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「歴史は『べき乗則』で動く-種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学-」(マーク・ブキャナン、ハヤカワ文庫NF)を再読。2回読んでも面白いという本はある。本書はそのひとつである。本書の第1章は、何故第一次世界大戦が始まったかというエピソードから始まる。そして、地震、大火災、株価の突然の暴落、生物の大量絶滅、砂粒の山の崩落などの現象は基本的には予測不可能であるのだが、共通性を持っているのではないかという問題提起がなされる。それらを語るキーワードは、複雑系、カオス、フラクタル、(自己)組織化などであることが、あとの章で徐々に示されていく。第2章以降の数章は、地震を例にして話が進む。何故地震予知はことごとく失敗してきたか、それにもかかわらず地震の規模と発生回数の間には明確なべき乗則(グーテンベルク-リヒターの式)が成り立つことが示される。これは、大地震と微小地震の原因は全く同じであることを示す。すなわち、断層で岩石の破壊が始まった時点では、どこまで規模が大きくなるかは予測不可能なのであるが、統計的にはその規模は一定の法則に従うのである。その後、同様のべき乗則が様々な自然現象に見られること、全てにおいて「スケール不変」であることが示されていく。冒頭で述べた現象の他にも、超流動体、鉄の磁石、中性子星などである。更に自然現象だけにとどまらず、都市の大小、貧富の差、科学の歴史 (クーンの「パラダイム」)、戦争や革命といった人間の関与する問題においても同様にべき乗則が成り立つことが示される。そして最後に、人類の歴史(歴史学)自体にも非平衡統計物理学に基づくべき乗則(法則性)があるのではないか、と提案されている。べき乗則が非常に一般的であり、一見予測不可能な様々な自然現象や社会現象を説明しする強力なツールであることが、読者は明快に理解するのである。以下、面白かった記述を幾つか引用。「私は、地震学にかかわりはじめて以来ずっと、地震予知も予知をする人も大嫌いだ。マスコミや一般大衆は、餌場に集まる豚のように地震予知の内容に飛びつくのだ。」(チャールズ・リヒター)「科学は物事を説明しようとはしない。解釈さえもめったにしない。たいていはモデルを作るだけだ。」(ジョン・フォン・ノイマン)…地震の起きなかった時間が長いほど、その先も地震の起きない時間は長いだろうということである。これは我々の直感に反している…「経済学者とは、経済について誤った推測をして金儲けをする専門家だ。」1920年代、ボーアは、量子的物体を観測する行為は必然的にその物体の性質を変えるという、量子論の不確定性原理に、かなり夢中になった。この原理を、社会科学や心理学といった、観測者が必然的に観測対象の振る舞いに影響を与えるような分野にも、有効に応用できるかもしれない、と示唆した論文さえ書いている。ちなみに、1回目に読んだ時のレビューはこちら。歴史は「べき乗則」で動く
2012.03.31
「デッド・ゾーン(上・下)」(スティーヴン・キング、新潮文庫)を再読。少年時代のスケート中に転倒し頭を打った後、かすかな予知能力を発揮した主人公・ジョン・スミス。そしてそんなことをすっかり忘れてしまい、ハイスクールの教師となったジョンは、ある日タクシーに乗車中、不運な事故にあってしまい、4年半もの昏睡に陥ってしまう。奇跡的に昏睡から覚めた彼は、再び予知能力を身に着けていた。そんな彼を待ち受けていた運命とは・・・。本作にも、他のキング作品へのインプリケーションが幾つか見られる。小説「キャリー」の名前。「呪われた町」のジェルサレムズ・ロットと「マーステン家」の墓。最後にジョンの独白から一節。三つのDに乾杯―死(death)、破壊(destruction)、運命(destiny)に。それらのないところといったら、どこだと思う?
2012.03.28
「相対性理論」(アインシュタイン、岩波文庫)を読む。アインシュタインの原論文の邦訳と、それを易しく噛み砕いた解説の2部からなる。解説→原論文の順に読み、更に原論文をもう1度読んだ。読む前は難し過ぎるかなと思ったが、簡単な数学・幾何学(と、少しの電磁気学)が身についていれば、十分理解することが出来た。時間の定義(動く物体では時間が遅れる)、同時刻の判定法(2つの出来事が同時に起きるとはどういうことか)、長さの測定法(動く物体は収縮する)といった、重要ではあるがそれまでの物理学では暗黙のうちに仮定されていたことから、理論を再構築していけば、相対性についての理論が得られるという、アインシュタインの思考過程がよくわかる1冊。
2012.03.24
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「ロードムービー」(辻村深月、講談社文庫)を読む。「街灯」「ロードムービー」「道の先」「トーキョー語り」「雪の降る道」の5篇からなる短篇集。短篇といっても、ショートショート的な「街灯」を除いた4作品は、長さ的には中篇といってもいいかも知れない。そして、「ロードムービー」「道の先」「雪の降る道」は、先日読んだ「冷たい校舎の時は止まる」のスピンオフ的な作品である。ただ、私は「道の先」のどこがスピンオフになっているのかは巻末解説を読むまで判らなかった。一番印象的だったのは、「ロードムービー」。あっ、またしてもやられた、というのが正直な感想。他の作品(本書収録以外も含めて)も読むと、この作家が10~20台に人気があるのが判る。私ももっと若いうちに読んでいれば、印象は変わったと思う。何せ作者自体が私より年下なのだ。(だからといって、馬鹿にしてるわけではないですよ。)「―あーあ、ここでも向こうでも、やっぱり生きていくことはままならないなぁ」(「トーキョー語り」より)ロードムービー
2012.03.22
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昨日はZARDギャラリーに行ってきた。地下鉄の麻布十番駅から鳥居坂を上って会場へ。鳥居坂がけっこうな急坂(←ただしくは「きゅうはん」と読む)だったのは驚いたが・・・。会場につくと、ちょうど映像の上映が始まるところだったので、まずはそこに滑り込む。ライブ映像や、プロモ・ジャケットの撮影風景、レコーディング風景などが収められた映像を堪能したのち、ギャラリーへ。ギャラリーでは、歌詞が書かれ推敲された直筆のノートや、プロモ・ジャケットで使われた衣装、小物などが展示されていた。そして更に・・・ココから先はネタバレを防ぐため書かないでおこう。映像や展示を見つつこんなことを思った。―遠くを見つめるどこまでも澄んだ瞳―はにかんだような笑顔―少年のように駆け抜ける姿―紡ぎだされた数々のすばらしい詞―坂井さんはとても素敵な人です。(「すてきな人でした」とは書けない。これからも私やファンの中で生き続けるのは間違いないから)少年の瞳を ずっと忘れないでね「不思議ね・・・」より。
2012.03.21
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「系外惑星―宇宙と生命のナゾを解く―」(井田茂、ちくまプリマー新書)を読む。天動説と地動説、ニュートンの万有引力の法則、ケプラーの法則、天文学の歴史からはじまって、宇宙論、惑星形成の理論、そして太陽以外の恒星の周りを回る「系外惑星」の話、果てには地球外生命に関する話までを、最新の研究成果をもとに解説した1冊。平易な言葉遣いと卑近な例を多く使って、判りやすく書いてあり、専門外の人でも読みやすく、宇宙や惑星、生命の誕生の物語にロマンを感じさせる。また、科学の研究として何が判っていて、何が判っていないかということや、科学とはどういうものか、といった、本論とはちょっとそれる話もなかなか面白い。ただ、著者の他の本にも見られるのだが、科学者の書いた本にしては基本的な用語の誤りとか不適切な表現が幾つか見られたのが残念。私が気付いたのは、以下の箇所だ。P.21に全く同じ文が2回繰り返されている。これは単なる校正ミスか。P.87の「ミクロンメートル」は、ミクロンかマイクロメートルのいずれかであろう。P.155ではちゃんと「ミクロン」と書いてあるのに。P.142の「衝突の後」は「衝突の跡(もしくは痕)」のことだろう。全体にわたって何箇所かに認められたのは、「水素は原子の数が1つ、ヘリウムは原子の数が4つ」というもの。この「原子」は明らかに「質量数」も誤り(ただし重水素などを除けば、の話)。水素原子1個だろうと、ヘリウム原子1個だろうと、原子が1個であることには変わらないのは、当たり前の話。本自体は面白いから、余計にこういう誤りが気になってしょうがない。系外惑星―宇宙と生命のナゾを解く―
2012.03.18
「回想のビュイック8(上・下)」(スティーヴン・キング、新潮文庫)を再読。警官である父カートを事故で失った少年ネッド。父の生前の勤務先である警察分署のガレージに封印されている、謎の車「ビュイック8」にまつわる様々な逸話を、父の同僚である警官たちから聞く、という物語。このビュイック8は、車の形状をしているが実は車ではなく、しかもこのモノの周りで不可解な現象が多発し、カートがそれらに夢中になっていたことが語られていく。と、これだけ書くとキングお馴染みのホラーに聞こえるかもしれないが、作者による覚え書によれば本書の物語は、人生のさまざまな出来ごとが本質的には解読できない性質をもっていることや、その数々の出来ごとに首尾一貫した意味を見つけるのは不可能だということへの考察になった……と思う。ということである。また、訳者あとがき(訳者はキング作品をたくさん手がけている白石朗)によれば、…”新生キング”ならではの、人生についての透徹した視線が随所に感じられるばかりか、それが前篇に通奏低音のように流れている点や、登場人物の口を通して深い思索がちりばめられている点、そして全体からある種の達観が浮かび上がってくる…とのことである。キングの最近の作品に見られる「人間ドラマ」を描いた1作になっているのである。
2012.03.17
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旧東大海洋研の裏の路地を東へ向かい、方南通りに出て更に東に向かうと、都営大江戸線西新宿五丁目駅の前に出る。そのまま更に東に進み、新宿に近づくと、新宿中央公園の脇に出たあたりで北通りに名前が変わる。そして更に東に進むと、そこは新宿駅西口。バスターミナル越しに小田急ハルクを撮影。往復1時間20分程度。新宿周辺は大通りが多くて、何度も信号に引っかかったので、ちょっと時間をロスしたかも。でもまぁまぁいい散歩コースだった。この項、とりあえずお・わ・り。
2012.03.16
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東大付属から方南通りを西へ、続いて中野通りを北へ向かい、寿橋の手前をちょっと西に入る。すると、東京メトロ丸の内線の中野富士見町駅に出る。そこから東へ向かい、中野新橋駅から南下、再び東大付属を経て帰ってきた。今回は往復ではないが、全体で50分程度。やや短めの時間かな。
2012.03.15
「海の鳥・空の魚」(鷺沢萠、角川文庫)を読む。神はまた言われた。「水は魚の群れで満ち、鳥は地の上、天の大空を飛べ」。神はこれらを見て良しとし、また祝福して言われた。「生めよ殖えよ。魚は海の水に満ちよ、また鳥は空に殖えよ」。どんな人にも光を放つ一瞬がある。その一瞬のためだけに、そのあとの長い長い時間をただただ過ごしていくこともできるような。一瞬一瞬の堆積こそが人の一生なのだと言われてしまえば、それを否定することはやはりできないけれど、うず高く積まれてゆく時間のひとコマひとコマ、その全てを最高のものに仕立て上げるのはとても難しいことだ。難しいことだから、「うまくいった一瞬」が大切なものになるのではないだろうか。神様は海には魚を、空には鳥を、それぞれそこにあるべきものとして創られたそうだが、そのとき何かの手違いで、海に放り投げられた鳥、空に飛びたたされた魚がいたかも知れない。エラを持たぬ鳥も羽根を持たぬ魚も、間違った場所で喘ぎながらも、結構生きながらえていっただろう。もっとも、そこにあるべくしてある連中に比べれば何倍もやりにくかっただろうけれど。そうして、「やりにくかった連中」にだって「うまくいった瞬間」はあったはずだとわたしは思うのである。今ふり返ってこの本に収められた二十のストーリイを読み直してみると、自分のまわりのさまざまな人たちがそこここに顔を出していて改めて驚いてしまう。彼らのことを海の鳥あるいは海の魚だと、私が言ってしまうのは僭越に過ぎるだろうが、けれどわたしは、思いどおりにいかないことがあっても鼻の頭にシワを寄せてちょっと笑ってみせることで済ましてしまう彼らのことが、大好きである。これは、この本の<あとがきにかえて>の文章をそのまま書き写したものである。で、いきなり話は飛ぶのだが…。この本は20篇からなる短篇集で、出版されたのはもうだいぶ前のこと。短篇「金曜日のトマトスープ」の記述を借りれば、現在の横浜DeNAベイスターズがまだ大洋ホエールズであり、DeNAの監督の中畑が巨人の選手で、大洋に屋敷という名外野手がいた頃のことである。これではちょっと判りにくいかもしれないので…私の手許にあるこの本は、平成5年に出された第3版である。ということは、私が高校に入った頃である。そういえば鷺沢萠を読み始めたのは高校時代だから、計算は合っている。その頃から今までにこの短篇集を何回読んだかはさだかではない。あるときは何かに行き詰って、またあるときは何かに悩んで、何かに葛藤して、それから何でもない時にも読んだ。多分生涯で一番多い回数読んでる本である。そして、私も「海の鳥・空の魚」なんだと思う。ちょっと生きにくい生き方でも、不器用だからそういう生き方しかできないという意味において。実はこの短篇集で私が一番好きなのは、冒頭に書いた<あとがきにかえて>なのである。何故ひとつの短篇作品を挙げないのかを説明するのは、なかなか難しいだが、私にもやっぱり「うまくいった瞬間」は幾つかあると思うのがひとつの理由だろう。もうひとつ理由を挙げるとすれば、20人の「海の鳥・空の魚」たちは皆それぞれが自分の投影であるように思えるし、逆に私は彼ら皆の投影であるように思えることだろうか。それは単に「うまくいかない」自分に対する「言い訳」や「正当化」なのだと言われれば、私はこれを否定することはやっぱり出来ないのであるが。これを初めて読んだ時から、私は高校生・大学生・大学院生そして社会人と変わってきたのであるが、基本的には変わっていないし、その過程でいろいろあったけど、それは多分こんなことだ。-何が変わったのかな。-わからない。何も変わってないような気がする。-何を失くしたのかな。-いろいろなもの。-何を得たのかな。-いろいろなもの。でも失くしたものよりは少ないのかな…。(短篇「横顔」より)つまりそんなことなのである。「そんなこと」がどんなことが判らない、という人は是非この短篇集を読んで頂きたい。(まぁ旧い本なので入手が困難かもしれないが。)で、最後にオチ的な話をひとつ。私が常日頃思っていることを、ある作品の登場人物も同じように思っていた箇所があったのだ。-こないだなんか、マスカラのつけすぎで睫毛がゴキブリの足みたくなってたわ。(短篇「東京のフラニー」より)まぁこういう爽快な表現もありつつ、やはり私は今日も「海の鳥・空の魚」のひとりとして生きていくんだと思う。
2012.03.14
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水道道路を西へ向かい、富士見ヶ丘高校の交差点を南下して、まずは京王線笹塚駅へ。その後、駅を南に抜けたところでレトロな郵便ポストを発見。さすがに現役ではなかったが…。続いて、京王線の線路の南側の道路を通って代田橋駅に向かうも、環七にはばまれ、渡るところがない。そこで、京王線のガード下を抜けて一度甲州街道に出てちょっとだけ西進して南下、ようやく京王線代田橋駅に到着。今度は来た道よりもより南側を通って笹塚方面に戻ろうとしたところ、環七と井の頭通りがぶつかる方へ向かっていることに気付く。また渡るところがない。(というか、こんなところは歩くところではなく、車で通るところなのは明らかだが、運転しない私にはその辺を理解するまでちょっと時間がかかってしまったのだ。)結局、来た道を逆にたどって笹塚駅へ戻る。そこからは京王線の南側の道(今度こそ)を通って戻ろうと思ったところで、エヴァンゲリオンの綾波レイと遭遇!思わず写真を撮ってしまった。何のことはない、ただのイタリアンレストランの看板だった。しかし何故綾波…?そして帰宅。代田橋駅の南側でちょっと時間をロスしたので、往復1時間半程度だった。
2012.03.14
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「量子コンピュータとは何か」(ジョージ・ジョンソン、ハヤカワ文庫NF)を読む。コンピュータ科学と量子力学の基本から説き起こし、量子コンピュータの原理およびそれが応用可能な問題、そして量子コンピュータの将来について書かれた1冊。量子力学は日常の我々の世界とは全く違ったミクロな世界を記述する物理である。ミクロな世界には、粒子と波動の二重性、粒子同士の絡み合い、粒子が持つ状態の重ね合わせ等々様々な不思議な現象が現れる。それらを利用したのが量子コンピュータであり、イメージ的には「超並列計算機」みたいなものだが、全てのデータを粒子の重ね合わせで表わすことができるので、その計算速度は「古典的計算機」とは全く次元の違ったものとなる。これだけでも本書は大変面白いものなのだが、量子コンピュータに関連するいろいろなアルゴリズムなどの中にも面白いものがある。以下、私が面白いと感じたところをいくつか箇条書きにする。・モジュラ算術を使った(素)因数分解。(因数分解は計算機の性能を表わす指標である。)・そのモジュラ算術の一部として、フーリエ変換が使われている。・量子力学における振幅と確率の関係を用いて、データベース検索を行うことが出来る。・シュレーディンガーの猫のパラドックスを解く方法。・重ね合わされた2つの状態を、実際に分離し、2つの場所に同時に存在させることが出来る。・パリティ・ビットやハミング・コードが、量子コンピュータでもエラー検出手法として使われる。・「量子暗号」の技術は既に商用化されている。・何故ソフトウェアが無保証で売られているかということ。・あの「オラクル(Oracle)」は、神託あるいは神託装置という意味である。他にもいろいろあるのだが、それは本書を読んでのお楽しみ。量子コンピュータとは何か
2012.03.13
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花粉症のせいでだんだん外歩きが辛くなってるが…。まずは先日と同じように小田急線東北沢駅まで行く。改めて写真を撮ったら、下の方に自分の手が入ってしまった。まぁケータイのカメラで撮ったものだからお許し頂きたい。そのまま東北沢駅の踏切を渡って道なりに進み、三角橋交差点で南西に曲がって更に進むと、京王井の頭線池ノ上駅に出る。電車が来てない(遮断機が上がっている)ことを確認して、踏切内からホームの駅名表示板をケータイで撮影。往復1時間強の散歩だった。
2012.03.13
私はSharpのテレビとHDDレコーダを使っているのだが、最近相次いで両者が不具合をきたしてしまった。まずテレビの方から…。機種・型番: AQUOS LC-20GH1不具合: 試聴中に突然映像が真っ暗になる。その間も音声のみは正常に出ている。しばらくすると映像も復帰する。自分でしたこと: webで調べたところ、同じ機種・型番で同じ症状が出ているという報告を発見。どうもバックライトを制御する基盤がらみのインバータが原因であるらしいと判った。対応: サポートセンタにTELして、上記の内容を伝え、技術者に来てもらう手配をした。技術者はテレビの裏側のカバーを外し、その中に何重にもあるより小さなカバーを外して、インバータを交換してくれた。ちなみにテレビの中というのはパソコンの中にちょっと似ていて、いろいろな基盤類やメモリに似た部品なんかが見えた。そしてHDDレコーダの方は…。機種・型番: BD-HDW73不具合: 電源を入れると、その後一切のリモコン操作が不能になる。電源をオフにすることも出来ない。自分でしたこと: マニュアルにしたがってリセットをしてみたが、症状は変わらなかった。対応: サポートの技術者がリセットをかけたら、私がやったときとは違うメッセージが画面に出て、そのまま無事復旧した。ちなみにテレビの方は保証期間が切れていたにもかかわらず、無償で修理してくれた。(HDDレコーダは保証期間内)ちなみにその技術者の話だと、レコーダの中のHDDは「消耗品」なので、大事なデータはバックアップをとっておくべきとのことだった。まぁバックアップに関しては納得するが、買って1年も経っていないのに「消耗」というか「劣化」してしまうのは、製品としてどうなの、と思った。そういえば昔、Sonyがウォークマンを大ヒットさせた原因として、他社なら怖くてこれ以上小さく出来ない部品を、Sonyは無理やり小さくしたからだ、という話を聞いたことがある。昔であれば製造にしろ建築にしろ余分な「安全率」を多めに見積もって作られていたのだが、最近ではテクノロジーが発達したことによって、安全率ギリギリのところでものづくりをしているのではないかということである。特にスマホなんかはその好例かなと思う。(だからというわけではないが、私は未だにスマホではない。)
2012.03.11
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「空白の天気図」(柳田邦男、新潮文庫)を再読。まず最初に…私の手許にある本書は古書で買い求めた旧い新潮文庫版であり、紙もかなり焼けてしまっている。しかし、最近文春文庫から新しい版が出ているので、今後の読者には是非そちらをおすすめする。さて本書は、昭和20年に広島に落とされた原爆と、その後わずか1カ月後の枕崎台風という「二重災厄」を、主に広島地方気象台の台員たちの視点で描いたノンフィクションである。そこには、原爆投下直後にその調査に乗り出した気象台員の奮闘や放射線障害の発病、広島市とその周辺の被災および被災者の様子、そしてそれに続く枕崎台風についての同様なことがリアルに描写されている。そして、その後日談であるあとがきで締められている。例えば、原爆投下直後は無線受信機が破損して、中央気象台からの無線放送を受信できず、天気図の作成は出来なかったが、その中でも日常の観測業務だけは続行され、欠測がなかったことが書かれている。また原爆による死者のためのある死体収容所では「死体収容所」という文字と身元の判明した死者の名前が血で書かれていたといった生々しい記載もある。更には、原爆とその被害の調査のために広島入りしていた京都大学理学部・医学部の調査班が、枕崎台風による山津波で多くの犠牲者を出したことなども述べられている。また、私の知らなかった史実としては、岡田武松という気象学者・物理学者の名前がある。彼は「寺田寅彦と並ぶ知名度があり、中学生でも理工系に興味のある者なら、岡田の名前ぐらいは大抵の者は知っていた」そうである。更に、当時の中央気象台の台長であった藤原咲平は、戦後、軍の施設を譲り受けて気象台と測候所にするアイディアを持っていたのだが、松代大本営地下壕から現在の気象庁精密地震観測室が出来たのもそのひとつであるとのことだ。加えて、原爆後に広島地方気象台が広島管区気象台に格上げにされた際、台長に就任した菅原芳生氏は独自の「観測精神」を持っていて、どこからか旋盤を入手して、測器や用具の修理を自ら行ったそうである。彼の観測晴氏は「観測器械を自分で作ったり修理したりすることができるくらいでなければ、本当の観測など出来ない」という言葉に端的に表れている。(嗚呼、ごめんなさい。私は地震学徒であるにもかかわらず観測が好きでなく、器械作りも苦手で、それ故にIT関係の仕事に就いています。)本書は気象をはじめとする地球科学や医学に興味のある人だけでなく、昨今社会問題化している原発や核兵器について考える上でも重要な示唆を与えるものと思われる。こういう良書は是非英語に翻訳してアメリカ人にも読んで欲しい。そうすれば「原爆が戦争を終わらせた」という考えが如何に無知蒙昧なものであるか理解されるであろうと思う。空白の天気図
2012.03.11
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「冷たい校舎の時は止まる(上・下)」(辻村深月、講談社文庫)を読む。12月のある雪の日、登校してきた8人の高校生が、何か得体の知れない力によって学校に閉じ込められた。いるはずの教師や生徒もいない。扉や窓も開かない。時計は5:53で止まっている。2か月前の学園祭の最終日に起こった、クラスメートの自殺と何か関係があるのだろうか? 8人は試行錯誤を繰り返しながら脱出を試みる、という学園・ホラー・ミステリ。上下巻合わせて1200ページ弱という長さにもかかわらず(長い小説にはスティーヴン・キングで慣れている)、文体が読みやすいこと、それに「学園・ホラー・ミステリ」と、私の好きなジャンルが3つも重なっていることも手伝って、ほとんど息もつかずに読んでしまった。この作品の「人を閉じ込める」という設定から、私は直ちにスティーヴン・キングの小説「ランゴリアーズ」(文春文庫)を連想したのだが、いみじくも登場人物のひとりがそれと同じことを述べている。ひょっとしてこの作者はキングに影響を受けているのではないだろうか?それはともかく、話の中で彼らの脱出劇とともに、1人1人の過去明らかにされ、それぞれが抱えている闇の部分というか、葛藤や悩みが丁寧な筆致で描かれているのもこの作品の特徴だと思う。そしてストーリーの作り込みの部分も出色である。終盤で、それまでの色々な伏線が一気に繋がっていく。それはよくある「パズルの最後のピースが嵌る」というより、「パズルの全部のピースが一気に嵌る」という感じで、私は非常にな驚きを感じた。これで辻村作品を読むのは3作目だが、読み終わって気付いた。私はこの作家が好きだ、と。冷たい校舎の時は止まる(上)冷たい校舎の時は止まる(下)
2012.03.08

東大付属から北に向かうと、丸ノ内線中野新橋駅に出る。ここまでは前にも来たことがある。更に北に向かい、途中で西へ入りしばらく進んでから鍋屋横丁を北東へ進むと、丸ノ内線新中野駅まで行ける。ウチから往復1時間20分。なかなかいい散歩だ。
2012.03.07
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まずは京王線を南側に渡り、並木道に沿って歩き、それが途切れたらひたすら道なりに行くと、小田急線東北沢駅に出る。で、ここからホントは線路沿いに下北沢駅まで行きたいのだが、工事のため線路沿いが歩けない。そこで、線路の方向を見失わないようにしつつ、南西へ進む。途中で踏切を渡って商店街を進むと、そこには有名な本多劇場がある。(一応言っておくと、私は演劇や舞台には全くと言っていいほど興味はない)そしてそこからちょっと廻り込むように進むと、下北沢駅に到着する。ウチからかなり一生懸命歩いて往復1時間。まぁまぁいい運動になる感じ。
2012.03.06
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「リスク・リテラシーが身につく統計的思考法-初歩からベイズ推定まで-」(ゲルト・ギーレンツァー、ハヤカワ文庫NF)を再読。がん検診、DNA鑑定、HIV検査からクイズ番組まで豊富な例に関する多くのエピソードと、わずかな数式だけで、確率統計の初歩から、条件付き確率に関するベイズ推定(理系の私でも、一見ちょっとたじろぐ)までをかなり判りやすく解説した1冊。がん検診などの最新のテクノロジーも、偽陽性や偽陰性の問題が不可避的に含まれていることは、実はあまり知られていないだろうが、大事なことである。しかも、乳がん検診の偽陽性率は意外と高いのである(10回検診を受ければ、少なくとも1回偽陽性という結果が出る)。また、不確実性のある物事を確率という数字でなく自然頻度で表わすことで理解度が深まることを強調している。例えば、これらの女性の一人が乳がんである確率は0.08%。また、乳がんであれば、検査結果が陽性になる確率は90%です。乳がんでなくても、陽性となる出る確率は7%あります。ある女性の検査結果が陽性と出ました。この女性が実際に乳がんである確率はどれくらいでしょうか?と、女性1000人あたり8人が乳がんにかかっています。この8人の女性のうち、7人は乳房X線検査で陽性と出ます。乳がんでない992人の女性のうち、約70人はやはり検査結果が陽性になります。ある女性の検査結果が陽性と出ました。この女性が実際に乳がんである確率はどれくらいでしょうか?は同じことを表わしているのだが、上より下の方がずっと理解しやすいのではないだろうか。ちなみに正解は9パーセントである。意外と低いでしょ?私のような理系でも確率統計が苦手な人だけでなく、文系の人にも是非オススメしたい1冊である。がん検診の前に読めば、きっと考え方が変わるだろう。リスク・リテラシーが身につく統計的思考法-初歩からベイズ推定まで-
2012.03.06
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「ファイアー・フライ」(高嶋哲夫、文春文庫)を読む。社長と間違われて誘拐されてしまったエンジニア。誘拐の最中、彼には身に覚えのないとんでもない犯罪の嫌疑かかけられていることを知る。これを知ったエンジニアの復讐ともいうべき反撃が始まる、というストーリー。なかなかなさそうさ設定の話だが、話の展開がしっかりしている。また、短い文体で畳みこむようなところもあれば、重い文体で迫ってるようなところもあり、一気に読めてしまった。終わり方は…ここで書くのは無粋というものだが、胸のすくような結末だった。ファイアー・フライ
2012.03.04
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私の本棚は常時満タンに近い状態(某国の夏の電力使用率の如く)なので、文庫本に関してはある程度溜まるとBOOK OFFに持って行くようにしている。で、今まで聖域として手をつけていなかったキングの小説についてもちょっと手を打たないとなぁ、ということを考えるようになった。でも、読めなくなる作品があるのもイヤなので、まぁ苦肉の策かもしれないけど、次のような手に出ようかと思った。それは…『アンソロジーとキング個人の短篇集の両方に作品が収録されている場合、アンソロジーを処分する』というものだ。早速調査開始、ってことで調べてみると、ダブって持っている作品が少々出てきたので、以下に書いておこう。「魔法の猫」(扶桑社ミステリ)に所収の「魔性の猫」は、「夜がはじまるとき」(文春文庫)にも所収。「ショック・ロック」(扶桑社ミステリ)に所収の「いかしたバンドのいる街で」は、「いかしたバンドのいる街で」(文春文庫)にも所収。「ヴァンパイア・コレクション」(角川文庫)に所収の「新・死霊伝説<ジェルサレムス・ロット>の怪」は、「トウモロコシ畑の子供たち」(扶桑社ミステリ)に「<ジェルサレムス・ロット>の怪」として所収。(こういうタイトルが微妙に変わっているのには気をつけないといけない。)「死霊たちの宴(上・下)」(創元推理文庫)に所収の「ホーム・デリヴァリー」は、「いかしたバンドのいる街で」(文春文庫)に「自宅出産」として所収。処分できないもとしては、次のものがあった。「スニーカー」(ハヤカワ文庫)所収の「スニーカー」と「献辞」は、「いかしたバンドのいる街で」(文春文庫)にも所収だが、「リプロイド」は他のどの短篇集にも入っていないので、これは処分しない。処分したくないものとしては、次のもの。「ナイト・フライヤー」(新潮文庫)に所収の「ナイト・フライヤー」は、「ドランのキャデラック」(文春文庫)にも所収だが、新潮文庫の方を処分してしまうと連番が欠けることになるので、これは処分しない。短篇関係以外では、次のもの。角川文庫版の「ダーク・タワー」シリーズ。これはもう処分済み。何といってもシリーズの途中までしか出版されていないし、訳も悪いし、その後新潮文庫で新訳で全巻出たので。これはもう持っていてもしょうがない。それにしても、角川がキング作品に何故手を出したかは、私にとって今もって全く不明である。これで本棚のキング作品は、新潮文庫、文春文庫、扶桑社ミステリ、集英社文庫(「呪われた町(上・下)」のみ)、ハヤカワ文庫(上記の「スニーカー」のみ)にスッキリ整理できることになった。めでたしめでたし。夜がはじまるときいかしたバンドのいる街でドランのキャデラック呪われた町(上)改訂新版呪われた町(下)改訂新版
2012.03.04
Q:ズバリ、t-crossにとって読書とは?A:多分、衣食住の次あたりに必要なモノ。放っておくと休みの日はどこにもでかけず、日がな一日本を読んでいたりする。もちろん外出することもあるが、外に出るよりお金かからないし。いいじゃん出かけなくたって。ちなみに、大学時代の友人Hが言うには、私には「晴耕雨読」という言葉がピッタリとのことだが、これは半分間違い。何故なら私は「晴読雨読」だから。この項一応終わり。
2012.03.04
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「生命とは何か-物理的にみた生細胞-」(シュレーディンガー、岩波文庫)を読む。量子力学のいわゆる「シュレーディンガーの波動方程式」あるいは「シュレーディンガーの猫」で有名な著者による、物理・化学的視点から観た生命に関する1冊。量子力学を創造した筆者が、それ以降の原子物理学にほとんど寄与せず、むしろ分子生物学(生物物理学?)の生みの親となったというのはちょっと意外だった。本書では、タイトルの通り生物の現象(特に遺伝)について(著者の専門ではないが)と、それが物理的・化学的に説明できるか、という点が論証されている。今日的な分子生物学がまだ萌芽段階であったことを考えれば、彼の言わんとすることはまぁ妥当なのかな、という気がする。(ところどころ難解な箇所はあるとはいえ)しかし、結局、生物現象は物理や化学で説明できるのかという結論については、どうもはぐらかされてる感がぬぐいきれない。エピローグでは哲学に逃げてしまっているし。おまけに、岩波文庫収録に当たって書かれたという訳者あとがにでは、何故か性科学(生科学ではない)が話題になっていたりする。何故こんな結末になってしまうのか、私には頭を抱えることか、理解不能として突き放すことしかできない。生命とは何か-物理的にみた生細胞-
2012.03.03
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Q:オススメの(面白いと思う)ノンフィクションは?A:これはあれこれごちゃごちゃ書かずに、作品タイトルとかシリーズタイトルを並べるにとどめる。(内容的にはあれこれごちゃごちゃしているが…。)・カール・セーガンの科学エッセイ・鷺沢萠のエッセイ・犬丸りんのエッセイ・ハヤカワ文庫NFから出ている「数理を愉しむ」シリーズ「方法序説」(ルネ・デカルト、岩波文庫)「空白の天気図」(柳田邦男、新潮文庫)「理性の限界-不可能性・不確定性・不完全性-」(高橋昌一郎、講談社現代新書)「知っておきたい「酒」の世界史」(宮崎正勝、角川ソフィア文庫)「生命と地球の歴史」(丸山茂徳・磯崎行雄 、岩波新書)「スーパーアース」(井田茂、PHPサイエンス・ワールド新書)「地震と建築」(大崎順彦、岩波新書)「地震と防災-“揺れ”の解明から耐震設計まで-」(武村雅之、中公新書)「地震の揺れを科学する-みえてきた強震動の姿-」(山中浩明・編著、東京大学出版会)この項続く…。空白の天気図スーパーアース地震と防災-“揺れ”の解明から耐震設計まで-地震の揺れを科学する-みえてきた強震動の姿-
2012.03.03
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Q:小説の映像化(映画化・ドラマ化など)についてどう思う?A:基本的にイヤです。といってしまうと誤解を招くかもしれないが…原作→映像化作品、の順で観ると、原作のイメージが壊れたり、原作の描きたい世界観が描かれていなかったりするのがイヤなのだ。高校時代に「ジュラシック・パーク」(マイクル・クライトン、ハヤカワ文庫)を読んでから映画を観たら超つまらなかった、というのが原体験になってるのかもしれない。なので、キング作品の映画も映画館へ足を運んでお金を払って観たことはない。まぁテレビでやれば観る程度。それにしても「スタンド・バイ・ミー」「ショーシャンクの空に」「グリーン・マイル」「ドリームキャッチャー」「シャイニング」「シークレット・ウィンドウ」「アトランティスのこころ」くらいしか観てない。十分たくさん観てるじゃん、という人もあろうが、キングはメッチャたくさん作品があるし、その大部分が映画化されているので、これでも十分少ないのだ。ちなみに「シャイニング」は何回か映画化されているが、1回目は超駄作。ドラマについては、最近の誉田哲也作品「ジウ(全3巻)」(中公文庫)と「ストロベリーナイト」(光文社文庫)のドラマ化はひどい。どっちも原作キャラの特徴とキャストのイメージが合わない。なので、役者の芝居がヘタに見えてしまう。「ジウ」の方はそれでも我慢して4~5話程度見たが、途中で我慢ならなくなって放棄。「ストロベリーナイト」のほうは、2時間単発でやったときは観たが、それがひどかったので、その後のオビのヤツは最初から観ていない。この項続く…。
2012.03.02
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Q:読みたい本・好きな作家はどうやって見つける?A:これはいろいろ。まず、最初から「この作品が読みたい」と思って読んで、他の作品に手を出していってはまって、好きな作家になってしまうパターン。「スタンド・バイ・ミー」からキングにはまったのがこのケース。あとは「アルジャーノンに花束を」「24人のビリー・ミリガン」(ダニエル・キイス、ハヤカワ文庫)とか、「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズ(谷川流、角川スニーカー文庫)なんかもコレに該当。(ライトノベルとはちょっと意外と思われるかもしれないが、大学時代はよく読んだもんである。あかほりさとるとか。最近は「ハルヒ」だけだが。)次に、単純ではあるが、新聞の書評とか新刊案内とかから作品を知って、読んでみたら面白くて他の作品にも手を出して…ってパターン。「スタイリッシュ・キッズ」(河出文庫)から鷺沢萠にはまって「少年たちの終わらない夜」(河出文庫)を買いに走ったのがこのケース。これとほぼ同じなのが、出版社のキャンペーンとかで知るケース。「DZ(ディーズィー)」(小笠原慧、角川文庫)がコレ。3番目は、書店でたまたま見つけて面白そうだと思って、その後他の作品にも手を出していくケース。「M8(エムエイト)」(高嶋哲夫、集英社文庫)とか。あと「20世紀の幽霊たち」(ジョー・ヒル、小学館文庫)は、書店のポップでキングの息子だということを知り、即買いした。4番目は、ブログとかで知るケース。丹下桜さんのブログで見た「退出ゲーム」(初野晴、角川文庫)がまさにコレ。あと、「ぼくのメジャースプーン」(辻村深月、講談社文庫)ももちろんコレ。ブログがなければこの2人は多分読んでないと思う。5番目は、人から借りて読むパターン。相変わらずホラーが多い。例えば、「新世界より」(貴志祐介、講談社ノベルズ)「アリス-Alice in the right hemisphere-」(中井拓志、角川ホラー文庫)「夜市」(恒川光太郎、角川ホラー文庫)など。6番目に、流行ってる(映画化などで話題になっている)作品というのもある。ただし、○○賞受賞作品とかのハードカバーは全然読まなくて、基本的に文庫。まぁ流行っていた時期にもよるが。ココに該当するのは、「日本沈没」(小松左京、小学館文庫)「阪急電車」(有川浩、幻冬舎文庫)「パラサイト・イヴ」(瀬名秀明、新潮文庫)など。最後に純文学について。これは一番最初の、最初から「この作品が読みたい」と思って読むケースに近いのだが、一応区分けしておく。日本文学では、、「塩狩峠」(三浦綾子、新潮文庫)「楢山節考」(深沢七郎、新潮文庫)「小さき者へ」(有島武郎、新潮文庫)など。海外文学では「モモ」(ミヒャエル・エンデ、岩波少年少女の本)「ライ麦畑でつかまえて」(ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー、白水Uブックス)「蠅の王」(ウィリアム・ゴールディング、集英社現代の世界文学)など。この項続く…。
2012.03.01
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