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先日、外で久しぶりに飲んだせいか酔ってしまい、一部の記憶が飛んだりしましたが、ああいう状態を酩酊というのかな、いや泥酔かなとふと考えてしまいました。 酩酊と泥酔の違いについて述べてあるサイトを発見。それによると 酩酊状態とは歩くことはできるものの安定的ではなくふらついた状態(いわゆる千鳥 足)を言い、泥酔とは「正体をなくすほど、ひどく酔うこと」で、その場で歩けなくな って座り込んだり、倒れこんだり、室内、屋外お構いなしに寝てしまったり、呂律が回 らなかったり、意識がしっかりしていなかったりします。 と掲載されていました。更に酩酊と泥酔は血中のアルコール濃度で明確に定義できるとも。 (この項、MAG2NEWSさんから引用させて頂きました) 22歳頃から飲酒人生に突入した私のこれまで激しく酔った酔い方について分析すると、99.99%くらいは酩酊で泥酔は数度あったくらいでしょうか。 初めての泥酔は28歳の頃で友人宅の新築のお祝いの席でした。あれから40年近く経った今、時の流れというものは私が泥酔状態となったときのことを友人の記憶から忘れ去らせてくれたと思っています。 「酩酊」と「泥酔」の違いについてのサイトを訪れて数日前の酔い方は泥酔一歩手前の酩酊状態だったなと妙な確信を得たのでした。 私の酒に伴う失敗談はカテゴリ「酩酊秘話」に整理しています。
2020.07.04
深夜、自宅マンションに戻ると玄関からエレベータに向かって赤い雫がポタポタと 床に落ちていた。 その雫はエレベータに乗り、住んでいる同じ階で降りてさらにポタポタと落ちて続いていた。 ひょっとしたら血かも知れない。我が家の方に向かって続く雫。 我が家ではありませんようにと祈ったが、その雫は自宅ドアの前で止まった。 部屋に入ると縦長の濡れた紙袋が流し台の横に置かれていた。(ここまで二男の後日談) 私は「オヤジ、いい加減にせえよ、もう飲むな!」という二男の声で起こされた。 二男はバケツと雑巾を持っていた。玄関から自宅まで続いていた赤い雫を真冬の冷え込んだ深夜に拭いてきたという。 息子から叱られたが「ごめん、すまん。ありがとう」と謝った。(時刻は午前1時前だった) 宮崎県に「都農(つのう)ワイン」という美味しい私のお気に入りのワインがあるが、 その夜、その都農ワインを友人から譲ってもらって持ち帰る途中だった。 都農ワインが入っていた紙袋「赤い雫がワインでよかったけど、床に染み込んだら大変なことになるだろうと思って拭いた」 と、二男が付け加えた。私の失態で深夜に申し訳ないことをして息子に迷惑をかけてしまった。でも、寒い中で床をすぐに拭いてくれたという二男の行動がとても嬉しかった。 2015年の最後の麻雀を楽しんだ日、数名で一杯飲んでいい気分となり、 さらにハシゴしてタクシーで帰宅。 自宅マンション前でタクシーを降りたとき、ワインが入った紙袋を玄関前の 階段の上にぽんと置いたら底が割れてしまった。 割れたワインは紙袋ごと植え込みに置いておき、翌朝片付ければ赤い雫が床に落ちることは なかったのだが、酔っていたのでそこまで気が回らなかった。 朝早く、少し明るくなって拭き残しはないかバケツと雑巾をもって確認しに行くと、 暗がりだったと思われるところに数か所拭き残しがあった。 防犯カメラには息子と私の床を拭いている姿がバッチリ録画されたことだろう。 私は起きてきた二男に「夕べはありがとう」と、お礼を言った。 二男から何か一言言われるだろうと覚悟していたが、二男は返事もせず黙っていた。
2016.01.17
10歳近く後輩のU君が教えてくれたお酒を飲んでの失敗談である。 U君、奥様の実家へ遊びに行き、全くお酒を飲めない義父さんからお酒を勧められ、ほろ酔い気分となったところまで記憶があった。さらに飲んでいい気分となり前後不覚に。 そのあと車に乗って自宅へ帰宅したところは薄々記憶があったが、どのような車に乗ったのか思い出せなかった。 後日、義父さんがU君に「あなたは、車で送ったとき私をタクシーと思って乗っていた」と、聞かされビックリ。義父さんが酔っ払ったU君を送ってくれたのだった。 U君曰く、「私は、義父さんにそこを曲がってとか、いろいろと言ったんじゃないかと思ったら恥ずかしくて申し訳なくて」、と。 「義父さんをタクシーの運転手さんに間違うなんて、そりゃまずかったし、珍しい。 わからなくなるまで飲んだということかな」 「はい、まだまだ飲んでの失敗はたくさんありますよ」と、U君。 それにしても義父さんの車をタクシーと間違うとは。 全くお酒を飲まない義父さんから「酔っ払いってこんなものか」という諦めとも言える大きさが伝わってきたような気がしたU君の失敗談であった。
2009.07.02
お酒を飲んで酔っ払っての失敗は人に話せるものでも結構持っている。こんなことは威張れるものじゃないが、その一つである。 今から10年近く前、博多の街に単身赴任していた。ある夜、仕事帰りにもの凄くお酒を飲んだ。その翌朝、単身寮でメガネないことに気付き懸命に室内を探したが見つからなかった。 地下鉄に乗ったときまでかけていたような気がしたので福岡市営地下鉄にメガネの忘れ物はないですかと電話をした。電車内での忘れ物は西新駅に集まるようになっているので、そちらを訪ねてくださいとのことであった。 西新駅に行くとなんと、私のメガネが忘れ物の中にあったのである。そのメガネは二週間前に買ったばかりの遠近両用で8万円もした。私にとっては高価なものであった。 届けてくれた人は誰かわからないとのことでお礼のしようがなかったのだがメガネが手許に戻ってきたことが嬉しかった。 メガネ紛失事件の不思議なことは、降車駅から単身寮までは10分ほど徒歩になのだが、どうやって帰ったのか全く思い出せなかった、視界に入るもの全てがボォーッとした光景だっただろうがそれすら覚えていなかった。 それほど私を酔わせた酒の席とはいったい何だったのか、今になっては是もまた思い出せないでいる。
2009.06.16
お酒を飲んでの失敗は結構あるが話せるうちのその一つである。 今から10数年前、上司と出張。出張先で職場へお土産を買うことになり代金は上司と割り勘で支払った。 当然のことだが買ったお土産は私が職場へ翌日持って行くことになった。 私と上司は出張先から熊本へ帰着し熊本市内で一杯飲むことにした。私は上司と別れたあとも一人で飲んだ。 あくる日、目を覚ますとバッグはあったが土産が無い。酔っ払って失くしたのだ。私は困った、上司にどのように説明しようかと。 正直に「実はあれからまた一人で飲みに行きましてお土産を失くしてしまいました。すみません。代金をお返しします」と言った。上司はお金を受け取ることもなく黙っていた。 結局、昼休みに同等の品を買って職場へ「二人からのお土産です」と言って差し出したのでした。 そう、司馬遼太郎の「坂の上の雲」にこんな一節がある。山県有朋がパリを訪れたときの出来事である。 パリ滞在中は、好古を案内役のひとりにした。ちょうどわるい時期でフランス 陸軍の高官の多くがパリを留守にしてリヨンにいた。山県はそのひとりに日本 から持参した土産物をとどけようとし、その使者として好古をえらんだ。 ところが好古は、ほどなくパリへもどってきた。 「なんだばかに早かったじゃないか」 と、山県がおどろくと好古は恐縮し、じつはそのお土産物のことでありますが、 といった。 汽車の中で酒を飲んでいるうちに紛失してしまい、やむなく途中から引き返し て参りました、といった。 このときの好古の心境やいかに。私はこの出来事から上司と二人で買う土産物が嫌になったのである。
2008.10.21
新しいカテゴリとして『酩酊秘話』を追加しました。お酒の好きな人ならば一つや二つ、飲みすぎての失敗があるもの(全くない人も居るが)。その失敗、周囲に話せるものはまだ可愛いが、一生話すことができずに墓場まで持参しなければならない深刻なものもある。その失敗談(人に話せるもの)を集めてみました。 まずは、私の失敗談から。 今から23年前、妻は二男の出産で実家へ帰省していた。そんなある夜、妻も長男もいない社宅住まいの我が家へ、お酒を相当飲んで帰宅。 お風呂に入りたいと、水道の蛇口をひねって水を貯めて、小さなハンドルをグルグルと回してガスのスイッチを入れた。当時の我が社の社宅は蛇口をひねるとお湯が出るタイプではなく貯めて沸かすタイプのお風呂であった。 布団も敷かず、畳の上で眠り込んでしまった。何時間経ったのだろう、ゴォーとかゴォーンというような変な音で目が覚めた。 その音は風呂場の方からであった。湯船の蓋はなぜか被せていなかった。湯船を見るとお湯が沸騰しながら、渦を巻いていた。その音だったのである。 私はびっくりして急いでガスの火を消した。あと一時間もすれば全て沸騰し空焚きになって火事に、いや、ひよっとしたらガス中毒になっていたかも知れないと思うとゾッとした。 時計を見ると午前3時であった。そのあとは大事に至らなかったという安堵と、恐怖心で朝まで眠れなかったことを記憶している。 それからというもの、家族がいてもお酒を飲んで帰宅した日はお風呂に入らないようにしている。お酒を飲んだらお風呂に入らないようにしているというのは勝手な理由だが、お酒を飲んでいい気分で湯船に浸かり、お湯が冷たくなるまで湯船の中で寝ていたという人もいる。
2008.04.08
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