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先日の日曜日は、大治町でのゴミゼロ運動の日だった。年に一回か二回有るこの町の行事なのだが、毎回同居する弟に任せっぱなしだった。今回弟に用事があったので、私が参加することになった。初めて参加するものというのは、どうも落ち着かない。手順が分かっていないというのが、落ち着かない原因だ。一応弟から事前に聞いたことというのは、朝の8時30分から、家の近辺に落ちているゴミを拾い、終わったら資源ゴミを集める場所へ、そのゴミを持っていくということだった。ゴミを拾うのに、ゴミ拾い用のトングを使うと良いということで、弟が出かける前に玄関に置いておいてくれた。でも私はそれを持ち歩くのも、なんだか面倒臭いと思ってしまい、ゴミ入れようにスーパーで貰うビニール袋だけ持って出て行った。さぁ~、何処に落ちている?ゴミは‥。う~ん‥結構落ちていない、大治町民は優秀だなぁ‥。なぁ~んて、言っている場合ではない!探さなくっちゃ。人間の心理として、何処にポイ捨てする!?そりゃぁ、目立たないところだよなぁ‥。人の目を気にして、人通りが少ないところに捨てるだろうな。ということで、主要道路から外れることにする。主要道路から中に入ったところに、ゴミが捨てられているだろうと思い、道を1本入ってみる。でもそこは家が密集していた。それぞれの家庭の玄関周りに、ゴミが落ちているはずがない。各家庭で、みんな綺麗にしているに決まってる。う~ん、それでは何処にゴミを捨てるのか?思いついたのが、田んぼや畑の道路沿いである。そしてもう一つが、自動販売機の近くじゃないかな‥。この推理は当たった。みんな、こういうところに捨てていくのだ。こういう場所が大治町には結構有って、みんなそこにゴミを、ポイ捨てしていっていた。一番多かったのが、タバコの吸い殻だった。名古屋市ともなると、路上も禁煙場所が沢山あるから、捨てられてはいないだろうが、田舎ではそういう規制が出来ていない。だからタバコの吸い殻は、捨て放題だった。特に自動販売機周辺に、吸い殻が沢山あった。自販機で買ったコーヒー片手に、タバコを吸う‥という感じだろうか?ゴミで一番多かった、タバコの吸い殻を次々に広いつつ、失敗したなぁ~と思ったのだ、弟の言うことを聞けば良かった!とね。吸い殻を拾う体制は、一番深く腰をかがめることになる。なので吸い殻を拾い続けると、腰が非常に痛くなった。やっぱり経験者の言うことは、素直に聞くべきだ。(苦笑)そこでまた気がついてしまったことがある。私の腰より下の下半身が、如何に弱く筋肉が無いかということである。下半身が弱いから、かがんで吸い殻を取った後腰を元に戻す体制で、きちんと腰を支えられないのである。下半身の筋肉がしっかり出来ていないから、腰を支えられないわけで、その際鈍い痛みが広がるのである。やっぱり下半身を鍛えるのって、大事なんだよねぇ‥。お相撲さんが、あの大きな上半身の体を支えられているのは、筋肉をしっかりつけた下半身が有るからだ。よくヨガで「お尻突出し屈伸運動」をする。普通に屈伸運動をしたら、膝が故障してしまうわけで、膝を痛めないために、お尻を突き出して屈伸をするのである。あれをヨガの時間だけでなく、毎日家でもやらないとねぇ‥。背筋をグーンと伸ばして腰を摩りつつ、思いを巡らすのだった。1時間程周辺を回って、ゴミは随分と集まった。最初はゴミなんて有る?‥と思っていたけれど、りっぱに集まった。それはそれで‥やっぱりゴミを捨てないで欲しいと思う。資源ゴミの集積場へそのゴミを持っていって、私のゴミゼロ運動初参加は、終わりを告げた。色々な気付きもあったし、1時間町内をうろうろして、まぁまぁの運動にもなったから、良い時間だったと思っている。
2019年10月30日
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右足のことで行った医者は、整形外科だった。私が行くのは町医者なので、全ての医者にレントゲンが有るわけでない。だからレントゲンが有る医者で、なるべく家に近い医者に行ったのだ。その医者の近くに、チョッと洒落た喫茶店が有った。私はそれからその喫茶店に、医者へ行かなくても行くようになった。昔、名古屋市に住んでいた頃、近くでとても素敵な喫茶店を見つけ、よくそこへ行ったものだった。その喫茶店は、今はもう無くなってしまったが、結婚式を行なうところに付随していた喫茶店だった。なので天井が高くて、窓が全面ガラス張りになっている、豪華な出で立ちの喫茶店だった。まるで別世界のようで、行くと夢心地になる素敵な場所だった。そこにコーヒーを飲みに来る人たちは、結婚式に関係する人たちだから、滅茶苦茶着飾っている人たちばかりである。そこへ普段着とジーパンでコーヒーを飲むのが、私の幸せだった。捻じ曲がった優越感を満たしてくれていたのである。(笑)私はこの豪華な喫茶店‥地元だよん~って感じ♪ (^_^;)だから素敵な喫茶店を見つけるのは、私にとって幸せなことなのである。医者に行くのがメインのはずが、喫茶店がメインになってしまった。そうそぅ、何故このことを思い出したかというと、「ゲンキの時間」で、リウマチのことをやっていたからだ。私が行く整形外科であるその医院は、「リウマチ科クリニック」とも書いてあった。私はリウマチという名前をよく聞くが、それがどういう症状で、何故発症するのかが分からなかった。その整形外科でも、専門がリウマチだからだと思うのだが、私の両手をすぐに見た。いやぁ‥私は右足の裏を悪くしたんですけど‥。先生、手と違うよ~右足だよ~。(お~ぃ!笑)まぁ、私としては先生が手を診察し始めたので、ついでに指の第一関節が腫れていることを、聞いてみた。先生は指の第一関節の腫れは、女性ホルモンの減少のセイで、リウマチではないと答えてくれた。リウマチは第二関節が腫れるようである。現に「ゲンキの時間!」でも、リウマチになった手を写し出していたのだが、第二関節が滅茶苦茶腫れていた。リウマチは骨と骨がくっついて、骨と骨の隙間が無くなくなり、関節が変形して自由に指を動かせない状態のことを言うようだ。自分の免疫が自分の関節を攻撃してしまい、炎症を引き起こすようだが、原因は、今現在まだ分かっていないのが実情だと言う。右足の膝裏の件で医者に行ったのだが、手の指の第一関節の腫れが、女性ホルモンの減少のセイで、問題無いと太鼓判を押してもらえたのはラッキーだった。でもリウマチで苦しむ人も、多いんだよねぇ‥。しかも番組でやっていた女性は68歳だったが、関節の変形は43年前だというから、20代でリウマチを発症したことになる。年配になってから心配する病気では無いわけだ。でも、若い子ってリウマチを心配するか?‥しないよねぇ。なんとなく歳を取ってからの病気だと、私は思い込んでいたけど、思い込むのは、私だけじゃないと感じる‥どうだろう‥。有難いのは、昔ほど治らない病気ではないということだ。早期発見が一番大事なことだが、発見が早ければ、一大事にはならないようである。だから、リウマチというものが、年配だけがかかる病気ではなく、若い子でもかかる病気だということを、知っておく必要がある。3箇所以上の関節に痛みがあり、その部分が腫れているか、朝1時間以上関節を動かしづらかったり、こわばっていると感じたら、一度リウマチを疑ってみる必要があると言っていた。知識は無いより有ったほうがいい。知っていることが自分を助けることになると、私は声を大にして言いたい。
2019年10月26日
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私は全くしないけど、よく見かける光景がある。それは、携帯を片手に電話をしている人たちが、歩きながら受け応えをしている光景である。「何故電話をしながらうろうろするのか?」という問いに対して、チコちゃんの答えが「いつでも逃げられるようにするため‥」だった。街頭インタビューでは、歩いたほうが言葉が出るから‥とか、不安だからとかいう回答だったのだが、NHKのチコちゃんの答えというのが、「いつでも逃げられるようにする為?」だという。相変わらずチコちゃんの答えは、ちんぷんかんぷんである。でも最後には納得させられるから、解説を聞いてみないことには、その答えに辿り着けない。その答えを詳しく教えてもらうのは、愛知県の生理学研究所の、柿木隆介名誉教授だった。教授によると「もともと人間が、じっとしていられない動物だから」だという解答だった。それに対して、実際どれだけうろうろするかの検証を、チコちゃんスタッフも在籍するNHKの社内に、カメラを設置してウオッチング開始‥スタッフが生贄になる。(笑)するとすぐに、うろうろし始めた人が、カメラの奥のほうに写る。電話の相手はアシスタントプロデューサーらしく、しきりに頭を掻きつつ、またその頭を下げながら携帯片手に社内をうろうろする。きっと相手は自分より偉い人なのだろう‥全く落ち着きのない行動である。次にターゲットになった人が、画面左側の出入口から登場した、「チコちゃんに叱られる」の番組ディレクターだった。あ~ぁ、可愛そうに‥撮影していることも知らずに、カメラに気付かず真剣な顔で、携帯片手にうろうろとしている。更に更に‥今度は別角度のカメラに写ったのは、この番組のプロデューサーだ。携帯片手に登場して、やっぱりうろうろしながら電話をしている。こちらも撮影していることを伝えず写している。番組を作っている側だというのに、容赦がない。(笑)ところがカメラに気がついた。彼は「まんまと撮りやがったな」と苦笑いしている。次に取り扱う番組の内容を知っているから、自分もターゲットになったと分かった訳だ。番組で扱おうとしているのだから、うろうろしてしまうということを知っているはずなのに、やっぱりうろうろしてしまっている。これは人間本来の習性なのだろうか?でも私はうろうろしないのだが‥。教授によると‥「対話と違って電話をしているときは、情報量が圧倒的に少ない。すると人間の脳は緊張した状態になってしまい、じっとしていられず動いてしまう」と言うのである。確かに‥本来の対話というのは、声以外の情報量が多い。表情だったりしぐさだったりと、目から多くの情報を得ている。なので情報量が圧倒的に少ない電話は、相手の機嫌だとか言葉使いが大丈夫だろうかとか、色々なことを考えて、脳が緊張状態に陥ってしまうというわけだ。で、ここからが成るほど‥と思ったのだが、脳が緊張すると脳から「動きなさい」という指令が出るというのだ。うろうろしてしまう訳は、そこに有るみたいだ。でもそれでは何故脳は、体を動かせと指令するのだろうか?これに対して教授は、大昔の狩猟生活の名残だからだと話す。大昔食糧を得るために、危険と分かっていても移動を繰り返す。常に敵から襲われるかもしれないという危険な生活。身の危険が襲ってきたら、すぐに逃げる生活をしていた。その為人間の脳は、常に緊張状態になっている。この名残から、脳は緊張すると自然に体を動かす行動を取るのである。突然の偉い人からの電話は、脳の緊張がマックスになる。その結果うろうろすると言うわけだ。ここで私の疑問が明らかになる実験をしてくれた。それは男性と女性が同じ偉い人から電話がきても、取った行動が違うという実験の結果である。男性は極端にうろうろするのだが、女性はどちらかというとリラックスして電話に出ている。勿論全くうろうろしないどころか、どっしりとさえしている始末。これは、男性のほうが一般的にストレスに弱い生き物で、おまけに目上の人に対する忖度が強い。心配性で、そのくせ出世欲もあるし、見栄っ張りだから、余計に脳が緊張するというわけだ。ははぁ~ん、私がうろうろしないのは、女性だからなんだ。まぁ一家の大黒柱である男性は、色々なものを背負って生きているからなぁ‥。男性の皆様、本当にお疲れ様。そして私は女性に生まれて良かったと、改めて思ったのだった。
2019年10月22日
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今でも私は、歩き方に気を付けて動いている。先月半ばに右足の膝裏を痛めてから1ヶ月が経過したのだが、まだ膝裏が違和感満載で、歩き方がぎこちない。そりゃそうだ、右足だけ真っ直ぐでなく歪んだ歩き方を、何十年とやってきたわけで、千鳥のノブのツッコミじゃないが、「クセがすごい!」歩き方をしていたからだ。何十年と歩いてきた歩き方が、そんなにすぐに直せるわけがない。習慣というかクセというか、長年体に染み付いてしまった歩き方が、簡単に正しい歩き方に出来るわけではないのだ。右足だけO脚なのよね、私‥。まぁ、ことの始まりは、反対側の左足を、若い頃挫いたことにある。小石か何かに乗ってしまい、カクっとなって捻挫をしてしまったのだ。そしてこの捻挫がクセになってしまい、何度も捻挫を繰り返してしまう。私は若い頃整体の勉強をしたことがあるのだが、その時先生に、「伸びきってしまっているから、これはもう元に戻らないねぇ‥」と言われてしまった。この捻挫グセがついてしまった左足を、変なかばい方をした結果、右足のほうが、O脚になってしまったのである。でも、歩くのに支障がないから、そこに注目することもなく、変な歩き方であるのにそのままにして、何十年ときてしまった。だけど悪い歩き方をしていて、いつまでもいいはずがない。 いままで沈黙していた右足が、ついに悲鳴をあげてしまい、立つ意志を放棄してしまったのである。今でも覚えているのだが、名古屋駅のほうの三車線という長い信号を渡った時、点滅する信号に慌てて渡ってしまった。その時だったのだが、右足の裏がピキッと音をたてたのである。殆ど渡り終わった時だったのが幸いした。今思い出しても恐ろしい‥渡れないまま信号が変わってしまったのなら、私はどうなってしまっていただろうか?渡り切ったところだったから助かったのだが、その場で全く歩けなくなってしまったのである。右足が全く動かない‥何かに掴まって足を運ばなければ、一歩も前に進まなくなってしまったのである。この日はなんとか帰宅して、次の日医者に行った。医者は右足のO脚に問題があることを、私に告げた。O脚は、体の重心が足全体にかかってこない。足が湾曲しているから、体重のかかり具合が歪んでしまい、膝裏に無理をさせていたのである。なので、膝裏が悲鳴をあげて、いや~な音をたてて壊れていってしまったのである。医者で、膝のサポートをしてくれるものを買ってつけた。まぁつけたのは1回か2回で、今は当然つけていないのだが、お守りのように持っている。8千円近くしたが、後日町役場に申請すると、医者では健康保険で3割負担だから、7割戻ってくる。初期費用は10割必要だが、戻ってくるからそんなに高くない。1ヶ月チョッとたった昨日の時点で、通帳に振り込む旨の連絡が、町役場から郵送で知らせてきた。値段が手頃なのと、自分に合う物を用意してくれるので、医者で買って良かったと思っている。今私は、右足の足の運び方に意識を集中して歩いている。毎回意識を集中しないと、前の悪い歩き方が出てしまうからだ。意識をしないで前の歩き方をすると、あの時に聞いた鈍い音が脳裏を過って、足が竦むのである。極力意識して正しい歩き方をしているのだが、何十年と正しい歩き方をしてこなかった為、筋肉痛の毎日である。何十年と正してこなかった歩き方だから、筋肉痛になるのは当たり前だ。逆に言えば何十年間の間違った歩き方を、数日で治ると思っているほうが、間違っている。今はまだ、走れないのが悔しい。絶対走れるようになるぞと、気合を入れて歩いている。
2019年10月19日
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「友達がいつ死んでもええわ‥というけれど、私はちっともそう思わない。死んだってええことあらしません。生きとってこそええことがある。」97歳のお婆さんが、インタビューされたことに、答えたものである。これは「所さん!大変ですよ」という番組で、「夫婦あわせて201歳」というサブタイトルの夫婦の、奥さんが答えたものだ。奥さんが97歳なので、夫は104歳ということになるのだが、これが滅茶苦茶しっかりとした男性なのだ。どう見ても80歳前後にしか見えない男性で、104歳という答えに辿り着けないだろう見た目の人である。奥さんのほうは腰が曲がっていることから、腰が悪いだろうことは見た目で分かる。実際は足のほうも悪いようだ。それに対して旦那さんは、見た目では悪いところが判断できない。どうやら耳が遠いということが、映像から分かってくるが、それ以外はどこも悪いところが無いということだ。但し、電動の三輪の乗り物に乗ってお出かけすることがあるので、長時間歩くのは難しいようである。でもでも‥97歳と104歳ですよ!‥信じられない若々しさだ。生命力が抜群に強いだろうと思う。冒頭で奥さんの言った言葉からも、その生命力の強さを感じさせる。私もこの奥さんの言う言葉には、大賛成だ。何歳になったからといって、もう充分生きたということにはならない。「いつ死んでもいい」という人の気持ちのほうが、私としても、全く理解できない人間である。二人の日常を収録したものを持って、専門の先生のところへ行く。そこから分かってくるものは、何だろうか?大阪大学大学院、人間科学研究科の権藤教授。彼は心理学専門で、2000人の高齢者を調査している教授だという。教授は映像を見て、幸せポイントを4つ導き出した。一つ目は104歳の旦那さんの釣りをする姿だった。教授曰く、100歳を過ぎた人で釣りをする人を、いままで一度も見たことがないという。‥全く同感だ。幸せポイントは釣りをしていることではない。釣った魚をみて、奥さんの喜ぶ様子を思い浮かべたからである。この相手を思い行動することが、幸せのポイントだと言うのである。幸せポイントの二つ目は、家の中で鳴った電話を取った時の映像。耳の悪い旦那さんの座っているほうに電話は有るのだが、鳴った音は聞こえているようだった。なので、電話に近い旦那さんのほうが受話器をとる。その受話器をそのまま奥さんに渡した。電話が鳴る音は聞こえるが、話しの内容ははっきり聞こえないらしい。奥さんは受話器を受け取って、相手と会話をする。そして、聞いた内容を電話を切らずにその場で旦那さんに伝える。旦那さんが疎外感を感じないような配慮のようだ。耳の悪い旦那さんの為に、奥さんがフォローする。そして足腰の悪い奥さんのために台所に立って料理をする旦那さんは、奥さんの体の悪い部分をフォローしている。相手をありのままに受け入れて、そしてフォローに回る。これが2番目の幸せポイントである。三つ目は夕食の風景‥教授はここにダブル幸せポイントが有るという。「食事が美味しい」と旦那に伝える奥さんは、その言葉で、旦那さんを幸福にする。それは同時に、ポジティブな言葉を口にした奥さんにも、幸せな気持ちが訪れる‥なので、ダブル幸せポイントになるわけだ。感謝の気持ちを言う行為は、お互いに幸せを呼ぶことになる。四つ目は、夫婦で週一回デイサービスに行った時の映像からだ。それは、二人がデイサービスでカラオケをしている時の映像だった。旦那さんが歌う最初の出だしが、どうやらあまり聞こえていないらしい。その時奥さんが袖を引っ張り、歌の歌い出しの合図をしたのである。お互いの弱いところを補い合い高め合っていることで、幸福感を得ているというのである。この番組の冒頭で、旦那さんは家の周りのマスカットに水やりをしていた。このマスカット、100歳から栽培を始めて、最初の2年間は実らなかったというが、その執念は実ったわけである。100歳から新しいことを始める?そして実らなくても諦めない。次の年に期待する‥駄目ならその次の年に期待する‥100歳で?こういう生きることへの根性と、夫婦二人が寄り添って生きるという、生命力と幸福感が、長生きの秘訣になるようだ。二人の生き様から学ぶことが多いように、私は思う。
2019年10月16日
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今回の台風が、1958年の台風22号「狩野川」のコースと、類似した大型台風だと言う。死者が、行方不明者を合わせて千人を超す台風のようだ。あまりに周りが騒ぐので、今までで一番台風の準備を万全にやった。800ミリとか、いままで聞いたことが無い雨量を聞くと、東海豪雨の時のことが、頭をよぎる。会社での生活が長かったお蔭で、静岡県を入れて考えることが少ない。38年間務めた会社の中で、数年だけ静岡県を入れ、東海7県を担当したことがあったのだが、殆ど中部3県と北陸3県の、合計6県という認識で働いていた。なので、この800ミリが静岡県の予想雨量と聞いた時に、台風が通過する中で、静岡県の受ける影響が大きいことから、なるほど‥と、納得したのだった。雨も風も警報レベルで、今日の21時まで続くというから、超大型台風だと理解できる。今はまだ離れたところに台風は居るのだが、つけっ放しにしているテレビのニュース速報で、三重県の一部に警戒レベル4が出たのを、目の端で確認した。東海地方に最も近づくのが、今日の昼少し前からだというのだが、すでに雨はかなり降っている。我が家の場合、庭の一部が低くなっているので、そこの雨が抜けていかないで溜まってくると、結構雨が降ったと感じるのだが、今の時点で少し溜まり気味である。えーっ、まだこの後降り続けるというのに‥。継続して降り続けるということが、問題なんだよなぁ‥。今回の台風は、雨や風の切れ間が無いと言っているし‥、心配だけど、これ以上他に何もやれることが無い。なので、見守るしかない。これでも愛知県の名古屋市周辺に、台風が上陸することが無い。太平洋側を動いていくだけだ。なのに‥暴風雨域は北陸三県が全域入ってしまう。いやぁ~超大型台風だわ~。去年の台風で、我が家も屋根のトイの部分が飛んでしまったが、それで大型台風が打ち止めだったのが幸いした。今回この台風後に、かなり気温が下がるようなので、これが最後の大型台風になる可能性が大きい。10月の台風は怖いなぁ~と、去年と今年で私の脳に刷り込まれた。だからこそ、千葉の皆様には、一度でなく二度の大型台風になってしまって‥言葉が無い。今回は計画的に休むということが、色々な分野で多かった。お祭りとかイベントとか‥電車も殆どが終日運休のようだし、スーパーやコンビニ、百貨店関係も、あちこち休むと発表している。こちらの地方で大手であるアオキスーパーが、50店舗全店営業しないという発表があり、創業して初めての事のようだ。50店舗も有るの!‥私の関心は何故かそこにあった。早くこの台風が過ぎていって欲しいものだ。どうぞ、被害が最小限でありますように‥(祈り)
2019年10月12日
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「今頃気づく?」と、自分に呆れている。会社を辞めて1年と数ヶ月、事務職だった私は、椅子に座ってパソコンと対峙する時間が長かった。東京本社で名古屋勤務の女性は私一人なので、パソコンさえやっていれば良いわけではない。男性が行なっている仕事以外全ての仕事を受け持っていた。苦情も当然受けなければならないし、トラブル回避も仕事の内である。経理も販売も、営業以外は私の仕事。電話での会話は有るものの、人と会う仕事は殆ど無かった。事務職なので、動く範囲が少ない。でも全くの缶詰ではなく、銀行にも行ったし業者にも行ったわけで、会社が入っているビル内から外に、全然出ないわけでは無かった。例えば工場での流れ作業をしている人とかを考えると、そこまでの拘束感は無いわけで、環境的にはもっと自由であった。それでも椅子に座っている時間が長いことには違いない。なのでどちらかというと、エコノミー症候群の心配をしていた。できるだけ椅子から立ち上がる動作をするように、常に心がけていたわけである。でも‥でも、今はその状態から解放されている。すーっと椅子に座っているなんて、会社を辞めた時点で有り得ないのだ。会社へ行かなくなるということは、通勤しないわけで、通勤が無くなる私としては、一日の歩数を気にしていたのだ。会社への往復だけでも歩いているわけだから、辞めたらきっとあまり歩かなくなるだろうと考えていた。なので、1日の内1時間~1時間半は、外で行なう時間を作っていた。仲間と運動をするとか、仲間と楽器を吹いたりする時間である。他にも学ぶことが好きなことで、名古屋まで行って、色々な講座を受講している日々である。携帯で歩数の管理も、会社を辞めてから毎日している。歩数が少ない日もあるが、1万歩を超える日もあるということで、平均的に悪くない歩数だと思っていた。そぅ、私は何も問題無いと思っていたのである。今頃気づいたこととは‥。歩数にばかり気をとられていて、姿勢に注目しなかったことだ。会社に行っている間は、当然横になることなど出来ない。でも今は自分の時間が増えたし、人の目を気にしないで済む時間が多くなったのである。チョッと疲れたと甘えて、横になってもいいし、急に庭にでて草取りを始めたところで、誰の許可を貰う必要もない。掃除とか洗濯とか食事の支度をする時間が、今までより増えても、そういう行動は色々な姿勢を取り、違った筋肉を使うから、これは歓迎すべき行動である。問題は、悪い姿勢をとることが増えたことである。悪い姿勢や楽な姿勢になって、正しい姿勢をとっている時間が、随分と減ってしまったことなのだ。草取りのように、体を丸めている時間が長時間続く。やり始めると夢中になってしまう私の性格が、災いの元になる。テレビを見ていても、最初はきちんと座って見ているのだが、途中でソファーに横になってしまうことも多い。ソファーに横になると、一見楽になるようだが、腰が痛くなることが多々ある。これって腰に負担をさせているんだよね?会社に居る時から考えると、背筋をピンと張った姿勢が、断然少なくなってしまったのである。今考えると、椅子に座ってパソコンを前に姿勢を正していたことは、すごく大切な時間だったと思うのである。エコノミー症候群になるかも?という、悪い考えにばかり目がいっていたのだが、実は腰に負担をかけない姿勢をキープする長所だったのである。占いをする時に、短所を長所に変えようと言っている私が、短所を短所としてしか捉えていなかったことに気がついた。視点を変えてみることは結構重要なことだと、今更ながら思うのだった。
2019年10月09日
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「ガッテン!」で、最初に出てきた物が、「キャベツ、じゃがいも、梅干し」で、司会者が「この3つの共通点は?」という問いかけから始まった。ゲストが「ざっくりしているなぁ‥」と言いながらも、色々な答えを探していく。「食べ物だけど‥食べる以外の使い方」というのがヒントだった。その答えが‥キャベツがロシアで、じゃがいもがドイツ、そして梅干しは日本だった。VTRでロシアの人が、キャベツを一枚剥がして頭に被せた。なんと!被せたキャベツの1枚の葉で、頭痛を取るというのである。熱を下げる‥湿布のように使うというのだ。次にドイツ人‥蒸かした数個のじゃがいもを、細長く伸ばしたタオルの上に均等に置いて包んでいく。その包んだタオルを上から手で潰していき、首に巻きつける。すると、首や喉の痛みが取れるというのだ。日本ではコメカミに梅干しを貼って、その周りの痛みを取っている。昔のお婆ちゃんたちが、貼っていたのを、今の人たちは知らないだろうなぁ‥。これらはそれぞれの国で痛みを取るために行われているものである。テーマは「痛み」だった。去年、痛みの治療法に関するガイドラインが、発行されたという。その本のタイトルが「慢性疼痛治療ガイドライン」だった。そこには信憑性の高い治療法が掲載されている。その中でも、ある革新的な対策法に注目が集まっている。それが‥何と!クリップボードだというのである。うそぉ~どういうことなの??しかもクリップボードを使うことを、ダントツで推奨しているというではないか?しかもしかも‥世界でも推奨していると言うんだけどさぁ~。なんだか世界で有名な人が番組内で喋っているんだけど、それによると‥「数多くの臨床試験でこの方法が痛みの改善に有効だと報告されています。そのメカニズムについても明らかになりつつあります」と言っていたのだが‥。このクリップボードは、医者と患者でのやり取りで使われていた。どうやらこのクリップボードを「痛み」と見立て、それを患者が押し続ける‥逆サイドから医者が押し返すという動作を、繰り返していた。慢性的に痛みが有る人には、1.傷が治っても痛みが続く 2.傷が見当たらないのに痛みが続く3.傷が治らずに痛みが続く、という人たちになる。3の人はともかくとして、1と2の人たちは通常の痛みではない。治っているのに痛いのだから、それは痛みの指令を出す脳の問題なのだ。なので、もうそこには無いだろう痛みと、どう付き合っていくかを、医者とのやり取りで、探し当てていくというものだった。結局痛みに集中していると、痛いということにフォーカスしてしまい、それ以外のことが考えられなくなってしまう。痛みへの集中を緩和させたり、少し横にずらしたりすることが、日常生活に有る、楽しさや面白さを発見できるというものだった。これは「名古屋市立大学病院いたみセンター」で行なっているもので、まだまだ日本では馴染みのないものだった。では、そこに行けない人たちは、どうすれば良いのか?それに有効なのが、日記と瞑想だという。結局脳の問題なので、脳に訴えかけることが良いということだ。日記に「出来事、気持ち、行動、痛み」を書き込み、自分を毎日客観的に見るということを訓練する。そうすることで、どの出来事の時にどんな気持ちになり、その時とった行動からどんな痛みを引き起こしたのかを知ることができ、それぞれの痛みに違いが有ることを、理解するのである。心理学の世界ではこれを「認知行動療法」と言い、私もNLPで勉強してきたが、これは色々なところで活用できるものだ。瞑想は、ただ静かに呼吸をする。息を吸う自分‥息を吐く自分‥というように、呼吸の様子をありのまま確認する。そうやって呼吸に集中することが、脳の痛みを指令する前頭前野を、リラックスさせるのである。勿論、人間そう簡単に「無」には、なれない。無になれなくても、集中して無になろうとすること自体が重要なのである。結果、無になれなくても問題はないのである。日記や瞑想で、慢性的な痛みから解放されることを望んでいる。なにせ慢性痛には、およそ2300万人関わっているというのだから‥。慢性痛に悩む人たちが一人でも多く早い段階で、楽しくて生き生きとした自分を、取り戻していって欲しいと願う。
2019年10月05日
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なんですか?10月で30度を超すって事態は‥。しかも9月30日は、最終的に34度だったって言うし‥。ここまで来ると、9月は夏の領域ですよね?朝晩が多少涼しいだけで、昼間は下手をすると真夏になりそうな気温。いつまでも上昇温度で、涼を求めてうろうろすることになる。夏が長い‥。(@_@。とブーブー言うのはこの辺にして‥。あの行きつけのメガネ屋さんには、店長よりも年齢が上の人が居るんだけど、その人の話しである。ここ数年、見かけるようになった人だが、私はいつも店長とやり取りをするので、あまり話したことがない。ところが先日その人と、しっかり話しをすることになった。というのも、店長は親子で来店している人の応対をしていたからである。その男性は見るからに優しそうな人で、私より年上。こういう歳のとりかたをしたいものだと思う、お手本のような雰囲気の人だった。まばらな白髪の店長と違って、真っ白な髪でメガネも妙に似合っている。私はその彼に、変な競争心を感じ(なんで競争心を?笑)、「私は小学低学年からメガネをかけていた」と何故か威張ってみた。(笑)するとその人も「私も小学校3年生からかけていました。」と、言うではないか?おやおゃ~、どうやら同じ頃にメガネをかけた仲間じゃないかぃ!私の時代は小学生でメガネをかけている人は、ほぼほぼ居なかった。なので、超~レアな存在だったのである。その男性は、当時メガネをかけている子供は自分一人だったので、すごく恥ずかしかったと言う。そうそぅ‥本当にそうだった。今でこそ小学生がメガネをかけていたところで、何の違和感もないが、当時は目立つ存在だった。メガネ自体も、今のように安い物ではない時代。私が社会人になって自分の稼いだお金で初めてメガネを買った時、そのことが身に染みた。正社員であっても、1ヶ月分の給料の大半が、メガネを手に入れるために飛んでいった。だから親はよく買ってくれたと思っている。しかも子供だから、度数の進みが早い‥すぐに買い替えになってしまう。でも目が悪い者にとって、メガネは目同様に必要な物だから必需品である。恥ずかしくても付けないわけにはいかない。当時は恥ずかしかったよね~という言葉に、二人で大いに盛り上がった。盛り上がりついでに、メガネでヒドい目にあった話しを彼にした。若い頃、大手メーカーでメガネを作ったのだが、それがヒドかった。それは私でなくても、全ての人間の目に合わないだろう作り方をした会社だったのだ。いまだにその会社が潰れないのに驚くのだが、多分私の目を点検した担当者に、問題が有ったからだろうと思う。あまりに目が痛くて病院に行ったら、「こんなメガネをかけていたら、目だけでなく体を壊します!」と医者から、滅茶苦茶怒られたのである。その話しをその白髪の彼にしたら、なんと!その会社に定年まで勤めていたというではないか!!彼はバツの悪そうな顔をして、しきりに私に謝っていた。彼のセイではないのだけどね。こういうことで会社の信頼が落ちる‥社員教育が徹底されていない‥。彼は恥ずかしいと、私に小さい声で言っていた。確かに私もその当時は、会う人毎にあの会社でメガネを作るな!と、言い回っていたからねぇ‥。会社に勤めている限りは、その会社の看板を背負っている。会社の信頼を失墜させない人間であるべきである。給料をもらっているということは、そういうことだよね。
2019年10月02日
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