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「Self-Reference ENGINE」(円城塔、ハヤカワ文庫JA)を読む。10篇ずつ2部に分かれた短篇群にプロローグとエピローグを加えた全22部からなる短篇集、のような気もするが、連続短篇からなる長篇小説、のような気もする。その一方で、連続短篇として読むには他の作品から全く独立しているような短篇もある気がする。「気もする」と書いたのは、本作のSF的ミステリ的不思議に満ちた謎の作風のせいである。複数の短篇(と呼んでいいのであれば)に共通して登場する人物名もあるし、共通する現象名、理論名などもある。例えば、巨大知性体、超越知性体、時間束理論、過去未来改変…等々。そんな作風の本作をどう読むかは、かなりの部分、読者の恣意に委ねられているのではないというか、読者は自らの理解の仕方の範囲でしか理解できない、いって差し支えないだろう。更に言うと、巻末の解説を読んでも、判ったような判らないような、というところが正直なところであって、やはり謎な作風と謎なストーリーは謎なままである。と書いてしまうと、これを読んだ方は何が何だか判らないかもしれないが、実際そういう作品なんである。そういう作品なんだから仕方ない。でも最後にツッコミをひとつ。P.122の「地球人の性を判別する勘弁な手段」は、明らかに「簡便な」の変換ミスであろう。面白い作品であればあるほど、こういうところにツッコミたくなる私なのである。Self-Reference ENGINE/円城塔
2012.05.30
プロ野球マツダオールスターゲーム2012のファン投票をした。個人的には、和製打線で、ネームバリューがある人や今季はこの人だろうって人をメインに、全球団から最低1人出るように選んでみた。想定打線は以下のような感じ。セ・リーグ1.[遊]鳥谷(神)2.[三]宮本(ヤ)3.[中]長野(巨)4.[捕]阿部(巨)5.[指]畠山(ヤ)6.[一]栗原(広)7.[右]平田(中)8.[二]平野(神)9.[左]荒波(D)[投・先]前田(広)[投・中]浅尾(中)[投・リ]藤川(神)パ・リーグ1.[右]糸井(日)2.[三]松田(ソ)3.[遊]中島(西)4.[左]中田(日)5.[一]稲葉(日)6.[指]小久保(ソ)7.[二]井口(ロ)8.[捕]嶋 (楽)9.[中]坂口(オ)[投・先]田中(楽)[投・中]平野(オ)[投・リ]岸田(オ)小久保(ソ)の2000本安打を期待して、2000本トリオを入れてみたり、中日のアライバに劣らない阪神の二遊間コンビを入れてみたり、という感じ。セは指名打者に投票出来ないので、畠山(ヤ)はあくまで希望ってことで。他にも見たい選手はいっぱいいるのだが、少し挙げるとすれば…。セ・投手:能見(神)、澤村(巨)、石川(ヤ)、吉見(中)、山口(D)セ・野手:田中(ヤ)、坂本(巨)、廣瀬(広)、堂林(広)、大島(中)パ・投手:斉藤(日)、攝津(ソ)、藤岡(ロ)、青山(楽)、岸(西)パ・野手:角中(ロ)、明石(ソ)、聖澤(楽)、今江(ロ)、T-岡田(オ)って感じ。
2012.05.26
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「異端の数ゼロ―数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念―」(チャールズ・サイフェ、ハヤカワ文庫NF)を再読。単に「ゼロ」という数の概念を記述しただけでなく、数学・幾何・物理・天文・哲学・宗教・歴史・戦争などとの絡みで、ゼロが如何に発見され、忌み嫌われ、そして受け入れられていったかが書かれた1冊。以前読んだ時の感想はこちら。さて、再読に当たって改めて面白いと思ったのは、こんなところだ。・ゼロの概念をはじめとして、数字記法や数字・科学は、戦争によって別の世界に拡散していくこと。・ゼロと無限大の概念が分かちがたく結びついていること(何かをゼロで割れば無限大、何かを無限大で割ればゼロ)。・ゼロと無限大の概念が単なる数学的なモノではなくて、物理学や天文学にも重要な意味を持っているということ。・特に、現代物理学の二大巨塔である量子力学と相対性理論において、ゼロと無限大の果たした役割は非常に大きい(真空のエネルギーやブラックホールなど)。それを踏まえて、例によってページの端を折りながら読み進めていたら、前回と同じところを折っていたりして、あ~やっぱりな、と思ったりした。大体のところは以前の感想に書いたが、今回も面白いと思ったところを幾つか引用してみよう。歴史上最初の数学上の証明の1つが、正方形の対角線の長さが通約不可能、つまり無理数であることの証明だった。スカリゲルの"ユリウス日"(かのユリウス・カエサルではなく、スカリゲルの父の名にちなんでつけられた呼び名)は、天文学上の出来事が起こった日を述べる標準的なやり方となった。私たちの数字は、インド人が用いた記号が発展したものだ。だから本来、アラビア数字ではなくインド数字と呼ばれるべきである。都合よく数学の規則を無視すると、リンゴの落下から空の惑星の軌道まで、何もかもが説明できるとなれば、誰もゼロで割ることを気にしなかった。正しい答えが出るとはいえ、微積分を用いるのは、神の存在を信じると宣言するのにおとらず、信仰に基づく行為だった。ひも理論で宇宙からゼロを追放するという考えは、当分の間、科学というよりは哲学思想にとどまる。ひも理論が正しい可能性は十分あるが、確かめる手段はけっして手に入らないかもしれない。ゼロはまだ追放されていない。それどころか、ゼロが宇宙を創造したように思われる。異端の数ゼロ/チャールズ・サイフェ
2012.05.26
「秘密の窓、秘密の庭」(スティーヴン・キング、文春文庫「ランゴリアーズ」所収)を再読。「Four Past Midnight I, II」という2冊の中篇集に「図書館警察」「サン・ドッグ」「ランゴリアーズ」とともに収録されていた1作。何故かこの作品だけ再読していなかったので、読み直してみた。主人公の作家モートに突然の訪問者シューターが訪れ、自分の小説を盗作したなと云われる。もっともそんな憶えのないモートは、自分の小説の方が先に出版されたという証拠を突きつけてみせる、と息巻く。ところがいざ証拠探しを始めると、まるでシューターが先回りしたかのように、とことん証拠となる品が手に入らなくなっていく。そんなシューターのせいで徐々に正気と狂気の間の一線を越えようとしていくモートの運命は…という話。作家を主人公としたキング作品には「ミザリー」や「ダーク・ハーフ」があるが、本作はモートvsシューターという争いを描いているという点で、どちらかというと「ダーク・ハーフ」寄り。それにしてもキングは人間の狂気というホラーを描かせたら天下一品だなと思う。ちなみにこの作品は映画「シークレット・ウィンドウ」の原作である。映画と小説で結末が異なっているが、是非両方お楽しみ頂きたい。
2012.05.24
「入り江」(スティーヴン・キング、扶桑社ミステリー「ミルクマン」所収)を再読。映画化のニュースが出ていたので再読してみた。主人公はある小島に住む老女。彼女は「入り江」を挟んだ対岸の本土には、生まれてこのかた渡ったことはない。そして、いつのころからか<愛しているかい?>という問いが彼女につきまとうようになっていたが、彼女はその意味が判らなかった。そして、ある冬のこと、入り江が全面凍結して、歩いて本土までいける状態になった。そのとき彼女のとった行動とは、彼女の身に起こったことは…という話。もちろんホラーのキングの短篇であるので、ホラー的要素は入っている。しかし、けっこう文学的な作品にも仕上がっているのではないかと思う。とすると、映画化の話というのも納得がいくかなぁ、という感じがする。でも私自身は映画館で観たいとは思わないなぁ。ちなみに本作が書かれたのは1981年。ところで、「ミルクマン」全体を再読した時の感想はこちらに書いてあるのだが、本作については何のコメントもしていない。残念ながら、短篇集全体の中ではあまり印象に残らない作品なのかもしれない。いかんせん「生きのびるやつ」の印象が強過ぎるので。
2012.05.22
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「科学と方法」(ポアンカレ、岩波文庫)を読む。「科学と仮説」、「科学の価値」、「科学と方法」、「晩年の思想」からなる、ポアンカレの「四部作」の第三集。まず、漢字が旧字体なので読みにくいという問題がある。実際読めない漢字もあり苦心しつつ読んだ(ちなみに邦訳初版は1953年。以下では判りやすいように現在の字体の漢字を用いて書く)。底本は1908年なので、相変わらずエーテル仮説が顔を出したり、ダークマターを認めなかったりするので、その辺を差し引いて読む必要がある。大体の内容は、末尾の「総括」の内容を読めば分かる。例えば、莫大な数の自然現象の中あるいは組合せから、科学者が如何に研究対象を選択するか、そこに含まれる偶然性をどう見るべきか、当時の物理学に対して問題提起として提出された新しい物理学、最後に天文学と測地学について、というのが大枠である。途中判りにくかったのは論理学に関する記述で、特に数学と論理学の関係や、「数学的論理学」のに関する記述は、論理学をきちんと学んだことのない私には、なかなか厳しかった。逆に面白いと思ったのは、数学教育に関することや、天文学を気体分子運動論とのアナロジーで論旨展開しているところ、測地学を戦争の歴史の中に於いて説明しているところなどである。「科学と仮説」、「科学の価値」、「科学と方法」、という風に刊行の順に読んできたおかげで理解できた部分もある。ただ、この3冊の中で最も読みやすいのは、第二集「科学の価値」であった。2箇所ほど面白いと思ったところを引用しよう。我々は我々で考え方を異にし、我々と同時代の人のために一時間労を省いてやるよりも、我々の孫に一日の労を省いてやる方をさらに大きな幸福と感ずることがときにあるのである。「労を省く」のももちろん重要だが、例えば防災など子孫の生命・財産の保護を目的とした場合にもあてはまると思う。もちろんポアンカレはそういう応用目的の科学の価値について述べているのではないのであるが…。最初の状態に於ける小さな差異が、最後の現象に於いて非常に大きな差異を生ずることもあり得よう。また、最初に於ける小さな誤差が、のちに莫大な誤差となって現れるでもあろう。かくて予言は不可能となって、ここに偶然現象が得られるのである。これこそまさに、現在におけるカオス理論であり、ポアンカレがその背後にある考え方を世界で最初にまとめあげたとされる所以の一端でもあろう。この点に関しては、別の本にも書かれていたので、そちらも参照されたい。ちなみに、第四集「晩年の思想」は、ちょっと調べたところAmazonの古書でえらく高額で扱われており、事実上入手不能なので、復刊ドットコムにリクエストしてみた。 科学と方法/ポアンカレ
2012.05.22
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「オブ・ザ・ベースボール」(円城塔、文春文庫)を読む。表題作「オブ・ザ・ベースボール」と、「つぎの著者につづく」の2篇の中篇からなる1冊。「オブ・ザ・ベースボール」は、田舎町ファウルズを舞台とした作品。この町には約1年に一度、空から人が降ってくる。一見ランダムに降ってくるような人は、何となく統計的な法則にしたがっているようないないような感じで、大数の法則・中心極限定理・大偏差定理といった言葉も登場する。そして、降ってくる人を助けるためにレスキュー・チームが組織されている。人数は9人。支給されているのはバットとユニフォーム。でも野球チームではない。実際に人が降ってくる場面に初めて遭遇した主人公がとった行動とは…という話。「つぎの著者につづく」は、原初の言葉とは何かという問いに発する。しかし、主人公の著作がRという人物のそれにそっくりであると評されるという展開に。主人公はRの著作をひとつも読んだことがないにも関わらず。おまけに調べてみると、Rという人物は全く素性が判らないとくる。そんな話を、古今東西の文学・哲学の直接・間接の引用やら、物理・数学の概念やらを大量に織り交ぜて展開した話。物理・数学については、鞍点・焼き鈍し法・カオスの縁など私にもお馴染みのモノが登場。読みやすさという点では「オブ・ザ・ベースボール」に軍配が上がるが、私が気に入ったのは「つぎの著者につづく」の方。正直、何だかワケ判らんなぁという気がしなくはないが、判らないものというのは面白いモノである。例えばエヴァンゲリオンとか。ちなみに、「オブ・ザ・ベースボール」は文學界新人賞を取ったそうであるが、これは正直、文学とはいい難いし、私見としては対抗馬がいなかったからじゃないかと邪推してしまう。私にとって文學界新人賞のイメージは、鷺沢萠の「川べりの道」(文春文庫「帰れぬ人びと」所収)みたいな、ホントに純文学的な作品なので、この点は仕方ないと思って頂きたい。それはさておくとして、円城塔という作家の他の作品も読みたくさせる1冊であったのは間違いない。オブ・ザ・ベースボール/円城塔
2012.05.18
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「科学の価値」(ポアンカレ、岩波文庫)を読む。「科学と仮説」、「科学の価値」、「科学と方法」、「晩年の思想」からなる、ポアンカレの「四部作」の第二集。「科学と仮説」で述べられていることの引用もあるが、より平易な言葉で説明されているので、「科学と仮説」より読みやすい。タイトルだけ見ると、科学の社会における価値について書かれた本のようにみえるが、そうではなくて、いわば「科学のための科学」について書かれた本である。ちなみに底本は1905年刊。「科学の客観的価値」についてホントに述べられているのは最後の部である第三部。第一部と第二部は、「数理的科学」と「物理的科学」と題して、数学、幾何学、物理、天文、化学などの歴史、当時の状況、そして未来予想が述べられている。底本が前世紀初頭のものなので、相変わらずエーテル仮説などが幅を利かせていたりするが、そういう点を差し引けば古びた本という印象はない。ポアンカレのいう科学の価値とは、科学によって日常生活が便利になり、人間が科学をする時間が多くなることによって、より多くの真理を明らかにできる、という意味である。以下、面白かったところを引用しつつ紹介。絶対時間が定義できないことについて:「二つの事件が同時であるとか、前後しているとか、二つの経過時間が等しいとかは、自然法則ができ得るかぎり簡単であるように定義しなければならない。他の言葉でいうと、これらの規則すべては、また、これらの定義すべては、無意識な便宜主義の産物にすぎないのである。」絶対時間の定義不可能性は相対性理論の基礎なのだが、底本が出た時期がちょうど相対性理論が出始めた時期であるので、これは先見の明といって差し支えないだろう。一見科学として以外に役に立たなさそうな天文学について:天文学はわれわれをして自分を超えて向上せしめるから役にたつのである。また、天文学は偉大であるから役にたつのである。また、美しいから役にたつのである。これこそぜひ言っておくべきことにほかならない。ここにはポアンカレの、人間は生まれつき知・善・美を追究する本能が備わっているという主張が反映されている。天文学や生物学の将来について:星でさえも、おそらく、生命について、いつかは、われわれに何か教えてくれる日が来ることであろう。これは馬鹿げた夢のように見えるし、どうしたらその夢が実現するかはわたしにもまったく見当がつかない。しかし、百年前には、星の化学はやはり馬鹿げた夢のように見えたのではなかったろうか。これは見事に予言的中である。今の天文学や生物学の成果はここで私が云々しなくても明らかであろう。法則から原理が導かれることについて:原理は真でもなければ偽でもない。便利なのである。法則から帰納して原理を導けば、使いやすくなる、ということ。ポアンカレは一貫して原理主義でも絶対主義でもないことの一端が垣間見える。科学としての科学の価値について:…文明の目的は酒を飲むことの好きな連中にアルコールを提供することにある、ということを承認しようとしないかぎり、「幸福のための幸福」という標語も、これまた、「科学のための科学」というのと同じである。はっは~なるほどね(笑)ちなみに本書では、これならまったく申し分ない、とはいい得ない とはしながらも、長岡による原子の土星モデルについても紹介されている。日本人として少し嬉しくなる。それにしてもポアンカレ、さすがに「最後の万能学者」と称されただけのことはあるな、と思わせる1冊である。科学の価値/アンリ・ポアンカレ
2012.05.17
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ブログのアップがちょっと空いてしまったが…本を読んでいなかったわけではない。面白くなかったわけでもない。科学モノのエッセイを読んでいて、内容的には面白かったのだが、いかんせん文章が冗長なので、途中で投げてしまったのだ。この手の本は一気に読み切ってしまわないとダメだなぁと、これまで何度か思ったことをまた思った。それで、次は気分を換えて小説でも…ってことで。「ヒトリシズカ」(誉田哲也、双葉文庫)を読む。6章の連続短篇からなる刑事モノ(推理モノ)の長篇小説。一篇一篇それぞれに特徴があり、すぐに犯人に辿り着くモノ、犯人がすぐ見つかったと思いきや確固たるアリバイがあるモノなど様々。そしてもちろん、6篇全てをつなぐ伏線となる人物が…タイトルの「ヒトリシズカ」の意味が判った、と思った次の短篇でそれがスルリと手から抜けていってしまったりして、ホントに最後まで判らないストーリーだった。私のように結末が気になる人は一気に読むもよし、一篇一篇の伏線を楽しみながらじっくり読むもよし、な一冊。ヒトリシズカ/誉田哲也
2012.05.14
「科学と仮説」(ポアンカレ、岩波文庫)を読む。タイトル通り、科学における仮説の役割とその重要性を説いた1冊。一番最初は数学(算術)について。ここでは、整数の足し算という簡単な算術の性質について、まず通常の数学通り演繹的に、続いていわゆる数学的帰納法について説明されている。両者が同じ結果を導くのは当然であるが、私はむしろ「数学的演繹法」の方になるほどなぁ、と思った。次に幾何学である。ここでは非ユークリッド幾何学として、球面幾何学やロバチェフスキー幾何学、リーマン幾何学があり得ること、それでもユークリッド幾何学がよく使われるのは、単にそれが「便利」だからであることが述べられている。私はユークリッド幾何学と、ほんの少しの球面幾何学しか知らないので、他の幾何学については、どんなものかイメージ出来なかった。しかし、「利便性」ゆえにユークリッド幾何学が選択される、というのも幾何学における「仮説」なのだということを認識した。続いて、力学やエネルギーについて。力学は実験科学であることが数学・幾何学と違うが、そこでも仮説は同様に働く。というよりはむしろ、実験を説明できない理論・仮説・数理・数式は当然ながら淘汰されていくので、より仮説志向の科学である。ここで生き残る理論はエネルギーの保存と最小作用の原理だけである。最後の方のメインは電磁気学である。ここでは電磁気学の歴史的発展を見ることで、過去の仮説が如何に変更あるいは棄却され、今の電磁気学に至っているかを述べている。ただし、本書の底本は1902年出版であり、まだ現在の電磁気学には至っていない。実際、エーテル仮説が未だに幅を利かせている。よって、現代の電磁気学を既に学んでしまっている私にとっては、若干退屈かつ理解しにくいところがあった。また、ひとつ加えるとすれば、図面が一切ないことも理解を苦しめる一因である。ただし、本書は電磁気学の教科書ではないので、それはそれで本書はその役割を果たしていると思う。そして、その中に「紛れている」(といっては失礼だが)のが、確率論や誤差論である。これは今の私にとっても難しい分野で、かつ例として取り上げられているカードゲームが私の知らないものであるので、なかなか苦戦した。ただ、補間、誤差曲線、事前確率など、現代の科学にも通ずるものがある。更に凄いことに、絶対座標が存在しないであろうことなども述べられている。これはアインシュタインの相対論まで待たなければならない理論である。その他にも、先見の明のある記述が幾つか認められる点は凄いと思う。
2012.05.07
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長沢ゆりかさんの3rdアルバム「1999 voce」を、Amazonのusedで見つけたので購入。昨日届いたので早速聴いてみた。相変わらず(って後で書くけど2ndアルバムから2年しか経っていないから当たり前なのだが)、アップテンポな曲はパワフル・ボイスで、バラードはリリカルに歌い上げるゆり姉。このアルバムもいい曲ばかりだ。それにしても、1st「Crescendo」(1995年)と、2nd「Rumour」(1997年)は持っていたのに、何故これだけ持っていなかったのかは不明…。さすがに1999年に出たアルバムだけあって、歌詞には 「The end of century 近づいてる」(Key of Life) なんてのもあって、時代を感じさせる。あと気になったのは、HOSHI-NI-NEGAI-WO という曲の歌詞で、「メリークリスマス」が「Marry Christmas」と書かれていたこと。これはわざとなのだろうか? 歌詞の他の部分には、結婚に関する記述はないと思うのだが…。最後に、気に入った点をひとつ。作詞・作曲・編曲者の一覧がブックレットの最後尾についるのだが、このCDのは凄くカッコいい!
2012.05.03
「都庁爆破!」(高嶋哲夫、宝島社文庫)を読む。テロリストと思われる集団に都庁が爆破され、展望室の客や都庁職員が人質として閉じ込められる。背景には、ニューヨークWTCビルへのテロ、地下鉄サリン事件、イラク戦争、アフガン戦争などが見え隠れする。おまけに世界の金融市場が不穏かつ異常な動きを見せる。事態に対応する都知事vs総理の対決(というと言葉は悪いが)が、かなりリアリティがあるというか、万が一こんなテロがホントに起きたら、本作で描かれている通り、総理(政府)は何の役にも立たなくて、都知事の方が上手く対処するのではないか、と思う。また、テロに対する日本の危機意識・危機管理レベルの低さという点でも、本書は単なる虚構ではないと思う。そんなわけで、きっちり読めば読んだ分だけある意味勉強になる作品であるし、エンタメ小説として一気に読むこともできる。ただし、後者の場合若干難しい記述や伏線もあるが…。例えば、…都庁は世界貿易センタービルのようなやわな崩れ方はしない、万全の対策を講じている というバカみたいな安全神話や、何事も閣議を開いてバカみたいに時間をかけないと決定できない政府なんていうのは、事実といっていいだろう。あと面白かったところを列挙してみると、いずれも実際の日本の社会にあてはまる話ばかりのように感じる。「自衛隊をどうするって? 戦争じゃ後方も前方もない。武器使用が憲法違反? 自衛隊の存在自体がそもそも憲法違反だ。いまさら、そんな馬鹿げた議論を口から泡を飛ばしながら本気でやっているのは、日本の馬鹿議員ぐらいだよ。毎回毎回、馬鹿げたごまかしの議論で時間を無駄にしているんだ。あんたらには、もっと他にすることはないのか」「宗教は人間に災いだけをもたらすもののような気がする。世界の大部分の戦争は宗教がらみだ。人間に平和を与えるのは政治なのかもしれない」自衛隊はだれがどう見ても軍隊だ。これを真に違うと信じてる奴などいないはずだ。いれば脳味噌の構造がかなりおかしいのだ。それを、あくまで言葉のあやでごまかそうとする。憲法で軍隊を認めていないのであれば、自衛隊は存在しないのだ。存在しないものの議論をどれほど国会でやっても茶番にしかすぎない。まず政治から老害をなくさなければ、日本はいつになってもこのままだ。だが、秘書に支えられてうつろな視線を向ける半分ボケた議員に国民は不安を感じないのか。七十代の後半になって、よろめきながら国会を歩いている姿は老醜以外のなにものでもない。…「…いまの日本の政治にはまやかしが多すぎる。私利私欲の塊のエセ政治家が多すぎるんですな。…」ちなみに私自身も自衛隊の存在には反対だが、その趣旨は本作で描かれているものとは全く違うことを書き添えておこう。もうひとつ、私は人間に平和をもたらすのは政治ではなく科学だと思う。
2012.05.01
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