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6時33分頃、久しぶりに凄い揺れを感じた地震がありました。久しぶりにと言っても昨夜も強い揺れを感じました。 二男が「お父さん、今お風呂に水を念のためと思って溜めている」と、言いました。4月の前震のときには、すぐ水を溜めたのが功を奏してトイレを流すのにたいへん役立ちました。 ところで昨日今日とやや強い揺れが続いています。震源は西へ移動しているような気がします。これ以上の激しい地震が来ないことを願うばかりです。
2016.09.01
昨夜は町内会の自主防災クラブの防災会議が開かれ(参加者は50名ほど)で活発な質疑が行われました。 私は今年度、居住するマンションの管理組合の理事が回ってきて町内会担当となり、町内会に関するもの全てについて参加、出席することになりました。 昨夜の議題は1.町内自主防災クラブの組織及び災害発生時の出動と各部の役割について2.熊本地震に伴う自主防災クラブの動きについて3.熊本地震に関するアンケート調査の結果について 4.これからの自主防災クラブ活動の在り方についてなどで「災害時に使う費用を積み立ててあるようだが、今回は使われていない、ライフラインがすべてストップしたときどのように使うか考えるべきではないか」との意見が出、それに対して 「正におっしゃるとおりです。今回の被災を機に皆さんのご意見をお聴きしてより良いものとして行きたいと思います」とは、会長からの言葉でした。 町内会は10年ほど前の同じくマンション代表として参加したときと比べると進歩したなあという感じがしました。 ほかに町内にお住まいのあるお宅には井戸があって遠方の人も水汲みに来られたとか、また、トイレで水を流すため町内を流れる川から水を汲んだとか初めて耳にする情報がたくさん入ってきました。 最後に各班に分かれて「今回の震災で一番困ったこと」「不満に思ったこと」などをまとめて発表する場も設けられました。 マンションの一住人として町内会が自主防災について活発に活動されていること(防災会議が毎年開かれていた)を全く知りませんでした。町内に30棟近くあるマンションからは代表の方が町内会の会合に全く出て来ないところもあります。 今回の地震では町内の防災はもちろん大事ですが、私が住むマンションの自主防災を考えたとき隣との付き合いがない、防災体制が全くと言っていいほど整っていないなと痛感しています。 管理組合の理事となった今年度、いい方向に持っていければいいのですが・・・・
2016.06.13
6月に入って、平成28年度市民税・県民税納税通知書が送られてきました。もうそのような時期なんだなと思いましたが、自動車税、固定資産税、国民健康保険料の納税通知書は未だ送られて来ていません。 調べてみたところ、自動車税、固定資産税は今回の地震被災に伴う対応措置として納税通知書の発送、納付期限の変更があるとのことで固定資産税は7月上旬、自動車税は8月上旬に送付されることがわかり納得しました。前年の所得に応じて決まる市県民税と国保料はすでに所得が確定しているので遅れることなく例年どおり送られて来た、また送られて来るようです。(国保料は例年6月下旬送付で是から) 今回の地震で建物の全壊、半壊など被災された方は減免申請をすればり災の程度に応じて、市県民税、固定資産税の減免を受けることができるようですが、ここで申請に必要な書類は「り災証明書」、この「り災証明書」の被災の程度が各種の税の減免額に影響を及ぼすことになるようです。(自動車税も減免制度があるようです) 「リ災証明書」の内容に不服があれば再判定をお願いできるようですが、被災した判定に不服がある知人によると、判定するところがなかなか忙しそうで再判定は先になりそうと言っていました。知人は「り災証明書」は地震保険のために必要だと言って取得すると言っていましたが市県民税、固定資産税の減免申請に必要で、減免制度があるということを全く知らないようでした。かくいう私も「リ災証明書」なるものは義援金の分配額決定の根拠となることぐらいは知っていましたが各種税の減免申請の際にも必要だとは知りませんでした。 ということで「り災証明書」を取得する際、役場は減免措置があるということを教えてくれるのだろうかと思ったところです。ここは私が心配するところではなく「リ災証明書を取得された方へ」のようなチラシが既に作ってあり、減免申請に関することが記載され、配られているかも知れません。(減免申請の詳細については各自治体、組織(自動車税事務所など)の関係する各HPをご覧願います)
2016.06.12
ご存知のとおり一連の熊本地震で熊本城は天守閣をはじめ、櫓、塀、石垣など甚大な被害を受け無残な姿となりました。昨日、熊本城内にある加藤神社まで行けるようになったとのことで天守閣を近くで見ることができるだろうとの思いと被害状況をこの目で確かめたいと行って来ました。ルートは熊本市役所前バス停下車~長塀前桜並木通り~行幸(みゆき)坂入口~城彩苑~国立病院裏~二の丸駐車場~二の丸広場~監物台植物園前~加藤神社前~不開門~熊本大神宮のコースです。〇囲みの数字の順序で画像をUPしています。朱線矢印は撮影方向です。1.倒壊した長塀 春、毎年、長塀に覆い被さるように咲いていた見事な桜、来春、桜が咲く前までに長塀の復元工事が終わらないとこの風景を見ることはできません。 2.2014年9月に復元落成した馬具櫓3.行幸(みゆき)橋を渡って頬当御門へ向かう行幸坂4.城彩苑を抜けて未申櫓を見上げる(紫陽花が綺麗だったので)5.国立病院機構熊本医療センター裏へ向かう途中からの未申櫓(ひつじさるやぐら)6.売店の屋根も悲惨7.二の丸駐車場から西大手門手前8.二の丸広場から望む宇土櫓、小天守、大天守9.二の丸広場から見た戌亥櫓(いぬいやぐら)10.熊本地方裁判所方面へ向かう道路を少し下りて 11.飯田丸五階櫓と同じく角石でもっている戌亥櫓12.加藤神社手前のいわゆるクランク(黒いのは石垣崩落防止のための大きな土のう)13-1.手前右から宇土櫓、大天守、小天守(昨日、気付いたのは宇土櫓の鯱(しゃちほこ)が残っていたこと)13-213-3.凄い高さだが大丈夫だった宇土櫓の石垣13-4.西大手門を臨む 14.北十八間櫓方向 15.十八間櫓と石垣が崩落した熊本大神宮薄暮の中の熊本城(ライトアップされる前に帰宅)熊本城天守閣へは3箇所の門から入場することができましたが、現在、どの門からも入ることはできません。 無残な姿をカメラに収めていて涙が出てきました。花見はどうなるのか、毎年開かれている「熊本城お城まつり」とそちらも気がかりです。熊本城のはやい復元、復興が待たれますが復元が完了するまでに要する期間は20年かかるとも言われています。多分、その時、私はこの世に居ないと思います。そこで復元途中の工事模様も見ることができる、もちろん安全を確保して探訪コースを設けて欲しいと思います。
2016.06.08
やっと余震も少なくなった減ったなと思う今日この頃の熊本地方です。今回の一連の地震後、立ち飲みでお会いするお客さん、久しぶりにお会いする友人・知人・親戚の皆さんの開口一番の挨拶は「地震どうでした、大丈夫でしたか」である。 「はい、食器が半分くらい割れて書棚が倒れました」といつも同じ言葉を返している。こちらが話し終えれば「そちらはいかがでしたか」と訊き返すことにしている。その中のお一人は八代市にお住まいで最初の4月14日の午後9時26分の前震のときは 阿蘇くまもと空港と八代市を結ぶ「スーパーばんぺいゆ」という路線バスの中で八代市に向けて発車するときで既に着席していたという。「バスの中でタイヤの上の席だったんですけど、それは凄かったですよ。下からドンドンと突き上げられる感じでどうなることかと思いました」と教えてもらいました。前震のときはまだ9時過ぎだったのでほとんどの人が起きている時間帯でしたが本震が起きたのは午前1時25分、皆さん深い眠りに就いていた時刻。我が家付近(熊本市中央区)では震度6強と思われた揺れ、そんな中で本震があったのを知らなかったという人がいるということをある人から伝え聞きました。あの揺れに気づかなかったということに驚きましたが、疲れて、あるいは深酒して熟睡されていたのでしょうか。 まだ暫くは「地震どうでした」で始まる挨拶を交わすことになりそうです。
2016.06.05
2016年4月14日21時26分、私はNHKニュースウォッチ9を見ながらくつろいでいました。その時、かつて経験したことがないような激しい揺れに見舞われました。翌々日の本震ではウィスキーや焼酎、酒、果実酒などを入れている家具、器類を入れている棚は扉が開いて物凄い音がして激しく落下しました。前震の翌日15日の午前0時3分頃の余震には驚きましたが16日の1時25分の揺れの激しさは14日に比べると遥かに上回っていました。ちなみに我が家は震度7の揺れに見舞われた益城町から直線距離で約8キロぐらいの所に有りますが、前震、本震とも震度6強くらいだったのではと思っています。 1.地震速報と安全なところへの身の確保 携帯に来る地震速報から揺れが来るまでに間隔が全くなく速報と同時くらいに揺れた ときもありましたが速報が来ても揺れなかったときもありました。 地震速報が来たら机やテーブルの下に隠れるというのは常識かも知れませんが速報と 揺れの間隔が短い場合で激しく揺れたときは動けなくなりテーブルの下などに隠れること はできないことがわかりました。 16日未明の震度6強の時、灯りを付けて寝ていて飛び起きましたが揺れ始めたら固 まってしまいソファーに掴まったまま身動きできませんでした。 2.最初(14日)の地震が起きて取った行動 ひよっとしたら停電するかも知れないと思って浴槽に水を溜めました。その日はまだ お風呂にお湯を張っていませんでした。 我が家は男二人世帯で殆どシャワー、この浴槽水張りは本震の後に停電し断水したので トイレを流すのにひじょうに役に立ちました。3.本震のあと マンション前にある駐車場にへ避難。20人近くで一夜を明かしました。夜が明けて 近くの小学校へ避難。車と人でいっぱいでした。 おにぎりの提供は全員には無いだろうという話が飛び交い、自宅マンションへ帰って カセットコンロと土鍋、ミネラルウォーターで炊飯。このときはガスは既にストップ していました。4.準備していたもの 熊本は近年大きな地震は殆どありませんでした。まさか今回のような激しい地震に 見舞われるとは思わず非常食、飲料など殆ど準備していませんでした。かろうじて 有ったのは未使用のカセットボンベ3本だけでした。5.食いつなぐ カセットコンロでご飯(2合)を2回炊いて毎食おにぎり一個で食いつなぎました。 水は閉店したスーパーの前で生協さんが無料で配ってくれたミネラルウオーターを 使いました。6.車中泊 本震があったその日は小学校へ車を持って行こうとしたが満杯で入れず。仕方なく 夜は路上駐車。路上駐車はもちろん駐車禁止だったがこの時ばかりは堂々と駐車させて もらいました。百メートルくらいの間に私と同じように車中泊した車は約20台。 息子に車は1台で二人で寝ようと言ったところ、お父さんのイビキがうるさいので と断られて2台で寝ることに。車中泊した道路は自宅から3百メートルと近くトイレへ 戻れる距離でした。7.コンビニとスーパー コンビニとスーパーは激しい揺れによる商品の散乱、停電、断水、ガスストップと なり、どこも閉店。食品調達の道が絶たれました。本震後は交通遮断で品物が入って来 なくなったと思っています。8.交通遮断 飛行機も高速道路も九州新幹線も在来線も全てストップ。唯一他県と行き来できた のは一般道路のみ。一般道路は大渋滞。9.スマホへの充電 停電すれば困るのがスマホへの充電。ところが息子が車で充電できる接続器具を持 っていたので助かりました。10.洗濯 断水で洗えないため洗濯物がどんどん溜まっていきました。本震後3日くらい洗濯 できませんでした。水道が通水されて洗濯をすることができるようになって溜まった 洗濯物を何回干したことでしょう。洗濯でも水の有り難さを痛感しました。11.ライフライン いつも何気なく使っていた電話、電気、水道、ガス。今回の地震で当たり前の幸せは 天災の前には無力であることを痛感させられました。 ライフラインの順位としては水、電気、ガス、電話でしょうか。蛇口からほとばしり 出ていた水を何気なく考えることなく使っていた地震前。水の有難さを痛切に感じた 今回の地震でした。 12.買い物 本震後3日目だったでしょうか自宅から約20キロ近くある玉名市方面のスーパーは 営業していて一応何でも揃うとのことで買い物へ出かけました。往路は約1時間かかり ましたが帰りは渋滞に合い2時間以上かかりました。買いたかった牛乳は売り切れで 満足が行く買い物とはなりませんでした。 13.入浴(行水) 断水は解消したもののガスが開栓できて使えるまでには相当の時間を要しました。 ということでお風呂に入れず取った行動は行水。電気ポットでお湯を沸かし、 盥(たらい)(野菜を市場へ出荷する際の洗い用として買って持っていた)へ溜め、 水で薄めて行水。盥一杯でシャワーを浴びた効果がありました。14. カセットコンロとボンベ 断水、停電、ガスストップとなれば 料理することができません。そこで活躍したのは カセットコンロ。新品のボンベの買い置きが幸いなことに3本あってガスが使えるよ うになるまで活躍してもらいました。15.生野菜 炭水化物ばかりを毎日食べれば欲しくなるのが生野菜。どのお店も営業していず生 野菜を食べることができませんでした。そこで食べたのは栽培している新玉葱を実家の 畑から持って来ていたので、この新玉葱に助けてもらいました。16.道路(橋) 九州自動車道が通れるようになり、実家へ帰省するため御船インターから乗ろうと 健軍方面から車を走らせると橋の袂の段差が激しい箇所が何箇所もありました。橋は 基礎がしっかりしているのでしょう、橋の袂の道路が沈下し段差が出来て、その段差 を解消するため舗装を施してありましたが皆徐行するため渋滞する一因となりました。 九州自動車の御船インターと松橋インター間は路面が大きく波を打った状態となって いる箇所があってフワフワと揺られたような感じがします。17.被害 我が家の被害は前震のとき皿が数枚割れたのとワインが一本。本震では頂いた器や 大切していたものを含めて半分以上が割れました。焼酎、酒、ウィスキー、果実酒は 全く被害なし。そして家具では書棚が唯一倒れてガラスが割れました。18.震災ゴミ(マナー違反) 震災ゴミを出していいとのことで本震の翌日あたりから震災ゴミが出始めました。 震災ゴミは通常出す有料の指定の袋でなくともいいとのことでいろんなゴミが出して ありました。どう考えても震災ゴミとは思えない物も出されていてマナーが守られて いないのが多々ありました。19.普段の付き合い マンションでは居住人同士間は普段挨拶をする程度で隣にどんな方が住んでいるかくら いまで知っているが付き合い行き来が全くない方もいらっしゃる。 今回、全くお付き合いのない一人暮らしのお隣の女性の方が「あのぉ、娘のところへ 避難します」と伝えに来られた。普段付き合いがなくてもこの女性の方の行動がなぜか 嬉しかった。 今回の地震で大切だなと思ったことは「遠くの親戚より近くの他人」。最低限のお付 き合いはしておかなければと思いました。20.有難い連絡 前震、本震後でやや落ち着いたとき、南は鹿児島県・種子島から北は東京都、千葉県に お住まいの元同僚、親戚、立ち飲みで知り合った方から「大丈夫ですか」という連絡を 電話、ライン、メールで頂きました。福岡県に住む元同僚氏からは「何か必要なものが あったら言って下さい、昼は渋滞するだろうから、夜、車で持って行きます」との有難 い申し出も頂きました。20年以上前に同じ職場で席を同じくした方、立ち飲みで偶然に お会いした方をはじめ、多くの方からの優しさと声に元気づけられました。21.避難先で 本震のあと夜が明けて近くの小学校へ徒歩で避難。息子と二人、木陰の椅子に座って ゆっくりしていると目の前で高齢の男性の方がぐったりとされていたので周囲が心配。 体育館からマットを持ってきて横になってもらった。 ご夫婦らしきお二人と看護師さんも登場、症状から救急車を呼ぶことになった。 息子が119へ電話をすると救急車全てが出払っているため、そちらへいつ行けるか 約束できませんとのことだった。そこでご夫婦らしき男性の方が自分の車を出して 病院へ運ぶことになりました。 画像はご高齢の男性を車へ乗せているところですが、息子と「あの方はご無事だった だろうか」と今も話しています。 22.地震慣れ(余震) あまりもの余震の多さに「地震慣れ」と言うのでしょうか震度4くらいまでの揺れ では驚かなくなりました。今、息子と二人で居るときには、今回の揺れは震度3、いや 震度2だとか震度当てをしています。熊本から大分方面にかけての今回の地震、 地殻は一体どのようになっているのか、もういい加減にして欲しいと思う余震です。 今回、人命救助、不明者捜索、避難所支援(炊き出し・給水・入浴設備等)、また、ガスや水道などのライフラインの復旧、行政事務など全国各地から多方面にわたり、支援応援にお出で頂きました。我が家のガスの開栓の際には大阪ガスの方にお世話になりました。 自衛隊、消防、警察、海上保安庁、電気・ガス・水道・電話のライフラインの工事関係の皆様、日赤など医療関係の皆様、ゴミの収集、全国の各自治体の皆さん、また、ボランティア活動にお出で頂いた皆様、全ての皆様に心から感謝しています。 日本という国の素晴らしさを身をもって感じましたが、一方、被害に合った留守宅に空き巣に入るなど、とんでもない人もいます。 今回の地震はいろいろな事を教えてもらい、また、考える機会となりました。 一昨日、益城町へ所用があって訪れました。県道、熊本~高森線の道路際では全壊、半分倒壊、瓦が無残にも崩れ落ちた光景を目の当たりにしました。益城町へ入って車の中で、被害の深刻さ、地震というエネルギーの凄さに驚かされました。某テレビ局が建物が被害を受け方にインタビュー、その方がおっしゃっていました「天災に負けてはおられん」と・・・・(気付いたところを加筆訂正中)
2016.05.14
昨日は博多の街で午後1時開始のある団体の九州地区総会へ出席するため自宅を9時に出発。九州自動車道を走る高速バスに乗るため市内へ出ようと路線バスに乗ると渋滞に合い、いつもなら20分で行けるところが40分もかかってしまいました。高速バスは震災後の特別ダイヤとのことで大幅な便数減。なかなか高速バスは来ずバス停で待つこと30分。やっと来た高速バスは雨の九州自動車道を北上、開始時刻にどうにか間に合いそうと思っていた矢先に鳥栖ジャンクションの手前でストップ。横転事故があったとのことでバスは進まず総会に間に合うだろうかとヤキモキしました。 バス車内から撮った昨日の横転事故総会会場に着いたのは1時丁度でどうにか間に合いました。いつもなら2時間足らずで行ける高速バス、倍ほどの時間がかかり 往路だけで疲れてしまいました。総会は午後5時に無事終了。そのあとは博多の街で働いている会社の元同僚の皆さんとの懇親会。現在の会社の状況、懇親会に参加していない元同僚の消息、地震のことなどが話題となり、懐かしさに浸って帰宅。 まだまだ何もかもが震災前の状況に戻っていないなと感じた昨日は元同僚との会話から少し元気を貰えた一日となりました。
2016.05.11
昨日、熊本市内の繁華街で唯一の映画館「電気館」へ前評判の高い「スポットライト」の 鑑賞に出かけました。 チケットを買おうと20分前にフロントへ行くと地元民放のロケがあっていました。 私の方へもカメラを向けられたのでちょこっと出るかも知れません。 電気館は大きな地震のあと休館だったようで、 この前の土曜日に開館したと報じられていました。 絶対に見逃さないぞと心に決めていた「スポットライト」はお客さんでいっぱいでした。 映画を観終えて下通りアーケードを歩くと中・高校生で溢れていました。 アイスクリームが1個100円とかでサーティーワンの前には長蛇の列ができていました。 地震後休校中だった学校が今日から登校できるところもあり、生徒の皆さんの地震前の 笑顔が街中に戻ってきました。 やっぱりこうでなくっちゃ、元気がある熊本でなくてはと思った5月9日(月)の 小雨の中の夕方でした。
2016.05.10
今日は一ヶ月半に一度のペースで受診している血糖値検査の日でした。 血液検査の結果はヘモグロビンA1Cの値が0.2ポイント改善され(下降)て、 「少しだけ良くなりましたね」と医師から言われました。 私は 「地震で食事を満足に摂れなかったことと、2週間近く外へ飲みに行けなかったから 下がったのではないかと思います」と、それらしき理由を告げました。 主自医は「そうかも知れません、それもあるかもですね」と一言。 さらに「地震はどうでした、避難したのですか、車中泊はしたのですか」 と尋ねられました。 食事は地震後数日は一食がおにぎり1個というときがありました。 そして週に2回ほど外で飲んでいましたが飲食店も被災して営業できなくなり 飲めなくなりました。 私の場合の血糖値改善は、外で飲む回数が減ったというのが一番だったのではと、 思ったところです。 今回の地震は何もなかった平常時の食生活のあり方を振り返させ、 考えさせられるものとなりました。
2016.05.06
先ほど10時31分頃、また余震がありました。ユサユサと少しゆっくりとした揺れ方で息子と震度3か4だろうと話していたところ、震源は阿蘇地方で震度4、熊本市は震度3とのことでした。段々と余震の回数は減ってきていますが、今も余震がありました。一体、熊本・大分の下の地殻はどのようになっているのか、もう一度激しい揺れがあるのではないかと思っている人も少なくないようです。熊本市内の繁華街を歩いていて、今、外壁が落ちてきたり、建物が崩れたり、アーケードの天井部分から何か落ちてきたらどこへ隠れようかと考えるようになりました。ベランダに出ると大きなプランターに植えたミニトマトがスクスクと育っていて、日に日に大きくなり、生長過程から元気をもらっています。 このミニトマトが真っ赤に色付く頃には余震のことなど心配しなくていい日になっていることを願うばかりです。
2016.05.05
16日未明の激しい揺れ、本震に見舞われた日、その日は46年も頑張って来られた行きつけの寿司店が閉店される日だった。14日の前震ではそんなに被害がなく15日は通常どおり営業されていたので名残りを惜しみながら、刺身、お寿司を楽しませてもらった。 閉店当日は予約でいっぱいとのことだったので10時頃の遅い時間にお邪魔しようと思っていた。ところがあの本震。一昨日、城彩苑を出てすぐの所を歩いていると寿司店の大将から電話があった。本震後、電話しづらくてこちらからかけるのは躊躇していた。 閉店のその日は断水とガスの不通でお店を開くことができなかったと教えてもらった。46年前、希望を携えて開店、そして閉店の日が偶然、大地震に見舞われることになるとは誰も予測することはできなかった。私が行った15日がこのお店の最後の日となった。 大将はCDも出しておられる歌手、二人でカラオケに行ったこともあった。大将と暫く話すと女将さんと代わられた。「落ち着いたらお二人をお誘いします」と言って電話を切った。
2016.05.03
4月14日の前震、16日未明の本震、まだ余震があっている。また、激しい揺れ、三度目が来襲しはしないかと不安な中で過ごしている。前震が起きてから今日で20日目を迎えた。本震後の翌日あたりから出始めた震災ゴミはうず高く積まれたままで収集されていない。熊本市内だけでも一体どれくらいの量があるのか計り知れない。 震災ゴミをよく見ると壊れた家具、割れた食器類に混じって衣類とか震災に関係がないと思われるものや、収集しませんと言っているのに大型テレビも捨てられている。何でも捨てていいということで捨てられたと思うのだが分別をしてないものも多々見受けられる。震災ゴミと言えども捨てるマナーは守らないといけないと思うが守られていないのが実状のようだ。困ったものである。かく言う私も出した震災ゴミは割れた器類(約8キロ・埋め立てゴミ袋(中)2袋)とワインボトル(赤)が割れてこぼれて使えなくなったカーペット、カーペットは捨てていいのかなと少々後ろめたさを感じながら捨てさせてもらった。
2016.05.03
昨日は実に13日ぶりに熊本市内の繁華街で一杯。銀座通りに面したワインショップの前は建物の入り口の部分と歩道の間にズレが生じていました。 お店も徐々に開店してきて人通りも日に日に多くなって来ていますが開店にこぎ着けるまではまだまだ時間を要するところもあるようです。 広場泊、小学校への一時避難、車中泊、そして停電、断水、ガス不通の数日間の暮らしを思い出し、地震前の日常生活に戻れたことを噛みしめながらの一杯でした。13時41分、また余震がありました。震度3位ではなかったかと思います。あまりにも余震が多いため大体の震度が分かるようになりました。そして震度4くらいの揺れでは驚かなくなりました。慣れというものは怖いものです。
2016.04.29
14日に最初の地震があり翌日の15日に行きつけの寿司店「叶家寿し」さんへ出かけました。「叶家寿し」さんは熊本市の繁華街(西銀座通り)にあって46年間営業されてきて4月16日が閉店される日でした。もう、上にぎり寿司も カンパチのカマの塩焼きも 食べることはできません。いつもここに座って大将と女将さんといろいろな会話を楽しんできました。その店内ももう見ることはできません。 このお店で知り合った川釣りを趣味とされている方からヤマメを何十匹も頂いたことがあります。4月16日午前1時25分、震度6強(熊本市中央区)の激しい揺れに見舞われました。16日閉店当日もお邪魔するつもりでいましたが我が家も被災(食器破損)し、停電、断水、ガスも止まってしまいました。46年間も頑張って来られたお店の閉店の日があの大地震に見舞われたことはたいへんショックでした。お店の被害はどうだったのか、閉店当日は営業されたのか(多分できなかったと思っています)気になるところですが、大将の携帯に電話できずにいます。
2016.04.29
熊本城の鯱は今回の地震で落下してわからなくなったと報じられましたが、よく見ると一部は屋根に引っかかっているようにも見えました。 ほかの部分は落ちて細かく砕け散ったのではないかと想われます。その鯱、取り付けられる前に展示公開中だったときの画像をこのブログにUPしていたものがありました。 鯱の寿命はたった8年くらいと短い命でした。鯱はまさか自然災害でこんなことになるとは思ってもいなかったことでしょう。 再び鯱が大天守に颯爽と鎮座する日はいつの日か、 一日も早く熊本城の復興が待たれます。ところで飯田丸五階櫓も石垣の損傷が激しく床下から半分近くえぐられて南東側の柱を支えている縦一列の石垣が辛うじて支えています。よくぞあういう形で櫓を支えて残ったなと驚いています。縦一列の石垣を1個でもとれば櫓は崩れ落ちるでしょう。取り付けられる前の→熊本城の鯱 2007.9.8に撮影した熊本城、手前が飯田丸五階櫓です。 雪の日の飯田丸五階櫓 2010.1.13撮影昨年の3月26日に撮影した備前堀に映える逆さ飯田丸五階櫓です。暫くはこの雄姿を見ることができません。 熊本城内の被災した石垣、建物の全てについて一日も早い復元が待たれます。 2分ほど前、12時56分頃の余震は今までと違う揺れ方(頭がくらっとする)でした。
2016.04.27
震災前と同じ商品が揃うようになった近くのスーパー、遠くから買い物へ来る人もいるらしく朝早くから駐車場はいっぱいとなる。 昨日は二度も買い物へ行くことなってしまった。スーパーまでの距離はたった500メートルくらいなのだが途中いろいろな花たちが咲いていた。 地震後、こういう花たちに目を配る余裕はなかった。こういう花が咲いていることに気付くようになったということは震災前の日常へ戻りつつあるということだろうか。
2016.04.27
近くのスーパーは震災前と変わらない商品が揃ってきて驚いています。 そのスーパーへ向かう途中は積まれた震災ゴミでいっぱいです。 16日の本震があった翌日あたりから出されはじめた震災ゴミ、現在はご覧のとおりです。 こういう所が何箇所あるでしょうか。震災ゴミは全て出していいと言われたのは よかったものの分別がしっかりされていないものもあって悪臭も漂いはじめています。 袋をしっかり閉じてないと隙間から雨水が入り込み膨らんでいるものもあります。 出された震災ゴミはまだ一度も収集に来てもらっていません。 日常生活から出る燃やすゴミ(生ゴミなど)は決められた曜日に 収集に来てもらっていますがペットボトル、資源ゴミ(瓶・缶など)、紙類の 日常ゴミはしばらく収集しないとの周知がなされています。 熊本市にある二つのゴミ焼却場のうちの一つは地震で被災したとのこと、 これも困ったものです。 収集されない震災ゴミ、外ばかりではなく収集されない日常ゴミが 家の中にも溜まって行きます。 他都市で受け入れてもらうなどいろいろと頑張ってもらっていますが速やかな処理を お願いするしかありません。
2016.04.26
16日未明、震度6強(熊本市中央区)が起きたとき、「オヤジ外へ出よう」とリビングに寝ていた私のところに息子が飛んできた。道路を一つ隔てた駐車場にマンションの住人が避難、集まった世帯数は7~8世帯で20人近く。徐々に冷えてきたので余震の中で着るものを取りに戻り、外で一夜を明かした。明るくなり避難していた全員がマンションへ戻った。しばらくすると隣の奥様が「おはようございます、隣の〇〇ですが娘のところへ避難します」と伝えに来られた。自宅の両隣の一軒とはお母さん、同居している息子夫婦との会話はよくするが、もう1軒の奥様は一人住まい(多分)、挨拶をする程度で話したことがない。そんな付き合いなのだが「娘のところに避難します」は周囲から心配されたらいけないと思って伝えに来られたのだろうと思った。マンション住まいは何年住んでも知らない人は知らない。付き合いがなければ一生関わりののないままで終わってしまう。今回の「娘のところに・・・」は伝えてもらえたことがなぜか嬉しかった。そして、最小限の近所付き合いは今回のような有事を考えると、有ったほうがいいのではないかと思いました。
2016.04.26
今日18時50分頃と19時56分頃の揺れ方が気になって仕方がありません。 二つとも下からドンと突き上げるような揺れ方でほんの1~2秒ですが足元が震源では ないかという今までにはない揺れ方です。3度目の震度7クラスの揺れがまた来るのでは ないかととても不安です。 今日午後、熊本城・桜の馬場「城彩苑」、そして行きつけの角打ち「堤酒店」さんが 営業しているのか確かめるため街中へ出かけてみました。 城彩苑は閉まっていました。 店内の被害を想定、またこんな時に観光施設を訪れる人がいるだろうかと 思えば閉苑は当然かも?知れません。 城彩苑入口の右側にある櫨方門手前の広場の先の石垣は備前掘りへ向かって崩落していました。 飯田丸五階櫓の被災状況は立ち入り禁止のため全形を確認できず、 木の葉の間から少しだけ見えました。 長塀は数十メートルに亘って崩れていました。 堤酒店さんへ向かう途中、市役所そばの交差点から東十八間櫓を見るとその姿を 確認できませんでした。 真ん中正面の赤いノボリの先の上に立っていた東十八間櫓でしたが・・・・ 堤酒店さん手前の食堂「宝来軒」さんは壁が崩落。(左手へ行けばNHK熊本放送局、右手へ行けば堤酒店・下通りアーケード) 堤酒店さんはシャッターが下りていました。 ほかに気になったのは熊本ホテルキャッスルの外壁にはたくさんのヒビが入っていました。 HPによれば臨時休業とのこと、一日も早く営業が再開されることを祈っています。 あと、鶴屋百貨店の本館も未だ営業が再開されていません。 鶴屋が閉まっていると市内繁華街から活気が失われたような気がします。 ところで、我が家の今夜の晩ご飯はエビが半額だったのでこんなものとなりました。 これは息子用で、私はピザ二切れと小松菜のおひたしに缶ビールだけ。 太らないよう、食べ過ぎないよう注意しています。
2016.04.24
余震が先ほど1時13分頃にありました。震度3とのことでしたが結構揺れた感じがしました。その揺れで起きてなかなか寝付けません。そのあとも余震がありましたが熟睡している人は起きない程度の揺れでした。この余震、間隔はあいて来ましたがまだまだ予断は許しません。余震はいつまで続くのかわかりません、困ったものです。ところで、昨日、また断水したら困ると浴槽に溜めていた真水を抜くと底には茶色い沈殿物がありました。泥なのか錆なのかよくわかりませんでしたが濁っている水での料理はできないと友人も同じでした。(23日の午後)今回、ガスが開通して溜めたお湯は濁っていないようでした。今朝(24日)の朝食、エンドウのパスタ
2016.04.23
久しぶりに干物を食べました。 干物を食べたかったのですがガスが来ていなかったので干物を焼くことができせんでした。 今夜から普通の夕食に戻りました。 大きな鯵の干物、ポテトサラダ、牛肉とサラダ玉葱とエンドウのすき焼き風。熱々の干物にはやっぱりビール。久しぶりのお風呂上りのビールの味は格別でした。ところで地震にガスは弱いことがわかりました。弱いというのは復旧に時間がかかるということです。オール電化キッチンシステムにしようとも思いましたが今年新しいガスコンロにしたのは停電は台風や落雷などで有り得ますがガスの不通はめったに無いと思ったからです。ガスと地震、結び付けて考えていませんでした。
2016.04.23
先ほど23日午後3時20分やっとガスが復旧しました。 16日未明の震度6強(熊本市中央区)の揺れに見舞われたあと止まっていたガス、 実に一週間ぶりです。 一週間はカセットコンロに頼った料理(簡単なものしか作れませんでしたが)、 そしてお風呂に入れず盥にぬるま湯を張った行水。 水、電気、ガスの無い生活がいかに困るか思い知らされた一週間でした。 ガスの復旧は昨日大阪ガスの方がお見えだったようですが我が家が不在のため一日遅れの 復旧となりました。全国から支援に来て下さっている皆さんに感謝感謝です。 後輩が住む地区はガスの復旧は5月に入ってからのようで待ち遠しいようでした。 今から早速お風呂に入り、今夜の料理にかかりたいと思っています。 間隔は遠くなりましたが、また先ほど余震がありました。
2016.04.23
14日に実家へ帰省、その日は九州自動車道益城空港インターで下りました。その2時間後に最初の震度7の大地震、昨日はそれ以来の実家へ実に8日ぶりに帰省しました。農作業等のため3日に一度は帰っていましたので8日ぶりというのは随分帰っていなかったことになります。 気になっていたのはポットに種を播いたトウモロコシ、乾瓢、枝豆、食べるホウズキ。 帰省したのはその生長具合を見るためとエンドウ、巻かないレタス、玉葱の収穫のためでした。防虫ネットで育ててきたキャベツも随分大きくなっていました。 ジャガイモも順調に生長していました。 玉葱は食べる分くらいを収穫して帰るつもりでしたが、今日から数日雨が続くとのことで急遽収穫することにしました。玉葱は12時半から引き抜き、玉の部分の少し上のところとひげ根を丁寧に切り、大きさ別に分けてコンテナに収納が終わったのは4時過ぎでした。帰り際、芦北町の湯の浦温泉の岩の湯さんで実に8日ぶりの入浴。2回も身体を洗いました。 「岩の湯」さん 8日間はたった2回の「行水」だけ、久しぶりの温泉は心身ともに疲れを癒してもらいました。玉葱を収穫中にスマホに着信。それはガスを開通するので立ち会って欲しいとの電話でしたが帰省しているため立ち会えず開通できませんでした。ガスの開通はガス会社の人に立ち会わないと開通して貰えないということを知りませんでした。
2016.04.23
熊本市内を走るバス、市電も復旧して熊本市内の被災の状況がどれくらいのものなのか一昨日の夕方繁華街へ出かけてみました。下通り、上通りのアーケードなどを歩くと開いていたお店はドラッグストア、コンビニ、ケーキ店のほかは数店。外壁が崩れたところ、崩れかかっているところと営業再開にこぎつけるまでは相当の費用と時間がかかるだろうと思いました。上通りアーケードでは一部雨漏りするところもあり、乾いた土が濡れたときの変な匂いも漂っていました。今回の地震、14日の21時26分の最初の揺れには驚きましたが16日1時25分の揺れは最初の揺れよりさらに激しく、この揺れが被害を大きくしました。2度も震度7(我が家付近(熊本市中央区)は震度6強(16日)だったと想定される)に見舞われたのですからたまったものではありません。16日未明の地震は住んでいるマンションが倒壊して下敷きになるのではと思うくらいの激しい揺れでした。 今回の地震は熊本の観光、経済に大打撃を与えて花畑地区再開発にも影響を与えるのは必至ではないかと思うところです。益城町にお住まいの方は6割くらいの家屋が大きな被害を受けたと話してくれました。今回の地震が起こるまで熊本県民は熊本は地震が少ないところでいいなあと思っていた人が多かったのではと思うのですが、地震が無かった間にひずみ、エネルギーが蓄えられていたとしか思えません。長い間、地震が無いところ、特に断層帯近くの地域は危ないのではと今回の地震で思ったところです。熊本城、阿蘇神社の損壊など様々な名所旧跡、重要文化財等も被害に合いました。 熊本市、阿蘇地方への観光客は激減するでしょう。震災前に戻るための復興には多額の費用と年月を要すると思われますが一日も早く地震前の熊本に戻れることを祈る次第です。(私に何ができるか模索中です)
2016.04.21
今日、近くのスーパーが10時に開店するということで9時55分に着きましたが誰一人並んでいませんでした。ところが店内は開店10分後にはお客さんで一杯となりました。 店内には野菜も魚も肉も品数も数量も地震後とは思えないくらい揃ってきて一安心。 魚に肉、そして野菜にと買い揃え、牛乳も買うことができました。 昼から西原村が実家、そして益城町にお住まいの先輩へ電話するとご無事とのことで一安心。まだ時々余震があり不安は解消されませんが少しずつ地震前の日常に近づきつつあります。ライフラインは未だガスが来ていません。 今、カセットコンロが頼りです。ガスボンベの在庫が尽きる前にはガスが使えるようになって欲しいと願っています。身体は、震災後、おにぎりだけで済ませた時もあったので痩せてきています。
2016.04.21
最初の地震が起きた14日以来、身体を動かす機会がなく身体に悪いと 久しぶりに近くを散歩してみた。 外壁が壊れているマンション、倒れた古いブロック、高く積まれた震災ゴミが目に付いた。 震災ゴミは毎日出していいと聞いているが収集に来る気配はなく溜まっていく一方。 今日は大雨とのこと土砂崩れなどの二次災害が心配される。 余震はずいぶん回数が減ってきた気がするが揺れ方もユサユサとゆっくり揺れる 揺れ方に変わってきた感じがしている。 震源が大分方面へ移動しているようだ、まだまだ予断を許さない今回の地震、 ドーンと来て激しい揺れが来ないかと不安がつきまとう。 そんなことをよそにベランダの外で輝く緑に芽吹いた槻(けやき)は 地震など関係ないというように雨に打たれている。 ところで益城町、熊本市在住の知人、友人の皆さんの被害の状況が徐々に判明してきた。 マンションの上層階に住む先輩は食器類が殆ど割れて大きなレジ袋に9つも。 また、金融機関に勤める若い奥様は車中に7泊して車から今日出勤するとのこと。 まだ1歳くらいのお子さんを残しての出勤、子供さんは誰が見ているのとの 問いかけに未だ返信なし。 まだ断水中のお宅はお風呂に入りたくて一休という温泉施設に行ってみたところ 長蛇の列にビックリして菊池市の七城温泉まで出かけ深夜に帰宅。 いろいろな方に電話して「ご無事でしたか」と確かめたいところだが 片付けなどでそれどころではないだろうと思って連絡するのをためらっている。
2016.04.21
15日の夜は熊本市内の西銀座通りで46年間も営業されてきた行きつけのお寿司屋さんが 翌々日の17日にお店を閉じられるということで街中へ出て最期のお寿司を食べてまいりました。 その時以来の久しぶりのビールです。 ガスが来ていないのでカセットコンロで調理しています。 そして炒飯。 炒飯は私の分ではなく息子用。 お風呂にはまだ入れませんがビールを飲んで余震を気にすることなく寝付けるようにとの 思いで飲みましたが1本だけでは酔いが覚めてしまいました。 二日間ほど毎食おにぎり1個だけで済ませていたことを思えば 元気をもらえた食事となりました。 余震の揺れが弱くなり間隔が大分空いてきました。早く収束しますように・・・・・
2016.04.20
熊本という所は地震が少ない、まあ大きな地震は起きないだろうと思っていた県民が殆どじゃないかと思います。 私もその一人でこんな大地震が起こるとは誰が想像したでしょうか。ということは地震に対する備えが万全と言える世帯がどれだけあったか、あってもそんなに多くなかったのではと思うのですがどうでしょうか。地震の揺れを止めることはできませんが「備えあれば憂いなし」で水や食料を少々でも準備していれば地震後の暮らしへの影響を少なからず抑えられたかもしれません。地震に備え、水も食料もいつかは準備しなければと思っていましたが思っている矢先にこんなことに遭遇してしまいました。思っているだけでは駄目で「備え」を実行しなかったばかりに痛い目に合いました。いろいろと気付かされ、考えさせられた震災です。さて、昨夜は余震はあったようですが起こされるような揺れではなく5時に目が覚めました。一緒に暮らしている二男は今日から通常出勤ということで仕事へ出かけて行きました。となれば朝食を食べさせなければということでこんなものとなりました。 今朝は地震前と変わらぬ朝食となりました。ガスが未だ来ていません、ひょっとしたら今日からガスが来るようになるかも知れないと期待しています。徐々に元の生活を取り戻しつつある我が家です。余震も徐々に減ってきているような感じがしています。このまま収束に向かって欲しいと思っています。
2016.04.20
先ほど八代、熊本地方で震度5強の激しい揺れがありました。そんな中で余震が来ないことを祈りながら汗臭くなった身体をやっと、実に6日ぶりに洗ってさっぱりしました。ガスが来ていないのでシャワーもお風呂にも入れません。そこで考えたのがお湯を沸かし、沸かしたお湯を盥(たらい)に入れ水で薄めておき石鹸で身体を洗い、その温水で流すことにしたのです。盥は野菜を洗うために買っていたものでたまたま実家から持って来ていました。久しぶりの湯浴みは汗臭さもどこかへ飛んで行き気持ちよくなりました。先ほどの地震の震源地は南西の八代地方へ動いている様子、さらに震源地が広がらないことと余震が無くなることを祈らずにはいられません。もういい加減にして大人しくなって欲しい頼むから!
2016.04.19
外は今まで起きた地震が嘘のような快晴です。 そんな中、午前中放送された民放の番組に南阿蘇村に住む退職するまで一緒に働いた元同僚が 突然現れてびっくりしました。 被災者の一人としてインタビューを受けているところが放送されたのです。 家具が倒れて奥さんが下敷きとなり、それを近くの人と一緒に助けたけれど骨折されたとのこと。 南阿蘇村から通勤していることは知っていました。まさかこんな形で元同僚を 見れるとは思いませんでした。 午後、近くに住む亡き妻のパート時代の友人の方からは 「片付けの手伝いに行きましょうか」との有難い電話を頂きました。 その妻の友人宅は激しい揺れだったにも関わらず食器一つ割れなかったそうです。 また、従兄のマンションは免震構造でこちらも何一つ被害はなかったとのこと。 私が住むマンションとは大違いです。 ところで今回の地震、南は種子島から北は東京、千葉と多くの方から電話、メール、ラインで 「大丈夫ですか」と安否を気遣って頂き励ましも頂きました。 愛知県、福岡市、種子島、大分市に住む知人、友人、元同僚の皆さんからは 「必要なものを送りますから言って下さい」と、 また、福岡県に住む元同僚からは 「昼は渋滞しているから、夜、必要なものを車で持って行きますよ」という 嬉しい言葉を頂きました。 今回の地震で多くの皆様から頂いた数々の音信はとても元気づけられました。 心から感謝しています。
2016.04.19
16日未明の本震から停電となり、それからマンション敷地内の屋外で二度土鍋で炊飯し、 おにぎりを作り、それを朝昼夜と1個ずつ食べて繋いできました。 昨夜は久しぶりに電気釜で炊飯。 献立はカレーとホウレン草を茹でたものとトマトでした。 「温かいご飯はいいねえ、ほっとするわ」と、息子が一言。 確かに「温かいご飯」は心が休まります。 ガスは未だ止まっていますが携帯ガスコンロで調理しています。 細かいことですが野菜を茹でるときはガスボンベの消費を少なくするため T-falでお湯を沸かし、そのお湯を鍋に移してコンロで茹でています。 今、平穏な日常のライフライン(水、電気、ガス)からもらっていた幸せさについていかに 無頓着だったかと深く考えさせられています。 勢いよく流せるトイレの水、温かいご飯、心身ともに疲れを癒してくれるお風呂のお湯、 室内を隅々まで照らす灯り、蒲団や毛布に包まれた深い眠りに就ける環境など、 平穏な日常の中での当たり前だった光景はいろいろな事を教えてくれています。 激しい揺れ、いつ収束するのか全く分からない今回の地震で寸断されたライフラインは 当たり前だった日常の幸せについて「見つめ直すという」機会を与えてくれました。
2016.04.18
余震が少なくなって来たな、これで収束していくかなと思っていた矢先に 先ほど8時42分、阿蘇市で震度5強(熊本市で震度4)の地震がありました。 震度4くらいは震度5、6と比べれば強い揺れでないので驚かなくなりました。 残念なことですが「余震慣れ」状態になってしまったようです。 今回の「熊本地震」で気になることは震源地が移動していること、 今、阿蘇、大分方面へ移動しているようですが、南西方向の日奈久断層へ移動しないという 確信、断定はできません。 日奈久断層の最終地は水俣市沖の海底下ですが近くには出水ー宮之城断層も走っています。 稼働中の川内原発への影響は今のところは考えられないとのことで 運転停止はしないとのことですが、影響を与えるような地震が絶対発生しないという 科学的な根拠があるとは思えません。 いつどこへ震源地が移動するかも知れない度重なる激しい地震、 川内原発へ影響を及ぼすような地震が起きないこと、また余震が早く収束することを 祈るばかりです。 震度6、震度7の激震がいつ起きるかわからないという不安、 そして数えきれないくらい起きている余震は強いストレスとなっています。
2016.04.18
マンションの隣のお宅の息子さん、そして友人から玉名のスーパーは開いていて並ばなくて買い物ができるという情報をもらったので9時に自宅を出発。こちらからはスイスイと行けましたが熊本市内へ向かう通称北バイパスの対向車線は東バイパスから麻生田交差点のちょっと先まで大渋滞でした。九州自動車道の植木インターから八代インターまでが通行止めのため一般道が大混雑になったという次第です。1時間かけて着いた玉名のスーパーではアルコール類、つまみはいつもと変わらない状態で売られていましたがほかは品不足ぎみ。でもレジでの混雑は全く無く早々と引き上げてきました。帰りは県道1号の熊本~玉名線で帰ったところ渋滞で2時間もかかってしまいました。熊本市内に戻ったところ自宅近くのスーパーも開いていましたが肉、酒類などを除いてほとんど売り切れていました。今日は肉、魚、野菜、米など数日間は大丈夫と思われる食糧を入手できました。予定していた16日の筍掘り、プロレス鑑賞(行くかどうか迷っていた)が中止若しくは行かず、また17日の講演会(アクロス福岡)は交通手段がなく、さらに18日の料理教室、20日のパン教室は中止となり、空き時間ができてしまいました。今また、15時ちょうどに結構大きな余震がありました。テレビでは震度3と放送していますが震度4ぐらいの揺れと感じました。 【住んでいるマンションの状況】壁の一部のタイルが剥離して亀裂があちこちに走っています。損傷が激しい柱剥離した外壁のタイル16日午前1時25分のような揺れがまたあると崩落するかも知れません。そんな不安な思いの中で家の中に居ます。 【要望】 停電、断水、ガスを早く復旧して欲しい。(自宅近辺はガスのみ未復旧)スーパー、コンビニの商品不足を速やかに解消して欲しい。
2016.04.18
14日の地震から4日目の朝を迎えました。昨夜は一度だけ揺れを感じましたが起きるほどでもなく、どうにか眠れました。割れた食器類のあと片付けも一通り終わり、洗濯もできてホッとしています。今、7時53分、ドンという感じの余震がありました、多分震度3か4ではないかと思います。あまりにも余震が多いのでいつも揺れている感じがしています。この地震、NHKで先ほどの地震は震度3を観測したと放送がありました。さて、4日目の朝食は昨日焼いた胡麻入り食パンを使ったサンドイッチです。パンを焼こうと思ったときはまだ断水中、水少々で焼けるパンは水の節約ができるなと思ったのです。 これは二人分です牛乳がないのでウーロン茶です。息子は「うわーっ久しぶりの野菜だ、これは嬉しい」と言って喜んで食べて仕事へ出かけて行きました。これまでおにぎり1個だけの食事でしたので私も今朝は満足の食事でした。 ところで今回の地震で一番激しく揺れたのは16日午前1時25分、その地震で殆どの食器類は落ちてしまいましたが、キッチンカウンターの上にあった炊飯器とT-falの湯沸かしだけは全く動じることなく落下しませんでした。安定感があるということでしょうか。今日は鮮魚、肉、生鮮野菜を買いに出かけようと思っています。また、今8時35分余震がありました。これは震度4かな?
2016.04.18
久しぶり、実に4日ぶりの洗髪です。というのは地震で断水していましたが先ほど10時過ぎに「水が出るようになっていますよ」とマンションの理事長宅から連絡をもらったので蛇口をひねったところ、待望の水が出ました。それからが大変、14日夜の食器類が洗えなかった(地震が来たとき片付けていなかった)分をまず洗い、そしてたまっていた衣類を洗濯して干し、そして浴槽には水を溜め、さらにペットボトルにも溜めました。そして洗髪。洗髪は残念ながらガスが止まっているため水での洗髪となりました。冷たかったけれどさっぱりしました。電話、電気、水道、ガス、これらライフラインがいかに大切なものかと今回の地震で痛切に感じているところです。あと、ガスが来ていません。余震がなくなり、熱いお風呂に入ってさっぱりして 冷たいビールを一杯といきたいところですが、その日はいつやって来るのでしょうか。ところで、今の服装は激しい余震に突然見舞われたときでも直ちに外へ出られるよう カジュアルな服装で靴下も履いています。こんなことを書いている最中、0時13分頃にまた余震がありました。
2016.04.17
結構激しい雨に見舞われた昨夜ですが、今、外は快晴です。 でも、心の中は断水が解消されないため曇り空です。 断水しても、まだ我が家なんかはいい方なので我慢です。 ラインでいろいろな情報が入って来ました。 益城町に住む友人からの画像は悲惨でした。 グループのどの家も家財・食器類などが散乱して散々とのこと、困っているのは断水。 小料理屋さんからは「今日18時から炊き出しをするので困っている方はお出で下さい」との メールを頂きましたが、ずいぶん足が遠いのていたので行きづらくて行けません。 息子が飲み物、カップラーメンなど数日間は乗り越えられる分の飲食物を確保してきました。 私は水が少量で済むということで食パンをホームベーカリーで焼きました。 生野菜は実家の畑で栽培しているものを持って来ていたサラダ玉葱とエンドウ、 さらにマンションベランダで栽培している葉物野菜で数日間は大丈夫なようです。 14日の最初の大揺れのあと、すぐお風呂に水を溜めました。 これが功を奏してトイレなどの生活用水として役立っています。 あと半分ほど残っていますが無駄遣いしないように慎重に使っています。 スーパーやコンビニは開店しても物が無いということは困るので、 食料、生活用品が速やかに行き渡るような対策を講じて欲しいと思います。 そして、停電、断水が解消されていない地域を早く解消して欲しいと思います。
2016.04.17
昨夜、自宅マンションから3百メートルくらい離れた公道に路上駐車して夜を明かしました。トイレに行きたくなったらいつでも自宅へ用を足しに帰れる距離と考えての選択でした。 同じような選択をした方が10数名、天候は悪くなり、激しくフロントガラスを雨がたたきましたが、前夜に殆ど寝ていなかったため熟睡。(目が覚めるような激しい余震もなかった) 目が覚めたのは5時、トイレに一度も起きることはありませんでした。目が覚めて思い立ったのは車への給油。ガソリンスタンドへ着くとまだ6時という早朝なのに既に10台くらいが並んでいました。昨夜、停電が復旧して一時帰宅、キッチン回りは少し片付きましたがリビングと三つの部屋は足を踏み入れられないくらいの散々な状況です。今も、魚釣りに行ったとき、魚がコツコツと引くあたりのような余震があっています。3回あった激しかった揺れ、4回目が無い事を祈るばかりです。息子には何か食べるものを探して来てと食料調達に行ってもらいました。 これからボチボチ、片付けにかかろうかと思っています。
2016.04.17
未明、経験したことがない激しい揺れ(生きた心地がしなかった)で起こされました。 そして停電と断水。 マンション前の空き地に20数名で一晩中不安の中で過ごしました。 夜が明けて近くの学校へ避難していましたが停電が復旧したので今帰宅したところです。 キッチンの床には割れた食器類が散乱。 すぐにスマホの充電、空きペットボトルに水を充填。 息子がご飯を炊いておにぎりを作ってくれています。 いつ余震がくるかわからないので今夜は危なくないところに路上駐車して寝ようと いうことになりました。(学校はもう満杯) 今回の地震は激しい余震が何度もあることが特徴で 今度の余震は震度4だとか5だとかが大体分かるようになりました。 今、困っていることは 食料が底をついて来ましたがスーパー、コンビニが閉まっていて買い物ができないことです。 開店するまで食いつがないといけません。 今、命があることをしみじみと噛みしめています。
2016.04.16
昨日も実家へ農作業のため帰省し、九州自動車道・益城熊本空港インターで下りて帰宅。 ゆっくりしていた2時間くらいあとにガタガタ以上の激しい揺れに見舞われました。 食器棚から皿やコップなどが落ち、焼酎、ワインなどを入れている棚からは ワインが落ちて割れました。 食器棚の上に置いていた古い形の圧力鍋も落ちていましたが、その時は凄い音が しただろうと思うのですがその音にも気付かないくらいの激しい揺れと音でした。 停電、断水は幸いに発生しませんでした。停電すれば不安の中で一夜を 過ごすことになっただろうと思います。 9時26分の最初の地震から数えきれないくらいの余震が凄くて午前0時3分の揺れは 最初の激しい揺れに匹敵するようなものでした。 その後も余震が何度もあり、今も後片付けをしようという気分になれません。 今回の地震で尊い命が奪われ、そして多くの方が怪我をされています。 また建物も数多く倒壊しています。熊本城は天守閣の瓦が無残に落ちて、あちこちで 石垣が崩れているようです。 今回の地震は観光スポットである熊本城の被害で観光客減少に伴う熊本経済への 影響が心配されます。 飲食店の被害も飲料が入ったボトル、食器類の破損など被害を受けただろうと 想定されます。 行き付けのお店もどのような状況なのか心配ですが後片付けで たいへんだろうと思って電話するのを躊躇しています。 地震というものの怖さを痛感しています。
2016.04.15
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