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実家の畑には、毎年、落下した種から芽が出て勝手に大きくなっている青紫蘇が何本もある。きれいな葉を一枚一枚パックに並べて市場へ出荷することもできるが面倒なので出荷したことはない。草刈の邪魔になるのだが来年のためと思って切らないようにしているが誤って切ってしまうと青紫蘇のいい香りがしてくる。そこで一句、いや三句。青紫蘇の香り引き出す草刈機草刈機青紫蘇香るエンジン音切らないで寄って来ないで草刈機そのままを詠んだ句じゃないかと言われれば確かにそのとおりです。撮った画像でのフォト575のつもりでしたが。
2016.08.10
なでしこジャパンの試合、絶対に見るぞと心に決めていたのに眠ってしまいました。結果は見事フランスに勝利。こうなったら是非金メダルをお願いしたいものです。NHK連続テレビ小説の「梅ちゃん先生」のノブオと梅子の結婚披露宴も素晴らしい披露宴となりました。 そんないいことで今日一日がスタートしましたが昨日は農業研修の日、昼休み教室をちょっと抜け出して撮ったのがこちら。緑の栗のイガが夏空の下に映えます。そこで久々にフォト575です。ところで長男は昨日、そして今日と休み。昨日はイカ釣り、今日は今から球磨川のラフティングに出かけるそうです。平日に休みの人がいるのかと訊ねると同じ会社の人と一緒だとのことでした。
2012.08.07
今、厳しい寒さの中、南天の紅い実は一際鮮やかさを放っています。南天は「なんてん」という響きから「難を転じる」といわれ縁起がいいとされている。実家の畑の際にある南天で一句。これで迷ったのが「凛とする」ではなく「凛となる」のどちらがいいかということ。それがよくわかりません。ご指導を頂ければと思います。
2012.01.09
久々のフォト575です。昨年末に実家へ帰省していたときに栽培しているサラダ菜にとまっていた「てんとう虫」で一句です。サラダ菜の鮮やかな緑色を背景にじっとしていた「てんとう虫」、この風景に魅せられての句を作りたかったのですが・・・・・ そのまま、見たままの句。センスがないのかヒネリが足りません。二男に批評してもらうと「そのままじゃん」と返ってくることだろう。そこで天道のところも換えてこれではどうでしょうか。「サラダ菜に朱黒眩しき冬の朝」やっぱりダメか・・・・・
2012.01.07
いつも利用するバス停の前の民家の庭先。以前にも紹介しましたが置かれたタイヤの真ん中に竹がニョキニョキと大きくなっています。名付けて「タイヤ貫通竹」。この画像にどうしても一句付けたくなりました。『是からもずっと一緒ずっとだよ』離れることができない、タイヤと竹。双方の思いを詠んだものです。この民家の住人の方が竹を伐ってタイヤを捨てる日が来ないことを願っています。もし、タイヤを捨てるならタイヤを上に持ち上げて竹は伐らないで欲しいと思っています。もう一句、竹の立場から・・・・『離さないあなたと私は一体や』。一体やにはタイヤが込められています。駄洒落愚作でスミマセン。
2010.04.03
写真に一句を付けるフォト575です。住んでいるマンションの駐車場の横は畑。駐車場と畑の境のフェンス越しに今、水仙がどうだきれいだろうと言わんばかりに真っ白な花を咲かせています。後ろの方では肥後椿が濃い緑の葉をバックに水仙の花に負けじと寒空の下で朱色を放っています。そこで一句『威張るなよ俺も君には負けないぞ』詠み人・・・肥後椿
2010.02.14
50年ほど前の小学校の低学年の頃、稲を刈ったあとの田んぼではよく遊んだものだ。竹のバット、そして柔らかいゴムマリでの三角ベース。この頃、野球大好き少年になったようだ。今、田んぼに立つのは1年に一度あるかないか、今年は脱穀の手伝いでの、ひつじ田となった。幼い頃、稲刈りあとの田んぼで遊びまくっていた、そんな昔を懐かしんでの一句です。「稲孫(ひつぢ)田に遊びし幼き我を追う」ところで、語源由来事典で「ひつぢ(ひつじ)」のことを調べてみましたが掲載されていませんでした。
2009.10.21
九州沖縄研究センターの一般公開の昨日、センター内で拾ってきた銀杏。とても臭う。でもその下には若菜色(レタスグリーン)の美味しさが待っている。昨年は拾ってきた銀杏を水を張ったボウルの中で素手で皮を剥いた。そのあと、とんでもないことになった。手がかぶれ皮が剥げたのである。当然のことながら今年はゴム手袋を使って同じことは繰り返さない。
2009.10.17
真っ直ぐ帰宅すればいいのものを人恋しいのか夜の酒場のネオンを浴びて帰りたいのかどこかに立ち寄って一杯ひっかける。そんなことで私のフォト575の愚作です。不仲でもないのに、と思っているのは私の思い込みかも知れない。カミさんは私のブログをいっさい見ないので表現の自由が保たれている。
2009.10.17
今日は実家へ帰省し思い切り農作業をやって夕方疲れきって九州自動車道の益城熊本空港インターを出ました。インターから第2空港線に出る交差点で信号待ちをしているととても綺麗な夕焼け空が。そこで写真に句をつける久しぶりのフォト575です。 センスがないのはよくわかっておりますがこれぐらいの句しか思いつきません。575ではなく675になってしまいました。
2009.10.11
熊本城近くの歩道橋の階段の下、1台のバイクが長年放置されている。反対側の橋脚のそばには3台放置されている。観光都市、熊本にとってはふさわしくない光景である。 そこで一句 乗り回され随分使い込まれたようなバイク。ナンバープレートはまだ付いたままである。バイクにとってみれば、この姿は不本意に違いない。それはカゴには新聞紙や瓶が突っ込まれゴミ捨て場と化し、醜態を道行く人にさらけ出しているからである。 スクラップされ、再生されてまた世のためになる、是がこのバイクの本意ではなかろうか?
2007.09.16
蜘蛛(クモ)は自分より大きな虫も張り巡らしたクモの巣で簡単に捕獲している。そうは言いながら、クモの巣を張り巡らすことが簡単、いや、とても面倒くさいことなのかクモに尋ねることができないのが残念である。 目に入ったのはバッタ2匹を仕留めていたクモ、そこで一句。 この2匹のバッタ、どれくらいの期間分の食料なのだろう。簡単に食べられない量だろうという私の勝手な推測の中の季語のない一句である。
2007.09.11
横断歩道を渡ろうとして信号待ちで立ち止まる。その暫しの間、少しの影でもあればそこへ避難。避難とは大袈裟だが、ホントに避難したいほど暑い今年の夏。そして、雨らしい雨が数週間も降らない熊本県地方である。 一昨日の通勤途上、サラリーマンらしき男性二人が横断歩道の手前で電柱の影の中に立っていた。そのときの一句である。 いつも一ひねりが足らない私の一句であるが、私の頭ではこれくらいしか生まれてこない。
2007.08.30
先日、走っていた車のサイドバイザーをふと見ると、なんとバッタが必死にしがみついていました。実家へ帰省し、近くのスーパーに買い物に車を走らせていた、そのときの一句です。(路肩に駐車して撮影) このバッタ、目的地のスーパーに着いたときにはもう居ませんでした。今までの居住地から相当離れたところに着地した筈、新たなところで新たな友人を作り平和に暮らしているのかも知れません。
2007.08.27
実家の庭先の樫の木を剪定していると、何かの巣に遭遇しました。多分、小型の鳥の巣だろうと思うのですが、どんな鳥なのかはわかりません。 その鳥の巣を暫し眺めていると空には暗雲が立ち込め、にわか雨がパラパラと落ちてきました。そのときの句です。 巣をかけていた樫の木(真ん中) 写真に句をつけるフォト575、愛好家の間では、今、静かなブームのようです。私の句に対し、23歳の二男から「オヤジのは見たまま、そのままじゃないか、一ひねりが足らん」と厳しい評価をもらっています。ところで、巣の中にはなぜかステップルが一つ。まさか餌として持ってきたものでは?
2007.08.17
二人連れ気持ち寄せ合う狭い路地熊本市内の玉屋通りです。カップルの後姿を撮れるとよかったのですが・・・・
2006.12.31
今年の夏、芦北町沖の不知火海に帆を上げ、風を利用して底引き網で魚を獲るという「芦北観光うたせ船」を楽しんだときの画像です。芦北町の計石(はかりいし)港、出港直前の観光うたせ船船上で頂いた料理です。食べ切れませんでした。左下隅・・・タコの煮付け 中央下・・・こちの刺身 右上端・・・・すり身天 不知火の海に帆を上げ風まかせ
2006.12.31
昨日、NHK-TVで撮った写真に五七五の俳句をつけるという、フォト五七五というのを放送していました。是は面白いと思い、私も一句ひねってみました。餅つきの蒸篭(せいろ)湯気立つ歳の暮れ 昨日、姉の家に寄ったところ、餅をつくために餅米を蒸しているところでした。餅つきは、残念ながら臼と杵ではなく機械でした。
2006.12.31
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