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麦秋である。 麦が黄色く熟れる季節で「麦の秋」とも言う。 パンや麺(めん)の需要が高まっている半面、麦にかかわる風景は縮小している。 それもそのはず、自給率が10%を少し越えた程度と聞けばうなずける。 秋に種をまき、冬の麦踏み、晩春の青麦から熟れ麦へ、季節ごとの表情を見せてきた。 俳人の宇多喜代子さんは「この郷愁にみちあふれた田の風景を共有できるのも、昭和30年代の日本を知っている世代で終(おわ)りとなる」(「わたしの歳事ノート」富士見書房)と書いている。 麦わらのストローは、とっくの昔に姿を消した。 いまでは子どものおやつとして、おちらし(はったい粉)などは日常的でない。 「麦藁蛸(むぎわらだこ)」と言っても、すぐには共感が返ってこない。 「麦扱(こ)き」も、ほとんど死語である。 しかし、神話の時代から米とともに重視された麦。 「古事記」には、須佐之男命(すさのおのみこと)に殺された食べ物の女神、大気津比売(おおげつひめ)の神の亡きがらから、蚕や五種の穀物が生まれる。 陰処(ほと)に生えたのが麦だという。 古事記説話を知らなければ「陰(ほと)に生(な)る麦尊けれ青山河」(佐藤鬼房)の句は鑑賞しにくい。 この季節、麦畑は黄金の山河。 香川には県独自で開発した小麦「さぬきの夢2000」があり、作付面積1482ヘクタールと、讃岐うどんのため気を吐いている。 健康食としても、見直されている麦類である。 麦の原産地や伝わってきた国は、おおむね乾燥地帯である。 麦秋とはいえ、早明浦ダムの貯水率まで、70%を割る必要はない。
May 31, 2009
役所をつくれば競技力が上がって、金メダルが量産されるということなのか。 スポーツ庁の新設などを提言した政府の教育再生懇談会の第四次報告の中身が明らかになった。 ほかにスポーツ基本法の制定や国際大会の招致に向けた国の積極的な取り組みなどが盛り込まれている。 スポーツ行政の主たる所管は文部科学省だが、障害者スポーツなどは厚生労働省が受け持っている。 新庁構想はこれらを一元化し、国策としてスポーツに取り組もうというものだ。 「する」「見る」「支える」。 老若男女、健常者も障害者も誰もが同じようにスポーツを楽しむ。 そのために縦割り行政を廃し、スポーツ文化を醸成していく。 そんな理念を持った役所なら大いに歓迎したい。 しかし、報告を見る限り、どうもそうではないらしい。 休廃部が相次ぐ企業スポーツや子どもの体力低下を指摘したうえで、国際大会などでの成績に触れ「わが国の国力に見合ったものからはほど遠い」と低迷を嘆いている。 これでは「メダル至上主義」を声高に叫んでいるのと同じだ。 教育を考える懇談会の報告とは思えない。 エリート育成のために役所がつくられるとしたら本末転倒である。 再生懇のいうスポーツ庁の危うさがここにある。 確かに国際大会や海外での日本人選手の活躍には胸が躍る。 子どもたちに夢を与える存在でもある。 しかし、それを「国力」と結び付けて語っては、スポーツの本質を見誤ることになるのではないだろうか。 健全な心と体をはぐくむ。 それがスポーツの原点ではなかったか。 最近、中学生のフットサル大会で、次の試合を有利にするため、わざと自分のゴールにけり込んで負けた試合が問題となった。 学校現場にも「勝ちさえすれば」という風潮が入り込んでいるようにも見える。 報告が勝利至上主義を助長するものにならないか心配だ。 再生懇にはもっと本質的な論議を深め、その中からスポーツ行政のあるべき姿を示してほしかった。 国会でも超党派の「スポーツ議員連盟」が、新庁創設を盛り込んだスポーツ基本法の制定を目指している。 再生懇の報告を追い風に、六月半ばまでには法案としてまとめ、今国会に提出する方針だという。 各地にサッカーのJリーグチームができ、野球やバスケットボールの独立リーグが誕生している。 日本のスポーツ界は学校、企業中心から少しずつ姿を変え始めている。 この過渡期に国も私たちもスポーツに対して、どう向き合っていけばいいのか真剣に考える必要があるのではないだろうか。 拙速な論議の中で生まれた「スポーツ庁」では禍根を残すことになりかねないと思う。
May 31, 2009
過疎の島を舞台にした世界規模の芸術祭。 初めて聞いた時は海とも山ともつかぬ話だと思ったが、お手並み拝見を決め込むうち、壮大な構想は一つ一つ形を持ち、ついに現実のものとなった。 来夏、直島など瀬戸内海に浮かぶ7つの島々で行われる「瀬戸内国際芸術祭」。 先ごろ東京であった記者発表会で、芸術祭の総合プロデューサーを務める福武総一郎氏が語った言葉が印象に残る。 人は、いい地域に住まなければ、どんなに努力しても幸せにはなれない。 いい地域とはどんな場所か。 お年寄りの笑顔がいい所である。 直島で現代アートを主体にした芸術活動を始めて20年近く。 地元と触れ合う中でたどり着いた結論だという。 福武氏といえば、教育産業で知られるベネッセコーポレーションを率いる実業家。 一般的には、これがむしろ本来の顔だろうが、「金融資本主義が幅を効かせる世の中で、努力すればするほど精神的に孤独になる」。 そんな風にも語った。 他の人のことなのか、自身のことを言っているのかは分からない。 しかし、経済と文化の両方の世界に身を置く中で、氏は高齢化が進む過疎の島々に巨費を投じる価値を見い出した。 理由はお年寄りの笑顔が素敵な土地だからだそうだ。 移動手段が船という不便な離島を舞台にした国際芸術祭など、おそらく世界に例がない。 海とアートと、歩いた人生を映し出す年季の入った笑顔。 豊かさとは何かを測る新しい物差しが、この美しい島々から生まれるといいなあ。
May 30, 2009
麻生太郎首相が検討を指示していた厚生労働省の分割案は、「最初からこだわっていない」という首相の一言であっさりと白紙に戻った。 関係閣僚や自民党内から激しい抵抗にあったためで、長期的な課題にトーンダウンしてしまった。 首相は、消えた年金記録問題などで厳しい批判にさらされる厚労省の機構改革を打ち出せば「生活重視」の姿勢をアピールできると踏んでいたようだ。 指示からわずか十日後の「撤退」は、首相の指導力不足と言葉の軽さをあらためて印象づける。 発端は十五日の安心社会実現会議で、首相が分割構想を表明したことに始まる。 メンバーの提言を受ける形で「単に二分割するのでなく、国民の安心を所管する省を強化する発想で考えてはどうか」と述べ、医療、介護、年金などを所管する「社会保障省」と、雇用や少子化などを担当する「国民生活省」に分ける持論を力説した。 十九日の経済財政諮問会議では、与謝野馨経済財政担当相に厚労省の分割と、文部科学、厚労両省に分かれている幼稚園と保育園の一元化の検討を指示。 舛添要一厚労相や与党は「寝耳に水」だったという。 厚労省は二〇〇一年の省庁再編に伴い、旧厚生、労働両省を統合して生まれた。 年間予算が二十兆円を超えるマンモス官庁だ。 年金記録問題や雇用対策、新型インフルエンザ対応など国民生活を直撃する課題が押し寄せ、舛添厚労相が「体一つでは足りない」と悲鳴を上げるのも無理はない。 所管の広さは統合した時から分かっていたことだ。 深刻さを増す医師不足や、仕事と住まいを同時に失うような安全網のほころび、少子化なのに減らない保育園の待機児などの問題は厚労省の分割で解決するものではない。 社会情勢に応じた再編を省庁全体で議論するなら意味はある。 しかし、その前に問われるべきは、縦割り行政の弊害をなくし政治主導で効率的な行政を実現するという再編のメリットが、必ずしも生かされていないという点だろう。 仮に再々編を進めるとしても、縦割りを乗り越えて組織が機能しているか、機能していないとすればどこに問題があるのか、などについて検証しないままでは新たな縦割りを生むことになりかねない。 省庁のあり方は目指すべき社会の姿につながる。 少なくとも衆院解散まで四カ月を切ったいま、思いつきのように語っていいテーマではない。 じっくりと国民的な議論を深めるべきではないだろうか。
May 30, 2009
きのう、その人は大事な会議に姿を見せなかった。 肩書は最高顧問である。 欠席の理由は「自身の都合のため」としか伝えられていない。 野球の関西独立リーグ代表者会議でのことだ。 運営会社の撤退騒動で揺れる中、何ともふに落ちない欠席の理由である。 今年一月の講演会でその最高顧問、元西武の石毛宏典氏はこう言った。 「私を駆り立てるのは愛。地域の人と夢を追いかけたい」。 もう愛は冷めてしまったのだろうか。 それにしても、お粗末な撤退騒動だった。 球団への分配金の未払いが明らかになったとき、運営会社の社長は「理念に沿わない球団があり、分配を保留している」と説明した。 ふたを開ければ、そもそも資金がなかったようだ。 独立リーグには、選手はもちろん、裏方のスタッフや支援企業、自治体、そして多くのファンの「夢」が詰まっている。 各地では、地元出身選手の後援会をつくる動きも広がる。 これらは、ちょっとやそっとで冷める「愛」ではない。 十一人でプレーするサッカーでは、背番号「12」をサポーターのものとするチームが多い。 これにならって、プロ野球の楽天は背番号「10」をファンの番号とする。 ロッテも、一軍枠の二十五人に次ぐ「26」をファンにささげベンチにそのユニホームを掲げる。 独立リーグの選手や関係者は、地元で遠征先で目を凝らしてほしい。 いろんな人の背中に、10番と26番が浮かび上がってくるはずだ。
May 29, 2009
電車の中でマスクをしていないと他の乗客の視線が気になったひところに比べ、マスク姿は少なくなったように思われる。 神戸で新型インフルエンザの国内初感染が確認されて十日余り。 市民生活は少しずつ落ち着きを取り戻しつつあるようだ。 神戸市の矢田市長がきのう、「ひとまず」とことわって「安心宣言」を発したのも、それを踏まえてのことだと思う。 矢田市長は「一週間の休校、休園が集団感染を防ぐのに役割を果たした」とし、感染が終息傾向にあると指摘した。 それでも各地から感染者発見のニュースが伝えられ、神戸などでも散発的に出ている。 新型ウイルスは潜んでいるとみるのが自然で、まだ「安全」といえる状況ではない。 患者の発生動向に目を凝らし、警戒を怠ってはならない。 ただ、過剰に警戒したり出控えたりする必要はない、というのがメッセージに込められた真意だろう。 商店街は一時閑散とし、修学旅行生も来なくなった。 学会は中止、延期となり、企業活動にも大きな支障が出ている。 特に修学旅行のキャンセルや延期などの動きは全国に広がっている。 バスや列車で関西を通過するというだけで中止したケースもあるというから深刻だ。 条件付き安心宣言には、こうした過剰ともいえる反応や風評被害を沈静化させ、関西に人を呼び戻す狙いもあるのだろう。 最初に感染者が見つかった神戸や兵庫県で混乱したのは、新型の豚インフルエンザの毒性は弱いとされたものの、本当の姿がわからないまま国の新型対策に沿った厳しい対応を迫られたからだ。 毒性を見極め、それに応じた備えを適切に行うことで混乱は避けられる。 例えば神戸市がいち早く医師会の協力を取り付け、指定医療機関以外での診療と在宅での対応方針を示したことは一つの答えになるのではないだろうか。 県や大阪府のほか、神戸、京都など政令指定都市の幹部らが、市民の健康を守ることと併せ、社会、経済活動の維持を国に求めたことにも重要な意味がある。 感染拡大の阻止と、社会機能の維持という二つの要請をどう両立させるか。 今回の新型インフルエンザ対策で、あらためて見えた課題であり、克服に向けて国、地方挙げて態勢を整えることが重要だ。 ひとまずの安心宣言とはいえ、患者は九州にも広がり、油断してはならないと思う。 一人一人が新型への正しい知識を持ち、備えを固めることが、この先も最大の防御となる。
May 29, 2009
「上から目線」。 きのうの党首討論で民主党の鳩山由紀夫代表が、麻生太郎首相の政治姿勢を評した言葉だ。 辞書を調べたが、そんな文句は見つからなかった。 柏崎出身の言語学者、北原保雄さんの編著で発売間もない「あふれる新語」(大修館書店)にこの言葉があった。 文字通り、「他人に対して上から発言・行動する、分かった風な姿勢」とある。 この新刊は中高生からホカホカの造語や流行語を公募し、十万語から千二百語を選んでいる。 若者の心根を読み解こうとする北原さんの懸命な解説ぶりが楽しい。 両党首に耳打ちしたい政治銘柄もある。 「アべる」は、嫌なことから逃げること。 「今日の部活はアべるから」などと使う。 「福田さんモード」は、そんなこと聞いてないとシラを切り始める状態を指す。 近年の筆頭格は「KY」だろう。 麻生首相の功績で「空気読めない」に「漢字読めない」の意味が加わった。 オバマ米大統領の「チェンジ」に対し、次々と総理が変わる日本は「チェンソー」。 一枚岩が崩れれば、民主党も「二枚岩」と呼ばれかねない。 党首討論は十年前に始まった。 トップバッターはくしくも鳩山代表だった。 小渕恵三首相を相手にした当時の討論内容を知り、がくぜんとした。 きのうとまったく同じ企業・団体献金の禁止ではないか。 「抜け道は考えない」と小渕首相は応えていた。 この十年、「政治とカネ」はいったい何が改善されたのか、がっくりする。 「鬼太郎(きたろう)」。 こんな新語もある。 漫画の題名をもじり、「ゲゲゲの下下下」最低という意味だ。
May 28, 2009
国際オリンピック委員会(IOC)が来年の第1回ユース五輪の準備を加速している。 シンガポールで開かれる14歳から18歳までの総合競技大会だ。 世界的に増加傾向のみられる離婚が、若者のスポーツに親しむ機会を奪う脅威となっている、とIOCは言う。 IOC理事でもあるウン・セルミャン大会組織委会長は「家庭崩壊が進む中、この大会を開く意義は大きい」と話す。 若者のスポーツ離れの問題はこれまで、比較的経済的に恵まれた家庭のそれが注目を集めてきた。 テレビやパソコンを見る時間が長くなり、表に出て体を動かさなくなっていると。 しかし経済的に恵まれない環境の子どもがスポーツに接する機会が少なくなるのなら、こちらの方がより深刻かもしれない。 離婚で母親と暮らす子どもは、父親とスポーツをしたり観戦したりする機会を失う。 また家計の収入減からスポーツ活動を続けられなくなるケースもある。 ユース五輪では競技成績は二の次だ。 参加選手にフェアプレー精神の大切さを説き、薬物使用の危険を訴え、対戦相手と審判に敬意を払う意義を教える。 長く商業的成功を追い求めてきたIOCが、積もり積もったほこりを取り除こうと、五輪の教育的な価値にもう一度、光を当てようとしている。 多くの社会問題の中で、世界の青少年はもがいている。 スポーツを通じて学べる理念や価値観に触れる機会すらない若者もいる。 IOCは、彼らに勇気を与えるメッセージを送ろうとしている。
May 28, 2009
年老いた私がある日今までの私と違っていたとしても・・・。 そう始まる樋口了一さんの歌「手紙~親愛なる子供たちへ~」が話題だ。 作者不明のポルトガル語の詩を歌にした経緯は「千の風になって」にも似る。 ところがこの歌の場合、賛否両論がある。 歌われているのは認知症介護だ。 お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい…。 いやがるあなたとお風呂に入った懐かしい日のことを。 そんな歌詞が多くの人の琴線に触れ、涙を誘った。 しかし介護経験者の中には、冷ややかな声も少なくない。 「実際はこんな甘いもんじゃない」とある女性。 「そう簡単にこんな心境にはなれない。感動しているのは介護をあまりしていない人では」。 介護疲れのさなかに歌を紹介され、歌の理想に責められた気がして苦しんだ人もいる。 親に愛されず、そんな気になれない人もいるだろう。 親としても、まるでギブ&テイク、自分ならこんな手紙は書けないという人もいる。 感動する人が多いのも反発する人が少なくないのも、介護がそれだけ身近な証拠。 「千の風―」ほど万人受けしないのは、そこで問われた死生観以上に、介護は現実問題として人々を悩ませているということだ。 ただこんな話も聞いた。 「長く介護するうち、親というより、一人の老いた人間として送ってやりたいと思えてきた」。 それはまさに歌の世界と重なる。 少なくとも今から介護を始める人にとって、歌で一つの着地点を知っておく意味はありそうだ。
May 27, 2009
松山市堀江港-広島県呉市阿賀港の呉・松山フェリーが存続を断念し、来月いっぱいで廃止することを決めた。 瀬戸内しまなみ海道に客足を奪われていたところに燃料高騰で経営が悪化。 この春始まった高速道路や本四連絡橋の大幅値下げが追い打ちをかけた。 二年間限定のいわゆる「千円高速」である。 堀江港唯一の発着便で、いったんなくなれば港湾施設の維持管理も難しくなり、航路復活はまず望めないという。 松山観光港-呉・広島航路があるとはいえ、利用者や地域への影響は避けられない。 雇用情勢の厳しい折、船員ら従業員約六十人が職を失うのも気がかりで、再就職に万全の支援が必要だ。 同じような事情から、今治市波方-広島県竹原市のフェリーが四月末、廃止になったのは記憶に新しい。 愛媛県と広島県とは歴史的に結びつきが深い。 近年も知事や経済界トップ同士が会談を重ねてきた。 航路が細ることによって互いの県民意識を疎遠にしてはならない。 それにしても、このところの減便や廃止の加速ぶりには強い危機感をおぼえる。 阪神-大分航路の県内寄港削減もあるが、とりわけ生活に欠かせない身近な航路への打撃は深刻だ。 今治市伯方島-広島県因島のフェリーが燃料高騰で昨年姿を消すなど、廃止や一部廃止が相次いでいる。 今治市-大島航路はフェリーの大幅減便を余儀なくされた。 さらなる波及が心配だ。 高速道値下げで遠隔地からの観光客が急増、集客施設などは恩恵をうけている。 とはいえしわ寄せで公共交通機関が荒廃し、住民が不便を強いられるのでは本末転倒だ。 それでも政府、与党からは千円高速の夏休み平日への拡大や、二年後以降の継続を求める声があがっている。 ジレンマに直面する地方とのずれを感じてしまう。 この問題で忘れてならないのは、値下げが受益者負担から国民負担へのつけかえでしかないことだ。 千円高速の財源は五千億円の霞が関埋蔵金だ。 これとは別に昨秋から実施中の割引などに、道路特定財源の一般化分から十年間で二兆五千億円を充てる。 千円高速を続けるには新たな財源確保が迫られる。 一方で元に戻すのは国民に値上げと映りかねず、政治的に難しい決断となる。 なにより地域の公共交通機関を荒廃させてその後は知らないというのでは、あまりに無責任すぎではないだろうか。 すべては交通体系がどうあるべきかの広い視野を欠いた場当たり的政策の犠牲だ。 値下げが国策である以上、公共交通機関維持に国が責任を果たすのは当然だ。 政策の妥当性を問い続けたい。
May 27, 2009
「金さんの仲間入りをしない井戸はない」。 朝鮮半島のことわざだ。 朝鮮には名字が三百弱しかなく、ほとんどが一字だ。 金が一番多く、李、朴と続く。 井戸ひとつ掘るにも、井戸端会議をやるにも、金さんが顔を出す。 それほど「金」の姓が多いという意味らしい。 この成句も北朝鮮では、別の解釈をした方がよさそうだ。 「先軍政治」を標ぼうする独裁体制だ。 井戸どころか、国家の大事はすべて、金さんとその仲間が仕切るのだ。 金正日総書記は最高ポストを世襲し、次は誰かと、三人の子どもに注目が集まる。 その国が地下核実験を三年ぶりに強行し、短距離ミサイルも発射した。 四月に長距離弾道ミサイルを飛ばし、世界中から非難を浴びているさなかだ。 大病を患った金総書記は、「意識がかすむ時もある」と先日報じられた。 そんな人が「核のボタン」を操っていると思うと、背筋が凍る。 意中の土産を手に入れるまで、駄々をこねまくる。 核兵器は子どものおもちゃではない。 人工衛星の名目でミサイルを発射したその日、米国のオバマ大統領はプラハで歴史的演説をした。 「核兵器を使用したことがある唯一の国として道義的責任がある」と述べ、率先して行動する決意を表明したのだ。 これを受け、核軍縮へ世界が動きだそうという時、狙い澄ましたように、逆さまのことをして耳目を集める。 「澄んだ井戸も一匹のドジョウで濁る」。 こんなことわざも朝鮮にある。 「瀬戸際外交」などもはや通じない。 国際社会は北朝鮮を井の中のドジョウにしてはならない。
May 26, 2009
手足の不自由な人やお年寄りの手助けをする「サービス介助士」の資格を取る人が増えている。 駅や空港、スーパー、金融、ホテルなどで導入が相次ぎ、現在約5万6000人。 接客サービスの向上が狙いのようだ。 NPO法人「日本ケアフィットサービス協会」(東京)が認定する民間資格。 高齢社会の進展で、要介護者でなくても外出などではちょっとした手助けを必要とする人も多い。 そうした身近なケアの知識や技能を身につけてもらうのが目的だ。 約半年の通信講座で自宅学習し、2日間の実技教習を受けて検定試験に臨む。 実技教習では特殊なゴーグルや手足に重りを付けるなどで高齢者の疑似体験をしたり、車いすの操作法や視覚・聴覚障害者への介助法などを学ぶ。 費用は1人3万9900円。 介護保険とほぼ同時期にスタートし、当初は年間100―300人程度だったが、最近は年間1万人を超えるほどに急増した。 「これまで目を向けなかったところが見えてきた」など好評だという。 同協会の目標は共生社会の実現。 世代を超えてすべての人々が安心して生活できる環境をつくりたいとする。 資格を地域の福祉リーダー養成に活用する自治体も出てきている。 一般向けの2級とは別に、中高生向けの3級も昨年新設した。 学校の授業などで取り入れてほしいそうだ。 かつては日常生活の中で身につけた高齢者らへの気遣いだが、核家族化や地域社会の崩壊でそういう機会が失われてしまった。 資格取得は一つのきっかけになると思う。
May 26, 2009
暦の上では十日間をひとまとめにして「旬(じゅん)」と呼ぶ。 「上旬」や「下旬」と言うときの「旬」である。 時の移ろいを実感し、やがて来る新しい季節を予感させる言葉だ。 しかし、きょうまでの「旬」をどう振り返ればいいのか。 神戸で国内初の新型インフルエンザ感染が確認されてちょうど十日。 「まさか、わがまちで」が現実になった衝撃は今なお続く。 事態の進展に地域全体が息を詰めた十日間だった。 それにしても、「見えない敵」とはこれほど不気味なものか。 患者が確認されたとき、ウイルスはすでに地域に入り込んでいた。 その影におびえるうち、私たちの住む関西全体が他地域から、「要注意」とみられていた。 相手の見えない不安が、そのまま全国に伝わったのか。 マスクが店頭から一斉に消えたのも不安が高まった一因といえる。 値をつり上げる動きもあった。 しかし、見知らぬ同士が店頭でマスクを譲り合う姿もみられた。 こうした人の姿こそ、しっかり記憶にとどめたい。 学校や幼稚園がきょうから本格的に再開した。 子どもたちが元気に登校、登園する姿を見て多くの人が胸をなで下ろし、笑顔で見送っていた。 私たちの地域は普段の感情と動きをどこまで取り戻せるだろうか。 国内感染は収まっておらず、警戒を緩めるわけにはいかない。 それでも明日からはウイルスでほころんだ心を少しでもつくろい人の絆(きずな)を結び直す。 そんな「旬」にしたい。
May 25, 2009
先月、大阪市の女子児童が遺体で見つかった事件で、母親と、同居の男性が保護責任者遺棄致死容疑で再逮捕された。 すでに二人は女児の遺体を奈良市内に捨てた死体遺棄罪で起訴されている。 今回、虐待や保護者としての責任放棄の容疑も固まったということだろう。 捜査本部によれば、同居の男性は女児に殴るなどの暴行を加えたり、食事を与えなかったりして日常的に虐待していたという。 衰弱した女児を二人は放置し、保護者としての責任を果たさず、死亡させた疑いが持たれている。 さらに、男性は女児が死亡する前日に激しい暴行を加え、自力で立てない状態でベランダに十時間以上も放置したとされる。 なんというむごい仕打ちだろう。 今回の虐待死は、周りがもう少し踏み込んだ対応をしていたら、防げたかもしれない。 学校側が女児のあざに気づいていたが、虐待とは考えていなかったという。 まもなく欠席がちとなったため家庭訪問しようとしたが、親から拒まれたという。 その際、立ち入り権限を持つ児童相談所(児相)に連絡して対処しておけば、と悔やまれる。 児童虐待を止めるには、兆候を敏感に受け止めて、児相へ連絡することが一番大事だ。 これが防止への生命線といってもいいのではないだろうか。 周囲は一歩踏み込んだ勇気を持って臨むことが大切だ。 児相は、昨春施行された改正児童虐待防止法で、強制立ち入り調査など権限強化されている。 警察とも連携して対処できるようになった。 背景には、とどまることを知らない児童虐待の増加がある。 児相への相談件数は、急増しており、一昨年度には全国で四万件を超えた。 深刻極まりない状況である。 その中で、改正法はまだ機能しているとはいえない。 昨年、警察が摘発した十八歳未満の虐待事件は三百件余りの過去最多となり、死亡例が前年より八人多い四十五人にものぼった。 今年になっても、せっかん後に死んだ男児を冷蔵庫に放置して親が逮捕された小野市のケースなど、事件が絶えない。 法律が強化されても、児相の人員不足など体制が十分ではない。 また、学校や地域社会が虐待防止への意識が高まらないと実効性には欠ける。 こうした課題を乗り越えるためにも今回の事件を徹底的に検証する必要がある。 そこから対策へのヒントや教訓を得て欲しい。
May 25, 2009

ホタルが見れるという場所は、姫路城の傍に位置している「好古園」という姫路藩主の下屋敷があった最大の庭園の中にあるのです。 暗くなるまで時間があったので、散策してみました。 少しご案内しましょう(^_^)v 中に入ってみると以外に広くて、森林の香りと小鳥のさえずりが何ともいえない別世界に来たみたいに風情があって新鮮な気持ちにさせてくれます。 お屋敷の庭と呼ばれるところで、この大池には約250匹の錦鯉が彩りを添えています。 竹の庭と呼ばれるところで、15種類の竹が植えられています。 築山池泉の庭と呼ばれるところです。 ここも情緒があって素敵なところです。 人面魚を見つけました(*^_^*) いよいよ暗くなって、ホタルが出たというので、何度もシャッターを押したのですが、結局一枚も写せることができませんでした。(´・ω・`)ガッカリ・・・ 中央の石の下の草むらにほのかに光りが見えていましたが・・。 あちこちで光っていたのでシャッターを押しましたが、何も写っていませんでした。
May 24, 2009
自分のせいでみんなに迷惑をかけた。 そう思っていたみたいで。 インフルエンザより、ふさぎ込む様子が心配でした。 新型インフルエンザに感染した高校生の母親に聞いた話の内容だ。 本人は少し体調が悪かったものの、気にせず普段通りの生活をしていた。 休校後は、社会の騒ぎにショックを受けて、テレビや新聞を見なくなったという。 両親は気遣って声をかけ、友だちからは励ましのメールが届いた。 母親はこう話したという。 「ようやく表情が明るくなってきた。これまでは夫も仕事に忙しく、すれ違いが多かった。でもこの一週間は、マスクをしながらでも、話す機会が多かった。いい時間を過ごせたと思うようにしています」。 東京で感染が確認された女子高生も「迷惑をかけて申し訳ない」と言っている。 彼女のもとにも、心を和らげる言葉が届いているように。 そう願わずにいられない。 米国では新型インフルエンザに備えて家族で地域で、職場で話し合うよう呼びかけているようだ。 例えば両親が倒れたら、子どもはどこに助けを求めればいいのか。 「みんなで生き抜くための話し合いをしよう」と呼びかける。 この一週間で気付いたことは? そんなことからでもいい。 いっぱい話し合って、これからの備えとしたいものだ。
May 24, 2009
新型インフルエンザの感染拡大が、地域経済を直撃している。 兵庫県内のホテルや旅館では宿泊や会議などのキャンセルが相次いでいる。 あるホテルでは、八割台を見込んでいた客室稼働率が二割台に急落した。 「なんでまた神戸で」。 業者から悲鳴が聞こえてくる。 宿泊キャンセルは七万七千人を超えている。 流通への影響も大きい。 厳しい消費不況のさなかである。 「客が半減した」という商店街、臨時休業に踏み切った地下街。 地域商業が受けたダメージは計り知れず、経済危機に追い打ちをかけている。 兵庫、大阪などでの経済損失は八百億円に上るという試算がある。 神戸商工会議所は地域経済に多大な影響が出ていることを重視し、支援措置を国に求めていく。 その際、風評被害を含めて影響をきちんと把握することが大切だ。 その上で、政府などに適切な対策を要請をすべきだ。 いま企業に重くのしかかっているのは、従業員の感染防止と業務の継続という二つの差し迫った課題だ。 そこで大切になるのは、各企業の実情に合った「事業継続計画」の策定や見直しだろう。 今後、影響がどう広がっていくのか分からないが、必要不可欠な業務が続けられる態勢づくりが、より重要になると思う。 阪神・淡路大震災の教訓で、多くの企業が危機対応のマニュアルをつくっているが、今回のような弱毒性の新型インフルエンザに対応したケースは少ないという。 感染防止対策を徹底しながら、重要業務を途切れさせない。 そうした計画を早急に練り直す必要がある。 政府のまとめた新型インフルエンザ対策ガイドラインは、重要業務の絞り込み〇人員計画の立案〇代替要員確保のための班交代制の採用などを挙げている。 いずれも基本的に欠かせない項目である。 金融機関や小売業などはこうした計画がとりわけ重要になる。 市民生活を支えるインフラ的な分野だからだ。 大震災の時も、金融機関の店舗、スーパーなどの小売店がすぐに営業を再開したことがパニック回避の大きな要因になった。 初めて経験する新型インフルエンザ禍に、各企業は戸惑っているだろう。 感染拡大に警戒しつつ、業務を続ける。 危機を乗り切る個別企業の努力とともに、地域が連携して経済活動を支える姿勢が欠かせない。
May 24, 2009
テレビの学園ドラマには、視聴者から一定の需要があるのだという。 いつの時代も児童、生徒はいるからだと説明を受け、なるほどと納得した。 教師役の存在も大きいそうだ。 人気俳優にあこがれ、教育の道を志した人もいることだろう。 古くは「熱中時代」の水谷豊さん、「3年B組金八先生」の武田鉄矢さん、最近は「ごくせん」のヤンクミこと仲間由紀恵さん、「ルーキーズ」で川藤(かわとう)先生役の佐藤隆太さんらが人気らしい。 ともに苦労して教師になり、熱く教育を語る姿が印象的というが、あくまでドラマの中の話だ。 現実に目を転じると、教師を志願する学生が年々減っている。 大学の教育学部の定員減、いじめや不登校など教育問題の深刻化が背景にあるという。 県教委は教師の魅力を伝えようと、大学生に教育委員長名の手紙を送ったそうだ。 教員志願者の減少に悩んでいるのは東京都も同じのようで、こちらは他の県教委との共同選考を検討するという。 他県の一次試験に落ちた学生の中から成績上位者を、都の試験に合格させる仕組みで二年後の導入を目指している。 教員志願者の争奪戦が勃発(ぼっぱつ)しそうな気配だが、あらためて「教師とは」「教育とは」と考える機会にもなるだろう。 そんな中から、未来のヤンクミや川藤先生が誕生することを期待したい。 県教委の採用試験願書締め切りは三十一日だ。
May 23, 2009
自民党内の風向きが本当に変わったのだろうか。 それとも、総選挙前の単なるポーズに終わってしまうのだろうか。 党内論議の行方を注意深く見守っていきたいと思う。 自民党の党改革実行本部が、次期衆院選から国会議員の世襲制限に踏み切る方向で調整に入った。 同本部の素案によると、引退する議員の親族が、同一の選挙区から連続して立候補する場合は公認しない、と党の内規で定める。 現職の議員は対象外で、新人の世襲候補が制限対象となる。 実現すれば、公認が内定している小泉純一郎元首相の次男(神奈川11区)と臼井日出男元法相の長男(千葉1区)の公認が見送られることになるという。 国会議員の世襲制限で先手を打ったのは、民主党だった。 3親等以内の親族が同1選挙区から連続して立候補することを党の内規で禁止する、と決めた。 資金管理団体の代表者を3親等以内の親族に引き継ぐことも禁止する方針で、こちらは政治資金規正法の改正案を国会へ提出するという。 民主党は、こうした方針を政権公約(マニフェスト)に明記して、次期衆院選で世襲の是非を国民に問う構えだ。 父祖の引退や死去に伴って選挙区の地盤を引き継ぐ。 あるいは親族に国会議員がいる。 そんな世襲議員の比率は自民党の場合、ざっと4割に及ぶのだそうだ。 世襲制限の論議に反発する声は相当に根強い。 しかし、ここにきて「世襲制限をやらずに次の総選挙で民主党に勝てるのか」という意見が党内で強まってきた。 世襲制限の断行を求める議員連盟まで旗揚げした。 世論も強い関心を寄せる世襲問題でこれ以上民主党に後れを取ってはまずい、という空気を反映したのだろう。 自民党内の世襲制限論は「次の次の総選挙から」だったが、「次の総選挙から」と前倒しで調整するという。 ライバルの民主党を意識した対抗心がのぞく。 世襲を制限する親族の範囲をどうするか。 資金管理団体の継承問題にはどう対応するのか。 自民党の素案では、なお検討課題が多い。 世襲を制限した選挙区でも党公認の対立候補を擁立せず、無所属で出馬した新人の世襲候補が当選した場合、追加公認すれば「抜け道になる」と民主党は早くもけん制している。 もちろん、世襲議員にも立派な見識や政治的手腕を持つ政治家はいる。 職業選択の自由は憲法で保障された個人の権利だと主張する声も確かにある。 しかし、世襲議員がこれほど増えた現状を放置したままでいいのだろうか。 政界の門戸を広げ、多彩な人材が活躍できる仕組みを整えるべきではないだろうか。 それが新陳代謝を促し、新たな活力を呼び込むならば、ためらっている場合ではないはず。 まさに政治改革の一環であり、政党の構造改革ともいえる。 私たち有権者が、国民の視線に敏感な政党はどこかを選択する試金石の1つともなるだろう。
May 23, 2009
先日、アゲハチョウが庭に飛んできた。 昨年、柑橘(かんきつ)類やサンショウの木を植えたのが奏功したのだろうか。 華麗な羽の色や快活な動きを見ていると楽しい。 アゲハチョウのような虫を「完全変態昆虫」という。 幼虫からさなぎになり、全く違う姿の成虫になる。 さなぎから羽化する様子を見たことがあるが、背中が割れ、反り返るようにして次第に姿を現す。 時間をかけ、生まれ出るために苦闘している。 毎年この時期、大学生や新入社員が勉学や仕事になじめず悶々(もんもん)とし、いわゆる「五月病」にかかるころである。 「やる気が起こらない」「不安になり、焦る」。 そんな精神状態に陥り、疲労や不眠、食欲不振など心と体の不調を訴える。 最近は新入社員の研修期間や配属の関係で時期がちょっとずれ、「六月病」も増えているという。 医学的にはいずれも「適応障害」と呼ばれるそうだ。 症状が出やすいのは、まじめできちょうめんなタイプ。 それだけに自分の殻に閉じこもって、抑うつ状態が強まると、うつ病にもつながりかねないという。 さなぎが美しい成虫になるには、殻を破るエネルギーが必要だろう。 新しい環境に慣れるのに人も同様ではないだろうか。 しかし、自分の手に余るようだったら、一人で問題を抱え込まず家族や友人、医療機関に相談するのがいいと思う。 若者にはやはり元気な明るい笑顔が似合うのだ。
May 22, 2009
水泳男子二百メートル背泳ぎで入江陵介選手が打ち立てた世界記録は「幻」になってしまうのだろうか。 入江選手が着用したデサント社製の水着が、国際水泳連盟の認可リストに含まれていなかったことが明らかになった。 国際水連は記録公認の条件として認可水着の着用を求めており、世界記録と認められるかどうかは微妙らしい。 競技団体が定めた基準に合致していない用具を使った記録が公認されないのは仕方のないことだろう。 入江選手自身も「あの結果以上の記録を出すのが目標」と気落ちはしていない。 しかし、これで一件落着というわけにはいかない。 国際水連の基準が分かりにくいからだ。 審査に時間がかかり過ぎるという問題もある。 水着に関するすべての規格を数値化し、メーカーに誤解を与えない工夫が必要だ。 デサントの説明によると国際水連は、事前の問い合わせに「まず製品を提出してほしい」と応じたという。 この対応にも疑問が残る。 新しい水着の規格「ドバイ宣言」が打ち出されたのは今年三月だ。 素材の厚さや浮力に加え、「空気をためる構造は不可」などとしている。 入江選手のラバーと布を張り合わせた水着はこの構造基準に合致しないとされた。 繊維の質や織り方によっても空気を抱え込む量は違う。 「空気をためる構造」の中身を具体的に示していないことが混乱を招いたのではないだろうか。 用具の進歩が記録の向上を後押ししているのは水泳に限らない。 どこまでを適正と認めるかどうかは、スポーツ観にもかかわる。 競技が何であれ、新しい用具を使いこなすにはそれに対応した技術や体力が求められる。 選手の技量とパワーがあってこそ記録は伸びると思う。 選手が主、用具は従ではないだろうか。 昨年の新型水着騒動の渦中、北島康介選手は「泳ぐのは僕だ」とプリントされたTシャツを着て競技会に現れた。 入江選手も同じ思いに違いない。 記録が出やすいという理由だけで、新たな規格を設けるのが妥当かどうかも問われる。 選手の体に異常な負荷をかけたり、推進力を与えたりするような用具は論外だが、それ以外は幅広く認める方が実際的だろう。 ただ、日本水泳連盟が入江選手の記録を日本記録として公認するとしているのは不可解だ。 世界記録を上回ってしまうからだ。 国際水連に規格の変更や記録公認を求めることが先決だ。 日本の競技団体は、もっと国際的発言力を付けてもらいたい。 ジャンプ競技で繰り返された規則変更が日本勢を標的にしていたことは知られている。 特定の国やメーカーに有利、不利をもたらす改変などあってはならないことだ。
May 22, 2009
「言はうとしても言うべき自由がないのです、想(おも)うに百年の後、誰か私に代つて言つてくれる者があるだろうと考えて居ます」。 幸徳秋水の獄中書簡にある言葉だ。 明治四十三(一九一〇)年、天皇暗殺を計画したとして数百人が逮捕され、翌年十二人が絞首刑となった大逆事件。 秋水は首謀者の一人とされた。 政府が社会主義者に加えた弾圧だった。 審理は一審だけで、判決に不服など申し立てようもない。 証人も出廷させない非公開の暗黒裁判に、世界の批判が集まった。 日本の裁判史上最悪の冤(えん)罪(ざい)ともされる。 この国策裁判に抗し被告の弁護に立ったのが、新潟出身の「反骨」平出修である。 平出あての黄ばんだ封緘(かん)はがきは、検閲の墨や「可」の印が残っていたという。 一月十日に届いたという。 その八日後に死刑判決、二週間後には刑が執行された。 すでに処刑を覚悟していたのだろう。 歌人でもあった平出に文学論も披露していた。 そんな気遣いがなおさら、ぬれぎぬの悔しさを伝える。 きょうから裁判員制度が始まる。 市民の常識を司法に取り入れるという。 でも、大逆事件から百年たつというのに、冤罪は絶えない。 予防策と期待される取り調べの録画・録音も完全実施には程遠い状況だ。 平出は小説「逆徒」で大逆事件を告発するが発禁処分になる。 「俺(おれ)は判決の威信を蔑視(べっし)した第一の人である」。 短編はこう結ばれている。 司法新時代、秋水や平出の無念に市民裁判員が立ち会うことになる。
May 21, 2009
モノが売れない時代といわれて久しいが、好調に売り上げを伸ばしている事業もある。 純粋な民間企業ではないが、東京・南青山にある県のアンテナショップ「ふくい南青山291」が好例だ。 昨年度の売上高は前年度比約30%増となり開館以来最高を記録した。 苦境にあえぐ県内企業がその経営戦略から学べる点も多いのではないだろうか。 南青山291は、県のビジネス支援センターとして2002年4月、南青山5丁目にオープン。 伝統工芸品から食まで県産品を販売するアンテナショップはその一階にある。 県の施設だが、08年4月から大手広告代理店の「アサツーディ・ケイ」(本社東京)に運営を委託している。 昨年度の売上高8197万円は前年度比33・2%増、開館年度に比べると約3.6倍にもなったという。 来館者数でみても開館年度の1.8倍に増えている。 世界同時不況に突入した昨年10月以降も、販売は落ちるどころか伸びているという。 要因の一つは経費はかかっても集客動員イベントを積極的に行ったことだという。 もともと立地場所は一等地とはいえ、大通りから入り込んだ閑静な住宅地。 多くの買い物客を期待できる環境ではない。 このためテレビドラマと連動し女優、貫地谷しほりさんを招いたトークショー(8月)、「いわさきちひろ展」(12月)などを次々企画。 認知度を高めることで、年度後半になっても好調を維持でき、リピーターも増えているという。 もう一つは、県内企業を支援するという本来の施設目的に沿って企画したビジネスマッチング商談会がある。 首都圏のスーパー卸業者らに県産品を紹介し、アンテナショップを通した取引で販路拡大につなげた。 初めての試みで商い規模は小さかったが、県内業者の首都圏進出の足がかりにもなり評価できる取り組みだ。 継続実施しており、今後さらに成果が期待できる。 自治体の首都圏へのアンテナショップ出店は今、ブームといわれている。 財政事情は厳しくとも地方の生き残り、活性化のために情報発信が重要な武器になるからだ。 集客力を高める魅力づくりが鍵ともいえる。 南青山291の場合、「セレブの住む町」にふさわしく40代前後の女性客層に標準を合わせた。 伝統工芸品やおいしい福井の食のある生活を連想させる陳列にするなど見せ方も工夫しているという。 差別化した戦略を描かれなければ施設は「税金のむだ遣い」に終わってしまう。 井上義信館長は「福井を知ってもらい、情報発信するのが最大の使命。そのための戦略が結果的に売り上げ増につながっている」と話す。 絶え間ない経営努力に、厳しい時代を勝ち抜くヒントがありそうだ。
May 21, 2009
民主党の新執行部が始動して、いよいよ衆院選モードのスイッチが入った。 それにしても、いやはやである。 百年に一度の大不況の中、政権交代が懸かる大勝負の「顔」が、半世紀前の吉田茂、鳩山一郎両首相の孫同士とは。 米国でいえばトルーマン、アイゼンハワー両大統領の孫が争うようなものか。 歴史の歯車がぐるぐると逆回転しているかのようだ。 もっともブッシュ一族の例もあり、日本だけを笑うことはできない。 戦後、鳩山氏は総理の座を目前にして公職を追放された。 後を託された吉田氏が居座り続けたため、「返せ」「返さん」で確執が深まる。 路線も吉田氏の「軽武装・経済第一」に対し鳩山氏は「改憲・再武装」と大きく異なっていた。 話はさらにさかのぼる。 一九三〇年のロンドン軍縮条約調印の際、国会で「統帥権干犯」を言い立て、政府攻撃の中心にいたのが鳩山氏だ。 干犯問題は軍部や右翼を勢いづかせ、五・一五事件、二・二六事件の引き金になる。 それが公職追放の一因になったとされる。 両事件で「君側の奸(かん)」として襲撃された一人が牧野伸顕内大臣。 明治の元勲・大久保利通の次男で、吉田氏の岳父だ。 手りゅう弾を投げられたりしたが、無事だった。 そもそも統帥権干犯という論理を考えついたのは佐渡出身の国家主義者・北一輝だ。 歴史はさまざまなことを教えてくれる。 勢いに流されやすい国民性というのもその一つ。 教訓に学び、しっかり政権公約に目を凝らし、政策を問いたい。 劇場型選挙に惑わされてはならない。
May 20, 2009
国民の義務があす二十一日から、また一つ増える。 市民が刑事被告人を裁く。 司法改革の核となる裁判員制度である。 裁判員裁判は六人の裁判員と三人の本職の裁判官による合議で、有罪か無罪かを判断し、有罪ならば量刑も決める。 私たちはこの新たな制度にどう向き合っていけばいいのか。 「裁く者」となる国民一人一人の覚悟が問われている。 新制度の対象となるのは二十一日以降に起訴される殺人などの重罪事件だ。 時には死刑の判断も迫られる。 裁判員の責任は重大である。 法廷には凄惨(せいさん)な事件現場の写真などが証拠として提示される。 耳を覆いたくなるような証言もあるはずだ。 大きな衝撃を受けるのは間違いない。 精神的ケアも必要になってくる。 制度導入の背景には免田事件など死刑が確定した被告が、再審で逆転無罪となるケースが相次ぎ、「自白偏重」など刑事裁判の在り方に批判が集中したことがある。 信頼を取り戻すには、専門家による閉鎖的な審理から、市民感覚を取り入れた開かれた裁判が必要とされた。 多くの市民の知恵と意見を集めることで誤審、冤罪(えんざい)をなくす。 理念は崇高といえるし、理解もできる。 しかし突然、理念を押し付けられた市民が完全に消化できるかは別問題だ。 全国で裁判員候補者は二十九万五千人に上る。 裁判員になれば数日間連続で裁判所に出向かなければならない。 仕事は? 家事、育児は? 原則的に裁判員としての義務が優先される。 理由なく拒否すれば罰せられる。 評議内容を漏らせば守秘義務違反で懲役か罰金刑だ。 裁判自体に対する懸念の声も上がっている。 裁判員の負担を減らすため三、四日間で結審するとしているのが最たるものだ。 被告が否認した場合、この日数で十分なのか疑問が残る。 制度を見越して初公判から計六日の集中審理で一審判決が出された広島女児殺害事件の控訴審で、広島高裁は「審理を尽くしていない」として一審判決を破棄し、差し戻した。 適正な審理時間と裁判員の負担の釣り合いは難しい問題である。 ただ、忘れてならないのは、裁判は真実を明らかにする場であるということだ。 効率優先では、その根本が揺らぐ。 新制度に対する国民の支持や理解が低い中でのスタートとなる。 丁寧かつ慎重に事を運ばねばならない。 不断の検証を怠らず、改善すべきは速やかに見直す。 その姿勢がなければ「改革」の名に値しない。
May 20, 2009
1990年、広島平和記念資料館を訪れた平和運動家メイリード・マグアイアさん(北アイルランド)は、次のように記帳しているそうだ。 「戦争の思想や武器はすべて遠ざけましょう。いかなる紛争を解決するにも非暴力という方法を用いることを誓いましょう」。 涙をぬぐいながら展示に見入る写真が残っている。 記帳はこう続く。 「私たちがヒロシマにしたことを許してください」。 マグアイアさんらが主導し、自身もその一人であるノーベル平和賞受賞者17人の連名で作成した「ヒロシマ・ナガサキ宣言」が発表された。 各国の政治指導者と市民に核廃絶に向けた新たな決意と行動を呼びかけている。 連名に名があるサンチェス元コスタリカ大統領、デクラーク元南アフリカ大統領も同じ資料館を訪問したことがあるそうだ。 「世界中の人々がこの資料館の展示を心に刻みつけることを願います」などと記帳しているという。 核廃絶の願いが絶望の色を帯びたことは一度や二度ではない。 希望の灯をかざす人たちが、唯一の被爆国で、世界のどこかで、声を上げ、行動してきた。 その輪に唯一の核使用国の指導者が加わった今年、希望は輝きを増した。 宣言は言う。 「私たちは核廃絶の道を歩むか、さもなければヒロシマ・ナガサキの惨禍が繰り返されるのを待つかのどちらかです」。 前者の先頭に立つ、とオバマ米大統領が現職で被爆地を訪れて誓い、記帳する日を想像したくなる。
May 19, 2009
新型インフルエンザが兵庫県と大阪府を中心に急速に拡大しつつある。 先週末、神戸市内の高校生四人が新型陽性と判明し、国内での初感染が確認された。 それから二日たち、両府県での感染者は百三十人を超え、さらに他県にも広がる様相をみせている。 高校生だけではない。 教師や保護者、五歳の幼児や六十歳の男性、企業の従業員もいる。 不安を反映し、町でもマスク姿の人が目立ってきた。 人から人への感染が学校などにとどまらず、企業や地域社会へ拡散していることを示している。 世界保健機関(WHO)は新型インフルエンザの警戒水準を六段階に分け、現在は最悪一歩手前の警戒水準5としている。 いま兵庫と大阪で起きている状況は、この基準に照らしても、最悪の「爆発的感染」に近い状態といえるのではないだろうか。 兵庫県と大阪府は全域で、小、中、高校などを五日-一週間の休校とした。 行員が感染し、支店の多くの従業員を自宅待機にした銀行もある。 不特定多数が集まるイベントや講演会などの中止も相次いでいる。 こうした新型インフルエンザの影響は予想されたことである。 感染拡大を防ぎ、混乱を引き起こさないためにも、冷静に行動することを再確認しておきたい。 そのために大切なのは毒性など科学的な評価に基づき、具体的にどう行動すべきかを国が示すことだ。 それがないと不安だけが先にたち、過剰な対応になったり、風評被害を起こしかねない。 今回の豚インフルエンザは毒性が弱いとされ、外国の研究グループが致死率0・4%という数値を示した。 季節性インフルエンザより、やや高めという予測だ。 こうしたことを受け、舛添厚生労働相はきのう、新型の病原性は高くないとした上で当面の対応指針を示した。 生活習慣病の人は注意が必要、抗ウイルス薬で治療が見込め、軽症者は在宅療養でなどとした。 神戸市は重症の患者だけを入院させる方針に切り替えており、現実的な判断だろう。 厚労相はさらに、強毒型を想定した従来の行動計画はそぐわないとして、軽めの症状に合わせた対策を週内に打ち出す考えを示した。 現場の混乱を避けるためにも急いで欲しい。 人の移動に伴い、いずれ感染は全国に広がるだろう。 拡大阻止に努めつつ、感染者の早期発見・治療がますます重要になる。 科学的に正しい情報と備えを確認しながら厄介な敵と向き合っていくしかない。
May 19, 2009
世界的大流行を指す「パンデミック」という言葉を初めて知ったのは十年以上前の一九九八年暮れだった。 古代ギリシャの医学の祖ヒポクラテスが既にインフルエンザを記録していることから始め、新ウイルス発生の危険性を説いていた。 豚が鳥と人、双方のウイルスに感染し、その体内で遺伝子の交雑が起きて人の新型ウイルスが誕生する可能性も記されている。 そのような経過をたどったのだろうか。 発生した新型インフルエンザは世界各地に広まり、国内でも関西圏の高校生らが感染したことが確認された。 人から人へ感染が拡大している可能性が高いという。 病気、それも相手が新手のウイルスであれば、もちろん怖い。 けれども、人間には事前に危険を予見し、備えるという優れた特質がある。 この武器を駆使し、現に一定程度の備えは行われてきた。 ウイルスの感染力は季節性より強いものの、幸いにも毒性はそれほどでないとみられている。 しかし、感染を繰り返すうち悪質化しないとも限らない。 拡大の阻止に努力を傾けていって欲しい。 まだ「敵」についての知識が足りず、対策には手間も費用もかかる。 国、自治体、企業、個人と各レベルで、あわてず冷静に対処する姿勢が肝要だと思う。
May 18, 2009
長引く不況のあおりを受けて家計が苦しくなり、進学を断念したり、中退したりするケースが後を絶たないという。 「仕方がない」と見過ごしていいのだろうか。 二〇〇八年度に経済的理由で私立高校を中退した生徒は、一校当たり一・六三人に上ることが全国私立学校教職員組合連合の調査で分かった。 過去最悪だった〇七年度の一・七四人に次ぐ高さだ。 一方、「あしなが育英会」が昨年末に実施したアンケートによると、父親を亡くした高校三年生のうち、就職希望者の四割が経済的に苦しくて、大学進学をあきらめていたという。 今後も不況が続けば、こうした生徒がさらに増える可能性は高い。 大量解雇の波は、派遣やパートなど非正規労働者だけでなく、正規社員にまで及んでいる。 賃金カットはもはや当たり前だ。 勤め先の倒産やリストラで、親の収入が途絶えれば、教育費の負担に耐えきれなくなるだろう。 通信制なども含め、高校進学率は約98%だ。 いまや中学生のほぼ全員が高校に入学する。 友達が進級していくのに、自分だけが授業料を払えず、学校に通えなくなってしまっては、将来の夢や希望が打ち砕かれてしまう。 不況で社会の格差がますます広がっている。 教育の機会は誰にも公平に与えられるべきなのに、親の所得の多寡によって、それが拒まれるというのは望ましい社会といえないと思う。 困窮家庭の生徒を支援する教育の安全網は機能しているのだろうか。 高校には授業料の減免制度があるが、対象となるのは生活保護世帯など、収入がかなり低い世帯に限られる。 一層の条件緩和を求める保護者の声は強い。 授業料以外の諸経費についても、公立高校の一年生の場合、年間二十万円ほどかかるとの指摘がある。 決して軽い負担ではない。 家計の苦しさを隠し学校に伝えていない事例も少なくない。 家庭がどのような事情を抱えているのか、学校関係者は細やかに心を配ってほしい。 教育は百年の計だ。 しかし、日本の国内総生産に占める教育への公的支出割合は、主要二十八カ国の中で最下位だ。 これでは「教育再生」の掛け声が泣くのではないだろうか。 文部科学省は返済義務のない奨学金や学用品費などの支援ができないか、近く論議するという。 検討より実行段階ではないだろうか。 早急に結論を出すべきだと思う。 支援があるかないかで、生徒の将来が大きく違ってくるからだ。 教育費は国の将来への投資だと思う。 家庭や子どもたちにこのメッセージをしっかりと届けなければならない。 早急に教育の安全網を張り巡らせて欲しい。
May 18, 2009
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」。 俳聖、松尾芭蕉がつづった『奥の細道』の序章冒頭である。 歳月も人もすべては旅人であって、万物は流転するという意味である。 芭蕉が門人の曽良とともに古人の心を肌身に感じ、俳諧の世界を深めるために、江戸・深川を出発したのが元禄二(一六八九)年のきのうのことだった。 芭蕉らは百六十日余りをかけて奥羽、北陸の名所、旧跡を巡り、岐阜の大垣に至った。 この出発の日を記念し昭和六十三年、日本旅のペンクラブが「旅の日」に制定した。 日々の忙しさの中で、人はともすれば人生を、自然を見つめる心を忘れがちだ。 それを思い起こしてもらおうというものだ。 その日に、民主党新代表に鳩山由紀夫幹事長が決まった。 次の衆院選で政権交代を目指す鳩山代表は、有力な首相候補でもあるだろう。 新しい指導者の下、党は挙党態勢で立て直しを図り、この国の姿を変えようとする道程のスタートを切った。 鳩山氏は出馬表明時「一身をささげる」と言った。 芭蕉の時代の長旅は死をも覚悟したといわれる。 健脚でなければ全うできない。 しかし、アキレス腱(けん)はちらつく小沢氏の影だろう。 「小沢支配」「二重権力」などと心配する向きもある。 「日本の大掃除をやろう」と意気盛んだが、本当に実のある旅になるかどうか、新代表の手腕が問われるだろう。
May 17, 2009
心配されていた新型インフルエンザの「国内発生」が十六日、初めて確認された。 海外渡航歴のない神戸市の男子高校生だ。 厳重な水際対策をすり抜けたウイルスが、人から人へ感染していた可能性が極めて濃厚である。 政府は行動計画の第二段階として定めている「国内発生早期」に当たるとしている。 この段階の目標は「感染の拡大をできる限り抑える」ことだ。 次の第三段階では「接触歴が疫学調査で追えなくなった事例が生じた」ことが要件になる。 国内各地で広範に感染が確認された場合だ。 そうならぬよう政府や関係自治体は、接触者の追跡調査などの対応に全力を挙げてほしい。 しかし、感染ルートを特定するのは時間がかかりそうだ。 そうこうするうちに、他の地域で感染者が出ることもあり得る。 第三段階が迫っている状況といっていいだろう。 今回新型の感染者が出た神戸市の高校では、今月に入って体調不良を訴える生徒が多く出ていた。 集団感染が疑われている。 このうち新型の反応があった生徒二人の感染が確認された。 さらにこの高校と交流試合をした高校でも感染者が出た。 兵庫県と神戸市は対策本部を設けた。 行動計画に従って、学校など約百施設の七日間の休校・休園や修学旅行の延期を決めた。 人が集まるイベントも中止されている。 市民は不要不急な外出の自粛も求められている。 国内初感染の確認は成田空港での検疫で「入国前」だった。 だがこのとき感染者の近くにいながら、検疫をすり抜けた乗客もいた。 二次感染の可能性が高い感染者が出たことで、水際対策の限界を露呈したといえる。 舛添要一厚生労働相が水際対策を「時間稼ぎ」と評したのは、国民の危機意識を高めて準備を整えるために必要だったと言いたかったのだろう。 今後は水際対策だけでなく国内対策が問われる。 感染の拡大防止と患者を重症化させないことに尽きる。 拡大防止では、既に感染濃厚者には「停留」といった措置が取られている。 今後感染が広がれば外出や集会の自粛など、人の行動を制限する措置が強化されることになる。 ここで注意しなければならないのは人権への配慮だ。 住民が納得の行く情報開示と説明が重要となる。 マスクの着用や手洗いの励行など一人一人が感染を広げない行動を徹底していくのも欠かせない。 新型ウイルスは感染力は強いが病原性は弱い。 感染者の治療ではタミフルなど抗ウイルス薬が有効だ。 しかし、通常のインフルエンザでも慢性疾患などがある人は重症化しやすい。 過度な心配は無用だと思うが、決して軽く見てはならない。
May 17, 2009
慌ただしい世の中の動きに目を奪われがちだが、日々の重要な事柄にあらためて気付かされることがある。 テレビから時折流れる子どもが遭遇した不審者に関する文字情報もその一つだろう。 情報元の岡山県警本部のウェブサイトをのぞくと、そこには犯罪事案とともに、犯罪には至らない「ヒヤリハット」事例が並ぶ。 「下校中に車に誘われた」「男につきまとわれた」。 子どもを狙う危険の芽は相変わらず多い。 警察庁科学警察研究所や大学などの研究グループが、こうしたヒヤリハット事例の本格調査に乗り出した。 犯罪の前兆といわれながら、把握できるのは警察に届けられたものだけだという。 「不審者」の定義や行為の判断基準もばらばらで実態はつかめていない。 このため、統一的な「物差し」を作って大規模調査を行う。 子どもの被害状況や日常行動を把握して、より効果的な防止策に生かそうとの狙いだ。 本年度からモデル地域を指定して実施。 将来的には全国的なデータ収集を目指すという。 「待ち」から「攻め」の転換による正確な情報の共有が待たれる。 きめ細かな情報が得られれば、それを生かす取り組みの重要性も増してくる。 家庭や学校はもちろん、地域の目とネットワークをさらに広げ、犯罪被害から子どもたちを守って欲しい。
May 16, 2009
市民感情を物差しにすれば、昨年1月の一審判決より、きのう言い渡された二審判決の方が、あの悲惨な事故を引き起こした代償としては妥当と受け止める人が多いのではないだろうか。 2006年8月25日の夜、カブトムシ捕りをして帰宅途中の5人家族の車が福岡市の博多湾に架かる橋の上で飲酒運転の車に追突され、その衝撃で橋の欄干を破って海に転落、3人の幼児が水死した事故の刑事裁判である。 元福岡市職員の被告は、飲酒運転の厳罰化を求める世論の中で01年の暮れに刑法に新設された危険運転致死傷罪と、道路交通法違反(ひき逃げ)の併合罪で起訴され、検察側から懲役25年を求刑されていた。 一審福岡地裁判決は「脇見が事故原因」という弁護側の主張を認めて危険運転致死傷罪を適用せず、業務上過失致死傷罪と道交法違反(酒気帯び運転、ひき逃げ)の罪で懲役7年6月とした。 今度の福岡高裁判決は、脇見が原因と認めた一審判決の事実認定を「誤り」として破棄し、検察側主張を認めて危険運転致死傷罪を柱とする量刑判断を行い、懲役20年とした。 刑法二〇八条に規定された危険運転致死傷罪は、アルコールまたは薬物の影響のために「正常な運転が困難な状態」で車を運転した場合に適用される。 ただ、「正常な運転」とは何か、どのような基準で「正常な運転が困難な状態かどうか」を見分けるのかなど、適用の是非が判断しにくい罪であることは否めず、ほかの裁判でも下級審と上級審でしばしば判断が分かれている。 重い刑罰を定めた罪だけに、裁判でしっかりした法理論に基づく慎重な判断が求められるのは当然だ。 一方で、多くの人を納得させ得る判決でなくてはならない。 この意味で、「3人の尊い生命を奪っており結果は重大。証拠隠滅まで画策しており、悪質だ」として一審より重い罰を科した今回の判決は、市民感覚と落差のない判断と言えるだろう。 この悲しい事故をきっかけに飲酒運転を憎む世論がいっそう高まり、道交法改正による罰則の強化や飲酒運転への同乗罪の新設などに結び付いた。 危険運転致死傷罪の新設を含む近年の一連の厳罰化に伴い、飲酒運転による死亡事故の発生は激減した。 一方、厳罰化の副作用も現れた。 厳罰を恐れ、現場から走り去るひき逃げの増加である。 「逃げ得」は看過できず、ひき逃げに対する罰が厳しく改められた。 飲酒運転を許してはならないし、重大な結果を引き起こせば、誰もが危険運転致死傷罪など厳罰に問われる。 このような社会で暮らしていることを、私たちは常に自覚しておかなければならない。 被告に言い渡された重い判決を、決して人ごとではすまされない。
May 16, 2009
「まだ映るねっけ。あったらもんだこてさ」。 茶の間のテレビを前に、お年寄りがこんな愚痴をこぼす光景が目に浮かぶ。 「こんげブラウン管でデジタル放送は見らんねんだて。エコポイントも付くすけ、おっき液晶テレビ買おて」。 同居する若夫婦がせがむ。 「デジタルらとか、ポイントらとか、おらそんげこと分からねてば」。 お年寄りは困ってしまう。 「あったらもん」は「もったいない」のこと。 新潟や栃木、茨城など全国各地に残る方言だ。 廃らせてしまうには惜しい、価値あるものを意味する「あたらもの(惜物)」。 源氏物語にも登場するこの言葉が「あったらもん」に転じたともいう。 きょうから「エコポイント」制度が始まる。 地上デジタル放送に対応するテレビ、省エネ型のエアコンと冷蔵庫。 この三種の神器を買うと、価格の5%から10%程度のエコポイントがもらえるという。 ポイントは別の商品と交換できる「おまけ」のようなものだ。 政府は新型家電が普及すれば、消費電力が減り、地球温暖化の防止に役立つと説明する。 買い替え特需が、赤字に苦しむ家電メーカーを支え、景気刺激につながるとの目算もあるようだ。 理屈は分かっても、まだ使える家電をポイと捨てることに、ためらいを感じる人は多い。 冷蔵庫に残るシール跡や傷一つにも、家族の大切な思い出が刻まれていたりする。 そもそも省エネ生活は、「あったらもん」と言い続けることだろう。 少なくとも、古い家電を大切にする家庭が、温暖化防止の敵と見なされるような考え方はしたくない。
May 15, 2009
健康保険証や年金手帳、介護保険証を一枚に集約した「社会保障カード」(仮称)に関する厚生労働省の有識者検討会が、基本計画の報告書をまとめた。 社保カードの導入論が急浮上したのは、社会保険庁による不明年金記録問題が噴出した約二年前である。 今後の対策として、政府が二〇一一年度の導入方針を打ち出し、厚労省などが検討を進めてきた。 国民に交付されたIC(集積回路)カードを自宅パソコンで読み込んでアクセスすると、受診した医療機関での費用や健康診断結果を見ることができる。 年金の保険料納付記録、将来の受給額の見通しも分かる。 転居や転職しても保険証などの変更手続きは不要になる。 基本計画が描く社保カードは、こんな姿である。 確かに、実現すればいろいろ利便性が生まれるのだろう。 しかし、社保カードをめぐっては、プライバシー情報の流出など、悪用の懸念が指摘されてきた。 国民一人一人に「社会保障番号」を付けて、医療や年金などの情報を一元的に管理する構想があったからだ。 結局、報告は「社会保障番号」の導入を見送った。 安全性へ不安がぬぐえない以上、妥当な判断だろう。 報告によれば、社保カードは本人を確認し、アクセスできる機能に限定することを柱に据える。 そのためにカード内には必要最少限の情報のみとし、暗号を使った個人認証法を搭載する。 また、医療など各制度の情報を一元化せず、システムを分散する形にしてリスクを避けるという。 社保カードは利便性と安全性の両立を目指すのが基本だが、優先すべきは安全性を十分満たすことである。 利便性とは、そのうえで可能な限り追求することだ。 また、利便性が国民と管理する国側とで異なる場合があることにも注意する必要がある。 国の業務軽減や管理のしやすさを最優先するのでなく、国民の使い勝手との接点をしっかり探るべきだろう。 こうした問題点を徹底的に洗い出し、不安解消への道筋を示すことが前提だ。 厚労省は、公募で選んだ自治体を舞台に、この夏ごろから社保カードの実証実験を行う。 検証の結果次第では、一一年の実施予定に影響するかもしれないが、すべて解決してからにして欲しい。 社保カードの導入には、拙速を避けねばならない。 功罪を丁寧に見きわめながら進める道を選ぶことが重要だと思う。
May 15, 2009
終戦直後、「タケノコ生活」という言葉がはやったそうだ。 タケノコの皮を一枚ずつはぐように、衣類や家財を売り払って食いつなぐことである。 当時、急激なインフレで目減りしていく現金が嫌われたため、飢えた人々が食料を求める際、物々交換にならざるを得なかった。 身ぐるみはがされながらの窮乏生活を庶民は自嘲(じちょう)気味にそう呼んだ。 古来、その美味で親しまれてきたタケノコだが、世相を浮き彫りにする例えに用いられた。 今季、タケノコ産地の収穫量がぐっと落ち込んだ。 一年ごとに成長に波があり、今年は収穫が少ない「裏年」にあたるという。 加えて冬場の積雪が少なく、地表に冷たい風が吹き付けたのも一因らしい。 豊作、不作と波があるのは景気に似ているようだ。 あまり実感がなかったが、昨年秋ごろまで、戦後最長だった「いざなぎ景気」を超える好景気だと言われていたものだ。 ところが一転、深刻な世界不況が直撃し、企業・工場で従業員の削減や配置転換を余儀なくされている。 工場閉鎖など生産拠点の再編も相次いでいる。 生活保護を受ける世帯も増えており、その申請は今後さらに増加するとみられている。 旬の食材の不作にもまして苦しい暮らしぶりがしのばれるニュースが多いのは切ない。
May 14, 2009
子どもたちの携帯電話に親たちは頭を抱えている。 出会い系サイトや自己紹介サイトが発端となった事件が起きている。 親にすれば、身を守るために持たせたはずが新たなトラブルを生むのだから、気が休まらないだろう。 だが実のところ、この手のトラブルはそう頻繁にあるものではない。 心配はしても、どこか他人事のような気分もあるだろう。 もっと日常的に親を悩ませているのは、ばかにならない月々の携帯代ではないだろうか。 そんなに使ってしまう理由の一つを、全国珠算教育連盟の調査に見たような気がした。 携帯電話を持つ首都圏の小学4年から6年生に、1カ月分の使用料金を尋ねたら、最多の38%が「分からない」と答えていた。 把握分の平均は3276円。 小学生には決して少額ではない。 もし携帯電話を与えると同時に料金についても教えていたなら、親の頭痛はそこまでひどくなっていたかどうか。 怪しいサイトやマナーについてだけでなく、そうした携帯教育もあってもよさそうだと思う。 ただ大人にもそれは言える。 自分の家の大まかな電気代を知っている夫が、もっといてもいい。 ある地方自治体の当初予算が4200億円なのに対し、債残高は8000億円近くあることを知る県民が、もっともっと増えてもいいのではないだろうか。 まちの懐具合に関心を持ち、しっかり把握している住民ばかりなら、果たして夕張市は破綻(はたん)していただろうか。 すべての始まりは子どもから。 子どもの金銭感覚を育てることは、家計を救い、やがてはまちや国を救うのではないだろうか。
May 14, 2009
石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」、テレサ・テンさんの「つぐない」「時の流れに身をまかせ」・・・。 数々のヒット曲を生んだ作曲家の三木たかしさんが、おととい亡くなった。 六十四歳という。 下咽頭(いんとう)がんの手術を受けていたとはいえ、あまりにも早過ぎる死だ。 「心がちぎれるほど悲しい」。 三木さんとのコンビでテレサ・テンさんの名曲を世に出した作詞家・荒木とよひささんのコメントが、失われたものの大きさを何よりもよく物語っている。 「津軽海峡・冬景色」は作詞家・阿久悠さんとのコンビだった。 スランプに陥っていた一九七○年代、阿久さんに「音が鳴らなくなった」と涙ながらに訴えた三木さん。 「一緒に曲を書かないか」と言われ、生まれたのが「津軽海峡・冬景色」だったという。 その阿久さんが亡くなった一昨年、三木さんはこう話している。 「阿久さんがいなければ今の僕はいない」。 控えめで温厚な人柄が多くの人に愛された。 がんの手術後、若い歌手にはこう言っていたそうだ。 「着飾った自分を見せようとせず、自分の人生や生きざまを正直に表現してほしい」。 病を得て、気取りやはったりが人の心を打たないことを確信するに至ったのだろう。 三木さんが亡くなったのは、同業の小室哲哉被告に執行猶予付きの判決が出た日。 小室被告にも聞いてほしかった三木さんの言葉である。
May 13, 2009
麻生太郎首相が繰り出すくせ球は、情報機関出身のプーチン首相に見切られていたということだろうか。 十二日行われた日ロ首相会談は、最大の懸案である北方領土問題では進展がないまま終わってしまった。 二月の首脳会談より後退した印象さえある。 今回の会談は七月の主要国首脳会議(G8サミット)時に予定されている日ロ首脳会談で、領土問題解決の具体策を引き出すための前段と位置付けられていた。 経済協力などでの合意という「成果」はあるが、所期の目的を果たしたとは言えないだろう。 二月の麻生、メドべージェフ会談では、北方領土問題について「独創的なアプローチで解決を図る」とされた。 それが今回は「双方が受け入れ可能な方法を模索する作業を加速する」に変わった。 これからも手探り状態が続くと確認したに等しい。 一九五六年の日ソ共同宣言以来、半世紀以上にもわたって解決できない問題が一朝一夕に処理できる訳がない。 シベリア開発をはじめとする経済協力などの積み重ねで相互の信頼感を醸成し、平和条約締結の機運を高めるのが先決かもしれない。 しかし、北方領土がわが国固有の領土であり、四島返還は譲れないという立場は堅持しなければならない。 原則を主張しつつ、妥協可能な落としどころを探るのが交渉ではないだろうか。 ところが、麻生政権は会談を前に、ロシアに対して誤ったメッセージを発してしまった。 谷内正太郎政府代表が述べた「三・五島返還論」等面積による分割案である。 ロシア側はこれを「独創的アプローチ」の一つと受け止めた可能性がある。 ロシア側に返還を急ぐ理由は見当たらない。 プーチン首相は日本の出方をけん制しながら、経済面での実利を得ようと会談に臨んだに違いない。 「どんな難しい問題でも友人同士の間では解決できる」は精いっぱいのリップサービスだろう。 だからといって悲観的になる必要はない。 サハリンガス田やシベリア開発、原子力協力などで日ロの経済関係が緊密さを増すのは確実だ。 地方や民間の提携が深まれば、領土問題での新たな展開も期待できるだろう。 ロシアとの交渉が一筋縄ではいかないことは、これまでの歴史が証明している。 七月の首脳会談で劇的な進展があるとも考えにくい。 麻生首相は外交的成果を焦ってはならない。 領土問題が日ロ間の「負の遺産」だとプーチン首相が言明したことは、今後への足掛かりになる。 ここがすべての出発点だからだ。 麻生首相はロシアに解決のカードを切るよう迫ることが求められている。
May 13, 2009
とんだ連休明けの初仕事だ。 民主党の小沢一郎代表が辞任を表明した。 「挙党一致」。 この言葉を繰り返し、総選挙に「身を捨て必ず勝利する」と言った。 笑顔も見せ、会見では強気の姿勢を崩さなかった。 「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という格言を思った。 おぼれかけたとき、水の流れに体を委ねてみる。 すると体が浮き、浅瀬に立つこともある。 身を投げ出す覚悟が活路を開くという意味だ。 昨年九月に麻生政権が誕生してから、閣僚の失態など敵失も重なり、自民党離れが加速した。 今年は政権交代が実現しそうだ。 この年明けまで、少なからぬ有権者はそう思っていたはずだ。 それが巨額献金事件で秘書が起訴されると攻守は一転、小沢代表への逆風が強まった。 世論調査は、三人に二人までが「代表を辞めるべきだ」と答えた。 「辞任すれば支持率は跳ね上がる」。 民主党内にそんな期待も広がっていた。 情けない話だ。 「政治的な責任で身を引くわけでもない」。 小沢代表はこうも言う。 それでは、なぜ辞任するのか分からない。 三年前、代表に就いた小沢氏は「まず私が変わらねば」と誓った。 それは、企業献金に象徴される「政治とカネ」をめぐる旧態依然の政治体質を、「変える」ことではなかったのか。 二年前の安倍晋三首相、昨年の福田康夫首相、そして今回の小沢代表。 与野党の別はあれど、党首の投げ出し会見が年中行事になってしまった。 責任も覚悟もなく身を捨てられても、見苦しいばかりだ。 浮かぶ瀬が欲しいのは、有権者の方である。
May 12, 2009
虫たちは気ままに暮らしているように思われがちだが、社会性を持った虫も結構いる。 先日、NHKの自然番組で放送されたグンタイアリもその一種で、統率のとれた攻撃と巧みな役割分担で群れを維持していた。 社会性が発揮されるのは狩りの時ばかりではない。 敵から仲間を守る時もそうだ。 「トンデモない生き物たち」(白井拓、宝島社)によると、柑橘(かんきつ)類に付くミカンクロアブラムシはユニークな方法で仲間を守る。 彼らの天敵であるミカンノアブラバチは、アブラムシをすぐには殺さない。 体内に卵を産み付け、新鮮な肉を幼虫のえさにする。 そうして羽化直前まで体内で暮らす。 死なない程度に生かしておく方が、ハチにとっては都合がいいわけだ。 なかなか狡猾(こうかつ)な作戦だが、アブラムシもバカではない。 ハチに産卵管を刺されそうになると、体の向きを変えたり払いのけたりする。 それでも引き下がらなかった時、彼らは腹部を振ってダンスを踊りだす。 誰かがダンスを始めると、震動が伝わって仲間に危険信号が届けられる。 やがて群れ全体が踊りだす。 こうすることで、ハチに襲われても寄生を免れる率が高くなるらしい。 ただし最初に踊りだした1匹が無事かどうかは別だ。 既に卵を産み付けられ、手遅れの場合もある。 それでも踊り続けるのは仲間の存続を願うからだろうし、自分はまだ助かると信じているからかもしれない。 小沢一郎代表が辞任を表明した民主党の場合はどうだろう。 群れは守られただろうか。
May 12, 2009
国内で感染者が出たわけではない。 世界保健機関(WHO)は、それが人への感染を媒介しているとの証拠はないともいう。 それでもエジプト政府は、新型インフルエンザ「対策」として、国内の豚35万頭すべての処分を始めた。 随分な過剰反応に見えるが、どうも処分の理由はそれだけではないらしい。 エジプトの豚の生育環境は劣悪だ。 ごみ処理業者がごみをえさに与えている例も多い。 そんな不衛生な状態を解消するため、新型インフルエンザ騒ぎを利用した面もある。 さらに国民の9割を占めるイスラム教徒にとって、豚は不浄な動物だ。 豚を飼っているのは、日ごろから有形無形の圧迫を受けている少数派のキリスト教系コプト教徒。 そんな状態と今回の措置が無関係とは、ちょっと考えにくい。 こんな話は日本とは縁遠い、とは言い切れない。 新型インフルエンザの感染者が次々と確認されている。 そうした中で身近に感染者が出たら、感染者を責め、その人が諸悪の根源であるかのように言い立てる人が現れる恐れもあるのだ。 そうする人にとってはきっと、ただの過剰反応ではない。 日ごろから抱えている社会への不満や心の中のドロドロしたものが、そうした形で感染者に向けられるのだろう。 鬱憤(うっぷん)晴らしに新型インフルエンザを利用するのだろう。 今のところ毒性がそう強くないとはいえ、新型インフルエンザが怖い存在であることには違いない。 しかし、それ以上に怖いのは、人間の心の中なのかもしれない。
May 11, 2009
高齢で心身が弱ってきた。 近くに面倒を見てくれる家族はおらず、このまま自宅で暮らし続けるのは不安を感じる。 そんなお年寄りが安心して生活できる高齢者向け住宅の供給が進むよう、制度を強化する法改正案が今国会で審議中だ。 「高齢者居住安定確保法」改正案がそれで、会期中の成立を目指している。 現行法の所管は国土交通省だ。 改正案では国土交通相と厚生労働相が、高齢者向け賃貸住宅や老人ホーム供給の目標設定などの基本方針を定める。 この方針に基づいて、各都道府県が公営住宅や民間の高齢者向け住宅の整備状況などを踏まえ、具体的な「高齢者居住安定確保計画」を策定する。 法改正案の目玉の一つは、高齢者向け優良賃貸住宅と、生活を支援する福祉サービスが一体となった「老いの住まい」の供給促進策である。 こうした形で住宅を整備する場合の補助制度の創設や、税制優遇措置を盛り込んだ。 認知症のグループホームとしての賃貸も可能になる。 自分が住む部屋と同じ建物内などに、医療機関と連携しつつ、食事や安否確認といった福祉サービスを提供してくれる施設があったら心強いと思う。 しかも費用が手ごろなら、老後の暮らしの選択肢が増えるのは間違いないだろう。 問題は法が改正されても、実際に供給が進むかどうかだろう。 高齢者居住法は二〇〇一年に施行された。 当時は、持ち家がないお年寄りの住宅難解消が目的だった。 高齢者の入居を拒まず、円滑に受け入れる賃貸住宅の登録制度や、お年寄りが亡くなるまで入居できる終身制度などが導入された。 改正法案では「円滑入居」住宅の登録基準を新たに設ける。 最低居住水準などを満たす場合のみ登録できる。 劣悪な業者を排除するのが目的だ。 今回、法改正が浮上した背景には、一人暮らしや老夫婦だけの高齢者世帯が急増していることがある。 以前は高齢で体が不自由になったら、在宅介護や特別養護老人ホームへの入居で対応するケースが多かった。 しかし、特養ホームは何年も入居待ち、自宅での介護は担い手が少ない。 介護や食事などのサービスが付いた高齢者向け住宅の需要が高まるのは、時代の要請といえるのではないだろうか。 そうしたタイプの住宅といえば、以前は費用が高額な有料老人ホームのイメージが強かった。 しかし、近年は、費用が手ごろとされる高齢者専用賃貸住宅が急増し、多様化が進むと思われる。 健康や家族構成など個人の事情に合わせて、多様なメニューが選べるようにすることが必要だろう。 経済的に豊かでない人への支援も欠かせないと思う。
May 11, 2009

ウエスタンリーグ公式戦阪神タイガースVSオリックス・バファローズ戦が姫路球場で開催されました。 練習風景の時は、観客も少ないように感じられたが、徐々に子供連れとか家族連れの方で賑わっていった。 これはオリックス濱中選手のバッティングフォームのチェックをしているところだと思う。 阪神タイガースのウォーミングアップ風景 気合入れて頑張っているところを見せて欲しかったが・・・。 スタメンが発表された。 一瞬、どよめきが起こった。 というのも、4番がメンチではなく、 バルディリスだったのだ。 メンチは結局、高い買い物だったのだろうか。 先発は上園だった。 立ち上がりはまずまずだったように思えたが、突如乱れてしまった。 岡崎のリードも悪いように思えたが・・・。 上園選手の投球フォーム。 悪くはないと思っていたのに・・・。 残念だけど、当分1軍には上がれそうにないと思った。 発見したのが、2軍でも風船を飛ばすことだ。 風船を膨らませて飛ばす準備をしているところ。 さあ、いよいよラッキー7だ。 風船を飛ばしてファイトーー!( ゚ロ゚)乂(゚ロ゚ )イッパーーツ!! 甲子園ほど迫力はないけど、みんな楽しそうに飛ばしていた。 しかし、願いも届かず、結局5対1で負けてしまった。 1軍もそうだが、2軍も打てない。 痛いところでエラーはするし、本当に1軍に行く気があるのか、ないのか・・・。 寂しい気がしたのは、私だけだろうか・・・。 まだまだ力が足りない、何としてでも1軍のレギュラーを取ってやるという熱意が感じられない。 もっと、もっとアピールできるものを見せて欲しい。 帰りのバスに選手が乗り込むところ。 しかし、メンチはバルディリスと一緒にタクシーで帰って行った。 ちょっと問題ありじゃないかと思うが・・・。
May 10, 2009
おふくろの味と言えば、何を思い出すだろうか。 さしずめ、みそ汁、煮物、カレーライスといったところだろう。 高級な具でなく、粗末なみそ汁であっても、その味は、いつまでも、舌から離れない。 長年月、母親によって、飼い慣らされた味覚だから、と言ってしまえば、身も蓋[ふた]もないが、おふくろの味は愛情の「うまみ」に違いない。 作家、三浦哲郎の「文集母」(世界文化社)の中の扉に「私の味覚は母のものだ。ああ、なんという美味、と感動する舌の根では、いつも母が笑っている」とある。 食による母親賛歌。 俳人の鷹羽狩行さんに「母の日のてのひらの味塩むすび」という作品がある。 すべて余分なものを取り除いたような「むすび」もまた、純なおふくろの味だろう。 最近は、世の中から、おふくろが消えて、ママばかりになった、と苦言を呈する向きもある。 まさか、すべてが画一的なママの味になる訳ではないだろう。 三浦哲郎の母は91歳の生涯を閉じたというが、87歳の時、脳血栓で倒れ、左半身不随のまま、病院で暮らしたという。 六人の子どもは、四人まで若くして失っている。 見舞うたびに、いつもベッドでほほ笑んでいたという。 それは「学問などなくとも、ひたすら母親の道を貫き通した生涯に充足し切っているような」自信に満ちた微笑に見えたという。 ことし、三豊市仁尾町から出荷されたカーネーションも、流行の薄いピンクやオレンジだ。 苦難の道を歩んだ日本の母への、感謝の色をしている。
May 10, 2009
省エネ家電の購入時に付与される「エコポイント」制度が、十五日から始まる。 消費の喚起と環境対策を狙いに、政府が追加経済対策に盛り込んだ新制度である。 しかし、開始日が目前に迫っているのに、肝心の内容がほとんど決まっていない。 これでは消費者が混乱するばかりだ。 新制度は、一定の省エネ基準を満たしたエアコンと冷蔵庫、地上デジタル放送対応テレビのいずれかを購入するとポイントがもらえ、別のエコ製品を買うときに利用できる仕組みだという。 国が定める「統一省エネラベル」の五つ星評価の中で四つ星以上となった約二千の機種が対象になる。 エアコンと冷蔵庫は価格の5%程度、地デジ対応テレビは10%程度のポイントが還元され、さらに古い機種から新機種に買い替える場合は、リサイクルとしてのポイントが加わる。 これらポイント分を国が負担するという初の施策である。 ところが、どんな方法でポイントをもらえるのか、たまったポイントでどんなエコ製品を購入できるのかなど、具体的な内容がいまだに明らかにされていないのだ。 当初は補正予算成立後に始める予定だったが、消費者の買い控えで、急きょ前倒ししたためだ。 予定通り十五日に始まると、ポイントが還元される見通しの夏以降まで、消費者は商品の購入日や購入店が分かる保証書や領収書などを保管しておく必要がある。 それがなければ、ポイントを利用できない。 こうした基本的なことも、十分に周知されていないのではないだろうか。 経済対策と温暖化防止という大きな目的を掲げながら、内容があいまいなままでは成果につながらない。 一日も早く制度の中身を詰め、国民に示すべきだと思う。 気がかりな点はまだある。 省エネ度を測る星の数は、家電メーカーが提供するデータを基に決められることだ。 先日、エコを看板にした冷蔵庫の表示に偽りがあった。 不正を防ぐチェック体制が欠かせない。 さらに、買い替えが進めば大量の家電ごみが生まれ、新たな問題も浮上する。 エコをうたう、この制度が本当に地球温暖化防止につながるのだろうか。 逆に、環境にさらに負荷をかけることにならないのだろうか。 慎重に見極める必要があると思う。 暮らしの中の環境対策が重要なテーマになってきている。 取り組みは実効あるものでなければならない。 二つの狙いを持つ新制度だが、まずは低炭素社会の実現に向けた環境対策として構築すべきではないだろうか。
May 10, 2009
「しっかりした故郷と云(い)うものをもたない私達親子三人が、最近に落ちついたのがこの徳島だった」。 林芙美子「放浪記」(新潮文庫)の一節である。 「女の美しい、川の綺麗(きれい)なこの町隅に・・・」と続くが、徳島はごくわずかしか登場しないため、芙美子がどこで暮らしていたかは読み取れない。 徳島市の二軒屋付近との説もあるが、定かではないようだ。 芙美子は三好市池田町・白地温泉の小西旅館に十日余り滞在したことでも知られる。 一九四一年(昭和十六年)五月のこと。 のちに同所を舞台にした「めかくし鳳凰(ほうおう)」を発表するなど、徳島とは浅からぬ縁があった。 その芙美子の半生を描いた森光子さん主演の舞台「放浪記」が、きょう東京・帝国劇場で上演二千回を迎える。 きょうは八十九歳の誕生日でもある。 一人の俳優が代役なしで主演し続ける舞台としては、故・山本安英さんの「夕鶴」(千三十七回)をはるかに超え、国内最高記録を更新中だ。 「よくやれるなあ」と本人も感心するほどの大記録だが、体力を維持する努力は並大抵ではないはずだ。 六一年の初演以来、再演のたびに新しい発見をしてきたことも長く続いた要因かもしれない。 今度は阿波踊り「よしこの」のお鯉さんのように、ぜひ「百歳の放浪記」を目指してほしいものだ。 常に前向きな森さんなら、それも夢ではないだろう。
May 9, 2009
予想されたことだが、今年の大型連休中は高速道路の渋滞が大幅に増えた。 高速道路各社が4月25日から5月6日までの主要区間の交通量を調べたところ、全国で10キロ以上の渋滞は昨年より約200回多い414回、30キロ以上の渋滞はほぼ倍増の58回発生した。 九州でも5キロ以上の渋滞が過去最高の48回、福岡県内の九州道上りでは5日に最長50キロの渋滞が起きたという。 大渋滞に巻き込まれた人には、ただただお疲れさまと言うしかないだろう。 軽自動車と普通車を対象に3月末から始まった土日と祝日の高速道路料金の特別割引が原因である。 自動料金収受システム(ETC)を付けると、東京・大阪近郊の高速道を除き一律1000円で利用できる。 2年間限定の景気対策である。 私たちは、これを「配慮に欠ける政策」と呼んだ。 九州旅客船協会連合会(福岡市)が事前に行った調査で、高速道路と競合する九州発着のカーフェリーで利用者の大幅減などが懸念されたからだ。 実際、大型連休中の鉄道利用に影響が出ている。 4月24日から5月6日にかけてJR6社の新幹線や特急などを利用したのは、昨年の同じ時期より7%少ない1177万人にとどまった。 九州新幹線も大幅に利用客が減った。 さまざまな交通機関がある。 それぞれ競争関係にある。 そこで、政府が結果的に1つが有利になる政策を打ち出す。 これが果たして公平な施策といえるのだろうか。 高速道利用者でも一律1000円の恩恵を受けられるのは「ETC」を付けた「軽自動車・普通車」に限られている。 ETC車載器は購入費の補助もあって一気に品薄となった。 まだ手に入れてない人もいるようだ。 みんなが等しく利益を受けられない。 気配りに欠ける政策でどこかおかしい、と私たちは考えた。 景気対策は何のためか。 昨秋以降、世界では金融危機の深化とともに自動車などの需要が急減した。 輸出頼りの日本は最も打撃を受けた。 景気対策は失われた外需(輸出)を内需拡大で補うためだ。 国内で新たな需要を生み、誰もが少しずつ恩恵を受ける。 これが望ましい。 しかし、道路が鉄道などの客を奪う結果になっただけで内需拡大も限定的に終わるなら、効果的な景気対策とは言い難い。 さらに、渋滞を生み出す政策は従来の道路行政とは相いれない。 渋滞による経済的な損失は大きい。 しかも、排ガスなど環境への影響も見逃せない。 「だから」と言って、国は揮発油税などを特定財源として道路を造り続けてきた。 昨年の国会で焦点だった揮発油税などの暫定税率存廃で、存続派から、暫定税率廃止でガソリン価格が下がり、使用量が増えれば日本は地球温暖化防止に熱心ではないとみられる、との声があった。 渋滞は人にも地球環境にも優しくない。 いくら緊急対策とはいえ、もう少し政策に一貫性があってしかるべきだ。
May 9, 2009
ブルースは、米国の黒人たちがつくり出した音楽だ。 生きることの苦しみや嘆きが詰まった詩、愁いを帯びたメロディーが、国境を、時代を超えて人々の胸を打つ。 がんによる闘病生活を「ブルースを楽しむよう」とつづっていたロック歌手の忌野(いまわの)清志郎さんが、五十八歳の若さで亡くなった。 あす九日、東京でファンや仲間たちが集まり、盛大な音楽葬が営まれるという。 派手なファッションも手伝って、過激なイメージで語られることが多いが、素朴で優しい歌も少なくない。 「きれいな月だよ、出ておいでよ」と歌うのは「夜の散歩をしないかね」という一曲だ。 身近なかかわりを大事にしながら、時代や社会に物言う姿勢が印象に残る。 反原発ソング、君が代…。 レコード会社が発売を中止した数々の作品は、その「反骨精神」の証しだろう。 大阪のFM放送のために歌った「oh!RADIO」が、最後となった。 忌野さんには「トランジスタ・ラジオ」という名曲があるが、ほかの歌でも、よくラジオが登場する。 耳にしたことのない曲と巡り合ったときの胸の高鳴り、思いがけず大好きな歌が聞こえてきたときの喜び。 ラジオは音楽との偶然の出合いに満ちている。 それはインターネットやCDにはない魅力だ。 誰かのリクエストで、あの「どうしたんだ、ヘイ、ヘイ、ベイビー」の清志郎節が流れてくるかも。 そう思うと、今夜もトランジスタラジオを手放せない。
May 8, 2009
不況が深刻の度を増している。 将来の夢を抱いて大学などに進んだ新入生も、授業料や日々の生活費などに頭を巡らして胸を痛めているのではないだろうか。 そうした事態の助けになる1つが奨学金だが、一方で、借りた奨学金を返さない滞納者の増加が問題となっている。 厳しい時だからこそ、返済能力がありながら「借り得」を決め込んでいる不届き者がいれば、なおさら許されない事態だ。 国の奨学金制度は貸与制で、高専や大学、大学院などの学生が対象だ。 無利子、有利子の2種類がある。 事業は2004年、日本育英会から独立行政法人の日本学生支援機構が引き継いだが、旧育英会時代から年々拡充しており、いまでは大学生に限ると30%近くの約80万人が、この奨学金の世話になっている。 ところが、07年度の未返還額は660億円に上る。 これは、同じ07年度に貸与した奨学金総額の8%に相当する。 さらに、3カ月以上滞納して貸し倒れの可能性がある延滞債権が20万人分、2253億円になるという。 元奨学生が卒業後に返す金は次の奨学金の原資となる。 このため、支援機構は11年度までに延滞債権の半減を目指して滞納対策の強化に乗りだした。 どこの世界でも「借りたら返す」のがルールであり、後輩のためにも、返済義務を果たすよう強く求めるのは当然だろう。 対策の1つが、金融機関でつくる個人信用情報機関に滞納者情報を通報する制度の導入だ。 本年度から、新入生やすでに貸与を受けている在学生から同意書を取り、これを条件に貸与を始めた。 卒業後に返済が滞らなければ通報はないが、滞納が長期化すれば通報され、銀行ローンやクレジットカードの利用が難しくなる。 そうならないよう、返済に努めてもらうのが狙いである。 「そこまでするのか」と反発もあるが、もともと20年以内の返済を前提に貸与される奨学金だ。 病気や失業などで返済が苦しければ猶予制度もある。 滞納者への一定の規制強化は仕方ないのではないだろうか。 このほか、支払い督促申し立てなど法的措置に入る時期を、従来の滞納「1年以上」から「9カ月以上」に短縮するなど、回収策も強めるという。 いずれも昨年の有識者会議の提言を実施に移したものだ。 提言には滞納率の高い大学名の公表もあったが、卒業生の滞納と大学の責任とは直接は結び付かず、慎重な検討が必要だろう。 ただ、大学は奨学金の申請窓口であり、返還義務の周知徹底など協力すべきことは多い。 同時に、奨学金事業の一層の充実も訴えたい。 景気悪化が子どもの進路選択に影響を及ぼしているといわれる。 政府は追加経済対策の中に無利子奨学金を受ける学生の微増などを盛り込んだが、真正面から取り組むべきだ。 返済不要の給付奨学金の創設を真剣に考えてもいいのではないだろうか。 奨学金の重要性はますます高まっている。
May 8, 2009
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