていたトップ企業が一転、営業赤字に陥る。 解雇されて住まいまで失う人が増えていく。 ただならぬことが目の前で起きている。 海の向こうの危機が、たちまち押し寄せた。 同じように一年一年を重ねるうちに、いつか私たちの豊かさは不安定で危うい土台の上に立ってしまっていたようだ。見失ったものとは グローバル化や金融システムのゆがみ、規制緩和など多くの要因が語られる。 ここ数十年来、経済活動を律してきた考えが底流にあることは間違いないだろう。 この間に、私たちは何を得て、何をなくしてきたのか。 それぞれが身の回りを振り返り、考えてみるときだ。 現実をしっかりつかみ、これからを見据えたい。 年の初めは、いい機会である。 たとえば、熟練の技を訪ねて原点を探るのもいいだろう。 神戸市東灘区の中井松幸さん(73)は、靴づくりで長いキャリアをもつ「神戸マイスター」だ。 四畳半ほどの仕事場。 作業の合間に「革と仲良く引っ張り合わんと」と話す。 同じ革でも部分によって柔らかさは違う。 感触をたしかめ、手に込める力を変えながら進めていく。 そうすると形くずれしないのだそうだ。 修理を頼まれた靴の底のすり減り方を見ると「勉強になる」ともおっしゃっている。 予想していない減り方なら、次に生かす。 半年前の注文も手つかずだが、ペースは変わらない。 長い間、値段も変えていないそうだ。 作り手と商品や客とのつながりが見える仕事場にいると、国境を超えて巨大化したものづくりとの距離を実感する。 お金が人間を振り回し、「派遣切り」などの言葉が飛び交う。 そんな世界が遠くかすむ。 気になるのは、経済活動の姿をじわじわと変えてきた流れが、それ以外にも浸透しているのではないかという点だ。 社会のいろんな場面で競争や効率が求められ、成果をあげなければならない。 勝ち組と負け組に分かれれば、もっぱら語られるのは自己責任。 いったんしくじると、立ち直るのは難しい。 その果てに、人間やいのちを思いやる感性が薄れていくようなら、深刻というべきである。 ここでも、私たちが置き去りにしたり、見失ったりしたものがあるに違いない。 現状は「百年に一度の危機」という。 たしかに、世界経済を襲った激震は一九二九年の大恐慌に匹敵するといっていい。 国際協調をさらに強め、かつてと同じ道をたどることは避けねばならない。 ただ、次の時代を切り開く考えが生まれたのも、大恐慌のなかからだった。 いま再び、社会のあり方を根底から問う作業が求められていると受け止めたい。 百年に一度の危機を、新たな潮流を生む百年に一度の機会にすることだ。 人と人がつながる 「アラフォー」に「グー!」。 昨年の流行語大賞に選ばれた言葉だが、相次ぐ食品偽装に怒る主婦が漏らした一言の方が「変」の年にふさわしいかもしれない。 「いったい何を信頼したらいいのか、分からなくなった」 不安定さ、危うさが目につく暮らしに、確かさを取り戻さないといけない。 もちろん、大きな枠組みに頼らざるを得ない部分は多いが、いまの危機のなかでのぞいた欠陥やほころびに目を向ければ、身近でできることも浮かんでくるだろう。 不信の広がりに歯止めをかけ、信頼を再構築する。 分断や孤立ではなく共生をめざす。独断ではなく共感、協力にかける。 まずは、私たちの足元から、そうした価値観や規範を大切にして、人と人、人とモノ、人と地域をつなぎ直したい。 心強いことに、問題意識をもった取り組みが兵庫県内の各地で続いている。 分野はさまざまだが、あらためて生きる基盤を固めようという点では共通する。 そうした実践を通じて、年始を覆う重苦しさを乗り越える手がかりを探ってみたいものだ。
Jan 1, 2009
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