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今朝、荒尾市にある三池炭鉱の万田坑を訪ねてみることにしました。ここを訪れたのは2回目、初めて訪れたときの模様はこの記事に記載していますが、そのときは数箇所で修復中でした。今回はその修復が終わり設備が公開されたこと、世界遺産登録を目指していることもあって前回よりも多くの方が見学に訪れていました。万田坑ステーションセンターでガイドさんから説明を受け、いざ、万田坑へ。残っている櫓、第2竪坑は人や資材の昇降用だったそうです。地下通路何のメーターだったのだろうか?坑内作業の必需品坑道内は暗いために考えられた階級章木製ロッカー第2竪抗櫓の中に入るトンネル櫓の真下から上を見上げる竪坑内を行き来した25人乗りのケージボロボロになった第2竪坑の説明書き人を乗せていたケージの巻き上げ機。ワイヤはまさしく命綱。重いものの巻上げ機年月の流れを感じさせる錆び具合樹齢は何歳だろう。事務所の隣にある、たくさんの実を付けた柘榴の巨木。修理工場の旋盤修理工場前に置き去りにされた錆びたパイプ群からの風景選炭場跡からの風景日本の近代化を支えてきた炭鉱産業。華やかな活気のある時代もあったことだろうと遺された設備、機械を見ながらいろいろなことを考えさせられた今回の見学でした。
2013.08.18
カミさんの提案でカミさんのお姉さんを玉名市高瀬で開かれている花しょうぶ祭りにお連れした。菖蒲は未だ満開ではなかった。あと3、4日頃から見頃ではないかと思ったがどうだろう。少し開いた花菖蒲見学の皆さんはご高齢の方が殆どで若い人と言えば平日のせいか右側の女性の方を含めて数名だった。咲き終えて花が朽ちたものは未だ殆ど無くてたまには咲きはじめのこのような時に来るのもいいなと思った次第。 今年こそは昼間とは違う風情に浸りたいとライトアップされた高瀬裏川を夜訪れてみたいと思っている。
2012.05.30
今、花が咲いているということを知り、是を見逃してはならぬと10時前に熊本市内の自宅を出発、1時間あまりで山鹿市菊鹿町相良(きくかまちあいら)に着いた。目的は国指定天然記念物のアイラトビカズラを見るために。アイラトビカズラという名称は知ってはいましたが初めてお目にかかったアイラトビカズラ、おーっ、なんという花の形そしてその色合いに感動。拡大画像二つです。花びらの根元はガクなんでしょうか。変わった形をしておりました。アイラトビカズラ繁殖地の全体です。竹林の下の長い部分で幅3メートル、奥行き20メートルくらいです。藤棚と同じような棚を作ってあり、その上に蔓性のものが覆いかぶさっています。左手に階段があり登りきるとカズラ棚の入り口です。上からです。カズラ棚の中です。花はこのカズラ棚にポツポツと下がっています。花房三つ。花からは香りはしませんでした。こんな感じで花をつけています。根元です。カズラ棚の入り口付近。おはようございます、カズラ棚の中で一人のオジさん(70歳くらい)に挨拶。すると「今年はどげんかなあんまり咲いとらんど」と話しかけてこられた。「私は今回初めて来たものですからわかりません。ところでこの花のあとは実が生るとですかね」と訊ねると「実が生るというのは訊いたことがないなあ」との返答を頂きました。咲いていた花はそれほど多くなく20個もあったでしょうか。カズラ棚の中から。葉っぱです。 私の観察では葉っぱからアケビの仲間ではないかと思いました。 でも、花の形と色が似ていないようです。熊本県外の皆さん、熊本へ4月下旬から5月上旬にお出での際には、このアイラトビカズラを是非ご覧頂ければと思います。
2012.05.11
水前寺の羅生門でランチをとり玄関を左手に出る。車が1台通れるくらいの狭い道を進む。暫く歩くと右手に山茶花の花びらが落ちた坂道の小さな路地に差しかかる。熊本の街中にもこんなに静かな佇まいの所があるのだなあと思いながら路地を上がる。坂を上がり切った左手には「お月さんこんばんは」という長たらしい名の居酒屋がある。居酒屋の前を通り過ぎて真っ直ぐ進んだ突きあたりは水前寺公園。残念ながら格子状の扉で閉ざされているためここから公園へ入場することはできない。その突きあたりを右折すると左手に洋館が見えてくる。ジェーンズ邸である。この建物「ジェーンズ邸」は熊本洋学校の教師として招聘されたL.L.ジェーンズの住宅として建てられたもの。明治4年~明治9年までジェーンズの住居とし使用されたものという。ニューヨークのウェストポイント陸軍士官学校出身のジェーンズの授業は全て英語だけで行われ徹底した自学自習が基本。物凄く厳しい人だったが愛情豊かな人であったと館長から説明を受けた。熊本洋学校が閉鎖された経緯、博愛社設立の許可がこの建物の2階の一室で下りたこと、そして、のちに日本赤十字発祥地と言われるようになった所以など30分以上にわたってお話を聞かせて頂いた。「熊本の地元の人でさえここのことを知らない人が多いんです」とは館長さんの言葉。我が家から車で10分足らず、そして何度もこの邸宅の前を通りながらもジェーンズについて、そして、ジェーンズが去ったあとのこの邸宅のその後の使われ方について何も知らなかった。熊本の歴史を知る、また一つ勉強になりました。休館日→月曜日、年末年始 入場料→大人200円
2011.02.11
我が家から車で25分ほどととても近いところにあるのに行ったことがなかった御船町恐竜博物館。博物館入り口の正面で出迎えてくれたのは大きなティラノサウルス。館内には恐竜のたくさんのレプリカがあった。女性スタッフの方からは丁寧な説明を受けた。三葉虫の化石ミフネリュウの歯の化石の発見から30年、恐竜時代に思いを馳せ、暫し我を忘れたひと時、子供連れの皆さんの中での観賞でした。
2010.11.23
熊本市は市電の終点、健軍の電停を益城町方面へしばらく行き、右折。九州自動車、御船インターへと向かうとインターの手前数キロ左手に浮島神社がある。御船町の恐竜博物館の帰りに久しぶりに訪れてみた。風もなく穏やかな水面にはたくさんの水鳥たちが遊んでいた。湧水地に浮かんでいる姿は誰が名付けたか知らないがまさしく「浮島」。浮島というが実は島ではなく裏の方で陸続きとなっている。裏から徒歩で浮島の中にある神社へ行くことができる。釣り糸を垂れる人も。休日のひと時、湧水豊かな熊本、いいなあと思わせてくれる風景である。
2010.11.22
鞠智城跡の近くの田んぼで赤米の稲穂がたわわに実っていることを知りました。いつかは赤米の稲穂がそよ風に揺れるところを見てみたいというその思いが叶いました。光の具合、どのような角度で撮るかで違ってくる微妙な色。しっかりと不思議な色合いの稲穂を目に焼き付けました。古代山城、鞠智城跡に復元された八角鼓楼には赤米の稲穂が似合います。その昔、ほんとにこんな風景があったかも知れません。ところで今度はこの赤米の米を入手して赤米だけのご飯を炊いて食べてみたいと思っています。
2010.09.09
一昨日は博多の街、昨日は小国町の鍋が滝、中津江村の鯛生金山、そして夜は角打ち店の料理一品持ち寄り会の飲み会と遊びで大忙しだった。昨日の鍋が滝、ある人のパソコンの背景画面で知った。お茶のコマーシャルで一躍有名となったらしいのだが私はそのTVのCMを見たことがない。まずは正面から。サンダルを履いてきていた見ず知らずの若いお兄ちゃんに川の中に入って撮ってもらった。この鍋が滝、流れる落ちる水、滝の形の素晴らしさに感動。反対側からこの滝、流れ落ちる姿の素晴らしさもだが、滝つぼの裏側が大きな空洞になっていて歩いて反対側に出れる、こういう滝は全国でも珍しいのではないかと思う。空洞から撮った水のカーテン。昨日は日曜日とあって駐車場(5~6台)に駐車できず150メートルくらいに亘って40台くらいが路上駐車。阿蘇地区の一大観光スポットとなったのではないかと思うが滝までの急な坂は足元がとても悪い。それでも一度は訪れてみてもいい価値がある素晴らしい滝だった。
2010.08.30
九州西回り自動車道を八代方面から南下し、最後の短いトンネルを抜けると右手斜め上に小さな山が見えてくる。その山のてっぺんに佐敷城跡がある。数え切れないほどこの山を見ながら麓の道路を通ったが佐敷城跡に立ったことは一度もなかった。一昨日、蝉しぐれの暑い中を初めて訪ねてみた。「佐敷城は16世紀後半、肥後を治めていた加藤清正の時代に薩摩、球磨、天草地方につながる交通の要、そして薩摩街道の難所である佐敷太郎峠を一望できる城山に築かれた」と案内板に記してあった。この佐敷城、豊臣家が滅び一国一城令で廃城となり取り壊されることになったがのちの江戸幕府から取り壊しかたが不十分ということで再度壊されることになったという。本丸への登場口?。昔の人は身長も高くなくて足が長かったようには思えないのだが、階段一段の高さは33センチもあった。足が短い私にはきつかった。風雨にさらされ細くなった石塔が月日の遠い流れを教えてくれる。この佐敷城跡の全貌をカメラに収めるのは難しい。この城跡からの眺めはひじょうに素晴らしい。真正面に見える道路は九州西回り自動車道。その下をくぐる道を川上のほうに向かって走ると球磨川に出る。球磨川に架かる橋を渡り右折すると人吉の街へ行くことができる。逆光の中の不知火の海。海の向こうに落ちる夕陽を眺めながら酒宴が行われたかも知れない。眼下の街は芦北町。この佐敷城跡からは珍しいものが出土している。それは文字が書かれた鬼瓦。文字瓦は全国で唯一のものだという。原物の20倍の大きさという巨大モニュメント。瓦の文字は「天下泰平国土安穏」(てんかたいへいこくどあんのん)この文字瓦、どこに保管してあるのだろう。実物を見ることができるものなら是非一度拝見させてもらいたいと思っている。
2010.08.24
カミさんがどこかへ出かけようと言ったのでネットで検索して、菊池市の二つの滝を見学。我が家から1時間足らず、3時過ぎに出て4時頃到着。菊池市内を抜けて国道387号線を菊池渓谷に向かって走ること数分。重味小学校跡の200メートル手前を右折して農免道路に入る。横滝。滝を正面から撮りたいところだが深さと激しい流れがあって対岸に渡れず。横からしか見れないので横滝というのだろうかと思った。崖っぷちから、とても危ない撮影だった。車で下流に移動、と言っても3百メートルくらいだろうか。そこにある、産さん滝。もの凄い水量。滝つぼの大きさに驚く。ここは横滝より落差があるので更に危ない。この横滝、産さん滝の案内は国道387号線にない。そして、菊池市の観光案内図にも記載がない。道路が狭い箇所があり、滝周辺も危険ということであまり知られなくてもいいということなのだろうかと思った。熊本の滝を訪れてみる。新たな楽しみが増えた。
2010.07.31
知らない街を歩くのは楽しいものがある。様々な風景、建物、路地、そして地元の人と遇えるかと思うとワクワクドキドキするから。丁寧に積み上げられたレンガ塀。でも長年の風雨にさらされたせいか傾いていた。傾いているレンガ塀は通る人に何かを話しかけているような・・・・車も通らない狭い路地、知らない人同士でも出会ったら挨拶を交わさないわけにはいかないだろうと思う。建物はたばこ耕作組合の事務所だったような記憶があるが定かではない。この建物の引き立て役は相当な樹齢のシュロの木。バランスのとれた嬉しい風景です。八千代座近くのお店。白壁にひび、建物の古さがいい。山鹿の古い町並みを歩く。こころが穏やかになる探索の始まりでした。(続く)
2010.06.22
ドライブしていて珍しいもの、ハッとするようなものに出合えると車を止めて暫し見とれることがある。先日、杖立温泉から南小国町へ向かう途中に出合ったコンクリート橋もその一つである。 旧国鉄・宮原線(みやのはるせん)は、大分県玖珠郡九重町の恵良駅から 熊本県阿蘇郡小国町の肥後小国駅までを結んでいた地方鉄道路線。 1984年に全線が廃止された。アーチの形が美しい。登録有形文化財第43-0065号とのこと。コンクリート橋の上。廃止された線路跡は遊歩道になっている。橋の上から見た長閑な風景。飼料用に刈られたのだろうか、草の塊りを見に田んぼに降りてみた。旧・国鉄時代のローカル線、廃止は時の流れに負けましたが、地元の方々の毎日を支えたゆったりとした心豊かな時代があったことだろうとその時代を振り返らせてもらいました。
2010.05.08
赤松館特集の最後は本館の西側にある米蔵です。米蔵は三千俵もの米が入る広さとか。米蔵の内部です。米蔵の中ではパッチワークなどが飾られていました。そして手作りのゼリーなども売られています。米蔵入り口の右手には小さなカフェがあり、珈琲とカレーが楽しめます。そのカフェには栗の渋皮煮のときに出る汁で染められたものが飾ってありました。渋皮から出た汁だけあって色も渋い。ここのスタッフの方の作品だそうです。珈琲を頂いると八代市にお住まいの草木染をされる女性の方が入って来られました。手作りのシフォンケーキ。美味しかったですよ。草木染展を米蔵で3月20日~3月25日まで開かれるそうでその打ち合わせだったようです。赤松館の存在を知ったのは地元のテレビのローカルニュースでした。まだ、公開されて長く経っていないためか熊本県内の方でも知らない人が多いようです。ちなみに、赤松館の開館案内は下記のとおりです。 開館日 土・日・月曜のみ (土日月以外の祝日と年末年始は休館) 開館時間 午前10時~午後4時 入館料 大人500円 中学生以下無料 所在地 熊本県葦北郡芦北町田浦788この米蔵を出て、車を置いていた道の駅「たのうら」へ戻ると久しぶりの嬉しい再会が待っていました。「おい、〇〇じゃないか」と、声をかけてきたのは田浦の街に住む高校時代の友人でした。15年ぶりくらいの再会だったでしょうか。
2010.03.03
玄関です。江上トミさん生誕100年の標が。見学の順路は玄関を上がって左手に2階への階段を上るようになっています。画像は順路どおりにはなっていません。建物内の広さに驚かされました。障子に入れられているガラスは手作りとのこと。温かみを感じました。家具も特注品でしょうか。外からわからなかったのですが、私が気に入った場所。3面庭に面した1階から北東方向に向かってさらに小さな屋根つきの突き出しがありました。ここで、椅子に腰掛け庭を眺めながら蝉時雨の中でビールでも飲まれたのでしょうか。優雅な暮らしぶりを想像してしまいました。1階、雨戸の戸袋。二階の屋根裏。明治27年、日清戦争の開戦とともに工事が中断され2階は大半が未完成のまま現在に至っているとのことでした。梁が見えているのもまたいいものです。階段を下りたところはやや暗いところでした。江上トミさんご愛用の品。何を収納するものなのかよく見てきませんでした。次回に確かめせてもらいます。竈です。とても立派な竈でした。江上トミさんも上京される前はここに立たれていたことでしょう。味噌蔵の内部です。赤松館は建物そのものにも興味をひかれますが、当時の暮らしぶりなども伺い知ることができる貴重な文化財であると思いました。今後、南九州の一つの観光ルートの一つに組み込まれるのではないかと期待しています。
2010.03.02
赤松館は葦北(あしきた)の地に迎賓館のようなものを造りたいとの思いで着工されたそうです。建物には工夫がありました。建物は三面が庭園に突き出した形でコの字の形右下の部分には何やら見慣れぬ形の金属が付いていました。案内して下さったスタッフの方から奥の方の戸袋から雨戸を持ってくるとき直角部分を動かすときのためのものとのことでした。なるほどと感心しました。是から先は建物内からの眺めです。松の鮮やかな緑から春の訪れを感じとれます。ピンク色は紅梅でしょうか。二階部分の広さにも驚かされました。明日は建物内をアップします。
2010.03.01
春、トンネルを抜けると少し空けた車のウインドゥの隙間から甘夏みかんの花の甘い香りが漂ってくる街、熊本県芦北郡芦北町田浦。八代市から国道3号線を南下し最初のトンネル、赤松(あかまつ)トンネルを抜けたところにある(現在は南九州西回り自動車道田浦インターが利用されている)田浦(たのうら)は甘夏ミカンの産地、そして不知火海を一望できる御立岬がある風光明媚な街である。 今日は、そこにある国登録文化財「赤松館(せきしょうかん)」を訪れてみました。今日から数日にわたって赤松館の魅力をお伝えしたいと思います。赤松館は藤崎家5代目当主、藤崎彌一郎氏により明治26年に着工されたものでテレビ料理番組の創世期をはじめとして家庭料理の紹介などで活躍された江上トミさんの生家でもあります。まず目に入ってくるのは長塀です。そして玄関です。玄関右手の槙の木の洒落た形をした入り口をくぐります。大木の林の下を歩きます。目に飛び込んできたのは庭園に向かって突出した二階建ての建物。家の造りと庭園との調和、落ち着いた佇まいに暫し別世界に吸い込まれてしまいました。さすがは田浦の街、黄色く色づいた甘夏ミカン越しの赤松館です。(続きは明日へ)
2010.02.28
昨日、熊本地方は久々の積雪。めったに見られない銀世界をカメラに収めなければと、いつもより30分以上も早く家を出ました。飯田丸五階櫓。手前が備前堀。左奥に熊本城の天守閣が見える。飯田丸五階櫓を撮った場所は柵を越えたところ。一つ間違えば備前堀へドボン。雪で滑りやしないかと危ない撮影でした。宇土櫓まで行かなかったのが悔やまれました。最後の画像は自宅近くの畑です。
2010.01.14
熊本市街地の方から熊本市西部にそびえる金峰山入り口の峠を越えて坂道を下ると、川沿いを走る平坦な道路となる。そこを左折し橋を渡る。そして急な坂を上る。駐車場に車を置き、歩くこと数分、曹洞宗「雲巌禅寺」に着く。霊巌洞(れいがんどう)は雲巌禅寺の境内を通り過ぎて左手のさらに奥に入ったところにある。この霊巌洞は宮本武蔵がここに籠って兵法書「五輪の書」をしたためた所。境内で受付の人に拝観料200円を払うと腰の高さほどの錆た自動回転ドアのスイッチを入れてくれる。錆びた自動回転ドアは周囲の景観にマッチしていないがなぜかそれに心が惹かれる。 足元が悪い。手すりはあるが急な自然石の階段を上っては下る。右手に熊本の商人渕田屋儀平(ふちだやぎへい)が、約200年前、24年の歳月をかけて奉納したと言われている五百羅漢が出迎えてくれる。長年、風雨にさらされたせいか頭部が欠けていたものがたくさんあった。霊巌洞の真下に鎮座する羅漢。霊巌洞に入るにはさらに急な石段を数メートル登る。洞の中は結構広い。霊巌洞から左手下を望む。「雲巌禅寺」我が家から車で30分あまり、いつでも訪れることができた霊巌洞だが、今回が初めてであった。宮本武蔵はこの霊巌洞に籠り、「五輪の書」をどのような心境で書き上げたのだろうかという思いに馳せながら霊巌洞をあとにした。
2010.01.11
古代山城、鞠智城、まず出迎えてくれるのは復元された八角形の鼓楼である。鞠智城跡はものすごく広い。八角鼓楼を右手に見て歩くと、クヌギ林がある。暫くすると視界が開ける。木造りの階段を下る。そして灰塚展望所へ。この階段、まさに空へ向かって伸びているようである。名付けて「天空への階段」。ここを私以外にも同じように思われた方がたくさんいらっしゃるに違いない。展望所に立てば360度の大パノラマ。熊本市方面を望む。紅い樹木は櫨の木。熊本市方面とは真反対の方向。山鹿市方面よりやや北の方角。山の頂上の左手に何やら突起物が。突起物は不動岩というらしい。ここには未だ行ったことがない。近々出かけてみたいと思う。天空への階段。階段を上りきったところの眺望は「阿蘇もいいけど、ここも素敵」。母娘と思われる娘さんが言っていた言葉に納得。県外からお出での皆さん、その際には是非お立ち寄りして頂きたいところです。天気のいい日に・・・・・・
2009.11.16
数年前、ある席でお会いした日本酒の蔵元の社長が見せてくれた携帯に保管されていた画像。 ライトアップされたお城が水面に映る何とも言い難い素晴らしい画像であった。そのお城とは飯田丸五階櫓(いいだまるごかいやぐら)である。崇城大学市民ホールから熊本城天守閣に向かって百メートルあまり歩くと出迎えてくれる。昼間はこんな感じなのだが、ちょっと曇り空だったのか明るさが足らなかったようである。蔵元の社長はライトアップされた飯田丸五階櫓の撮るための立つ位置、そしてその時季を教えてくれた。落葉の季節は備前堀に葉っぱが浮いて水面がきれいな鏡のようにならない。だから落葉が終わった時季が最適であると。この画像には満足をしていない。また撮りに行こうと思っている。撮る場所は急斜面のところ、一つ間違えば備前堀へドボン。ちょっと危ない撮影である。
2009.10.30
熊本市二本木は明治から昭和にかけて遊郭で賑わったところだという。そこに現存する遊郭跡「旧・日本亭」が今日から取り壊されることになった。 一目見たくて一昨日訪ねてみた。 昨年、一般公開があったとのことだが、残念ながらその頃はこの建物があることすら知らなかった。 保存についても論議されたようだが、諸般の事情で取り壊されることになったという。1896年(明治29年)に建てられたこの旧・日本亭の中ではどんなドラマが繰り広げられたのだろうか・・・・
2009.09.01
どうしても一度は行ってみたかった三池炭鉱万田坑。一昨日やっと念願を果たせました。 第二竪坑櫓。手前にある黒っぽいのは炭がん。 汽罐場跡(きかんばあと)。蒸気を発生させ万田坑の各施設へ供給していたところ。 大煙突の基礎。煙突の基礎部分が残っているのは是だけ。 事務所 ボルトと座金の錆びが流れた年月を教えてくれている。 万田坑は現在、建物、櫓など修復中で外から拝見させて頂いた。櫓はきれいに塗装されていた。塗装前の櫓を見たかったが残念であった。 万田坑入り口から100メートルほど手前に今年四月に完成したばかりという「万田坑インフォメーションセンター」というのがあった。そこで、1時間近く炭鉱OBの方から詳しく説明をしてもらった。 来年の4月には修復が終わり公開されるとのこと。楽しみにしている。
2009.06.01
退院して一ヶ月が経ったがまだ左足には違和感が残り歩き方がおかしいと言われている。 身体を動かしたいところだが足の調子が悪く好きな農作業もできずにいる。 ということで昨日出かけたところは菊池市の奥にある「竜門ダム」である。 ダム湖 ダムの下流、長閑な風景である。 熊本県民でありながら竜門ダムというのがあることは知っていたが訪れたのは初めてであった。 ダムの横には売店、レストランもある。国土交通省の管理支所もあり竜門ダムの目的、工事途中の模様などを学ぶことができる。
2009.03.29
昼からカミさんの買い物に付き合ったあと、なぜか温泉に入りたくなりコンビ二でタオルを買って向かった先は熊本県美里町。 この町には佐俣の湯といって県内では知られている温泉と旧・砥用町にある雁俣(かりまた)の湯という温泉施設がある。 今日は雁俣の湯に入った。雁俣の湯は初めてである。ほんのりと硫黄の香り、柔らかい泉質であった。露天風呂から眺められる杉林の前には満開の桜、いいところだった。 その帰り道、大窪橋という石橋を訪ねた。美里町から山都町にはたくさんの石橋があるがその一つである。 この橋は嘉永二年(1849年)に架けられたそうである。石橋に覆いかぶさる満開の桜の花、そして橋の際に咲き誇る菜の花。 この橋の下を流れる津留川の流れも穏やかな流れであった。苔むした石橋には桜の花と菜の花がよく似合った。
2009.03.21
スクランブル交差点は日本全国に300箇所以上あるそうだが、何と日本で初めてのスクランブル交差点は熊本市内の旧・国道57号線にある「子飼(こかい)交差点」だそうである。 この交差点が日本初のスクランブル交差点であることは熊本観光文化検定試験のテキストで知った次第。1969年3月5日というから随分と昔の話である。当時はどのように地域に受け入れられたのか興味あるところである。 左手へ行けば熊本大学、遠くは阿蘇へと続く。右手へ行けば子飼橋、県立劇場、そして我が家へと向かう。 右手斜め後方へ行くと子飼商店街がある。 私の通勤手段はバスで経路が二つある。その一つは、この交差点を経由するものである。 この子飼交差点経由のバス(市内中心部へ向かう場合)は白川にかかる子飼橋という片側一車線の狭い橋の手前と子飼交差点、そして国道3号線へ出る手前で渋滞するため、もう一つの九品寺(くほんじ)交差点経由より時間がかかるため乗客が少ない。でも、古い町並みを少しだけ通過するこの路線を気に入っている。
2008.09.20
私のバスでの通勤経路3ルートの一つである子飼(こかい)経由を利用すると白川公園の横に見えるこの建物は熊本北警察署である。とても変わっている。 全面ガラス張りで▽の形をしている。残念ながら、熊本北警察署に用事がないので建物の中に入ったことがない。 室内の状態、室内からみた外の風景に興味があるのだが、警察署に見学をさせて下さいと行く勇気もないので願いが叶うことはないだろう。 熊本北警察署の建物についての詳細はこちらをどうぞ→熊本北警察署
2008.05.24
そこに立つと、はるか悠久のロマンがよみがえる鞠智城跡。土塁(土砂を積み上げて築いた城壁)に守られた7世紀後半(約1,300年前)に大和朝廷によって築かれた山城です。鞠智城は九州・大宰府を守る守るために大野城(福岡県)、基肄城(佐賀県)、金田城(長崎県)が造られましたが、鞠智城はこれらの城に食料や武器、兵士などを補給する支援基地であったといわれています。T鼓楼と米倉。鼓楼の大きさは建物左手に親子連れの姿と比べて頂くと大きさがわかるかと思います。鼓楼(ころう)は最上階の三層目に置いた太鼓で城内に合図し、時間を知らせたり、見張りの役目を果たしていたといわれています。鼓楼の一階の基礎の柱。一層目49本、二層目と三層目は16本ずつの柱で建てられているそうです。建物高さ15.9メートル、瓦の総重量は76tあるそうで復元された建物です。米倉米倉にはネズミ返し(ネズミが上がってこないようにした工夫)が施されています。斜めになった部分。兵舎礎石貯水池跡灰塚という城内で一番高いところから見た山鹿市方面。櫨(ハゼ)の木の向こう側に南側土塁線があります。食堂と物産館が入った長者館長者館で頂いた、だご汁。ここの、だご汁には里芋を潰して丸め、それを小麦粉の皮でくるんだ変わった芋団子が入っていました。 さて、ここ鞠智城跡に立ち、1,300年前の城内の暮らしはどうだったのだろうか、城内では規律正しい日々が過ぎていたかも知れないと思いを巡らせることができただけでも楽しい、ひと時となりました。
2007.01.16
歴史公園鞠池城に向かう途中の3キロほど手前で鳥居が目に入りました。松尾神社です。旧・菊鹿町(現・熊本県山鹿市菊鹿町木野)にあります。立派な楼門です。建立されて1,730年余りとなる由緒ある神社のようです。ご神徳の一つが醸造守護とは珍しいのではないかと思いますが、醸造はお酒の醸造でしょうか。そうであれば酒好きの私にとっては嬉しい神社です。ところで、鳥居をくぐった右手に二体の見たことがない石像が立っていました。それぞれ、左と右に敬礼をしているような感じにもとれるですが、どういう意味があり、どのような目的で作られた石像なのでしょう。
2007.01.14
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