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二男は大谷翔平の大ファン。休日に野球中継があるときには必ずと言っていいほどテレビで観ています。今日も今、観戦中。そこで私と息子のやり取り。朱書きは二男。「大谷君は自分から試合に出させてくれと言っているらしいけど、よく出させてもらえるね」「エンゼルスだからできるのかも」「ピッチャーで、そしてバッターで出たらしょのまれないのかな。熊本弁にしょのむというのが有って、ねたまれるという意味なんだけど」と教えました。 「しょのむ」は、嫉妬の嫉、嫉む(そねむ)のそねむが変化してしょのむになったのではないかと想定されます。 大谷君の周囲は寛大な人ばかりでしょのまれることはないだろうと思っています。そして、しょのまれる以上の活躍もしているので。
2021.05.04
現役を退いて9年目となり、ゴールデンウィークやお盆休みも、年中休日みたいな私にも関係なく訪れます。 現役時代のお盆休みには実家の畑の草刈やら庭木の剪定に追われていて、母が元気だった頃には「ふゆじの盆働きは止めんかい」とよく言われていました。 「ふゆじ」とは熊本の方言で、怠け者とか無精者という意味です。つまり、いつもは働かないのにお盆のとき、この時とばかりに働く人のことを揶揄して生まれた「ふゆじの盆働き」です。でも、この「ふゆじの盆働き」を使っている人に会うことは殆どありません。使われる話題となる場面がないからだろうと思いますが、この方言を知っている人が高齢の方でも僅かだからかも知れません。 この時季になると思い浮かべる「ふゆじの盆働き」です。
2020.08.11
熊本の方言で「せからしか」というのがあります。せからしかは、うるさいという意味です。例えば あの男はいつも細かいことばかり言ってせからしか とか あの人はよく喋って、そして声も太かけんせからしか男ばい などのように使うことができます。 下段は私が周囲から思われている印象ではないかと思いますが年齢を重ねるとともにせからしさは少し和らいで来たかなと思っています。 方言のいいところは、標準語では言い表すことができない微妙なところを的確に表現してくれます。そこのところを大事にして使って行こうと思っています。 行きつけの立ち飲みには、昔、外国人の方たちがよく来ていました。その人たちを捉まえてうんぶくれる(溺れるという意味)などの熊本の方言を教えていました。 私は熊本(熊本県南部地方)の方言丸出しで1時間は、多分、喋れるだろうと思っています。
2020.07.31
熊本の方言で「ふのよか」というのがあります。その意味は「運がいい」という意味で「ふのわるか」は運が悪いということになります。 前々から思っていたのは「ふのよか」の”ふ”はどんな漢字なのだろう、五臓六腑の「腑」かなと思っていました。 早く調べればよかったのですが「腑」ではなく「符」と判明。「符」には、めぐりあわせ、運、天からの知らせ、めでたいしるしの意味もあるとのこと。これには納得いたしました。 何気なく使っている方言にも立派な語源があることに感服しました。 球磨焼酎に「もぞかね」(=可愛いね)という焼酎がありますが、「ふのよか」という焼酎も是非作って欲しいと思います。瓶のラベルには「ふのよか」の意味ももちろん書き添えて・・・・
2019.07.07
行きつけの立ち飲み店に箱に入った「もぞかね」という焼酎に目が行きました。初めてお目にかかった焼酎でした。 「もぞかね」は熊本は球磨地方の方言。もぞか=かわいい、という意味なので「かわいいね」とということなのですが、この「もぞか」を天草地方では「みぞか」というらしく、私の生まれ故郷では「もじょか」と言います。因みに鹿児島では「むぞか」というそうです。 残念なことにこの日はこの焼酎を頂きませんでしたが、どんな味がするのでしょうか。私が考える熊本の方言焼酎は「ふのよか」(運がいい、という意味)はどうかなと思っています。
2019.06.08
私の周囲の先輩の一部の知人友人、そして兄弟や親戚から、今、よく聞かされるのは年齢を重ねるとともに「面倒だなと思う事が多くなってやる気が起きなくなってきた」という言葉です。 加齢とともに意欲が減退する、脳の働きと何か関係があるのではと調べてみると脳の中の「前頭葉」という感情や意欲、創造性などをつかさどる部分が老化委縮すると、怒りが収まらない、意欲が湧かない、柔軟性がなくなるといった「感情老化」の症状が多くなってくるそうです。 感情老化は人から意欲を奪い、気持ちを切り替えにくい状態にし、しかも、そのままの状態で放っておくと老化は進行、身なりに構わなくなって外見も老け込んでしまったり、何かにつけ億劫になって体を動かさなくなったり。全身の老化の引き金になるというのですから恐ろしいものです。 そこで感情老化の進行をできるだけ遅らせること、若々しさや元気をキープする「ドキドキすること、想定外の場面に遭遇すること」が大事とのこと。 私はまだ今のところ、いろいろな事に興味があり家事も含めて意欲減退というのが起きるのは年に数日ありますが、これをいかにして増やさないかが今後の課題のようです。 余談ですがカミさんが元気だった頃に「やりたいことがいっぱいあるから、120歳という大還暦まで生きていろいろな事を楽しみたい」とカミさんへ言ったところ「周囲があくしゃうつ*からやめて」と言われました。*あくしゃうつは熊本の方言で「ほとほと困り果てる」という意味です。
2017.02.24
先日、一月半に一度の定期健診のため行きつけの病院へ行くと20年ぶりくらいにある先輩と偶然にお会いした。25年くらい前に同じ支店、部署は違ったが尊敬し意気投合したお一人だった。 久しぶりにお会いした先輩が私にかけた言葉は「いっちょん変わらんなぁ」だった。「いっちょん」は熊本の方言で「全く」とか「少しも」という意味で、昔と現在に変わりがないということなのだが、どういうところが変わっていないのか、そこのところは敢えて訊こうという気がしなかった。 先輩は70歳を超えられたとのこと、「毎月、数名で定期的に飲んでいるけど今度どう、あなたが知っている人ばかりではないけれど」と、誘われた。「それは是非お願いします」と言って、携帯の番号を交換。 定期的に飲んでいる席では久しぶりにお会いする方がいらっしゃるだろう、その方たちからも「いっちょん変わらんなぁ」と、言われるだろうか。もし、「いっちょん変わらんなぁ」と、言われたら、その時には「どこがいっちょん変わっとらんですか」と訊ねてみることにしよう。
2016.10.07
高校時代の友人とJR御徒町駅からそう遠くない居酒屋で飲み始めようとした時、お店の人にどうしても言ってみたい一言があった。それは「さしより生」だった。「さしより」は熊本の方言で「とりあえず」という意味。「取りあえず生ビールを下さい」ということなのだが、もちろん通じなかった。これはある方から教えてもらった話しですが、東京へ行った熊本の男性がやはり居酒屋で「さしより生」と言ったところ、「そんな肴(さかな)は置いてありません」と言われたとのこと。普段使っている言葉が方言なのかそうでないのか知らないといけないが、方言と知っていても、ついつい出てしまうことがある。熊本県外から熊本へお出で頂いて居酒屋などで飲む機会があられましたら、「さしより生」を是非使ってみて下さい。
2015.04.07
今日は実家へ帰ったところ庭木の横にツクシが出ていました。今日の気温は24度あったようで暖かい一日でした。今日は草刈で疲れて帰ってきました。ところで、「だれやみ」とは熊本の方言で仕事で疲れた日の夜の晩酌のこと。疲れたけどよく働いたなあと自身をねぎらう意味の晩酌でもあります。「だれやみ」のだれはよく働いて疲れた時、「だれた」と言いますがそこから来ている「だれ」、そして「やみ」は止み、つまり「疲れ止み」=「だれやみ」なのです。でも、この「だれやみ」は熊本県内全域で使われていないようで私の生まれ故郷、熊本県南部地方だけのようです。ひょっとしたら天草や人吉球磨地方で使われているかも知れません。息子は夕食は要らないとの連絡があったので何も作らなくてOK。でも、自分のための「だれやみ」のビールのつまみを作ってみました。肉、魚類は全く無し、下段の一番左は阿久根産の生の茎ワカメを茹でたもの。そして右隣はツクシの卵とじ。一番右はネギの蕗味噌炒めにチーズを載せたもの。春を感じさせる野菜中心のビールのつまみでした。
2015.03.17
35年近く前の私の生まれ故郷で開かれた友人の結婚披露宴での出来事です。ずいぶん歳が行ったオヤジさんが、新婦のお父さんに向かって言った言葉は「今日でめごばらい、一安心ですなぁ」と。えっ、「めごばらい」って何だとあとで両親に訊いた。「めごばらい」とは娘たちが何人か居て末の娘まで全てを嫁がせることができたという意味と教えてくれた。「めごばらい」をネットで検索するとヒットしなかった。ということは私の郷里地方の局地でのみ使われるものだろうと思う。ただ、「めご」はヒットした。津軽弁辞典によると「めご」とは目籠と書き「竹などで編んだ目の粗い籠」とあった。私の生まれ故郷でも、この竹で編んだ籠のことを「めご」という。「めご」はカライモや里芋など重量物を入れて運ぶもの。そしてサスという2mくらいの長さの木の棒で籠に付いた紐をひっかけてバランスを取りながら運ぶ。昔は良く見かけていた、そして我が家にもあったが今はない。そこで昨日、義兄宅に立ち寄り「めご」は保存していないかと尋ねたところ有りました。これが「めご」です。残念ながらサスという天秤棒は見つかりませんでした。直径は60センチくらいあります。「めごばらい」は、この「めご」に入った作物をきれいに意図的に無くした状態を表現していると思っています。「めご」が津軽地方で、そして南九州の一部の地区?で同じ表現ということには驚きました。めごばらい、これは息子たちが全て結婚したときに使わず、一人娘が結婚したときにも使わず、二人姉妹を嫁がせてしまったときに使うのもやや似つかわず、三人姉妹以上の末娘まで全て嫁がせてしまったときに使うのが適切な使い方だなとの思いがあります。「これで、めごばらいですなぁ」の一言、この言葉を使う人は、今、この世に誰一人いないかも知れません。(使うためには条件が整わなければならないから)この言葉に込められた思い、言われたほうの新婦の父は「懸命に育ててきた娘たちを全て結婚させることができてよかった。これからも幸せになってくれよ」との万感の思いが胸中にあったかも知れません。「めごばらい」、私の大切にしたい方言、周囲の人に伝えていきたいと思っています。
2014.12.27
2年前に他界した母は久しぶりに雨が降り近所の人たち会うと「よかうりですなあ」と挨拶を交わしていた。長く雨が降らずに水分が欲しかった農作物にとっての久しぶりの雨、そう、「よかうり」は「いい雨」ということなのだが「うり」は雨から貰うご利益=雨利と書くのではないかと思っているが定かではない。また、熊本県内全域でこの「うり」が通じるのかは分からない。我が家のベランダ越しの今日の「よかうり」数日前、実家の畑にキャベツ、白菜、スティックセニョールの苗を植えてきた。9月以降は殆ど雨らしい雨が降っていない熊本県地方だったが、今度の雨は台風23号の影響で結構な雨量で「よかうり」となった。今度、帰ったときに植えたばかりの苗たちはグーンと大きくなっていることだろう。
2013.10.05
現役時代は残業がないウィークデーの夜は飲み会が入る、あるいは 一人で出かけて一杯ひっかけて帰宅していた。そして土・日曜日は農作業で主に埋まっていたが、退職した今は自由な時間が大幅に増え、好きなときに好きな場所に好きなことをしに、糸が切れた凧のようにどこへでも飛んでいける、そこのところがひじょうによろしい。今日からのスケジュール(予定)は14日・・・・・・・・・・陶器窯元さん訪問16日・・・・・・・・・・17、8年前の職場のOBとの懇親会17日・・・・・・・・・・夏の高校野球熊本大会観戦18日・・・・・・・・・・「終活」説明会と食事会19日・・・・・・・・・・殺人事件裁判(判決)傍聴20日・・・・・・・・・・知人宅ランチ訪問21日・・・・・・・・・・Cafeでのジャズコンサートと、15日以外は埋まっている。カミさんが同行するのは18日から20日の3日間。あとは一人で楽しむ時間。出かければお金も要る、経済的な負担とならない行動(遊び)、そこのところもいろいろと考えて楽しもうと思っている。退職しても結構忙しくてうろんころんする毎日が過ぎて行く。(うろんころんは熊本の方言で、ウロウロする、徘徊するという意味)
2013.07.14
せしかうという言葉は私の郷里地方の方言で「忙しく立ち振る舞う」という意味です。今朝は5時過ぎからホームベーカリーを私の部屋に持って行って(寝ているカミさんにうるさいと言われないために)パン生地を仕込みました。二次発酵、成型をして今朝はこんな朝食となりました。焼き上がり時刻が遅くなると仕事で出かける二男に間に合わないといけないとの思いで、味噌汁、卵焼き、生野菜も別に準備。パンはどうにか二男に間に合いましたが朝からせしかうとたいへんです。
2013.07.13
先日、30歳代の知人の女性に「熊本の方言でぐらしかて知っとるね」と尋ねてみたところ、熊本市出身のMさんからは「知りません」と返ってきました。一方、五木村出身のHさんは「可哀相という意味でしょう」と答えてくれました。熊本方言事典には「ぐうらしか=かわいそう、あわれな」と載っています。ただ、事典では「ぐうらしか」となっていますが私の故郷では「ぐらしか」と言っており「う」は入っていません。ところで、働いていた職場でも酒の席でも、同僚や先輩、後輩から「ぐらしか」という言葉は耳にしたことがありません。もっとも、この言葉が登場する話題はいいことではないので聞くことがなかったのかも知れません。二人に「You are gurashika (ユアグラーシカ)と言い方をすれば英語みたいやろ」と言ったところ大笑いしてくれました。
2012.12.20
私の田舎では草刈などをしていて衣服に付いた草の種のことを「バカ」という。例えば「わぁ、バカばそぎゃんいっぱい付けて」のように使う。 ネット上にある熊本方言事典にはこの「バカ」は載っていない。とすれば、私の生まれ故郷付近だけの局地的な方言なのだろうか。草の種をバカと呼ぶことはそれなりの語源があるのだろうが私の周囲では知っている人はいない。 バカが付いた状態の画像である。 草刈の仕事を終え、衣服に付いたバカを数分かけて丁寧に一つ一つ取っていく。その時はやっと終わったなという達成感を実感できるときでもある。
2009.09.03
熊本では「きらず」、鹿児島では「きらす」というようである。私の生まれ育ったところでは「きらす」という。 きらすは「おから」のこと。おからのことをなぜ「きらす」というのかその語源を残念ながら知らない。 私の行きつけで和食のランチを食べに行くお店に「おからコロッケ定食」というのがあるが、今度行ったとき「きらすコロッケ定食」と名前を変えてみたらどうですかと言ってみよう。 受け入れてもらえるかわからないが。
2009.07.28
私が生まれ育った田舎では酒癖が悪いことを「山芋を掘る」という。「あの男は山芋ば掘らんばよか男ばってんな」のように使う。なぜ、山芋を掘る=酒癖が悪い、となるかであるが諸説ある中で信憑性が高いのは次の説である。 山に自生している山芋は地中にある石に邪魔をされ真っ直ぐでないものが多い。掘りながら「おっ、こっちに曲がっている。今度は右に曲がっとる」とか、独り言をぶつぶつと言いながら掘る。どうも独り言をくどく言いながら掘る姿からきているらしいのである。 さて、お酒を飲み続けて40年近く「山芋を掘る人」と言われないように注意しなければならない。 ところで、熊本県内で山芋を掘る=酒癖が悪いと使う地区は限定されており私の周囲で使う人は少ない。熊本県南の八代市以南でのみ通じるようである。
2009.03.11
熊本の方言で『わさもん』というのがある。新しもの好きという意味で使われている。 いつもの通勤バス、車内に「バス運転体験試乗会参加者募集」の広告が掲げられていた。一度はバスを運転してみたいという思いが込み上げ、バス会社へ電話をした。「あのぉー、バス運転体験試乗会という広告を見たのですが、参加できますか」「もう、満杯なのですが、どうにかして自動車学校側にお願いして増やしてもらおうと思っているのですが」「よろしくお願いします」と、名前と住所を言い始めようとしたところ、「失礼ですが、お幾つですか」「はい、○○歳です」と、応えると、「申し訳ございません45歳以下の方に限らせてもらっています。実はバスの運転試乗会の趣旨はバスの運転手募集につながっておりまして・・・・」と、断られてしまった。「それは残念です。でも了解いたしました」と、電話を切った。 こうして私の、バス運転体験試乗会に参加してみたいという『わさもん』は果たされなかった。 できれば広告には、そういう趣旨があることを1行でもいいから書いて欲しかった。空気を読めなかった私の『わさもん』はまだまだである。そちらの方を責めるべきかも知れない。
2008.09.19
お盆に実家へ帰省し、伸びきった垣根や庭木の剪定、そして草取りなどをしていると、母からふゆじの盆働きは止めんかいと、よく言われたものである。 ふゆじとは熊本の方言で無精者のことを言う。つまり、普段はあまり頑張らず不精をしているくせに、お盆のときに、この時とばかり働くことを「ふゆじの盆働き」という。 私はこの「ふゆじの盆働き」には、お盆のときぐらいは働かないで墓参りなどをしてご先祖様の供養に専念しなさいという意味も込められているのではないかと勝手に思っている。 さて、今年のお盆。月曜日から今日まで一日も休まなかった私は、まさしく「ふゆじの盆働き」だった。
2008.08.15
先日、カミさんと、あとどれくらい生きたいかということが話題となった。カミさんは、あまり長生きしなくていもいいと言った。 私は 「まだ、いっぱいせにゃいかん(=しなければならない)ことがあるけん、 二百歳くらいまで生きたい」と、言ったところ、カミさんから、 「そりゃ、回りん人たちは、あくしゃうつばい」 の言葉が帰ってきた。 熊本弁の『あくしゃうつ』は、持て余す、困るの意味である。
2008.04.22
「ごもくぞ」は熊本の方言なのだが、私の実家がある、熊本県南部地方、そして天草地方で主に使われているようである。ネットにある熊本方言集で検索しても、この「ごもくぞ」は掲載されていない。 ということは限られた地域で使用されているものだろう。 この『ごもくぞ』は、枯れた杉の葉、広葉樹の葉、小枝など山に入ったときに服に付着する、木の葉屑などを指している。でも、天草地方では港の船溜まりが満潮のとき、岸壁にくっ付くように浮かぶゴミも『ごもくぞ』と言うらしい。 ネットで方言集でないところで『ごもくぞ』を検索すると、その意味は『ゴミ』と載っていた。 この、『ごもくぞ』は死語に近く、若い人たちはこの言葉さえ知らない人が多い。私の母はその昔、幼い頃、山に遊びに行って帰ってきた私に向かって「そん、ごもくぞはなんかい、はよ、つんぶらわんば」と言っていた。 訳すと「服についた、木の葉などの屑が付いているのは見苦しいから早く取り払らいなさい」ということである。「つんぶらう」の「つん」は接頭語で『ぶらう=払う」を強めるものである。 私は私的な名刺を作っているが、その中に『工房ごもくぞ』と使わせてもらくま
2008.03.13
「あとぜき」は熊本だけしか使わないという。先日、あるTV番組で熊本の方言、あとぜきを紹介していた。 あとぜきのぜきは、せくが変化したもの。せくは締めるという意味である。あとは戸をあけた後とのこと。 従って、「あとぜき」は引き戸やドアを開けたあと、開けっ放しにしないでちゃんと締めて下さいというものである。 ドアに「あとぜき」を貼ってあるところもあるが、普通、ドアは開けたら自動的に締るようになっている。だから、ドアに貼ることはどうかと思う。 ある角打ち(立ち飲み)店に貼ってある「あとぜき」 知人の熊本市出身の女性が東京に就職をした。そして、会社の中で「あとぜき」をして下さいと言ったところ、「あとぜき」の意味を理解した社員たちが面白がって使うようになり社内中に「あとぜき」が広がったという。
2008.02.16
「私たちが かたって 裁判ば すっとです」という、とてもローカルな表現の大きな看板が簡易裁判所の前に掲げられていた。 「かたって」は、熊本の方言で加わって、参加してという意味である。さて、平成21年から始まるという、この裁判員制度、実際に選ばれたらどうなるのだろうという不安がある。できれば関わりたくないという人が多いのではないかと思うのだが・・・。 私は少しだけ興味があり、模擬裁判に参加してみたいと応募したのだが選に漏れてしまった。 時間があるときに、ここ→裁判員制度に入ってみるとわかりやすく裁判員制度が紹介されている。
2007.11.20
方言にはいろいろなものがあるが熊本県内限定の方言だとばかり思っていた「なおす」。福岡でも使われていることを知った。 5日に福岡で開かれた「熱血オヤジバトル」の開演までに時間があり、中洲川端通りをブラつくと、下がっていた博多弁。お母さんが子供の横で押入れに何かを入れている。この絵もなかなか的を得ていてよろしい。 「なおす」は故障を直す、服装を直す、病気を治す、ケガを治すの2種類の「なおす」に大別されるが、方言の「なおす」は片付けるという意味である。 例えば次のように使う。「使ったハサミはあったところになおしとってね」、また、「あなたはなおすのが下手クソね」というように。 なぜかホッとする中洲川端通り。後姿はカミさん。 方言の「なおす」は直すの拡大利用ではないかと思うのだが、いつの時代から使われたのかも興味あるところである。また、熊本県外でも「なおす」が使われていたとは知らず驚いた。 職場には鹿児島県、宮崎県、佐賀県などの各地の出身者がいる。今度、その人たちと社員食堂で同席したとき、いろいろな方言を尋ねてみることにしよう。共通の方言を探してみるのも面白いかも知れない。
2007.10.10
昨日、社員食堂で食事をしながら同僚たちと盛り上がった話題、「よかよか」です。 後輩の一人が「熊本弁のよかよかって本当に便利ですよね」と言った。彼、曰く、「承知しました、OKのよかよかもあれば、どうでもいい、それくらいでいいよのよかよかもあります、どちらに取られても構わないときに使われることがありますよね」ということなのである。 そう言われるとそうである。よかよかは前後の言葉で、心から承服したよかよかなのか、それくらいでいい、それ以上はしなくていいよというアバウトな許諾のよかよかなのかを判断しなければならない。 「よかよか」を使った人が周囲に居たら、どちらのよかよかなのかを見極めてみて下さい。
2007.07.02
熊本市内で働くバスガイドさんから、ずいぶん前に聞いた話である。東京からの、お客さんを貸切バスで目的地で降ろしたのでバスガイドさんが運転手さんに向かって「ここで、コーヒーなっとしましょっか」と言ったそうである。 その言葉がバスから降りてきた東京からのお客さんに聞こえ、そのお客さんが「えっ、熊本ではコーヒーに納豆を入れて飲むんですか」と驚いた様子で尋ねてきたそうである。「いえ、コーヒーなっとしましょっかは、コーヒーを飲んで一服しようかという意味なんですよ」と説明して解ってもらえたとのこと。 もっと詳細に訳すると、コーヒーなっとはコーヒーでもという意味であり、しまっしょかはしましょうか(この場合は飲みましょうか)で同調を求める言葉です。 それにしても方言は地元の人が思いもつかない発想をさせてくれるものです。 私は角打ち(立飲み)で知り合った外国人に熊本弁をいろいろと教えています。例えば、うんぶくれるである。これは溺れるという意味である。
2007.03.17
熊本県人の二人が東京の居酒屋で「さしより生(なま)を二つ」と言ったところ、お店の人から、そのようなものはメニューにはありませんと言われたそうである。 「さしより」lは取り合えずという意味で「取り合えず生ビール」ということだったのだが通じなかったらしい。 いつも、使っている言葉で方言なのか標準語なのかわからないものが多々あるのだが、幼い時から使ってきた言葉を改めるのはなかなか難しいものである。 以前、東京や大阪での会議や研修の席で方言が極力出ないように注意していた頃を懐かしく振り返っている。
2007.02.23
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